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ぼくにとっての最大のわさみん効果
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とは、岩佐美咲を知って好きになったことを経由して、関連する演歌・歌謡曲方面への懐古的な興味がフル復活したこと。懐古だけでなくコンテンポラリーな新世代にも親しむようになったし、わさみん本人がどうこうっていうよりそっちのほうがぼくにとってはほんとデッカいことなんです。
じっさいわさみんはシングルのカップリングやアルバムで多数の演歌・歌謡曲スタンダードを歌っているし、ライヴ・イベントでもそう。だから自然とそれらの元歌手を聴くようになると思いますよ。そんな際いちいちCDやレコード買わなくても、思いついたらその場ぱぱっとサブスクで聴けるというのもマジ大きいです。
テレビやラジオ(の番組はもう聴いていないんだけど)でもわさみんはやっぱり演歌・歌謡曲系の歌手と共演することが多いし、そんなこんなで、美空ひばり都はるみ 〜 宇多田ヒカルや椎名林檎 〜 YOASOBI、オフィシャル髭男dismまで歌いこなすわさみんについていくと、とうぜん古今のJソングにくわしくなるはず。
音楽にかんしては根が貪欲なたちですから、わさみんヴァージョンで飽き足らず、オリジナルはどんなだっけ?ほかにどんなヴァージョンがあるの?とか、サブスクだと歌手名でも曲名でも検索できてサービスにあるやつはぜんぶ一覧で出てきますから、あらいざらい聴くようになりました。
インターネットのソーシャル、特にTwitterですけどわさみん関連、たとえば所属している長良プロダクションや徳間ジャパンはもちろんフォローしているし、関連する演歌・歌謡曲系アカウントをかなりたくさん追いかけるようになってみたら、それで情報がどんどん流れてくるんですよね。
結果知るようになった歌手や曲、アルバムは、そりゃもうたっくさんあって、ちょっとおもしろそうかも?とあたまにかけらでも浮かべばそのままSpotifyで検索し、パッと聴ける。ないものもけっこうあるけど(水森かおりはなぜ一曲もないの?)あるものをかけて、聴き込めばそれなりに感想がうかび、文章化につながったり、つながらなくても人生が充実するようになりました。
それがここ七年ほどブログで展開している演歌・歌謡曲関連記事の正体。「すべて」源泉をたぐればわさみんきっかけで直接間接的に知り聴いてみたっていうのが理由ですよ。一見わさみんに関係していなさそうでも。探究心旺盛なぼくの性格もあるでしょうが、わさみん推し活の自然な成りゆきだと思いますね。
(written 2022.12.30)
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ステレオタイプ化し先細る演歌界でタコツボを脱するには
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フィジカルの新聞はもう10年以上購読していませんが、朝日新聞デジタルでこないだ演歌歌手、神野美伽(しんのみか)のインタヴュー記事を読みました(↑)。我が意を得たりというか、とても強く納得するものがありましたよねえ。
特に記事後半で、演歌界のかかえる現代の課題が指摘されている部分。神野だけの認識じゃありません、演歌はよりひろくより若い世代へとファンを拡大させることなく、どんどん衰退の一途を続けてきたというのが事実。現実(インターネットが苦手というような)日本人年金受給世代にしかファンはいないといってもほぼさしつかえないくらい。
70代以上でも演歌ファンは特殊化されてきていると神野は発言しています。原因の一つとして「作っている我々がカテゴライズし過ぎた部分はある」と。演歌歌手というお決まりのパターンにはめ込みすぎたせいで、演歌イメージがステレオタイプ化しているのは事実だろうとぼくも以前から感じています。
そのせいで「コアな一部の人のための音楽になってしまったのではないか」と演歌界の現状を神野は分析しています。「演歌とはかくあるべし」〜 そんなイメージが固定化されたのが現代。とりあえず着物をまとい、ゴージャスなサウンド(コンピューター&シンセサイザー代用であれ)に乗せて劇的に歌うっていう、そんな固定観念。
これは旧世代の話じゃありません。むしろ最近登場した若い世代の演歌歌手のほうがこうした「演歌はこうじゃないと…」っていうステレオタイプにとらわれています。それで、まず着物だと。おそらく本人の意思というより、レコード会社や事務所など周囲の製作陣の発想が固定化されているためでしょう。
なんたってだれあろうぼくらのわさみん(岩佐美咲)にもこれはあてはまることですからね。ヴォーカルこそ新世代感に満ちているものの、着物姿、ゴテゴテしたケバい派手目サウンド、とりあえずのアクースティック・ギター弾き語りなど、まさしく演歌の固定イメージ一直線。ファンだってそれを求めているようなフシがありますから。
わさみん本人もそれを意識しているとみえ、「演歌歌手」というある種の role を演じてみせているようなところがあります。もちろん声や歌はごまかせないので、持っている新世代感が素直に出ていますけど、ただでさえコロナ時代になって活動が停滞するようになっていますから、このままじゃタコツボ化するばかりで未来がありません。
どこに打開のヒント、処方箋があるか。上記リンクの神野美伽インタヴュー記事では、最新作で江利チエミをカヴァーしていることに触れ、美空ひばりとかチエミとかの1950年代、つまり演歌がまだジャンルとして確立もしていなかった時代に活動をはじめた歌手たちに、実は現代の演歌歌手も突破口を見出せるんじゃないかという意味のことが書かれています。
それを踏まえれば、そもそもヴォーカル・スタイルや歌手としての才、資質では抜群に多ジャンル接合的で、秀でて現代的だったわさみんには、そういうやりかたが可能であるはずとぼくは思います。卒業して七年、AKB48出身という大看板ではもはや商売できなくなったいまこそ、幼少時代から歌っていたという本来の持ち味を活かせるときだと思うんですけどね。
(written 2022.10.24)
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事前録音オケのすきまに飛び込むのはむずかしいはずだけど 〜 岩佐美咲「初酒」
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岩佐美咲 / 初酒 https://open.spotify.com/album/1L306YUGFppfJ5zdR8KmQz?si=xHzN40S8QtKzKa9G7wy6_w
ヤバいヤバい八月も下旬だというのにまだ岩佐美咲関係の記事が一個もないよ〜。うっかり月が終わってしまうところでした。毎月一個のペースを心がけたい、それがぼくの推し活だと思っていますから、きょうなんとか書いておきましょうね。
美咲の歌の伴奏は、ライヴ現場なんかでも(少数の例外を除き)基本カラオケなんですけど、だから事前に完成済のスタジオ・ヴァージョンと同じ演奏を美咲は聴きながらそれにあわせて歌っています。この事実を踏まえると、この曲のこのパートはちょっとむずかしいんじゃないか、それなのに完璧だと思うものがありますね。
典型例が「初酒」(2015)のエンディング。マイ・モスト・フェイバリット美咲ソングなだけあって、日常的に実に頻繁に聴いているんですが、これの終わりで「二人二人で〜」・「やるかぁ〜」のこの二つのフレーズのあいだストップして空間ができているでしょう。ここ。
「やるかぁ〜」は伴奏がストップして無音のところに飛び込むように歌い出されるんですけど、歌いはじめのタイミングを計るのがちょっとむずかしいだろうと思うんです。これは「初酒」をカラオケ(第一興商DAM)で歌ったことのあるみなさんなら実感されていることのはず。
ずっと同じ定常テンポに乗っているのであればブレイクが入ってもそのままいけるんですけど、「初酒」のそこはいったんビートが止まって全休止になってしまいますからね。伴奏のオケが再開するのにあわせてそれがはじまらないうちから声を出すのは勇気いりますよ〜。タイミングどんぴしゃはむずかしい。
そらあれだおまえ、おまえが素人だからそう思うんだろう、美咲はプロだぞ、もうなんかい「初酒」を現場で歌ってきたと思ってんだ!(なんかいだっけ?わいるどさん)と言われそうですが、こういうのは熟練のプロでもピッタリあわせるのがむずかしいんだというのを、ジョンが歌うビートルズの「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」(『ホワイト・アルバム』)で理解していますね、ぼくは。
