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秋(2019)
この季節の女の子の肌はひんやり、しっとり、そんでもってさらさらとしている。かじかんだり乾燥したりするほどでも無いが、風にあたって深層まで冷えていて、キメの細さが目立つようで、とても綺麗。思わず、目の横から顎にかけて手を添わせたくなる。
藍色の空。銀杏とタバコの匂いが混ざって漂ってきて、それらを体いっぱいにとり込む。
夜は冷えるから、羽織を持っていかなくちゃとか、冬服を着るほどじゃないから、難しいわとか、そういったあの子の陰鬱。
チェック柄は幾何学模様だ。全てに規則性はある。
2019.10.13
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2019/07/07
近況報告
バイトから帰ってひと息つく間もなく、その瞬間を待ち構えていた。ラジオを聴くのは久しぶりだった。友達のバンドの曲が流れるのを待っていた。中高生の頃は、どれだけ次の朝が早かったとしても、好きなアーティストの番組を聴き逃したくなかった。トイレに行く時間さえ、惜しかった。そういった感覚を、全然違う目的で味わえて、とてもノスタルジックな気持ちになった。
何回も聴いたアルバムや、何回も読んだ本をもう一度味わうのが、私の中の流行りだ。忘れていたことを思い出す。既に忘れているということに価値がある。瘡蓋を剥がして自分を慰めていた時期は必要だったけれど、現在の自分にとても失礼なことでもある。私は、今、リアルタイムの問題と取り合っている。思春期を通り越して、一皮剥けた自分と、向き合っている。
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カブトムシ
シルバニアファミリーや、ニンテンドッグス、どうぶつの森など。幼少期の女の子は、心の中に箱庭のようなものを持っていた。登場人物には気持ちや関係性があったり、各々のイマジネーションが玩具を補填して成り立った世界である。それらには1通り手をつけたけれど、私はもっと強烈な好奇心を、水槽の中に見出していた。魚やミズガメなどの水の生き物の飼育本を暗唱できるレベルで読み漁り、外に捕獲しに行ったり、貯めたお小遣いで買ったり。あとはこどもの日ゆうパックでお父さんが注文してくれる、カブトムシの幼虫を育てること。��きめのプラスチックの牛乳瓶型の容器に、腐葉土がたっぷり詰まった中に1匹ずつ入って送られてくる。成虫まで育てるのはなかなか苦戦した気がする。昆虫についても、よく勉強する必要があった。図鑑が私にとっての教科書のようなもので、種を覚えるだけでなく、コピー用紙に鉛筆で模写までした。黒くてテカテカした体や、手足の節々、細かい毛、男の子の好きなものであって、むしろ女の子は毛嫌いしてもおかしくない。それらのひとつひとつの要素に息が止まりそうなくらい興奮したし、生命を感じていた。
親が共働きなので、小学生くらいまでの夏休み期間は、長ければ1か月単位でおばあちゃんの家にあずけられていた私は、当たり前のようにそれらの生き物を引き連れていった。そのとき久しぶりに会ういとこのお兄ちゃんも、大きな水槽を持っていた。しかも、1匹くれるといった。私のミヤマクワガタ1匹のみを入れた水槽に、譲ってもらったカブトムシを入れるのは結構躊躇した。とにかく死なせるのは怖かったのだ。簡単に混生・混泳させることの難しさは、よく知っていた。ええい、と思ってクワガタと同じ水槽にカブトムシを入れてみて、案外大丈夫そうだな、なんて安心した。翌朝、カブトムシが真っ二つになっていた。めちゃくちゃ鮮明に覚えている出来事である。2匹は私の一生をギュッと凝縮したような営みを、1晩で繰り広げたのだった。
