#信州プロレス
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第11回NDA長野ダーツ大会、5年ぶりに千曲市ことぶきアリーナ千曲で開催
5年ぶりに千曲市でダーツの���典 第11回NDA長野ダーツアリーナ 9月29日、県下最大級のダーツの祭典「第11回長野ダーツ大会」がことぶきアリーナ千曲で開催された。主催は一般社団法人・長野ダーツ協会(松林良治理事長/リボルトプロジェクトカンパニー)。ことぶきアリーナのこけら落としとなった2019年大会以来、コロナ禍を経て5年ぶりの千曲市開催となる。開会式ではトロフィーの返還が行われ、6人のプロ選手や信州プロレス代表のグレート無茶さんも登場して喝采を浴びた。 この日は体育館内に数十台のダーツマシンが並び、県内の500人もの選手が参加。ダーツショップなどで鍛えた腕前を競った。競技は6クラスにランク分けされ、シングルス、ダブルスなどが行われた。また、会場ではグッズや競技用品なども販売された。 ショップ対抗戦やプロのデモンストレーションなども行われプレイヤーと観客がダーツを満喫した …
#NDA長野ダーツ大会#ことぶきアリーナ千曲#グレート無茶#シングルス#スポーツイベント#ダブルス#ダーツショップ#ダーツマシン#ダーツ大会#プロダーツ選手#信州プロレス#千曲市#地域活性化#長野ダーツ協会#長野県
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雨水
月曜日の高知市内、朝のお天気は雨スタート。今週も張り切ってまいりましょう 今日は何の日? 今日 2月19日(月)の記念日・年中行事 • 雨水 • 強制収容を忘れない日 • 万国郵便連合加盟記念日 • プロレスの日 • 天地の日 • チョコミントの日 • フェムテックを学ぶ日 • 「信州・まつもと鍋」の日 • クレープの日 • シュークリームの日 • 熟カレーの日 • 松阪牛の日 • 共育の日 • いいきゅうりの日 • 食育の日 • 熟成烏龍茶の日 • 瓢々忌 •…
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今日はケンコバ動画をみつけて、早速、妹にも送信してあげて、あの目黒のステーキ屋行きたいって話とかしてた。 なんか、最初は長州力のステーキ食べるみたいな動画があがってきて、それみてたら、なんか、笑えるとか思って。しかも、私、アメトークのプロレス大好き芸人(アメリカのやつ)のシリーズが本当に好きなのもあるし。 そしたら、ケンコバのもあがってきて、久しぶりと思って観たら、サイコーだった。妹も私もケンコバ好き。 わたし、ケンコバもクッキーも12ちゃんのマジ唄選手権で観た時から好きなの。
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人生のほとんどの期間、俺は自分が狂っていると思っていた。
狂っている。キチガイ。精神病。暴力的。病んでる。
"おいエディ頼むよ。冗談言わないで 。これはワークでしょ。わかってるよ。これはキャラクターの一部だってこと。"
友よ、お前はは何も分かっていない。俺は物心つく前から気が狂っていた。高校1年の時、ある子と近所のくだらないことで喧嘩をした。文字通り、何が原因だったのかも分からなかった。次の日、授業を受けていると、そいつが廊下を歩いているのが見えた。テストステロンと無駄なエネルギーに満ち溢れていた俺は椅子から飛び出して "元気か?"と言ったんだ。
ここはヨンカーズ(ニューヨークの下町。キングストンの地元)だから、昼休みに駐車場の外で待ち合わせとかなんてことはしない。そんなことはないんだ、兄弟。始まりだ。奴は本を捨てて教室に入り、俺に突進してきたんだ。授業の真っ最中−プリントはあちこちに飛び散り、先生は叫び、生徒は机の上に飛び乗った。大混乱だ。実際俺たちは“宗教”の授業中だった。神に誓って言うが、俺はキレていた。記憶もとんだ。俺は拳を叩きつけた。本で、フォルダで、あらゆる物で奴を殴りつけた。学校は新約聖書を教えようとしていたのに、俺はクソ野郎をジャーマンスープレックスで黒板に叩きつけようとしていた。あれは手に負えない状態だった。
俺は世界と戦いたかった。
刑務所に入らずに済んだただ一つの理由は、若かったからってだけだ。俺は怒り、怒り、怒りだけの子供だった。世界と戦いたかった。どこでも落ち着いた気持ちになれなかったからだ。俺はアイルランド人とプエルトリコ人のハーフで、全ての方向から攻撃を受けていた。近所のアイルランド人たちの間では「おい、元気かスピック(補:スペイン語話者。もちろん侮辱的な意味で)」、近所のプエルトリコ人たちのところにいたときは、別のくだらないことを言われていた。真面目な話、小学2年生の時に「おい、このスピックを追い出せ」と言われたのを覚えている。
それは傷跡を残すことになる。弱々しい人間になるか、狂人になるか。それで、俺はどうなったと思う?11歳の時に叔父たちから数分間パンチの打ち方を教わってから、俺はストリートでフェンスに向かってスイングしていた。俺を落ち着かせることができたのは、プロレスのテープだけだった。昔のVHSテープだ。母親はブロンクスのビデオビジョンに行っていた−ブロックバスター(補:レンタルビデオの大型チェーン)なんかじゃなくて俺が言っているのはビデオビジョン、おばさんとおじさんと猫がいる、カウンターの後ろにアダルトコーナーがある奴だ−母親は何を借りたらいいのか全然分かってなかったから『レスリング』ってあるやつを適当に掴んで借りてきていた。毎週金曜日、小学校で誰かの首を絞めたりしないで一週間を過ごすことができたら、中華料理とプロレスのテープがご褒美だった。
ある夜、母親が適当なテープを持って帰ってきたのを覚えている、90年代のVHSテープは何が入っているのか分からなかったんだ。何かを借りるとき、���はカバーのついてない硬��プラスティックの謎の箱を渡してくる。で、俺はリビングルームのテレビを占拠した(アイルランド人の父親は「ニュースを見たいのに、この子はまたレスリングだ!」と大声を上げ、プエルトリコ人の母親はキッチンから「落ち着きな!今週この子は良い子だったんだよ!!」と叫びかえした。)。私はこのランダムなテープを入れ、静電気やトラッキングやコピーの警告なんかが終わった後、スクリーンにこの3つの言葉が表示された。
メンフィス血の決闘
このテープを見始めて1分もした頃にはもう自分は夢中になっていた。それは何か別の惑星からの光線のようだった。違う狂った次元。このテープには全てがあった。1979年、有名でもないミシシッピー州のテユペロの売店での戦い。俺が何を言ってるのかわからなかったらyoutubeを見てくれ。最初はごく普通のタッグマッチがリングで始まった。それから男は客席をずっと通り抜けて後ろの売店の辺りまできて、ポップコーンの機械やら鍋やフライパンやホットドッグを使ってお互いに攻撃し始めた。で、売店の人が「ストップ!ストップ!止めて!警備員!」ってずっと叫んでた。
俺はびっくりした。想像してくれ。俺は半分アイルランド人、半分プエルトリコ人の小さいキチガイで、ブロンクスのソファに座ってワンタンスープを食べて、昔ながらのメンフィスレスリングを見て、母親に向かって「今の見た!?信じられる??」
このテープには全てがあったエディギルバートが会場外の駐車場でジェリーローラーを車で轢いた。男がリングで血を流した。俺はレスリングが何なのかよく分かってはいなかったが、その時俺が大きくなって何になりたいのかは分かっていた。
俺はヤンキースタジアムでホームランを打ちたいとは思っていなかった。
俺はスーパーボウルでタッチダウンのパスを出したいとは思っていなかった。
宇宙飛行士になりたいなんて思っていなかった。
俺はプロレスラーになりたかった。
それから数年が過ぎて中学生になった俺は全日本プロレスとインターネット上のニューヨークのテープ交換掲示板を見つけた。全日本三冠王座戦のテープを知り合いの知り合いの知り合いのクイーンズかなんかのやつから手に入れるのに何ヶ月も待たなきゃならなかった。それと交換したかったらお前も良いテープを持ってなきゃいけない。ポケモンカードみたいなもんだけど、ただこれは知らない奴とインターネットで連絡をとって街角で会わなきゃならない。どっかに出かけてよく知らない奴とテープを、ビデオデッキに入れるまでは何だかわからないものと交換するんだ。お前は何にハマっているのか分かってなかっい。その相手が良い奴だといいなと思ってた。掴まされてないってことを祈ってた。家に帰って、テープをデッキに入れて、���んだかわからない日本語の文字がが画面に飛び出てきて、スーツを着た奴が実況席で訳がわからない事を叫んでるのが映し出されてくる事を祈っていた。古いマーティン(補:90年代初期のコメディ番組)なんかじゃなくて全日本のテープを手に入れられる事を祈っていた。
94年の川田vs三沢を手に入れた時のことは絶対に忘れられない。本物ファンにはこれだけで十分だ。その日付けだけ。94年の6月。皆知っている。ザラついたビデオテープでも激しいチョップで汗が飛び散るのが見えた。その音は信じられないくらい大きく響いた。あのバックドロップ。あれはリアルな暴力だった。それをヨンカーズの小さなアパートで見ていて、俺は座ることも出来なかった。今だって、それを座ることも出来ずに見ている。神に誓って、その94年6月の試合を1000回以上は見ていると思う。エアポートで飛行機の搭乗待ちをしている時、YouTubeにつないでそれを見ると俺はもうただその試合のことだけしか考えられなくなる。はまり込む。これだけの為に生きている。
この試合のせいで何度も飛行機に乗り遅れそうになったことがある。デルタ航空の人が来て俺の肩を叩いてこう言うんだ「お客様!」。その時俺はここにはいないんだ。俺は東京にいて、全てのラリアットを感じている。
レスリングを見ることはいつも逃避だった。これは俺の聖域だよ。これは多分ただ一つの、刑務所に入らずにいさせてくれる物だった。高校生になって、何をするか分かると思うが夜友達に来いと呼び出されたりしていたが、俺は家にいてRawを見て、スーパーJカップを見て、ECWを見ていた。ニューヨークの奴らはECWが夜中の2時に宗教チャンネルで放送されてたのを覚えているか?眠気と戦いながらきちんとした女性が癒しだか赦しだかについて話したその直後、
EEEEEEE SEEEEEEE DUBBLE-YEEEEWWWWWWWW!!! (いーーーーしーーーだぶりゅううううううううう!!!)