あの1968年ごろからのビートルズはマルチ・トラック録音技術の進展にともなって、事前オーヴァーダビングのく��かえしで伴奏を完成させておいてから最終盤でヴォーカルだけ録音するというやりかたをとりはじめていました。「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」もそう。この曲もエンディングで美咲「初酒」同様のテンポが止まる空白があって、そこにジョンの声が飛び込む仕組みになっているんですね。
ジョンは完璧にタイミングをあわせられておらず、事前録音のバンド演奏カラオケとほんのちょっとだけズレちゃっていますからね。やりなおすこともできたはずですがそのまま商品としてリリースしちゃうっていうギクシャクがいかにもあのころの内紛まみれだったビートルズらしさを物語るところ。
こんなパターン 〜 エンディングで伴奏がいったんストップしてテンポのない空白となり、一瞬間をおいてから歌手が歌い出し、あわせて伴奏も再開するという 〜 この手のアレンジは、実はよくあるもので、なかなかドラマティックで感動的に聴こえるものですから、歌の世界では頻用されています。
歌も伴奏もその場での同時ナマ演唱であれば、事前にリハーサルを重ねておいた上で本番では歌手とバンドが呼吸をあわせていけばいいんですけど、事前録音済のカラオケ使用だと、バンドのほうがあわせるということはありえないんですね。だから歌手側が工夫して慣れていくしかないんですよね。その点「初酒」での美咲はいつもパーフェクト。
(written 2022.8.24)
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岩佐美咲の全曲歌いなおしアルバムをぜひ
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岩佐美咲 / オリジナルズ https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=9700298639e94c8c
はじめから岩佐美咲のために用意されたオリジナル楽曲は、2022年7月現在、ぜんぶで10曲(えっ、まだそんなもん?)。これをですね、10曲すべてまとめて、ヴァージョン・アップされたいまの美咲の歌唱でやりなおしたのを聴きたいという願望がぼく(やその他ファンの一部)にはあります。
っていうのは、たとえばデビュー曲「無人駅」は2012年のもので、その後一年一曲のペースでリリースしてきているわけですが、美咲の表現がほんとうにしっかりしたまろやかな輝きと深みをみせるようになったのは、たぶん2017年か18年あたりからなんですね。18年11月の四国 2 days をきっかけに19年いっぱい、美咲のコンサートや歌唱イベントなどにさんざん通いつめて、ぼくもこれを実感していました。
CD(そのころ配信はまだされていなかった)で聴くのと比較して、こりゃぜんぜん違うやん、特に「無人駅」「もしも私が空に住んでいたら」「鞆の浦慕情」といった初期名曲は、現場で聴くと愕然とするくらい差があるんです。もう比較にならなかった。別の曲じゃないかと。断然いまの歌のほうがいい。
それで上で書いたような願望をいだくようになったんですが。デビュー期の美咲は、大器の片鱗をのぞかせはするものの、まだまだ磨かれている途上のダイヤの原石みたいなもんで、発声や歌いまわしもやや単調で雑&未熟。曲とプロデュースがいいのでそこそこ聴けますし、それしか知らなかったらこんなもんだなと思うでしょうが、2019年現場ヴァージョンを聴いてしまったら二度と同じ気持ちじゃいられません。
だから、全10曲、いまの美咲のみごとなヴォーカルで歌いなおしたものをアルバム収録して、そういう企画で、リリースしてくれたらこんなにうれしいことはないぞという、そういう気持ちを持っているのはぼくだけじゃないはず。近年現場での美咲の歌を聴いているファンだったら。
このことが具体的に実証できたのは2019年のアルバム『美咲めぐり〜第2章』(初回盤)でのこと。「ごめんね東京」「初酒」「もしも私が空に住んでいたら」の近年ライヴ・ヴァージョンが収録されていますが、声のノビといいハリといい艶といい絶品で、初演とは比較にならないすばらしさだとみんなが納得したんじゃないでしょうか。
ああいったのをですね、10個の全楽曲で聴きたいんですよ。もちろんスタジオでの歌いなおしじゃなくライヴ・コンサートで収録するのがいいと思います。レコーディング・スタジオでの気持ちのつくりかたってなかなかむずかしいんだとマイルズ・デイヴィスなんかも言っていましたが、歌手音楽家ならこのことを実感しているんでしょう。
美咲はこれまたファンの聴いている眼前で実力を発揮することが多い歌手で、うまいぐあいにリラックス感とほどよい緊張が入り混じる楽しい現場だと、声に輝きが増すんです。黄色いハッピと拍手、声援(はいまダメだけど)あってこそ、それをエネルギーにして声に元気を出せる存在ですから。
もちろん10曲ではコンサートが成立しないので。あ、いや、わざわざ歌いなおしのための収録用コンサートということでそれだけでやれるかもしれないです。+αでもうちょっと歌ってもいいし、とにかくそうした近年ライヴ収録で美咲のオリジナル楽曲トータル10個をやったものをすっごく聴きたい。お願いします、徳間ジャパンさん!
(written 2022.7.19)
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しあわせふしあわせあわせて人生さ 〜 岩佐美咲「初酒」
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岩佐美咲 / 初酒 https://open.spotify.com/playlist/4NBCjQqqne9ZbXk7ZnNqTn?si=7428c022ef284c14
岩佐美咲の全オリジナル楽曲10個のうち、愛好度どんどん増しなのが「初酒」(2015)。ファンにより、やっぱりデビュー曲の「無人駅」がいいとか、最大のヒット曲「鞆の浦慕情」がすばらしいとか、常に最新楽曲を推したい(いまは「アキラ」)とか、さまざまだと思いますけど、ぼくにとっては「初酒」。前から好きだったけど、このごろますます。
なにがそんなにか?って、秋元康の書いた歌詞がぐっと胸に迫るというか癒しなんです。1コーラス目出��しでいきなり「生きてりゃいろいろとつらいこともあるさ」。このテーマに沿った歌詞が最後まで展開されます。つまり、生きづらかったり苦しんでいたり孤独に悩んだり、そういうひとのための歌なんですね。「しあわせふしあわせあわせて人生さ」。あたりまえのことだけど。
そもそも美咲の曲ってほとんどぜんぶが暗い悲恋、失恋、苦恋ばかりで、もうそれしか歌っていないんじゃないか、なんだったらそっち分野専門の歌手なんじゃないかと思いたくなるほどなんですが、それはたぶん制作サイドが演歌の常道、定型にはめているというだけのことなんでしょう。
それなのに「初酒」だけは例外。ずんどこ調のビート(はこの「初酒」に出会うまで嫌いだった)は前向きの推進力をもった人生の応援歌で、メロディ・ラインもそう。またねえ、それを歌う美咲のヴォーカルが、初演ヴァージョンではなにげなくストレートにこなしていますが、近年ライヴでは声質やトーンを曲のなかで歌詞の意味にあわせさまざまに使い分けるようになっていて、ピンポイントでこちらの弱点をついてきます。
1995年生まれの美咲にとって、成人してお酒が解禁になった年のリリース曲だったもので、秋元はじめ制作陣も、じゃあお酒をテーマにちょっと一曲といった程度のきっかけにすぎなかったはず。それがいまでは人生の辛苦をなめてきた人間にはこの上なく沁みる歌へと成長しました。
このことを強く実感したのはナマ美咲初体験だった2018年2月4日の恵比寿ガーデンホール。昼夜二回のコンサートだったんですが、その開幕昼の部のオープニングが「初酒」だったんです。あれでぼくの涙腺は崩壊しボロボロに泣いてしまって、となりにすわっていたかたのその後のお話では「周囲半径2メータくらいにいたお客さんはみんな気づいていたと思います」。
2019年秋リリースだったCD『美咲めぐり〜第2章〜』(初回限定盤)には、ちょうどそんな時期のライヴ・ヴァージョン「初酒」が収録されているので、いかにこのころの美咲の歌がすばらしかったか、手元のパソコンでワン・クリックしさえすりゃ味わえます。
