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2024/3/20
出会ってからの6年間
ずっと人として大好きで、
一番尊敬できて、
一番信頼できるひとと
ライフパートナーとして生きることになりました。
伝えていいとのことだったので公表すると
ノンバイナリー同士のパートナーです!
やっとやっと相手に伝えられました。
本当に嬉しそうにしてくれていました。
なんだかやっと自分に正直に生きていけるような気がします。
今までの出会いも嘘ではないけれど、
それらを糧にしてやっと今「自分」になれたように感じます。
まだ先のことはわからないけれど、
いつかその人と東京で暮らしたいと思っています。
よかったら会いに来てね。
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[2024/3/13]
「いつもと違う道を行ってみよう」
「なんとなくいいな、と思ったお店に入ってみよう」
「いつもなら気にしないところまで見てみよう」
と思えるのは
その日は良い日が過ごせていて
自分の心と身体が安定している証拠なのだと思った
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言葉が生み出すものの話[2024/2/25]
珍しくお久しぶりではありません(?)、moです。
ちょっと前にインスタのストーリーで予告?していた言葉の新しい視点の話です。
ーーーー
3週間あったインターンシップが最近終わりました。
グラフィックデザインを学んでいるので(再進学)、
その業界の会社様にお世話になりました。
業務内��は言えないのですが、そこで学んだ人間性について、言葉について綴りたいと思います。
この「考え綴りtumblr」を始めた頃の最初の投稿に、言葉に対しての自分の恐怖心の話をしました。
今でもそれは変わらず、言葉はやはり鋭利なものだと思っています。それと同時に、言葉でないと伝わらないこと、言葉"が"ないと伝わらないことももちろんたくさん���ります。言葉ってコミュニケーションを取るための一つのツールなので。
自分はあまり人と話す気質ではない部分と、よく話す気質の部分の両方を持っていて、自分でもいまだにどちらが自分かがあまりわかりません。こんな感じの話も以前にしたことがあったと思うのですが(記憶〜)。
なんにせよ静かな自分の時間は確実に欲しくて、コミュニケーションを取ることが本当に面倒に感じることも多いんですよね。必要な時でさえ。
インターンシップ先はデザインでビジュアルを生み出す際にすごく言葉を大事にする会社様でした。
どんなおそらく仕事もそうなのですが、グラフィックデザインに関しては一種の「伝える」仕事なので、実はすごく言葉やコミュニケーションが大事になってきます。
作る過程でもいろんな方とコミュニケーションをとってやっと一つのものが生み出されます。
作り出されて世に出てからもたくさんの人や社会にまでも影響を与え、市場にも関わる大きな仕事もたくさんあります。考えているよりずっともっと広い業界です。
デザインって言葉がないと生み出せないんだ、とそういったことを考えて思い至りました。
私の経験がないだけで、ビジュアルだけの共有で生み出せることもきっとあります。
大抵の場合でのお話になりますが(今更それを言う)、言葉が多くを占めているのではないかと思っています。
共有、共感、指示、ディレクション、擦り合わせ、一致、制作。
働く中で、いろんな段階で言葉が肝になってきていました。
優しさや、共感する力がないと、コミュニケーションって本当に取れないものなんだなと感じました。
同じ熱量を持てていないと良いものが作れないのかもしれないとも思いました。
共感や優しさについて私がよく意識していることがあって、相手の話に対してまず肯定からすることで(倫理的に間違っていることなどは含みませんもちろん)、共感するにあたって相手と何もかも全く同じ立場になることはないので、せめて少しでも感情や考えを掬い上げたいと感じます。そのために相手を否定せず、受け入れて自分の中で深く煮込んで煮込んでやっと濃くなったものを相手に返すイメージで共感しコミュニケーションを取っています。
そしてその返す過程では優しさが必ず必要になってくるのではないかと思っていて。当たり前のように思われる��心無い言葉を言わない」って、当たり前じゃないんやなと感じる瞬間って��にでもあると思うんですよ。えっそんな言い方する?とか、そんなこと言う?みたいな場面って自分に対してじゃなくても見たこと、聞いたことはあるはずで。
無駄に真面目なのかなんなのか、私はそういう瞬間を目撃するたび心の内ですごく怒り、悲しんでしまいます。許すことができないのです。受け流すことができないのです。
少しの優しさでいいのに、と思います。
本当に少し。
それだけで傷つくレベルや傷つく人の数も減るのにと。
インターンの話に戻ると、私に対しての指示や修正やディレクションの中にはすごく優しさで溢れていました。相手の心を大切に、言葉を丁寧に包んで送って(贈って)くれるイメージです。
こうやって人間性って見えてくるんだと感じました。
自分の意識していたコミュニケーションに間違いはなかったんだとも感じました。
その時に、言葉は鋭利でも、包むことができると知りました。
包んで贈ることができる優しいものなのだと感じました。
ただ、そういった使い方次第、見方次第なんだなと。
みんな優しさとぬくもりで言葉を贈れたら、とまた新しい願いが増えたように思います。
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学びの話[2024/02/14]
相変わらずお久しぶりです、moです。
もしかして今年初なのか?そうなのか?
