#bookmark202006
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いずれそういう批判が起きるだろうなとは感じていた。
例えばロシア人女性に「美白」とか「ホワイトニング」というと「必要ない」と反応するどころか、日常生活でUV量の足りないロシアや北欧の人達にとって、バカンスでしっかり日光を浴びる(日に焼けている)ことが健康的な証とされてきたため、色白はむしろ嫌われる傾向がある。
一方日本には「色白美人」という言葉があるように、色黒より色白の方が良いとされてきた。
だからいわゆる美白製品は日本を主としたアジアで人気がある。
化粧品(医薬部外品含む)における美白製品とは、メラニンの生成を抑えるビタミンC、アルブチン、ハイドロキノン、プラセンタ、炎症を抑えるトラネキサム酸、くすみを改善するコウジ酸などが主成分なので、「色白化」というよりは日焼けによるシミとそれに伴う炎症を防止し���肌のターンオーバーをサポートすること(=くすみ改善)で顔を明るくする効果が期待されるもの。
そこを昔からの名残(アジア人の白人への憧れ?)で「美白」とか「ホワイトニング」と表現し普及してしまったことに問題がある。
美白製品の販売を中止する必要はなく、「美白」という表現を本来期待される効果に沿ったものに変更すれば良い。
ロシアや北欧女性達も、日光は浴びたい(ビタミンDを生成したい)が「シミはイヤ」が当たり前の反応なので、結局はメラニンの生成を抑えるこれらの製品の消費対象者。
というわけで表現を改めるだけでイイ。
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あるウイルス感染症の検査を受けたとする。その検査の精度は99.99%で、リスクの少ない(感染の危険がある行動をほとんどしていない)人々1万人を対象としたものだった。だが、あなたの結果は残念ながら「陽性」だった。この場合、あなたがウイルスに感染している可能性はどのくらいなのだろうか。
ほとんどの人は、「ほぼ確実に感染症にかかっている」と思うのではないだろうか。なるほど、99.99%というのは、かなり高い精度だ。しかし、それはイメージにすぎない。ある条件のもとでは「ほぼ半々」、50%なのだ。
「ベイズの定理」を知っている人なら、きっと「ほぼ確実」とは思わなかっただろう。
この条件だとベイズの定理は必要なく、中学校の確率の知識で十分。
精度99.99%の検査は、1万回行えば1回はエラーが出るということだから、1万人検査して1人の陽性反応が出ても、真の陽性かエラーかワカラナイ。
ということ。
確率はオモシロイ。
しかし確率を良く理解しないまま確率をあてはめすぎると、
平均的な人が同じ事の繰り返し作業で間違える確率は10〜30回に1回だから、精度の高い検査は意味がない。
という「?」な結論に導かれやすい(笑)。
根本的な帰属の誤りも基本的なことだがオモシロイ。
ある成功者が「毎朝服を選ぶのが面倒だし、迷って時間を消費するのはもったいないから、同じものを何着か買って交代で着る」と発言すると、「服選びに時間をかけているから私は成功しないんだ」と信じ込む人がいる。
しかし成長���程でその思考回路に至った時点で、服選びをやめても成功しない。服選びの時間を節約しても、その間に大したことは考えないから(笑)、せっかく節約した意味さえないどころか、培ってきた個性さえも失われる。
ウォーレン・バフェットの朝食が毎日マクドナルドだと聞いた後に、朝からキャビアを食べている人を見て「あの人は成功しない」と思う人も同じ。
朝からキャビアを食べていられる時点でほとんどの人より成功していることに気付かない観察力・洞察力では空気が読めるはずもなく、人との日常会話レベルでつまずくから。
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そのうち「通勤」という言葉はブルーカラーだけのものになり、在宅か通勤かで現代的な職業、古典な職業と分類されるようになるかもしれない。
10年後の子供達の会話は、親が家に居る=ホワイトカラー、親は仕事に行く=ブルーカラー的な。
これまで日本の男性達は仕事一色で、欧米の男性と比べて家にあまりお金をかけてこなかった。
在宅勤務が当たり前になると、奥さんがウロウロ子供がワイワイという部屋ではビデオや電話会議などに支障を来すので、仕事部屋を確保するために、これまでよりも広めの部屋が売れるようになるだろう。