もう初演のスタジオ録音とはぜんぜん違って、声に華やかさや艶がこもっているんですね。明るさや輝きもグンと増していて、笑みすら聴きとれるヴォーカル・トーンでこんな歌詞をそっとやさしくぼくらの心の芯奥に届けてくれる美咲のやさしさが沁みてきて、だからこそ「初酒」みたいな内容の歌がいっそうの説得力をもって響いてくるんですよね。
(written 2022.5.27)
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岩佐美咲のギター・ソロを飛ばしたら…
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岩佐美咲 / オリジナルズ https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=5ecb475734934c74
なんでもウワサによればサブスク使いの若い音楽リスナーは、曲中のギター・ソロを聴かずスキップしちゃう、もうそういうのは人気ないんだそうで、しばらく前Twitterのぼくのタイムラインでは話題になっていました。
そのときはほとんどすべて「えっ、それじゃあちょっと…」という熟年ファンや届け手の音楽家サイドが違和感や開き直りを表明していたわけです。(クラシック・ロック由来の)ぎんぎんエレキ・ギター・ソロがとどろきまくるような音楽なんか、もはや時代遅れである、のかどうかはまた別な機会に考えたいと思います。ぼくは好き。
実はある時期以後の演歌もぎゅいんぎゅいんの(つまりファズなど歪み系&サステインなどエフェクターを効かせた)エレキ・ギターと相性がいいわけで、御多分に洩れず岩佐美咲のばあいもそれがいえます。だからその〜、新世代演歌歌手ではあるんですが、古式ゆかしきというか、演歌の従来ステレオタイプに沿ったサウンド・メイクがされているんですね。美咲の編曲はすべて野中”まさ”雄一。
そもそも歌のあいだに(ギターにかぎらず)「聴かせる」楽器ソロがはさまっているっていうような曲のつくり、アレンジ手法がもう古いので敬遠されるようになったという世界的ニュー・スタンダードがあるかもしれませんが、それはそれ、美咲のシングル表題曲全10個から飾ったエレキ・ギター・ソロが聴けるものを抜き出してリストアップしてみました↓
「無人駅」前奏、間奏 「鞆の浦慕情」間奏がまる��ジョー・ウォルシュ(「ホテル・カリフォルニア」) 「初酒」(アクギだけど) 「ごめんね東京」間奏(ごく短い) 「佐渡の鬼太鼓」(ほんのちょっとだけ) 「恋の終わり三軒茶屋」(ギターじゃなくサム・テイラーふうのむせぶテナー・サックス) 「右手と左手のブルース」(アクギ)
あんがい少ないというか、ぼんやりした印象としてはもっとたくさんあると思っていました。じっくり検証しなおすと上記のとおりなんですね。このうち、ロック・ギター界隈で多用され一種のイコンのようになった(のは過去の話かもですが)ファズ&サステインの効いたエレキ・ギター・ソロがあるものというと、「無人駅」「鞆の浦慕情」の二つのみ。
う〜ん、たったそれだけか。ぼくの抱いていたのは根拠のない先入見だったんですか。裏返せば「無人駅」「鞆の浦慕情」のパワーは強く、ファンのあいだでも大きな影響を持ってきたということかもしれません。前者はデビュー曲、後者は最大のヒット曲ですから。
「無人駅」ではイントロ出だしのうずまきのようなストリング・アンサンブル(は歌謡界に多い)に続きいきなりぎゅわ〜んとギターが鳴りますから、短いものだけど聴き手へのインパクトが大きいです。間奏のソロは、まずマンドリンふうの弾きかたをするアクギに続き、前奏同様のエレキ・ギター。
これがデビュー・シングルで、いままでの全岩佐美咲活動中最も回数多く歌われているものなわけですから、美咲=エレキ・ギター、というイメージが焼きついてもある意味ムリはありません。
そんなイメージがもっと強烈なのが「鞆の浦慕情」。これの間奏におけるエレキ・ギター・ソロはですね、はっきりいってだれが弾いているのかとても知りたいぞ!と思うほど本格的。スタジオ・セッション・ギターリストがちょろっとお仕事的にやっつけたというような感じではありません。
たとえれば(実は演歌界に多い)イーグルズの曲「ホテル・カリフォルニア」(1976)で弾きまくるジョー・ウォルシュのようじゃないですか。美咲のオリジナル楽曲を聴いていてぼくがいちばん好きな時間の一つ。スキップしたら魅力半減ですよ。
一部識者がときおり指摘してきたような、エレキ・ツイン・リードが炸裂する「ホテル・カリフォルニア」が日本の演歌アレンジにおよぼした影響とその痕跡については、ぼくも一度じっくり考えてみたいとかねてより考えていますが、岩佐美咲という新世代歌手でもこの法則があてはまるのかもしれませんよね。
(written 2022.5.26)
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This is 演歌第七世代
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This is 演歌第七世代
https://open.spotify.com/playlist/2tL0MOVSbdg1kkipEYWpPo?si=35d75ed49c804696
さてさて、きのうは「これが演歌だ」という古典的なスタンダードどころを30曲まとめてド〜ンと聴いたわけですけど、記事のおしまいで軽く触れておきましたように、2010年代以後、演歌のヴォーカル・スタイルも時代にあわせてアップデートされるようになっています。
それがいはゆる「演歌第七世代」。これについては以前くわしく書いたことがあるので、具体的な歌唱特性や活動様式など、ぜひそちらをご一読いただきたいと思います。岩佐美咲をその先駆けと位置づけた内容です。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/11/post-46c7a9.html
具体的にどんなもんなの?どういった歌なのかちょっと聴いてみたいんだけど?というみなさんのために編んでおいたプレイリストがいちばん上でリンクを貼った「This is 演歌第七世代」というわけです。全14曲、約58分。
演歌第七世代の代表的名曲は、中澤卓也(1995〜)の「青いダイヤモンド」(2017)だとぼくは思っていて、これは曲も最高だし、さわやかメロウな声の質といいソフトでありながら強さも感じる歌いまわしのチャーミングさといい、歌手として間違いなく次世代の日本歌謡界を背負って立つ資質の持ち主が卓也です。
「青いダイヤモンド」はマジ曲がこれ以上ないほどすばらしいんですよね(田尾将実作曲)。さわやかで涼しげな調子、しかもサビ部分で軽く効いているグルーヴィなラテン・ビート香味がえもいわれぬ快感で、もうたまりません。パッと青空が開けたよう��爽快感とノリのよさがただよい、卓也の甘くソフトなミラクル・ヴォイスでとろけてしまいます。もうこればっかり聴いてしまう。
第七世代の先駆とぼくは考えている美咲と、そんな卓也を三曲づつ選び、そのほかはこの分野で名前が一般的にあがる歌手たちを一曲づつ入れておきました。似たようなスタイルを持つ若手演歌歌手はたくさんいて、あきらかに演歌新世代という潮流があるのを感じさせるんですが、キリがないので代表的な存在だけに限定しました。
例外は二曲入れた辰巳ゆうと。第七世代的なあっさり淡白で薄味の演歌は代表曲「誘われてエデン」で味わえますが、今2022年の新曲「雪月花」にはやや驚くかもしれません。まるで50年くらい時代をさかのぼったような、浪曲ベースの古典演歌そのもので、こりゃいったいどうしたんでしょう。
ゆうとだけでなく、氷川きよしその他の新曲にも同様に古典回帰傾向がみられますし、どうもひょっとしたら今年以後こうしたクラシカルな演歌復興がこの世界のニュー・トレンドになっていくのかも?という可能性を感じないでもありません。もうしばらく観察してみないとなんともいえませんけども。
ともあれ、ここ10年ほどの大きな流れである「第七世代」に代表される演歌界の新潮流。これが確固たるものになってきたというのは、だれも無視できないしっかりした事実に違いありません。これで、ファン層が固定的で高齢化している演歌が、若年ファンを獲得できるでしょうか。
(written 2022.4.6)
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全岩佐美咲史上最高 〜 「初酒」と「もし空」ライヴ in『美咲めぐり ~第2章~』