今年ものんびりよろしくお願いします🙃
今回は自分にとっての学びの話です。
ーーーーー
この話に至った経緯として、今自分が置かれている環境にあるんですが、業務内容とかはもちろん言えないので環境だけざっくり言うと今インターン中になります。
もう本当、自分の未熟さを思い知る日々なのですが、ずーんと落ち込むこともありはするものの、それ以上にモチベーションになるというか、「そうかこれができてなかったのか」みたいなことがどんどん明確になっていくので、「ならできるようになってどんどんできひん/苦手なこと潰していったる」ぐらいの気持ちに変化していくんですよね。
久しぶりによっしゃやったろの気持ちになれているのかそういったことから思い出したんですが、もともと自分って「苦手/怖いものをなくす(=克服する)」ことに対して挑戦的であるというか、特にモチベーションが上がるんですよね。メンタルが安定してる時に限るんですが。
克服してる最中にそれに対してもはややり甲斐を感じてしまう、みたいなこともあって、なので正直何に対してもやり甲斐を見出すのが上手い、みたいな謎に自分上げな話とか始まりそうなんですがそれはまあそうなんですよね(自分上げ)。
それのさらに先にあるのが、思うに"学ぶことが好き"ってところにあると思っていて。
苦手をなくしたい
→新しい/避けていたことに触れる
→学ぶ(という工程)
→やり甲斐を感じる/モチベーションになる
→楽しくなってくる/頑張れる
みたいな良い循環の癖が知らん間についていてわりと嬉しく思っていたり。
例で言うと、人前に立つことが本当に苦手でめちゃめちゃにあがり症だったんですけど(今もやけどマシにはなってる気がする)、克服するために軽音部に入ってましてやめちゃめちゃ一番前に出るボーカルとかやってたりしたし、勇気出して委員長したり(昔)、普通に数学できなすぎて塾通ってたけど多すぎ課題に対してやりすぎた結果なんか一周回ってやり甲斐感じてしまっていたり(達成感になるのだと思う)(数学はそんなに伸びはしなかった)(何故)。
できない科目に対して燃えてしまう、みたいなのはよくあった気がします。でも大抵結果的に得意科目になることはないんやけど。まじでなんで?
単純に要領悪すぎるところがあって覚えれてはないという。
ーーー
みたいな、久々にもしかしたら自分の良いところかもなあみたいな部分を見つけられて少し嬉しい日々です。
全然やってこんかったデザインを毎日見て、手を動かしてな日々ですが、やり甲斐しかねえーーってなってます。悔しい気持ちに支配される時もあるけど、悲しいでないだけ全然マシというか、むしろ良い感情であって何かこの経験が自分の一部にまたなっていけばいいなと思っています。
ーーーーー
ということで今回はここまでです。
久しぶりに文章書けて楽しい、けどやっぱり言葉というものは鋭利ですごく怖いですね。未だに慣れん。
最近じっくり考えたいトピックが多いのでまた近いうちに吐き出せる時が来ればいいなと思います!
それではバイ👋
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将来の道の見つけ方の話
性の流動性の話
[10/8/2023]
またまたお久しぶりです、moです。
なんでか毎回朝方とか夜中に文章を書くことが多い���す。特に寝れん日です。
寝れん夜はたまにアイコス吸って不安を落ち着かせることがあって(バカデカ不安は抗不安剤をちゃんと使います、なんとなくアイコスがいい日がある)、珍しくそれが今日でした。
涼しくなるとベランダ開けて涼みながら吸います。
本題は全然関係ない話です。始まります。
⚠︎某洋ドラたちのラストのネタバレが含まれるのでお気をつけて!!!!
ーーーー
最近sex educationラストシーズンと今日fleabagを全シーズン完走しました。
早速ネタバレに入ると、
どちらも、主人公の愛した人は、主人公のことを愛したまま別れを告げるんですよね、最後に。
相手への愛とやりたいこと、あるいはすべきことを、言い方は悪いかもしれないけど簡単に言うと天秤にかけて後者を選びました。
最近自分がよく考えているのが、自分は将来誰と過ごして何をしているんだろうということで、自分も同じようにそうやって天秤にかける日が来るのかなとまた漠然とした不安があったりしていて。
ドラマほどドラマチックでもなければ深刻な状況な訳でもないので、正直どちらも両立はさせられるはずではいるんです、人生変わるような何かがない限りは。ないと思ってますが。
今の交際者とはどうなんだろうと。
私が漠然とうーん…したくないな…と思ってる結婚というもの、仕事に支障が出たくないからとか自由を奪われたくないからとずっと思っていたのですが(実際それもある)、結婚することで必要になってくる様々な慣習が苦手だったり、何より精神的に、誰かに自分の人生を預けることがものすごく怖いんですよね。
自立すればそんなことないという話ではなくて、自立していても結婚は他人と先の人生を歩むことを決める重大な契りで、自分には相手を人間として「好き」という気持ちや絆だけでは到底やり切れないなと思ってしまいます。
