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“マーフィーの法則を逆用。 「工程が進むと前工程の不具合が現れる」 これを逆手に取って、「工程を敢えて進める」ことで前工程の不具合を炙り出す。 一見無駄なようでこれがなかなか効くので、完璧主義の傾向のある方はお試しあれ。”
— PsyonG(西園寺)さんのツイート: “マーフィーの法則を逆用。 「工程が進むと前工程の不具合が現れる」 これを逆手に取って、「工程を敢えて進める」ことで前工程の不具合を炙り出す。 一見無駄なようでこれがなかなか効くので、完璧主義の傾向のある方はお試しあれ。” (via sryuuki)
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“あるとき、操艦責任者から「これから潜水します」と言われた私は、疑問に思ったことを訪ねる代わりに、そう言われたときに私は何を考えていると思うかと彼に尋ねた。 「艦長は、潜水が安全で適切かどうか心配されていると思います」 「そのとおり。だから、潜水が安全で適切だと思う理由を述べてはどうか。そうすれば、『よろしい』の一言ですべて終わる」 その後、「これから〜をします」という言い方をするときは、私が一言了承するだけですむよう詳細に報告することが彼らの目標となった。”
— p.123, L・デビッド・マルケ (著), 花塚 恵 (翻訳), 米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方, 東洋経済新報社, 2014
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Miłość od pierwszego wejrzenia
Autor:
WISŁAWA SZYMBORSKA
Oboje są przekonani,
że połączyło ich uczucie nagłe.
Piękna jest taka pewność,
ale niepewność jest piękniejsza.
Sądzą, że skoro nie
znali się wcześniej,
nic miedy nimi nigdy się nie działo.
A co na to ulice, schody, korytarze,
na których mogli się od dawna mijać?
Chciałabym ich zapytać,
czy nie pamiętają -
może w drzwiach obrotowych
kiedyś twarzą w twarz?
jakieś ,,przepraszam'' w ścisku?
głos ,,pomyłka'' w słuchawce?
- ale znam ich odpowiedź.
Nie, nie pamiętają.
Bardzo by ich zdziwiło,
że od dłuższego już czasu
bawił się nimi przypadek.
Jeszcze nie całkiem gotów
zamienić się dla nich w los,
zbliżał ich i oddalał,
zabiegał im drogę
i tłumiąc chichot
odskakiwał w bok.
Były znaki, sygnały,
cóż z tego, że nieczytelne.
Może trzy lata temu
albo w zeszły wtorek
pewien listek przefrunął
z ramienia na ramię?
Było coś zgubionego i podniesionego.
Kto wie, czy już nie piłka
w zaroślach dzieciństwa?
Były klamki i dzwonki,
na których zawczasu
dotyk k��adł się na dotyk.
Walizki obok siebie w przechowalni.
Był może pewnej nocy jednakowy sen,
natychmiast po zbudzeniu zamazany.
Każdy przecież początek
to tylko ciąg dalszy,
a księga zdarzeń
zawsze otwarta w połowie.
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With a background in Interior architecture, Vincent Ribat has always been passionate about the world of Luxury luggage.
In 2014, he created RUE DE VERNEUIL, address of his parisian studio from where he launched his bags & accessories line.
