#鉄式設計
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【かいわいの時】明治四十五年(1912)7月3日:大阪土地建物株式会社、新世界ルナパークを開業。初代通天閣開業(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
明治44年(1911)9月、当時としては珍しい一大レジャー施設「新世界」の建設に着手し、翌45年5月に竣工した。新世界は芳五郎も参加して設立された大阪土地建物会社が、第5回内国勧業博覧会跡地の払下げを受けて建設するもので、工事を当社が受注した。天王寺公園に隣接して面積は2万5,000坪(8万2,500㎡)に及び、ここにコニー・アイランドを模した��園地「ルナパーク」を設け、その周囲に鉄骨高塔、映画館、食堂などを配した盛り場をつくる計画で、この種の施設としてはわが国最初のものであった。鉄骨高塔は勧業博当時、当社が独自に建てた木造150尺(45m)の「大林高塔」の考えを踏襲し、脚部を含めて地上64mとし、「通天閣」と名付けられた。通天閣は大阪南の一つのシンボルとなり、後にその名は全国的となった。このほかの遊戯施設にはスケート場、ロープウエイ、ドリームランド、失笑館などがあり、小劇場を兼ねた映画館は13号館まであった。新世界は庶民的な盛り場として、戦争が近づく昭和初年まで多くの人々に親しまれ繁盛した(『大林組百年史』)。第2章 全国規模の事業へと飛躍 2 全国に名を馳せる ■―新世界「ルナパーク」より。
(写真)「大阪新世界(ルナパーク)」1912(東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブス)※東北文化研究センターの活動休止に伴い、2018年2月公開終了。
タカイヤロー、コレカ通天閣デ三百尺*オマンノヤ自働昇降器デジットシテ上レマツカラ一ペン昇ツテ見メヘンカ、ソラ一番高イ所デスヨッテ遠方迄見エルナンカ天王寺公園ヤ新世界ノ活動寫眞館ナドハ足許ニ見エマツセ *ママ。実際は二百尺。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月29日(火曜日)弐
通巻第8480号
中国の『国防七大学』OBが中国軍のなかに新派閥形成
台頭する理工系エンジニアのテクノクラート集団
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中国の『国防七大学』とは北京航空航天大学, 北京理工大学, 南京航空航天大学, 南京理工大学, 西北工業大学,哈爾浜工業大学、哈爾浜工程大学をさす。
米国はこれら七校が中国の軍需産業と密接に結びついているため、交流を禁止しているが、日本の大学のなかには相変わらず、無頓着に交流し技術提携関係を持続している。
日本の国公私立大学計45校が、中国人民解放軍と関係があり、軍事関連技術研究を行う国防七大学と大学間交流協定を結んでいる。しかも9校は共同研究の実績がある。
これら七校の出身者が、最近、軍エリートとして新興の派閥を形成している。
習近平は最近しきりに「軍民融合」というタームを使う。そのうえ19回党大会のあと、「軍産幹部」をつぎつぎと上位に昇進させており、2022年の第20回党大会以降は、副大臣クラスで「軍産エリート」たちの存在感が高まっている。まさしく中国共産党内の潜在的な新興派閥である。
トウ小平はベトナム懲罰戦争を仕掛けたが、ボロ負けした。階級章が曖昧で、命令系統がわからず、武器は旧式だった。にもかかわらずトウ小平があえて戦争を仕掛けてた理由は、戦争に打って出ることで軍をトウ小平主導のもとに整合させるという隠された目的があった。
以後、しゃかりきとなって推進したのが『軍の近代化』だった。ハイテク武器の開発、軍の効率的運営、海軍の充実。そして地方軍閥をなくし、軍のシステムを総政治部、総参謀部、総装備部、総後勤務部の四つにはっきりと統合した上で、陸海空の三軍と七大軍管区にわけ分割統治を謀った。
「中国海軍の父」といわれたのが劉華清だった。彼は党小平の信任厚く、人民解放軍海軍司令員(司令官)、第14期中国共産党中央政治局常務委員、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを務めた。最終階級は上将。
江沢民は軍歴もなく軍人のだれもがせせら笑っていた。なぜこんなエンジニア出身の党官僚が軍に命令する権利を持つのか、と憤懣やるかたがなかった。そこで江沢民は懐柔策にでて軍人のアルバイトを黙認し、江沢民に忠誠を誓う胡麻擂り軍人にばんばんと上将(大将)辞令を乱発し、手なづけた。よって軍は腐敗した。
習近平は、おそるおそると軍の改革に手をつけ四大総部体制を掻きあらして十五の局として再編、ついで七大軍管区を五大戦区に転換した。
さらにロケット戦略軍を新設し、理工系エンジニアを大量に採用し、ハイテク兵器の開発功労軍人を矢継ぎ早に昇格人事をおこなった。宇宙航空関連の軍人が、軍内でエリートと見做されるようになった。
ということは��みの軍事訓練をうけてきた兵隊からすれば体力も戦闘���験もない頭でっかちが、軍エリーとなっていくことに強い反発と嫉妬、怨念を抱いた。
▼とはいえ、国防軍事産業は閉鎖的社会である
新派閥は理工系、数学とコンピュータに強い教育的背景と防衛産業の運営モデルを通じて人間関係のネットワークが形成され、相互信頼、ならびに同質性が育まれる可能性が高いため、結束力が異様に強い派閥となった。
コンピュータの軍事エリートが世界最大のハッカー軍団を取り仕切っていると推測される。
この『軍産エリート集団』は共産党中央委員会のなかに独自の軍産複合体閥を形成し、幹部が資源配分、政策立案、規制、現地調整、意見伝達などで重要な役割を担い、防衛産業の発展を統括している。
2024年6月には黄強(元国防科学技術委員会書記長、国防科学技術局副局長)が吉林省党委書記に任命された。異例の出世である。遼寧省の赫鵬、黒龍江省の徐勤と並んで、中国東北部の主要軍事産業基地の省党委書記3人全員が防衛産業出身者となったのだ。
習近平氏は近防衛産業の発展と拡充を強く支援しており、防衛産業出身の幹部昇用が目立つことは述べたが、これら新エリートのほとんどは国防七大学を卒業している。
しかし基本的な特質を述べれば、中国の防衛産業は閉鎖的な社会で、より広範な官僚制度を特徴付ける「ブロック論理」(日本で言うところの「省益」は防衛産業にも存在し、研究開発は特定の防衛企業または研究部門に限定される。セクト主義だ。
さはさりながら共産党のピラミッドの頂点である中央委員会メンバーのうち、防衛産業出身者は21名となった。第20期中央委員会では、劉国忠、張国清両副首相、馬星瑞新疆ウイグル自治区党��記、袁家軍重慶市党書記の4名が政治局に昇進した。習近平をのぞく政治局23名のうち、軍エリートは四名である。
国務院人事をみても、多くの省庁が軍産関係者を重要な役職に据えている。
20期中央委員会では、国務院内の軍産資源や関連産業部門を実効管理する人物として、張国清副首相(工業担当)と劉国忠副首相、呉正龍国務委員、金荘龍工業情報化部長、懐金鵬教育部長などがいる。
地方レベルでも21人の軍産幹部が14の省、直轄市、自治区で党書記または省長を務めた。
就中、東北三省である。遼寧省、吉林省、黒竜江省の重工業地帯は、ずばり日本の満州国建設時代に鉄鋼、造船、機械工業を育成発展させて基盤がある。
この三省が中国軍事産業にとって不可欠な研究企業や研究所の本拠地である。例えば、黒龍江省にはハルビン航空機工業集団(HAIG)、遼寧省には大連造船工業集団(DSIC)、ついでにいえば陝西省には中国航天科技集団(CASC)の第四研究所と第六研究所がある。
中央委員会の軍産関係者の人脈を分析すると、多くが学歴や職歴を共有していることも分かる。学閥もまた習近平が清華大学閥を形成しているように中国の人脈地図に於いて重要である。
全国人民代表大会副主席の張清偉がこのネットワークの中心人物とされる。張清偉は航空宇宙分野で長いキャリアを積んできた。このため、航空宇宙分野の役人のほとんどつながりを持つ。重慶市の袁家軍・党書記、新疆ウイグル自治区党書記の馬興鋭、中央軍民融合弁公室の雷帆培副主任、工業情報化部長の金荘龍は副官を務めたことがある。
もう1人の中心人物は、副首相の張国清だろう。国務委員の呉正龍と陝西省長の趙剛は、一緒に仕事をした経験があり、張と呉は2013年から2014年まで中国共産党重慶市委員会で一緒に働いていた。
ただし中国共産党の最高機関である政治局常務委員に昇格した軍産関係者はいない。党の活動歴がないうえ、習近平のとの個人的な絆が薄いからだ。
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Lot 3046 STAND COLLAR CHAMBRAY SHIRTS & Lot 3047 ROUND COLLAR CHAMBRAY SHIRTS
こんにちは 名古屋店 コジャです。
シャンブレーシャツを度々リリースしていますが、 ここ最近のシャンブレーの中でもより古い年代を元に作り上げたシャツが入荷しております。
WAREHOUSE & CO. Lot 3046 STAND COLLAR CHAMBRAY SHIRTS \19.800-(with tax) ※ONE WASHは550- UP
WAREHOUSE & CO. Lot 3047 ROUND COLLAR CHAMBRAY SHIRTS \19.800-(with tax) ※ONE WASHは550- UP
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【Original Acrchive】
第一次大戦前後の一時期にしかみられない、カバーオールで有名なウォッチポケットのが付くシャンブレーシャツです。
時代は第一次大戦時代と古く、当時の人が持つ「時間」という概念を変えたのは機関車の誕生です。 それぞれが共通したタイムスケジュールのなかで、割り当てられた作業を時間内に納めることが鉄動員である彼らにとっての責任であり、懐中時計はその「命綱」だったのです。 東部から伸びた鉄道網は、その要衝となるエリアを中心に、個性的な鉄動員に向けたユニフォームを作るブランドが競うように生まれました。 当時は襟は取り外しが効くもので、交換が可能であったため、襟の無いスタンドカラーの状態で販売されていました。
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懐中時計のチェーンを通すホール。左右異なるポケットの形状。 そのうち左胸はウォッチポケットと呼ばれるカバーオールで有名なポケットが付く仕様。
猫目の貝ボタン。etc…
オールド仕様はシャンブレーと言わず他と異なる点が一目で分かりやすく、 シャンブレーシャツを数枚お持ちの方もこのシャツは「別腹」ではないでしょうか?
私も数枚シャンブレーシャツの袖を通してきましたが、 こちらはやはり「別腹」。
179cm,69kg SIZE:42(ONE WASH)
個人的には襟を省いてスパイスの効いたスタンドカラーが◎ …でもラウンドカラーも捨てがたい。。。
173cm,60kg SIZE:40(ONE WASH)
2枚持ちという贅沢もアリですねぇ笑
サイズ感も非常に良いですよ。
シャンブレーシャツ一つ取り上げても様々な個体が多く、 デニム同様やめられませんよねぇ。
皆様も是非お試し下さい。では失礼いたします。
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☞ [営業時間のお知らせ]
平素よりウエアハウス直営店をご利用頂き有難う御座います。 ウエアハウス直営店では営業を下記の通り変更しております。
《2024.10.22.現在の営業時間》
◎東京店 【営業時間:平日 12時~19時 土日祝 12時~19時】無休 ◎阪急メンズ東京店 【営業時間:平日 12時~20時 土日祝 11時~20時】無休 ◎名古屋店【営業時間: 平日 12時~19時 土日祝 12時~19時】水曜定休 ◎大阪店 【営業時間: 平日 12時~19時 土日祝 12時~19時】 無休 ◎福岡店 【営業時間: 平日 12時~19時 土日祝 12時~19時】 無休 ◎札幌店 【営業時間: 11時~20時】 木曜定休
※福岡店は下記の日程を店休とさせていただきます。 ご来店の際はお間違えのないようご確認をお��いいたします。
<福岡店の店休日> ・10/23(水) ・10/30(水)
今後の営業時間等の変更につきましては改めて当ブログにてお知らせ致します。 お客様におかれましてはご不便をお掛けいたしますが御ご理解の程、宜しくお願い申し上げます。
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WAREHOUSE&CO.直営店からのお得な情報や、エリア限定のクーポンなどを配布しています。
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弊社直営店で行っておりますジーンズ等のリペアの受付を休止させて頂いております。 ※ご郵送に関しても同様に休止させて頂いております。再開の日程は未定です。
ご迷惑お掛け致しますが、ご理解下さいます様お願い致します。 ※弊社製品であればボトムスの裾上げは無料にてお受けしております。お預かり期間は各店舗により異なりますのでお問合せ下さい。
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WAREHOUSE名古屋店
〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須3-13-18
TEL:052-261-7889
《2024.10.22.現在の営業時間》
【営業時間:平日 12時~19時、土日祝 12時~19時】水曜定休日
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ラジコン備忘録 2024/9/14
Miniz-Cup 2024 Hokkaido Day.1
さてやってまいりました。レース当日編。まずは1日目。
今回の大会会場は旭川。去年は札幌だったので久しぶりの旭川開催。僕にとって旭川会場は5年ぶり。
8時には旭川に着きたいので、5時起き・5時半出発です。
忙しい2日間が始まるのは目に見えているのでパッと高速で旭川に向かいます。うーん、早朝PAで見る愛車はカッコイイ。一応、ラジコンイベントの駐車場ではジロジロと実車を見られることがあるので綺麗にしておきました。排気量の余裕とフルバケの効果もあってか、移動の疲労感が少なくて相変わらず良い車です。
7時半に旭川に着いて朝食。会場の駐車場がまだ空いていなかったので、近所のマックに。同じような考えの仲間と遭遇して奢ってもらいました。朝マックなんて超久しぶり。
今回の会場は、旭川市市民活動交流センター CoCoDe(ココデ)。 昔の廃倉庫を活用したイベントスペースらしいです。レンガがおしゃれですね。 開場1時間前ですが、いくつか荷物で順番取りをしていますね...。
旭川、めっちゃ寒いです。家を出るときは半袖でも余裕でしたが、現地は無理。さすがに1枚羽織りました。この時点で16度くらいだったかな。寒いので路温が心配。
9時開場、エントリー受付です。初めての会場では無いので、記憶が少しずつ蘇ってきます。トイレの位置だけはハッキリと覚えている不思議。
今回の北海道大会、見る限りエントリーが少なめ。代表権狙いの人には良い状況ですね。
1日目に参加するオープンクラスの参加者は11名。かなり速いモーターを使うので難易度が高くて、上級者しか参加しないカテゴリー。参加人数も少ないカテですがそれにしても少なめ。とはいえ、本州からの遠征組も2名参加。ホームで負けるわけにはいかないので、ボコボコにしてやる勢いです。
この会場はピットスペースは2階に配置。吹き抜けになっているので、ピットからレースの様子がよく見えます。吹き抜けになっているような会場は全国見てもここだけなので、珍しいですね。 上からライン取り、車の挙動がよく見えます。
操縦台の上からコースを見渡した図。2階から見るのと大して変わらないですね。操縦席とコースの距離もあるので、操縦位置による有利不利も無さげ。
1日目のピット。いつも机上をゴチャゴチャさせてるのに比べれば大分スッキリ。気になる事といえば、ここの会場暗すぎる。タイヤ交換の作業をするにしてもかなり暗いです。棚にLEDをつけていますが、追加でデスクライト的なものを持ってこないと細かい作業は厳しい。コース自体も、吹き抜け構造なので2階からの照明が遠くてイマイチ。まぁ、こればっかりは仕方ない。暗いという意味でいえばみんなイコールコンディションですからね。
練習走行。まずはいつもホームコースで走ってるセッティングに少し曲がりを足したマシンで走行。
...なんだこれ。聞いてはいたけどここまでグリップ低いか?って路面に驚きつつ策を練ります。
いつものセットじゃ全く話にならないですね。テールスライドしまくり。カウンター当てないとまともに走れません。
最近のラジコンは便利なもので、横Gをジャイロセンサーで検知すると自動でカウンターを当てたり、スロットルを絞る機能があります。仕方なくそれを最大限活用する作戦に移行。
初日エントリーのオープンクラスは約2秒で40km/hに到達するといわれる最速モーターを搭載したカテゴリー。この小ささで40km/hというとかなり速い部類ですね。正直、操作はかなり難しいです。
そんなピーキーなマシンを操作しやすくするために、スロットルジャイロを30%ON。普段は0~5%なのでどれだけグリップが低いのか...。
モーターも100%の��ワーを出しても扱い切れないので、出力上限を95%に設定。これで立ち上がりがマイルドになります。パワーを出し切らない方が速い、珍しい路面です。ピーキーなモーターをキッチリ扱えてなくて、下位カテゴリーのマシンより遅い始末。
そしてタイヤも変更。リアタイヤがグリップしなかったときの想定をしておいて助かりました。リアのタイヤコンパウンドを30°→20°に変更。これでリアグリップを確保・空転させないでトラクションをかける作戦です。
とはいえ、そんなに根詰めて悩んでも仕方ないのでスイーツ休憩。一息入れてから予選で勝負に出ます。大会当日は糖分の補給を積極的に行うようにしています。その方が脳の働きが良くなりそうなので...。
予選1回目。スタート時の混戦に巻き込まれてグダグダ。総合8番手で終了。マシンは悪くないようですが、レースの運び方が悪かった。他車との接触が2回はありました。ですが、次の予選2回目は前列スタートと考えるとたぶんイケる予感というか確信です。
予選2回目。スタートダッシュと1コーナーのアプローチが決まって2番手以降をブッチギリ。誰も前に出させることなく好調な走りで1番手フィニッシュ。ベストラップもきちんと出ています。
結局予選2回目が最速タイムになり、予選1番手が確定。マシン・腕前ともにイマイチ本調子ではないような感じもしますが、悪くはないようです。みんなこの路面に苦戦しているということですね。
北海道大会での予選1番手は5年ぶり。ポールポジションはやはりうれしいものです。
昨年は全国大会の権利を貰っているので、朝の段階で各選手に僕の走りをジロジロと見られているのは感じていました。そんなプレッシャーに負けずに走れて良かった。決勝も気楽に頑張ります。
グリップは少しずつ上がっていますが未だに低いまま。それでも、予選のままのマシンセッティングで何とかなる予感。決勝は変えずにこのまま勝負します。曲がらなくなってきたら、走行中にプロポで微調整をかける練習はしていました。
決勝はカーゼッケン1番に変更。やはり、予選1番手というのは特別で良いですね。
決勝Aメイン8分レース。
ポールポジションからスタートを決め、2周目くらいまで維持。だけどセットがなかなか合ってこず、3番手まで順位を一時落とします。しかし、ここからが僕の意地の見せどころ。瞬時にプロポ設定をいくつか調整し、前方選手のミスを見逃さずオーバーテイク。3番手まで落ちたのは一瞬で、30秒ほどで1番手に復帰。
僕の指先といえば、かなり忙しいです。グリップが低すぎて、いまだにアイスバーンを走っているような感覚。ブレーキをガツンと入れてキッチリ減速しつ��も、スロットルは徐々に煽ってまさにドリフトしているような感覚。この走らせ方、かなりリアタイヤを消耗することは分かっていますが、こうでもしないとトップは死守できません。
