Text
定義
•この記事は2020年に書いたエッセイを再投稿したものです。
-
コンサータが登録制になった。
コンサータというのはADHD(注意欠陥・多動性障害)改善薬だ。
改善薬なんて言えば魔法の薬の様に思えるが、別にそういうわけではない。
朝一粒飲めば、その日の集中力の在庫をあるだけ日中に引っ張り出してきて際限なく使い、夕方頃になると
「集中力ですか?そこになければないですね。」
とまぁそんな感じで、いつもよりも更に注意が散漫になる代物である。
そんな薬が登録制になったのには、世界的なADHD改善薬の動向を見る限りおそらく違法なオンラインでの取引や、過剰摂取などか背景にあるのだろうと思う。
私はこの薬を過大評価はしていないが、それでも仕事の時はこれを飲まなければどうにもならないし、飲めば疲労がポンっと飛ぶことも正直否めないので合法麻薬と言われているのにも肯ける。
受験勉強や締め切りや、効率の良さを求められる仕事を前にして違法な方法でもこれを手に入れたいと思う人々や、それにつけ込み儲けようとする不届き者の事を考えれば、登録制に反対するわけにもいかない。
反対するわけにもいかないのだが、この登録制には1つ大きな問題がある。
手続き終了後に”登録カード”なるものが渡され、薬の処方時に毎回提出しなければならないのだ。
小学校にランドセルを、高校受験に消しゴムを、電車に卒業がかかった制作物を忘れてきたADHDの私がコンサータを貰うために登録カードを持たされる。
星新一のショートショートか現代落語になるべき展開である。
-
さて、前置きが長くなったがそんなこんなで先日私はコンサータ処方のための登録に行ってきた。
そんなに難しいことはない。気の良い先生と一緒にいくつかの注意書きを読んでサインするだけだ。
注意書きを読みながら、この後先生が書くであろう患者情報の記入欄に目が行った。
患者のイニシャル、生年月日、性���。
性別欄には、男/女/その他(無表記)の選択肢があった。
性別欄に気を取られながらサインをし、それを先生に渡すと、先生は私のイニシャルを呟き、「あぁ、今月誕生日なんだねぇ」と言いながら誕生日を記入し、女のチェックボックスにピッと線を入れた。
「あの、すいません。そこ、その他にして貰えますか。」
私がそういうと先生は一瞬動揺しながらも
「あぁ、ごめんねぇ。じゃあその他で登録しときますから。」
そう言って女のチェックに二重線を入れ、その他(無表記)の欄にさっきよりも強い筆圧でチェックを入れ直した。
誰かが悪気なく外見で判断した性に対して、そうではないと改めて言及したのは初めてのことだった。
個人的に、私は私が女であると(事実はどうであれ)定義されることにそこまで困っていないし、そこを開示する事で相手が持つ感想について考えることの方が、自分にとっては億劫だったからだ。
それでもここでどうしても私がそれに対して言及したかったのには、理由がある。
それは
“私はADHDではない”
ということだ。
ここまで自分をADHDっぽく書いておきながら、私はADHDではない。
正確な診断結果を言えば
“私は限りなく黒に近いグレー”
なのである。
2018年に私が受けたADHDの診断テストの結果は
私が男であった場合はADHDであり、
私が女であった場合は数点、ADHDという診断には及ばない。
というものだった。
男女で点数に違いのある理由はこうだ。
「統計的にそうなんです。」
結果、医学的に私はADHDではないものの生活に支障があるのでコンサータを処方されている状態にある。
そしてそれはどれも正しく、どれも正しくない。
女の定義
男の定義
その他の定義
ADHDの定義
コンサータを処方される資格を持つことができる人間の定義
他人が作ったその定義で私はこうして合法で、7割を国が負担した劇薬を飲んで暮らすことができ、誰かが今よりもっと良い自分を求めて法を犯し大枚を叩いている。
財布に末吉のおみくじを入れるくらいなら、このカード1枚入っていた方がよっぽど、社会や自分自身の不確かさについて忘れないでいられるだろう。
咄嗟にした性別についての判断だったが、今のところは満足している。
それでもここ数日、いつまでも定義についての思考が止まらない。
0 notes
Text
バスボム
•この記事は2020年に書いたエッセイを再投稿したものです。
-
久々に新宿へ出た。
仕事用の資材の買い付けが早く終わったので、オープンしてから1度も行けていなかったコスメが豊富と噂のLUSHに寄り、「パパの足」なる足が臭くなくなるらしい粉とキラキラのアイカラー、新しいメイクブラシを購入した。
アイカラーの色味の相談に乗ってくれたBAさんが、化粧水やらクレンジングクリームやらの試供品を沢山くれた辺りで、私は初めて自分がLUSHでバスボム以外の物を買ったことに気が付いた。
