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96日文章を書き続けて学んだこと
・結論を先に書く 知識としては知っていたのだけど、できていなかったことに気がついた。いかに自分の文章にメリハリがなかったか。ただ事実を書き連ねていると先が見えずスムーズに読み進められない。「この流れどこにいくの…?」と不安になる。逆に結論が先に書かれていると読み進めたくなるはず(これは他の人が書いた記事を読んで確認しよう)。
・導入部分が書けるように 以前はそこまで意識が回らなかったけど、読んでくれるかたの気持ちを考えた導入を書けるようになってきた。
・話を具体化しすぎない たとえば「夫」ではなく、「一緒に暮らしている人」と書く。前者は結婚している人に限定してしまうけど、��者は同棲・シェアハウスしている人にも読んでもらえる可能性が高まる。
・たとえ話ができるようになった 例: “ちがう価値観を目の前にすると「異世界だ…!」と壁をつくりたくなってしまうときもあるけれど。 勇気をもって壁に穴をあけ、その先を覗く気持ちは持っていたいと思うのだ。”
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毎日note更新 78日目の気づき
他者に向けて感じた感謝や喜びは、積極的に言葉にして伝えていくこと。伝えたいことは迷惑かもと遠慮せずに伝えてみること。すると言葉が届くようになる。
そのためには、「もっと上手になってから」ではなく、今の等身大を外に出すようにすること。
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文章を書き続けていると、いろんなインプットがリンクするようになってきた。
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言葉が届くようになった
広大な海のようなSNS社会で、言葉が届くと、人の温��感を感じると、やはりうれしい。
とある記事を紹介したnoteが、作者ご本人に届いた。書いたnoteをシェアしてもらえた。紹介した記事を読んでもらえた。
少しずつ、でも着実に、言葉がSNSの先にいる人に届きはじめている。
無人島での孤独な叫びから、手紙のやりとりへ、一段上がることができた。
一瞬でも心が通うこと。人間味を感じること。そのために私はSNSをしている。
だからこそ、独りよがりではなく、コミュニケーションを楽しむように、SNSを活用していけたらと思う。
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そんなことを考えていたらすてきな記事に出会った。
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だれかに寄り添うこと。そのための愛しい想像をことばで綴ること。それをするに値する時期。と、いうのが私の提示する「令和」出典のひとつの解釈だ。
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まさにそんな気持ちだなあ。寄り添い、愛しい想像を綴っていこう。
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清々しい雑用
夫が社会人サッカーチームの庶務のような役割になって、細々とした取りまとめを引き受けることになった。
早速ユニフォームをつくることになり、サイズや背番号などの注文内容を全メンバーから集める必要があった。のだけど。彼はこだわりのない人だから普通にLINEで聞こうとしていて。
バラバラに集まった情報をあちらこちらで探して、ポチポチとパソコンに打ち込む彼の姿を想像したらいたたまれなくなって、Google formの導入を提案した。
彼と比べるとしたら、私はパソコン入力も作業もちゃっちゃかやるタイプ(その分、雑で強引なのだけど)。普段だったら自分に関係のない雑用はあまり好きじゃないのだけど(ひどい)、彼がポチポチとする姿を想像したら居ても立ってもいられなくって、気づいたら自らの手を動かしていた。
自画自賛だけど、配慮を添えて、回答しやすいアンケートフォームができあがったと思う!
