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LTNSアートスクール成果展 2024年3月21〜24日 Artist Cafe Fukuoka 内 ギャラリー title:瞼の赤(2024) material:古布、アクリル塗料、アクリル絵具、木片等 photo: Tokie Ito
『瞼の赤』 記憶の中で赤色は さまざまな出来事や感覚と結びつきます。
例えばそれは、祝祭だったり、傷だったり、痛みだったり、経験していない殺戮だったり、 または、象徴として、心にぼんやりとした影を落とすこともあれば、記号に変換され違和感を覚えることもあります。
人それぞれに赤色の記憶があるんだろうと思います。あなたの瞼の裏には、どんな赤色が見えますか? 詳細:https://tokieito.tumblr.com/red
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糸島国際芸術祭 糸島芸農2023『共同体/共異体』2023年10月21,22,28,29日 title:小鳥の家—飛び出した鳥は生き延びることができるのか(2023) material:鳥かご、鍵、木材 他 Install:Akio Tokunga photo: Satoshi Nagano
『小鳥の家』 —飛び出した鳥は生き延びることができるのか
昨年、劇場でイプセンの『人形の家』(1879年初演)をみた。女性の自立をテーマとした有名な作品だ。しかし、私は唖然とした。主人公のノラが突然目覚め、家を出ていったとしても、路頭に迷うだけなのではないか?
これは今でも十分あてはまることだ。産めや、働けや。為政者の都合のいい制度や仕組みに囲われながら、私たちは生きている。それに嫌気がさして飛び出したところで、果たして生き延びることはできるのか? 詳細: https://tokieito.tumblr.com/birdhouse
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糸島国際芸術祭 糸島芸農2021『身体尺度』2021年10月16,17,23,24日 title:プラカード2021 〜じろじろ見ないで、話を聴いて〜 (2021) material:中長期塩ビに画像印刷、木材 他 photo: Satoshi Nagano 視線には、無意識に他者を評価する尺度が含まれることがあります。その視線への対抗意識をプラカードにしました。この作品は、福岡の誇る女性アーティスト、田部光子さんの『プラカード』(1961年)のオマージュでもあります。プラカードになっている写真は、自作の「着るプラカード」を纏ってデモをした時の記録。場所は田部さんが労働争議に加わったという当時の職場、岩田屋の前です。人はどうして他者のことをじろじろ見るのか。そして、話を聴こうとしないのか。「着るプラカード」には、始終視線に晒される女性に思いを寄せたコラージュが施されています。 詳細: https://tokieito.tumblr.com/placard_itoshima
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なみきアートスクール3学期展覧会 2022年3月19日〜21 title:人が他者に脅かされる事なく自由に生きるとはどういうことなのか?(2022) material:着彩した紙をコラージュ、ストップモーションアニメ https://vimeo.com/700171560
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なみきアートスクール1、2学期展覧会 2021年12月18日〜26 title:まなざしの装置 (2021) material:紙に印刷した写真、広告紙などをコラージュ
風光明媚な場所を訪れた時、モバイルに搭載されたカメラを使って目の前に広がる景色を記録する。目の前を見ているようで、見ているのはモバイルの画面である。性能のいいレンズが記録した画像はとてもきれいで、つい夢中になる。モバイルのカメラが記録した虚像がその場所を訪れた記憶と入れ替わる。
日常、目にする進学塾の広告チラシには、女生徒のイメージビジュアルが多く登場する。男子生徒のものと比べると圧倒的多数だ。その容姿を利用することで、アピールしたいことを効率的に広めることができるという広告業界での定式というものがあるのだろうか。
広告を見ることで、女生徒はいつも熱心に勉強する、先生に対して従順だ、どんな時も笑顔だ、という虚構が意識の中に紛れ込む。