だからもし、今の相手とずっと一緒にいることになっても、結婚という形はとりたくないと思っていたりします。それを考えるとコムアイさんがそのロールモデルでもあってやはりすごく尊敬しますね…
それとやっぱりずっと一緒にいたいと思う人は別にもいて、簡単に言うと同性の親友なのですが。やはり信頼という面では一番だなと思っています。だから先々のことが本当に、わからないし、迷う…苦しいんですよね。
結婚に関しては、こんな悩みを持てるのも、今この国ではマジョリティの特権を持つ者のみということも承知していて、とても複雑です。やはりこの国に対して苛立ちます。
ーーーー
これはいつかどこかで言おうと思っていた話なので少し話が逸れます。
セクシュアリティやジェンダーアイデンティティというものは流動的です。
改めて、
私はシス女性からクエスチョニング、そして現在はノンバイナリーへ、
アセクシュアル・グレイロマンティックからデミセクシュアル・クォイロマンティックと自身を認識しています。
デミセクシュアルに関してはいまだにそれで正しいのかはわかりません。他の自認に関しても曖昧な部分も多いです。
これはずっとずっと言っていることですが、ラベリング���選ぶことはその人の自由で強要すべきものではありません。
正直私もこうやって今、便宜上、ラベルを使った表現をしている部分もあります。もっと自分を表現するための語彙力が必要だと感じています。
アセクシュアルであった自分もシス女性であった自分も、もういなくなった別の人格のようには感じていなくて、今の自分を作るための基盤になってくれたのだと思っています。自分は毎日更新されていくもので、過去の自分も"自分"でいると考えています。
Twitterを辞めた理由が私のセクシュアリティの変化のことや考え方に対して意見をいただいて、そこでたくさん自分を否定してしまって、アセクシュアルでない自分はもう何者でもない、嘘つきだと思ってしまったからだったのですが、過去の自分も今の自分を作っているし、過去の考えも今の自分の考えを支えています。アセクシュアルを否定することは絶対にありませんし、当時の自分の持った"理解"を手放すこともありません。
やはり、自分を否定されたようで悲しかったです。正直本当にすごく悲しくて。アセクシュアルの自分を期待されて続けていたなら、それはもう私を見ようとしていないのだと思いました。SNSで誰にでも好かれようとかそんなことできるはずもないので私も人に期待するのはやめようとも思いました。
ーーーー
ていう、話飛びまくったポストでした。
文章化がやはり苦手なので書けるうちに書かんと頭が働かんので…
自分の道の話とTwitterの裏話的なのでした。
正直今はTwitterがなくてびっくりするほど楽です。
たくさんしんどいものを見ていて、期待に応えようとしていたのかもしれないと気付かされました。自分らしくマイペースにいこう。
では!
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2年前の寄稿作品をやっとやっと載せました(遅すぎ)
初めて漫画でちゃんと本の一部となったものです。
初心者感拭えてない描き方しまくってますがよかったら見てね〜!
悟硝同棲アンソロジー『24/7』 (2021.11.07 発行)
寄稿作品 + コメント
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「太陽の女神」 - mo
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どれが本当の自分か決めなくてもいい話[4/24/2023]
お久しぶりです。毎回お久しぶりになってきました。moです。
Twitterでzineの内容候補を募ったところ、たんぶらの内容のご提案をいただいたので、あ!そういやほったらかしやん!となって久しぶりに戻ってきました。
zineに関しては実はだいぶ前にたんぶらの内容で作りたいなーと思っていたので、Twitterでちょうど背中を押してもらった気分です。ありがたい。形にできたらいいな。
ということで(?)今回は、どれが本当の自分かとかもう決めんでもええかと思った話。
ーー
今回の話は内面の話なんですけど、私は元々ネガティブ思考で大人しくて、シャイで、暗い性格だと認識していました。私のいらん経歴を長々と語りながら性格がどんな感じかも文章化していこうと思う。
幼少期からシャイで大人しかった。小学校高学年からは学年内、クラス内の生徒の力関係みたいなものに気づき始めてそういうものを考えながら過ごしていた。あの子とは当たり障りない会話をしようとか、笑って流しておこうとか、いい顔しとくかとか、なんかそんなこと考えててすでに疲れていた。中学はその特化版のようなグチャグチャ社会という感じで、あと私はこの頃から男子に舐められるのが腹立つから絶対強気で3年間過ごすと決めていた。結果ヤンキーやらあらゆる男子から本当に恐れられた(なんで?)。当時は静かによく怒るタイプの人間だった。大人しかったとは思う。あと中学ぐらいから人の目をよく気にするようになって、人前に立つのが苦手だと気付いたのもこの頃。