彼は「便利だね〜。自分だと思いつかなかった案だ」と言ってくれた。
清々しい気持ちだった。それは頼まれたわけじゃなく、自ら主体的にやると決めたからだった。彼に感謝されたことはもちろんうれしいけど、それよりも断然「自ら決め、やりとげた」達成感の方が大きい。
それにGoogle formを使うのが(その社会人チームでは)新しいことだったという点も大きい。「これ使うとこんなに便利だよ〜」と新しい風をふわりと持ち込むことが私にとっては喜びなのだと思う(Google formなんて全然新しくないよ、と思った方、ぜひより新しい方法教えてください!導入します)。
つまりね、「自分で決めること」そして「新しい方法(あるいは私らしい方法)を取り入れること」が、清々しく働くための方法だった、ということ。私にとってね。
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褒められるのは何歳だってうれしい
ヨガの先生に褒められてうれしい日だった。
パールスシュヴァコナーサナのとき、「洋子さん、とてもきれいです」と名指しに言ってもらえた。周りに人がいたからちょっと恥ずかしくて、えへへと意図的な笑いで応えたけれど、内心うれしくて仕方なかった。
先生が一つひとつ教えてくれるポーズのポイントをすごく意識して、きれいなかたちになるようただただ集中してたから、それに気づいてくれたようでとてもうれしかった。
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やさしい甘みのマカロン
が大好きだ。
周りのサクッとした乾いた生地に、ねっちりとしたクリーム。
その相反で口の中がたのしい。
少し力を加えたらこわれてしまいそ��な繊細さもすきなんだと思う。大切にあじわって食べられるから。
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心ゆくまで
やるべきことをあとのばししてしまう病
私の場合好きにできる時間はたっぷりとあるんだけど、ゴロゴロしたりテレビを優先したりで、結局ギリギリまでやるべきことに手をつけられないことがよくある。
今日は9:30には布団を出られて、11:00には机に座れた。ここまではよかった。でもそこからネットサーフィンしたり、ごはん食べたらもう14:30で。そこからドラマを見て、もう17:30になっていた。ドラマは見たかったから、見ようと自分で決めたからいいのだけど、11:00からの3時間半でほとんどなにもできなかったことは大きい。
そうして今19時になってカフェに駆け込み、焦るようにして今日のタスクを終わらせるのだ。
自由な時間がたっぷりあると、逆に人はダラダラしてしまうのかもしれない。もう少し時間を制限して自分を追い込む、いい意味でのストレスが必要なのかもしれない。会社員の友だちは、昼休みの空き時間を写真撮影とレタッチに費やしているそうだ。会社で働く時間好きなことができないと思うと、自由時間に必死になるのだろうか。すごいなあ。そこまで熱中できるのがすごい。私がそこまで熱中できることってないなあ。私がやろうとしていることは、その友だちのように、やりたいことじゃないのだろうか、なんて考えてしまう。そこまで熱中できることってみんな見つかるのだろうか。でもマナブさんはやって苦じゃないことをやったほうが良いと言っていた。それくらいのスタンスでいいのかなあ。誰かの熱中は現実以上にキラキラして見えるのかもしれない。
…といろいろ悩みながら夫に「今日は遅くなる」とラインしたら、「心ゆくまで👍」と返ってきた。心ゆくまで。そうだ。私は悩むために生きているのではない。楽しみたいのだ。こういうゆるさと楽しさをいつも渡してくれる彼といられるのは、とても幸せなことだ。
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一緒にドラマを観れる幸せ
今日はアンナチュラルの5話をパートナーと一緒に見た。どれだけアンナチュラルが面白くて涙が止まらなくて、野木亜紀子さんの脚本がすばらしくて、愛情込めてつくられているのか、3,4回くらい話したら(プレゼンしたら)、「そこまで言うなら、じゃあ見ようか」って言ってくれたのだ。
パートナーと私の趣味はぜんぜんちがくって、まさかそう言ってもらえるとは思ってなかったから、単純に報告としてプレゼンしていたのだけど。思いがけず一緒に見れることになって大変うれしい。
