nyanta081
すとらぐるぐるぐる
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nyanta081 · 5 years ago
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若者を選挙に行かせる方法
皆さんこんにちは。毎日パスタを食べているフクトミです。
さて、皆さん突然ですが日本は好きでしょうか。特に意識した事ない人、私の父のようにYouTubeで韓国・中国崩壊日本バンザイチャンネル的なものを毎日欠かさずチェックしている人、留学帰りで海外を盲目的にべた褒めしつつ日本をめちゃくちゃディスる人...etc様々な考えを持っている人がいると思います。かくいう私はめちゃくちゃ日本好きですね。食べ物とかマジでうまいし。平和だし。綺麗だし。
そんな私が最近憂慮していること、それは若者の投票率の低下問題です。総務省の発表によると平成29年度の20代の若者の投票率は33%に留まっている一方で、60歳代の投票率はなんと72%!!!なんとダブルスコア!!びっくり!そりゃ政治家も年寄り中心の政策ばっかり出すわけだよね。若者に向けた政策を中心に据えても勝てないんだもん。この前麻生さんが口を滑らせて今の現役世代は2000万円の貯蓄が必要だと言っていました。まあ事実上の年金制度の崩壊ですよね。年金を払ったとしても今の老人を助けるだけで自分たちが年寄りになったら雀の涙くらいのお金しか貰えないってことです。では何故これを是正しないのか。それはまさに先程述べたように年寄り中心の政策を行っているためです。わぁ、お先真っ暗!
そこで私は考えました。どのようにしたら若者が選挙に行くようになるのか。考えること十余分、遂に驚くべき革新的な答えを導き出したのです。
それは.....
タピオカ屋で選挙を行う
ということです。
なぜこのような結論に至ったのか。答えは明白です。それは現代の若者はインスタ映えする行動にしか価値を見いだせない傾向にあるからです。どこにいってもインスタ。だれといてもインスタ。何をしていてもインスタ。
そう現代は大インスタ時代なのです!(ドンッッ!!!!)
Tumblr media
そう考えると選挙に行くという行為はインスタ映えとは対極にある存在ですよね。承認欲求が満たされない。地味。必ずしも自分の意見が直接反映されない。そもそも政治に興味がない上に、こういうイベントに行けという意見自体が若者に期待し過ぎなのです。想像以上に何も考えていない人が多いのです。そこでこの案「タピオカ屋」選挙です。投票箱をめちゃくちゃオシャレなタピオカ屋に設置し、あのインスタの枠のパネルみたいなやつを設置し、逆に行かないやつは遅れてるみたいな風潮を作り出せばいいのです。そうすることによって特に政治に興味のない若者もついでに投票してくれることでしょう。あくまで私の予想ですがこうすることで若者の80%が投票するでしょう。そして若者の圧倒的支持を得た『新党タピオカ』が大幅に議席を伸ばすことになるでしょう。
以上が私の考えた案です。え?意味わからないって?
うるせえ!(選挙に)いこう!!!!!!!!(ドンッッッッッ!!!!)
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nyanta081 · 6 years ago
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Can’t Be Forever Young
僕今年で22歳になるんですけど、冷静に考えてヤバくないですか?     
  当時、僕の小学校では卒業式で卒業証書を受け取るときに親の方を向いて自分の夢を大声で叫ぶっていう糞システムが存在していたんですが、僕は「将来公務員になって安定した生活を送りたい」って言った覚えがあります。今はこんなんでも実は親孝行な少年やったんやで。それを考えると今僕は公に尽くすという公務員の高潔な思想からまさに対極の思想に位置する青年になってしまいました。ゴメンねお母さん。YO!YO!YO!
