#鍛治昇
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Lobby card for Whirlwind Of Love (恋のつむじ風), 1969, directed by Noboru Kaji (鍛治昇) and starring: Meiko Kaji (梶芽衣子) Chieko Matsubara (松原智恵子) Ryotaro Sugi (杉良太郎) Teruko Hasegawa (長谷川照子)
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お手軽で効果的!自宅で簡単な運動 踏み台昇降運動
いざ、運動を始めようと思っても外は雨・・・。
外で運動は、健康維持の為にも重要です。
が、運動に適した日って年間に何日あるの?
仕事や学校、家事育児などしていたら外で運動なんて難しく感じてしまいますよね。
なら、外ではなく自宅で簡単。
多くの方が問題なく行えるエクササイズを一つ紹介したいと思います。目次
お手軽で効果的!自宅で気軽に出来るエクササイズ
お手軽で効果的!踏み台昇降運動の方法
踏み台昇降運動の方法1・準備
踏み台昇降運動の方法2・運動方法
踏み台昇降運動の方法3・ポイント
踏み台昇降運動の効果
踏み台昇降運動の効果1・大腰筋(背骨と骨盤、両足をつなぐ筋肉)
踏み台昇降運動の効果2・腹筋と背筋(体の中心となる体幹部分)
踏み台昇降運動の効果3・大腿四頭筋(太ももにある最も強くて大きい筋肉)
踏み台昇降運動の効果4・大殿筋(骨盤から太ももの骨に向かって伸びている筋肉)
最後に
関連
お手軽で効果的!自宅で気軽に出来るエクササイズ
踏み台昇降とは、文字通り踏み台(段差)の上り下りをくりかえす運動です。
もしかしたら、小学校時代に経験されたかも多いかと思います。
踏み台の高さを変えれば運動強度をコントロールできるので、低い段差で長めにエクササイズをして脂肪を燃焼させたり、高い段差で筋トレ効果を高めたりすることもできます。
自宅でテレビを見ながらでもできる手軽なエクササイズなので、走ったり筋トレしたりするのはどうもやる気が出ないという方にもおすすめです。
お手軽で効果的!踏み台昇降運動の方法
踏み台昇降運動の方法1・準備
1. 踏み台を準備する 「踏み台」というと大きな段差を想像しがちですが、15cm程度の台で問題ありません。
ご自宅に階段があるなら階段の一番したの段を活用するのもお勧めです。
筋肉をつけたい場合はそれ以上の台を使うのも効果的です。
しかし体力や運動歴によって調整したほうがよいので、ご自分にあった高さを無理せずに試せれば理想的です。
そして一番大切なのは、丈夫で安定した台を選んで下さい。
2. 準備運動を行う 踏み台昇降は簡単な運動ですがけがの予防のため、簡単な準備運動をしましょう。
腰・太もも・ヒザ・ふくらはぎ・足首などを使いますので、体を前後に曲げる運動・屈伸などを行っておきます。
ラジオ体操などがお勧めです。
踏み台昇降運動の方法2・運動方法
運動の目安:5~10分くらいから始め、徐々にのばしていきましょう
1. 踏み台を、安定した場所に設置する
2. 踏み台の真ん中あたりに立ち、一歩ずつ確実に昇り降りを繰り返す このとき、踏み台の端ではなく、真ん中に立つようにしましょう。
端に昇る癖がつくと、リズムに乗った時などに、踏み外してしまうことがありますので注意してくださいね。
踏み台昇降運動の方法3・ポイント
顔は正面を向き、一歩一歩踏みしめるイメージで行いましょう。
慣れてきたら、お部屋の広さがあるならダンベルを持つ・大きく動く(手をふる・足幅を広める)・スピードアップするなど工夫をするのもおすすめです。
踏み台昇降運動の効果
踏み台昇降は有酸���運動として脂肪燃焼に効果があります。
加えて、筋肉も鍛えられることで次のような効果も期待できます。
踏み台昇降運動の効果1・大腰筋(背骨と骨盤、両足をつなぐ筋肉)
ゆがんだ骨盤を正常の位置に戻し、姿勢をよくします。ウエストを引き締める効果も。
踏み台昇降運動の効果2・腹筋と背筋(体の中心となる体幹部分)
腹筋と背筋を鍛えることで腰痛予防になり、姿勢がよくなります。
また、腸を支える筋肉が強まり、便秘解消も期待できます。
踏み台昇降運動の効果3・大腿四頭筋(太ももにある最も強くて大きい筋肉)
歩くときや立ったり座ったりするときに重要となる筋肉で、鍛えることによりむくみを解消、しなやかな脚に。
踏み台昇降運動の効果4・大殿筋(骨盤から太ももの骨に向かって伸びている筋肉)
お尻のあたりの組織を正常な位置に保ち、ヒップアップの効果が期待できます。
最後に
踏み台昇降運動を行う際には、以下の点に注意が必要です。
正しいフォームを心がけましょう。
心臓や血圧に不安がある方や持病がある方は、主治医の方と相談の上、行いましょう。
ヒザや腰に痛みを感じたら、決して無理をしないように心がけましょう。
これらの点に注意して、踏み台昇降運動でリバウンドしにくい健康的な体を作りを始めてみませんか?
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睡眠,休息與休閒
H:睡眠是正常睡覺,休息是打瞌睡或閉目養神。宗教稱為冥想,靜坐。病人叫靜養,閉關是宗教的大修練,古人叫閉關,今人叫禪修,外面叫禪修訓練營。休息是為了走更遠的路,是恢復精神,放鬆神經。睡眠是必須的日常,休息是提昇效率,轉化其他型式的暫停工作。
「在患病的時候,任何人都是壞人。」累影響脾氣改變情緒,變成面目可增。正常睡眠,適度休息,最自然的養生法。
有時累了,坐著打瞌睡,任何的聲光影像已吸引不了你,所有一切静止,引導進入夢鄉。這是身體累了,順其自然,不工作的時候叫休息,工作時叫偷懶,上課時叫朽木不可雕,開會時叫不尊重,與人說話時叫不禮貌。休息要分清場合,不經意的休息叫注意力渙散。解決之道,有病看病,沒病喝咖啡。休閒之道在個人。20240423W2
網路資料:
睡眠
很多人都以為睡覺失去意識了之後,大腦就像關機一樣,但事實上在睡眠過程中,我們的腦袋並沒有閒著,腦波變化的規律性,也讓睡眠專家發現,睡眠可分成四個睡眠不同的階段。 睡眠可分為快速眼動睡眠以及非快速眼動睡眠,非快速眼動睡眠可分為三個階段(即第一、二、三階段),加上快速眼動睡眠階段即形成四階段。
休息
釋 義
暫時停止工作或活動。常帶有放鬆身心,以待復原的意思。
放鬆
釋 義
從緊束的狀況中放開。 例放鬆繩子、放鬆腰帶
比喻紓解。 例考試結束,考生可以放鬆心情,好好玩一下。
放寬、不堅守原則。 例放鬆標準、放鬆規定
愈休息愈累?最糟糕的3種休息方法
第1名:滑手機
「用眼」就等於「強迫大腦工作」。
第2名:久坐不動
久坐不動對健康的危害非常大,還會使得大腦的工作效率變差,等於「連續久坐1個小時,平均壽命就縮短22分鐘」。
第3名:累了才休息
最有效的3種休息方法如下:
第1名:運動
在寫作等工作上遇到瓶頸的時候,就會去「散步」。
1. 伸展運動:雙手往上伸直、往前伸直、轉一轉肩膀等,簡單的伸展運動,也會發揮不錯的清醒效果。
2. 爬樓梯:
3. 走一走,動一動:休息的時候不要再一直坐著不動。
第2名:讓眼睛和大腦休息
所謂有效的休息,就是「讓大腦休息」,也就是把大腦關機。
很多人會覺得發呆很浪費時間,其實這是一種主動「讓大腦休息」的行為,可以恢復專注力、提高接下來的工作效率。
有些人累了會趴在桌子上休息,這也是很好的一種休息方法。閉上眼睛休息幾分鐘,這種類似小睡的作法,可以讓大腦獲得恢復。閉上眼睛冥想或是做正念練習,也是不錯的方法。
第3名:交流、閒聊
長期打瞌睡小心罹「3 大疾病」!醫揭 5 招幫助快速打起精神
長期打瞌睡 3大疾病1糖尿病風險、新陳代謝失調、自律神經失調風險增
你是否會一坐下來就開始打瞌睡,常常想睡覺無法打起精神?重症醫師黃軒提醒,如偶打瞌睡無大礙,天天打瞌睡,可能就是身體發出的��訊!
研究人員指出,會導致長期打瞌睡可能與壓力、生活習慣或是身體狀況等因素有關:
壓力過大:
壓力源包括工作、學業、家庭等,長期承受高度壓力容易造成睡眠不足,
不良生活習慣:
經常熬夜、過度使用電子產品等。
環境因素:睡覺的環境不佳,例如夜間光線過強、噪音過大等,都會影響睡眠品質。
身體狀況:若患有疾病(例如:憂鬱症、焦慮症、慢性疾病、睡眠中止症)。
飲食不當:千萬不要在晚上攝取過多咖啡因或含糖食物、喝酒。
維基百科
閉目養神可以讓大腦細胞、全身肌肉和器官得到休息,緩解壓力,改善情緒,提高警覺度和創造力。 美國睡眠專家克里斯托弗·溫特博士表示,大多數人無法控制自己何時入睡,但可以控制自己何時休息,給自己的思緒“留白”。 要知道,大腦在清醒時和睡着時發出的腦電波是完全不同的。 清醒時發出的是β波,入睡期發出α波和θ波,深睡期發出δ波。
靜坐為中國的冥想法,最早源起於佛教的禪坐與道家的坐忘,後來被宋明理學家所吸納,形成儒家自我修養的方式。廣義的靜坐,包含了佛教、道教與儒教的冥想法;狹義的靜坐,則專指儒家。
冥想(英語:Meditation),是一種心性鍛鍊法,在瑜伽裡經常使用,在佛教、道教中則稱為打坐、坐禪。大致可分為兩種作法,第一為將注意力集中一處不動,例如集中於身上脈輪、咒語或身前的燭火等等。第二為心裡觀想特定圖案景象維持不動,如複雜的曼陀羅圖案,有次序的顏色景象變換以及上師神明圖案等等。通常必須先於第一作法得到成果再進行第二種作法,任何一種觀想或集中都有其特定的效果與身心的轉變,所以必須依賴有經驗的老師指導。道家也有「獨立守神,肌肉若一」、「精神不散」、「積精全神」、「守一」、「心齋」、「坐忘」之類的冥想方法。
覺察減壓(Mindfulness-Based Stress Reduction, 簡稱 MBSR) ,做為減輕壓力和疼痛的一個方法,冥想已經進入醫療保健的主流。做為減輕壓力的一個方法,冥想已經被應用於醫院中的慢性或絕症個案,以減低因升高的壓力-包含已被壓抑的免疫系統-的複雜性。在醫學界,有越來越多人同意,心理因素,如壓力、緊張的確是身體缺乏健康的部分因素,在主流科學裡,有越來越多人對這個領域的研究提供資助。
內觀禪修
由耶魯大學、哈佛大學、麻塞諸塞州總醫院所做的一項研究顯示,冥想可以在大腦的特定區域增加灰質,並可能減��自然老化過程中的大腦退化這一部分。
該實驗有20個人進行密集的佛教「內觀冥想」訓練,另15人則沒有打坐。腦部掃描顯示,那些打坐的人在腦部負責注意力和處理感覺輸入訊息部位的灰質厚度有增加。一些參與者每天打坐40分鐘,而其他人已經打坐多年。實驗結果顯示,腦厚度的變化依隨冥想時間的長短變化。厚度的增加在0.004和0.008英寸(0.1016毫米 - 0.2032毫米)之間[25][26]。
坐禪
詹姆斯·奧斯汀博士(美國科羅拉多大學的神經生理學家)在他的書《禪與腦》(Zen and the Brain)(奧斯汀,1999)中報告說,操練冥想禪會「重組大腦中的電路」。透過使用功能性磁共振成像儀,測量大腦中血液流動的掃描技術,這已被確認。[來源請求]
靜觀一詞很大機會在香港誕生,因爲這個詞語率先出現在香港。直至現今,Mindfulness 一詞在香港通常譯作「靜觀」,在其他華文的國家或地區,如台灣、中國大陸等,則較多譯作「正念」。但實質上都是同一個概念。
正念療法
正念(英語:)的概念最早源自於佛法;然而,當代的正念大多已去宗教化、去儀式化,只留存其中的心智鍛鍊方法,並廣泛應用於各領域中。簡單來說,當代的正念,指的就是活在當下,讓人更專注在生活的每一刻,並隨時觀照和重整內心狀態的一種態度與做法。 目前臺灣常見對於Mindfulness的中譯之一也是正念。
閉關,就是閉門謝客,隱居修行。 閉關期間的住所,就稱作「關房」;關房外要有人「護關」,護持這一段期間的飲食、醫護等雜務,讓閉關者能摒除外緣,做專修的法門。 閉關的時間、目的各有不同,有的人閉關一年,或二、三年,甚至進了關房就不出來,一生就在關房裡閉「生死關」。
修士
天主教及东正教男修行者
修士(英語:friar,或fray),也稱修道士、隱修士,是天主教以及東正教對於男性修行者的稱呼,但不屬於神職人員。日本學制中的修士相當於碩士,也稱博士前期。
僧伽居士訓練班為期四年,結業後獲頒證書,並可申請進入法界佛教大學深造。
網路資料
休息的真正含義是什麼?是恢復精神,放鬆神經,當你重新投入工作與學習的時候覺得又是一個精力充沛的新人。
我們能想出來的休息方法不是痴睡就是傻玩。
活動清單,基本思路是以“做”來解決“累”,用積極休息取代消極放縱。當然,最適合你的方法還是要你自己探索。
首先,來看看我們對休息有哪些誤解
睡眠(pixabay) 一、腦力勞動者,補瞌睡對你沒什麼用 ...