その後2位の選手からの追い上げを感じますが、途中で追い上げは諦めたみたいです。表彰台圏内なのに、無理に追い上げて自爆する方が怖いですからね。つまらないですが、頭のいい作戦です。こちらとしても走りやすい。そのままタイム差を広げて2番手とは6秒差でゴール。ポールトゥウィン。完全勝利です。
リアタイヤは柔らかいコンパウンドを選択しているのでレース後半の 消耗が心配でした。ラスト2分でタレてきている感触はありましたが、誤魔化せる範囲で助かった。最近のラジコンの電子制御、本当にすごいです。疑似的なトラクションコントロールとABSでタイヤ消耗は助けられました。
今回の大会は路面グリップが終始低すぎて、スロットルワークが上手か下手かで勝負が分かれていた気がします。ワークスドライバー級のプロはステアリングよりもスロットル操作を重視すると言いますが、まさにそんな感じ。
表彰式。色んなカテゴリーがありますが、最速カテゴリーで優勝ということは、この会場の中で一番速いということなので嬉しいですね。
表彰状をもらいました。社会人になって表彰される機会というのはなかなか無いので嬉しいものですね。1位となればなおさら。
ここまでくるのに色んな人のアドバイス・協力がありました。本当に感謝。なかなか恩を返しきれないです。
1日目が終わると、2日目に向けて東横インにチェックイン。全国大会の時に東横インに5泊したので、この際東横インのポイントを集めます。ちなみにキャリーバッグの中身は全てラジコン関係。着替え類はリュックで収まりました。
旭川くらいなら日帰りでも行ける距離ではありますが、翌日に向けて寝不足は避けたいのと、燃費計算をして宿泊した方が断然安かったのでホテル泊。
その後は直ぐに旭川の街に繰り出します。僕の記憶の中の旭川の街って、栄えてはいるけど古臭いビルが立ち並んでいるイメージでした。久しぶりに旭川を歩いてみると随分と近代化していますね。オシャレなビル・お店がたくさんあります。今度、きちんと旭川で呑みたいですね。
さて、北海道大会参加者の懇親会です。参加は30名くらい。ビアガーデンスタイルの鉄板BBQ。これで5,500円か~...と思いつつも陽気に飲み食いしてしまうのは相変わらず。初日1位の男なので、各方面にモテまくりです。大規模な飲み会で主役を張れるというのは、酒呑みにとっては随分と気持ちいいです。
飲み会が楽しく終わり2次会に消えた人々もいるみたいですが、僕は偉いのでホテルに戻ります。翌日のことを考えたら、呑みすぎは絶対にNGですし。一人でしっぽりやりながら、次の日の準備。電池関係がメインですね。
1日目の走りを動画で確認しておきますが、我ながら良い走り。 次の日もこんな感じで走れれば良いんですが、今さら考えても仕方ないのでホテル晩酌を満喫。24時には就寝。
2日目編につづく...。
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パイオニアIII台車
いろいろと日本の風土には合わなかった台車だけど、個人的には結構好きな台車。何が好きかってやっぱりブレーキパッドの交換を容易にしたいという発想が形に表れている点と、「シンプルな機械は美しい」という信念にあふれたスタイリング。ただ相鉄で話を聞いたときは「ディスクブレーキって1枚60㎏くらいあるからどうだろうねえ」とは言われたけど。でもブレーキの安定性自体はいい台車なんだよね
この台車でぎょっとするところは何と言ってもボルスタアンカが異様に高いところに配置されていること。ボルスタアンカってのは引張力を伝える道具なんだから、それは軸箱にできるだけ近い高さに置くのが定石(電車の場合ね。機関車の場合はまた話が違ってきて、レール面すれすれまで下げるのが定石。EF66形式のDT134なんか面白い設計ですよ)。機器配置の都合上うまくいかない場合でも、それでも軸箱の高さにできるだけ近づけようとするのが誠意というもんです(この話ダイレクトマウント台車の場合ね。TR223Gみたいなインダイレクトマウント台車でかつ剛性の高いコイルバネを枕ばねに使ってる場合は話が変わってくる)
だから最初この台車を見たとき「なんじゃこりゃ」って思った。ていうかTS-301をはじめとして東急車輛のTS系台車って800番台になるまでボルスタアンカの位置にすごく無頓着に見えるんだよね(ただしTS-301は横剛性の強いコイルバネを枕ばねに使ってることや車体とばねが直結していないインダイレクトマウント台車だから、そこまでこだわる必要はないともいえる)。実際運用に入ってみると蛇行動が目立った。そりゃあそうだよね。左右に動くパーツを心皿と同じ高さに置くとか普通はやらんよ(つまりボルスタアンカが構造上必ず心皿の下に配置されるインダイレクトマウント台車なら無理して車軸の高さとボルスタアンカを合わせなくてもいいわけです)
ただ、PIIIのボルスタアンカの位置は明確な理由がある。ブレーキパッドがあるからボルスタアンカの受けをどこに置くかが問題になるんです。ボルスタアンカってのはある程度の長さがないとボルスタアンカにかかる負荷(応力)が大きくなってしまう。だからブレーキパッドに干渉しないよう取り付け座を下ろすとボルスタアンカが異様に短くなる。ここで、ディスクブレーキの交換がしやすいように、車軸の外側にブレーキディスクを持ってきたデザインが仇になるわけ。外側ディスクブレーキの台車が少数派な理由のひとつがこれです
東急車輛だって蛇行動を起こしやすいこのボルスタアンカの位置はなんとかしたかった。それで取り付け座を工夫してボルスタアンカを軸箱の高さまで降ろした試験をしたんだけど、全長が足りず応力が高くなりすぎて成績は芳しくなかった
結局解決したのは小田急4000形のPIII-706かな。軸距を2100mmから2350mmに伸ばしてスペースを作って、さらに台車枠を弓型に湾曲させてブレーキパッドを斜めに取り付けて、これでようやくボルスタアンカを下げることができたんだと思った。完成度自体はそれなりに高かったけど小田急では別の理由で味噌をつけてしまった(ボルスタアンカを軸箱まで降ろして荷重変動対策を取ってたのにねえ)のは残念だった
PIIIは日本では成功したとは言えなかったけど、新しいことを試みて試行錯誤して最後は問題を解決していった。そんな流れを見ると嫌いになれないんだよねこの台車。理想を求めて現実にぶつかって、それでもなお、改善を試みる。そんなドラマがPIIIを見ていると楽しめるんだ
ぶっちゃけこの台車の問題は、たかだか200mm程度のボルスタアンカの高さの差でしかないです。でもその200mmに込められた試行錯誤に思いをはせると、とてもいとおしくなれる台車なんですよね
そしてたかだかボルスタアンカの高さだけでこれだけ語れる台車という機械の面白さでもあります
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リンバスリリースおめでとうございます!!!! そしてめっちゃ面白かった~~~~ 苦しみながら3章を終え、鏡ダンジョンをうろついています。 ●ゲームに対する感想 なんか…楽しみにしてたシリーズのゲームである、っていうひいき目を抜きにして、ゲームとして純粋にめちゃくちゃ面白くて好みで感動しました。うれし~~~ ゲーム性の高いソシャゲをあんまりやったことがなかったので、 どんな感じになるんだろう…と想像ができていなかったんですが、 見事ルイナのゲームシステムベースに、スピード感とか親切設計が乗っかった感じでめっちゃうれしかった。 ルイナ、ロボトミーからの流れ+キャラやストーリーの魅力も勿論あるんですが、ゲーム性がめちゃくちゃ好きだったから… またこんなゲームをやりたいな、って思っていた気持ちがすくいあげられて嬉しかった。 パッシブとか効果とか細かく考え抜いてやるシステムも楽しかったけど(今回も幻想体戦がそれに近いのかな)そこはソシャゲだと確かにやりづらいしな…という気持ちもありつつ、 3章らへんの耐性等考えさせるところ見ると普通に今後めちゃ考えて組まないといけないのも出てきそうだな。 あと立ち絵の画風とイベントスチルの画風が違うのもなるほど!と思った。 以下中身に対する感想
●ゲームの中身に対する感想 とにかく…3章までのそれぞれのストーリーが、ルイナまでの勢い衰えずめちゃくちゃ面白くて好みだったのでまだあんま気持ちがまとまってない 3章クリアした後興奮しすぎて脳がうろついた プレイメモ箇条書き
1章らへん ・囚人が思ってたよりも囚人ではなく社員だった!が、あの世界の社員はもはや囚人だなとも強く思った ・ロボトミーコーポレーション、L社はもう「旧L社」なんだな…と思うと感慨深かった。 ・なんで囚人が気軽にEGOを発現できるんだろうと思うとやっぱり図書館エンド後に色々あったんだろうな ・ヴェルギリウス、修学旅行の引率の先生だ ・ウーティス、ロリ顔だ ・ダンテ、今までの主人公の中で一番ノリが軽い!軽いが、いいやつだ ・ドンキのフィクサーへの夢見具合、身近にフィクサーいなかったんだろうか ・グレゴールのEGO使うたびにやっぱり指定司書モチーフステッカーベタ張りしてあるの気になるよ~~ ・グレゴール含め、どの囚人も事前情報よりも人間味が強くていいなあと思った。得体のしれない囚人たち、がエピソードと細かい交流を積み重ねていくの見せられちゃうとさ… ・単純にレア度が高い人格が最強!ってわけじゃないのがいいな つまり相性とか頭を使わないといけないわけですが… ・グレゴールの過去の記憶、見る度におぞましいものに歪むのリアルだなと思った。つらい記憶は頭の中でリフレインさせるたびに不和ばかり増長される ・地下鉄で無精ひげはやして自分のポスター見るの、すっぴんで自分の広告見るアイドルじゃん!ていうわけわからない感情になった ・グレゴールもしかして小さいのか ・アヤとユーリがめちゃくちゃよかった。アヤの、運がいい、に対する理屈を自身の最期にもああやって言い放てるの強い人間だなと思った ・ユーリの罪悪感は、それこそ根っこのように死ぬまで消えることはないものだったんだろうけど、根を踏みしめて前に進もうと思えていたのではないかな…まあその歩みはもう進むことはないんだが… ・封印されたL社支部の中で醸造された終末カレンダー地獄、地獄すぎて地獄 自分以外の誰かが早く死んでほしい、自分も誰かにそう思われてる、っていう時間が続くのってもう何を見つめて生きていけばいいのかわからないよな ・↑を踏まえると、アヤに死なないでいてほしかったと純粋に思えたこと、そしてグレゴール含め囚人たちにも死なないでほしかったと思われたユーリは、あの世界の中では割と救いを得た終わりだったのかもしれん 2章らへん ・シンクレアの魂のキャンプファイヤーシャカシャカかわいすぎ ・マラカス、音楽の授業で基礎やるの!?!? ・ロージャがあまりにも最高すぎる、最高のイケてる女 ・鉄工会会長のあの姿ってめちゃくちゃ箱セフィラじゃん! それが博物館に並べられてそうな旧式じゃ~んみたいな感じに言われてんのめちゃ萌える。職員にもそう思われてたのかもしれん… ・ソーニャ… 3章らへん ・3章の中盤で完全に詰まる、そしてそこで人格の同期レベルとか紐とかタイプ相性に気づく ・鏡ダンジョンにもようやく気付く レベル上げをする ・シンクレアがゲボと脳漿と涙の大盤振る舞いしてくれすぎてびびる ・ドンキちゃん思ってたよりグッズ集めるタイプのオタクだった。絶対家に推し祭壇あるじゃん かわいい ・かわいくて声がでかい ・処理落ちが怖くてPCでリンバスやってるけど、今後スマホにいれて、電車の中で誤タップしたら死ぬ声のデカさ ・イシュメール…ダンテの尊厳を…侮辱されたという事で怒ってくれたこと感動した ・ホンルの底知れなさ、なんだろ〜…と思ってたけど剣契?のストーリーの、人を使うのが異常にうまい的なやつみてしっくりきた ・エピの介錯を提案するウーティスも、ソードにあの嘘をついてあげるホンルも、情のある人間だなと思った。(ウーティスはもしかしたら管理人への従属の一環かもしれないが、あれは情のある人間じゃないとしない提案だと思う) ・ぽんぽん、他の誰かもそのうち出るってこと?ぽんぽん派ムルソー、ぽんぽん派ファウスト ちなみにぽんぽんまだ出ません ・ムルソー執行、そもそも髪おろしめちゃいいじゃんって感じなんだけど ego乗っ取られてがちょっと…なんか…変な欲望掻き立てられる感じで…イイね…て思った ・ヒースクリフ、乱暴だが無謀ではない ・ダンテのどっかのセリフで「良秀は囚人になったから弱くなっちゃったけど昔は剣で鉄も切れたすごいやつだった~」みたいなのあったよね!? 断片的に(ダンテ的)無意識で出てくる情報闇深すぎて気になる ・シンクレアハーレムラノベの主人公 やべーやつに好かれまくりすぎ ・デミアンさあ………… ・クローマーの釘と金槌加入世界線のスチルよすぎ 長い 鏡ダンジョンに出稼ぎに行くか…
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102550100 件表示検索: 企業名合計献金額 1三菱UFJフィナンシャルグループ73億2116万9160円 2みずほフィナンシャルグループ53億9556万7980円 3トヨタ自動車41億4042万7000円 4三井住友フィナンシャルグループ41億1493万4168円 5日本製鉄39億7359万6800円 6三井住友トラスト・ホールディングス32億3196万8000円 7りそなホールディングス30億9607万4600円 8JFEホールディングス25億8948万円 9パナソニックホールディングス23億8901万2000円 10日立製作所21億2180万円 11日産自動車20億6942万5000円 12MS&ADインシュアランスグループホールディングス20億6427万8000円 13SOMPOホールディングス19億2763万6円 14日本生命グループ18億4747万3913円 15三菱商事17億6949万5000円 16東京海上ホールディングス17億6491万円 17東芝17億3212万2000円 18三菱電機16億4367万5000円 19三菱重工業16億1804万円 20三井物産15億7001万円 21伊藤忠商事15億272万8000円 22竹中工務店13億9591万1200円 23本田技研工業13億7686万円 24神戸製鋼所13億2424万円 25大成建設13億2199万8200円 26住友商事12億5348万円 27あおぞら銀行12億4120万6000円 28日本電気(NEC)12億3462万円 29キリンホールディングス12億1652万3100円 30清水建設12億1528万200円 31明治安田生命保険12億139万8011円 32丸紅11億9592万円 33鹿島建設11億6037万200円 34ソニーグループ11億5730万円 35第一生命ホールディングス11億5270万7979円 36双日11億3435万円 37大林組11億1138万2200円 38住友化学11億338万4900円 39富士通11億109万円 40いすゞ自動車10億7854万円 41野村ホールディングス10億5231万1260円 42住友生命保険10億3182万2131円 43三井住友建設10億3163万8000円 44三菱ケミカルグループ10億1783万9500円 45武田薬品工業9億7730万円 46北海道拓殖銀行9億7006万6000円 47阪急阪神ホールディングス9億4731万4000円 48近鉄グループホールディングス9億1757万5000円 49三菱自動車工業9億1698万2000円 50大和証券グループ本社8億5064万6756円 51アステラス製薬8億4281万円 52マツダ8億3082万円 53第一三共8億2282万5000円 54キヤノン7億9452万円 55SUBARU7億8811万5000円 56IHI7億8443万円 57安藤・間7億5801万7000円 58スズキ7億5677万7500円 59高松コンストラクショングループ7億509万3200円 60ENEOSホールディングス7億446万8600円 61インフロニア・ホールディングス6億9300万9600円 62五洋建設6億7996万600円 63西松建設6億5775万7600円 64熊谷組6億5736万円 65名古屋鉄道6億4574万4000円 66戸田建設6億1536万7600円 67東急5億9727万2000円 68豊田通商5億8286万円 69東武鉄道5億7411万5000円 70めぶきフィナンシャルグループ5億5280万6500円 71大和ハウス工業5億4409万9000円 72王子ホールディングス5億2857万3000円 73奥村組5億1967万2000円 74日本製紙株式会社5億1860万8000円 75小田急電鉄5億1624万円 76ブリヂストン5億700万円 77福岡フィナンシャルグループ4億9628万400円 78デンソー4億7750万円 79アサヒグループホールディングス4億7680万円 80西武ホールディングス4億7173万2000円 81富士電機4億7057万円 82旭化成4億5562万5100円 83朝日生命保険4億4747万8504円 84京阪ホールディングス4億4490万8000円 85京王電鉄4億4481万4000円 86京浜急行電鉄4億3559万8000円 87ほくほくフィナンシャルグループ4億3296万7300円 88クボタ4億3146万円 89鴻池組4億3017万6000円 90サントリーホールディングス4億1846万8000円 91川崎重工業4億1058万円 92塩野義製薬4億756万円 93大正製薬ホールディングス4億738万円 94鉄建建設4億691万7000円 95南海電気鉄道4億565万4000円 96 東レ4億487万4000円 97東亜建設工業4億459万3000円 98麻生3億9313万8000円 99コンコルディア・フィナンシャルグループ3億9047万9000円 100東洋建設3億8974万6000円 248 件中 1 から 100 まで表示前次
自民党への献金総額、46年間で1億円超248社/最多はMUFGの73億円/経団連首脳「そのとおりやってくれるかどうかをきちっと見る」 | Tansa
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当日からは10日強も経ってしまったけれど色を塗りました。
そらうた発売20周年おめでとうございます。
この件に言及している方はネット上に何名かいらして(失礼ながら決してメジャーなタイトルではなかったため)嬉しくは思いましたが、この気持ちを共有できる具体的な場所があるわけでもないのでこうしてネットの隅でお祝いします。
以下、語ります。
2004年の11月にこのゲームをプレイして大いに感銘を受け、時期を同じくして同ゲームをプレイした友人と共に冷めやらぬ熱の赴くままに翌年の初夏に四国は観音寺(※)まで向かった経験が今の自分の人生にもつながっているため、個人的には思いのあるゲームです。ガルクラの仁菜にとっての旧ダイダスみたいな感じです。観音寺の名を初めて認識し、四国上陸も初めてで、そして香川を好きになったきっかけでした。
(※:作中の台詞で何度も地名を断言されていたため。発言は佐倉知夏によるもの。大野原、豊浜との合併前の旧市域)
また、主人公の名前が「小西道隆」だったので、道中の多度津で「道隆寺」をみつけた時には友達と大笑いしました。著名な八十八ヶ所札所なのにまったくの無知だったので「どうりゅう…?……みちたかでら!」と。まぁ、ここから主人公の名前を取ったとかではなく、あくまで偶然の一致でしょうけどもね。
そして作中そのままの景色は観音寺市にはなかったのですが…台詞では「四国は観音寺」と断言しているわけですし、ゲームでの背景は創作で描かれた架空性の高いものなのだろうと。
少なくとも2004年発売当時、四国に「観音寺」と名のつく自治体はあそこしかなかったはず。字(あざ)なら他にもあったかもですが作中台詞のニュアンスから考えても字の名をそこまでフィーチャーするとも思えず。
シナリオの中では銭形砂絵やカト○チはおろか、そうめんは出てくるのにうどんすら出てこないので観音寺どころか香川要素すら限りなく0だった、と。
天空の鳥居も今でこそ有名ですけど当時はSNSはmiなんたらしか存在しなかったので知名度も今ほどではなく、現地で話した方からも聞き及べませんでしたしゲームにも当然、出てはきません。
同じなのは砂浜があることぐらい?
