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幽霊という現象において重要なことがもう一つある。それは、幽霊の出現する場所には、出現するべき理由があるということだ。夢幻能において、幽霊が歌枕に現れることからもわかるように、幽霊は所構わずでたらめに現れるのでない。必ず過去のできごとの起こったその場所に現れる。言い換えれば、わたしたちが幽霊的なものを感じるためには、単に過去のできごとが目の前に再現されているだけでは足りない。そのできごとが、今この場所と結びついていることが必要となる。
(人はいかに幽霊になるのか『部屋に流れる時間の旅��のこと(1)細馬宏通 )
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In my mind's eye, I see three circles joined in priceless graceful harmony. Two follow the moon, one is graceful as a crown...two from the sea five fathoms down, one from the earth deep under the ground, the whole a mark of high renown. Tell me what can it be?
Clash of the Titans (1981)
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E:「どうやってそれらの場所にいるとわかったのか?」
P:「中山競馬場は窓の外の景色。竹ノ塚は東武の電車、新宿はネオン、アピタは病棟の食堂とアピタの食堂がそっくりだったこと、北千住は窓からの街並み、自宅は山の風景でわかった」
E:「ぼんやりしていて間違えたの��は?」
P:「99%間違えてはいない」
E:「まったく同じ病院があちこちにあるのは、どう考えてもおかしい」
P:「あります。場所は違っても、いつも窓の外に足利短期大学の看板が見えたから、ここは足利赤十字病院であると考えた。足利赤十字病院は東京まで進出していると思った。請求書を見れば書いてあると思う。あれ、おかしいなあ。ひとつの病院しか書いていない」
E:「同じ場所にいたのでは?」
P:「違う。妻も違う場所までタクシーや電車で通ってきたと思う」
E:「ではどのように病院を回された? 点滴や尿道バルーンをつけての移動は大変では?」
P:「そこのところはよくわからない。眠っている間なのか、道中の覚えがない」
E:「新宿にアピタがあるのか?」
P:「あるんですね。新宿駅のホームの上にアピタがあって、アピタの中にまったく同じ足利赤十字病院がある。というのは、病棟の食堂がアピタの食堂にそっくりだからだ。新宿のアピタの足利赤十字病院で病院食を食べた。食事はまあまあだった」
E:「新宿にはないですよ」
P:「ある。100%自信を持って。退院したら先生をきちんと案内できますよ」
E:「今、それらの病院はどうなっている?」
P:「今も病院がそれぞれの場所にある」
E:「何個も同じ病院があるのはおかしい」
P:「でも、確かにどこも足利赤十字病院だった。しっかり看板を見た」
E:「私が何人もいるのはおかしい」
P:「そうだな。僕の考えでは、同じ系列だからみんなで移動して掛け持ちしているのではないかと思う」
E:「私はずっとここにいたけど」
P:「移動していたと思う」
E:「みんなでわざわざ移動するのはおかしい」
P:「道中はわからないけど」
E:「同じ治療をしていたというけど、1回1回初めから新たに始まったのか? それとも連続していたのか?」
P:「その辺のところはよくわからない」
(地理的定位錯誤から重複記憶錯誤に発展した右前頭葉出血の 1 例 ─重複記憶錯誤の成立過程について─ 船山 道隆 加藤 元一郎 三村 將)
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4 Ifの未死と彷徨える魂の行方