閱讀(pixabay) 二、不必停下來,只是換一下 ...
做數學題休息(pixabay) 三、最好的休息,是讓你重燃生活的熱情 ...
旅遊(pixabay) 4、旅行,而不是換個地方消遣。 ...
休息(pixabay)
法國傑出的啟蒙思想家盧梭就講過他的心得:“我本不是一個生來適於研究學問的人,因為我用功的時間稍長一些就感到疲倦,甚至我不能一連半小時集中精力於一個問題上。但是,我連續研究幾個不同的問題,即使是不間斷,我也能夠輕鬆愉快地一個一個地尋思下去,這一個問題可以消除另一個問題所帶來的疲勞,用不着休息一下腦筋。於是,我就在我的治學中充分利用我所發現的這一特點,對一些問題交替進行研究。這樣,即使我整天用功也不覺得疲倦了。”所以,如果你有好幾個問題要處理,最好交替進行,而不要處理完一個再開始第二個,那樣會很快被耗盡。
休息一事,利大於弊。老話:“在患病的時候,任何人都是壞人。”即使是心底最善良的人,在身體疲憊不堪、神精衰弱的時候,也會變得不通情理、脾氣暴噪。因此,當需要休息的候,你應該休息
「休閒」是滿足生存及維持生活之外,可以自由裁量運用的時間、從事自己喜愛的活動;是一種理念上的自由狀態,和精神上的啟蒙。 漢代許慎於《說文解字》中所記,「休」,從人依木,人在操勞過甚時,常倚靠樹木來減低疲乏,休養精神,故休之本意為息止也,有休息、休養等待的意思。
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2024.1.26fri/tokyo
満月のせいか昨日は夕方から背中が激痛で早く就寝したため、今朝は5時前に起きる。 背中の痛みは消えていてよかった。もしかして行ける?とドアの外に出て外気を確かめる。まだ空は暗く満月がポワっと輝いてた。 寒いは寒いけど、大丈夫かも!とすぐに身支度を始める。
去年の夏から持病が悪化して、いわゆる難病指定の病を完治できるという東洋医学とめぐり合い、体質から変革しようと鍼灸と食事療法で治療中。長い月日がかかるだろうと診断され秋からゆっくりと取り組んでいる。大人になってほぼ体重変動なかったのに初めて10キロも落ちた!いっぱい食べても吸収しないのだ。普通の日常を過ごせてはいるものの全く動作が進まないことが多くなった。 日頃から時間や予定どおりにこなすことが苦手なのに、当たり前な簡単なことも輪をかけて思うようにいかない。 きっと今朝もゆっくり寝ていた方がいいとなるけど、目覚めてなんだか快調な感覚だ。 直前でも変更することもあるように、立ち止まりからだの今の声を聞き、直感で行動するようになった。
朝のルーティンは体重、体温を測る。ご先祖さまと色んな存在への感謝のお祈り。白湯とお茶を飲んで玄米餅が入った味噌汁をいただく。たくさん着込んでカイロも貼って支度。6時: よし、いくぞ!と外に出て自転車を走らせる。まんまるになったばかりの満月が澄んだ冬の夜明けの空にくっきりまだ見える。
実は2年半前から始めたこと。ある深夜、お導きのように突然入ってきた「武道」というワード。 全く自分の頭になかったこと、��報ゼロのまま入門。名前や自分のこと、相手のことも知らない、ほぼ言葉も交わさない世界に別次元にいるような心地よさがあった。この感覚を大切にしたいとほとんど周りに告げず、自分の内側だけで鍛錬していこうと思った。何も身についてもいないのに発露すると何か薄い感じになってしまう思いもあった。このことはそろそろ自身がもうひとつの段階の始まりが来る頃でもあり、どこかで改めて綴りたいと思っている。
今朝の稽古は仙人のような師だ。言葉少なく独特な空気を醸し出し私は好んでいる。しかし前の晩寝るのが遅くなるとなかなか出れない。 今日は支度が遅れ、掃除には間に合わなかった。本来は掃除もひとつの大切なこと。でもできなかった自分も許そう。薄暗いなか、各々が拝礼から身体を温める動きや柔軟体操する。そして静かに師のそばに集まるように始まる。 力を出力するとき、手を伸ばす時、からだのどこに収まるかを観察していく。作用反作用、地味にとてもむずかしい。 朝日が道場に差し込みはじめ神秘的だ。普段の稽古と違い激しく動かないからとにかく冷える。少し動いていても、つま先がどんどん感覚がなくなっていく。1人ずつ教えていただく時間になり、私はあまり出ないから一番最後の順。1時間以上は待つ。しばらく待っていたが冷えは大敵、今は体調を思い諦め切りあげる。 ロビーで暖をとっていたら、特別に自衛官の禊稽古があったようで居合わせた。この人たちが国を守っているのだなぁという貫禄。
外に出るとすっかりお日様が照って日差しが暖かったので少し日向ぼっこしていこう。同志も「一緒にいいですか?」とふたりで何気ない話でぼーっとするひととき。辰年にちなんだキャンディをくれた。かわいい。誰もいない冬の空気、木の影が美しい。都心とは思えないこの風景と時間が好きだ。 あら、もう9時半!またね!と別れ家路に。
食事療法は昔の��本の食生活がお手本にすればいいと改めて思う。このところ発酵づくりにスイッチ入っている。 「自分の菌を取り入れるといいんだって」と最近色々作っている市子チャンに教わる。自分の住むところ、ルーツの産地のものを取り入れるのもいいと聞き、父の故郷・安曇野の麹とお水も用意した。塩こうじを先日仕込み、ひと瓶ずつに「ありがとう、美味しくな~れ!」と声かけしながら毎日混ぜ混ぜ育んでる。 昨夜仕込もうとしていた味噌づくりをこれからする。2晩以上浸した大豆を弱火でじわじわ煮る。 時々灰汁をとったり、煮汁がなくならないように見守らなければならない。灰汁がミステリーサークルみたいに浮き上がり、渦がぐるぐる古事記の神様の国産みたいだ。 3月の展覧会のためのお財布制作の革カットも並行して進める。この作業はパズルで神経と力を使うので一苦労。
もうすぐ大豆が煮えそうなところで、午後の稽古も出ようと決めた。 なかなか体調が定まらないけれど、行けると思う時は途中でギブアップも承知で行く。今心がけているのは���きるだけがんばらなく普通な行為となるように途切らせないリズム。無理をしないで氣を枯らさないようにしていく鍛錬からの体力づくり。あとは何となくな気持ちに任せる。 昨日姉が持ってきてくれた豚汁をお昼に頂いて、再び道場へ向かう。
午後は館長の稽古。今朝の自衛官たちの話から始まった。 「日本の自衛隊は今も能登災害にあるように救助復興に��躍する立場と世間では認識されているが、本来は国防というお役目。彼らはそうであるが、じゃあ我々は何ができるのか?同じようにはいかないけれど一人一人にお役目があることを改めてそれぞれが考え、まずはからだをつくるということ。」まさに自分が今軸としている「からだづくり」。基礎体力をつけていきたい。 先日はスタミナ切れになり途中ギブアップしたが今日は最後まで通せた。 よく教えてくれる学生さんとお話ししながら門を出る。
17時:お客様のオーダーのイヤリングの納品へHELENHEIJIに向かう。 通りがかりに木材の端材が路上販売していた。いくつかお店のディスプレイ用に頂いていく。 その先のオーガニック店でネギと赤かぶ、煎餅を買う。今グルテンと乳製品のスィーツを控えているので最近はお煎餅ばかり買っちゃう(揚げNG)。 食材も原材料を細かく見ちゃうし、買い物にも時間を要する。お弁当とか揚げ物は油が多いので買えなくなったし、病気を通して食の見直しのタイミングなのだと思うようになって面白い。 HELENHEIJIで納品&少しおしゃべり。まだミッションあるから!といつもより早く帰る。切らしていたティッシュを買い、すっかり暗くなり朝と同じ風景に満月が再び昇っていた。
帰宅後、すぐに大豆煮と仕事を再開。小腹が空いて、おやつにこの前作った豆腐とヨーグルトの干柿ケーキを一口。保存瓶の煮沸、麹と塩もすり合わせていく。 経理をしてくれている姉から去年の経費報告の催促。事務作業、いつも溜めてしまう。 やっと豆が柔らかくな��、次の工程なんだっけ?と調べつつ、とにかく豆を潰す作業。これがまた大変。やっと瓶にぎゅうぎゅう詰めて仕込み終わった。初めての味噌作り、わずかな量なのになかなか時間がかかってしまったけれどその分愛おしい。味噌として出来上がりが待ち遠しい!
22時:遅い夕食。ささっと作れ、消化に良く身体を温める大根とネギ鶏むね肉の梅干し鍋。 兵庫のあげちゃんが私の体調を知った途端に秘蔵の貴重な梅干しと味噌、糠床を送ってきてくれた、2020年の梅を使う。何も調味料入れず梅だけで濃厚な味がこんなにでるのか!と驚く。きっと滋養番長のあげちゃんの愛が凝縮されている。普段なかなか会えない友人たちにいざという時に支えてもらえありがたい。 経費整理が終わらず一区切りなところで今日は終了。姉に送信。 0時半:お風呂に入る。首まで温まって、出てお灸をすえる。まぁまぁメンテナンスも時間を要するから寝不足になることが多々。睡眠が一番なのに、、な矛盾!
常に食べられるものは何か?からだに合った食材、料理。日々からだの巡りを整えること、仕事をこなしつつ、1日がアッという間で他のことがほとんどできない。今日もあの人に連絡できなかったーとか、お礼もちゃんと伝えられてない、先送りや何かを観に行ったりなど諦めることが増えた。それも良しとしていく自分の中の手放し。 人と比べず自分が今できることを、ひとつひとつからだの声を聞く。2歩進んで3歩下がることもあるけど、自分に与えられた命は何かのメッセージ。日々積み重ねていく小さなことが、やがて積もって本来の自分と一致した「ヒト」となれるよう、今日も一日ありがとう、おやすみなさい。と眠りにつく。
-プロフィール- フクシマミキ 東京 mïndy @mindy_22 www.mi-ndy.com
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2024年1月21日
天皇盃第29回 全国男子駅伝
障害者グループホーム、横浜・金沢区で開設断念 住民反対「こんな施設ができるなら、お金があれば引っ越したい」(カナロコ by 神奈川新聞)2024年1月21日
開設を予定していたグループホームの間取り図を説明する運営会社の現場責任者=横浜市金沢区
横浜市金沢区に開設予定だった障害者のグループホーム(GH)が、近隣住民の反対を受けて断念していたことが分かった。運営会社などによる説明会では「住民感情になぜ配慮をしないのか」「お金があれば引っ越したい」などの発言が相次いだといい、入居者の精神的負担を踏まえて中止を判断したという。
GHは空き家だった同区内の戸建てを改修し、昨年11月に開設予定だった。日中は作業所などに通う知的障害者6人が、スタッフの支援を受けながら共同生活を送る想定をしていた。
しかし同10月、町内会からの要望で設けられた説明会では、地元住民から開設を拒絶する感情的な発言が相次いだという。説明会に参加した関係者らによると「こんな施設ができるなら、お金があれば引っ越したい」「(町内会の)全員が賛成しない限り、やらせない」などの発言があった。
運営会社代表の男性(48)は「悪者扱いされ、つるし上げのような状態だった」と振り返り、「『(入居者が)視界に入る』と言われた時、感覚が違い過ぎて理解できなかった。対話自体が困難だった」と話す。
説明会終了後、「入居者を守りきれない」という判断から当面の開設を断念。横浜市のGH新設事業に応募し、設置・運営の補助も決まっていたが、年度内に開設できなければ辞退せざるを得ないため、開設は最短でも2025年度にずれ込む見込みだという。情報提供を受けた市も町内会への聞き取りを行っており、参加者による差別的な発言があったことを確認した。
ブロッコリー「重要な野菜」に昇格…購入量増加、半世紀ぶり「指定野菜」に(読売新聞)2024年1月21日
農林水産省は、消費量が多く国民生活に重要な「指定野菜」にブロッコリーを追加する。現在はキャベツやダイコン、トマトなど14品目が指定されており、新規の追加は1974年のバレイショ以来、半世紀ぶりだ。2026年度から適用する。
ブロッコリーは、指定野菜に準じる35品目の「特定野菜」となっている。特定野菜から指定野菜への格上げは初めてだ。安定的な生産を促すため、価格が著しく下がった場合に生産者に支払われる補助金が現在よりも手厚くなる。
農水省によると、ブロッコリーの22年産の出荷量は15万7100トンで、12年産から28%増えた。総務省の家計調査でも、2人以上の1世帯あたりの購入量が22年に4850グラムとなり、12年比で29%増だった。
農水省は「出荷量が横ばいか���少傾向にある野菜が多い中、他の指定野菜と肩を並べる規模になった」としている。
ブロッコリーは北海道や愛知県、埼玉県が主要な産地となっている。大規模な生産者や出荷団体は、農水省に登録すれば補助金の対象となり、国のガイドラインを踏まえて供給計画を作成する。
「漁業は終わりや」 能登半島北側の地盤隆起、最大4m 船出せず(毎日新聞)2024年1月21日
海底が姿を見せた長橋漁港を見つめる鍛冶鉄雄さん=石川県珠洲市長橋町で2024年1月11日午後2時44分、阿部弘賢撮影
能登半島地震では半島の北側の広い範囲で、国内の観測史上、最大規模の地盤隆起が起こったことが明らかになってきた。漁港の海底は干上がり、漁業再開は極めて難しい状態に陥っている。津波の観測にも支障をきたした。研究者も衝撃を受けたという地殻変動はなぜ起こったのか。
◇海底露出で津波観測計も機能せず
日本地理学会によると、今回の地震で、能登半島の北側の海岸線が約90キロの範囲で沖方向に広がった。特に隆起が大きかった石川県輪島市門前町黒島町では、海岸線が約240メートルも沖側に前進したことが確認されている。海岸線の地盤は、最大で約4メートルも隆起して高くなった。
県の漁獲量は2021年、全国で19番目を記録した。大半は、豊富な魚礁がある能登半島で水揚げされたものだ。特に半島北側の「外浦」と呼ばれる海域ではこの時期、ズワイガニやアカガレイなどの漁が最盛期を迎える。しかし、輪島市や珠洲市、志賀町の19港で、地盤隆起による被害が出た。現地を歩くと、変わり果てた港とともに、途方に暮れた漁師たちの姿があった。
「もう船は出せん。漁業は終わりや」
珠洲市の長橋漁港は、高齢の兼業漁師が6人所属している。漁師の鍛冶鉄雄さん(67)は、港を見つめながら嘆いた。
1日の地震発生後、大津波警報が出たため鍛冶さんはすぐに高台に逃げた。そこから海を見下ろすと、波打ち際が普段よりもはるか沖の方にあった。「大津波の前の引き波だ。すごいのが来るぞ」。夜になっても月明かりを頼りにずっと海を見ていたが、大津波は来なかった。
翌日、港を確認しに行って仰天した。水深約2・5メートルあった港内は、まるで渇水で干上がったかのように海水がなくなり、海底があらわになっていたのだ。サザエ漁が中心で、海底にいる魚を取る刺し網漁もしてきたが、これでは船を出せない。鍛冶さんは「年金と漁業で生活してきた。漁がなくなったら痛い」と言う。
