#よろゐ屋
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、���抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーショ��誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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よろゐ屋(Yoroiya)「ざるらーめん」
✔️Store name / Menu
✔️Topping : 玉子
✔️Nearest : 浅草駅
#ラーメン#ramen#つけ麺好き#つけ麺大好き#つけ麺部#つけそば#つけめん#つけ麺#つけ麺スタグラム#tsukesoba#tsukemen#shoyu tsukemen#浅草ランチ#浅草ディナー#浅草グルメ#浅草#asakusa#ラーメンジャケ買い#noodles#food#japanese#夜食テロ#tokyo
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙な��とに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い��あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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石の言葉
名古屋を巡る車の中で、静岡に砂丘があることを友人から教わった。鳥取以外に砂丘が存在することは意外だったが、私はちょうど、ぼうっと眺めるだけで済む単調な風景を欲していたところだった。というのも、このところ雑事に追われていたせいで、精神は干された雑巾のように疲弊しきっており、何事に関しても乾いた考えしか浮かばなくなっていたからだ。友人に請うて予定を変更し、翌日足を伸ばしてみることにした。
三月某日。朝から曇天。連休の中日であるせいか車道はしばしば滞った。昼過ぎにようやく浜名湖に着き、そばにある店で鰻を食べつつ、私は植田正治が撮影した写真を思い出していた。白い空と白い砂に二分された画面の中央に、黒い服を着た人物が立っている。現実から遊離した夢のような断片。まるでタンギーの時空にぽつんとある、マグリットのオブジェ。新しいのにどこか懐かしい、シンプルで強烈なイメージだ。そんな不思議な光景が、この先で待っているだろうか。重箱の蓋を閉め、肝吸いをすする。椀のなかにある黒い背景と白い肝のネガポジを反転すれば、近くて遠い異世界が現れるだろう。思いもよらぬ効果は、そのように簡単な操作で得られるのかもしれない。携えたカメラで何かを撮ってみよう。
中田島砂丘は浜松の南部に位置し、遠州灘に面している。砂は、その東端が接する天竜川の上流から運ばれてくるそうだ。駐車場に車を停め、滑り止めが敷かれた小道を歩いて登って行く。��を抜けると視界が開けた。友人が声を上げる。空と、一面の砂が広がっていた。砂原へと続く急斜面を、足を取られながら興奮ぎみに降りる。すると、不意に下方から視線のようなものを感じ、私は立ち止まった。目を凝らすとそれは人でも動物でも虫でもなかった。石であった。坂の下に、じっとこちらを見つめている石があったのだ。遠ざかる友人をよそに、砂に顔を打たれながら、私はそれを見た。あたりにごろごろ転がる石とは何かが違う。風と波の果てしない響きのなかで、その石は白くきわだち、寂しそうだった。
私たちにはどこか通じ合うものがあった。ルートを外れ、靴にざばざばと砂が入り込むのも構わず、石のもとまで無心で下って行った。拾い上げると、それは花崗岩であった。美しい卵型をしており、側面に少し平べったい部分がある。表面はチョコチップアイスを思わせる、白にわずかな黒のまだら模様。握ってみるとたしかな重みがあり、旧知の仲でもないのに、手にしっくりとなじんだ。持ったまましばらく考え、その石を散策の相棒にすることに決めた。
石は、大人しい。しかしその性質はなかなか気難しい。浜を東へ歩いていく途上、こいつをどう扱おうかと悩んだ。ぐっと握りしめたり、持ち上げたり、掲げたり。ときに置いたり、立てたり、回したり。はたまた投げたり、落としたり、転がしたり。その全面が顔ともいえる、しかしいっさい動いてくれないカタブツをなだめすかしながら、何枚も写真を撮った。そのうち何やら、石の言葉が聞こえてくるような気がした。しかしその言葉とはいったいどんなものだろう。
雨に濡れて。/独り。/石がゐる。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。
そう書いたのは詩人草野心平だが、なんでもない石について、石そのもののごとく簡潔に、そこに秘められた歴史と存在の必然性を言い表している。なおかつ映像的でもあり、事物を外部から見た限界ぎりぎりのところを巧みに描写している。とはいえ、それは石の発した言葉ではなく、あくまで人間から見た石の姿にすぎない。最終的にその主張を想像して汲み取るのは我々読者だ。詩人石原吉郎によれば、詩とは「沈黙を語るための言葉」だという。結局、我々が読めるのは「書かれた詩」でしかない。ほんとうの詩は事物と感興との沈黙の関係にあり、口にしたとたん霧消してしまうたぐいのものなのだ。ただしその意味で、カメラは言葉と同等に詩をつかみ得る道具となる。