装置や情報に踊らされて日常を過ごす私たち。
虚構や虚像と共に現実をまなざしている。
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なみきアートスクール1、2学期展覧会 2021年12月18日〜26 title:プラカード2021この身体を携えて (2021) material:レインポンチョ、ビニル紐、メッシュ素材にアイロンプリント、横断幕
「プラカード2021 この身体を携えて」のために
女性にとって何が快くて、何が不快かを伝える声が足りていないと私は感じている。女性の身体を持っているというだけで、見られる存在となってしまう構造は根深い。例えば新聞に折り込まれる学習塾やスポーツジムのチラシのモデルは、ほとんどが女性だ。女性の姿は無遠慮に見ていいものであるというジェンダーバイアスの刷り込みは日々強化されていく。
チラシに掲載されているのは職業モデルで、それが仕事なのだからという割り切りも可能だが、スポーツ選手の場合はどうだろう。女子選手の盗撮画像がアダルトサイトで販売されていたという事件は記憶に新しい。女性の身体を持っているというだけで、望まない形で視線に晒されてしまうことへの不快感はどれほどのものだろう。
2019年から2020年にかけて、性暴力に抗議するスタンディングデモ「フラワーデモ」が全国で展開された。性暴力はジェンダーバランスの非対称性の中で起こり、女性の身体を持つ者がその被害に遇うことが多い。
私は、警固公園で開催されたフラワーデモに何度か参加し、証言者の声に耳をかたむけた。それは重い、しんどいスピーチも多かったけれど、同時に、こうやって場が開かれ、知ることによって人々の意識が変わっていくのではないかと、希望を持った。
スポーツの世界では明るい兆しがある。体操やビーチ��ンドボールで快適に競技に挑めるユニフォームを選択する選手やチームが出てきている。今は少数の取り組みだったとしても、自分たちの問題意識を表現していくことが、大きな変化に繋がっていくことを信じたい。
時は遡って1957年、女性アーティストの先駆、田部光子さんは、当時の職場、岩田屋百貨店での労働争議に関わっていた。労組のプラカードにつまらなさを覚えていた田部さんは、退職後の1961年、オルタナティブなプラカードを制作した。そのプラカードは、キスマークに囲まれた魅力的な作品で、男性中心の社会構造や国際問題、民族独立などの田部さん自身の問題意識が掲げられていた。
そんな田部さんのプラカードに影響されて、60年後の2021年、私は私の問題意識を掲げたプラカードを制作し、私の身体を携えて街に出た。岩田屋百貨店の前や、フラワーデモが開催された警固公園を巡った。気づかない人、後から振り返る人、遠目に視線を向ける人。いろんな人にすれ違った。
【参考】
正路佐知子 「田部光子研究の現在と《プラカード》(1961年)について」、『福岡市美術館 研究紀要』第3号、19〜24頁、2015年
正路佐知子「田部光子」(特集「女性たちの美術史:フェミニズム,ジェンダーの視点から見直す戦後現代」)、『美術手帖』73巻1089号、48〜51頁 、2021年 日本オーラル・ヒストリー・アーカイヴ「田部光子オーラル・ヒストリー 2010年11月29日」(インタヴュアー:張紋絹、北原恵、小勝禮子、中嶋泉)、2014年(2021年3月17日更新)
<http://www.oralarthistory.org/archives/tabe_mitsuko/interview_02.php>
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糸島国際芸術祭2020「身体尺度」延期記念ストップモーションアニメ作品 title:Beyond the Distance (2020) material:糸島国際芸術祭2020「身体尺度」フライヤー
目の前にある「糸島国際芸術祭2020 糸島芸農」のフライヤー。予定通り開催されていたら、今回のテーマを表すユニークな「身体尺度」の題字イラストは、人々の目を引いていたことでしょう。しかし、今、本来の役割を果たす事はできません。 コロナ禍で制約の多い生活は、穏やかでありつつ閉塞感がありました。そんな中、自分の身体に突破口が備わっていることに気付きました。それは、自分の指先です。もちろん、指を振って魔法をかけてコロナを退散、というのではありません。指先を動かしモノをつくりあげることで、気持ちが開放されるような気がしたのです。 使われなくなったフライヤーの「身体尺度」の題字イラストを、紙の上から解放してみるのはどうでしょうか。何かいいことが起こるに違いありません。 (謝辞) 当作品を制作するにあたり、フライヤーをデザインしてくださった遊覧船グラフィックの西田優子さんにご協力いただきました。ここに感謝いたします。 https://vimeo.com/422295486