同じ大規模な災害といっても共通点と相違点がある。とりわけ、近年の災害史上の相違点としては、1995年1月の阪神淡路大震災は、断層のズレによる都市直下型地震だったのに対して、東日本大震災は、海溝型の津波を伴う巨大地震であった。この地震の違いが、死に対する捉え方の違いとなって現れていることにも気づかされた。すなわち、阪神淡路大震災の際は、17秒の短い揺れと午前5:46という夜明け前に起こったこともあり、震災犠牲者の死因は長田など一部の火災を除けば、ほぼ建物倒壊被害による圧死であった。しかも自宅で就寝中亡くなった人がほとんどであった。それに対して、東日本大震災の場合、午後2:46に起こった3分以上にわたる長い地震が起きたあと、津波が到達するまでに時間的猶予が残されており、家族もそれぞれ分散状態であった。この約一時間にわたる時間的猶予が遺族を苦しめることになる。どちらのケースも家族の突然の死は耐えがたいものであるが、とりわけ後者の場合、前者と比較すると、津波による死は避けられたのではないかという「ifの未死」が含まれている点が特徴的である。客観的にみれば、同じ生物学的死であるが、遺族にとってみればその死は「たられば」のifの世界で構成されている。「金曜日(地震当日の曜日)ではなく翌日の土曜日だったら……」「津波が沿岸側だったら、津波からすぐに逃げたていたのに……」「在宅でなく、仕事に行っていたら」「チリ沖地震がなければ(安心しなかったのに)……」「自分がいたら(助けたのに)……」「溺れて苦しんだんではないだろうか……」etcの遺族による無数の悲痛な言説に出くわす。圧死によるいわゆるきれいな御遺体ではなく、津波による瓦礫に揉まれ、水死した御遺108体が、家族にも判別できないぐらい顔が膨れあがったり、裂傷を伴い砂が眉に入ってとれないような悲惨な状態で対面した遺族にとっては、モノ言わぬ遺体とifの世界で生きなければならない。また、行方不明者にとっては、「(自分がこれから)自殺だとあの世で母や息子と暮らせないから、誰かに崖から突き落として殺してもらえないかな」という心情の遺族や、「今日は息子と母の一周忌法要。遺体すら見つからないのに一周忌法要をしなければならなくて、正直今も戸惑って受け入れられない自分がいます」というような行方不明者の家族にとっては、そもそも(生物学的)死すら成立していない。1年半以上経った現在でも死をいったん留保するケースも見受けられる。不可逆な生物学的死と、「死んではいないのではないか」という可逆的なifの未死の間を遺族は揺れ動��ことになる。それは同時に鎮魂されてはじめて安定するはずの魂が浮かばれないという意味をも含んでいる。生者とも死者ともつかない保留状態の「中間項」(内田2004)2〕が今回の大震災では極限までに開かれているといえる。そして、この生者とも死者ともなれない中間項にいる犠牲者が問題となるのは、遺族の生を脅かす点にある。彷徨える魂に呼び込まれる形で現世界から彼岸の世界へ導かれ自殺やアルコール依存を生み出す危険性が高まる。つまり、遺族と魂の二重の不安定さは、残された遺族をも彼岸の世界へ誘う呼び水ともなる。この死へと誘う導線を断ち切り、不安定な状態を脱する手立てが必要となる。ただし、葬式や供養祭のような狭い意味での宗教的儀礼は、先述したように、彼岸の側に立った魂の鎮魂である。行方不明者を多く抱えるような今回の大震災では、未だ彼岸にたっていない死というものに対処するのには不向きな面もある。
さらに、同じ津波被災沿岸域でも、たいへん大雑把に規定すると、宮城県の南三陸町以北と石巻市以南では、このような津波を含めた海難死に対して大きな対処の差がある。すなわち、南三陸町以北では、これまで昭和・明治三陸大津波をはじめとして繰り返し沿岸域を津波が来襲するいわば津波常襲地帯だといえる。それに比して石巻市以南は、津波非常襲地帯である。この常襲か非常襲かの津波の頻度によって、それに対処する人間の文化的装置もかなりの違いがある。たとえば、津波常襲地帯に属する宮城県気仙沼市唐桑町では、今回の大津波の震災後百箇日に御施餓鬼供養とハマ祓いという儀礼が執り行われている。主にカツオ漁や遠洋マグロ漁業などの船舶に深く関わってきた唐桑では、度重なる海難死が生じ数多くの人命が失われてきた。その際海を穢れていると捉え、海難死に遭遇した死者行方不明者の魂を一ケ所に呼び寄せ、祓い清めることで初めて清浄化された海に出ることを可能にしてきた。すなわち、ここには、たとえ千年に一度の大津波といえども、日常に回帰するためのレジリエンス機能が文化として内在化し存在する(植田2012)。 ただし、このような宗教的儀礼による生の回復は、度重なる自然災害に向き合って発動される文化的宗教的装置だといえる。そのため、多くの人が海の生業を離れている閖上地域のような津波非常襲地帯には、文化的宗教的装置はない。浪分神社など貞観津波の遺構は一部、震災後着目されてはいるが、基本的に津波に対する参照点(この災害のときにはこのように対処する)となるべき装置が不在状態なのである。その際重要となるのが、瞬間に立ち上��ることができるような疑似的な文化的宗教的装置の存在である。もちろん、死と生の中間項における対処の仕方は、おがみや(オカミ)さんやイタコなどの東北地方固有の口寄せがあげられる。しかしながら一時的な安心材料の提供だけではなく、日常の安定を求める集合的な装置として機能するのは、本稿で取り上げてきたコミュニティの過剰性だと筆者は考えている。次項では、伝統的なコミュニティとはいえない閖上地区が立ち上げる代替的な文化的宗教的装置に着目して生と死どちらつかずの中間項(彷徨える魂)に対処する処方箋を考えてみたい。