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https://www.amazon.co.jp//dp/B07X3QG47M
日常的に頻聴している自作プレイリスト『岩佐美咲 / トータル・ベスト2021』。全10曲の持ち歌と「さよならの夏」(with セシル・コルベル)以外どれもこれもサブスク配信されていませんから、CDからパソコンにインポートして、それをiPhoneにも移しどこででも聴けるようにしてあります。
そして、実はそれをSpotifyアプリでも再生できるようにしてあるんですね。といっても11曲以外はすべてローカル・ファイルなんでぼくのディバイスでしか聴けないはずですが、どんな曲を選んでどういう順で並べてあるのか?と思ったかたは以下をご覧あれ↓
https://open.spotify.com/playlist/7w7baOGJaSo9iz09O1EwfI?si=70a5c07f87d8484e
12曲目以下のローカル・ファイル・パートはぼくしか聴けないはずと思うのに、七個のライクがついているのはなぜなんだろう?ともあれ、これを聴くたび感動で惚れ惚れと深いため息をもらすのが、ラストにおいた二曲のライヴ・テイク「初酒」と「もしも私が空に住んでいたら」です。2019年のアルバム『美咲めぐり ~第2章~』初回盤収録。
この二曲のライヴ・ヴァージョンが、もうあんまりにもすんばらしすぎると思うんですよね。「初酒」は3rdコンサート(2017年7月22日一部公演)、「もしも私が空に住んでいたら」は4thコンサート(2018年2月4日一部公演)より。後者はぼ���も現場で生体験しました。
個人的な意見ではありますが、『美咲めぐり ~第2章~』初回盤に収録されたこれら二曲こそ、全岩佐美咲史上の最高傑作だと思うんです。前にもそう書いたことがありますが、なんどでも言いたい、そうせずにはいられないくらい、好き!美咲のヴォーカルが、この世のものとは思えないチャーミングさです。
チャーミングといっても、いはゆるかわいい系のという意味ではなくて、演歌歌手としてしっかりした艶やかな歌を聴かせているということです。この二曲は、ちょっと聴いてみるだけでタダゴトじゃないぞというオーラをまとっているとわかるはず。
声のノビやハリが最高にすばらしく、これらを歌った2017〜19年ごろは美咲が歌手キャリアでピークにあった時期だと思うんですよね。コロナ禍以後は活動停滞で落ちてきていますから。そこいくと2019年秋にリリースされた『美咲めぐり ~第2章~』収録のこれらライヴ・テイク二曲は絶好調だった時期。
そのころのコンサートや歌唱イベントなどに通い最新の美咲歌唱を聴いていた(ぼくをふくむ)ファンからは、初期のオリジナル楽曲はまだ未熟だった時期にレコーディングされたもので、近年は著しく進化しているので、もう一回録音して発売しなおしてほしいという声が多くあがっていました。
スタッフや会社サイドもそうした美咲の進化を現場で聴いて納得していたのでしょう、2019年のアルバムに近年ライヴ・ヴァージョンが収録されることになり、ぼくらは快哉を叫びましたよね。実際、美咲は艶ややかな声であざやかな歌を聴かせてくれていて、オリジナル・シングルとは比較にならないできばえ。
「初酒」も「もし空」も声が美しく輝いているし、しかもフレーズ終わりごとにほんのり軽く弱いヴィブラートを、それとわからない程度にふわりと効かせながら、す〜っとナチュラルにデクレッシェンドしていく技巧もこのころが最高期。強く言いきかせるように歌う部分とそっとやさしく寄り添うようにおいてくる部分との緩急も自在。
特にアルバム・ラストの「もし空」には降参です。これを締めくくりに持ってきたということは、制作サイドも最高傑作であるという認識だったんじゃないかと確信します。歌の理解度・表現力が格段に向上していて、2019年のアルバム発売当時ぼくらが現場にどんどん通って聴いていたあのころの最新歌唱になっています。
1コーラス目の「宿の窓辺からそっと見送るぅ〜」の最後「ぅ〜」部分での声の伸びやかさなんか、異次元というかもう異様とも思えるほどのあざやかな艶と色気が込められていて、そのままサステインしながらす〜っときわめて自然に弱くなっていく、その時間はほんとうに美しく幸福。
2コーラス目「月に一度の逢瀬を重ねて、手に入れたものは偽名と孤独」部なんて、この上なく表現が深まっているし、「偽名と孤独」部で「こど、くっ」と切なげに声をそっとかすかにやさしくおくことにより、主人公の哀しみが色となって鮮明に、しかしほんのりと、リスナーに伝わります。
(written 2022.2.24)
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わさみんカヴァーズをサブスクに
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Spotifyなどサブスクで聴けるわさみんこと岩佐美咲は、全10曲のシングル表題曲(+1)だけ。これではあまりにもったいない、むしろカヴァー曲やアルバム収録曲などをこそサブスクで聴けるようにしてほしいという声はそこそこあります。
わさみんカヴァーズのなかには超絶名唱としてファンのあいだで語り継がれているものだってあるんですから。おおまかに濃厚抒情演歌系とライト・ポップス系に大別できると思いますが、ヴァーサタイルな歌唱能力を持つ美咲はいずれも同じように歌い同じようにぼくらを感動させてきました。
濃厚抒情演歌系では、やはりなんといっても「風の盆恋歌」(「佐渡の鬼太鼓」特別盤C、2018)が絶品。石川さゆりが初演ですが、切なく哀しい実らない恋情をつづったこれはわさみんの持ち味にピッタリですし、実際、2018年2月恵比寿でのコンサートで披露したとき、ぼくをふくむその場にいたファンはみんな泣いたんです。
あまりにもすばらしかった、ぜひまた聴きたい、発売してほしいとの声が高まり、それを受けるようにスタジオで歌いなおしたものが同年八月にCDリリースされました。しかしこれもサブスクにはなし。どんなに絶品だと言おうともちょこっと試聴してもらうことなどかないません。CD買ってよ、と言うしかなく、いまどきもはやそんなのねえ。
「旅愁」(「佐渡の鬼太鼓 」特別盤A、2018)や「遣らずの雨」(「恋の終わり三軒茶屋 」特別盤B、2019)もすばらしいできばえ。もともと美咲はずっと前からこの手の演歌を歌うときに才能をみせてきた歌手で、一枚目のアルバム『リクエスト・カバーズ』(2013)からすでに「越冬つばめ」みたいな佳品がありました。
その後も『美咲めぐり ~第1章~』(2016)にも「北の螢」「なみだの桟橋」があったし、同時期に発売された「石狩挽歌」(「鯖街道」通常盤、2017)もみごとな歌唱でしたが、しかしどれもこれもCD買うしか聴く方法がないんですからね。んも〜、徳間ジャパンのいけず!
ライト・ポップス系なら、たとえば「20歳のめぐり逢い」(「初酒」生産限定盤、2015)なんか、もう最高じゃないですか。そしてなんといっても「糸」!これ、これですよ、美咲史上最高傑作かもしれないとの声まであるこれこそ、サブスクで聴けるようにしてほしい第一位。2017年5月の弾き語りコンサートで披露され、それが録音されてそのまま同年の「鯖街道」(特別記念盤)に収録発売されました。
美咲のこのヴァージョンの「糸」は、同曲全歌手全カヴァー中でもNo.1といえるんですけど、サブスクにない以上、ぼくらファンがどれほど絶賛しようとも美咲を知らない音楽リスナーが手軽にちょっと聴いてみることなどできません。
美咲のこの���糸」にかんしては、やや苦い思い出があります。ブログでたびたびとりあげて称賛してきましたが、たまたまあるとき2021年にあるかたとおしゃべりしていて、ブログ更新のSNS通知でみかけたんだけど、どこで聴けますか?すごくいいんでしょ?えっ、CDしかない?う〜ん、それじゃあねえ、もういまどきCDじゃないとっていうのはちょっとね、と言われ、結局そのまま退かれてしまいました。
せっかくちょっとだけでも興味を示してもらうチャンスが来たら、それを逃さず聴いてみてもらうことが肝心だと思うのに。みすみすあきらめるしかないなんてね。
そのかたはApple Musicの常用者だったんですけど、ホント、こういうことが間違いなく日常的に頻発していると思いますからね。ちょこっと興味を示されることがあっても聴いてもらえない。聴かれなかったらどうにもなんないでしょ、音楽なんだから。どうか公式発売された美咲の全楽曲をサブスクに入れてほしい>徳間ジャパンさん!
