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https://global-studies.doshisha.ac.jp/teacher/teacher/tomiyama.html
研究分野
日本研究
沖縄近現代史研究
プロフィール
一時期は生態学をこころざし、あるいは動物のお医者さんになろうとしたときもありました。大学院では農業経済史を専攻し、戦前期の沖縄農村を考え始めました。そして考えを進めるうちに、沖縄からは次から次へと難題が発せられてきました。国家、ディアスポラ、戦争体験、マイノリティの思想、グローバル・ミリタリズム、植民地主義とジェンダーなど、沖縄から発せられる具体的な問いを受け止め��うとしているうちに、研究対象が方法論や学問分野の拡張、さらには学そのものへの問いを促すことになり、現在では文化研究から思想史まで、幅広く考えています。
手際よく、「○○は専門じゃない」といいはってもよかったのかもしれませんが、発せられる問いにすすんで巻き込まれながら、手探り状態の中で考え、結果的に領域を横断してきました。それでよかったと、今は思います。なぜならそこには、考えることの喜びがあるからです。問いに巻き込まれること、そして「おもろい」というのは、私にとって、大切なキーワードです。
学生へのメッセージ
(プロフィールからつづきます)ですから皆さんには、考える対象から発せられる問いに、積極的に巻き込まれてほしいと思います。そこでは、学問分野はもとより、人を所属集団において定義する要素を根拠に、「○○だからこの問いは私には関係がない」といって処理することを、断固として拒否する姿勢が必要です。またそれは、考える対象としている人々や場所を、傍らにいながら既に他人事ではない存在として受け止めることでもあります。こうした構えは、場合によっては痛みを伴うものかもしれません。ただ同時に、間違いなく喜びもあります。
越境的に考えることとは、異なる場を共通項でくくり上げることではなく、あえていえば、個々に生起する問いに、他人事ではないといって巻き込まれていく痛みや喜びの伴ったプロセスです。専門分野や学会といったアカデミアの制度も、領土的区分けのためではなく、このプロセスを確保する為にこそあるのだと思います。グローバル・スタディーズという言葉の意味も、私にとってはこの点にあります。
最近気に入っている、ある生化学者のフレーズがあります。彼は自らの研究を省みて、次のように記しています。「大切なのは、答えよりも問いであり、その問いをどう表現するかということだった」。巻き込まれていくということは、問いが次なる問いに連鎖していくことに他なりません。そして、問いにまみれていく中で世界は暫定的となり、未来に開かれていきます。「未来をつくりだす機械」。彼は研究行為をこう表現しました。その通りだと思います。
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鞘師里保(BABYMETAL)
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橋本奈々未は、卒業を迎えるその瞬間までファンとの最高の思い出を残そうとしているーー。筆者がそう思い始めたのはいつからだっただろうか。 振り返ると橋本には常に“卒業”の2文字が付きまとっていた。グループを俯瞰することができ、どこかシニカルな面を持つ橋本には“危うさ”があった。卒業についてはずっと考えていたと言うが、それはファンにも予感として伝わっていたのかもしれない。 卒業発表以降、橋本がメディアを通して残した言葉を追っていくと、全てにおいて思いは一貫しているように思える。2月18日放送の『AKB48 SHOW!』(BSプレミアム)にて桜井玲香を前に、橋本は卒業コンサートについてこう話していた。 「最後に人前で立つステージだから楽しみたいと思うけど、私を最長でも5年半ここに来るまで応援してきてくれた人たちが来てくれるわけだから、その人たちの思い出になるような『この間、この子を見ていてよかったな』『今日ここに来てよかったな』って思える時間をみんなと過ごせたらいいなと。