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fairlily · 8 years ago
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このシステムが正しいかどうかよくわからないから、壊しつづけるということを決めたのではないか。
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fairlily · 8 years ago
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ゴキブリを食べる夢をみた。 部屋でもぞもぞしていたら、窓から野田洋次郎が顔を出してきてなにごとかと思ったら踊りはじめ、となりの建物でダンスレッスンの講師をしていた。むかし公民館でやってたようなストリートダンスレッスン。 それから、携帯で不吉なメールがきたところで、嫌で目を開けた。夢でよかった。
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fairlily · 8 years ago
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お嬢さん パク チャヌク 伝統的な日本の変態、わかりやすい美、とギャグのつまった映画だった。ララランドばりの映画ならではの回想を、一部二部三部にして構成。最後はものすごくハッピーエンドで、愛が強くていい。
一番ぐっときたのは、 男に読まされてきた春本の数々を、スッキがものすごい剣幕でぶち破るところだった。感動で涙があふれていた隣のおばちゃんは、なぜここで泣いたのだろう?スッキの愛の深さを知ったからだけではなかったはずだ。 男という存在にコントロールされ、つくられてきた数々の春の本を、 こんな汚いことを、紳士の前で読まされていたの?と、怒り、春本がつくられてきたその歴史のすべてを塗り替えるようにたくましく、反抗していく女に感動した。わたしは。
けれども、本をすべて水に流してしまうところに、レイブラッドベリの華氏451を思い出して胸が痛んだ。
どのような表現も、禁じてしまうのはおそろしいことなのかもしれない。
それでもその表現によって、表現はたいがい、誰かを傷つける可能性があるということだ。
パクチャヌクも春本を否定したいわけではないだろうし、むしろものすごく忠実に勉強されていて、かなり学んだ。
けれども男が真面目に演じれば演じるほど、美しい画がはまるほど、全部偽物にみえて、お芝居だこれは!だから面白いというか、コントってこういうことなのかしら。わたしこういう映画好きだ。と思う。 もちろん、映画に本物を求めて、それが実際にあったことだと信じる気持ちもわかるけれど、嘘からどうやってはじめるか、それをこねくりまわす人間の想像力のほうにわたしは感動する、そのなかに、自分だけが感じられるテーマもあったりする�� 韓国のひとが、日本の春画にチャレンジするために、あえてオール韓国人キャストで片言の日本語をしゃべりながら演じるというのも見所のひとつ。片言だからこそ生まれる絶妙なトーンを日本人として味わえるのは、わたしの特権だ。世界中でヒットしているということだが、これは日本人がある意味一番面白がれるのではないかと思った。
一言で言うと、すばらしく面白い。
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fairlily · 8 years ago
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花を吐く女 涙ながらに訴えるも、腹を蹴られ、なぐられ、思わず花を吐く。血のかわりに花を、切り刻まれても花が、土が、そこから芋虫が這い出てくる。細切れにされて、からだの輪郭などとうに見えなくなっても、花が、土が、生命が湧いている。 どこへ撒いても、女は姿形を変えて生き続ける。
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fairlily · 8 years ago
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レイブラッドベリ 華氏451 われわれは、花がたっぷりの雨と黒土によって育つのではなく、花が花を養分として生きようとする時代に生きておるのだよ。花火でさえあれほど美しいにもかかわらず、大地のふしぎな化学作用の産物だ。それでもなぜかわれわれは、現実にたちもどるサイクルを完結させることなく、花や花火を糧に生きていけると思ってしまう。
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fairlily · 8 years ago
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3.11