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糸島国際芸術祭2018「マレビトの通り道」 10月20日、21日、27日、28日 糸島市二丈松末地区、深江地区、一貴山駅前
title:塩を編む (2018)
material: ペーパーヤーン、塩(今津湾の海水を自家製塩)、地球儀(黒で塗装)、布、地図 など
photo: Satoshi Nagano
かつて糸島半島には、シガと呼ばれる魚を売る女行商人がいました。シガは、「マレビトの通り道」である唐津街道を使って、トクイという決まったお客さんの家や魚市場に魚を売りに行きました。 暮らしが、今よりもずっと人と人の信頼関係で支えられていた頃、シガと一家の主婦には、商売人と客という関係以上の結びつきがあったようです。
この作品では、今津湾で取った海水から作った塩や、紙でできた糸を使いながら、信頼や時間を表しています。
詳細: http://tokieito.tumblr.com/marebito
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第13回津屋崎現代美術展 - 時の形、記憶の影 4月21日~5月6日 玉乃井 1階、2階、庭 福岡県福津市津屋崎4-1-13 title (こ)と(ば)と(ことば) (2018)
material ペーパーヤーン、紙風船、パネル、鳥の子紙、パンチで切り取った画用紙、写真、海水から作った塩、紙紐、拾った枝、地球儀、パラピン紙など photo: Satoshi Nagano
この作品は、玉乃井旅館の個室であった梅の間と、開かれた場所である書庫の2室で、それぞれの部屋の性質に沿って展開しています。
タイトルの「(こ)と(ば)と(ことば)」は、漢字で書くと「個と場と言葉」となります。英語にすると、”private, public, and words” です。
梅の間を構成するにあたり、きっかけとなったのは、書庫の亀井清コーナーにある安部文範さんのテキストです。このテキストには、身近な人の死にどのように向きあっていくか、ということが示唆されています。その中で、今回、特に取り上げたかったのは、「もう還らないということを肝にめいじ、でも忘れ去ることなく、その存在をつなぎ止めていこうということでしょうか。」という一文です。
人の死という個人的な出来事に接し、自分はどう応えるのか。そのようなことを形にしてみました。
(安部文範さんのテキストは、玉乃井、書庫の亀井清コーナーで全文を読むことができます。)
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2018年の第13回津屋崎現代美術展にも参加中です!
第13回津屋崎現代美術展 - 時の形、記憶の影4月21日~5月6日 10時~6時 入場無料渭東節江、鈴木淳、原田俊宏、山本隆明オープニングパーティ 4月21日 18:00会場:玉乃井 1階、2階、庭 福岡県福津市津屋崎4-1-13 ☏:0940-52-0048(安部)JR福間駅より、[津屋崎橋行き]バス 「なごみ前」下車1分
第12回 津屋崎現代美術展 2017年4月22日〜5月5日 福岡県福津市津屋崎 旧玉乃井旅館 material:津屋崎の浜で採った海水から作った塩、紙の舟(パラピン紙で折り紙)、地球儀、写真、再生紙のオブジェなど photo :Satoshi Nagano 「わたしの見たもの あなたの見るもの」
津屋崎の歴史と築100年の元旅館の佇まい、窓の外に広がる玄界灘の景色が交わって生まれたサイトスペシフィックなインスタレーションです。 ーーーーーーー 作品は、人と人の間にある「信頼」というものが下敷きになっています。 「信頼」��目に見えませんが、信頼を象徴するものとして塩を使いました。 塩は古代ローマでは、兵士の給料として支払われていたといい、塩(サラリウム)は給料(サラリー)の語源ともなっています。 雇い雇われることも、給料を支払うことも信頼関係がなくては成立しません。 そんなことから、この作品では、古代ローマにおける給料であった塩を信頼関係の証と位置づけてみたのです。 詳細:http://tokieito.tumblr.com/view
