#足つぼマッサージ
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simamamoru · 4 months ago
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汚辱の日々  さぶ
  1.無残
 日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
 週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
 私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
 きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
 班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
 初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
 戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
 だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され���り切れていった。
 その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
 なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
 この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
 私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
 勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
 全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
 つらかった。肩身が狭かった。
 もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
 夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思��ともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけ��れても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
 あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
 2.玩弄
 部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
 低いドスのきいた返事があった。
 扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
 辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
 傲然と私に命じた。
 私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
 程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
 辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
 ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
 乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
 コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
 私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
 入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
 私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
 私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
 辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
 辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
 意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
 水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
 頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来���うかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
 他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
 今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
 私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
 堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
 命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
 二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
 思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
 低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
 私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
 水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
 辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
  3.烈情
��おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男って��のを見せてやっからな。よーく見とれ」
 四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
 彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
 今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
 顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
 凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
 言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
 一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
 戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
 三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
 男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
 「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
 有無を言わせぬ強引さであった。
 あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫して���まうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
 その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
 その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
 ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
 私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
 合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
 息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
 奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
 堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
 思わず息をのんだ。
 徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
 突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
 断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
 心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」  言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「��ッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
 毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
 最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
 毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
 終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。 
 班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。  瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
 どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
 気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
 「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
 おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
 そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
 水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
 新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
        (了)
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k-rush · 9 months ago
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旅荘野毛?
数か月前、横浜への出張が決まり、わくわくしまくって、マッサージしてくださるお店を探してみる。
アーユルヴェーダ?いいかも^^なんて思い、予約してみる。
その後、期日が近まるにつれて、テンションが上がっていたけれど、結構、何か月かごとに、コースも値段も変更されてるみたい。電話番号書いてある人が優先です、とも書かれ始めたり。その度ごとに、前に予約をお願いしているものなんですけど、って、確認がてらメールをしていたら、
「何回とご連絡いただいておりますが、予約については検討させてください。
当サロンは普通のアーユルヴェーダ施術サロンです。
性的サービスを売りにした様なゲイマッサージ店でもなく、また、極端な感情を持ち込まれても施術に支障を来たすだけになります。
これまでにも、同じような方がお見えになられましたが、全員トラブルを起こしています。原因は一方的な病的なまでの感情移入です。
大変申し訳ございませんが、そちらも今一度ご検討くださいます様、お願い申し上げます。」(原文ママです)
あ、そんなふうに思われてたんだ、僕、、
ごめんなさい、そういうつもりではありませんでした、、今回はキャンセルでお願いしても大丈夫ですか?ってメールしたけど、返事は来ず。
ま、いっか。しゃあない。多分、ちゃんとキャンセルできてるでしょ、って、自分に言い聞かせて。
次、次、ってな感じで(切り替え早いんです僕^^)、気になってたお店にメールしてみる。
空いてません、とか、時間が遅いので難しいです、とか、、うーん、なんとも、、
そんな中、おひとりの方と、予約を完了^^
おっしゃ、と思っていたら、当日、新幹線に乗る前のバスに乗る前にメールが来て、コロナになってしまいました、って、、
そっか、それは仕方ないですよね、、お大事になさってください^^って、返事をしたものの、、
いやいやそうは言うけどさ、淋しいじゃん今晩、、
って、必死になって、バスに乗ったあと、再度検索。よさげなマッサージやさんをゲット^^
当日、飲み会のあとで、ちょっと待ち合わせに遅くなってしまったら、帰ります、ってメールが来てしまって、、
あ、すいません、今戻りました、って、待ち合わせの10分後くらいに送ったら、戻ってきてくださいました^^優しいマッサージ屋さんで、よかったです^^若いごつむちさんを、がっつりと、堪能^^
飲んでたのもあり、僕は完了できず、、
解散後、どうしようかな、って思ったけど、以前爆サイで検索してて見つけた、旅荘野毛ってところに、行ってみることに。(えびす温泉ってとこもあったんですけど、やっぱり、ごろんとできそうなとこがいいかなーって^^)
(あと、まあまあ近くに、みんながまぐわるとこもあったみたいなんですけど、すでに50代やし、49歳までに見えるでしょ?っていうルックスでもないし、、
入られへんやん、ってなわけで、早々にあきらめました^^)
2月の半ばの木曜日、小雨降ってましたけど、そんなに寒くなくて、小走りで、10分くらいで到着。
動物園に近づく坂のあたり?とか覚えていたので、そのあたりでごそごそしてたら、赤い看板を発見。(えらいえらい、この野生の勘^^って、言うほどでもないですけど^^)
お、いいじゃん、この感触^^このこっそり感が、素敵です^^
入ってみる。ひっそりな感じ。ご年配の方が対応してくださる。設備は古いみたいやけど、小綺麗にされてるのがすごく伝わってくるし、親切。
ちょっと、昔あった浜松喜楽や、ビジネスイン久松(遠いんですけど、行ったことあるんです、2回も^^)みたいな雰囲気なのかな。コンクリートの丈夫な建物で、床は赤いじゅうたん��敷いてあって、レトロな雰囲気。
こちらはね、暖房ついてないですけど、つけてくださっていいですよ、って。テレビの下に並んでるのは、雑誌サムソン。
わー、見たいなー、マンガ結構えろいやつあるし、、とか思ったけど、上に部屋がありますので、って教えてくださったので、上に。
おひとりいらっしゃいますよ、って言われたので、どうかなーなんて思いながら、上の部屋に行ってみると、あたたかい空間が。布団が敷き詰めてあって、シーツも清潔。
そこに、いらっしゃいました、おひとり。うーん、どうなん?
寝息をたててみえる。歳は一緒くらいなのかな。普通な感じ。
横を向いてみえるから、首筋あたりに鼻を近づけてみる。あ、少し、野郎の匂い。
もう、むらむらしてるんで、嗅ぎまくりながら、すぐさま舐めてしまう。
くうんくうん言ってる。受けなのかな?
