#親がアホだと子供は恐怖体験すらできない
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なまはげ「ぶっ殺すぞ!」
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ニズ〜ヘルガレ=リュゴラ238-ニズ
※まとめてる時間が全くない(思ったより攻略に時間かかるしアホみたいに言いたいことでてくるしいちいちクソデカ供給に立ち止まってしまうため)ので、まじのメモ壁打ちで基本時系列進行、わりと重複する感想が出てきてもお許しください。サビです。
ニズ
ナザミル「別に傷つかない」 慣れてしまっているだけなのではと、ナザミルにかけるシオンの言葉は、かつての自分と重ねているようというか、シオン自身が経験してきたことゆえなのだろうので切実な実感がこもる
ナザミルに対するレナ人のあたりのきつさは確かに酷いものなのだけど、レナにはレナの矜持があるのも、ナザミルに対する対応からわかってくる。難しい…。 だいたいシオンやリンウェルも全く人のこと言えない状態からのスタートだったので本当に。
レネギスの人たちが故郷を突然奪われて二度と帰れないのもまた事実。あるべき姿だとしても今の時代に生まれてレネギスで育ってきたレナ人からすりゃ、まったくもって今の状態は異常なわけで。 けっきょく破壊者であるアルフェンに矛先が向くのはこっちの人たちからすりゃしゃーなしでもあり、根本的な世界のことなんて普通どうでもいいよな、そりゃあそう。
バエフォンさんの名前を聞くだけで安心する 顔みて更に安心する。推しか? 本当にいい人よ………会うだけでこんなにも安心感…… 私はどうしてこの男がこんなに善人なのか、むしろバエフォンのバックボーンが知りたい。バエフォンの過去が知りたい(推しか?)
合一の薔薇(バベンサ・ロアメンデク)…… Tシャツですら持ってる概念の正式名称が2年越しに発覚。
アダン湖
「私たちの剣」 異名として炎の剣と呼ばれるのを嫌っている反面、アルフェン、当時以上に炎の剣を大切にしているようでそこは安心する。 少なくとも、王の力を恐れていた部分は今はなさそうだし、シオンとの絆そのものの象徴にもなっているようで、それは本当によかったというか…私たちの剣ねえ…… 小説で、二人で再生させたというのは先に語られていたけど、その時も思ったけど、まるでふたりの我が子のようになっていてなんか……王の力で再生させたって言ってたけど、今どういうメカニズムでシオンと二人で作ってるのかよくわからないけど、炎の剣はシオンがいないと振るえない、アルフェンでなければ振るえない ふたり揃ってはじめて使えるものであることは間違いなくて 本当は、ダナレナの共存の象徴であっていいはずだしアルフェンはそういうふうに感じているんじゃないだろうか それが、ダナとレナがお互いにアルフェンのことだけを指し示した上で、いがみあってるんだからやるせない。
要所要所でごはんスキット やっぱり食べることを大事にする姿勢はかわらないアライズ、すき シオンめちゃくちゃアルフェンに香辛料入れすぎをさせないようにする。 この1年でいろいろあったんでしょうね……ずっと一緒に旅ぐらししていたわけですから…… そう、アルシオふたり旅、ずっと毎日お互いご飯つくって食べてたってこと?ふたりで??
空腹のナザミルを連れ回し、アダンペッパーを探すのに小一時間アダン湖を歩き回る。 いや……本当に詰んだかと思った……なぜかアダンペッパーのある道の分岐に気づかず、キャンプの近くにあるものだと思い込み、もう普通のペッパーでいいじゃん!駄目なの…!?ナザミルかわいそうだよ…!!!と、半泣きになっていたけどまあこういう体験もゲームならではで喜びが……ある(あんまない)
みんなで食べるのがおいしいっていう事実も、皆嬉しそうに語るけど、かつてからそれを知る人がこの中にどれだけいただろうか…… それぞれにひとりぼっちだったこの6人が、笑いながら、一緒に食べるのがおいしいんだってことを、嬉しそうに語ってくれるだけでもう幸せすぎるのよ……
やっぱりアライズの根幹、世界や人がどうであろうが、一緒にごはん食べると幸せ。なのである。そしてアルシオは1年間一緒にごはんを食べていました。これからもきっとそう。ありがとう。
300年前のダナの文化……大切な人へ贈るお守り…… たびたび300年前のダナの〜が出てきてそのたびにぐっ……ってなってる……2年間ずっとそういう話を聞きたかったので…… そして存外過去の文化の再生とかに、本当に興味なさげなアルフェンに私は興味が尽きない。 あまり知ってる風な雰囲気も見せないしリンウェルのほうが詳しい。 失うなんて思ってもみないものに対する関心ってそんなものなんだろうか。 少なくとも今は、アルフェンは今を普通に生きてる人として、時代とまっすぐ向き合っているのかな。
それにしても世界の課題、多いな とうてい6人で背負い切れるものではなかろうて……
廃墟の外廟 ヘルガレ=リュゴラ238
アルシオちゃんいちゃついておる……! 1年で変化もあれどシオンやっぱり素直になれてないところもあるのね、特にアルフェンに対して顕著に……かわいいね フェンはドストレートに超イケボでシオンに感謝を伝える、相変わらずすぎて好き。 こんな旦那最高だしもう二人で結婚してくれ(する)
ナザミルは六属性なのかっこいいな 新たな時代の象徴……いずれ生まれるであろうアルシオちゃんのお子にも思い馳せちゃった。 しかしナザミルの境遇が聞けば聞くほど酷すぎる。 それでいてナザミルかわいすぎる。幸せになってほしい……頼む……こんな子が幸せになれないのはダメだ……よくない……
「あなたにとっての”昔”が 私たちとの”今”だと聞けて嬉しいわ」 んっ………んんん…………………(しばらくコントローラー投げて固まる) …アルフェンが、自然と過去と今を地続きに感じているからこそ出る発言なのだろうし、それを、うわ……ってなった瞬間にシオンがそのまま言語化してきたことに私は…… これは本当にどうなのだろうと2年間考え続けてきたこと��っただけに今ちょっとまとめられる気がしない。ただ、シオンがアルフェンの過去の捉え方について何か思うところがあったのは確かなんだな…… アルフェン自身がどういう心の整理をつけてそう感じているのかは知らないけど、少なくとも、シオンと出会って、みんなと旅して、またシオンと旅をしている”今”の比重が彼の人生にとって大きくて大切なもの……なのかもしれないと思って。 アルフェン……やっぱりそうだから、アルフェンが好きなんだよな……ってなった。 そして私はショートチャットひとつで簡単に焼き払われる恐怖を知った。
戦闘中のチャットの変化もいいんだけど喋られすぎて全部聞けない。 戦いながら会話がふたつぐらい同時進行してたりするんだけど器用だな。歴戦の猛者の風格。 アルフェン、当時の自分の力を恐れていた感じは全くなくななり、周囲に恐れられているのとは裏腹に、炎の剣を正しく使いたいという意思、良いな〜と思った。 <炎の剣>の認識が、周囲とアルフェンでまるで違うんだけど、アルフェンはやっぱり炎の剣の存在そのものを自分の力として信頼しているところがかっこいいのよね。 本来なら勝手に与えられて、もう使わなくなっていてもおかしくない王の力を、世界のために当たり前に使うアルフェンという男、めちゃめちゃかっこいいのよ……。 後にナザミルに王の力のことを話していたときも思ったけど、根底にある怒りみたいなものは消えないけど、それ以上にシオンと自分の力を受け入れてる気がして、強いんだよなあ……。
あとアルフェンピンチの時のリンウェルとのチャット ふたりで旅をするようになってますますシオンの治癒術に頼りきってるこの…この…… ふたりならシオンは常にアルフェンのことだけ意識して見てるものね……あくまで自分がつっこんでシオンが治癒してくれるという関係に1年以上絶対的な信頼を置いているこの男……好き
ナザミル、親に直接調整に差し出されたって…こと…!? えぇ……かわいそうすぎるなんだこれ…… 幸せになってくれ……ナザミル……こんな…… ナザミルの境遇はアルフェンにもシオンにも重なるところがあり、ふたりにとってとてもほっとける感じではないな……
王巫女衣装まとめて一緒に預けられてるドク、ご実家すぎる。
ニズ
アルフェン、ナザミルの調整を自分の責任と……???? それはいくらなんでも背負いすぎなのでは………!? それもたぶん今まで全くそれを、シオンとかにも話してない風でおまえ、そこ、そういうとこだよとなって苦しい…待って。 アルフェン、自分が王として使命を果たせなかったことに責任いまだに変な形で感じてるの……? 300年前のレネギスでのこと、まだ抱えているのかもしれないけどそれにしたって、ナザミルが王にされかけたことを自分のせいで……と繋げてしまうのは、シオンもテュオハリムも強く否定していたけど、いくらなんでもそこはアルフェンの認知がおかしい。���。 むしろ過去や故郷のことよりそっちのことがアルフェンの中でうまく処理されてなすぎて驚いた。 そりゃあシオンも心配する……。 平気な顔してていきなりこんなことを言い出すから、アルフェンって何が受け入れられてて何がまだひっかかってるのか、見てる側からするとやっぱりわからなくてそういうとこが……更に深��る深まる。 ビヨドン、アルフェンの抜けてた余白と背景が少しずつ埋まり解像度が上がると同時に、何考えてるのかわからない具合も更に複雑になってきているような。 …ちゃんと隣にいる彼女に話しなさいよ。
配信であったスキット、あれ全部じゃなかったんか 「シオンはいつもきれ……きちんとしている!」 なんか……シオンが自分の意思でフェンに寄り添ってるのはもうここまででよーく思い知らされたけど、それにしてもこの二人の進展してなさは何だ……? アルフェンは散々恥ずかしいこと言うくせにストレートなことは言えずにいるのね、というか、付き合って…ない……? 隣にいるのが当たり前すぎて、逆にこの状況と関係に甘えすぎて、そういうこと二人とも進めてないのか……?! それどころじゃなかったのはだんだんわかってきたけどそれにしたって……アルフェンってそんな…?
かわいすぎるんだけど……
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ネバラン反省
・基本的にはコンテの内容を大きく逸脱することはせず。尺の中で流れを殺さないと思う範囲でアイデアを盛って演出に可否を任せた。いつものやり方。 ・病み上がりなのであまり無理はしないつもりだった。つもりだった。 ・数を多めに取ったのでシーン・カットの重要性に応じての力の振り分けみたいなものを強めに意識した。特にシーン自体の重要性が低い7話や時間が無い11話などでは顕著。 OP 走るえエマ ・背動がしんどい。1枚ごとに中割を1枚ずつ入れているのが動画さんにもかなり負担だったと思うので感謝しかない。 ・途中で木を避ける動作はもう少しスムーズに描いていたけれど直された。引っかかりがある方が面白いのかもしれない。 ・素の状態のセル素材だけだと前後のカットに比べてかなりディテール的にきつかったので撮処理で色々盛ってもらえてかなり助かった。 1話 荷台の中のコニー~丘の上で泣く +ラストのイザベラ等 ・演出さんの熱量がとても高く、こちらのアイデアなども精査して映像をよくする方向に持って行ってくださって感動した ・自分が想像していたより完成映像がよく見えたのは初めての体験だった。 ・ぬいぐるみを落とすカットが一番まともな出来だったと思う。ラフの時ぬいぐるみの服を着せ忘れてたけど。 ・作品を通してエマ達の行動理由に鬼に対する恐怖があるので鬼を見せる数カットとエマとノーマンの表情リアクションは何よりも大事だった。止めで目や口を震わせるよくある集団作用向けに最適化された作画だけでは絶対に足りなかった。 最初はもう少し派手にわかりやすく動かそうと思ったけれど恐怖で硬直して必死に声をおさえる小学校高学年相当の子どもがそんなにアニメ的にパカパカ動くとも思えず今の感じにした。眉をひそめるのに合わせて鼻が吊り上がるとかは一��やってみたかった。 そこを普通に直されたらここだけは修正を無視しようと決めていたけれどほぼそのまま戻ってきてよかった ・鬼のアップは1コマか2コマでぬるりと動かして気持ち悪く見せたかった。枚数を気にして基本的に2コマにしたけれど1コマのほうがよかったかもしれない。口から涎と吐息を吐かせたがもう少し過剰にしてもよかったかも。 舌を送る方向が逆になっていて口の中から先端に向けて送るべきところが舌先から順に波打っている。気づいた時はやってしまったと思ったけれどまあいいか。よくない。技量が足りず手をワキワキするカットは描きやすい3コマベタ打ち。シートにランダムで中割を打ったりしてもよかったかも。 奥の親指の大きさがだんだん縮んでしまっているが気にしてはいけない。作品を通して自分だけ(最初のほうにサボりと病気で作業を止めすぎて)時間に追われていて細かいミスが多い。 ・門から逃げてきて丘の上で泣くシーンは前シーンとの対比と、必死に逃げてきたあとのなりふり構わない感じで大きめに身振りを振ってみた。某booruでエマの頭の上下がリズムが一定すぎてDJみたいとか言われてて笑いつつ反省。シートに変化をつければよかったかも。 ・起き上がるノーマンがかなりディテールがゆるかった気がして反省。 ・引きのカットではノーマンの足を同トレスで細かくぶれてほしかったけれど合成になってしまっていて、原画作業時に指示を間違えたかもしれず反省。そもそも全部原画で描けばよかった。下手なのでいつも効果的な手抜きが全く上手くいかずつらい。 ・ノーマンのアップとエマの泣き顔も重要度が高かった。原画枚数的には10枚前後だけどラフ原で一番時間がかかったのはエマの泣き。 ・劇伴の入れ方や声の演技がすごくよかった。息が詰まるようなノーマンの声やエマの叫びが特に好き。ノーマンの「鬼」という呟きはもっと作画も盛れたかもしれない。最後に止めてしまったのがもったいなかった。 6話 ハウスの真実を聞かされてキレるドンとギルダ ・僕街2話を観て以来演出さんのファンなのでテンションが上がっていた。 ・編集やシートの操作が最高。細かい表情のニュアンスなども手を入れる熱量がすごい。 ・1話は「何も知らない子供たちが初めて現実を知る」シーンなので子供っぽさ、小学生っぽさを意識して作業していたけれどこれ以降はもう大人と変わらないみたいな気分で描いている。画力はともかく。 ・手違いで収録音声を聴かずに描いたらドンの叫びの芝居の感じが割と食い違っていてやっちまったなと思った。 ・殴りかかる動きは散々いろんな作品で描かされたので時間も無いのでもうほとんど慣れで処理した。以前グルグル19話の演出さん��こういうカットの描き方をレクチャーしていただいたのでそのノウハウをそのまんま使う。K瀬さん本当にありがとうございます。 ・シーンの流れ的に不要なタメなど完璧にコントロールしていただいてとてもよかった。 ・ドンの「ふざけるな」は4コマ打ちでパカパカさせていたのを中割を入れられた。このほうがナチュラルで良い ・作監さんの絵が綺麗だった。うつむいたノーマンとか。絵が下手でごめんなさい。 7話 クローネの捜索 ・レイとイザベラの写真のやり取りが好きなのでやりたかったが描く人がいないということでこちらをやることになった。 ・クローネの頭髪がしんどい。エマの髪の毛と同じくらい。 ・階段を歩いて登るところは一応髪の毛をちょろちょろ揺らしているけれどほとんど画面に出ないのであまり意味が無かった。 ・(俺だけが)時間が無くなってかなり焦りながらの作業。ほとんどのカットに棚の引き出しやベッドのシーツなどの細かい合わせがあるので2原を撒くわけにもいかず泣ける。しかしシーツの枚数を実はちょいちょい間違えている。完全にアホ。 ・廊下の歩き走り数カットを2Cさんに2原を拾っていただいて土下座したい。 ・セリフに合わせてのシート修正の関係でクローネがベッドの上をハイハイしてこっちに寄りきったところで一度動きが止まってしまい流れが完全に死ぬのが一番の失敗。原画時に中割を挟むか揺り戻し的な原画を足すべきだった。 ただ笑顔を描くのが楽しかったのでまあよし。よくない。流れを殺す止めは悪。 ・ベッドの上でビクっとなって飛び上がるところが動きが繋るようで繋がらないようで繋がるみたいな描き方をしてみた。まあ別にいいかなあという感じ。 ・スーツケースを閉じるカットの空間感がフィーリングだけでできていてものすごく適当。ちゃんとしようね。 11話 いろいろ ・3週間で1話の倍ぐらいのラフ原を切る必要があったのでもう無心で描く。鬱病が治りきっていないので途中数日ダウンしてしまうなどもありかなり危なかった。コンテがほとんど止めを要求する作画的な難易度が今時考えられないほど異様に低い内容なので間に合った。 ・せめてここぐらいは力を入れねばと燃え広がる炎やイザベラの周囲を舞う火の粉などすべて原画で描いていたけれどやり取りに祖語があり完成画面で一切使われていなかったのが自分的には本当に悲しい。これがなければ実質倍ぐらいは他の部分に時間を割けたのでは。 ・濡れたレイのデザインが出なかったのでこちらでなんとなくこんな感じの処理で~と出したのが通ってしまいとても描くのがしんどかった。 ・レイが火をおこすカットはコンテではもう少し客観性をもったナナメからのアングルだった。無意味に主観に寄せ気味にしてしまいシーンの���図を破壊しかねなかった。反省。 ・全体的にシート修で4コマ打ちで止めずに動かしていた芝居を3コマに直されてカット途中やカット尻にいろいろぎこちない硬直が入ってしまい反省。4コマは4コマを共有できる知己の仕事以外では使わないようにしたい。 ・原画はラフ原よりさらに追い詰められたがまあ終わったのでよし。よくない。 一番悔しい話数。