男たちが有刺鉄線を巻いたバットで殴られる。ダッドリーデスドロップを喰らう。客席に向かってムーンサルトをする。
宗教チャンネルで。
俺はこれは別次元からのメッセージみたいだったと思う。悪魔が主導権を奪ったんだぜ。俺が初めてECWを知った時、知ってる奴を見ているような気分だった。他の奴らと同じようにWWFも見ていたけど、でも俺はいつもあれはソフトなように感じていた。ECW、あれはキャラクターじゃない、あれは自分が知っている街角にいる本当の男たちみたいだった。
俺はニュージャックのような男を知っている。俺はドリーマーのような男を知っている。
そういう奴らがテーブル葬叩される時、自分の叔父さんがテーブル葬されている気分だった。
正直にいうが、鬱屈とした気分から引き上げてくれるものはプロレスだけだった。近所の人達と戦わないでいられるのは、家で座って試合を見ることだけだった。それ以外はずっと鬱のような状態だった。あの頃、そういう状態を表す言葉はなかった。���は強い奴でいようと思ってメンタルヘルスだとか、セラピストだとか、感情だとかに耳を貸したりしなかった。
「鬱?鬱って何だ?」
自分でそれをコントロールできない時、授業の途中で誰かを殴ってしまっていた。宗教の授業の乱闘という事実が問題になって高校を退学させられた。18歳の時に俺の人生はどこへ向かっているのかわからなくなった。有難いことに父親と叔父たちは溶接工で、大人たちのように俺が自分の手でどうにかできると思っていたし、なおかつ俺が働き者だと言うことを知っていた−これが一番大切なポイント−のでIronworkers580(補:歴史あるニューヨークの建築系溶接労働者組合)に入れられることになった。そこには911のワールドトレードセンターの瓦礫を越えて行った男たちがいた。本物のブルーカラーの、ニューヨークのタフガイ。映画みたいなもんじゃない。正真正銘のタフガイだ。毎日の弁当にフラスコ(に入れたアルコール)とタバコ2箱持ってくるような奴らだ。
ある日地上50階の現場にいたことを俺は一生忘れない。コロンバス59丁目(補:地下鉄駅。セントラルパークのあたり)。俺は鋼鉄の梁に腰掛けてマンハッタンを見渡して、振り返ると70歳ぐらいの男がサンドイッチを食べていて、タバコを吸いながらあと数年頑張って働いてもうちょっとお金を貯めたら息子を同じように組合に入れると話していて、その時全てが止まったように感じた。全てが静かになった。そして気づいたんだ。
これは、残りの人生で俺がやりたいことじゃない。俺は自分がやりたい事を知っている。いつだって分かっていた。
その夜家に帰ってコンピュータをAOLの黄色い奴(補:今で言うGoogleみたいなもの)に繋いで「プロレスリングスクール ニューヨーク」と打ち込んだ。
これが俺の人生を変えた旅の始まりだ。3年後、俺はスターになった。何億もの金を稼いだ。レッスルマニアのカーテンをくぐり抜けた。
ハハハハハハ(そんなわけないだろ!)
冗談だろ?3年後俺は破産寸前で、太り過ぎで、鬱で、ビンゴホールで8人の客の前で試合をしてた。ペンシルバニア州のパロアルトっていうとこがあるのを覚えている。俺と友達はそこへ車で行って、ちゃんとギャラが出る事を祈り、試合をして、車で戻った。給料はそこへ行くまでのガソリンと後の食事代で全部消えた。で、そこで興行をする為に行って、バックステージで準備をするんだが、ずいぶん静かだった。ブーツの靴紐を結び、カーテンをくぐり観客を見渡すと…
8人。
リングサイドの片方に3人、反対側に4人。変なやつは1人で座ってた。
最初に思ったことは、こりゃあ今夜はギャラは出ないなってことだった。せめて良いものにしようじゃないか。
ビンゴホールの8人の前でした試合は、それ��も痛みを伴うものだった。チョップもまだ痛かった。次の日でも身体は痛かった。でもレスリングを愛していたら、それはどうでも良いことだ、プロレスへのプライドと尊敬の為にそれをやったんだ。だから俺は自分にできる全てのことをしたし、その観客のなかの1人が熱狂的になってくれた事を死ぬまで忘れない。彼女は立ち上がり、俺たちに向かって叫び、文句を言った、そしてそれが俺に火をつけ、俺はありとあらゆる名前で彼女のこと呼びつけた。がっかりしないでほしいんだが、たしかラージマージと彼女の事を呼んだんだ。彼女はポップコーンを投げた。素晴らしかった。
試合が終わりバックステージに戻った、もちろんプロモーターは金を払わなかった。近くに座ってた奴がこの後どこで食べるかって話していて、俺は金が全然なかったから腹が減っていないと嘘をついた。
「ああいや、俺はいいよ。良いって。腹減ってないんだ。一緒に行って水でも飲んでるよ」なんて下らない事を言っていた。
そして俺のタッグパートナーは友達で本当にいい奴で、いつも誰にも言わずに俺の分を払ってくれていた。興行の後、駐車場で荷物を全部積み込んで、俺は全てに落ち込んでたその時、「ちょっと!ちょっとあんた達!」と叫ぶ声を聞いた。
ラージマージだ。
彼女は「すごく良かったよ!めっちゃ楽しかった。みんな最高!ありがとう!!」みたいなことを言った。
俺は20年インディで活動してて、大した事は何も達成出来なかったし、辛い思いをしたし、自暴自棄になったり、鬱になったり、両親に家賃を払うための金を借りたりした。正直言って、なんでこんな事を続けているのか度々わからなくなったりもした。
でも多分彼女にしたことが原因だと思う。
時々たった1人の人だけで物事の原因になる。ある人の一晩を素晴らしいものにする、そしてそれが続ける原因になる。だから俺は続けていった。16年以上の間世界中で試合し、氷のリンクの上や、VFW(退役軍人センター)や、エルククラブや駐車場で試合をして、晴れ舞台を迎えることはなかった。溶接工として働くのは趣味で、プロレスが俺の本当の仕事だとよく言っていた。組合の連中はそれを面白がっていた。俺がだんだん歳をとってくると身体にガタがきて、鎮痛剤に頼るようになった。酒をもっと飲むようになった。そして自分自身に嫌気がさし、怒り、落ち込み、最終的に薬を止めた「おい、わかるか?何で薬に金を注ぎ込んでるんだ?くそっそんなことなら酒に使うぞ!」って思ったからだ。
哀れだろ?