まあいいや、浴衣の胸元あたりをまさぐる。あ、胸毛を剃ったあとの、ちくちくの感触。
あ、すっげ、この胸毛剃ったあとのちくちくたまんないです、とか、口走ってみる。
乳首は少し大きめで、感じやすそうな予感。もう、好き勝手してしまえ。
むしゃぶりついてみる。乳首にも、玉にも、竿にも。
この、ふかふかな感触がたまらない。やっぱ、歳が近い(勝手にそう思ってますけど^^)人の肌って、ぶにっていう感じがあって、好きだなあ。
あ、穴あたり、やわらかいんですね。いいかも。
まわりをねぶって、指なんか入れてみたりして。
このあたりの匂いって、なんてこんなにいい匂いがするんだろ。好き放題ねぶらせていただく。
そのうち、覆いかぶさってくださり、僕のも心地よくしてくださる。
あ、溶けそう、ほんと気持ちいい。あ、ほんとたまんないです、ちんぽ気持ちいいです、とか、口走ってしまう。
最近、まぐわってるときに、さわさわ亀頭責めされたり、じゅぼじゅぼねぶられたりすると、頭の中がものすごく気持ちよくなって、こんなこと、つい言ってしまう。
乳首もれろんれろんしてくださる。この人の舌、ものすごくエッチだ。
あ、乳首きもちいいです、たまんないです、溶けちゃいそうです、あーすげ、とか、つい言ってしまう。(でもたいした単語言ってないですね^^)
たまらなくなって、いってもいいですか?って聞いて、自ら暴発。
相手の方も、僕が下から見上げるような位置に半立ちになって、暴発してくださる。
もう、へろへろ。すんごい気持ちよかった。
書き込みでは、人がいませんとか書いてあったけど、偶然にも、まぐわってくださる方が1人おられて、僕は大満足でした。
また横浜に来られるかな。また会えるといいな。
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winterain66 · 7 months ago
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半日ずっとベッドに横になる生活から抜け出したくて、日中起き上がっている練習をしている。のだけれど、今日みたいに天気の悪い日は身体の調子が最悪でどこかしらが、ずっと痛く、重りをつけられたみたいに手足が重く冷たい。血行をよくしようとストレッチ、マッサージをしてもましになるのは一瞬、しばらくして疲れてソファに横になる。今日は頭が痛いので湯たんぽを作って首もとにあてる。最近、社会人、という言葉に対して苛立っている。
「社会人」という言葉の用いられ方、英語にするなら「have a job」ということだと思うのだけ���ど、仕事を持っていなくたって私は社会のなかに存在しているはずなのに、と思う。「新社会人のみなさん」という言葉が広告やタイムラインで飛び交うこの季節に、毎年思うぼやきです。忘れてください。みなさんはいかがおすごしですか。
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ndmnemosyne · 1 year ago
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2023.8.21
わたしのヒースクリフ、体温と変わらない熱気の中を毎日すり抜けるように仕事に行き、家に帰る。もうずいぶん前からずっとずっと、「今年は暑すぎる」と思っていた。子どもを産んだ日も暑くてたまらなかった。病室は窓側で、早期破水した為に十日ほど前から入院になっていたのに、本陣痛が来なくて、助産師さんからは「院内の階段を昇降して陣痛をつけてください」と言われていたのに、絶対に産みたくなくてしなかった。当日もずっとまた前駆陣痛で痛がって、助産師さんに嫌がられるんだろうなと思いながら、それでも痛かったから内診してもらったのをおぼえている。病院食のメニューは産婦用なので、たっぷりの分量、それにプラスして瓶牛乳まで出た。給食なのでぜんぜん食べたくなかったし、産前は胃が圧迫されていて食べるどころではなかった。産後は量が足らなくて、退院までひもじい思いをした。他の産婦さんのベッドにはたくさんお見舞いの品が届けられたり持ち込まれたりしていて華やかだったが、わたしは一人で新生児と向き合っていた。全てが嫌だった。全てが憂鬱の種だった。うたた寝すら許されなかったし、母乳が出たからよかったものの、出なかったら出るまでマッサージ。最低限度のミルクしか出しませんと宣言されていた。あんな思いは二度としたくない、そして二度としなかった。
仕事の合間に仕事のメールを出した。今回の仕事には自信がある。なんせ時間をかけてやり直し続け��いたからだ。でも、誰かからそれを「いいね」と言われるわけでもなく、見つけてもらえさえもしない、そういう仕事。つまらなくはない、わたしは楽しいが、そういうのって独りよがりって言うんでしょう。続けたところで見てもらえもしないものを作ることは慣れているし、今はそれも仕事のうちなのだから、もう気にしないことにする。期待もしない、だってみんな他人だもの。他人事だもの。他人事だから、他人の感情なんて、どうにもできないのだから、干渉しようと試みないのが一番だ。
今日は納品が一つだったが量の多い日だった。連勤の最終日は一人で担当する業務もある。なるべく同じ仕事を分担している人の負担が軽くなるようにはしたい。出来る限り引き継いでもらう作業をゼロにしておきたい。それと、少し前からずっとやってみたくて、でもどう始めたらいいかわからなくて迷っていたことに着手した。仕事だけど求められていない仕事なので、時間外にやる。資料を少しずつ集めて書き出そうと思う。わくわくするし、がっかりもするだろう。これを二十年前に始められていたらどんなによかっただろうと思う。わたしには経験がない。知識も覚悟もない。でも今はその職に就いているのだから、一つくらいは作り上げたい。久しぶりに『ジェインのもうふ』(アーサー=ミラー/アル・パーカー絵 厨川圭子訳 偕成社)を借りた。これを中心に据えたい。
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ichinichi-okure · 10 months ago
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2024.01.13sat_tokyo
何回目かもわからないiPhoneのアラームを止めてベットからモゾモゾと出てきた9時15分 朝に弱いので、何もない休日なら3度寝、4度寝をかましたいところだが、今日はやることがたくさんある。
<メモ> 今日やること ・洗濯 ・買い出し ・イベント準備 ・メニュー表作成
紙にメモを書くのが好きだ。頭の中が整理されていく気がするし、書くと安心する。仕事上ではタスク管���ツールをつかっているので毎日リストを手書きしているわけではないが、休日に朝イチで紙にメモを書くと、なんだか良い日になる気がする。
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社会人になったときから愛用しているロディアのA4メモパッド 半年に1冊くらいのペースでつかっているので、かれこれ8代目になる
——— わたしは会社員をしながら、グッドイーターという名前で細々と食の活動をしていて、明日はイベント出店の日だ。今回のイベントのテーマは「冬野菜×やさしい韓国料理」
いつも韓国料理をつくっているわけではなくて、むしろ毎回題材は変えている。これまでやってきた料理も、おでん、トルコ料理、イギリス料理、ビストロ系料理など様々…. 料理を考えるという工程自体が好きなので、どうしても毎回新しいことをしたくなってしまう性分なのだ。代名詞のような料理を持っている料理人さんに憧れもあるが、わたしは同じものを作り続けることはきっと向いていない。
領域は自由な分、味の作り方には自分なりのルールのようなものがある。
・季節を感じる食材を使う ・素材の味を引き出す味付けにする(即席系の調味料は使わない) ・新しさを感じてもらう食べ方や組み合わせの提案
