Tumgik
wataone · 5 years
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祝い
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先週、友人から連絡がきた。友人は、好きなバンドのライブで知り合った、同じ年齢の女の子だ。旅行で、北海道にいくから会おう!と言ってくれた。その前あったときに、結婚したときの旅行は北海道だと思うといわれていたので、そうかとうとう結婚したんだ、と思っておめでとうと文脈を無視した文章を送ってしまった。
そしてこれからその彼女と、旦那さんになった人と会うんだけれど、普通に旦那さんと一回も会ったことがないのでとにかく笑顔でいようと決めている。彼女の友人としていい印象を残したいという邪な気持ちがほぼで、どうせなら好かれたい。人としてこの気持ちは多分おかしくない、と、信じたい。
彼女は、すごく優しく多分人見知りはあんまりしない。というのも、初めて会ってから三年ほど間が空いて、わたしがライブで遠征した際に、いることをtwitterで呟いたら、一緒にご飯を食べよう!と言ってきてくれた。私なら初めて会ってから三年も間があいたらいることがわかっても連絡は多分しない。でも彼女はしてきれくれて、それがとても嬉しかった。その気持ちがあるからか、話はとても弾んで(同じライブが好きという共通点はあると思うけれど)ライブが終わったあとも、ご飯を一緒に食べた。
決して派手ではなく、どちらかというと大人しいほうにあてはまるかもしれない。でもとても話しやすい。初めて会ったときは私も知っている別の友人と一緒にいて、タイプが違うなあと思いながらも挨拶を交わしたんだけれども、今となっては思うのはきっと彼女の周りはものすごく居心地がいい。なんというか、空気が優しいというか。だからきっといろんな人が彼女の周りに集まるんだろうと思う。
だからつまり、旦那さんにこの度なった人は、ものすごくいい奥さんを持った。私が保証する。彼女は最高の女だ。今日はそれを伝えたい。そしてあわよくば彼女があまり話さない馴れ初めなどを聞きたい。そのために好かれたい。欲が出すぎだろうか、でも聞きたい。
そんなことを考えながら、待ち合わせよりだいぶ早く着いてしまったので、普段入りもしないスターバックスで時間を潰している、今だ。
今日は、楽しい時間になるといいな。そう思いながらこの文章を書いている次第。
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wataone · 5 years
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夕空に紺の絵の具をたらしこんだような、そんな夕方のような、夜のような混在した時間帯にニシナと久しぶりに会った。女装しているときには彼女と呼んで。そう言ったスーツ姿の彼は、普段リンネルという雑誌によく出て���るような女性服や、上に一枚下に一枚、というシンプルな男性な服が多い。だからなのかいつもとは纏う空気が少し、違う気がした。
「身長が176もある男の女装は、ちょっと真剣な会議の場では違和感があるかなって」
彼は笑いながら、車の背もたれを一段倒し、すこしだけネクタイを緩めた。今日も僕たちは頑張った。ぽつりと呟いたと思うとすぐに体を起こして、また笑う。
基本的に、彼が私に会おうと連絡をしてくることは珍しい。正確にいうと、そろそろ会おうみたいな時はあるけれど、明確に何かがあった時、私に会いたいということはほぼない。彼は人間としてこそはとても柔軟な性格で、他人の考えを受け入れ、咀嚼し相手の立場に立って物事のプロセスを組み立てることができる。そんな人間だからか、基本的に人の気持ちをさきに汲み取れるからか、正解しか言わない彼は悩まない。けれども、ほぼないうちのたまにあるその会おうという連絡の時は決まって、自分の考えがあっているかどうかの答えあわせをするときだ。今回も例に漏れずそれだった。
わざわざ私の職場にご丁寧に迎えにきて、ご飯も買ってきている。彼は真剣な話をするときに、店にはあまり入らない。不特定多数の誰かが断片でも自分の話を聞いて推測されるのが嫌いなんだ。親しくなってから言った彼のことを今でもよく覚えている。従って彼の話を聞く時はいつも彼の車の中か、家か、それかカラオケなどの密室かに限定されてくる。今回は車、場所は大型スーパーの駐車場の隅だった。中心部からは離れたためか、そもそも車自体、見かけられず。