で、酒だ。俺は飲んだ。もっと酒が飲めるからバウンサー(補:警備員というほどかっちりした仕事ではなく、バーにいて揉め事を起こした人を外に追い出す役目)になった。週末には昼の1時から7時まで飲んで、どこかで試合をしてバーに戻り、朝の7時まで飲んだ。で次の日起きるとフットボールのある日曜日で昼から夜中の2時��で飲んだ。
俺はムカついていた。俺は自分が嫌いだった。家で座ってウイスキーを飲んで、インディで一緒にやってた奴らが大きいプロモーションのテレビ番組に出ているのを見ていた、そして俺は座って怒りが爆破するまでただイライラしているだけだった。壁を殴り穴を空けた。酒の瓶を粉々にした。自分自身にとっても他の人間にとっても危険な奴だった。ある週、俺は最終的に酒で絡んで最悪なことになって、姿を消すことにした。興行にも出るはずだったが、行かなかった。自分の携帯電話を壊し、誰も捕まえることができないようにした。みんな俺が死んだんじゃないかと心配していた。午後に目を覚ますと、アパートには割られたビール瓶がそこらじゅうに散らばっていた。何かの理由で、多分奇跡かなんかで、郵便受けを確認したら、そこには手紙が入っていた。「手紙?俺に最後に手紙を送ってくれたのは婆ちゃんだったな」
その手紙は友人のアレックス・ワイブロウ、ラリー・スウィニーからだった。長いことインディでやってる素晴らしい男。そいつが最後の手段として手紙を寄越したんだ。そこには、皆が心配しているから連絡してほしいと書いてあった。忘れもしない、その手紙の最後の行にはこうあった…
「親友をなくしたような気分だよ。お願いだから連絡してほしい」
これで目が覚めた。アレックスに電話をして、穴から這い出た。俺はいつも誰も俺のことを気にしてなんかいないんだと思っていた。失敗作、負け犬、悪い知り合い、そんな感じに。子供の頃からずっとそう感じていた。もしもアレックスがその手紙を送ってくれなかったら、俺は今日ここにはいないだろうな。多分死ぬまで飲んでただろう。奴は命の恩人だ。
そして一番悲しい事は、言ってくれたその言葉はあいつ自身の心のずっと奥底から来ていた…何故ってその数年後にあいつは自殺しちまったから。あいつは俺が味わっていた痛みを知っていたんだと思う。その暗闇を知っていたんだ。
そしてだからこそ俺はこんな話をしている、振り上げた拳を引っ込めたりはしないし、オールドスクールな奴らはこんな話聞きたくもないだろうし、話すべきじゃないと思ってるだろうが、そんな奴らは糞喰らえだ。もしも俺が抗うつ剤を飲まなかったり、メンタルヘルスのために手を借りたり、怖がってこう言った事を話せなかったりしたら自殺していただろう。以上。こういう事を話そうとする俺の口を塞いだり、そういう気持ちを薬や酒で消したり出来ないほど沢山の友人をこの業界で亡くした亡くしてきた。
アレックスの思い出として、この話をしよう。あいつは俺を救ってくれた。でもあいつ自身を救う事はできなかった。ずっと俺はもうここには居たくないと思っていた。罪悪感と怒りと情けない気持ちでいっぱいだった。アレックスが死んだ後、俺はゆっくりと(アルコール依存やメンタルヘルスの)助けを貰いほんの少し身綺麗にしていった。でも37歳になったある日、俺にはその日は永遠に来ないことに気が付いた。先人たちは俺にチャンスを与える事は絶対にない。多くの橋を燃やしすぎた。地獄へ行けと多すぎるプロモーター達に言い放った。評判が悪過ぎた。
俺はもう終わりだ。ある日、兄弟が家に来たときにアラスカに引っ越すつもりだと伝えた。自分の手で働く。新しい生活を始める。結婚もしていない。子供も1人もいない。プロレスというこの仕事に人生を捧げてきて、失敗して、そして辞める時が来た。
兄弟は俺を見た、兄弟だけが出来る視線で。そしてウイスキーをひと口飲み、動きを止めた。そして「わかったよ。ああ、自分のことは自分でするんだもんな。お前の人生だ。でも俺の息子になんて言えばいい?」と言った。
俺の甥は生まれたばかりだった。
「お前は何を言ってるんだ?」俺は言った。
するとやつは「叔父さんは夢を諦めたのに、俺の息子に諦めるなってどうやって説明したらいい?」と返事した。
俺はただ奴を見つめ「糞野郎。なんて事言うんだ?なんて事を」と思った。
俺は想像した、甥が1年生になり友達と話す。「僕のおじさんはレスラーなんだ!」
そして小さい子供はこんなかんじだ「えー??違うよ!おじさんはレスラーじゃないよ!」
その時、俺は辞めることはできないと決意した。もう数年このままやり続けよう、甥が学校で携帯のYouTubeを使ってエディ叔父さんがリングで誰かをスープレックスするところを友達に見せることができるぐらい大きくなるまで。WWEだとか AEWだとかに行くみたいなことじゃあない。そんなことは気にしちゃいなかった。ビンゴホールか、VFWか−叔父さんが本当にレスラーでいる限り、他は気にしなかった。
だから続けた。で、去年のコロナ禍だ。全てが閉鎖された時俺は海を超えてイギリスで試合をしていて、国境が閉鎖される時に残りの2000ドルを使って家に帰って来た。何ヶ月も全てのインディが活動停止して、すぐにそれが何を意味するのか知った。終わりは見えなかった。レスリングブーツを売り払ってローンの返済に充てなけりゃならなかった。あと1ヶ月でどうにかしなければ、家を失うことになる。母親に電話をして、この契約のことを伝えた。屈辱的だった。このままだとヨンカーズの両親のところに戻らなければいけなくなる。
その後、ニュージャージーの野外での興行の連絡を貰った。駐車場の真ん中にリングを立てて、お客は車から試合を見る形で許可を取っていたんだ。ノーとは言えなかった。ニュージャージーまで行き、興行の最中これが自分の最後の試合になるだろうと思っていた。俺は家を失う。崖っぷちだ。
そして試合後にマイクを取り、俺が一番得意な事をただ始めた。俺は悪態をついた。大きいプロモーションの全てのチャンピオン達に呼びかけた。そしてそれがどういう事なのか考えもしなかった。俺はただ俺でいただけだ。俺は俺が好きな事をやっただけ。でもそれが何故か、どうにかして、誰かが俺がキレているところのビデオをソーシャルメディアに載せて、それがコーディ・ローズと AEWへの道を作った。多分それは面白いとか狂ってるとかなんかわからないけど思ったんだろうが、でもそれが思いがけない AEWのタレント部門の目に留まって「ビデオを見ましたよ。あなたにコーディと試合をしに来てほしいんです。��となった。
そして俺はまたその時に鬱で落ちこんでいたから、最初に口から出てきた言葉は「いくら払うんだ?」だった。
俺はトライアウトだとは思っていな��ったよ。奇跡だとも思っていなかった。「家のローンを払わなきゃ」それ以外の事は考えてなかった。俺にとってはただのブッキングだった。明細評。38歳だぜ。契約する訳がない。ただの小さなクソったれなやつだ。誓って言うが、そのショーに行ってバックステージにいる時は無感覚だった。誰とも話さなかったし、興奮もしていなかった。
鏡の前にいる時、8マイルな事は何もなかった。俺は文字通り「これをさっさと終わらせたら金が手に入る」と言うことだけ考えていた。コーディは全てにおいて素晴らしかったことは覚えてる−そして俺がリングインする時にどんな曲がほしいか聞いてきたから俺は本当のことを言ってやった「何で俺に入場曲があるんだ?俺はここで働いてないだろ。音楽はいらない。俺はただ出て行ってお前をぶっ潰す。俺はただの男だから。」
するとコーディは「わかったよ。じゃあマイクを渡そうじゃないか」
「マイクを?」
「そうだ。ただマイクを持って出てきて俺の事を非難するんだ」
つまりこれがコーディ・ローズだ。こういう「男」だよ。俺に出てきて非難してほしいと言う男なんだ。今思うと鳥肌が立つな。俺には随分と大それたことだけど、彼は俺にはその時を与えてくれて、それが人生を変えることになる。
その他の俺の人生を変えた男はブロディ・リーだ(安らかに眠れ)。ブロディのことはインディで何年も前から知っていた。最高の男だ。本物のプロ。奴はバックステージでカーテンから出て行くその直前に側に立っていて、俺が無感覚になっているのを見ていた。
俺に近づいて真面目な口調でこう言った「おい、俺の知ってるエディ・キングストンはどこだ?」
そして強く押し退け、俺は後ろによろけた。それはまるで野獣が目覚めたようだった。
俺は奴の目を真っ直ぐ見て、押し返した。
ブロディは数歩よろけて「ここにいた」と俺を見て言った。
俺たちは笑い合った。
その夜歩いてカーテンをくぐった俺はボロボロの男だった。38歳。憎しみに満ちた。自虐的な。母親の元に引っ越す寸前の。