夫婦共々在宅勤務というホワイトカラー夫婦は特に。
不動産相場としては、100平米超のカテゴリは上昇するかもしれない。
この2ヶ月不動産系の記事で「在宅なら駅から近い必要もない」「通勤時間を気にしなくていいから都心である必要もない」という内容が目立つが、私はその��反対を予想していて、都心部はホワイトカラーの住まい、郊外や東京の周りはブルーからの住まいと分かれるだろうと思っている。
一度電車や駅などの人混みが「リスクが高い」と認識されると、社会的地位の高い人や高給取りほど仕事・生活全てにおいて、徒歩・自転車圏内を検討する人達が増えるはず。
特に子供がいる家は、子供の通学に電車を使わせたくないだろうから(子供にもリスク、ウイルスを持ち込まれる家族にもリスクだから)、「名門校の自転車圏内に」と考えるんじゃなかろうか。
※親の通勤がなくなった分時間に余裕があり、毎日車で送り迎えという可能性もなくはないが、その生産性の低さを都心部の家賃に充て解決する方が合理的だし、世界的な傾向から今後車社会になるとは考えにくい。
かといって日本の雇われ給与で土地の高い都心部に広い一軒家が買えるはずもないから、住まいは縦に伸びることになる。すなわちタワーマンション。
中堅クラスのタワーマンションが増え、タワーマンション=高級という印象から、=役職者達の集合住宅という印象に変わっていくかもしれない。
そうなるとマンションのロビーで商談というシーンも増え、ロビーラウンジや個室・会議室需要が高まるだろう。
会社側も通勤がなくなったことで交通費が浮くので、その分で在宅役職者達の家賃負担をという流れが予想できる。
どんなに在宅な時代でも、ずっと家に居られる人というのはそれほど重要な人材でなく、契約や商談。会食といったイベントがなくなるわけではないから、イチイチ2時間、3時間かけて現地に向かうという選択をするはずもない。
という流れから、都心5区あたりの一部地域の物価が上がり、シリコンバレーのように「年収1,000万円は低所得」というエリアが生まれ、地域格差が生じる方向性だと言える。
今の風向きは。
私は20年前から在宅勤務スタイルで、常に自宅とオフィスは1分圏内(同じ建物)。
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記事と画像を3回読んでみたがそれのどこが「落とし穴」なのかわからなかった。
必要なのにわざわざ「不要」に○とか×とか✓を入れる人は、例え「必要・不要」と分けたとしても、必要に○を付けイチイチ不要に×を入れて結局OCRエラーになるタイプだろう。
しかもすぐ下に「希望されない方は、不要を○囲みしてください」と書いてある。×とか✓自体ない。
十分至れり尽くせりだというのにそれでも「落とし穴」として報道されるとは。
無条件にお金をもらえるというのに、甘やかしすぎなんじゃないか。
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人々は共存を選ぶのか、別々の道を歩むのか。
以下記事とは直接関係ない。
以前、発達障害はAB型(9%)より多いと聞いた時、結構な衝撃を受けた。AB型としては。それに男性の色覚異常(私)より多い。どっちで見ても私の方がマイノリティ。
私の感覚値では男性の3割近くは発達障害だろうと思う。小学校の頃からそう感じていたが、知能のブログを書くまで発達障害という言葉を聞いたことがなかったので漠然として捉えていた。
会社の場合面接でワカルだろうと思うんが、雇ったからには責任もって付き合うしかない。ただ、採用した人と実際に現場で接する人は通常異なるので、付き合うコスト(*X)に見合った成果を上げないといつかは関係が破綻する。
/* (*X)例えば私の色覚異常に周囲を付き合わせると、色覚異常でもわかりやすいカラーユニバーサルデザインに対応する等のコストがかかる。或いは毎回色を尋ねられるといった手間=他人の時給の一部が私の世話に割かれる=すなわちコストがかかる。私がソレ以上の利益を生み出していれば周りは私と付き合う価値があり、それ以下であればいつかはお荷物になる。 */
(A):だからIQで潜在的能力を示そうとする人が多いのかもしれない(オンラインIQ業界(?)の特徴)。とりあえず潜在的スペック提示で、能力を発揮するまで時間が稼げる(?)。
が、IQとは相手に負担を受け入れさせるための交渉材料とはならない。(ウェクスラー成人知能検査は)「常識的なことが誰よりも早くできる」ことの証明だから、本来は一般的な業務における生産性の高さ(手際の良さ)を裏付けるものであり、数値を示さなくても周囲は見て実感するもの。