車を止めるなり、彼は背もたれを目一杯まで倒した。深いため息をひとつ付いているのをみて、珍しいと感じる。そもそも最初からだ、会って言われた一言目からすでに、それは感じていたのだとともう。彼が彼自身に違和感を感じたこと自体がすでに違和感だった。
あげる。同じ目線にいない彼から伸びた手から渡されたのは美味しそうなお弁当と、お茶だった。これは、合図になっている。人は咀嚼している間物事の考えを理解しやすい、受け入れやすい、記憶が定着する、などと言われるよくわからないエビデンスがあるらしい。それに基づいてからなのか、決まって彼の話を聞く時は食べ物を渡される。それを食べながら聞くのが私と、彼のルールのようなものになっている。つまり聞けという、彼の意思表示。
「最近、女装をした時に正しいのか、わからなくなる」
美味しいお弁当を食べながら聞いた話はこうだ。今までしていた女装が、自分の好きなこととしていたはずだったのに周りの人から色々いわれたらしい。それは聞いている限り好意的なものにわたしは聞こえた(好きな格好して、素敵だねとか似合ってるねとかそういう類のものだった)が、そういわれ始めてから、周りの人にそう思われなくなる日が来るかもしれないと思い始め、女装をする時に人の目を気にするようになってしまった。今まではいいとは言えない意見か多かったから自分の好きなもの、の主張として成り立っていたのもあるかもしれない。しかし好意的な意見が多くなった今となっては、自分がしたいことをするという彼の意思とは全く反対で、他人のためにしているように感じてしまいこの状況が良いのか悪いのかもわからない。また自分がそう思う日が来るなんてという、自分への驚きもあった、ように感じた。わたしは。
「いまは、女装したくないの」「わからない、したくないわけではないけど、どうにもその周りの人のためにしなくてはっていう気持ちがね、出てきてる気がしてよくわかんなくなっちゃった」
手で顔を覆い、少し低い声でんん、と唸る彼は見たことがなかった。前に、ほんとはこうしたいけどなかなかできないんだと、わたしが彼にいったことがある。その時彼は明るく努めなさいと言った。最初は無理してでも明るくいたら、あなたがしたいことがなぜかできるようになる。したいことができると、あなたは本当に明るくなる、そうしたらあなたはもっとしたいことができるようになる。そうやって人生は回っていくと思う。だから明るく、自分のために努めなさい。その時は一人にならないように、僕もいるよ。そう、君はそう言っていたよ。彼の問いに対しての正解かは分からなかった。ただ、彼がそう思っているいまは、多少とっかかりになる言葉だと、思う。
すると彼は、いきなり身を起こして私を抱き寄せた。普段からスキンシップが多い人ではあるが、あまりこのような時には起こることがないのと、あとは最初に述べたようにいつもとは違う雰囲気を纏う彼だった。そのためか、すこしだけ、心臓がなって。しかしそんな私の小さい動揺など関係なく、そこからしばらくの沈黙が続いた。正しく言うとするならば、彼は口を開いたり、何かを言うと思えばまた口を噤んで。そのような呼吸が繰り返されていた。
体感にして結構な時間が流れていたような気がする。ここまでためらったのだから相当葛藤したのであろう。しかし、やっとこぼされた言葉は、私の予想を大きく外れるものだった。
「僕は、あまり人生について悩んでも仕方ないと思っている。そもそも人生は自分の思った通りにしか進まない、だからシンプルに物事は考えてきた、必要ないものには当たり障りなく接した。そうして築いた僕がいる。でもいまは、その僕が僕でいたい僕か分からない。僕ってどんな人だったんだろう」「そんな面倒くさいことを、考えていたんだね」「そう。頭ではわかっていて、これは考えすぎても仕方ないことだって、頭が理解しても心が追いついていない」
どうしたらいい?と聞かれると思っていた。でも違った。どこまでも彼は彼の力で。本当にあなたは強いな、顔の見えない彼にそう思う。彼は続けた。だからいまは考えるべきではないのかもしれない。すこしためらいながらも冷静になろうとして選んだ言葉は自分に言い聞かせるようで。そんなわたしより頭のいい彼に、わたしが言えることなどもはや限られている。今の言葉にだってきっと彼を納得させるような言葉は言えないんだろな。そう思いながら、やっと伸ばした私の細いとはとても言えない手で、彼の背中をさすった。ありがとう、その私の態度とは真逆に抱きしめられた彼の両の腕の力は一層強まった。しかし抱きしめ返すのに私では役不足だ。だからこうすることしか私にはできない。そして、最初の頃に約束した言葉だけが、私が彼にかけられる唯一つの言葉。