同じ珠洲市内の狼煙漁港の高屋地区は遊漁船も含めて15隻が係留され、専業の漁師が14人いる、市内では大規模な漁港だ。地震で約2メートル隆起した結果、港内の水深が1・5メートルほどまで浅くなり、漁船が動けなくなっていた。
さらに、サザエやアワビの主な漁場になっている近くの岩場は、隆起して海面から露出してしまった。
元の港に戻すには、広範囲にわたって海底を掘るなどの大規模な工事が必要になるとみられる。県漁協すず支所高屋出張所の吉田峰生所長(65)は「漁師は高齢者が多い。何年も漁に出られないなら、廃業する人も多いのではないか」と肩を落とした。
県によると、18年の県内の漁業就業者数は2409人で、10年前と比べて4割減った。さらに、その半数超が60歳以上だ。地域の漁業は、就業者の減少と高齢化という深刻な問題に直面していた。地震とそれに伴う大規模な地盤隆起は、既に弱っていた漁業に対して、先を見通せなくなるほどの大打撃を与えたのだ。
地盤の隆起は、防災情報の伝達にも課題を突きつけた。
14日、輪島市の輪島港に、背丈を超える高さの大型機器がクレーンで運び込まれた。「地盤隆起が、津波を観測できなくなった原因とみられる」。国土交通省港湾局の瀬水幸治係長は、集まった報道陣の取材に対してそう説明した。
この日設置されたのは、新しい津波観測計だ。地震前、能登半島の北部には、輪島港と、そこから北東に約25キロ離れた珠洲市内に、二つの津波計があった。
しかし、珠洲市の観測計は地盤が隆起して海底が露出したため、地震直後から津波を計測できなかった。輪島港の津波計も、最大震度7の地震発生から11分後に、「1・2メートル」を計測したのを最後に止まってしまった。隆起によって内部の機器が損傷した可能性が高いという。
気象庁は1日の地震発生当日、津波の最大値を「1・2メートル以上」と発表するしかなかった。しかし実際には、珠洲市などの沿岸を4メートル超の津波が襲ったと判明している。【阿部弘賢、露木陽介】
◇最大規模、陸側の地盤が海側に乗り上げる
産業技術総合研究所・地質調査総合センターの宍倉正展グループ長の研究チームは8日、地盤隆起が特にひどかった石川県輪島市門前町の鹿磯(かいそ)漁港を現地調査した。夏には、地元名産のスルメイカ漁の拠点となる漁港だ。
つい1週間前まで海水で満たされていた漁港は干上がり、海底にあったはずの岩礁が地上にあらわになっている。それは沖合の方向に100メートル以上も続き、海水がなくなって息絶えたサザエやアワビなどがごろごろと転がっていた。岩礁��降りて、防潮堤の壁面に張り付いた貝やゴカイの位置から地震前後の海面の高さを比較すると、漁港は約4メートルも隆起していたと判明した。
宍倉さんは、地質から過去の地震像を解き明かす第一人者だ。30年以上にわたって日本各地の地盤隆起を調べてきた。千葉県の房総半島には、1703年に発生したマグニチュード(M)8・2の元禄関東地震で約6メートル隆起した痕跡が残っているが、「日本列島で科学的な観測が始まった明治以降では、最大の隆起だ」と強調する。
なぜ、能登半島地震でこれほど大規模な隆起が起きたのか。
今回の地震は、能登半島のすぐ北の海底を東西に走る活断層が動いて起きた。その断層面は、陸側の地盤が海側の地盤に斜めに乗り上げるような動きでずれる。そのため、陸側の地盤上にある半島がせり上がるように隆起したのだ。
能登半島は、過去の地震による隆起の繰り返しで形成されたと考えられている。実際、2007年の能登半島地震(M6・9)後の調査でも、宍倉さんたちは約50センチの隆起があったのを確認した。
それとは別に研究チームは地震前、能登半島の北側に「海成段丘」という地形を見つけていた。階段状になった海岸線の地形で、計3段あった。直近の約6000年前以降にできたと推定されたが、どの程度の規模の地震で段丘ができるのかは分からなかった。
そんな中、今回のM7・6の地震が発生し、調査で新たに「4段目」の段丘ができているのが確認された。宍倉さんは「数千年サイクルで今回のような規模の地震が起きて、海成段丘ができることが分かった。(国が地震の発生確率を予測する)長期評価などで、海成段丘の痕跡を利用できる可能性がある」と指摘する。
一方、日本地理学会が航空写真や衛星写真を分析したところ、今回の隆起で新たに「陸化」した総面積は4・4平方キロに及ぶことが判明した。沈降した場所は、半島東側のごく一部に限られていたという。
陸化した面積は、甲子園球場約114個分に相当する。国土地理院が公表する都道府県の面積を基に単純に足し合わせれば、全国34番目の福井県(4190・54平方キロ)と35番目の石川県(4186・2平方キロ)の順位が入れ替わるほどの規模だ。
同学会で分析を担当した広島大の後藤秀昭准教授は「断層面が半島の真下に位置したことで、大きな隆起になった。恐らく地形は元に戻らないのではないか」と指摘。国土地理院によると、隆起による地形変化を地図に反映する計画は今のところないが、担当者は「埋め立てなどを除けば、これだけ大きな変化が起きたというのは聞いたことがない」と話している。【柳楽未来、藤河匠】
【速報】広島・福山市などで震度1を観測 瀬戸内海中部を震源とする地震(RCCニュース)2024年1月21日
気象庁によりますと、21日午後7時2分ごろ、岡山県、香川県、愛媛県で震度2を観測する地震がありました。広島県では震度1を観測しています。
震源地は瀬戸内海中部で、震源の深さは20㎞、地震の深さを示すマグニチュードは3.9と推定されます。震度1を観測した広島県の地域は以下の通りです。
三原市、尾道市、福山市、府中市、神石高原町
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reading demon slayer: chapter 4 nouns
title: 炭治郎日記・前編 (たんじろうにっき・ぜんぺん) || tanjirou's journal, first volume
official english title: tanjirou's journal, part 1
数 – number, amount | かず
数百 – several hundreds | すうひゃく
政府 – government, administration | せいふ
組織 – organization, formation | そしき [+する]
古 – antiquity, ancient times | いにしえ
存在 – existence, being | そんざい [+する]
謎 – riddle, puzzle, enigma, mystery | なぞ
主食 – staple food | しゅしょく
繋がり – connection, link, relationship | つながり
異能 – unusual power, superpower, ability beyond that of humans | いのう
形 – form, shape, figure | かたち
生身 – living flesh, flesh and blood | なまみ
それぞれ – each
やり方 – way (of doing), manner, method, means | やりかた
向上 – elevation, rise, improvement, progress | こうじょう [+する]
難易度 – degree of difficulty, difficulty level | なんいど
気 – (after a verb) intention, will, motivation | き
邪魔 – hindrance, obstacle, nuisance, interruption | じゃま
手ぶら – empty-handed | てぶら
素振り – practice-swinging (of a sword, bat, tennis racket, etc.) | すぶり
縦 – the vertical, height; length | たて
横 – the horizontal; width, breadth | よこ
向き – direction, orientation, aspect, exposure | むき
方向 – direction, orientation, bearing, way | ほうこう
破損 – damage | はそん [+する]
�� – bone | ほね
受け身 – the defensive; ukemi (the art of falling safely) | うけみ
訓練 – training, drill, practice, discipline | くんれん
素手 – bare hand, empty hand | すで
地面 – ground, earth’s surface | じめ��
呼吸法 – breathing techniques, breath control | こきゅうほう
型 – set sequence of positions and movements in martial arts; style, form | かた
異常 – strangeness, abnormality, disorder | いじょう
昇華 – sublimating (an emotion or impulse), channeling, diverting, converting, elevating | しょうか [+する]
岩 – rock, boulder | いわ
許可 – permission, approval, authentication, license | きょか [+する]
鍛錬 – toughening, disciplining, training | たんれん [+する]
苦しみ – pain, anguish, distress, suffering, hardship | くるしみ
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コロナ陽性なので所感
新型コロナウイルスも五類感染症となり、コロナ禍といはれたのも過去の事、そもそもコロナは風邪の一種でしかないわけだが、近頃は特に感染者数が増加してゐるのは確かなやうだ。 感染者の増加は私の周囲で顕著であり、昨日8/22(火)、やうやく私も発症したので、現在までの所感を述べてをく。門外漢の意見ではあるが何かの参考になれば幸ひである。
因みに新型コロナワクチンは一度も接種してゐない。しかし、周囲が接種者ばかりなので、ある程度の悪影響は受けてゐる事だらう。 厳しい残暑のため体力的にも厳しい状況であり、免疫力が落ちてゐるのは明らかであつた。就寝中のサーキュレーターを使ひ過ぎたためか、22日朝に目覚めた際に、喉に違和感を覚えた。いはゆる風邪のひき始めに感じる違和感だ。因みにその前夜だつたか辺りに洗髪の際に頭皮に触れると痛みがあり、後頭神経痛だらうか、何にしても神経の状態が良くないやうだつた。 昼あたりには、悪寒、関節の痛み、頭痛があり、これは本格的な風邪だと感じたが、その時点で体温が36.5℃しかなく、普段と比べて不自然な程に発汗も少なかつたので熱中症か脱水のための体調不良なのではないかとも疑つた。 発熱はないやうだつたのだが、体感的には体温に釣り合はない辛さがあり、平たくいふなら倦怠感となるだらうか。それほど症状が悪いといふ感じはないのだが、かなりの違和感。 夜になり体温は38.0℃に上昇、体温と体調不良とのバランスが取れてきたやうに感じた。 ああ、これはあれだ。数年前だがインフルエンザに感染した際にタミフルを飲んだ事があるのだが、あんな感じの違和感がある。その当時、体感する体調はすこぶる悪いのだが、発熱だけがないので元気になつたやうな錯覚があつた。 馬鹿な話だ。発熱がある事��より病の原因となる異分子を排除する事が出来るし、発熱があれば自然と体調管理にも注意する。 若しかすると、この新型コロナウイルス。ないしは、それに対する臨床試験もしてゐない急造の遺伝子ワクチンの大規模接種により、タミフル的な症状を伴ふ免疫不全のやうな状態を引き起こしてゐるのではないだらうか? ミイラ取りがミイラになるではないが、良く分からぬ危険なワクチンを大量に接種した結果もあり、今後、発熱を抑制するやうな特性を持つ変異株が出てくる事はないのだらうか。感染しても無症状であれば共存関係といへるかも知れないが、無症状であつても水面下で健康を蝕むといふ悪質なものとならねば良いのだが。 何にしても結局は、新型コロナウイルス云々よりも、有害であり、どういつた副作用、将来的な影響があるか、何も分からぬといふ とてつもない危険性を持つたワクチンが大規模に接種されたといふ事実こそが、本当に問題であり、人体の備はる免疫機序の回復を強化せねばなるまい。 さて、話を戻すが、一夜明けて本日8/23、発熱外来で検査を受け、コロナ陽性であると告げられた。綿棒のやうなもので鼻を穴をほじくり回され、結果が出るまでほんの数分であつた。これで5,000円程度取られるのだから、堪らない。政府はワクチンなんぞに回す予算があれば、この辺りの現実的な医療にこそ予算を使はねばならないだらう。政治が利権に基づいて動いてゐる現実がよく分かる一例である。 因みにこの検査、PCR検査?いやすぐに結果が出たのだから抗原検査といふやつだつたのか?確認してをけば良かつたのだが、何にしても新型コロナのどの株に対しての検査なのだらうか? 発症から2日目の夜。また少し熱が出るだらうか?なんにしても、所感として本記事を書ける程度に体調は悪くない。食事の影響?水分の取りすぎ?少しお腹が緩いので、経口摂取するタイプのアルコール消毒(バーボンとか)を行つてみてゐる。経過には注意したいものだが、私自身の事よりも周囲に感染を広めないやうに努めたい。 ウイルス自身の特性なのか、人々の免疫力の低下なのか、その両方であるのか。感染が広まつてゐるのは確かなやうだから、無用な感染をせぬやうに注意して欲しい。もちろんマスクをしようといふ意味ではないし、ワクチンを打つなんてとんでもない事だ。 寧ろ、発症する事になつても前向きに「自己免疫力の鍛錬」であると考へてはどうだらうか。
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Koji Wada (和田浩治), Meiko Kaji (梶芽衣子) and Chieko Matsubara (松原智恵子) in Whirlwind Of Love (恋のつむじ風), 1969, directed by Noboru Kaji (鍛治昇).
