Everything we hear is an opinion, not a fact. Everything we see is a perspective, not the truth. Much to learn I still have...
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これはだけで心に刻んでおきたい。
人に貴賤はない。
職業に貴賤はない。
社会の在り方にまず感謝しよう。
次に周りの人に感謝しよう。
性善説を以って。
現実的に。
希望的に。
この世界は思っているよりも広く、美しく、良いものだ。
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性格は顔に出る
生活は体型に出る
本音は仕草に出る
感情は声に出る
センスは服に出る
美意識は爪に出る
清潔感は髪に出る
落ち着きの無さは足に出る
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真剣になっても、 深刻になるな。
— ブレイクスルーな言葉 (@breakthrough_jp) from Twitter: http://twitter.com/breakthrough_jp ————————————— Edited by 空心 web: http://cooshin.com / facebook: http://facebook.com/cooshin
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キャリアに悩む...
自分が本当に国際開発を仕事にしたいのか分からない。
ビジネスにも興味があるんだもの。
というか、自分の言う「国際開発」とか「ビジネス」って何だよ、という。
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情報が多い。
なんだか「知らないといけない」脅迫観念のようなもの。 しかし、このような脅迫観念に晒されたまま日常を過ごしていても精神的に不可がかかりすぎる
一度メディアを整理してみよう。
・feedly 非常に気に入っているRSS
・Facebook 最近どうやって使えば分からない。ただ、フォロワー数は多い。
・Twitter 本垢の鍵を外して二本化した
・Tumblr 自分との対話用、記録用。重宝している。
・Note これ新しいよね。使いやすそうだから使ってみたい。 単に一般公開用のツールでいいかな。FBで長文投稿する時代は終わったな。
あたりかな
基本:feedlyとtwitter 発信:Tumblr(個人)とNote(一般公開) Facebookは報告用??
情報はルーティン化していかないとパンクしてしまう。
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付き合えない人ほど、付き合うことを大げさに考えている。
— ブレイクスルーな言葉 (@breakthrough_jp) from Twitter: http://twitter.com/breakthrough_jp ————————————— Edited by 空心 web: http://cooshin.com / facebook: http://facebook.com/cooshin
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「何者」を見て
感想としては2点。
・キャッチコピー「青春が終わる。人生が始まる。」が好きだという話
青春というのは日本人が好きな表現だ。その言葉はポジティブな文脈で使われることが多い。しかし、私にはこの「青春が終わる。人生が始まる。」というコピーがグッと刺さるものがあ���た。青春という言葉を無責任に使わず、必ずしも良い意味で使わず、淡々と捉えてるからである。
青春を謳歌しろとか、青春は今だけとか、青春を楽しめとか、多くのフレーズでこの言葉を聞いてきた。では青春とは一体何なのだろうか。このやたら人生の経験者達が少し達観したような、悟ったように語るこの言葉にはどんな意味があるのか。色々な定義に出会ってきたが、私はこのコピーの定義、つまり「青春とは自分が「何者」かであろうと決心がついていない時期である」ほどしっくり理解できた定義はない。