ゲーム内の台詞に「砂浜までは街を抜けて駅前を通って国道を越える」みたいなものもあったのですが、当時の市域では室本の方と有明浜の2ヶ所しか砂浜はなかったはずなので、台詞の通りで到達できる浜はそもそも存在していなかったと記憶していますし、国道も11号と377号しかなくそのどちらも当時の市域の中からしたら海への距離はあったのでやはり全体的に実在性は薄いものだったとは思います。
それでも。
「実在はせずとも似た場所を見いだす」のは妄想力をかきたてて楽しかったので地名を断言してくれているのはありがたかった。
いまほど「寸分違わず作中そのままの聖地」が一般的ではなかった時代でしたし。
(いまの時代のコンテンツにおける聖地舞台地については、あれだけ具体的に描写しておいて'実在の○○とは一切関係ありません'と言い張るのはそりゃあ関係はないだろうけども実社会への影響は生じうるし、危ないバランスの上で成り立っている文化だなと思う瞬間はあります)
まあ、それはそれとして。
今でも観音寺市に行く際にはゲームのサントラとC67までのドラマCDの音源データは持ち込んで聴いているので街への気持ちは健在のままです。形はレモンなのに味はいちごの果物とか夏祭りに向かうとか色々ありますが、現地では何度聴いても「あ〜この街にみんな住んでんだな〜」と。
20年も経つのでメインキャラクターのみんなは今は37歳で…たまねえや薫先生は45歳…全員昭和生まれかい。ラップトップは登場するのに当時の学生は持っていたはずの携帯電話は出ていなかったので時代設定が発売当時で合っているのかはわかりませんけどね。
キャラクターたちが今も観音寺で暮らしているとしたら普段は何してんだろうな〜とは思います。初詣は琴弾八幡宮なのかなとか、結婚するなら宇多津の方で式を挙げたり、遊びに行くときは綾川のモールは鉄板として、岡山や高松まで出たりするのかな、と��。子供がいたら100年先もあの場所にありたいテーマパークに行ったりしているのだろうな、とか。
ゲーム内にて「小西家は海の方で、佐倉家は山の方で尚且つ遠くはない」旨が語られていたので、��ケーション的には小西家は室本町のセロリ畑の近くとか、佐倉家は高屋町の段丘の方かなと推定したりもします。市南部の粟井地区も山側ではあるのですが海からはさすがに遠すぎるし両家とも七宝山近辺なのだろうなと考えます。
背景グラフィックと比較して「実際に市の南側は山脈になっていて山の稜線が途切れるはずないからこの画面の山は北側の山が最も印象に合うね」みたいな部分もあります。これらも楽しみのうちです。
累計で1ヶ月は滞在しているのでそれなりに生活者的な視点での解像度は高まりました。
その観音寺はすっかり勇者の聖地として盛り上がっている街で…あのジャンルで二次創作活動をしていたこともありますが、それはそれとして、今2004年のゲームの聖地として赴いているのは自分だけかなとか毎度思ったり。
ゲームについては真奈と葵ちゃんのシナリオが特に好き。2人とも訳ありなので今から思えばツッコミが脳裏に浮かぶ瞬間はあるものの。プレイ当時、絵的にはたまねえが一番好きでした。ただ、C67のドラマCDでの優遇ぶりからも本編シナリオの厚みからも、真奈が本当のヒロインには思います。20年経ってみて、ぼくも人間的に真奈が一番好きです。ああいう人とは楽しく生きていけそう。
この記事のイラストについては。
ずっと大好きだったのに全員がいわゆる初描きでした。
20代の初頭におそらく模写はしたことはあったのですが、自分の絵で書き起こしたのは初めて。
10年以上二次創作活動をしている身で、一番好きなゲームのキャラクターを描いたことがなかったので味わいは深かったです。描いている最中、ゲーム内でのやりとりやリアル観音寺市内を思い出しとても楽しく、自分は本当にこのゲームと観音寺が好きだなと改めて認識しました。
そして。薫先生、冴木先生、ともかちゃん、瀬戸内さん(本体)、みぃくん(本編の目隠れ君orC67の冊子)、画面に入らずごめんなさいね。
発売30周年の時に生きていたらまた描きます。
そしてまたこうして思いの丈を語ると思います。
いつまでも大好きです。
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非被災住宅ー2
非被災住宅-2
「震度7以上に耐える住宅やビルの設計が重要だ」とテレビで全く言わない理由。それは「牛乳が体に悪い」と言えないことと同じ商業利権密着型の構図です。すでに社会の中にその有害物が多数ばら撒かれ、その下で働く人々が膨大で社会的影響が大きすぎるから
このような本末転倒なバカげたことは、世の中に多種多数存在しています。その情報に特化した本は、チャイナ・スタディー 葬られた「第二のマクガバン報告」以降、出てないのではないかと思います。最新増補版が3月に出るようです。あとで他にないか調べてみます。出てないのなら作る必要があります。
「身体に良いものと悪いもの」、「安心安全なものとそうではないもの」の二つの情報は、健康や命とは異なる基準で判断され、世の中に定着させられています。 車や道路に関してもそうです。命と密接な関係を持つ車の安全性は、日本でだけ棚上げにされて、毎日何十回も「スズキの大決算」という刷り込みが耳に入ってきます。
命を最も重視した設計のボルボのCMは滅多に聞こえません。そのため人気が無いので、中古のボルボはとても安く手に入ります。日本では電気自動車がちっとも売れないので、ボルボの販売店は困っているのではないかと思います。
軽トラに代表される軽自動車は、日本にしかありません。豊田章夫会長は日本中にばら撒かれ普及している軽トラを2030年以降に廃止することなどバカげていると言っています。このことは2重の意味でねじ曲がっています。
国連が、すでに世界中にばら撒かれた牛乳文化を突然禁止にすることに決めたようなものなのです。膨大な雇用が失われます。
だから牛乳文化を守れと言うのもおかしなことなので、2重なのです。
食塩食卓塩という名の精製塩が日本の加工食品のほとんどに使われている事実も全くTVでは言いませんね。
江戸時代には誰も牛乳を飲まず、牛肉も食べていませんでした。塩は天然塩を食べていました。
住宅の現状を見ると、29年前の阪神淡路大震災の頃に、姉歯構造偽装事件が問題になり、その後、耐震構造が少し強化されたと思います。 それでも、震度7やそれ以上の大地震になると壊れてしまうでしょう。 国の建築基準法の数値をそこまで引き上げてしまうと、ほとんどの住宅メーカーが現状で販売している住宅を売ることができなくなって、ダイハツみたいなことになってしまいます。 選択肢が他にあれば、普通の住宅メーカーや、建築基準法を相手にする必要もないのですが、・・・
鉄筋コンクリートのビルや木造住宅は震度7以上の地震で崩壊しますが
防炎断熱を備えた、鉄骨テント構造の建築があったら、崩壊しないし、炎上もしません。もともとブルーシートで建築を作れば、ブルーシートを被せる必要もありません。燃えない素材にする必要はあります。 鐵骨も揺れはしますが、構造体全体がそのまま揺れるだけなので倒壊しません。頭を打ったり、転んだりはします。押しつぶされることは無い。
非被災住宅
被災地域を安心安全な状態で継続するためには、同じ規模の災害に耐える住宅の設計が不可欠。これから具体的に考えます。能登半島に残ることを希望する人々が、また今までと同じような家を建てたらまた悲劇が起こります。これは日本中どこでも同じ
Non-disaster housing
In order to ensure that disaster-stricken areas continue to remain safe and secure, it is essential to design housing that can withstand disasters of the same scale. I will now think about it in detail. If people who wish to remain on the Noto Peninsula build the same kind of houses again, another tragedy will occur. This is the same everywhere in Japan
こういう風に感じている賢い人は結構居ると思います。その英知を結集させることができれば、地震国日本にふさわしい、新しい住宅像が出来上がってくると思います。
日本では、平和と安定を願うための特定の集団をつくることができにくくされています。その代わりに、統一教会や創価学会、中抜き利権派閥などの脱法集団が支配しています。そこにも対応が必要であるため、法律の専門家も必要になります。
検閲だらけの日本のマスコミでは、気の毒な場面だけ報道し、その地区での被災者と被災してない家庭の比率を報じない。無傷だった住宅に関して全く情報がありません。
今後の復興と安全のためには、無傷だった住宅の詳細のほうが重要。見に行くしかない
東日本大震災の津波跡地に無傷で残っていたのは、ヘーベルハウスの住宅。集落じたいが全壊しているので、結局住み続けることはできなかったのだろうと思います。
地域で一人だけ核シェルターを作っても無意味というのと同じ。被災地域を安心安全な状態で継続するためには、同じ規模の災害に耐える住宅の設計が不可欠。
自分や他人、動物たちを傷つける可能性があるものは、少なくともプラスのメッセージを伝えることを目的とした「作品」には使えないと感じています。どんなに美しいマリア像でも、地震で壊れて落下してきたら凶器になってしまいます。それは、マリア像にはふさわしくないので、あまり大きなものは作らないほうが良いと思います。頭に当たってもたんこぶができる程度の重さならOKです。私が2009年に段ボールの額縁を作ったきっかけはそういうものでした。額縁が落下して誰かを傷つけたら、それは、正しい使い方ではなかったことになります。
同様に、家や壁も、なるべく人にやさしい、軽い素材が良いと思います。
頭の上にコンクリートがある場所で生活していると、いつかは高い確率で死んでしまうことになるでしょう。そのことは、30年前に気づいていました。しばらく忘れていましたが、続きをやる時期になったと思います。
軽くて燃えにくく、雨風と日光に耐え、断熱、蓄熱効果が高いものが良いです。下から1mは、石や土でも構わない。1mより上は、人体より柔らかい素材。そういう家はテント式のものにありそうです。
能登半島で破壊された家がもしテントだったら、人は死ななかったし、自力で作り直すこともできたはずです。
検索したら一つ出てきましたが、硬い素材を上のほうに使用してしまっています。これではダメですが、改良はできるように思います。
「減塩詐欺」
日本でだけ売られ、ほとんどの加工食品に使用されている食塩という偽名の精製塩。塩が高血圧の原因というときの塩とはミネラル除去の「精製塩」。「天然塩」は摂る方が健康になり、血圧も安定する。「減塩(減ミネラル)」は健康に悪い
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『故障かなと思ったら』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2022年 文学フリマ東京35にて発表したSF短編アンソロジー『故障かなと思ったら』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
石井僚一「森/The Forest」
一言
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」からのずらし具合が絶妙すぎて良い
よく見るとけっこう別の話になってるのに、ちょっとした場面とかぜんぶベースになってるのがわかるのすごいですよね……
もちろん湖/森の、なんだろう、ちょっと魔法っぽい場(「はる!まほうだよ……」のダメ押しよ!!)みたいなのはちゃんと共通してるし
婉曲的な話運びに圧倒されました。持ち合わせた感性に絶対の自信を持って話の輪郭を描ききる力に畏怖さえ覚えます。
単純に文章がとにかくきれい。もちろんそれは「みずうみ」(の宇野訳)を範にとったものではあるんだけど、それ以上にこの設定・内容にアダプトさせてるのがすごい(宇野訳もけっこうやわらかかったけど、もちょっと柔らかくなっている印象がある)
森を歩く歩きごこちのところとかが特に好き
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」読みました。もとの文章がもうきれいなんだけど、それをほとんど��和感なく改変(という言葉が適切でなかったらすみません、単純な改変ではないんだけど)していて、このやわらかい文体で最後まで走り切れるパワーがすごいと思いました。
巻頭の森と巻末の閲覧者のおかげで、アンソロジー全体がstaticな感じがする。取扱説明書としてのすわりがよくなる印象
細部
P13の「ぼくはまだ、」から始まるパラグラフがすごく好きです。ずっと何度も読み返していたい美しい詩のようで、こんな文体に憧れました。
ここすごく美しいですね。
どれくらい推敲に時間を割かれているのでしょうか。言葉選びにどれだけの時間を要すのでしょうか。気になります。それくらい一文一文に隙がなく強度があります。
ざっくり構成をみていく
p10「朝のしめった空気が」~「ひとりでゆっくり回ってみたくなった」」
(ここ消えてる?)
p12「「いいよ。だけど」〜「遠くはなれた向こうで〜」
森のなか、はるとふみなさん。ふみなさんがいなくなる
「みずうみ」では、母と湖でちゃぷちゃぷしてるところ。タリーの役割と母の役割がどちらもふみなさんにかかっている……わけでもないか……でもまあそんな感じになっている
母の役割をいったんおいといたとして、タリーとふみなさんが対応している、のはそうなんだけど、タリーは事故によって命を落としているのに対して本作でははるがふみなさんをここで捨ててきている(p11「彼女をおいてここを去ることになっている」)のは明らかに位置づけが違う
で、捨てるっていうのが、恋人を振るっていう意味じゃなくて、どうやらロボット(?)的なものを物理的に置いて帰るということらしいというのが後でわかるんだけど、でもやっぱりわからない(なんで捨てたかったのかは特に言われてない、よね)
「ひとりでいるのは、」のパラグラフは、原作でもここまで主人公視点(主語 I)の過去形だった語りが、急に三人称(主語 a twelve-year-old child / he)の現在形が挿入されるところに形式的には対応していて(邦訳でどうなってるか誰か確認してくれ)、一方で内容としては子供らしさを求められる子供、から、恋人とはこうするもの、という規範に書き換わっている。
これはミスリードを超えて、はるとふみなさんはやっぱり恋人という位置づけということでいいんだろうか。ロボット(?)だとしても。
「木の枝をふりまわして、魔法つかいだと言って、きれいに笑った彼女を、ただ思い出した」:最後の「はる!まほうだよ……」に対応
p14「そして、ぼくは」〜「ぼくはそこを動けなかった。」
森を離れて、時間がとび、さくらさんと同棲をはじめ、森(箱根!)に戻ってくる。さくらさんもいなくなる(!)
「みずうみ」でも、長じてマーガレットと旅行に来るところ。場所はぜんぜん違っている
でもこの固有地名を出すタイミングは多分原作を参考にしている?かなと思った。原作でも最初のシーンではみずうみがどこなのかは明示されてない(よな)ところから去るときに初めてイリノイが言及され、マーガレットはサクラメントで出会ったというのが明記されてて、地名によるリアリティで急に大人になる感じがでるのと、多分なんだけど東部(中西部か)と西海岸のコントラストが効いている
「みずうみ」の舞台のレイクブラフはシカゴとミルウォーキーの間くらいにある小さい村 https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Bluff,_Illinois
みずうみっていうかもうほとんど海だよね、サイズ感としては https://www.lakebluffparks.org/parks-facilities/sunrise-park-beach/overview/
そして実際箱根町の人口が約1万なの符合がすごくて絶妙だな
p16「ここで待っていて、はる」の展開は「みずうみ」から反転してあって、「みずうみ」では主人公がマーガレットを置いてみずうみのほうへいくところ、本作では逆にさくらさんが主人公を置いていこうとし、かつ、そのときのセリフ「この森の中を回ってみたくなった」「さよなら、さよなら」は冒頭部で主人公がふみなさんを置いていったときのものを使っている
p17「「こちらの子が」〜「そして、パッケージをあけた」
ロボット(でいいのか?)の販売員との会話。ふみなさんを購入
「みずうみ」では、水死体が見つかった云々のところ。ここの改変はかなりでかい。「みずうみ」だと不穏さがぐっと出るところなんだけど、こっちはいっきにSFに飛ぶ
「みずうみ」で死で成長しない、時間が流れない、だったのが機械!っていう、その差し替えがすごくて興奮した
ここでロボット(?)のふみなさんを購入しているのは、普通に考えると過去の回想ということになる?(購入したロボットであるふみなさんを、かつて森に捨てて帰った主人公が、ふたたび森を訪れてふみなさんと再会している、という流れ?)
p18「視界のなかに人かげがあった」〜「はる!まほうだよ!」
固有名詞が出てきていないし、場所と時間が急にふわっとする。が、描写や↑とのつながりから、はるとふみなさんとして読むところのはず
「みずうみ」では、あえていえば、砂の城に戻ってきてオチの部分
箱根湯本から登山鉄道に乗り換えた先の森、強羅とか彫刻の森?
「彼女がぼくの名前を呼んだ気がした」「ぼくだってずっと変わらない……?」から、主人公が名前を呼んで起動する側だけでなく、起動される側?であることが示唆される?
さくらさんに置いていかれるという反転とも合わせて読むと、そう?
原作では主人公にとってタリーは特別、自分とは異なる存在という側面が強いように思うけれど、本作のはるはふみなさんと自分に同じ要素(ずっと変わらない)を見いだしている?
原作では足跡(よくわかってないんだけど)を見た主人公が最後に気づいて(?)砂の城を完成させる(ええと、原作の読みに自信なくなってきた。今度はタリーが半分作った城の残り半分を主人公が作ったシーンでいい?)のに対して本作では作った墓がそのままになっている(新たにというよりも最初のシーンで作った物そのままの印象を受ける)ところにある説明書(誰の?)を見つける
原作の最後は主人公が死によって永遠になったタリーを永遠に愛し続けることに気づいて、それでマーガレットを見る目が変わっている強烈なオチで終わるけど、本作ではさくらさんはフェードアウトしており、あくまではるとふみなの二人で終わっているように読める
「みずうみ」との人名対応
ハロルド→はる:音だよね
タリー→ふみな:なんだろう
マーガレット→さくら:花だよね
小林貫「取説ばあさん」
一言
CM好き。この微妙にバリエーションあるのめっちゃ良いでしょ。ジオを抱こうとしたら流れるとこでマジで笑いました。
ここ、ぼくも笑いました。
「DNAを、統制せよ」じゃあないんだ���
YoutubeのクソCMの経験をしている現代だからこそ通じるところがあっていい
モチヅキはCV津田健次郎というかんじがします。シブい。
わかる
小林作品の中で一番好きかもしれない。ちょうどサイバーパンク2077やってるから情景がめっちゃ浮かんでくる。
トリガーにアニメ化してもらおう。
ベルチナとのシンクロニティを感じる。今回ち〇こが出てくる作品多い。
ばばあ勝負では正直負けたなと。次のばばあ勝負では勝ちます。
台詞回しが上手いのと、描写の際の言葉選びにセンスを感じました。会話描くのが上手すぎるので参考にしたいです。今俺が理想としているのはこういう小説なんだなあと思いました。CMのインパクトが最強ですね。頭から離れません。
登場シーンで羅生門のばばあ以来のヤバいばばあが出てきたと思いました。
完全に「サイバーパンク」っぽい文体やガジェット、そして物悲しさみたいなものを自家薬籠中にしていやがる……そんななかでどうしても残ってしまってる人情みたいなのもいいんだよな
細部
俺もスマートウォッチかカシオの腕時計で迷って、大体主人公と同じ思考でカシオを選んだのですごく親近感がありました。
スポンサーがついている娼婦のアイデアが面白すぎてばあさんが全部どこか行きました。……結局、何でばあさんは紙の説明書を集めてたんでしたっけ……。
「終わりかけのおしっこのようなうめき声」という比喩、良すぎる。
「老婆通いの日々」みたいなのも、こう、ユーモアだよな……
ユーモアのちりばめめっちゃ良いんだよね
ざっくり構成をみていくコーナー
p22 冒頭のCM〜「ひさしぶりにいい夢を見た気がする〜」
サイバーパンクだよ、という導入。怪しげな道具屋(モチヅキマート)や焦燥感はやっぱり必須なんだ……(ほとんど「クローム襲撃」なんだよな)
p25「太陽も昇り切らない」〜「思わずつむってしまった目を〜」
取説ばあさんが出てくる。取説ばあさんて。「怪しげな稼業に手を出してしまう」も定番だけど、それが取説ばあさんなのはなんなんだよ
だからそう、ここでいかにもな電脳とか身体強化とかメガコーポがとかに向かわず、いっけんミスマッチな「取説」に向かうのもすごくいいんだよな
p29「老婆通いの日々が始まった」〜「自嘲めいた笑みがこみ上げてきたので」
取説ばあさんの噂、娼婦がなにか知っているらしいことを知る
p32「次の休み、おれは夜の」〜「抗うことのできない眠りに〜」
ジオという娼婦を買う。うまくいかない(途中でCM)。これもファムファタールなのか……?
p36「しかしそれ以来」〜「しずかに黒い幕がおりる」
取説ばあさんに襲われる。ここの襲撃描写の加速感が地味にうまい
p40「わたしには名前がない」〜「おぉ、おぉ……。」
ジオ=取説ばあさんの悲しい出自。めっちゃ義体化してる
p43「深海のように」〜「…………一分が経過した」(※便宜上ここで区切る)
ジオに縛りつけられピンチ
p47「我慢できずに」〜「いかめしいサイバー視覚器の下で」
モチヅキが颯爽と助けにくる。ジオ=取説ばあさん=キヌ(ばあさんぽい名前だ!)とモチヅキの血縁が明かされる。モチヅキがばあさんを撃退して、なんかブルースな感じになる
なんか世界の理不尽さ?を説明してくれる?知識欲?みたいなのが取説集めにつながってんのかとか、自分が何者かわからなかったところから名前を知ることが少しの救いになる?のとか、わかりそうなところとやっぱりわからない感じとのせめぎ合いがあり、怪異としての取説ばあさんの謎は解けてはいけない(解けてないからラストが光る)のと、でも結局ばあさんなんだったんだという、もやもやの残りと、両方ある
そうそう、ここの「結局なんだったんだよ」のわかりそうでわからない具合がかなりいい味なんですよね……
p50「おれは街を出た」〜「ねえ、取説ばあさんって知ってる?」
それでも人生は続く
しれっとネオンシードFにツッコミを入れているのもニクい
これは個人的には非常にポイントが高いというか、CMのリフレインに対応する形でこういうツッコミがあるのが良いんだよな
ラストが再度の怪っぽいのも自分は好きですね
笹幡みなみ「私の自由な選択として」
一言
SF設定が素晴らしい。パラスタット技術によって人間の精神活動が大きく変わることは想像、納得しやすい。古代の人間が神の声として並行世界の自分の声を聞いていた(『神々の沈黙』への接続)ことと結びつけるところがエレガント。バウマイスター野の刺激による本当の沈黙を経て、じつは現代においてもその声は沈黙していなかったというくだりも自然に受け入れられる。
読み終わった後また頭に戻って読み直したくなる終わり方。
テーマとギミックと文体と視点が綺麗に噛み合っていて圧倒的でした。前半は割とライトな感じで読めるのですが、進むうちに結構重めでこちらに取っ組み合いを仕掛けてくるような構成になっていて、そのエスカレートぶりが好きです。
第二論文の紹介あたりまでの説明のそつのなさ(ほんとそつがなくてこれはこれですごいんよ)から一点、第三論文の紹介で並行世界の話がぶちこまれてオッオッってなって、ユニカの過去の話とかでウェットになりつつ(このへんも淡々として見せつつ情念が滲んでる塩梅が良い……)、終盤に雪崩れ込む構成すげえうまいですよね……
各要素が違和感なくつながっていって上手だなーとおもいました。
いつもの作風に比べるとオールドスクールで、それが海外SFっぽい味わいでよき。
この内容で大きな破綻なく話を書き切るの、強すぎる……。
細部
冒頭の語りの時点はいつか。語りは並列世界を移動していないか。
p.33 「そして彼は愚かにも(ユニカはそこでエアクオートして、彼女の爪が非常灯の光を反射した)」ここのディテールが好き。
好き
わたしだけかもしれませんが最後の一文に謎が残っています。
俺もでした……。後日もう一度読み直します。「長い話」どこからどこまで?
ここは自分もわからなかったので読書会の論点にしたいです
ユニカが臨床家であるという設定が実はすごく効いていると思っていて、自由意志と決定論というテーマにもし臨床的な切り口を与えたら? というifに反射療法という道具を与えて真相に迫ろうとするのはチャレンジングでワクワクしました。
それを踏まえて、最後の実験に他人を使った人体実験を行わないのも彼女のキャラクターを表していて好きです。人道的……なのか?