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「気楽にまじめな話をする場」から会社は変わる
「知恵」を集めるには、情報の流れ方と質を変えなければならない 「気楽にまじめな話をする場」から会社は変わる
2006/11/27
どんな最先端の経営手法を導入しようとしても、それを受け入れ消化できる「土壌」がないと効果は発揮できない。 その「土壌」づくりが、企業の風土改革である。
それは「気楽にまじめな話」ができる人間関係を築くことから始まる。 逆に、それさえできれば、「知恵の集積と創造」は自発的に成されるのである。
スコラ・コンサルト代表 柴田昌治 = 文 しばた・まさはる●1944年、兵庫県生まれ。東京大学大学院教育学博士課程修了。現在、スコラ・コンサルトおよびエデュコンサルトの代表。企業風土・体質の改革に取り組んでいる。著書に『なぜ会社は変われないのか』『なんとか会社を変えてやろう』など。 かすや たかひろ = イラストレーション・
今の会議では「妥協点」しか生まれない
これまで私はさまざまな企業の風土・体質改革のお手伝いをしてきました。企業には多かれ少なかれ、臭いものには蓋をする、問題を先送りにする、足を引っ張り合うといった組織の牽制的な人間関係が生み出す問題が見られます。
そこに焦点を絞って、お互いが相談し協力し合えるような組織風土に変えていこうとしてきたわけです。簡単なようで、これがなかなか難しいことは、管理職や経営者の方ならおわかりでしょう。
しかし、組織の垣根を越えて知恵や力を貸し合い、お互いが信頼をベースにして行動できる環境がつくられていなければ、いくら会社をよくするための最新のマネジメント手法や人事システムを導入しても、それは絵��描いた餅に終わってしまいます。
最近流行のサプライチェーン・マネジメントやシックス・シグマなどの経営手法も、それを受け入れ、消化できる土壌がないと効果を発揮できません。私たちがやろうとしている企業の風土改革とは、そうした人間系の土壌づくりでもあるのです。
私は、組織の風土・体質に関わる個人の意識、行動や知恵の部分を「ソフト」と考えています。これに対して、組織が用いている制度、仕組み、ルールなどは「ハード」です。企業の改革では、つねにソフトの改革を少し先行させておくことが大切です。
制度をつくってから、それをどうやって浸透させればよいのかと悩むのは、賢いやり方ではありません。ソフトの改革によって土壌をあらかじめ耕しておけば、制度も"運用面"で実行されやすい状態になるわけです。
では、どうやってソフトの改革を始めればよいのか。後ほど詳しく説明しますが、私はまず「オフサイトミーティング」という「気楽にまじめな話をする場」をつくることをすすめています。
ナレッジ・マネジメントはつまるところ、会社や組織にある知識、私は知恵だと考えていますが、そういうものを集めて、経営にフィードバックし、生かしてゆく仕組みをつくろうということだと思います。むろん、こうした仕組みをつくるのにも、ソフトの改革は不可欠です。
ただパソコンを入れてデータ収集に励んだり、会議や打ち合わせの回数を増やしても、臭いものに蓋をするような体質が放置されているとしたら本当の意味での知識や知恵の集積、創造はできません。やはり、人と人との向き合い方を変えて、情報の流れ方と質を変え、生きた情報が流れ、知恵が出やすい状態にする必要があるのです。
私は情報を「データ系情報」と「現場感覚系情報」に大別しています。データ系情報とは、抽象化され数値化された情報です。これは、会議に資料として提出しやすく、電子メールでも送りやすい整理・加工された情報です。
一方、現場感覚系情報とは、現場にある生のままの情報です。営業に行った先のお客さんの顔色だとか、工場で交わされた仕事絡みの雑談だとか。いわば、皮膚感覚で捉えた情報で、書類にはしにくい性質のものです。この現場感覚系情報は、熱意や共感のような人のエネルギーがなければなかなか伝わりません。
通常、上司が判断のために「情報を持ってこい」と言うと、部下はデータ系情報を一生懸命つくるわけです。そして無能な上司ほど「もっと、もっと」と催促し、部下は書類づくりに追われます。
でも本来は、現場感覚系情報をしっかりと持っていて、要所要所でデータ系情報を利用したほうが正確な判断ができるものです。ですから、私は「データ、データ」と言っている暇があれば、現場に行きなさいと話しています。これも、情報の流れと質を変える方法の一つです。