「お互い明るく努めて、最後は絶対笑うこと。そう決めたじゃん。自分の気持ちで、自分を認めてまた明日から生きていこう。何回死んでもいいんだから、何回でもまたうまれて。そうして自分のために生きようね」
それだけで上方修正なんだから。いいんだよ、わかんない時はしなくたって。したくなるまで女装はお預け。たまにはゆるいあなたを新たな一面として見せてたらいいんじゃない。それはそれでモテるかも。なんて、笑っていった私に、耳元の彼は軽いなあと呟く。しかしその声は、笑っていて。その時、やっと違和感が彼から落ちた。と、思う。多分、きっと。
同時に、そろそろ照れるんで、元の体勢に戻ってもいいですかね。今しかないといった言葉は、突如愛情表現よ♡といってまたさらに締められたのであった。
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wataone · 5 years
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natu
昨日は日差しが強く、近所のスーパーの温度計が30度を超えるような日だった。昨日は起きた時から、心地いい(と言ってはおかしいけれど)胸騒ぎがしたのを覚えている。
夕方に、ナリさんと怪獣の子供という映画の二回目を見ることになっていた。約束の時間まではまだまだ余裕があったので、祖母と一緒におつかいに行き、その後昼食を食べ、日差しと風により薄く光るレースカーテンのそばで本を読んだ。
そうして約束の10分前にコインランドリーに乾燥機をかけていたことを思い出し、すこし慌てて車を走らせ、約束の時間から5分すぎ、ナリさんと合流した。最初は恐る恐るしていた運転も、半年過ぎれば慣れたのか、話をしながら運転できるようにはなった。
そうしてみた映画は、クリエイターズクリエイターと言われてる意味がわかるほど、わからなかった。前回よりはこうなんだろう、ああなんだろうというものが漠然とした感情で自分の中に入ってきたけれど、大切な約束は言葉では交わさない、というキャッチコピーのように、きっとわかったのかもしれないが、言葉では説明できるような変換式が取れないのかもしれない。
その後は、家に帰って田舎あるあるの、自宅バーベキューをした。我が家も例に漏れず、自宅農園でできた野菜達を豪快に切りもせず転がし、余れば次に回せばいいと食べきれないほどの肉は積み上がっていて、ナリさんと兄弟の恋人は、絶句していた。
そのような感じで、宴会のようなバーベキューもおわり、炭を消したとき。不意に夏がやってきたような気がした。きらめくような何かがあったわけでもなく、強いていうなら胸騒ぎだったが、きっとこれは自分の中の予兆だったのだと思う。
今年は優しい夏になるといい。自分も、誰かも。
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wataone · 5 years
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00:40
感情がジェットコースターと言われてる割に、肝心なところで表情にでないことで、いつもなりさんから目が笑っていないとか、笑顔がぎこちなさすぎるとか言われる私ですが、そんなことないだろとおもっていたんですね。おもっていたんですけど。
先日幼馴染の子供が生まれまして会いにいったんです。こんなこと言ったらあれですけど、初めて純粋に可愛いとかおもっちゃったりして(普段は赤ちゃんというものが可愛いという認識を持って可愛いと言っている節が強め)幼馴染がもし不慮の事故で帰らぬ人となったらワタクシが育ててやるからなという申し出もしてきて、ヘラヘラしながら普段絶対しない自撮りなんかを撮っちゃったりしたわけですよ。そしてそれをまあヘラヘラしながらなりさんに見せちゃったりしたわけですよ。赤ちゃんみて可愛いなとかいってたんですよ、笑ってるとかいってたんですよ、私のヘラってる幼馴染との自撮りを見た瞬間です。
「お前歯見せれば笑ってることになると思うなよ」
言われよう。3秒前まで可愛いってその口でいってたじゃん。言えよ。せめて笑ってるねでいいから。そんなことを思いながらもそこまで私の笑顔はぎこちないのか、とおもって改めて自分で見てみてもわかんないんですよね。なので余計に謎なんですよね。
ちなみに笑顔についてニシナと、あとTwitterで過去に書いた私のことが大好きすぎる友人も言及してるんですけど、ニシナは「口角あげれば笑顔なわけではない」という褒められていないことしかわからないお言葉、友人からは「目の奥に光がない」という厨二病のようなお言葉を頂いたことがあり、今回のなりさんの一言でさらに自分の笑顔の何に問題があるのか、謎が深まりました。