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一周回って早い奴
エアーマンです。 流石に長くなりすぎたので��割投稿致しました。 自己最長記録を突破したかもしれません。笑えませんね。 役者紹介、黒幕&十勇士編です。 何卒、最期までお付き合い頂ければ幸いです�� ・加々見役/尾形莉奈(31期) 正直、加々見というキャラの発祥はあまり覚えていません。ふと気付いたら私の頭の中で寝ていました。人格の造形にあたってそこまで苦労した覚えもありませんし、もう何が言いたいかというと私の中でのこの方へのイメージが一つのキャラとして既に完成していたのかも知れません。それだけ、舞台に立ったこの人は格好良かった。役者さんとして以前に、人として既に悟っているオーラがある気がする。椎名林檎みたいな感じ、と御本人にはお伝えしました。不思議、という評をよく目にしますがそれだけ自分の中の世界がオリジナリティに溢れている証拠ではないでしょうか。今回は加々見の中で色々整理が付いてなかったので「語られる側」の役回りになりましたが、数年後には「語る側」に回っていてもおかしくないし、役者さんとしてもそうあってほしい。あと個人的な願望としてはそうですね、アレですね。本編後の大下との絡みが見たいですね。とんでもない連中によってそれまでの価値観を粉々にされた物同士、積もる話もあるでしょう。根が自由人だから絶対相性も良いはず。たまに会ってめっちゃ高尚な世間話繰り広げてそう。今後にも期待してます! ・暗殺者役、久保田役(兼役)/中戸太一(30期) LOVE NOTEで主役を務めたこの人に結構なエアハラをした気がします、いやその時以来なのでルルさんと並んで一番最初に私のクセに慣れた同期の方かも知れません。いや、羨ましいです。自分があるというか、精神的な強さを持つと言うか。「人間」ってこうなんだな、みたいな感じの要素を詰め込みまくった性格をしておられます。でも、決定的に相容れない。貴方は主人公で、私はそうでないから。舞台上ではそうでしたし、これからも多分そうなのでしょう。忌憚なく話をしてみたい気もしますが、多分いや絶対喧嘩になる。 大分アドリブの多かった楽ステで、唸る部分もあれば「楽しそうだなぁ」と思って微笑ましい部分もありましたがこの方のそれはとても良かったと思います。メタは正直演出が機能してなかったのですが、だからこそ台詞の追加という大胆な真似に踏み切れた。あそこでミスってたら正直私も責任は取れませんでしたし、ペトロさん御自身もしんどい思いをなさっていたかもしれません。それを承知で、��果あそこまで物語を良くして下さった。「ルールは押し付ける物、���句があるなら殺してでも止めてみろ」。この方の行動に、私はそうした今作のメッセージを感じ取りました。 引退、残念です。また顔を出しに来てくれると嬉しいな。 ・エルフ役/西田幸輝(31期) こんな役させてごめんなさい。でも優しいラムさんなら成し遂げてくれると思った………………成し遂げて下さいました。結果オーライですが一種のパワハラですねコレ。あとナチュラルにセクハラしたかもしれない。最悪だ。 ゆるキャラ感のある方です。だからこそ「子供っぽい役やれて楽しかった」と言って下さったのは嬉しかったですし、例の場面で本気の殺意を、そして最後のシーンで「後はお願いします」みたいな情を出してくれたのは本当に良かったと思います。セリフといい殺害シーンといい、個人的な性癖を押し付けてしまった気がするので次はサイコパス役を当て書きしたい。キマった表情も中々いい人ですし、何なら殺されても良いとすら思った。性癖ですね。 私自身プランを提案し辛かった演技に関してご自分で色々考えて下さったのは本当に感謝しかないですし、めっちゃ考えて下さってるんだなぁという事がよく分かりました。あと大道具チーフとしてカッコ良かったです。新人頑張って下さい。舞台図を仕込み二日前に書き直させられるという拷問を受けてなお笑顔でいさせちゃダメなんですよ本来は。そんな事があってはならないんですよ。いやぁ、死にてぇ。 輝くような演技をいつか見てみたいです。お疲れさまでした。 ・魔術師役/Anna(31期) あ、その気持ち分かる。みたいな失礼な事を内心思う事が結構多い方です。今回めっちゃ楽しそうに演じてくれ………………ていたのなら、いいな。本当に色々な意味でこれから先頑張ってほしい人です。恐らく同じ道を辿っているであろう私は応援してます。勤勉な方ですし、演劇に対する情熱もあるし、私と比べて色々な物を持っている。貫いて行って下さい。叶うのならいつか主人公役を任せたいな、と思っている今日この頃です。 屍を晒した私なんぞが言える事はそう多くありませんが、やはり為すべき事を為すのが一番です。死ぬまで足掻いて、考えなしに暴れて、貴方も含めた沢山の人に迷惑を掛けて、そうした結果は何であれ必ず帰ってきました。それらはどういった形であれ、血として、肉として貴方に還元されます。それらに無心で、無感動で、当たり前の様に食らいついて咀嚼して呑み込み続けてこそ、貴方の様な人はもっともっと強くなると思います。 今だからこそ分かりますが、私にとって躊躇こそ最もやってはいけない事でした。もう足を止める事はないと思いますが、それでも自身が無くなったらこう考えるといいです。 「どーせ、あいつより酷い事にはならない」。 そうした存在としてどうか、心の中で頼って下さい。応援してます。 ・狂戦士役/髙木悠(30期) 滅茶苦茶体力を使う役、お疲れ様でした。(狂)戦士については「ステータスは高いけど予備動作が大き過ぎてボッコボコにされる」という所までしか決まってなかったので、ばたけさんに入っていただいた事でキャラが濃くなった気がします。しかしサイコパス、難しいですよね。なんかどの創作でも「くるってるキャラ」はやり尽くされすぎていて、もうなんかとりあえず理性が外れた感じの笑い方をさせるしかないみたいな所はあったと思います。そんな中でこう、何か「頑張ってる」感が出ていたのは本当に凄いと思いました。どれだけ狂ったキャラだろうと、歪んだキャラだろうと、分かりやすい目的の為に邁進している時は何故だか共感を生む気がします。今回はやられ役でしたが、その人間味の様な所が今後更に磨かれていく事を願っています。 全く関係ない話ですが、自分を出すって魅力的ですよね。私もついつい聞かれてない事まで人に話しちゃったり、こうして誰も読みやしない文章を延々と書いて悦に浸っちゃう時があります。何が正解なんでしょうか。私自身、未だに掴み兼ねています。 他の人とは違う事情がある者同士、一緒に頑張りましょう。 ・僧侶役/西岡克起(31期) 面白い役者さんです。こう言っちゃ行けないけど、あの台本では生かしきれなかった。脚本の中でハマってはいたけど、それ以上ではなかった。 もう一回チャンスが欲しいです。そしたらどれだけ面白い物がこっちで書けるか分かりませんが、少なくともその旨い部分をお任せしたい。いやもう、平生の笑顔が光ってるのなんの。そんでもって面白い。いやもう想像でしかないんですけど、あのいつもの言葉で形容できない感じの雰囲気で「何がおかしいのか分からない」みたいな調子のボケ台詞を喋ったらめちゃくちゃウケるんじゃないでしょうか。分からない。未知数。未知数の可能性を持つ役者さんです。何をやらせても上手いとは思うけど、それでもドハマりした時の演技が一度見てみたいです。面白い奴書いてきます。「面白そう」じゃなくてホントに面白いやつを練りたい。あ、もうこれ役者紹介じゃない。願望帳だ。 いや、たった二回の公演でこの方の可能性を図るのはあまりに惜しい。なんて所に使い潰しちゃったんだろう、って感じはあります。それでも「面白い」のと「人間性がある」感じ、そしてアドリブ性の三つを兼ね備えたちゃうか御用達みたいな長所を発揮して下さいました。次も弾けて下さい。 ・盗賊役/サミュエル・ツヤン(29期) サムさん!!!!!!!!!!!LOVE NOTEの時からお世話になっておりまして、そして今回も演出補佐として大分お世話になりました、恩人です。この方の様にしっかりした演出になるのが夢でした。二回もチャンスがあってそれが叶わなかったのが残念でならないです。一度脚本についてお話しさせていただく機会がありまして、その際に「落とし続ければいつかは受かる」みたいな事を言って励ましていただいた覚えがあります。以後、私は公演の度に脚本を書き続けて来ました。アホですね。それでもまだ続けるつもりですが、サムさんに一言激励の言葉を頂かなければここまで続く事はなかったと思います。 本公演では「一度舞台上で歌いたい」というお願いをいただきまして、あれで良かったんでしょうか………………良かったんでしょうか?カラオケで度々拝聴していた美声。登場シーン全部歌ってるとかでもよかったかもしれない、と今更ながらに思っています。また演出補佐としては十勇士が「~に従え、さもなければ!」と言ってニッキを取り囲む所等をはじめとした十勇士の集合シーン、また各々の出番を監修していただきました。イリハケの整理を呼び掛けて下さった事と良い、正直サムさんにまとめていただかなければこの稽古場は回りませんでした。本当に、ありがとうございます………………!!! ・富豪役/橋本悠樹(31期) 予想外の面白さというのは常にあるものです。正直何となくのイメージで決めさせていただいた役というのはありまして、この役についても「あそこまで繊細な読みが出来る方なら間違いはないだろう」位の漠然としたビジョンで行ってしまった部分はあって………………大正解でした。とんでもない方向に進ませてしまって、これで良かったんでしょうか。これを切っ掛けにネタキャラが振られまくるみたいな事がなければいいんですが、流石にそれをされたら親衛隊の方々が黙っていないと思うので安心ですね。シリアスもギャグも通せるなんてそんな人どこにもいませんよいや本当にもう。ご本人にも何回も言いました。先輩方が御卒業なさる事で良くも悪くもテイストが変わりかけている今だからこそ、「真面目な読みが上手い」という方は非常に重宝されると思います。この先の展開を読む限りこれが一旦の息抜きみたいな事に………………いやこのキャラは絶対に息抜きではない。「ギャグというジャンル」みたいな意味で言いましたが、それにしてもあそこまで遊んで下さるのはめっちゃ大変だったと思います。何度も言うけど予想してませんでした。殻を壊さない程度の無難な感じになるとばかり思っていたので、本当に弾けてくれてよかったです。感動したので次は洒落にならない程重い過去を背負ってもらいたいと思います。次があったらな!!!! ・オーク役/GEO(30期) 終演後に演出の外注という案を思いついた切っ掛けになった方です。いて下さって本当に良かった。御自身も演出をなさった経験をお持ちなので、ノンクレジットの演出としてシーン練習や殺陣で滅茶苦茶助けて下さいました。キャラクターの理解も早く結構最初の段階で固めて下さったり、ああもう光り輝いて見えました。聞けばサイコパス演出とか散々な言われようなのがちょっと気になりますが、それでもすごい人望をお持ちの方です。信頼の裏返し的な奴ですね。親しまれてるのがうらやましぃ。 ところで、予告しました。この方には「当て書きして主人公にする」と予告しました。いやだってめっちゃ面白い事になると思うんです。あーリーダーやってるなぁって感じのお人柄といい、頭のキレ方といい、こういう人が「イノベーティブ��材」って呼ばれるんだなぁみたいな方なんです。いやーまだ詳しくは言えませんがこれ絶対チートギャグに映える。物語の楽しさって「想像力を掻き立てられる」所が一つあると思うんですけど、それに必要な要素をこの方は持ってます。役者としても新歓公演ではギャグ、今回はマジシリアスとどちらも凄く考えて演じてくださいましたし、夢が広がる。後、この公演で私が自我を保っていられた理由にこの方があります。もう優しい。隙あらば励まして下さる。ダメ演出を支えて下さって本当にありがとうございました。 ・吸血鬼役/初田和大(29期) Zさん。声量が大きいうるさいイケメンと評判ですが、実はそれほど「うるさい」と思った事はありませんでした。何だろう。私が鈍いのかな。なので私にとってのZさんは悪い所が一つもないめちゃくちゃ優しい照明班の先輩です。その大きな背中を追いかけていられたのでしょうか。綺麗な事言って実際一歩も動けなかった気がします、だってあまりにも大き過ぎたから。ただただ凄くて、そこまでのビジョンなんて何も分からなくて、自分がこの人の器を継ぐのかと思うとプレッシャーでも何でもなく単に「不可能」だと感じてしまう様な、私にとってはそんな方でした。今は継ぐべき人がちゃんと戻って来て下さいましたし、31期の皆さんもちゃんと継承を済ませて下さっているのでもう大丈夫ですが。あぁなんて清々しい他力本願。 今作ではその声量を生かしてカッコいい役を演じて下さいました。いえ確かに色々コテンパンにはされましたけど、でもそれアレなんですよ。RPGのキャラが現代に出て来てて、しかも解析班の存在で内部情報全部明かされてる状況で、もう色々と無理すぎる状況で逆にあそこまで持ちこたえたのカッコよくないですか。1vs4で敵を手玉に取る殺陣を含め、威厳に満ちた、矜持に溢れた役を彩って下さって本当にありがとうございました。 ・剣客役/ガウス(31期) ラスボス。ラスボスですよみなさん。割れんばかりの拍手を。 この方のキャラ性は演出の中で大分迷走しましたが、それでも役者さんが貫いて行って下さった先に正解があった気がします。演技指導もままならない私には分かりませんが、それで良かったのかも知れません。 ハルク、藤原竜也ときていきなりラスボス。でも演じる上でめっちゃ考えて下さるというか、キャラと真摯に向き合った上でその型を自分と擦り合わせて行くタイプの方です。次回以降も暴れて下さい。舞台に自分でもない、脚本の通りでもない、それらを合わせて辿り着いたより上の鮮烈な存在感を焼き付けて行く。それが相応しい。読みの聞こえの良さといい、役者としての底力を見せて下さったと思います。本当にお疲れさまでした。 日頃優しい。優しすぎる。面倒そうな事を率先して引き受けて下さる。何かトラウマでも抱えているのではないかと思う位優しい方なので、あまり頼り過ぎると良くない気がしてたまに心配になります。でもその分色々と暴れて発散していてくれていたら嬉しいです。トニーさんと並ぶ箱の民として頑張って行って下さい!あと小道具、杖やら矢文やらありがとうございました! 明るくていい人です。本当にいい人です。願わくばその笑顔に陰りが生まれない事を………………いや、祈るまでもありませんね。本公演、とてもカッコ良かったです!有難うございました!! オペさんの紹介も書こうかと思ったのですが、これ以上長くなってもアレです。新人公演の稽古日誌の邪魔になっても良くないので、単にこう書きます。
フィルさん。 すださん。 フロンさん。
お疲れ様でした。大変な、地獄の様な目に合わせてしまいました。 貴方達を、最後の被害者とします。 困難な表現が、あなた達のお陰で現実に近付きました。 最後まで見届けて下さって、本当にありがとうございます。
・冒頭の紙袋(久保田)役/Airman(30期) 私です。面倒なので自分でやりました。 まぁ、役としての作り込みはないに等しかったですね。情けなや。 正直、何にも出来ませんでした。 脚本を書いた位ですね。 身の程を知った、というのが丁度良い表現です。 実は私、人間ではありません。 そう呼べるだけの知能を持っていません。 お粗末な擬態で世を忍んで来ました。 何にも出来ない人間っているんだなぁと。 人間未満だから何も出来ないんですね。 何やらしても他人様に及ばない。 欠けてるからには何か天賦の才のようなものがあるのかと思ってました。 何もありませんでした。 天は二物を与えずとは言いますが、一物を与えるとは限らないんですね。 正直、後悔は多いです。 演出面での「ああしとけば良かった」が、とても多い。 役者さんは十分以上に頑張って下さいました。 それだけに、申し訳が立たない気分です。 自分の想像を人に投げるしか、出来なかった。 多分、それしか私には許されていないのでしょう。 何度か死にたくなりました。 他人に言われて、とかそんなのではありません。 自分の無能ぶりに絶望しました。 これまでの人生と同じように、幾度も。 死にたがる原因は、いつも私の中にありました。 それどころか。 私の中には、最初から「他者」がいなかったのかもしれません。 「他の人」と思っていた物は、全部自分で作り上げていた像。 人間すら「分かった気になる」。 全部自分。自分の為、自分の為。 脚本を書けなければ、ちゃうかで私が出来る事はない。 居場所がない。 情けないですが、その通りです。 呼吸のつもりで、身勝手に書きました。 それで、人様に御迷惑を掛けました。 最早私に息をする資格はない。 誇張でも何でもなく、そう思いました。 今は笑いかけてくれている。 よい言葉を掛けて下さっている。 その下がどうなっているか。 さしもの私にも、分かっていました。 薄いメッキが剥がれたら、どうなるか。 当たり前の事が起こるだけです。 誰も他人の事を注意深く見ない。 人は他人に無関心である。 だからこそ、こうして書くのです。 返事は無くていい。 返事は無いほうがいい。 私の心の中に誰もいない様に、私も誰かの中にいるべきではない。 それで、一人語りを許されている気になりたい。 この中途半端な虚無の空間に。 私は私に、死ねと言��たい。 何故、自分の事となるとこんなに長く書けるのでしょう? どうでもいいですね。 身勝手に生き、人を食う獣は考えなくて良い事です。 どうせ。 死にたいなどと言いながら、生きていくのでしょう。 少なくとも後二、三年は。 支えて下さった皆様方。 本当に、ありがとうございました。 さぁ。 次だ。 恐怖。 