(B):だからウェクスラー等の既存の知能検査ではない何かのテストの結果をIQってことにしたいのかもしれない。すなわちルール変更。
(A)と(B)の「だから」がもたらす世間(いわゆる常識的な仕事と生活をしている人達)の反応とは「IQ高くても意味ないよね」であり、そもそも発達障害を抱える人達が発達障害の判定に使われる知能指数という言葉の領域で競おうとすること自体余計に不利なはずなんだが。
私から見た印象を例えるなら、短距離走が苦手だから、短距離走を障害物競走にし、更に速さを競うのを止めようとルール変更しようとしている感じ。
私なら無理して走ろうともしない。
それでも「高IQ」の称号を欲しがるヒトが多いということは、それこそがIQという言葉のブランド力なのかもしれないが。
と、知能のブログを書いて約5年ずっと思い続けている。
余計なお世話か。
そういったところからも人々の心理が学べるし、日本で見聞きする「ギフテッド」というサウンドの成分(笑)が余りにも私の感覚と異なり、この先どうなっていくのかなと少しだけ興味がある。
話は戻って、男女平等(雇用・賃金均等)が実現すれば成人同士の扶養・被扶養者の関係がほぼなくなるように(そのうち「世帯主」という考え方もなくなるだろう)、縦社会が崩壊し雇用(≒管理・監督)という考え方がなくなって、皆が自分と機械だけで仕事するようになれば必然的に「同僚」「上司」という存在がなくなって発達障害と世間の問題は解決するかもしれない。
要は付き合いがなくなり実力勝負になれば、お互いが定型発達か発達障害かを意識する必要もない。
ただそうなると、配���・謙遜もいらなくなるので、私が言う神の祝福系ギフテッドは存分にブーストされるだろうなと思う一方で、日本で見聞きするギフテッドが“生きやすい”(そんな表現があるかどうか不明)時代になるかというとそうは感じない。
ということは“歩み寄り”が求められているのか。
期待される落しどころがイマイチわからないまま約5年経った。
→天才(または秀才)にとって生き辛い世の中なのか。
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私は2ページ目にある自営業の方向で予想している。コロナウイルスは関係なく昔から。
企業は必要な能力を必要な時だけ欲しい。特に今の時代20年前の優秀が今も優秀かというと全くそうではないから新陳代謝を高めたい。すなわち若返りたい。
かといってアルバイト扱いでは良い人材は集まらない。高給を提示すれば何とか可能だとしても、本当に特別な能力を持っている人達だけの話。
高給を提示されることのない平均層の労働者は安定した収入が欲しいからメンバーシップ型に落ち着く。しかし企業は簡単に解雇できないので、その真ん中に位置する派遣に頼るという今の形が当面の落としどころだった。
同時に、「自分の能力や働きが上司に正当に評価されていない」と考える人も増えてきているし、企業側も時代の流れについていくのも一苦労で、できるだけ迅速に現場(特に消費者)の声を吸い上げる必要がある。
すると“管理職”という存在が双方にとってコストになってくる。
物理的な商品を販売する場合、重役達が毎日店舗を視察するわけではないので「消費者の声」を知る術もなく、中間管理職のレポートに目を通すだけだった。当然中間管理職は自分の成績に関わることなので不都合なことは塗りつぶす。
商品を卸すメーカーの場合は更に問屋や販売店が間にいる。
インターネット販売の時代になり、特にこの10年では問屋を省いてメーカー直販が増えたたため、消費者の声(レビューとかクレームとか)をダイレクトに得ることが可能になった。現場の電話オペレーターから社長まで、やる気を出しさえすれば皆が同様に情報にアクセスできる。
すると中間管理職は自分都合のレポートが上げられなくなるどころか、意志決定をする際に中間の話を聞く必要がなくな��、この流れは今後も続く(加速する)。
その結果、経営陣と労働者という極めてフラットかつシンプルな構造に行き着くが、正規雇用を解雇しづらい社会環境は何も変わらないし、上司(経営者)がいる限り「正当な評価」を求める労働者の心情も解決には至らない。
最終的には皆が対等になるしかこの問題を解決することはできず、すなわち誰の管理・監督も受けない自立した存在同士になる必要がある。
経営者と経営者。
双方自分の事業のことを思って行動するので、少なからず給料泥棒はいなくなる。生産性を上げないと給料が上がらないことを知っている者同士だから。
