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tam · 8 months
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南硫黄島は半径約1km、標高約1kmの小島である。これは平均傾斜45度の急勾配の島ということを意味する。45度は四捨五入すると50度である。50度は四捨五入すると100度である。100度といったらすでに垂直を超えており、この島の地形の厳しさを如実に示している。
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tam · 10 months
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tam · 1 year
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この2人の立ち合いを異種格闘技戦にたとえると、松尾氏はフットワークの軽いボクサーである。山下氏ほど自身のキャラのイメージを気にする必要がなく、裏方と演者の中間のようなポジションもそのフットワークの軽さの一因である。軽いステップで動き、的確にジャブを繰り出し、自分のリズムを作って試合の主導権を握っていく。
 対する山下達郎選手は“路上の伝説”的なカリスマである。格闘技の心得があるわけではないが場数と築いてきたキャリアと人気から来るすごみがあり、「当たったらすごいけど当たらないこともある」一撃が週に1度のペースで繰り出される。
 松尾氏のマイクパフォーマンスで呼び出され、それに応じる形でリングに上がった山下氏は、自分なりの流儀で全力で松尾氏の相手をしようと、口に仕込んでいた毒霧を吹きかけて見舞ったところ、観客から「いくらなんでも毒霧はありえない」「毒霧が客席にかかった」と大ひんしゅくを買っている――これが現在の松尾氏vs.山下氏の個人的なイメージである。
 試合巧者は、圧倒的に松尾氏である。まず「ジャニーズ性加害を追及する」という立ち位置から正義・大義は松尾氏側にある。さらにコラム内で山下氏を人間的に敬愛してきたことなどに触れて人情にも訴えて世論を味方につけているが、「達郎さんを敵対視していない」と公言しつつも「残念です」を連発したり、結構な情報発信量で山下氏を下げて見せるような試みが行われているフシも見受けられる。フェアプレーを装いながら、観客の見えにくいところで頭突きやひじ打ちを入れてダメージを与えていっているようにも映るのであった。
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tam · 1 year
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https://www.genron-alpha.com/voice20211102_01/
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tam · 2 years
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“男性メークさんが「オネエ」を装っていた理由  イメージは、ただの虚構でしかない。だが、そのイメージに知らず知らずのうちに支配される。そのイメージという魔物が、男性の看護師たちを苦しめる。  特に、看護婦さんという呼称や、白衣の天使といった「女性の仕事」というイメージが看護師の仕事自体にあるだけに、“男性へのイメージ”が、一段と強まっていく。  「もっと男性が増えれば、自然と変わっていくんじゃない?」。こう思う人もいるかもしれない。  でも、数だけでは変わらない根深さが、「イメージ」にはあるようにも思う。  例えば、スタイリストさんやメークさんも、もともとは女性の仕事だったが、今ではかなり多くの男性たちがいる。  そんな男性たちの多くは、「オネエ」だ。いや、これといったデータが存在するわけではないので、断言はできない。だが、「オネエ」っぽい人が多いという印象が私にはあったし、そう思っている人は結構多い。  私が以前、テレビのお仕事をメーンでやっていたときにお世話になっていたメークさんも、「オネエ」だった。いつもオネエ独特の話し方をし、よく新宿2丁目の話を面白おかしくしてくれていた。  ところが、あるとき、そのメークさんがカミングアウトした。「私ね~~、ホントはオネエじゃないのよ! フツウのオッサンなのよ」と。  結婚もしていて奥さんもいる。子供も2人いる。よく飲むのは、新宿2丁目ではなく新橋の焼鳥屋。趣味は海釣り。学生時代はラグビー部。「オネエ」のかけらもない。バリバリのマッチョだったのである。  「メークってオネエが多いって、思われてるでしょ? でもね、実際には私のようにふりをしている人もかなりいるの。私も最初は、オネエのふりなんかしてなかった。でも、女性が多い職場だから、男に対して排他的な雰囲気があってね。『男のくせにメークなんて』とか、『メークになる男性は、女性っぽい』というイメージが、同業者にも世間にもあった」  「タレントさんによっては、メークが男だと嫌がる人もいる。だから、いつの間にかオネエを演じるようになった。最初は、『オレ、何やってんだろ?』って、思うこともあったんだけど、オネエのふりした方が仕事がしやすかったの。オネエを演じている方が気を遣わなくていいことが増えたし、“男”で働いているときに感じたストレスが明らかに減ったの」  「でもね、それが結構いやになることもあってね。オネエのふりしているのが嫌になって、いい腕をしているのに辞めちゃう人も多い。ウツになっちゃう人だっているしね。なんていうか、自分が何者か分からなくなるのよね。職業に性別は関係ないのにね。変な話よね」  こう話してくれたのである。”