部屋に入ってきたコガネムシを素手でとって窓から逃がすことすら、しなくなった。できないことは無いけれど、かなり驚かれるのが面倒だからだ。私が入れ込んだ男の子っぽいこととえば、本当に昆虫を生育することのみで、パッと見て虫好きからは程遠い外見をしていると思う。そして歳を重ねて一番変わったことが、虫を人並みに気持ち悪いと思うようになったことである。すごく不思議だ。それでも幼少の頃にたくさんの小さな命と関わったことは、私のアイデンティティといっても過言ではない。言い方を変えれば、その記憶と共存していくし、一生捉われて生きていくんだろうなと思う。何度も死なせてしまっているから。
中学の同級生が、できちゃった結婚をした。私の交友関係の中で、一番早い結婚・妊娠・出産でもあった。相手は年上の、地元の人である。私は彼女をみて、あのカブトムシを思い出した。そしてちょっと怖くなった。
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2019/5/13
友達と楽しい時間を過ごし、手を振って別れ、家路についた。阪急線は十数分前まで止まっていたらしく、北千里線は大規模な遅延が起こっていた。淡路駅で乗り換えようものなら、次の列車を待つ時間、人混みにまみれるしかなかった。下宿生活を始めたので、満員電車に乗るのは久しかった。いつもはお昼過ぎに乗る、ポツポツと席が空いていて、斜め前くらいに華奢で可愛い女の子がいる、小豆色の列車。疲れた顔をしたサラリーマンがほとんどで、どっとよどんだオーラを振りまきながらやってきた。できるだけ外の空気を吸い込んで、右足から乗り上げた。上半身がおじさんに密着するのを手でガードして、目をつむって耐えた。背が高い人は、まだマシな空気を吸えているのだろうか。私を見下ろすような目線の高さの、架空の男の子のことを想った。彼は人の波の中を、大後悔の旅に出るのだ。本当に好きな人のことを想って。小山田壮平は耳元で、「人身事故で君に会えない」と歌った。どんどん彼の幻影は消えていき、苦しくなってきた。とにかく、見知らぬ人に触れることが苦手なのだ。友達が今日私にかけてくれた優しい言葉を反芻することで、不快な気持ちを抑えようとした。歯でいうところの知覚過敏みたいな性格で、車両全体の負を蓄えてしまった。降りた頃にはくたくたで、涙がにじんだ。今日はとても疲れていたのだ。彼女とは1年の付き合いなのに、まだ人見知りをしている。私のことをすごく好きでいてくれている分、とっても申し訳ない気持ちになる。私も大好きだよ。最寄り駅の近くの音楽スタジオで、折れていたドラムスティックを買い足した。よく目が合う男の店員さんがいる。どぎまぎした表情でお会計をしてくれて、いつもより丁寧に礼を言うと、はにかんでくれた。男の子は素直で可愛くて、楽だと思ってしまった。最低だ。ALを聴きながら、足を進めた。なんだか、また、泣きそうになる。
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2019/5/2
道端に落ちているハナムグリを見て、夏の訪れを感じた。彼らは歩いているでも飛んでいるでもなく、落ちているときがよくある。死んでいるかと思っても、そうでもない。4月、肌寒く感じることが多かった。それが、気づいたらじんわりと背中に汗ばんでいる。絵に描いたような春はフィクションなのである。
季節が変わるごとに、一番好きな季節がきたと思う。時間の流れは速い。飽き性な私すら20回目の夏を待ちわびている。
お父さんのする昔話で、とても気に入っているものがあって、大学時代の先輩の話である。彼は写真部で、「夏の終わり」をテーマにした作品を撮ろうとしていた。アイデアが思い浮かばなくて、街に落ちていたコーラの空き缶とセミの死骸を適当に並べて、なんとなくシャッターを押した。その作品が入賞したらしい。私はそのすごく情緒的な作品を何度も想像して、うっとりした。芸術も、四季も、そうであって欲しいと思う。
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2019/3/19