石の言葉の意味は石にしかわからないが、聞くことはできる。それは��成と漂着の場所にこだまする音に根ざしているはずだ。ここは砂丘。海と空と砂と風がある。それらを組み合わせて固めた言語が質量となって、いま手のなかにある。石の組成、つまりこの風土の中心に改めて石を据えてみようと思った。空へと放り投げて、あるいは、太陽と重ね合わせたシルエットに向けて、シャッターを切る。一連の試行錯誤の末、徐々に一個の石の多様な側面が見えてきた。浜にある無数の石の中、風紋を斜めに切る光彩と陰影の間、人の足のような流木の上、それぞれの関係性の中で石は表情を変え、異なる何か訴えかける。それは静かだが、熱のこもった対話であった。
石のようになかなか動こうとしない私に友人はやきもきし、途中からどんどん先に進んでいった。帰りがけに走って追いついたところ、持って帰るつもりかと聞かれた。私は黙って首を振り、堆砂垣の向こうにそっと転がした。ホテルに戻ると、お気に入りを見つけたと言って、友人はポケットから小さな黒い石を取り出してみせた。彼は彼で写真を撮っていたらしい。そうしてにやりとしながら差し出されたカメラの画面には、私と石の出会いが切り取られていた。少し笑うと、名残惜しさが込み上げてきた。ふたたび永遠の海亀の卵へと還った石は、満月とともに夜を語り明かすにちがいない。ここちよい疲労に包まれてほんとうの石となった私は、夢幻のなかでその会話を聞いただろうか。
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ガンバレるーや
夜も深々と更けて夏の今頃なら時もちょうど丑の刻、しかしお化けが出るのは何も夏だけとは限らない、こんな深夜にもどこかで電話をして商売の話でもしているのか、その人物は私の勘ではおそらくコロナ過でそれまでうまくいっていた仕事が思うようにいかなくなり、今必死になってその巻き返しをしているのではないか?、と。人知れず夜も寝ずに努力するからやがてそういう人物が成功するのがこの世の常、そう言えば麻生副総理も何やら今回もまた物議をかもす話をしたとか、ハハ人を褒めたことがない人物は照れ隠しにそんな話をするものだが、大臣として人の上に立つ人物が他人に言われずとも動くなぞ当然のことで、それくらいのことで褒められても当人は大してうれしくもないだろう、大災害が起きても動くことさえしない担当大臣が居ることを心配する方が同じ政治家として人らしくはないか?。それよりも今夜は人に笑われるのが商売の芸人さんの話でもしようか、いつもの日曜日二人の女芸人さんが今夜はインドネシヤに言ってきたというたった3日で現地の文化を習ってきたという話し、それにしても<ガンバレるーや>という名前が芸人さんになる前の二人の物語を既に語り尽くしているような、ハハ。だからこそあんな苛酷な仕事でも頑張れるのだろう、それから見ると政治屋さんなど実に甘やかされた商売ではないか。自分と同じ人間を殺しておいて祝杯を挙げられるなぞよほど人間を見下げるご身分でなければそんなことはできまい。今の世にはそれこそ生きるために夜も寝ずに必死になっている人たちがごまんといるのだ、今ちょうど午前二時、そんな人たちが今眠らずに何をしているか、それを思うだけで私も気持ちが疼く、つい先ほども外国人の女性が軽自動車で人目を忍ぶように静かに出かけて行った、そしていつも夜明け前にそっと帰ってくる。彼女も生きるために言葉も分からぬ国で必死に生きている、その命を誰がどんな権利で左右できるものか。そんな人たちの生き方がほかの誰かの生きる支えになっているのが世の中というものだ、<ガンバレるーや>という名前の人たちが今日本中に溢れているのだ。
ー酔ゐの眼に凍てつく星の縄暖簾ー
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大掃除してない、年賀状書いてない、おせち作ってない、帰省もまだしてない、仕事が忙しかったとかでもない、年末〆切の何らかに応募もしてない、洗濯物たたんでないし、洗い物もほったらかし。
ほんとになんもしてないのに、なんかこう年末というのは落ち着かないというか、リズムが崩れる感じがあって、いつものことがいつも通りにできなくてもどかしい。やけにのどが乾いて、麦茶をひたすら飲んでいる。おなかいっぱいで苦しいのに何やってんだろう。
TikTokで渋谷スクランブル交差点のライブカメラを眺める。カウントダウンで集まってきたとおぼしき人々でごった返していて、今年は警官や警備員の人数も多い。警備の人たちがずらっと並んだ交差点を、大勢の人がぞろぞろ列を作って横断し、すれちがう人とハイタッチしている。人の流れがかなり整理されているのでハイタッチはなんだかフォークダンスみたいだ。奇妙な眺めだけども、渋谷のニューイヤーって感じだなあと思う。
1月1日になって夫の実家へ。おせちを食べてゆっくり過ごして、なんだけど、わたしはなんだか疲れて…というか頭痛がしてきて、ひっくり返ってしまった。
一戸建ての家の寒さと、こたつ&ストーブの温かさに不慣れなのと、座卓の立ち座り…というか座卓でのふるまいがあんまり得意でないのも。あとずっとテレビがついている感じとかWi-Fiのない心細さとか。そういうあれこれが頭痛を招いた。こめかみがずきずき痛み、それがだんだん上顎まで響いてめまいがした。