知識や知恵を集積、創造する手段としては、従来から行われているような「会議」には大きな期待は持てません。普通、会議の出席者はある部署なり、ある立場なりを代表して参加しているわけで、どうしても話し合いは主張のし合いになります。
主張のし合い、つまり立場と立場のぶつかり合いからは、「妥協点」しか生まれてきません。「知恵」というものは、お互いの立場を超えて協力し合い、助け合おうという姿勢の中からしか生まれてこないのです。
さらに、これまでの会議では、出席者も形式的に決められていて、この会議にはどういう所属の者が出るのか、どういう資格の者が出るのか、というようなことが必要以上に問題にされたりします。
だから、呼ぶべき人を呼ばないと、「俺を邪魔者にしているのか」「何で俺を呼ばなかった」ということになってしまいますし、逆に、ある部署の会議に他の部署の者が入ってきたら奇異に見えるわけです。課長だけの会議に社長が出てきたら、もうただごとではありません。
しかし、解決すべき問題がはっきりしている場合は、それに関する情報を持つ者が所属や階級を超えて集まり知恵を出し合うことが、いちばん有効な対策を生み出すことになるのです。当事者というか一次情報を持っている人間を集めることが大切なのです。
例えば、自動車のある部分に欠陥が出たとします。そうしたら、関係する部署の人たち、設計部門、製造部門、場合によっては購買部門や営業部門からも一次情報を持っている人を集めます。
一次情報を持っているのが、係長なら係長を、部長なら部長を、常務なら常務をです。彼らが集まって、解決のための知恵を生み出していくのがいちばんよい方法です。
とはいっても、実際のところ、各人には��れぞれの部門を守ろうという意識が働いたり、上下関係を気にしてしまいがちです。こうした縄張り意識や肩書意識を捨てることは、難しいことです。日頃から信頼関係ができていないと、とても無理な話でしょう。
でも、信頼関係などと堅苦しく考えなくとも、気心が知れているだけでもずいぶん違います。気心の知れた人間が五、六人集まって、「おい、これどうするか考えようや」とやったら、そこそこの解決策が出てくるものなのです。
そこで、「指揮命令系統から考えて、彼も入れておかないといけない」とか、「あいつを入れて、こいつを入れないのはまずい」とか言い始めると、もう解決策を考える手前で混乱してしまうわけです。当たり前の話なのですが、この当たり前のことが意外にできていない企業がたくさんあります。
トヨタと日産の明暗を分けたもの
逆に、この当たり前のことができているのが、トヨタ自動車です。だいぶ以前のことになりますが、私は日産自動車のマーケティングのお手伝いをしたことがあります。当時、販売台数はもちろんトヨタのほうが多かったのですが、マーケティングについては日産のほうが進んでいました。
ただ私の関心は、そういうことよりも、両社の体質の違いのほうに向いていました。そんな折に、部品メーカーの役員の方から興味深いお話を伺いました。その役員がおっしゃるには、トヨタにある話をすると、その部署だけでなく関係しそうな全部の部署にちゃんと伝わるというのです。日産は、一つの部署に話すとそこだけで、他へは絶対に伝わらなかったそうです。
その役員の方から、「この差をどう考えるか」と尋ねられて、「そのとおりだろうなあ」と思ったことを覚えています。でも、そのときはそんなに重要なことだとは考えていませんでした。しかし、今になってみれば、マーケティングなどより、よほど重要なことがそこにあったと思います。それが、ここまでトヨタと日産の差がついた大きな要因ではないでしょうか。
トヨタは社員同士が、誰がどんな情報を持っていて、どんな心のスタンスでいるかということをよく知り合っているわけです。だから、この話であれば彼なら乗ってくるぞという情報を持っていて、活用しています。
一方、日産は「言っても、どうせ駄目」と、総じて無駄と思っているわけです。トヨタのように「あいつは駄目だけど、こいつならいける」という具合には進みません。
何かあると、関心のある者が集まってきてババッと行動を起こす、そういう素地をつくってきた会社と、そうでない会社。個々人の偏差値で見れば、トヨタより日産のほうが高いように思えました。にもかかわらず、トヨタにかなわないというのは、どういうことなのでしょうか。
やはり、知恵を集めて生かす土壌がない、「知のダイナミズム」が働いていないということです。
トヨタはなぜ、そうした素地をつくれたのでしょうか。トヨタの社員は、実にさまざまな社内のインフォーマルな会合に参加しています。同じ入社年次のエンジニアの会とか、出身学校の会。一人で二つ三つも研究会に所属している人も珍し��ありません。