新しい生活は、意外と直ぐに体に浸透していった。ホームシックにもならず、適応能力の無さは靴擦れレベル小さな負担と抵抗でしか現れなかった。1日目の晩、不安感に襲われただけ。今までほとんど家事を経験してこなかった私は、ワンルームに行き渡る柔軟剤の匂い、ごま油の匂い、時には生ゴミの匂いと一緒に、それらの動作を取り入れた。理想の生活を、理想の一人暮らしの女の子を、ただただ丁寧になぞった。1ヶ月も経たないが、人間としてちょっと成長した気でいる。精神も安定している様な感じだ。
ここまではかっこつけている私で、本当は大森靖子の新曲を聴いて涙を流したり、大好きだった少女漫画を漫画アプリで読んで、当時の綺麗なままの恋の思い出を反芻したりもする。生活の合間にそういうことがある。スッキリしない自分もそれらの作品は許してくれるから、これからも自分本意な夜を編む。
大切な人が傷ついていたり、思った通りに喋れなかったりで、行き場の無い思いは沸き上がってくる。一緒に悲しくなったり、冷静になって自己分析したり、心情は揺れて揺れてひとつに定まらないけれど、不安定な部分こそがわたしを突き動かすパワーみたいになっている。傷つけるくらいなら傷つけられる側に立候補してしまうような、あなた達。あなた達こそが、私のアイデンティティです。
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2019/3/5
一人暮らしを始めた。わからないことだらけだけど、早速いろんな人が遊びに来てくれていて、楽しい。部屋は十分に広いし、WiFiがついていたので丸1日YouTubeを観て過ごすことも出来る。とても快適。下宿を許してくれて、引越しも手伝ってくれたお父さんとお母さんに、大感謝している。
昨日はライブだった。めちゃくちゃ興奮して、熱い気持ちになれて、今までにないような感覚だった。上手いとか下手とかそういうことじゃない、1番理想的なライブだった。2バンドとも、全員がとても頑張って、すごく良かった。音楽はいつも掴めないしわからなくなることの方が多いけれど、たまに意味がわからないくらいのエンドルフィンがドバっと出て、沸騰しそうになる瞬間が気持ちいいから、何となく続けている。それと、大好きなアーティストへのリスペクト。言葉よりもメロディーやリズムが多くを語るだなんて、本当に不思議だ。
数名の途中から入ってきた同期の、初ライブの日でもあった。4月から足並みを揃えてスタートしたわけではなく、季節が変わってから飛び入り参加してきた人達。きっと勇気がいったと思うし、不安もあっただろうけれど、仲間になってくれてどうもありがとう。私にはそういうことは出来ないので、心底尊敬する。きっとみんな音楽が大好きで、真っ平らな心の持ち主なんだろうな。そして彼らが楽しんでくれているのは、元から居た人達の業績だ。私含め。やったー!!!
音楽をしている魅力的な人達は物事に熱しやすく冷めやすいし、直ぐに人の事を信用する。周りからの耳触りの良い評価で首の皮一枚繋がっているような、ハラハラする生き方をしている。そんな人が多い。彼らの素直さにすごく助けられている。嘘っぽく厭世的な目つきをした彼らに、本当の嫌な奴の私が温められていく。好きとか嫌いとかじゃなくて、ただ憧れているのだ。
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世界平和
朝起きたら、肩にかかるくらいのボブヘアーが、胸までのロングヘアに伸びていました。
髪を切る・切らない、染める・染めない問題は、世界各国で毎分毎秒提唱されています。私も物心ついた時から、幾度となく悩みました。1番長くま��伸ばしていたのは高校生の時で、黒くてツヤツヤした自分の髪がとても好きでした。髪のちゃんとした手入れの仕方を勉強したのはこのときだったと思います。しかし、私は人並みに自意識過剰なところがあるので、気になっている男の子が「ショートカットが好き」というと、その日のうちにばっさり切ってしまう癖があります。かっこいい男の子は、みんな口を揃えてショートカットが好きと言いました。その度に私は、急いで美容院に行きました。それなりに似合うと思うし、いつも気に入るんだけれど、それでも1ヶ月もしないうちにふと後悔するんです。ああ、切らなかったらよかったなって。どうしようもなく悔しいので、その気持ちはなかったことにしますが。