ほんとにまあわたしがワガママというか、ちょっとふだんと��がう動きが多いとすぐ調子を崩してしまう。今さらそんなに気を遣うような間柄でもないし、とてもよくしてもらっているのに、感じ悪いだろうなあと思いつつ、いまは二階で寝かせてもらっている。たぶんだんだん体力がなくなってきて、むしろ二十代の頃より変化に敏感になっている。
寝て起きた。たぶん一時間くらい。用意してもらった布団がほんとにあたたかくて、さっきまでつめたかった足がすっかりあたたまった。自分の家のよりよほどいい布団だ。ちょっと寝たら元気になりました、お正月にすみません、ご心配おかけしました、とヘラヘラ謝る…という夢を見ていた。一時間くらい寝て起きてをたぶん二セットやっていたようだった。Wi-Fiのない戸建ての家が苦手で具合が悪くなっちゃいましたなんてさすがに言えないよなあと思っている。さっき、夫の母が夫のいとこの娘の写真を見せてくれて、わたしは妹の子の写真を見せた。会ったときはいつも、自分ちのではない子の写真を見せあう。
年末は、25日にうろこさんとお茶(唐揚げ)して、29日に鳩さんと軽く飲んで、30日につたゐさん森瀬さんとオンライン飲みした。とてもリラックスして、あんまり楽しかったので、きっと反動がきているんだと思う。
布団の中で何度も寝返りをうつ。頭が痛いしのどがかわいた。2022年のまとめとかなんかいろいろ感想とか今月〆切のアンソロ原稿とか、書きたいことがいくつも思い浮かぶ。読みかけの本も。
さっきのテレビで、ほんとにまあお笑い芸人にはいろんな人がいるなあと思っていたらトラジャが出てきて、うれしかった。いつもどおりキラキラしていて、でもちょっと緊張しているようすで、袴姿なのにピシッと踊るしアクロバットも決める。いやすごいけど袴で踊らせなくていいだろ。生放送で、いろんなゲームなどの後で床もなんか散らかっていて、司会の人たちも長時間で疲れているのかなんか雑な紹介だったし、あんなとこでパフォーマンスさせるなよ〜〜と思った。でもほんとによかった。いま布団の中だけど頭の中でまだ響いている。
そろそろ一階に行こうかなあと思う。この部屋の雨戸を閉めた方がいいんだろうなあとも思う。結婚してもう長いのに、わたしはいつまでもホームステイの子みたいだ。
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あけましておめでとうございます。すごい調子悪いみたいですが元気です。元気です!
1/15に文学フリマ京都があるので楽しみです。Wi-Fiのある自宅に帰ったらまた何か書くのと、tumblrやTwitterをいろいろ遡ろうと思います〜。がんばれ〜〜。
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日程:8月1日火曜
イベント名:「第一火曜日・魔ゼルな規犬の企画する日」
@高円寺無力無善寺 https://muzenji.web.fc2.com 杉並区高円寺南3-67-1 開場18時 開演18時半 料金:千円(ドリンク付き)
出演(アイウエオ順)
ゐ忌レ+全路リン
終末大明神
終末亭 厄丁
タケモトタケコ
謎の超能力者戸田
? meytél
優城貴子
===時間割予定====
18:30開場 18:40~終末亭厄丁 19:10~終末大明神 19:40~ゐ忌レ+全路リン 20:20~謎の超能力者戸田 20:50~優城貴子 21:20~タケモトタケコ 21:50~? meytél
==出演者詳細=====
「ゐ忌レ+全路リン」
「ゐ忌レ」
https://twitter.com/tatumihijikata1
http://id42.fm-p.jp/354/kmfdmno3/
ノイズ、絵、人形制作 自主イベント「新迷信」主催
自主レーベル「夏ゴミ屋敷CD-R」
映画と音楽と絵と暗黒舞踏等が好きです 元、睡寂舞踏家、夜勤、
くそリプ対応保証、 自らの罪を認め贖罪をしていきます。
(月)(火)休み。悪人
「全路リン」
全路(うつろ)って読みます、宜しくお願いします。
Mayhem、Deadの信者🤘📷 デスボイスだして遊んでますー。
【追記】 通話DMリプ無言なんでもOKー♪僕に限ってはなんに🤘
「タケモトタケコ」
https://twitter.com/takemoto_takeko
instagram.com/tv/CTcfzirJujR…
タケモトタケコ&THE SLAVESのフロントマン。
歌をつくってウタう歌ドカタ🕺🏿📷
バックバンドTHE SLAVESのメンバー随時募集。
処女音源集 #密贈酒 通販アリ〼。
購入を御希望のお客様はDM頂けますと幸いです。
「終末大明神(下僕1号(王様と下僕)aka DJ Ü × Samhara ×魔ゼルな×全路リン)」
:下僕1号(王様と下僕)aka DJ Ü
https://twitter.com/geboku1go
"東京都内でデザイナー、イラストレーターとして活動するかたわら、
バンド「王様と下僕」では下僕一号、「霞鳥幻樂団」では
内田遊山、 「SSORC」ではEinherjar Uthern(エインヘリャル・ユーザン)、
