“mistake” の概念
mistake≠失敗
そもそも、日本語の失敗という概念は
「過ち」
である意味合いが強いような気がする。
そして、もっと言うと、そこに
「悪」
つまり
失敗=過ち+悪
という図式が存在する。
失敗をすると、怒られる。
これは子供時代から染み付いてきたもので、受け付けられてきた。
だから、何かの行動をする時には
なるべく失敗しないように、安牌をとる癖がつく。
それが非常にやっかいで、僕の場合はやる前からそうなるようなものはめんどくさいのでやらない、という極論にいたってしまう。
で、NZにきて感じることは
行動に対しての結果には、「過ち」「悪」という概念が伴わない。
ここでは、明らかな社会的にNGな事に対してはおいておいて。
きっとそれに対しては「wrong」=「間違い」という解釈があてがわれるんだと思う。
例えば
5つのうちから1つを選んで実行する。
結果には
best,great,good,better,mistake
があるとして
失敗にあたるような、一番下の選択肢の結果に対しては
mistake
が使われると思う。
そして、そこには「過ち」「悪」という概念は存在しない。
もちろん、もっと上の選択肢を選んでいれば、よりよい結果が手に入ったのであろうから、それに対しての反省はあるかもしれないけど。
あくまで、mis take
という捉え方。
bad choice
という言葉もあるなーと思ったけど
どちらかと言うと
失敗を恐れずに何か行動を起こすためには
いかに失敗に対しての概念を変えていくか。
そして、日本人がなぜ失敗を恐るかというと
失敗=過ち、悪
という概念がはびこっており
道徳的にとても悪いことをしたような気分になるから。
また、そういう文化で育ってきた母親に怒られた記憶があるから、深層心理的に失敗を避けるような行動をとってしまう。
それが「無難」「安牌」だ
僕はこの概念の捉え方の傾向がとても強くなってしまっている。
だから、ここは意識的に捉え方を変えることに決めた。
失敗≠過ち、悪
失敗しても、なんら道徳的に悪いことはない。
mistakeという概念をもって受け入れ
better takeを目指す
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自分の気持ちを吐露する20171202.Part3
今の気持ちを残しながら
今思うこと
小学生の時
サッカーを嫌いながら練習にきっちり行っていたあの時も
万引きをさらっとしていたあの時も
中学生の時に
調子に乗りまくっていた時も
クラスの中心的存在であった時も
どこか自分に自信がもてた時も
高校生の時に
何もなくなったと思った時も
うつ病と診断されてあたりが灰色だった時も
すべてが自分である
そして、このころから、自分を強く否定して「こうでなければならない」の思想に囚われていった。
で、思うこと。
変えるということは、否定するということは認めないこと。
だから、そのとき好きだったものも残していく方がよかった自分の良さ、すべて捨てていくこと。
その上で、そうやって年代を重ね初めてからは、さっきやったこと、1分前の自分も含めて、否定否定、反省反省、の時間の使いかたのはじまりはじまり。
どれだけ自分の中の気持ちを押し殺してきたのか…。
いやー、それがきっと少し前だと、それは自分の弱さで、もっとこうするべきだ!とまたここで思ってしまっているんだろうな。
必ず前の時間を過ごした自分に対しての反応の時間、そして内省の時間(反省や自己満含む)が生まれてしまうから。
素直にそのままの気持ちを味わうなんてことが、すごく難しいことなのね、今考えても。
NZライフ5ヶ月を経過した今
夏は暑い。
その中でも冷房は涼しい。
木陰は涼しい。
というような「感覚」が生まれている。
この「感覚」がすごく大事であること。
での、ともするとすぐにどこかに行ってしまうこと
それをコントロールしようと考えれば消えてしまうこと
だから、ただ「味わう」という「感覚」で留めておくこと
というふわふわしたところに行き着いていく。
このふわふわを大事にしておくことがね、できなくなってしまった13年間だったんだろうね。
ふわふわを無視してでも、変えたい自分がそこにいたんだろうね。
だから
ふわふわを大事にもするし、思考する
との両立が大変な30歳になったのかな。
あの頃と違うのは
今はちあきが居るということ。
もう一人ではありません。
いやでも、一緒にいなければいけない。笑
だから、ふわふわを大事にすることができるような「気がする」
「大事にしなければいけない」って思考も少しはあるけど
「気がする」という気がする。
「気がする」が大切になった感覚。
これはやっぱりちあきのおかげなんだと思う。
なんでもはっきりしておきたい性格に徐々に変わってしまったんだけど、でも、こうやってなんとなくのまま置いて置くことが大切なんだという気持ちを忘れたくないなと感じる。
また思考しまくって、きっと忘れてしまうんだろうけど。
でも、きっと大丈夫。
そういうこの13年間の自分らしくない気持ち
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自分の気持ちを吐露する20171202.Part2
誰に見せるわけでもない、この文章。
facebookやインスタ、直接読まれるようなところに置くべき内容ではない。
だって完全に自己満足の文章だから。
tumblrでも上田マンは見れてしまうけど、けつの穴の手前のふとももの裏ぐらいまでは公開してるはずだからよし。
文章を書くということは「投稿する」というフェーズを経て、俺の中では完結に向かうらしい。
なぜ、文章を書くのか
今日感じたことは常に上書きされていくから。
良くも悪くも、常に更新されていく。