それが今日、起きたら髪が伸びていました。こういう時、普通みんなはどう思うのだろう、と最初に思いました。どう思うのが正解なのか、悩みました。こんなことってあるのでしょうか。私の友達たちなら、きっと「気持ち悪い話」として、大きな身振り手振りで話すでしょう。私は、ここだけの話、「夢みたい」と思いました。だって、こんなことって、無いですよ。なんか、とても不謹慎なことをしているような気持ちです。背徳感と言うのでしょうか。
美容室に行って時空の辻褄を合わせるべきなのは分かっています。けれど、いつも変化を求めて行く場所に、変わらないために行くなんて、抵抗があります。皆さんなら、どうしますか。
明日朝起きたら、今度は金髪になっているかもしれません。空が金色になったり、犬がいきなり絶滅するかもしれない。漫画みたいにバナナの皮に滑って転ぶかも。だって、もうすでに私の中に均衡や安定の文字は、ないのだから。自然の摂理はとっくに覆されました。本当の自由を手に入れたようにも思います。融通がきくとかそういうことじゃなくて、型に囚われない心を手にしたという意味です。私がずっと本当に欲しかったものは、ロングヘアーじゃなかったということですね。大好きな人に見せに行ってから、またバッサリ切ろうと思います。それからは普通の顔をして、実は自分が普通じゃないことを知って生活します。ここだけの話なので、誰にも言わないでください。誰にも言わないでねと言って、誰かに言わないでください。
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ラブレター①
4歳の頃、今の住む街に引っ越してきてすぐに、彼女が特別な存在だということを理解した。みっちという愛称で親しまれていて、独特の顔付きと少しぽっちゃりした体型、そして凶暴な性格が特徴だった。保育園児だった時のことはあ��まり覚えていないけれど、他の同級生をフォークで刺したことがあったらしい。特に小学生の時のみっちの印象と変わらない。
同じ小学校に進学し、家が近いこともあって、よく一緒に登下校した。お父さんとお母さんの背は高いのに、みっちは全然身長が伸びなかった。背の順で1番ばかりだった私と同じくらいで親近感があった。でも、勉強の出来は全く違った。公文教室で先の内容を予習している私と、3年生になっても九九を言えないみっちは、明確な差があった。それは私とみっちの差というより、周りの全員とみっちの差だった。
暴言を吐いたり、殴ったり、猟奇的な行動をすることは日常茶飯時だったけれど、たまにクラスの男の子に体操服袋で思いっきりぶたれたりしていた。泣いている時のみっちは、いつもの何倍も大人だった。ぐすん、と鼻をすすって、泣き声を漏らさずに、静かに泣いた。反抗する気持ちが一気に感じられなくなって、ただ悲しみを受け入れるような仕草だった。
学童保育にも一緒に通っていた。みっちは野菜が嫌いでどうしても食べられないので、お弁当箱にはご飯と大好きなミートボールと卵焼きのみが詰められていた。ご飯を冷まさないままタッパの蓋を閉めているせいで、毎日お弁当を開けるのに手こずった。みっちのお母さんにはちゃんとして欲しいなと思った。ありのままに形容すると、お母さんは幸の薄そうな美人だ。お父さんは、髪の毛のないおじさん。私の親よりも歳上に思えた。休日にみっちと会うときは、待ち合わせ場所まで一緒に来ることが多かったので、よく話した。私がお母さんに、「何のシャンプー使ってるん?なんでみっちは髪の毛サラサラなん?」と聞くと、「それは元からやねんで。シャンプーは関係ないねん」と、心底嬉しそうだった。
みっちと私が仲良くすることは当たり前のことだった。家が近くて、保育園が一緒で、まるで年下の子のようだったから、守るべき存在だった。気づいたら小学校6年間は過ぎていて、別れは突然に訪れた。