タイトルにもある「私の(その人の)自由な選択として。」というフレーズの繰り返しが不気味な感じでよかったです。自由な選択に固執していて、逆説的に全然自由じゃない感じ。
ざっくり構成をみていく
p54「二〇二五年」〜「彼女のために〜」
いきなりエレベーターで足を揉んでいる。反射療法がテーマっぽいなというのもわかるところ。話のマクラとしてヒキがありすぎるんよ
p55「ユニカ・クーリッジは」〜「臨床家であったユニカは〜」
ユニカの実績を紹介するにあたっての、反射療法および自由意志(自由意志信念)に関する前提知識の共有。ユニカの第一論文の内容以外はほぼ現実そのままの説明になっている……はず(逆にここがフックになってるということでもある)。パラスタットについてもここでいちおう出てくるが、詳しい説明はされない(勘がよければわかるよね、くらいの温度感)
p60「第一の論文」〜「人類の痛みへの反逆の歴史を〜」
ユニカの三本の論文についての説明。第一第二は前節からのわりと素直な延長なんだけど、第三で並行世界が導入される(エスカレーションの第1段階)
p63「私がユニカ・クーリッジと」〜「この一連のできごとが〜」
冒頭の話に繋がる筆者個人に関する語り。冒頭に繋がる出会いや、ユニカの出自、モチベーションなどが紹介される。パラスタットについても(前節でほぼわかるとはいえ)ここではっきり判明する
p67「ユニカ・クーリッジの研究に」〜「電気刺激を停止しても」(*で区切られてはいないけど便宜上ここで区切る)
ユニカが温めていた仮説(神々の沈黙っぽい)についての説明(エスカレーションの第2段階)。バウマイスター野を直接刺激する実験(筆者も手伝った)と、その結果「ひとりになってしまった」というユニカ。ここらへんから「これ何の文章だっけ?」みたいになってくる
p71「彼女の実験ノートの中に」〜「私は開頭用ドリルを手に取った。私の自由な選択として」
ユニカの手紙を見つける。「ユニカはこう記していた」〜「次の一歩を踏み出そう。私の自由な選択として」
「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と」からまた筆者の語りに戻る。「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と、彼女のこれまでの研究の一切は――このあと実施する実験も含めて――データ化され、彼女の脳に信号として入力される。」
最後の一文のやつ、これか!(これか?)
p75「ユニカは長い話を終えると、二杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。」
Garanhead「故障とは言うまいね?」
一言
直球で説明書の奇想(?)をやってて良い
王道の良さがある
この説明書産業っていうでっかい嘘にこまかいギャグとかセンチメントとかをすべて集約させる腕力も良い。なんというか変な設定で王道の話がされてるのを読むのは単純に楽しい
「故障とは言うまいね?」のミーム画像がめちゃめちゃ想像できるのが良い
文量的には長めのはずだけどスッと読めました。
ちゃんとした小説だ!となる。ねじれ双角錐群の良心。
会社間の関係とかの設定をちゃんとしているところが見習わないとなと思う。
設定が説明的になりすぎず、物語のなかで自然と読ませるかたちになっているのがすごいな、と思いました。リーダビリティが高い文章。
細部
p78「その日、ウニベルシダマニュアルカンパニーで」~
復刻版説明書の販売とサイン会。説明書とマニュアリストロの導入
ここで、この世界では説明書に異常な価値があること、マニュアリストロという資格者に異常な価値があることが、戯画化された掴みシーンと共に印象づけられるのが、さらっとすごいことをやってる
「完売。説明書、完売」とか「��間くんを、包囲しろ!」とかパシパシとノリ良く無茶を導入していて良いよね
女性に顔のインク拭いてもらってるのとか、御曹司感とギャグ具合を絶妙に表現できてて笑うんだよな
p81「時を四十年ほど遡る」~
マニュアリストロに至るまでのこの世界の設定説明パート
前のシーンで無茶苦茶ながら導入された上での説明なので、言ってることは無茶なのだがなんかそれっぽさがあってなるほどねという感じが出る(?)
この辺の細かい設定は元ネタがありそう
ここの設定の練り込みがまず好き。無茶苦茶なんだけど、すごく「それっぽさ」が出てる……
p83「俺は顔のインクを綺麗に落としてもらって車を降りる」~
チャリア工業でのマニュアルコンペ。タアナとの出会い
「食堂のカプチーノマシンがぼかーんって芸術的に故障したので、うっとりして眺めてまし��」そんなギャルゲヒロインみたいなやつおる?(好き)
「え、根回ししてなかったのか?」この微妙なメタツッコミみたいなやつ人を選ぶだろうけど自分は好きで、そもそもマニュアルのコンペってなんだよみたいなところから言い始めたら切りがないところを、いやまあそこはいいんですよって押し通してくれる推進力に繋がる
「ボイスチェンジャーで加工された声が響く」なんで父親がボイスチェンジャー使ってんだよ、とかさ、ずるいだろ
p86「大空タアナを捕まえたのは地下の駐車場だった」~
本間くんの因縁の提示、タアナの動機の提示(ここ結構複雑な構図をさくさくっと作ってるからちゃんとまとめたいな)
十年前、マニュアル記載漏れによる「チャリアトル事故」で主人公の母親が死亡、父親は右足を失くして顔面に怪我
声帯やられたのかな
これによりチャリア社ソーラーセイルのマニュアル作成はウニベルシダ(主人公社)からヘリオス(タアナ社)に変わる
マニュアリストロの制度ができるきっかけになる
安全なガルダのマニュアルを作るのが母への償いになると考えている
タアナの動機
マリウスくんの説明書をつくった主人公に会いたかった
「そつないなあって思いました」この口調のぶれって計算してやってんの? そつがなさすぎるよ
「過激だな。ヘラクレスか」すき
p97「車は高速道路に入り最初のパーキングエリアで停車した」~
「故障とは言うまいね?」のコラ画像
言葉の元ネタ的には卑怯とは言うまいね?なのかな
でも自分はなんか英語のミーム画像をイメージしたんだよな(画像に文字を入れるっていうところが?)
p100「案内されて大広間に出た」~
タアナからマリウスくんの説明書を一緒に作ることを要求され快諾
p102「組み立て工場はタイにあるようだったが」~
自分はここのパートがめちゃくちゃ好きで、この設定の上で相当にデフォルメされた「説明書作り」の醍醐味が伝わってくるのすごいなと思うんですよね。本作について、個人的にはここがいちばんの推薦ポイント
もちろんそのデフォルメ具合自体(現実の説明書はそうやって作らんやろ)自体も楽しい
工場に行くぜ!
まずは現場という謎の納得感があるのが良い
冷静に考えると設計のほうにいくんじゃなくて工場で現物から図面起こしてたりとか、何かがおかしくて笑うんだけど突破力があって良いんだよな。
「なぜなら俺はマニュアリストロだから」
なんだこの洋画感
「尻尾センサーを三年以上引っ張って『おやすみモード』にした場合の注意書き」
三年以上引っ張ったら子供も成長してるよ
とかいうギャグやりとりの流れから主人公が自然に笑うことができたという、「故障なんかしていない」の流れに持ってく
p106「大空タアナは死んだ」~
このへんの説明書と感情のなぞらえかたやタアナの粋なはからいもクール
最初読んだ時ロジックが結構複雑でよくわかってなかったけど、読み直したら尻尾センサーネタを上手くひっくり返してバッチリ噛み合うようになっててすごい
それで主人公の因縁というかトラウマを乗り越えて救われることができる
p112「それから月日は流れて」~
最後にミームオチなの良いんだよな
全自動ムー大陸「直射日光の当たらない涼しい場所」
一言
「なめたねじ、」好き
「電源ひ」と「大人にな」が好き
「ばらしてる」が好きです
短歌だと最初は気づかずに読んで、全部通して詩のように感じました。全てに通ずる何かの企てがあるのか、果たして……。
全ムーさんの歌、やわらかな読み心地がある
わりと視覚的イメージを軸にした歌が多い印象で、その視覚的イメージがちょっと抽象に寄っているところが特徴な気がしています。
細部
「めくるめく〜」
呪文の詠唱みたいで好きです。
「説明書→綴じる」の自然なつながりから、冒頭の「めくるめくこの世はでかい」(この時点ではたんにでかいということしか言っていない)を引き継いだ最後の「銀河」に至って「銀河が綴じられる」という形に具体化するイメージがすごいいい
「沈黙の倍」っていうのもそのでかさの表現というか、茫洋とした感じが出ていると思ったんだけどどうだろうか
紙を綴じて折ると厚さは倍になることと関係あるかな
紙をたくさん折ると月に届く的な話も連想した
「この世」をすべて説明ないし記載可能なものとして捉えているうえに、それを「綴じよ」と製本みたいなことができるものとして考えているのが面白い。「綴じる」に入っている「閉じる」のニュアンスも含めて、世界をぜんぶ掌握したい、みたいな意識も感じます。「沈黙の倍の銀河」はちょっとイメージしにくい。
沈黙は金との対応
「この世=地球」「銀河」の対応
ドラゴンボールのOPが脳内再生される騒がしさと、「沈黙」との対比が出る
「まちがいを〜」
「涙 - 氵 = 戻」ってこと……だよね?
まちがいにたいして、「よくあること」と言って手を引いて「戻す」ときに、(まちがいであったことによる?)涙が云々みたいな雰囲気で読んだ(いやこれだと「手を引くほうの」が組み込めてないんだが)
「まちがいなんてよくあるねー」となみだが言っていて(思っていて)、私の意志に反してなみだが引っ込んじゃうんだけれども、そこに涙の痕跡が残っているよ、が歌意かと思います。そこに上述の漢字のユーモア。目から出てる水(=さんずい)と別に「手を引くほうのなみだ」(=戻)があるよ、という。
「手を引く」がここだと「退く」みたいな意味かと思うんですが、別の「手を取って導く」みたいなほうも出てきてやや読みにくいかも。と言いつつも「手引き」からこの語をつかうことにしたならやむなしだが。
皆さんの考察を読んでめちゃくちゃ好きな歌になった
てへんにもどるの「捩る」もあって、さらにそこから↓に繋がる!!!
「なめたねじ〜」
突き放しているようで、これは優しさじゃねえか?
「いいので」という結句の言い方が、おっしゃる通り突き放しているようだけれども、歌の内容自体が優しいので、別の響き方になりますね。前の歌に引きずられながら読むと、ちょっと涙をこらえながら「もう回らなくていいので……(だいじょうぶだよ……)」と言ってるような感じも。
もう回らなくていいってことはそのねじは何かを固定していて現在のところ分解する必要がないっていうことだと思って、説明書というベースから想像を膨らませると、説明書を読みながら頑張って不慣れな人が(子供かもしれない)何かを組み立てたり組み替えたりしていて、下手だから潰してなめたねじにしてしまったりするんだけど、それが完成した��と時間が経っていてもう回らなくていい(たとえばもう使わなくなった子供用の椅子とか)、みたいななんか優しさを感じる。
「YES/NO〜」
「はい/いいえ」で答えていくと「あなたにはこれがおすすめ!」ってところにたどりつくあれでいいんだよな。あれやってるとなんか自己なりなんなりに気付いてしまう感じじゃなかろうか、べつに気付いてもたいして嬉しくもないのに、みたいな
視覚的には指と紙面しか出てこず、その指先に灯るっていうのは見た目にもクールな感ある
表現としては全体的にやわらかい歌の印象。「ユリイカ」なのでチャートを通してある程度の気づきは得られているのだけれども、あくまでチャートに沿った規定の気づきということで「怠い」という修飾語が出てくるのかな。ぼんやりした目ざめ、みたいな一首。
YES/NOチャートによって提示されるおすすめなのかタイプなのかに対して、こんなので自分のことがわかってたまるかよという冷めた見方と、でも気づきがある発見があるという自覚と、その両方なのかなと思った。
Y音のリフレインが気だるさや脱力感をかもす。N音もあり「なよなよ」感が出る
「電源ひ〜」
まずもって「馬」まで来ないと像が結ばれないのが楽しかったです。で、そこまできてやっと「あーこれ遊園地とかにあるコイン入れて動く馬か」(なのかな、わからんけど)とかなった次ですぐに「ただしさ」、そうだよね、正しいよねー、なりたいよねーってなる収束(言ってること伝わるか?)
電源につながれた馬(メリーゴーラウンドかな、と)がいて、たぶんその馬が自分で電源コードを引きちぎって、あえて朝に駆ける(普段は夜にキラキラと駆けている)ことを「きたない」と言いつつも、その与えられた役割からの逸脱に正しさを感じて憧れている感じの歌としてとりました。
馬の描写までの荒々しさと、そこ以下の弱弱しいような言い方の対比が歌の魅力。
メリーゴーラウンドって木馬自体に動力があるわけじゃないから電源つながってないような気もするんだけどイメージ的にはやっぱりメリーゴーラウンドなのかな。コイン入れて動く馬、みたいなあれは充電式?なイメージがある。
ライ麦畑的な……(あれは朝じゃなかった)
ゲーセンの競馬ゲームが思い浮かんだ。メダル賭博の対象である(しかも疑似的な賭博にすぎない)ことのきたなさや情けなさからの解放を想起。
「完ぺきで〜」
ひどい話のような気がする
「どうして」っていうからには不本意なんだろうけれども、それでもやさしいきみに打ちひしがれるしかないんだよ……。
こういうシンプルな歌のパワーよ……
「組み立てよ〜」
(短歌の読み方よくわからんのだけど)「いち葉の」でいっぺん切れて、まあ葉っぱのすんとした感じに読まれての、「かさぶた」で生っぽくなって、とはいえ意味としては依然通じる(かさぶたのないことの淡白さ)あたりの動きが好き
「���白な日々」に「しずかな暮らし」を重ねる効果はよくわからなかった
「組み立て」は説明書の文言ですね。
「かさぶた」=傷の治る途中のもの。傷つかない暮らしをしましょうよ、という歌としてとりました。あんまり具体的な描写が無いので、感情の問題としての傷つかない、と解釈。「組み立てよ」という文言で、その暮らしの達成をあくまで理知的に促しているところが面白いです。感情を理性で抑えようとする感じ(1首目の「綴じよ」と似たイメージ)。
傷つかず心が動かない生活をしたい(していないからしたいといっているのか、半ばすでにそうなのか)、いずれにしてもさみしい話なのかな。
「大人にな〜」
強そうな名前の電池。エボルタ……かな? マクセルは会社名か。
自分は「これエボルタだな……」と思いながら読みました
ちょっと自分に充電しようとしてないか?
「自分に充電」はめっちゃ良い読みですね。
なんで大人になったことを嘆いているんですかね。電池に子ども時代を見ているような印象も。おもちゃの電池とかを大事にするようなニュアンスを少し感じます。
世代差もあるんだろうけど子供の頃おもちゃに入れるものとしての電池って存在感大きかったし、ブランドも重要だったりしますよね。大人になるとリモコンの電池替えるみたいなのは機械的な日常になる
最近だと(昔どうだったかは覚えてない)パナソニックとタカラトミーは仲が良くて最強のエボルタ電池でトミカやプラレールがめちゃめちゃ動くぜみたいなプロモーションをやっているので子供はエボルタ覚えがち
「エボルタ」は「エボリューション」と「ボルテージ」が由来みたいですね。このへんは確かに子どもに象徴的かもしれない。
「ばらしてる〜」
「〜思い出す」まででとりあえず中途半端に組み合わさってる家具みたいなのがイメージされて、そこから「ページが」で説明書の組立手順のとこみたいなのが浮かぶんだけど、「あった」で落とされて、なんか奥行きを感じる(何も言ってないなこれ)
少なくとも説明書としては役に立たない無のページ。このページを見ているときは解体も組立もしておらず手が止まっているはず。その現実には何も行われていないふわっとした瞬間にささげるアンセム。
そういうページに対する憧憬なのかな
「季がくらむ〜」
「○月なのになんだよこの気候は」って日に「文字を焚く」までひとつらなりでいったん切れて、その次、「肘かけた杢」でまた切れる(で、「けぶる目のはし」で焚かれたときの煙に戻ってくる)でいいんだろうか
杢の模様と文字のイメージの関連とかあるか
名詞も動詞も多くてちょっと読みにくいが、初句の「くらむ」で宣言されている通りに、その連なりをイメージのままにめくるめく感じていくかたちで読むしかないのかな。
この歌のわかりにくさは、そもそも説明的な言葉への否定みたいなものもある気が。「文字を焚き」なんかは、ある意味で1首目でやってることを最後に全部なかったことにしようとしているようにも捉えられます。
murashit「子供たちのための教本」
一言
続柄の欄に書く初恋の人、のところめちゃくちゃ良い。
終盤がまだ全然わかんないんだけど。
父が作った街で生まれ育った自分も父が作ったもので、でも一度は街を出ていくんだけど、また戻ってきて、父が死ぬ、死ぬけど都市が消えるわけじゃない、けど父が作った都市ではある、という、こう、父権からの逃れと逃れられなさとそれも悪くなさみたいな話……か!?
この果てしない不条理な葬送を巡るお話に、総じて自分は寂しさを受け取りつつ、作品全体に散りばめられた()の形式で明かされる心の声が、客観的であろうとする語り手の支えになっているような気がしました。
もう少しじっくり読んでみたいですね。
むらしっとさんの描く冠婚葬祭、冠婚葬祭特有の一切合切がめんどくせえな、でも仕方ねえという淡々とした感じがありとても好きです
panpanyaっぽい
なんかわかる
父が作った街であり世界を歩くということがメタファーとして愛おしくさえある、ような心持ちになってしまうパワーがこの飄々とした文体にはある。父殺しの対極(地の文の視点:父が作った世界に内包されているという意味で)のようであり、じつはしっかり父殺し(括弧内語りの視点)であるところの二面性がいい。
最後(合唱曲以後のところ)が圧倒的によかったです(ぶっちゃけ内容はよくわかっていないが)。
細部
はじめの「そうだったのか」、初読でなにが? と思ったんだけど、そういうことなのか(まだ言語化できていません)。
これわかんないんだよな
直接的には、直前の文「郵便局のバイクが門の前に停まった」に対して「そうだったのか」と言っているように読めるが。
緻密作為コーナーにも書いているとおり、この最初のパラグラフでは一番最初だけ語り手の一人称「私」が出てきて、それがパラグラフの最後になると「ア兵」と三人称名前呼びにすり替わり、以降本作の地の文では「私」ではなく「ア兵」という呼び方で焦点化して語りが続く。
この場面での「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことが縁側で将棋をしている二人の目には入っていなかったという解釈を考えることができると思う。配達員が「縁側の二人に声をかけた」とあるから、配達員の方からは縁側に人がいることが(覗き込めば、少なくとも部分的には)見えるわけだが、二人は将棋に集中していたのか、あるいはア兵は背を向ける角度だったからで、少なくとも見えていなかった。だからア兵は当時「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことを知らない。知らなかったことをここで知ったから、「そうだったのか」
つまり現在の「私」が過去の「ア兵」の周辺の物事を何らかの形で知覚し語り直しているのがこの文で、当時の自分が見えていなかったことをこの語り直しなのか追体験なのかの中で発見して「そうだったのか」と言っているとする説。
これはなんか、控えめすぎるというか、そこに注目して「そうだったのか」と言うほどのことなのか、というのがよくわからない。直後に配達員から呼びかけられているんだから、そこに配達員が来たタイミングはその少し前というのは当然の類推のはず。たとえば配達員が投函していって将棋が全部終わった夕方に郵便受けで発見したとかいう話の流れならば「そうだったのか」は自然ではあるが……。
あと、これは弱��要素だけれど、p151ではア兵がクリップボードの方を見ていたので実際に視覚的に確認したわけではない職員の挙動を、地の文で書いて、カッコ内で「実際には目にしていない」と断っている。これはやはり、当時知覚できなかったことは推測でしか書けないのではないかと思われ、そういうルールが全編に適用されるのなら、バイクが停まったことに対して「そうだったのか」はやはり不自然になる。
なのでこの説は微妙だ。
直前の文のカッコ内、「ようやく詰みまでの道筋が見えたところで」に対して「そうだったのか」と応答しているとする説。
つまり、片方は「ようやく詰みまでの道筋が見えた」のだが、対局の相手方は詰みがあることに気づいていなかった。詰みが見えていたことをこの語りの中で知らされて、「そうだったのか」と反応している。
これはしかし、地の文とカッコ内の文の語り手がいずれもア兵で一貫しているとすると矛盾が生じる。
地の文については最初の一行で「私」=「ア兵」であることが明記されている。
カッコ内の文についても続く行で「誘ったのは父」「こ��らといえば」と言っているのだからやはりア兵であるはずだ。
であれば「詰みまでの道筋が見えた」のもそれに対して「そうだったのか」と言っているのもア兵なので、応答としては不自然である。前段のバイクが門の前に停まった説は、当時のア兵がそのことを認識していなかったという解釈がとれるが、バイクと違い詰みまでの道筋が見えたのはその時点でのア兵の認識そのものだから、後から気づいたというのもおかしい。
「括弧内語り→地の文に対してコメント」はあるが、「地の文→括弧内語りに対してコメント」の方向は全体通してあった?なかったような印象
p137「(誰かと会った?)」→「会った」みたいな応答はしている
では地の文とカッコ内の語りの一部を父が担当していて、対局者であるア兵が既に詰み筋に気づいていたということをこの語りの中で知った、という解釈ならあり得るのか。
前述の矛盾は解消されるのだが、そんなシームレスに語り手が父になって良いものだろうか。
地の文がア兵でカッコ内が父、とかならまだそういう構成はあり得ようが、そんな単純さでは少なくともないように見える。
いいのか。父がア兵を作ったから。ア兵がそう考えるよう父が作ったから。だから混ざっていて良い?