本当に、自分で見る限りでは写真とかみてもめちゃくちゃ笑顔。笑顔なんだけどなあ。これを機に幼馴染の赤ちゃんでもみて勉強しようかなと思った次第でした。
そういえば赤ちゃんが同じ一点を見つめていたので、なんか居るの?とヘラヘラしながら聞いたら私の指をぎゅっと握ってう〜〜!と頷いた感じになったので、聞かなきゃよかったとおもったのがその日のハイライトで、友人もずっと疑問におもっていたらしく、でも怖くて聞けなくてそれを聞いてしまったので、確信に変えた罪は重いからなとねむたくて激しめにぐずる赤ちゃんをなだめる刑に処されました。
眠気が来たので寝ます 明日も良い日になりますよう
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wataone · 5 years
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yoru、asa
明日は休みだなあ何しようかなあと考えている夜中。10時には布団に入ったのだけれども、そわそわして眠れない、そんな前日。すこしふわっとしたような空間で気づいたら2時間ほど経っていて、眠れなかったので久しぶりに書こうと思う。なにもかくこときまってないけど。そんな感じ、いつもね。
夜ってすこしセンチメンタルになりぎみな気がして、なんでだろう。景色が暗いからかな、とか1人になるからかな、とか考えるんだけど最終的にそんなことを考えても仕方ないし明日も人生は続くし、朝起きてまだセンチメンタルになってたら考えようという結論にいつも行き着く。そうして大体起きた朝はおセンチになっているわけでもなく、朝日が出ていれば日焼け止めを塗らなくてはとか、曇りだと雨が降らないように願ったりとか、雨だと車で職場まで行っちゃおうかなとか、そんなことを考えている。だからきっとセンチメンタルになるのは夜のせい、という事にしたいと思う。そんな夜を愛したい時もあるし、嫌いな時もあるけれど。
話はいきなり変わるのだけれど、わたしは毎日お薬を飲んでいる。頭痛薬と睡眠薬だ。頭痛薬は、小学生の時から、まさに恋人と言わんばかりのポジションを担っている。私はあまりストレスを感じなくて、どこまでも耐えれる感じの屈強な肉体を持っている。でもたぶんあんまり良くない、あのときはきっと大丈夫じゃなかったなって時が沢山あって、その時の頭痛薬の飲み方は用法容量は丸無視だった。前職をやめるときは、2時間おきとかに飲んでて、今思えば狂気では?と自分で思う。まじで。なので、頭が痛くなったときはストレス、と考えるようにして、しかしそうすると毎日ストレスなわけで、いやあどう受け止めたらいいものなのだろうこの頭痛、と思っているのがここ最近の悩みです。ちなみに小学生のときは感情が高ぶったり、同じ姿勢でいたりだと君は良頭痛が起きるので出来るだけ興奮はしない、同じ体勢をとらない、と言われてハテナマークを盛大に浮かべた。今でもだよ先生。睡眠薬は常用し始めたのは三年前くらい、15分くらいで目覚めてしまうので朝までが恐ろしく長い。最初は飲むことに抵抗がめちゃくちゃありましたが、これを飲んだら寝れると割り切って飲むことに決めている。飲まないとてきめんで仕事に影響が出るし、頭痛も酷くなる。よってレギュラーだ君も。
かといって病気なわけではない。厳密にいうと前職で働いていたときに体調がすこぶる悪く漢字も読めずに内科という文字を絵として覚えいった病院で出された診断書にはなんか書いてあるかもしれないが私はそれを開けずにシュレッダーにかけたのでわからないという方がただしい。なんで内科で意味わかんない診断書なんて出すんだよって思って出たら心療内科って書いてあって、そこで自分は今これも読めないくらいやばいのかもしれないと感じた。結果的にいろいろ体調に合わせた薬をもらったので結果オーライだったのだけれども。それにしても頼んでないとはいえ描いてもらった診断書をシュレッダーに速攻かけたのは今考えてもエモいな。そのときは職場に絶対負けない、負けてなんかやらないという意地があったから、何かを理由にして逃げる、というのが悔しかったんだと思う。
今考えると逃げとけば良かったなって思う。少なくとも私はあの職場にいて自分のことをどん底に着くくらいまで嫌いになった。でも同じくらい自分がかっこいいなって思う。理事によく噛み付いたなとも思うし、言ってることを曲げなかったのはいまでも正しいと思っている。
人にはそれぞれの正解があって、人がそれを正し直すことはできない。すり合わせは必要だけれども。だから、何が言いたくなってきたのかよくわからなくなってきたが、明日も自分は自分でいたい。
