#骨格ストレート
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何ベ??骨格MBTI
いつのまにか流行っていたもの。
イエベ、ブルベって専門家にしかわからないらしいと聞いたので未だに何ベか知らない。ちゃんと診断できる人に会ったことがない。
骨格の話してるのに骨じゃない画像出てくる骨格ウェーブとかストレート。もう一個なんだっけ?
MBTIはサイトのデザインとイラストが良いなと感じた。定期的に流行る性格診断系。ENFJ-T(主人公)だったよ。いつも誰でも主人公だと思うけど。
いつのまにか流行って、いつかどっかいっちゃうんだろうなぁ。
よくわかんないけど、楽しいよね。
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骨格ストレートぽっちゃりのドレス選び👗こだわった点💡肋骨折れるかと思った。
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横野 すみれ Yokono Sumire - Instagram - Tue 07 Nov 2023
#sumiregraph 💗 12月に発売のフォトブックオフショット📷 Off-shots of the photobook to be released in December📷 #横野すみれ #フォトブック #黒髪ロング #thailand #リゾートコーデ #オフショット #ポニーテール #🇹🇭 #vacances #japanesegirl #プールサイド #ワンピース #diet #骨格ストレート
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最近の自分
性格が悪くなったなあと感じる。同時に、優しくもなったと思う。前まではただ優しいだけというか、感情がなかったのに内面がぐしゃぐしゃだったから、ここの以前のブログ記事が荒れすぎていた。荒れ方も相当なもので、割と危ない荒れ方だった。
そう���って自分で抱え込むのはやめた。そうすると、敵意ではないハッカめいた怒りが湧いてきた。鯨の骨格標本は乾いた伽藍堂で、そこに敵意はない。しかし生きている鯨は怒ると恐ろしい。『白鯨』ではその戦いが描かれた。その戦いは名前のある無人称だった。今はどうだろう?個人のアイデンティティは身分証にしかなく、語られることにはエビデンスが必要だ。ファクトベースで話すのは学術論文か、ビジネスシーンだけでよく、個人的な会話にさえ証拠性を求められると、人間は忘れてしまう生き物だから、証拠なんてない。では、「その人がその人である」証拠性が一枚の身分証にあるのなら、人間が生きているのは身分証と戸籍があるからというだけで、世界中が無人称であると考えられなくもない。伝言ゲームは歪むから面白い。しかし今の伝言ゲームは歪むことを許さない。事実より大事なことがある。その人を見ることである。その人が何を思うかを聞くことである。陰謀論は根拠性がないから馬鹿にされていたが、陰謀論に陥らなければ精神の安定が保てなかったのかもしれない。科学的根拠は心にまでアクセスできない。人間の話を聞けるのは人間だけだ。人間に話しかけられるのは人間だけだ。科学も人文学も、宗教とほとんど変わらない。何を見て何を信じるか?しかしそれ以前に、目の前にいるその人を愛する必要がある。闇雲に愛する必要はない。愛すると言えば勘違いする人がいるかもしれない。その人の内面を考え抜くべきだ。
ダイヤモンドはハンマーの衝撃で砕けるが、引っ掻いても傷がつかない。ダイヤモンドの硬さと称されるのは、引っ掻き強度である。ハンマーで叩いても潰れるだけでまた元に戻るのは紙風船ぐらいである。堅牢であることと壊れないことは全く別のもので、のれんに腕を押してものれんは破れない。障子に指を突き立てれば破れるが、A4のコピー用紙を片手で持って指を突き立てても、しなるだけで破れることはない。嫌いな言葉だが、柔を以て剛を制すという言い方もあり、柳に風折れなしとも言い、しなやかさは強さであり、しかし堅牢さも強さだ。どちらも身につけたい。というか身についてるのかもしれない。今はどちらかというと、「ダイナマイト・パンチ」の時期なのだろう。拳をコンクリの壁に当てる。そのとき腕はほんの少し伸びきらないぐらいにする。そして、その伸びきっていない腕を伸ばす。トム・ジョーンズの小説に出てきたボクシングの練習で、村田諒太の試合を見��ことがあるだろうか?彼のストレートは相手にリーチした瞬間に伸び切る。さらに腰が入っているからたまらないだろうし、これは物理法則を利用してもいる。こういうパンチを処理するには太極拳や合気道などの、受け身の武術しか方法がない。あのパンチの勢いを避けながら軽く引っ張るだけだ。結局何が言いたいのか?つまり、強さは流転する。もしこの世に円形の天秤があれば面白いのに、と思う。
