シンガポールで思うこと
シンガポールに越してから1ヶ月が経った。
到着してから最初の2週間は、体調を崩して熱と下痢にやられながら、座り心地の悪い備え付けのプラスチックの椅子で仕事をしなければならず、街に出れば慣れない英語のせいで食事をするのも一苦労で、何もかもが嫌な最悪の気分だった。
海外移住は10年越しの夢なのに、これでいいんだ間違ってない、と自分に言い聞かせてあげないとやってられないような状態だった。
初めこそ苦労したが、住んでみればほとんど東京と変わらない生活が送れる。食事は安くて美味しいし、光熱費も変わらない、公共交通機関は整ってて便利で、言葉に困っても察してくれるようなアジア的優しさのある場所だ。
個人的に、世界でも有数の高層ビル群や本当によく整備された綺麗な街並みと、何年か前にベトナムで見たような低層の建物に飲食店が並ぶような雑然とした場所とそういうのが入り混じっているのが東京と違って面白い。
街並みも社会制度も合理的で隙がないが、人々もまたそんな感じで、日本のサービスと比べれば気配りにかけるとも言えるが、それはそれで気楽でいい。
多民族国家というのは、街ですれ違う人の言語が、中国語とかマレー系とかインド系とか本当にいろいろで、仕事で駐在している人も多いから西洋の中でも英語からドイツ語からスペイン語から本当にいろんな言葉を耳にする。あまりにもいろんな人種が入り混じっているから、日本人である自分が1ミリも目立っていないというのも、他の国ではなかなかない心地良さだろうと思う。
今年は人生で初めて桜を見逃すことになった。シンガポールは常夏なので、季節は恋しくなるのかなと住む前に想像していたが、日本のあの“春の感じ”が、やっぱり日本固有のものだということを実感して感慨深い気持ちになった。これからしばらく味わえないと思うと少し惜しい。
高校時代、周りが寸分疑わず大学受験する姿に気後れして、どこか自分の居場所はないかという気持ちが、自然と海外に行きたいと思わせた。日本を出る直前まで、日本的な遠慮と気遣いと他人事のようなコミュニケーションに飽き飽きしていたし、この世代の多くが思うような、未来への漠然とした”希望の持てない感じ“にもうんざりしていて、日本さえ出られればみたいな、すがるような気持ちもあったかもしれない。
でも、ありきたりなことだけど、やっぱり外に出てみてわかる日本の良さがあった。
シンガポールは長くイギリスの植民地で、第二次世界大戦中は日本にも占領され、国ができたのは60年代のことだと、恥ずかしながら来てみて初めて知った。
日本にいれば、100年前も1000年前も我々と同じような日本人がこの地に住んでいたことを想像できるし、先人たちが積み上げた“文化”が今も脈々と受け継がれて、今の私たちはそれを享受できる。異国の地で身の程を知っても自分を誇らしく思わせてくれるのは、そんな文化があるおかげだった。
それは鬼滅の刃やSPY×FAMILYの映画を映画館で上映しているとか、ショッピングモールにあるポケモンのゲーム台に子どもが集ってるとか、ミスドはいつ見ても行列で見渡せばそこら中に日本食店があるとかそういうことでもあるし、それ以上に日本で培われた価値観をここでは誰も持っていないが私は持っているという、言葉にし難い何かでもある。
ビザは2年で、私はその間に任された仕事をなんとかしないといけない。仕事のことは不安だが、その困難もこのシンガポールを楽しみながらなんとかなるといいなと思う。
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夜明けの夜と朝との間にいる太陽に呼びかけた
地平線の向こうはどんな感じだい?
そうしたら
地平線の向こうには君が期待するようなものは何もないよう
と言われた
それなら君はなぜいつもそこから現れる?
それが僕の仕事の一つだからさ
他にはどんな仕事があるんだい?
僕の重要な仕事は美しいものを輝かせ醜いものに影を落とすことさ
あら
それがどんなものかよくわからなかったが
ふと昨日まで考えていたことを聞いてみた
僕が死ぬのは醜いことかな?
なあに人の死ってのは全ての人に訪れること
それを醜いって言っていちゃいつまで経っても僕の仕事は終わらないよ
それを聞いて僕は安心した。
安心して朝ごはんをたくさん食べることができた。
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成長だろうか
まるで青春映画のように
私たちも気づけば大人になった
覚えているだろうか
学校の教室の端で
見栄をはっていたあの頃を
何かを一生懸命語っていたあの頃を
思い出せば少し小っ恥ずかしいかもしれない
時間はサッと過ぎた
短くなんてない
十分な長さで十分な味わいだった
泣いたし笑ったし時々嫉妬して
時々拗ねた
私も大人になった
いろんなことを気にしてしまう
毎日の夕食代だって
好きな服を買うお金だって
仕事で会うヒトビトのことだって
あまりに周りのことを気にしている
あの頃は好きなアニメに好きなアイドルにネットの書き込みに小遣いめい一杯の買い物に夢中だったのに
自分の将来と実力に不安でいっぱいだったのに
今はそうはいくまい
それでも
あの頃かられた衝動が
今の私の居場所を作って
あの頃必死になった言動が
今の私をここへ連れてきた
なんてことだ
最近同級生のブログやSNSをよく目にする
彼らもまた
私と同じように
周囲に向かってなんやかんやと
私たちはそう、気づけば大人なのだった
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お腹が痛い日は
何にもならない気持ちがあるでしょう 何を大切にすればいいのかわからないときもあるでしょう ベッドの上で寝っ転がるしかないときもあるでしょう それでも来る日に備えて 何かが訪れることを期待して ジタバタしているのでしょう
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さては今日も
例えば 昨日が全く平和だったとして もう私のやるべきことなんて何もなかったとして そしたら心は自由気ままに と願うけれど 実はもっともっと食べ過ぎるアイスクリームと顔のニキビが気になってしまう 小高い丘とちょろちょろの小川と 青緑の草花と 心地良い風が吹く旅先で 始めはゆっくり寝っ転がるんだけど、 次第に「空が青過ぎる…」と聞こえない文句を言い出す 一度やり始めることは 最後まで終わらないと気持ち悪いし 自分から言ってしまったことは やり遂げないと気持ち悪いし 気持ち悪さはアイスクリームでは 収まらなくて だから明日も同じ椅子に乗って 優雅に揺られながら 突然の段差も華麗にかわしながら うまくやってのけているんだろう
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素直さが美しさだと
一生懸命頑張って、頑張って成し遂げたことでも、人に褒められず、時には自分にも気づかれず過ぎ去っていくことがある。それを悲しいとか、そんな簡単に表現しちゃいけない。映画のヒーローが、始めからヒーローとして立っている時もあるけれど、ごく普通の若者から始まってひょんなことで英雄になることがあるように、私達の生活がごくありふれたものだったとしても、それはそれだけで温かい可能性をもった美しさだ。 時々か、いつもか、みんな不安でたまらないだろう。みんなの視聴回数やフォロワー数やいいねの数が一体何を教えてくれる。その数が私の価値基準になるだろうか。その数で友達と何か大切なことを共有できるだろうか。結局泡沫の埋め合わせでしかない。満たされない何か大きな不安がある。誰かより優っていると満足しても、心はいつも不安なんだ。何かに熱中して夢中になっていないとね。 ああ、そろそろ幻想を見始めているのかもしれない。結局精神病なのかもしれない。 どうかみんな幸せに。 どうか隣の人には親切に。
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