「羅生悶」では鬱血胃としてギターやらベースやら弾いてます。
Ü、U3、Götediener名義でDJとしても活動中。
" 「王様と下僕」HP: http://www.ousamatogeboku.com
:SAMHARA
http://nishikawasachiko.web.fc2.com/index.html
編集者。画家
2009年12月グループ展参加
2010年5月 Yasda art linkにて個展
2010年6月川口そごう展示
2010年7月L’atelierにて個展
2010年9月galerie Hにて展示
2010年9月銀座三越にて展示
2010年の手帳の表紙に起用された
虎猫の絵柄の手帳はオン・サンデーズにおいて
過去に例をみない売り上げの速さで完売した。
「魔ゼルな規犬」
https://mazelnakiken1.wixsite.com/mazelnakiken
魔ゼルな規犬@UUcYqD04WdFKeSu は
街中での広報担当のシマウマ と
生きた超能力ドール @ndkwandsk と
広告モデルの青砥撫子 の 三名によるV系バンド
あと 野生の生きた飛ぶタイプの虫 全部がメンバー
(英語表記: ㎜∀Ζё∟μИÅК↑Ж∃∩)
「終末亭落太郎」
https://twitter.com/merry_menace
UNDIE MERRY MENACE、宇和川竜太 /
K殻都市 https://twitter.com/Kshellcity のgt.vo/
ポスダダ迷景主義(ミラジュイズム)
「謎の超能力者戸田」
https://twitter.com/ecoecoazarachi
https://t.co/UUiLnpGBHL
謎の超能力者戸田です。 銀河系に住むオセロ七段。
催眠、気功、伝授できます
「催眠サークル人間失格」の代表。
http://blog.livedoor.jp/mesmerism99/
有料noteあります
https://note.com/todatomoya111
「? meytél」
https://twitter.com/mmmmeytellll
メーُテル はِ 透明 ・ピْアノْ と歌の強い魔法・靈 ٍْ ・夢 ِ ْ・ًْ🐈
⬛とてもかわいいねこポコ
健ًِ康ًْ ポンピْドゥٍِーセンُター 誕生日: 1月19日 https://soundcloud.com/meyt-l
「優城貴子」
https://twitter.com/yuukitakako
フィクションです。蝶。3月中旬頃までに清算したい。
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川��ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
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令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音��好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや���のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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【3615日目②】2022-12-10 義理の兄である南場四呂右クンと、かわいみさとサンの二人展へ。 「めでたゐ」〜しめ飾りと雑草〜in「ゐ」@松陰神社前 ____________________________________ and CURRYのカレーとシロウ兄のカレーが一皿になった会期限定プレート。 *根葉と豆乳のカレー(and CURRY) *ほころびチキンと大豆 こんにゃく 昆布入りカレー(南場四呂右) and CURRYのゆきなさんが、まだたこ焼き屋で間借りをしていた頃、シロウ兄とカレーを出す日がありました。ちょうどあの日も豆乳のカレーだったなぁと思って遡ってみるとちょうど6年前!(2016.12.11)しかも、根菜と豆乳のカレー(and CURRY)と大豆キーマ(南場四呂右)。「今回は打ち合わせ無しでコラボしてみた」と言っていたけど、運命なのか超シンクロしている… 優しい豆乳スープの中。野菜ひとつひとつの味が鮮明に立ち上がってくる。それでいて、ほっとする味わい。ゆきなさんらしさが光る冬のカレー。 煮崩したチキンを「ほころび」と呼ぶシロウ。大豆、こんにゃく、昆布、旨味をポイポイ投入してギュッとギュギュッとスパイスでまとめたカレー。かなりインパクトがあるのですが、どこか和を感じるのは、今回の展示に合わせているのかな。 美味しすぎて、限定と知りながらもお代わりしちゃいました。カレー王子もおいしくいただきましたよ。 本日カレー2食目❣️ どちらもおいちぃ〜👶🏻 【展示について】 「いろんなものをあらためて愛でてみる」シロウワールド全開の展示。各地で撮り集めた雑草の写真は、自家製のシナモンを漉き込んだ紙に印刷されています。紙から作っているという狂気の沙汰。思いついたら突き進む兄らしい沼のハマり方。なんでこんな大変なことをはじめたんだ…と文句を言いながらニヤニヤしてたんだろうと想像すると、ぼくも嬉しくなります。