何もかもにいいところと悪いところがある。全くの善人に見えてもある部分は最悪だったり、『蜘蛛の糸』のカンダタにも人間らしさはある。二面性がある人物を悪くいうべきではない。そもそも人間が一面的であるわけがない。『レオン』という有名な映画は、冷酷な人物の人間である部分にフォーカスした。『シザーハンズ』では、怪物の優しさが描かれた。そして怪物を守るためのヒロインの行動は怪物的だった。黒澤明、伊丹十三、北野武の作品群は、日本特有の人情というか忠誠心というか仁義というか、『七人の侍』『たんぽぽ』『アウトレイジ』全て結局、その世界で己の筋を通すために行動した話である。
最初に「性格が悪くなったなあと感じる」と書いたものの、前言撤回する。知り合いが優しさと思っていた己の振る舞いは、半分が処世術で、半分が優しさであった。バファリンかよ。ことを荒立てないための対応と、本気の優しさであった。
そんなことを思った(夢十夜オマージュ)。
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Fuka
Japan
#japan#fashion#boots#tall boots#kneeboots#blackboots#ootdboots#ootdinspiration#ootdstyle#ootd#japanesewomeninboots
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なお、ストレート氏の訴えが競馬業界に関するウェブサイトと地元テレビ局に取り上げられた結果、Lifewardはすぐに修理を受けてくれたそうです。
テクノロジー系メディアのThe Vergeに対し、Lifewardの広報担当であるキャスリーン・オドネル氏は「ストレート氏と連絡を取り、彼のデバイスの問題を解決できたことを報告できてうれしく思います。ストレート氏のデバイスは10年以上前のものであり、現在は他のオプションが利用でき、適格者の払い戻しも受け付けているため、私たちは彼に交換を勧めています」と述べたとのことです。
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『ラフヘスト~残されたもの』感想
東京芸術劇場シアター・イーストで『ラフへスト〜残されたもの』を見た。脚本と歌詞はキム・ハンソル、作曲はムン・ヘソンとチョン・ヘジ。日本版の上演台本はオノマリコで、歌詞はオノマリコとソニン、翻訳は宋元燮。演出は稲葉賀恵である。批評家・エッセイスト・小説家・画家・経営者のピョン・トンリム=キム・��ャンアンに、詩人イ・サン、画家キム・ファンギら実在する韓国のアーティストたちが扱われている。
特に事前予習をせずにふらりとチケットを取ったので、最初は実在の人物を扱っているとすら分かっていない体たらくだったが(流石にイ・サンの名前が出てきたあたりで伝記物か?と気づいたが)、よく知らない分、ミュージカルとしての骨格を味わいながら見ることができたのは良かったかもしれない。(とはいえ、今度はもう少し歴史的背景や作品を把握した状態で見たいので、いつか再演してほしい…)
物語は、2004年に晩年のヒャンアンが自身が書き残した日記を手繰るところから始まる。ヒャンアンはトンリム時代の記憶と、二人目の夫ファンギが存命だった時代の記憶を行きつ戻りつしながら、芸術家でありその伴走者であった自身の生き方を回顧する。
自らの表現を模索し、認められないことに苦しみ、周囲の人間と軋轢が生じて互いに傷つき…という芸術家としてのあり方を扱ったミュージカルとして真っ先に思い出すのは、スティーブン・ソンドハイムとジェームズ・ラパインが組んだ『日曜日に公園でジョージと』である。