ここまで打って、寝たらしい。記憶がない、お薬の力はすごい。おはようございます。今日は休み、なにをしようかな。
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wataone · 6 years
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去年
いつか投稿で描きたいなと思っている、会社を辞めた話。もっと辛い人はたくさんいるんだろうけど自分はとても辛かったから辞めたお話。
去年、前の職場を辞めた。勉強ができるからという理由で決めたその職場は、その点とお金しか見ていなかった。人間関係が一番大事だと知っていたのに私は周りの研究生に劣りたくなくて、それを抜いて職場を決めた。今思えば、とても最悪だ。
私が就職したところは定時が朝の9時から夜の9時。12時間。この時点で疑うべきで既におかしいのだが、当時はたくさんやることがありすぎてそれでも時間が足りなかった。朝の6時には職場に行き、職場を出るのは日付をまたぐことも珍しくない。もちろん残業代はでない。そんな生活が入って1ヶ月たつころには当たり前になっていて、それでもその時は何も思わなかった。知らないことを知らなくてはいけないという気持ちが強くて、強迫観念のように自分を奮い立たせていた。
これでまだ人間関係がよければ続いたのかもしれないが、幹部の愛人が役付きで働き、その幹部と話そうものなら呼び出された。トイレに。トイレて、昭和か。他にも役付き職員が堂々と不倫をしていて、泥沼期に入った時は休憩室を開けると修羅と化した女と男が泣き叫んでいる。もはやドラマみたいで笑うしかなかったのだが、無論笑えるわけもなく。そっと扉を閉じて、何事もなく立ち去る。部署に戻ると、私を含めて数人しかいなかった私の直属の上司のことを好きな先輩が、私をなじる。お前がいるから仕事が進まないとか、無視とかは当たり前で。声が小さいとのことだったのでだんだん大きくなり最終的には大声で叫んでいるのに聞こえないふりをして、後から怒鳴る。今思えばおかしすぎて笑える。他にも仕事のことでいわれるならまだしもコンプレックスを大声で指摘されたり笑われたり、パワハラもいいところだ。後にこれがいちばんの原因となってやめることになる。
そうして3ヶ月ほどたったとき、眠れなくなった。時間が経つのが怖くてねれず、夜が終わるのを恐ろしく感じた。とはいっても幸いねれなかったから、寝坊はせず、自分を奮い立たせて職場に通っていたが、毎日は変わらず長い就業時間と人間関係が続いていた。それからすぐ、今度はご飯の味を感じなくなり、食べるのも疲れてしまうようになった。何を食べても同じだと私は毎日三食サラダチキンをたべ、1ヶ月で15キロ体重が落ちた。もともと太っていたので嬉しかったけれど、これが良くない痩せ方だということはわかっていた。
そんな感じで、他にもあげれば次々と出てきたんだけど、とうとう耐えられなくなって人事にやめると申し出た。やめるまで、今となっては笑い話だが、パワハラともいってもいいだろうそれはさらにひどくなった。でもやめられるならこんな事は耐えられる、と人生で一番長く感じた退職日までのカウントダウンを毎日毎日呪いのように呟き続けた記憶がある。
当時本部配属で、同じく東京に残っていたニシナは、もう行かなくてもいいと何回も言った。お腹が痛いといって行った内科のお医者さんにはどこも悪くないと言われて謎にカウンセリングを始められて、そのお医者さんにも止められた。診断書まで出してくれた。よくみたら心療内科だったのは笑い話である。その頃は文字も読めなくなっていた。そんなバカな話はあるかと思うんだけど、漢字が読めなかった、足し算もできなくて、二桁の足し算なんて普段簡単なのに、全くわからなかった。そこまで思考がもう働けなかったんだと思う。
けれども私は、行かなくなって、それをネタに知らないところであいつは根性がなかったとか、言われるのが一番嫌だった。倒れるなら絶対に職場で倒れてやるからな。嫌だったけれど、それくらい最後は行き通してやる、と心に決めていたのでやめる前日に先輩から顔のことから身長体型性格や家族構成など学歴に至るまで詰られるという盛大なパワーハラスメントを食らったが、退職日もしれっと根性で行き通した。詰られている間は笑顔で、それがどうした?みたいな表情をし通した。面白くなかったのか、詰り倒したあと先輩は出て行ったが、私は初めて辛すぎて泣いた。トイレで。そうして自分のコンプレックスがさらに大きくなったのは、今でも許していないからな!!!!!そしてそもそもお前人の顔悪く言える程かっこよくねえからな!!!、!、、!と思った。