不可解な存在に対する、言い表せない程のそれ。 それだけを顔に覗かせ、あの子は去った。 それでいい。 僕を殺した事なんて、気にする必要はない。 君には才能がある。 僕には、それを守る義務がある。 嘘だ。 そんな義務、本当はどこにもない。 勝手に手を出して、死んだ。 あの人の言った通り、自業自得だ。 僕の言葉は、大方伝わってはいないだろう。 死んだ人間が、生きた人間に何かを伝えるなど出来はしない。 ただ、察してもらうしかない。 ………………さて。 殺してでも止めてみろ、だったかな。 だったら望み通り殺してやる。 ただし、普通の方法でじゃない。 お前達は狂ってる。 体が死んだところで何度でも蘇って、僕を追い続けるだろう。 怒りでもなく。 義憤でもなく。 ただ「楽しい」、それだけの理由で。 死人還りは恐ろしい。 その事は、今の僕が一番よく分かっている。 あの子をお前達の「楽しみ」の為に消費させない。 全てを忘れ去る。 それで、お前達はこの件について死んだも同然だ。 拍子抜け。 最も面白くない結末。 お前達の様な獣には、それが一番相応しい。 これが、僕の答えだ。 ゲームオーバーだ、マッカブランカ。 今すぐ、消えろ。 『死ねぇえぇ、ニッキぃいぃぃいぃいぃぃぃいいいいい!!!!!!!』 午前11時。 太陽がじりじりと照り付ける陰のない大通り。 撮影中の出来事だった。 ナイフを構えたアンチ活動家が、ニッキ目掛けて突進した。 「ニッキ、危な」 気付いたレミも、庇うには遅く。 刃の先から、血液が垂れる。 悲鳴。 その場にいた誰もが、動きを止める。 そして……………… 活動家の頭が、落ちた。 転がる首。 街路樹に当たり、止まる。 皆がニッキを見る。 錆付いた、RPG風の直剣。 いつの間に取り出したのか。 流れる様に首を刎ねる動きは、どこで学んだのか。 ニッキ自身、その記憶は失っていた。 沈黙が、引き始める。 いろりが口を開く。 「………………何だ、今の」 「ホンマ何なん。勝手に『死ねー』つって突っ込んできて、ほんで自分で首掻っ切った………………意味分からん」 「………………新手の抗議か、コレ」 「さぁ。ニッキ、大丈夫?」 「え、いや無傷だけど」 徐々に、街が平静を取り戻す。 いつの間にか、活動家の死体は消えている。 当の4人を含めた誰もが、無意識に己の記憶を改竄していた。 即ち。 「��い掛かった活動家が突然、ニッキの目の前で自らの首を切断した」。 市井の人は、その様に認識していた。 奇妙な、さりとて取るに足らない出来事として消化され、忘れ去られる。 一連の光景を見る、二つの影があった。 「………………つまり。 忘れると言う行為は、大変に暴力的なんですなぁ。 記憶というのは各々の中に存在するもの。 故にこそ、それぞれで都合のいい様に勝手に解釈してしまえる。過去というものは覚えておかねばやがて消え行くもの。であればこれは畢竟、あるべき過去の改竄にも等しい。それも、一方的な。 まぁ人間、忘れるからこそ覚えておけるという物でもあるのですがね」 「誰ですか?」 「おっと失礼。わたくし矢盛と言います。 端的に言えば君のキャラクターに殺された久保田君の知人ですよ」 「………………ごめんなさい。初めまして」 「初めまして。あとお気になさらず。 実の所、私が君を追えたのは久保田君の残滓あっての事です」 「というのは、どういう」 「会ったのではないですかな?久保田君と」 「………………」 加々見の脳裏を過る、数日前の晩の出来事。 空間を歪める様に現れた暗殺者。 正確には、その体を借りた何者か。 加々見を殺そうとしたマッカブランカの動きを止め、その後動きもなく加々見をじっと見ていた。 怖くなって、逃げ出した。 幸い、追われる事はなかった あの時、自分は責められていたのだろうか。 「………………ごめんなさい」 無辜の人を、殺めた。 その事実が、今になって加々美へ圧し掛かる。 始めた当初は何とも思わなかった。 殺されかけても、何とも思えなかった。 終ぞ、心を動かす事のなかった事実。 それが、知人の存在という形で目の前に現れる。 謝罪。 自然に口から漏れた、悔悟の念。 それらを何となく察しつつ、矢盛は口を開く。 「『物言わぬ人間の感情を勝手に解釈するのなんて傲慢です』 ………………なんて、どこかの医者が言いそうなセリフではないですか」 「何の話ですか?」 「おや、最近の子供は深夜ドラマを見ないのですな。 ………………まぁ、否定はしませんよ。なんだかんだ言って、分からない物を勝手に察して納得したがるのも人の情というものですからな」 「………………何が言いたいんですか」 「結論を述べましょう。久保田君は、責めてなどいませんでしたよ。 むしろ褒めてすらいた。 呪いとはいえ、よくここまでの物を作り上げられるものだと」 加々見が怪訝な表情を浮かべる。 まさか、人を殺す為の道具を褒められるとは思っていなかった。 それを見た矢盛は更に愉快そうな顔をする。 「ほぅ。想定外と言った顔ですな。 まあ要はこういう事です。この世界には、君よりももっと変わった、有り体に言えば狂った人間が山ほどいる。 君はその内の一人に一杯食わされたのです。 文字通り命を懸けて、茶番を演じさせられたのですよ」 「………………最初から、手のひらの上」 「その通り。おっと、責めないであげて下さいよ? 久保田君も死ぬ気だったとはいえ、君を救おうとしていたのですから�� 「分かってます。 ………………その、何というか」 「えぇえぇ分かりますとも。 何が何だか分からない。狐につままれた気分。 亜事象と関われば一回や二回はそうなる。お分かりいただけましたかな?」 「………………あの人は」 視線を合わせず、躊躇う様に加々見が言葉を選ぶ。 それで、自分の罪が無かった事にはならないと。 矢盛が分かってくれる事を望みながら、口に出す。 「あの人は、生きてるんですか」 優しく目を細める矢盛。 どこか遠くを見る様な、さりとて近くを見ている様な。 何とも言えない視線で大通りを見て、半ば独り言を口にした。 「難しい、質問ですな。 生きているとも言えるし、死んだとも言える。 何れにせよ、『在る』のは間違いありません」 確信的でない、回りくどい表現。 しかし、そうとしか言えない。 矢盛は、思いのままに言葉を並べた。 「これは、予想………………噂でしかない。しかし、この世に一度生まれ落ちたものは、何らかの形で残り続け、全てのものに影響を与え続ける。 舞台で言えば、パッと出て終わる様なモブはいない。こう言われます」 「………………」 「まぁ、希望論でしかないのですがな。 いずれにせよ、貴方の行いは残る。業は、おいそれと消えません。 先程首を刎ねられた哀れな人物も、久保田君も………………業となって、今も何処かを彷徨って。 やがてあるべき場所へ、還るのでしょう」 手首を見やる。 加々見の腕に、足に、体全体に。 黒い靄の様な物が、渦を巻いて絡み付く。 矢盛も、それを認識していた。 「君は、好かれていますよ。 いえ実際、私も件の吸血鬼が何処へ行ったのか分かりませんでしたが。 どうやらちゃんとあるべき場所に残ったらしい」 「………………それが」 「ええ。君です。あの貴族ばかりではない、他にも9人ばかり。 業として、君の一部となっていますよ」 靄の渦は加々見を襲わない。 ただ、残る。 そうするのが自然であるかの如く、振る舞う。 「次に進むのです。 久保田君も、きっとそれを望んでいます」 「………………分かりました」 顔を上げ、会釈をして去っていく加々見。 矢盛もまた、別の方向へ向かう。 気付けば、マッカブランカの姿もない。 それきり、交わる事もないであろう別れ。 ��� 異常を呑み込み、平衡を保つ世界の理。 或いは久保田も、そうしたモノの一部となった。 日常は、続く。 呪いじみた強固さで、穏当に流れ行く。 淡々と。 人波は、歩み続ける。
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西の友から泥さんへのことば
泥憲和さんがお亡くなりになった。そのことを知りほどなくして、いつもの関西の友より、「読んでほしい」と泥さんを悼む文章が届いた。 泥さんというと、元自衛官の立場から集団的自衛権に反対を訴えることばが多くの人の記憶に留められていると思うが、友の文章にあるように、レイシズム・排外差別扇動に反対の意を持つ者の間では、そのこと以前に、ほとんど誰も関心を持つことのなかった時期からひとりでヘイトデモなどに対峙していらした方、という印象が強い。 文中にある通り、いまの「カウンター」の礎となった流れを作られた方といえる。 反レイシズムということがらに限らず、許しがたいと感じたことについて、彼のようにただひとりで抗うことを決め、ひとりで動き出すことができるのか、それをためらいなく行��ことの重要性を、友も、そしてさまざまなことに抗うことを決めた多くの人にも、泥さんは届けてくださった。 公布されて70年めにあたる憲法記念日のきょうという日にこの世を去られた泥さんの築かれた礎を忘れることのないように歩を進められたら、と、友の文章を読みながら強く感じた。 以下転載 ------------------------------ 『 泥 憲和 』 日本人としてのアンチヘイトカウンターのパイオニア。 泥さんの名前を知ったのは、2013年。 鶴橋でのヘイトスピーチデモ・街宣がピークに達していた頃だった。 当時は現在とは異なり、まだ関西で路上に立つカウンターはほんの一握りしか居なかった。 条例も理念法も無かった時期だ。 その頃に毎回カウンターを共にしていた在日コリアンの知人から、泥さんという日本人の存在を聞かされたのが最初だった。 2013年の関西のヘイトスピーチは筆舌に尽くしがたいレベルに酷く、ヘイト活動の動員数も現在とは桁違いだった。 その知人は、俺にこう語った。 「 数年前、泥さんという日本人が在特会チーム関西に対抗して孤軍でカウンターをしてるのを見知ったのがキッカケで、自分は感銘を受けてこうしてカウンターをするようになってん。」 「 泥さんという人、ホンマに凄いねん。」 彼からそう聞かされて以来、俺の中でも「 泥さん 」という名前と勇動のイメージが膨らんでいった。 そんな凄い人がおるねんな、と。 そして後日。あの朝鮮学校襲撃事件を境に全盛期だったチーム関西が率いるレイシストの大群の中に、たった一人で抗議をしに切り込む泥さんの動画を見て、 俺は驚愕と感動を覚えた。 今とは違い、チーム関西やレイシストらの実態や実像がまだ未知で海の物か山の物かも不明だった時期での、泥さんの孤独な勇動。 関西のカウンターの初期の僅かな人達も、そしてあの野間易道も、昔の泥さんの孤軍でのカウンターをする姿に感銘を受けたと云う。 後年、野間氏は東京で「しばき隊」を発足し、東京で路上のカウンターを果敢に切り開く事となる。 現代日本での、路上のアンチヘイトカウンターのパイオニアであり礎。 それが、泥 憲和 氏。 2013年から関西の路上におけるアンチヘイトカウンターを続けた自分の身からしても、たった一人であの時期にヘイト団体の大群に歩いて向かい、レイシスト達の目の前で毅然と抗議を決行した泥さんがいかに凄いのかは、この身を以て幾度も実感した。 そして、自分は泥さんとは実際に関西の路上で何度もカウンターを共にする機会を経験した。 泥さんは、レイシストが何十人であろうが百人であろうが関係ない。 いつも、たった一人でその大群の中に入ってゆき毅然と抗議をする。それが、泥さんのカウンタースピリッツだった。 自分も幾度か同じく泥さんと共にレイシストの大群に入ってゆき抗議をともにしたが、泥さんが現場で一緒だと、いつもとても心強く感じた。とても。 真っ直ぐ堂々で、熱くて勇気凛々。 それが、泥さんのカウンターだった。 泥さんが現場に居ると、もうそれだけで絶大な安心感があった。 カウンター現場で黙って俺に「 背中で示してくれる」稀有な存在だった。 いつだったか、泥さん��言った事がある。「泥さんは相手が何人だろうと屈強で粗暴な右翼だろうと、必ず基本は一人で直接に目の前まで行き毅然と抗議しますよね。恐怖心はありますか?」 泥さんは答えた。「 なんで?たかだか半殺しにされるぐらいのことやんか」 泥さんは真顔だった。 普段は勇ましい言葉をむやみに言ったりしないし、むしろニコニコとして「 カカカッ!」と快活に笑うのがとても印象的な、泥さん。 滲み出る温かい人柄の奥に、途轍もない強靭な芯を感じさせる人だった。 「 勇気 」「 温かさ」「 強さ」の体現者だったと思う。 御自身が語られていたように、泥さんの生い立ちは険しい道のりだったと思う。 自分の生育過程とも重なる箇所もあり、感じ入るところを泥さんを見ながら勝手にめぐらしたりもしてきた。 泥さんが癌になったのを知って、父の日に姫路まで会いに行ったことがある。 阪急デパートでハンカチを買って、姫路の店で渡した。 泥さんは「 もお〜、こんなんええのにぃ。おおきにやで。」と照れてはにかんでいた。可愛かった。 産まれてこのかた親父がいない俺は、父の日に誰かにプレゼントを渡した事などそれまでは無かった。 差別に抗う路上のカウンター現場を通して出会った、勇気あふれる偉大なパイオニアである泥さんの背中に、自分は少し親父の存在を見いだしていたのかもしれない。 日本人・在日コリアン。二つの違う属性。 確かに、差異がある。 日本人である泥さんという個人のカウンターとしての立脚点と、在日コリアンの俺という個人の立脚点は、差異は当然にある。 泥さんも俺も、カウンターとしての大きなエポックは京都朝鮮学校襲撃事件だった。 「あんな年端もいかん罪もない子供達を、大の大人らが何度も執拗にヘイトスピーチで攻撃した。これのどこが日本人の愛国や?アホな事を抜かすなと。レイシストでしかないがな。人間として腐っとる。断じて許せん。差別のネタを探す卑怯な奴等や。」 朝鮮学校襲撃事件の実行犯らに関して、泥さんは真剣な眼差しで俺にそう語った。 過去に泥さんはその襲撃犯らが率いるレイシスト団体に実際に毅然とカウンターを実行した。しかも一人でレイシストの大群の中に飛び込んで。 こんな人は、そうザラには居ない。 日本人として立脚点を取る事を明示してカウンターをする個人の泥さんに、誰も居なかった時期に孤軍でカウンターを決行していた勇動に対して御礼を伝えるのは、少し違う気もする。 だけれども、現在のアンチヘイトカウンターへ泥さんが果たした功績、初動、そしてハートに対して、自分はずっといつか直接「ありがとうございました」と伝えたかった。 そして姫路の店で2人の時に、ありがとうございましたと伝えた。 その時もやはり泥さんは、少し照れくさそうにはにかみながら「いや、そんなん御礼なんかやめてえなあ。もう。」と俺に云った。温かく。 差別に対してのカウンターに関しては、俺なりに拘りもたくさん持ってる。属性のプライドも自分なりにはそれなりにはある。 ただ、泥さんとのそのやり取りは、属性を超越した「 人間の繋がり」があったと、少なくとも自分はそう思っている。 元自衛官で、反戦。そして、反レイシズム。 泥さんは、日本人として日本を愛し、現代日本の崩壊を真剣に憂いていた。 なにより、1人の人間として。 自分は2013年鶴橋大虐殺街宣を機に、僅かな人数から路上のアンチヘイトカウンターを続けて、もうかれこれ200現場を経験している。 差別に路上で抗う過程で、現在の地慣らしまでに随分とたくさんのものを失ったりもしたかもしれない。 カウンターは、果実が少しずつしか実らない途方も無い消耗戦でもあった。 だけれども。 泥さんとの出会いに思う。ヘイトのヘドロで捥がき抗うその中には、人と人とが属性や立場を越えて繋がれる、確かな光がある。 そんなには多くはないかもしれないけども、一つでもそれがあれば、希望を胸に前を向ける。 路上のアンチヘイトカウンターのパイオニアであり礎である泥 憲和さん。泥さんが真っ直ぐに貫いた生き様から、たくさんの希望と勇気を頂きました。 偉大な普通の人でした。 泥さんが反へイトで果たした功績は、かけがえのない大切な��大なものだと、そう確信しています。 泥さんが黙って示してくださった「 背中 」は、いつも分厚くて強く、頼もしかったです。 握手した時の泥さんの手の力強い感触が、今も俺の手に焼き付いています。 泥さん、本当に最期までお疲れ様でした。 安らかに眠って下さい。 勇気を教えていただいて、ありがとうございました。 ------------------------------
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自伝 2017.03.15
僕の夢は、小説を書いて、さしあたり、まず紙の本として出版することです。要するに「物語」を作ることです。それだけだったはずなのに、現在、様々なものに絡め取られていってることに気がついた。それは結局は「自己と他者」の問題に尽きると思いますが、その苦悩が大きすぎるので、その隙間を埋めるために文章を書きます。しかし、いざ文章を書き始めると、「何のために」書いているのかという疑念に苛まれることになった。しかし、「何のために」など、考え始めても、無駄なことでした。とにかく今は足早に、簡潔に、書いておかねばならない。僕は一部の生活歴を他人に見せていないと、不可視の他人の影によって絶えず自分が暗くされてしまうと思うのです。だから、真っ黒に自分が潰されてしまう前に、少しでも安住する場所にたどり着こうと思います。ここで、今、思い出しました。僕の現在住んでいる実家は、河川区域で、近くに堤防があります。そこには、市特有の桜の木が等間隔に植えてあります。19歳の冬、大雪が降りました。裸の、毛細血管のようになったその桜の木の枝々に、真っ白な雪が覆いかぶさり、電灯に照らされて、とても眩しく、幻想的でした。道路は鉛筆で塗ったみたいに光っていました。僕は音楽を聴きながら犬の散歩をしていました。僕はその真っ白な光景に、思わず嗟嘆しました。そして言葉を漏らしました。「なんて、素晴らしい光景なんだ。しかし、僕以外、誰も見ていない!」そして、ある文章を書きました。「真っ黒」というさっきの言葉によって、その記憶が引き出されたので、まずそれを記載してから、ちょっとした自伝を、中学生一年生の時分から書こうと思います。