ジョルジュ・スーラがパリで「グラン・ジャット島の日曜の午後」を描き上げていくまでを、幾つもの日曜のエピソードの羅列から描き出していく第一幕と、100年後のニューヨークで光学装置を用いたメディア・アーティストとして頭角を表しつつあるひ孫のジョージ(架空の人物である)が、「芸術で表現されることは何もなく全て終わってしまったのではないか」という諦念と闘う第二幕で構成された『日曜日に公園でジョージと』は、まさに上に記した要素が散りばめられている。とりわけ第一幕では、モデルであり恋人のドット(架空の人物である)がジョージと彼の芸術性と作品を愛し、一面では核心を深く理解していると同時に、時に突飛に見える芸術家の内的な考えや心情を理解することまではできず、傷つき怒り人生のパートナーには別の人物を選びながら、しかしジョージの芸術性の欠片を継承していく存在としてフィーチャーされている。
『ラフヘスト』はいわば、ドット視点から描き出された、芸術家たちの創造と消耗、切断と継承の物語である。『日曜日に公園でジョージと』と『ラフヘスと』は類縁関係をなしているといえる。しかも、ドットの立場にいるヒャンアン視点で作られていることで、『日曜に公園でジョージ』とが帯びる問題を乗り越える部分も出てきていると感じられた。
『日曜日に公園でジョージと』では、芸術家とモデルの「見る/見られる」の関係は割と固定的だし、しかも関係はジェンダー化されているし、第一幕のジョージは特に独善的だし、第二幕で浮上する「子どもと芸術は残すべきだ」という主張の火の玉ストレートっぷりには割とギョッとするし、2024年の視座からは危うい描写がそこかしこに見られる。
それに対して『ラフへスト』は、芸術を受容する存在もまたクリエイティブであり、その受容でもって芸術家を触発するという二者の交渉が描かれていた。キム・ヒャンアン=ピョン・トンリムは読者や鑑賞者としてイ・サンやキム・ファンギの芸術に触れ、喚起されたことを批評という異なる形態のクリエーションへ落とし込む。その批評にイ・サンやキム・ファンギはまた触発されるという描写が本作にはたびたび登場する。また、トンリムとファンギ(当時の画号はヒャンアン)が仲を深めていく場面では、葉書に書かれた絵と共にトンリムの小説も鍵となっている。創造と受容、それぞれ担うべき存在が固定されておらず、流動的である。
また、『日曜日に公園でジョージと』における「芸術の継承」は、血縁の連続性においてなされるものとして描かれていたが、『ラフヘスト』の場合は、過去と現在の間に節目が走るまさにその時に「芸術の継承」がなされる。イ・サンとの死別を重く引きずっているトンリムが「キム・ヒャンアンの名前がほしい」と訴える場面では、過去としてのトンリムと現在としてのヒャンアンの間に切れ目が走り、新たな生の輪郭を描き出そうとする。そして、絵画を再三勧められながらファンギ存命中に筆をとることのなかったヒャンアンが、ファンギ死後に画家としても活動するようになる場面では、「絵は描かない」批評家ヒャンアンと画家ヒャンアンの間に切れ目が走り、再び新たな生の輪郭を描き出す。さらに遡ると、イ・サンからの「一緒に死のうか、遠くへ行こうか」という告白を受けて家を飛び出していくトンリムの時代からすでに、トンリム=ヒャンアンは自らに切れ目を入れつつ、自らの生を築いていたのである。
このように、『ラフヘスト』は『日曜日に公園でジョージと』の系譜に連なりながら、芸術を受容し芸術家伴走する立場の創造性を汲む内容となっており、その点が良いと感じた。
上演では、ソニンのヒャンアンの演じ方が印象に残った。2004年というヒャンアン晩年の時期から回想されていくのだが、ソニン演じるヒャンアンは、何歳であったとしてもどこか老いを感じられた。つまり、80代のヒャンアンが過去を回想しているという建て付けが常に感じられる人物造形になっていた。ヒャンアンが現在の視座から過去を生き直していることの表れであり、なおかつトンリムとの切断も強調されていた。
他方、個人的な好みとしては、登場人物たちの芸術性と呼応するようなスタイルで音楽が作られていたら良かったのになと感じた。たとえばファンギの「点と線」のエピソードなど音で「点と線」を作る格好の機会なのに、基本的にエモーショナル発露に注力している感じがあり、少々退屈さを覚えた。また、キャラクターが激しい情念を爆発させる歌でロングトーンが出てくる時にしばしば、腹と喉でがなるように圧をかける歌い方がされていたのだが(特にイ・サンとファンギ)、正直シアターイーストのサイズで聞かされても過剰に装飾的すぎて、却って俳優の声の調子が心配になるのでやめた方が良いと思った。