Scanned by me.
#Meiko Kaji#梶芽衣子#Chieko Matsubara#Koji Wada#Masako Ota#太田雅子#Whirlwind Of Love#Noboru Kaji#和田浩治#松原智恵子#恋のつむじ風#鍛治昇#scanned by me#lobby card
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盤功淺論
在下���集到的盤功資料也不多,市面上能收集到的資料也許就只有俏佳人出版的峨眉盤功DVD,但是在下可以肯定的說,盤功絕對不是像有些對下盤功夫、腰馬功夫、護身倒法沒有自我要求的男孩子所說的花式表演。
盤功也是一種樁功的強化功法。以前忍者作品角色是比較擒拿和大力式的 就像侍魂的角色那樣 很多男孩子不想練的功法都被歸類到忍者這個分類,火影忍者就是怪怪的 一個忍者不像個男人 都是些天才型少年 比古清十郎還比較像是個忍者。現在忍者的東西又被男孩子拿來玩 。
肥宅或是說現在的節能型男孩子就是:武藝、工藝、文藝的三觀不正,因為搏擊、技擊、格鬥這些東西牽涉很多武藝的問題,以前父權文明國家審核武術格鬥就不只有擂台而已,他可能要審射箭、騎馬、舉重、健力三項、拳擊、角力、田徑等一堆功法,他還要審學生寫的文章,他甚至審你的祖宗八代。
本來是沒有這些問題的,一個選手要去比賽是經過挑選的,有時候教育是希望學生能夠自我要求和自主鍛鍊,但是有的男孩子就把資源用來搞批判教育和政治正確。
肥宅在網路上常做武術格鬥的論辯,一個想舞弊和聰明賺錢的人要跟他講什麼比賽的事情呢? 練功也好 研究戰鬥技術也好 要跟誰辯論什麼?要浪費時間和敵人辯論嗎?
現在的教育就是過度富有和過度文藝感性,這邊一個世界,那邊一個世界。什麼是網路世界?網路世界就是一堆肥宅和酸民亂寫文章在佔用女孩子的資源,男人不正性別歪。
史地課不教預警規劃和耕農勞動,只會在教室裡讀死書和炒批判教育。世界是開墾出來的,這個過程克服了無數的難關,才有今日的文明成就,還需要進行維護和管理。絕對不是一些喜憨學者所說的逃避主義 或者什麼阻力最小路程的社會理論 一個社會理論可以敗壞了所有的教育心理。
所以有的學生突然好像中邪一樣說要到柬埔寨打工可以領高薪,結果被人蛇詐騙集團監禁。
現在的網路就像是日本鬼怪故事���的荒郊野外,不僅有各式毒蟲的生態環境,還有一些荒墳 不知道有��麼東西在和人招手,在下的意思是有神棍和詐騙份子和人裝朋友在騙財騙色。
有的人看了中二病也要談戀愛第一集加上一些酸民的評論就被嚇到了,類似這種的問題其實是肥宅造成的,有的男孩子就是玩藝術、炫耀知識和想聰明賺錢 在科學、藝術、宗教這些領域炒批判教育,結果有的學生對這些領域變得更迷信。
這樣的男孩子不僅沒有練功心理,把修身養性的功夫省略,在先天血緣上只會拿父權文明的技術批判父權文明,在後天血緣上就像明星高中集體式的把課本往下丟叫做宣洩壓力,會搞些像是性解放的人際關係、然後回家好像發酒瘋一樣跟愛人抱怨倒垃圾。
所以在下會覺得,女孩子喜歡格鬥的東西可以先把格鬥用來修身養性,常常練習這些基本功,然後再去研究像是比賽的事情。
對於格鬥要有比較務實的歷史觀,在父權文明裡女孩子像花 本質上就是武學的,花在武學裡是很極限生存的問題。修身養性的養生功夫和格鬥是因為以前的環境資源匱乏,古人只能很嚴格地鍛鍊身體,以強大的神明作為鍛鍊的功能性目標,藉由練功來獲得健康,這些東西得靠自己。
格鬥和拳擊一樣很重視防禦,可以把格鬥看成是制邪功夫的強化功法,把制邪功夫應用在防禦上 針對戰鬥中各種混亂失控的問題做改善和強化,因為提高了防禦能力,也提高了對極限環境的生存能力。
那什麼是制邪功夫?在下的觀點是制邪法是由很多功法組成的修身養性系統,這個修身養性的系統需要自己去研究、練習和組構。從預警規劃和偵查中針對情況組合不同的功法來控制自己的混亂,督促自己天行健自強不息練功心理的基本功生活。控制混亂和偵查常常都是制邪的第一步,這些東西不需要和別人論辯。
那麼要怎麼用格鬥練習修身養性的功夫,請參考以下的小功法,這些功法並不包含了讀者您的時空環境和身體素質、各種的功體和功能性目標,這些東西需要讀者自己去研究制定。
以下的一些小功法,是在八段錦裡加入幾個格鬥的應變動作,鍛鍊的目標是改善身體氣血的活絡性,增強暖身的能力
八段錦( https://youtu.be/J_RyG0oVTGE、https://youtu.be/F5A---Tsiq0 )在不同的門派和時空環境裡,延伸了許多不同的鍛鍊目標和版本,因為八段錦就是一種重要的基本功。
養生功夫常講的精、氣、血、神、靈等等,就像肌肉一樣是一種護體,這些護體常常去鍛鍊保養有助於提昇體適能和防禦能力。傳統武術從來都不是反對重訓,而且很基本的,傳統武術的重訓方式是擒拿式的。
本篇文章的八段錦氣血改善功法,由以下功法組成,要用幾個用什麼功法組成、練功順序這些都是參考
- 調息三修法:深呼吸 ( 把呼吸調勻、調細、調深、調長 )、腹式呼吸、止息
- 活血七基功: 觀想( 觀想有練功心理的人事物,日月星辰、島嶼、海洋、音樂裡的場景、花朵植物、聖人、武將、武器、文字、事務清單、心智圖等等 )、轉動關節、拍打、按摩穴道、伸展、感官鍛鍊、重訓
- 兩手托天膝撞頂
- 調理脾胃加格擋
- 攥拳射箭肘打閃
- 搖頭擺尾扶推地
- 五勞七傷回鉤拳
- 兩手攀足下鞭踢
- 背後七顛漸拍打
- 身體的鬆緊度、彈性、柔軟度、力度、速度、角度等性質要自己去調整
什麼動作要吸氣、吐氣或止息,要用什麼呼吸法或其他的運氣法,這些讀者要自己去嘗試看看怎樣的組合對暖身比較有效果
活血七基功也是類似的意思,藉由七種基本的運動試著讓身體僵硬的地方變得暖活暖熱來活絡氣血,有時候一種組合順序做幾組效果可能還不是很好,那麼可以嘗試變換不同的組合和順序
這是一種練功的功能性骨幹,要根據自己的時空環境和預警規劃、鍛鍊目標來做嘗試和調整。
身體至少有兩個地方要試著去暖活暖熱,一個是身體僵硬的地方,另一個就是腦部的暖身
觀想就是一種腦部運動,應該要把觀想當成一種腦部暖身,擴大腦部的活動度,在觀想有練功心理的人事物時,試著讓頭腦暖化
現在的男孩子就是連暖身都不願意好好的練,以至於勞動心理和練功心理越來越差。
在下就八段錦搭配格鬥的幾個動作,來說明暖身的應用。
兩手托天膝撞頂,是在兩手托天理三焦的動作加上膝撞,所以在膝撞後維持停留的平衡狀態一小段時間,搭配深呼吸 暖身的效果可以能比較好。伸展身體作停留也是這樣子的。而循序漸進地增加停留時間 這是一種增強暖身能力的練習目標。
搖頭擺尾扶推地,是在搖頭擺尾去心火的動作後 去做用雙手扶牆或扶地的動作。有的讀者可能覺得用武當純陽拳加上彎腰、俯身、扭轉、擰轉、閃躲等構成盤功比較難練,可以先用八段錦的每個動作之後用雙手扶牆或扶地來替代。這個扶推地有重訓和護身倒法的功能性,所以推地的意思是像伏立挺身。特別練功練累的時候可以做扶推地 然後多搭配幾組不同呼吸法的調息 轉動身體的關節做感官能力的練習 按摩穴道暖活身體 集中精神注意環境的變動。
兩手���足下鞭踢,是在兩手攀足固腎腰的動作後,起身時加上下鞭踢的動作,可以在踢出後懸腿( 腳不落地停留 )一小段時間練習調息,然後在維持懸腿的姿勢上 轉動懸腿的踝關節、膝關節、胯關節,然後腳落地對腿部進行拍打和穴道按摩。肢體的關節轉動、拍打活絡氣血對於格鬥是很重要的。
剛開始練習格鬥動作,比如肘打和鞭踢,要多練習對肢體和腦部的氣血活絡,手腳、手腳趾、脖子、腦部、腰部的相關關節多練習旋轉和拍打。拍打的力度、速度自己要調整,以可以暖身為主,試著利用拍打的震動讓腦部暖活暖熱,好像電動按摩器那樣。
攥拳射箭肘打閃,是在左右開弓似射鵰、攢拳怒目增氣力上加上肘打和閃躲,感官能力的鍛鍊比如眼力的練習會很重要。只要是閃躲的動作都可以再接著練習搖頭擺尾去心火和用手扶撐地、扶推地的動作。眼力的練習要更靈活些,善用轉動腰部、頭部來觀察環境。可以用些力氣眨眼珠讓眼睛變得有彈性,然後閉上眼睛練習觀想、方位感、平衡或是拍打,要善用危機意識思考怎麼練功。
閃躲的移位可以用八極拳的熊步( https://b23.tv/9mEWl7u )調整速度來練習
要擊打靶物一樣可以對拳頭拍打和按摩,對手指扳伸、擰轉、指壓、張握 氣血通暢的問題很重要。
調理脾胃加格擋,是在調理脾胃需單舉的動作上,一手單舉,另一手重複練習不同的格擋動作,關節的轉動和拍打整條手臂對格擋有重要的氣血活絡作用,搭配對腹部進行按摩和腹式呼吸有助於食物的消化。
背後七顛漸拍打,是在背後七顛百病消的動作上,再對全身進行拍打,一定會發現身體有的地方比較不耐拍打,所以要調整拍打的力度漸進地拍打。可以練習出些力來做深呼吸 ( 把呼吸調勻、調細、調深、調長 ),藉由出力讓身體比較虛弱的地方變得暖活暖熱和有彈性。踮腳後落地可以在做些下蹲的掩護動作 比如雙手抱頭閃躲。
可以再嘗試用軟式棒球做背後七顛百病消,不舒服就把動作慢慢復原停止。左右手各用五指抓握一顆軟式棒球 雙腳五趾抓地,手和腳趾慢慢抓握出力繃緊身體 試著重複地抓握棒球和地板,調整抓握的力度和身體鬆緊度 讓身體缺乏彈性的地方比較有彈性 然後抓握住停留維持彈性幾秒或更長的時間。接著再試試用抓握的出力做深呼吸,調整反覆抓握和呼吸的力度,把呼吸調勻、調細、調深、調長,讓身體缺乏彈性的地方比較有彈性和暖活暖熱。
飛鳥或其他的重訓動作也可這樣做 做飛鳥的時候先張開一點點調整停留,讓身體更有彈性,然後落回再調整停留,調整身體彈性,張開和落回算一節,一個動作要分幾節去做可以參照自己的適應能力去制定。
調整身體的彈性,也許有助於適應重訓和弓術。
可以把武當純陽拳基礎功 (https://b23.tv/KPd44Z2 ,https://b23.tv/MY7CmzQ )��手部功法用來拍打身體。
腸胃問題、胸悶問題可以試試躺下來用些小重物( 書本、書包...)壓在腹(胸)部上,然後緩緩用腹(胸)出力把重物頂起 頂到不能再頂停留數秒 停留時可搭配呼吸法。一組兩三下做個兩三���,如果身體更不舒服不要做沒關係 如果改善可以再多做。這個功法不一定適用每個人 但對有些經濟拮据的朋友可能有助益。
五勞七傷回鉤拳,是在五勞七傷往後瞧的動作上,加上拳擊的鉤拳,可以手握啞鈴慢慢地做鉤拳,藉由一些阻力和重量,調整身體彈性來暖活身體。
八極拳、太極拳、李小龍先生的截拳道、日本武道,這些都是常被拿來炒批判教育的武術格鬥。所以在下會覺得在搜尋這些資料時,可以用心智圖( 條例、大綱、幾何圖...等 ) 摘錄資料,這樣練習的好處是比較不會有失智中邪的問題。
另外在思考問題上可以使用心智框架,心智框架由幾何圖和思考事情的方式組成,比如一個三角形的三個頂點是:思考要怎麼練功、怎麼保護愛人、敵人是怎麼樣的人 有什麼戰鬥技術,在看待武術格鬥資料的時候要用這個框架來思考。
查詢資料和進行ACG活動時間都不要過長,多練習使用心智圖和心智框架摘錄資料和思考問題,其實對理解和研究作品有很大的助益,而且對保護愛人也有幫助,雜亂的思考會影響體適能和保護愛人的能力。
覺得腦袋混亂可以練習觀想自己的事務清單和行程表,多練習暖身活絡氣血控制自己的心神和身體混亂。
李小龍先生的功體,很多人會覺得那是健美練出來的,在下覺得李小龍像是佛教功夫裡的夜叉,他的擒拿重訓能力很強,而且一定常用拳擊式的重訓比如用啞鈴出拳做高強度的肌肉鍛鍊。
很難講某個功法對讀者的活絡氣血和暖身一定有效,因為每個人的體質不一樣。所以讀者需要自己多練習多研究,一定要練習在練功的過程中思考解決問題、怎麼練功、注意環境變動,練功是一種修行的過程,不是炫耀知識和方法,方這個字有預警規劃的意思 針對時空環境做調整變化 也有熬的意思 有時練功是吃苦耐勞熬出來的,法這個字是功法的意思
功夫其實就只有功法 剩下的是要去練 練功就是沒效才要練 練包含解決問題和研發基本功。一個功法可能有優點也有缺點。
男孩子為什麼玩格鬥,就是因為格鬥有武藝的東西,如果規定格鬥練擒拿式重訓他練嗎?學校如果認真做忍術教育男孩子又要怨,有的功法練不來可以不要練 那他在怨什麼?他就是想聰明賺錢和地位。結果佔用女性的資源和工作機會,還把女孩子當成倒垃圾的垃圾桶,男孩子連保護女孩子的慾望都沒有,在���友的過程一定要注意這種酸民類型的男孩子。
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鼻咽癌放療多久能痊癒
1、鼻咽癌放療多久能痊癒
鼻咽癌放療多久能痊癒,沒有一個準確的答案。但無論如何,鼻咽癌患者都有對治療有信心,積極配合治療。放療是鼻咽癌患者常見治療方法之一,其對控制鼻咽癌患者的病情有一定的作用,但遠不如與其他治療配合來到好。如在放療期間聯合中醫治療,不僅可以增強機體敏感性,提昇放療療效,而且還能夠通過健脾益胃、滋陰補陽、清熱解毒、益氣養血等改善放療副作用,使治療能夠安全、順利地完成。因此,一定要根據患者情況聯合其他治療實施綜合治療,而且要儘早將中醫納入治療方案中,以使患者獲得更好的治療效果。