次に何が起こったのかは説明ができない。いまだに理解できない。今でも誰かが夢から呼び起こしに来るのを待っているんだ。
コーディと試合をした。俺は今まで1万人と試合をして、1万回試合をした。俺は仕事をした。やつを叩きのめした。奴も俺を叩きのめした。画鋲にパワーボムをした。物語を伝えようとした。これを見た誰かに何かを感じさせようとした。ただ1人でもいい、つまらない日を過ごした誰かがそこから逃げ出すためにこの試合を見てくれたら。
俺はただ自分の仕事をして、奴が俺をピンフォールして、歩いてカーテンをくぐって戻った。
そこでブロディリーとジョンモクスリーを見た。あいつらは飛び跳ねてたよ。拍手はしてなかった。あいつらは俺にすげえとかは言わなかった。そういう奴らじゃないんだ。ただ笑っていたのは気づいていたよ。
俺は「大丈夫だったか?」と言った。
モクスは「良かったぜ。上手くぶちかましたな」と言った
そしてその時気がついた、「おい、お前はテレビに出てるじゃないか。すごいことだよ。ここで終わったとしても、少なくとも俺にはその事実があるってことだ」
テレビで試合が放送された時、俺の携帯におかしな事が起こった。Twitter、ソーシャルメディア、全部のそういうやつ−今でもどうやってそうなったのかはわからない。俺の知った事じゃない。それで俺の携帯にそういうあらゆるものが(Twitterの)小鳥と一緒にポップアップしてきたけど、俺はまだ理解していなかった。その後は色んなメッセージ、 AEWの人間からも「エディ、トレンドになってますよ」と送られて来た。
俺は「トレンド?何だそりゃ?もっと金が貰えるってことか?」と言った。
彼女は「いいえ、これは大きな事ですよ。人々が#SIGNEDDIEKINGSTON(エディキングストンと契約しろ)とトゥイートしてるんです。」と返事をよこした。
それでもまだ変な感じだ、今でもまだ、俺は愛を受け入れ難い時期があったからだ。俺はニューヨークのハードな男。そんな事は信用してない。俺は疑い深い。俺はいつもなにか別の悪い事が起きる事を待ち構えている。だから全ての関わりのない人々が俺のために立ち上がってくれた時も、どうとも思わなかった。ただ居心地が悪かった。わかっていなかったんだ。 AEWが契約したいと連絡をくれた後でも、どうにも腑に落ちなかった。俺のような男にはあり得ない話だったからだ。
それは2週間後まで続くことになる−俺はガールフレンドとモンタナに旅行に来ていて、2人で車に乗り彼女の友人の家に行こうとしたところで動きを止めて、彼女を振り返りこう言った「おいちょっと待て」
「どうしたの?」彼女は尋ねた。
俺は言った「俺が契約したのは知ってるよな?俺はテレビに出た。俺の甥は叔父さんがテレビに出るのを見れる。本当に契約したみたいな感じで。ええと、20年もだ。俺は家を失くすところだった、俺は…」
そして俺は泣き始めた。波のようにこの事実が俺に押し寄せ、やっと何が起こったのか理解し、車の中で堰を切った様に涙が溢れ出た。
この人生には全てがあった。俺は怒りの子供だった。憂鬱なティーンエイジャーだった。中毒者だった。迷い混乱させる細胞をたくさん抱えていた。自虐と自分から他人との諍いを作ることで身動きが取れなくなっていた。残りの金を使い果たした。
ただ一つ俺がこれを続けている理由は、地球上で本当にただ一つ、全ての友人達は俺を支え助けることを止めなかった事だ。
俺はラリー・スウィニーのような友人がいてとても幸せだ。
俺はブロディのような友人がいてとても幸せだ。
俺はモクスのような友人が今もいてとても幸せだ(そしてモクスが本当の勇気を見せてくれて誇りに思う。わかってるぜブラザー。頑張れよ。)
おかしい事を教えてやろうか?昔は俺とモクスはブルックリンのエルクロッジで85人の前で試合をしていた。コロナ後のジャクソンビル初めての大観衆の中、ヤングバックスとの生放送の試合、やつと一緒にカーテンをくぐって歩いて行くのは信じられない出来事だった。モクスがドアを蹴り飛ばして開ける寸前に「おい、大スターになる準備をしておけよ。さあ、あいつらのケツを蹴り飛ばしてやろうぜ」と言ったのを覚えている。
今でも苦しみ足掻いている。
今でも全ての愛と関心を受け入れ難い時がある。
今でも抗うつ剤を飲んでいる。
今でもパニック障害が起きる。
事実、ALL OUT PPVでのミロとの試合後に、俺の携帯は多くの人々からの素晴らしい試合だったというメッセージ、人々からの好意を自分ではどうにも消化できないでいた。ただ圧倒されていた。胸が締め付けられた。壁が俺を閉じ込めていった。感情を失っていった。まるでストローを使って息をしている様だった。でもゆっくり呼吸をして自分で自分を落ち着かせる事ができたのは、専門家の助けを求められるくらい俺は勇敢で、何をすべきか知っていたからだ。自分の不安障害と鬱を抱えてどう生きるかを知っている。その事について話す事を怖がったりしない。この業界のオールドスクールな奴らがなんて言うか知った事じゃない。今はもう1987年じゃない。
自分が治らないことはわかっている。俺は完璧じゃない。正直に言うと、今でも本当に落ち込む日もある。でも朝目が覚めて、どんなに悪い気分だったとしても、確かな事が一つあって、それを誇りに思う…
ここからどんなに悪い状況になったとしても、いつだって甥の目を見てこの歳をとってボロボロの打ちのめされたエディ叔父さんは絶対に諦めなかったと言う事ができる。
そして彼がもう少し大きくなって、一年生になって悪ガキに「お前のおじさんはレスラーじゃないぞ。うそつき。」と言われたら、携帯を取り出してエディ叔父さんがクイーンズのアーサーアッシュスタジアムの叫び声を上げる2万人の観衆の前を歩いてゆく−そこは日本のプロレスのテープを交換したり、喧嘩をして警察から逃げていたストリートからほんの少し先にある。
甥は悪ガキのびっくりした顔を見て「ね?」と言える。
彼の叔父さんはニューヨークヤンキースじゃない。
彼の叔父さんは医者や弁護士じゃない。
彼の叔父さんは宇宙飛行士なんかじゃない。
叔父さんはレスラーだ。
−エディ・キングストン
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2019/12/7(sat) 長野 CLUB JUNK BOX BOX 20th Anniversary HOBBLEDEES presents 「Be Fes 2019」 HOBBLEDEES OLEDICKFOGGY LEARNERS ラフベリーディッティーズ ダイヤマン MAZZICA/Voggie Krust グレート無茶(信州プロレス) and...シークレットゲスト! DJ:YUTA/SADA/NETSU/ ダイナマイトマンダム/NOZOMI/MEI open 14:00 start 14:30 adv¥2800��day¥3300 ドリンク別¥500 10/19(土)チケット発売プレイガイド:JUNK BOX店頭販売・電話予約/ローソンチケット(L:71977)/チケットぴあ(167-865)/e+ info:NAGANO CLUB JUNK BOX 026-267-9120
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#信州プロレス 栄中体育館大会に出店してきました◎ありがとうございました! #全ての子供達に笑顔を #安全第一 #台本重視 #入場無料 #雨天検討 #釜と七厘 #529ハンバーガー #メンチカツサンド (栄村村立栄中学校)
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レアな…
夏と秋が混ざったような気候! なんとか、生きております…… 個人的にとてもレアだと思う機会に参加させて頂いており、お知らせさせてくださいm(_ _)m
NHK総合「レギュラー番組への道『1オクターブ上の音楽会』」 バックバンドにKeyで参加させて頂きました。 (第1夜終わってしまいましたが💦)
第1夜 9月3日(土)[総合]後11:30 第2夜 9月10日(土)[総合]後11:30