あれからもう6年も経ったのかということ。6年というと短い気もする。小学校でいうと、入学して卒業するまで。あのころは、身体的な成長を挙げればキリがないほどの変化が起こっていただろうけど、22歳からの6年は道のりがユニークだった。こんなふうになるとは、こんなふうな土曜日を過ごせているとは、夢にも思わない。 非常袋は買った。けれどもまだパンツは入れていない。チェックする日にしよう。パンツを入れよう。2枚くらい。 今日こうして6年目が無事に過ごせていることに感謝。感謝しつつ、やはりふと思った、明日地震がきてもおかしくはないこと、ここは東京だから。 そう考えると親不孝だとか子ども出来ても安心できないとか、もやっと頭の隅で考えるけれど、何の因果かわたしはいま街に生きている。東京で生活している。 おかげてたくさんの映画もみられて、お酒も人も。精神はたまに不安定になれど、それもまた、おかげさまで豊かだ。 感謝。 多謝。 愛しいひとがいる日々。
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fairlily · 8 years ago
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ララランド
アップルのCMみたいなのからはじまって、ストレスフリーなアメリカ王道エンターテイメントがつづくなか、どうしてもひとつ、ずーっと、観てるうちに段々、ライアン・ゴズリングがあの人にしか見えなくなってきて、昔気持ちがあったので、しかもピアノを弾いているしもうそれにしか見えなくて、昔の気持ちに感情移入しながら観ていた。もちろん過去はそんな映画的でもドラマチックでもなかったけれど、ただあの顔に心得ありな個人的な記憶が、映画的にトントン拍子にドラマチックにいくファンタジーを妙にリアルに覚えさせてしまった。主演俳優の顔のせいで、結局まともに見れなかった。という映画。 ずっと愛しているという言葉はいいなと思った。たしかにわたしは今、ものすごく好きな人と一緒にいられているけれど、過去に経験した恋も、その気持ちは大事に記憶されているのだなと実感。そのとき思いきり愛したら、その経験まるごとふくめてずっと愛している。
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fairlily · 8 years ago
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してあげたことは忘れる。 してもらったことは忘れない。
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fairlily · 8 years ago
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ネオンデーモン
ヘルタースケルターを、一万倍かっこよくしたらこうなるのかな、という���想。ずーっとヴォーグの広告写真レベルの画が続き、普段はすましているスーパーモデルたちが広告のなかで怒ったり、血を流したり、憤っている。どこまでもかっこよく。美に執着した女を描くと、圧倒的な女神と、それに寄り添う同性の下僕と、それを妬む女達が必須の要素なのだな。あとは、適当な男達が、圧倒的な女神をみて、阿保みたいに鼻の下を伸ばしていたらいい。ここまでかっこよく、映像美で描かれたゆえに、美に執着するむなしさ、そもそも根底のテーマの薄っぺらさが際立つのがすごくいい。映画のつくりは薄っぺらくないけれどとにかく女達はどこまでも薄っぺらい。これ。これ。そう。だから逆にどこまでも画は足し算できるのかも。女達の根っこになにもないから、ここまで色々足し算してもばっちりきまるのだ。 なんにもない、モデル。最高である。
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fairlily · 8 years ago
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明るいこともある
人生なにが起こるかわからない。高校時代ひたすらひとを嫌悪し、避けて、断絶してきた人間が、こんなにも素晴らしい人々に囲まれてそのひとたちひとりひとりの力によってあるひとつのものを作り上げる日がくるなんて想像出来ただろうか。映画も、舞台も、どちらもお祭りである。短期間、ぐっと人々が集まって、一斉にやる。ひとつひとつのピースを組み立ててもらって、その上にわたしはえいっと乗る。乗って、のたうちまわって、その時間その場所に、あらんかぎりの力を込める。映画はデータとして残る違いはあれど、終わったら解散、仲良くなってさようなら、というあの感じを味わうと、わたしはそういう世界に生かしてもらっているんだなと実感する。 そして、そうしたことを思い切りできるのは、やはり自分ひとりで立っているわけではないのだ。いいのか悪いのか、学生時代は親が支えてくれ、今は夫が支えてくれているのだ。精神的にも経済的にも。経済的という単語が出る度に苦い汁をのむけれど、事実である。わたしはひとりで立ってはいない。もう、基礎的な生活の礎から人様におんぶにだっこである。堂々と、自信もって胸張れることではないが、どんな形であれ、お祭りのなかに生きられること、がいまはひたすらありがたい。 ぐだぐたの身体をひきずりながら、家に帰って片付けて、ベッドで思い切り寝ることを考える、映画にふたりで行くことを考える、小岩井さんマッサージを���けて、髪切って、お酒を飲んでプロジェクターなんかつけちゃって、晴れの日には散歩して、などということをするぞ、未来のちいさな幸せを想像している今が、一番達成感があるのかもしれない。 あとはだいたい、悩んでいるか、苦しんでいるか、身体痛いか、どれか。