私の進学した地元の公立中学校に、みっちは来なかった。噂に聞くと、みんなと違う中学校に行ったらしい。公立校のシンプルなセーラー服と違う、チェックのスカートと紺のブレザーを着るみっちが、知らないおばさんと一緒にバスに乗る光景を何度か見た。大きく手を振っても、遠くて気づいていなかった。そして忘れもしない、中学1年の夏の日。小学校を卒業して4ヶ月くらいで、初めての夏休み。私はテニス部の練習に明け暮れていた。早朝自転車に股がって、グラウンドへ向かう途中、みっちとおばさんに正面から遭遇した。思わず、「みっち!!!」と大きな声を上げて手を振ると、みっちは大きく目を見開いた。私は、いつも通りにゆうみ!!と嬉しそうにする彼女の顔を想像した。でも、その後みっちは首を傾げて、また何も無かったかのように歩き出した。おばさんは私に軽く会釈すると、みっちと同じ歩幅で足を進めた。みっちは私のことを忘れていた。というか、認識できていなかった。
私にとってみっちとの別れなんて、大したことじゃなかった。ただその瞬間、少し胸が痛んだ程度のことだった。良く考えれば髪型を短くして、違う眼鏡をかけ、違う体操服を着ている私を認識できないことなんて、容易に想像出来る。出会った頃からみっちは、そういう子なのだ。普通とは違う。
会わなくなってから、何年も経った。私はあと半年くらいで20歳になる。みっちは早生まれだから、あと丸々1年経てば20歳だ。私がお父さんと進路の話をしていた時、子供や教育に関わる仕事がしたいと言うと、お父さんが「みっちと一緒にいた時間は大切だったね」と言った。久しぶりに聞いた三文字。走馬灯のように彼女とのことが思い出されて、目に涙が溜まった。その存在がどれほど私にとって大きかったか、やっと気づいたのだ。私に大切なことを教えてくれたみっちに、そしてみっちと一緒にいることを反対しなかった両親に、猛烈に感謝した。
元気にしていますか。これから先会うことがあるかもしれないし、無いかもしれないけれど。変わらず、私の確固たる部分の一部が、貴方でできています。出会えてよかった。
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2019/1/13
新年最初の更新。本当は5回くらい下書きをボツにした。
今日は久しぶりに1人で出掛けた。隣に友達がいない分、どうでもいいことが目につくし、不思議に感じる。京都までの道程は2時間ちょっとと、決して近くはないのだけれど、大学までの通学定期のおかげで300円台で行ける。それがとても嬉しい。当時の彼氏が住む、訳の分からない街へ330円かけて足繁に通った高校時代とは違う。友達に借りた本を読んでいると、乗り物酔いをした。私の脆弱な三半規管は、電車通学で鍛えられていると勘違いしていた。活字に滅多打ちにされた。久し振りに頭痛もした。頭から肩甲骨周りまでの1枚の大きなプレートみたいなものが痛んだ。酷い肩こりでおばあちゃんみたく腕が上がらないのは、今に始まったことではない。行ったことのない整骨院に惹かれる日々。車内で大きな声で泣くかわいい赤ちゃんがいた。お母さんの気持ちを思うと、ソワソワした。仕事を果たしている赤ちゃんを見て、頑張ってるなぁと思った。お母さんとお父さんを席に座らせ、1人で背筋をピンとして立っている女の子がそれを見ていた。塾講師をしている私が推測するに、小学3年生くらい。何を思うのだろうか。
本題。阪急河原町駅に着くと、すぐHelsinki Lambda Clubのインストアイベントに向かった。唯一京都で地図を見ないで行ける、OPAの中のタワーレコードだ。音楽のことは文章にすると、よくわかってないのがバレるので、怖いですが。ずっと前から凄く好きだ。CDの棚の影でリハも見届けたし、そわそわしながら本番は1番前で観た。かっこよかった。1番緊張したサイン会、前よりも思ったことをいえた。橋本さんが、最前で見ててくれたね~みたいなことを言ってくれて、嬉しかった。明日も楽しみにしてます、的なことも言えた。良かった。ツアーをするなら欠かさず観に行く、超お気に入りのバンドの話でした。 OPAのGUREで赤いワンピースを買った。先週友達に会いに河原町に来た時、一目惚れし、見送ったもの。まだ残っていてよかった。とても可愛いから、売れていてもおかしくない。それはそれで、嬉しかったかもしれない。我慢できずタグを引きちぎって、トイレで着た。そして電車に乗って、母のいる心斎橋へ向かう。今この過程だ。派手なワンピースを酷評されることは、目に見えている。ひと握りの希望を持って、電車に揺られている。