『これをもって終わりなんだ』って思ってもらえるように」 2017年2月20日、さいたまスーパーアリーナ。『乃木坂46 5th YEAR BIRTHDAY LIVE~橋本奈々未卒業コンサート~』。メインステージから「士」の字に広がる花道の中央にあるセンターステージにゆっくりと姿を現した橋本。歓声を上げていた満員の3万5千人が威風堂々とした彼女の姿、張り詰めた空気に会場が静まり返る。深い深い橋本の礼には、彼女のコンサートに対する真摯な姿勢と会場に足を運んでくれたファンへの感謝が詰まっているように思えた。「サヨナラの意味」のイントロからAメロをバックに、橋本はメンバーのいるメインステージへと歩き出す。 この日のライブは橋本の卒業コンサートであると同時に、乃木坂46の5回目のバースデーライブとしても進行していく。3日間にわたりグループの全楽曲を披露する今年のバースデーライブであるが、初日の2月20日は橋本の好きな楽曲をピックアップしセットリストとするというのがコンセプトだ。  コンサートは楽曲を披露しながら、桜井玲香、松村沙友理、高山一実、生田絵梨花といったメンバーが、曲の合間に乃木坂46の歴史と橋本への思いを話していく。伊藤万理華は、これまで橋本との目立った関係性はなかった。同じユニットにもならず、歌割りも違い一緒にいることができ���かった、と彼女は話す。橋本と伊藤は2月20日で同じ誕生日。今年なら橋本が「24」、伊藤が「21」と両手の指で歳の数を表し、毎年ブログにツーショットをアップしていた。橋本はグループのメンバーに様々なあだ名で呼ばれている。「ななみん」「奈々未さん」「橋本」「奈々未」。どれが正解というのはない。けれど、呼び名がそのメンバーとの関係性を表しているようにも思える。初期の頃から「奈々未」と呼ぶ伊藤は、橋本と付かず離れずの絶妙な距離感にいた。 橋本はアンダーメンバーの曲を好きな楽曲に挙げることが多い。「ここにいる理由」、そして一貫して一番好きな楽曲に挙げてきた「生まれたままで」の2曲は伊藤がセンターを務める楽曲だ。「生まれたままで」のイントロが鳴り出すと、せり上がったセンターステージの中央に橋本が登場する。大サビでは、伊藤と橋本が背中合わせになり最初で最後のダブルセンターを嬉しそうに決める2人がいた。この後、橋本のサプライズで万理華への21歳のバースデーケーキが用意されたのだが、恐縮する伊藤が橋本も同じく誕生日であることを主張していたのも、2人の関係性を表しているようにも思えた。  「最高に安定感のある橋本と白石のコンビ。遠くの方から見てて、2人が話して笑っているのが好きだった」。齋藤飛鳥がそう話すように、橋本と白石の関係性は一言では言い表せないほどに深い。グループでは近いポジションに立つことが多く、7thシングル『バレッタ』を皮切りにシンメトリーの位置に。レザージャケットを羽織った2人のユニット曲「孤独兄弟」を始め、「せっかちなかたつむり」、「でこぴん」、昨年の『Merry Xmas Show 2016』に続いて白石、松村、橋本による“御三家”で披露した「Threefold choice」など多くの時間を2人は過ごしてきた。「ドキュメンタリー~サヨナラの意味~」(『サヨナラの意味』初回限定盤Type-A収録)で白石は、卒業する橋本に「卒業する日は笑って送り出せるように、一番に背中を押せたらいいな」と語っていたが、この日の橋本と白石による物語はコンサート序盤から始まっていた。松村、高山、白石、橋本でのユニット曲「偶然を言い訳にして」で、橋本以外の3人がサプライズで彼女にメッセージを送る。白石が掲げる「ななみんずっ友!」のフリップに驚く橋本。ゴンドラを降り、2人が合流した時には互いの頬には涙が伝っていた。「何を話したのか。何で一緒に笑ったのか。何を一緒に見たのか。どれが大事で、どれが思い出深いとか、順番はない」「好きとか嫌いとかじゃない。いつも一緒だった彼女」。最後の語りのバトンを務めた白石。初期5作連続での���駒里奈から『ガールズルール』で、白石へと初めてセンターが受け渡されたあの時。不安から泣きじゃくる白石のそばで、親身になって付き添っていたのは橋本だった。 アンコール。1人ステージに現れた橋本は、すでに瞳にいっぱいの涙をためていた。歓声が鳴り止むのを待つ橋本。