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ゆるめなブログ 高木市之助 Ichinosuke Takagi グラフィックデザイナー・アートディレクター 福島県いわき市 www.ichinosuket.com
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ichinskt · 6 years ago
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8ヶ月で計30週通ったアートディレクター養成講座を先日修了しました。
これからもいわき市で、デザインを通していい仕事がしたい。それが受講の動機でした。そしてその気持ちは修了後の今、養成講座で得た知識と出会いと(課題の)悔しさやあれらこれやでより増幅しております。
すごいクリエイティブディレクターやアートディレクターは東京をはじめ世の中にはたくさんいます。そういう方に外部から地元をブランディングしてもらったら、、、なんてことを妄想することも多々ですが、僕は地元に根ざしたデザイナーとして、より地元に貢献できるいい仕事がしたい。もうそれに尽きます。
今回の講座で、広告、グラフィックデザイン、写真、CM、エディトリアル、印刷、WEB、プロダクトや空間設計、など、多岐にわたる事例をおよそ30名の凄腕講師陣から学びました。そこには一気通貫したメッセージがあったと思います。それらを忘れず、日々これ精進でデザインと向き合いながら地元と向き合おうと思います。
同期生の皆さん、講師陣の皆さん、誠にありがとうございました。特に同期生の皆さんには感謝しています。日帰りだったのであまり一緒に飲んだりできなかったのですが、その数回はまるで学生時代にデザインを共に学ぶ仲間と飲んでいた時の超楽しい感覚が蘇り、文字どおり超楽しかったです(東京に通うことのなくなった火曜の夜は寂しいものです)。
今年40歳ですが、もっともっとパワーアップめざして歩みを止めないようにしたいと思います次のステップとして小名浜にデザイン事務所を開きたいと思っています。
ここ20年で日本は大きく変化してきました。あれだけ揺るぎない神話を誇っていた終身雇用も今や20年前のそれとは全く状況が変わりました。少子高齢化に伴う社会変化。技術の進歩。この変化の時代にこそ、デザインの効能に大きな可能性があり、言い換えるとまさに今が人類史上最もデザインの力が求められている時代。僕は今とてもワクワクしています。
皆様これからも変わらず、いわきのデザイナー高木市之助をどうぞよろしくお願いいたします。
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ichinskt · 6 years ago
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『ビーマイベイビー』信藤三雄展 世田谷文学館 フリッパーズギターにコーネリアス、ブランキージェットシティーにMr.Children。僕が中高生だった頃、夢中になったミュージシャンのアートワークで「なんだこれ!超かっこいい!」となった作品のほとんどが、『Design by C.T.P.P』と書かれていた。C.T.P.P(コンテンポラリープロダクション)とは、アートディレクター信藤三雄が代表を務めていたデザイン会社。僕は信藤三雄氏の作品を見て、初めてデザインに強く興味を持った。つまり、僕の原点なのである。 しかし、プロのデザイナーとしてご飯を食べている39歳の僕は、このころ描いていたデザイナーになれているのか。おっさんになった僕は、あのころ夢中になった信藤三雄作品のことなんてすっかり忘れ、仕事に追われている。仕事は好きだ。やりがいも感じ、喜びも感じている。しかし、僕がやりたかったデザインと僕は対峙できているのだろうか。そもそも好きなデザインとはなんだ。と、心のどこかで自問自答している。誤解のないように、念のため記しておくが、仕事云々ではなく、内面から絞り出すクリエイティブな源流の部分での葛藤である。僕は、仕事はブラックジャックのごとくいい仕事をすることを美徳としているので、案件に対する迷いではない��幸運なことに僕は仕事に恵まれている。 さて、そんなことで、信藤三雄展に行ってきた。中学時代に何度も聴いたCDのジャケットや、小名浜名店街にあったレコード屋でもらって部屋に飾っていたのと同じポスターが、世田谷文学館の展示室にびっしり展示されていた。 キャプションもない。メイキング的なイメージスケッチや、不採用だったカンプもない。あるのはリリースされて田舎の僕が普通に手に入れられたCDやポスター。正直肩透かしを食らった。実家にゴロゴロあるものが飾ってあるだけなのだから。僕は展示室にあった椅子に腰をかけ、壁に貼られた懐かしいポスターたちを眺めた。なんだか音楽の趣味の合う友達の家にでも遊びに来たような感覚になってきた。昔のことを思い出したりはしなかった。特に感慨深くもない。それは、僕があの頃と何にも変わっていないからである。それがよくわかった。デザインの源流も何もない。僕はこれから、もっともっとデザインがうまくなっても、信藤三雄みたいにはなれないし、信藤三雄になろうとも思わない。ただ、かっこいいデザインが好きな男、というだけなのであった。あれこれ理屈をつければそれっぽく言えるけど、俺は俺。信藤三雄は永遠の憧れ。ただそれだけ。過不足はない。 それにしても世田谷文学館がある芦花公園駅周辺は非常に好きな街だった。閑静で緑が多く、建物もモダン。こんな街に事務所を構えてみたいものである。