2、鼻咽癌患者不能吃的食物日本藤素評價 日本藤素吃法 japan tengsu副作用 日本藤素官網 必利勁屈臣氏 日本騰素有效嗎 藤素是什麼 西班牙金蒼蠅迷情液效果 德國必邦評價 德國必邦有效嗎 日本藤素哪裡買 日本藤素藥局有賣嗎 japan tengsu評價 德國必邦效果 美國黑金評價
2.1、不要吃高碘食物
碘劑廣泛存在於海水之中,碘劑能夠促使軟組織溶解,因此具有化痰作用,對於良性腫瘤和血管硬化,有好處。但是對於出血性疾病和癌症,歷來是忌用的。因此,鼻咽癌病人要買醃菜鹽吃。這是常見的鼻咽癌的飲食禁忌。
2.2、不要吃辛辣
做菜時也不能放這些調料。也是常見的鼻咽癌的飲食禁忌,比如:辣椒、姜、胡椒、生蔥、生蒜等。辛辣發物,極易造成血熱妄行。不要用這些辛辣之物提味,要用老湯。最簡單的老湯,就是把鯉魚和雞熬化了。用這種湯去做菜燉肉。
2.3、不要吃壯陽食物
比如:羊肉、狗肉、鵝肉、鴿子、麻雀等。許多動物體內含有激素。豬的脖子有甲狀腺,人吃了就要中毒。有些人說牛和雞,也屬於發物,尤其是雞屁股不能吃,但是書上沒有記載。這是鼻咽癌的飲食禁忌中比較常見的一種。
3、生活中預防鼻咽癌的方法
3.1、要注意日常的氣候變化,預防感冒發生,注意保持鼻子與咽喉的衛生,每天要多次漱口,必要的時候還要進行鼻咽腔的沖洗,防止病毒的侵入感染。
3.2、盡量避免吸入有害物質,如甲醛是一種無色,有強烈刺激性氣味的氣體,致人咽喉疼痛,咳嗽胸悶,可導致嗅覺異常,刺激過敏,長期接觸低劑量甲醛可以引起慢性呼吸道疾病,引起鼻咽癌。
3.3、有吸煙史的朋友最好戒掉,因為香煙中含有大量的��古丁,它是一種難聞、味苦、無色透明的油質液體,揮發性強,在空氣中極易氧化成暗灰色,能迅速溶於水及酒精中,通過口鼻支氣管黏膜很容易被機體吸收,誘發鼻咽癌。
鼻咽癌放療後的後遺症
1、口乾
腮腺位於兩側面頰的深面,在常規放療中不可避免地受到高劑量照射,使其分泌口水的功能大打折扣,甚至在放療幾年後仍難以恢復。很多病人表現為口乾,每隔幾分鐘就必須喝水。
2、張口困難
張口困難發生率在5%~10%,與顳頜關節受到高劑量放射有關。部分病人張口嚴重受限,影響進食和講話。放療期間及放療後進行必要的張口鍛煉可降低其發生率,如口含軟木塞、張閉口練習等。
3、聽力下降或耳聾或頭暈
放療後8%的病人有明顯的聽力受損,3%的病人表現為雙側耳聾,這與中耳、內耳接受到高劑量的照射相關。除降低放療劑量,目前沒有有效的預防措施。
4、味覺改變
對甜味感覺減弱,酸、苦味覺特殊,金屬味覺較強烈,於鼻咽癌放療結束後二至四個月可恢復,但也有些不能恢復。原因係味蕾被破壞。護理原則為採用高蛋白、高熱量、高維生素之軟質飲食,避免刺激性及過冷過熱之食物。
鼻咽癌放療病人的護理
1、家屬和親友應有一個端正的態度,要有精神準備,能正視現實,勇於重擔,負有責任心和義務感,要振作精神,給病人一個良好的形象,因為親人的精神狀態會影響病人的心理,家屬和親友往往是病人的精神支柱。
2、為病人建立一個舒適、清靜、衛生、安全,便於生活起居和鍛煉的環境。患者家人應了解腫瘤不會傳染的,病人無需隔離。德國必邦副作用 屈臣氏 美國卡宴 正品日本藤素 日本藤素官網 日本藤素效果 日本藤素藤素 春藥 日本藤素正品 催情性藥 日本藤素 屈臣氏日本藤素 日本藤素如何吸引臺灣男人 臺灣屈臣氏日本藤素 日本藤素藥局
3、營造一種輕鬆、自然、溫馨的氛圍,做好病人的思想工作和心理護理。親人的理解、安慰、幫助、關心、鼓勵、耐心的思想工作,都會使處在痛苦之中的病人感到溫暖愉快。
4、家庭護理人員還應盡量掌握一定的護理常識和技術,並保持與醫院專業醫護人員的密切聯繫。
5、安排好病人的飲食。飲食護理是家庭護理的重要項目應有計劃、有目的的合理安排,科學調配。6、安排好病人的生活起居。應努力培養病人保持一定的作息時間和生活規律。
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低血壓吃什麼好患上低血壓怎麼辦(2)
5. 艾狄遜氏症
罹患此症會影響副腎皮質荷爾蒙的分泌,使患者出現皮膚變黑、噁心、嘔吐及低血壓等症狀。
低血壓如何調理
1. 如果起床後會有精神差的現象、早上註意力無法會集。而且容易疲倦、目眩、耳鳴及食慾不振,可能是血壓過低所造成的,但血壓低並不一定是有病。醫生主張低血壓患者如果沒有特別症狀,並不需醫治,只要從日常的日子、飲食及運動三方面加強養生保健,比服用昇血壓劑,來得有用。低血壓的日子養生丈量血壓經常丈量血壓,並註意改變。
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2. 充分休息勞累、睡眠不足,會使血壓更低,因而應保持規律生活,避免過勞、熬夜;此外, 睡覺時枕頭不宜過低。洗熱水澡,熱水澡可加強血液循環,改善低血壓症狀。水溫以43度C左右為佳,洗澡時間不宜過長,洗三分鐘左右後,應休息片刻再洗。洗完澡若能坐著休息一下,效果更佳。避免久站或突然改變姿勢拾取地上東西時,不宜直接低頭,應先蹲下;起床時,不要猛然站起身,應先確定身體已平衡,再慢慢起來。注意環境與穿著不宜處在悶熱的環境,以免血管舒張、血壓下降。領帶勿系太緊,少穿衣領太高、太緊的衣服,否則會壓迫到頸動脈竇,引起血壓驟降而昏倒。
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3. 加強營養,具有低血壓傾向的人,若營養不足將使血壓更低;若加強營養則可使血壓接近正常值,伴隨的不適症狀也可減緩或消失。中國傳統養生醫學建議,多吃生薑、桂圓、紅棗、核桃、人參、五味子、山藥、百合、蜂蜜等滋補的食物,有助改善低血壓現象。少吃降壓食物不要常吃芹菜、冬瓜、綠豆、山楂、苦瓜、洋蔥、蘿蔔、海帶等降壓利尿的食物。稍加食鹽增加體內鹽分可提高血壓,低血壓患者每天適量攝取約12克左右的食鹽,可改善低血壓症狀。
4. 經常做運動運動可調節神經系統、增強心血管功能,進而改善低血壓症狀。慎選運動有體位性低血壓者,應避免做久站或體位變動的運動;因患有某些疾病而引起低血壓的人,則應在運動之前,先做健康檢查,好在醫師與運動保健師的指導下進行鍛鏈,較為安全。
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🎼 00870 「踊りたいわ」。
日比谷公園でたくさんの鳩が空を舞う中、めっちゃキュートな 和泉雅子さん演ずるマコちゃんが 公衆電話でテレフォンしているところから始まります、マコちゃんが千代田区か中央区のどこかで紛失してしまった一曲の楽譜が、様々な人々のジンセーを大きく動かし狂わす、日活痛快青春エレキ映画 「二人の銀座」 を久しぶりに観ています。鍛冶昇監督作品。劇中、流れに流れます "二人の銀座" を見聞きしているうちに "二人の銀座" の虜になってしまってヤバミンだったりするこの映画、一昔前の銀座の街並みが素敵すぎますし、ジャッキー吉川とブルーコメッツの演奏がとても好いです。
つづいて
明治初年。"櫓太鼓は 市民の 安眠妨害だ 相撲の如き 舊時代の遺物に 観客が蝟集るのは 遺憾至極 相撲全癈の火の手 鹿鳴館よりあがる" なんて、漢和辞書片手に観ないと よく分からない感じではじまります、明治18年春場所の模様を描いた 「土俵祭」 を観ています。丸根賛太郎監督作品。脚本を 黒澤明さんが手掛けました。とある部屋で 兄弟子にいじめにいじめられる、相撲のことだけしか考えていない まっすぐな心を持つ弟弟子は、移動先でもいじめられ、明治18年夏場所でもいじめられ (頂いた御祝儀は 兄弟子に取り上げられ��しまったのでせうか?)、ひょんなことで知り合った とある力士の部屋に誘われ、移籍を決めた 富士ノ山竜吉は、思う存分に伸び伸びと稽古に励みます。
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リハビリ|入力と出力の間(31)
回復期リハビリテーション病院での退院前の数週間は、インフルエンザの院内流行によって外出訓練も禁止、異なるフロアの患者が集まる広いリハビリ・ルームも使用禁止、フロア間の移動も制限、院外からのお見舞いも禁止となった。その結果、セラピストと患者のペアは、病室やデイ・ルームや廊下、非常階段など限られたワン・フロアのスペースを使って、リハビリの治療や訓練を行うことになったわけだが、こうなると各セラピストの手技や、患者との会話も、広々したリハビリ・ルームにいた時よりも間近で見聞することになる(ということは、いわゆる「ソーシャル・ディスタンス」的にはマズい状況だったのだな、いま考えると)。
同じ理学療法士でも、スタイルの違いがあることは、自身の体験を通じて感じていたが、他の患者さん��治療や訓練を受けているのを見て、よりはっきりと確認することができた。これは、あくまでもわたしの体験的な分類に過ぎないが、ごく大雑把に言って、理学療法士のスタイルは大きく2つあるように感じた。
「運動系」と「整体系」である。運動系とは、身体を動かすことを中心に改善を図ろうとするスタイル。たとえば、仰向けになって膝を立て、腰を上げ下げするトレーニングで体幹を鍛える。装具を付けて、セラピストに体重を預けたり支えてもらったりしながら、歩行練習や階段昇降をする。不安定な患者を支えつつ、しかもなるべく能動的な動作を引き出すのは、セラピスト自身に体力や筋力がないと難しいのではないかと思う。
歩行距離が日に日に伸びていく時期には、翌日のスケジュールに「運動系」の先生が2コマ続きで入っていると「よし、明日はたくさん歩くぞ」と気合が入る。歩行訓練をするようになって万歩計を使うようになっていたのだが、1日で7千歩も歩いた日もあった(もちろん訓練以外の歩行も入れてだが)。
「運動系」の代表として記憶に残っているバボちゃん先生(フジテレビ系バレーボール大会のキャラの名にちなんで)は、バレーボール部出身だけあって、幼少時にアニメ『アタックNo. 1』や実写ドラマ『サインはV』を見て育ったわたしの脳裏に「スポ根」の文字が浮かぶような熱の入った訓練をしてくれた。苦手な階段の、それも段差が大きめで難度の高い非常階段を、1階から7階まで、嫌な顔もせずに「さあ、行きましょう!」と付き合ってくれた。気力体力が充実しているバボちゃん先生は、運動系の訓練を率先して担ってくれていたように思う。
7階フロアには、回復期の病院には珍しい若い患者さんもいたが(二十歳前後の女性で、当初は身動きもできず、食事もチューブで摂取するなど相当に難しい状態のように見えたのが、わたしの入院中に、なんと手すりも持たずに階段を早足で登り降りできるまでに回復! まだ車椅子だった時に「気分転換」と言って髪をファンキーなピンクと金のメッシュに染めて周囲を驚かせたので、ファンキーちゃんとしておこう)、活動量の多くなることが予想された彼女の担当にバボちゃん先生が抜擢されていたのも納得である。
もっとも、バボちゃん先生もファンキーちゃんもイケイケすぎたのか、ある時、訓練中の階段でコケて、ファンキーちゃんが顔を血まみれにしてフロアに戻ってきたことがあった。たぶん鼻血か何かだったのだろう。血を拭いてみれば怪我は大したことなかったらしく、その日の夕食時もファンキーちゃんは普通にデイ・ルームに来て、自分でスプーンを使って半流動食を食べていた。
夕食終わりに、「顔を血まみれにして帰ってきたから、ビックリしたわよ」と看護師さんに呆れ顔でいわれ、ファンキーちゃんは「てへへ」とばかりに笑っていた。まだ声がちゃんと出せない段階だったが、普段以上に笑顔で元気よく振る舞う様子からは、バボちゃん先生を責めないで欲しいというメッセージが伝わってきた。
セラピストとして責任をもって、患者のチャレンジしたい気持ちに付き合うためには、体力だけじゃなく、かなりの度胸がいる。患者に怪我をさせまいと、慎重になるセラピストが多いなか、「階段練習したい」というわたしのリクエストに、バボちゃん先生は「よし、じゃあ手すりから手を離して、長い距離でやってみよう! 大丈夫、いざとなったら身を挺して助けるから。思い切ってやってみて」と言ってくれたことがある。これは、なかなか言える言葉ではない。だから、あの日、「わたしは大丈夫!」アピールをしてみせたファンキーちゃんの気持ちはよくわかる。
実際、退院した後にしばらく通った高額の自費リハビリでも、こういうハードな運動系に付き合ってくれるセラピストの先生には、出会えなかった。「階段練習しましょう」と言って、非常階段にいくところまでは同じだが、時間はせいぜい10分程度。最初のカウンセリングで「実践的な階段練習をしたいです」と言ったわたしに、「大丈夫、できますよ。うちには運動専門のトレーナーもいますので」と自費リハの先生は返答してくれたのだが、なんというか、その後の実際を振り返ってみると「カタチだけだったなあ」という印象は拭えない。自費リハの理学療法の先生自身は、「整体系」の手技が優れた人だったのだが、「運動系」はトレーナー担当ということで、分業制のようになっていた。