「雪」2014.冬
実家との距離もさほど離れていない同じ市内のアパートで僕は独り住まいをしていた。その一室で、僕は薄茶色をしたモッズコートを着て、白い長方形の机に面した椅子に座っていた。部屋の中が、厳寒だとしても、エアコンをしょっちゅう付けていると、電気代もままならないので、コートを着て寒さを耐えるのであった。窓の外を見ると、雲が垂れ込めていて、雪がすぐそこまで来ているかのような空模様だった。アパートの外の住宅地は、忘れ去られたように静かで、ひっそりと呼吸をしている貝のようであった。玄関を出て、向かいには農地があり、横には家々が並んでいた。とある住宅の庭には、植木がたくさん備わっており、裸体になり蛇行した木の枝には、コゲラが何匹か止まっており、教室で生徒たちが粛然と机に向かって文字を書いている時に聞こえてくる「コッコッコッ」という音を鳴らしていた。ヒヨドリやカラス、スズメの鳴き声も周囲で賑わっていた。その鳥たち以外で聞こえてくる音といったら、飛行機雲を発生させながら飛んでいる飛行機の音だけだった。時折、夕方の郵便配達のバイクが住宅地を駆け回る音が聞こえた。僕は自分の内的な変化には非常に敏感になっていた。だが、やはり何も起きなかった。
次の日、僕は日雇いのバイトに行った。業務内容は、倉庫内での仕分、梱包の作業と記載されていた。倉庫の中は、雨の日の午後みたいに、完全に静かだった。僕は、結束機を使って、商品を梱包し、品種ごとにまとめる作業を繰り返した。しゃがんだ際に、靴の汚れがコートにつき、僕は憂鬱とした気分になった。他人の生活は恐怖だ、と思った。ましては見知らぬ人の人生など。僕は帰りに、ローソンで本を立ち読みした。なぜか肉体的な不能感が気分を覆っていた。
大雪警報が出た。関東は明け方まで続くそうだ。積雪10センチ、16年ぶり。街の人は、風雪の対策に追われていた。スリップ事故多発。23区は20センチ。 この雪は僕を奮い立たせた。混乱させた。いらいらさせた。今は19時過ぎ。窓の外では、風が吹き荒れている。救急車の音が聞こえる。この雪の影響での事故だろうか。空はこんな時間だというのに、黒が一つも見当たらず、見渡す限り、完全に真っ白だった。外は新品の純白のタオルで覆われたみたいになっていた。僕はいささか緊張していなければならない。寒さなど、もう気にかけない熱を持っていた。まるで発狂しそうな白だと思った。 「この今の思い、光景をどう表現したらいいのか」と、僕は悩んでいた。雪よ、決して止んでくれるな、と。だが、この肌触りを感じている自分から離れ、別のものを通して自分を見ると、自分は一体なにをしているんだ、この奮い立てられる自分とはなんなんだ、という深い疑念を抱かずにはいられなかった。やがて、僕は父と母に迎えられたが、それを拒んだ。そうすると、やがて買い物に誘われ、それ��また同じように跳ね返すと、父親がアパートの玄関の前まで来た。父は「何か食べ物買いに連れて行くよ」と言ったが、僕は「いや、いいよ」と言った。「雪の中で、車で、面白いよ」と言って来た。最後の言葉に呼び込まれ、僕は「それじゃあ、行くよ」と言った。父が運転する白い軽自動車に乗った。タイヤはスリップに備え、スタッドレスに交換してあった。車体が前進し、窓から外を見た。僕は、外がこんなことになっているとは知らずに、神々しい光景に目を奪われた。(外が!)と僕は興奮しながら胸中で叫んだ。 創造することと、感受することは、ともに一番深いところでは、まさに美的な「領域」に根を下ろしていて、切断することは原則上できない、創造も感受も、共通の根である「見ること」から出ているとオスカー・ベッカーは言った。 この発熱は、多分、僕が何かを創造しようとするものとして、美的なものが僕の心を掴んだから、起きたものらしかった。そうでない人が、この光景を見やったとしてもここまで熱狂的になる人はいないんじゃないか。僕はただただ取り憑かれてしまった。そして、外に降りたら何かがある。外に出ずにはいられないと思い、強迫的に僕は外に出た。 驚嘆した。膝が隠れるくらいまで、雪に埋まりながら、息を弾ませながら前へ進んだ。なにも考えずに。というより、考えることができなかったために、無心でただ前に進んだ。僕は片手に大学ノートを持っていた。ノートに絶えずその時の心象風景のようなものをメモをした。今の自分を記録したい、と強く思った。でないと、自分が崩れ、吹き飛ばされ、死んでしまうと思った。今見ているものにできるだけ僕は接近し、それを表現したいと思った。それ以外のことは考えることは不可能だった。不安はこの街のどこかですっぽり雪に覆われたみたいに今は出てこなかった。いや、不安だからこの行動なのかもしれない。僕は強迫的に尖った銀色のシャープペンシルをノートの上で躍らせた。傘なんてさそうとは思わず、食べ物を買ってアパートに帰って来た時には、全身が雪まみれで、玄関とつながっている台所も雪まみれになった。外を歩いているとき、人は見当たらなかった。いや、多少いたかもしれない。二人組が家に帰る時に前を歩いていて、僕がそれを走って追い越したこと。薬局の入り口あたりで雪かきをしている人がいたのと、あと、数人傘をさしている人がいたのと、黒い車がコンビニの駐車場から出ようとしているのと、近くのレストランで食事をしている人を思い出すことができた。でも、車通りは少なく、いつもとは明らかに違った。雪は本当に白くて、足で踏んだら全身がどこまでも下に落っこちてしまいそうな雪だった。ベランダの外は雪の川みたいになっていた。僕はアホだ。そして、空虚だ。やっていることがわからない。僕はどんな理由で、こうなったのか、なにが原因でこうなったのか。
数日後、また雪が降った。先週に降った大雪の後で、世間はもううんざりというふうだった。 今冬で三度目��らいの雪である。それでも楽しんでいる人々と、積雪などの対策に追われ、憂鬱そうな人々と二様であろう。僕はどちらでもない。僕はわからない。ただ、考えようとしないだけかもしれない。窓の外で、激しく降る細かい雪や、葉や木の枝についている白い雪や、牢固として建っている住宅や、その囲いや、曇った白い空などを眺めても、僕は、何か感られているようで、感じられないような不安が起こり、動揺させたが、この三度目の雪に対して、感興など全く起こらなかった。 14時過ぎ。湿った道路を車が時々走る音と、洗濯物を乾かしているエアコンの発している音と、アパートの上の階の屋根から、つたって落ちてくる小さな滴が僕のベランダの手すりを叩く音が少し間を置いて聞こえた。 乱雑した物象の影がある机で、僕は今静かに物書きをしている。何かを書こうとしても、僕の意識は絶えず、不明瞭で、そこから出てくる言葉も弱々しい稚拙なものであった。だが、過去から僕が引きずって来た強い信念は、この雪も溶かした。だからこそ、僕は、それがあるからこそ、誰にも邪魔されず、一人だ。今こうして、この場所で僕は色々なことを反芻しながら、考える。迷い犬が主人の家を探すように。僕は道をさまよい歩くだけである。だが、その道というのも、果たして、本当に道であるか、疑わずにはいられない。今、僕はあることを閃いた。これは本当に僕の言葉なのかと。何か赤裸々ではないのではないか。今、鳥の声が聞こえた。巨大なムカつきのようなものが、僕を捉えた。文章にしてみると、それが僕のもの、僕の言葉なのかどうか、なぜか文章に勢いが感じられない!雪は降り続いた。雪を見る僕は醜いものだった。雪は綺麗だった。僕の身体は汚かった。深い宵闇から湧いて出てきた糧を、僕は眺めていた。
雪の降ったある夜だった。僕は髪の毛を両手で掻き乱すような調子で、ひどく沈鬱していた。一編の小説を書こうと、頭を凝らすのだが、思うようにうまくいかないのだ。明日、日雇いのバイトに行くかどうか悩んでいた。そして、日雇いに行くことを決定した自分を想像してみると、何か急にうら寂しい気分になった。雪は降っていなかった。空気は凍てるように冷たく、空は一点も白がなく、真っ黒だった。星々がくっきりと輝いて見えた。僕は結局明日、日雇いのバイトに行くことにした。そして、そのことによって、今日僕はご飯を食べに、実家に行こうという気になった。僕は自転車で数��ぶりに実家に帰った。家に着くと、僕は自分が、遠くにいるような、どっかで道に迷っているような感じを覚えた。
僕は犬の散歩をした。僕の実家の東側のすぐそばには川が流れており、遊歩道や、堤防が整備されていた。寒風が身を縮こませ、無意識のうちに肩に力が入り、猫背になった。堤防に入る道を歩いていると、前方にある電灯が、静かな光を皓皓と放ち、道行きの風景に明暗をつけているのが感じられた。地面は凍て、鉛筆の芯でなぞったように光っていた。だんだん歩き進んで、堤防に入ると、目覚ましい、突き抜けるような、美しい、捉えどころのない���景が目の前に広がった。この堤防の上には、O桜という、この市特有の桜が等間隔で並んでいた。O桜というのは、1954年に、この市の西岸を流れる川に沿った丘陵地で発見された、十月桜の突然変異らしく、花弁は10枚ほどで、ソメイヨシノが開花するより先に満開を迎え、八重咲きが咲くまでの息継ぎに咲く、中継的な、貴重な桜らしかった。春になると、その花は、春爛漫といった感じで、どの人間も魅了した。よく、この桜を見に、観光にまでやってくる人もいるということだった。しかし、現在はこの桜の木も裸になってしまっており、アナーキーな枝々がむき出しになっていた。枝には白い雪が乗っかっていた。草が生えて、緑の部分は雪で覆われ、電灯の眩しい光に照らし出されて、白が一層際立っていた。先に進むと、小学校があり、昇降口のそばにある道標の巨大な榎からしんしんと雪が地面に落ちていた。そして辺りは寒い冬の夜半に寝床で人知れず眠りに落ちていこうとする自意識のように静かだった。
僕は迷いに満ちた表情を浮かべていた。「どうしたらいいだろう」僕はこの風景の異様さにとてつもなく魅了されながらも、この風景から自分が隔絶されているのを感じた。恍惚の中の観照の中で、自分が棒立ちになっていて、取り残されて行くのを感じた。怖くなった。なぜか不安につかまれて、僕を空虚な気分にさせた。僕は足跡が付いていない雪を見て、誰もここを通っていないのだと思った。僕は足跡をつけた。誰もいない!こんなに美しい光景の中で僕は一人きりだ!そして…。僕は焦り、犬の散歩を早々に切り上げ、またノートとシャーペンを持って、戻ってきた。直感的に感じた美を、そのままにとどめておくことは自分自身を腐らせ、死に至らしめることだった。やっぱり誰もいない。僕はその時、心の中で起こった心象を、細々と、またノートに書いていった。僕は実家に帰ってきてよかったと思った。そのおかげで今この光景を僕は見れている。それは僕が一人生活の中で熱望していた飛躍のようなものであった。その飛躍の一点こそ…。だが、「なんのために?」という言葉がふと頭によぎった時、急に自分を底知れない孤独の方に向かわせた。そして、僕は「早く家に帰ろう」と思い、来たときとは違う早さで、家まで早歩きで駆けて行った。頭がうつむいていた。川にうつっている光や、影が、何か漠然とした不自然さのようなものを思わせ、おぞましい気分にさせた。家に着いた。また以前の僕に戻った。思考が元に戻った。
【2007年 12歳】
中学一年生
一学期の授業日数が71回で、欠席日数は0回でした。しかし、二学期は83回で、欠席日数は27回。なぜ欠席がこんなにできたのかと言うと、学校教育法にある「出席停止」を適応されたからです。 「出席停止の基本的な要件は、「性行不良」であることと、「他の児童生徒の教育の妨げがある」と認められることの2つ」と文部科学省のHPをみると書いてあります。僕が、こう���なされたのは、ある事件がきっかけでした。「コンセントにシャーペンの芯を突っ込む」という一種の遊びを友達にやらされていたのです。自発的にやろうと思ったわけではなく、僕はやりたくなかったのですが、当時遊んでいた不良の友人にその行為を促され、僕は関係性を保っていたいがために、本能的に、理科の授業の際に初めてやりました。そして、後日、友達が同じ行為をした際に、ショートした時に過電流が流れ、学校のブレーカーが落ちたらしく、英語の女性の先生がやっていた人物に気づいたらしく、僕も含め、やっていた生徒全員呼び出されました。他の人は指導されただけでしたが、僕だけが「出席停止」になりました。なぜというと、僕は中学一年生の中で、初めて保護者を呼ぶことになった生徒らしいです。これは21歳の時に、学年主任に会った際にそう告げられました。そのきっかけは小学校が同じだった生徒と、小学校からの延長線上で、戯れていた際、謝って怪我させてしまったからでした。それから僕は、気づいたら問題児というレッテルを貼られて来ました。当時、人一倍目立ちたがりで、他人から気に入られたい、疎外されるのを恐れていた僕は、学校で「問題」が起きると、自分が主体となってその問題を起こしたのではないが、なぜかその問題の中に必ず僕がいて、指導されるという感じでした。例えば、バドミントン部の部活動の県大会の際、クラスメイトの一人がお金を見せびらかしてきたので、「そいつのお金を盗んでやろうぜ」と万引きをけっこうやっていた友達が僕に言い出すと、それに嫌でも同調してしまうという感じで、僕は従っていました。そして、当時僕は勉強もできず、読書もまるでしなかったため「言葉」というものをまるで持っていませんでした。そのため先生と話しをする時でも、言葉がうまく出てこず、会話が破綻し、目も合わせることができず、絶えずうつむいているような感じが多かったとのことです。そのため、「心の中に何か抱いているものがあるのではないか」と外部から判断され、専門機関などに見てもらってからでないと、学校に来てはならないということになりました。僕はその対処にものすごく不服でした。そして、僕は「学校」というものを拒絶していくようになりました。やがて学校に来てもいいという処置をとられましたが、三学期は52回あったが、欠席日数は52回。一回も学校に行くことができませんでした。母も父も僕のことを「性行不良」だと見なし、無理やり学校に行かせようと家を追い出したこともありましたが、僕は行くことができずに、自転車を押しながらとぼとぼ家に帰って行き、寝ました。学校に行っていないときは、寝てることが多かったように思います。両親も児童相談所や、青少年相談室などに相談に行き、僕のことを考え、いろいろ奔走してくれましたが、僕は当時、内心誰も信じることができなくなっていました。これが僕の心的外傷になっていると思っています。本来は206回なのであるが、79回休み。計127日出席した。
この時に体験した詳細な出来事は、どうしてもまだ深く自分の心に沈殿していて、吐き出すことができていないので、別で物語にした文章を書いており、いずれ形にして必ず発表します。
【2008年 13歳】
中学二年生
ずっと学校には行けず、家に閉じこもる日々でした。友人とは遊ぶこともありました。その友達の一人(以下K)が保有していたカルチャーの影響もあり、よく一人でアニメを見ていました。深夜アニメなどをよく見て、声優の名前などを逐一覚えていくようになりました。CLANNADというアニメにはまり、精神的支柱になっていました。冬休みを目の前にした12月1日から学校に行けるようになりました。小学校から一緒だったそのKが自宅まで迎えに来てくれたのです。「子供は理解してくれる人が一人でもいれば、持ちこたえる」と言いますが、彼はまさにそういう存在でした。なぜか、当時、僕ではない誰かが学校でCLANNADを話題にしていたらどうしようと、恐れていました。学校に行けるようになりましたが、僕は一年生の時とはまるで変わり、落ち着き払っていました。人の目を気にして、よく髪の毛をいじっていました。
学校に行けるようになってから数日だったある日のことでした。Kと一緒に帰り、帰宅後、モンスターハンターというゲームを一緒にプレイしようとしていたのだが、学校に行っていない、不良(この言葉をあまり使いたくないですが)ら三人に絡まれました。僕にコンセントにシャーペンの芯を突っ込めと言って来た人もいました。学校の出口にある橋の前で自転車で待っており、連れられて、人気のない雑木林のような場所へ行ったら、だんだんと暴行を加えられました。不良の一人は「関羽だー!」と言いながらコーンバーを振り回したり、タバコをふかしたりしていました。一緒にいたKはその時、ちょっと蹴られた程度でしたが、僕は「俺の悪口を言っただろ」と執拗に言われ、「言っていない」と言うと、「友達から聞いた」と言われ、ボコボコに殴られました。逃げようと走りましたが、逃げられませんでした。そこで、「明日、3万持ってくれば、あと一発で勘弁してやる。だが3万円持ってこないんだとしたら、おまえを気のすむまでこのまま殴り続ける」と言うようなことを言われ、早く解放されたかったし、殴られるのが耐えられないと思った僕は3万円持っていくと約束しました。そして一発頬を思いっきり殴られ、彼らは去って行きました。最後に言い放った言葉は「いい勉強になったろ」でした。帰り、ドロドロのジャージを洗濯機の中に入れ、家族には何があったか告げられず、ただ、不安に満たされながら音楽を聴きました。そして3万円を親の財布からこっそり盗み、少し遅れたことを電話口で詫びながら、彼らの元に向かった。「ごめん、少し遅れてしまって」と伝えると「いいよ、ちゃんと来たから」と言った。その金で、Xboxを買うという話でした。彼らは安穏とした調子で話しながら家の中に入って行った。
【2009年 14歳】
中学三年生。