高校もその延長線上で、だけど"人の目"に強くなるために軽音部に入ってわざわざ人前に立って何かをする機会を設けていきました。結果、得意なことに関しては堂々と前に出れることがわかったりした。高校がなんやかんや一番大人しかったかもしれない。またこれも中学の延長線で、苦手なタイプの人が結構多かった印象。
大学では小さい専攻なだけあって授業も少人数が多くてシャイな私的には助かっていた。サークルは軽音だったけど、正直印象通りって感じで、仲良い子とはずっと仲良いままだけど大抵は合わなくてなんやかんや私はフェードアウトしていきました(あと留学とコロナ禍もあったので)。あと大学に入って初めてバイトをし始めてから本当にバイトがどこも上手く行かなくて、この辺りからパニック症状や不安症、適応障害が始まっていたような気がする。コロナ禍で酷くなって自分のネガティブな部分にどんどん侵食される生活を送っていた。
そして今大学を卒業して専門学校に通っています。今回のメインはそこからの話。前菜多すぎ、お腹いっぱい。
ー
今の専門では今まででは考えられないぐらい明るくて元気。よく発言もする。よく笑うし、よく笑いを取りにもいく(おもろいかとかは知らん)。ただなんでか、やっと自由になれた!という感覚があって本当に毎日楽しい。でもたまに急に電池が切れて鬱に戻る時もある。といっても大抵PMDDが絡んでいたり、タスクに追われすぎててんやわんやしていたりするせいだったりする。毎日忙しいけどこんなに人と会うことが楽しかったり、あの人と話したい!と思ったり、あの人とあれやりたいこれやりたいと思ったりすることなんてこれまでなかったので、たまに「どこから来た自分やろ?」と思うことがある。
���ともと抑えていたのだと思う。明るい自分を殺して周りに合わせていたのだと思う。結果自分は暗いと思い込んでいたのかなとも思う。でもなんか違う、というのが今回話したいことで。根暗、根明、ネガティブ、ポジティブ、陰、陽、いろんな言い方があるけど(全部ニュアンスはもちろん違う)、どっちかに振り切って自分を説明しなくてもいいじゃんそもそも、と思った。明るい自分を殺していたのは事実だけど、あの子達といる時の自分は明るい、ということはずっとあったので、今は明るい自分がたくさん出てきているだけで、暗い自分も一緒に私の中に住んでいる感覚が強い。一人になりたい時もあるし、みんなでワイワイしたい時もある。一人で映画を見に行きたい時もあるし、誰かと見に行きたいときもある。自分がたくさんいることに戸惑う時もあるけど、イラストを描く時のレイヤーみたいなもので、たくさんの層の自分があって、それに全部のレイヤーを統合する必要もないなと思う。どの自分も自分で、どちらにもいて、中間にもいる。
この前、姉の元担任の先生(私は姉が通っていた専門にいます)と話をしたのだけど、先生は私の姉を陰と、私を陽のようだと表現した。私はむしろ姉のほうが陽で、私が陰だと認識していたのですごく面食らった。私はそんなに明るい人間だと思われているんだなと。そこで自分は今明るくなれているのだなと気づいた。楽しいという感覚はあったけど。
黒でも白でもないグレー、あるいは自分独自の色を持って過ごせること、その色に気付けたことを誇りに思う。たくさんの構成要素で出来ている、複雑である、それでいいと思う。みんなそうなのだし。白黒つけたがる性格なだけあって(問題解決とか好きなものとか)、グレーというものに抵抗があったけど今は自身と重ねられてすごく好きになっている。
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怒りを忘れてはいけないし
我慢し続けた事実も無視し続けてはいけない
丸め込まれてはいけない
被害者面をしているのではない
悲劇のヒロイン面をしているのでもない
実際に被害者であり
相手に何もかも振り回されているのである
少しでも感じた違和感を有耶無耶にしてはいけない
忘れるな自分
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感情日記[6/17/2022]
だいぶお久しぶりになりました。moです。
半年も何も投稿してなくてちょっとびっくりです。
考えることがなくなったとかではなくて、たぶん深い鬱になることが少なくなったんやろなと思っています。不眠の時とかによく書いてたので。今はバッチリ元気。
※今回プロローグ(?)として少しだけセクハラの話を持ち出しますのでフラッシュバックの可能性がある方はこの先は進まないことをおすすめ致します。
ーー
去年の9月、10月から今年の3月にかけてまでが、Twitterで知ってる人は知っての通り、前職でのセクハラやモラハラなどで一番苦しんでいた期間でした。未だにフラッシュバックして気持ち悪くなったり涙出てきたりしますが、随分マシにはなったし男性とも普通にコミュニケーションを取ることはできています。