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【画像あり】骨格ストレートに産まれてきた女さん、絶対に男受けいいカラダになれないwwwwwww
不思議.net – 【画像あり】骨格ストレートに産まれてきた女さん、絶対に男受けいいカラダになれないwwwwwww 【画像あり】骨格ストレートに産まれてきた女さん、絶対に男受けいいカラダになれないwwwwwww Source: 5ちゃんねるまとめのまとめ
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ナコルル人気云々の話題を目にしたけど、そもそも前世紀(90年代当時)は、「萌え」と「エロ(お色気)」がけっしてイコールではなかった筈だ。 現代のオタクたちは双方をほぼ直結してしまうが、昔の「萌え」(という言葉が使われていた)は、「可憐なものに対する愛着、心惹かれる動き」を指していて、むしろそこにはセクシャルなアピールは含まれていなかった。どちらかと言えば、「非-エロス」な独自の心情的愛着として定義される方が適切だったくらいだ。そして、だからこそ、00年代前半の美少女ゲームで「萌えエロ」、つまりキャラクターに対する精神的な萌え要素と肉体的なエロス要素を結びつけた作品が、新鮮な衝撃をもって受け止められていた(※主に『フローラリア』シリーズ[2002-]がその道を開拓していったとされ、さらにそのアプローチは、00年代半ば以降のWhrilpool/ゆずソフトによって再編成された学園恋愛系に引き継がれていた……というのが私なりの歴史展望)。 そういった時代精神は、当時としては自明だったのだが、なかなか言語化されず、歴史に残りにくいので、現在の目からすると、「肉感的で露出の多いキャラよりも、清楚(※少なくとも外見上)で凜々しいナコルルの方が人気だった」という状況が理解できなくなってしまう。土萠ほたる、綾波レイ、マルチ(HMX-12)、岩倉 玲音(lain)なども同様で、当時のオタクたちの庇護欲を掻き立てるようなキャラクターや、ミステリアスな「ダウナー」キャラたちが人気を博していた。それに対して、露骨にマッシヴなお色気ヒロインたちは、かなり敬遠されていたと思う。 もちろん、二次創作などでは、萌えキャラに激しいベッドシーンを担わせるものも存在したが、それはストレートな結びつきではなく、「ギャップによる逆説的な刺激」という性格が多分に含まれていた。そういうデリカシー(?)の感覚も、おそらくほとんど消え去っているのだろう。
garden at dawn: 2024年6月~の雑���
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神戸人のソウルフード
『もっこす 』
の兵庫店へ移転後、初めて訪れました。
かなりキレイな店舗が嬉しいですね!
亡き父が大好物でした『もっこすラーメン』
何十年と付き合って一緒に食べに行っておりました。
亡くなった後は自然と遠のいておりましたが、
久しぶりに家族で。
兵庫店の特徴は「ニラごしょうが辛い」唐辛子の比率が高いのです。以前��発酵が進んでいたので、本店のようにたっぷり加えることができ��せんでしたし、今も辛いですね。
豚骨醤油ラーメンですので、誰からの好かれる味。
醤油ラーメンだと飽きがきますが、豚骨醤油となるとグッとコクが増します。
今回は脂抜きにはせず。かた麺。
中華そばらしいストレートな麺がぴったりです。
薄いチャーシューは食べやすく、神戸の味だなと思います。
価格がびっくり値上げはしてはいます。
でも人気店ですしね。
久しぶりの沢庵との相性もよく
丁寧に作られておりとっても美味しくいただきました。
料理研究家 指宿さゆり
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【LOOKBOOK】井上清華アナウンサー|161cm|骨格ウェーブ×ストレート|This is me.