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ichinskt · 6 years ago
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雑記20180630 今年からパソコンやスマホを見る時間をなるべく減らし、浮いた時間で本を読むように心がけている。「浮いた時間」。これがなかなかの量だったのに驚いた。ついクセで、SNSを開く。この動作を取ろうとしている自分に気づいた瞬間に、SNSではなく用意していた本を開く。ということを試しに1か月行ってみたら、なんとその月の読書量が3冊も増えたのである。めっちゃ勉強になった。だが反面、友人たちの間や地元で何が起きているのかが全くわからなくなった。まあ、昔はそんなもんだったから良しとしよう。人と会った時に話が新鮮で面白い。別にSNSを拒否してるわけではなく、今僕はとにかくいろいろ学びたいことが山ほど有るモードなのだ。だから仕方ない。燃えているのだ。僕は。割と常に。 僕にはデザインのお師匠様がいない。だから自己流野良犬殺法なのだが、いかんせん一人よがりになりがちなのである。だから実はそのことがコンプレックスであるので、結構デザインの自主研究を怠らないようにしている。そして、ほんのたまに、技術も知識も経験も僕よりはるかにレベルの高いとあるデザイナーに僕の作品を見てもらって意見を参考にさせてもらっている。 デザインには大きく分けて3種類の知識が必要だと僕は考えている。1つは、デザインの技術に対する知識。これには、レイアウト(構図)、タイポグラフィ(文字)、色彩、といった技術の根っこになるもの。デザインの基礎部分である。そして2つ目は、道具についての知識。今ではほとんどがイラレやフォトショップといったアプリの使い方になってしまうけど、インクやコピックなど手作業の画材に対する知識は多ければ多いほど幅が広がるのは言うまでもない。そして何より楽しい。結構勘違いされがちなのは、アプリが使える=デザインができる。と思われていることである。確かに出来ることはできる。間違ってはいない。しかし、1つ目に挙げた、デザインの基礎の知識がない状態でアプリを使っても、レイアウトや文字や色で必ず袋小路に迷い込み、もがき苦しむことになる。ぐお〜。そして、ようやくです。今回僕はこれが書きたいがために、ここまで能書きを書き続けてきた。3つ目。それはデザインの歴史である。歴史を知るということは、1つ目に挙げた知識が、時代の流れによってどのように必要とされ、どのように変化して行ったのか、そして数々の巨匠たちの作品に触れることによって、グングン幅が広く厚くなっていくのである。僕は恥ずかしながら、近代100年のグラフィックデザインの歴史を系統立てて学んだ機会がなかった。今年の1月にこの本に出会い、この本を軸に、近代日本のデザインをDIGりまくっている。超おもしろい。そして、それには建築、プロダクツのデザインの世界とも絡み合い、まあきりがないのである。グラフィックデザインの100年には、イラストレーションの100年もタイポグラフィーの100年、コピーライティングの100年、フォトグラフィーの100年も全部含まれている。この研究には終わりがない。知れば知るほど、この社会を形成しているデザインの面白さに飲み込まれていくのである。おわり
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ichinskt · 6 years ago
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近所にイオンモールができて、こんな田舎に住んでいながら歩いて映画を見に行けるようになった。なんて贅沢なんだろう。 というわけで、この手の映画はTVで放送されていても滅多に観ないのだけど、妻と「万引き家族」を観に出かけた。
結論。すごくいい映画だった。僕はウソくさいドラマが苦手ということもあり、普段滅多に日本の映画を見ないし興味もない。しかし、この映画はウソ臭く騒ぎ立てることもしないし、ウソくさい展開にもならない。なぜなら、現代日本が抱えているリアルな部分を描いているからだ。 以下、ネタバレをしてしまうかもしれないので、内容を知りたくない方はここで読むのをおやめください。 万引きをして暮らしている家族は、いわゆる『貧困』の人たちだ。何らかの理由で社会のレールからはみ出してしまい、ドロップアウトしているので、マトモな社会保障は受けられない。本人たちは、そんな境遇でも当然楽しく暮らしたいし、自分が正しいと思う行動をとる。でもドロップアウトしてしまうと、今の日本では、そんな幸せも隠れていないと享受できない。
人が幸せに暮らすために作られたはずの制度やルールが、幸せな暮らしを問答無用に断絶させてしまうことも今の日本では多々ある。何のためのルールや制度なのか。目的のために作られた手段が、手段を遂行することが目的化されていき、本質がどこかへ行ってしまっているにもかかわらず、社会では関心ごとになっていないこと。この映画は、その一部を見事に描いている。