この3つが揃うと、グッドイーター的ごはんになる。
世の中には病みつきになるような味が溢れているので、素材の味だけで「美味しい」にたどり着くには少し工夫がいる。うまくやらないと、素材の味、は物足りない、と表裏一体だ。なので、目指す味にたどり着くために何回も試作をする必要がある。(最近は同棲を始めたパートナーにも助言をもらいながら)
今週はチヂミを15枚位食べた。 そろそろ韓国人になりそうだ。
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昼ご飯を兼ねた、春菊と下仁田ネギのチヂミの試作
——— 季節の素材を扱うと、自ずと下処理も多くなる。 今回の強敵は、”里芋”だ。
大学生の頃、料理の活動を始めたときに「料理は10人前を超えると修行だな」と思ったことがあるが、未だにイベント前は毎回思う。 目の前には泥まみれの里芋が2パック。こればかりは頑張るしかない。
ひたすらに皮を剥く作業は瞑想のようで、それはそれで良いのだが最近はよくポットキャストの「コテンラジオ」をお供にしている。
コテンラジオは、歴史上の重要人物や偉人達について、歴史が好きすぎる人たちが深堀って解説をしてくれるとても上質なコンテンツだ。もともと歴史から逃げて地理を選択していたくらいの大の歴史苦手人間だが、大人になると徐々にその面白さがわかってきたように思う。 コテンラジオを聴いていると、どんな偉人もその時代を生きたひとりの人間にすぎないんだな、と感じる。大器晩成どころか、亡くなってから偉業が認められる人もいるなかで、現世、ましてや人生の中の現段階での他人の評価や社会への影響なんてどうでも良い、という考え方に救われる気持ちになった。
——— そんな事を考えているうちに、里芋を剥き終わって仕込みが終わった。 次はメニュー表作りだ。
本業と食の活動を両方しているからという完全な言い訳なのだが、いつもメニュー表は前日にバタバタとつくり始めることになる。(ギリギリマンやめたい) Canvaのテンプレートではいつもいい感じのものを見つけられ��、毎回頭を悩ませ���自分で作ることになる。試作時に物撮りした写真を使って、なんとかメニュー表を作成した。
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デザインは勉強してみたい気持ちがあるが、いつもなんとなくで作ってしまう。デザイナーの弟になんと言われるのか毎度ビクビクしているので、そろそろちゃんと勉強した方が良いのかもしれない…
——— 実は明日のイベントには、取材が入ることになっている。 テーマは「令和らしい新しい働き方」 本業をしながら、食の活動をしていることを珍しがってもらい、お声がけいただいたものだ。メディア慣れしていないので、内心ドキドキだ。 準備おつかれさまのジントニックを作って飲みながら、明日話すことを考えたりなどした。
こうして、予定していたやりたいことをすべて無事にクリアすることが出来た。 やはりTODOリストにすべて斜線を引けると、ハナマルあげちゃう〜!という気持ちになって良い。
明日はほぼ1日立ちっぱなしなので、むくみを取るマッサージでもしてから寝よう。 それでは、おやすみなさい。
-プロフィール- 岡本彩花 29 東京 会社員 / グッドイーター グッドイーター:https://www.instagram.com/goooodeater/
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gggmomoe · 2 years ago
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ฅ( ̳• ·̫ • ̳ฅ) にゃて笑笑‪‎‪𐤔𐤔‬❤
可愛くて 思わず買ってしまったけれど、味も可愛くて🌼*・ 美味しかった( *ˊᵕˋ*) 〜ᐝ
夜勤生活をやっと抜け出しまして、日勤のみの勤務に無理くり変えたけれど、よかった、(*˘︶˘*).。.:
人間はやっぱり夜は眠るように出来ているし、夜はさびしんぼうになるから、家族や、大事な人のそばに出来るだけいた方が良いな〜て。 お互いにやっぱりあたたかい( ◜ᴗ◝ )
寄り添う仕事、看護師も寄り添う仕事、親も、子供に寄り添って、夫婦も寄り添って、寄り添う事をもっと知りたくなって、 学びたくなって、今、親子、パートナー 身近な大切なひとを、自分自身のことも 寄り添っていくことの学びをしていて。
マザーズティーチングといいます。 マザーズとついているけれど、様々な人との関わりを 大切にしながら寄り添うとはどんなことかな、みたいなー (笑)🌷.*
基礎講座が終わって、今月、もう少し深い学びをして 寄り添う事の専門家☺❤( *ˊᵕˋ*) 〜ᐝになる講座を学びます。 通信制などの大学にも、知りたいことがたくさんある学校があったり、、けれども、、
あれこれ悩んだけど、
マザーズは、私の実体験とリンクするところがたくさんあるから、親子、夫婦から と、身近な人との関わりから始まるから理解しやすくて、
後は費用が1番手の届く範囲だったから(笑)❤選んだ。
今は、よく学び、よく自分自身も振りかえって反省したり☺ 私のペースで 学びたいことを学んでいってるのが楽しくうれしい、♪🍀
来月は、マッサージの勉強も始めます✨🌼*・ ずっとやりたかった、、
まずは、 身近な人を癒して、そうして周りの人達を癒して、人がほっとする、元気になる様子をみながら、私がうれしくて 優しい気持ちになって、幸せになる、❤🍀 看護師のみの仕事から 年内に少しでもそちらの仕事にシフトしていきたいな。
どんな形になるか全く分からない💦
予定を先に先に入れて 一生懸命に足を進ませて笑笑‪‎‪𐤔𐤔‬( ◜ᴗ◝ ) そうして、
、子供食堂 🌷.* 月に一度でも出来るようになれたら。月に一度から 少しづつ増やしてさ、( ◜ᴗ◝ )🍀*゜
あと、看護師の友達を元気にできるような、なにか、、、♡♡
ンが〜〜 やりたい事 多すぎるなあ 💦💦💦
‼️、こんな時間だよ 💦 寝ないと、、
何? 何よ、、息子きました、、
俺さ、耳👂が動かせるんだよ、ほらっ‼️これは先祖返りて言ってさ、すげぇんだって‼️❤
、 眉を四苦八苦動かしては 👂を ピクピク。。。
息子よ 。。( ᐪ꒳ᐪ )‬
なんか、色々あるんだけど、
あたしゃ、 。。。なんでもいいや、
あんたが、怪我しない、
悪いことしない、
人を傷つけない、
そうして、楽しい❣️
て思うよな、
歳のとり方をして欲しい、
長生きして、ちゃ〜んと孫とおばあちゃんのいるおじいちゃんになってさ、、、 ❤🍀*゜
母の願いじゃ、 幸せになるんだよー キミ〜
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manaplog · 1 year ago
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Friday , November 24
小顔コルギと身体全体のリンパ流してもらいに、朝からマッサージ屋さんへ。おしゃべりが過ぎるところ以外は大好きと言える担当さんに施術してもらい、そのまま地元滞在。
もうすぐ一周忌を迎えるSさんの、好きだった焼き鳥屋さんの前を通過。
一緒によく行ったな。また行きたかったな。
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叔父と叔母にも会いにいき、数時間ほど近況報告。
相変わらずな人柄と笑い話にホッとしつつも、確実に歳を重ねて病気も患っていたりすることが小さな心配。居て当たり前の存在に甘えてます。
せっかくの池袋。西武でデパコスを見てたら、問題児からテレビ電話がきた。
オンライン入試を無事にセッティング出来て、入試の準備は万端とのこと。よかった。
昨日から、東京にいても学生からの連絡がちょこちょこ入っている、、沖縄の仕事ずっとやってるわあ。
一旦泊まってるホテルで顔面を整えて、いざ新宿へ!