番組ホームページ 見逃し配信もあります 個人的にも今まで体験したことのない企画で… "歌謡曲全盛期の1960年代後半から1980年代。 その中には、一部の人々を熱狂させ今も語り継がれる名曲がある。 えりすぐりの4曲を、現代によみがえらせる音楽会が開演。 驚がくのメロディーと歌声、知られざる誕生秘話を、2夜にわたってご堪能あれ!" という、ある種カルト的な風合いを持つ楽曲たち、 逆に超キャッチーでして、一度聞いたらフレーズが忘れられません!笑 当時の歌手ご本人が歌われるレアな機会、是非ご覧ください…! (特にプロレス好きな方!) ーーー そして、この秋は4年ぶりになります「刀剣乱舞宴奏会」ツアーにシンセで参加させて頂きます。 大阪公演 日時: 2022年9月11日(日)18:00開演 会場: グランキューブ大阪 メインホール 演奏: 京都市交響楽団 仙台公演 日程: 2022年9月24日(土)18:00開演 / 2022年9月25日(日)15:00開演 会場: 仙台サンプラザホール 演奏: 仙台フィルハーモニー管弦楽団 東京公演 日程: 2022年10月6日(木)19:00開演 / 2022年10月7日(金)19:00開演 会場: 国際フォーラム ホールA 演奏: 京都市交響楽団 名古屋公演 日程: 2022年10月22日(土)18:00開演 / 2022年10月23日(日)15:00開演 会場: 愛知県芸術劇場 大ホール 演奏: オーケストラ・アンサンブル金沢 熊本公演 日程: 2022年11月20日(日)17:00 開演会場: 熊本城ホール メインホール 演奏: 九州交響楽団 指揮:山脇 幸人 ホームページはこちら オーケストラに加え、邦楽器(尺八、篳篥/篠笛、津軽三味線、十三絃箏、二十五絃箏)、コーラス、シンセ、ギター(大阪)が入った、贅沢すぎる編成、かなりレアと思われます。 皆さんすごく個性と愛にあふれた愉快な仲間たちという感じで、本当にわちゃわちゃと楽しく過ごさせて頂いております。 是非…!!!
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村上春樹が、1990年から四年間、アメリカで暮らしていたときのことである。 最後の1年間はプリンストン大学で日本文学を教えていた。そのときのことを彼のエッセイ『やがて哀しき外国語』では以下のように書いている。これは日米文化論といってもいい内容なのだが、アメリカ社会を知る上で生活のために非常に参考になることである。 例え��、以下は『やがて哀しき外国語』よりの引用である。 -僕は日本に住んでいるときには新聞というものを原則としてとらないのだけれど、アメリカではどういうわけか二紙も取っている。ひとつは『トレントン・タイムズ』というローカル・ペーパーで、これはニュージャージー州の州都トレントンで発行されている。プリンストンはトレントンから車でニ十分くらいしか離れていないので、うちの周辺で起こった出来事はだいたいこの新聞でカヴァーされることになる。週のうち四日は火事か交通事故が一面トップというかなりローカルな新聞で、インテリ向けの新聞とはとても言えないけれど、「なんだこれは」と唖然とするような奇妙な出来事にもよくお目にかかれるし、地元関連の細かい事件の取り上げ���がなかなか興味深くて、僕はここに来て以来ずっと愛読している。(中略)実を言うと、僕は「日本から来てプリンストンに住んでいる小説家」ということで、この新聞の第一面のトップ記事になったのです。そんなものが一面トップになるんだから、あとは推して知るべしである。 『トレント・タイムズ』の他にもうひとつ僕が購読しているのは、かの有名な『ニューヨーク・タイムズ』である。もっとも『NYタイムズ』を毎日毎日読むのはいささかしんどいので、僕は週末だけ、つまり土曜と日曜だけの配達というのを取っている。(中略)『NYタイムズ』はたしかに信頼性の高いニュースを提供する立派な新聞だと思うけれど、政治や経済を専門としない僕のような人間には、週末だけの情報量でだいたい十分である。(中略)これは僕の個人的な意見だけど、『NYタイムズ』みたいな取り澄ました新聞を毎日読んでいたら肩が凝ってしかたない。 でも僕の知っているプリンストン大学の関係者は、みんな毎日『NYタイムズ』を取っている。『トレント・タイムズ』を取っているような人はいないし、僕が取っているというと、あれっというような奇妙な顔をする。そして『NYタイムズ』を取っていないというと、もっと変な顔をする。そしてすぐ話題を変えてしまう。ロ-カル・ペーパーを購読するというのは、プリンストン大学村においてはあまり褒められたことではないらしい。とくに『NYタイムズ』を週末だけ取って、毎日『トレント・タイムズ』を読んでいるなどというのは、ここではかなり不思議な生活態度とみなされる。もっと極端に言えば、姿勢としてコレクト(正しきこと)ではないのだ。 これと同じようなことは”ビール”についても言える。僕が見たところでは、プリンストン大学の関係者はだいたいにおいて輸入ビールを好んで飲むようである。ハイネケンか、ギネスか、ベックか、そのあたりを飲んでおけば、「正しきこと」とみなされる。アメリカン・ビールでもボストンの「サミュエル・アダムス」やらサンフランシスコの「アンカー・スティーム」あたりだと、あまり一般的なブランドではないから許される。ボストンやサンフランシスコといったちょっとシックな土地柄も評価の対象になる。学生はやすくてちょっと通っぽいかんじのするローリング・ロックをよく飲んでいる。話によ��とかつては東海岸では、クアーズが比較的手に入りにくくて『コレクト』であったようだが、最近はこっちでも手に入りやすくなったので、ずいぶん評価が落ちたらしい。日本製のビールも存在としてはマイナーだからもちろんコレクトだが、実際に飲んでいる人の数はあまり多くない。いずれにせよそのあたりを飲んでいると、まあ問題はない。 しかしバドワイザー、ミケラブ、ミラー、シュリッツあたりを飲んでいると、やはり怪訝な顔をされることが多いようである。僕も甘ったるいアメリカン・ビールはあまり好まないし、どちらかといえばヨーロッパ系の方が好きなのだけれど、例外的にバド・ドライを好んでよく飲んでいる。もう少しドライでもいいんじゃないかという気はしないでもないが、客観的に言ってけっこうよく出来たビールだし、スシにもまあちゃんとあう。続けて飲んでもあまり飽きないし、なにしろ値段も安い。六本パックで五百円くらいで買える。悪くない。でもある教授と会ったときに世間話のついでに「僕はアメリカン・ビールの中ではバド・ドライが割に好きでよく飲んでいますよ」と言ったら、その人は首を振ってひどく悲しい顔をした。「僕もミルウォーキーの出身だからアメリカのビールを奨めてもらえるのは嬉しいけれど、しかしね・・・・・・」と言って、あとは口を濁してしまった。(中略) かくかように、新聞からビールの銘柄にいたるまで、ここでは何がコレクトで何がインコレクトかという区分がかなり明確である。 日本の大学社会にだってやはりそういう暗黙の制度みたいなのは少しはあるのだろうと思う。でもこれくらいはっきりとした制度的傾向というのは存在しないのではないだろうか。僕は日本の大学人の生活についてあまり知識はないけれど、「大学人かくあるべし」というような規範はアメリカに比べるともっと希薄であるような印象を受ける。『東京スポーツ』の愛読者で、プロレスととんねるずと焼酎が好きで、演歌しか聴かないという教授がいたって、とくに問題にはならないだろう。(中略) でもこの国では(少なくとも東部の有名大学ではということだが)、バドワイザーが好きで、レーガンのファンで、スティーブン・キングは全部読んでいて、客が来るとケニー・ロジャースのレコードをかけるというような先生がいたら(実例がないのであくまで想像するしかないわけだが)たぶんまわりの人間からあまり相手にされないのではないだろうか。-
>スティーヴン・キングを読むような人は相手にされない・・・この時点でアメリカのリベラル大学人を敵認定した。 村上春樹がプリンストン大学で・・・・。 https://ameblo.jp/3231tukusi/entry-11656163281.html
