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(今日でろんさんがうちに来てちょうど10年になります。というわけで10年前.. | AKR@6巻でました さんのマンガ | ツイコミ(仮)から)
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https://twitter.com/Noxundo/status/1305318687021256705
白ごはん.com https://www.sirogohan.com/
キッコーマン ホームクッキング https://www.kikkoman.co.jp/homecook/index.html
レシピ大百科 - 味の素 https://park.ajinomoto.co.jp/recipe/
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“もともとは10年ほど前にTumblrにすごくハマっていて。いろんな人をフォローしたらかっこいい写真や色が洪水のように出てきて、もう自分で絵を描かなくて良いじゃん、ってなったんです。それで何年も画像を集めていって、そこで集まった色のイメージやモチーフ、レンズの距離感など画面構成を抽象化して、いまの感覚にアウトプットしています。画像の持つ情報量というものが作品の影響になっていますね。”
— 映画『きみの色』山田尚子監督×はくいきしろい対談。嫉妬し合うふたりが語る、色と光の表現|Tokyo Art Beat
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(via Xユーザーの育児ブリ.さん: 「#間違い名台詞 https://t.co/T4BsHGrEk2」 / X)
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“現在Tumblrに残っているのは、もうアウトプットすることが自分の生活の一部になっているアウトプット中毒者だけなのです。”
— Google Chromeの拡張機能Taberarelooがかなり良いので、アウトプット中毒者の楽園Tumblr.に復帰しました - Future Insight (via yaruo) (via motomocomo) (via coctan) (via yellowblog) (via himmelkei) (via harunya) (via dotthx) (via bsinminoc) (via yasaiitame) (via tyore) (via usaginobike) (via yellowblog) (via gkojay) (via layer13)
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“「Tumblrの一番面白ところはどこですか?」 「名言をいくらreblogしても現実はまったく変わらないところですね」”
— Twitter / RPM (via joriko)
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“他大学との交流云々の関連で、結局京都市内の大学だけでなくその他多くの大学漫研でもmixiを標準的に使っていると聞いた。そしてまあいつも通り「これだからリア充は」云々と、かのtwitterなんかでつぶやいた。でもたぶんそれは「彼らがリア充だから」ではないんだと思う。いわばただ単に自然の流れなんだろう。以下は、そこで考えた非常に個人的な思考のまとまってないまとめであり��自己完結的な総括である。古来(?)、イソターネットは汚いHTMLとどぎつい色の背景、そして主に写真の形で貼られた個人情報や自己紹介と、パカパカ動くGIFアニメーションにお寒いダジャレであふれていた。(少なくとも僕にとってはそうであった。)対して現在の世界的に広まったWeb情報網には、洗練され標準化されたデザインと整理された情報、そして尽きることのないとも思われるストレージと、豊富なコミュニケーションツールがある。これは10年に満たない時間での変化の結果である。どちらが良いとかではない。大まかに言えば、どちらも時代の必然である、そしてあったのだろう。この見た目で分かる変化はすなわち「インターネット」の持つイメージもまた変わっていることを意味するだろう。つまり、古来、インターネットはエキゾチックであったのだ。手元でちょちょいと文字を打ち込む、或いはMicrosoft ペイントを立ち上げててきとうな256色画像を作成する。たったそれだけのことで、「自作」のホームページが作れたのだ。ああ、なんということでしょう。我々は顔は見えないがなにかしらの生産者になれたのだ。図画工作よりも全く手軽であるのに、写真はでるわ文字に色はつくわ流れるわで感動である。そしてまた電気代と通信料を気にしながら、インターネットに広がる「面白いページ」をネットサーフィンした。そこにもまた日常見ない新しいネタがまんサイであった。(なおその際自分と同じような人々が作った同じようなおもしろみのないページが出てこないことは念頭になかった。)ただ、世界にどれだけ人ガイルといってもそう面白いサイトを作れる人がいるわけでもない。まだインターネットのヘビーユースといっても、そこらに起きているムーブメントは(少なくとも今と比べれば)そう多くないサイトをたどることでそれなりに他人と話題の共有が可能であった。そして知らないネタは自分で調べ、あるいは「教えてください」→「ググれ」のループが成立していた。これは主に2chでのやりとりであろうが、仲間内で集まりホームページに設置したCGIチャットや掲示板でももちろん知識の共有は容易だっただろう。つまりこの時点(何時とはっきりは決まらないが)ではまだ世界中の情報が集まるというふれこみのインターネットといえども、ある意味「みんな見てるテレビ番組」みたいな感覚と似ていたのかも知れない。なんだかんだで「メジャーな情報」はちょっと頑張れ��ひととおり網羅出来たのだ。そういう意味で、エキゾチックな画面の中の世界はいまだ我々の常識をさほど越えては無かったような気がする。なおちなみに当時まだハードディスクの容量は数十ギガバイトから百何十ギガバイトが関の山であったと記憶している。時代は下り、現在のWeb2.0はある意味生活密着になってきているとも言えるかも知れない。なにがしを検索すれば上位に出てくるWikipediaや辞書サイト、あるいはどこぞのブログの記述を参照すれば、いまやそう専門的でない情報は即座に正しく出てくると言っても過言ではないはずだ。そこに見にくいページ構成やナビゲーション、隠しページを読み解く労力は全くない。mixiをはじめとするソーシャルネットワーキングサービス、Skypeなどのメッセンジャ、或いはtwitterなどを使うことで、遠方の見ず知らずの人との会話も非同期リアルタイム問わずスムースに可能となった。動画配信もサーバーとかエンコードとかつい最近まで言っていたものを、もうカメラと専用のユーザフレンドリなソフトさえあれば「お手軽簡単」と言って差し支えないものになっているらしい。是非はさて置き昨日一昨日のテレビ番組もアップされていればあとで見られたりする。登録制サイトも、最近はいちいち複数サイトで登録しなくとも、たとえばGoogleアカウントでなんでも使えるようにしようみたいな流れもあるらしい。いやはや全く便利なものである。一方で、扱う情報の数は確実にそして飛躍的に増大している。しかし上記の通りそれらもきちんと整理されるようになり、一見それぞれの個人にとっては以前より必要なものが取捨選択され、触れる情報数が程よく減ったように感じられるかもしれない。つまり、インターネットは正しくインフラになったのだろう。そこには日常に必要な情報が簡単に引き出せるようになっており、また様々な既存のインフラを置き換えてくれるサービスもある。実験的な怪しさ危なっかしさはもう感じられない。あるのはせいぜいハードウェア的な不安定さ、所謂鯖落ちくらいのもんであろう。いいことじゃあないか。「便利」、「安全」、「誰でも使える」。それはまさしく目指していたものではないか。”
— 「インターネット」の変化を感じて-奈良北部のなにか
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