Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
大豆田とわ子と3人の元夫
最近見ているドラマがある。
それはもちろん大好きな脚本家の一人・坂元裕二の「大豆田とわ子と3人の元夫」。
坂元さんが描くドラマは、世の中からちょっとはみ出してしまう人たちをおもしろおかしく描きながらも、そっと寄り添ってくれる優しさがあるから好き。
あと、日常のちょっとした嫌なこととか、ちょっとした良いことを描いているところも好き。
前回の6話は第一章の最終話。かごめの突然の死によって、物語の雰囲気がガラッと変わって。エンディングも一周してフレシノに戻り鳥肌。
かごめの、周りに流されずに自分の意思を貫いて生きているところとか、でも本当は他の人と同じようにできない自分でいることを苦しく感じてしまう繊細さとか、すごく好きなキャラクターだったから悲しかった。
それでも、物語の中で悲壮な雰囲気は続かない。いつもと同じように明るいトーンの伊藤沙莉ちゃんのナレーションが入ることで、一人の人がいなくなっても、まるで何事もなかったかのように人生が続いていくことに気づかされる。
そして7話。
“人は時々さみしくなるけど、人生を楽しめる。楽しんでいいに決まってる。”
まるで何事もなかった、だなんてまったくの嘘で、とわ子の心にはずっと悲しみや申し訳なさや後悔のようなきもちが残っていたのだと思う。
ふとかごめのことを忘れる瞬間に、また彼女をひとりにさせてしまったと罪悪感を感じる。自分が忘れてしまえば、彼女はこの世から本当にいなくなってしまう…と感じること。
でもそんなのは嘘で、時間は過ぎていくものでも失うものでもなくて、ずっとそこにあるもので。(映画「メッセージ」を思い出した)
死んでしまったらそれで終わりじゃなくて、それが最後とかでもなくて、幸せそうにしている彼女を見たことがあるのなら、それが彼女だ。
私も愛犬(タロー)を一人で死なせてしまった経験がある。家族のだれにも看取られずに、さみしく旅立っていったタローを思うと、申し訳なくて、悲しくて、思い出す度に涙が溢れる。いまもそのきもちを変えることは難しい。
それでも、タローが幸せそうに走り回ったり、きもちよさそうに眠っていた時間を思い出して、タローの人生は点ではなくてずっと続いているものだということに気づくーーーー。
ドラマの話に戻る。
つまり、死んでしまった人に対して罪悪感を感じたり、自分を追い詰めたり、感情にブレーキを掛けたりする必要はなくて、その人はずっとあなたや誰かの心の中に存在しているから、私たちは安心して今を生きればいいのだと思う。
「死者を置いて自分だけ幸せを追い求めてはいけない」という呪いから解放される。
みたいな話って、漫画か映画であった気がして、すごく思い出したいんだけど思い出せない…
「僕等がいた」「潔く柔く」とかかな…。すごく好きでグッときた物語なはずなのに思い出せないことってあるある。だからこそ、こうやって書き記しておこうと思う。
3 notes
·
View notes
Text
just a whisper voice in my room
好きなこと、気になっていること、頭の中にあるもやもや、ひとつひとつ言葉にして残すことで、もっと自分のことを知って、もっとなりたい自分に近づいていけるように。日々と自分を記録していく場所です。気が向いたら覗きに来てね。
1 note
·
View note