文句を言ってる兄はいつもどこか楽しそう。そんな沼から掬い上げた、兄らしい言葉を綴った文字列も展示されておりました。 ひさしぶりのかわいさん。しめ飾り活動は年末のSNSで何度か見ていたものの、実物を見ると存在感が違う。色も違う。手に触れることで、幸福感が違う。まるで手で食べるインド料理のようです。 斬新に感じた「しめ飾り」は、実はどれも伝統的なデザインなんだとか。ひとつひとつ説明を聞くとハマる気持ちが分かってきました。その昔、家紋にハマって、墓参りならぬ墓巡りをしていた自分の青年時代を思い出しました。 無知でいたことが感動に変わる。ありがたゐ。 お正月のしめ飾りは、亀に決めましたよ。 ____________________________________ 🇯🇵 #365curry #andCURRY #instafood #asianfood #asia #spice #foodpic #foodstagram #tasty #spice #currystagram #curry #morning #art #しめ飾り #松陰神社前 #かわいみさと #南場四呂右 #アンドカリー #スパイス #カレースタグラム #カレー #ゐ #フクドローン #ふくすたぐらむ ↓and CURRY @andcurry.official @yukinaa.m し南場四呂右 @365curry https://www.instagram.com/p/CmYFUMJyYZ7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#365curry#andcurry#instafood#asianfood#asia#spice#foodpic#foodstagram#tasty#currystagram#curry#morning#art#しめ飾り#松陰神社前#かわいみさと#南場四呂右#アンドカリー#スパイス#カレースタグラム#カレー#ゐ#フクドローン#ふくすたぐらむ
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琉球スタイル クリスマス🎄♪琉球スタイル クリスマス🎄
うちなーぐちぐゆみ11月26日(うらんだぐゆみ2022年12月19日)
くねーだ、 アイムホームるる 会社が ちゅくたる やーとーてぃ クリスマス デコレーションぬ ショールームが あいびーたくとぅ あしびんが いちゃびたん。
やちむん、紅型とぅか るーちゅーぬ むぬ ありくり ちかてぃ いっぺー じょーとー やいびーたん。
ちゅーや いひぐゎー うとどぅき さびら!
―
この前アイムホームという会社が造った家で、クリスマスデコレーションのショールームがあったので、遊びに行きました。
やちむん、紅型とか琉球の物をあれこれ使って、とてもよかったです。
今日は少し紹介します。
やーんけー いーねー、てぃーあらいる ながしぬ あいびーたん。なまぬ やーや ふーち対策ん りっぱん さっとーびーんやー。
―
家に入ると、手洗い場がありました。今の家はコロナ対策もちゃんとされていますね。
わーびとぅ ゆかー ちゃー、 あんさーに かべー しーるー やいびーくとぅ、ゐー コントラスト なとーびーんやー。 電気ぬ あかあかーとぅし ぬくはる ふーじ♪
―
上と床は茶色、それから壁は白なのでいい感じのコントラストになってますね。電気は明るくて温かみのある感じ♪
にぎりんけー いきねー しむぬ あてぃ、りっぱんぐゎー ひぬかぬん あいびーたんどー。なまぬ やーぬ ひぬかのー ビルドイン🤣やいびーんやー。
―
右側には台所があって、ちゃんとヒヌカン(火の神)もありましたよー。今の家のヒヌカンはビルドイン🤣ですねー。
テーブルセット さっとーしが、はっし! あんし ちゅらはいびーる!紅型ぬ てぃーさーじ やいびーんり。シャンパン いりやーや やちむん やいびーんり。
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テーブルセットされてるけど、はっし!とても美しい!紅型のナプキンですって。シャンパン入れは、やちむんですって。
にーけーやいびーん。紅型ぬ まっくゎとぅ ベッドスカーフ ちゅらはぬよー。
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2階です。紅型の枕とベッドスカーフおしゃれ。
びんちょーする 部屋とぅ くゎぬちゃーぬ 部屋。窓んけー 紅型さーに ガーランドちゅくてーびーさやー。ゐーかんげー やいびーっさー。わんにん わらびぬ じぶんに くんねーる かざいぬあいねー、紅型ぬ いるとぅか 柄とぅか なーひん しちなたるはじ。。
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勉強部屋と子供部屋。窓には紅型でガーランドを作っていますね。いい考えですわー!私も子供の頃にこんな感じの飾りがあったら、紅型の色とか柄とかさらに好きになっていたはず。。
クリスマスぬきーんかいん 紅型 オーナメントぬ あてぃよー。はっし ちゅらはぬ!くれー 100均から カプセル こーてぃ、なーかんけー 紅型ぬ 布 いりーびたんりろー!