今帰省の大きな目的だった、とろサーモン単独ライブ。笑いはもちろん生き様を目の当たりにできるからわたしは足を運ぶ。もうずっとこの先も大好きだ。
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久保田(さん)の絵、すごいな。
漫才、コント、幕間映像、音楽、ほぼ7割が男性の観客。すべてが【とろサーモンの笑い】で、わたしの好きな空間だった。来年もその先も笑いに行くよ。
笑いと興奮が冷めやらぬまま、すきぴのお店に行ってみることにした。プライベートで会うお楽しみとは別に、命削って仕事してるあの店に行くことがわたしは好きなんだと思う(ホス狂の戯言や…)。ラストオーダーは終わってる時間だけど閉店は間に合うかな〜状態で山手線へ駆け足。
「髪色変えた?」が第一声なの、安心する。
お腹空いたから何か作って!に対して、いつものようにメニューに無いものを出してもらう特権。
お料理を説明してくれてるとき。いくらとサーモンのなんとか、、を聞いた瞬間に、 わたしがとろサーモン単独ライブ帰りだから食材にしてくれたの?すごいね!♡ と感動して発した言葉は無視された。
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9月末、わたしが仕事で限界を迎えて一瞬だけ帰省したときに、顔だけは合わせてた。周りにひともいたし深い話はしなかったけど、あの時のつらさとか伝わっていて、感心したし嬉しかった。
向こうの仕事が、良い方向に向いていることが何よりもうれしい。
別れ際、左ななめ上を見上げるこの瞬間が好きだな。
と、浸ってサヨナラ!
23:50大塚で後輩と居酒屋。レトロ。
汚い部分もさらけ出せる甘えられる。弟的な存在ではあるけど、目線はいっしょ。
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ハイボールでべろべろ。
震えながらホテル帰宅。なんて寒いんだトーキョー。
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littlesallywalker · 1 year ago
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日記
暑いのほんと苦手。ネットのプールにいこかなと着ました。
君はやさしくてかえって頭ごつんしそう。すると笑おうね。
ただ空き地をめぐる。古いカメラの光の感じ。宇宙船きそう。
北駅は白黒紺の青春たちの毛穴のような可能性がみっちり。
錆びた扉の向こうに、死にかかってるbaby,oh no.
ちょっとだけだけどファミマのショーパン試着してみたい。
ただどこにも売っていないのと、けっきょく試着できないのと。
昨日そういえば店員のおねいさんにうかがってみたなら、
「そんなんあるんすか」と壁と話しているみたいになった。
XXLのシャツに守られたまに水着素材のショーパンでいる。
体毛ほとんどないのに髪の毛だけが剛毛で庭木のようです。
あしたは配達。もしゃもしゃありがとう昨夜よく眠れたよ。
ねむれている?トマト好き?
今夜はトマトとこれ作ることにしました。
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高校生というとマラソン大会を思い出します。
秋か冬か、さすがに夏ではないことで命びろいした思い。
「君のこともっと知りたい」の子が応援してくれました。
正方形のタオル貸してくれて、命からがらのぼくの胸はいっぱいに。
(それ以外めちゃめちゃいじめられていたんですけれども.........)
よく見ると歩道橋には天使がいるんですよ。確実に。時にお休み。
ぼくは自転車をおして上り下りできるタイプの歩道橋があると、
そこへのぼって、あちこちの灯や山影を見たり羽音を聞いたりする。
物憂い鉄柵の錆びた部分を擦りながら天使のタオルを胸元にしまう。
恥ずかしながら(恥ずかしくないよ)うまれて初めて作った歌は、
「angel in the night」っていう曲で高山君にゲラゲラ笑われた。
でも次の「狂っちゃった坊やboy boy boy」は挽回しました、
ゲラゲラ笑いすぎて高山君は「わかったよわかった...」と絶賛。
短い音楽あそびはそのあと大瀬さんというOLさんから、
どうやって連絡先を知ったのか、ある日それでスカウトされ、
彼女はペンタングルとかフェアポートコンベンションみたいな、
フォークロックとジャズとけっこうな無理難題を念頭にしつつ、
ボブ・ディランの「地下室」がすごい好きらしくって、
バンド名はベースメント(ベイスメント)といいました。
都心へせっせ通い借り物のスウェーデン製の水色ギター弾いて、
なんとそれで交通費お給料が出るという飼われっぷりでした。
代わりに意見しちゃだめ型だったけれど。しょうがない。
でもなんだかたのしかったです、これで終わろうって思って。
元気かな大瀬さん。ちなみに高山君とは「漫画」って名前で。
随分ましになったじゃあないですかと別の偽名の足を洗いました。
そう。人前で足を出すのは去年まで怖かったです。
競輪選手みたいだし毛ないし真っ白で青に等くて。
でも今は克服した。涼しい夜の漂い来るし。何の話?
