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takato0932-blog · 6 years ago
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変わること
2019.03.03
よくわからない時間帯にうたた寝して起きたら夜9時。
晩ごはんも食べてなくて23時に小腹が空いて残り物に手をつける。
意外とこういうごく日常的な生活なのに居眠りのせいですべてのタイムスケジュールが狂ってしまった非日常が好きだ。
ありふれた当たり前のことをしてるのにどこか違った感じ方をしたり、普段考えもしなかったことを急にふと考えだしたり。
そして意味もなくこうしてそのことを文字に起こしたり。
変わることが好きだ。たぶん旅行によく行くのも今まで感じたり考えもしなかったことを経験することで自分の考えの枠の外に出ることを求めている結果だと思うようになった。
設計でもそうだと思う。確立されたスタイルのなかで設計するよりも何か自分の考えが起点でそこからどこか遠くへ跳んでいくような感覚を常に求めている気がする。
ただ同時に自分が起点で在り続けることの重要さにも目を背けてはいけない。
出鱈目に変わることを求めてるのではなく、原点や基準を持ちながら変わり続けたいしその瞬間をどこか期待しながら生きていると思う。そしてそのときがくるとなんとなく気持ちが上に向く。
たとえば、こんな風にうたた寝してしまった夜とか。
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takato0932-blog · 6 years ago
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17時45分
2019.02.27
めずらしく早く帰れた。(半年働いて理由なしにここまで早く帰ったのは初めてな気もする)
スイス基準ではそこまで早くないらしいけど日本の建築業界と比べると異常に早く感じる。
毎日こんな感じだと夢見てた時期もあったけどたまにあるくらいが性に合うのだろう。
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takato0932-blog · 6 years ago
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フォトモンタージュ
2019.02.26
今日は一日ずっとコンセプトコラージュを作る作業してたら仕事の時間が終わった。
俺はこんなことするために来たんじゃない!!って言ってやりたいのかと思いきや、これが意外と発見が多かったり。
恥ずかしながらMiesのフォトモンタージュをほとんど知らないまま大学院2年まできてしまった。これがすごくおもしろい(当たり前)。
Miesは基本的に建築を構成するすべてのものをオブジェクトとして捉え、そこからオブジェクト同士がどういった構成で空間として立ち現れるかの検討をフォトモンタージュで主に考えていたように感じた。
昔バルセロナパヴィリオンでこんだけいろんなマテリアル使ってるのに天井は真っ白なんかい!!って思った記憶があるが、これも柱が”立っている”ことを強調するためのように思える。屋根を支えているのではなく。
すべてはオブジェクトなんだ。重力も力の流れもないかのように。
結局のところスケッチやコラージュはどう世界を捉えたかがはっきりと示されるし逆に言うと捉えない限り良いスケッチやコラージュは生まれないことに今日気づけた気がする。
そしてアウトプットにそこまで興味はなかったがわりと上手くいったのが少し嬉しかったり。
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takato0932-blog · 6 years ago
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運動
久しぶりにサッカーの練習に参加した。
スイスにきてからは嬉しいことにわりと運動する機会が増えて週1くらいで運動していたけれど12月以降ほとんど運動していなかった。
久しぶりの運動はめちゃくちゃしんどかった。(怪我明けの部活を思い出す)
身体はすごく正直でサボればすぐツケが回ってくる。逆に言えば運動すれば自分のコンディションが手に取るようわかる。
自分がどれだけ堕落した生活をしてたとか、最近は調子がいいだとか。
当たり前のことではあるけど大きな気づきを与えてくれることもあると思う。
定期的な運動はどれだけ忙しくても是が非でもやらないと、、、
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takato0932-blog · 6 years ago
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誤認
チューリッヒにあるデザイン美術館に行ってきた。
よく横を通ってたのに入るのは初めて。建築自体も古き良きモダニズム建築(スイスは今でも良い意味でモダニズムの雰囲気が残ってるから古くないかも)
80年近く前に建ったとは思えないクオリティかつシンプルで良い空間の美術館でこういうのもっとあれば良いのにと思った。
展示自体も毎回評判がいいらしいが、今回は写真家 Sebastião Salgado
美術に一切造詣がないので知らなかったが、作品が圧倒的に良かった。特に自然と動物を撮るときの構図が見たことのないものが多かった。感動のあまり初めてアートの作品集を買った(めっちゃでかい & 重たい)。