一学期の初め頃は学校に通っていました。朝の読書時間の時に読む本を買わなければならず、なんとなく書店で見つけた「ひぐらしのなく頃に 語咄し編」を買いました。その作品は見たことがないですが、自分の中でその作品に付与されていたイメージに、なんとなく魅惑されるものがあったのだと思います。そして、その本を、朝の読書時間の際にカバーをつけた状態で読んでいました。Kが「何を読んでいるんだ」と近づいてきて、見せると、若干驚きと笑いを交えた声調でこう言いました。「裏切ったな」僕は、その反応を見たかったのだと思いました。Kが見たことのない作品を見ることで、自分の新しいポジションをKに見せつけ、彼との差異をつけたいのだと思いました。やがて「ひぐらし」のアニメを見て、耽溺しました。何層もの編からなるその奥深い物語にとてつもなく魅了されてしまった。当時グロテスクだというイメージしか持ってなかったKは、「なんで笑っていられるの」とキャラクターのイラストをみて、言いました。「ああ、こいつは知らないんだな」と全編通して見た僕は、少し誇らしげな気持ちになりました。人物が極限にまで疑心暗鬼に陥っている姿が、本当に身近に感じられました。友人と学校で会話していても常にひぐらしのアニメの一場面が想起されたりしました。ひぐらしの人物に自己投影することで、救いを得ていたと思います。僕はひぐらしのキャラクターになっていました。やがて僕が興味を惹かれていった精神病の世界にも影響を与えていると思います。
やがて、その「ひぐらし」という作品が、最初、同人という媒体を通して発表されたことを知りました。コミックマーケットで100円程度で売り出していたことを知り、非常に驚いてしまいました。そこで、僕にもできるかもしれないという安心感のようなものが生まれました。それが、僕が「創作しようという気概が明確に生まれた原点」です。Youtubeでひぐらしの作者の制作現場の動画を見たりし、思いが募っていきました。竜騎士07という作者はその動画で、こう言っていました。
「みんな胸の中に創りたい何かはあるんですよ。でもどうすればそれを形にできるか、その方法をみんな知らないだけなんですよ。なにも作品ってのは、商業、会社から発売されているじゃない?個人がたどたどしい手つきでもいいから、こうやってものにして、発表するっていう、そういう場がここにはあるわけなんですよね」
それを聞いて、非常に勇気を与えられました。制作者の現場を垣間見ることで、新たなヴィジョンを掴むことができた。そして、当時の僕はその「ひぐらし」と同じ表現形式のサウンドノベルというものを作ろうと思いました。学校での体育の時間に、僕は友人に将来サウンドノベルが作りたいんだという展望を話したりしました。「だから音楽担当してよ」と誘いかけたりしました。だが、その欲求だけが充満するばかりで、ステップを踏み出すことはできませんでした。なにをすればわからないから、とりあえず、アイデアなどを携帯電話のeメールのboxに溜め込んだり、同人ゲームなどに詳しい同級生に、サウンドノベルを制作するツールを教えてもらったりしましたが、作品を書くことはどうしてもできませんでした。やがて周りは高校受験になりました。僕は母親に促され、母親の同級生である勉強を教えてくれるという人の家に通うことになりました。
【2010年 15歳】
偏差値40程度の県立の同じ高校を二回受験するが、不合格でした。落ちたことに激しい落胆を感じましたが、しかし、どん底に落ちる、ということが、なぜか、自分という���在を際立たせてくれるような感じも覚えたように思えます。感傷癖のようなものが根付いていたのだと思います。その年、進学を諦めました。家で創作のためのアイデアを考えつつ、だらだらと過ごした。この年、ニコニコ生放送というものに出会い、自分のコメントがリアルタイムで読まれるということに、大きな衝撃を受けました。奈須きのこの「DDD」という作品に出会い、大きな影響を受けました。といっても、僕は読書が全くできなかっので、作品は読んでません。外面的に惹かれるものがありました。ただ、空の境界などのアニメを見たりはしていました。その当時、自分の作品を作りたいために、いろんな作品のあらすじや、Wikipediaなどの登場人物などを探るというのをよくしていて、DDDも一つの資料として見ていました。
「感染者の精神だけでなく肉体をも変貌させる奇病・アゴニスト異常症患者――俗に言う「悪魔憑き」が蔓延る世界。 左腕を失った男・石杖所在と、漆黒の義手義足を纏い、天蓋付きのベッドで微睡む迦遼海江の二人が繰り広げる奇妙な「悪魔払い」の様子を追う」
というDDDの「悪魔憑き」という奇想なアイディアに触れ、そこから派生して、「狼憑き」というものに至り、僕は「悪魔憑き」ではなく、「狼憑き」を作品のモチーフにしようとしました。
そこで、「狼憑き」について、Wikipediaでは「狼男」だが、色々探っていくうちに一つの文献に当たった。それが、「狼憑きと魔女17世紀フランスの悪魔学論争」という書物でした。それをアマゾンで600円くらいで注文した。初めてアマゾンというサービスを利用しました。
この本の商品説明の内容が魅力的に思えた。
「狼に変身し、野原を駆け巡り、動物をむさぼり食ったと告白する男。特殊な薬を体に塗りこみ、魂だけが分離して魔女集会に参加していた女。彼らの体験談は真実か、それとも悪魔の謀略による幻覚なのか。「狼憑き」「変身」、「魔女の脱魂」の問題を巡って肉体と魂の不可分、神と悪魔の関係をも含み、近世の悪魔学者の間で、キリスト教世界観を揺るがす激しく危険な論争がくりひろげられた」
これを軸にして、物語が書きたいと思いました。当時、「乙一」を意識していた。彼は16歳時に「夏と花火と私の死体」という小説を執筆し、17歳の時に、第6回ジャンプ小説大賞を受賞して小説家の登竜門を通過し、デビューしている。そして、僕は、15歳で執筆し、乙一よりも早くデビューしたら、すごいんじゃないかと漠然と考えるが、結局、小説の参考資料として買ったこの文献も読むことができず、単なる精神的な拠り所みたいな形となり、作品自体は全く書けずに終わりました。読んでも、本文が全く理解できなかった。
「神の神聖を汚す事。 悪魔には神のような事は出来ない。 幻覚によってしか起こりえない。 摂理。すべては神の配慮によって起こっている。狼への変身はない。 恩寵、神や君主の愛やめぐみ。 覚醒時に人が聞いたり読んだり見たりしたこと、ひどく怖れていること、熱望していることは、とかく眠っているときに見る。 膏薬。悟性。霊物。権威。空疎。悪魔。魔女」など、作品に活かせそうな文章中の断片を携帯電話にメモし、これを作品に持ち込もうとしたが、メモするだけにとどまった。
訳者のあらすじを見ると、問題について一口に語られており、この文章に僕は大いに衝撃を受けました。
「魔女の脱魂とは何か? 狼男の変身とは? 二ノーの時代のことばで言えば「理性をそなえた、神の被造物としての人間の魂」を、現代人のなじんだことばをつかえば「人間の自己同一性を脅かす破壊的な力に身を委ねること」、と一口に言ってしまっては、乱暴だろうか。278」
ここで「自己同一性」という言葉に偶然に出会い、その言葉を調べると英語で、「アイデンティティ」と言い、「自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念」ということを知った。定義を見ても、よくわからなかったが、自分の中で漠然とした問題意識が芽生えた瞬間だった。
(自分とは何か)
そこで、インターネットなどでアイデンティティというものについて入念に調べたりした。早朝のアルバイトをしている時も「人間の同一性を脅かす破壊的な力に身を委ねること」の文言の意味についてしばらく考えてた。それを中心のテーゼとして小説として形にできないかと考えて、心を踊らせていました。 やがて図書館で「アイデンティティの心理学」という本を借りてくることになる。だが、読書が苦手だった僕は、その新書をパラパラとめくることしかできなかった。その本を、ちゃんとそれなりの高校に行き、堅実な手段を取っている一人の男友達に見せると、「これ、大学生が読む本だよ」と言われ、僕は「そんなことないだろう」と思ったが、結局読まなかった。当時、「うみねこのなく頃に」という作品にハマっていたので、ミステリー的な側面で、参考にしようとしていたアガサ・クリスティのミステリー小説「そして誰もいなくなった」も借りたが、それも読まず返却することになった。物語という壮大な、先鋭化されたものを頭の中に絶えず思い浮かべていた。だが、頭の中に浮上してくる物語のイメージは大概が安っぽい物語のように思われ、悩んでいました。
【2011年 16歳】
宇都宮にある、作文と面接だけで入学できる「国際TBC高等専修学校」に入学するが、行く意味がわからず、ゴールデンウィーク明けに学校に行かなくなり、やがて退学。6月からスーパーの早朝品出し(6時半〜10時)までのバイトを始める。この時間帯を選んだ理由は知り合いなどに姿を見られなくないからだった。初めて、給料をもらうという体験をし、生活が娯楽に進むようになりました。塗装済み完成品のガンダムのプラモデルを買ったり、友達とやる遊戯王カードを買ったり、PS3を購入し、ダークソウルをプレイしたり、そんなことをしていた。創作については考えない日はなかったが、今は少し休止期間という感じで、時熟を待つことにしようと考えていたように思う。
【2012年 17歳】
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」が、CLANNADなどの作品に影響を与えていることで、前から気になっていた。9月頃、何となく市内の図書館で借りた、その小説の分厚い単行本を、約1ヶ月ほどかけて読破し、広大な物語と、些々たる描写に、凄まじい衝撃を受けた。「どうしてこんなことが思いつくんだろう」と思った。本を読まなければという潜在的な危機感を抱いていて、借りた本だと思いますが、読んだらだんだん物語に魅了され、止まらなくなりました。そして、小説を読み切ったという事実が、読書に対する自信に結びついた。そこから購入して放置してあった「十角館の殺人」というミステリー小説を読破し、面白く、さらに「虐殺器官」など、小説を読むことができるようになってきました。その読書の過程で、以前読むことができなかった「アイデンティティの心理学」という一般書に回帰し、2012年最後の読書として、これも読み終えることができた。
冬に、ニコニコ生放送にて、「こぐまちゃん」という主にゲームを配信する人物に出会い、彼の音楽の趣味嗜好に大いに触発され、インディーズバンドなどをよく聴くようになり、こぐまちゃんが流していた、Good Dog Happy Menの「Bit by Bit」が入っているCDをヤフオクで落札した。そのCDを出品していたBURGER NUDSがバンドの中で一番好きだという方に他にもオススメのCDを聞き、挙げてくれた大量のCDをすべて、給料で購入した。この時影響を受けたバンドは、「ART-SCHOOL」「ナンバーガール」などだった。「Serph」「no.9」などのエレクトロニカや、「rega」などのポストロックも聴くようになった。また、彼は一人暮らしという環境の中で、たまにお酒を飲みながら配信をしており、その自由奔放な佇まいにもこの時、漠然とした憧れを抱いたと思う。
【2013年 18歳】
そこから僕は、主に家族共用の一室しかない六畳の部屋にある薄汚いブラウンのソファーに座りながら、三島由紀夫の金閣寺を読み、それから、シェイクスピアのハムレット 、リア王 、オセローを読んだ。だんだんと文学に傾倒していった。最初は読むのが楽しくもあり、苦しくもあった。なので、とにかく「異邦人」や「変身」などの薄っぺらい本を選んでいたが、やがて長編も読まないと、と思い読めるようになった。ヘッセの車輪の下を読み、あらすじから想像できた結末とは、全く違うもので、一種のミステリー小説のどんでん返しを受けたみたいに、めちゃくちゃに、打ちのめされた。
僕は「アイデンティティ」というものに非常に執着していました。ネットで調べていく過程で、ティエムさんのブログのこの記事に出会い、ロナルド・D・レインという精神科医を知り、人間の中には「真の自己」 と、自己を保持し「構え」なんとか生きている、にせの自己体系に隷属した、「にせの自己」があることを知りました。僕はこの記事を非常に興味深く読み、これは小説に活かせるのではないかと思いワクワクした。だが、世界が二つあるという、どうしても「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の残響が自分の中にあり、そのような構成にイメージが傾きがちで、揺らいでいた。
やがて、レインの著書を直接読んでみようという気になり、「ひき裂かれた自己―分裂病と分裂病質の実存的研究」を4月に注文し、学術書だったが、なんとか読み終えることができた。挿入されている分裂病者が記した詩的な文章にものすごく衝撃を受けた。また、「自己」というものについて仔細に考察している本は初めてでした。それから、「経験の政治学」「好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび」「自己と他者」「狂気と家族」「結ぼれ」と、約半年くらいで読み進めた。「家族の政治学」「生の事実」と「わが半生」は、この時には読まず、21歳の頃、学生寮に居た際に、勉強に悩んでいた時、またレインに回帰しようと思いたち、手をつけることになった。「家族の政治学」は、「唯一可能な終末は、全善玉が全悪玉を殺し、また全悪玉が全善玉を殺した時でしょう 188」というような、破壊的かつ創造的な文章が全体を覆っており、さらにレインの今までの著書の総決算的な位置にあるということで、今までのレインの著書の中で一番好きなものになった。
「好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび」という本の訳者あとがきに記載されていた
私は精神医学にかんしてはまったくの素人です。したがって、無責任にも反精神医学のお先棒をかつごうなどと思っているわけではありません。ただ、学生時代にジョルジュ・デュアメルの『ルイ・サラヴァンの生涯と冒険』を愛読して以来、文学作品を理解するにはいくらかでも精神医学の知識を持っているほうがよいと考えてきました。エリ・ヴィーゼルやアンナ・ラングフュスのような、極限状況を経験したユダヤ人作家の作品を知るに及んで、自己同一性の問題を精神医学との関連において考察する必要を痛感するにいたりました。
という言葉を読み、作品を作るにあたって、やはり精神医学の視点も持っていた方がいいと、この時、強く感じるようになった。
このレインの「自己と他者」という本で、ドストエフスキーの作品の考察がなされており、そこから罪と罰に手をつけた。そして同著で引用されていたサルトルの存在と無の文庫本の一巻を読み、人間は絶えず「演技」をしているんだということを知り、衝撃を受けました。
ここにいるキャフェのボーイを考えてみよう。 彼の敏捷できびきびした身ぶり��、いささか正確すぎるし、いささかすばしこすぎる。彼はいささか敏捷すぎる足どりでお客の方へやってくる。彼はいささか慇懃すぎるくらいお辞儀をする。彼の声や眼は、客の注文に対するいささか注意のあふれすぎた関心を表わしている。 しばらくして、彼は戻ってくる。彼はその歩きかたのなかで、何かしらロボットのようなぎこちない几帳面さをまねようとしながら、軽業師のような身軽さでお盆をはこんでくる。お盆はたえず不安定な、均衡を失った状態になるが、ボーイはそのつど腕と手をかるく動かして、たえずお盆の均衡を回復する。彼のあらゆる行為は、われわれにはまるで遊戯のように見える。 彼は自分の運動を、たがいに働きあって回転するメカニズムのように、つぎからつぎへと結びあわせようとして、一心になっている。彼の表情や声までぷメカニズムのように思われる。彼は事物の持つ非情な迅速さと敏捷さを自己に与える���彼は演じている。彼は戯れている。しかしいったい何を演じているのであろうか?それを理解するには、別に長くボーイを観察必要はない。 彼はキャフェのボーイであることを演じているのである。
存在と無
またこの頃に読んだ、キェルケゴールの「死に至る病」には高熱が出るほどの打撃を受け、僕はその時両親が使用していた寝室に横になり熱にうなされながらも携帯電話に本についてのメモを書いたのを覚えています。
初夏、罪と罰を読んでる頃、僕は痛烈に一人暮らしをしたいと思うようになった。夜、常夜灯にしてこれから眠ろうとしているソファーでの意識の中で、一瞬にしてそういった決意が自分の中に巻き起こった。僕の家は非常に小体で、みすぼらしかった。僕が普段生活できるスペースは、二階にある六畳の部屋の一室しかなく、もう一つある部屋は母、父、妹の寝室だった。一階は台所、風呂、トイレなど以外、叔父と叔母のスペースになっていた。僕は、いつも家族共用のソファーで眠っていた。真ん中にはテーブルがあった。テーブルを挟んだ壁際にはテレビがあった。家族が朝起きてくると、僕の眠っている肉体のあるそのソファーの縁に誰かが尻を乗っけて、テレビを見ながらテーブルでご飯を食ったりする。僕はそれが非常に嫌で嫌で仕方がなかった。精神の負担になった。ヴァージニア・ウルフという女性作家の有名なセリフの「女性が小説なり詩なり書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」ではないけど、いや、僕は男性だけど、やはりものを書くには自分の部屋があった方がいいと思うようになった。