「風の盆恋歌」とか「20歳のめぐり逢い」とか「糸」とか、ちょちょっと耳にしてもらうことさえできれば、美咲がどんだけすばらしい歌手なのか、わかっていただけて、ファン拡大に、つまりひいては売り上げ増につながるのは間違いないと思うんですよ。
(written 2022.2.23)
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すべては美咲のおかげです(3)
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(1)https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-bea670.html
(2)https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-dbd52e.html
わさみんこと岩佐美咲のおかげでできるようになったこと、わさみんが導いてくれたこと、たくさんあります。演歌歌謡曲系の世界にふたたび没入するようになり、いままで知らなかった美品とたくさん出会えているというのも、そのひと��。
それら、わさみんにハマらなかったら、どれも知るのがもっと遅れたか聴かないまま生涯を終えていただろうっていう。そう考えると、わさみんの重要性、わさ推し活の大切さがよくわかりますね。わさ活とはCDやグッズ買ったりイベントなど現場に参加してお金使ったりすることだけじゃありませんよ。
わさみんがカヴァーする歌のオリジナルを聴いたり、関連領域をディグすることだって、立派なわさ活です。わさみん由来なんですから。
演歌とか歌謡曲とか(J-POPでもいいけど)ぼくは長年遠ざけていました。もともと17歳で電撃的にジャズ・ファンになる前は、テレビの歌番組で聴けるそれらを楽しんでいたというのにねえ。山本リンダ、沢田研二、八代亜紀、山口百恵、ピンク・レディーなどなど、10歳ごろからしばらくのあいだ、ぼくの思春期そのものだったんですけど。
ジャズに夢中になり、関連するブルーズとかラテンとかロックとかワールド・ミュージックとかのレコードを買いまくるようになると、徐々にテレビの歌番組から遠ざかるようになり、17歳になるまでは買っていた45回転のドーナツ盤に見向きもしなくなりました。
そればかりか、シングル曲中心の演歌歌謡曲の世界は見下してバカにするようになっていきました。おおみそかのNHK『紅白歌合戦』も横目でチラ見しながらケッ!とか思うようになったり、そもそも見なくもなり、そんな具合で長い年月が経過していったんです。
それこそ20歳前ごろから40年近く。2017年初春にわさみんに出会うまではずっとそうでした。
考えてみれば、ぼくの音楽好き素地はこども時分にテレビの歌番組で聴く演歌や歌謡曲で養成されていて、音楽愛好家気質もそれで地固めができていたのに、ジャズにハマってずいぶんと恩知らずをはたらいていたもんです。
わさみんがそんなぼくを、もといた本来の世界へと連れ戻してくれたんです。わさみんがどんどんカヴァーする過去の流行歌を聴き、オリジナルはどんなだっけ?とさぐって聴くようになったし、関連する演歌歌謡曲系アカウントをたくさんフォローするようになったので、自然と情報が入ってきて、聴いています。
わさみんと同じくらい惚れ込んでいる中澤卓也だって、出会ったきっかけは2019年8月の「DAMチャンネル演歌」公開収録現場に(わさみんが主役だったので)出かけていったからにほかならず、あの場でたくさんの演歌歌手を聴き、一部はその後フォローするようになりました。瀬口侑希だってそう。
坂本冬美や徳永英明そのほかを聴くようになり、特に坂本昌之がアレンジした作品なんか、もうほんとうに極上の美しさだなぁと心底惚れ込んでいるのだって、そういう世界へ戻ってくるきっかけをわさみんがつくってくれなかったら、知らないままだったはず。
そもそも坂本昌之という天才アレンジャーの存在にすら気がつかなかっただろうし、坂本を知らなかったら近年の由紀さおりのアルバムのすばらしさも知ることなくぼくは人生を終えていたでしょう。あんな美しい世界と縁がないまま死ぬなんて絶対にイヤですけど、きっとそうでした。わさみんに出会わなかったら。
そう、だから、すべてはわさみんのおかげなんですよ。
(written 2022.1.13)
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岩佐美咲のライヴでの写真撮影を認めてほしい
写真は岩佐美咲オフィシャル・ブログより
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日本人歌手のご多分に洩れず、岩佐美咲の歌唱イベントやコンサートやディナー・ショーなどでも開演中の写真撮影は固く固く禁止されているわけですけれど、考えてみたら、自由に撮れるようにしたほ��がいいんじゃないか、そのほうが本人や事務所(長良プロ)やレコード会社(徳間ジャパン)にとっても実は利益になるはずです。
どうしてか?というと、ファンやその他来場者がどんどん撮影してInstagramやTwitterなどソーシャル・メディアに上げれば、それを偶然目にしたひとが「あぁ、これはかわいいな、だれ?」「きれいじゃないか」「楽しそうだ」と思う可能性がじゅうぶんあります。そうか岩佐美咲っていうのか、じゃあ今度自分も現場に行ってみようかな?CD買ってみようか?となって、ファン拡大につながります。
それにですね、中澤卓也など一部歌手と違い美咲のイベントやコンサートにはオフィシャルのカメラ・パーソンが入っていないんですよ。だから当日の歌唱風景がまったく出まわりません。スタッフ(マネージャー?)がちょこっと一枚・二枚撮るだけで、それも歌唱中のものはまったくなし。ちょっとねえ。
だから来場したファンやみんなに自由に写真撮らせて、もちろん動画とか歌の録音が不���っていうのは理解できるんですけど、スティル写真くらい認めてくれたらいいのになと思うんですよね。ネット、特にソーシャル・メディアは投稿が拡散して不特定多数の目に触れていく世界ですから。岩佐美咲の歌唱風景を写真で見る人が増えるのは、ファン増加につながるとしか思えませんよ。
こういうことって美咲だけでなくほとんどの日本人歌手のばあい禁止されているというのがねえ、個人的にはちょっと不思議だな、理解できないなと感じることだってあります。なぜならば、同じ音楽の世界でも外国の、たとえばポール・マッカートニーとかローリング・ストーンズとかU2とかブルース・スプリングスティーンとかそういった大物ですら、開演中の写真撮影は自由開放なんですよ。
写真撮影どころか、1960年代末からのグレイトフル・デッドをルーツとする90年代以後のいわゆるジャム・バンド系のライヴなんかだと、録音すら自由。むしろそれが推奨すらされていて、ファンが会場で録音したライヴ・テープ等を自由にトレードしていいということになっています。そもそもライヴ会場にそのためのエリアが「公式に」設けられているくらいですから。
ジャム・バンド系のそういった文化はちょっと特殊というか例外かもしれませんが、ブートレグ対策の一環という面もあります。取り締まりを厳しくした結果ブートレガーが地下にもぐって、ワケのわからない音源が秘密裡に出まわるくらいなら、いっそ開放して自由にやりとりさせたほうがよっぽど健全だし、バンドや会社にとってもメリットありいう判断です。
そんなこともありますのでね、日本人歌手だって(録音がムリでも)せめて写真の一枚、二枚くらいは認めてほしいです。本人にとっても事務所や会社にとっても不利益はないはず。来場者もうれしいし、本人や会社はファンが増えて売り上げ増rというわけで、みんながハッピー、だれもイヤな思いをしない、悪いことなんてなにひとつないはずですよ。
もちろん美咲だと(元AKB系アイドルだけあって)握手&2ショット撮影タイムが設定されていることが多く、そこで撮影された写真を記念として保持したりネットに上げたりできますけれども、きょうぼくが言っているのはステージで歌唱中のその姿を撮りたい、上げたいということ。だれしも懸命に仕事に取り組んでいるときがいちばん輝いているんですからね。いい絵が撮れるはず。
そして、そうかこういう楽しそうなイベントやコンサートなのであれば、自分も行きたい!買いたい!と思わせるように仕向けることが肝心なんですよ。現状、マネージャーはじめ美咲のスタッフはそれをやっていませんから、だったらファンがやろうじゃありませんか。
(written 2021.12.1)
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演歌第七世代と岩佐美咲
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https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=0712600a7ae848b1
こないだ「うたびと」っていう演歌歌謡曲系アカウントがコラムをネットに載せていました。題して「【演歌第7世代とは?】令和の演歌界をけん引する歌手の特徴と第1~第6世代の歴史」。
https://www.utabito.jp/news/9585/
たしかにいま演歌第七世代ということが言われていて、どうもお笑いの世界で新感覚の若手たちを第七世代と呼びはじめたのがルーツらしいんですけど、そこから演歌界にも派生して歌手の美良政次が使いはじめたのが演歌第七世代という表現。
明確な定義はないものの、デビューして五年程度未満で、世代的に20代〜30代前半の若手演歌歌手を指してひとくくりにしているものですね。上掲うたびとのコラムでは歌手の具体名を列挙してあって:
・中澤卓也
・新浜レオン
・真田ナオキ
・辰巳ゆうと
・青山新
・門松みゆき
・望月琉叶
というリストになっています。
ほかにもたくさんいますが、このへんの若手演歌歌手たちは、ぼくもふだんから知っていて聴いています。なぜなら2017年初春に岩佐美咲を知って好きになり、その流れで必然的に関連する情報をフォローしたり聴いたりするようになったからです。
キャリアや年齢だけでなく、こうした新世代演歌歌手たちには一定の共通項があります。現代に即したアプローチをしているということなんですが、ファンとの距離感が近く、TwitterとかInstagramで積極的に発信し、YouTubeなども活用しているんですよね。みんなそう。
インターネット、特にソーシャル・メディアの活用は、ちょっと前までの演歌歌手では考えられなかったことですし、実際2021年になっても旧世代歌手たちはアカウントすら持っていません。代わりに事務所スタッフが投稿しているだけ。
