Lawrence Universityはウィスコンシン州アップルトンに位置する小規模のリベラルアーツです。広大な敷地に囲まれた自然豊かなキャンパス��とても綺麗な場所です!音楽大学も併設されているので音楽を学びたい人にはぴったりな場所です。また大学の卒業生のThomas Steitzさんが2009年にノーベル化学賞を受賞したことによりサイエンスの分野でも高い評価を受けています。
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Life After Lawrence
かなりご無沙汰してます、Class of 2017のYurikoです。
2017年から大分時間は経ってしまいましたが、勿論大学は2017年に生物学メジャーで卒業しました笑 人生で一番勉強出来て最高な友達に囲まれたとても濃い学生生活でした。今でも思いますが、ローレンス以外の大学に行っている自分が想像出来ません。こんな経験をさせてもらえたのは、親の理解・サポートと匿名者からの奨学金のお陰です...もう一生頭が上がりません。やっぱり自分は生物学が好きで、勉強する事が好きなんだなと思った4年間でした。
そんなこんなで大学生活が終わり(かなり雑な纏め方)、私は今東京にいます。会社名は控えさせて頂きますが、総合商社で働かせて頂いています。早いものでもう3年目になりました。
正直卒業後の進路は大学院に行くか働くか悩みました。悩んだ理由としては、行きたかった大学院が北欧にあるのですが、授業料は免除であるものの米国大学時代の様に学内雇用制度がなく、保険も高い、生活費もそれなりにかかる為、出費しかなく、その時点では非現実的でした。調べた限り、生活費を援助してくれる奨学金のようなものもありませんでした。結局「今でなくてもいい」と思い働く道を選びました。勿論、また生物学を勉強することは諦めていませんし、むしろタイミングが来たら戻りたいとも思��ています。
今の会社には、卒業後2週間もしないうちに入社し、心の整理も出来ずそもそも環境に慣れることに相当時間がかかりました。今まで自分が選んでやってきたこと(スウェーデンの現地高校でスウェーデン語で授業を受けそれなりの成績で単位を修得する事やアメリカで学位取得すること等)に対して後悔したことは全くありませんでした。
卒業して働くこと、日本に戻る事は自分が決めたことであるにも関わらず、「何でこの道を選んだんだろう」と考えたり、生まれ育った国に戻ってきて居心地悪く感じることは自分でもとても不思議でした。
働き始めて、人間関係が良ければどんなに大変な仕事でも乗り越えられるなと感じることが多くなりました。私は幸いなことに、周囲の先輩、同期、後輩に恵まれています。
正直、どこかの会社に入社する以上、自分に向いた仕事につける人の方が少ないと思います。働いて給料を頂くっていう事は簡単なことではないし、カッコつけて綺麗な言葉を並べたい訳ではありませんが、雇って頂けていることはすごく有難いことだなと感じます。「お金を払って働いてもらいたい」と会社から思われるような人材に早くなりたいな、と思います。
...とは言いながら、仕事に縛られるような生活は望んでいないので、自分の趣味も続けながら程よく生き抜きもして、人生エンジョイしたいなと思っています。(でも生物学を勉強・研究したいという事はまだ捨てていないです笑 周囲で北欧で理系分野で勉強されてる方いたら教えてください)
2019.4.30 - Yuriko
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What is social construction
お久しぶりです。
今回は今年もあと少しなので、一年を通して思い巡らせていたことを書いていきたいと思います。
先日森美術館で行われているレアンドロエルリッヒの展示に足を運んでみました。複数人からおすすめされたので行ってきました。
一年を振り返って、何が自分の中で変化したことがたくさんありますが、この展示が自分の中での顕著な変化をとても正確に表現したものでした。
社会構造とは?
どこかしら難しい意味を含んでそうな言葉ですが、
社会構造(しゃかいこうぞう)とは社会学用語の一つ。社会においての人々の相互関係や相互作用の形態であったり、社会において定められている制度や組織などといった事柄のことを言う。
とあります。 Wikipediaより引用
今回足を運んだ展示では、この社会構造ないしは、社会に根付いたありとあらゆる既成概
念を再考するというメッセージ性が強く含まれていて、興味深い作品が詰まっていました。
例えば、
この船、実は水の上には浮いていません。水の上に浮いている様に見せかけた作品です。この作品の題名は”Reflection”二つの意味が込められていて、「反射」と「熟考」。本来、反射像を情報として処理すると、船は水の上にあるという二次情報には無意識的に辿り着きます。しかしこの情報処理過程は、人間が船という機能のある事物を作り出し、船は水の上という認識を作り出したがために、社会構造に操作されているのです。
次に、
学校の教室を描いている作品ですが、窓の使い方が物凄く巧妙です。窓に映った自分があたかも廃校で授業を受けているように見えてしまいます。この作品では窓を境に虚像と実像を描いています。鏡や窓による反射によって映る自分は常に同じという社会構造を逆手に取り、少子高齢化によって廃れてくる近未来の教育機関を風刺しています。
などなどたくさんの作品が。
もし人間に社会構造が根付いていなければこの展示も全く意味がなくなってしまいます。
社会には無意識にこれが正しいと思ってしまうような事象が無数に存在しています。
社会構造とルール
果たしてこの社会構造は社会を豊かにしているのでしょうか。
社会構造とルールは紙一重で、ものによってはどちらにも属するものも存在します。赤信号で止まらなければいけないというのは世の中の社会構造ではなくルールです。ルールの定義は世の中の秩序を保ち、幸福へと導くための決め事です。その一方で例えば、禁酒令が遠の昔には存在していましたが、これは昔はお酒によって無秩序状態を防ぐためのルールでありましたが、今となってはこれはお酒による無秩序状態を避けなければならないという世の中の社会構造であり、その反面お酒を飲んではいけないというルールがないのです。人間は秩序がないものには常に形を与えようとする傾向にあります。法律が著しく変わる世の中ではこの境界はとてもぼやけていて、考えれば考えるほど堂々巡りしてしまう概念です。
性別という社会構造、そこから分かる社会構造の変遷
例えば性別の話では、雌雄二性分化は安定した遺伝子を継承していくために形成されたものでカンブリア紀に遡ります。
また人類学的にもこの違いが顕著に出始めたのは、人類が生きて行くために家を守り子供の世話をする側、狩で食料を確保する側という役割の必要性から生じたからです。これは男女の性別がよりはっきり形成されるようになったと言われているSexual Dichotomyという概念です。しかしながら、現代においてtechnologyに頼る世の中になった以上、性別における役割は徐々に薄れて来ていて、性別は女性男性の二択ではなく、実はspectrumという考え方、無数に存在する色鉛筆の箱から自分に合った鉛筆を選んでいるような感覚です。要するに社会の流れでは、時代のニーズに合わせて社会構造が常に作られ消えてを��り返しています。
変化への批��
こういう考え方は、もっとも意を唱えればそれだけ批判も受けます。
例えば今まで飲み物はストローを使って飲むというのが世の中で受け入れられていますが、環境問題への関心が高まるほど、プラスチックの無駄といい、なくなっていくでしょう。しかし、スタバに来てストローも使わないでアイスコーヒーを口から飲んでいたら”変な人”というレッテルを貼られてしまいます。その一方、世の中はこの”変な人"が様々な概念を変えて来ました。平塚らいてうの女性解放運動、ガリレオの地動説。当時の人々には信じられなかった概念が今では、国の教科書に載る程の通説として受け入れるまでになりました。
社会構造の意外性
こう考えるとミクロな視点であるが故に、ここ数年でもたくさんの社会構造が変化しています。
最近のニュースで地毛が茶色であるのにも関わらず学校側から黒染めするように言われ、多様性の意義を考えさせられるニュースが飛び交いました。そもそも髪の毛を学生時代に染めることが禁止されている学校が多いのは、派手な頭髪=風紀が乱れているという社会構造が長年日本では成り立っていたからなのです。
しかしながら、このような社会構造が普通だということが黙認されてきた事実が実際日本以外では成立していないというのはとても奇妙です。このように意外性を含んだ社会構造は世の中にいくつも存在しています。
さらに例を挙げてみましょう。心理学の有名な話ではこのような話があります。ある骨董品店での売り上げがとても伸び悩んでいて、あるプロに助言を求めました。そこでプロは「逆に商品を値上げしてみてはどうだろうか」ということを言ったそうです。そうしたら、売り上げが見る見るうちに伸びていき、今までの不振が嘘だったかのように商売が繁盛したいう話も。この話で一番興味深いのは値下げが購買意欲をそそるという一般的な考え方を逆手に取り、骨董品は高いものだからこそ価値があるという顧客の潜在的意識を駆り立てた例だと言えましょう。
また世界中の葬式は様々な社会構造を反映しているといえます。ある国に行けば死を喜ばしいことと捉え、とても華やかな儀式を行う反面、日本を含めた様々な国では死という概念を悲しいものだと捉え、静粛に儀式を行います。
この様に社会構造という単語には無限大の多様性かつ凄まじい意外性を含んでいると言えましょう
さて本題に話を戻します。一年を通して何が変わったか。
らしさへのわだかまり
らしさの喪失という言葉がありますが、これは社会構造を意識し過ぎた究極な状態が個人の喪失ではないでしょうか。
こう言ってしまうと物凄く語弊があると思いますが、社会構造がある程度の縛りを設けているということは否めません。林裕太という人間は様々なレッテルや特徴一つ一つによって作り上げれています。身長172cm、左利き、日本人、留学生。これらは自分が思っている以上に、常に自分に付きまとっている情報を意識し過ぎて、無意識に自分関係のない情報を遮断しているのではないでしょうか。意識をなくすという行為は個人が思っている以上に難しく、短時間ですっきり片付けることができるほど一筋縄では済まないです。昔から「見合った行動する」という考えにとても複雑な気持ちを覚えていましたが、その一方でそれをどこか捨てきれない自分がいました。
最近でも留学した当初は留学生というレッテルをとても強く意識し、色々なコミュニティで自分を表現したくても、あるコミュニティにしか心地良さを得られなかったりしていた事実にわだかまりも感じていました。
えりーといしき
様々な学校では校風の一部に「エリートを養成する学校」というものがあります。
エリート意識の大意は社会の中で優秀とされ指導的な役割を持つ人間や集団のこと。
と記されています。 Wikipediaより
大衆で受け入れられている世界共通のエリートの定義は成功者。社会的地位を獲得して、全うな人生を生きている人。そしてこのエリートであることが社会では受けがいいという社会構造が存在する上では、無意識に人間の生き様に制約がかかります。しかしこの社会構造から脱却することで様々な可能性を見出すことを可能にします。
人間というのは好きなことをしたいという自然的欲求に反し、ある程度裕福な環境や名声を欲し、社会的評価を得ようという無意識な縛りが少なからず存在するでしょう。実際この社会構造から脱却したいという動機があっても、社会構造から完全に逃れることは難しいと言えます。人間と社会構造は切っても切っても切り離せない絡み合った存在と言えるでしょう。
今年の変化
社会構造の話をたらたら書き綴って来たのもここに結びつけたかったから。
それが僕の中でのidentityの喪失です。
identityという言葉は自分の中でも、identityから得られるらしさを大切にしたくて生きていました。これで自分と他人を差別化して生きて来たが故にいい経験もして来ました。しかしながら、一歩立ち止まり、社会構造の意識を弱め、identityをなくした上で得られるらしさを獲得しようという思いが強くなりましたし、それが今年とても変化した点です。
そしてこのらしさこそ自分の意思によって判断できる本当の自分らしさではないでしょうか。
人生の大部分でこの自分に貼られているレッテルを必要以上に認識していました。この間も面接で「日本でアメリカより優れているものは何ですか」という質問を受けましたが、この質問は日本の特徴を基準という名の物差しで計った社会構造を尋ねているのではないでしょうか。
つまり実際のところ不可能に近いものの、社会構造を完全に取っ払ってしまうと、日本として��Identityというものは存在しないのでないかと思います���
それよりも個人レベルで社会との関わりを通して自己判断ができた上で獲得される純粋にならしさを考えることが大切なのではないでしょうか。
これから
さてこの社会構造とどう向かい合っていくか。らしさをだすためには何が必要か。今年変化したことも含めて、これが全て正しいと思ったわけではありません。今年一年間、もしかしたらこれから数年間の自分にあった生き方なのかもしれません。。いまの考え方とは打って変わって、自分で自分なりのidentityを見つけ、それとともに寄り添って生きて行くことで自己を保ちたくなる時代が来るかもしれないです。時代は常に変化し、数年後の未来も予測ができない世の中になってきました。
でもこの中で常に大切にしなけばならないこと。それは色々な窓を持つことだと思います。今回の展示で象徴されていたように、人間は考えないと無意識の力に流されて社会構造を当然として捉えられてしまいますが、物事に意識を少し向けることで全く違う考え方や世界が見えてくるのだと思います。常に「現実=リアル」は本当に成り立つのかは考え続ければならないのです。
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人
ゆうたです!