私たちはいつからか「何者」かになろうと必死に生きている。何をしてきたのか。何ができるのか。どこに所属しているのか。誰と付き合っているのか。そして私たちが「何者」になるかの最大の機会が就職である。就職活動の過程で、繰り返し繰り返し「自分が何者か」という問いを自分に課すことになる。
青春とは「何者」かになろうと決めたその時に、終わるのだと思う。そして逆に言えば、自分が「何者か」であると言えない、あるいは言いたくうちは青春なのだと思う。
別に就職先が決まっただけでその瞬間に「何者」かに成れるわけではない。ただ、多くの人が、「何者か」になるという決意はするはずだ。このコピーは何者かになろうと決心してない状態を「青春」と呼び、決心がついた状態からを「人生」と呼んだ。私は実に的確な区切りだと思う。これで人生の先輩方が得意げに、青春の重要性を伝えてこようとする心理が分かる。彼らはもう「何者か」であって、もう「何者になろうか迷える者」ではないのだ。彼らは自分達のもう後戻りでできない決心をしたという意味で「線」を超えているのであり、そこには決断した「何者か」としての優位性を感じているのであろう。その一方でもはや「何者か」以外のものにはなれないと感じている人間が「青春」という言葉を使ってその重要性を訴えてくるだろう。何者でもないが故に何者でもなれると盲信して。
ではヒトはいつ、どのように「何者」かになれるのだろうか。その最も分かりやすいのが仕事と人間関係(家族)だろう。だからこそ就職は自分を何者かにする最も簡単で、ほとんどの人間が取っている方法だろう。やがてその組織で5年��10年働いていくうちに自分で勝手に何者になっていると思い込めることだろう。しかし、これはあくまで外部による規定でしかない。どこの組織で働き、誰とどのような関係にあるかはあくまで「外部」から自分を何者かに規定しているだけだ。
しかし、本当にそのような外部からの規定だけで「何者」であると心から言い切れるのだろうか。もしその外部が変わったら自分が何者かも変わってしまうのだろうか。
本当に自分が「何者」かという問いには自分自分で規定しなければいけない気がする。自分自身で自分を規定する時に初めて「何者」かになり、��時にもはや何者でもない、ただの自分になることができるのではないだろうか。
・自分が「何者」かという問いに対して
人を見下すことによって自己を肯定する。人に魅せることで自分を確認する。自分が「一般」よりは上であると信じたい。周りのほとんどは自分よりも劣っていると信じたい。大衆は愚鈍であると、そう叫べる自分が気持ちがいい。
これらは必死に自分が「何者」かであろうとする現れなのかもしれない。
そしてこのように考える人間こそがまだまだ未熟なのだと、そう訴えかける。
私も間違いなく、このように思っている節がある。そして周りの人間がそう思っているのだとも感じる。私はそれなりの大学をでているから、周りもそれなりの人間が多い。そしてそのほとんどは(私を含めて)自分は周りよりも優秀だ、と思っているのだろう。
いや、それでもいいのかもしれない。この世に様々な優劣はあっても、思想の優劣だけはつけることができない。こう考える人間は皆愚かであるなんてことは理論的に存在しない。なぜなら思想は客観的な指標では測れず、どこまで行っても主観的だからだ。
ただ一つ言えるのか、このように周りをバカにしたり、見下したり、自分を必死に見せようとして作り上げる「何者」かは脆く、虚しいということだろう。
そして、個人的に強く感じることがある。人の発信を「寒い」「意識高い」「痛い」などと冷静ぶって自分の劣等感を隠してる人間が一番の害悪である。たとえそれがどんなに独りよがりだろうと、どんなに自己顕示欲に塗れていようと、そこに実害がないのであればそれを非難する必要性は欠片もない。それはその人を前進させるためのものではなく、自分を正当化するためのものでしかないからだ。間違っているとしても、その方向性に進み続ければやがてその本人も苦悩の末、方向性を変えるかもしれないし、変えないかもしれない。どちらにせよ、冷静ぶった外野からの視線ほど軽蔑するものはない。
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いかん、感傷的になってしまってどうもよくない。
なぜか大学時代の友人に片っ端から会いたい。
そしてどんなことを考え、どうやって生きているのか聞きたい。
いまだかつてないほど他人に興味がある。
なんだこれは。よくわからんな。