人工物が一切ないとスケールを認知できないから(そういえば中山英之さんも講演会で言ってた気がする) 動物の部分が何か違うものに見えたり(鯨の尻尾が蝶に見えたり) 遠近感や大きさ自体を誤認したりと。如何に人間が人間の尺度に依存しているか改めて身をもって経験したりり(オルジャティはパスペルスの学校でそれを逆手にとって開口の大きさを誤認させることで建物を小さく見せてたと感じたときに似てる)
あと山や海はある一定の距離をとってみるとスケールが消失するんだなとか思ったり。
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takato0932-blog · 6 years ago
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ことしの抱負
2019.01.29
年明けてから仕事終わって帰宅後のダラけっぷりに拍車がかかりついには何もしない平日が増える一方。
本読むとか最低限なにか為になることでもしてたらいいのに。本当に何もしてない日増えた。
ここに書いてこれを機に無くすとここに誓おう。
今年の抱負はself-discipline ってことにしよう。(いまさら)
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takato0932-blog · 6 years ago
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Aarau へ
2019.01.28
急遽コンペ終わりの代休の知らせがきたのもあって特に旅行の計画も立てきれず、気づけば残高54フラン(年末年始のモロッコと年始飲みに行くことが多かった)ということもあり金のかかる遠出したくない、、、(スーパーセイバーの有り難みを噛みし��る)
ということでAarauへ。
元首都だった(らしい)
目当てはMiller Marantaのマーケットホールただ一つ(HdMの美術館もあるが月曜休館)
正直そこまで好きな建築家ではないと思いつつもやっぱり自分の目で確かめたい欲だけで見に行ったような感じ(すごい失礼)
実際に見ると垂直材が歪んだ台形の敷地形状を無視して一定方向に側面を向け続けたファサードは正対すると立面が小さく軽く見える(床から切り離したようなでティールで強調)
が、歩きながら見ると偏平な面が重なってマッシブに見えたり見えなかったりと表情の変化が激しい不思議な建築。
閉まっていて入れんかった残念、、、と思い特に見るものもなく帰ろうとしたときにインフォメーションセンター発見でダメ元で聞いてみたら君のために開けてもらえるよう聞いてみるよ、とのこと。
例の如く、運が良いのとスイス人の優しさに助けられてる。
鍵を開けにきてくれたおじちゃん、まさかの違う鍵持ってきてまた別のおじちゃんを呼びにいくというほのぼのしたハプニングもありながらなんとか中へ。
ちょうどAarauの写真展が開催されている時期で(常に開けた方がいいのに)ギャラリーとして使われている状態が見られた。
内部は外部と同じロジックでマッシブに見えるタイミングとルーバーのように外までスッと見通せるときとの両方の体験に加えて敷地の歪みから一辺がマッシブに見えるとき違う辺はスッと抜けたりその間だったりと刻一刻と表情が変わり続ける感覚は単純だが新鮮だった。
そういえば鈴木先生は名作は見る視点ごとに(1mズレるだけで)表情がまるっきり変化すると言ってたのを思い出した
これまた実際に行って歩くまで気づけない空間体験で、やっぱり紙面を追うだけじゃダメだと言われたような気分。
佇まいといいホンモノを見られてすごく満足した代休だった。
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takato0932-blog · 6 years ago
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Scale 1/1
2019.01.27
2つ目のコンペの提出を終えて、ふと“冬の建築”を見に行きたくなった。
冬にこそ見る価値のあるものを考えた末、Goin Caminadaの建築を見にVrinへ
Zurich→Chur→Illanzからのバスで雲と同じくらいの高さまで。
たった2時間半で都市から雪山の山頂までいけるスイスの小ささと交通機関の便利さにはいつも感心する。
フリンは小さな村で10軒に1軒くらいの勢いでCaminadaの建築があるような場所。
にもかかわらずCaminadaの建築は近くで見るまで意外と気づかない。
あれ、たぶんCaminadaだよな?おそらくそうだろうな
っていう感じで近づくと
あっ、これは絶対そうだ。何かが圧倒的に違う。
っていう風なことの繰り返し。
Caminadaの建築は共通して素材感が写真で見たときに比べて本当に力強い。
1/1で見ると木の繊細さと基礎の延長である石の荒々しさの均衡がよくわかる。
雪山の過酷な環境にも凛として立っている感じはこ
の場所でこその建ち方、建築だと思えた。
よく図面はスケールのないウェブ上より
スケールの定かな誌面で見ないとわからないと自分で言っていたが
良い建築は図面や写真(拡大、縮小されたもの)だけでなく
1:1で、生で見ないとわからない部分が大いにある
と改めて感じさせられた(当たり前のことを名言の如く言っている)
そして改めて建築はモノとしての側面を持っている、
あるいはモノである、と感じさせられた。
個人的には製材所?のボリュームを支えるための架構とその下のスペース(物置きみたいになってた)ところのスケール感と木のリズムがすごく好きだった。
春にも来たいと思える場所だった。
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