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fairlily · 8 years ago
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からだというより心のほうがよっぽど傷ついた晩であった。 愛されたいのは下手くそなラップを歌う大して可愛くもない二人組ではなく、身近にいる、あなたの隣にいるひとですよと言いたくなる。 そんな晩に変な夢をみる。 ライダー 運転するひとはドライバー 同乗するのはライダーという謎の職業。 ライダーも職業になりうるというはなし。 ライダーがどれだけ工夫するかで、ドライブそのものの体験がまったく180度変わるよというドキュメンタリー風夢映画。 ライダーは本当にライダーを職業にしていて、ムスメがひとりいる。 かなり変わったおじさん。 白人で金髪。 エックスメンのまん中の人に似ていた。 娘はダコタファニングに似ていた。
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fairlily · 8 years ago
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フィーバールーム
久しぶりのテキスト。ようやくタンブラーにアクセスできる。 アピチャッポン ウィーラセタクン フィーバールーム KAAT 開演したら、みんなで暗い細道を連なって歩き辿り着いたのはまっくらなボックス。ブラックボックス。半分以上座布団に座り、みんなで同じ方向を向いて、さながら野っ原で野外上映スタイル。 座布団席一番うしろの真ん中に座る。 始まる前から、なんだろうこのかんじ。小学校の全校集会で体育座りしてるみたいな。この距離感でこの体勢で、たくさんの人と隣り合うこと自体久しぶりなかんじ。 始まると映画が。 映画なのか! とおもいきや途中から映画が光臨してきた。 小学校の体育館なら、校長先生がいる場所に、みんなで体育座りしながら映画が光臨する様を観ていた。 はじめの���ちは見方がわからずみんなが戸惑っているのを後ろから見るのすら、パフォーマンスの一種にみえる。 ある程度慣れてきたと思ったとたん、ここで本格的に幕が開き、わたしたちはもうひとつの劇場の客席に座る亡霊たちに見送られて、この世ではない場所にトリップすることになる。 幕が開いた瞬間が凄かった。その光景が凄まじすぎてずっと理解できずにいたけれど、なにかとても意味のあるようなことな気がしていた。 みんなで一緒に旅をしていた。 だれも特別なひとはいなくて、無個性、無記名の人々が、みんな一緒になって、ただひとつの光を見つめていたと思う。もちろん、座っている場所によって、みんな見ている景色はそれぞれ全く違うだろうとわかるけれど、見つめていたものは、感じていたものは同じだったんじゃないだろうか。なぜ同じものを見ようとしたのか、それはわかりやすくて、それに集中した方が絶対に気持ちいいからだ。焦点をぶらつかせるより、いさぎよく受け入れて、どうぞここです!という一点を見つめるのが一番気持ちいいのだ。そんなことが出来ること、そんなことを考えてしまうのは怖い気さえするけれど、この一点の光による空間まるごとの一体感は、ア��チャッポンのこの舞台でなければ味わえなかったと思う。 人々の後ろ姿ってこんなに落ち着くものだったっけか。普通映画なんかみるときは邪魔なのに。 文明のない民族が初めて飛行機を見たとき、神だと勘違いして自らを滅ぼしてしまっていたけど、こんな衝撃だったのではなかろうか。。
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fairlily · 9 years ago
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引っ張り合いながらぶつかり合う。とびちる。手だけはしっかりつながっている。
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fairlily · 9 years ago