まあでもそれはそれで、そういう全知性を持ってたら、「そうだったのか」ってならなくない?
この説は有力な気がする。だからこそ「対局は途中止めにされた(体よく逃げられたと言っていい)」
俺は「詰み」に対しての「そうだったのか」だと思ったんですが、まあその後の語りのルール?というか、わかんないんですよね。
ア兵とかサン議とかのネーミングが新鮮でした。
「夏ハバキ」好き。「岩本」とか普通っぽいのが混じってるのもいいですね。
ネーミングはまじで上手いと思いました。
老人たちが流れてきて賛辞の嵐を浴びせてきたり、役所の職員が手続きのための説明を一息でやり終えて仲間が拍手を打たんばかりの状態になり紙吹雪(書類)も舞ってといったり、唐突に始まるミニゲームみたいなお祭り感が好きです。
(けれどもフクロウではぜったいにない)好き
p.148 「高基線の建設による変化」高基線って高速道路みたいなやつ?だとすると、この建設で雪が降るように気候が変わるというのはどういうことか。フェーン現象を形成する山脈を取り去る勢いで高速道路を敷設しているのかもしれない。
p.154「ポイントが十倍ですので」流石になんのポイントだよ
p154「二人が役所から出ると」あたりからなんか「やってる」んだよな
なかったはずの全裸男性の銅像が出現しているが、ア兵がそれを無視する
(さすがにやりすぎ)
全裸男性の銅像(父をモデルにしている?)を出現させたことに対して、やりすぎ、���ツッコミを入れている
そんな銅像を出現させるという理外の力がここにあり、かつ、それをア兵は認識していて誰がやったかもわかっていて無視していて、この発言?
「いずれにせよこの期に及んで父が受け答えすることなどできはしない」
やりすぎ、と指摘している相手は父であり(つまりア兵は銅像を出現させたのが父だと思っていて)、しかし父はそれに応答しない、ということ?
「それにしても、どうして今になって――/(え、わかんないの?)/藤十郎のこと――と、間髪入れず、ア兵は今度は声に出し、「連れて行かなかったらどうする?」」
読みにくくてわからない。「今度は声に出し」で問いかけている相手は父。なのでやはり前段から続く「さすがにやりすぎ」も含めて父に対する呼びかけ。
途中で切れている藤十郎のこと、のところは、「どうして今になって初恋の人である藤十郎と一緒にこの役所に来るように取り計らったのか」ということ?
p154までは引っかかりを覚えながらも何とかたどり着けるんですが、ここから先で一気に振り落とされるんですよね。でも、きっとここからが重要なパートなのでしょう。
p155あたりまで読み進めると、なんかまるっと総合すると、
この都市を作ったのが父であり、だから父が基本的になんでもできる(?)
銅像をいきなり出したりして遊べるのはそれを端的に示した描写だ
だから「父が決めたことだ。自分勝手に死ぬことを決めて、その埋め合わせにでもしてやろうと」初恋の人である藤十郎と二人で役所に赴くイベントを起こした
父の筋書に沿って物事が進んでいて、だけどそれが「悪くない」
p156「(ぐずぐずじゃん)」以下で、
この街は父が作っていて、
父が自分に死亡内定通知を届かせた、
父が死ぬに際して、だから街はぐずぐずになりつつある
ア兵も父が作ったのでありア兵がどのように考えるかは父の作意の通りだ
(本文と順序が前後するけど)でも父が死ぬからと言って街やア兵や藤十郎が消えるわけじゃない
地の文が父になっていて、カッコ内のア兵と会話になっている
この地の文で父が出てくることの先出しが冒頭の「そうだったのか」なのか
死を計算する機械も父が関与してるんだっけ→特別そんな説明は無かった
p158「すり潰される」「グラインダーのような機械で、喩えるならコーヒーミル」はこどもブロイラー感があり、その前のp154「ポイントが十倍ですので」とかの戯画化もなんかそれっぽい
ラスト、()が語りを途中で終わりにすることで(父の死を語らないことで)、父の世界を、ないしは親子の関係性をふわっとしたまま残存させることを狙っている気が。泣ける。
ここ緻密に作為をもって語られているだろコーナー
人称と焦点
冒頭だけ「私」、以降「ア兵」
一番最後の括弧内に「わたし」「わたしたち」が出てくる(「わたしたち」のところ、藤十郎と目配せしあってという記述なので、このわたしたちは、ア兵からみたア兵と藤十郎を指しているように読み取れ、したがってこの括弧内の「わたし」はア兵のように思える、が)
地の文の語りと括弧内の語り
括弧内は、単純にア兵の心内語や言い足しであるように見えるところと、そうではない主体が語っているように見えるところがある
ア兵が描写せざるをえないとか描写しようとしたとか、語りに対して括弧の内外共に意識的である
「そうだったのか」問題のところに書いたとおり、基本的に両方ア兵のように見えるのだが、使い分け方がわからない
単なるア兵の心内語や言い足しを超えて他者的であるように読めるところ:p125「あー、なるほどね」、p126「ははあ、発育が、いい、と」、p129「で、次はなにを?」、p131「そうですか」、p136「老人が流れるってそういうことか」、p137「誰かと会った?」、p139「同意する」、p141「「老人が一人」だったんじゃないの?」、p154「え、わかんないの?」
仮説1:地の文=父にとってのア兵、括弧内=ア兵と読めないか
p.154「やはり父は何も答えない(これだけ饒舌なのに)」饒舌なのが父だとすると、地の文が父の語りと読めないか
p.155「「しかも、初恋の人と」〜(中略)〜それは父が決めたことだ」藤十郎と行くことを決めたのは地の文のア兵だが、括弧内のア兵はそれを決めたのは父だと言っている。
父が自分が作った世界をたたむにあたって、それを外側から眺めているア兵の語りが括弧内の語りということ?(→仮説3)
この仮説が無難な気がします。前半は地の文と括弧内の思考かなり近いけれども、物語が進むにしたがって括弧内の自我が強くなって最終的に地の文から完全に分離するイメージ。親離れの主題?
仮説2:フィクションにおける語り手 vs 読者・作者との関係性の違いによって、地の文のア兵と括弧内のア兵を使い分けているのではないか
フィクション論はよく分からないのでよく分からない
仮説3:父が作った世界のなかのア兵と、外側のア兵の違いではないか(仮説1に近い)
安直なたとえだがVR世界のなかの父・ア兵・藤十郎を外から見ているア兵の語りが括弧内に書かれているようなイメージ
性別
ア兵には父がいて、母がいて、父にはでかいちんこもついているが(身体全体がでかいんだよ)、一方でア兵と藤十郎の性別は意図的に不明確にされている(あるいはそもそも性別があるのかどうか自体が定かではない)(ように読める)
藤十郎は我々の日本で言えば男と思われる名前だけど、「ははあ、発育が、良い、と」みたいなことがかいてあり(いやこれは別に背の高さとかでも一応は成立して、あまり手がかりではなくて、ミスリードされているだけなのかもしれないのだが)
ア兵は陰茎を備えていない様子の描写がある(これは割と明確なようには思える)
二人が同級生に囃し立てられたりする話からすれば、我々の日本の今の前提からすると二人が異性である蓋然性が高いという読み取りが生じるっちゃ生じるんだけど、強い根拠にはならないよね
ア兵には母がいて、とかいたけど、父は母がいたという体でいるけれど、ア兵のほうは(少なくともカッコ内の語りは)自信がなさそうだ p129「(そう��えば、母のことが思い出せない、ほんとうに母などいたのだったか」p130「(ほんとうに母とやらに」
父がこの街を作ったという設定の本当らしさと嘘らしさ(おそらく語る視点によって異なっている)
この街のリアリティラインもですね。イオンモールとか書いてあるからいやらしいんだが、本屋が無限スクロールしたり、一点透視の商店街の消失点、とか、無限遠の太陽から光が届く、とか、つくりもの感を所々に出している感じがある
街路樹の果物が食えるのとかもゲームっぽい
予感はさせてくれるんですが、尻尾がつかめないんですよね。最後に全裸の男の銅像が出てくるところで「父にはこの世界の創造権がある?」と思わせてくれるんですが、これが決め手で良いのかと思うところもあり。
リスペクト先
タイトル「子供たちのための教本」
ドナルド・バーセルミ『死父』(柳瀬尚紀訳)(原題:The Dead Father)
読んだことないけど、死んだ父を墓穴に連れて行くらしい(?)
作中に「息子たちのための教本」(A Manual for Sons)という章があり、もとは独立して発表された短編が取り込まれる形となっているらしい
だからこれが説明書要素であると同時に、でかくなる父を墓へと運ぶという要素だろう。
紹介文
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
読んだことないけど、役所から死亡予告を通知された子どもを墓地に連れて行くという要素があるようで、その部分が子どもではなく父という形で引かれているのだろう。
エピグラフ
円城塔「良い夜を持っている」
読んだことないけど、異常な記憶能力を持った父親が、物事を彼の頭の中の都市のなかの事物と関連付けて記憶するみたいな話のようだ。
父が都市を創造しているという要素だろう。
鴻上怜「沼妖精ベルチナ」
一言
説明書要素は……ない!
説明書要素が薄いので「社会を識る」という補足をつけてみたのですが、姑息なエクスキューズはよくない気がしたので最終的に削除しました
ISMSとかeラーニングとか、体温報告とか、数え切れないちりばめられたダメ総務・情シスしぐさが面白すぎる
アクションとバイオレンスが飄々とした文体によって綴られていて、何箇所も笑いどころがありながら、最後はハッピーエンドで締めるのが憎いですね。ベルチナかわいい。闇のジブリが映画化しそう。
とにかくまず文体が良くて、講談みたいな語りで無限に繰り出されるホラを読んでるだけで楽しいのがいい。こういうのが書きたいんだ……
あと鴻上さんがこうやって醸し出すサラリーマン的ダルさはいつも好き
めっちゃウケました。全体がユーモアに覆われているけれども、物語の土台が労働と人生過ぎる……。
出てくるものが全体的にぬめぬめしている。
細部
「もいもい食べはじめる」のいいな
のんのん、じゃないという工夫
https://d21.co.jp/akachan-ehon/
「オッドラときたらたいしたもんだ。」という最初の一文と「もいもい」でこの小説の雰囲気がみごとに提示されたな、と思いました(もいもい以外も全体的にオノマトペが良い)
ISMSを遵守するババアでめちゃくちゃ笑いました。
「eラーニングで学んだろ?」良すぎる。
物理的な情報セキュリティ対策。こういうのに弱いです。ああ面白い。
アクションシーンが上手すぎて、モーションまで想像できてしまうのが悔しい。
ベルチナに肉と骨が詰まってふくふくしているのは……→いい!
いいところを書き出したらキリがなさそうなのでやらないぞ
なにかと出てくるオッドラの自由気儘新入社員ぶり
「死と太陽を直接見つめると目がつぶれるから、労働というサングラスで保護してやる必要があるのだ」が名言すぎる。
あらすじ文の「そしてそれとは関係なく」ずるすぎる。実際本当に関係ないし。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p162「オッドラときたらたいしたもんだ。朝」〜
出社、データがぬるぬるになるトラブル
NULLs propagateってことでいいんだよな!?
こういうのをネタとしてメインにするのかと(あらすじ文での言及も含め)思ったらサクッと流されるのが良すぎる。
電子粘菌ってなんだよとかいろいろ言いたいことが多いんだが、それにつけてもダルダルの職場感が最高
ちなみにこのへんの「オッベルと象」オマージュはとくに別にどこにもかかってないですよね?なんなのもう!
「デウスに誓って」とかあたりの雰囲気くらいか?
宮沢賢治のあの作品も、象がブラックな労働をさせられる話なので、孤独な老象辺りでかかっているはず…
p166「オッドラときたらたいしたもんだ。内勤のくせして」〜
サーバー室に入り対処しようとしたらサーバ(ー)やまんばと遭遇し、追い返される(主人公の諦めが早いのもダルい感じでいい)
途中でダークソウルになるところとかいろいろ言いたいことが依然多い
老婆が退職再雇用の平社員とはいえ重役と昵懇かもしれんみたいな下りが良すぎる
p171「どのみち今日は仕事にならないから」〜
残業のうえ帰宅。ベルチナ登場、餃子、フェラ、そして我に返る
ベルチナの描写に主人公のドルオタ性が滲むところとかいろいろ言いたいことが依然多い
さっきの「同僚老婆を殴っちゃまずいよな」の我に返りの相似形としての沼妖精に舐めさせたらまずいよなの我に返り方!
p179「ヨギボーを掌底で押し込み」〜
主人公のしょんぼり、沼妖精は印旛沼の妖精である、印旛沼を襲う地上げと妖精婆率いる反対運動、その婆を探している、婆の道は婆
婆の道は婆ではないんよ
地名とか固有名詞のズラし方がいちいちずるい
p184「翌日、俺は」〜
ベルチナを伴って出社、おかげで職場でちょっといざこざ
このへんのなんか妖精とか学校に連れてきちゃったドタバタ的なやり口が良い
p188「サーバ室へ通じる」〜
ベルチナを伴ってサーバ室へ、セキュリティの観点からババアの攻撃を受けベルチナが死亡、主人公もピンチ!、一人情シスのヘモトにより助けられる
「何って、マシンを強制終了しただけだが?」をはじめいろいろ言いたいところが多い
p193「俺は地上へ戻ると」〜
業務への復帰、終業ののちベルチナを想い苦しむ主人公、オッドラに誘われてラーメンへ、オッドラによるベルチナの復活
いや!なんかいい話ふうに締めるんじゃないよ!
ベルチナシスターズが普通にかわいいんだよな
cydonianbanana「閲覧者」
一言
みんなだいすきメタ構造。
1:1地図、ヘッドセットの説明書、本書の説明書と説明書の多層構造が作られているのに貫禄がある。
描写しまくり系がしっかりできる体力、すごい。
タイトルからしてかっこいい。
感覚的なことをいいますが、潜っていく感じが気持ちよかったです。
ストリートビューの棒人間を地図へぽんと落とすあの感覚
視点を担う対象にの心的描写を排し、純粋なカメラとして作品全体を眺め回すスタイルはハードボイルド風でありつつも、選択したオブジェクトやシチュエーションにどこか回顧的で懐かしさを呼び覚ます効能があり情緒が失われてもいない。細部に神が宿ってる。物語構造を引っこ抜いて、物語の説明を試みたまさに「物語の説明書」だと感じました。すごい。
「覗き込む(=作中作に移行する?)とインデントが一段下がる」の使い方がうまい。最後できっちりおっと言わせてくれる……
これを軸にちょっと内容まとめたい気持ちがあります
インスパイヤを感じたもの
作中作に潜る、潜る、潜る、ドーンみたいなのはインセプション感
VRの多層性や、ヘッドセットを外すという行為への注目は、PROJECT: SUMMER FLARE感
そのワールド性というかVR的な題材を地図の話と作中作の議論に結びつけて小説としての強みというか特徴に繋いでいるのが良いですね
細部
細部に神が宿ってる。何度でも書く。
小説における情景説明のパラグラフ、その作法をレイヤー化して表現しているのが技法として新しい。私も感覚としては無意識にやっていることだけど、大枠から細部へと向かう描写の手法を字下げというかブロック分けで詳らかにしているのが「分かる」って感じでした。
「いま、あなたが見ているその地図、わたしが立っているこの場所は〜」から「たまらずヘッドセットを」へのジャンプが読み手の視点を物理的にジャンプさせている。そしてまた次のパラグラフで「潜る」。このジグザグ加減がたまらない。
文章に点在するこの切れ込みのちょうど境目の描写が好き。長すぎるエレベーターとか、バス停とか。モンタージュを多用した古いソ連の映画みたいで好きです。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p204「盛夏の��射しと」の段落
レイヤ0(便宜的にここをいったんレイヤ0とする。部屋の外)
p205「玄関の中は」〜
レイヤ1(部屋を進む視点)〜2(仕切りの奥や棚の中、置かれた説明書の中など)の行き来
男性の一人暮らしのように見える
っていうかばななハウスすぎるだろ!!
https://cydonianbanana.net/2022/02/06/%e8%87%aa%e5%ae%a4%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%aa%e3%82%a22022/
だからばななハウスをフォトグラメトリでVRChatのワールドにして閲覧者ワールドとして公開して欲しい
内側から鍵がかかった扉(レイヤ1)のむこうからくぐもった女の声がする(レイヤ2)
あとのほうでも女の声が出てくる
ウイスキー棚(レイヤ1)に並んでいる瓶のラベル(レイヤ2)から未来っぽいことがわかる
ただここは基本的に実在のウイスキーの名前っぽい?(「UMC2273〜」から出てきたりはしてねえ)
董啓章『地図集』からの引用(レイヤ2):ボルヘスの縮尺一分の一地図の話。考察ポイントだ
読んだことあるはずだけどぜんぜん覚えていない。っていうか、この 『地図集』-「学問の厳密さについて」-『賢者の旅』の(引用もしくは作中作による)重層構造がそもそも本作全体の示唆にもなってるのか
p212「《……作中作とは」
レイヤ2(部屋にあるコンピュータの画面上)
原寸地図についての話。ここも考察ポイントだ
emacsおじさん
p215「書斎の机に載っているものは」
レイヤ1(部屋にあるヘッドセットの描写)〜レイヤ2(ヘッドセットを被って見るなかで映写機)〜レイヤ3(映写機の映し出す映像と女の声)
レイヤ3の女の語りも考察ポイント
ファムファタール感
レイヤ3の最後で炎→レイヤ2の映写機も燃える→レイヤ1の部屋にも煙
p220「もうお気づきのことと思いますが」
いきなり3段階落ちて、ここまで出てきていないレイヤ4
「出口を」ということで、逃げてね的なことを言われる(お前は誰や)。このへんの語りの内容も考察ポイントだ
p220「たまらずヘッドセットを脱ぎ捨てると」
そしていっきにレイヤ0に上がる
冒頭では「屋外=レイヤ0、部屋のなか=レイヤ1……」であったが、ここでは「冒頭から一貫した描写をVR内と捉えなおしたときの、そこからヘッドセットを外した状態」がレイヤ0になっている(「レイヤ0」でインデックスした先がズレていることに注意)。これ言ってること伝わるか?
これは脱ぎ捨ててるヘッドセットが違う(一段上)のかもと思ったけどどうですか?