演歌第七世代の歌手たちは、スタッフではなく自分がソーシャル・メディアでふだんの日常をどんどん発信して、ファンとの距離を縮めているんですよね。仕事関係の投稿だって、いつどこでイベントやコンサートをやるといった大事なことも、そもそもTwitterなどでまず情報公開されたりします。
ソーシャル・メディアでのファンとの交流や距離感云々は歌手活動と関係ないじゃん、もっと歌の特徴を言わないと、という声もありますが、ささいな日常のことをやりとりしながら距離を縮め日常感覚を大切にしていくというところから、じゃあちょっと歌も聴いてみよう、CD買ってみよう、ツイートされていたイベントやコンサートへ出かけてみようということにつながったりもしていますので。
つまり歌手芸能活動のありかたの根本が、そもそも旧世代とは大きく異なってきている、新感覚を身につけた新世代ならではの姿がそこにあるということで、SNSでの交流・距離感やらみたいなことは、あんがい無視できないことですよ。歌の仕事に直結しているとも言えるんです。
もちろんこういったこと以上に大切なことは、歌唱表現上の新傾向、特色が演歌第七世代には聴かれることでしょうね。演歌のヴォーカル・スタイルにおける新傾向については、今年元日付の記事で特集したことがあります。それのくりかえしになってしまうのですけれども。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-2bfb3c.html
つまり、従来的な演歌で聴かれるような過剰で濃厚で劇的なヴォーカル表現をとらないということです。コブシもヴィブラートもなし、エモーションを抑制してさっぱりナチュラルな声の出しかたや歌いまわしをしていて、実を言いますとこの手の表現様式は、わさみんこと岩佐美咲がはじめたものだと言えるので、美咲こそがオリジネイターなんです。
そのへんのこと、演歌第七世代という表現がまだこんなに普及していなかった時期に、ぼくなりにまとめて新時代の新傾向歌唱法の特色を、上の記事で箇条書きで整理してありますので、ここであらためてくりかえしておきましょう。
~~~
1)(演歌のステレオタイプたる)おおげさで誇張された劇的な発声をしない
2)だから、泣き節、シナづくりといった旧態依然たるグリグリ演歌歌唱法は廃している
3)フレイジングも、持ってまわったようなわざとらしいタメ、コブシまわし、強く大きいヴィブラートを使わない
4)濃厚な激しい感情表現をしない、エモーションを殺す
5)力まない、揺らさない、ドスを利かせない
6)端的に言って「ヘンな」声を出さない
7)代わりに、ナチュラル&ストレートでスムースな、スーッとあっさりさっぱりした声の出しかたや歌いかたをする
8)発声も歌唱法も、ヴォーカル・スタイル全体がおだやかで、クールに抑制されている
9)それでも演歌歌手らしい強めのハリとノビのある声は維持している
10)このようなヴォーカル・スタイルで、旧来の演歌が表現していた��日常的な演劇性、物語性を除し、ぼくたちのリアルで素直な生活感覚に根ざしたストレート・フィーリングを具現化している
~~~
こうしたヴォーカル・スタイルを演歌界で最初にとりはじめた第一人者とも言える存在が、2012年デビューの岩佐美咲であるというのがぼくの考え。26歳ながら今年でデビュー10年目というキャリアの持ち主であるがゆえ、第七世代には入れてもらえない美咲ですが、歌唱スタイルは間違いなくその先駆者です。
美咲が「無人駅」でデビューした2012年というと、上で名前があげられているいわゆる演歌第七世代の歌手たちはまだだれも出現していなかったわけですけれど、しかしその「無人駅」を聴けば、演歌フィールドにありながらコブシなしヴィブラートなしのさっぱり薄味の新世代歌唱法をすでにしっかり実現し確立しているんですよね。
うたびとの記事で取り沙汰されているソーシャル・メディアでの本人による積極的な発信と交流、距離感なども、美咲はいち早くはじめていました。美咲がTwitterをどんどん活用しているからというんで、老年ファンでもアカウントをつくるようになったりしているんですからね。
まとめてみれば、キャリアの長さゆえなかなか第七世代とは認めてもらえない美咲ではありますが、若年世代であるということ、新感覚の歌唱法、積極的なソーシャル・メディアの活用など、どの点から見ても美咲こそ演歌の新時代をリードしてきたパイオニアだったと言えるんです。
だから、たまには演歌第七世代の先駆けとして評価する内容の記事が出てもいいんじゃないでしょうか。
(written 2021.11.25)
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函館ハーバー・センティメント 〜 美咲の「アキラ」を聴く
(4 min read)
岩佐美咲 / アキラ
https://open.spotify.com/album/4gRiAOa06QMsM0nZe0T4Z8?si=H6utJXilRTmtKTHOVA8fCg
去る10月6日にCD発売された岩佐美咲の新曲「アキラ」。ようやくSpotifyなどサブスクでも聴けるようになったのがつい四日前の同月20日。二週間もかかったのはやや問題ですが、まずはよかった。これでいつでもどこででも美咲の「アキラ」を聴けるようになりました。
それでくりかえしなんども聴いたので、ちょこっと短い簡単な感想をメモだけしておきましょうね。通常毎年春ごろには新曲を出してきた美咲、今年はなかなか出なかったので、今回はナシなのかとあきらめかけていた夏にアナウンスがありました。
「アキラ」の舞台は函館。半年暮らしたそこで恋をして、別れ、いまは同地を去って東京でひとり暮らしているものの、函館でのアキラとの恋が忘れられず未練をひきずり、ときどき同地を訪れているという女性が主人公です。
美咲の歌う曲って、こうした失恋・悲恋・苦恋ばかりなのにはなにか理由があるのかな?ということはずっと前にも書いたことがあります。こうした悲哀の心境をつづった歌詞が演歌系の楽曲ではよく映えるということなんでしょうね。美咲もすっかり歌い慣れているといったフィーリングを、「アキラ」を聴いていると感じとることができます。
曲はちょっと古い感じのステレオタイプな歌謡曲で、ここのところ「恋の終わり三軒茶屋」(2019)、「右手と左手のブルース」(20200)と、やや演歌から離れた歌謡曲系のメロディと楽想が続いています。美咲にはこうしたライト・ポップスのほうがド演歌より似合っているよなあとぼくは感じています。
「アキラ」はかなりシンプルな構造の楽曲ですが、聴いていていちばん痛感するのは美咲の声の落ち着きですね。アイドル界から卒業してもう五年、一部ではまだまだアイドル路線の延長線上じゃないかと見る向きもあるようですが、「アキラ」でのこの声を聴いていると、すでに大人の歌手に脱皮したなあと思いますよね。
聴き苦しいキンキンした若手女性アイドル的な発声は「アキラ」のどこにもないし、むしろしっとりとした陰影を感じさせる中低音域を中心にじっくり歌いこなしているという印象です。もちろん「アキラ」という楽曲がそういうメロディのつくりになっているから、というのはあるでしょうけど、落ち着いて淡々と歌える美咲の歌手としての成長を感じとることができますよ。
考えてみれば、「アキラ」のレコーディングは夏前の六月か七月ごろだったはずで、そのあたり、美咲もコロナ禍でなかなか苦しい思いをしていました。ひとまえで歌う機会などほぼゼロに等しくなってしまっていたせいで、喉や腹筋がやや衰えて、たまのネット配信歌唱イベントでも「あれっ?」と思う瞬間が多かったです。
そんな時期にレコーディングされた「アキラ」��のに、そんな様子がみじんもみえないのはさすがはプロの歌手だけあるという成長を示したものと言えましょう。もちろんスタジオ録音であるがゆえ、録音後の微調整をコンピューターでやっているでしょうけど、ここまでしっかりしたトーンで歌えているのは本人の実力です。
10月6日の発売前後から、「アキラ」はネット・イベントを中心にどんどん歌われています。メロディ構造のシンプルさがかえって歌詞の世界をよく表現している名曲とも言えるので、今後も歌い込んでいけば、歌唱表現にさらに落ち着きや深みを増し、ファンを惹きつけていき、新規ファンを増やすこともできるのではないでしょうか。
(written 2021.10.24)
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「会いに行ける」から「時間を共有する」へ 〜 転換点に立つアイドル・ビジネス
(7 min read)
コロナ禍はあらゆる舞台芸能・芸術やイベント、コンサートなどの様相を一変させました。
いまは開催そのものがむずかしいだけでなく、出演者とファンとの交流も以前のようにはできなくなりましたし、「会いに行ける」を掲げるアイドルたちにとって、その制約はいっそう大きなものとなったと言えます。
わさみんこと岩佐美咲関係もそうなんですけど、元アイドル業界だって、2020年初春以来のコロナ時代になって、すっかり様変わりしてしまったような印象がありますね。特にAKB系とか坂道系とかの秋元康プロデュース界隈はそう。
それらは2005年のAKB48発足以来「会いに行ける」ということを最大の看板コンセプトにしていて、もともと歌手とか音楽家とかの芸のひとは、ぼくら一般人は近寄ることもできない、会っておしゃべりすることなんかもってのほかという、異能・異界の人間であるという、そんな常識をくつがえして一世を風靡したわけです。
卑近な日常性がモットーというか、有り体にいえば握手券つきCDさえ買えば、握手会とか各種イベント、コンサートの後とかに、一対一で近寄って手を握り目を見つめながらちょっとのあいだおしゃべりできるという、オタク界隈でいうところの<接触>でもってファンを惹きつけてきた商法があったわけです。それでもってCDも売ってきました。
そんなこんなが、コロナ禍でいっさい消し飛んでしまいました。オンライン・イベントに移行したわけです。実際にリアルで間近に顔を見て握手しながらおしゃべりする代わりに、ネット画面越しにそれをやるようになりました。いまはどんな(元)アイドルもそうやって営業しているんじゃないでしょうか。
これがですね、「さびしい」「むなしい」「会いたい」といったたぐいの声をかなり多く生むようになっているんですが、そうはいってもこの状況ですからね、なかなかリアル対面イベントなどはあと二年程度実施できないんじゃないでしょうか。すべてがオンラインで、画面越しで、ということに現状なっています。