久々の更新です
冬休みの期間に家に学校の友達がたくさん来てくれました。もちろんこのブログの執筆者も。ゆりことは特に日本で会うのは初めてでとても新鮮な気持ちでした。また今度は福岡でとか言いたいところですが、おそらく福岡には余程のことがない限り行かないでしょう。何せ福岡と東京ってアメリカの縮尺ならカリフォルニアからニューヨークですからね(大げさでしたね笑)
さて久々の更新で、いきなり暗い話からは入っていきますが、先日ベルリンで起こった凄惨な事件について。ベルリンでこの間トラックが無差別に人を轢き殺し、沢山の方が亡くなりました。すでにシリアを拠点に活動しているイスラム原理主義のISISが犯行声明を出しました。皆さんご存知の通り今回の事故は初めてではなく、事件が起こ��たびに国のリーダーが出てくる国家を巻き込んだ事件に発展します。今回の事件を含め、宗教によって外部に攻撃的姿勢をとる原理主義派により犯行は断固許せませんし、心がとても痛みますが決してこれらがなくなることはありません。しかしながら一方で僕は宗教の絶対的な影響力を身にしみて感じる時があります。時に悪の道に使われることがありますが、大半は理屈では解消できない悩みを抱えた人々を救い、信仰者にとってみれば宗教は体の一部になっているはず。日本では宗教に馴染みがある人があまりないように思えますが、クリスマスやお正月は宗教に密接していて、実は無意識に僕たちは宗教と関わっているのです。
この様に論理では解決できないような問題を解決してくれる概念が世の中には沢山あります。そして人工知能の台頭により、”人工知能にできないことが世の中にあるのか”という議論がとてもなされているような気がしますが、どうでしょう。人工知能が既に芸術の領域まで踏み込んできて、例えば世界の有名絵画の情報まで読み込み他の絵まで作ってしまったとか。さて本当に人工知能は人間に取って代わる存在になってしまうのか。残念ながら沢山の領域において人工知能がオートメーションを可能にし、人間に取って代わるものになるでしょう。しかしながらそれで負けてたまるか、僕たちには何ができるだろう。
僕は学校で物理の勉強をしていますが、どうもこの領域では人工知能に先を越されてしまうのも時間の問題、物理という学問分野で何か面白いことをしようという気持ちになるのであれば、これだけでは難しい。学校内では専攻は何と聞かれると皆当然の様に「物理」「生物」「文学」「政治学」など決まったものを口に出します。でもそれはあくまで形式としての”専攻”。「物理」「生物」「文学」「政治学」各々を一つの概念としてまとめてしまっているだけ。物理といっても人によってどの様な物理を勉強したいか、そして個々人によって物理という概念をどの様に捉えるかによって自ずと自分の中での専攻としての概念が確立されていくのではないでしょうか。もちろんそれは十人十色で人によって捉え方はまったく違います。
僕の場合最近人類学に興味が出てきました。人類学はざっくりいうと”人の研究”で、物理とはまったくかけ離れていることは否めません。この間もキャリアフォーラムに足を運び「物理と人類学を学んでいます」というと結構笑ってくる人も。
でもこれからの社会、僕は論理では証明できない概念がサイエンスを含めた沢山の論理で証明できるものを変えていくと信じています。それが僕の場合人類学。人と人の結びつき、感情の読み取り���・全て人工知能によって学ばれてしまうかもしれない。でも人が悲しいと思ったり楽しいと思ったりする感情ってびっくりするほど人それぞれで、それは人工知能には簡単に読み取られてしまう様な普遍的なものではない。もっと研究が必要で僕たちが生きていく中で長い時間をかけて学んでいくことなのではないでしょうか。
まだこのまま人類学のモチベーションが持続するかどうかわからない。でも何かしらの形で、人類学を含めた抽象的な概念でかつ潜在的な影響力を秘めているものを学んでいきたい、そしてそれは学校にとどまることはないでしょう。
今何を勉強しているのと言われたら一筋縄に「物理」とは言えないです。初対面の人にそんな説明したら口説いのでしませんが笑
でも再度言いますが、人工知能の台頭は嬉しい反面怖さが波の様に押し寄せてくる。そして、これからは多岐に渡る勉強をしていかないと取り残されてしまう様な気がします。そんなことを考えながら過ごした秋学期でした。
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スペイン旅行
こんにちは、お久しぶりです。
城がイギリス旅行について書いていたのでこれに対抗して、先週まで旅行していたスペインについて書いてみたいと思います笑
今回のスペイン旅行は家族でまとまった旅行ができるのは最後だということもあり、頑張って遠出をしました。
飛行機はドバイ経由でバルセロナへ、一週間の旅行でバルセロナにいてもネタが尽きてしまうと予想し、バルセロナ、マヨルカ島(スペインの南東部にある島で、あのナダル選手の出身です)、そして、最後に首都マドリッドという弾丸日程でした。
スペインで何が有名という質問をすると何を連想しますか?スペインのパエリア、サッカー、闘牛などなど。そのような中ご存知の方も多いと思いますが、なんといってもガウディの故郷なのです。ガウディといえば、あの世界遺産にも指定されているサグラダファミリアや、今でも住むことができるカサミラと呼ばれるアパートなどなど。これらの作品は全て未完成のまま彼が亡くなってしまったという・・
そんな中、今回一番感動した作品、それはグエル公園。これも昔はアパートとして売り出されていました。実はガウディに惚れ込んだエウセビオ・グエルという実業家が彼のスポンサーとなり、設計を依頼したのです。
見た目はなんともディズニーランドのような色とりどりのタイルがモザイクで散りばめられています。この建物を見て凄いなと思ったのは、直線がないこと。もともと彼が手掛けた他の建物でもそうですが、彼は自然から生まれる幾何をとても大切にしていました。特に巻貝や樹木の形を特に好んでいたとか。そのような曲線美にこだわり続けると数学的な設計も困難を極め、彼はなんと設計図を書かなかったらしいです笑特にサグラダファミリアの設計では明確な設計図がなく、どうやら彼の弟子がガウディの死後頑張って彼がどういう想像をしていたのかということを試行錯誤して作り上げていった作品らしいです。
直線がない建物と言ったらサグラダファミリアも一緒です。日本でもかなり有名なので凄い建物なのだなと思っていましたが、案の定スケールの違う建物でした。これに関してもご存知の方が多いと思いますが、まだまだ未完成の建物なのです。当初は今から100年ほどかかると言われた建物ですが(直線がない建物は設計に困難を極めます)最近は3Dプリンターの技術によって完成予定が縮まり2026年に完成する予定です!現代の技術は本当に凄いですね。ガウディが見たら本当に驚くでしょうね。また設計の一部には日本人の方も関わっているということも聞きました。本当に日本の誇りですね!