いや、むらしっとさんはそのことを書いてるのか。
ここはここまでのレイヤ1の「部屋のなか」と同じ部屋のなか(だが煙は出ていない)。「次の地図の記憶から」と言うとおりである
p221「踏み出した足が」
レイヤ1だが、先ほどの部屋(レイヤ0)との「ズームイン/アウト」関係が(すくなくとも一見)ないように見える。もちろん最初のほうからの「レイヤ1」ともまた別
「次は出口、出口」
いつもの伊豆要素
実際に伊豆市に出口という地名・バス停がある
p221「目の前に」
(空行を挟んで)レイヤとしてはマイナス1相当(本書の版面の上端より上から始まっている)
説明書を読んでるのにレイヤが変わってないとか、最初のほうで出てきた説明書とちょっと組み方が違う(階層でのインデントもあるし、空行も入ってる)とか
煙が出てるんですけど→お近くの非常口へ
目次の横のページの火気に注意っていうのと繋がる
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このツイートには人工地震兵器存在の可能性も0%と書いている。元々、思考を纏めるために書いていて、今日、公開するつもりは全く無く、あるグループに投稿するに留めるつもりだった。 ところがグループに投稿した30分後に地震が起きた。まあそういう偶然もあるんだろう。そういう経緯もあって、神の意思かもと思い(神様信じてないけど)、纏まってないまま投稿しておくことにした。 いつもの通り、自分の思考の説明 どんな可能性でも否定しない(例えば1%はある)という返信してくる方を何人もみかけている。その意味だとほとんどの陰謀論に私は0%と判断している。ここが大きく違うのだろう。 * 人口削減計画のためにワクチン作った -> いや、インフルワクチンとか他のものにも入れれば? -> アフリカは射ってないよ * ビルゲイツは人口削減を目指していた -> いや昔から感染症死を減らすことでの多産多死かた多産少死になり、人口抑制が必要という話は一般的にあって、ビルゲイツの話は何らおかしなことは言ってない。 * WEFやEvent201でパンデミックの話がどうのこうの -> 医学界が入れ智慧して、パンデミックにはワクチンが重要って刷込んでんだよね 軍で開発された配列が使われた -> 軍がウイルス兵器や兵士を守るワクチン作るのは当然。アドバイスするのも実際に研究開発するのは医学���究者。作ってみたらどっちも生物兵器だったというオチ。 私にとって、毒ワクチンによる人口削減計画に繋がる可能性は全て 0% だから足しても 0% (そもそも足してよいのかというのはさておき) それぞれに可能性は 1% 残すと足して全部で 4%、そういう話を幾つも聞いたら数十% とか、皆が言ってたら 90% とかになっていくのかなと。 * 5G の電磁波で人を支配する -> 電磁波が有害って話なら分るけど、5G で出来るのなら 4G で出来無い理由が分らない。 * マイクロチップ入ってる -> 今の科学技術では無理。電池とかアンテナとかどうするの? 何故、皆が知ってるブルートゥースのような通信方式で通信? 独自企画にすればバレないよ。 * 酸化グラフェンを意図的に入れた -> 検査したら出るってのはあり得る。入ってるのなら人体に打込むなんて有害だろう。でも鉄でも銅でも工場で使われるような物質は調べれば出るんじゃない? 検出を目的としないと物質って検出できない。 でも上の三つの可能性を少しでも認めてしまうと、「酸化グラフェンが自己組織化してナノチップを形成し5Gで操る」可能性も認める必要が出てくる。 こういうことの蓄積かな、と。 私にとっては上の三つの可能性は全て0%で、酸化グラフェンが自己組織化してナノチップを形成し5Gで操る可能性も0% そもそも半導体製造工場の動画を見て欲しい。最先端技術で凌ぎを削っている人を馬鹿にしている話だとも思う。 私は、聞いた話を今までの智識や経験と照合して矛盾が無いのかチェックしてから智識として蓄えるという作業をしている。 * 人工地震兵器 人類が持っている最大出力のものは核兵器。北朝鮮で地下核実験すれば世界中の地震計で観測されてる。だから揺らすことはできる。継続的な地震になるかどうかは難しそうに思う。それで誰がどうやって敵国に核兵器埋め込むの? 実際使ったら世界中の地震計で使ったことバレるよね? 何故公表されない? 標的になった国も公表しないのは何故? 支配されてる? 公表できない程の支配が完了してるんだったら何でも好きに命じて実行させればよいのでは。 自国に核を埋めるとなると尚更意味分らない。核以外の技術だというのなら動作原理など説明して欲しい。 * 軍は一般には知られてない科学技術を持っている 幾らかは持ってるだろうけど、今の時代、民生品とそんなに違わないのでは? 近代になってから西側諸国の民生品の幾つかの品目は、ロシアなどへの輸出が禁止されている。西側の民生品の方が上だって話。 熊本にTSMCの半導体工場が2兆円で建設されるのだけれど、それ以上の技術を、どこかの軍が独占的に保有していて、外には知られてない? 民生品に活用すれば大儲けだし、半導体分野でその一国が世界の覇権を握ると思うのだけれど。 * アポロは月に行ってない 月に反射板が置いてあって、反射させて実験している研究者が沢山いる。人は行かずに設置した? 当時の技術力だと、人が置くよりロボットに置かす方が難しいのだが。 * ケムトレイル 飛行機雲だよね? 実験用の飛行機飛ばして散布実験することはあるだろうけど、雲を作れるかとかその程度。1000m以上の上空で何撒いたって地表に影響は出ない。拡散するし風もある。感染対策は換気だってコロナ禍で学習しなかった? 松本サリン事件や地下鉄サリン事件でも近辺にしか影響出てない。 私自身に思い違いはあるだろうけど、私の認識が合ってるかどうかというかということよりも、新しい話を聞いたときに、こういう手順で今までの智識や経験と照合して矛盾が無いのかチェックしてから智識として蓄えるという作業をしているのか? というのが主題。 ほとんどの人がこういう作業をしていないいのでは無いか? だから可能性が低いという判断だったことも情報が蓄積されてだんだんと可能性が増えていくのでは? 今回の地震も、核兵器埋める意味が分らないし、核では無いというのなら動作原理が分らないしで、人工地震兵器が存在している可能性は0% 変電所でのニュースで変なことがあったのは見ているが0% という判断は変らず。
* マスクやワクチンの場合 どこまで現実世界の事象で考えて自粛やマスクやワクチンを拒否したか? 何となく嫌とか、邪悪なものを感じたとか、精神的な判断で躱せたのならそれはラッキーなのだけれど、少なくとも私はそうでは無い。 マスクは症状がある人だけすればよくて(後にこれも間違いと分るが)、感染予防効果は無いって常識だったよね? 若者の致死率は低いので、高齢者だけ制限かければよいのでは? (後に、高齢者でも元から元気な人は不要だし、罹ってもデキサメタゾン使えばよいから、別に制限不要と知る) 仮に40万人死んでも、元から日本では130万人死ぬし、死因のつけ替えになるだけだから、増えても20万くらいでは? 40万だとしても、喪中葉書年間2〜3枚の人が、3〜4枚になる程度の話。回りでバタバタ人が死んだりしない。 弱毒ウイルスしか感染は広まらない。強毒だと宿主が動けなくなったり死んだりするから拡がらない。 自粛して感染拡大抑えても自粛やめれば感染拡がるんだから、学習環境と経済破壊するだけ。若者に自殺者が出る。 人工呼吸器やICUの数が足りないとか行ってたけど、延命しても、予後が結局悪くなって亡くなって、長い目でみて死亡率はそんなに変らないのでは? 何故、ワクチンが駄目だと思ったかと訊かれれば、現実の事象を元に下に書いたことくらいは答えられる。これを精神論や陰謀論(5G、マイクロチップ)で回避している人は結局足を引っぱる側になる。 - 安全で有効なワクチン開発には10年かかる(それも嘘だと後から知ったが) - 風邪のウイルスは変異するからワクチンは難しい(当時は、インフルワクの存在の矛盾に気付いてなかったが) - mRNAの原理を聞いて自身の細胞に抗原作らせたら駄目なのでは? 今までやってこなかったし一度も成功してないのにと考えた。(それ以上の智識は当初は無かった) - 2020年11月の治験で発熱が異常だった。夏に風邪引いた方がましだと思った。 - 2021年1月にはワクチン射ち始めて感染症爆発したセイシェルズという国があった。 - 2021年2月には米国VAERSの登録が10倍以上に。 - 2021年4月ごろにmRNAが免疫が自身の細胞が攻撃する機序をはっきりと知るようになった。 マスクやワクチンの場合は害である機序がはっきりしていて論理矛盾も無いし、現実世界とも整合性が取れている。だからマスクやワクチン有効説の方が嘘だと判断している。 その他の上に挙げた陰謀論は作用機序とか動作原理が分らないし、説明があっても論理矛盾が目立って見えている。可能性は0%としか思えない。幾つ事例を聞いて可能性を足しても0%で変らない(足してよいのかという話はさておき)
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【かいわいの時】昭和十九年(1944)9月15日:安治川河底トンネル開通式(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
安治川トンネルは安治川の河底を横断し、大阪市此花区と西区を結ぶ歩行者・自転車専用トンネル(現在)である。このトンネルは延長80.6m、有効幅員11.4m(2車線+歩道)、縦坑部は潜函工法による鉄筋コンクリート造りで、中央部は内径幅12.4m、高さ4.5mの鉄筋コンクリート沈埋函でできている。工事は昭和 10 年に着工され、総工費260万円(現在の金額に換算すると約 70 億円)を投じて昭和19年に完成した。土木学会関西支部に調査研究が委嘱されるなど当時の日本の土木技術の粋を集めた建設事業であった(川瀬喜雄)。『Consultant 232』2006より。
(写真)圧気潜函工法の様子(大阪市建設局提供) 「安治川トンネル」が計画された時代には、河底トンネルはほとんど造られた例がなく、また、船舶の航行が激しい場所での施工という点でも画期的な工事であったといえます。技術面でも当時の先端技術が数多く採り入れられています。エレベータを設置する建物の基礎は、圧搾空気で地下水の湧出を防ぎながら掘り下げ、鉄筋コンクリートの箱を沈めていく『圧気潜函(あっきせんかん)工法』が使われました。トンネルの主要部分は、造船所のドックで製作された鉄骨鉄筋コンクリート製の沈埋函(ちんまいかん)を船で運び、河底に掘った溝に埋める『沈埋(ちんまい)工法』で造られました。《CONCOM 建設技術者のための情報発信サイト》より=写真も。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月8日(火曜日)
通巻第8449号
嘘と偽善と贋物は中国四千年の文化である
血縁と地縁いがいは何も信じない硬直さ、他人は裏切りの対象
*************************
野村総研(NRI)香港に『次の大国 中国』(1994年、サイマル出版会)の著者でもあるウィリアム・オーバーホルトが在籍していた時代。彼とはハーマンカーンの愛弟子時代からの知り合いだったので、香港へ行く毎に議論に出かけた。97年香港返還前にも現地取材へ『諸君!』の特派で赴いた。
筆者は中国の躍進という表面的な事象より、本当に中国の庶民、とくに奥地の農民の暮らしから判断しても沿岸部はのびる可能性は高いが、アンバランス解消は不可能であり、全体として中国が先進国入りすることはないとした。
反対にオーバーホルトは、楽観論だった。
当時の野村證券グループは中国に積極的に関与し、中国企業の株式に強気な予測をたてていた。
しかし楽観論者が立脚する中国の公式データはまったく信用出来ないシロモノである。
中国の若者の失業率が、2024年9月に18・8%と公表され、それほどの不景気かと驚いた人が多いが、これは真実を反映してはいない。低すぎる数字だからだ。
中国の失業率の定義は「過去3カ月間、求職活動をしており、適切な仕事があれば 2 週間以内に働き始めることができる人」である。 調査対象は、12万戸で、訪問調査をもとに算出されている」
つまりサンプリングが少ない、地域の選び方は恣意的であり、問題は「求職活動をしている人」を如何にとらえているのか、ぶらぶらしている人間は算定されず、農家に戻った大量の建設労働者は農民人口に置き換えて失業の範疇に加えていない。
日本はハローワーク速報でも雇用情勢がつかめるし、失業保険需給状況からも正確な数字がでてくる。
中国の「国家統計局」なる機関は1952年に国務院直轄の行政機関として発足した。だから国務院総理(首相)が適宜適当に数字を改竄したり、地方政府幹部が北京に陳情に来て、統計局長に「良い数字にしてくれ」と賄賂を運ぶと、数字は上方に訂正される。国家統計局長が愛人とフランスへ高飛び寸前に北京空港で逮捕される事件も起きた。賄賂は桁外れに大きかったからだ
「あんなもの(中国の経済統計の公式データ)を信用しているのですか」と駐北京米国大使に発言したのが、李克強首相その人だったことを私たちは鮮明に思い出す。
2024年度の中国GDP成長率が5・2%で名目4・6%と発表されたが、こんな作り話を報道する日本のメディアはどうかしている。「三割水増しが常識」というのが筆者の持論だが、「水増し」(中国語は「灌水」)ではなく「捏造」だと石平がいう。
中国人社会は嘘で成り立つ国であり、誰もが産まれてから死ぬまで嘘をつく。朝から晩まで、いや夢のなかでも嘘をついている。そうしないと生きていけないからである。
嘘と偽善と贋物は中国四千年の文化であり、血縁と地縁いがいは何も信じない精神性の硬直姿勢はかれらの宿痾と言って良い。
となると役所も役所なら企業経営者にあっては三重帳簿が常識で、税務署提出用、銀行と株主総会提出用、そして自分用��ある。
官僚は収賄、企業側は賄賂、これらが社会の潤滑油である。だから毒入り餃子、石灰入りのペットフードや薬品、グッチ、ルイビュトンの贋物なんぞ朝飯前。公共工事は政治家の利権だから手抜き工事は当たり前。橋梁がおちたらなかに鉄筋ではなく生ゴミがはいっていたっけ。そしてばれても決して謝罪しない。つぎはもっとうまくやると誓う。デジタル人民元最大の目的は、じつは偽札対策なのだ。
警察とヤクザはグルである。これを「十警九黒」、あるいは「警匪一家」という。贋物商人らの認識では「無奸不成商」(阿漕に稼がなければ成功しない)となる。筆者が講演でよく喩えるのは「中国では石川五右衛門と長谷川平蔵は同一人物なのです」
日本人が美徳とする「知行合一」の発想は中国人にはない。「陽明学」は中国で生まれ、日本で純粋培養された。中国で陽明学とは「殺人の哲学」として忌み嫌われている。
したがって「文武両道」は理解不能、中国では「尚文卑武」である。だから利にさとい権力と結んだ商人が出世し、軍人は「最低の職業」となる。軍のモラルは信じられないほどに低い。このような社会構造の中国が、今後も経済成長を持続させるにはたいそう困難をともなうだろう。
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♡2023ヨンファさん&CNBLUE応援日韓イベント♡
みなさま、こんにちは!
ジョン・ヨンファさんを日本から応援する私設のファンチームヨンファホリックジャパン、ヨンホリです♡
昨年から日本でのCNBLUEとジョン・ヨンファのライブ活動、THE IDOL BAND、そして新年から始まった主演ドラマ「頭脳共助」と幸せで忙しい日々が続きましたね(*^^*)
数年のブランクを経て本格的な活動という感じですが、30代も新たな夢と高みを求めるヨンファさんの変わらない姿を見て
『あ、やっぱりこの情熱だ!!私たちも応えなくては!!』
と思っているヨンホリスタッフたちです。
ーーーーー
さて、先日よりTwitterで何度か告知を兼ねた事前投票を行っておりましたので、すでにご存知の方も多いかと思いますが、ヨンホリとしまして2023年のイベント準備を始めております♡
⋆⸜ ①CNBLUE Zeppツアーに合わせて日本での広告 ⸝⋆
⋆⸜ ②韓国でジョン・ヨンファさんのお誕生時お祝い広告 ⸝⋆
この2点に関してでした!
投票を通じて、ご参加者さまの中にも様々なご意見があることがはっきりとわかりました。結果をご覧ください。
このような結果になりました。①②どちらの投票でも、真逆の項目がそれぞれ高い得票数を得ていますので、スタッフとしても結果の読解に迷いましたが、今回も公平に得票数の多いものに従いたいと思います!それでこそ投票を行った意義があると思うからです。
とは言え、ご参加くださっている方の中にも様々なご意見や思いがあり、これまでも我々の提案するイベントにご参加いただきつつも 「もっとこうだったらいいのに...」 という思いを抱えておられた方も多かったんだなと気付かされました。たくさんの方にご参加いただいているファンチームという性質上、参加される方すべての希望に100%お応えすることは、これからも難しいかもしれませんが、できる限り今回のように事前投票を行うなどして、参加者さま主体のイベントにしていかなくてはいけないと改めて思ったところです。
みなさまの率直なご意見と賢明なご判断に、いつも感謝します(*^^*)
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従いまして、今回は
⋆⸜ ①CNBLUE ツアー最終会場付近での広告 ⸝⋆
⋆⸜ ②街灯バナーやバス��広告など、ラッピングバス以外のお誕生日お祝い広告 ⸝⋆
以上2つを正式な方向性とします。
これまでみなさまにご参加いただいて実績を積んできたこともあり、鉄道会社の広告主審査も無事通過しました!!
そこで、さっそくご参加者さまの募集をし、イベント実現が可能な予算が集まりそうな場合のみ、イベントを実施いたします♡
集まらない見込みの場合は、見合わせいたしますので、何卒ご了承ください。
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❝ 2つのイベントが同時募集なので... ❞
今回は2つのイベントの実施期間が近いことから、振込のお手間などを軽減するため、同時に募集をいたします。ですが、事前調査にて、どちらかのみのご参加希望という方も一定数おられるようですので、選択することも可能にしたいと思います!
どちらかのイベントのみのご参加を希望された場合、ご案内はそのイベントに関してのみお送りいたしますとともに、その参加者さまのご参加金は全てご希望のイベントのみに使用されますので、ご安心ください(*^^*)
なお両方にご希望される場合、ご参加金の配分はヨンホリにお任せいただきますよう、よろしくお願いいたしますm(._. *)m
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◆◇◆◇◆《イベント内容》◆◇◆◇◆
①CNBLUE ツアー最終会場付近での広告
5月3.4日にパシフィコ横浜で行われるツアー最終公演に合わせて広告を行います!日本での広告は初めてになりますので、スタッフも手探りですが、一緒に新しい応援をして、CNBLUEに気持ちを届けませんか?!
--->「一緒に東京ドームへ行こう」というメッセージ
---> 最寄駅付近の広告枠4個の中から、投票にて決定いたします!詳細イメージはお申し込み画面のリンクにてご確認ください♡
(投票で人気がある広告枠でも、予算の都合で実施できない場合や、申込時点で空枠がなくなっている可能性もありますので、何卒ご了承ください。実際、スタッフがいいなと思っていたデジタルサイネージは既に広告主が決まっていました。。)
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②街灯バナーやバス停広告など、ラッピングバス以外のお誕生日お祝い広告(寄付なしの予定)
毎年恒例のジョン・ヨンファさんのお誕生日お祝いですが、今年は投票にて街灯バナーやバス停広告などのみと決まっておりますので、それに従い、いくつかの候補の中から選んでいただこうと思っています!候補のイメージなどはお申し込み画面のリンクよりご確認ください♡
---> 同時に募集いたしますが、日付的に日本の広告を先に準備いたしますので、実際に動き始めるのは4月の下旬以降になりますことをご了承ください(:_;)
---> ちなみに、新しいFNCの社屋(聖水洞)は、ビルの目の前の道にバナーを設置できる街灯があるそうです。街灯バナーに決定した場合、今回もご希望者さまを対象に、抽選でお渡しできそうです。(当選者さまには配送料は実費ご負担いただきます。天候によりバナーの汚損が激しい場合は、抽選を実施できない可能性もあります)
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◆◇◆◇◆《事務所からの許可について》◆◇◆◇◆
上記内容を全て伝達した上で、韓国のFNCには『公式の写真やロゴを非営利目的で使用する限り、関係ない』との返信をいただいております(*^^*)
また日本のFNCにも「問題があれば返信をください」という内容で連絡し、返信がないので、問題ないと認識しております
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◆◇◆◇◆《代理店について》◆◇◆◇◆
今回のイベントは日本と韓国の広告代理店の協力を得て進行予定です
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◆◇◆◇◆《ご参加方法》◆◇◆◇◆
①今回はみなさまのご参加金額の合計が、イベント実施可能な予算に達した場合のみ、イベントが実施されます!!
ひとつのイベントにつき 622円〜上限なし
(2つのイベントに参加希望の場合622円✖️2=1244円〜上限なし)
でご希望の金額を入力してください! ・
金額によるご参加内容の違いはございませんので、お気持ちとお財布のご事情で、無理のない範囲でイベントの実現を応援していただければ幸いです(*^^*)
▶︎▷ https://ws.formzu.net/dist/S29188721/ ◁◀︎
第一次申込期限: 3月12日(日)23:59フォーム送信分まで
これ以降もご参加希望の方がいらっしゃれば合流可能ですが、第一次申込期限がイベントの実施・見送りを見極めるタイミングとなります。ぜひこの期限までの意思表示をお願いいたします(:_;)
期間が短くて申し訳ありませんが、1日も早く広告枠を申し込みするために、ご協力をお願いいたします!
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②すぐにお申込内容確認自動メールが届きますので、内容をご確認の上、振込はせずに、そのままお待ちください(*^^*)
メールが届かない場合は、再度フォームを送信されるのではなく、迷惑メールやプロモーションフォルダもご確認の上で、ヨンホリまでご参加者さまの氏名を明記の上ご連絡ください。
Email [email protected]
Twitter(@YONGHWAHOLIC.jp)の場合はDMにて
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③ご参加者さまからのご参加金額でイベントが実行できる見通しが立った場合、ご参加者さまにお振込をお願いする内容のメールをお送りしますので、メールに書かれた振込先(ゆうちょ銀行)に期限内のお振込をお願いいたします♡
見合わせの場合も、その旨のご連絡をいたします。
振込期間はご案内をお送りしてから2週間を予定しています!
昔ながらの口座振替の方法を取らせていただき、ご不便をおかけして申し訳ありませんが、ゆうちょ銀行への振込は、 LINEpay(振込手数料176円)や、送金アプリ「pring」(振込手数料なし)からもできます!
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④お振込くださってから、5営業日以内にヨンホリより入金確認のメールが届きますので、どうぞお待ちください!