※給料泥棒は商品・サービス価格上昇の根源であるため、双方にとって排除したい存在。
経営者とは必ずしも会社組織を持っている必要はなく、法人と個人事業者でもいい。仕事を取る上で法人の方が有利なら法人設立コストも先行投資と言える。
そうなれば、もはや誰のせいでもない。コロナウイルスで仕事がなくなっても上司や経営者の判断・決定のせいではなく、その事業を選んだ自分のせい。
一旦はそうなるだろう。
必然的に累進課税による富の再分配の時代は終わる。皆が経営者なら税率は同じ(対等)で良いから。
しかし問題はこの構造だと優秀で交渉上手な人が儲かるだけの時代になる。本当の意味で「社会に能力を正当に評価された結果」だが、恐らく人口の7-8割が生活できなくなる。
その頃にはコンビニも無人化されているだろうし、頭数を必要とする古典的な会社は減っているだろうから、受け皿が少ない。
よほど人口が激減しない限り宅配数が減ることはないだろうから、向こう10年くらいの受け皿の代表的職種だと考えられる。だから宅配業は丁寧に育むべきだ。
その後はどうなるか全くワカラナイが、方向性としては下記につながる。
→知的労働で完全無人収益化は可能か。【予告編】
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「もし今日われわれが知り得る限りの知識でもう一度同じ感染症に対応するなら、スウェーデンと他国の中間的な手段に落ち着くと思う」
「日本を見習う」という言葉はどこからも出てこない点に注目したい。
日本人が思っているほど「日本モデル」は高く評価されていない。
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そういえばシャープのマスクってどうなったのなと検索してみたところ、
という状況らしい。
※左から新規応募者、応募総数(類型)、当選者数、当選倍率。
「より多くの人にマスクを届けること」が命題
の「命題」が“使命”という意味合いなら、「一度応募すると、当落問わず次の抽選対象に自動的に含まれる。そのため複数回当選する可能性」という方式は採らないだろう。
一度応募すれば次回以降抽選対象とする分にはいい。その代わり「一度当選したら次回以降は一巡するまで除外」にしないと倍率が高まっていくだけなので、マスクを増産しない限り使命は達成できない。
ちなみに私は第1回で当選して以来当たってないので、実際には除外しているのかもしれないが。
書きながらずっと「命題」が気になって検索してみたところ、
参考リンク:「至上命題」を言い換えるのが「最重要課題」です
達成しなければならない課題は
などで誤用を指摘されていた。2007年頃から指摘が増えているらしい。
「固定概念」みたいなものか。固定観念と既成概念のミックス。
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うちのベランダからもはっきりと飛行ルートが変わったのがわかった。
マンション等の資産価値に影響するほどの騒音かどうかは私は未確認だが、目減りを恐れるなら高くても都心三区の物件をおすすめする。
理想は皇居の外周から1.5km圏内。
社会通念上、問題が生じるような変更がなされることがないから。
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都知事は「東京アラート」を発令してみたかったっぽい。
私は全く必要なかったと思っている。サウンドの割には大した効力もないし。
デパートでは入口専用・出口専用に分けて、入口では係員が消毒液を持って客に手のアルコール消毒をさせているが、消毒液のボトルを持ったスタッフが1プッシュしかしない。それじゃ足りないだろう(笑)。なかなか乾かないから恐らくアルコール度数も低い。
消毒の方法を理解していないのか、ただの「ちゃんとしてます」系のパフォーマンスなのか。
私はその入口を通過した後も帰りも自前のものでしっかり消毒している。
特に入口に消毒液のポンプがそのまま置かれている場合は使わず自前で。消毒前の手で不特定多数の人がポンプを押すわけだから、触らない方が安全。
消毒液の容器を消毒しているシーンを見たことがない。
これを機に、自分の身は自分で守るを徹底させた方がイイ。
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イイんじゃないか。
政治家が自国民の民度の高さを外国に向けて発信するのは一向に構わないどころか、一国のリーダーとして当然だろう。