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「夢」や「やりたいこと」という言葉の聞こえは良い。 しかし、その理想が高ければ高いほど、現実を知らなければいけなくなる。
私たち人間は多種多様だとか、皆それぞれ違うということは良く言われるが、結局の指向性は基本的にはあまり変わらないのである。
例えどんな業界、分野を選んだとしても同様の選択をする人間は必ずいる。
その分野や業界の中で「良い」と思えるものは他の多くの人間も「良い」と、当然思う。
そうしてその「良い」状況を目指して競争が始まる。
優秀な人間が「良い」ポジションに就き、世界をまわしてゆく。
残念ながらそこまで優秀ではない人間は最も希望した道には進めないことになる。
大半の個々人がよく考えないまま「一般的に人気のある」状況を目指す。そうしてくだらない人間の劇的な競争が始まる。劇的な競争の結果、優秀な順に上から良いポストは埋まっていく。優秀であればそれはそれでよいだろう。例え自分の軸や信念などは見えなくとも自分の立派な立場や状況で覆って見えなくすることができる。見えなければ問題はないのと同じだ。その問題の存在を認識していなければ。 しかし、そういう位置につける人間はごく一部だ。自分の信念ももたず、特に考えもせず、何となく競争に参加し、なおかつそこまで優秀ではない人間のなんと多いことか。自分の空っぽさに気が付きながらも、ここが自分の理想ではなかったという事実に目を背ける日々。仕事は食べるためにするものであって、それ以外の理由は言ってしまえば飾りのようなもの。「働きたくない」という言葉を合言葉に、結婚や家庭と人生の駒を進め人生を消費してゆく。もちろんこのような各ステップにも競争があり、往々にして現実に理想と自分のギャップを突き付けられてある程度のところで自分を納得させて生きていくゆくのだ・・・
私を含め、このような典型的な競争に巻き込まれる人間は総じてつまらない。一般的そのものである。心底尊敬するのは自分の信念に従い、そうそうに一般的に人気のある「良い」状況を求めなくなり、「本当に自分にとって良い状況」が定まっている人間である。もちろん彼らにも彼らの競争がある。しかしその競争は信念の競争であり、「良さ」を求める競争ではない。
彼らは例外なくかっこよい。そして憧れる。その生き様に。
同時に、上記の大半の人間の生き方にやるせなさを感じる。本来ならば働くことに向いていない、いや、正確には現時点で価���があるとされる仕事には向いていない人たちだ。価値がある仕事は時代によって変遷するだろう。しかし必ずいつだってそこから適性的にあぶれる人間のほうが大多数になってしまう。
本当は各々が価値を感じ、やりがいを感じられることがあるはずなのだ。必ず人生を捧げてもよいと思える生産活動があるはずだ。例えそれがどんな需要に応えるとは思えなくても。そしてそれが本来「夢」だとか「やりたいこと」で語られるものではないだろうか。思えば常に我々は限られた選択肢の中からこれらを必死に探してきた。子供の頃は情報的な制限があった。社会人手前になれば現実的な制限ができる。近い将来、技術や価値観の発展によってこれれらの言葉が現実と対峙することなく各々の信念を直接表せるような時代になることを祈る。
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人間は自分が悪であるという認識に耐えられるほどに強くはない。だから、それぞれの正義を信じてそれを他人に押しつけようとして戦うのさ
ー ヤン・ウェンリー
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LCF 所感
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶという。賢者の方が愚者よりも効率が良いのは明らかだ。歴史から学ぶことができれば体を動かすことなく、過去の全人類の知見を吸収し、成長していける。一方で愚者は自身が経験したごく一部の事象からしか学ぶことはできない。 残念ながら私は自分が愚者であると大学1年生の頃から感づき始め、修士1年の今でも絶対的な確信を持って言える。私は愚者のタイプであると。 賢者に近づこうという努力は続けようと思う。ただ、私はやはり愚者としての戦い方を身につけるのが先決だと考えている。そのような意味でも、このように事あるごとに自分の体験や経験、思考や想いを記録する。