そして、地方在住者であるとか、あるいは経済的弱者であるとか、そのダブル・バインドだとかで、現場イベントになかなか参加できなかったファン(オタク界隈でいうところの「在宅」系)にとっては、オンラインなら容易に参加できやすいという状況をつくりだすことになっているので、これは一概につらいとだけとは言えないのですよ。
わさみん関係だって、ネットでどんどんおしゃべり会だの歌唱イベント系だのサイン会だの、開催するようになっていますが、それら、もともとコロナ時代以前はその現場に駆けつけないと見ることすらかなわなかったものです。
わさみん関係のそういったイベントはだいたい東京とか首都圏でしか開催されませんから、そのエリアに住んでいるファンにはよかったでしょうが、ぼくら地方民はいつもいつも悔しい思いをしていたんです。
それでもぼくも金銭的に余裕のあった2019年には首都圏開催のわさみん歌唱イベントなどに、わざわざ飛行機に乗ってホテルもとって、なんども参加していたわけですけれども、貧困にあえぐいまとなってはそんなことも不可能になってしまいました。
潤沢な資金がないと、ファンはわさみんの現場開催イベント、コンサートなどに参加できない 〜〜 これは厳然たる事実でした(首都圏民を除く)。地方民にとってはお金がすべてだったんです。あるいは家族がいるとか子どもがまだ小さいとかで、地方から駆けつけられないファンだっているんじゃないでしょうか。
そんな地理的 or / and 経済的束縛にがんじがらめになっているファンにとっては、些少額のチケット購入で、あるいは無料で、参加できるオンライン・イベントの開催は、実はとってもうれしいことなんですよね。インターネットを利用したものであれば、全国どこに住んでいてもパソコンやスマホさえあれば参加できて、わさみんに(画面越しにとはいえ)会っておしゃべりすることができます。歌も聴けます。
元アイドル界にいたタレントのなかではわさみんのことしかぼくは知りませんが、秋元康系アイドルの世界では、たぶん全員が似たような事情を、コロナ時代以後、かかえているだろうと容易に推測できますね。
そう、コロナ禍はキツいことなんですけど、現場リアル参加型からオンライン参加型への移行をうながしたことで、かえって(それまであきらめていた)地方在住のファンにとっては、実際に楽しめる、顔を見られる、おしゃべりもできる、生歌が聴ける、というチャンスが生まれたということで、実はコロナ禍が僥倖だったという面だってあるのです。
上で書きましたように、現行の日本の(元)アイドル産業は秋元康が2005年にはじめてすっかりそのビジネス・スタイルを定着させたものですけれど、コロナ時代以後は「会いに行ける」から「時間を共有する」という手法へ変化したと思います。いま、この業界は大きな転換点に立っているのです。
というわけですから、今後とも、コロナ禍が収束してのちも、100%従来モデルに戻ってしまわずに、引き続きオンラインでのお話し会やライヴ配信の充実もお願いしたいと思います。ぼくみたいに地方在住&貧乏というダブル・バインドな人間にとっては、それしかないんですから。それで応援していきますから。
(written 2021.9.25)
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批判禁止同盟?
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悪口とか誹謗中傷っていうのじゃない、前向きの建設的な批判って、あると思うんですよ。ポジティヴな要望とか提案とかですね。でもそういったたぐいのものもふくめて、「批判」をいっさい封じようとするのがアイドル応援の世界です。
どんな活動をしようとも、ありようを全肯定っていうか、そういうの、ぼくはもう違和感しかないです。わさみんこと岩佐美咲関連のことでこれを強烈に感じますね。あんまり言うとまた敵を増やしてしまうのですが、まったくなにも注文をつけない、ただすばらしいステキ可愛いと言うだけのファンのほうが多すぎる。
2020年初春からのコロナ時代になって、美咲関連で長良グループや徳間ジャパンが仕事をしていないのは明白だと思うんですけどね。コロナ前みたいに現場でのイベントやキャンペーンなど開催できないんですから、いつまでもそれじゃないとできないよと思っていると、ほんとうにダメです。
現場開催のキャンペーンやコンサートやライヴに相当するものをインターネット上で開催しないと曲を売っていけないし、歌手じゃないでしょうが。ところが長良と徳間の美咲担当スタッフはそれをまったくといっていいほどやっていません。そればかりか、ネットチェキサイン会だのネット飲み会だのヴァーチャル・デート企画だのオンライン・グリーティングだのばかりやるんですよね。
この際だからはっきり言わせてもらいますが、そういうのにほいほい飛びつくファンもファンです。なにを開催したらダメで、どういうのが歓迎されるのか、運営スタッフに知らしめないといけないのに、どんなものでもどんどんチケット買っては喜んで、「かわいい〜」とかしか言わないもんだから、運営スタッフも味を占めてしまっています。お手軽集金システム。美咲オタクはいいカモですよ。
そんでもって、歌唱配信関係は、たま〜に忘れたころに申し訳程度にちょこっとやるだけ。
これじゃあ「歌手」岩佐美咲が成長していくことはできません。ぼくが惚れたのはアイドル・タレントじゃありません、歌手としての美咲のことを好きになって、応援しようと思うようになったんですからね。それなのに、運営のこのていたらくといったら、もう。
ひとつにはAKB48出身という(一見強みだったのが)のがかえってわざわいしているように、いまでは見えます。もちろんAKBブランドがあるからこそここまで美咲はやってこれたし、とっくに卒業したいまでもそのシルシがあるから商売できているという面もあると思います。メディアに出るときは、いまでも必ず「AKB48出身」との枕詞で紹介されますからね(それも良し悪し)。
これがかえって歌手活動に専念させない運営スタッフの態度、特に長良側の姿勢を招いているんじゃないかとぼくには見えていますね。だってね、AKB時代からついている熱心なファンがたくさんいて、批判禁止でやってきて、かわいいかわいいとずっとほめていくばかりで、どんなものでもイベントがあればお金を出しているんですからね。
歌わせなくても食べていけるだろう、歌わせなくても事務所も潤う、ということであれば、そりゃ歌唱配信イベント、ストリーミング・コンサートなんてね、照明・音響・映像設備も必要だし、念入りに準備しないといけないけど、その割には実入りが少ないですから、消極的になるのも道理です。
AKB時代からのアイドル活動で、卒業して五年になるいまでも美咲はずっとやってきているというのが現状ですよね。コロナ禍でそれが鮮明になりました。歌手業一本ではやっていないのです。これがですね、アイドル時代なんかない���そもそも最初から歌手でやっているみなさんが、コロナ時代にどんな営業活動を展開しているか、ちょっと見渡してみれば、美咲界隈の異常さが理解できます。
結局、美咲は「歌手」じゃないのでしょう。すくなくとも歌手業で食べていっているとは言えないし、歌手活動をさせてもらえなくてもファンだっていっさい文句を言わず批判もせずできています。
もっと歌の活動をやってほしい、みたいなことを言うと、一部のファンからはすぐに「クレーマー」扱いされてしまうし、なんなんですかこれ。岩佐美咲って、いったい何者なんですか。
ぼくは歌が好きなんですよ。
(written 2021.9.12)
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岩佐美咲の脱フィジカル
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去る8月13日に東京は中野で開催された岩佐美咲10周年コンサートは、DVDやBlu-rayなどの円盤化はされないとのことで。配信リリースだけっていう。この発表が公式ブログであったとき、ちょっと意外な感じがしました。いままでぜんぶ円盤化されてきていましたからね。
これはちょっとした予告、予兆じゃないかとぼくは解釈しているんです。
今後は美咲のコンサートは円盤物体を発売しない方向に進むんじゃないか、今回のこれはその第一弾ということじゃないかということです。そして、将来的にはひょっとしたら楽曲のCD販売もやめて、全面的に配信リリースだけにしていくということかもしれませんよね。
美咲がCDもDVDも発売しない、配信(ダウンロード、ストリーミング)だけでやるっていう日が来るかもしれないなんて、現時点ではだれも予想していないし、いままでの歩みからしたらありえないことのように思えるかもしれませんよねえ。ファンの一部からは悲鳴があがるかも。
でも、これからはそういう時代��すよ。いまや全世界的にみて音楽業界の総売り上げの八割がサブスクリプション型サービス(Spotify、Apple Musicなどストリーミング)の収入によるものなんですからね。この傾向は今後どんどん進みこそすれ、ふたたびフィジカル販売がもりかえしてくるというようなことはありえません。
演歌・歌謡曲の世界は、この点でもやや時代遅れになりつつあって、サブスク対応が著しく遅れている歌手や事務所、レコード会社もあります(氷川きよし、水森かおりなど)。それに演歌界はファン層が高齢化していて、インターネットが苦手であると堂々と宣言しては物体購入に走るというかたがたもいます。
さらに、CDやDVDなどのフィジカルは、握手会や特典会などのチケット代わりとして使われてきたという面もあります。現場でCDを一枚買えば、それで握手一回分ということになるっていう、この手の接触ビジネスは、しかしもはや終わりつつあるのではないでしょうか。特にコロナ禍でイベントじたい実施できないということになって、このビジネス・モデルの終焉はいっそうあぶりだされています。
コロナ時代にあぶりだされている終焉しつつあるビジネス・モデルとは、握手券商法だけじゃなく、そもそもCDやDVDなどのフィジカル販売に寄りかかる姿勢というのもふくまれているように、ぼくには見えているんですよね。
もちろん、コロナ禍が収束すれば(といっても何年後?)美咲のリアル歌唱イベント、キャンペーンのたぐいも再開できるでしょうし、そうなれば現場でいくらかのお金を払って握手権、2ショット写真撮影権を買うという手法が復活するでしょう。しかしそのとき、それはもはやCD販売ではなくなっている可能性があると思います。
もうそういう時代なんです。CDを買って聴くという時代は終わっています。サブスクで聴く、これがもうみんなの音楽聴取手段になっています。そんなこと、もうみんなもわかっているんでしょ?