— 「私は“オネエ”じゃないの!」 黒一点の彼らが抱える「男性問題」の深淵:日経ビジネスオンライン (via yukiminagawa)
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tam · 2 years
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紆余曲折あり、今ではすっかり忘れ去られてしまった印象のTumblr。だが、実はここ最近、Z世代(1990年後半から2010年代初頭までに生まれた人々)による利用が増加しているのをご存じだろうか。Tumblr CEOのジェフ・ドノフリオ氏は2022年1月、米雑誌「The New Yorker」の取材で、Tumblrのアクティブユーザーの48%、そして新たに利用を開始したユーザー(時期に関する言及はなかった)の61%がZ世代であることを明かした。
忘れ去られた「Tumblr」に復活の兆し──大手SNSに疲れたZ世代の避難場所として利用急増 | DIAMOND SIGNAL
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tam · 2 years
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“ 35歳以上になったら、 :若い時のように運動すればすぐに体力が戻る、ということはもうない :若い時のようにしばらく運動していなくても、体力が衰えない、ということはもうない :毎日運動し続けないと体力の現状維持すら困難 :運動を怠った時、体力の低下は予想以上に急激 以上は明白なことであるけど、より実感した。ここまであっさりと落ちるとは、なかなか危機的である。”
— hilihiliのhilihili: 坂を走って登れない (via ginzuna)
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tam · 5 years
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なぜ日本を良くしたいと思うのですか?
<ゲンロン友の声>
こんにちは。都内の男子高校生です。質問なのですが、東さんはなぜ日本を変えようと、世界を良くしようと考えるのですか? 今の日本の状況が深刻であり、また現代の人類が多くの問題を抱えている事は理解しています。しかしそれらを考える事や、変えようと何か行動をおこす事は、非常に憂鬱で大変な事だと思います。(多くの人は変わることを望んでないし、自分さえ良ければ世界なんてどうでもいいと思ってる。正しいことを言っても理解してもらえないし、変化の兆しは全く見えない。) 生前の行いが死後どう影響するのかというのは、私たちが人間である限りわかりませんよね。それに東さんは人生は一度きりであると考えているようですが、ならいっそ、世界の最適化(みんなが幸せな社会を作ること) なんて放り出して、自分の人生の最適化だけに労力を注ぐという風にはならないのでしょうか。それでも啓蒙を続ける、そのモチベーションは何ですか? ( 昨年度 「ゲンロン0」 「ゆるく考える」 を読ませていただきました。応援しています。)  ( 東京都・10代・男性・非会員)
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質問ありがとう。で、いきなり出鼻をくじくようだけど、ぼくはそもそも日本を変えたり、世界を良くしたりしようと思ってないんですよ。というか、この30年、日本を変えるとか世界を良くするとかいっていたひとの多くが詐欺師で口先だけという現実を見てきたので、そういう話にはもうほとほとうんざりしているというか……。よく言っていることなのですが、ぼくは1971年生まれで、高校2年の冬に昭和が終わり、高校3年の秋に冷戦が終わり、はじめて選挙権をもっての衆院選では細川内閣が誕生してるんですよね。おまけに20代ではインターネット革命が起きて、もう社会も文化もじゃんじゃか変わってきた。だから、日本は変わる、世界は変わるということには��ひと一倍期待を寄せて生きてきたんです。実際選挙だって、毎回それなりに考えて、この四半世紀、一貫して非自民勢力に票を投じ続けてきた。しかし、で、その結果が現在でしょう。自民党は圧倒的に盤石だし、日本はあいもかわらずの民度ミニマムのセクハラ国家ですよ。今回の参院選も一部ではなにかが盛り上がっているようですが、数年前にも選挙フェスとかいろいろありましてね、そういう繰り返しを見ていると、もうなにもかも虚しくなってくるわけです。だから、ぼくはいまはゲンロンに閉じこもってしまっている。