それでも最終日は死ぬほど奮い立たせて職場に行って、やらなくてはいけない以上のことをやって、やることないですか?とひたすら聴き続けた。もう全ての雑用をやりきってから帰ってやろうと思った。最終的にテプラもってきて、という雑用の範疇でもない申し出をされたが、笑顔で持っていった。ここまでしたんだからまさか文句ないよな?????という態度を思いっきり見せながら。今までは円滑に進むようできるだけ角が立たないように話してきたが、昨日私をあれだけ詰ったのだからそれくらいは許してほしい。
そんな感じで、円満とは言えないが無事に退職した。当時私はシェアハウスに住んでいて、帰りたい気持ちはあったのだが人と会うのがとてつもなくしんどい気持ちが上回って叔母の家に向かった。何も気にしなくて良いところへ行きたかった。ニシナは、自分の家に来たらいいと行ったけれど、申し訳なさがまさって、やめた。
叔母の家の玄関に入った瞬間、力が抜けて立っていられなかった。
叔母と叔父が、よく頑張ったと言ってくれた。ありがとう、と言った気がするけど口も多分動かないくらい体が動かなかった。結局起き上がるまで2時間程かかり、その後は叔母が私の好きな肉といって、ステーキを焼いてくれたが、あいも変わらず味はしなかった。でも、おいしいと思った。涙が出た。
生きてた、生きて帰ってこれた、そんなことを思いながら食事をした。
長いので一旦区切り。
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wataone · 6 years
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優しさ
わたしはよく人から優しいと言われることがとても多い。それは素直に嬉しい、他人からはそういう様に評価されるのはすくなくとも悪いことでは無いと思うから。けれども決して自慢ではない。それは自分は優しいと思ったことがないから。
優しさって、たぶん人それぞれ。当たり前なんですけど。定義が。辞書で調べると意味は載ってるけど、たぶん人によって違う。
[形][文]やさ・し[シク]《動詞「痩 (や) す」の形容詞化で、5が原義》
1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。「―・い顔かたち」「声が―・い」
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。「―・く慰める」「―・い言葉をかける」
3 性質がすなおでしとやかである。穏和で、好ましい感じである。「気だての―・い子」
4 悪い影響を与えない。刺激が少ない。「地球に―・い自動車」「肌に―・い化粧水」
5 身がやせ細るような思いである。ひけめを感じる。恥ずかしい。
引用はgoo辞書より。どうだろう。わたしはこの中��自分が当てはまるものがあるかと言われれば確実にイエスとは言えない。でも人はわたしのことを優しいと言う。きっと、この中のどれかに当てはまっている可能性、またはその人の優しいの定義に合致するからだ。そこは素直に喜びたい。優しいと思ってもらえてうれしい。ありがとうございます。それでも、自分ではそう思えない。優しくは、ないと思うと思ってしまう。
どうして人が優しいといってくれているのに認められないのだろうと考えていた。答えはこの前、久しぶりにあった昔の恋人が教えてくれた。すとんと落ちて心の中に残っているし、自分で納得のいく答えだった。
優しさだとおもっていた君のそれは、誰に対しても期待していないから許せるだけの心の余裕だ。
反論はできなかった。その通りだった。私は、誰かに期待するのがとても怖い。頼みごとをしても約束をしても、期待していない。だからやぶられても、頼みごとを忘れていても怒らないし、何も思うことはない。期待していなければそもそも気分が上がることも下がることもない。と、考えている。
そう思い込んでいるのかもしれないけれど、そう思うのが一番自分の為でもあり、人のためであるとも思っていた。負の感情はマイナスからプラスに変えるのは難しいから。と、思っている。今でも。
それでもたまに、驚くこともあれば、落ち込むこともある。その時はやはり無意識に期待をしていて、自分が勝手に予想していた出来事に対して予想外のことが起きる。そういう時が、どうしていいかわからない。自分が勝手に期待していたことなのだから、自分の気持ちの問題だ。それがプラスの感情だったら人に伝えればいいけど、マイナスの時は自分の中に収めるしかない。基本的に、私はあまり人にとやかく言いたくない。収めなくていいとか言われることがあるけれど、何も考えずに言ったところで物事は解決しないと思っている。