「これはまた思いきって汚ない部屋だねえ、ロージャ、まるで墓穴みたいだよ」とプリへーリヤ・アレクサンドロヴナは重苦しい沈黙を破って、だしぬけに言った。「おまえがこんな気欝症にかかったのも、半分はきっとこの部屋のせいだよ」「部屋?……」と彼はぼんやり答えた。「うん、部屋もかなり影響してますね……ぼくはそれも考えました……しかし、あなた��知らんでしょうが、お母さん、あなたはいまおそろしいことを言ったんですよ」と彼は不意に、異様なうす笑いをうかべて、つけ加えた。」
罪と罰 上巻 工藤 精一郎訳 402
こういう言葉にも一種の示唆のようなものを感じた。
そこで、僕は、資金を集めるために、グランドホテルの皿洗いの面接をするも、落ちた。面接の時間までそのホテルの入り口付近にあるベンチに座りながら罪と罰の下巻の冒頭を読み、ラスコーリニコフと、スヴィドリガイロフの対話のシーン、亡霊の話を読んで、夢中になっていたのをよく覚えている。〈亡霊はいわば他の世界の小さな断片、他の世界の要素である 21〉
また、男友達が働いていたコンビニで働かせてもらうことになったが、研修の際に自分がその場所ににいることが「ありえない」という感じがしてならなかった。やがて、仕事中に散漫な気分がよく起きるようになり、やめてしまった。
二軒の、浅い緑色をした、家賃が3万円の、築年数がだいぶ経った二階建てのアパートを僕はネットで見つけ、一階が空いているということで、見学をさせてもらうことにした。外観こそ古かったけれど、部屋の中は入居前にほどんど張替えをしてクリーニングされていたこともあり、新築みたいに綺麗だった。間取りは1Kで、8•5畳と部屋も不自由のない広さだった。僕はそこに住みたいと切望した。だが、僕の手元には5万円ほどの金額しかなく、入居するには16万円の初期費用が必要だった。それと、必要最低限の家具代も必要だった。「机、椅子、ベッド、本棚、デスク、電子レンジ、洗濯機、冷蔵庫、食器…」最低でも20万は必要だった。
部屋があと一部屋しか空いていなく、誰かに住まれてしまう前に、早く確定させる必要があった。焦燥感が募った。とにかく働いてお金を揃えることが、喫緊の課題だった。女性の不動産屋さんと物件を見学した際に僕は、あまりに焦っていたので、「もし誰かに住まわれてしまった場合、誰かに出て行ってもらわなくてはいけませんね?」とおかしな質問をした。「それはどういうことでしょうか?」と相手は言った。「もし僕が住む前に部屋が埋まってしまったら、部屋が空くまで、住むことができないという意味です」「そうですね。部屋が空くまでは…」「どのくらいで部屋は埋まりますか?」などという会話をした。僕は、月6万円の稼ぎしかなかったので、バイトを増やす必要を感じた。日雇いのバイトは何度かやっていたが、それを入れても約一ヶ月くらいしか短縮にはならないと思い、とにかそこに住めなくては意味がないと思い、葛藤を生んだ。月6万円の今の稼ぎのままだと、7月25日に、7万、8月25日に13万、9月25日 19万。やっと、10月に一人暮らしができる。「早くても4ヶ月後だね。それまで頑張るしかない」と思ったが、性急さを消すことができず、金額の相談を両親に相談したら、実家に住んでいる叔父に相談してみたら、とのことだったので、僕は叔父に一人暮らしをする��を相談し、16万円必要だということを話すと、難なく聞き入れてくれて、16万円をその場で貸してくれた。その時僕はかなりの抵抗はあったが、16万円を受け取り、必ず返すからと約束をした。そして、親と不動産屋に行き、契約し、鍵をもらい、9月から、一人暮らしを始めた。そして、やはり稼ぎが足りないので、昼から近くのラーメン屋で働くが、苦痛だった。業務は、主に客が食べた食器を流しに運び、食器洗いをやっていた。餃子作りには失敗し、食器洗いの他には、卵の殻を剥くことや、玉ねぎの皮を剥くことなどが多かった。豚骨の出汁を取るための骨の肉の部分を手で直接取る作業があり、僕はその手で目に触れたら失明するのではないかと思い恐れた。バイトから帰ってきたら腰につけていた汚れたエプロンを毎回のように、他の衣服とは別に洗濯機で洗わなければならなくなった。僕はたいへん神経質になっていた。やがて、店主に呼び出され「もうちょっと早く仕事をこなしてもらわないと困る」と叱られ、3ヶ月あまりでやめてしまった。
2013.10.04 日記
この光景をおれはしらない いまみている光景をおれはしらない 言葉もしらない いま発している言葉もしらない おれはおれをしらない おれはおれが分からないからしらない 考えることをおれはしらない 考えている脳をおれはしらない 過去をおれはしらない いまおもいおこす過去をおれはしらない 未来をしらない 明日をおれはしらない いまもしらない いまをしらないをおれはしらない しらないをおれはしらない しらないをおれはしらないをしらない しらないをおれはしらないをしらないをおれはしらない しらないをおれはしらないをしらないをおれはしらないをおれはしらない」
ラーメン屋以外には、ピザーラでデリバリーをやったが、バイクで転倒してしまい、それきり行かなくなってしまった。それから他のアルバイトはせず、早朝のバイトだけで生活するようになった。この時、レインの本で言及されていたパウル・ティリッヒという人が書いた「生きる勇気」という本を読み、漠然とだが、勇気を与えられました。
【2014年 19歳】
朝の7時くらいに、バイトをしている中、ズボンにあるバイブが鳴り、珍しいな、と思い見てみると、中学の頃からの同級生である、同じ県で事務の仕事をしている女性から「家どこだっけ」と突然連絡が来た。疑問に思い、「なんで」と返すと、「一人暮らし大変そうだから差し入れでも」と来て、少し嬉しかったが、差し入れに来ず、うやむやになったまま数ヶ月が経ち、2月の下旬にアパートに僕の方から呼ぶことになった。彼女は仕事帰りに来ることになった。その時、男友達が3人僕のアパートに集まっていた。やがてその女性が近くのコンビニに着いたというので、僕は迎えに行った。そのとき雨が降っていたので傘を持って出た。その人は事務服だった。僕はその時女性に対しての自信が皆無に近かったので、接し方が全くわからず、動揺していたが、それが悟られないように自然になろうとした。コンビニを出ると、相手が傘を持ってないので相合傘をしながらアパートに向かうことになったが、空気が凍りついていた。
部屋に招いても、とくに雰囲気が良いわけでもなく時間が過ぎて行った。仕事の話になり、突然に、僕の男友達の一人が「〇〇(僕)も雇ってやりなよ」というようなことを、その女性に言った。そしたら「今工事部が空いてる」と言った。僕は「本当に?」と彼女に言って、その瞬間本気でその職場に入ろうという気持ちにさせられてしまった。梲が上がらない日々を打破する契機にも思えた。そしてそこに文学的な意味での価値も感じ取っていたことは確かだった。やがて、その女性が帰るという時に、僕は駐車してある車まで送って行ったほうがいいのかわからず、結果一人で帰すことになった。僕はそれを友達にも指摘され、後悔し、送ってあげればよかったと思った。精神的な凍傷を受けた。
早速、僕はその職場の応募要項などを見てみた。だが条件の一つに「高卒以上」と書いてあり、僕は非常に落胆した。そこで画策し、高卒認定試験を考えたが、もし取ったとしても、「高卒」に満たないことを知った。ということは、その職場に入るには、高校に入学してから、あと3年間の時間を要した。今年度の試験(2014)は、もう締め切ってあり、受けられないし、受けられたとしても勉強を全くしていないので、受かる自信がなかった。僕は熱望と果てしない失望に陥ったが、発熱したような状態は治らず、来年度の試験を受けて、2018年に高校を卒業し、高卒の資格を得てから、新卒でその職場に行こうと考えた。
その頃の日記の一部 「見た瞬間諦観がとらえた。慰めてほしいが、それをされたところで、わたしはもっとも泣きたい気持ちになるだろう。外部的な何かによって、わたしは殺される。22時。感傷に浸ることはできない」
2014.03.02
読むことも危険だし、書くことも危険だ。何もかも危険だ。どうやら僕は恋をしているらしい。今の問題は、今までの生活を破壊し、前に進むことだ。今までの自分は矮小化された自分だった。でもまたその中にいる。だが今までの自分は大切だし、僕が信じてた自分だ。僕は小説家になりたい。そして小説を書こうと孤軍奮闘してた。人生の意味を考えながら、昨日「雪」という随筆を書いて気づいた。これは書くのが難しいと。真実を書こうとするが、僕には足りない。常に疑念を抱いている。今日は早朝のアルバイトが6日振りに休みで、朝の6時頃寝床に入り、12時間以上眠り、18時過ぎに寝床から出た。 僕は僕自身の中にある問題のため、行動することができない。その問題とは、実存的な問題で、今これを書くことも問題として経験される。一人の女性に恋をした。その人が働いている会社に入りたい。でも条件を見ると、高卒以上と記されている。僕はこれらの問題をクリアしなくてはならぬだろう。時間、失われた時間。友達もみんな僕の相談に乗ってくれるような人物ばかりである。ああ、僕はやる。僕は今大いなる問題の中にいる。 深夜1時40分。ダイエット方法について調べる。アルバムを見た。痩せたいと思った。自炊をするか。もう何もかもダメだ。この日記を将来見よう。食生活が、栄養がとれていない。
2014.03.02
「今までやってきたことのすべてを放棄し、未来でそれを回収する」 この部屋のもの、全てを放棄して、新しい場所に向かって、またこれらのものを見たとき、わたしはこれらのものに愛を感じられるだろうか。 自分を制限していたようだ。
2014.03.03
なにをやっても虚無感しか起きない。11時45分。お���を食べる。外はとても天気がよく陽が当たっている。生活の中では、彼女の姿が揺曳していた。
・
この時、マニュアル免許も応募要項に必須と書かれていたので、免許だけは取っておこうと思った。合宿のHPを見て、父方の叔父が、「免許取る気になったらいつでも言って」というようなことを思い出し、甘えきった自分に苛立ちを覚えながら、叔父にもたれかかるように電話し、お金をいただきに、横浜まで行った。その時、30万円をいただいた。4月2日にさくら市にある、自動教習所に宇都宮からバスで行き、21日に卒検に合格し、帰ってきた。帰ってきた時には、アパートが母親によって綺麗に掃除されており、幸福感を覚えた。コンビニですら歩いて10分くらいの距離にある僻地の四人部屋の宿泊施設の中では、地獄のような無味乾燥さがあった。そして、合宿から帰ったきたら、すぐさま、またどうにもならないような日々に帰っていった。
2014.05.15
来年から高校が始まる。あともう約1年後。それまでの間が耐え難く感じる。それまでの間、なにをするべきか悩んでいる。 いまやろうとしてるのは漢字検定で級の取得をすること。そのための勉強をしている。 しかし、自分が今まで長い間、他の人がやっていた勉強をしていなかったのがやはり一番いけないのだが、どう勉強したらいいのかイマイチわからない。勉強。 あと僕は働き口を探すことも考えるべきなのではないか、ということが最近頭に浮かんできた。 なんせ一人暮らしであるから、今のままでは、経済的にきついし、実家が近いので最終的に困苦欠乏は抑えられはするが、それでは如何せん身が安心できない。親に頼るようでは!そんな自分には鞭を打つ精神でないと…。
2014.05.24
「ゴドーを待ちながら」を読了。すべての文学の根源は、劇にあると思った。そして、その劇の根源とはまさに日常そのもの!今この瞬間だって劇になる! ずっと部屋に引きこもっていたとしても、それが劇なんだ。劇とはまさに想像すること!日常の些細な断片を、汲みし、反芻し、味を醸し出すこと! 毎日同じことの繰り返しで辟易したとしても、それが劇だと思えば、なんて楽しい、素晴らしいんだ!日常生活のなにもかもが、劇になる!この世はカーニバル!
2014.05.29
今日はいつものようにアルバイトから帰ってきて、薬局で烏龍茶とチーズスティックアイスを買って、家に着くと、洗濯機を回し、テレビをつけ、アイスを食べ、それから少し15分ほど横になろうと思って寝床に伏した。それからドン・キホーテを読み進めたが、話が現実離れしすぎていて、活字を見ているうちにだんだん眠気に襲われて、また12時過ぎくらいから15時頃までたっぷり3時間も寝てしまった。最近こういう日が続いている。眠りたくて、つい寝すぎてしまう。その代わりに深夜遅くまで起きている。今は1時55分。 寝床から起きると、少し迷った挙句、冷蔵庫にあったサラダのパスタを食べ、それから何をしたろう。またドン・キホーテを読んだか。意識が判然としていなかったのか、よく思い出せない。夕方18時20分くらいになると、やっと外に出た。ん、今思い出した。漢字検定の問題集を二つほど進めたんだった。 外に出て、図書館に「文章」についての本を探しに行って、結局見つからなかった。朝日新聞を読んだ。本に圧倒された。 やはり僕はもっと本を読むべきだと思った。頭の中で駄弁を弄しているだけではいけない。それからデパートの文房具売り場にノートを買いに行き、本を見て回っていると、「日本語検定」の本があって、めくったりしてみた。資格。 そして、夕飯を買って、食べた。出かけている時に考えていたことを実行しようとパソコンを開いた。その前に自慰をした。 そのパソコンで何をしようとしていたのかというと、これから「やるべきこと」を深謀遠慮するために、いろいろとパソコンで調べようと思っていたのだ。 それで今日、ある計画を立てることができた。それは「論理エンジン」という教材を買うために、お金を貯めることだ。それは13万円くらいする。パソコンでいろんな資格を調べているうちに、前から気になっていた「論理文章検定」をやってみたい、と思うようになった。「論理的」というものに、惹かれるものがあった。頭の中でぴったりしているような感覚。論理を学んで、この曖昧模糊とした場所から抜け出したい。そこで、僕は明日から早速バイトを見つけるために、行動をしようと思う。 「人並み以上のことをしなければ、人に優ることはできないのだぞ byドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」
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僕の、恋の感情だが、進行する日々の中で、だんだんと、完全に消えていった。恋をしているという妄想をしていただけだったのかもしれないと思うようになった。そして、僕はひとまず教材のために、労働者派遣会社から、紹介のあった倉庫のピッキングのバイトに応募し、そこでアルバイトをすることになった。6時半から10時までは、スーパーの早朝品出しをし、11時半に支店の前の送迎バスに乗り、お昼前に着いて、午後から19時くらいまでピッキングした。商品の名称と数が記載されている用紙を受け取り、飲料や、食品をカートに積んで、目的の場所に運ぶだけという淡々とした作業をひたすらこなした。だが、僕はそこにいる人々や、仕事に嫌気がさしていた。「短大で失敗して、ここにきたんだ」と言う人や、40代で出会いがないと言いながら結婚もせず、労働者派遣会社の日雇いから正社員になることを少し考えながら休憩の時間に毎回缶コーヒーを買い、娯楽のことについて語ってくる人など、そこにいる人たちと同じになりたくなかった。僕はきちんとした目的志向を持った上でここに来ているんだということを示したかった。
僕はその頃から、大学に行きたいと考えるようになった。朝のバイトと、そのピッキングのバイトの合間に図書館に通っていた。よく本のカバーのそでの部分を見ると、「〇〇大学卒業」と書かれてるのが頻繁に見受けられ、漠然とだが、本を書くには大学で勉学していた方が役立つのではないか、と思うようになった。今の環境とは対照的なアカデミックな世界に身を投じたいと思った。閉鎖的で、外界との接触がない自分を痛烈に感じていたので、大学という共同体に属することが、魅力的に思え、コントラストを感じるようになった。そして、将来、研究職に就いて、論文を読み書きし、翻訳書ではなく原文のまま書物を読んだり、そのために英語を習熟したいと思うようになり、これからどうすれば良いかアドバイスを受けようと、ネットで質問すると、「中1英語をひとつひとつわかりやすく。」という教材をおすすめされ、その教材を買い、少しづつ進めた。
早朝のバイトの最中に僕は時間を見つけては、頻繁にトイレの個室に行き、英単語のアプリなどをやるようになった。僕が頻繁に仕事中に消えるので、やがて、同じコーナーで働いていた叔母さんに怪しまれるようになり、店長に密かに僕のことを報告されていた。そして僕は副店長に呼び出され、食品の品出しから、鮮魚の部門に移動になり、そこで商品の値下げをしたり、アジのたたきなどを詰めて、陳列したり、包丁でワカメを細かく切ったりする作業をした。
ある日、倉庫のバイトの最中に、荷送りのトラック付近にあった高い段差のそばにあったカゴ台車に野菜ジュースを、積んでいたのだが、その台車を移動させる際に、誤って、地面に落下させてしまい、商品を大量にダメにしてしまった。多量の液体が地面に流れ出た。そこで、僕はそのことを受け入れることができなかった。倉庫の責任者と揉めることになり、放心状態になりながら逃げ出した。そして、同じ労働派遣会社からここにきていた若い男に「おい、なに逃げてんだよ。働かせてもらってんだぞ。わかってねえのか」と言いながら、いきり立ちながら、思いっきり僕の服を掴んで、引き戻そうとしてきた。僕はなくなく従い、また責任者のところに話をつけに行った。僕は苛立ち、自分の持っていた鉛筆で、商品の段ボールを乱暴に刺し、歩いて泣きながらアパートまで帰った。僕はその野菜ジュースの代金を支払わさせられるのではないか、とひたすら怯え、そこから逃れることしか考えていなかった。結果、労働派遣会社が野菜ジュースの破損した金額を支払ってくれることになり、僕はその仕事場にはもう行ってはいけないという待遇になった。