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クリスマスツリーに紅型のオーナメントがありました。はっし!可愛い!これは100均でカプセルを買って、中に紅型の布を入れたそうですよー!
ゐーばー くまんけー ちゃーびたっさー。
わんにん るーちゅーぬ むん くんぐとーし インテリアんけー ちかいぶーはーびーさー。とー、土曜日や クリスマス やくとぅ やー ちゅらーく さなやーり!
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ここに来れてよかったですー。
私も琉球の物をこんな感じでインテリアに使いたいです。
さて、土曜日はクリスマスですから、家を可愛いく飾り付けしよっと。
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2023.1 うたの日
い���もよりあどけない顔をしたきみの帰省土産のほのかな苦さ(2023.1.10)
もういないはずの隣家の番犬の小屋にいまだに目を向ける冬(2023.1.11)
私にもまだやれることがあるはずと信じて折込チラシをめくる(2023.1.13)
手には針 雑巾を縫うわたくしの内側に火はくすぶっている(2023.1.14)
黒々とした松原を駆け抜ける夜行バスから放つ羽衣(2023.1.15)
やれることをやろうと思う スーパーで半額値引きの弁当を買う(2023.1.17)
打たれても打たれてもなほ鯛焼きの尻尾のにぶさに救はれてゐる(2023.1.19)
わたくしがいなくとも日々は回る��だ使いかけの麺つゆは冷えこむ(2023.1.21)
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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
(事件のあらまし) 朝鮮の上々官名ハとううんとうと申を、対州の家中通詞役鈴木伝蔵といふ者、右上々官を鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し自害の体をしつらいさし殺しけり。右上々官ハ日本にて大目附役の人なるよし其趣を聞に、西国にて人参を荷打せしと偽りて金銀を私欲したる事ありて此役人に伝蔵より返済せねばならぬ金子有しを毎々催促しける、大坂にて相渡べき約束なりしをいまだ相渡さず、よって厳しく催促致しける故、何とやら私欲の義も露顕に及ぶべきやうになりしゆへ止事を得ず、右のごとく害しける由也(『明和雑記』)。
(犯行現場および時刻) 西本願寺津村別院棕櫚の間(朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図)。初七日戊子陰寒(『趙済谷海槎日記』)。コメント欄に写真 ▼朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図 조선인래조대판려관서본원사좌할겸소옥괘회도 京都国際学園「関西に残された朝鮮通信使の足跡」より。
(殺害方法および凶器) 寝所へ忍入、鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し、自害の体をしつらいさし殺しけり(『明和雑記』)。関の兼永の槍(『通航一覧』)長さ4寸ほど(『差上記』)。
(事件の目撃者) このとき賊は、三房格軍(水夫)の姜右文の足を誤って踏み、驚いて目を覚ました姜によって目撃されている(『日東荘遊歌』訳注)。
(指名手配) 一 行年廿六歳 一 背ノ高サ五尺三寸中肉にて顏の色白ク眼は少シ大キク張強シ人体骨柄賤からず 一 其節之着類黒羽二重之袷下には群内大嶋の襦袢 右体之者見付次第訴出候ハゝ御褒美被下候間可遂吟味者也 四月九日(「鈴木伝蔵人相書」)。
(犯行の動機) 崔天悰は高麗人参の密貿易に絡んで鈴木伝蔵を叱責した。事の露見を恐れた伝蔵が崔を殺害した(『明和雑記』『摂陽奇観』)。伝蔵の自白によると、人参の取引がもとで殺したというが、真相は到底わからず(『日東荘遊歌』)。
(事件の背景) 朝鮮と対馬の通詞が手を組んで密貿易(積荷の横領)を繰り返していた(『扶桑録』『東槎日記』「海遊録』)。舞台は主に大坂であり、一行はできるだけ長く大坂にとどまろうとした(『扶桑録』)。「裨将の言うままに放っておいたら《略》崔天悰事件のようなこと必ずやまた起こるでありましょう」(金仁謙)。※鈴木伝蔵は通信使が絡んだ密貿易の一味。崔天悰もそうであったかは不明。
(事件の余波) この一件を初めに歌舞伎化したのは並木正三で、67年(明和4)2月大坂嵐雛助座(角の芝居)で《世話料理鱸庖丁(すずきぼうちよう)》を上演。史実に近かったため2日間で中止を命ぜられ、ただちに奥州藤原の世界に改めた《今織蝦夷錦》を上演した。『世界大百科事典(旧版)』【韓人漢文手管始】より。