振込完了のご連絡は不要です!5営業日を過ぎてもメールがない場合は、ヨンホリまでご連絡ください m(._. *)m
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⑤イベント内容を決めるための投票をご案内しますので、どうぞお見逃しなくご参加ください♡
ご参加者さまにはヨンホリのメーリングリストより、それぞれのイベントの投票や報告などの案内を随時お送りしますので、どうぞお見逃しなく(*^^*)
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精力的に活動を続けておられるCNBLUEとヨンファさんに、日本からの応援を届けて、一緒に夢への道を進みましょう。・゚+
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Season 2, episode 4 - PPG/waldorf
「世界三大発明」
左から、盆栽、ハンバーガー、そして2Uラックマウント型音源モジュール。その音源モジュールの色は当時めずらしかったネイビーブルー、真ん中近くにモノアイの如き大きく丸く赤いダイアル、その下に長円形の赤いボタンが、しかも斜めにあしらってあって「O.K.」と書いてある。 「おっけーボタン!」 シンセ界のガッツ石松と見まごうそのセンス。それはコアでヲタな音源モジュールに似つかわしくない不思議にポップなセンス。のちにシンセ・デザイナーの神となった若きAxel Hartmann駆け出しのころの作とは誰も気づくまい。
これは当時の雑誌宣伝広告、そのコピーをNemo版超々訳すると「世界三大発明」。 広告の主旨は、当時の先進工業国3ヶ国がおのおのみずから誇る文化的な発明品を出展しているという風情。
そう、最も右にあった音源モジュールとは何を隠そうWaldorf社のデビュー作、microWave初号機。
時に1989年、KORG M1が出た翌年、奇跡の大ヒットで息を吹き返したKORGはT1, T2, T3という巨大PCMワークステーションシンセ三連星を繰り出し、YAMAHAはDXシリーズの次をめざしてV80FDもといSY77でもって仕切り直し、RolandはDシリーズの末っ子D-5をプリプリの今野登茂子ちゃんのマスコット・キーボード的に新発売しLA音源シンセD-50, D-20, D-10, D-5, D-550, D-110鉄板ラインナップ完成、KAWAIなんてK1 IIのみならず中堅かつ16bit PCMシンセの名機K4ローンチ! 怒涛のPCMサウンドに全世界が押し流されていたそのとき、底抜けにあさっての方向を向いた削ぎ落としの音源モジュール、リアルな音なんて出るはずもなく、ファンシーな内蔵エフェクトにも目もくれず、すでに32音ポリまで具現化していた時代に渋い8音ポリ、廃業したPPGから受け継いだ独創的なウェーヴテーブル音源だけを搭載し、あとはなん〜にもないただの箱。 それこそが技術大国ドイツが誇る切れ味さわやかゾーリンゲンの如き鋭利な音ばっかする尖ったシンセmicroWave。電子レンジにかこつけたその名こそは、だが、いくたびの谷を乗り越えて何度でも不死鳥のように蘇りつづけるメーカーの誉れWaveシリーズ末裔たるあかし。
今回はその創世と輪廻転生を見ていきたい。
♬ ♬ ♬
「選ばれし者」
ヴォルフガング・パーム(Wolfgang Palm)。1950年、当時の西ドイツ北部の港街ハンブルグ生まれ、今なお同市に在住。 ビートルズやストーンズ大好き電子工作少年ヴォルフガング坊やは、ギターを自前でこしらえた挙句、父にファルフィッサのトランジスターオルガンを買ってもらう。だがどうにもその音色が気に入らない。憧れのハモンドみたいな音がどうしても出ない! 思いをつのらせた彼はバンド仲間が勤める楽器屋でつぶさにハモンドを検証、そのトーンホイールから出る音がサイン波なのに対し彼のオルガンの音はもっとブライトな鋸歯状波みたいな音であると見抜いた。なるほど! 早速彼は一種のローパスフィルターみたいな回路をつくりあげ、それを自分のオルガンにくっつけた。
ここですでにヴォルフガング君が尋常ならざる非凡ぶりを発揮するに、そ���トランジスターオルガンに搭載されし70基もの鋸歯状波オシレーター1個ずつに対し、フィルター回路も1個1個つくってくっつけたのである。計70個にもおおよぶ自作フィルター回路がおのおの音を丸めてくれたおかげで、それなりに彼は満足したらしい。
ドイツ人が時として自嘲気味に言うドイツ完璧主義:ドイッチェ・パーフェクツィオーン。 ドイツの技術は世界一ィィィィーーーーー! 天才とは恐ろしいもので早くもここに将来彼がこだわりまくって会社をつぶすことになる片鱗がうかがえてしまうのだ。すでにフォースが強かった少年にとって運命の邂逅とはシンセではなく、彼にしてみればツッコミどころ満載だったファルフィッサのトランジスターオルガンなのであった。それに自作のフィルター回路を70個もくっつけてしまった運命の少年ヴォルフガングは、オルガンをSFポッドレースの車両のようにチューニングし、壮大なサウンド・キャニオンの中を疑似正弦波駆動エンジンにてかっ飛ばそうとしていたのかもしれない。
1960年代に入って物理学を学んでいるとき、moogシンセを知りELPも聞いたヴォルフガング・パーム。斬新でつややかな音色もさることながら、とりわけ彼を魅了したのはポルタメント。すなわちオルガンを始めとする既存の楽器ではなかなかありえないねちっこくも滑らかに自由なピッチ。
シンセは自由! クロマティックに微分化されえないめくるめく自由なピッチ!
こういう音がバンドにもほしい! また思いをつのらせた彼は、自分のオルガンから演奏できるシンプルなモノフォニックVCOを制作。すなわちpitch to CV変換器を内蔵することで、オルガンを弾けばVCOが鳴るシカケ。それもmoog式Oct/Vではなく、作りやすさとピッチの安定性からHz/Vで制作。このピッチ安定性へのこだわりが、のちに彼をして時代に先駆けデジタルへ傾倒させる伏線となる。ポルタメントにしてもピッチが安定するからこそ意味がある。いや、ここでも正確無比なドイッチェ・パーフェクツィオーン!
1974年、minimoogを手本につくってみた小さなシンセDer Kleine(デア・クライネ、ドイツ語で「ザ・ちび」という意味)。2基VCO、1基VCF、1基VCAという仕様。それを3台制作。 次に作ったCompact Synthesizerなる機種は、なんとminimoogを凌駕するアドバンテージとしてパッチケーブルを「内蔵」。すなわち掃除機の電源コードよろしく使わないときは本体内部にしゅるしゅる内蔵、使う時にびよ〜んとひっぱってパッチング。さしずめスプリング式リトラクタブル・パッチケーブル・システム! 新開発エルゴノミック・準モジュラーシンセ! おまけにフロントパネルの文字が光るというヤンキーまがいの自照式! 暗いステージやスタジオにもいいね!
翌1975年、PPGことPalm Products GmbH社またの名をPalm Products Germany社とも言うちっちゃい工房を設立したヴォルフガング・パーム。タンジェリン・ドリームのメンバーたちとも懇意になり、モジュラーシンセを初めどんどん大型機種を開発。クラウス・シュルツェやジャン=ミシェル・ジャールなどイケメン・シンセ貴公子たちもお買い上げ。特にタンジェリン・ドリームのエドガー・フローゼに言われるままにモジュレーションホイールが8基もあるヤマタノオロチみたいな怪物キーボード・コントローラーを制作。これはもう8つのパラメーターを同時にあやつるヤマタのハイドラ! あのよくタンジェリンの写真で見る特注キーボードはヴォルフガング・パームの手になるものなのですよ。
そんな彼は、しかしアナログシンセのピッチがどうがんばっても安定しないため、ついにデジタル・オシレーターを開発。 それは誰よりも早く1976年にデジアナハイブリッド・モノシンセPPG 1020となって結実。デジタルだから波形も自由。音源波形6つ。 DCOどころではない。DCOとはピッチだけをデジタル制御したアナログオシレーターであり、その波形生成はアナログ回路で行っている。だがそんなものすっとばして一気にピュアなデジタルオシレーターを搭載せしめたシンセ爆誕。当時まだマイコンだなんだというのは彼の界隈には存在せず、やたら苦労して回りくどくつくったのだという。だがテクノロジーが未熟だろうが彼は言い訳しない、着想した夢は必ず具現化せずにはおれない気骨の人、それがヴォルフガングなのだ。
デジタルオシレーターに続き、翌1977年にはデジタル音色メモリーを実現。かくしてフルアナログ・モノシンセに音色メモリーをカップリングさせた世界初フルプログラマブルシンセPPG 1003 Sonic Carrierまで開発。 レゾナンス8ステップ、カットオフ64ステップにするという量子化への苦労があったものの、全パラメーターを記憶できる50音色メモリーを搭載。Prophet-5よりも早く、OB-1よりも早く、デイヴ・スミスよりも早く、デイヴ・ロッサムより早く、トム・オーバーハイ��よりも早い、まぎれもなく史上初のフル・プログラマブルシンセの誕生を人類は目撃!したはずなのだが、15台ほどハンドメイドしただけなので目撃した人類といえば作った本人の他は、クラウス・シュルツェ、エドガー・フローゼ、あとほんの若干名だけ。それでもタンジェリン・ドリームの面々に納品した個体は、鍵盤をはずしてPPGモジュラーシンセの中に組み込み可能など、相変わらず独創性の強いキャラが光る。しかもパラメーターを数値化したおかげでノブもなにも無い、のっぺりひらべったい顔した数値入力シンセ、え、それってつまりDX7やPoly-61が躍り出る5、6年前にすでにのっぺりシンセ! なんかそれってもはや人類初のジェット戦闘機メッサーシュミットMe262みたいなもんですか!? ちなみに機種名「1003 Sonic Carrier」にあるキャリアというのは、もちキャリア波、変調における搬送波に由来。
とどまらないデジタル快進撃。 デジタルオシレーター、 デジタル音色メモリーに続く3つめは デジタルシーケンサーPPG 350 Computer Sequencer。これを開発。
ところがフランクフルト・ムジークメッセのデモで電圧が足りずシーケンスデータ吹っ飛ぶ。Roland MC-8が出たのと同年であり、やはり同じ問題にぶちあたっているところは「テクノは忍耐」と松武秀樹をして言わしめた初ものデジタル・シーケンサーならでは。 だが、それでもなおヴォルフガング・パームがぶっちぎっているのは、このシーケンサーに4オクターヴ49鍵のキーボードを装着し鍵盤入力も可能としたことで、つまりすでに擬似ワークステーションシンセ状態であったこと。またRolandはインテル8080を使ったが、PPGはモトローラ 6800 を中核に据えた点でも興味深い。
・デジタルオシレーター ・デジタル音色メモリー ・デジタルシーケンサー
こんだけ一気に立て板に水のごとくデジタル三羽ガラスを作った彼は、1977年にしてすでに誰よりも先に今日的デジタル・ドメインで音色や音楽をつくることに着手していたわけ。DAWなんて二十年くらいあとの話なのに。
だが、デジタルまっしぐらの彼を待ち受けていたのは、その足元をすくうやつらであった。 すなわちKORG MS-10 / MS-20など日本製の安価なアナログシンセが人気を博し、高価格帯にとどまるデジタルPPGのビジネスは窮地におちいった。 そうこうしてるうちに、その高価格帯ではOberheim 4Voice / 8Voice、Sequential Circuits prophet-5などアナログ音源ながらに革新的なシンセという競合が出てきてますます厳しい。誰でもCPUとSSM音源ICとデジタルスキャニングキーボードとを手に入れることができる今、スキルとカネさえあれば参入障壁はかつてなく低くなったのだ。 ヴォルフガング・パームは、すみやかに次の一手を打つ必要に迫られていた。
にもかかわらず彼はもっと別な方向の未来をじっと凝視していた。彼が孔があくほど見つめていた明日へのヴィジョン、それが彼をしてますます遠く遠く未知のデジタル深宇宙へと跳躍させ、まるで重力レンズのごとく虚空の彼方へといざなうのである。
♬ ♬ ♬
「波形パラパラ漫画への道」
彼のこころを鷲掴みにして離さなかった魅惑のシンセシス、その挑戦とは、いかにしてアコースティック楽器や自然界のような豊かな倍音を出すか、であった。 しかも彼に言わせれば、アナログシンセの音なんて変化が無くて凡庸であった。彼にしてみれば同じ波形ばっか繰り返すのではなく、1周期1周期が違う波形であり違う音色であってほしかった。これはモーグが発見した音色の経時変化そのものであり、その追認であり、その次世代への模索でもあった。いみじくも元ローランド社長の菊本氏が見抜いたように、音とは時間軸上に展開するアートであり、つまり菊本氏の言葉を借りるなら音色とは本質的にtime variantであった。そんな音の本質にヴォルフガング・パームも気づいていたばかりか、本人曰く「僕はモーフィングするサウンドの大ファン!」なのであった。
考え抜いた彼は、もはやお家芸のデジタルテクノロジーを応用。 当時PPGの他にはアナログシンセしかなく、まだデジタルサンプリングが一般的ではなかった時代、彼は現実音をサンプリングして波形データを作成。さらにアナログシンセのフィルター・スウィープをデジタルで再現すべく、鋸歯状波をデジタルで生成し、そこから徐々に高次倍音から削っていってサイン波へと近づけていき、その変化を1波ずつデジタルでキャプチャー。それら1波1波をずらっと時間軸上に並べてスキャンすれば、パラパラ漫画そこのけに鋸歯状波から正弦波へとなめらかにスウィープするを再現できる、しかも安定したデジタルで。
史上初、ウェーヴテーブル音源が産声を上げた瞬間!!!
これでもう実世界の音色変化をいくらでも再現できる! 単に1つサンプリングしただけでは静止画と同じでおもんない。いろんなサンプルから1周期だけ波形を抽出し、パラパラ漫画の如く時間軸上にたくさん並べ、あたかもコマ送りで動画にするようにスキャンすれば、しかも自分の好きなタイミングや好きなテンポや好きな順番でスキャンすれば、単なるスタティックなサンプリングではなく動的に音色を生き生きと経時変化させられる。各フレームに入る1波1波が異なる波形でありさえすればいいのでメモリーも食わない。人工音テーブルや波形遷移順序を入れ替えたテーブルを作成すれば、非現実的な音色変化すらをも実現できる。フィルターにとらわれない自由奔放な音色変化! デジタルだからこそ可能な自由! しかもデジタルだから常に結果は安定して同じ! おまけにデジタルだからコストも安い!
ヴォルフガング・パームにとってデジタルとは、高くて不安定きわまりないアナログを安価かつ安定した結果に置き換えられる未来テクノロジーであった。
かくして1979年、史上初のウェーヴテーブル音源シンセPPG 360 Wave Computer 爆誕!
しかもフィルターが無い! ただひたすらウェーヴテーブル・オ��レーターで音創りをする原理主義的なまでにストイックなデジタルシンセ。アナログなんていらねーと言わんばかりに割り切ったぶん、コンセプトから仕組みからシンプルかつ明快。音のキャラもはっきり分かった。搭載されしウェーヴテーブルは8種類。当時これでも最先端だった 8bit につき正直音が粗かったのだが、フィルターに依存しないぶん自在に音色が変化するフリーダムな PPG 360 は話題となり、そのぶん仕様への要望もたくさん出た。お客様のご要望に応えるべくLEDをLCDに変え、シーケンサーも搭載、2オシレーター化、そしてなんだ結局はアナログVCFもSSMチップでもって追加搭載してしまったのが2年後1981年の後継機種、でたWave 2!!! 「だって営業が『みんなアナログフィルターが無い無いってよ』なんてうるさく言うもんだからさぁ」 とは本人の心の声(?)。
その1981年、フランクフルト・ムジークメッセ話題No.1 は Fairlight CMI、そしてNo.2がなんと発表デビュー初陣を飾ったPPG Wave 2であった。デジタル楽器ワンツーフィニッシュ! あまりのWave 2人気殺到ぶりにFairlight社のピーター・ヴォーゲルがわざわざPPGブースまで陣中見舞いにやってきて「うちら1位だけど君らが2位だね」とリスペクトを表しにきた。
して発売してみれば月産20台という、じつはたった5人しかいない個人商店 PPG 史上最大の大量生産しないと追いつけないほど受注してしまい、逆にたいへんなことになってしまったのであった。初採用の青いフロントパネルはPPGを象徴するアイコン的存在となって一人歩きしだす、人気っぷり。タンジェリン・ドリームに至ってはWave 2がひらいた新しいサウンド銀河にみちびかれるままにアルバム「Exit」を制作。ちなみにこの1曲目の名前はなんと「Kiev Mission」、彼らにしては珍しく声入り、しかもスラ���系の言語、そして暗示的に平和を希求するメッセージが行間から読み取れる、その冷戦時代センスが今また予見的。
ちなみにWave 2デビューと同じ1981年、prophetやOBといったアナログポリシンセは頂点を極め、フォロワーとしてRoland Jupiter-8、同JUNO-6、KORG Polysixも誕生。日本のシンセもまた欧米への追いつけ追い越せという駆け出しのフェーズを脱し、海外大型ポリシンセたちと互角に肩を並べるところまで来た歴史的転換期でもあった。Jupiter-8がRoland1社という枠を超え、もはや日本のシンセ全体の象徴となったのは、歴史の峠に屹立したからかもしれない。そしてそんなポリシンセの波頭にCMIやPPGといったまだ天文学的にお高い次世代デジタル楽器が、とんがった先鋒となって風を切っていたのである。
このあとPPGはウェーヴテーブルを30種類にまで拡大させた改良機種Wave 2.2や、eltec社パソコンeurocom IIをカスタマイズした専用サンプラー波形編集コンピューターシステムWaveterm、ピアノタッチ鍵盤コントローラーPRKことProcessor Keyboard、そしてサンプリングしたオーディオをデータ転送できるよう8bit8パラレル独自インターフェイス規格PPG Busを開発する怪力ぶり。しかし身の丈を超えた無理が祟ったのかWave 2シリーズで不良を量産してしまい、逆にprophetが売れてしまうPPGオウンゴールな事態もあったという。 そしてご多分に漏れず自分たちのネットワークシステムに未来を託すあまりMIDIを軽んじてしまい出遅れることトム・オーバーハイムの如し。ようやく1984年にMIDI対応したPPG Wave 2.3は、Oberheim 初のMIDI対応シンセXpanderと同窓生。
そのPPGは不良率が高いだけでなく、デジタル化を過激に推し進めたために基板回路が緻密すぎて部品単位で修理できず、さりとて基板まるごと交換修理するにしてもそれを安価に行うだけのテクノロジーが存在せず、しかも故障品には対価が支払われないことから採算がシビアになり開発部隊と販売部隊とで軋轢が生じるようになった。この火種が元になってのちに販売部隊がwaldorf社へと、半ば喧嘩別れするがごとくに変貌する。事実、開発拠点があったのはヴォルフガング・パームが住んでいた北ドイツのハンブルグであり、一方、販売拠点があった小さな町はまさにヴァルドルフことWaldorfだったのである。
♬ ♬ ♬
「倒産ではない、清算」
すっかりMIDI時代になった1985年ムジークメッセ、そこにロバート・モーグがふらっとやってきた。 「あんたらデジタル・ガイってさぁ、なんでデジタル・フィルターつくらんのさ?」 そうだ、そのとおりだ、そしてそのころヴォルフガング・パームが構想していたのはシンセもエフェクトもミキシングもレコーディングもみ〜んなコンピューター1台の中で実現し、モニターひとつで快適に操作できることであったSteinbergがCubaseにVSTプラグイン規格を搭載する10年も前、それどころかまだCubaseはオーディオを扱えないMIDIシーケンスソフトでしかなく、名前もまだPro-24だった時代、さらなる高みを求める彼はついに究極のデジタルドメイン仮想スタジオを実現せんとしたのである。
モトローラ68000をCPUに迎え、DSPを複数投入することで夢の2機種を並行開発。それは:
・HDU(Hard Disk Unit): DSP 2個使ったハードディスク・レコーディングシステム ・Realizer(リアライザー): DSP 8個使ってminimoog、FM音源、サンプリング / ウェーヴテーブル音源、モジュレーションマトリクスを実現したヴァーチャル音源専用機、しかもHDUを8基制御可能
もはやこれは規模的にも価格的にも真っ向SynclavierやFairlight CMIと対決するぶっちぎり最先端デジタルスタジオ・システムであった。なんでもかんでも全て網羅したがるあまり理想すぎる重厚長大トータルソリューションをめざしてドイツ完璧主義ドイッチェ・パーフェクツィオーン最終進化。あの久石譲さんも、一時期PPGに賭けようかと思ったことがあったとか。
しかし、時すでにDX7が台頭して数年、もはやデジタルはPPGの特権ではなかった。PPGと同じ高価格帯にてSynclavier、Fairlightの牙城は崩せず、PRKには Kurzweilというすぐれた相手が出現。しかもここでもダークホースとして姿を表したるは、あのE-muをも唸らせた信じがたいローファイ価格破壊サンプラーensoniq Mirageという道場破り。1986年にHDUやRealizerのプロトタイプができたもののバグの暴風雨。HDUに搭載されし40MBという当時の「大容量」ハードディスクに笑うことなかれ、バグを笑う者はバグに泣く、失敗したやつだけが語る資格がある。ついに1987年、かさむ開発コストにPPGは経営崩壊、会社を清算することになった。Realizerはrealize(実現)しなかったなどと切ないことを北米キーマガに言われたゆえんである。
ちなみによくPPGは倒産したと言われるがそれは違う、きれいさっぱり清算したのである。すっきり飛ぶ鳥あとを濁さず。ヴォルフガング・パームさん、そういうところもきっちり完璧主義パーフェクツィオーンしているのね。流石だわ。
自分一人に戻って身軽になったヴォルフガング・パーム、同じドイツ企業Steinbergへ出向きHDUとRealizerに関する情報を渡してきた。さぁ、もうお気づきですね聡明なる読者の皆さん! はたしてその後Steinbergはハードディスク・レコーディングを確立、それでもってCubaseはMIDIシーケンスソフトからオーディオトラックも兼ね備えたDAWへと脱皮、さらに約十年後にはCubase VSTプラグインシステムを引っさげてメジャー・アップデート登場。前述の「シンセもエフェクトもミキシングもレコーディングもみ〜んなコンピューター1台の中で実現し、モニターひとつで快適に操作できる」というHDU + Realizerが描いた理想のデジタルスタジオとなりしSteinberg Cubaseは、DAW 業界に覇を唱えてしまったわけですよ。
そしてだからこそこれを10年早く80年代半ばに具現化せんとしていたおそるべしヴォルフガング・パームに震撼せん!!!