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I posted this pic on instagram プロレス格闘技WebマガジンDropkick連載コラム 『アメプロインディ通信』第26回目が配信されました。 月2回執筆させていただいております。 今回のテーマは、「エディ・ゲレロ「空白の5ヶ月間」とその死……」です。 38歳で亡くなったエディ。この世に生きた時間だけ見るとあまりにも早すぎる死に思えるが、ここに書いた5ヶ月間を見ただけでも、彼の人生は内容の濃い素晴らしいものだったように思える。己との闘い、大切なものを取り戻すための努力、苦しい時に��逢った友について触れてます。 宜しければ是非!! ➡️https://ift.tt/2PAkp1o kick/ 記事に使ったこの写真は、2005年6月12日ニューヨークで行われたWWE版ECW復活際「ワン・ナイト・スタンド」を観に行った時のものです。この日はクリス・ベノワとのシングルマッチでした…… #mailmagazineDROPKICK #column #TakaNAKAYAMA #freebirdsshop #prowrestling #prowrestler #independentwrestling #プロレス格闘技メルマガdropkick #フリーバーズ #タカ中山 #アメプロインディ通信 #プロレス #プロレスラー #米インディー #エディゲレロ #eddieguerrero #CMパンク #cmpunk #友情 #wwe #roh #wcw #ecw #iwamidsouth #iwaミッドサウス #njpw #新日本プロレス #テキサス州エルパソ https://ift.tt/2QQ2yzU
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【Him】 Lex Eskobar (Collector of vintage books/magazines, host of "Downtonwn BOOK CLUB”, Frisco, California, US)
【Memorabilia】The Japanese oversized movie pamphlet of "Buffalo '66" 【彼】レックス・エスコバー(古書・雑誌コレクター、『Downtown BOOK CLUB』主宰、フリスコ、カリフォルニア州、アメリカ)
【あの●●】「Buffalo '66」(映画)の日本劇場公開特大パンフレット、日本-サンフランシスコ
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“April 2017 I had finally made it to Japan.
「2017年の春についに日本に行くことができてね。 On my second day I came to Jinbocho. I often read about this legendary bookstore heaven, it wasn't what I expected... it was 10× more amazing. The first bookstore I stepped in dealt in books and magazines about movies/music. I walked out with 3 bags filled with books and magazines.
着いた翌日には神保町を訪れてた。もはや伝説的なこの本屋天国の街については、前からからいろんなとこで目にしてはいたんだけど、実際行ってみたら予想してたのと違った。もう何十倍も素晴らしかったんだよ。一軒目に足を踏み入れた本屋は映画や音楽に関する書籍や雑誌を取り扱ってて、店から出て来た頃には、本・雑誌でいっぱいになった買い物バッグ3をつも携えてたよ��� The rest of my trip in Japan was amazing and memorable, every time I look at this book I'm reminded about that trip and how much I love Japan and my friends there.
その後の日本滞在も全部素晴らしくて思い出深いな。特に滞在期間中に買ったこの冊子に目を通すと、あの時の初日本旅行の思い出、特に自分がどれだけ日本って国と日本の友人に対して愛着を抱いているのかってことに気付かされるんだ。
The reason I've long wanted to visit Japan was primarily because I've always been a nerd. I mean I love movies, anime, pro wrestling, books, so Japan was always on my bucket list. I knew I would visit but just never knew when. I wish I had done with much younger in my life.
なんでそんなにずっと日本に行ってみたかったかって、それは僕のナード(おたく)な性格によるところがおっきいね。映画とかアニメ、プロレスとか本、そういう類いが小さい時からずっと好きだったからさ。だから、日本に行くってのは常に叶えたいことリストにはあったんだよ。いつかきっと行くだろうなってのは漠然とあったけど、じゃあ具体的に「いつ」ってのは決めてなかった。もっと若い頃に行っときゃよかったなって、今は思うよ。 The reason I picked the movie was because I could relate to the main character, the dude, I guess. Well, when I was younger I did, at least.
この映画を選んだのは、僕自身この主人公に共感できるからじゃないかな。少なくとも若いときは共感してたな。
I was anti-social and didn't like being around girls. Don't get me wrong, the dude's anti-social nature was largely due to his disfunctional parents unlike me (I had very very loving parents). I was shy and didn't have confidence when I was younger. I think I didn't really get confident till I was like 25 or so. This would also explain why I've been and still am into taking pictures of my friends and people around me.
若いときは反社会的で、女の子とつるむのも好きじゃなかった。あ、でも誤解しないでね。この映画の主人公は、両親として全く機能していないあの母親、父親のせいで反社会的な性格になっちゃってるけど、僕の両親はそんなことなかったからね。単に若い頃の僕はシャイで、自分に自信がなかったんだ。25歳くらいまでずっと自信なかったんじゃないかな。僕、写真を撮ることも好きなんだけど、これも僕がそういう気質の持ち主だからだと思うんだ。
Then I moved to San Francisco, where I met new friends and became a little popular. I came from a small town and had never fit in there. When I came to San Francisco, I just saw more people who had similar interest with me.
その後サンフランシスコに引っ越してから新しい友だちができたりして、ちょっとした人気者になれたんだ。故郷の小さな街には全く馴染めなかったんだけど、サンフランシスコではもっと興味の対象が似通った人に出会うことができたんだよね。
Moving to SF at a young age was the best decision I ever made. At that time, weekly art gallery shows, music shows were going on. Rent was cheap so you had so many creative people living here. I’m glad I got to experience that. I’m still here but the city isn't the same anymore. That golden era is long gone, with the increase of tech people and the decline of artist the city has changed. But SF will always hold a special part in me."