さて、この留学生活と並行した就職活動には自分にとって大きな意味があった。やはり私は経験をすればするほどそこから何かを考え、進んでいる気がする。就職活動というとなんだか「就職をするための活動」という字面���なってしまうが、私にとってはより深い意味を持つものになっている。それは海外で異国人として一人生活している経験、学んでいる開発学が、自分の人生や価値観、キャリアにどう影響し、意味があるのかを自分の中で自覚することができたという点にある。 正直、こちらで就職活動を始まる前は「なんとなく深層心理で」やりたいから海外院で開発学を学んでいた。こちらでの学生生活は本当に充実していて楽しいものであったが、ではこの1年に意味はあるのか、と問われると疑問を持っていた。哀しいかな、私もまだ若いので常に「意味」を追い求めてしまうのである。この留学生活は楽しくはあっても、意味があるかは分からなかった。
就職活動をする過程で自分は将来何をしたいのか?自分にとって最も大事なことは何か?どのような価値観を持っているのか?将来どんな人間になりたいのか?というのを何度も文字に起こしては直し、面接で他者に語るにつれて、私の今までの人生経験がどのような意味を持つのかについて納得のいく解釈ができるようになったのである。 何となく今までバラバラになっていた個々の自分の信念とも言える小さな要素が、一つの球に合わさって固まったイメージである。その球体を文字に起こしてしまうとまた陳腐化してしまう気がするので(そしてまた更なる自己分析が始まりまた分化しそうなので)今はしない。
ただこれは心の底から思う。早稲田アカデミーでアルバイトをしてよかったと。模擬国連をしてよかったと。IDPCでインドネシアに行ってよかったと。エナリスでインターンをしてよかったと。そしてバーミンガムで開発学で学んでよかったと。これらの個々のピースが繋がっていることに安堵に近い喜びを感じている。
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LCF 体験記録
海外での就職活動は大変だ。まじで。お金も時間もびっくりするくらいかかる。なのに人によっては得るものがほとんどない人だっているだろう。なんという残酷さ。これだけは言いたい。金をケチれば疲労は倍増する。そしてこの海外でのフォーラムにおける疲労とは単なる「疲れ」以上の良くない影響がある。 基本的にこういうフォーラムというのは精神が摩耗する。面接を次々と受け、頭をフル回転しながら話し、常にメールや電話をチェックし、その日のスケジュールを柔軟に考え、時にはGDやケース面接をこなし、急に「今日ディナー来るよな?(威圧)とか言われ、もう大変である。選考が進まないのもそれはそれでメンタルにダメージを食らう。 だからこそ、それ以外の環境は自分のためにも��ゃんと整えておこう。僕はマジでこれがやばかった。私のロンキャリのイメージは就活そのものよりもいかに企業に失礼のない形を維持しながら生き残るかのハードさの方が印象として強い。断言しようこういうキャリアフォーラムみたいなイベントには色々なトラブルが絶対に起こる(起こす)ので、余裕を持っておくことはとても大事だ。ここには私の3日間の大変さを記しておこう。
ー2月末 そろそろ宿どうしようかと考え始め、まあ6日の夜は勿論止まるとして7日の夜はどうするか悩んだ。正直、面接で進むなどとは思っておらず7日の午前には暇になってんじゃね?という想定があり7日中に帰る気でいた。ディナーがボスキャリであるとは聞いていたが、ロンキャリは完全に下位互換だと思っておりディナーとかするほど企業も本気じゃないでしょ、と思い込んでいた。よってディナーがあるとは夢にも思っていなかった。ちなみにロンドンの中心区ホテルで一泊しようものなら50(7500円)ポンドくらいは当たり前、70ポンドくらいが相場である。一か月の食費を70ポンドで抑えていた私からすれば、ホテルに一泊するだけで一か月分の食糧を失うなどありあえない選択肢であり、Airbnbでロンドンから電車で2時間くらいの所を30ポンドで予約した。今思うとこの選択肢の方がありえないわ。
ー3/1 Aから3/1のWeb面接後、「フォーラム前日の3/5午前中にロンドンで説明会と最終面接やるから来いよな☆」という連絡をもらう。いやいやいや。私はバーミンガム在住なんですが。そんな急にロンドン来てちょとか言われても困るんですが。と言ったら「じゃあ時間午後にしてやるから」と言われ、内心何のためのキャリアフォーラムだよと思いつつ渋々了承。まあこれが私を救うことになるのですけれども。この直後にAirbnbで宿を探す。当然7日に入れたところとは別のところになってしまう。こちらも電車で1.5時間くらいの郊外。これで大荷物を抱えて3日間移動しなければいけないことが確定する。