実際起こったことをここに書こうと何回か下書きしたりしてたんですけど、なぜか途中から「もしかしたら自分も悪かったのかな…」とか考えたくないことが頭に浮かんでしまってゴチャゴチャしてしまったのでしばらくは書かずにいようかなと思っています。100%相手が悪いです。そのはずなんですけど性格上それを信じ切ることが難しいみたいです。そのハラスメント社員に最後に送りつけた長文LINEはいつか晒してみたいと思っています。スカッとするので。
ー
これがあって今回のお話になります(長かった)。
そのハラスメント社員と二人で出かける機会があったんですが、その時私は二人きりだとは知らずに相手のところに向かって着いて「え?二人?まずい」となった記憶があります。
そのことがあってからは特に、ですがそれ以前からも男性とプライベートで二人きりというのが異様に苦手でした。客観的に見てどういう関係性に見えようが周りからは"男女"で、私は"女"を担わされる感覚になるからです。それからやはり恋愛至上主義から相手によってはカップルに見えるんだろうな…(気持ち悪)となるからというのが一番の理由です、おそらく。
Twitterでもお話しした通り、以前から仲良くなりたいな〜人として興味があるな〜という男の子が週一でしか会えないのでなかなかしっかりお話しする機会がなかったのですが、今回なんと向こうからのお誘いで遊びに行くことになりました。正直めっちゃハッピー。何話そう、どこ行こうかとすでにワクワクしています。
ですが前述した通り二人きりが苦手なので少し複雑です。相手はおそらく私のことを恋愛対象としては見ていなさそうなので(なんとなくそんな感じがする)、こちらも意識はしなくて良いのが嬉しいのですが、いかんせん周りの目が、気持ち悪いし怖い。他人にどう思われようと関係ないのはないのですが、客観的に見た時に「あ〜〜〜〜嫌だ」となります。なるんだろうな。ぎこちなくなりたくないな。申し訳ないな。
それから私が恋愛感情を抱く(性的欲求はない)きっかけだったり、"惹かれる"の種類を分け切れていないので相手のことをこれからどう感じるかがわからないのも不安です。人として惹かれてはいるけどこの感情はなんなんだろうみたいなことはやはりしょっちゅうあります。でも最終的に、"ずっと一緒にいたいな"に行き着くのは東京に行ってしまったクィアのマブなので。恋愛感情も性的関係も除いたパートナーを持ちたいとお互い思っているので(相手が私に対して思ってるかは不明)(私は正直その子しかいないと思っています…)、早くそれを言えたらいいな〜と今回のことからより感じています。
ーー
まだ何があるかわからないので人生適当に生きてみようと思っています。その男の子と出かけるのも1週間ちょっと後の話なので、またツイートしに行きます。
なんか色々暴露してしまった気分ですね。いい日いい日。
それではまた!
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優しさの話[12/1/2021]
こんばんは。
タイトル横の日付を書いててびっくりしたんですが12月か…もう12月なんか…
いろいろ一年振り返りたくなる時期ですがまだ残りの一ヶ月、死ぬ気で走り切らないといけないのでそんな余裕も無さそうです。師走って感じする。
年末ぐらいに振り返りだけの投稿とかしたいですね。あと来年の抱負とか。
や〜というかそろそろ本題に入ろう。
優しさの話です。
ーー
最近よく考えるのが「優しい人」って何なんやろってことなんですけど、それを考えるキッカケになったのが今年の後半ちょくちょく「moは優しいからなあ」みたいなことを言われたためで。ただその「優しい」を個人的にポジティブな意味では���えてなくて、でもその人にうつる自分は「優しい人」に見えてるっていうギャップに少しゾッとした話、になるんかな。
これまで大人しい、控えめ、穏やかみたいなことはよく言われてきたけどあんまり優しいとは言われたことがなくて、えっもしかして自分性格変わったんか…?とか思ったけど正直そんな感じもしてないので、環境が変わって、新しい人と出会って人とどう接するかみたいなのが変わってきたんかなとか、思い当たる節がないわけでもなく。
ー
例えば「moは優しい」を言った一人目の人の場合、私が自身の時間とか労力を犠牲にしてまで手伝うこと+自我を出さない性格+利他主義?なところに対して優しいと思ったらしいんですけど、一つ目に関しては確かに相手を思ってどうにか手伝いたい気持ちからやったけど他二つに関してはただの性格というか、寧ろもうちょっと意見言えて外向的になれたらとは思っていたのでこういうのもポジティブに捉えられてしまうのかと思ったり(そこはネガティブ思考が出てしまってる部分が大きいんですけど)。
利他主義も自己犠牲も直接的な優しさになり得るけど、それをあまりに良いものとして捉えすぎる、且つその「優しさ」を他人に求めすぎることってめちゃめちゃ危険なことというか、「優しい人だね」とか「優しいからそうしちゃうんだよね」って言うのもいいんですけどそのあと続く言葉として「それは優しいことだけど優しくなりすぎないで良い(もっと自分を大事にして良い)」ってことを言わないとその「優しさ」を美化しすぎてしまう気がしたんですよね。ザ・日本人的って感じの。