5話を見た彼の感想は「たしかに面白いね」で、6話以降も一緒に見ることになった。やったー。明日夜、一緒に見る約束をしたんだ。それを楽しみに、明日は仕事いちだんとがんばるぞ。
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超初心者がブログつくれました
ねえねえ、すごい…!興奮している。知識がなくてもこんなに簡単にブログってつくれるんだね。
いまよろこびで満ち溢れている。タイピングする手が強い。わくわくどきどきわーーーーってかんじ!みんなに「できたよー!」って報告して周りたいような。
これはJINというWordpressの有料テーマを設定したのだけど、一気にブログ感が増してとてもうれしい。
あとは有料テーマの売り方を知れるのも楽しい。メールで送られてきたリンクをパスワード入れて開くと、ファイルがダウンロードできて、それをWordPressにインストールする。
ダウンロードしたファイル開いたらコーディングがいろいろあって、ああ制作者の方たちがこれを打ってくれたのね、簡単にブログをつくれる仕組みを揃えてくださってありがとう!という思いがあふれる。
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プラスチック
ガイアの夜明けでプラスチック特集を見ている。ストローが鼻の穴に詰まってとれなくなってしまったカメを救出している人たち。ペンチでストローを抜こうとするが、カメはもだえ苦しみ、血を流している。ちゃんと見れなかった。胸にずしんとした重さが。
これはなんとかしないと、と思った。できることから。スーパーのレジ袋は使い続けると思う。ゴミ袋として使えるから。でもそれ以外のもの。例えばユニクロやコンビニのレジ袋はゴミ袋として使えないので不要だと伝えよう。家に帰ったらすぐ破棄するものだし。ハンガーも回収してもらう。
このような気持ちにしてもらえて、カメの動画をシェアしてくれた人たちに感謝したい。ありがとう。そしてカメさん、ごめんね。回復したことを願っています。
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効果を実感すると人は変わる
今日は10:00に起きて10:30に布団を出て、11:00にアトリエの机に座ることができた。とてもいい感じである。机に座れたの素晴らしいなあ〜!この時間に座ると光が届いてあたたかくて気持ち良い。
wordpressの教本を読み出してまだ20分強しか経っていなかったことにびっくりする11:35。
このくらいの時間帯ってほんと密度濃い=ゆっくり時間が流れる。それをスマホダラダラに使っていたらもったいないなあ。もう少し早く起きるようにしたらどうなんだろう?時刻じゃなくて起きた時間から何時間がゴールデンタイムなのかな?スマホは集中力切れたときにでも読めるのだから、起きて目が覚めたらアトリエ直行して、やることを終わらせるようにしよう。
一回効果を実感しておどろきよろこびが持てると人は変われる。ヨガも鍼もそう。
だから人から言われたことも、それはわたしの感覚とはちがうなあなどと思わずに、一回やってみよう。すぐさま。それ���違ったら「やってみたけどわたしには違かった」でよい。やってみただけで相手はうれしいはずだから。
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人との関わりは迷惑なんかじゃない
今日は溜まった家事をしていたらそれで力尽き、19時までぐうたらと過ごしてしまった。久しぶりに昼寝も2時間くらいしたー。まあそんな日もあるよね。土日に仕事しない生活をすると元に戻すのが大変だから、土日の午前中は仕事をするようにしたいなあと思う。
最近とても嬉しかったことがふたつある。
ひとつめは、カメラを見ながら夫の後ろを歩いていたとき、階段に差し掛かると何気なく夫がわたしのほうに振り返ったこと。「もしかして落ちないか確認してくれたの?」と聞くと、そうだよという答えが返ってきた。
彼のやさしさはすごく何気なくて、そしてわたしは鈍くって、だからやさしさに気づけないことも多い。だからこそ、彼の何気ない仕草からやさしさを見いだせたことがとても嬉しかったし、落ちないか心配してくれる人がいるってなんて尊いことなんだろう。一人だけの人生じゃないんだよなあ。