「今日で卒業します」。そう一言告げた彼女はこれから歌唱する自身のソロ曲「ないものねだり」について話し始める。「これからもきっと人生の節目で聴いていくことになるんだろうなと感じている曲です。私が『ないものねだり』という曲で<ないものねだりをしたくない>と歌っているけど、こんなに素敵な景色を何度も何度も前にしているのに、別の道を進みたいと思うのが一番のないものねだりだなと感じています」。橋本の瞳からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。「私が選んだその道の先に正解があると信じています」、そう話す彼女の眼差しは真っ直ぐ前を向いていた。「ないものねだり」は橋本が毎日付けているという日記の文章から秋元康が橋本の思いを組み、歌詞にしたものだ。涙で詰まり歌えなくなる場面もあったが、橋本が無事歌い切ると会場には温かい拍手が響いた。 「お別れをしてきてください」、桜井に導かれ橋本は可動式のステージへ。アンコールラスト、「サヨナラの意味」に乗せアリーナをゆっくり一周しながら、橋本は会場のファンに別れを惜しむように手を振る。メインステージのスクリーンにはメンバーからの橋本へのメッセージ。そのどれもが橋本への感謝と彼女の変わらない姿、そして幸せを願うものであり、ファンの気持ちを代弁しているかのようでもあった。「5年半本当にお世話になりました。みなさんの支えがあっての今だと思います。これからも私は私らしく頑張ります。みなさんのご多幸をお祈りします。今日は本当にありがとうございました」、そう言い残すと橋本を乗せたゴンドラはステージの上空へ。「ありがとうございました。みなさん、さよなら」。礼をしながら見えなくなる橋本。なんとも美しい幕切れだった。  18歳から24歳という、5年半の青春の真っ只中を乃木坂46に捧げてきた橋本。控えめで多くを語らず、嘘をつかない真摯な態度。芯が強く、自分を曲げず、地に足をつけた姿勢。その全てがこの日のコンサートに詰まっていた。 乃木坂46としての橋本の物語には、まだ少しだけエピローグがある。橋本がパーソナリティを務めた『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FM)は卒業の3日後まで放送が続いた。『SCHOOL OF LOCK!』は中学生の頃からリスナーとして愛聴し、ファンとのコミュニケーションの場でもあった彼女にとって大切なラジオ番組だ。卒業当日である2月20日の放送には、遡ること4カ月前の2016年10月16日。橋本のセンターが発表された『乃木坂工事���』(テレビ東京系)放送前の彼女の心境を録音した音声が流れた。卒業を迎える未来の自分へのメッセージに橋本は「残された数時間を楽しく過ごしてください。いい思い出にしてください。24歳からも私として頑張っていってください」。橋本にはこの時から変わらぬ最高の思い出を残したいという思いがあった。2月23日、オンエア最終日にはこんな言葉を残している。 「悲しいけど、でも私は次の道に向かってもう歩き始めてます。私はそこがすごく希望に溢れているものだと思って前を向いているし、私が決めて選んだことですから。そこには、私は今まで乃木坂46としてやってきたことと同じだけの責任を持って、これから先も歩いていきたいと思ってます」 卒業当日に発売した最後の写真集『2017』(小学館)はアメリカ・ニューヨークの駅に消えていく橋本の後ろ姿で締めくくられる。『2017』というタイトルには、乃木坂46を卒業した年とここから新しい道を歩んでいく橋本にとっての転機の年、そしてファンがこの先の未来で写真集を見返した時に“橋本奈々未がいた2017年”を思い出せるように、という思いが込められている。<サヨナラに強くなれ この出会いに意味がある>。ファンと共に歩んできた5年半を最高の思い出にしながら、これからそれぞれが歩む自身の道を信じること。それが橋本が出した“サヨナラの意味”のように思う。悲しみの先にも未来は続いている。ここはまだ坂の絶頂ではない。ファンも、乃木坂46も、橋本奈々未も。
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