よくもこんなに研究会があるものだと感心させられます。研究会は、個人で会費も払っているのでしょうが、会社もけっこうサポートしているようです。こうした仕事を離れた場を通じて、社員と社員がお互いを知り合うわけです。
そこで自然と、誰がどのような関心を持っているかもわかるようになりますし、困ったときにアドバイスしてくれる人も知ることになるわけです。
これは、先に触れた私たちが行っている「オフサイトミーティング」という手法を知らぬ間に実践していることにほかなりません。実際、トヨタの人にオフサイトミーティングの話をしますと、意識の高い人は「われわれのやってきたことと同じですね」と必ず言います。ただ、トヨタの人たちは、それが自分たちの強みだということを理解していません。当たり前だと思ってやってきたということでしょう。
「オフサイトミーティング」とは何か
ここで、オフサイトミーティングについて説明しましょう。私たちが行っているオフサイトミーティングはもともと、「研修」から発生したものですが、従来から行われている研修とは明らかに性格が違います。
オフサイトミーティングは「気楽にまじめな話をする場」であり、相談し合える人間関係を築くための呼び水となるものです。
したがって、このミーティングでは「人の話を聞く」ことを何よりも重視しています。もちろんわれわれが「これが正しい答えですよ」と誘導することはありませんし、結論を出すこともノルマ化されていません。結論を出さなければならないとなれば、議論は必然的にまとめる方向に向かいます。
しかし、きちんとお互いの話を聞き、じっくりと話し合う場なのに、まとめることが目的になっては意味がありません。ですから、このミーティングでは議論は収束させずに発散してゆくほうに導いてゆきます。もちろん、それで自然に結論らしきものが出てくるのなら歓迎すべきことでしょう。
このように、オフサイトミーティングの進行は意図して流れに任せていますので、決まったプログラムも進行予定表もありません。議論の熟成度合いはその時々で違いますし、構成メンバーによっても進み方や時間のかかり方は変わってくるのです。
さらに、もう一つ重要なことは、最初の段階で「自己紹介」に十分な時間を取って、心の柔軟体操をするということです。この自己紹介は単に出身地や学歴、入社年度、社歴などを述べるというものではありません。
これまでの人生で体験してきたこと、家庭やプライベートにおける悩みなど、普段の仕事の場ではあまり見せ合うことがない、その人の素顔が見えるような話をするようにしています。
実際、四、五人の自己紹介が終わるのに一日かかることもあるくらいです。案外、隣の席に座っている人の生い立ちや家族のことなどは知らないものです。そういうことを知り合うだけでも気楽にまじめな話はしやすくなるのです。
「失敗談」の思わぬ効用
いざオフサイトミーティングを行おうとして、まず問題になるのはいかにして時間を捻出するか、ということでしょう。 オフサイトミーティングは、その性格上、最低でも丸一日、できれば一泊二日くらいの時間をかけて行いたいものです。なにせ、自己紹介で軽く一日くらいはかかることもあるのですから。
では、忙しい中から時間を捻出するには、どうしたらよいのか。私は今ある会議を半分にして、浮いた時間を「知恵を出し合う場」に充てるようにすすめています。
会議には大きく分けて、セレモニー、情報共有、意思決定や調整、対策などを検討するといった機能がありますが、それぞれの目的に応じてやり方を見直すだけでも、かなりの時間的余裕が生まれます。
例えば、対策を協議するといった会議の場合も、そこで検討の対象となる問題はかなり個別になるのが普通で、本当の当事者というのは四、五人しかいないものです。20人の会議でも15人くらいは実質的な話し合いには加わらないで見ているだけです。対策を3つも4つも検討するとなると、遊んでいる人数と時間はますます多くなってしまいます。
こういう機能の会議はむしろミーティングという場に変えて、対策については当事者が集まって別個に行うほうが効果的でしょう。これだけで、会議に要する時間は半分くらいになるはずです。
そうやって、浮かした時間でオフサイトミーティングをやればいいわけです。
しかし、いきなり「気楽にまじめな話をしようぜ」と言っても、できるものではありません。先ほど述べた心の柔軟体操が必要になります。
自己紹介も、その一つの方法ですが、失敗談を披露することも有効です。例えば、技術系の人たちの集まりで、ベテラン社員が自分の半生にわたる技術の歴史を語るような場合も、失敗談を織り込んでゆくと、場が打ち解けて、いい感じになります。