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ふたご、どっちがどっちともらつかずに手に手を取り早歩き。お互いをお互いで引っ張る感じ。森のなか。 森のたくさんの音がきこえる。木の皮を剥ぐなにか。 石をつむなにか。 木のかけらをら積むなにか。 森の音に、ふたりの足音。 段々激しく引っ張りあって、息も苦しい。楽になりたい。 どこかでふっと振り返ると、同じ顔をした子に背中を押される。勝ったと思ったらその先は谷底だった。 深い深い谷底。べちゃっと潰れる肉。 木を剥いでいた手が止まる。 石を積んでいた手が止まる。 木のかけらを積んでいた手が止まる。 静けさ。 カラン、コロン バキバキバキ カランコロン メリメリメリ 遠くから、木の音。 背中を押した子が後ろを振り返ると、顔はふかく隠したマントを身につけた子達が手だけだして駆け寄ってくる。手には木のカケラを持っている。 カランコロン あの子が落ちた谷底に、 カランコロン メリメリメリ 木を落としていく。 美しい、木の音が響く。 メリメリメリ ぼっ 火がついて、 焼いて煙に。 雲の上にぷくっとたまるなにか。 飛行機の上からみる雲みたいなやつ。 カサカサカサ 手がたくさん。 背中を押したあの子に駆け寄る。 手に手をとって、顔を出して、また歩き始める。
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fairlily · 9 years ago
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オペンペンが死んだ。アフリカツメガエルの。その二、三日前から体調が激変していてああもう覚悟しなきゃいけないのかなと思っていた。一週間ほど前に仰向けになって気絶しているのを目撃してからあっという間だった。もっと早くに処置できていれば回復したかもしれないという思いは強い。死因はたぶん、食べなさ過ぎによる衰弱死、だろうか。もともと食が細くて、一緒に飼っているアルビノ種のラーラにいつも餌を横取りされていた。それでもおこぼれをちょいちょい食べていたので、そのうち強くなってたくさん食べるようになるだろうと思っていた。じゃなきゃ死んじゃうんだから。生きようとする本能が自然と働くはずだと思っていた。そしたら本当に死んでしまった。最後まで食欲は戻らなかったし、気付いたらガリガリに痩せていたんだと思う。とても弱い個体だったのだ。弱い個体は、自然界ではきっともっと早く死ぬ。餌を見つけられなくていつもあぶれているようでは、体力をなくしてすぐに他のものに食べられている。そうだとしても、私はオペンペン��飼っていたのだから、もっとケアできなかった��かなと思うと弱者を切り捨てる悪代官政府みたいなことをしてしまったと悔やまれた。そうかと思えば尺八奏者の東儀秀樹さんはアフリカツメガエルも金魚もザリガニもメダカもグッピーも共生させていて、その間グッピーはカエルに何度も食べられていて、でもそれも自然観察だと言っていてなるほどなあと思ったりした。そういう風に、悲しい一つの死が際立ってしまうよりも、たくさんの生き物が住んでいて、毎日誰かが死んだり生まれたりしている水槽の方が、楽しそうだ。生死はそんなになくてもいいけど、ドラマは多いほうがいい。ラーラもうんと太らせて、大きくして、仲間を増やそうと思った。
オペンペンは河原の土に埋めに行った。骨壺を抱えるようにしてオペンペンが入っているガラスの水槽を胸に抱えて河原まで行った。オペンペンは動かなくなって、死んでも、浮かんできたりしなかった。お腹のなかに溜まるガスすらなかったのだろうか。でも死んでいるのは確実にわかった。死ぬ前の生気のなさも伝わった。なんとラーラは最後、オペンペンを食べようとしたのだ。足を、本気で食いにかかっていた。それだけ、オペンペンに生気がなかったのだと思う。あの時はもう半分死んでいたのだと思う。小さな穴を掘って、そこに残っていた水ごとオペンペンを流し入れた。土が巻き上がって、水が黒く濁って、オペンペンはあっという間に見えなくなった。どこに行ったんだと目を凝らしていたら、水が土に沁みていって、オペンペンの上半身が見えた。ああよかった。仰向けに流し込まれたりしないで、いつもの正常な形で土に入っている。土をかけて、家に帰って水槽を洗おうとしたら、死んだ魚の匂いがした。あんなに小さな体でも、こんなに強い腐臭を放つのかと思った。
悲しいけれど、これでもう生き物なんか飼いたくないとも思えない。といって私にムツゴロウさんのような動物愛があれほどまでにあるかというとそうではないのだけど、また飼いたいし、別の種類にも興味があるし、まずはラーラの水槽を賑やかにしたい。ひとりぼっちは絶対にだめなのだ。
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fairlily · 9 years ago
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ちょっといつもより余計に落ち込んだくらいで、誰かに病気と名付けてもらいたくて精神科に行くのと、本気で悩みを打ち明けに占いに行くのと、どちらが可愛いだろうか。
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fairlily · 9 years ago
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その事実に気づくと、かなり驚く。それは辛いだろうと思う。なにかむしゃくしゃしたときに、パーっと卓球でもしようと、自分から誘える人もいないのだろうか。
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