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昨日は骨格診断受けてきた✨
診断結果はソフトクラシックだった❣️
肩と胸はウェーブで二の腕と背中、
脚とお尻はストレートなんだとか🤭
下半身は筋肉質みたい😂
何か運動されてますか、って聞かれた🤭
ダンスしてると下半身の筋肉が発達するのかな?
服はIラインが似合うんだとか✨
首元はVネックよりもタートルネックとか閉まっている方がいいそう❣️
春購入したいものを一緒に見てもらって
似合うかチェックしてもらった��
めっちゃ助かる😭
昨日見てもらったトップス1着購入😉
届くの楽しみ💕
いま鞄を悩み中😌
水色が売り切れてたのでどっちが似合う聞いているところ✨
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Fuka
Japan
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瀑陽の森〜枢幹突入
瀑陽の森でナザミル関連のサブクエ発生でペレギオンへ。
ペレギオン
景色の変わりように一番感動したかもしれない。 気持ち悪いほどの整然さしかなかった不気味な建物群が、人の営みを感じさせる大きな街になっている……。 個人的には元のペレギオンの街並みも好きすぎて、はじめて到着したときしばらく、すげぇ…すげえきれい!!ってシナリオから脱線してスクショ撮りまくってたほどなんですけど(あの状況で)、またテンション上がって撮りまくってしまった。 どの街もレナの支配がなくなって、人の営みを感じさせるようになっているとはいえ、ペレギオンは支配のレベルが別格だったので、なんかいいな。復興という意味では一番変わってないのにね。
アバキール!!!!(推し) ペレギオンでテュオのもと頑張ってるんだ!!よかったね!!!!
そしてサブクエはナザミルのろくでもない生育環境が見えてくるばかり……。つらい。
ナザミル回想
ヴォルラーンだ……!(嬉) ナザミル、散々な目に遭ってきた子供なのはもうよくわかってきたけど、目の前で親殺されてるのもう……。解放されたと言えばそうとも言えるんだけど。
そういやナザミルはウルワギルに調整に差し出されたようなことを言っていたけど、ウルワギルって一介の領将でありながら王のこと知ってたのか?それとも何とも知らずにナザミルを使っていただけなんだろうか、ヘルガイムキルに唆されて。 相変わらず語られないけど、シオンが治療と称して差し出されていたのにも近いものがある気がするし、ナザミルの境遇を聞いているときのシオンの同情は周りと違って、強く自分と重ねてるような雰囲気もあったのでなんか……シオンの過去もナザミル通してほんのり見えてきて……。
同時に調整受けてたならナザミルとヴォルラーンってどっかで面識あったんだろうか。
密林の外廟 ヘルガレ=リュゴラ67
穏やかな心。 なんかメイドインアビスみたいな話になってきた。統一意識の仮面集団……ボ卿やないか……?(強烈な既視感)
この、正しいことやってます感ある不気味さ、とてもテイルズらしくて好き。 争い合うことをやめない人間を力で支配することも許されないとなるとまあ、意識をひとつにしちゃうのが一番じゃろという理念、テイルズオブアライズの物語的にしっくりきて最悪さ倍増なのがいいな…。
そしてそれ���王の力でできちゃうんだ。 なんか、ここまできて本当に、アルフェンって一通りの支配をやれてしまう力を持ってるんだなと思い。 改めて、人間らしく地道に融和を目指していることがどれだけ彼の強い意志によるものなのかを実感する。 ほんとうの意味で強い男。アルフェン。
ナザミルの部屋を見て、自分と似ていると話すシオンがつらい。 アルフェンは、こんなのは間違っていると正面から否定できるけど、どこか悲しげな共感のような表情を見せるシオンは、きっと、この場で誰よりもナザミルの気持ちがわかっているんじゃないだろうか……行動も含め、咎められたものではないのだろう。 自暴自棄になっているのを正しいと信じるしかなかったのは、シオンも同じだったしね。 ナザミル通してどんどんシオンが見えてくるぅぅ……。
ナザミルの絵、みんなのことちゃんと見すぎのそれ。