ふたつめは、友達がBlueのGiftを聴いて、わたしのウェディングドレス姿を思い出し連絡してきてくれたこと。「洋子の式は思い出深いもん」という言葉を添えて。
ふとした瞬間に自分のことを思い出してくれるってなんてうれしいんだろう。それを伝えてくれたからこそ、わたしも幸せを感じることができたから、わざわざLINEしてくれた友達には
幸せってほんとう循環するし、何気ないことで自分も周りも幸せにすることができるから、「これ迷惑かも」って思うんじゃなくて、わたしからも幸せを循環させるつもりで人と関わっていきたい、と思えた出来事でした。
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行動にうつせないときにモチベーションを上げるには
今週は、WordPressで初めてブログを開設したり、noteを更新したりして一日を過ごしている。自分でも結構充実しているな、なんて。
何か小さなひとつでも行動にうつすことができると、気持ちも体力もノッてくる。「次はこれもしようかな」って行動量が雪だるま式に増えていく。
それに1日24時間でできることってかなり少ないんだな、と気づけたのも最高の報酬だった。それはあれもこれも詰め込んだ目標を設定しないことにもつながったし、有効に時間を使う意識にもなっていった。
でも去年の10月から先週までは、ずいぶんとだらけた生活を送ってきた。
寝るか食べるかスマホをいじるか。 もちろんヨガをしたりカフェで本を読んだり人にあったり旅をしたり、楽しいなと思う時間もあったけど、基本的には寝るか食べるかスマホをいじるかで、一日があっという間に過ぎ去っていった。
「何かをやらなければ」「しようと思ったことを進めなければ」という焦りだけがつのる。本当にやりたいことだったら、夢中になってやるのでは?なんて声も聞こえてくる。そんな過ごし方をしていたのだけれど
先週までと今週からで何が違うんだろう。思い当たることを列挙してみると
・当たり前の家事でもtodoリストに登録して、できたらチェックをつけていった。「今日はタスクが5個も終わった!」と目に見える数字を実感するようにした。 →何もしてないと思っていたけど、意外にやっていることが分かり、自己肯定感が高まった。
・目標のレベルを下げた。(できればWordPress更新・note更新・写真レタッチの3つを終えたいけど、そのうちひとつかふたつでもできればいいかなというように) →①理想の目標、②まあいいかな目標の2つを設定することで、「できた!」と思える機会が増えた
・ずっとしようと思っていたWordPressの開設を、1日に1時間でいいから進めることにした。その進捗をツイッターでつぶやいた。 →反応をもらえてうれしいのと、「記録に残るから継続しよう」とモチベーションにつながった
・布団の上げ下げを日課にした ・10時までに机に座ると決めた ・スマホをいじるのは2時間までと決めた →これらは正確には守れてないんだけど、近い結果は残せている。新しい習慣をつくるとやりたくなる性格を有効活用。実際、朝起きてすぐのスマホの時間は少なくなっている。「今見過ぎちゃうと、夜の分がなくなるからここで抑えとこう」という感じ。
やっぱり自己肯定感と周囲の目が、モチベーションupに効果的みたい。わたしの場合。
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これからの活動指針
さて、今日も今日とてTwitterとnoteのプロフィール文章を考えていた。もうずーっと繰り返しているこの作業。新しくしては満足して数週間後には考え直して……。それよりも動こうよ、と頭では分かっているのだけど、ね。
今回は自分を大きく見せないように、なるべく今の私そのままを心がけて文章を練っていった。
Twitterでは写真をメインに。写真にちょっとした言葉を添えて、毎日更新をやってみましょう。
noteでは執筆をメインに。文章を公開するとなるとどうしても自分をよく見せたくなってしまう。きれいな言葉でまとめようとしてしまう。それをなんとか打破するシーズンにしよう(1−3月)。
悩みも葛藤も恥ずかしい姿もかくさない。誰かになろうと背伸びをするのではなく、いつもの自分で。だって、きれいなことばかりの文章は自分の首を占めることになるから。今まで感じてきた生きづらさは、完璧なわたしでいようとしたから生じたもの。勇気をだして恥ずかしい姿をさらすことで、どれだけ生きやすくなるかを見てみたい。