今夜はもしゃもしゃの気持ちですか。ぼくは今日大丈夫���
特に問題なく足が二本くらいあるので枕にでもしてください。
ツナマヨ焼たべられそうですか...?小腹がすいたら食べてみて...。
妙に外は暑く感じて今日は肩から発熱しています。
マッサージ得意です、でもそれ言うとあぶない人みたいなので。
以前に重い腰のヘルニアしまして。根掘り葉掘りおそわったのです。
治癒の境界線が心のなかに起きることもわかってきた。
今日ぼくはすこしはしゃいでいた日を思い出すように、
またも静かに本を読んで安ギター弾いてすごそうかなっておもう。
背中によりかかっても平気ですよ。たよりないですか。
死ぬほど学生に間違われ、またひげのばしてみています。
君のこともっと知りたい、でもくるしい水の嵩は張れない。
割れた空の水瓶より。君がいてぼくはよかった。
はやくかえってきてください。
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帰り道のジャズ喫茶さんがつぶれてしまった。
レコード屋さんもかねていてオザケンのライフはLP100円とか、
何というかこだわるあまり好きでもないものはちゃめちゃに安く、
しいて水瓶に水をはらぬ黒羊のぼくらをわくわくさせてくれました。
サイドミラーの魚の君へ。be a dark horseです。
無関係に渡辺医院さんのホームページ写真の件は、
7月に延期です、のっ��きならねい訳あって。
通知いただいたら各お知らせいたします。
こまかいことたびたび恐れ入ります。
老後は辺鄙な場所で珍妙なレコード屋さんしたいです(突然)。
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platinum07 · 2 years ago
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春からほぼ在宅になり「今日何歩歩いたかな〜?100歩くらい?」みたいな運動不足に陥ってる……待ち望んだミュも始まるし体力つけないといけないし、これはチョコザップデビュー?🏋️‍♀️と思いつつまずはバキバキになった身体をほぐすべく近所の台湾式マッサージ予約した。
線路沿い雑居ビル3階。もうそれだけで雑居ビルスキーには堪らないんだけど施術中も電車が通り過ぎる音が絶え間なく聞こえてきて、あ〜!この雰囲気!最高だわ………とジャスミンの香りに包まれながらリラックスできた。スタッフさんいわく「頭も首も肩も背中も腰も全部石みたいね」だそう。通います。
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gloucester-road · 2 years ago
Photo
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万座温泉へ行ってきました。
万座は標高1800mぐらいの
高地にある温泉です。
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上野駅から温泉マークつきの
特急草津に乗り
長野原草津口駅まで行き
そこからは吾妻線に乗り換え
万座・鹿沢口駅まで行きます。
駅からはバスに乗り換え
万座温泉を目指します。
この特急草津は
来月でリニューアルされるので
乗り納めとなりそうです。
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バスを降りると
さっそく鼻をつく硫黄臭
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万座の「空吹」です。
私の大好きな
荒涼とした景色が広がってます。
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この風景を見て
すぐに万座が好きになってしまいました。
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まずはひとっ風呂
万座温泉「豊国館」
スキー場の目の前にある宿ですが
温泉が実にイイ!
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まさに源泉か���流し
湯が濃い、そして熱いっ。
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濃厚な硫黄泉を
雪見で堪能してきました。
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いい湯に入ると体が熱い
外に出ると
雪がチラついてましたが
そのまま歩いて万座の湯畑へ。
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草津のように作りこまれてはいませんが
ワイルドで良い感じ。
深い雪の中を
歩いて見にきた甲斐がありました。
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宿は沢山の温泉が楽しめる
万座温泉「日進館」
ここは極楽湯、長寿の湯、万天の湯と
3つの浴場があり
全て源泉かけ流し
特に長寿の湯には6つの湯船があり
1日かけて温泉を楽しめるという
素晴らしいお宿なのです。
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夜になると雪が強まり
ちょっと吹雪になってきました。
屋外にある
極楽湯は宿から少し歩くのですが
吹雪なのでかなり大変。
体の芯から冷えます
屋根がない完全な露天風呂なので
脱衣所から湯船までが激寒。
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万座ですから湯は熱め
屋外であっても湯気が凄くて
視界がほぼありません。
このまま入ったら死ぬと思ったので
寒いのを我慢して
何度もかけ湯をしてから
湯につかりました。
湯に入っても屋根がないので
容赦なく雪が顔に当たります。
体は火照ってきますが
顔は寒い
このままでは
本当に極楽へいくかもしれない
そう思わずにはいられない
ハードな温泉体験となりました。
.
しかし、いくら大変なめにあっても
良い温泉には入っておいた方がいい。
実はここ数日
しもやけになっていまして。
足の指に違和感があり
革靴も履き難かったのですが
温泉につかり指を
ゆっくりマッサージする事により
しもやけも良くなり
足もすっかり軽くなりました。
硫黄泉は体も温まるし
色々な良い効果があるのですが
難点なのは臭い
何度も温泉に入ると
体や服に硫黄の臭いがついてしまいます。
このまま電車に乗���て帰るのは
流石にマズイと思いまして。
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小野上温泉駅で途中下車
駅前の「ハタの湯」に入ります。
ここも源泉かけ流し
湯はまろやなかアルカリ性
旅の締め湯としては最高でした。
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さあ、旅から戻ったら
ブーツのケアです。
あれだけの雪道を歩いても
ブラシをしただけでこんな感じ
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トゥやサイド
コバに少しダメージはありますが
これぐらいならクリームを入れれば
綺麗に戻ります。
これが肉厚なオイルレザーの良い所。
コツは出かける前に
クリームを入れて
栄養補給をしっかりとしておく事。
そして、帰ってきたら
しっかりとケア
これだけで大丈夫。
もう何年も
雪道用で使っているブーツですが
まだまだ元気。
これからも過酷な場所へは
相棒として活躍してもらうつもりです。
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kennak · 2 years ago
Quote
姉から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分の意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟だからなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院に入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、���々と処置をしてもらったらしい。医者からは一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さ���ながら知った。翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子。溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法(プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療を検討しようということに。母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤の副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。実家に家族と帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。