「優しい」って言葉を適当に使いすぎてないか?とも思ったのが二人目に「moは優しい」を言われた時で、その子に関しては付き合いも長くてお互いの性格知り尽くしてるんですけど、さっきの自己犠牲の話をした時その子と出会って初めて「moは優しいから(そうしちゃったんよね)」ってことを言われて、その言葉の裏に「頑張ったね」の意味が含まれてたとしても私はそれを感じ取りたくはないし自分がやったことが「優しさ」になるなら私の思う「優しさ」とは違うものなんだなとそこでギャップを感じたりもして。なんで「頑張ったね」を感じ取りたくないかというと、そうすることでその「優しさ」を肯定してしまう気がしたからなんですけど、優しさのせいで自分を犠牲にしたことが「(優しいから)しょうがないこと」のように見えてしまうんですよね。優しいことを理由にしてたら優しい人は全部を許してしまうし、周りもその人を「優しい人」って認識をすることで誰もその「優しさ」を止めれなくなってしまうというか。
めちゃめちゃINFJ(※MBTI参照)なことを言うと人間って本当はみんな優しいと思っているし、他人に優しくあるべきだとも思っているんですけど、人のことをどう感じるかの前提に「この人は優しい」があるのでわざわざ誰かを「優しい人」と感じることがあまりないなとかもあるんですが。それにしても適当に(その人たちは適当に言ったつもりはないかもなんですが)「優しいね」を言うのは怖いことだなとも思いました。ちなみに私は常識と倫理があれば誰でも優しくなれると思っています。ていうのもさっきのINFJ的な話をもとに考えた「私の常識(=みんな優しい)」から来るのでめちゃめちゃ偏った考え方してるんですけど。
ーー
結局内容がごちゃごちゃしてしまったし多分矛盾してるところも多いんですけどいつものことなので…でももうちょっと頑張った方がいい…
とりあえずモヤは吐き出せたのではないか…
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特にない[10/19/2021]
藤井風くんの曲から取ったタイトル。
というより風くんの曲の曲名"特にない"。
この前ライブに行ってから風くんの曲が頭から離れなくなったので何となくこれにしました。
というわけで久しぶりに来たけど、特に内容のない話。
ーー
最近週4で終電帰宅をしてるんですが(もちろん遊んでるとかではない)、初めはキッツイと思ってたけど案外慣れてしまうもんで、帰ったらやりたいことパッとやってちゃっちゃと寝る準備してぐっすり眠れるようになりました。て言うてもいろいろしてると寝るの2時は過ぎるんですが。
今月はずっと、週一しか丸一日家で過ごせる日がないような生活をしてて、しかもその週一の家で過ごせる日にやるべきこと一気にやらないといけないようなスケジュールなのでさすがに…さすがにだな…(?)って感じなんですけど、こうやって文字に起こせる時間も少し取れてるので超多忙な人に比べたら全然マシだなと思ってます。お願いだからみんな心も身体も大事にしてほしい。
ーー
そういえば昨日あたりからずいぶん気温が下がってきて秋らしい天気が続いてますね。
毎年秋が来ると秋の香りに気づいて肺いっぱいに空気を吸う儀式(?)をするんですが、いや秋だけじゃなくて季節の変わり目は全部これをしていて… 今年の秋はこんな感じのスケジュールなので、一昨日なんかは本当に心が死んでいて、感性も一緒に死ぬ感覚があってすごく怖かったんですが、さっき帰宅してからポストに出すものがあってもう一度家を出た時、短い道を歩きながらその儀式をしてみたらしっかり秋の香りがしたので安心しました。
食欲の秋、芸術の秋、読書の秋…なんて言いますが、全部ひっくるめて"感性の秋"と呼びたいなあなんて思っています。
なんでか毎年この時期はすごく忙しかったり、精神的にしんどいことが多い時期なのですが、大好きな秋なのでたくさんの小さな幸せを拾っていきたいなと思っています。風の香りだったり、草木の揺れる音だったり、澄んだ空だったり。欲を言えば、そういうことをじっくり楽しめる時間がたっぷりあればなあとは思いますね。
もっと欲を言えば積読してる本読みたいし、洋画も洋ドラもアニメも見たいし、絵も描きたいんですがーーーとか言ってると現実見て落ち込みそうなのでこの辺で止めておこうかな… 愚痴を言いたいわけでもないですし(もうすでに半分ぐらいは愚痴みたいな内容…)
ーー
風くんの曲は全部歌詞が素敵で、私の語彙力では説明できないんですが、とにかく素敵なので、"特にない"の歌詞もぜひ見てみてください… 短い歌詞なんですがこういうイメージの人になりたいなと思っちゃいます。歌詞からなんとなく意志の強い女性を思い浮かべてます。個人的に秋冬の夜〜夜中にかけてぐらいのイメージの曲で、帰り際に聴くのが好きです。
最後にそのダイマして終わり。
では!