しかしながらサグラダファミリアで一番驚いたのは中の様子。薄暗い空間にステンドグラスを通じて差し込む色とりどりの光は荘厳な雰囲気をとても醸し出しています。また、面白いなと思ったのは柱の作り。柱は樹木をイメージして作られており、途中で枝分かれしているのが分かります。そして、この枝は全て、天井に繋がっているのです。そしてこの柱には捻りが入っており、これも巻貝を連想させる一つの工夫でした。
そして最後に上に登ってみることに。サグラダファミリアにはエレベータで上まで一旦登ることができるので息切れしてまでも絶景を見に行く必要はないのです。しかしながら高所が苦手な僕には死にそうでした笑(ジェットコースターに乗れないのはもちろん、歩道橋も渡るのをためらうくらいです)上に登ると建設中の様子が更に分かり、本当に後10年で終わるのかと思ってしまうくらいです。上からの景色は絶景ですが、開放感がある反面恐怖感を倍増させます。
極め付けはこの階段。アンモナイトをイメージしたらしいですが、わざわざ真ん中吹き抜けにしなくてもと思ってしまいます。ちなみに言っておくと僕の後ろを歩いていた方もかなり怖がっていました笑
今回ガウディの建築を見て思ったこと、彼がこの自然からアイデアを抽出してきて、設計図を書かなかったというところから。現在建築というものはどちらかというと、高層ビルを何階まで建てることができるかとか、耐震強度の基準が高くなってきたり、計算を重視する方向に傾いてきていますよね。これを強く訴えたいのではなく、例えばガウディが頭角を現す遥か前には、おそらく、デザインが重視されていた以上に計算が重視されていたであろうゴシック建築。直線が多い建物ですし、何せ昔のお偉い様が住んでいらっしゃった建物なので、内部も相当な計算づくしだったと思います。
そのゴシック建築に逆らった人がガウディ。彼の作品を見ていると建築において彼がいかにアートを重要視していたかということが分かります。そこも一つリベラルアーツの大切さです。どのような作品においてもたくさんの分野から知識を吸収してそれを活かしていく。リベラルアーツの根底を見た気分になりました。
この記事はスペイン旅行の氷山の一角です。これくらいでまず止めておこうと思います。
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英国旅行
こんにちは。Joeです。
9日間ほどイギリスに行ってきました。サッカーを観るのが好きで興味はあったのですが、行くのは今回が初めてでした。
テムズ川。悪臭を放っていた時代もあったそうです。
欧米は石の文化なのだと改めて思いました。木造が主流だった日本とは違って都心でも百年前の建物が残っていて、その独特な雰囲気は圧倒的です。今の日本の街並みは陳腐で統一感がなく、喧騒ばかりな気がします。郊外にあるCotswoldsやBathという所では、何世紀も前の風景やローマ時代の遺跡が見られたりします。ロンドンの中心部にも大英博物館やバッキンガム宮殿などがあります。こういう歴史を感じられる環境で学ぶというのも魅力的ですね、、、Appletonに期待します笑 (ちなみにバッキ���ガム宮殿でポケモンGOをやっている人をいたのはあれでした笑。)
Roman Bath. Bathの中心にあります。
中東・インドからの人を多く見かけたのは意外でした。移民排斥派が勢いを得たのも理解できますが、歴史・伝統に固執するのはどうなのでしょう。人の構成の変化している今でも、独自の文化はしっかりと受け継がれているように見えます。国民投票の直後だったので治安の面で心配もしたのですが、杞憂に終わりました;メディアで耳にする移民排斥のかわりに、多様性を目にするばかりでした。
サッカーは主にEngland のPremier Leagueを観ます。プレーの激しさとファンの熱さ、リーグの熾烈さ。観る理由はいくらでもあります! 昨シーズンは前年(昨々シーズン)の降格候補が優勝したことでも話題になりました。最高です。ちなみにチェルシーというクラブが好きで(Yutaさんもです!)、今回そのホームスタジアムに行��ました。試合もないのに思っていた以上にお客さんがいて、このクラブの人気を痛感しました笑。客層もアメリカ、ベルギー、インド等々から来るなど国際色豊かでした。いろんな所からお金が流れ込むんでしょう、、、複雑ですね。
Stamford Bridge!!! ガイドさんがとても面白い方でした。
Lawrence にもなんとLondon Centreなるものがあります。ロンドンでの留学を希望する者のための施設だそうで、Lawrence生の留学先はロンドンが一番多いのはこれが理由です。行きたかったのですが今回は時間がありませんでした、、、それにしてもLawrenceの奥深さには驚かされます。Math-Economicsなんて気の利いた専攻もあって、海外に拠点もあって、チェルシーファンの先輩もいて笑!なんでもあるような気さえしてきます。行ったこともないのに笑。
実はもう渡航予定が13日に迫っていて、若干緊張してます。去年Yutaさんも参加したSIISというプログラムに参加するので。また別のチェルシーファンに会えるか楽しみです笑。今度は(繰り返しになるかもですが)SIISについて書こうかと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
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Liberal Arts College (LAC)っておもしろい?
かなりお久しぶりです!福岡に一時帰福中のYurikoです。
まず!Joe! 早いけどWelcome to Lawrenceです!(パチパチパチ) 私が2年生の時までは日本人学部留学生は私1人だったのに、卒業するまでにこんなにも日本人が立て続けに来てくれることは、大変嬉しいです! (「いや、こんなにってまだ片手で数えられるほどでしょ」って思ってる方!人数は置いておいて、日本人の正規生が複数いることは、ローレンスでは big deal なんです!笑)
さて、ローレンスの卒業式が終わって6月中旬頃に帰国し、日本での夏休みを満喫しています。帰国してから、思っていた以上に色々なことをやっています。 卒論のテーマをもう決めているのでそのリサーチを始めたり、大学卒業後のことを考えたり、福岡アメリカンセンターEducation USAで去年に引き続き学生アドバイザー��させて頂いたり...でも中でも一番最高だったのは...!
第99回ライオンズクラブ国際大会
にLeoとして関わり、通訳としても活動できたことです。
そもそもライオンズクラブを知らいないという方がまだ社会には多いということを最近知って、正直驚きましたが、もし!興味のある方はこちらをチェックしてみてください!⇨Lions Club
世界各地のLionsとLeoが福岡に集まったこの国際大会に、私が参加出来てよかったなと思うことは、Leoメンバーとして、福岡を始め他国のLeoやLionsと繋がることが出来たこと、Lions Clubの社会に対する影響力の大きさ、そして何より、その方達のLions Clubの「奉仕の精神」に対する意識の高さを知ることが出来たことです。文化交流は世界のどこに行ってもすることが出来ますが、今回私が経験したことは、Lions Clubのコミュニティー内でしか得られないものだった気がします。 ウィスコンシン州にも沢山のLions Clubがありますが、その中で最も規模の大きなLions Clubに所属していらっしゃるInt'l Directorの方とお話しする機会がありました。その方が、何と先月、私がローレンス大学の卒業式に列席していた時に同じ会場にいらっしゃったそうで...!! びっくりしました!世界が小さいのかLions Clubの存在がそれだけ大きいのか分かりませんが、「人との繋がり」は大切だと感じました。
長くなりましたが、ここからが本題です 笑 先日海外の大学に学部留学してがんばっている方(かわいい後輩 :) )から質問がありました!
"リベラルアーツ・カレッジっておもしろいですか?"
"先輩はなんで海洋生物やりたいと思われたんですか?"
...ふむふむ、大学卒業後に何をやりたいのかを考えている今の私にとっては、大変welcomeな質問でありがたい!!!
確かにリベラルアーツ・カレッジ (LAC)の9月から2年生になる人にとってはこの時期、何のクラスをregisterするか、何をMajor、minorにするかを決めるのに色々考える時期でしょう... 私もその時期は悩みました。
そこで、今回は "リベラルアーツ・カレッジっておもしろいですか?" について書いていきたいと思います。 一言で言うと、私は「最高にエンジョイし��います」! ただ、正直言うと、私はCampus Visitの経験もなければState Univ. も詳しくない、それに加え、出願時にLAC以外を調べなかったので、LACのことしか詳しいことは分かりません。それを頭に置いてこれから読んで頂けるといいかと思います!
まず、私が思うLACの良さ...もちろん「少人数制の授業」「幅広い分野から授業をとることが出来る」「教授との距離の近さ」などなど、いわゆるLACならではの部分が良いという意見はよく聞きますし、私もそう思います。しかし、私が個人的にいいなと思っているところは、
職業的・技術的な知識を得るのではなく、学問分野を専攻によって限定しないで学ぶことで、バランスがとれた幅広い知識を持つという目的があるのではないか、という良さ
「会話力」もだが、「対話力」も鍛えられているという良さ
です。人によって、LACについて思うことは様々だと思いますが、私はこの2点がLACで得たものだと思っています。
まず、「学問分野を専攻によって限定しないで学ぶ」ということは、例えば、一つの事しか知らないということになると、それだけでしか物事を捉えることができないですよね?だけど、多くのことを知っていれば、幅広い視点や学際的な視点から物事を考えることが出来ると思います。そして、社会に出れば、複数の分野にまたがる問題解決を考える必要があります。そんな時に役立つのではないか...と思うわけです!
例えば、私は生物学専攻ですが、将来、自分の研究内容をプレゼンするという場面がある時、必ずしも聴衆者が生物学に詳しい人とは限らないし、生物学の知識を必ずしも持っているわけではないですよね?そんな時に、LACで学問分野を専攻によって限定しないで学んでいれば、自分の研究・勉強している内容を他の学問分野(宗教学や哲学etc)から考えてみることで、より多くの人たちにより分かりやすく伝えることが出来る、いや、むしろ分かりやすく伝えやすくなり、より説得力のあるプレゼンをすることが出来ると思います。ローレンスでは、実際、私が3年生の時に受講したある生物学のクラスでプレゼンをした際、聴衆者である教授の方々は色々なdepartmentから出席されていました。生物学、化学、物理学、歴史、人類学、宗教学、哲学、言語学、etc...(もちろん、聴衆者が生物学の教授のみの時もあります。)
そして2つ目の "対話力も鍛えられている" という点について。 これは、当然「会話力」とは違います。ローレンス大学では1年生の時に全員必須でFreshman Studiesという15人の生徒と1人の教授で構成されているディスカッションベースのクラスをとる必要があります。そこで私がクラスメートとディスカッションしていくうちにわかったこと:
...対話力っていうのは、相手との話の論点をずらさずに最後まで会話を続けることが大切で、そのためには、相手が話している内容をちゃんと理解する必要があり、自分が話したい内容の中から、何を話すべきなのか取捨選択してしっかり相手に伝える必要がある...