しかも、この運動担当のトレーナー先生、階段練習といっても、階段の下に立って「はい、じゃあ、降りてきてください」と患者を見上げて、ただ手を広げて待ってるだけ。驚いたのは、その足元が健康スリッパのままだったこと。そんな足元で、患者を本気でサポートできるんかい!とツッコミたくなってしまう。患者に寄り添って、躓いたら身を挺してサポートしようなんて気概はまったく感じられなかった。
この点、病院では、セラピストもマシン・コーナーのトレーナーも、全員がきっちりスニーカーを履いていた。踵を潰して履いているような人もいなかった。一度、「みなさん、お揃いの靴ですね」と聞いたら、メーカーもデザインも指定されていて、踵を潰して履くなんて言語道断、ということだった。
入院していた時のように、バボちゃん先生や、その先輩のアニキ先生のようなスポ根「運動系」のセラピストに訓練して��らえるなら、多少高くても自費でリハビリに通う価値はあるなあと思っているのだが、望み薄だ。自費リハビリに通っていた人の多くは、わたしよりずっと深刻な、一人で歩けなかったり、歩けても杖が手放せなかったりする人がほとんどだった。自費リハビリでは「運動系」のニーズは少ないのかもしれない。
さて、もう一方の理学療法のスタイルは「整体系」である。こちらは、ハードに運動させるのではなくて、リハビリ・ベッドに横になったり、平行棒脇で直立したりなど、基本的に静止した状態の患者の、麻痺で固まってしまった筋肉を伸ばして緊張をとったり可動域を大きくしたりして、スムーズな動きを引き出すアプローチだ。
わたしが退院後も通院して担当してもらうことになったマジカル先生は、「マジカル」と命名したくなるほど、この「整体系」の施術が見事だった。患者の立ち姿や歩き姿を観察し、左の足の動きを調整するのに右の肩や腰にアプローチをかける。アプローチされた箇所は、実際に麻痺している箇所とは離れているので、「あれえ? そっち?」と疑問に思うのだが、施術後に「はい、じゃあ立って歩いてみて」と促されてやってみると、あら不思議。動きにひっかかりがなくなって、スムーズに歩けたり、関節の可動域が広がってバランスがとりやすくなっていたりすることに気づく。「先生、すごい! マジカル〜」と思わず声を上げた。たぶん、この賞賛の声がきっかけで「退院後の通院リハビリ担当、マジカル先生でいいね」ってことになったのだと思う。
もちろん、マジカル先生が担当になったのは嬉しかったのだが、残念だったのは、退院後の通院リハビリでは、担当の理学療法士が一人に固定されてしまう、ということだった。わたしの抱えた不具合には、運動系と整体系、両方のアプローチが必要だったと思うからだ。入院中はチームでアプローチする方針をとっている病院だったのに、どうして通院リハビリでは担当を一人だけに限定してしまうのか。入院中のように多くの先生に担当してもらうことはできなくても、タイプの違う二人のセラピストをペアにして担当にする方法もあるだろうし、そのほうが絶対に効果的だろうと思うのだが。
ただし、最も大切なのは「運動系」か「整体系」か、というスタイルの違いではない。そもそも、脳卒中後の麻痺は、同じ患者でも日によってまったく症状が違う。それはもう、自分でも「嘘でしょ」っていうくらい。これは、この備忘録でも何度も書いてきたことだが、わたしだけの思いではない。小林純也『脳卒中患者だった理学療法士が伝えたい、本当のこと』(2017年、三輪書店)に同様の記述を見つけ、「やっぱり、そうか〜」と納得した。「感覚とは、流動的」(157-159頁)、日々異なる麻痺の状態には、日々違う刺激でアプローチするのが有効なのだと思う。
だからこそ、大切なのは患者の声にちゃんと耳を傾け、その日その日の症状の違いをきちんと観察してくれることだ。これは、脳卒中患者となった当事者による著書では、みなが強調しているポイントである。上記の小林純也氏は、当事者でもあるセラピストという立場から、若手セラピストや理学療法勉強中の学生へのアドバイスとして、「安易な答えに飛びつくのではなく、トライ&エラーを繰り返し、あなたと患者さんとの関わり合いの中で答えを探していくことをお勧めします」(274頁)と言っている。
3度の脳出血を経験した医師・山田規畝子さんの『壊れた脳も学習する』(2013年、角川文庫)の末尾には、彼女と複数のセラピストとの座談会「文庫版特別討議 未来のリハビリテーションに向けて——セラピストたちとの対話」が掲載されているのだが、そこでも「セラピストの方も常に一点に留まらずに、ずっと患者さんの方に寄っていけるようなスタンスに立たなければいけない」という了解が共有される場面が出てくる。
脳卒中後の障害は、千差万別。そのうえ、同じ一人の患者でも症状の出方は日々異なる。セラピストのスタイルを「運動系」「整体系」などと分類してみたものの、要するに、日々異なる症状と真摯に向き合うことが、セラピストに最も求められることであり、どんなアプローチをとるにせよ、リハビリ治療・訓練において最も大切だ、ということだろう。目の前の症状に真摯に向き合うことは、患者の側にとっても(自主リハビリであっても)大切なポイントといえそうだ。
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父の死 連載第23回 膝(ひざ)
実家の玄関で出迎えた母親に、飼い犬の桃次郎が駆け寄った。兵庫県加古川市在住の母親(85歳)の症状を観察するには、2~3泊は必要と考え、大阪市から犬を連れての帰省だった。電車を乗り継いで、片道1時間半である。
「桃ちゃん、元気やったか!? 電車に乗って、来てくれたん」
ケージに入れて連れて来たのは、私である。母親はゆっくりではあるが、歩けてはいた。
旅装を解き、ダイニングで晩酌していると、家の固定電話が鳴った。兄のおつれあいからで、母親の声が聞こえてくる。
「左の膝が痛いだけやねん。軟骨がちびてると(主治医の)先生は言うてる。こんなんなったんは、生まれて初めてや。朝起きたら、治ってるかなあと思うねんけど・・・歩くのがしんどいねん。コロナで村の行事もなくなって、外に出ることないから、人と話をする機会もないんよ」
義姉も心配して電話してくれているようだった。コロナ禍で、盆踊りも秋祭りもないから、人と接する機会が減っている。よくない傾向である。
受話器を置いた母親に症状を詳しく聞くと、両足首の下の腫れは引いたが、膝の関節炎の痛みは相変わらずだという。腫れの原因は、けっきょくわからずじまいだった。
これまでの大阪ー兵庫の電話会談では、足首から下の腫れが歩行困難の原因だと聞いていたのだが、持病の関節炎が悪化したことの方が問題だった。母親が両方をごちゃまぜにして話すから、こちらが混乱していたわけである。それとも聞き方が悪かったのだろうか。であれば、ライター失格である。
テレビ電話(という言い方も相当古いのだが)で会話すれば話は早かったのだろうが、文明の利器を私たちが使いこなすには、あと数年はかかるだろう。
ダイニングの蛍光灯の下で見ると、母親は頬が少しこけ、腕の血管が浮き出ている。4~5キロは痩せているだろうか。入れ歯の噛み合せも悪く、話すたびにカチカチと音がする。
ろくに買い物をしていないことは、冷蔵庫から出してきた惣菜でわかった。ポテトサラダは酸っぱくなり、ひじきの煮物も日にちが経ちすぎてクタクタだ。買い物に行かないから、かなり前の作り置きを口に入れているのだろう。
買い物は知り合いが車で送ってくれたときに済ませると言っていたが、そんな機会が滅多にないことは、冷蔵庫の中のタッパー���ある古びた料理を見てわかった。
居間でふとんを敷くと、桃次郎がその上を駆け回った。ふだんは別々なので、私と寝るのが嬉しいのである。犬にしては長旅だったので疲れていたのか、すぐに寝息をたてた。
◎◎◎ ◎◎◎
早朝に桃次郎に起こされ、散歩に出る。帰省中の散歩は、母親が嬉々として連れて行っていたのだが、今は満足に歩けないので私が代役を務める。
奴も12歳になり、散歩中は以前ほど遠出しなくなった。生きとし生けるもの、すべてに歳月が忍び寄る。
朝食後、母親にたまっていた質問をぶつける。母親は老化防止のため、毎朝病院に通い、リハビリ機器で健康維持に努めている。
「なんで、毎日病院に行ってるのに、関節炎が重症化したことに気づかんかったん? 先生に相談せえへんかったんかいな?」
「相談したよ。『先生、これ治らへんねやろか』と聞いたら『僕が治る思てるのに、そんな気弱なこと言うてもろたら困る』と怒られた」
「踏み台を登ったり降りたりしてるのも、結果的には膝に悪かったんちゃうん?」
母親は足腰を鍛えるため、毎朝2~3段の踏み台を数十分かけて昇降している。7年前に父親が急死し、帰省した際に、私がホームセンターで買ったおぼえがある。
「歩かなあかん、足を動かさなあかん思て、続けてたんやんか」
「でもそれで膝を痛めたら、逆効果やんか」
「・・・」
問いかけというより、詰問になっている。私の疑念はふくらみ、抑えきれなくなっていた。
「前にヨガ��勧めたときも『整体の先生が、ヨガの先生が来るぐらいやから効果がない』って行かへんかったし」
「そのあと申し込んだけど、定員がいっぱいやったんで行けんかった」
腰痛持ちの私はヨガ教室に通っている。ストレッチの効果は、年齢を問わないはずだ。高齢者用の教室もあるので、以前に母親に勧めたことがあった。
ところがチャレンジもしないで、本当か嘘かわからない整体師の言葉を信じて、ヨガ教室を虚仮にした。その意図はなかったにしても、私はそう感じた。もし、続けていれば、こんなことには・・・と思わないでもなかった。申し込んでみたという母親の言葉も怪しい。
質疑を超えた尋問を終え、ドリップ珈琲を買いにコンビに行き、帰ってくると、母親が小さな声で言った。
「ヨガ、教えてな」
少しは反省しているのだろうか。私は「うん」と短く返事した。
「昼ごはん、どこかに食べに行こうか」と誘うと「こんなんやから、外に出られへん。ひとりで行っておいで」と言う。予想通りの反応である。
「外に出るようにせんと、ひきこもり状態になってしまうで」
「元気になったら、なんぼでも行く」
「もう元気にはならへんで」
磨り減った膝の軟骨は、再生医療が実用化しない限り、元には戻らない。現実的な話をしたつもりだったが、残酷な通告ではなかったかと、あとで反省する。
「外の壁も塗り直したし、来年は障子を張り替えて、心の準備もせなあかん」
自分に言い聞かせるように、母親はそうつぶやいた。
◎◎◎ ◎◎◎
帰省した際には、郷里の友人の税理士に相続の相談に行かなければ、と前から思っていた。母親の懸案であった。
税理士事務所は、自転車で20~30分の距離にある。事前に友人に相談を申し込み、いざ出かけようとすると、自転車がパンクしていた。母親が杖代わりに押して歩いていたが、この状態では長らく使っていないことがうかがえた。
隣りの従兄弟の家で自転車を借りようとしたが、ここでも使用していないから乗れない状態だという。従兄弟のショージ兄が、ちょうど出かけるところだったので、車で送ってくれるという。ありがたく御厚意に甘えることにした。
車の中で母親の話をした。
「あんまり外出もできてないようなので、これからどないしょうかと思てるんですよ」
「今は高齢者用の食事を宅配してくれるサービスもあるし、介護保険を使ってヘルパーを入れることも考えたほうがええかもしれませんね」
ショージ兄は私よりひとまわりほど上だから、60代半ばから後半である。にもかかわらず、私にも丁寧語を使ってくれる。そうか、ヘルパーを頼むという手があったのか。私は心の中で膝を打った。
「体が動かんようになったら、施設に入ると言うてますわ」
いつもの母親の言葉を伝えると、ショージ兄がすかさず返した。
「そうなったら、施設やのうて病院ですね」
確かにそうだ。再び膝を打つ。
「また何かあったら、言うてください」
車から去る際、ショージ兄が声をかけてくれた。頼りになる親戚である。礼を言ったあと、私は税理士事務所に向かった。<2020・10・14>
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Chieko Matsubara (松原智恵子), Meiko Kaji (梶芽衣子) and Teruko Hasegawa (長谷川照子) in Whirlwind Of Love (恋のつむじ風), 1969, directed by Noboru Kaji (鍛治昇).