ナザミル戦
ナザミル強すぎ。 炎の剣+六属性秘奥義かっっっこよすぎる……! この厨二感こそ真骨頂みたいなところがある(ものすごく好き)
結局ナザミルの行動の発端はニズでのアルフェンの出来事だったことを思うと、本当に何もかもが裏目に出てていたたまれないな……。 ナザミルいい子すぎる……。 みんなが推しを好きな世界は理想だよな。わかる。(わかってない)
アルフェンは常に支配を敵として戦ってきたから、この場で状況をその一言ではっきり現せるのすごいなって思ったんだけど、ナザミルからしたらまあ完全にアルフェンが嫌っていることをしてしまったというストレートな否定になるのもまた間違いなく。 そこはアルフェンがここまで持ってきた考えが、アルフェンの中で自己完結しすぎてるゆえの失敗だったのかな……けっきょく寄り添えてないわけで、ぶつかっていけばよかっただけのシオンとは違うのもまた思い知らされる。
めちゃくちゃおおごとなのに、将来のアルシオ家の親子喧嘩もこんな感じになるのではと彷彿される。
ニズ
みんな謝ってくるの不気味すぎるんだけど、永久循環が起きてるんだとしたらこれナザミルの精神大丈夫なんだろうか。不穏すぎる。 ば…バエフォンさん!!!
そして、あの馬鹿みたいに迷ったアダンペッパーのとこの転移装置……!!!ここの伏線やったんか……!!(謎の感動)
突然の濃すぎるアルシオ
た、たすけて、なにこれ、なに…????
ここにきてめちゃくちゃお互いに対する気持ち話す……
夜にひとりでいるアルフェンをシオンから探しに行くの、本編でしつこいほど見た構図の逆で俺は……
私、アルフェンのこと少々誤解してたのかもしれないんだけど、アルフェンという人間はそもそも目の前で困ってる仲間に対してどうしても過集中になる男なのよね……それがシオンでなくても。 シオンだけを見ているというよりは、それを超えてシオンは隣にいるのが当たり前になっているだけであって。そういうアルフェンの隣にずっとシオンがいるのは、やっぱりアルフェンが手放さないというよりは、シオンがそこを離れないからだし、シオンが離れないのは、そういうアルフェンだからこそ……。 そうでなけば、ここにはいないわ。 アルシオの関係の中には一切の支配はないのだと思うとエモすぎて泣けてくる……。
私はあなたに救われた。 これが聞きたかった。泣いた。 シオンはアルフェンに救われたから、アルフェンの支えになりたいのは事実だと思う。けど、誰よりも孤独で人を信じられなかったシオンをアルフェンが救えたのは、こういうアルフェンだったこそなんだろうな。 シオンは気遣われたいのではなくて、真っ直ぐなアルフェンのそばにいること自体が幸せなんだろう。 もう、これ以上の幸福ないというか……アルシオってEDで結婚するけど、結婚が幸せともゴールとも思ってないけどそれはそれとして、この二人が結婚するのは最高に幸せだなあ……って、私個人としてはずっと思ってたんですよ。でも、それって、アルシオが幸せになるために結婚したんじゃなくって、幸せだから結婚したからか……と妙に腑に落ちてしまった。 旅ぐらしだろうが、アルフェンがどれだけ自分の立場に苦しもうが、支え合って隣にいる限りどんな状況でも幸せだと思うよシオンがここまでアルフェンのことを想っているなら。
アルフェンからのシオンへの矢印がクソデカすぎるのは変わらないしそんなことはもうわからされまくっていたんだけど、シオンからのアルフェンへの愛も唯一無二すぎるしあまりにも大きいというよりは……深い……。
このふたりが出会ったのは偶然であり必然であり運命だけど、今も一緒にいるのは、真にお互いの魂を好きでいるからなんですよね……。 めちゃくちゃ前向きな関係なのよ……今は、依存でもなくて……こ、これが愛なんだなって思った……。 愛とは何かについてこねくり回して数十年生きてきたけど、ここまでこれが愛だなって思ったことなかった気がする。 完膚なきまでに、アルシオは愛でできていた。 それが出来上がるまでの一部始終を全部見させられて、ここまで完成するところを妄想ではなく公式で突きつけられた現実に本当に敵わない、無理、こんなん、アルシオ一生推す。ありがとう……。
で、なんでアルフェンはこのタイミングで告白をしようと……?