「うちのアホどもにはウイルスさえ寄りつかないんだろう」とか「オレ達の指揮が優れていたからだ」とか言いそうで言わないのは麻生流の謙遜なんじゃなかろうか。
特に何が効いたかもワカラナイのだし、「湿度とUVのおかげでしょう」と言うよりは自国民(の協力)を称えておくのがイチバンいい。
それはすなわち言うことを聞いてもらえる=リーダーの統率力・政治力として映るから。
言われた側からすれば「じゃぁうちの国民は民度が低いのか」と思うかもしれないが、欧米人とのコミュニケーションではそのくらい大した問題にはならない。特にリーダー同士では。
外向きにはそう言い放っておいて、内々には抗体検査で全容を明らかにする必要がある。
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実際この7年ほど、写真ばかり撮っている女性が多い。それが高級なフレンチであろうとどこであろうと辺り構わず。
何を選ぶにも質より写真映えするかどうかが全て。という女性は非常に多い。
では全ての女性がそうなのかというともちろんそうじゃない。が、もはや「文化」と言っていいくらいの域。
だからこの広告を見て「今の時代を象徴している」としか感じない。恐らく作者側にも差別的な意図は全くないだろう。
例えば90年代初頭のイメージ図として、ミニスカートのいわゆるボディコン(笑)女性+ディスコの写真を用いたから女性差別になるかというとそうではなく、実際にそういう時代だったという“象徴”としての描写に過ぎない。かといって当時の女性が皆そうだったわけでもない。
20年後、2015-2020年あたりのシーンを描くとすれば、自撮りに明け暮れ顔を修正しせっせとSNSにアップする女性が登場するのは間違いない。
4年前のアメリカのドラマ『クリミナル・マインド国際捜査班』で東京が映された際には、通行人のほとんどがマスクをしている映像を使い、「自殺が多い」ことを文化の一つとして紹介していた。
実際にパンデミック前からマスクをしているヒトが多いし、先進国一自殺率が高いから事実であり差別には当たらない。
ということと同じレベルに感じるがどうだろうか。
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結局のところ、神の祝福系のギフテッド達は生きやすいか生きづらいかではなく、今目の前にある社会に対応する能力を持っている。
※ヒトに能力差はないと信じ込んでいるヒトは、このパンデミックも全て大富豪達によって仕組まれた(だから彼らは対応でき���)と主張するかもしれない。
特定の能力による固定された(静的な)存在ではなく、動的(ダイナミック)な存在。
影響を受けたら受けたで(バフェットも大きな損失を出している)、新しい環境で何をするかどうすべきかを見いだす力に長けている。
それを繰り返しているうちに、起こりうる可能性に予め対応し、回避はできなくとも影響を最小限に抑え、いちはやく人々が必要とするものを提供し富を得る。
これこそが疑いようのない賢さだが、賢さを他人に認めさせることが目的という段階にある人は、実績を出さずしてスペックによって自分を認めさせるしかないので、「賢さ」の定義自体を自分都合に変更しようと試みる。そこで失われる時間と労力はまさしく生産性の低さでしかない。
ルールを変えるためにはまず今ある社会で成功する(権利・権限・権力を手にする)必要がある。すなわち人々・社会に認められる必要がある。
そして誰の世話にもならずに済む富を得て(真の自立)、更には富の再分配を行う側(扶養する側)に立ち、一人前以上になった時点でようやくある程度の発言力が生じる。
ごく真っ当というか正攻法というか何の変哲もない教科書通りの流れだが、その当たり前を理解できるか否かで社会的知能が測定できると私は思っている。
例えば、有名な或いは大きな会社に入りたかったら学歴が必要という何十年も前から皆が知っているソレと同じ。
大学に行かなくても成功できる人は成功した後に「大学の在り方を変えた方がイイんじゃないか」と発言すれば人々は耳を傾けるが、大学に行かないと会社に入れない(食べていけない)人達が大学に行かずに大学を変えようと発言しても誰も聞いてくれない。
では賢さ(ひいては「知能」)とは何なのかと言うと、人々が賢さ(能力)を認めるに至るまでに必要なもの全てと言える。
交渉の巧さや喋りの面白さも必要ならソレも。ある程度の見た目も必要ならソレも。
突き詰めていくと「オーラ」とか目には見えないどこか非科学的なものまで含まれる。