若手の技術者も、先輩の誰にどんなことを聞きにいけばよいのか自然に情報が得られるだけではなく、先輩の存在が身近に感じられるようになることで聞きに行きやすくもなり、技術の伝承が知らぬ間に進んだりもします。マニュアルをつくって、「こうした場合にはこうせよ」と示すより、よほどスムーズに相談ができる状況がつくられるわけです。
心の柔軟体操では、無駄話も出てきますが、それでよいのです。半日とか一日とか時間を取って、お互いのことを十分に話し合えば、あとは会社の問題点などについても、どんどん言い始めるようになるものです。
特に結論を出すこともないので、各人が持っている問題意識を出し合うかたちで、議論も一気に深まっていきます。そういうプロセスを通じて「気楽にまじめな話」ができる人間関係が築かれるわけです。
基本はフェイス・トゥ・フェイス
しかし、オフサイトミーティングもその場限りでは参加者が実行するには至りません。私たちは社内に「世話人」を置いて、事後のフォロー、というよりも議論の場で出た思いを具体的な動きに結びつけてゆけるような働きをしています。
せっかくミーティングで問題意識が高まっても、「実際に何をやればよいのか」という具体的なイメージが適切なタイミングでもたらされないと、参加者は職場に戻ったとたんに日常業務に埋没してしまいます。
世話人はそこにすかさず手を打って、同じような問題意識を持っている人と会って話をする場をつくるなどのサポートをするわけです。そうやって場づくりをしながら、前向きな人の思いや知恵や情報をつないでゆくのが世話人の仕事です。これはソフトの改革には不可欠な機能といえるでしょう。
ここでいう世話人は、会社の風土改革に強い意��を持っていることが条件です。さらに、どんな状況でもなんとか打開策を見つけてゆく粘り強さ、フットワークのよさ、人と人の橋渡しをする能力などが求められます。課題処理能力だけが高い優等生タイプの人は向いていません。
社内での世話人は、日常業務が比較的楽な部署に配置し、半分は業務に、残り半分はフリーに動くというように、業務を持ちながらも、世話人として動きやすいような環境を会社がつくることが望ましいと思います。
ところで、オフサイトミーティングはいわば「点」にすぎません。この点をつないで、さらに「線」「面」に広げてゆく場をつくる必要があります。例えば、社内改革の中心となるメンバーで行う「コアミーティング」。
いくつかの部署や部門にまたがる重要なテーマに取り組むときに、コアとなる人たちが集まって、自分たちの職場の状況、課題などを率直に話し合うというもので、必要に応じて随時開きます。
また、一対一で声を掛け合って、日常的に短時間で頻繁に行う「ミニミーティング」は、気楽にまじめな話をする最も基本的な場です。こういう小さい単位のやりとりをしっかりやることで、相談し合える土壌がつくられてゆくのです。
さらに、「三角パスミーティング」という方法もあります。これは、AさんがBさんに何か情報を伝えたいと思っても、直接渡せないようなときに、Cさんを通して話を持ってゆく。あるいは、AさんとBさんがある事柄について同じような関心を持っているが、お互いの間にコミュニケーションがない場合、Cさんが仲介役となってつなぐというものです。
このようなさまざまなミーティングを通じて、今までとは違うやりとりを重ねてゆけば、自然にじわじわと風土・体質も変わってゆきます。ただ、ここで重要なのは、いずれの場合も、人と人が直接会って話をするということです。
基本は、フェイス・トゥ・フェイス。最近は、電子メールによる伝達が多用されますが、これはあくまで補助ツールと考えるべきです。逆に、データなどを伝えるには大変有能なツールですので、存分に利用すればよいでしょう。しかし、一緒に何かを生み出そう、知恵を出し合おうというような場合は、やはり顔と顔を合わせないといけません。
そういう地道な動きを通じて、「気楽にまじめな話」ができる人間関係、ネットワークが広がってゆけば、自発的な一種のナレッジ・マネジメントが実践されることにもなるのです。