一方、旧PPGの販売部隊はwaldorf社となり、 PPGの遺産ことウェーヴテーブル音源を引き取ることになった。彼らに 「Wave 2.3 を安ぅでけへんもんやろか?」 とwaldorfから依頼されたヴォルフガング・パームは、開発外注として新しい音源部分を設計。これが1989年に「世界三大発明」というキャッチコピーとともにデビューしたmicroWave。ウェーヴテーブルは360 Wave Computerの8種類、Wave 2.3の30種類をすべて内包した64種類となり、渋くストイックながら実は多彩な音の小宇宙となった。
独創的なウェーヴテーブル音源を引き継いだwaldorf社はPCMシンセへのアンチテーゼを唱え、その盟主となって黄金期を迎える。 彼らはThe Waveという究極のフラッグシップを看板にしつつ、うまくその後、ヲタな仕様をポップにまとめてツウをうならせる軽妙洒脱なラインナップを展開。
microWave XTに至ってはドイツの貨物列車みたいなくすんだオレンジのスウェード調にあたたかい太陽系のようなフロントパネルをレイアウト、見た目も音色もシックに尖って個性的。
ヴァーチャルアナログの名機Qなんかクエン酸を連想するくらいイエローまぶしく、挙句その名もGekkoというヤモリをモチーフにあしらった勾玉デザインのかわいい柑橘系MIDIデバイス(?)も販売。そしてD-Pole、PPG Wave 2.V、Attackといったソフトウェアシンセも積極展開。
かくして90年代はPCMワークステーションシンセへのアンチテーゼがひとつの大きな主張となり、音色銀河の辺境宙域はwaldorfを筆頭にnord lead、access Virus、Quasimidi、Roland JP-8000、同JP-8080、YAMAHA AN1x、KORG prophecy、同Z1といった、ちょっとあやしげなくらい個性派なデジタルシンセたちが跳梁跋扈する領域となった。同じ空間でRoland MC-303のようなグルボが登場したのもこのとき。時代はまさしくへんてこなシンセたちが牽引したのである。 2003年にはプラグイン版リアルアナログ・フィルターことAFB-16を開発。これは2Uラックマウント型アナログフィルターモジュールをパソコンとUSB接続、DAWにモノホンのアナログフィルターを挿すというアクロバティックな機種であった。その制御ソフトにはカットオフを変調できるステップシーケンサーまで搭載。でもこれ、あんまし見かけませんよね。またしても開発コストかさんだのかなぁ?
案の定、その第2の黄金時代のあとふたたびの業績悪化でwaldorfは沈没。だがもうここまで来たら世間さまがウェーヴテーブル音源を見逃すはずもなく、圧倒的な呼び声に応じ2007年blofeldを皮切りに3度めの復活! 完全独立4系統で音創りできる充実のソフトシンセlargo、iOS版から始まった軽快なアプリシンセnave、コンパクトな卓上音源 rocketにstreichfett、モジュラー宇宙へのいざないnw1、そのモジュラー宇宙を楽器に変えてしまうkb37、Studio Logic社sledgeへの音源供給、Axel Hartmann自身のデザインオフィス20周年2万ユーロ・シンセ「20」への音源提供、そして3度目のフラッグシップしかも新音源方式もたくさん重層的に搭載したQuantum、iridium、Mなどなど重厚な頂点機種はじめ多彩な機種が今をいろどる。
すべからくwaldorf機種は中身は濃いぃのに、それでも打ち出しは妙にあかるくポップでハイセンス。彼らが不死鳥のように何度でも舞い上がれるのは、このポップさ、軽さゆえであろう。ヲタなちからこぶを消化するオサレ感覚。それはAxel Hartmannのなせるわざであり、軸足が定まったディレクションの勝利なのであろうか。
♬ ♬ ♬
「創世神話、楽器進化論、そして輪廻転生」
独創的かつ求道師のようにストイックすぎて窒息しそうに生真面目だった PPG。それを継承したwaldorfがヲタながらに軽快に消化。
そしてensoniqをはじめ多くのメーカーが自分なりのウェーヴテーブル音源を開発するようになり、ついにソフトシンセXFR RECORDS SERUMにてウェーヴテーブル音源はブレイク、アナログに回帰したもののフィルターに飽きてきた業界にウェーヴテーブルのサウンドはかつてなく流行することになった。
その一方、ひっそりと未来シンセシスを探求する究道士。ヴォルフガング・パームその人は、2002年にSteinbergからソフトシンセPLEXを発表。これは音をコンポーネント化しておきユーザーがモンタージュのように組み合わせる、言わばオブジェクト指向のシンセ。じつは音創りする上では画期的なアプローチであり、フィルターだエンベロープだロー・フリケンシー・オシレーターだなどと分かりにくい理屈を知らなくとも、音を既存の楽器や物体の部品に分解して組合せを変えて違うものへと換骨奪胎、今までとは全く違う方法で音色を再合成できる革新的なシンセなのであった。 そしてそれは彼が構想したHDU + RealizerというDAWコンセプトの上で、彼がつくったプラグインシンセが踊るという感慨深いものなのだが、彼自身はどう思ったことであろう。
やがて彼はiPad版 Animoogを見てマルチタッチスクリーン操作にあらたな可能性を見出し、「ひとり PPG」としてPPG WaveGenerator for iPad、同Wave Mapper 2 for Mac、そして同infiniteへと進化するようにシンセアプリを開発。それらにてオブジェクト指向の音創りUIを進化させる一方、次世代ウェーヴテーブル・テクノロジーことTCS - Time Corrected Sampleを開発。サンプリングした音において時間軸上を正再生逆再生するだけでなく、音量も正規化つまりノーマライズすることで原音が持つ音量変化からも解放され、ユーザーがほんとうの意味での音量エンベロープを自在に設定できる、ユーザー音量エンベロープを鋳型にしてサンプルを流し込むことができる、時間軸上でも振幅軸上でも原音の束縛からかつてなく自由で画期的な表現をもたらした。
それは、オリジネイターだからこそ次へ進化できるという実例であり、TR-80を進化させたドラムソフトシンセRC-808を作りあげた菊本忠男氏と同じであった。凡百の808エミュが808に到達することばかりをめざすのに対し、"Re-Create 808" を標榜するRC-808は元祖808のモノマネはもちろん、そこからさらに進化して聴いたこともないあたらしい808の音色表現が可能なところにポイントがあった。聴いたこともない808の音なのに、まぎれもなく808の音がするRC-808。基本的には減算方式であるにもかかわらず、あらゆる音色を再現できる8パーシャル分析型合成。その一例として、ドラム音色にサスティンがあってもいいじゃないか、ドラム・シーケンスにゲートタイムがあってもいいじゃないか、ドラム・シーケンサーにピアノロールがあってもいいじゃないか、そんな自由奔放な問いに、先をゆく表現を聴く。
菊本氏もパーム氏も、常に前を向く人たち。ファンから熱望されて過去をリバイバルするではなく、あくまで今後未来の音源はどうなるか、これから何にプライオリティをおくのか、その答はまだ彼ら生みの親たちからしか提示されていない。わたしたち後輩は、彼ら時代のパイロットが操縦する飛翔体の乗客であった。そしてわたしたちはそのバトンを受け取れるようになり、操縦桿を握り、そしていずれ後世へ渡す。 その具現化において制作のためのプラグインならいざ知らず、演奏のためには音源だけでなくUIを組合せてこそであり、両者を両立しうるは音源に最適化されたハードを身にまといし未来のハードウェア楽器なのであろう。
音源やシンセシス���最大の関心があるがゆえなのか、ヴォルフガング・パームはソフトウェア・シンセを作りたいのであってアナログやハードウェアに戻るつもりは無いときっぱり言う。 菊本氏は、アナログシンセに戻ることは無いがソフト・ハードは手段として都度最適なものを選択するまでであって等価に扱いつつ今なお開発を続けている。 デイヴ・スミスはあくまでハードウェアにこだわり、OSアプデ無限地獄なんかについていくのは無理、画面の奥に引っ込んで触れないソフト楽器なんてありえないと言いきっていた。 アナログもデジタルもハードもソフトも全てを経験し、今なお単純復刻ではなくつねに新しいものを追い求めたこの三人、それでもなお三者三様にアプローチが違うのが面白い。
PPGがついえさったあとも一人PPGを名乗り、孤高の開発をつづけたヴォルフガング・パーム。全てを見渡した彼は70歳になったのを期に引退を宣言。ファンとしても年齢からしてもちょっとまだ早すぎるようにも思えるも、無論ひとさまのことを外野席からとやかく言えるわけもなく。そこはヴォルフガング・パームらしく、みずからに対しても完璧主義であったがゆえ、なみなみならぬ決意なのかと推察するばかり。時に西暦2020年3月18日。ドイツ完璧主義ドイッチェ・パーフェクツィオーンをあくまで貫き通した老将の旅路、その終着駅、彼の個人サイトに掲載されし最後の文章、その老境あふれる思いが行間にそこはかとなくにじみ出るを、不肖Nemo版超々々訳を添えてリスペクトを込めつつ引用しておく。
Dear Customer,
after 50 years of creative work in the field of sound synthesis I decided to stop doing business. I’ve been thinking about this step for some time now, especially since I’ve turned 70 this year. Therefore, I am very happy to have found a competent company in Brainworx Audio GmbH that will take over and continue my products and ideas.
I would like to thank you for the support I’ve received over the last six years. PPG VST plug-ins and iOS apps are no longer available for purchase. We will continue to provide downloads of your previous plugin purchases until end of 2020.
However, we do not recommend updating the hosts or the operating systems, as we cannot guarantee that our products will still run perfectly.
Customers of PPG plugins will receive a mail from SendOwl, which gives more infos on how to connect to Brainworx.
The future of the iOS apps has not been decided yet.
Thank you again for your support. March 2020, Wolfgang Palm
親愛なる顧客各位
これまで音色合成なる分野において50年にわたり様々なものをつくり続けて参りましたが、このたび仕事から身を引くを決意致しました。特に今年は古希を迎えたということもあり、ここしばらくは身の振り方についてずっと思いをめぐらせておりました。それ故、私の商品やアイディアをBrainworx Audio GmbHという優秀な会社が引き継いでくださると分かり、たいへんに嬉しい気持ちでいっぱいでございます。
過去6年にわたり皆様からご支援いただけたこと、感謝いたします。すでにPPG VSTプラグインとiOSアプリとは新規購入はできませんが、これまでにご購入いただいたお客様に限り、2020年の終わりまでは再度ダウンロードいただけるよう手配いたしております。
ただし、ホストマシンやオペレーティングシステムをアップデート致しますともはや私どもの商品が完全に動作するとは保証できなくなるため、これら環境の更新は推奨いたしかねることご理解たまわりますようお願い申し上げます。 またPPGプラグインをご使用のお客様には、SendOwlからメールが届くことになっております。そこにBrainworxへの詳細な案内が書いてございますのでご参照くださいませ。 なお、iOSアプリの今後についてはまだ決まっておりません。あわせてご理解たまわりますよう、よろしくお願い致します。
皆様からのご支援に重ねて感謝致します。 2020年3月、ヴォルフガング・パーム
♬ ♬ ♬
「time variant time」
ヴォルフガング・パームが去った今、わたしたちにはいかなるバトンが手渡されたのであろう。
「シンセはアメリカで始まったのではない。その前にフランスでミュージック・コンクレートがあったのであり、ドイツでは西ドイツ放送ケルン局の電子音楽スタジオがあったのだ。」 そう冷静に見つめるは、ヴォルフガング・パームが作りあげたシンセのご贔屓さまジャン=ミシェル・ジャール。 「シーケンサーはレコーダーではない。シーケンサーはグルーヴをもたらすものである。」 もはやプラットフォームと化すまでに肥大化したDAWに対し、その上でなお存在しつづける楽器とは何かを問う、示唆に富んだジャールの見識。
もともとヨーロッパには長大なインストゥルメンタルとも言うべきクラシック音楽という長い背景があり、その新しいうねりとして現代音楽にシンセをはぐくむ源流があったのであり、戦前からレフ・テルミンら先駆者による幻影と伝説がこだまする中、自宅スタジオにシュトックハウゼンを招いたEMS共同創業者ズィノヴィエフ然り、テクノの開祖クラフト・ヴェアク(クラフトワーク)然り、ヴォルフガング・パーム然り、ストイックな究道士のごとく理想を希求する彼ら皆、その同じ空気を吸って育ったことであろう。
そこから欧州大陸を飛び出し、大西洋を渡って新大陸を発見したドイツ系エンジニアことハラルト・ボーデ。その新大陸アメリカへ彼が持ち込んだるは欧州から長大なストライドでもってやってきた振動の巨人、電子楽器。すなわち1960年アメリカAESショーで彼が出展した史上初の電圧制御式シンセ。それはオシレーターの代わりにオープンリールの磁気テープを使い、あらかじめそこに録音されていた音を電子回路で加工する、それでもなお電圧制御式たるところがこんにち的。そのミュージック・コンクレートっぷりとケルン電子音楽スタジオっぷりとの武骨なアウフヘーベン、そこからいづるサウンド。そしてその聴衆の中にいたのはボーデのシンセに未来からの衝撃を聴きそのヴァイブを全身でびりびりしながら受け止めた若き日のボブ・モーグ。 新世界にてシンセ界が指し示す未来へのヴィジョンを見てしまい、見てはいけないものを見てしまったその禁断のショックに打ち震えたボブ・モーグが後遺症のように感慨をこめて作ったのが彼のテルミンでありmoog modularでありminimoog。みずみずしい感性と機動力がヴォンヴォンみなぎる新種��楽器minimoogは、あたかも反射波のように大西洋を逆向きに渡り、イギリスのズィノヴィエフや、ドイツのヴォルフガング・パームや、旧ソ連の軍需産業エンジニアことセルゲイ・マリチェフらをインスパイア。同じ空の下、コール・アンド・レスポンスのようにこだましあい、それぞれ独自の楽器をつくって響かせあい、さらにそれら波濤は遠く極東の島国にまで到達。
その波濤が全地球をくるんだ後に残したもの、そこにはトム・オーバーハイムが夢想したネットワークとそのノードにたゆたう数々の名機シンセという、おしゃべりしあう楽器たちがあったであろう。あるいは派手派手しいスターの如きシンセがデビューを飾る影に隠れてデイヴ・ロッサムがピースサインする基礎研究という、どっしりと盤石なるテクノロジカル土台への深きリスペクトもあったであろう。センセがほしがる答を生徒の口から言わせるという紋切り型教育には思いもつかないensoniqというあまりにも惜しまれる異議申し立てもあった。そしてヲタな本質を見抜くもポップに分かりやすく提示せんとするサービス精神旺盛なwaldorfと、最後の一人になってでも己に正直な究道士たらんとしたヴォルフガング・パーム。 かくして音のフロンティアに生まれたおびただしい数のへんてこなシンセたちこそが、クラシックな楽器とはおのずと違う異端児として、時代の音色をつむぎ出し時代のエンベロープ・カーヴを描きつつ時計の針を推し進めたのだ。そしてその時計の名は菊本氏が看破するtime variant、つまり時間すらもが自由な時計という異次元の楽器であろうか。タイムドメインの牢獄から解放されたとき、果たしてあなたには時間が見える?聴こえる?
まのあたりにするは人類進化の最先端。外宇宙がしみでるように青黒い虚空の中、いつわりの影ばかりを漆黒の闇の銀河へと落とす虚の惑星にて、目にしみる絶海の碧の中、しずしずと見えてきた小さく黒く尖った島がその引き締まった存在感を物語りはじめるとき、忘れ去られた楽園のようにしたたる緑の群落に、傾きゆくあったかいオレンジ色の陽射し、火焰山のように燃えあがる岩肌の陰影ふかく、上に飛鳥なし、下に走獣なし、故郷のものとは異なるおごそかに小さく引き絞られた陽のもとで、そこにたったひとつ持参できるとしたらその音は何?
すべてシンセには存在意義があるのであり、どんな「ぷー」な音��かせずともその音には使いみちが、存在意義がある。 こんにちの電子楽器が実現しえたものはまだ着想の2割くらいでしかないであろう。MIDI 2.0だなんだと解像度だけを追い求めるのではなく、まだまだ根本的に異なるパラダイムからの表現が埋もれているを、たとえば菊本氏のラボに垣間見る。技術そのものに夢があった時代は遠く去ったように思えても、それでもなお次なる技術、次なる応用、次なるひねりが新しい事象の地平面を切り拓くであろう。 どこまでも限りなく拡大し続ける知の地平。宇宙の挑戦を受けて立ち、まだ聴いたこともない音の銀河をめざして遠く飛翔するシンセの試み。その旅路の航宙図をもとめてシンセのミッシングリンクを解き明かし、なおかつ未来への触媒となす旅。いずれまたそれら切っ先の最先鋒について、機会あれば描いてみたい。
皆さん、ここまでお付き合いくださり感謝の極みです。くれぐれもお健やかに。Stay healthy.
(2022年8月13日、同人誌にて初出)
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乗り心地はたしかに線路が7で車両側にできることなんて精々3くらいなんだよ。どんなに台車の構造を工夫したところで線路がダメなら乗り心地は向上しない。その通りなんだけどさ
鉄道博物館に予定より早く着いたので、バラしてあるTR212を眺めてホント何というか、国鉄ってすげーなーって思った
台車そのものはまあどこにでもあるペデスタルウイングのありふれた台車なんだけど、この台車、ペデスタルの摺動部(1)が摩耗したら蛇行動を拘束する術がなんもないのよ。摺動部が編摩耗して軸箱と台車枠の間に隙間ができてガタが発生すると蛇行動が発生するからね
で、蛇行動で発生した振動は斜め方向の衝動となって台車枠に伝わるわけなんだけど、スイングハンガ方式のTR212はスイングハンガ(2)を受けるところに揺れ枕守(3)を付けてスイングハンガを前後方向だけ拘束。左右方向はスイングハンガについた摺板(3)’を揺れ枕守がこすれ合うことで緩和するという流れなんだけど、こすれ合うということはここも摩耗するということなんだよね
つまり国鉄は「適切な設備管理さえできていれば台車なんてこのくらいまでシンプルな設計でいいんだよ」と言ってるわけ。線路のアンジュレーションがなければ電車は揺れない。ペデスタルの摩耗が常に最小限に管理されていれば蛇行動は起きない。揺れ枕守とすり板の公差管理が適切なら車体は振動しない……などなど
DT32もそうなんだけど、国鉄の台車ってこんな感じで「設備が適切なら」という前提でデザインしているとしか思えない造りの台車をちょくちょく見かけるんだよね。そりゃあその通りなんだけどさあ…
台車の構造がシンプルであればあるほどいいというのはまったくその通りでその思想自体は極めて正しい。だからDT50なんてもうシンプルの極みみたいな台車だけどあれも「上に乗っかる車体が軽くて軸ばねのゴムブッシュを劣化する前にきちんと交換する」という前提で成立する台車なわけじゃん。このあたりの思想がすごく国鉄的でしびれるんだよね
民鉄は車両が線路を信用してないし線路が車両を信用していないかの如く線路の公差管理を病的に管理したり軸箱支持を「そこまでやるか」とばかりに作りこんだりするわけでまあ、このあたりの思想の違いを頭に置きながら国鉄の台車を眺めてると面白いんだよね
俺みたいなシロートは安易に考えるわけよ。TR212にボルスタアンカ追加すればボルスタアンカのゴムブッシュががっつり聞いて多少ペデスタルが摩耗しても乗り心地フォローできそうじゃね? って
でも国鉄に103系は何両ある? そのすべての台車にボルスタアンカを付けて乗り心地をよくするよりも、(現場の人間に頑張ってもらって)装備を少なくして少しでも安くした方が国民の利益に資するんじゃね? ってことなんですよ
国鉄は国民の税金を使う以上無駄な装備はできないし、高度成長時代は多少のアレやソレに目をつぶってでも1両でも多くの車両をつくらなくちゃいけない。そのギリギリのラインを見切った「刹那の見切り」が、国鉄台車の面白さだと俺は思ってる。DT32とか面白いよ
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