(写真)「世話料理鰭庖丁 絵番付」1467(『摂陽奇観』所収)
(浜松歌国は)鈴木傳藏の朝鮮信使殺害事件を詳記し、次に其の事件があってから四年目、この事件が角の芝居嵐雛助座に於て、並木正三により新狂言に取組まれたことを書き加へたのみでなく、當時板行の繪番附を其のまゝに貼りつけてゐます。この鈴木傳藏事件が上演されたは、歌國が生れる十年前のことで、その當時の繪番附を手に入れることは容易ではなかつたらうと思はれます(校訂者識)。『浪華叢書 第四』より=写真も。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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今日から大阪平野区のGallery hana輪さんにて会期中の企画展「Wellcome! Zoo」に出展しております。 お品書きの通り、デフォルメ絵の色んな動物グッズとアクリルガッシュ原画を展示販売していただいております。 よろしくお願いします。 19日(木)に在廊する予定です。※みゐ輔丼名義で参加。
会期:2024.9/18(水)~9/22(日) 時間:13時~18時 場所:大阪市平野区背戸口5-6-20 フレンズビル1F北号 ※大阪メトロ谷町�� 平野駅7号出口より西へ徒歩1分 鳥貴族の入ったビルの正面階段を上がって一番奥です。
※イラストや画像の無断使用、転載、二次加工などは止めてください。 Don’t use any of my illustrations and pictures without my permission.
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LeaFie(リーフィー)さん作曲の「高原のパン屋さん 〜Bakery on the hill〜」の ジャケット絵を描かせていただきました。 Youtube、Spotify及びインスタのリールBGMにて聴いてくださると嬉しいです。
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「虚子への俳話」173
「花鳥」令和5年7月号より転載
「七宝会」
魚鼈居る水を踏まえて水馬 虚子
昭和十年七月十一日七宝会。井ノ頭公園茶店
七宝会は大正十一年に設立された宝生流の能楽者たちの会。主立ったところでは、近藤ゐぬい、池内たかし、松本長、松本たかしなどが居た。 ふだんは能楽堂などで行われたようだが、この日の句会は少し歩をのばした吟行句会であるらしい。
日よけ巻いて涼しき日なり沼の茶屋 虚子
同日の句にこれがあるが、ルポルタージュ的な付属の句であるばかりか、「日除け」「涼し」などの季節の言葉がうるさくて、なんともいただけない。
たぶん今でも公園の西側にある御殿山のふもとあたりに一軒の茶屋がある。また、池を横切る七井橋のたもとにも売店と茶屋がある。はたしてどちらが当時からの存在かはわからぬが、今でも井の頭池をぐるりと廻りながら見るとこのような景色がある。
魚鼈(ぎょべつ)とは魚とスッポンのこと。現代でも、ここで言う魚(おそらく鯉くらいしか居ないだろう)もスッポン(ただし大型の亀)もミズスマシも井の頭池には生息している。
風景としてはあたりまえのようだが、魚鼈とくると水底に潜んでいるおどろおどろしい魚類と両生類の雰囲気が出ている。それらをミズスマシが足をふんばって押さえ込んでいる雰囲気もなかなか愉快。
景色の方向としては、茶屋の奥に虚子らが居てそこで休息をとりながら池の汀、あるいは池の果てを遠望している。まことにのんびりとした景だ。 が、宝生流の親子、とくに松本たかしが能楽を病気によって挫折したこと。あるいは池内たけしが「ホトトギス」発行所の仕事に暇をもてあましていたようなことを思うと、こんな好き日に壮年男子の俳人たちがのろのろと散策する姿は滑稽のような��しいような雰囲気になってくる。
余談だが、後の宝生英照という家元は私の小学校からの同級生であった。小さい頃はとても親しくし、家を行き来した。しかし二十年くらい前に外国で不慮の死を遂げたという。彼は俳句はしなかったのだが、しておればそんな事にもならなかったのかなと思う事もある。
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結局今月も何もしなかった
「4月になったらバイトするわ!!www」とか言ってたけどまじでなんもしてません しいて言うなら履歴書を書いたくらい まだ証明写真も撮ってないし新しいバイト先に応募(?)すらしてない 俺は何をしてるの?