というか、自分の物を買うことすら初めてのことだった。
私にとってLUSHという店は前日まで忘れていた友達の誕生日プレゼントを閉店間際に駆け込みで買うか、はたまた何日も何をあげるか考えた挙句、結局何も思いつかずにヴィーガンの友達にバスボムをあげることにした際に使う、自分に対してなんだかちょっと”やれやれ”の気持ちで向かうような場所だったのだ。
会計の際、BAさんが購入した商品と共にバスボムを1つ包んでくれた。
(バスボムもくれるのか…。)
えらく感心し、これまでにないくらいかなりポジティブな気持ちで店を出た。
LUSHは変な場所だ。
いつも”やれやれ”の気持ちで買い物をするのに他人からプレゼントされると飛び上がるほど嬉しく、さして多く使っているわけでもないのに毎回の出来事が強く印象に残り、あのヒステリックな良い香りのせいで1週間くらい何故かユニコーンの事が頭から離れなくなるからだ。
そして大抵帰路では「NO!動物実験」の紙袋に何人かがギョッとし、その反応とは裏腹に自分はちょっとだけ環境意識の高い善人の気分になっているのだ。
それはさておき、せっかくバスボムをもらったので久しぶりに浴槽にお湯を張った。
風呂が出来上がるのを待ちながらかなりいい気分でアイカラーを試したり試供品を匂ったりし、お湯が溜まるとバスボムと共に湯船に沈んだ。
沈んだ、が、バスボムが全然ボムしない。
なんかずっとヌルヌルしている。
ヌルヌルを手に持ちながら10秒くらい考えて、これがバブルバーであることに気がついた。
そこから私はシャワーを1番高い位置に置き、熱いお湯を浴槽に向かって出した。
みるみる泡立ち、泡風呂が完成する。
その一連の動作をしながら、「なんで私こんなこと知ってるんだっけ。」と思った。
そして、唐突に自分が鬱病だった頃のことを思い出した。
鬱病を患っていた頃それはもう何もかもがめんどくさかったが、1番にめんどくさかったのは風呂だった。
風呂に浸かるとそこから動けなくなり、動けないまま湯が冷めて、そのまま頭も身体も洗えないまま疲れ果てて湯船から上がることがままあった。湯を抜くのさえめんどくさかった。
前に住んでいた家の風呂には追い焚き機能が付いていたので、湯を入れるのも湯を抜くのもめんどくさがった私は何日も同じ風呂に入った。
このままじゃだめだと毎日思っていたが、毎日どうにもならなかった。
遂に何度も焚き直した風呂からは人間の変な匂いがした。
それでも何もかもめんどくさかったので、私はふと思い立ってこの変な匂いをどうにか誤魔化そうとずっと使っていなかった貰い物のLUSHのバスボムと一緒に浴槽に沈んだ。
沈んだ、が、バスボムが全然ボムしない。
なんかずっとヌルヌルしている。
バブルバーだった。
最悪な気持ちになった。
今思うと全く意味がわからないが、自分はバスボムさえボムできない人間だと思うと意味もなく泣けた。
私の中でバブルバスは、ラブホテルとかのでかい風呂で意味不明な色の変わるライトに照らされながらエロい雰囲気で入る物のはずだった。それなのに自分は電球の切れた風呂で1人、鬱病になりながら泡すら立っていないバブルバスに浸かっているのだ。自分が惨めで仕方がなかった。
そしてこんなにも自分が惨めで泣いているというのに、その時ですら何故かユニコーンが頭から離れなかった。
悲壮感に浸ろうとしているのに一向に思考の片隅を退こうとしないユニコーンの馬鹿馬鹿しいポップさに、私は急にバブルバスを完成させてやろうじゃないかとふと思い立ち、シャワーを1番高い位置に置いて熱いお湯を浴槽に向かって出した。
私は完成したバブルバスの中に何時間も浮かんでいた。馬鹿馬鹿しいユニコーンのおかげで、湯が冷めても焚き直しのボタンを押すことが出来た。
ぷかぷか浮いているだけなのに、身体が綺麗になっていく気がした。
風呂から上がると、流石に明日この液体を焚き直すわけにもいかないと思い湯を抜いた。
流れていく湯を見つめていると、なんだか浴槽も心なしか綺麗になっている気がした。
身体が清潔になった気がすると、少しだけ元気が出た。
それから少しずつ何かをする気になり、例えばそうめんを茹でたり、ゴミ出しをするようになった。
そして時は流れ私はなんとか人間っぽさを取り戻した私は、今こうして呑気にバブルバスにぷかぷか浮いているわけだ。
この話に特に大した教訓はないし、実際のところ多分、バブルバスによって自分も風呂もさして綺麗になることはない。
それでももし、周りに本当にだめそうな人がいたらあのインスタントな清潔をプレゼントしてあげることはいいことかもしれないと思う。
バスボムじゃないことだけは絶対に念押しして欲しいが。
1 note
·
View note