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褒めの話[6/13/2021]
ツイッターでも話したんですけど再進学先の入学が決まりまして。インスタのリア垢でもストーリーでみんなに報告をした、時の話。ありがたいことにいろんな友達・知人からコメントとか反応をいただけた。大学の友達、高校時代の先輩、はたまた通ってる美容院の担当さんやったり、もう実家出てる姉からやったり。
結構驚いたのが、高校時代めっちゃ仲良かったけど大学入ってからあんまり連絡取れてなくて疎遠になりかけてた友達からコメントをもらえたこと。高校時代は同じ部活で、3年の時はクラスも一緒で、好きなバンドも一緒やったからよくライブにも一緒に行ったりしてたけど、大学1年の時に二人で行くはずやったライブのチケ云々でちょっと仲が拗れて(というよりこっちが一方的になんで?と思っただけやしそれを本人には言ってない。あと一方的に拗れたと思ってるだけっていう)、なんやかんやお互い忙しくて今に至るって感じのアレなんですけど。
ほんで話戻すと、その子がくれたコメントの中で「moは高校時代からずっとやりたいことやって自分を持ってて〜」みたいなことを言ってくれて、めっちゃグッときちゃったんですけど(連絡取れたのも含め)、高校時代の自分ってそんな印象あったんや?ってことにもまたびっくりした。そんなパッションだらけの女やったかな。大学入ってからはいろんな世界に触れて我ながらほんまにやりたいことはいろいろやれてきたなって感じはするけど、高校って高校やし(?)自由度少なかったからそんな行動力あったとも思えんかったしなあ。でもその子にはそんな風に映ってたって考えたら嬉しいなと思った。
ほんまは褒められるのがあまり得意じゃなくて、結構勘繰ってしまったり、そもそも気恥ずかしさとかあとほんまにそんな褒められるほどの人間じゃないですって気持ちのせいで勝手に自分を貶して、貰った「プラス」を自分の中で「マイナス」に変えてしまうことが多くて。気恥ずかしいけど嬉しいのは嬉しいですほんまに。でも結局それも内容によるから、例えば、容姿に関する称賛(別によくされるわけでもないし称賛に全く値しませんのでワタクシ… この説明もめんどくさいけどしとかな落ち着かん)なんかは特に苦手で、でもさっきのコメントみたいな「行動」についてやったり内面については素直に嬉しいしずっとそうありたいなとも思える。自分の意思でどうこうしたことに関しては嬉しいですね。買った物とか、ヘアスタイルとか、作った物、自分で選んだ化粧品で自分で施したメイクアップとか。メイクとかヘアスタイルは容姿に含まれるんやろうけど、自分の意思が含まれるのでその人の内面と���センスが絶対関わってくると思ってます。身長、体型、メイクが関係ない元の顔(のパーツ)とかが具体的には言及されるとア〜…となる。いやコレ多分ただのコンプレックスかな。まあなんか各々あると思います、これ以上言及するなのラインが。なので褒めであっても、相手が自分から言及しない限りはこちらから相手の身体についてはあまり触れないようにしてます。ってまた脱線。
ーー
まあそんな感じで、嬉しかったこととか、そこから派生したそういやこういうことは苦手やけどああいうのは大丈夫やなみたいな、話でした。褒められるのが苦手なので褒めるのもやっぱ下手やなとはよく思います。社交辞令ぐらいならいくらでもって感じやけど、社交辞令なんか興味ない人間相手にしか言わないですし。でも興味ある人、好きな人とかには上手いこと好きなところをポンポン出せたら〜とは思います。言葉にするのが難しいだけでいっぱいあるんですけどね。
終わろ
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会話の目覚めの話[5/22/2021]
睡眠導入剤を飲んだのに、明日(日付変わったけど)朝早いのに、という気持ちを持ちつつも本日もまた眠れません。
ーー
最近こういった文字より、言葉を発する機会を欲している気がする。キャスにしろスケッチライブにしろ。Twitterにスペースが導入されてからはそれも気になってる。今度やるけど。
不思議やなあと思うことが、言葉を発することが今まで苦手で嫌いなことと思ってたんやけど(それは今もやけど)、何でもいいから何か伝えたいっていう前向きなコミュニケーションを欲している時、書き文字ではなくて会話をしたくなる。コロナ禍のなかでリモートでコミュニケーションを取ることが増えたからその影響もたぶんあるんやろうけど。通話はやっぱりまだ苦手意識が強いのでせっかくmocriをまた始めてみたけどフォロワーさんとはお話できていない。緊張しちゃうので。キャスとかスペースやとある意味一方通行なので少し気が楽。コメントでの反応ももちろん嬉しいし、それによって会話上の相互関係が成り立つのも楽しい。結局その点では通話と変わらんのやけど。
ーー
少し前に街で声をかけられてとある団体?コミュニティ?に誘われた。決して怪しくはない、断じて。ちゃんと勧誘されてから団体の詳しいお話を聞くために話す場を設けてくれたし、お話ししてくださった方々もめちゃめちゃ良い人で面白くて、うん、ここ(=団体)絶対おもろい、てなった。なんとなくビビッときた。話を聞いてる限りやと同じ思想の人たちも違った人たちもたくさんおるところみたいやった。自粛期間中、カラに籠りっきりやったから久々にこういうソーシャルでオープンな場に行くことになったので半分不安と半分期待、という感じ。ソーシャルイベント自体ほぼ初めてみたいなもんなのでやっぱり緊張はする、けどここに誘われたことで人脈を増やせる楽しみを今初めて知ったような気がする。
さっき話した"ここの団体の方々とお話しする機会"の時、自分は本来人と話すのが苦手ということを伝えた。そしたらそんなことないよ、話せてるよって嘘かほんまかわからんけど褒めてくださって、そのあと付け加えてくれたのが 「好きなこと話してる時なんか生き生きしてたよ」って話で、やっぱ好きなものを話すっていうのは、自分を知ってもらうって意味の他に単純にプロデュースとかプレゼンみたいなもんで、もしかしたらそういうのも好きなんかなと思った。某占いでそんなことも言うてたってことは念頭には置いていたのでそれをここで拾わせてもらった。某占いの話はまたそのうち。配信ででもいいしここででもいいかな。