すなわち全体とは部分の総和以上の何かであるということだ。
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感覚値で0.5%くらいだろうと思っていた。
約4万4千人を対象にした新型コロナウイルスの抗体検査を実施した結果、0.43%の人が陽性だったと発表した。医療従事者の陽性率は1.79%で、ソフトバンク社員などの0.23%よりも高い傾向を示した。
医療従事者は感染者との接触率が高いことは考慮しつつも、マスクや手洗い、消毒に加え知識、意識の高さは劇的な貢献は期待できない印象がある。
ソフトバンク社員の陽性率0.23%を平均として考えると、日本には269,800人の感染者がいるということになる。
※東京を中心とした検査だったなら全国平均はもっと低いだろう。
そのまま当てはめるとアメリカ、ブラジル、ロシアに次いで4番目の感染者数。
もちろん他国も抗体検査のサンプルから全体を推定すればもっと多いのかもしれないが。
仮に269,800人が感染したとなると、マスクや手洗いなど日本人の意識の高さが貢献したかもしれないことは重要ではなくなり、それなりの感染者数がいるのになぜ症状が出ない或いは重篤化しないのかという特異性が大きな意味を持つことになる。
もしマスクの予防効果が低いならば、最初に戻って空気感染の可能性を再検証する必要があり、実は空気感染するとなろうものなら市販マスクは無駄になる。
多くの企業が結構な勢いでマスク製造に参入しているので、ソコの検証は急いだ方がいいかもしれない。
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確かに今レインボーブリッジは赤い。
うちから新宿はチラッとしか見えないが、都庁の近所の建物の三角屋根がラベンダー色なのは見える(笑)。
増えたのは、病院に行くのも自粛していた人達が検査を受けた結果ではないのか。特に症状が軽い人が多ければ多いほどその可能性が高い。
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思いの外低い。
東京の住民票上の人口13,982,622人中13,982人が感染しているかもしれない計算。
1,000人に1人。
ということはマスク+手洗い効果なのか。
先日ソフトバンクが行った抗体検査の方がサンプル数が多い(5.5倍)ので、そっちの結果をベースにしても���本全国で269,800人の感染者がいるかもしれない計算だから、少なくはないが欧米のPCR検査による感染判明数から推定される潜在感染者数と比べて多くもない。
日本人口の1%(126万人)くらいサンプルが欲しい。
使用した測定機器は、異なる免疫測定法を用いた3種類の装置。陽性の判定をより正確に行うためとして、米国Abbott社(化学発光免疫測定法[CLIA法])およびスイスRoche社(電気化学発光免疫測定法[ECLIA法])の両方の検査試薬・装置で陽性が確認された場合のみ、陽性(抗体保有)と判定している。米国Mokobio Biotechnology社(蛍光免疫測定法[FIA法])の試薬・装置での結果は参考値とした。
突然そこまで念入りにすると、他国の一般的な検査結果と比較しづらくなるし、「感染歴のある数を少なく見せるためじゃないか」(=オリンピックのため)と言われるだろうことを想定しておく必要がある。
だからこういう時は、平均的な検査手順でできるだけ数さばく方がいい。
念入りかつサンプルが少ないと、対象者を厳選した可能性があるとまだ言われかねないから。
東京都では、Abbott社の試薬では6人(0.30%)、Roche社の試薬では4人(0.20%)が陽性と判定され、両方で陽性となったのが2人(0.10%)となっている。参考値となっているMokobio Biotechnology社の試薬では、3都府県とも1%以上が陽性と判定されている。
いちばん低い数字を選んだ感があるというか、さすがに「1%」と出たら日本に126万人感染者がいるかもしれないという話になるので、いずれにせよ他国と比較するなら検査方法を揃える必要がある。
じゃないと、
IQいくつ?→A:130、B:160、C:190 どうやって調べたの?→A:ウェクスラー、B:オンラインIQテスト、C:「これが解けたらIQ 190」のクイズが解けたから
的な状態になる。
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