ネットでは、犯罪を助長するだの日本の恥部を世界に晒しただのアンチな意見があるらしい。それもあると思う。でも、一度ドロップアウトしてしまったら復帰できないというのはあまりにも酷ではないだろうか。人は間違いを犯す。そして償う。犯罪者の味方になるわけではないが、間違いを犯すには何らかの理由がある。北欧のどこの国か忘れたが、牢屋のない監獄で人間らしくのびのびと暮らすことができる収監システムの国は、出所後の再犯率がものすごく低いらしい。 日本は、どこか人を人と思わない部分が社会の中で垣間見える。Youtubeのコメント欄なんかひどいものだ。しかしそれもまるで「当たり前」のことのように慣れて行ってしまう。 この映画がカンヌで賞を獲ったという事実は、ものすごい希望だと思う。
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ichinskt · 6 years ago
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「クラウドコンペ」という闇
クラウドでデザインを募集して、気に入ったものをひとつ採用する、といったサイトを見ていて僕は愕然とした。なんだこのテキトーなやり方は。依頼側の要望は、箇条書きされた一方的なものだ。見たところ、一件の募集(依頼)に対して数十件の完成デザインが投稿されているもの少なくない。はっきり言うが、クライアントからのこんな少ない情報だけでデザインを組み始めるのは、暗闇の中で目をつぶって的に矢を当てるようなものである。デザインとは、「解決」の作業である。クライアントが求ることや、どうすれば意図したように社会で機能するか、などといった「問い」を解決するというのが我々デザイナー・アートディレクターの使命なのである。当然、段階段階でコミュニケーションをとり、依頼者とともにカタチにしていくものである。少ない情報だけで、あとはクリエイターに丸投げしたら無駄なデザインがじゃんじゃか生まれるのみで、それに参加したクリエイターのほとんどがタダ働きになるのである。こんなものはコンペではない。少なくとも一案に対して少額でもコンペフィーを出さないと、クリエイターと依頼者があまりにも対等ではない。 さらに、「商標登録を希望するロゴマークで3万円」など、びっくりするくらい報酬が安いのである。しかも採用されなければ当然0円。応募している人たちはいったいどういう気持ちで作業しているのだろう。例えば家のペンキ塗りを塗装の職人さんにお願いしたら足場や材料費以外で日当として最低でも1人2万円はかかるだろう。デザインも同じで、まともにやったらアイディア出しからフェニッシュまで1日ではとても終わらないのである(星の数ほどある既存の商標をリサーチするだけでも相当時間がかかる)。 依頼者側は、おそらく、そのデザインが世に出て機能し始めた時、いったいいくらの価値を生み出すかを試算どころか��像していないのではないか。例えばチラシ一つにしても、コストをかけて、消費者に伝えたい情報を整理して相手に伝わるデザインを組み上げ、コストをかけて印刷し、コストをかけて新聞に織り込む。それによっていったいどのくらい売り上げが上がるのか、買わなくてもどれだけの人の目に止まるのか、話題になればかなりの宣伝効果が生まれる。モノをカタチにする、という作業は、そういう『結果』を必ず生むのだ。だからコストがかかる。当然のことだ。もし効果を期待して依頼しているのだとしたら、それは対価の搾取である。家のペンキを塗らせた後に「一番気に入ったこの人以外には払いません」と言っているのと同じ。経費もかけさせ工事もさせておいて、である。 なのに、なぜこのような条件があらかじめわかっているのにクラウドコンペに応募するのか。間違いなく、応募する側がデザインのことをわかっていない。要するに『趣味』の人である。このような、パソコンソフトを独学で使ってお小遣いを稼ぎたい人にはいいかもしれないが、高い学費と長い日数を費やしてデザインの技術を身につけた人は、このようなものに関わってはいけない。視界に入る全ての人工物をカタチにしているデザインという技術の価値を、著しく落としてしまう。日本という国は、世界の先進国の中でも異常にデザインの価値が低い、という記事を何かで読んだ。「デザインはセンス」などといった抽象的なものでは決してない。デザインとは、目の前にドンと居座る様々なカタチの「モンダイ」を、時には瞬時に、時にはじっくりじっくりと解決していく、類まれなる特殊な技術である。当然、それを行うには専門性の高い知識と技術が必要である。 デザインは一つ一つがオーダーメイドなので、突き詰めると正解があるのかないのかわからない。しかし、不正解は山ほどある。暗闇の中から数点の光の点を見つけ出し、一番大きく輝きそうな道を選び、そこに試行錯誤しながらひたむきに向かい、光の中にたどり着いた時に一つの仕事が終わるのだ。 このようなクラウドコンペは『コンペ』ではなく、単なる『使い捨て』である。人の創造性を搾取するような仕組みは、未来がないので即刻やめるべきだ。そして、このような仕組みを『デザイン業界』のスタンダードだとは決して思わないでほしい。
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ichinskt · 6 years ago