やがて、僕がバイトをする動機であった買おうと思っていた高価な教材がヤフオクで安く手に入ることを知り、購入し、アパートでその「論理エンジン」を進めた。僕は当時のその時のめまぐるしい心境を明確に思い出すことができないのだが、焦燥感のようなものを感じていた。ある日、僕は絵を勉強したいと思い、東京の表参道にある絵画教室に行くはずで、東京に来ていたのであるが、「絵なんて学んでいる場合ではない」という思いが突然に起きて、その日に四谷学院と、河合塾に直接足を運んだ。そこで、大学で勉強したいと考えている旨を相談した。そして僕はその日、「高卒認定試験」という手段をとることに決めた。僕はその日まで「高校に3年間行く」という手段を取ろうと考えていた。高卒認定試験で、大学に行くことが、便宜的であると感じたし、高校という「共同体」に属すことが何より肝要だと考えたから。だが、予備校などに実際見学に行って見ると、大学に行きたいという気持ちが先行することになった。絶えず未来に流れていく自分に今の自分が押しつぶされそうになった。
僕は地元にある塾にも相談した。そこでは、通信制高校で単位を取りながら、塾で、大学受験に向けての勉強をするのがいいとのことだった。中学基礎から高校基礎までを2016年の夏に完成��せ、2017年から大学受験勉強をする方向性がいいと言われたが、僕は遠い話だと思い、そこには通わず、9月に、近所の「多読多聴」という独自のコンセプトを導入した英語塾に入った。高校生のクラスに入れられたが、全く基礎ができておらず、be動詞もわからなければ、簡単な単語もわからなかった。まず自分が何がわからないのかもわかっていなかった。そして、中学生のクラスに混じって、4ヶ月間程度教わった。だんだん英語塾だけだと不安になり、他の教科も含め、包括的に見てもらえる環境を望み、12月から家庭教師をつけることにするも、馬が合わず、やめてしまった。
【2015年 20歳】
1月から京都大学法学部卒の人間が一人で経営している塾に通うが、満足に講義をしてもらえず、教材も渡されず、デスクトップパソコンを売って手に入れた7万円を先払いした状態だったが、やめさせて欲しいと、返金して欲しいと頼んだ。しかし、相手が悪辣で、7万円を返金されることは叶わず、結果退塾した。
それから僕は地元にある総合塾に見学に行った。母親とも会わせ、非常に温和な性質な先生で、親身に相談などに乗ってくれ、パーソナルな背景も理解してくれそうだったので、そこに通うことにした。そこでは、今やっているバイトを辞めて、実家に帰った方がいいと助言された。バイトと勉強を両立させると中途半端になるという話だった。
やがて、僕は3年以上続けた早朝バイトを辞めた。そして経済的な側面から、2015年の1月いっぱいで、一人暮らしを辞め、実家に帰った。だが、自分の部屋がなく、静かに勉強するスペースも全くなかったので、最初は、焦慮に駆られながらファミレスに行って勉強していたりしたが、やがて、台所の冷蔵庫と食器棚の間にあるスペースを空けてくれて、そこに机を設置して、その薄暗い場所で勉強をした。
だが、その塾でもウマが合わないと思うようになった。やがて、「地元から出た場所にある塾」を志向し、4月の終わりに退塾し、今度はネットで受講できる、前衛的に思えた「偏差値30からの早慶圧勝の個別指導塾」という文言で宣伝していた塾に、5月に入った。そして、田町の慶應義塾大学の向かいにある独自の理論で指導を行っている塾を見学し、そこにも通ってみたくなった。僕はどうすればいいかしばらく悩み、入塾金など諸々の莫大な金額に、家族にも相談することができずに頭を抱えた。
【田町の塾】(英語) (東京・三田) ・月48回 【全額 432,200円(税込み)】 ・140,400円×3回 1回目 5月7日までに【140,400円】 2回目 6月7日までに【140,400円】 3回目 7月7日までに【140,400円】
【ネット受講できる塾】(英語、日本史、国語、小論文) (東京・三田) ・5月~2月入試まで 【全額 651,240円(税込み)】 ・入塾金 【21,600円】 授業料2か月分 【144,720円】 =【166,320円(税込み)】 ・毎月4日支払い 【月額 72,360円(税込み)】 1回目 6月4日に72,360円 引き落とし ・塾二箇所合わせた全ての金額 【1,083,240円(税込み)】 +ネット受講できる塾から指示のあった参考書代 +交通費【年間約53,280円】 5月02日 借りている金額【320,000円】
という現実に当たった。僕は下記の誓約書を家族に渡し、どうにか通わせてもらえないかどうかと訴えた。
「この度、お金を借りるにあたって、その金額が、どれだけ重みを持っているか、どれだけ稼 ぐのが大変かということを私は意識した。 本当は容易に借りられることがないそのお金、手に入るべきでないそのお金を借りるにあたり、 私は、今後、一生涯にわたり、下記に記したことを、厳守することを誓う。 1.まず、お金が本当に必要な事態に直面したとき、お金を借りることが最善の方法でないことを最大に自覚する。 2.そして、人間として、第一にやるべきことは自分で働き、稼ぐことだということを、今後の鉄則とする。 3.借りたお金は、絶対に無駄にせず、絶対に、将来返すことを約束する。一端の社会人に なることを誓う。 4.また、今後、お金は借りないことを約束し、絶対に履行することを誓う。「お金は借りられるという、甘えを許さない」 5.未来永劫、この恩を忘れずに、生きることを誓う。家のことを 進んで手伝う。 6.もし受験に失敗しても、今度は、一人の力で、精力的にやり続ける。その根拠は、この 九ヶ月間で、一人で勉強するための基礎力を完璧につけるからである。 もし、またほかの予備校に行きたいと言ったら、まったく成長していないという証拠である。 勉強で 大切なのは、自分の頭で考えることであると、意識しながら勉学に励む。 7.自己責任が原則であることを心に留め、迷惑をかけない。 8.心配をかけないようにする。常に状況を報告する。 9.本当に大切なことを常に考え、行動する。 10.決めたことは、絶対に初志貫徹する。右往左往しない。」
そして僕は、また叔父から金額を拝借できないかと働きかけ、まず始める際に必要な金額を借りることができた。
だが両方とも、数ヶ月後、これまた中途半端にやめてしまった。僕は勉強をするというより、勉強法に時間を費やしているという感じだった。受験に集中できないことに悩み、今度は抜本的な問題を発見するために、新宿の「心の杜」という心療内科・精神科に一回行ってみたり、地元のカイロプラクティックに行き、骨が悪いから脳に酸素が行き届かず、障害があるのではないかと思い、昭島まで「骨の歪み」を見るためにレントゲンを撮りに行ったりした。だが、矯正をするにも金がかかるので諦めた。
やがて、7月の終わり頃から池袋にある世界史専門塾に12月頃まで通うことになった。そこは「世界史「を」教える」のではなく、「世界史「で」教える」というようなコンセプトの元でやっている塾で、時事問題や、社会構造などが知れて面白かったが、勉強は苦痛だった。僕よりはるかに勉強のできる現役の高校生と席を並べて一緒に勉強をするのは苦痛でしかなかった。
8月に一緒の家で生活していた母方の叔母が死に、10月に父方の叔父が死んだ。普段叔母は叔父と一階の八畳の和室で生活しており、寝るときは隣の寝室で寝ていた。10月の終わり頃、なぜか今まで両親と妹が使っていた寝室を僕の部屋にと、勝手に開けてくれることになり、両親は普段叔母たちの生活していた和室で寝ることになり、妹は二階にある二部屋のうち、一部屋で寝ることになり、そちらは妹の部屋のようになった。僕は一室使えるようになったが、最初の頃は抵抗があった。
大学受験が近くなってくると、僕は今年の大学受験を諦めようと思うようになった。壊滅的に勉強ができていなかった。どうしようか悩み、周りの人たちと相対的に見て、僕は三田文学新人賞をとり、慶應義塾大学のSFCに、AO入試で入る道がいいのではないかと思った。小説を書き、応募し、最終候補者に選ばれれば、出願資格の条件が得られたし、自分の進みたい道と符合するのでそうしようと考えた。だが悩んでいた。そのことを世界史専門塾の慶應義塾大学に通っていたスタッフに相談すると、「とりあえず今年大学入ったらいいじゃん。なんで牡蠣って食べれるんだと思う?それは牡蠣が安全だってみんなが判断したから、「安全」だっていう前提が個人に生じて食べれるんだよ。みんな偏差値が高い大学に行きたいと思ってるけど、それはみんなが「安全」だと思ってるからだよ」というような話をされ、僕は納得したが、まだ悩んでいた。
僕は、漠然と東京のどこかに住んで、広尾にある東京都立図書館に通うことを考えていたりした。大学図書館を除いて、蔵書数が国会図書館に続いて第二位だし、実際行ってみて雰囲気が良かったから。シェアハウスに住むことを考え、荻窪にあるシェアハウスに見学に行ったりした。また、ビジネスに手を出そうと考え、自分の時間を売ることのできる「タイムチケット」というサービスで「せどり教えます」という、会社を起こした人物に直接会ってみた。そして一緒に働かないかと一回誘われるが、僕があまりにも右顧左眄であり、中途半端なので、断られ、やがてまた自分の世界に戻って行った。
2015.12.22
現在、東京都立図書館の二階に来ている。たまたま目に入った本「軍隊教育と国民教育」 なんか面白そう。 でだ。私が思うこと。私は本に圧倒されている。読む��゙き本しかない。 それをなぜ今まで読まなかった。読むべき本をなぜ読まなかった。こんなにも知識欲を満たしてくれる本がたくさんあるじゃないか。おい。 なぜか、手遅れ感が、焦りが、私を非常に不快にさせる。 私は今こんなんだ。ちくしょう。なんでもいいから、とにかく事に当た らねば。自分が消失してしまう前に。まず、立ち位置を把握することが一番重要だ。なぜなら、過去、現在、未来の連関の中で自分をみるべきだからだ。でないと、どこを進んでいるのかすらわからなくなる!
【2016年 21歳】
1月、岸田秀が講師をしていたということで知って、以前から何回か訪問していた和光大学のHPにたどり着き、表現学部総合文化学科という学部のページの文章を何気なく閲覧していると、教員紹介が語っていた言葉に興味が惹かれた。そこを受けてみようという気になり、出願することになった。母親の友人から同盟学寮というものを紹介され、そこに応募することにした。
その頃、以前相談したこともある、松葉謙さんという教師と兼業で今の相談業をやってきたが、カウンセラーとして独立した人物に影響を受け、僕も彼に倣って、「社会福祉士」という資格を得るべく、「日本福祉大学」に資料を取り寄せ、出願して、無事合格し、和光大学と並行して勉強しようとするも、二重学籍になってしまうことを知り、それがバレてしまうことを恐れ、また経済的な側面も考え、入学を取りやめた。
和光大学に受かった。そして、同盟学寮に、必要な履歴書と、必要ではないが、絶対に受かりたいという思いで個人的に書いた下記の文章を同封し、募集要項に記載されていた住所に書類を発送した。
「同盟学寮様へ 私の決意と、目標。 私は、同盟学寮様にどうしても在籍したいと思っています。 その志望理由、これから同盟学寮でなにがしたいのか。同盟学寮様はお望みではないかもしれませんが、私の「意思」をどうしても伝えておきたいとの思いで、文面にて書き表そうと思いました。 私は今年21歳になります。今年2月1日に和光大学表現学部総合文化学科の試験を受け、無事に受かりました。ここに行く理由は社会の上部構造である「文化」またそ の文化に影響を与えている「経済」を横断的かつ総合的に学べることと、情報発信するための「表現」の三つを学べると思ったからです。 私は夢が二つあります。 まず一つ目が、「小説家」になることです。なぜかというと、14歳の時に偉大なる 「作品」に触れたことで、創造欲が掻き立てられたからでした。 今まで、私は殻にこもり、読書をしたり、小説を書こうと、文字通り、呻吟していました。 しかし、そうやって独学して、だんだんと本を読んでいく中で、世の中には様々な 「表現」や、「視点」が存在していることを知り、私はもっと、人と関わり、議論 し、視野を広げたいと常々考えるようになりました。 「内」から「外」への転換が起こってきたのです。今までは、他人から本質を規定 されて、自分を矮小化されることを恐れ、「一人でやるんだ」という思いからどう しても離れることができずにいました。自分の関心を内へと、向け続けてきました。 しかし、それ自体がまさに矮小化された自分だと気付きました。重要なのは、自分の関心を外に向け、発信していくことだと気付きました。 「もっと人と関わり、話し、感化し合う」べきだと思いました。 大学受験の勉強をする中で、私はたくさんの人間と出会いました。その中で、勉強も大切だけど、社会人としての素養を身につけることの大切さをひしひしと感じました。 すべては、コミュニケーションから始まる。本当にそう思いました。大学受験の入学試験だって、教授とのコミュニケーション、小説家だって読者とのコミュニケーションです。 自分に執着し、(仏教でいう「我執」)コミュニケーションを閉ざしていては何も発展しない。今までの生活の中で、体感的に、そう思うことができました。全ては 「共感」という一語に集約されなきゃ意味がないと思いました。 同盟学寮では、ホームページにもある通り、共同生活や、行事など、人間形成や、 適応性涵養を育む上で非常に、最適だと思います。同盟学寮での仲間たちとの関わ りの中で、様々なことに「気付き」自分に「活かす」ことができます。 これほど有用で、幸せなことは私にはありません。「同盟する」ことの大切さをこれから学んでいこうと考えています。 もう一つの夢ですが、 「社会福祉士」の資格をとり「児童養護施設」などで、困窮している人々の「自立を支援」することです。 社会には困っている人が沢山おり、人間は社会という脈略の中で生きています。 様々な情報や、広告などが溢れる世の中で、見えない作用によって、人々は行動しています。偽の厳粛さが社会全体を覆っていると感じています。そういったことをきちんと「社会学」や「実践知」できちんと学び「対象化」し、理解して、本当に困っている人を支援したいです。さらに東京行くことの意味について。 私は現在栃木県〇〇市というところに住んでいます。そして、私は東京に住まなければならないと考えています。 それはなぜかというと、本が読めるからです。私が現在住んでいる栃木県〇〇市の図書館では蔵書率が多くありません。これは税収も関係してると思います。例えば、ある時、宮台真司さんという社会学者の著書で勉強したいと思ったのですが、 30冊は超えているだろう著書の中で、近場の図書館には、1冊程度しかありません でした。アマゾンというショッピングサイトで見てみると、1200円程度。東京では即日すぐ図書館で読めてしまうものが、地方だとどうしても、現在は買うという選択肢しかないのです。そして、多くの著書に触れられないので、それが盲点になってしまい、知識に「穴」ができてしまいます。 男性寮がある千石付近だと、文京区立図書館があり、ここでは貸し出しができます。さらに蔵書率が多い、広尾の東京都立中央図書館、永田町の国会図書館まで約30分程度。大学付属図書館もありますから、本を読む環境が随分と整っています。 私は、年間約1000冊、4年間で4000冊は確実に読みたいと思っています。さらには都内には大型書店、また中古書店が非常に充実しています。1年で1000冊となる と、365日のうち、270日は1日3冊、95日は1日に2冊という計算になります。東 京はそれを達成するための、インフラがあります。同盟学寮を勉学するための「拠点」として利用していこうと考えています。 また、最後に「経済的自立」ということが一番重要であることについて。 今までの20年間、私は両親に多大なる負担を強いてきたと思うので、これからは経 済的自立ができるよう、親に迷惑をかけないよう、考え、行動していきます。同盟学寮に通いつつ、古野伊之助様を見習い、「勉学」と「仕事」を頑張ってこなしていきます。3万円と、定期代の1万2000円。合計42000円は4年間、必ず自身が出し続けることを、誓います。 「お金」と「不安」は何をするにもついてまわるものだと思います。だから、私はそれを乗り越えられるよう、「お金を稼ぐ方法論」をきちんと身に付けたいと思います。 最後に、私はこれからは何よりも積極的に行動していきます。そうでなきゃ、この人生はやってはいけません。 この文章をお読みになってくださり、ありがとうございます。拙い文章を長々と、 本当に、失��いたしました。
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その頃僕は、スカイプの通話、チャット相手を探せる「スカイプちゃんねる」という電子掲示板で、とある女性(以下Eちゃん)に出会った。コンタクトを承認され、1時間くらい通話した。その人とツイッターをフォローし合い、関係が良好であると意識した時には、もう彼女から離れたくないと思うようになった。そのひとに気に入られようと、考えていた。
2016.02.17
15時からの、寮の面接に向かった。社会学入門という本を購入し、後ろめたくなり、面接終わったら働くから!と僕は胸中で言った。鏡で映った自分の顔は乳液でテカテカしていて気持ちが悪かった。口元がこんもりしていて醜い。また腐ったようなコートを着た。眼鏡がない、スマホのポータブル充電器がない!と焦った。電車の中で、大学に向かう途中の小田急線から見える風景を想像した。海。江ノ島。楽しいのではないか、と若干気持ちが高揚した。これから日本はどうなっていくんだろう。