若いときにサンフランシスコに越してきたってのは、これまでで一番いい選択だったよ。当時は、ギャラリーでは週ごとに展示が開かれてたり、たくさん音楽ライブもやってたりして。家賃も安かったからクリエイティブな人たちが多く住んでてね。そういうのを経験できてよかった。僕自身はまだここに住んでるけど、でも当時に比べて街はすっかり変わっちゃったな。僕が経験した黄金時代は、もう随分前に無くなってしまって。特にIT系の人材流入と、その代わりにアーティストが出ていっちゃうっていう状況を経て、ほんとに街が様変わりしちゃったんだよ。とはいえ、僕の中ではサンフランシスコってのは常に特別な存在なんだけどね。」
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【More about Lex】:
https://instagram.com/lexeskobar?utm_medium=copy_link
【More about Downtown BOOK CLUB】:
https://instagram.com/downtownbookclub?utm_medium=copy_link
【More about "Buffalo '66"】:
https://www.youtube.com/watch?v=Efkjmn5e-14
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2024年度少林寺拳法長野県大会、ことぶきアリーナ千曲で開催
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 2月19日(土) #先勝(癸卯) 旧暦 1/19 #雨水 月齢 17.9 年始から50日目にあたり、年末まであと315日(閏年では316日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . ハイ!(^o^)/ 8週目の週末8回目の 土曜日デスネ😅💦残念な事に⤵️ この土日は☔模様。。。_| ̄|○... 出不精な私は格好の巣籠になり そうですが、今日ぐらいはジム に行かなきゃららんだろって💦 . 思うんですけど、この寒空だし 悪性の風邪が大流行してるそう ですが🤣😆🤣それは関係ない か😅💦例の騒動も昔からインフル も、そして普通の風邪もなんで すが、感染するって嘘なんじゃ って、つくづく思うんですよ✋ . 実は、我が家にも風邪がやって 来てってのも変な話ですが😅💦 私が一発目に患ったのですが ほぼ、二日でやっつけました✋ 咳が暫く続いたが、これも今は 完治してなんでもないです😅💦 . もう3週間も前ですね✋そして 家族のほぼ全員が同じ症状に なったのですが一人だけ今も 咳が続いてるよう✋後の方は ほぼ一日二日で治ったみたい✌ 驚くのは独りだけ何でもない✋ . って風邪の「か」もないって 驚きですよね✋風邪を患うっ てのは、もっと違う要因があ るのではないかと思うんです よね✋ストレスが体調不良を起こ し、それで体にある菌やウィルス が盛んになり起こるのでは❔ . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #プロレスの日. 1955(昭和30)年、蔵前国技館で、日本で初めてプロレスの本格的な国際試合、力道山・木村×シャープ兄弟の試合が開催されました。 力道山は、日本プロレス協会(JWA Japan Pro-Wrestling Alliance)設立者で相撲からプロレスに転向しました。 . #先勝(サ��ガチ、センカチ、センショウ). 陰陽道(おんみょうどう)の六曜日の一つ。 この日は勝負ごと、訴訟や急用などに運がよいとされ、早い時刻ほど良くとされ、午後は凶になるなどの俗信がある。 寝坊は、もっての他とされますね😅💦 . #不成就日(フジョウジュビ). 選日の一つである。 何事も成就しない日とされ、結婚・開店・子供の命名・移転・契約・芸事始め・願い事など、事を起こすことが凶とされる。 市販の暦では他にも色々なことが凶となっていて、結局は全てのことが凶ということになる。 . #あさま山荘事件. 1972年2月19日に連合赤軍メンバー5名が人質1名を取って浅間山荘に立てこもるあさま山荘事件が発生。 (9日後の2月28日に立てこもり犯全員を逮捕)。 . #チョコミントの日. 【チョコミントの日】を制定しよう!プロジェクト(代表・チョコミント仮面。)が制定。 . #信州まつもと鍋の日(12月、1月、2月の19日). 長野県おいしい信州ふーど事業の一環。 . #万国郵便連合加盟記念日. . #クレープの日(毎月9の付く日). . #共育の日(毎月19日). . #松阪牛の日(毎月19日). . #塾カレー���日(毎月19日). . #シュークリームの日(毎月19日). . #熟成烏龍茶の日(毎月19日). . #強制収容を忘れない日. . #天地の日. . #国旗の日(#トルクメニスタン). . . ■今日のつぶやき■. #明日の百より今日の五十(アスノヒャクヨリキョウノゴジュウ) 【意味】 大きな話に乗るよりも、わずかでも今日確実に手に入る方を受け取るのが賢明であると云う事。 未来などどうなるか判らないのだから、僅かでも現実に得られるものの方が良いと云う意味も含む。 . . 1948(昭和23)年2月19日(木) #財津和夫 (#ざいつかずお) 【シンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー、ラジオDJ、俳優】 〔福岡県福岡市〕 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CaIzanAhDM9btp-0MPW-Epd8cpJMcgFsGM8ee40/?utm_medium=tumblr
#先勝#雨水#プロレスの日#不成就日#あさま山荘事件#チョコミントの日#信州まつもと鍋の日#万国郵便連合加盟記念日#クレープの日#共育の日#松阪牛の日#塾カレーの日#シュークリームの日#熟成烏龍茶の日#強制収容を忘れない日#天地の日#国旗の日#トルクメニスタン#明日の百より今日の五十#財津和夫#ざいつかずお
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「かませ犬」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!
かませ犬(かませいぬ)
往年のプロレスファンなら、長州力が発したかの有名な「かませ犬発言」を覚えているのではありませんか? これはプロレス史に残る名言とされ、今でもプロレス好きのお笑い芸人などが度々テレビで紹介したりするほどです。でも言葉としての「かませ犬」の場合は、案外と正確な意味は分からないものです。ヤクザなどの専門用語とも思えますし、何より一般社会では滅多に使われる言葉ではないからです。そんな「かませ犬」について、詳しく調べてみました。
[adstext] [ads] かませ犬の意味とは
「かませ犬」の意味は以下の通りとなります。 (1)やられ役。アンダードッグ(Underdog)。盛り上げ役。引き立て役。 (2)闘犬の専門用語で、調教する犬に自信を与える為にあてがう、噛まれる役目の犬。 (3)スポーツ全般で若い新人や新チームや弱いチームなどに自信をつけさせる為、弱い相手や負け…
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9月のお知らせ
気がつけば9月。なんと今年の夏はスイカを一切れしか食べてないことに気がついて泣いています。わたし(斜め)はスイカ大好き。毎年2玉弱くらいは食べていたと記憶していますがなんの因果か今年は一切れ。赤いシャキシャキが遠のいて行く。かわりに桃類のネクタリンだワッサーだソルダムだのなどはちょくちょく食べていました。みなさんはいかがでございましょう。 ちゅみ(みづ野)は今日も元気です。寝返りが寝返りの域を超えて連発しているので朝起きると必ず自分の布団にちゅみはいません。大抵隣の布団やら誰かの足の間やらに紛れ込んでいます。一方向にしか寝返りが打てないので時計の針のように全身でサークルを描いてはどこかと交信しています。我が家は人の出入りがちょくちょくあるし、稽古で毎週劇団員に会うし、会議だの飲み会だので大人の声に揉まれているので家族というよりはもちょっと大きな集合体の中で育っているようでそのことがわたしとしてはとってもありがたく思います。わたし個人としては家を出て以後、今の姿の98%くらいを外の世界から学んだのでちゅみ吉くんにもそうあってほしいと思うところです。ともあれ前進思考の強いちゅみ吉くんは今日も『座る』なんてことの概念から拒否して、時計回りを繰り返しています、よ!9月のお知らせ!