もちろん美咲サイドがCD販売をやめて、全面的にサブスク・モデルに移行するためには、いままでCDで発売してきた全楽曲をサブスクに乗せないといけません。現状、シングル表題曲の九つしかありませんから、これではお話になりません。シングルのカップリング曲もアルバム曲も入れないと。
美咲がサブスク・モデルに移行することにはメリットも多いです。たとえばムリして新曲のカップリング曲を選ばなくてよくなります。以前も書きましたが、シングル曲にカップリング曲を入れるっていうのはA面B面があった45回転ドーナツ盤時代の名残にすぎませんから。サブスクだと、みんながすでにそうしているように、新曲一個だけリリースすればOK。
各種イベントやコンサートなど現場に曲を持ちはこぶことも容易になります。いままでファンは、CDをまずパソコンにインポートして、それ経由でスマホや携帯音楽プレイヤーに入れていたと思うんです。そんなメンドくさい手間が消えます。サブスクに楽曲があれば、いつでもどこででもどんなディヴァイスでもアクセスできますから。
それはそうと、昨2020年7月1日にサブスク解禁になった美咲のシングル表題曲は、どれくらい再生されているのでしょう?ちょっとSpotifyだけ覗いてみたら、やはり最新楽曲の「右手と左手のブルース」が1万8千回でトップ。これは理解しやすいことです。
「無人駅」「もしも私が空に住んでいたら」「ごめんね東京」が約9千回、「鞆の浦慕情」8千回、それ以外は3〜5千回といった程度の再生回数です。だいたい予想どおりというか、「ごめんね東京」の健闘にはやや驚きましたが、それ以外はCDでも評価の高い楽曲が数多く聴かれているようです。
10月6日発売予定の美咲の新曲「アキラ」も当然サブスクに乗るはずですから、どこまで再生回数が伸びるか、楽しみにしたいと思っています。
いずれにせよ、AKB48という握手券付きCD販売で一斉を風靡した世界出身で、しかも別の意味でCDに寄りかかっている演歌界にデビューした岩佐美咲のような歌手ですらも、今後はフィジカル頼みをやめて、配信リリースを中心にやっていかないと、早めにそのビジネス・スタイル移行をやらないと、時代に取り残されてしまうことは明白です。
ファンも、そんな時代についていかないと。
(written 2021.9.11)
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岩佐美咲「アキラ」を聴いた 〜 ヨーロー堂歌唱配信 2021.8.21
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2021年8月21日16:00から約30分間、わさみんこと岩佐美咲の浅草ヨーロー堂歌唱配信がありました。今回は10月発売予定の新曲「アキラ」を歌うというのが目玉で、もちろんそれを目当てにぼくもこの配信を聴いたわけです。
四曲の全体的な印象としては、ずいぶん歌がヘタになったなあと思います。音程もややふらついているし、なんといっても発声があいまいで雑。もっとていねいに歌う歌手だったと思うんですが。ノビやハリなど声もイマイチ出ていません。
理由は間違いなく歌い込み不足。コロナ禍で現場がほぼゼロになってしまいまして、事務所がそれを補うだけの歌唱配信もやらないせいで、歌う機会は激減。これじゃあね、どんな才能のある歌手でも衰えます。
美咲の歌はこんなもんじゃない、もっとしっかり歌える歌手だっていうのは、2018年暮れ〜2019年いっぱい、それこそ無数の歌唱イベントやコンサートなどに出向き、コンピューター補正の入らないナマの美咲を山ほど聴いてきた身なので、よくわかっているつもりです。いまの美咲は本来の姿じゃありません。
それでも同じヨーロー堂配信では、前回五月の配信のときよりはよくなっていました。六月以後、明治座、新歌舞伎座、ディナー・ショー、コンサートなど、現場の客前で歌う機会が以前よりはありましたので、とりもどせた部分もあったかと思います。
ムダなおしゃべりが減ったかもなというのも改善された点ですね。このこと、わさみんはコンサートなんかでもしゃべりすぎ、もっと減らして歌に集中すべきと、わいるどさんのブログのコメントで書いたことがありますが、ひょっとして本人やスタッフの耳に届いたんでしょうか。
おしゃべりを減らしたならば、そのぶんもっと歌に割けるはずだと思うんですが、曲数なんかは従来どおり四曲のまま。もっとしゃべりを減らして五曲にするとか、1曲目からフル・コーラスで歌うとか、やりようはいくらでもあるんじゃないかと思います。
ともあれ、今回は新曲「アキラ」、これですよ。4曲目にしっかり歌われました。フル・コーラス。若干の不安定さをみせていた3曲目までとはまるで別人のようなしっかりした歌いぶりで、発売予定の新曲だけにリキが入っているんだなと実感することができました。4曲目だったことも幸いしたと思います。
「アキラ」、8月13日のコンサートでも歌われたようで、しかし金欠によりそれには行けていないぼくだから、多くの美咲ファンにとって二回目であるところ、ぼくはこれが初回でした。まだ発売もされていないしMVも公開されていないというわけで、きょうの一回しか聴けていませんので、どんな曲なのかについてはまだなんとも言いようがありません。
はっきりしているのは、「アキラ」は函館が舞台になっているということ、「恋の終わり三軒茶屋」(2019)「右手と左手のブルース」(2020)に続く歌謡曲路線第三弾であるということ。この傾向でしばらくやるんですかね。地方都市が舞台になっているのはいわゆるご当地ソングの一環とも言え、その意味では「鞆の浦慕情」「鯖街道」の路線に連なるものともみることだってできます。
函館で恋したアキラという名前の相手のことが、離れても忘れられないという未練ソングで、「ねぇアキラ、ねぇアキラ」とくりかえすリフレインがとても印象的なセンティミエント。歌い込んでいけば(といっても発売が10月だけど)、「初酒」「鯖街道」のような代表曲になるであろうようないい曲でしたよねえ。
くわしいことは10月6日に発売になったらくりかえし聴いて書くとして、運営スタッフには、現場なり配信なりでどんどん歌わせていってほしいなと切望しておきます。「アキラ」、曲はいいだけにですね、美咲自身どんどん歌い込んでいって完成度を上げていくことができれば、立派な内容を聴かせることができるようになると思います。
さて、前半で言いましたように、美咲の歌唱力はあきらかに落ちました。コロナ禍前のように毎週定期的にどんどん客前で歌うという機会が失われたのが理由ですが、回復のためにスタッフはやることがあるはず。現場でも配信でも、もっと歌唱機会を増やさねばなりません。
以前わいるどさんも言っていましたが、長良プロのよくないところは現場があるときはまったく配信しないし、配信ばかりのときはまったく現場がなくなるところ。両者同時並行で歌唱機会を2019年までのように従前どおりキープしていかないと(どうもやる気がないみたいだけど…)、水準をキープできないどころか落ちる一方です。
岩佐美咲、ポテンシャルは高い歌手だけに、生かすも殺すもス��ッフの運営いかんにかかっています。よろしくお願いしますね。
(written 2021.8.21)
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