『MOTHER』の実況動画を公開した
詳しいこととか感想は先月の記事でべらべら喋ったから書かないんだけど、すごく面白いゲームで、やりごたえがあった けど、その分編集が大変になり、動画時間も大変なことになってしまった 一気見するのもいいけど、目とか体に悪いので少しずつ見るのをおすすめします 自分の好きなスタイルで見てくれ!! 「長い動画は見れないよ~」とか「partごとに分けて見たいよ~」という人たちのためにニコニコ動画に数partに分けて投稿します だいぶ先の話にはなると思うけどね まずは電波人間のRPGを全部投稿しきろう ニコニコ動画に投稿するときはまたTwitterで告知します
Helvetica Standard(1)(2)を読んだ
あらゐけいいち先生の短編4コマ(?)とか資料集で、アニメ日常で見たことがある話がちらほらあってなんだか懐かしく感じた 「ドッ!!」と笑うような感じではなく、「クスッ」と笑えるような感じで面白かった あらゐけいいち先生のイラストもあって、水彩絵の具とか色鉛筆で描かれた感じがすごく温かみを感じてよかった 本当はこの本を紙で欲しかったんだけど入手するのが困難で、どこの古本屋に行っても見つからなかったので電子で買った あんまり電子で買うことはないからなんか新鮮だった
tumblerを始めて3年経ったらしい
え、もうそんなに経つ? 3年もこんなよくわからないことしてるのか 僕は本当に飽き性ですぐにやめてしまうことがあるのだけど1か月に一回こういう風にブログを更新し続けているのはいいことだと思う あとで読み返して「そういえばこんなこともあったな~」ってなることもあるしね
3DSとWiiUのオンラインサービスが終わった
僕は3DSのオンラインサービスを特に利用していて、この話は何回もしたことがあるのだけど、まだ家にインターネット環境が無かった頃は3DSを持って駄菓子屋に行ってそこでニコニコ動画とかYouTubeとかを見て育ってきたのですごく思い出がある 家でインターネットが使えるようになった時もうごメモで活動し始めてとび森で一緒に遊んだりしてた スプラも本当は発売されてから割と早くに買ったんだけど当時はオンライン専用のゲームだって知らずに買ってひたすらに風船バトルとヒーローモードをやってたな 懐かしい オンラインサービスは12~13年くらい続いたのかな? 最高の思い出をありがとう
スプラでホクサイを使ってる
スプラ1で特にホクサイを使っていたのを思い出してなんとなく使い始めた 最初は全然思うようにいかなくて大変だったけどだんだん慣れてきていい戦績を出せるようになりました とりあえず熟練度5を目指して頑張ります
『BACKSHOT ROULETTE』というゲームをプレイした
結構頭を使うゲームで、どのタイミングでどのようにアイテムを使えばうまくいくかとか、確率的に自分に撃つべきなのかとか、なんか頭を使ってゲームをしてる!!って感じがしてとても楽しかった これ350円くらいで結構長い時間遊べるのでおすすめです コスパがいい
桜が咲いた
綺麗だった
太鼓の達人で初めて全良した
太鼓の達人を本格的に初めて7年くらい経つのにまだ全良したことがないのはまずいか…?ということで全良を狙ってみることにしました 初めての全良はさくらんぼでした とても短くて簡単な曲だけどとても緊張したし、なにより嬉しかった 65回くらい演奏したらしく、めちゃくちゃに沼ってた
雨宮さん(2)を読んだ
あらゐけいいち先生のふわふわした世界観がとにかくたくさん詰め込まれた漫画で、読んでてとても幸せな気持ちになった 雨宮さんは日常に潜んでるよくある『好き』を見つけるんだけど、例えば卒業式にもらうあの筒を『ぽんっ』てやったときにでる音とか扇子を思いっきり『パンっ』って閉じるあの感じとか「言われてみればたしかに好きだな」みたいなことがこの漫画を読むとたくさん見つかる あとこの漫画急によくわからない試合とかが始まって「なんだこれ?」ってことがよくあるんだけどそこもよかった あらゐけいいち先生の描く絵の感じとか効果音とかセリフ回しが本当にたまらなく好きで読んでてとてもいい気持になりました
MIDIキーボードを買った
32健の割とコンパクトなやつ つい勢いで買ってしまった 「作曲してみたい!!」と思って躁状態の時に何も考えずAmazonでポチってしまった たぶんギターとかと同じで何もできずに挫折してインテリアになります 僕の悪いところです
4月もあっという間に終わりました
僕は何もしてませんし、少し精神の状態が不安定になってきました
俺はこのままでいいのか?いいわけない
まじで5月こそ、5月こそ働ければいいなと思います
というかもう本当に死んでしまいたい
生きてるのがつらい
終わり
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