さて今回僕が思ったことは自分には案外時間がない事に気づき、猛烈に焦っているということです。今僕は一応就活と大学院の勉強を同時にやっているのですが、もし院に行くとしたら卒業する頃には25とか26ですよ?むっちゃおっさんじゃないですか?これまでは「26歳?それが何だ。YO!」っていう考えだったんですけど「26歳、院生です。」っていう自己紹介ってなんか、こう、くるものがあると思うんですよ。もちろん院進は将来的に考えて絶対自分の夢のためになるっていうことはわかっているんです。院卒業したあとのプランとかもちゃんとあるんです。だけどさ怖いやん。焦燥感とか凄いんだよ。
1-2年前までは時間は無限でいつまでも続く実感のない存在のように感じてました。だけど今自分の将来に向き合った瞬間に時間が途端に具体的な存在になって迫ってくるように感じがするんですよね。先輩で「死」という概念を常に意識しているっていう方がいるんですが、なんだかその彼の世界を垣間見たような気がします。急に自分の心臓に消えることのない火が付いて燃えカスになるまで轟々と燃えている。まあそういう感じです。
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nyanta081 · 6 years ago
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I wanna be a HERO
突然だが私は最近ヒーローになりたいと思い始めた。
ヒーローと言っても街を救うとか強盗を捕まえるとかそういった類のヒーローではなく、困っている人を見逃さない的なショボいヒーロだ。
先日大学の近くで白い杖を持った人が歩いていたのを見かけた。私は他の人々が素通りしていく中で、「助けを必要としているのでは」と思い声を掛けようとしたのだが、謎の違和感というか恥ずかしさを感じ結局声を掛けないまま「目立ちたくないしな」と思い通り過ぎてしまった。白い杖を持った彼は無事目的地へつけただろうか。
私は全く正義感がない人間である。どれくらい正義感がないかというと学校の食堂のコップを自分の家用に持ち帰るくらい正義感がない。(2個持ち帰った)
そんな私が何故ヒーローになりたいのか。それはおそらく「普通」になりたくない・何かで爪痕を残して死にたいという幼い頃からの意志からくるものだろ。「食堂のコップを家で使っていたら面白いかもしれない。少なくとも普通ではない」そのようには直接的に考えていなかったものの深層心理の「普通」を拒否する声が私を食堂コップ泥棒の狂気に駆り立てのだろう。そうに違いない。
私は人生の中で「普通」を忌避してきた。これでもかと言うくらいに。「普通」の存在になった瞬間に自分の存在が脅かされるような恐怖を感じるほどに。
しかし私は気づいた。困っている人を助けない人の多さに。明らかに困っている人がいるのに「周りが助けてないから」とか「助けたら周りから目立ってしまう」とかバカほどしょうもないような理由で何もしない人の多さに。しかしこれが現代の「普通」である。怪我した人に声も掛けずに素通りとか困っている目の不自由な人を助けないと「普通」じゃないと思うだろう。しかしこれが「普通」なのである。
私は「普通」を許せない。だからこそ今事故確立のため食堂のコップを返却し困っている人を助けない「普通」を打ち壊すショボいヒーローになりたいのである。
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nyanta081 · 6 years ago
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パレスチナ留学を振り返って
 昨日、イスラエルの入国審査で一週間のVisaしかもらうことができなかった。そして今後どうするかという問題であるがヨル���ンで学習を続けることにした。日本に戻ることも少し考えていたが、やはりもう少しアラビア語の勉強を続けたいと思う(正直な話アラビア語はもうお腹いっぱいであるが)。
 思い返せばパレスチナで得た経験は非常に大きいものであった。一番中の良い友人であるAseelやBilalに会えたことはもちろん、様々な人が自分を気に入ってくれて様々な経験をすることができた。またその中でこの三ヶ月間でパレスチナ問題へ自分の意識を向けさせる機会を私に与えてくれた。現在パレスチナでは多くの人々がイスラエルによる占領により苦しめられている。Muhammadは私が住んでいる地区から、車で三十分ほどのタッルーザという村に帰るのにチェックポイントで一時間ほど待たされることもあるらしい。本来、自分たちの領土(少なくともパレスチナ人はそう感じている)なのに自由に移動できず、様々な事を制限される暮らしは大変辛いものである。
 友人のAseelはとても才能豊かで海外でも活躍できる力があるのにもかかわらずパスポートを取得できないために、パレスチナの外に出ることができない。彼女と一度パレスチナの問題について話し合ったことがあった。彼女はイスラエルによる占領に憤慨しながらも、どうすることもできないまたこれが私達の暮らしなんだという現実を語ってくれた。私はその時の彼女の悲哀に満ちた目を、忘れることができない。
 Aseelとはたいへん仲良く、毎週彼女の実家にお邪魔して、彼女の家族には大変可愛がっていただいた。彼女は八人家族で、また毎週末親戚が集まり、一族でおしゃべりしたりして過ごすのだった。最初私は大変緊張して、あまり喋らなかったのだが、とても優しく話しかけてくれて一瞬で打ち解けることができた。最後の方には仲良くなりすぎて、Aminという彼女の甥が「自分の息子にはAkiraと付ける」と約束してくれたくらいである。また彼女の両親は特に私を気に入ってくれて、私に「私達のことはmamaとbabaと呼びなさい」と言ってくれた。mamaとbabaはアラビア語でお母さんとお父さんといったような意味である。こう言われたとき私は家族の一員になれたようで本当に嬉しかった。私の家族は仕事などで両親とも忙しく、家族が全員揃って食卓を囲むことはあまり多くない方ではなく、あまり家族の愛というものを感じることはなかったと思う。それが一層、私の心に家族の一員になるとはこういうことなんだという気付きを強く実感させることになった。
 パレスチナで私は圧倒的な自分の無力を知った。とても良くしてもらっているのに私は彼らに・彼らの状況に何も助けになることができない。現段階ではただ平和なパレスチナの憧憬を抱き続け���ことしかできない。しかしあのときの彼女の瞳の記憶は私を生涯この問題に対し投げ込んでいき、想起させることになるだろう。その中で自分は何ができるのだろうか?
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