「癌の専門医の先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医の先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。その道の専門医の先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。それでも、「やっぱり経験値が高い専門医の先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果の期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。「あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医の先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤の副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してからも状態は改善しなかった。母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャのタイミングだった。死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー。東京で結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態に言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護の段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。急遽、仕事を休み、実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おき��らいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。最後に看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取りや役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係の手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分の祖父。自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。納棺のときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子どもの写真を納めた。短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから、棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで。葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族と帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。翌日も葬儀、火葬とバタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通の見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。そういえば、ウィッグは友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。ウィッグの販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。母さん、ありがとう。母さんの子どもで良かったよ。【追記】たくさんの方に、暖かな言葉をいただき、恐縮しております。ありがとうございました。私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転でドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています。経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います。特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族の介護+訪問看護の体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家の比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかったこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード、年金手帳、マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係はほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います。長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。
母さんがガンで死んだ(追記)
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gyohkou · 2 years ago
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11/12/22
フラットにもだいぶ慣れてきた。家に備わっているもの、キッチン、お風呂、トイレ、ソファとテレビ、洗濯機、掃除用具などを一通り使い終えると、使い方と責任範囲がわからない不安感は払拭された。もう、わたしのものでもあるんだ。キッチンダイニングとは別に、ソファと壁掛けテレビがあるリビングルームがあって、そこへ夕飯を持ち込み、Netflixでフレンズを観たりしている。(よくわからないんだけど、以前の住人の契約がそのままになっているだかで、Netflix見放題なのだ。)リビングルームとフラットメイト1の部屋は隣接しており、その部屋の裏側の壁にテレビがかかっている形なので、「うるさくても眠れるタイプだから、いつでも観ていいよ」と言われてはいるものの、音量はちっちゃくしている。ソファで伸び切ったりできるほど慣れてはいないので、30分で終わる1話分だけ観終えると、そそくさと立ち上がって、洗い物をして自室へ引き上げる。イギリス式のキッチンは広くて気に入っている。コンロは4口、トントンスペース(三軒茶屋の不動産屋の受け売りワード)はまな板10枚分くらいあるし、レンジ、2段のオーブン、ポップアップトースターもある。ケトルはライムスケール(硬水の石灰成分が固まった白い汚れ)がひどくて、クリーナーを使ってみたけど、注ぎ口だけ綺麗にできなかったので使うのは控えている。自室も、狭いけど気に入っている。多分4畳くらいだけど、ちょうどよい大きさの机と、バルコニーへ通づる大きい窓、から差し込む光が特に良い。以前勤めていた会社の同期が3畳+キッチンの賃貸に住んでいると知って、むっちゃ馬鹿にして大笑いしたことがあったけど、狭いのもけっこういいね。
学校へ向かう朝、アパートの外階段が濡れていて滑ったので用心しながら降り、バス停へ向かった。バスに乗ったらバスの床も濡れていて、走り出した時に歩いていたので、滑って思い切り転んでしまった。わたしは笑っていたけど、落とした財布とオイスターカードを広い、手を差し伸べてくれた女性は真剣に心配してくれ、運転手に向かって、なぜバスの床が濡れているのかと怒鳴りつけていた。運転手は怒ったような口調で何かを返し、わたしは I'm fine. と言いながらへらへらしていた。わたしだけが笑っていた。別におもしろくはなくて、痛くて恥ずかしくて、こういう時に怒るんだと思った。転んだことは恥ずかしかったけど、怒ることはもっと恥ずかしいことだと思った。濡れた床のバスで転んだくらいでは怒らなくてもいいけど、なんというか、怒ることも、自分に正直でいるためには大事なんじゃないかと思った。
また別日、バスを待つ間、Airpodsを耳にはめるとなぜか米津玄師のYANKEEが流れたので、そのまま聴いたら高揚して楽しかった。体が動いてしまうようなJ-popが好きだったことを思い出した。身体が楽しいことが楽しい。英語を喋る楽しさって、MAD HEAD LOVEみたいなリズムが詰め込まれた音楽でノってしまうような感じに似ているような気が(その時は)した。
精神的な苦痛を身体的なアプローチから癒すことについて。フラットへ越してきてからしばらく抑うつな気分が続いていた。落ち込みやすいのは昔からだけど、単純に身体的な刺激が足りていないだけなんじゃないかと思った。抑うつ状態であらゆる物事をネガティブに捉えてしまうのは脳のバグだとわたしは思っているのだけど、脳、というか感じ方、というか気分は、自分でも驚くほど突然、反対方向に切り替わる。死にそうになっていた5分後にはものすごい安寧に包まれていたりする。騙されやすい(?)脳にスイッチングが起こる時はいつも、身体的な刺激が伴っている気がしている。(寝転んで悩み続けている最中に晴れやかになったりはしない。)身体へはたらきかければすぐ元気になるみたいな話では全くないのだが、身体が楽しいことをなるべくたくさん散りばめることであまり悩みすぎないようにし、落ち込みの大波には飲まれないようにすることができるんじゃないかと思った。