これは、少人数制でディスカションベースのクラスでないと感じないことであり、そういうクラスが1年生の時から多いのはLACだ...と私は思います!
ってことで、今回は私が夏休みからLeoとして関わり始めたLions Clubについてと、Liberal Arts Collegeについて思うことを書いてみました!
次回は2つ目の質問:
"先輩はなんで海洋生物やりたいと思われたんですか?"
について書いてみたいと思います〜
みなさん、よい夏を〜!
アディオス!
2016.7.22
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一年振り返って〜英語〜
Yutaです!この間の投稿では全く一年生を振り返って書くことができなかったので、今回は一つ絞って書いてみます。
それは、英語という壁から見えた自分を表現する力。もう少しいうと言語からの自己表現とそれ以外の自己表現は背反しているということです。
去年のsummer programに参加して英語ができなくて本当に自分の根本的な欠陥を感じたような気がしました。日本にいたら感じていたことではありません。しかし公用語が英語の国に行くと、英語が出来ないというのはコミュニケーションに障害があるのと一緒です。そこからというもの、英語を出来るだけコミュニケーションの妨げにしないことというのは4年間の大きな目標の一つとなりました。
一年経っても完璧とは程遠いレベルです。しかし、中国や韓国に見られる英語を昔から学習してきた留学生には気持ち近づいたような気もするのです。でもそれはただ会話としての英語、自分を表現する英語ではなくて。
英語ができないと感じる辛さというものは留学しないとわからないことです。授業を受けるのでも、分からないなと思うこともありますし、友達と話していたら、日本語で話していたらもっと面白い返しが出来るだろうな笑と思うことも多々ありました。もちろん英語以外の何かでコミュニケーション能力を高めることは大切です。しかし、英語が話せないと論理的な自己表現ができない、そして前述の通りその二つは背反するものなのだと正直感じました。
でも実際のところ、英語ができる日本人は極めて少ないと思います。もっと言えば外国で自己表現ができません。少なくとも中学から英語を習い始めるようではそれを達成するのはほぼ不可能に等しいですよね。日本にいたときはそれが当たり前になることは必要ないと思っていました。しかしその気持ちというのが徐々に変わ��つつあります。それは英語がどのようなツールかということを理解したから。
まず冬にRLA(寮の各フロアのリーダー)に応募して落ちてしまったことがありました。20分ほどあった面接のために用意もしていきましたが、結局だめでした。ここが一番自己表現の欠陥が顕著に出たところだと思いました。面接中これ日本語で話せたのになと思ったところで悉く詰まってしまいました。
また、最近帰ってきて、心なしか渋谷を歩いていたりしたら外国人が増えた気がします。それは世界各国から中国、韓国はいうまでもなく東南アジア、北米、欧米からの人もいると思います。おそらく日本に旅行しに来ているのですね。僕が学校にいたときも日本に旅行したいと日本旅行を渇望していた友達が沢山いました。そういうわけで長期滞在者と予測することはできないので、恐らく大部分の人が短期旅行できているのでしょう。そんな彼らは日本語がわからず、道や電車を日本人に尋ねます。でも中にはそういうときになぜか日本語で答えるのです。「なんで向こうが分からない言語で返すの!!」と思ってしまいます。普通は分からなくても英語ができる他の人を探す努力でもするんじゃないのと思いませんか。これって留学しなくてもできることでまずは、この外国人との最低限のコミュニケーションをみんなが当たり前に出来るということが何よりも大切なのではないでしょうか。この間ベトナムからの留学生の友達が日本にきて東京を案内しました。彼はギターが好きで、御茶ノ水にあるひしめくギターの店を転々としていました。彼は目を輝かせてギターを見て満足していたわけですが、帰りしなにぼそっと、「海外の人は日本の“オチャノミズ”っていうところに世界の中でも良質のギターがたくさん眠っていることを知っている。英語ができるガイドがいないと一人でくる勇気がない」と言われてしまいました。英語でガイドできるというのは最初の第一歩ですが、その次に紹介したいところの何がすごいのかということを自分なりの言葉で表現すること、これがとても大切になります。
グローバル化。これは具体的な定義がありますが、僕は何より自己表現としての英語の必要性というところ基本的なレベルで感じました。信頼を得るのにもまずはコミュニケーションで自分を表現することから、人の性格を知るのにもコミュニケーションが全ての基本です。そこで始めて外国人と対等にコミュニケーションをとって自分をさらけ出していくことが始まります。
ひと昔前には日本人が西洋のものを取り入れて、なんでもアメリカのお店が日本に上陸したら大行列なんてことがありましたね。しかし、これからは、日本が日本から自国の商品を海外に広める時代がくるのだと思います。先ほどのベトナム人の留学生からの一言で痛感したことでもありますし、日本で一緒に話す機会があった知り合いの方からも言われたことです。
でもそのためには必ず、英語��土台をある程度作る、日本語で伝えるのと同じ要領で自己表現ができる能力が必要。完璧にはならないと思います。でも完璧に近づけなければならないと思います。四年間いればできるでしょうか?わかりません。でも日常から授業から訓練できる機会がたくさんあると思います。
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はじめまして!
はじめまして!佐藤城(Joe Sato)といいます。
今年の3月に高校を卒業しました。秋からLawrence Universityに進学します。長期の留学は今回が初めてです。数学、経済学、物理学、コンピューター科学、哲学、仏語のどれかを専攻しようと思ってますが、宗教史、世界史、言語、心理学、音楽などにも触れるつもりです。もう“理系選択”という縛りはなく、学びたいことを好きなだけ学べます。楽しみです。体育だけはないのでスキークラブとサッカークラブに入ります(クラブは楽しむことが目的の集まりです)。スキーは幼い頃からやっていますが、サッカーはいたって人並みです笑。イングランドのプレミアリーグ、特にChelseaが好きで、そういう機会を求めてました。勉強がおろそかにならない程度にします笑。YutaさんもChelsea fanだそうで、嬉しいサプライズでした。サッカーの実況のおかげで英語も少しは上達しました。
Yutaさんと。左が僕です。
大学4年間を向こうで過ごすと決めたのは高2の一学期の終わり頃です。最初は内部進学を考えつつ国内受験の予定だったのですが、塾に行って考えが一変しました。誰もが学問は辛いと決めつけ、学校より塾が偉大だと妄信していました。日本の闇をみました。 生徒主体のリベラルアーツ教育を求めて、以下の6校に応募しました;Haverford College, Kenyon College, Lawrence University, College of Wooster, SUNY Geneseo, Knox College。Haverfordが補欠、Kenyonがダメだった以外はOKでした。正直この二つはダメ元だったので片方が補欠をくれただけでも驚きです(倍率4倍)。残った4校から費用、評判、多様性、専攻の選択肢、雰囲気、治安、生徒数などを基準にLawrenceを選びました。これら全て���高いレベルで満たす大学は意外とないです。実際には訪れませんでしたが、最善の選択だったと思います。とYutaさんも言ってくれています笑。 “大学留学”は予想ほど遠いものではなかったです。出願時もFinancial Aid申請や推薦状の準備といったわずらわしさはありましたが、学力はそれほど求められませんでした。SATなどの提出を求めない所もあるぐらいで、人物を見てくれます。エッセイも自分の信念���基に枠組みを一つ作った後は学校ごとに調整するだけでした。なのでどの学校に出したものも似通っています。 留学しようか迷ってる方、こんなこと書いて欲しい!と思ってる方、連絡下さい!最後までお付き合いいただきありがとうございました。ではまた。 大学ブログランキング参加しています!ワンクリックお願いします!! http://blog.with2.net/link.php?1769078
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帰国!
更新がまたまた遅くなってしまい申し訳ありません!つい先日帰国しました。この歩くだけでも汗ばむような感覚が懐かしくて、や半年という長い間をへて戻ってきたのだという実感がわいています。
さて今回、一年間振り返って色々書こうと思っていましたが、それはこの次のブログに回すとして今回はこの一週間に起こった出来事について書いていこうかと思います。
単刀直入に・・僕、実は片耳が先天性の難聴でほとんど聞こえていませんでした。そしてついこの間手術をして聴力を回復させました。小さい時からの難聴で今まで、ごく普通の人がどれだけ日常生活に溢れる音を聞き取っているかが全くわかりませんでしたが、聴力検査によってそれが小さい時に判明しました。当時は原因が不明で一生この難聴と付き合っていく覚悟でした。仲が良くなった友達にはよく言われていました。「裕太ってたまに人の話している方向に左耳を傾けるよね」と。左耳が全ての音の聞き取り能力だったのです。しかし、小学校に上がりたての頃、他の病院で検査をしたところ、耳の耳小骨に問題があり、手術によって治癒するとのこと。耳に傷をつけること自体当時はとても恐ろしいことで、泣きじゃくって親に手術をしないでくれと懇願したことを覚えています笑
そして、10年ほどの月日が経ち、あるものとの出会いがありました。補聴器です。そもそも補聴器自体つけても雑音しか入らないと偏見を持っていて選択肢���もありませんでしたが、耳鼻科の先生に勧められつけることに。。そうしたら・・今までなぜ補聴器をしないで苦労していたのだろうかと思ったり、ここまで補聴器が役に立つとは思いもしませんでした。でもここまでくると、
”補聴器一生つけるのか?”