ー3/5 出発しますか、といってロンドン行きの特急列車に乗ったところでスマホのSIMカードが正常に働いていないことに気が付く。実は3/1にキャリアを変えて以来外でモバイル回線を使う機会がなかったのでこの時初めて気がついたのだ。そう、ネットに繋がらないのである。海外旅行したことがあるなら分かると思うが、ネットへの接続というのは死活問題である。どの交通機関に乗ればいいか、チケット、GoogleMapもネットアクセスが必要だ。しかも自分は今就活中の身。いつここに来いだの、時間変更だのの連絡が来るかも分からない。ここで私も気苦労の旅が確定する。急いでキャリアの会社に電話���掛け、金払ってるのにネットにつなげないとかふざけんなよと半ギレで症状を説明しても「内では対処できない。お前のキャリアはいわゆる格安SIMでうちの子会社さが管轄外。そこは電話対応サポートがない。メールしろ。」と。だからメールできねえんだよおおお!!という突っ込みをしつつ、もうこの親会社に色々言っても仕方ないので早々に切り次の解決策を模索することに。何せネットに繋がらないので解消法をググることもできない。パニックの時こそ頭がクリアになるもので、これからモバイルに一切接続できないと仮定し、これからの3日間でまずどのような情報が必要かを整理した。その中で最重要なのは①ロンドン駅からAの面接会場への行き方であり、その次に②面接会場からその日の宿への交通機関と道順であると整理。まずはロンドン駅でWifiを探し①を手に入れて移動することを決定。ロンドン駅でGoogleMapのスクショを撮りまくり、出発。色々と考えながらも無事到着。やっぱり人に聞くことは大事だ。最終面接後に3/6夜のディナーに誘われる。えええディナーとかこっちでもあるの!?という驚愕を隠しながら涼しい顔で「ありがとうございます」と受け取る。疲れをもって会社を出た後もまだ大変なことはことは残っている。ここから宿に到着しなければいけない。幸いAの会社の方にWifiが完備されており、道順をスクショしていた。それを頼りに移動し無事ホストハウスに到着。早々にシャワーを浴びてベッドに倒れこむ。 深夜1時頃目が覚める。明日のスーツ出しておくか、と思い一式を取り倒して顔が真っ青に。なんとスーツに気を取られて「ワイシャツ」を忘れていたのである。これに気が付いた時には本当に絶望した。マジで。いやもう帰ろうかな、何のための色々の準備だったのかな、と。しかしやはり問題解決を仕事にするならばこの難題もクリアできるはずと思考をクリアにし、Wifiを駆使してワイシャツを買える店、開店時間、交通機関の経路変更、面接の時間などの条件を調べあげあるルートで1発目の面接に間に合う仮説を発見する。セーフティネットとして先輩に貸してもらえるように連絡をしてから再び3時間の就寝へ。勝負は起きた瞬間から始まる。
ー3/6 まあ色々あって無事ワイシャツを入手後、会場に向かう。もちろんこの時も私だけ阿保のような荷物を抱えている。周りはスーツでびしっと決めてるのに俺だけバックパッカーみたい。なんだこれ。途中の道であった同年代の男子と知り合う。この人がマジでいい人だった。本当に出会いは一期一会だ。なんと会場の隣のホテルを抑えており、部屋に荷物を置いていいよ、とのこと。まじかよどんだけいい人なんだ・・・と感動しながら部屋に上がらせてもらい、ちょうどそこでワイシャツに着替える。この人の助けには本当に助かった。何が助かったってこの時よりも夜まで預かってくれたことだ。そうこのこの日の夜にはAのディナーが入っており、この人が荷物を預かってくれていなかったら全部自分で抱えて移動する必要があったのだ。感謝してもしきれない。日本に帰ったら飯でもおごらせてもらおう。 そうこうようやくキャリアフォーラム開始。もう後は色々必死で覚えていない。ウォークインしたり、面接とケースをこなしまくった。しかしやはり色々な企業がどんなことをしているのかを実際に聞ける場というのはとても面白かった。特にToCの会社だと「そういうビジネスモデルなのか」と非常に勉強になったし面白かった。世の中は本当に色々な人の色々な働きによって成り立っていること実感し、改めて自分が何をしたいのかを考えさせられた。 そしてAのディナー。