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仕事何する?で悩み続けており、これは歌ったり踊ったり走ったりして解決されるタイプの悩みではないので、悩まないといけない。人の生活やキャリアを見て流されまくっている。いろんなものが、それぞれ良く見える。何をしている時が幸せを感じるのか、自分でちゃんとわかっておくことがこんなに大事なことだとは知らなかった。わたしは儲けるためのビジネスに全く興味が持てないのに、フラットメイト2が毎日忙しそうに働きながらビジネスの勉強のために大学へ通ってもいて、有望そうだなと妬んだりするのがめっちゃいやだ。人を羨むことは無意味だと知ってはいるけど、やめることはまだできない。でも羨望の感情って何かを始めるきっかけであることが多いから、素直に羨んで、自分もやってみて確かめるのが大切なのかもな。何をしている時に幸せかは、実際に確かめたり、時には何度も繰り返し確かめたりしないと、わからない。わかる、というより、わかりつづける、みたいな感じなのかもしれない。自分の幸せを絶対的に感じ続けることの何と難しいことよ。
なんとなく、場所を選ばず、複数種を掛け持つのが理想的な感じがしている。3つくらいをジャグリングしたり、時にはしなかったり、したい。2年間で掲げるにはあまりに大きく曖昧な理想像だから、2年後に何か一つでも手に入ったらいいよね。
いくつか求人にも応募している。時給£30(!)のマッサージ屋の求人を見つけて、未経験でもトレーニングあるよ、英語ちゃんと喋れなくてもいいよ、みたいな感じだったからapplyしてみた。二日後にメールが返ってきて、電話でヒアリングしたいというので応えたら、完全未経験者へのトレーニングはない、マッサージはそんなに難しくないし、誰かに教わってからまた連絡ちょうだい、とのことだった。どうやら英語力よりも経験のほうがよっぽど重要視されるらしい。あと、電話は意外といけるから怖がらなくていいこともわかった。
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突然、村上春樹を読みたい時の感情になって、学校帰りにFoylesという丸善みたいなでか本屋へ行って、ノルウェイの森の英訳版を買った。おもしろく読めている。ただ、日本語特有の言い回しや表現で構成された元の文章が、愚直に平坦に説明されているような感覚を覚え、少し味気ない。何度も読んでいるノルウェイの森を選んだからこそ、細かい言い回しや話の展開と照らし合わせて読むことができ、村上春樹感を味わえているが、未読のスプートニクの恋人を選んでいたらどうだったろう。海外文学を日本語で読む時のつっかかりや違和感は、異なる言語へ翻訳する過程で何かがこぼれ落ちるために生じているのだとわかった。
人と集まって食事を共にするやつをやりたい。食の傾向っていうのは、どんな料理が好きかの他に、どんな風にお酒を飲むのが好きか、そして忘れられがちなのが、どれくらいの量を食べるか、の3点に依存すると思う。わたしは結構食べる方っぽくて、アラカルトスタイルで人と食事をすると、もうおしまいなの?てなることが度々ある。定食屋とかで、女性のお客さんご飯の量減らしますか?とか聞かれるのもちょっとかなしい。たくさん品数作ったお料理を並べて、きりっと冷えた白ワインもたっぷり用意して、いい音楽かけたり話聞いたりしながら食べたり飲んだりしたいよう。来週末からスペインへ旅行するから、おいしいものいっぱい食べる。
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おぎのやの釜めしの空き釜を使って、Tescoの激安long grain rice(細くてパラっとしたお米)を炊いてみた。釜で炊くのは意外と簡単。洗い物をしていると、器の裏側に彫られた「益子焼」の文字、おぎのやの釜めしの釜は益子焼の土釜だった。急に愛着が沸いた。次は日本米を炊いてみたい。
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moko1590m · 11 days ago
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睡眠以外に体が求める「7つの休養」 2024.11.01 14:35lifehacker author ライフハッカー[日本版]編集部 Lifehacker 2024年10月12日掲載の記事より転載 えっ、睡眠以外にも休養はあるの? それこそが、Ideas.TEDで「The 7 types of rest that every person needs(誰にでも必要な7タイプの休養)」という記事タイトルを目にした時、私が思ったことでした。 \バリエーションいろいろ/ PR ギズおすすめケーブル3選 CIO スパイラルシリコンケーブル CIO スパイラルシリコンケーブル ¥2,180 Anker USB-C&USB-C L字 Anker USB-C&USB-C L字 ¥1,490 UGREEN USB Type C 2in1 UGREEN USB Type C 2in1 ¥2,699 休養=休み+養うこと 普段から睡眠は意識して十分とるようにしていますが、記事を書いたダルトン=スミス医師によると、睡眠だけが休養ではないそうです。 まず、休養とは何かをおさらいしましょう。厚生労働省による「休養」の定義は次のようになります。 「休養」は疲労やストレスと関連があり、2つの側面がある。1つは「休む」こと、つまり仕事や活動によって生じた心身の疲労を回復し、元の活力ある状態にもどすという側面であり、2つ目は「養う」こと、つまり明日に向かっての鋭気を養い、身体的、精神的、社会的な健康能力を高めるという側面である。 厚生労働省「休養・こころの健康」より引用 休養の「休む」の部分ばかり考えていましたが、そういえば「養う」要素もあるんですね。 では、ダルトン=スミス医師が述べる7つの休養には、どんなものがあるのでしょうか。 1. 身体的な休養 この筆頭は、言うまでもなく睡眠です。 Advertisement ダルトン=スミス医師は、身体的な休養には、受動的なものと能動的なものがあると言います。受動的な休養は、睡眠や昼寝。ヨガやストレッチ、マッサージが能動的なものとして挙げられています。 なるほど、ヨガを休養だと思ったことはありませんでしたが、疲労の回復や心身のリフレッシュするのに役立つなら、一種の休養になるんですね。 人によっては、散歩や瞑想もこのカテゴリーに入るかもしれません。 2. メンタル面の休養 ダルトン=スミス医師の提案には、仕事中に定期的に休むことが挙げられています。 決まった時間間隔ではありませんが、わたしも仕事が行き詰った時にはデスクから離れて、少し読書をしたり間食したりして気持ちをリセットします。 休養というよりは気晴らしだと思っていましたが、自分のメンタル面のプラスになっているならOKでしょう。 また、同医師は、心配事などで夜眠れない時には、枕元にメモ帳を置いて心配事を書き出してから寝ることもすすめています。 不安を書き出す行為が、それを心から外に出すことにつながるのでしょうか。夜に限らず、雑念や不安が堂々巡りする時には効果がありそうです。 この記事を読んで、自分のコロナ以降の生活においてメンタル面の休養になっていることが2つあるのに気づきました。 1つ目は、我が家の習慣となった、ほぼ毎晩のテレビシリーズ鑑賞です。 現在鑑賞中なのは「スタートレック」シリーズで、時空を超えた別世界へ。日常の悩みや心配事を忘れさせてくれます。シリーズ全般でエピソード数が多く、かなり先まで楽しめるのもポイントが高いです。 もう1つは、パンデミックで変わった寝る前の読書習慣です。 えっ!? Zoomってオンライン会議だけのツールじゃなかったの…!? えっ!? Zoomってオンライン会議だけのツールじゃなかったの…!? Sponsored by ZVC JAPAN これまでは自己啓発やスキルアップなどの本が多く、アメリカ在住なので大部分が英語本でした。しかし、パンデミックの際、ふと手に取った児童書に再度(何十年をも経て)ハマったのです。 Advertisement それは、小学校の時に愛読した、岩波書店の井伏鱒二訳『ドリトル先生』シリーズ(子ども用にと持っていました)。情報入手やスキルアップなどの目的のない読書は久しぶり。 1日の最後なので、脳のCPUが酷使される内容や英語の本ではなく、児童書で日本語、しかも自分が大好きだったシリーズ。 読書そのものがとても楽しく、心のリフレッシュになっているので、自分にとってはこれも一種の休養なのでした。 3. 感覚面の休養 仕事の会議やイベント、友だちとのチャットもアプリに頼っている現状では、デバイス使用による疲労感はなかなか解消できません。 デジタルデトックスまではいかなくても、デバイスの使用時間を減らす、Zoomの後はかならず休憩を入れるなど、何らかのルールを決めて実行する重要性は高まっています。 ダルトン=スミス医師は、ときどき1分間目を閉じる、1日の最後にデバイスをオフにするなどを提案しています。 休養とは言えないかもしれませんが、デバイスの通知をオフにして、自分のペースでメールやアプリをチェックするのも感覚面での刺激を少なくすることには役立つでしょう。 ちなみに、前述の読書は、寝る前なのでデバイスではなく紙で読んでいます。 視覚以外にも、聴覚も刺激を受けています。音を遮断、または軽減する場所やツールを取り入れることも役立ちそうです。 Advertisement 4. 