Scanned by me.
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デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』
「クソ面白くもない仕事」の告白事例で埋め尽くされた本書は、読むものをブルシット・ジョブの疑似体験へと誘う。おまけに攻略対象は、小さめのフォントで構成された426ページ、648グラムという結構な大著だ。デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』は、読むのに覚悟を必要とするたぐいの本である。
しかし、本書を読み終えるころには、グレーバーが投げかけるクソ面白くもない話の深刻さと、それに立ち向かう彼の粘り強い思索にどっぷりと浸かることになる。本書には、現代社会が抱える仕事の欺瞞、不毛な労働、ケアリングの不当な扱いの実態と問題の告発、その解決に立ち向かう反逆者グレーバーの奮闘ぶりが溢れている。
著者のデヴィッド・グレーバーは、「ウォール街を占拠せよ」運動を主導し、"We are the 99%”のスローガンを作ったことで知られる。この『ブルシット・ジョブ』は、文化人類学の精神に立ち現代の経済と労働の問題に切り込んだ、過激で情熱的そして人間味のある一冊である。
CONTENTS
「クソ面白くもない仕事」の蔓延と欺瞞的な実態
なぜブルシット・ジョブが増殖しているのか?
世界的パンデミックで露呈した身近なブルシット・ジョブ
足を引っ張る道徳的羨望
あらっぽいマルクス主義のススメ
生活を労働から切り離すためのベーシック・インカム
避けるべきだが避けられない本書の要約
「クソ面白くもない仕事」の蔓延と欺瞞的な実態
この本にはにはさまざまなタイプのブルシット・ジョブが登場する。それは著者の分類に従えば、取り巻き型、脅し屋型、尻拭い型、書類穴埋め型といったものだ。グレーバーはこれらの「クソ面白くもない」仕事は、金融、教育、コンサルタントなどの業界を中心に、とりわけ、わけのわからない横文字の職業に蔓延しているという。
本書に登場するブルシット・ジョブはあまりにも多様で何を例示するか悩ましいが、ひとつだけ取り上げるとすれば、経営管理型の大学などはその最たるものだろう。例えば、1985年から2005年の20年間で、アメリカの大学における管理業務サービスの供給量は大幅に増えている。驚くのはその内訳である。同期間に増加した学生数の伸びは56%だったのにたいし、職員数は240%に増えたとある。(p.214)本書の文脈に従えば、この20年間で大学の職員は大量のブルシット・ジョブ労働者を抱え込んだ可能性がある。
しかし、本書が指摘するのはブルシット・ジョブの増殖ぶりだけではない。その「クソ面白くない」仕事に、高額の給与が支払われている実態も描かれている。典型的な事例は次のようなものだ。
大手デザイン会社の「インターフェイス・アドミニストレーター」だったエリックは、仕事のあまりの無意味さに抗議するため、遅刻、早退、ランチでの飲酒、デスクで小説を読む、勤務中の三時間を散歩に充てるといった反乱行動に出た。しかし、会社の反応は彼の期待を裏切るものだった。エリックは次のように告白している。
辞めようとしたところ、上司が2600ポンドまで給料を上げようと提案したので、しぶしぶ受け入れました。あの人たちがわたしを必要としていたのは、まさに、あの人たちが実行していほしくないことを実行する力量が、私になかったからで、あの人たちはわたしを繋ぎ止めようとして、すすんで金を払おうとしたのです。(p.104)
エリックの仕事ぶりはひどかったが、上司にとって不都合な仕事をする人物でなかった。彼らにとって、部下の一人がサボろうが酒を飲もうが関係ない。エリックはプログラミングや何かの開発といったことはできなかったが、Eメールのリストから上司が必要とする相手のアドレスを検索して示すことはできた。上司はそれだけの仕事に、2600ポンド(約36万円)の給料が支払われてもよしとしたわけである。エリックが反乱を起こそうとした気持ちはよく分かる。
この事例のようにグレーバーは、ブルシット・ジョブは公共部門に限らず民間部門にもはびこっているという。そうであれば、公共部門よりも民間部門の方がスリムで効率化されているという一般の認識には、かなりの思い込みが含まることになる。
例えば、本書に掲載されている「企業労働の実態報告」からの抜粋によれば、アメリカの事務員が本来の業務に注いでいる時間は、2015年から2016年の1年間で、46%から39%に低下しという。本来の業務を圧迫しているのは、無駄な会議、管理業務、Eメールなどの増加によるものだ。(p.46)
社会的な貢献と報酬の不可解な関係は、医療従事者の間にも広がっている。ハンス・ロスリングがいうように、この200年間で人類は大幅に寿命を伸ばし経済的にも豊かになった。その伸びは寿命で4倍、収入で70倍にもおよぶ。このうち健康は医療の進歩によってもたらされたと、多くの人が信じている。
しかしグレーバーは、寿命が伸びた最大の理由は医療そのものよりも、衛生学や栄養学、そして公衆衛生が改善されたことに起因している、というよくある指摘を引き合いに、次のように述べている。
病院では(きわめて給与の低い)看護師や清掃員こそが、(きわめて高額の給与を受け取っている)医者たちよりも、じっさいには健康状態の改善によりおおきな貢献をなしていると言えるかも知れない。(p.277)
この年収格差がどの程度のものかといえば、2017年の米労働省労働統計局の職業別雇用・推定賃金に関するデータによれば、トップ10の9位までを医者が占めておりその平均額は約2500万円である一方、本書に示されている英国の病院の清掃員の年収は180万円でしかない。(p.276)国が異なり厳密な比較とは言えないが、両者のあいだには14倍もの開きが���る。程度の差はあれ、こうした格差は多くの国でも共通の傾向だろう。
もしグレーバーが指摘するように、健康状態の改善に実質的に寄与しているのが医療現場で働く看護師や清掃員であるなら、この格差はあまりにも大きいように思える。医者が行う専門的な治療行為の貢献はあるにせよ、健康改善への貢献はどこまで評価されているのだろうか。
こうした事態についてグレーバーは、「こうした傾向が続けば、10年と待たず、アメリカのオフィスワーカーのなかで実質のある仕事を行う者は存在しなくなるだろう」と述べ、労働時間の50%以上がブルシットな仕事に費やされていることに警告を発している。これはブルシット・ジョブが経済や経営の無駄を招くという理由からだけではない。ここには、世界に何の影響も及ぼさないと自分自身が考えている労働者と彼らが過ごす時間、つまり人間的な無力感と空虚な世界が社会に蔓延することへのグレーバーの強い危機感がある。
なぜブルシット・ジョブが増殖しているのか?
それでは、「クソ面白くもない仕事」はなぜこうも増え続けているのだろうか。グレーバーによれば、ブルシット・ジョブは社会���占める物質生産の割合が減り、金融や情報などの抽象物を操作する仕事が増える過程で増えてきたが、そこには政治的な思惑が関係しているという。
ブルシット・ジ��ブが政治的な力から生まれるとする説明にグレーバーが繰り返し引き合いに出すのが、オバマ大統領の医療保険制度改革に関する発言である。当時オバマ大統領は、民意であった公的保険ではなく、民間企業の手を借りた健康保険制度を選んだ。その理由はつぎのようなものだったという。
単一支払者制度のよる医療制度を支持するひとはみな「それによって保険やペーパーワークの非効率が改善されるのだ」といいます。でもここでいう「非効率」とは、ブルークロス・ブルーシールドやカイザー(いずれも保険会社)などで職に就いている100万、200万、300万人のことなのです。この人達をどうするんですか? この人達はどこで働けばいいのですか?」(p.210)
単一支払者制度とは、ヘルスケア原資を単一の公的機関によって負担する仕組みで、いわゆる公的保険制度にあたる。つまり上の発言をしたオバマ大統領は、公的保険であれば300万人の仕事がなくても保険制度が成り立つと認め、しかもそれによってペーパーワークなどの非効率な仕事、つまりブルシット・ジョブがなくせると知りながら、政治的な思惑によって公的保険制度は望ましくないと判断したことになる。
オバマ大統領がこのように述べた背景には、「この人達をどうするんですか?」の発言に示されている通り、完全雇用の含意にもとづく300万人の雇用があったと思われる。それが文字通りの「完全」ではないせよ、雇用の確保は国民との間に交わされたひとつの合意事項ではなかっただろうか。
グレーバーはこうした政治的判断は民間企業にも当てはまるという。生産性の向上に見合った設備投資や給料に回す以上の利益が上がるようになると、忠実なる協力者に報奨を与えることで不満分子を買収したり、経営的なヒエラルキーの維持や再生産に回すためのお金や仕事が生まれるようになる。こうした経営的な思惑は、まさに政界のそれと同じだというわけだ。
この一連の話のなかで、政治の世界の完全雇用にあたる民間企業の含意が何かといえば、それは技術の発展への信頼ではないだろうか。産業革命からはじまった機械化は生産の効率向上をもたらし、その利益を物質的な再分配を超えて抽象的な領域へ注ぎ込ませる力となった。この新領域が生まれたのは経営者の意志というより、技術発展の自動作用だっただろう。そうであれば、民間企業にとって技術の発展は、経営を支える前提としての含意だったことになる。経営の前提に技術の発展があればこそ、事業家は経営的な思惑を資金の運用や人材に向けることができたと考えられる。
新たな領域にお金が回るようになった当初、企業家の思惑が社会に与える影響力は限られていた。しかし、1900年代の終りにコンピュータが普及すると、もともと記号であるお金と記号を操作する機械のコンピュータが相乗効果を発揮しはじめ、金融業や情報産業などの新しい業界と新市場が生まれた。その成長は著しく、結果的に利益の抽象的な再分配は産業全体におよぶようになった。この機械的な効率性の向上をベースとした、非物質的な抽象価値のハンドリングこそが「クソ面白くもない仕事」の温床と考えられる。前掲のエリックは、まさにこうした業界で上司に依頼されたEメールの検索だけで一日を過ごし、2600ポンドの収入を得ることになった。そのエリックが「クソ面白くもない」日常に反抗を試みたのは上述の通りだ。
そうだとすれば完全雇用と技術の発展は、ブルシット・ジョブの両輪を担ってきたことになる。もし、どちらかの合意が欠けていれば、「クソ面白くもない仕事」がいまほど増え続けることはなかっただろう。しかしその一方で、効率がわるく失業者も多い事態を意に介さない社会が、失業者を救済する手段を持たなかったら、もっと悲惨なことになっていたことは明らかだ。そしていずれの混乱も因果関係からいえば、技術の発展が政治的な思惑の生みの親だった。
このことは未来の労働について深刻な問題を提起する。ブルシット・ジョブを生み出す本質が技術による効率向上であるなら、純粋機械生産が予想される未来は、いま以上に「クソ面白くもない仕事」が蔓延する社会になりかねないからである。
世界的パンデミックで露呈した身近なブルシット・ジョブ
本書にはエリックに似た境遇にある人々の告発が次から次へと登場する。それらは、ブルシット・ジョブを対岸の火事のように見ている多くの読者には、あまり現実味のない記述かもしれない。しかし、後半に差し掛かり、なぜ無意味な雇用が停止できないのかとグレーバーが問うあたりから、話はにわかに現実味をおびてくる。なぜなら、コロナウィルスの流行で、世界のいたるところで起きている通常業務の停止が、自分の置かれた状況に似ていることに気づくようになるからだ。
会社に行かなくなれば、デリケートな人間関係や、無駄を前提に成り立っていた仕事はやりにくくなる。存在自体に気を配ることが評価される取り巻き型の仕事、システム化の遅れが仕事の源泉だった書類穴埋めの仕事などは真っ先に機能しなくなる。
わたしたちはいま、まさにその只中にいる。事実、コロナ禍で国単位のロックダウンが敷かれたり、ホームステイやホームワークが強要されたことで、「クソ面白くない」仕事の多くが機能不全に陥った。いまわたしたちは、これまでやむを得ず受け入れていたブルシット・ジョブにどれだけの価値があるか、その真贋が強制的に問われる壮大な社会実験に投げ込まれている。強制的とは、コロナウィルスがもたらしたロックダウンや行動自粛といった、人間の自由を規制するフィルターが、人びとの自由な意志を超えて作用している状態を指す。
そして社会のいたるところで、既存のブルシット・ジョブの多くが現役を退き、反対に新手の不毛な仕事が生まれたり顕在化するようになった。書類に赤い印を押すハンコや、デジタル化から取り残された紙の書類が自分を縛り付けてきたことが、日本のあちこちで問題として浮かび上がりはじめたのだ。ウィルス感染を恐れながら職場まで移動し、紙の書類に捺印するだけの仕事は、仕事を任された者にとって「クソ面白くない」ばかりか、コロナ感染の危険を伴う。その仕事ははたして、内容や危険に見合ったものなのだろうか? この問いが現実の問題となったのは、コロナ禍によるフィルターが機能しているからだ。
その一方でフィルターは、一部のシット・ジョブが実はエッセンシャル・ワークであったことを明らかにした。混乱に陥ってはじめて、社会を根本で支える医療従事者、介護福祉士、スーパーの店員、清掃作業者、宅配運転手、さらには教師や消防士や料理人など、現場で働く人々の仕事の重要性が再認識されるようになった。
しかし、彼らの仕事の中身と待遇は多くの場合エリックとはまるで正反対のものだ。社会を動かすのに不可欠な仕事への見返りは、その貴重さと激務にとうてい見合うものではない。反対に、ロビイスト、ヘッジファンド・マネージャー、コンサルタント、弁護士といったエッセンシャル・ワーカーの対岸にいる人々の多くは、コロナ禍によるフィルターの存在を気に留めることが少ない。なぜなら、出社を制限されたからといって、彼らの仕事の負担が増えたり給料の支払いが滞ることはほとんどないからだ。
こうした事態は2020年のいま、コロナウィルスの流行により世界中で起きている現実だが、グレーバーはいまから7年前、2013年の小論のなかでこの事態を描写している。そのとき彼は、「特定の職種の人びとが消え去ってしまったらどうなるか」という「思考実験」を提起したという。その内容は次のようなものだ。