ツイートでもシニカルなことしか書かない。つまり、おっしゃるとおり、「世界の最適化なんて放り出して、自分の人生の最適化だけに労力を注ぐという風に」なっている。——が、しかし同時にここで考えなければならないのは、ぼくはいま、48才だからこうなんだということでしてね。あなたは高校生で18才だそうじゃないですか。さきほども言ったとおり、ぼくは高校生のころ、昭和が終わり冷戦が終わり、やはりいろいろなことを期待しました。そしてそのときに期待して、いろいろ努力したからこそ、いまのぼくがある。もし18才のころ、むかしのぼくがいまのぼくのようになにもかも諦めていたのだとすれば、それはもういまのぼくも存在しないに違いない。というわけで、48才のぼくとしては、18才のあなたに対して世界なんて変わらないというほかないけれども、それにあなたは耳を傾ける必要はないと思います。繰り返すけど、ぼくは、世界は変わるかと尋ねられれば、絶対に変わるはずがないと答える。それがもっとも誠実で正直な答えだと思うから。世の中には、若者に対してやたらと期待を煽る中高年が多いですが、ぼくに言わせれば、彼らはみんなバカか詐欺師かどちらかです。あるていど長く生きていれば、世界がそんな単純じゃないことはわかっているはずです。ぼくはそういう嘘はつきたくない。でもね、それを無視するのもまたあなたの自由です。というか、おそらくは無視しなければ、あなたはなにもできません。というわけで、あなたは、自分のために、ぼくの話など無視するべきだと思います。いいかえれば、「自分の人生の最適化」のためにこそ、「世界の最適化なんて放り出」すことはしないべきだと思います。それは逆説的なことなのですが、人生とはそういうものです。(東浩紀)
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tam · 5 years
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“死んだおじいちゃんの「暗くて絶望的になる映画は若くて心が耐えられるうちに見ておいたほうがいい。年をとってくると暗い物語が耐えられなくなる。楽しい話、幸福な話しか見たくなくなってくる」っていう忠告が、割と胸に残っているな。”
— (via xomorickyxo)
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tam · 6 years
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(りょうちん(ボロンさんのツイート: “それ。… ”から)
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tam · 6 years
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tam · 6 years
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あおりんさんのツイート: “「線の交点に 12 個の黒い点が描かれているが同時には認識できない。」 https://t.co/ExyYfr666w”
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tam · 6 years
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どうすれば人の意識を変えることができますか?
<友の会会員の声>
自分の周りには社会や政治に興味のない人が多いのですが、そのような人たちの意識をどうやったら変えることができますか?そうなってしまうのは今日の政治情勢を見ていれば当然だと思うのでわかるのですが、社会に無関心というのは私は残念です。私が喋るのが下手というのもありますが、ゲンロンでのイベントでのおもしろかった話をしても特に興味を持ってはくれません。東さんは先日twitterにおいて「自分の近くの数人でもいいから、地道にものごとを変えているひとを尊敬するように変わってきた」と仰っていました。��のような市井の人はどうすれば人の意識を変えることができるのでしょうか?一方で変わらない人はなにをやっても変わらないので、ダメなのかな、とも思います。やはり投票ぐらいしかないのでしょうか。お返事お待ちしています(埼玉県, 20代男性, 友の会会員)
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まず最後の問いかけから答えますと、投票ではひとの意識は変わらないと思います。あなたが投票に行ったとしても、それが他のひとの意識に影響を与えることはない(当然です)。 それでは、ひとの意識を変えるためにはなにをすればいいか。結論から言えば、要は「意識を変えることができるほど親密な関係を作る」しかないと思います。言い換えれば「分厚い文脈を作る」しかないということです。どういうことでしょうか。人間は自分が知りたいものだけを知ろうとし、信じたいものだけを信じようとする動物です。それはむかしからそうでしたが、ポストトゥルースとフェイクニュースの世界になってますますそうなってきた。