そう言うところも含めると、やはり私は優しくない。私の自論だけれど、本当の優しさは誰かを許せることだと思う。期��をしないなんて、ことではなく。
いつもだいたい最後は何を書きたいかわからなくなる、だんだん長くなる文章に面倒くさい気もしてきて、ここから話をまとめると思うと億劫になる。それなら書くなという話だけど、書こうと思った時はまとめられるんじゃないかと思っていたんだと思う。ごめん書いた時の私さん、無理でした。
今日はとても寒い、他の地域も秋が色づいて、冬に近づいていると思う。どうかお体にはお気をつけて。明日も生きて行きたいものです。
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wataone · 6 years
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hito
はじめの投稿で散々好きなように書いておいてアレなんだけど、せっかく長文が打てるのだから私とニシナとナリさんについて書こうと思う。私の主観だから、実際には違うかもしれないけれど、私はとりあえず除いても、ニシナとナリさんがいい人だと伝われば嬉しい。
お恥ずかしながら自分から。医療系の職業をしている。左利き、といいつつ右もそれとなく使える。誕生日は10/5で血液型はO型。よく人から感情がすぐ表に出るねといわれるんだけど、小さい頃は正反対で、生まれた時こそ泣いたけれど、それ以外は全く泣かず、心配した叔母が先生にまで聞きに行ったというくらいおとなしい赤ちゃんだったらしい。良い子だね、私。あとものすごい寝る子だったみたいで、頭の形が悲しいことになっている。そんなことはどうでも良いか。
考えるのが好きで、頭の中を色んなことで埋め尽くされていると安心する。知らないことを知りたいと良く思うけど、あまり冒険はしない。自分の生きている範疇で知らないことを知りたいと思っているのだと思う。文章を書くのも好きなので今もこうして書いています。
あまり交友関係は広くない。私は誰とでも仲良くできる方だとおもうんだけど、その場限りが多くて、突き詰めていくと片手程に落ち着く。仲良くなる人はほぼ女の子だ。なのでニシナとナリさんは本当に稀で、ナリさんにいたってはきっかけすらも思い出せない。でもナリさんはそんなもんだと言ってた。
好きな食べ物は餃子と湯葉とお麩、あとはお肉全般好き。嫌いな食べ物はパクチーとピータン。どうでもいいなこれは。
ニシナ。会社員。広報とかそういう部署にいるみたい。出張が多くて休みが不規則。社会人になってからはあまり都合が合わないけれど、大事な時はきちんと時間を作る人。誕生日は5/1のB型。右利き。でも利き足は左らしい。高校生まではモテたくてクールな男を装ってたみたいなんだけど、いまとなってはオネエ言葉もはなすし女装もしてる。クールのかけらも無くなっちゃったって、この前写真を見ながら言っていたから、ただ怖かっただけ(初対面のときに真顔でメンチ切られてるから)とお伝えしておきました。
趣味とかあるのかなあとおもったんだけど、料理と洗濯がとても好きだったのを思い出した。一人暮らしって毎日洗濯機を回すイメージがないんだけど、ニシナは毎日洗濯する。あと料理もだいたい作ってる。料理は過程をこなしていくのが楽しいのよ、と言っていた。私も別に下手な方ではないけど、そう思うことはないので、本当に好きなんだなあと思いながらその時作ってくれたハンバーグを食べた。
交友関係は、一見広いけど、とても狭い。ニシナ自身が友達が私と、会社の後輩だって言っていた。それは友達なのか突っ込もうか迷ったけどやめました。ただ、周りから誘われることがとても多い印象がある。私がニシナといて楽しいように、きっと周りも同じことを感じているんだと思う。
好きな食べ物は揚げ出し豆腐 嫌いな食べ物は春菊。見るだけでも嫌な顔をする。
私とニシナは仲がいい。断言できる。きっとお互いの弱いところを曝け出しているから。自分のことを許せなくても、私が、ニシナがあいてのことを許して甘やかしていこうと二人で決めている。首を絞める人間が居るのだから、それを止める人間がいたっていい。否定をされない人間関係は必要だ。
ナリさん。私と同じ医療系の職業をしている。11/4生まれの多分O型。そして右利き。とても強い人間だとおもっていたら、最近そう思うのは変わりないが、人間ぽいところもあるなあと思い始めた。知り合った頃はなんていうか、こう、バリアを張られていたような気がする。拒絶とかではなくて、自分が傷つかない様にするための(私は張っていた)やつ。いや本人から聞いてないからわかんないけど、だからなんていうか雲をつかんでいる様な感じの人だなって思った。あと私が男の人とあんまり話さないから、席は隣だったけどただ見てるだけだった。それが今となっては6年目の仲なんだから人生は何が起こるかわからない。