これがまた微妙なところにある。もっと近くの店選べよ、と思いながら交通費節約のため(そして休日は電車が動いていない)徒歩で向かう。1時間ちょっと?もちろん依然ネットへのアクセスはない。そのせいでディナー後に入れていたUberアカウントの凍結をくらい、帰り道を失う。散々である。でもどうやら社員さんがタクシーを手配してくれるとのこと。これはありがたい、と何人かで会場前まで載せてもらい、運ちゃんがお金を請求。は?払ってくれてないの??というのが正直な感想。良い給料もらってんだろうからそれくらい出せや。もうあんまり印象はよくない。初対面の内定者同士で割り勘。それくらい出せよな・・・・ さて時間は22時。フォーラム会場前。まだ今日は終わらない。今日の宿に帰らねばならない。まずはホテルに行き友人の部屋から荷物の回収。本当にありがとう。君がいなかったら過労で死んでいた。Uberも使えず、電車もバスも時間的にない。残されたのはタクシーしかなかった。もうクタクタで、いくらお金を積んでもいいから早く横になりたかった。そこでホテルの受付のかっこいい紳士にタクシーを呼んでくれるように頼んだら快諾してくれた。ちなみにこのホテルはHiltonである。さすがお前内の客じゃないだろなどと野暮なことは言わずに、「お客の友人もお客」の精神をもってタクシーを呼んでくれて、しかも外で乗れるまでエスコートしてくれた。惚れた。これがイギリス紳士か。約30ポンドかけて20ポンドの宿に到着。テンションがおかしくなってしまいタクシーの運ちゃんに色々愚痴ってしまった。ホストの人がやさしくて遅くまで起きていてくれた。追加料金もとられなかった。シャワーを浴びて浅い眠りにつく。明日も朝は早い。
ー3/7 順調に出発。順調に到着。Pの最終面接後、またディナーのお誘いを受ける。おいおい結構普通にあるんだな、と思いつつありがたく了承する。この後Mからもディナーの誘いを受けるが正直に��約があると話す。この日の宿はロンドン近くの10ポンドの安宿(というか知らない人と相部屋で寝るためだけの宿)を取っていたのでそちらへのチェックインと荷物を預けてからディナーへ。Aと違って場所が会場から近くて良心的であった。印象良い。楽しくおいしく食べたあと、宿に帰り、早々に寝る。換気が追い付かず無駄に暑い二段ベッドの上で急に旅の終わりを感じる。なんだか生き残るのに必死でこのタイミングでようやく内定の実感を得る。なぜか涙ぐんだ。おそらく自分への頑張りに感動したのだろう笑。翌朝、宿泊に付いている朝食をゆっくり味わいバーミンガムへ帰る。自分の部屋に付いた時の安心感たるや。 今こうして振り返ると、本当に色々な人の手助けにお世話になった。運も大きく味方してくれた。もしAが前日にはなくて、当日していた場合、ワイシャツを忘れていたことに気が付くのも遅れ、買いに行く時間もなかっただろう。もし先輩がワイシャツを貸してくれることを快諾してくれていなかったら焦りで思考がうまく働かなかったかもしれない。運よく宿から会場までの経路の途中に衣料店があった。しかも1着10ポンド(1500円)という安さ。もし出会った友人が荷物を預かってくれなかったらAのディナーあたりで力尽きていたに違いない。
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Choosing and narrowing down to a specifi topic needs courage.
Usually students cover topics as much as they can, since they fear of “missing” something. Especially japanese students tend to answer in broad, abstract sense. They are afraid to lose marks due to the absence of reffering. However, what is required here is the “depth” of analysis. Tutors except us to exclude some topics intentionally and build our own rationale in our arguements.
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