久し振りに最後まで書き終えた。きっと、更新します。きっと。
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2018/12/26
朝一番、どうしてもアルバイトに行きたくなくて、行かなくていい理由を探していた。Yahoo知恵袋の住民達は、めちゃくちゃ私に厳しかった。あの人たちは、どの層なんだろう、という言葉に尽きる。ベストアンサーを貰えれば、自己肯定感が上がるのかな。そうであるとすれば、私にうってつけじゃないか。やってみようかな。お母さんが新しく買ってきてくれた、インヒールのコンバースのスニーカーをおろすことで、テンションを上げてどうにか家を出ようとした。ハイカットだからすぽん!とスリッパのように履くことが出来ず、足を通して靴紐を結び直した。めちゃくちゃ蝶々結びが下手で、いつも結び目が縦になってしまう。まるまる19年も生きてきて、こんなことすら上手く出来ないのなら、バイトなんて…。という思考に至る。どうしても行きたくないのだ。世界中の誰よりも単純で切実な願い。
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2018/12/4
それはそれは素敵な一日だった。翌朝、適当に大学へ行く準備をして、玄関で踵の高い靴を履くと、じんじんと足の痛みがぶり返した。昨晩家に帰ってから、数時間しか時間が経っていないから。酔いが覚めた後またお酒を飲むと、一瞬で酔いが回るあの感じだ。丸一日出かけていた次の日に、いつも起こる現象である。硬い靴底に足の裏が触れて、痺れに近いような痛みが走る瞬間、夜遅くまで出歩いていたことに対しての罪悪感が頭を過る。青春みたいな時間を過ごしたことを、戒められたような気持ちになった。 本当のことを言うと、憂鬱だった。めちゃくちゃ学校に行きたくなかった。しかし、あんなに素敵な時間を過ごした後、学校をサボってしまうのはバツが悪い、と無理矢理にも家を出た。授業中、労働中、彼らのことを想っていた。
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2018/10/13
近況報告
・髪の毛を切った。いつも通り、何の変哲もないボブに擬態した。変化が無さすぎて、彼氏しか気づかなかった。髪を切ってくれたお姉さんがすごく素敵だった。切りっぱなしのボブと強めのメイク、大柄な体つきが印象的だった。倖田來未が好きらしい。めち��くちゃ納得がいった。
・まつげエクステを付けた。minimoで安く予約した人気のお店は、マンションの一室で営まれていた。出迎えてくれたお姉さんは、美容系のお仕事をしている人には珍しく、ほぼノーメイクだった。時間が無かったのかな。しかし特徴の無いものの可愛らしい顔立ちをしていた。すっぴんに自慢のまつげエクステが浮いていて、生活感がすごい。私と同じくらいの目線ではあるが、私の2倍ほど細く、華奢な体つきで、暗めの赤髪がなんというか本当の意味で無造作だ。か細い声で案内されて、私がソファに座ってカウンセリングを受けている間、彼女は膝をついて常に私を覗き込んでいた。素敵に施術してもらった後、ドアを開けてもらい私が居なくなるまで手を振って見送ってくれた。なんだか、変な気持ちになった。
・懐かしい漢字をみた。それはなんとも言えぬ素敵なデジャブであった。その漢字がその人のものであったことすら忘れていたというのに。美しい思い出に風がたって、じわじわと海面が震えた。
家路についてから4駅分の距離より、愛をこめて!