もしある朝起きて看護師やゴミ収集に従事している人びと、整備工、さらにはバスの運転手やスーパーの店員や消防士、ショートオーダー・シェフたちが異次元に連れ去られてしまったとすれば、その結果はやはり壊滅的なはずだ。小学校の先生たちが消え去れば、学校に通う子どもたちのほとんどが一日や二日は大喜びするだろうが、その長期的な影響は甚大だろう。(p.273)
実験の結果をグレーバーはどのように想像しただろうか。要約すれば、「仕事の社会的価値とその対価として支払われる金額は倒錯した関係にあることが明らかになる」というものだ。そしてグレーバーはこの予想される事態を「ひそかにだが、ケアリング階級の反乱、と呼ぶようになった」と書いている。ひそかにと言うのは、反乱が自分にとってもケアにかかわる人びとにとっても、内心に留まって���るという意味だろう。
しかし、現実は予想外の展開になった。グレーバーが思考実験を行った7年後、コロナ禍のフィルターがケアリング階級の内心を飛び越えて強制的に反乱を引き起こしたのである。政府は生活者や小規模事業者に莫大な補償をしなくてはならなくなった。よもやグレーバーは、彼が提起した「思考実験」が、その後のパンデミックによって世界中で強制執行されようとは思いもしなかっただろう。そして彼の予測した「倒錯した関係」が現実のものとして露呈したのである。
足を引っ張る道徳的羨望
しかし、世界的なパンデミックが終わればこの事態はもとに戻り、再び「クソ面白くもない仕事」が再開し「倒錯した関係」が再現されるのだろうか。もちろん、それでいいわけがないというのが、本書の基本的なスタンスだ。それではこの問題の出口は、いったいどこにあるというのだろう? グレーバーは「この状況に対してなにをなしうるのか?」と題した最終章で、道徳的羨望、上出来のロボット、ベーシック・インカムの三つの話題を取り上げている。
道徳的羨望とは、自分もそうでありたい美徳が相手によって高度に示されたとき、自分の内部で起こる妬みの感情を指す。多くの場合その妬みには羨望や反感をともなう。グレーバーがこの感情を取り上げるのは、道徳的羨望は労働を取り巻く政治に微妙な影響をおよぼすと考えているからだ。(p.321)
例えば、貧困者にたいする怒りは、働いていない人にも働いている人にも向けれるという。なぜなら、前者は怠惰だから後者はブルシット・ジョブではないから、というそれぞれの理由で怒りに変わるからである。これでは、「クソ面白くもない仕事」をしながら生活に困らない給料を得る人びとと、労働に見合わない条件のもとで現場で奮闘するエッセンシャル・ワーカーとが、共通の政治的な解決策について共闘するのは難しい。
仮にベーシック・インカムが実施され、給与水準の低いエッセンシャル・ワーカーの所得が引き上げられる提案が出されたとする。それによって現場で働く人びとの給与水準が、ブルシット・ジョブを過ごす人びとのそれに近づけば彼らのなかに、現場の連中は十分な働きがいを得ているくせにという理由で、自分たちよりも総合的に生活が上がることへの妬みが生まれる。
このような道徳的羨望が人びとの心に潜在する限り、その政策課題が多くの人びとから支持を得ることはできないだろう。これは、ベーシック・インカムで労働意欲が低下するとされることへの反証に比べ、科学的な取り扱いが難しい点で解決がやっかいだ。この点についてグレーバーはこれといった解決策を示していない。
あらっぽいマルクス主義のススメ
次の話題に移ろう。上出来のロボットがブルシット・ジョブの解放に役立つかという点はどうだろうか。これについてグレーバーは、いささか皮肉に満ちた言い回しでノーを突きつけている。彼が引き合いに出す未来のロボットは、SF作家スタニスワフ・レムにその発想源を求めたものだ。グレーバーは、いっさいの管理も指示もなしに作動するロボット「ニューマシン」が活躍するある星の出来事として、およそ次のような逸話を記している。
ニューマシンの配備が進むことで、働き口を失った労働者はバタバタとハエのように死んでいった。あるとき異星人が訪れ、ニューマシンの恩恵がみなで受けられるように、工場を社会の共有財産にすれば済むはずだと提案した。しかしその星の国民は、「我が星の最高法は貴族が自分の財産を享楽したがっている限り、何人もそれを取り上げることはできないことを受け入れている、バカなことをいわないでほしい」と懇願した。こうして、消費者としての労働者は追いはらわることになった。(pp.334-336の要旨)
この逸話についてグレーバーは、「苦役を排除するというような見通しが、あってはならない問題とみなされるという事実以上に、その経済システムが不合理であることを示すしるし(サイン)は想像がむずかしい」と述べている。(p.336)��かりにくい言い回しだが、これは、純粋機械生産のような不幸な未来を考えるのはどうかしているという以前に、そうした未来の経済システムがとうてい成立しない証拠をあらかじめ見つけることはむずかしい、ということだろう。彼は「いくぶんかのあらっぽいマルクス主義こそ、ときにわたしたちには必要なのである」とも書いている。グレーバーは、そもそも人間が労働しないことを良しとすること自体がおかしい、といいたいのだ。
それはたんなる願望だろう、労働が苦役になることも多い、そんな声が聞こえてきそうな気がする。そうでなければ、なぜ人類は産業革命から200年以上ものあいだ、機械を発明し省力化に努めてきたのわからなくなる。
しかし、人類が洞窟に壁画を描いたり、道具を生み出してきたのは、耐えられないほどの不便を解消するためだけではなかった。洞窟の先人からこのかた、人びとはその行為自体に生きる価値を見出してきたはずだ。そうでなければ壁画が人を魅了したり、バイオリンやMacintoshのような美しい道具は生まれなかった。このことは、現代の画家、陶工、料理人はもちろん、子どもの世話をする母親や育児スタッフもおなじだ。
これらの労働に共通していえることは、直接的な労働には何かしらの価値や喜びがあるということだ。これがグレーバーのいう「あらっぽいマルクス主義」の意味ではないだろうか。
それではもうひとつの、未来のロボットは人類全体の共有財産になるはずだという異星人の提案はどうだろうか。これについてグレーバーは、不可能ではないかも知れないが、深刻な自己矛盾を抱え込むことになるだろうという。その根本的な考え方は、「自動化は特定の作業をより効率的にするが、同時に別の作業の効率を下げる」というものだ。(p.337)その理由としてグレーバーは、エッセンシャル・ワーカーの仕事の本質をなすケアリングの価値は、超大な量の人間的労働によらない限りデータ化してコンピュータに取り込むことができないからだという。
おそらくこれには、汎用人工知能の研究者あたりから多くの反論がありそうだ。よく言われるようにコンピュータは単純作業の自動化からはじまり、次第にできることの範囲や能力を広げてきた。例えば、マックス・テグマークは『LIFE 3.0』のなかでハンス・モラヴェックが描いた「人間の能力のランドスケープ」を引き合いに次のように述べている。
その重大な海面レベルに相当するのが、機械がAIを設計できるようになるレベルである。この転換点に達するまでは、海面上昇は人間が機械を改良することによって起こるが、転換点以降は、機械が機械を改良することによって促され、人間が進めていたときよりもはるかに速く進んですべての陸地があっという間に浸水する可能性がある。(Kindleの位置No.1000-1003)
実際のところつい数年前には、人工知能を鍛えるには大量のデータを人間がコンピュータに与える必要があると考えられていた。しかしいまでは、例えば画像認識の分野のように、人工知能が自らデータを生成するデータ拡張(Data Augmentation)といった手法のおかげで手作業は格段に少なくなっている。グレーバーがいうデータ化のための人間的労働がいつまでも人間固有の能力を必要とするとは限らない。
生活を労働から切り離すためのベーシック・インカム
しかし、これまで見てきたように、グレーバーは労働の正の側面に期待を寄せている。むしろ、多少シンドくても充実感をともなう労働、すなわちケアリングのような仕事に「あらっぽいマルクス主義」の価値を認めることが必要だという。「クソ面白くもない仕事」は、クソ面白くないから苦役なのだ。そうなると問題は、いかに人びとをブルシット・ジョブから解放し、ケアリング労働の価値自体は残しながら、労働と対価の倒錯した関係を修復できるかに集約されることになる。
その点でグレーバーは、ブルシット・ジョブから逃れるための政策としてベーシック・インカムが有効なことを認めている。このベーシック・インカムは、今回のコロナ禍で一人あたり10万円の特別給付を受けた日本人にとって、馴染みのある方法だ。一回限りであるうえに非課税である点など、本来のベーシック・インカムとは異なるところもあるが、生活の困窮の解消に向けた施策が広く経験できた意義は大きい。これもまたコロナ禍のフィルターによる強制力がもたらしたものだ。
しかしグレーバーは、本書の内容や彼の考えが政策と受け止められることには抵抗があるという。彼が本書を執筆したのは政策を示すことではなく、あくまで「問題--ほとんどの人びとがその存在に気づきさえもしなかった--についての本なのだ」と述べている。彼がこのことを強調するのは、政策課題は人びとの目に止まりやすく、すぐにそれが有効かどうかに心を奪われ、考えに至った事情を見えにくくするからだという。そもそも政策という考えがうさんくさいとも述べている。
政策を明示することにこれほどの抵抗を示しながらも、しかしグレーバーは、ベーシック・インカムはブルシット・ジョブの削減に効果があるひとつの解決策だという。その最大の理由は、ベーシック・インカムによって生活から「クソ面白くもない」仕事を切り離すことができるからだ。このときしばしば指摘されるのが、無条件にお金を分配すれば、好きなことにうつつを抜かしたり労働意欲を失う人たちが増えるという問題だ。これに対してグレーバーは次のように書いている。
洞窟探検をおこなおうが、マヤ族の象形文字を翻訳しようが、高齢セックスの世界記録を打ち立てようとしようが、なんの問題もない。好きなことをやればよいのだ! 結局、何をやることになるにしても、履歴書作成セミナーに遅刻した失業者に罰則を科したり、ホームレスが三種類のIDをもっているかどうかをチェックするよりも、みんな、ほぼ確実に幸福になるはずだ。そしてかれらの幸福は周囲にも跳ね返ってくるであろう。(p.359)
こうしたことのすべては、あきらかにつぎのような想定にもとづいている。すなわち、人間は強制がなくとも労働をおこなうであろう、ないし、少なくとも他者にとって有用ないし、便益をもたらすと感じていることをおこなうであろう、��。(p.360)
グレーバーがどれほど性善説に立っているかは明らかだろう。しかし当然ながら、彼はすべて無条件に自由にすればうまくいくと言っているわけではない。あまりにも多くのブルシット・ジョブを余儀なくされている人びとがいる、つまり自分の仕事をバカバカしいと感じている人びとがいてその仕事に給料が支払われる一方で、社会を成り立たせる上で不可欠なエッセンシャル・ワーカーには満足な給料が支払われない、この倒錯した状況にいる大多数の人びとを自由にし、人間信頼のもとで救済する必要がある���というのがグレーバーの主張なのである。
避けるべきだが避けられない本書の要約
『ブルシット・ジョブ』は論点を要約するのをためらう本だ。ブツブツとひとりで呟くような文章が延々とつづくからではない。本書の節のタイトルがいつも「終結部=人間の創造性に対するブルシット・ジョブの影響と、無意味な仕事に対して創造的または政治的に自分を主張しよとする試みがなぜ精神的な戦争の一形態と考えられるかについて」といった調子だからというわけでもない。これらの文体や表現の特徴は、グレーバーが思考を煮詰めていく過程を追体験するうえで、むしろ、読む者にともに考えることを誘う効果もある。そうではなく、グレーバーはどうやら、わかりやすさの弊害に敏感なのだろう。まとめることを拒否しているように思えるのだ。
こうした事情を考えると、この本の要約は避けるべきなのだろう。しかし、それはわたしにとって、グレーバーの気分に引きずられ過ぎだとも思う。やはり、自分のためにこそ、この貴重な読書体験で得たことを記録するのが凡人の努めであるはずだ。
わたしが本書から得た著者の考えはこうだ--グレーバーは、ニューマシンのような発達したロボットが、「ブルシット・ジョブ」の解消に役立つとは考えていない。ロボットは苦役としての労働の代替には役立つが、そもそも人間の労働の喜びや働く価値を代替すると期待するべきものでもない。それよりも労働に含まれる価値を認め、「クソ面白くもない仕事」から人びとを解放する必要がある。そして解放された人びととともに幸福を分かつには、社会制度としてのベーシック・インカムが有効である。--これが彼の考え方の骨子だと思う。
こうして、実際に要約を書いてみて気づくことがある。確かにグレーバーが危惧する政策に言及することの危うさがわかるような気がするのだ。要約することでどこか納得した気持ちになった途端に、彼が『ブルシット・ジョブ』のおそらく95%を要して訴えてきた「クソ面白くもない仕事」の複雑でクソバカらしい現実がどこかへ消えてしまうように思えてくる。いったいわたしたちは、すでに受け入れて半ば習慣化している問題について、自分自身の手でそれを克服することができなくなっているのだろうか。そうではないと信じたい。グレーバーは本書の最後をつぎの言葉で締めくくっている。
本書の主要な論点は、具体的な政策提言をおこなうことにはない。本当に自由な社会とは実際にどのようなものなのかの思考や議論に、手をつけはじめることにある。(p.364)
わたしたちも彼に習って、本当に自由な社会とは何かを考えることだけは諦めないようにする必要がある。わたしもその一人でありたいと、この本と格闘しながらその思いを強めた。
更新歴 2020.8.22 初回投稿 2020.8.23 「なぜブルシット・ジョブが増殖しているのか?」の項目を追記
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