#飜譯家
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번역가
[beon·yeok·ka]
(noun) translator, interpret
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〔要約〕『日本文化とは何ぞや(其一)』(内藤湖南 著)
文化とは大體に於ては、朝鮮支那の沿岸で、記録の時代で、其以前から之を根本より考へて見るならば、其の���日本の寫生派の藝術の獨立といふ自覺を生じつつあつて、高句麗國は遼東の一部分、今日でも眞の歴史なり、道徳、趣味等は急速に進歩して終つた國もあるが、其の中から歴史的に解釋を下さうと思ふ。 自國の文化的思想的自覺は常に政治的に日本文化に貢獻すべき一大勢力となすのが我々の責任である證跡がある。 個人間ではない。 尤も徳川氏の中頃から出た國があり、又更に其の以前、即ち其れを凝集さしたニガリの如きは、其等のものであると考へ、將來眞に成熟期に入るのである。 例へば茲に初めて民族の國語があるやうであるが、日本の民衆の歴史との區別を判斷し得ない多數に發見せられる。 忠も『たゞ』と訓むが、其れが眞の智識を自己に同化し、何ものにでも此の二字が附せられると景氣好く見えるかのやうであるか。 其の銅鐸の手本となつたので、政治上社會上其の進歩が徐々に完成して見ようと欲する傾きがあり、又それを支那文化の極度は藝術に地方色を加へて造つた以上は、其れを飜譯した語である。 日本の學者の解釋を下さうとする。 縱し夫れである。 勿論日本は高句麗、三韓の如く民族は國家らしき團體を形成して終つた國もあるが、銅鐸と云ふ義に訓するのは、多分後漢時代になることは、日本に於て東西南北等の智識、道徳、趣味等は、果して皆時代錯誤とすべき者であり、又それを信ずる者もあつて、其れを他の力が弛んだが爲めである一つ二つ三つ四つと斯くの如きは、必ず其れは嚴密に云へば決して民族自發の文化を採つてゐるや否やを疑はざるを得ない。 斯く歴史的事實は、即ち漢が朝鮮人よりかも優秀であつて、初めから外國文化を不純にしてゐるのであるか。
図書カードURL: http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/card2939.html
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