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2018/09/28
肌寒さを感じる季節になった。去年の冬と今年の冬と、全く違うような時間を過ごすのだろうか。
女子校生だった私は、鎖骨よりちょっと下くらいの黒々とした髪をポニーテールにして、セーラー服を着てローファーを履き、学校に通っていた。第1志望の大学へ通える成績とは程遠いし、年上の彼氏に怒られることも日常茶飯事だったので、寝る前にちょこっと泣くことが多かった。真冬と言えるくらい寒くなった頃には、成績は伸びていたし、彼氏とはさよならしてせいせいした気持ちだった。それでも寒い季節特有のセンチメンタルに押し潰されそうで、毎日のようにandymoriを聴いた。とにかくandymoriを聴いた。小山田壮平は私に優しかった。大丈夫ですよ、心配ないですよ!と語りかけてきた。白い息を吐きながらチラチラと雪が降る中、遠方に住んでいる人向けの特設会場で大学を受験した。6日間も一緒に行った友達がストレスで精神的にやられていて、元々の性格の悪さが剥き出しになっていた。これにはさすがにこたえたので、彼女の存在が足かせになって不合格になったら、と漠然と不安になり、家に帰って大泣きした。2月16日、結果発表の日。私は合格していた。彼女は不合格だった。素直に喜べなかった。
大学生になった私は髪を短く明るくしたし、昨年よりもうちょっとマシな化粧ができるようになった。性格は明るくなったと思うし、勉強に悩まされることもなく、ストレスフリーな日々を過ごしている。今朝、久しぶりにストッキングに足を通して、伝線しているか否かで一喜一憂した後ふと思った。去年の冬と今年の冬、全く違うようで同じ冬を過ごす予感がした。私の中の根本のところは、変わっていないのだ。秋冬物の服の可愛さやハロウィン・クリスマスにワクワクし、ボルドーカラーに無性に惹かれ、親しくない人に人見知りをし、大好きな人には言いすぎてしまって家でちょっと後悔する。それを繰り返しながら、周りの人にたくさん優しくしてもらって、その分愛をお返しして、幸せな気持ちになる、私の、いつもの、特に不自由の無い普遍的な冬を、繰り返すのだろう。
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2018/08/27
前回更新した8月4日からのことを覚えている範囲で書く!特筆するべきことばかりなので困る!
私の夏休みの8割がたはバイトに時間を費やしているのだけれど、1週間のお盆休みがあった。その間に自分の誕生日を迎えたり、両親の実家に帰省したりしていた。母の地元は文字通りド田舎で、閉鎖された漁村、そして混沌としている。行けば行くほど、というか私が大人になればなるほど、背筋をピンとしなきゃ、という気になる。お母さんのお兄さん、私にとっての叔父にあたる人が結婚した。みんなで美味しいご飯を食べてお祝いした。大好きな叔父さんがとても幸せそうで、嬉しかったなぁ。その他の日は会いたい人に会っていた。1日も家でダラダラして過ごすなんてことは無かった。自分の行動的なところが好きだ。その分お金も減った。高校の時の友達と会った時間は、特別だった。笑いの共通感覚みたいなものは健在で、しょうもないことで、というか顔を突き合わせるだけで笑える。嬉しいことに、大学でもそういう友達ができた。部活の友達2人とご飯を食べに行った。道頓堀で美味しいものを食べながら、普段よりちょっと踏み込んだ話をして、それから土地勘ゼロの癖してマップも見ずに、適当にそれぞれの駅を目指して歩いた。その時の空気感は、中学の部活の厳しい練習の後に、同期と先輩の悪口を言いながら一緒に家に帰っていた時と同じ感じがあった。つまり激エモ!!2人は笑いすぎて頭が痛いと言っていた。私は台風が近づいている影響で頭痛がした。
書いたこと以外の時間は、働いていた。大学1年生の夏休みの半分とちょっとが過ぎた。大人になりたくないなぁ〜。今日もバイト行ってきます。
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ワンマンツアーが終わって
先に断っておくと、恐らくとてもとりとめのない文章になるし、異論は認めまくる話をすると思う。
まず、昨日名古屋でワンマンツアーが終わった。 メンバーとレーベル関係者(主に田巻さん)、ハンサムたかちゃん、レンゾ、などなど、そしてもちろん来てくれた皆さんに労いと大きな愛を。
ライブに関して、向上心というものを持ち合わせているとすれば当然思うところはある。けれど、このハードなツアーを終始楽しく笑って過ごせたというのは本当に素晴らしいことだなと、何度も思った。(会話の内容は、非人道的なものも多々含まれているので割愛させていただく)