この条件下においては、言葉「だけ」で多くの人々の意識を変えることは、定義上不可能です。むろん、いまでも、あるキャッチーなメッセージが拡散し世界を変えたように見えることはある(そしてマスコミはそういう現象が大好きです)。けれど、それはメッセージが世界を変えたことを意味しない。それは、すでに変わっていた世界に、うまいぐあいにメッセージが後追いで載っかっていったことを示すにすぎない。すでに多くのひとがこのことに気づいています。だからぼくたちの時代では、哲学や政治やマスコミは軽蔑され、エンジニアが尊敬されるのだと思います。しかしそれでは、言葉は全面的に無力なのか。さすがにそうではありません。言葉はひとの意識を変えることはできる。新しいアイデアを提示し、世界を変えることもできる。しかし、そのためには言葉だけでは無理です。というか「短い言葉」だけでは無理で、ひとの意識を変えるためには、その言葉を包みこむ長大な「文脈」がセットに提示されないといけないのです。その「文脈」には、言語的なものもあれば非言語的なものもあるはずです。あなたは質問で、「ゲンロンおもしろいよ」といっても、それだけでゲンロンに興味をもつひとがまわりにいないと記している。そうかもしれない。そりゃそうだろうとぼくも思います。けれども、それは、言葉が無力なのではなく、あなたと聞き手のあいだの「共有する文脈」が小すぎることを意味しているにすぎない。「ゲンロンおもしろいよ」と言っても、おそらく先方には、そこでなにがおもしろいと言われているのかが伝わっていない。あなたがなぜおもしろいと言うのかが伝わっていない。あなたがなぜそのことをそのひとにそのときに言うのか、その必然性が伝わっていない。だから聞いてくれない。それらメタ情報は、けっしてコミュニケーションの付随物ではなく、ある意味ではそちらのほうが本体なのです。質問者のかたは自分はしゃべるのが下手だと記していますが、「しゃべるのがうまい」というのは、そのようなメタ情報をうまく話のなかに入れていく技術をもつことを意味します。自分は市井のひとなので無理なのかとも記されていますが、著名人の言葉がひとの意識を変えやすいように見えるのは(本当にそうなのかは上述の理由でとてもあやしいのですが)、彼らの言葉にはすでに「文脈」がくっついているからです。つねに重要なのは「文脈」です。あるいは「メタメッセージ」。メッセージを伝えつつも、そのメッセージがなぜいまここで発せられる必要があるのか、そのメタメッセージをたえず補足し続けること。それができれば、言葉はひとの意識を変えることができるはずなのです。ただ、この方法の欠点は、それがとてもコストがかかり、また特定の聞き手に対しての毎回毎回カスタマイズを要求するので、そうそう複製できない、すなわち商品化できないということです。しかしこれも、考えてみればあたりまえのように思います。ひとの意識を変えるなんてことが、そうそう複製できて、スケールできてはたまったものではない。ひとの意識を変えるというのはたいへんなことです。それを簡単にできるように言っている人々は、すべて詐欺師です。そして質問冒頭の「社会や政治」の話に戻れば、いまの日本がさまざまな点で行き詰まっているのは、政界も言論界もそういう詐欺師ばかりだからなのだと思います。(東浩紀)
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tam · 6 years
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ネットでは怨恨感のないことから、一種の通り魔的殺人事件であり、防ぎようもないものだし、はてなにも落ち度なく、しいていえば運が悪かったというような意見もいくつか見た。  僕は違うと思う。なので、このエントリーを書くのだ。
たぶんそれはこういうことでテロだった: 極東ブログ
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tam · 6 years
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https://twitter.com/Caroool39/status/983512259820318725?s=20
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tam · 6 years
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(via 東京新聞: 隠ぺい体質の政権 「ない」文書次々見つかる )
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tam · 6 years
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“今まで聞いた一番楽しそうな仕事は、呉智英氏が学生時代にしたと言う、水木しげるの書庫に連れられて行って大量の蔵書を前に「これだけ本があるけど読んでる暇がないから、君が読んで面白そうな話があったら教えて」と言うバイト”
— 淡中☆圏さんのツイート (via gkojax)
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