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日本のグラフィックデザインを牽引してきた巨匠 亀倉雄策氏が、晩年に責任編集を務めたデザイン誌『クリエイション』。亀倉氏自身が紙面構成を手がけたというこの季刊誌を最近手に入れた。背筋を伸ばして読もう。
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ichinskt · 6 years ago
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ついに6/15にオープンを控えた、イオンモールいわき小名浜。間違いなくここ数年では、いわき市民の最大の関心事。 巨大な建造物が身近に生まれるという事も、地元民としては興味深い。この場所にこれほど巨大な建物ができるのは小名浜の歴史上初。いったいどんな変化が生まれるのか。 本当は更地の状態から完成までを定点で記録したかったが、アイディアが浮かんだ時にはすでに鉄骨が組み始めてあったので、致し方なし。 1年2か月もの長い間、週に一度、早朝に出かけて行って撮影した。その都度三脚をセッティングする必要があったので、多少画面のガタつきが生まれたのはご愛嬌ということで。 BGMも自分でつくってみました。DTMはほぼ20年ぶり。このためにKORGのアプリを購入。今の時代はこんなにすごいアプリがあるのかと驚いた。当時の僕の音楽制作環境とはまるで違う。当時はいろんな機材を部屋中に広げて、つなげにつなげてケーブルだらけのごちゃごちゃ地獄。今はiPadで優雅にポチポチ。まさに僕は今あの時の未来を生きているのだ。 しかし便利だからといっても表現の仕方(アウトプット)が変わるわけではない。早朝の爽やかな感じと、希望みたいなものを膜の中に包んだような楽曲にしてみた。何度もやり直したけど、まあそういうもんだ。音楽作りは趣味だけどやっつけ仕事はご法度。なんて言ってみる。
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ichinskt · 6 years ago
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 今日、グラフィックデザイナーという職業は、文字を組んだり、デジタルの写真を印刷用に最適化するためのレタッチすることも当たり前に仕事の範疇になった。ほんの30年前までは、文字組は写植屋さんが専門的な技術として文字組のみを行っていたし、写真のレタッチは入稿先のオペレーターさんが行っていた。なぜそんなことになったかというと、パソコンとアプリケーションでそれらが出来るようになってしまったからである。だからグラフィックデザイナーはやることがたくさんあるのである。という愚痴っぽい記事を書きたいわけではない。もちろん、これらの作業工賃はしっかりと見積もりに入れ、文字も写真も美しく読みやすく版面に組み込み、対価を頂くということを定着させないと、僕のような自営のグラフィックデザイナーは経営が危うくなり、結果、地方からプロのグラフィックデザイナーは育っていかない。ということにつながる。それに伴い、本来専門職の技術であった文字組については、活字時代に確立された組版ルール等々を学び、読みやすく美しい文字組を探求し提供することが求められる。嗚呼、こんなことをこんなに長く書くつもりはなかったのに、と言いつつしっかり書いてしまったので、大事なことなのでこの際記しておこう。  さて、本題の文字組についてである。現在、日本の文字組は縦組みと横組みが存在している。なんと世界では珍しいらしく、縦組みと横組みをどちらも使っているのは現在では日本と台湾くらいで、中国も韓国も元々縦書き文化だったのに、もうほぼほぼ横組みが一般的になっているというのである。大正9年に鉄道の切符が横組みに改められたというから、横組みが日本で市民権を得てきてからかれこれ100年程度の歴史となる。現在は、まだ縦組みと横組みが混在しているが、文字をディスプレイで見ることがもっと普及すれば、中国や韓国同様、日本から縦組み文化は著しく衰退するだろう。今、冷静に生活の中の文字組を見てみると、手でめくる新聞・書物のみが縦書きで、スマホ、iPad、パソコンで読むそれらはすべて横書きなのである。僕たちは、「手でめくるなんで古い!それに縦書きで読みにくいんだもん」となるであろう、時代の変革期に生きているのである。とんでもないターニングポイント。日本から縦書き文化が消えてしまう前に、縦組みでイケてる作品を作っておきたいものである。
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ichinskt · 7 years ago
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高畑勲監督が亡くなった日、僕はこの本を買ってきた。宮崎駿の膨大なテキストの最後に、高畑勲氏による寄稿が掲載されている。事細かに、宮崎駿の人物像を書き綴っている。10ページに満たない短いテキストではあるが、飄々と、『友人 宮さん』について書き綴っている。「パクさん、宮さん」。日本のアニメーションを凄まじいクオリティーで切り開いてきた二人の関係は友人やライバルといったものを超えているんだな。妥協なんかしてたらこういう関係にはならない。ほんと、この二人はすげえや。 そして、宮崎駿の文章は、表現が美しくてハッとする。普段、無意識のうちに便利な言葉を選んで使ってしまっている自分に気づいた。もっともっと本を読もうと思っている。