今回のツアー、というか3月からドラムを叩いてくれているかっきーの功績は本当に大きい。 Yap!っていう本業バンドがありつつ、こっちもがっつりライブやってレコーディングやって、すぐにワンマンツアー��て、すごい大変。うちら曲数もめちゃくちゃやるし笑
前のドラムの方がよかったとかってどれくらいの人が思ってるのかは知らんし別にどうでもいいし、当然完成度でいえば安部くんの方があったに決まってるんだけど、ただワンマンを乗り切るだけの形じゃなくて、かっき���とやる意味、良さみたいなのも感じられるツアーだったんじゃないかと。俺がそう思うんだから、そう。
かっきー、最近ますます頭イカれてきてるし、逮捕とかされないといいな。
ヘルシンキラムダクラブの魅力というものについて最近よく考える。 なんなら、東京公演のとき皆に聞いたよね笑
曲が良いのは知ってる。 自分が良いと思うものを作ってるし。
まあ、もっと良いものを作らなきゃっていうのは当たり前なんだけど、見せ方とかなんだとか色々あるよね。一応商業音楽だし。
自分で自分のことって本当に見えなくて。 やっぱり見えるやつは強いね。
やっぱこの話はわざわざすることじゃないな。
ちょっとTwitterでも呟いたけど、音楽になにか精神性を求めるとしたら、それは、救われたいとか救いたいとかじゃなくて、ただあるがままを許されたいってことだと最近思う。 肯定っていうのとも微妙にニュアンスが違うんだよな。 許されたい。しゃーねえなって感じ。
上を目指したり、より良い音楽を作りたいと考えた時に、そこにはたゆまぬ努力だったりクレバーな発想だったり、まあなかなかストイックなものが必要になるわけで。
正直に言うと、俺は全然努力とかしたくないし(昔はまあまあストイックだったけど)、上を目指すという過程で自分がつまんないと感じるものになっていくのは嫌だなあと思う。
私生活なら、大いに努力して、人には優しくし、精神衛生にも優れた機能的、有意義な生活を志した方がいいと思う。 社会との繋がりの中で、責任とか色々めんどくさかったり大変だったりなこともあって、社会の中で円滑に生きていくためにはそういった部分は対処してクリアしていかなければいけないし。 生きるのは大変だ。
生きていれば色んなところで責任を負わされたりくだらない揚げ足をとられて身動きがとりづらくなったり、本当は正解なんて人の数だけあるかもしくはないかもしれないのにさも1つしかないかのように争ったり。息苦しい。
せめて音楽とか芸術の中くらい、許されてもいいだろって思う。すごく語弊を招くことは百も承知だけど。 とても自由な世界の代わりに、とても不条理な世界でもあるんだけどね。 努力してもダサいやつはダサかったり(自分で言ってつらくなる)、鼻くそほじってても2分で名曲ができたり。
うまく言えないなー。 その瞬間を燃やせてるか、楽しめているか、ってことが大事というか。��ょっと違うな。ある種自分のためにやってる音楽にまで世の中の条理で犯してほしくないというか、あなたの思い通りにならなくても、勝手に惚れたんでしょ?というか。 違うなー笑
とにかく、ただでさえ逃げ場のない世の中、現実なんだから、音楽の中くらい逃げ場をくれよっていうか。 これは俺の1つの思想世界なので、世の中各個人とはまったく関係のないことです。 芸術はきっとそれぞれの宇宙だよ。 どこかで奇跡的に交わることはあっても、基本的には孤独な宇宙。
だから、そんな宇宙の中の、常識、社会通念とは切り離された不条理が尊くて守りたいなと思う。
って、言うじゃな~~~~い??(ギター侍)
2018.7.22
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2018/07/10
寝る前にふと頭をよぎるのは「私の周りにはいい人ばっかりだな〜〜〜」とか「今日も幸せだな〜〜〜」とかそういうことばかりなので、本当に恵まれてるのだと思う。それなのにやらなきゃいけない事が多すぎると、すぐに体調崩すし、もっと甘やかされたいなとか思っちゃうし、どうしようもないポンコツぶり!経験上私が誰かに頼りたいと思う時こそ踏ん張り時で、もっと頑張らなければいけない瞬間だ。もっとストイックになる!
ということで、昨日はコンビニに寄ってサラダチキンを買った。サラダチキンはダイエットに良いという、取ってつけたような知識を実践したのである。これから夜ご飯は少なめにするし、おやつは食べない!続くかわかんないけどここで宣言させてください!脱わがままボディ、マシュマロ女子。
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