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“娘は私立の女子校に通っているんだが、ある先生からこう言われたんだとか。 「君たちは、のびのびしていて幸せだな、男子がいなくて」 男子の目がないから、女子校にいる女子は緊張感なくなるってのは、よく言われるし、想像が付くんだけれど、この先生がそう思った理由は全然違った。 「ボクが公立の共学に勤めていたころ、例えば、男女混合のチームでバスケやサッカーをやると、女子がボールを支配できたとしても、男子が当然のごとくと割り込んできて、女子にはシュートをうたせないんだ。“男がやるのが当然だろ”って態度で、奪って行く。それが続いているうちに、女子は前に出なくなるんだな。男子に遠慮するのが当たり前になって、男子は逆に主導権握るのが当然と言う態度になる。それが、スポーツだけでなく、生徒会もそうだし、イベントもそうだし、掃除や係も、“女子は男子に従え、前に出るな”となっていく。授業もそうなっていくんだよね。だから、この学校へ来て、君たちが、シュートをうつのに驚いた。ホントに自由にのびのびと発言するし、やりたいことをやっていることに、驚いた」、 この先生は、共学では当然の感覚と思っていたことが、女子校でただの偏見だったと気付いたんだそうだ。”
— 君よ知るや修羅の国 - 北沢かえるの働けば自由になる日記 (via monoprixgourmet)
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「当時としては大変モダンだったはずです。イケアや無印良品、ハビタなどには時代をこえたクラシックなデザインの家具がたくさんありますが、その起源をたどればアイリーン・グレイにたどりつくのではないでしょうか」とマクガキアンは話す。 「内装も外装もすべて建築の一部です。特定の人にあわせて住宅を設計することは、英語では『ドメスティック・アーキテクチャー』、つまり家庭のための建築と言いますが、でもこの家はそれ以上ですね。『親密な建築』とでもいいましょうか、とにかく施主であるパドヴィッチのニーズにすべて応えている家なのです」とマクガキアンはいう。
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“芸術の生産において真正さという基準が無効になる瞬間には、芸術の社会的機能全体が、大きな変化をとげて���まう。芸術は儀式には基づくかわりに、必然的にある別の実践、すなわち政治に基づくことになる。(595) ここでベンヤミンが述べている「政治」とはファシズムに対抗しうるような文字通りの「政治」であるが、これを拡大解釈することが一つの道としてありうるように思われる。すなわち芸術家が思想を持つこと。「なぜ自分がこれを作るのか」という問いに対する言葉を持つこと。”
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“基本的に日本の社会には、庶民から為政者まで、「その場の正解」にのみ拘泥して知識体系を軽蔑するところがある。専門家を軽視し、髪型だの所作の奇矯さだののくだらない揚げ足取りに終始し、その専門性に正面から向かい合うことができない。向かい合わないから尊重すらできない。尊重し、言うことに耳を傾け、制度を動かすといったことができなければ、本人が去ることですべては崩れ去る。システムで戦うことはできず、世代が替われば一からやり直しになる。これが日本社会の属人性といわれるものの正体である。”
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バスターは「あたまのわるいひと」くらいバランスが絶妙であることがわかるなどした(バランスを取れなかった)
クレイの方が少し描けた気がする。
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つい細いペンで細部を描き込んでしまうけど、細く描きようがない極太プロッキーを使うことで道具から制約をつけると、「道具が生きる」線が描ける。
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~仁淀Blue~
清流仁淀川の恵みが育んだ「高知県産白きくらげ/スライスタイプ」
▼<新商品>
白あらげきくらげ・スライスタイプは2022年4月1日より発売の新商品です。
お客様より2~3年前から、白きくらげスライスタイプのご要望がありこの度商品化させて頂きました。
▼<白あらげきくらげ・スライスタイプの特徴>
①戻し時間が早く、包丁やまな板不要で使いやすい。
②国産白きくらげスライスタイプを製造する数少ない農家
③食べる美容液と呼ばれる「きくらげ多糖体」がたっぷりで美容や健康に◎
③白色で酢の物やサラダなどと合わせやすい。
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