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ichinskt · 7 years ago
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いわき市田人町の綱木(つなぎ)地区にあるクマガイソウ群生地。まるでおとぎの国のような光景に息を飲んだ。
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ichinskt · 7 years ago
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どん天模様の空の下、朝方散歩をしていると、建設中のイオンモールの敷地の中にレールと車輪と踏切警報機が設置されているのを見つけました。ははあ、確かにここにレールと踏切があると妙にしっくりくる。ここがこうなる前の風景が脳内に蘇る。なんともナイスな計らいです。
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ichinskt · 7 years ago
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炒めた豆苗に、生姜とウェイパーと塩胡椒で味付けした料理がものすごく美味くて、私の得意料理なのである。これは食堂 市(私の手料理を振舞う家飲み会。不定期開催)の人気料理になること間違いなしの破壊力を持っているので、たまに試行錯誤するのに家で作るのである。 一度使った豆苗の根の部分を培養してみた��培養と言っても皿に水を張って浸しただけ。さて、「2回目の豆苗」は一体どんな食感なのか。密かな楽しみだ。
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ichinskt · 7 years ago
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デザインの説明って以外と難しい。説明する側もされる側も。より伝えるためには、どんなポイントに気を配れば良いのか。デザインを組み上げていく過程を整理してわかりやすく解説してくれる。さらにベーシックなデザインのロジックも学べるという、意外とありそうでなかった本でした。デザイナーでなくても、書類やパワポを作る時にお悩みの方にもオススメです。 なるほど度:☆☆☆☆☆
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ichinskt · 7 years ago
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初めて小名浜港の遊覧船に乗った。僕が子供の頃の小名浜港とはまったく違う景色になっていることに海から見て改めて気づいた。イオンもアクアマリンもららミュウも美食ホテルもなかった。あの頃の港は、ボロっちい倉庫が並び、干からびたヒトデが落ちていた。30年で大きく変わった。あと1ヶ月ちょいでイオンモールがオープンする。
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ichinskt · 8 years ago
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小名浜の三崎公園の足元にある『松下海岸』。ここは数年間、封鎖されていた。理由は、愚かな市民がここでバーベキューをやって汚しに汚したり、スプレーで落書きなどをしたためである。今年ようやく封鎖が解かれた。しかし解放されている時間は限定されている。警備員と見張室が設置された。こうして愚か者のために無駄な税金を使う羽目になるのである。 今日はとても素晴らしい夕日が拝めた。
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ichinskt · 8 years ago
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いわき芸術文化交流館アリオスの広報誌『アリオスペーパー』。僕は今年度からデザインチームの一員としてデザインを担当しています。今回はP3からP6までの4ページを担当しています。 表紙はいわき市にある『絵本美術館』。この施設は安藤忠信設計。13000冊の絵本を所蔵する施設です。
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ichinskt · 8 years ago
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茨城県北芸術祭。常陸大宮市の旧家和楽青少年の家の展示が圧倒的だった。27000本の金属で作った植物が並ぶザドック・ベンの作品。
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