と思ってしまいました。そこで親に相談をし、手術について考えてみることに。そこまでが今回手術に至った経緯です。
さて、なぜ僕が先天性の難聴だったのか。それは前述した耳小骨という部分に問題がありました。音という振動を人間の脳がどのように感知するかというのはこれに大きく関係します。音が耳に入ってくるとまず鼓膜を振動させ、その振動は耳小骨を通じて、やがて内耳に振動を伝えます。それがざっくりとした、所謂人間がどう音を感じるか。しかし僕の耳小骨のうちのあぶみ骨という骨に先天的な異常がありました。このあぶみ骨は人間が有している骨の中で一番小さな骨です。大きさは2ミリほど。その2ミリにが人と違うだけでこれほどの大きな違いが生まれるのですね。
手術では僕の耳の軟骨を鼓膜ときぬた骨の間に移植して、あぶみ骨の一部を切断するというものでした。手術は全身麻酔で五時間もの長さを要するものになりました。手術というものがそもそも初めてで、ドラマのようなものを想像していたものの、手術室まで自分で歩いていくというのは驚きでした。しかし、精密に用意が施された手術室を見るや否や、得体の知れない恐怖が襲いました。そして、麻酔を打たれると一瞬で眠りにつき、次に起きた時には自分のベットに戻っていました。看護師の人に手術が終わった旨を伝えられ、麻酔が覚めたことに気がつきました。
聴力は直ぐに回復するのかと思っていましたが、意外にもよく分からない・・それもそのはず、鼓膜までガーゼが詰め込まれていて、十分な保護が施されていました。
でも耳たぶを触ると物凄い音がなったり、氷を噛むと今までとは違う音が聞こえるなど、術前と比べると微々たるものではありますが違いを感じることができます。ガーゼが外れるのは今日から約一週間、今はその日を心待ちにしています。
手術を終え、今は喜びで満ち溢れています。それはそのはず、今まで聞こえていなかった音が日常的に聞こえてくるようになるのです。補聴器をつける前はこの聞こえていなかった世界が日常だと思っていたので、その世界を抜けた時はとても新鮮な気持ちになりました。暗い洞窟から外に出るような感覚でしょうか。補聴器を付け始めたのはアメリカでの秋学期が終わってから。秋学期はまだ英語の聞き取りに慣れないななどと思っていましたが、冬から補聴器をつけると理解度が一層高まったり。今まで感じたことのない世界を感じている気分でした。そんな経験をし、それに気づいた時は視界が開けて日常��とても便利になるのです。
そのようなことを感じることがこの一年間たくさんありました。アメリカでの最初の一年間は今までの前提が覆るという経験を多々して、それによって視野が広がり、心が豊かになるそんな一年間でした。もともと補聴器の着用も”意味ないもの”と選択肢から無意識に排除し、”補聴器なんて意味がない”というのが自分の中の前提でした。自分の経験を絶対視するのはとてももったいないことで、自分が全く知らない世界からもたくさんの収穫がある。好奇心が大切なのってこういうことなんだな。
”自分が知らない自分に会う”
まだまだ自分の知らない世界に触れ合うチャンスは学校にあふれていますし、そのチャンスは確実に掴んでいける嗅覚を持ち続けることはとても大切です。
退屈な入院生活でそんなことを考えていました笑
では、また今度は一年のまとめを近々書いていきたいです!
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ケイマン諸島 & カリブ海で潜って
こんにちは!Yurikoです。
しばらく投稿出来ず、すみません!前回の記事にも書いたように、4月16日から30日の2週間、生物学の教授2人と学生14人と一緒に、研究材料採取や調査・研究のため、カリブ海に浮かぶケイマン諸島へ大学のプログラムで行きました!!(LUMP: Lawrence University Marine Program 2年間に1度開講されます。)
ローレンスに帰ってきて、5月に入って益々実験等で忙しい生活を過ごしています。今学期は3つの生物学のクラスをとっています。 BIOL434 Ecological Energetics (生態学的エネルギー論) BIOL505 Coral Reef Environments (サンゴ礁の生態系機能学、環境適応生理学、多様性保全学) BIOL599 Independent Studies-Applied Marine Microbiology (自主研究-応用海洋微生物学)
上手く日本語訳するのは難しいですが... Ecological EnergeticsとCoral Reef Environmentsのクラスは、LUMP(Lawrence Univ. Marine Program)の一貫として受けています。 ちなみに、Independent Studiesというのは、学生個人が興味のある分野に関するテーマを設定し、1人の教授の監督の下、1学期間そのテーマの研究を行うものです。6単位分の授業に相当する作業量(実験、リサーチ、レポートや論文、プレゼン等に費やす時間)を要すること、既存の授業と内容が被らないこと、明確なビジョンがあることなど幾つかの基準はありますが、その基準さえ満たせばテーマの設定を自由に設定することが出来ます。 私が今研究していることは.... ケイマン諸島の東西南北様々な場所にある5箇所のダイビングスポットで見つけた13のイソギ��チャクの腸から採取したバクテリアのDNAについて です。あのニモと仲が良い生物です!ざっくり言うと、イソギンチャクは最も原始的な生物の1つと言われていて、口と腸しかないんです。本当に必要なものはこれだけなのでしょうか...?それに比べて人間は複雑ですよね...
(↑カリブ海で私が採取した13のイソギンチャクのうちの1つ)
実際海に潜って感じたこと...正直上手く言葉では表せませんが、 陸上と海中の世界はこんなにも違うのか..自分の存在、人間の存在をとても小さく感じました。21年間、この世界を知らずに生きてきた自分が勿体無いし怖いと思った程でした...世界に対する価値観がまた少し変わったというのか、生物学を大学で勉強してきて本当によかった、やっぱりpassionを持って私が勉強出来ることはこの学問だと感じました。ダイビングライセンスを取得して潜って本当によかった、と思いました。みなさん、人生、海に潜らずに終わるの、本当に勿体無いですよ!!
イソギンチャクを探し出すことは、思っていた以上に大変でした。そして、水深15〜17メートルで、水圧のかかった環境の中でイソギンチャクの腸からバクテリアを採取する時は、思っていた以上に手に力が大事なんだなと知りました。口道からシリンジ(注射筒)を入れ、シリンジの先についた針を消化管に通し、腸へ通しそこからバクテリアを採取しました。これを13のイソギンチャクから採取したというわけです。
その採取したものをどうしたのかというと...シリンジに入ったバクテリアをフィルターにかけて、ろ過。フィルターを使用する事で、検査対象のバクテリアや細菌を集積することが出来ます。 フィルターを使う事で、研究対象のバクテリアを集積します。それを実験用綿棒を使って採取して、プレート培養します。培養後、その生育区画で発育したバクテリアには均一の色がついて、平らで小~中の大きさのコロニーを形成します。このコロニーが研究対象の細菌・バクテリアになるわけです!
そして今、私がやっている最中の事っていうのは、PCR法というのを使っての遺伝子検査や微生物検査です。遺伝子検査というのは、検出したい微生物が特有に持っている遺伝子をターゲットにしてバクテリアやウィルスを検出する検査で、その方法の1つとしてPCR法があります。
私なりに簡単に説明してみます。
遺伝子はそのままでは目で見ることは出来ませんよね。しかし人工的に、増やしたい部分だけを増やすことが出来るようになって、特別な装置を使えば目で検出することが出来るようになったんです!その様々な技術の中でも代表的なものがPCR法です。PCR法っていうのは、増やしたい遺伝子のDNA配列にくっつくことができる短いDNA(プライマー)を用意して、酵素の働きと温度を上げたり下げたりすることで、目的の遺伝子を増やす方法です。増えたDNAを染め出す特殊な装置に入れる事で、増えた遺伝子を目で確認する事ができます。目で確認することが出来たら“陽性”と判定されます。逆に、目で確認出来なければ、検体の中に遺伝子がなく勿論増えることもないので、 “陰性”と判定されます。最近の技術の進歩に驚かされます...!!
どうしてこんなに今回私の研究について書いたのか...それには理由があります! 最近私が取り組んでいることは、生物学の知識をあまり持たない人にどうやって分かりやすく自分が勉強していることを伝えるか、ということです。一番のネックが、英語で説明できても、夏に帰国した時や仮に将来日本人に対して日本語で説明しないといけないというシチュエーションになった時、日本語の生物学用語を使ってなるべく簡単に説明出来るようになる、ということです...それをなんとかしようと、最近日本語で実験プロセス等を簡単にメモするようにしています。それを今回は「ブログ」という形で書いてみました。
生物学専攻として外国の大学で勉強している人のブログを読んでみたい、と前から思っていたのですが、なかなか見つけられなかったので、自分が書いてみよう!と思ったというのも理由の1つです 笑
長い記事になってしまいましたが、次回はもっと勉学から離れたことを書いてみます 笑 質問や記事内容等でリクエストがあれば、大歓迎です!お待ちしてます!
adios!
5.22.2016 Yuriko
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NYにて
こんにちは!
漸くNYから昨日戻ってまいりました。帰ってきて周りの景色を見るや雪・雪・雪・・・・まだ雪かよとか思いながら帰ってきました笑さて、今回の本題はというとNY。初めてのアメリカ大陸の旅行でした。なんとなんと、朝の2時のバスでMilwaukeeへ、そしてその後六時の飛行機でNYへと。。NYに着いたその日はすでに疲れ切っていたものの、NYを代表するあのTimes Squareへと行きました。ホテルからTimes Squareまでは電車で一時間かかります。地下鉄で電波もないので何もすることもなく就寝。。(相当ヘトヘトでした)
そしてTimes Squareに到着!電光掲示版がキラキラ光るようなここがNYだと思えるそんなところでした。そのような感じで最初の数日NYらしいところをたくさん回っていました。
しかしながら、気づいたこと。NYのスラム街の現状の悲惨さ。マンハッタン島の真ん中でもホームレスがお金を乞うている場面には遭遇します。Brooklynの南の方に宿があったのですが、そこでも一人で歩くのは抵抗してしまうような雰囲気の場所でした。
そしてNYを代表する多様性。Wisconsinにいたせいかたくさんの人種が混在する場所には少しの違和感すらも覚えてしまいました。
そんな現状を見ていると思ってしまいます。おそらくたくさんの人がNYに来ると思うことだと思います。
自分が育ってきた環境はとても特殊
まず日本にいた時はアジア人のみで構成された環境で、日本を離れてアメリカに来たと思いきや、Wisconsinで大多数の白人で構成されているコミュニティにきました。中学の時に英語の授業で読んだ”人種のるつぼ”の話が点と点でつながりました。多様性を再定義するにはやはり実際にNYに来てみないとわからない。再定義することによって自分の立ち位置というものがわかるのではないでしょうか。例えば僕の学校にいると留学生の中にも英語をペラペラ話す人立っていますが、NYに来てみるととてつもない訛りでまくしたててくる人だっている。彼らはアメリカにやってきた移民で、明らかに僕たちが過ごした幼少期とは全く違う人生を過ごしてきている���思います。
そこで僕はみなさんにこの多様性を含めた、本質の理解が必要な概念について考えて欲しいと思います。机上の議論ではやはり本当の基礎的なことからの理解は難しいのです。つまり実際にその概念が前提にある国に行って体験する都いうことがとても大切だと思います。
アメリカに留学しているということもその一つなのだと今では思っています。異文化交流というのは実際に長い年月を過ごしてやっと理解できるものなのかなと思います。
今学校に戻ってきてしまいましたが、なぜだか嬉しかったです。ここアメリカで経験を積めていること、感謝しなければいけないことですね。
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Take-home exam?