(災害死を再定位するコミュニティの過剰な意義ーifの未死と彷徨える魂の行方をめぐってー 金菱清)
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心療内科にいってきた。「ネコを亡くして三ヶ月経って、思い出す機会が減ってきて寂しい」と云ったらお医者さんが「それは同化というんです。これまではネコは外側にあったからそれを失ったことを悲しんでいた。いまネコはあなたの内側にいるんです」と神父さまみたいなこと云われてびっくりした。
https://twitter.com/travis02130213/status/938289434386223105
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私たちは遠い過去のことをある程度明確に思い出すことができます。そのため、記憶は固定的なものと考えがちです。しかし実際には、記憶は、体験している出来事がどのように私たちの情緒に訴えるかに大きく左右されます。例えば、いつも先生に怒られてばかりで「嫌な出来事の記憶」と結びついていた学校に、一人の転校生がやって来て、その人と楽しい毎日を体験するようになると、学校に行くことがいつの間にか「楽しい出来事の記憶」に書き換えられていたり、逆に「楽しい出来事の記憶」と結びついていた店で嫌な経験をすると、「楽しい出来事の記憶」は薄れて「嫌な出来事の記憶」に書き換えられ、その店から足が遠のいたりします。ところが、このような記憶の書き換えが、脳のどの領域でどのように行われているか、その神経メカニズムは明らかではありませんでした。
研究チームはこれまでに、マウスの脳の海馬の特定の神経細胞群を人為的に操作し、誤った記憶である過誤記憶[7]が形成されるメカニズムを明らかにしています。「過誤記憶の研究では、中立的な記憶が嫌な出来事の記憶に人為的に作り変えられることを示したが、一歩進んで、一度刻まれた情緒的な記憶がそれと全く逆の記憶に書き換えられるのか、という疑問がこの研究の出発点だった。さらに、脳のどの領域が記憶を書き換えることができ、どの領域ができないのか、関連する脳内ネットワークを明確にしていくことが大きな課題だった」とロジャー・レドンド研究員は振り返ります。
記憶は、記憶痕跡(エングラム)と呼ばれる、神経細胞群とそれらのつながりに蓄えられます。出来事が起こった時の状況や、嫌い・楽しいなどの情緒面、といった記憶の要素は、脳の海馬歯状回と扁桃体の基底部外側に、それぞれ保存されることが知られています。この海馬と扁桃体は、脳内ネットワークとしてつながっており、どのような状況でどのような体験をしたかという記憶は、それぞれの領域の神経細胞群とそのつながりで、エングラムという形で保存されていることが予想されていました。研究チームは、海馬と扁桃体という二つの脳領域とそのつながりに蓄えられた「嫌な出来事の記憶」のエングラムが、「楽しい出来事の記憶」のエングラムに取って代わられるかどうかを、最先端の光遺伝学を使って調べました。
光で記憶を書き換える -「嫌な出来事の記憶」と「楽しい出来事の記憶」をスイッチさせることに成功-
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村をあるいて年寄りたちばかりでなく、中年の人も若い人も一番関心の深いのは自分自身とその周囲の生活のこと、村の生活のことである。民俗的な事象を聞くことについて喜んで答えてくれる人は多いのだが、その人たちの本当の心は夜ふけてイロリの火を見ていて話のとぎれたあとに田畑の作柄のこと、世の中の景気のこと、歩いてきた過去のことなど、聞かれて答えるのではなくて、進んで語りたい多くのものを持っていることであった。人はそれぞれ自分の歴史を持っているのである。まずそういうものから掘りおこしていくこと、そして生きるというのはどういうことかを考える機会を、できるだけ多く持つようにしなければいけないと思った
(塩の道 宮本常一 解説より)
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