朝起きた時の心持ちやその日の天気、何気なく交わした会話や見たものなど、全ての要素が混じり合って同じ状態は2度と来ない。
次に同じことを考えたとしても。今日この日この瞬間と全く同じように考えらることは2度とない。
どれだけポジティブな気持ちや思考が浮かんだとしても、次のタイミングでは、完全に別ものになってしまっている。
だから、残す必要があると思った。
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自分の気持ちを吐露する20171202. Part1
今、NZにいます。
初めて海外に出たのは、高校2年の時。
学校の行事で、決まったレールに乗っかただけ。
そこでの自分の何もできなさに痛感したあの時。
それから何年?13年。義務教育の9年+高校3年を足した12年を少し超えたぐらいの時間が経っている今、何を思うか。
自分の意志で海外に住んでみたいという意志を持って、もう一歩踏み込んで言うと、自分の芯になるものが欲しいと渇望した時間を過ごして、現在へと繋がった今、あの時と何が違うのかと。
まず、思うことは
自分の意志、気持ちをしっかりと貫く、伝える、表現することの難しさ。
それは、高校生のあの時に思ったそのまま、いや思う以前に大きく感じたことは感じたけどそれが何かはわからなかったあの時から、問題となっている氷山の根元は見えてきたけど、まだまだそれを即解決できるのかと言うと難しいのは変わっていない。
自分の意志を貫く、というと、「何かをしたい」や「こうだ!」という強い信念や目標までの鉄の意志のような感じを思い描くけど、実際はその手前が繊細なところで流されやすいみたいで、それを心の中に思い描くに至る、まだ形になる前のモヤモヤの塊を大事にキープすることや、そのモヤモヤを心地よいフィルターにかけてこしてあげて、イメージとして思い描ける段階にまでしてあげることがそれまた難しい。
そこまで通過した時に、ようやく思考のループの裁判官たちにお披露目することになる。
いやー難しい。
自分が思うこと感じることやることなすこと、すべてを変えようと決意したあの時から今に至るから、その自分を否定するというプロセス何度も何度も重ねた中で、自分のもやもやを簡単に否定し抹殺できるようになってしまっていたし今もそれが癖になっているから。
そこに向き合うことが、このNZ生活で、なんとかできているような気がする。
日本の日常を離れて、実際に距離を置くということで、日本もろとも自分自身を査定している。
流れを無視しているし、社会的な責任を今は完全に放棄しているから。
それに対しての自責の念や反省、内省、そういったものは完全に何周も脳内をループした。
そして、諦めがついた今、非常に清々しい気持ちと心持ち、脳内環境になっている。
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仮免
受かった。
技能検定終盤、クラッチを踏む足が震えた。震えるということは、そのまま伝わるとスピードの無駄な増減を小刻みに起こしてしまうことになるので、必死にごまかした。
70点、ぎりぎりだった、クリアできればいいのさ。
学科、ひっかけ問題や、意味の取り違えを発生させるような問題が多いので考えすぎて間違えないように何度も模擬と自分が間違えやすい傾向の問題に注力し勉強。
100点、うそだろ。
ということで、仮免許交付をいただけることとなった。
よっしゃ
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OD式安全性テスト
昨日、このテストを受けた。
運転適性度1-5(5が高評価)、安全運転度E-A(Aが高評価)
二つの評価で成り立つこのテスト
結果「2D」
どちらも下から2番目。人生で一番ひどいテスト結果である。
いつも自分が正しいと思いがちで、相手の気持ちを汲み取ることが苦手です。自分本位なところがありますので、事故を起こさないように、くれぐれもきをつけてください。心の状態は健やかで、この点に関して不安はありません。
柔軟さに欠け、���事へのこだわりや考えごとで動作や思考がおくれることがあります。危険なので注意しましょう。
少し運転ができるようになると、つい乱暴な運転になる傾向があります。ちょっとした気の緩みが、大きな事故につながります。運転マナーに特に気を配ってください。
時折ボンヤリして、思考や動作がチグハグになったり遅れたりする危険があります。
物事をやや深く考えすぎて、適切な決断や行動を欠く傾向があります。
緻密さと同時に迅速さもやや不足しています。ご注意ください。
普段は穏やかな方ですが、時々気分が乱れることがあります。こんな日は特に注意してください。
自分本位に物事を考えてしまうクセが、時々みられるようです。
ひかくてきおおらかですが、ときどき過敏な反応をすることがあります。そんなときはさらりと受け流しましょう。
非常にまじめかやや背伸びをしたがる人です。後者の場合は、自分の力を過信絵せずに慎重に運転をしましょう。
運転には十分に注意してください。
という診断結果とコメント。
Aがついた項目は一つもなし。
しかしおそらく、それは気づいていたのかもしれない。
・「頑張らないと自分はポンコツだ」
・見本に対して自分流の無駄なクセづけと解釈が入る。
・正しい動作、所作を身につけるためには、知識の確認と情報取得等、入念 な下調べをする。
・緊張をしてしまうとポカをする(実際してきた)ため、その場面を想定し練・習を重ねること。イメージトレーニング。
・繰り返し練習
・世間(正しいものとしての)と自分のもののどこがずれているのかを細かくチェックしながらの進行。
・上記を意識しながら、何度も反復練習。
こういったことをやってきていた!