こんにちは!Yutaです。皆さんお元気でしょうか、今学期もなかなか更新できなくて申し訳有りません。ローレンスにも春がやってきて、雪もだいぶ溶けてきています。そのような中、昨日やっと試験が終わり二学期終了!!!!!
そして、明日から(といっても朝の二時なので殆ど今日のようなものですが…)NYに行ってきます。この計画はこの学校に存在する団体(Lawrence International)が企画したもので、とても安くで行けたということ、そしてなによりNYにいったことがなかったので、一回はいってみようかなという軽いノリで参加することにしました。NYで暇な人はぜひ連絡してください(もしかしたら会えるかもしれません!)
そんな中今回はどんなことを書こうかと思っていましたが、最近“教育”について考えさせられることが多かったのでこれについて書ける範囲でかけたら良いなと思います。
なぜ、こんなことを考えたのかというと、最終試験(Final)で今までに経験をしたことのないとても新鮮な体験をしたからです。一番最後の試験はWritingが多くを占める試験で、当初の試験時間であった2時間半では到底終わらないだろうなという予測の元、教授に「2時間半以上受けても良いかな?」と聞いてみたのです。そうしたらその教授はその要求を快諾してくれたのです。そして最後に“Spend as much time as you want”と言っていただきました。最初はどういう意味??とか思って困惑しましたが笑
その先生の授業はとてもディスカッションに重きをおいた授業でもともと日本ではあまり経験したことはない授業でした。アメリカでは結構普通にありえることですが、この授業の最終試験の占める割合は全体の20%しかありえません。なにで生徒を��価しているのかというと、60%のペーパー、そして20%の授業態度、最後に20%の最終試験です。最終試験の一部にも授業で覚えた歌を先生の前に立って一人で歌を歌うなんていう試験もあります笑
漢字で何かが彫られているところから推測して中国の試験会場でしょうか?
さて、僕の今回のケースとはまた違いますが、アメリカでは “Take-home exam”という試験が一般的です。この種のテストを行っている授業では、生徒はいつどこで受けてもいいという決まりです。日本の大学でやったらどうなるのだ!なんて考えてみましたが(おそらくどれだけ暗記をしたかを測るテストからwritingベースのテストにしたところで教授は採点の時間に追われることでしょう)アメリカの学校の場合ではHonor Codeと呼ばれる生徒と教授の信頼関係を誓うシステムが一般的に使われています。この学校でもこのHonor Codeが一般的に使われており、テストの最後にこのHonor Codeにサインをしなければなりません。このHonor Codeは結構厳格で規則を破った場合はLawrence Council?(具体的な名前を忘れました)というところで協議にかけられます。実際友達のクラスで一人の生徒が問題の答えをネットで探しコピペをしてF(つまり単位を落としたということです)をもらったらしいです。
しかしながらこのTake-home examのメリットはとても感じます。今回の僕のテストはTake-home examではなかったものの時間制限がないというところからこれに近いものが有ります。実際当初の時間より大幅に長引き4時間以上の時間をかけて試験を終了させました。そして試験が終わってから考えてみました。もし仮に時間制限があったらどうなっていたのだろうかと。おそらく、最後の50%を占めていたエッセイは何も書けずに終わっていただろうとか。そうです、そもそも日米で試験に対する捉え方が違いますよね。アメリカではテストをそこまで重要視していないというかとてつもない意気込みはありません(重要視していないわけではありませんよ笑)。むしろ授業に臨む姿勢であったり、予習した内容を元にどれだけの情報を吸収できるかということに重点が置かれています。一方日本では、授業に出られなかったらそれは自己責任、でもテストでは予習復習した努力は報われるからそこで頑張ってくださいという考え方でしょうか。
言い訳に聞こえてしまいますが、時間に追われて試験を受けるのは生徒を測る物差しを狂わせているのではないかと考えてしまうことが議論としてあがります。個人的にテストのときは上がってしまうので頭の中が真っ白になってしまうこともありますが、高校の先生にこのようなことを言われたことが有ります。「いつも勉強するときは時間を気にして問題を解け」確かにこの考えは一理あるのかと思います。特にScienceに関して言えば、日本では問題を解く際に必要となる公式など覚えてくるのが普通ですよね。なので、Take-home examにしたら公式を全ておさらいしてしまって、公平性に欠けるのではという問題も生じます。
さて、今回はテストの形式について少し比較してみました。皆さんはどう思われるでしょうか
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Lunar New Year!!
こんにちは!
先日英語で初めて夢をみてテンションが上がっているYutaです笑
先ずはじめに、受験生の皆さんお疲れ様でした。ここの学校にも何人かの出願者がいました。ブログをみて出願してみたなんて言う人がいたら嬉しい限りです。
さて、今回はついこの間お祭り騒ぎになった”Lunar New Year”について書いていきたいと思います。
日本では新年を一月一日に祝うのが本来のあり方であります。しかしながら、中国、ベトナム、韓国、シンガポール、マレーシア、インドネシア、タイ(四月)をはじめとする東南アジア、東アジアの国々では二月の時期にお正月を祝います。これはなぜかというと、これらの国々では地域によって別々の旧暦を昔から使っていて今でも使っているという歴史的な背景から由来します。(基本的には中国の暦を使っています)
この旧正月というのは想像以上にそれらの国々では一大イベントで、地域で旧正月を祝う人もいれば、他の国に旅行に行く人もたくさんいます。中国の人はよく日本にこのシーズン来ますよね。ニュースになっていることでしょう。国が違っても旧正月を祝うということはどこでも一緒です。ここでも中国の友達、ベトナムの友達は夜更かしをして、家族とテレビ電話をしたり・・・とても面白い光景を見ることができました!
そんな旧正月をみんなで共有しようということで、ここ最近KCC(Korean Cultural Club)という団体が毎年この時期に”Lunar New Year”のイベントを企画しています。思ったより規模が大きくて、驚きでした。どのような催しかというと、イベントは前半と後半に分かれていて、前半は、MCの人がお祝いの説明をしたり、各国の生徒が(韓国は車で二時間弱の距離にあるMadisonからプロ��ダンサーが来ていたりしていました)踊りを披露していたりととても面白い見物でした。そして後半のイベントでは各国がブースを作り、それぞれの国の伝統や文化を説明、そして実際に体験してもらうということをしました。今回(去年もそうだったらしいのですが)はなぜか旧正月を祝わない日本もブースに参加させてもらいお祝いをしました。日本のブースでは四つのセクションに分かれて、それぞれグループに分かれました。絵馬、福笑い、書道、写真撮影コーナー(神社のバックグラウンドを製作しました)の四つです。僕は主に絵馬の所を担当しました。紙で作った絵馬を机に置いておいて、興味があった人が来たら、「何か裏に叶えたいことを書いてね」な���ていうやり取りをしていました。あのようなゲン担ぎと言うのでしょうか。どこの国に行っても受けるのですね。当初たくさん余ると思っていた絵馬がすぐになくなってしまいました笑
そして願いはさまざま。“A(成績)を下さい”なんて言う人、“彼女ください”なんて言う人学生はそんな人ばっかりです笑一番見ていてほっこりしたのは、小さい女の子が来て”Bog”と一語書いて去って行きました。余程犬が欲しかったのですね。
そして意外と好評だったのが書道。日本のカリグラフィはアメリカの人にとてもエギゾチックで魅力的に映るのでしょう。みんな興味津々に書いていました。
そして“LU神社”と呼ばれる神社の前でたくさんの人と写真撮影(何人かの早稲田生が製作してくれました!)をして締めくくりです。
今回思ったことは土着のお祝いというのが国を超えて理解されるということの大切さです。やはり、お祭りというのは聞いただけではイメージがわかないですし、実際に体験をして身体で触れるということは大切ですよね。僕たちも日本からブースを出したわけですが、他の国のお祝いというのを体験できてとても貴重な思い出となりました。
では今回はここらへんで、引き続きお願いします!
