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あなたとわたしのこと。わたしとあなたのこと。個であること。わかりたいこと、知りたいこと。向き合いたいこと。愛と優しさのこと。そんなこと毎日ずっと考えている。そして写真を撮っている。写真は写真でしかないけれどわたしにとってそれは自己開示であり、あなたと対話したいという意思。決してひとつにはなれないから、あなたと話がしたい、あなたの話が聞きたい。何を考えている?
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同僚である先輩が、なんか誰だったかの歌詞で、花が枯れていくの同じくして、好きだった人への気持ちも枯れていくだの、枯れていかないだの、切ないだのそんなことが言われているということを聞いた。
枯れていく前に手放すことは?
手を離すことは認めることだ。認めることは簡単ではないけれど、全ては認めることから始まることを忘れてはいけない
花束みたいな恋をしたという映画を見たときも同じ感覚になった。
その瞬間がいちばん美しいもの。褪せていくのを見ていくのもよいけれど、その瞬間と閃光を焼き付けていたいとわたしは思う。
枯れていくことの良し悪しではないけれど、枯れるまで向かい続けるのはちょっともったいない気もするといま思える
枯れる、木が古くなると書く。古い木は幹が太い。何百年も何千年も残る木は稀だ。そのほとんどが腐敗する。
残る木は諦めず力強く自分を貫いていったのか。もちろんプラスの環境要因が重なって運がついてくれたのもあるんだろう。
どちらにせよ、貫くこと、なんでも続けていくことだ。結局そこにたどり着く
そして続けていくためには愛が必要だ。その愛にもリスペクトが必要だ。
わたしは枯れゆくことを受け入れて、感謝して、捨てる選択をしたい。
新た��出会う何かを想いたい
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週末から熱が出ています。悲しいけどコロナの可能性も考えられるので自宅で療養しています。微熱を、上がったり下がったり繰り返しています。
ユザーンのホームページのQ&Aを見ていました。クスッと笑えることもあれば真っ向と正論で応えていたり、ユザーンの考えや思いに少しだけ触れられました。その中で牛尾さんagraphという方の質問が気になって調べました。聲の形というアニメ映画が少し前に流行っていたのだけれど、その楽曲を作っている方のようです。映画を見たことはありませんが、気になって楽曲を聴いてみたところ、それはそれはスッと身体、というよりは心に馴染むような安心感がありました。水の中にいるような、水中でも呼吸ができて、自分で泡を吹いているような感覚になりました。
リリックも音楽で大事なものですが、自分にとってはリズムや音の印象、余白を楽しむことが今のわたしにとって心地よい音楽の聴き方であるなあとふと考えたりしていました。
余白で思い出しましたが、三浦大知さんがダンスは音のない余白を表現できるというようなことを話してらして、これにはとても合点しましたし、ハッとささせられました。中学時、3年間だけですが部活で新体操をし��いて、音楽に合わせて踊っていたことがあります。ElgarのPomp and Circumstanceを使わせてもらいました。その時にも同じことを思いながら、自分でフリを考えていました。音がない瞬間を踊りでつなぐ、自ら音を作り出しているような感覚になっておもしろかったです。
言葉がない分、その時の気分で音が異なったりしますね。とはいうものの、言葉があってもその時の心情でもちろん感じ方や捉え方は異なりますね。
まあ何が言いたいかというと、久しぶりに自分にとっていまという状況にぴったり当てはまる心地よい音楽をちょうど良いタイミングで聞くことができて、いまに浸っていますということです。agraphで検索するとホームページやSNSアカウントに繋がると思います。ぜひ感じてみてください。Apple Musicを利用されている方はぜひ下のリンクからお時間あればきいてみてください。
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じじいがくるみの実をみて、これまでで聞いたことのない声を上げていた。ふぅえ〜〜みたいな奇声。認知症が進んでいて数秒前の会話も忘れてしまうこともある。数秒後にはまた同じ話をしていて、正直又かと思うこともあるけど、一瞬一瞬をしっかり味わっているんだな
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