とりあえず最近の楽しみはそこの団体のイベントに参加すること。それから6月の推しバンドの久々の新アルバム。それらの前にある頑張らなあかんことが再進学先の面接。
頑張るよ。好きをいっぱい伝えるよ。特技にでもできればいいな。
おわり
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絵を上手くなろうとするのをやめた話[5/2/2021]
タイトルの日本語合ってるかめっちゃ不安。絵を上手く描こうとするのを…絵が上手くなろうとするのを…ゲシュタルト崩壊。ちなみにいま目眩がすごいのでちゃんと書けてるか不安。
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これはだいぶ人によって違う人の話なので、毎回個人的な思いや意見を書いてるけど、今回は特に個人的な考えということで。
私は物心ついた頃から趣味で絵を描いてるんですけど、アナログやらうごメモやらを経て、本格的にデジタルで描くようになってから何年も経つ。SNSを知ってからはTwitterとかpixivでも投稿するようになったり、逆にそこでいろんな絵師さんの絵を見るようになった。絵を見ることは良いインプットになるのでいいですね(?)。
絵とかオタ活メインでSNSをしてるとスゴイ絵師さんの絵もたくさん流れてくるし自分からも見に行ったりする。それを見るたび「こんな風に描けたら〜」とか「絵上手くなりてえ〜」ってめちゃめちゃ思う、そりゃ思う。でも「絵が上手い」の基準って多分人によると思うんやけど、例えば丁寧に描けてる、線が綺麗、塗りが綺麗、構図が上手いとか。大抵はそれ全部合わさったものやったりする。今ももちろん絵は上手くなりたいと思ってるけど、いつからか「絵上手くなるより絵の個性を磨く方が面白いな」と思うようになった。あたりまえやけど"絵が上手い人"は世界中にもうアホほどおる。その人らと並びたいとかは思わん、次元が違いすぎるし。せやったら「あ!この絵!moやん!」って思ってもらえるぐらいには自分らしさをいっぱい出せるものを描けたらいいなと思うようになった。そこで気が楽になった。気ィ張らんと描けるようになった。
一時期絵柄迷ってたり塗り迷ってたりなんかとりあえずごちゃごちゃしてた時期があった。今も塗りとかは定まってないけど。けど色味の工夫とかインプットするソースの幅を広げてみると案外なんでも絵に繋がってくるんやなと思った。視野が広がったというか。単純に自分が好きなもの(映画とか服とか)を絵に活かしてみただけやけど。こういうのがしっくりくることもある。
絵は別に上手くなくていい、上手くもないし。やけど絵における自分らしさと遊び心は大事にしたいな。そうすると上手く描かな!ってプレッシャーもなくなってくる。全世界の絵師、楽しく絵を描いてほしいね。私もそうしますので。
今日はこれで終わり。ほなまた!
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今日の気づき[4/24/2021]
今日初めて気づいたこと
ヘトヘトになるほど疲れ切った後に自然とくる眠気に任せてゆっくり眠るのが好き。
何も考えたくない時にルームフレグランスの匂いだけを感じて頭を空っぽにするのが好き。
部屋の中に外の風が吹き込んできて、部屋の中にいても外の空気を感じることができる瞬間が好き。
暑い日は苦手やけど、暑い日に薄着で部屋で過ごすのは好き。
日光は人にも命を与えてくれる。
せかせかして生きたくない。
夜中はやっぱり悪い方向に脳が働くから気をつける。寝れへん時の対処法を考える。
いっそ開き直ったSNSの使い方を考える。
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日記(今日のことではない)
緊急事態宣言もなんですけど、��っぱり飲食店で働いてるとお客さんが減って仕事が減りつつある。
忙しい時は死ぬほど忙しいし、メインで入ってるバイト先は全然入れてもらえてるけど。掛け持ちでやってるところが、シフトは入れてもらえてるけど明日は出勤なしでお願いしますとかって急になくなることもあって、突然の連休が始まったりする。
休みがない人からしたら相当羨ましいことやろうけど、なんか張り合いない日々を送ってる感じがする。そういう時にいつもみたいにSNSに張り付いちゃうけど、今はこのジャンル見たくないな〜みたいな期間があったりするので正直しんどい。それで思ったのが、もう人生の半分ぐらいオタク作業に時間注いでるやんってことで、まあ楽しいからいいんやけどちょっともったいない気もした。
人と交流するのか苦手やからそういうの避けてきてたけど、いろんな人と話して意見交換してってことでも充実はするし、オタクとして繋がったけど全く違う話をするっていうのもすごい刺激になるやろうなと思う。何かを新しく作るもよし、昔の情熱を思い出してまたそれを始めるもよし。私がプラットフォームになってみんなが(みんなと)交流できる場も作ってみたい。mocriってそれに近かったんかな。また始めてみよっかな。
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追記
ちょっと前にツイートしたことなんですけど、ここのブログ、サブブログで、別でメインがあります(絵を置いてるところ)。ほんでこのサブからでもフォローとかスキを送れると思ってたんですけど、なんかメインじゃないとできひんみたいで。一部の方フォロバさせていただいてたんですけど、メインの方が昔から使っててめっちゃ古い絵もあって恥ずかしいから外してしまいました…申し訳ない… 皆さんのお話読んでるの好きやったんですけど。ただフォロワー欄からちょくちょく見に行こうと思ってるので、スキは送れませんが勝手に見てるよ〜ってことだけお伝えしときます。キモくてごめんね… いつかどこかしらでお話できる日が来ることを楽しみにしています。
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