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大切なものさし
皆さんお久しぶりです!・・・・・さてブログを更新します!遅くなってすみません
さて2月に入りみなさんいかがお過ごしですか?日本では2月が一番寒い時期だと思いますが、アメリカでは1月が一番寒いと聞きました。まだまだとても寒い毎日が続いていますが、1月はとても寒かったです。ある日は体感温度が−30度を下回りとても寒かったです。よく考えたらここにいたら冷蔵庫なんていらないですよね笑なんてことを思いました。
そして二三日前にブリザードが来て一部のクラスが休講になったらしいです。僕はその日に授業がなかったのでよくわかりません。しかし全てのクラスが休講にならないローレンスは凄いななんて思ってしまいました。その日は本当に外に出られないような吹雪が吹き、カフェに閉じこもっていました笑しかしながら、どこの部屋もとても暖かく(暖房の設備が凄いです!)そこまで外も不快な寒さではないですね。
さて今回はどんな内容を書こうかと思いましたが、先日直面したある出来事について書こうかと思います。
あるクラブ(またこのクラブについては別の記事で書きたいと思います)の年内最初のミーティングに参加した時のこと。一年生も交えてのミーティングは初めてだったので、みんなでクラブの運営方針を決めたり、ボーディングメンバー(重役)についての話し合いが行われました。その時に指定されていたクラブ長、副クラブ長を除き幾つかの枠。その枠にだれが入るかを決めなくてはなりませんでした。その時にふとその重役に就いて、運営に携わってみたいと思ったのです。そして思いがけず上級生の一人が僕を一つの役に推薦してくれたので、もうここまできたらやるしかないと思い、決選投票に参加しようと決意をしました。しかしながら一瞬頭の片隅にこんなことを思い浮かべました。そもそもその役では、学校の生徒会が主催している週に一度のミーティーングの参加が義務付けられている。そこではしっかりクラブ活動の報告をしなくてはいけない。いわばこの役は学校とクラブの橋渡しをする役目なのです。そんな思考が頭の中で一通り回って、僕の手がふと上がっていたのです。そして一言“I can’t take that responsibility”今思えば、なかなかこんな惨めな思いをしたことはない。何が惨めかって、他人は何もなかったかのように“分かった”の一言で何もなかったかのように過ぎていくこの一連の出来事が、自分の中ではとても大きな塊として肩にずしりと降りてきたのです。
“コミュニティに貢献したいけど今の状態では無理”
熱意があったらできる!なんていう感情論では押し通せませんでした。コミュニティに��惑がかかる可能性が有る限り僕にはできなかったことです。
最近アメリカにきて以来自分が少し能動的に働く人間になったと思っています。しかし積極的になればなるほど英語につまずく自分を見てしまい嫌になってしまいます。さらに日本人とアメリカ人のハーフの友達にこんなことを言われました。「裕太って日本語で会話する時と英語で会話する時の性格が違って見えるね。英語ができるようになったら確実に信頼を得られるようになるよ」
そうです。自分でもこれは潜在的に気づいていた側面でしたが、他人から言われたことでより鮮明としたものになりました。どの留学生も同じことを考えているでしょう。なるべく自国での振る舞い方、すなわち素の自分をこっちで出来る限り出していきたい��う思っています。日本にいた時は“留学する=特殊”というイメージが植えつけられていたのにこっちに来るとどうしても自分は大学の大多数の生徒の一員でスタンダードだと捉えてしまいます。あくまで大多数はアメリカ人だから、自然とそう思ってしまうのでしょう。だからこそ、最近学校にも慣れてきて、今まで自分の中に内在していたこの貢献意欲が覚醒してきた今、学校で自分の役割を認識して、コミュニティに貢献して信頼される人になりたいという気持ちが強くなってきています。そして自分の成長が伺えたのは明らかにこの貢献を他者承認のためにやろうとは思わなくなったことです。自分が好きなことでコミュニティに貢献する。そんなことを思うようになってきました。英語が上達したらもっとこれが上手くいく、今はそう信じています。
そして最後に一番大切だと思ったこと。それは
“どこの場所に行っても他人から信頼されるということが一番大切な人間を計るものさし”
だということです。これは他者承認を得られるために信頼されるという意味ではありません。あくまで人間として一番大切な部分だからこう思ったのです。
留学のはじめの方は、留学を“ぶっ飛んだこと”とみなしてそれに少し満足していた自分がいたのかもしれません。しかしそれは今考えてみると、僕のものさしは数千キロ離れた日本に置きっぱなしだったのです。ものさしは常に持ち歩かないといけません。それは例えアメリカから日本に戻った時も持って帰るべきなのです。そして手元にあればあり続けるほど、とてつもなく長いスパンで、小さな小さな大切な信頼というものが積もり重なってくるのではないでしょうか?
まとまりのない文章になってすみません。でもこれは留学生に限らずとても大切に思うことです。またこんな風に思いついたことがあれば書いていきます
また何か書いて欲しいことを質問の所に投函していただけたら、それについても書きたいと思います。
ではまた次の記事の掲載をお楽しみに!
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Yuta Hayashi 2/8/2016
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どうして生物学?
こんにちは!Yurikoです。 早くもローレンスは今、2学期目のMid-Term Exam (中間試験) の時期です。ついに先日急に酷い吹雪が来て、キャンパスはもう真っ白、銀世界の状態です!キャンパス内には、雪だるまやかまくらがあちらこちらにあり癒されます。
さて、今学期も私は自分の専攻である生物学のクラスを取っています 。BIOL391:Directed Study on Topics in Animal Behaviorという、2~3年に1度しか開講されないクラスです。クラスメートは私を含め6人で、私が今まで受講したクラスの中で一番小さいクラスです。このクラスでは、様々な生物・海洋生物をベースとしたEndocrinology:内分泌学、Learning Capability:学習能力、Ontogeny:個体発生学、Neurophysiology:神経生理学、Animal Personal Traits:生物の性格特性や傾向、Communication – Deception and Sophistication –:身を守るために様々な工夫を凝らす生物同士のコミュニケーションについて…などなど、興味深いトピックについて学んでいます。 海中には、未だ未知なことが多く潜んでいるので、知れば知るほど興味が湧いてくる、never ending mystical studyの様なものです…!
そんな生物学が好きな私ですが、私が大学で生物学を専攻するとは、日本にいる同級生や先生は誰も思っていなかったと思います。未だに「ひろちゃん(日本にいる時のニックネーム)って生物学専攻なの?っていうか理系なの?」とよく言われます。それもそのはず…実は中学生の時、私は生物学・化学・物理学等に興味があったものの、この分野の成績は決して良くはありませんでした。中学生のクラスでは、よく「廣瀬、ついてきてるか?大丈夫か?」と授業中に先生から聞かれてはクラスメートが笑う、という、もはや「クラスが和む決まり文句」の様なものでした。今思い返してみると、「何であんなこと分からなかったんだろう?」と思うことばかりで、自分でも不思議に思います。
そんな私が、なぜ今生物学を学んでいるのか。
そもそも、生物学/理科が好きになったきっかけは、おそらくあの本だと思います…「理科なぜ��うして」という、表紙の絵がとてもレトロで古い単行本です。「なめくじが、しおでとけるのは、なぜ。」「にじは、どうして、できるの。」「にんげんの せんぞは、さるですか。」等トピックは様々、それこそ平仮名で書いてある本で、当時小学生だった私にとっては興味のあるトピックばかりで、何度も何度も読みました。 身の周りの「当たり前」が「なぜか」については、小さい頃から興味がありました。そして、数学/算数も、「ドラえもんの学習シリーズ/ドラえもんの算数おもしろ攻略⚪︎⚪︎がわかる」を、暇な時、何度も読んでは、台所で料理をしている母に「ねぇお母さん知ってた?⚪︎⚪︎って◻︎◻︎らしいよ。」と、とっくにそんなことは知っている母に、自慢げに話していたのを覚えています。小学校の教科書よりも何倍も楽しかったのか、興味のあることは教科書に載っていなくても、好奇心のあまり、家にある本を読みあさっていました。 (⚠︎ 興味のあることに限りやっていたことです。 笑)
つまり、興味があることに関しては時間を忘れてやり続け、興味がなければぼ〜っとしている、そんなこどもだったかもしれません。だからと言って、授業を聞かなかったり寝る、ということはありませんでした。「言われたことはやる、ただそれ以上のことをしない」という訳です。中学3年生の時は「特進クラス(特クラ)」、高校1年生の時は、理系の「医歯薬コース」という、いわゆる“Nerd”なクラスに居ながら、成績・順位ばかりを自然と日々意識してしまう様な、今思えば少し恐ろしい環境で勉強していました。「今回の試験の1番は⚪︎⚪︎さん、2番は⚪︎⚪︎さん、3番は⚪︎⚪︎さん、最低点は⚪︎⚪︎点。」「はい、⚪︎⚪︎点の人から前の左端から順に座って~」と言われる様な、まさに「一体誰の為に勉強しているのか」と思わざるを得ない環境でした。そんな中で、点数の良くないクラスや面白みを感じないクラスがあると、その分野が嫌になってしまう、というのは、当時を思い返してみると、仕方がないといえば仕方がない状況だった訳です。そんなこともあって(他にも理由はありますが)、高校で1年間違った環境、外国の学校で勉強してみたいと思い、高校1年の夏から高校2年の夏まで、スウェーデンの高校に交換留学しました。生物学に対する意識が変わったのは、帰国後、高校2年に進級してからの初めての生物学のクラスでの、ある先生との出会いがきっかけでした…
その先生は、その年に赴任された新しい先生でした。ただ、新しいと言っても年配の厳しい女性の先生で、生徒と友達の様な関係になることをとにかく好まない、当時はどちらかというと生徒にあまり好かれていない先生でした。「結構厳しいし、固い先生だよ〜」という噂を聞きながら授業を受けたのですが…その先生は、私が今までに出会ったことのないタイプの先生でした。今までは、実験は先生がやるかビデオで見せられるか写真を見るか、教科書に忠実に沿った授業、黒板に字を只々書くだけなのになぜか白衣を着ている…という先生だったのですが、その先生は違いました。帰国後、私は遺伝の分野を先生から習い、伴性遺伝を最初の授業で勉強し始めたのですが、先生が夫の研究室から借りたという本物のショウジョウバエを数本の瓶いっぱいに持ってきて見せて下さり、教室中を歩きながら行われる授業を受けた時は「この先生は他の先生と違う」と思いました。そして先生は教科書を片手に持って授業をしませんでした。「先生は教科書の内容を全て暗記しているのか?」と思うくらい、生徒一人一人を見ながら「生物学の面白さを訴えている」様な授業でした。私にとっては勉強しているというより、知識を吸収しているという感覚があった授業で、「勉強する」という概念を変えて下さったのが、その先生でした。
とにかく、その先生の授業をきっかけに遺伝学に興味を持ち始めたことが、生物学を専攻したいと思うきっかけになりました。今は海洋生物学・海洋学を中心に勉強していますが、遺伝学は未だに興味のある分野です。
次回は何を書こうかまだ決めていないので、記事にしてほしいことがあれば是非教えてください!