びっっっっっくりした……。 死亡フラグでもないけどこれはそりゃキャンセルされるでしょ。 とは思ったけど、 慌てなくても私はいなくなったりしない。そうでしょ? ってシオンの言葉の重みがあまりにも大きすぎてこ、こんな…… そう、シオンはもういなくならないのだ……アルフェンがそうさせたから…………。 以前にアルフェンの言葉を遮ったときはきっとシオンは、自分がいなくなる可能性も否定しきれていなかったからこそ、この、ふたりでこの先も生きていくことを確信しているシオンはずるい……こんなの……。 実質シオン��ら先にその言葉をもらっているようなものじゃん。 相思相愛にもほどがある。 そしてシオンはもう既に幸せなんだやっぱり。
未来がないからこそ達観していた少女が、未来があるからこそ落ち着いて見せるこの成長……その全てが、やっと一歩前に進めそうな、真っ直ぐで今しか見えない男のおかげなの、泣いてしまう。
もうこれいくら語っても薄っぺらいな。 アルシオの関係性のよさのすべてがこのシーンに詰まっている、もう無理。
枢幹
ナザミルは誰も傷つけたくない、性根の優しい子。 だからこそ、憎むのではなく自分を消すことを選んだ。 こんないい子が幸せにならないのどう考えてもおかしいのでどうにかなってくれ……。
曲がよすぎる 曲が良すぎる……!!ひたすらに最初から最後まで桜庭節がすぎるぅ……集大成感がすごい……ずっと聴いてた……。
ここにきてまた飯の話で盛り上がるアライズの安心感。 すべては飯に始まり飯に終わる。
ステータス画面の表情いつのまにか変わってて細かくて驚いた。夜明けのその先……。
ひとまずナザミル置いといて(ごめん) 次からひたすらサブクエ回収の巻です。
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『リボルバー・リリー』を観てきました
まず初めにこの手の作品には興味がなく、行ったのは付き合いの為です。
ネタバレになってしまうので詳細は語りませんが、言いたいことが2つございまして……。
1.「謎の老婆」がマジで謎
あの幻術師みたいな謎の白髪の老婆何なんですか???名前も素性もあの謎テクの方法も効果も情報が何ひとつ明かされないまま出演シーン合計10秒程度で謎だけを残していったあの謎の老婆、マジで何なんですか?
2.被弾しろ
多勢に無勢、それも至近距離での銃撃戦でも主人公サイドは絶対に被弾しないんですよね……悪しき邦画あるあるでは?主人公サイドが全員五体満足でピンピンしていてびっくりしました。MGSのフォーチュンじゃないんだからよォ~!!
言いたいことは無限にありますが、キリがないのでもう黙ります……お盆で旅行しないファミリー向けの映画だったなぁ~、以外の感想がなくて……。あ、作中においてアメスリのワンピースを着用しているシーンがあり「いや骨スト~!!」と心でシャウトしました(※帰宅後ネットで調べたところ骨格ナチュラルと言われておりますが、あの肩を見る限り私は骨格ストレートだと信じています)。
今一番観たい作品は『Pearl』です。
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