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画廊カンヴァス20周年企画 100人の作家による『レトロのアートによるアートのための直方殿町レトロ』 2017年10月25日〜10月31日 福岡県 直方市
title: そして市民になる To become citizens
material: ・白いエプロンで表装した掛け軸 本紙のドローイングは、林えいだい著『《写真記録》これが公害だー北九州市「青空がほしい」運動の軌跡』p177の写真を参照 ・原稿用紙の舟 テキストは、北九州市戸畑区婦人会協議会編『青空がほしい』から引用 ・白い小さな家(再生紙、和紙) ・地図 一般財団法人日本地図センター 25000段彩・陰影画像(八幡)
Photo: Satoshi Nagano 詳細:http://tokieito.tumblr.com/citizens
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槻田アンデパンダンー私たちのスクラップ&ビルド展 2017年8月5日〜8月26日 北九州市八幡東区 筑豊商店街
title: わたしのあおぞら material: 白いエプロン テントの骨組み 写真 新聞紙 パラピン紙 photo : Satoshi Nagano
「わたしのあおぞら」 第二次世界大戦中、戦地に赴いた男性の代わりとして外へ働きに出ていた女性たちは、戦争が終わるとGHQにより再主婦化されました。白いエプロンはその象徴でした。女性たちは家庭に押し戻されたものの、家制度から解放され、小さくも自分の「家」を持つことができました。中には市民運動で活躍し、社会を変えていった女性たちもいました。北九州市で「青空がほしい」公害追放運動を展開したのも、女性たちでした。 詳細:http://tokieito.tumblr.com/bluesky
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第12回 津屋崎現代美術展 2017年4月22日〜5月5日 福岡県福津市津屋崎 旧玉乃井旅館 material:津屋崎の浜で採った海水から作った塩、紙の舟(パラピン紙で折り紙)、地球儀、写真、再生紙のオブジェなど photo :Satoshi Nagano 「わたしの見たもの あなたの見るもの」
津屋崎の歴史と築100年の元旅館の佇まい、窓の外に広がる玄界灘の景色が交わって生まれたサイトスペシフィックなインスタレーションです。 ーーーーーーー 作品は、人と人の間にある「信頼」というものが下敷きになっています。 「信頼」は目に見えませんが、信頼を象徴するものとして塩を使いました。 塩は古代ローマでは、兵士の給料として支払われていたといい、塩(サラリウム)は給料(サラリー)の語源ともなっています。 雇い雇われることも、給料を支払うことも信頼関係がなくては成立しません。 そんなことから、この作品では、古代ローマにおける給料であった塩を信頼関係の証と位置づけてみたのです。 詳細:http://tokieito.tumblr.com/view
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第12回 津屋崎現代美術展 2017年4月22日〜5月5日 福岡県福津市津屋崎 旧玉乃井旅館 material:津屋崎の浜で採った海水から作った塩、紙の舟(パラピン紙で折り紙)、地球儀、写真、再生紙のオブジェなど photo :Satoshi Nagano 「わたしの見たもの あなたの見るもの」 津屋崎の歴史と築100年の元旅館の佇まい、窓の外に広がる玄界灘の景色が交わって生まれたサイトスペシフィックなインスタレーションです。 ーーーーー さて、作品を発表した津屋崎と塩はつながりが深く、江戸時代から昭和の初め頃まで津屋崎には塩田がありました。津屋崎千軒の町並みは製塩事業で町が栄えたおかげで生まれたものだそうです。 作品を構成するにあたり、津屋崎の塩は五十集船(いさばせん)という小舟で運搬されたということから、紙で小さい舟を折って作り、空間に散りばめました。 紙の舟は、時には塩を積み、時には吊るされ潮風に泳いでいました。 そして、窓辺に揺れる紙の舟は、その向こうに見える海を背景に此岸と彼岸をゆらゆらと渡っていくようにも見えました。 https://x.gd/bnwaM
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