また会う日まで! アディオス!
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2016.2.05 Yuriko
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こんにちは。回答が遅くなりすみません…大学3年生のYurikoです。質問頂きありがとうございます!Community Collegeから4大編入について、実際私はあまり詳しくないのですが、知り合いの中にはCommunity Collegeから4大に編入する人はいるので、必要な準備をしっかりすれば大丈夫だと思います。ローレンス大学の雰囲気ですが、私がブログの始めの方に書いた「大学紹介について」を読んで頂けると少し分かりやすいかもしれません。授業での教授対学生の比率が小さく、何より教授との距離を感じない生活は、学業面的にも精神的にも救われることが多い気がします。大学4年生になると理系の場合、一人一人に研究できる部屋を提供して下さったり、道具や機械等結構揃っていて、教授方の今までに研究されてきた分野も幅広く様々で、彼らのバックグラウンドを知ると、本当に興味深く素晴らしい教授がローレンスには揃っていると思います。学生も多様性に富んでいます。授業に関しては、確かに課題が多かったり、読み漁る文献の量だったり実験の時間は半端なく多かったり長かったりしますが、それはローレンスに限らず、どの大学も同じだと思います。最初は確かに大変と日々感じますが、結局は慣れの問題な気もしますし、特に書くこととプレゼンに関しては、気づかないうちにどんどん鍛えられているのではないか、と感じます。なので、そこは心配しなくていいと思います!奨学金に関しては、大学によって様々ですし、ローレンスにも奨学金の種類や頂ける額は人様々だと思いますが、私はローレンス大学からはMerit basedで給付型の奨学金と学内雇用の許可書を合格通知の時に頂きました。額についてですが、Merit basedの給付型の奨学金でも人によって額は違います。
回答がお役に立てれば嬉しいです!またの質問お待ちしてます!
こんにちは。川上といいます。Lawrence Universityを受験しようと考えているのでコンタクトをとっていただけると嬉しいです。高校卒業後一度渡米し、community college→4大編入の道を目指していたのですが、community collegeのレベルが低くて嫌になり、日本に帰国、今liberalarts collegeの出願準備をしています。実際の大学の雰囲気、授業、あとは奨学金などについてお伺いしたいです。よろしくお願いします。
こんにちは。昨日の投稿を執筆した林です。community collegeに行かれていたのですね。一人友達が今いっていますが、意志がないとなかなか続かないと聞いて。。大変ですね。学校は中西部に位置しているため独特な雰囲気があります。個人的にはこの落ち着いていて、みんながせかせかしていない雰囲気が気に入りました。しかしながら人によって捉え方は違ってくるのでキャンパスビジットを前もってすることをお勧めします。授業はとても大変です。特にこの学校は他校より成績のつけ方が厳しいと思います。とはいっても勉強をする動機をあたえてくれる授業が多く、liberal arts特有の少人数の授業というのはとても意義のあるものだと思います。奨学金はNeed/Meritどちらか、もしくは両方出すかによって全く異なるので、そこを詳しく教えていただければ詳しい回答ができると思います。
回答がお役に立てればと思います。
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冬休みに入りました!!
お久しぶりです!Yurikoです。前回の投稿から随分間が��いてしまいすいません!今回は、大学3年生の1学期目が終わって思ったことだったり、考えたことをそのまま書きたいと思います!
11月末に1学期が終わり、長い冬休みに入りました。大学生活の中で残された冬休みは、今回を含めてあと2回しかないので、この冬は友人とシカゴへ出かけたり、来年の夏に卒業する他大学のアメリカ人の友人を訪ねてカリフォルニアへ行く予定です。今回会いに行く友人は、1年生終了時の夏に、"H-LAB"という「リベラル・アーツ」をテーマに行われる、日本人高校生向けのサマー・スクール(教育・国際交流プログラム)に、私がハウス・リーダーの1人として参加し��際に知り合い、以後、連絡を取り合っていました。
H-LAB:このプログラムは高校生に私がオススメしたいプログラムの中の一つです。私は長野県小布施町のに参加しましたが、全部で4カ所:東京、東北、徳島、小布施で行われます。是非チェック!▶︎http://obuse.h-lab.co
今考えてみると、あの夏は最高に充実していました。様々なバックグラウンドを持つ同世代の人達と出会い、「出会えて良かった」と心から思える人達と共に約2週間を過ごせた事は、私にとって一生の財産になると感じました。人生は、どれだけ色々な人と出会えるかで、随分と変わってくるのだろうな、とつくづく思います。私の大学生活も、残すところあと1年半となってしまった訳で、今までに出会った人達、そして今後出会う人達との交流・ネットワークというのは色々な意味で重要になってくると思います。特に、私は高校生活を福岡とスウェーデンで、大学生活をアメリカでと、それぞれ違った環境で過ごしました。その中で出会うことが出来た人達は、その限られた時にその場所でしか出会えなかった人達だと考えると、周囲の人達との接し方や、共に過ごす時間に対する意識が変わってくるな…と、最近つくづく感じます。
遂に大学生活も前半が終わって後半にさしかかりました。正直、3年生の1学期目が終わったという感じがしません...。あっという間だった気もしますが、それなりに色々苦労した面が多々あるので、「つい最近1年生だったのに」なんて感じる事はありません。ただ確実に言える事は、今まで過ごしてきた学生生活の中で、一番学生らしい充実した楽しい生活をしているという��と。もちろん、学業面においても、専門の生物学を学ぶ中で、教授と近い関係で学べたり、好きな時間に好きなだけ実験室に居られたり、興味のある分野があれば自ら教授に話して取り組むことができる、という恵まれた環境です。専門分野だけでなく、音楽だったり他言語学習など、何かに打ち込むことができる、そして今までに打ち込んできたことを伸ばすことができる、そして何より、勉強仲間だったり夜通し話したり頼りになる友達がいる、これらは本当に何にも変えがたい素晴らしい環境だな、と感じます。確かに、毎日の課題の量が半端ではないし、授業後は実験やフルートの練習、データ分析や実験レポート…図書館と理系の建物は、もはや "my second home" というよりも "my home"になってきています。1学期目は実験室で寝泊りしたり、水槽や電子顕微鏡、光学顕微鏡やPCR装置の横で過ごすことが多かったです。でもその分、週末も実験室に通うという日課は変わらないものの、友人と時間を過ごしたり教授と学内のバーで会ったり、課題がありながらも楽しみがありました。睡眠時間が足りないと感じることはよくあります。でも、1つのことをやっている時は他のことを考えない、長期の休みの時は学校のことは忘れて…というメリハリがある生活なので、正直ストレスを感じている暇がありません。とにかく毎日予定が詰まっていながらも息抜きが出来ていて、毎日友達と共に勉強できることが楽しいです!!
今学期、私は3科目を受講したのですが、中でも"Aquatic Ecology"のクラスは私のお気に入りの教授が教えていたこともあり、とても楽しかったです。Writing Intensiveという、書くこと(このクラスではフォーマルな実験レポート)に重点を置くクラスで、今までにない量の実験レポートを書き、相当鍛えて頂きました。データ分析も様々な計算式やコンピュータープログラム、用法を使って行い、どうすれば正確に忠実に、生物学に馴染みのない人にもより簡単に効果的に伝えることができるか、をひたすら叩き込まれました。特に、Results Section(結果)と Discussion Section(考察)の内容をはっきり区別することは、最初は困難でした。 Results Sectionでは、とにかく実験の事実(データ・解析結果)をわかりやすく示す、その中で計算過程を示したり観察事項を書く、グラフやデータが表す数字の結果を唯々報告する、他のグラフと比べて数字的にどうか曲線や直線がどう変わっているか、をひたすら示します。つまり、その数字が何を意味するのかを、ここでは書いてはいけないのです。これにはとても苦労しました。一方、考察では、考察の視点、判断の根拠や判断の結果を基礎的な内容��ら発展的内容に持っていきながら書きます。基礎的な内容というと、計測精度や材料の検討、そこから実験条件、変数の影響、理論・文献との比較をし、結果の解釈・総合的な判断をした上で、応用の可能性だったり今後の課題を書きます。つまりここで大事なことは、予想結果(仮説・理論)との比較、方法の比較(条件や実験方法)、誤差の分析、実験の問題点そして改善点、結果の応用、関連する理論の引用をしっかり書くことです。自分のやっている実験に合った文献や理論を読み漁り、自分の実験とどう照らし合わせ書いていくか、結構苦労しました。もちろん、思っていた以上に文献は読まなくてはいけませんでしたが、意外なことに、数学の知識がどれほどあるかで、データ分析の解釈の仕方や応用への利かせ方が変わると感じました。数学を思い出すことがとても重要です!
データ分析だったり実験レポートを書くことは、とにかく責任が伴うと思います。それは詳細に正確に書くということだけでなく、文献の引用の仕方や、データに誤差があった際の対処法、生のデータを保存すること、客観的な方法でデータを整理することも含めてです。それこそ最近ありがちな、予測される結果に合わせるために、一部のデータを書き直したり、画像の一部を消去したり、不正に加工したりというのはあり得ないことです。私は、実験は失敗してなんぼ、仮説通りになることが当たり前ではないのだし、むしろ一度で綺麗な結果が出るような実験は、あり得ないと思っています。綺麗な結果を求めるのだったら、そもそも実験なんてする必要はない訳だし、自分が行った或いは立ち会った状況で何が起こったのかを忠実に書くことが大事で、失敗したり毎回結果が多少違うことは、日々生物や環境が変わっている中では当然の事だと思います。それが、ある意味生物学や自然の魅力なんじゃないかなって思います!
いつもならこの時期に雪が積もっているはずなのに、今年は雪が降っていません!9月に新入生に「ここの冬は、とんでもなく寒くて雪もすごいから!」と言いましたが、「どこに雪あるの?」と最近よく言われます…私はもう懲り懲りですが、新入生のために、ウィスコンシンらしい積雪になってほしいです!
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