感情面の休養 最近は暗いニュースが蔓延しているので、つい「ドゥーム・スクローリング」にはまっているのに気づくことはありませんか。 ドゥーム・スクローリングとは、気が滅入るニュースを続けざまにサーフしたり、スクロールしたりしてしまう傾向です。それに気づいたらデバイスを手放す勇気が、感情面の休養につながります。 ドゥーム・スクローリングに対抗する手���としては、「ジョイ・スクローリング」があります。 こちらは、その名のとおり、楽しく、気持ちがアップするものを見る行為です(ただしデバイスの使いすぎは感覚面での刺激になってしまうので、バランスが必要です)。 5. 社会的な休養 また、ダルトン=スミス医師は、なんでも抱え込んでしまいがちな人には、対人関係から距離を置くこの休養が重要だと述べています。 そのような人には、感情面での休養が必要です。つまり、自分の感情を安心して表現でき、他人の言いなりになることを減らす時間と空間を持つことです。 感情面の休養のためには勇気と自分らしさを持たなければなりません。 この休養が取れている人は、元気かと尋ねられても単に「元気」と返すのではなく、自分の感じていることをシェアできるでしょう。もし、この休養が必要なら、おそらく社会的な休養が足りていないのです。 人間関係には、元気になれるものと疲労させられるものがあります。その区別がつけられない時に休養不足になります。 社会的な休養を取るには、ポジティブで自分を支えてくれる人たちと接するべきです。バーチャルであったとしても、カメラの向こうの人とポジティブなやりとりは可能です。 ideas.tedより引用翻訳 Advertisement 6. 創造面の休養 ジェフ・ベゾスは、朝の10時前には会議などを入れずに、子どもたちとゆっくり過ごしているそうです。 そして、そのような何もしない時間こそがもっとも価値があると述べています。 この記事によると、何もしない時間をつくることで、仕事と私生活の境界線ができ、生活に余白が生まれ、より良い意思決定ができるメリットがあるのだとか。 このような時間は、感情や創造面での休養にもなります。 インプットが多すぎて頭がパンクしそうになった経験はありませんか。そんな時は、インプットを減らすと、その分インスピレーションや創造力が流れこんでくるかもしれません。 あなたはきっと「本当のPDF」を知らない あなたはきっと「本当のPDF」を知らない Sponsored by アドビ株式会社 ダルトン=スミス医師のおすすめは、自然を楽しんだりアート活動に従事すること。 やらなければならないからやるのではなく、自分にとってリフレッシュと活力の源になるなら、絵画、手芸、日曜大工など、いろいろできることはありそうです。 Advertisement 7. スピリチュアル面の休養 最後は、スピリチュアルな面での休養。 ダルトン=スミス医師は、瞑想や祈りやコミュニティに関与することなどを挙げています。 たとえば、お正月の初詣なども、スピリチュアル面での休養になるかもしれませんね。 寺社、公園、庭園、山や海など、自分にとってエネルギーが得られるスポットに身を置くこともスピリチュアルな休養になります。 在宅勤務で休養を取り入れる方法を考えてみた コロナ禍を期に在宅勤務へとワークスタイルをシフトした人も多いかと思います。 会社で仕事をしていた時には、仕事とプライベートの場所は物質的に区分されていたものです。ところが、在宅勤務で公私混在する状況では、意識しないと休養するのはかなり難しくなっています。 公私の区別がなくなり、せわしなくなったと感じているのはわたしだけではないはず。 そこで、在宅勤務でも休養を取り入れる方法を考えてみました。 まず、十分な睡眠は必須。身体面だけではなく、メンタルや感情、感覚面での休養でもあります。睡眠だけではなく、本人にとって多くの面で休養が取れるものなら、その休養を優先するのが良いでしょう。 Advertisement 仕事のスケジュールが決まっている人には、その間に休憩になるだけではなく、休養になる時間やアクティビティを組み込むのは手近な方法です。 休養のために仕事場から離れられるなら、仕事と休養のけじめをつける一助にもなります。 休養時間は、30分や1時間などまとまった時間ではなくても良いと思います。ちょこちょこ時間を取って頻繁にリフレッシュできるなら、メリットがあるでしょう。 幼いお子さんがいる人には、週日(&終日)には仕事も家事も育児も同時進行になって、ストレス増が続きます。 時間が取れそうな週末に、子どもの世話を夫(妻)にまかせて自分の休養時間を設けるのは、贅沢でもわがままでもなく、心身面の健康には不可欠なことです。 また、自分の趣味が休養になるなら、もっと趣味の時間を増やしてみてはどうでしょう。 わたしはお裁縫が好きなのですが、パンデミックの当初にパンデミック用バッグやマスクを作って以来やっていないのに気づきました。これは自分にとっては「養う」要素があります。 睡眠のように誰にとっても休養になることもあれば、メンタルや創造面での休養はひとりひとりにとって異なります。 メイド・イン・東京のプロダクトが世界で注目されるワケ メイド・イン・東京のプロダクトが世界で注目されるワケ Sponsored by HP Japan Inc. これまで「どんなことが休養になっていたのか」を振り返りつつ、自分そして家族の休養をもっと意識して取り入れていきたいです。 Image: Shutterstock
睡眠以外に体が求める「7つの休養」 | ギズモード・ジャパン
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pr-letoilebeaute · 2 months ago
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getrend · 2 months ago
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宇内梨沙アナ 足つぼマッサージでまさかの「開脚パンモロ」してしまうハプニング!!!【GIF動画あり】
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luzibeauty · 2 months ago
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老け見えするくすみをどうにかしたい!
〜 5つの原因別に対策を紹介 〜
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顔がくすんでいると肌にハリがなくどことなく暗く実年齢以上に老けて見えたり不健康な印象を与えたりするもの😱
どうにかしたい!と思いながら、対策に悩む方も多いのではないでしょうか。そこで、今回はくすみの種類や原因と具体的な対策について解説します。
【くすみの種類と原因を知ろう】
あなたの”くすみ”はどのタイプ?
①「糖化タイプ」
肌組織内で糖化が発生したことで起こるくすみ。「糖化」とは、身体のなかで消費されずに余った糖分がたんぱく質と結びつくことでAGEsと呼ばれる物質に変わる現象です。老廃物が肌の細胞に留まることでくすみが生まれてしまいます。茶色がかかった黄色っぽいくすみであれば、糖化タイプの可能性が高いでしょう。
▶️【対策】食事の際は野菜から口にするなど血糖値の上昇を抑える工夫をしましょう。糖化ケアに注目した美容液を毎日のスキンケアに取り入れるのもオススメ!
②「乾燥タイプ」
肌が乾燥したことで起こるくすみ。乾燥によってツヤが失われ、毛穴が目立つでこぼこ肌になります。表面がでこぼこした肌は、光を反射せずに影ができてしまうので灰色っぽくくすんで見えるのです。顔の肌が乾燥してカサカサしている場合は乾燥タイプの可能性があります。
▶️【対策】保湿効果の高い基礎化粧品を使って、肌に潤いを与え���ことが大切です。セラミドやヒアルロン酸、コラーゲンなどの潤い成分が配合されたものが適しています。
③「メラニンタイプ」
メラニン色素の滞留が原因のくすみ。紫外線を浴びたり肌がこすれたりした結果、ターンオーバーが正常に行われずメラニンが排出されずにとどまることがあるのです。色むらがあり、茶黒っぽくくすんでいるときは、メラニンタイプの可能性が高いでしょう。
▶️【対策】紫外線対策を丁寧にすることが大切です。美白効果のある基礎化粧品を使ってケアするのも有効です。
④「血行不良タイプ」
疲労や運動不足、冷えなどが原因で血の流れが悪くなると、栄養が届かず、老廃物も溜まってしまいます。その結果、肌からツヤがなくなり、くすんで見えるようになります。不健康な印象を与えるどんよりした色味の場合は、血行不良タイプの可能性があります。
▶️【対策】適度に運動したりゆったりと入浴したりして血行を良くすることが大切です。クリームをつけるとき、指で優しくマッサージするのも良いでしょう。
⑤「角質肥厚タイプ」
加齢や睡眠不足、疲労などが原因でターンオーバーのリズムが乱れ、本来なら自然にはがれ落ちる角質が残って厚くなることで起こるくすみ。角質層が厚みを増したことで透明感が失われてくすんで見えます。肌に触れるとごわついている人はこのタイプの可能性が高いでしょう。
▶️【対策】ターンオーバーのリズムを整えることが大切です。睡眠を十分とるなど生活リズムを整え、丁寧な保湿ケアをするようにしましょう。
地道に続けることが何より大切です。日々の対策を心がけて明るくクリアな肌を取り戻しましょう🌟
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