そのためには ■ネガティブとポジティブ両方に気づくこと ■ネガティブな部分をやんわりと受け入れる思考や言葉を考えること ■ポジティブな部分をちょうどいい大きさで捉える思考や言葉を考えること(だって生きていくには希望が必要だから。泣いても悩んでも、最終的には笑っていてほしいから)
これらを精一杯考えること。ここに労力を費やすこと。
言葉の選択に頭をつかうことって大切なんだね。これまでは頭に出てきた言葉を考えなしに使っていたけど、言葉は相手を呪ったりも祝ったりする力がある。心に残る文章を書く人たちは、読み手にどんな気持ちを残したいかを踏まえた上で、言葉の選択を用心深くていねいに行う人たちなんだと思う。
さーて、明日から月末までつっぱしるぞー!プロフィールをまたいじりたくなったら思いとどまるのだ、わたし。その分、写真と文章を。手を動かすことを肝に命じて。
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自分を教えてもらう帰省
年末年始は、知らなかった自分を教えてもらう帰省になった。
もう20年もお世話になっているピアノの先生には、「洋子が弾くピアノは黄色。自分で勝手な解釈をしない。納得して自分の中で受け止めて弾く人」という言葉をもらった。
何事も誰かの意見を参考にして、たしかにそうだなあと納得したことは比較的素直に吸収するほうだと思っている。それが自分の意見がないようでコンプレックスでもあったのだけど、「勝手な解釈をしない」とは、話を変に飛躍させずただ受け止めることができる、ということでもある。これは取材の仕事に活かせるんじゃないだろうか。
母には、「���転車の練習をしていたとき、暗くなっても一人もくもくと乗れるようになるまでやってたのを思い出したよ」と言われた。
「もう暗くなったし、家に入ろうよ」と言われても、「いや!」と一蹴して一人練習し続けたんだろう。簡単に想像できてなんだか笑ってしまう。祖母か母が私の練習を暗い外で見守り続けてくれたとしたら申し訳ないけれど。でもそうやって誰かが見てくれているという事実は、なんてくすぐったいんだろう。誰だって誰かに見守ってもらうという愛情を身に受けて、大人になっていくのかもしれない。
私は自分で自分のことが分からないから、周りの人からこうやって言ってもらえることは本当にうれしい。恥ずかしいから、そうなんだという反応しかできないけど、心の中で隠れてニヤニヤよろこんでいる。
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書くことを仕事にしたい
書くことを仕事にしたい。昔はこれっぽっちも思っていなかったけど最近その気持ちが強いなあと感じる。
思ったことをノートに書きつけることは、かなり前からの習慣だ。正確には覚えていないけれど、大学生のときには習慣になっていた。かばんの中にはいつもノートが出番を待っていて、うれしいことがあったとき、悲しいことがあったとき、旅しているとき、ことばを書き出したら1時間近く経っていることもよくある。
でもそれを仕事にできるとは思っていなかった。自分のためならいくらでも楽しく書いていられる文章が、誰かが読むとなると全く筆が進まないからだ。「これは書いてもいいかなあ」「どうしたらすごいって思われる文章を書けるだろう」いろんな邪念(?)が頭をよぎる。そうやって周りの目を気にしながら書くことは苦行でしかない。
ただ30歳になって、少しずつだけれど、自分のためだけに書いていた文章を公開できるようになってきた。周囲の目を気にする自分が少しずつ影をひそめていったのだ。これだったら書く仕事もできるかもしれない。それになんていったってPCさえあれば書くことはどこだってできる。カフェでPCを開いて仕事をする働き方はすごく自分に合っていると思う。それはノマドワーカーに憧れるというような表面的な理由ではなくって、一人もくもくとPCに向き合って言葉を打ち出していく、というのはなんとも自分らしく毎日だって続けられるという理由からだ。人によってはもくもくと一人文字を打つなんて苦行でしかないと思う。それが私の場合は想像するだけで最高!楽しそう!何時間だってできる!と思えるんだから。
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