趣味は、革細工、といっていいのかなあ。器用だ、ブックカバーから財布まで作る様な幅の広さ。私とナリさんは物を作るのが好きなので割とよく作る、多分。多分で片付けるところは察してほしい。やる気にムラがあるのよ。あとは洋服が好きだね、センスがいいから何着ても似合うんだよね。よく洋服見てもらう。一人で買う時以外はほぼナリさんに見てもらう。いつもありがとうというおきもち。
交友関係は多分この三人の中では一番広い。本当にそつなく誰とでも仲良くできるイメージがあるんだけど、ナリさんは自分が好きな人としか仲良くしないって言ってた。本来友人関係てそういうものだからわかるんだけど、実際それができる人ってあまりいない。だからナリさんはすごいと思う。かといって気を使えない人ではないので、そこもすごい。こういう人だから仲良くなれたんだと思う。多分。
好きな食べ物は改めて聞いたことはないけれど、学生の頃ひたすらラーメンを二人で食べていた時があったので多分ラーメンが好きだと思う。嫌いな食べ物は聞いたことがないのであったら追記します。
ざっと書いたと思ったらとても長かった。そりゃそうだ、好意的な人を紹介する時っていいところたくさん伝えたいから長くなる。自分の文が長いのは粗がないように丁寧に説明しているからだとおもうけど。
こんな感じですがこれからも、嫌になるまではどうぞよろしくお願いします。
これから仕事かあ、頑張ろう。
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wataone · 6 years
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幸せ ≠ 結婚
この世の中どこに幸せの基準を持ってくるかなんて人によって違う。昔こそは真っ当にいきて結婚して家庭を持ち、子供が生まれ家族を守り、その子供を育てて大人にしていき、起こり得る行事を乗り越えていく、といういまでも一般論として残る半ば儀式のようなものが幸せの代表格だったのかもしれない。
しかしセクシャルマイノリティーに当てはまる人間の中には、結婚という選択がしたくてもできない人がいる。日本の中心部の東京でさえ一部の地域しか同性の恋人を結婚と同等の契約を結ぶことができないというのに、地方はどうなるのか。そう考えはじめると既に遠い出来事のように感じる。他人事ではないのに。とは言っても私は結婚に対して前向きではないので、そこまで切迫しているわけではないが、愛は誰に対しても平等であり正義であるべきだとも思っているので、まあ結婚くらいは許してくれてもいいのではないか、日本よ。とおもっている。
散々こんなことを書いておいて本題に入るけれど、私は先ほど述べたように結婚に対してあまり前向きではない。理由はまた何かの機会が有れば書こうと思うので割愛する。けれども周りは結婚することに対して異常な執着を見せる。住んでいるところがわりかし田舎なのもあり土地柄とも思うし、幸せが目に見える形で現れるからだと思う。それがいままでの幸せの最たる部分に近いから。けれども私は結婚せずともいまとてもしあわせだ。職があり、自分の為に時間とお金を使い、好きにいきている。なにが幸せかと言われたら説明するのは難しいが、幸せはそんなものではないかと思う。
そもそも幸せとはどういう意味だろうと、辞書で引いてみると曖昧だな感じた。運がいいこと、幸福、うまい具合に行くこと。これだけみて、やはり感じたのは人それぞれの感情に任されて幸せは成り立つということ。人が幸せの定義を決めれないからこのように書かれているのだ。
つまりなにが言いたいかというと、幸せは自分で感じたものを幸せと謳えばいうこと。もちろん結婚してより幸せになるのであればそれはとてもめでたいこ��で、わたしは祝福する。おめでとうと本心で思うし、きっとなく。ただわたしの幸せは現状結婚ではないだけ。なのでわたしが幸せと今思っているのだから、人それぞれということを念頭において欲しい。申し訳ないことに好きな人ができたら変わるよ、と言われてもピンと来ないし残念ながらいま恋人もいないので、愛想笑いしかできない。
ここまで書いていてとても結婚について否定的に見えるけれど、決してそんなことはない。それだけはわかって欲しい。
書くのが疲れてきたのでそろそろおわり。
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