目次 1.マタヒバチ韮組(にらぐみ)松本公演! 2.稽古進捗 3.リモートユーチューバードキュメンタリー
1.マタヒバチ韮組(にらぐみ)松本公演! きたる10月、京都よりテント芝居の姉貴分マタヒバチ来松によるテント公演を行います! 春のコロナ禍によりツアー日程は全て塗り替えて、この秋韮組に編成を変えて満を持しての登場でございます! —————————————————— マタヒバチ韮組松本公演 首輪物語2020 2020年10月 24日(土)夜19時開演 25日(日)昼14時開演 / 夜19時開演 ※土曜日夜公演のみ・日曜日昼夜2回公演 あがたの森公園(グラウンド) 予約/当日 一般1500円 学生1000円 高校生以下500円 未就学児無料 ※各公演20名限定公演 ご予約は野らぼうメンバーもしくはこちらまでTEL080-6424-9861(斜め) —————————————————— 京都を拠点に活動してるテント集団マタヒバチ。昨年は丸太テントを持ち運んで東京や九州で公演を行ったパワフル女性劇団ですが、そんな彼女たちももれなくコロナ禍の影響を受けた。2020年春に昨年の作品のアップデートバージョンでの来松を試みていた最中、ツアーは全日程中止・延期対応。そしてメンバーそれぞれ仕事や生活をしながらの劇団運営であって、そのときの限られた時間を共有することしかできないため、そくっりそのままツアー日程を秋に移行させることは難しい。そこで今秋はさらなる少数編成、テント小型化、20名限���公演と体勢をブラッシュアップさせ満を持してここ松本の地へやってくるのであります。 客席ソーシャルディスタンスを配慮し各公演20名さま限定公演となります。日曜日は昼公演もあり〼!我々野らぼうのゲスト出演もあり〼! この機会に是非ともお越しくださいませ〜🍖
2.稽古進捗 そんなわけで復調気味である9月。地味に8月、前作公演後は色々と思い悩んでいた。これまあまあいつものことで、公演に向けて稽古や準備が続き、さらに公演期間中となると全精神力を作品に没入させているので脇目も振らず四の五の言ってる暇もないわけですが公演終わって気がつくとプッツン今まで爆走していたときには気がつかなかった違和や不安や疑心や悔いに直面してしまい思わぬ沼に入り込んでしまう。今回の沼はフカカッタ。そんな折にいくつか考えを改めそのうちのひとつが人形劇団を改めるということで、(純)劇団としての稽古に取り組んできた8月、なかなか面白い稽古ができました。 まそもそも稽古ってのは公演が決まってから具体的に始まるようでは悲しい。なんらかの公演(本番)がなくとも継続的に続けられる過程として、日々の営みとして稽古があるべきであって(であることが理想で)、公演の日程が決まりそこから逆算して諸々のケツが決まり、そこから頭打ちで必要要素を当て込んで行くのでは豊かでない。その考え方、取り組み方そもそもが豊かでない。稽古というものはもっと平行線上に持続して重低音のように鳴り響かせてあって欲しい。 と��いえ、ケツ(お尻)は重要だ。何事も〆切がなければだらだら続いてメリハリも出て来づらい。だから稽古そもそもの取り組みの味わいも理解しつつ遠目に標的を捉えてそろりそろりと近づいていきたい。 9月はちょみっとステージングに近づいた稽古をするつもり。 それから客席テント建て込み練習というのもやります。おそらく9月の4連休に。場所は某所。その時期twitterに情報をアップするかもしれませんのでご興味あるかたは手伝っても手伝わなくても見に来てもらって大変歓迎でございます。そのための部材も現在発注中。今回はわたしもあまり使ったことのない部材を使ってどれだけ簡単チャっきり丁寧にカッコよく建てられるのかを試してみるつもりです。しかし一番試してみたいのは強度面であります。あたまの中で想像しているだけでは全くわかりかねるその全体像と現実味、そして強度。建ててみたらすんごいへなちょこなんてこともあり得るわけですから。それから強度面を意識して足し算を繰り返して行くうちに部材がもんのすごい量増えちゃうってこともあり得る。そんな時はプラン最初から練り直し。9月の4連休にヤッター!となるか全然ダメ全部無駄ガビーん。となるか、長いこと各所調べまわって決定したプランがうまくいくのかの答え合わせであります。 試してみなけりゃ決められない。でも買ってみなけりゃ試せない。じゃ買う頃にはほぼほぼ使える確証が欲しい。そんなわけで長きに渡ったテント妄想。試しに建ててみるのうふふふ、楽しみであります。
3.リモートユーチューバードキュメンタリー このなんちゃら禍の影響で一気に加速して日々に常態化するまで至った映像文化体系。 なんつってそんなこと言わずともずっと前から映像に触れる機会は増していたとは思いますがこの期間によっぽど必要不可欠になりまた触れざるを得なかったツールなのかと思う。ちゅみも最近たまーにTVをつけるとおもしろいほどはっきりと画面を見つめている。こうして何もない時間が埋まってゆく。僕たちの家に初めて白黒のプロレス中継がやって来た日から。 わたしが大学生だった時分にYouTubeというものはあったしYouTuberという名前だったかどうかわからないけど自分のチャンネルを持って視聴数を上げていけば大層稼げるらしいという話はあった。それが10年ほど前の話で、その頃にはいやいやYouTubeなんてもんは下火だろ、確かに便利だがそうそうこの流行りは続くもんじゃない、なんたるナンセンスと一脚して完璧に時勢の読みを間違えた先見の明ゼロのわたくし斜めとしても、このユーチューバー大フィーバーには大変驚いている。さらに今年のリモート〇〇の覆い被さり。まさかこんな流行が10年後にやってくるとは思ってもみなかった。そう考えてみると『映像』というものが発明されて以降その隆盛は右肩上がりに更新され続けていっているのかもしれない。まさしくとどまるところを知らない。家具のひとつにまで生活に落とし込まれたテレビ、そしてパソコン。さらに財布と鍵と同列に貴重品として携帯されているスマートフォン。そこに日々映し出される映像。ここまで人の生活に密接した素材から、ここには幸せを見つけられないとするその思考そのものがナンセンスなのかもしれない。現代を生きるには。 『映像』と関わることは『編集』と関わることでもある。と思っている。どこ吹く風とは違って流れる映像のひとつひとつは向こう側で誰かが必ず編集している。そこには人の手、人の意識が介入していて見せたくないものは徹底的に排除されたり、常に視聴者の関心を引きつけ続ける工夫が施されていて視聴者を退屈させない(退屈させてはいけない)ように働きかけてくる。ここんところのYouTubeの映像なんて本気でそうなっていると思う。そんな制作者の実験台になるのが嫌だと感じるか、快楽に感じるかは見る人や世代によって違う。そういった見る側を刺激してばかりの映像から離れたくて、ありのままの姿が見たいと考えてドキュメンタリーに興味がいったりもするがここでも程度の差はあれどむしろ純粋に編集というものが浮き上がってくる。 で、ここから大きく踏み込んで、んじゃ編集ってのは何かと考えると、編集は編集ソフトで切って貼って繋げることが編集なんじゃない。映像の編集っていうのはそのカメラを持ってカメラを回した瞬間に編集が始まっている。そこに切り取られる世界とそうでない世界に選り分けられて主体が主体だと認識されてそこに主眼が置かれた瞬間に編集は始まっている。映ってないものは描けないから。だから、編集ってのは見たいものを見るってことなんだ。テレビのチャンネルのザッピングもインターネットサーフィンも編集なんだ。この、見たいものを見るってことに超特化して転がり続けていった結果、ここに映ってないものはこの世に存在していないものだと認識したり、水族館で泳ぐ魚たちとスーパーで売られている切り身の鮮魚とが繋がらなくて魚がどこでどうやって切り身になって行くのかが想像もできない子どもたちが増えていったり、AIも悩まずに解を出したりして、ただ静かに流れる時間だとかメインではないけど必要だった時間だとかが楽しめなくなってしまうという意味で、この編集がもたらした思考の変革は大いに危惧しなければいけないことなのではないかと思っている。先見の明ないけど、懐古なのかもしれないけどそう思う。だって人生、メインじゃない時間の方が圧倒的に多いもん。
おしまい 🍖🗻🍑
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(【九州プロレス】公式ブログ 【2020年7月30日(木) 九州プロレス設立12周年記念『筋肉山笠`20』無料配信大会決定】のお知らせから)
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九 筋 連 万 歳 。 長野県にあるプロレス道場のなおき会長様もコロナ抹殺九筋連に参戦なさいました。 おめでとうございます。 トレーニングお疲れ様でした。 今日も1日感謝です。 /_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ BODYMAKING翔 ■九州筋肉補完連合会会長: 樋口 翔 ■〒 859-3806 長崎県東彼杵郡東彼杵町三根郷2883 ■TEL: 070-1947-5069 ■Mail: [email protected] ■LINE URL: https://line.me/R/ti/p/%40zhj8314m ■HP: https://bodymakingsyo.wixsite.com/nagasaki-training /_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ #長崎県 #佐世保市 #大村市 #諫早市 #佐賀県 #嬉野市 #武雄市 #筋トレ #ジム #ダイエット #整体 #肉体改造 #完全予約制 #マンツーマン #ボディメイキング翔 #九筋連 #元ボディビルダー #業界トップレベルのコスパ #三ヶ月間朝昼晩食事調査付 #継続あるのみ #骨々増築 #メンズ脱毛 #人生は筋肉 #大和~YAMATO~ #信念という名の我 #美しか男達 #筋肉バスター2020導入 #半径35㌔外フランチャイズ店募集 #YouTube世界の【翔 TIME】 #ジェル不要冷却メンズ脱毛 /_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ (東彼杵町) https://www.instagram.com/p/B-4rWLhBzsq/?igshid=crd72sa1iwzm
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