ただただこの結果を悲観することしかできなかった高校生時代から12年ほどたった今、しっかりとこのクセを超えるための方法を身につけている自分を感じることができている。
そして、それがあって、自分を信じることができている。この方法であれば自分なら大丈夫だ。「自信」自分を信じること。
ただ、上記の方法を取らなければ、愚か者なので、必ず努力の必要がある。
昨日の結果を見た時には落ちんだが、元来そういうところがあることを認めざるを得ないし、実際再確認した。
たった今ふと、一晩おくことが大事なんだなと思った。
そういう自分を常に自覚しておこう。
自分が思っているより、結果に通ずる事実があることを。
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ジダンが、初めから3冠を目指していたということ。
リーガ優勝のみ
国王杯優勝のみ
CL優勝のみ
だけでなく
【3冠そろって初めて】
がひとつのパッケージ。
【3冠セット】=【ひとつ】
それだけを目指してきたという事実
それを目指すからこそ、できることが変わってくるという事実、そしてそれを確実にやってきたという事実
リーガ優勝のみやその他どれか優勝が目的
であれば
メインのリーガに全力でCロナをつかえばよい。もしコンディションが直前で悪く他の選手を起用するという通常の理由で、それでCロナが外されるのであればまず納得しないであろう
しかし
【3つで初めてひとつ】
を予め掲げ、それをCロナに伝えきることが出来ていれば、Cロナは納得するだろう。そして、モチベーションをひとつも落とすことなく自分の仕事に没頭できるであろう。そして、関わる全員に対してそれが実行出来ているのであれば、最終的な大きな違いを生むことになるのは明白なことであろう
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男の持ち物
どれだけのものを背負えるか。荷物も、責任も重さがます分タフになるのは同じだ。
そして、いろいろなものを背負える男が、かっこいい。
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ちあきが起きてきた感想
シックスセンスを見終わると同時にちあきが起きました。
磨りガラスの向こう側から、灰色の物体がヌウッを現れたため
シックスセンスのゴーストの登場とダブってとてもびっくりしました。
おしまい。
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シックスセンス を見た感想
コールのアーサー王の劇が終わったところで二人でやっと気付きました…。
悲しい、哀しい。
そこで回想しだしました。
あれ?マルコム、誰とも会話してない?
物も動いてない?
ほんとに?
…ほんとだ。
ミスディレクションの思うがままです。
よく人から、最後にはびっくりしたね、と聞いていたためそういったことに気を配りながら見ていましたが
…見ていましたが笑
マルコムとの別れの後の車の中での母との会話
コールと母の愛、そしてお互いのわだかまりがやっと紐がとけたことによる安堵、またそこまでの長いすれ違いゆえの苦悩や苦労、凝縮されていた良いシーンでした。
そして、マルコムは自分が死んだことに気づいてなかったんですね。
コールは他のゴーストをあれほど怖がっていたのに、出会いでは多少警戒はしていたものの、打ち解ける結果となりました。
それほど、マルコムにはヴィンセントを救えなかったことに想いがあったんでんすね。
コールはそれを感じとったんですね。
「目」
というキーオブジェクトもちりばめられていましたからね。
それにしても、一年も奥さんから自分のことを無視し続けられていると気付きそうなもんだけど。
語らず感じ取る。
監督も霊が見えるのかな?
語らず感じること、ちりばめることで自分自身に気付かせるということ、映画を見ている人にもマルコム自身にも。
思わず涙が出た映画です。
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ほんとのいい人
疑わない。
嫌がらない。
めんどくさがらない。
自分の人気、価値は、すべて自分を支えてくれる人がいることを心のそこから理解しありがたく思っている人。
いつ何時でも、飾らないそのままの心で自分の価値や表現で相手の徳になることを損得なしにできる人。
偽善ではない。
ほんとに心が癒されるような、綺麗で素敵な心の人
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