12時くらいだった。東京駅近のビルにて。ビジネスマンやサラリーマン、外国人。なんというか、すべての人間が高級品のように見えた。僕もこんな場所で、1個980円もするハンバーガーを頬張ってみたい。神秘を感じた。一人一人に何をやっている人なのか、尋ねたいと思った。お金を稼ぐことができていたら、今なんか食べれて、経験ができ、視野が広がったかもしれない。こう言う時に金があれば…。自分の時間を創ること。現代という時間の枠組みの中に、意味もなく急かされている自分ではなく、それに迎合しない、新たな自分を作るんだ。そのためには、自分を表現するための「メディア」が必要だと思った。何より大切なのは、文章と、写真だ。デュルケムの比較社会学を読んだが、圧迫感がある意識の中で、よくわからなかった。
「初めまして電話では」と東京駅で会釈し合うスーツを着た三人の男を見かけた。一見全く違う人間に思えた。笑っていたが、一体何をする人なのだろうか。気になった。これからどこに行くんだろう。東京駅舎という場所を初めて知た。おお!僕の時間のこの平行線上に他人の時間がある。そこにある不自然であると思えるもの、他人にとっては自明のことであり、僕にとっては自明でないもの。そのギャップが不思議なものである。ある人にとっては「自然」であり、ある人にとっては「不自然」なもの。僕はそれを埋める何かが書きたいと思った。地下街に行った。多くの人間は機械的だ。僕は人間だ。それを思い知らせてやるんだ!というフレーズが突然頭に浮かんだ。
14時、僕は寮で行う面接の暗記をした。日比谷公園だった。僕は叔父のことを思いだしていた。ガンで四ヶ月前に死んだ。もう戻らない叔父の時間。僕は過去に、ホテルオークラで行われた藤原正彦講演会を見に行き、それが終わって、この日比谷公園を歩いていた。その日、講演会の後で叔父に会う約束をしていた。「今、日比谷公園のそばを歩いてるよ。今から横浜駅に向かうね」と電話した。もう、会えないんだなと思った。
Eちゃんからスカイプでメッセージがきた。
「のいちゃん」
この時、僕は「のい」という名前をもらった。僕のスカイプの名前は「野井豆」だった。
「暇なぬ?」と送ったら、「暇なぬ」ときた。僕は面接で緊張していたので、考えもなしに「こわいしぬ」と送ってしまった。「どうして」と来たので、「しぬ」と言ったら「ねえ、やだ。どうしたの」と来たから「今面接に来ているんだ」と言った。そしたら「頑張ったで賞あげるから大丈夫だよ頑張ろう」と来て、なんて優しいのだろうと思った。面接の前に通話をしてもいいか聞くと、いいとのことだったので通話をかけた。面白い自分を見せたくて、ビルの付近にいた清掃員をビデオにしながら追跡したら笑っていた。僕は、大学生という設定だったので、見栄で、寮の面接とは言わなかった。ただ、面接とだけ言った。足元をビデオで写してしまったら、「すごい。ちゃんとした服着てる」と言われた。
16時に面接が終わり、緊張のあまり、放心状態になっていた。本屋があったので、そこで本を読むことにした。多くの本を読まなくてはならない。僕は知らなければならないと思った。頭が痛くなった。 今の自分を最適化したいと思った。本屋から出た。僕はどこに行くべきか。誰か教えて欲しい!西新橋の「猫雑貨の店エブリー」という場所を通りすがりに一瞥すると、猫の顔が入ったふわふわしたパジャマみたいな服を見つけた。写真を撮り、彼女に送ってあげたいと思ったがスルーした。ナポリタンの店を通りかかった。彼女と行きたいと思った。そして、僕は結局雑貨屋に引き返し、その服の写真を撮り、彼女に送った。この日、Eちゃんとラインを交換した。
その次の日、入学金と前期の納入分の78万円を母親から渡された。苦しかった。僕は顔を気にしていた。本当に彼女が欲しくなった。
小説が書きたいと思う日々だった。中学一年生の頃の心的外傷の話を描いた小説を書き上げようと絶えず構想を練り、とりあえず読書を重ねる日々だった。僕は、「あ」と思い、母親のスマホから連絡先を探し出し、中学生一年の頃の担任であった男性と、学年主任だった女性と、一人ずつコメダ珈琲で会って話をする約束をつけた。小説に厚みを持たせるために、僕は当時の中学の頃の僕自身の話などを聞いた。だがこの時「分かり合えない」という感情が生じた。
3月の上旬、これから大学という、社会的な共同体に属そうとする予期的な何かに従って、僕は服を買いに行きたいから、見に行こうと友達に誘った。そして、宇都宮のインターパークに行き、服を見たが、結果見ただけにとどまり、その後友人と居酒屋に入った。楽しくて、飲み放題で僕はつい飲み過ぎてしまい、またタバコも吸いまくり、極度に酩酊してしまった。二軒目に着いた時には、もう意識が朦朧としていた。僕はカバンをどざっとテーブルの上に置くと、その音が他人の迷惑になったみたいで、「おい、うるせーよ」といきなり他人に怒鳴られた。僕は友達に迷惑をかけてしまったという思いが急激にせり上がって来て、自罰的になり、衝動で、「もう友達じゃないんだな!」と言って、店のフォークを自分の左手の小指の部分に思いっきり突き刺した。それから僕はどうやら泡を吹いて倒れたらしく、友人に担がれ、外の道路に運ばれた。やがて、意識が戻ったが、僕は異常酩酊し、暴れ回り、やがて両親と警察が来た。汚い言葉を散々辺りに撒き散らした僕は、保護室に運ばれた。やがて、深夜の3時頃親が迎えに来てくれて、僕はフードで顔を隠し、その後しばらく家族にも顔も見せられなかった。僕は音楽を聴いて、獣のようになりながら日々を過ごした。
やがて、男の抱く最も強烈な感情が、心に溢れ出た。僕はEちゃんのいる中部地方まで、突発的に電車で会いに行くことにした。「会いに行く」とラインで送ると、「テスト勉強があるから会えない」というようなことを言われ、あと心配そうだったが、僕はもう普通電車に乗っていた。とりあえず僕は遠くに行くことを考えていた。なぜかその時、ビニール袋に聖書だけ入れていた。終電を迎え、始発の電車に乗るために、コンビニで聖書を読んだり、書き物をしたりして、朝を迎えた。
僕とEちゃんはその日会い、街をとりあえずぶらついた。女の子と二人で会うことは新鮮だった。そして、「彼女になって」と言ったら、少しだけ頷いた。付き合うことになった。
同盟学寮の結果を待っていた。 当日、はやくして!決めるのはおれじゃない!と絶えず焦っていた。そして、電話すると、不合格なのを知った。合格しているだろうと思っていたので、僕はぶん殴られたような気持ちになった。事件を起こし、「排除の空気に唾を吐け」という新書に登場した造田博のように、僕も何か事件を起こし、一冊の本になってしまうのか、という思いが瞬間的に僕をとらえた。全身が震えた。同盟学寮という属性にぼくはじぶんを縫い付けたかった。早くここから出たい。常に外に変形されている自分を意識した。父がただいまというが返事もしなかった。父は二階に上がってきて、雨の中、洗濯物を混み、階段の上に置いてあった僕が使用した食器を片付けた。
僕は急いで、インターネットで別の寮を探すことになった。その流れで、国分寺にあるとある学生寮を発見し、青息吐息で連絡をし、面接をした。そして、面接中に合格であることを告げられ、一安心した。寮には、3000冊もの蔵書があるということで、僕はそれを実際見て見ると、そこに入りたいという気持ちが募った。それと、メンター制度というものがあり、「メンターとは、「助言者、師匠、教育者、後見人」という意味で、仕事やキャリアの手本となり、あなたの味方になってくれる人です。 経験豊富なメンターに、継続的な支援を受けることを「メンタリング」といいます」と記載されており、興味を持った。
寮に入る前日の夜、母から「〇〇なら可愛がってもらえるだろうから。ニコニコしてんだど。ニコニコしてれば、誰かが近寄ってきてくれっから。わかったか?悪い人に連れてかれないように」と言われた。そして、入寮する日が来た。一睡もできなかった。強烈な眠気と、全身の痛みでぶっ倒れそうな意識だった。荷物が関節に当たって痛かった。今日いつ寝れるかわからないし、ベッドのカバー買わないといけないだろうし、どこで買うのかもわからんし、枕持ってくの荷物になるから持ってないから、枕も買わないといけないだろうし、たくさんの人間と会わなきゃならないし、頭使いそうだな…とごちゃごちゃした思いが頭の中で起こっていた。寮の最寄り駅に着くと、僕はこれから適応しなければならない未知の環境が怖くて仕方なかった。コンビニのトイレで息をつくと、寮に向かった。
寮は二人部屋だった。最初は自身の積極性の欠如と、孤独感で、心がうろうろしていたが、だんだんと馴染んでくるようになった。同室の人と会話し、その人は早稲田大学の文化構想学部に通っている三年生で、僕より一つ年下だった。僕が小説家になりたいということを話すと、「俺、編集者とか知り合いにいるよ」などと言われ、僕は興味を惹かれた。「今日みたいなこといくらでも話しますよ」「ありがとうございます。ぼく興味しかないんで、いろいろ教えてほしいです。啓蒙になるんで」「いえいえ」というような会話をした。
大学の健康診断の日、 僕はまだ親の庇護下にある、と思った。待ち時間、皆スマホをいじっていて、堂々と下ネタを言い、うるさく話すものもあり、雰囲気が明らかに幼稚で、僕は鼻持ちならなくなった。ツイッターで出会ったとある哲学好きの読書家は、今頃本を読んでいるんだろうなあと思い、僕はなにをしているんだろう、と思った。寮に向かう帰りの電車の中、親の行為を小さい子供は見ている。窓に向かって子供が「宇宙船みたいのが見える!」と陽気な声で言った。すると、スマホをいじりながら母親が「なんだろーね」と言った。子供は「ね」と言った。
寮のイベントで花見が行われた。新入寮生歓迎会の一環でもあるようだった。僕は自己紹介をした。入寮する前、僕は寮生のいるラインのグループに入ったのだが、その頃のサムネイルがgroup_inouのイルカくんの画像で、名前もイルカだったので、本名ではなくそちらのインパクトの方が大きく、僕は気付いたら、ほとんどの寮生からなぜか「イルカさん」と呼ばれることになった。近くの公園に青のレジャーシートを引き、酒や寮生の出身地の名産物などが振る舞われ、楽しい雰囲気だった。同性の寮生の人間が声をかけて来てくれて、その人は法政大学に通っているとのことで、初めは筑波大学を受けて、筑波大生の寮に入ろうと思っていたらしいが、落ちたので、ここに来たらしかった。その人の父は、NHKで働いていて、教育熱心であり、その人が寮に入るという選択をした際、「お前の人生で初めて予想できなかったことだった」と言ったらしかった。また、農工大の同性の人とも話し、海外へ行った際の、たくさんの経験を話してくれた。いろんな差異を見せられ、自分の今までの生活があまりにも閉鎖的で、また愚かなことに思えた。
次の日、入学式だった。母と一緒に行く予定だった。雨が降っていた。僕は、入学式なんてどうでもいい。受付登録もどうでもいいと思った。大学の最寄駅に着いた。僕は僕自身が一番気になっていた。自意識の問題がその日を占領していた。9時45分。10時から入学式は始まる。あと15分だった。母を待たずに僕は歩いて大学に向かったが、遅れてしまうと思った。遅れたところで構やしない!誰も生徒らしい人がいない。私は入学式を、なんかの講演会に参加するみたいにしか感じていなかった。会場に着くと、他の学生はスーツを着ているものが大半だったが、僕は私服だった。
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やがて、日々が進行し、その日々は無味乾燥だった。大学で過ごす日々は苦痛��しかなかった。生協で野菜サンドを買い食べ終えると、大学図書館のAV室に入った。本来なら許可を得ないと入ってはいけない場所なのだが、誰もいない場所で、ひとまず静かに、本を読み、落ち着きたかった。「一人なんだから、一人にならなければならない」という思いに取り憑かれていた。ぼくは浅薄な人間だと思った。気持ちが絶えずくさくさした。腕時計が邪魔だと思い、身体からはずした。ぼくが最近思うのは、病的なほどに、頭が悪いということだ。というより、常になにかにとらわれていて、思考が極度に制限されている。簡単な算数の問題すら解けないのではなかろうか。文化人類学の授業のオリエンテーションの時に、飛行機の音が聞こえた。その飛行機の正体が気になった。教授に聞こうかと思った。それと同時にぼくは意識した。 旧態依然としている自分。すなわち考えてしまうから行動ができない。ぼくは思った。まず、自分の正体が気になった。小説を書きあげて、自分自身を確立した自分が気になった。それができないと、うまく外界と繋がれない。そういうことを考えた。でもそれは愚かなことであり、どんなに周りから秀でていようが、立派な人間だと認識されていようが、業績を残していようが、それは、それは、今とは関係ないことだ。なぜぼくは物怖じしてしまうのだろうか。臆病と思慮深さは違う。ぼくは臆病だ。臆病とは苦しみである。《今、外界と繋がれない》塞がれた空間の中で、僕は在る。「利用手続きはお済みですか?ここは、ビデオを見る場所なので、パソコンをお使いになる場合は閲覧室でお願いいたします」と図書館の人間に言われた。「即座に可及的速やかに向かいます」と僕は言った。時間割を見た。 批評入門、情報基礎科学、現代の出版、現代社会と労働、近現代の文学、メディア論、映像と現代社会。芸術の基礎理論。取りたい授業を選ぶことに疲れていた。何を選べばいいのか、どれに行くのが最善なのか判断することに疲れていた。とにかくやることが見えていない。なぜだ。思いつきました。小説!小説さえあれば!
正式に大学の授業が初まった。だいたい10日ほど経った。なんのための講義なのか判別がつかない。 今日は、記号学、西洋の演劇、詩の講義を受けた。記号学の授業は、ソシュール。記号学、ベースにあるのは言語学。本に書いてあることを先生がしゃべっているだけだった。退屈極まりなかった。本の方が情報量は多いのだし、なんのための講義なのかわからない。そして単位を落としたら、卒業できない仕組みになっている。「エルンスト・カッシーラーは、人間は、物理的な宇宙だけでなく、シンボルの宇宙に住んでいると言ったんです」などと単調と話された。ウィリアム・ギブソンの書いた戯曲が映画化された「奇跡の人」というヘレン・ケラーを描いた映画を見て、 それを見せられる前に「言葉というものがどんなものであるか、みなさんは考えたこともないと思いますが……」と言われ、少し腹が立った。そんな風に一蹴されるとは心外だった。ぼくは言葉について考えたことはあるし、カバンには、メルロ=ポンティの書物が入っていた。これを教授に見せてやりたくなった。授業終わりに、今日の講義の感想をコメントペーパーを書かされた。「言葉がなかったら、カオスが訪れる。アヴェロンの野生児のように、狂気に陥るでしょう。なぜなら、人間と動物を分かつものは言葉だからです」みたいなことを、昨日読んだ文庫本の記憶を頼りに書いた。 教授の機械的な話し方に嫌悪感を覚えた。
詩の講義は、Bruce Springsteenの「Born in the U.S.A.」を聞いて、それについて考察するというものだった。何が面白いのかわからない。共同体と一体化。というよりね、ぼくは一つの大学に属したくないのだよ。自由ではなかった。その教授の言葉に依存している空間が僕は嫌だった。知識の伝達ならば、本を読めば事足りる。大学生は内発性を持つことが難しいんじゃないかと思った。大学は、逆にそれを「制度」で破壊する場所だ。デヴィッド・クーパーのいう「偽りの受動性」。僕は欲望の正直さを正直に欲している。力強さ。イデエ。それを欲しているから、だから生きられる。すべての人間の骨を砕いてやる。明日は児童心理学の授業があった。発達心理学に興味があるので、聴くつもりではあるが、気が向かない。 僕は講義という形式に向いていないと思われる。夜は執筆にあてよう。寝れないときは読書だ。
次の日、朝起きられず、児童心理学の講義には出なかった。やがて、僕は大学に行かなくなった。
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僕は、Eちゃんの父と母は離婚しており、母子家庭であることを知った。兄と母と彼女の三人暮らしであるとのことだった。彼女には新幹線で、月に一回のペースで会いに行っていた。しかし、僕自身の問題が絶えず付きまとって離れないでいた。大学や、経済面、小説に対する苦悩があった。僕は、だんだんと、Eちゃんが精神を病んでいることを知っていくようになった。生活歴についても話された。病院にも通院していることや、薬を過剰摂取するODという行為もしているらしいということを知った。そして、どうすれば、彼女を、そのような状態から、具体的には、希死念慮などから救ってあげられるだろうか、と思った。ロックされたような状況から。「大学について母に相談したら、お金がないと言われ、飲み物をこぼしてしまうような不安定な彼女」を、どうやったら。Eちゃんのツイートを見ると「つらい」というツイートが散見されるようになった。周囲は新生活が始まっているのに自分はなにをしているんだろう、という意識に苛まれているらしかった。「助けてはるしにゃん」というつぶやきが見られ、ここで僕は、はるしにゃんという自死した人物を知った。
僕が彼女に対してできることは、まず、僕の小説を書き上げ、光明の糸口を見出すことだと思った。しかし、本当のところ小説を書くのが辛く、どうしたらいいかわからなかった。学生寮では、メンター制度により、月に1回メンター会というものが開かれ、ディスカッションみたいなものが行われた。その一人のメンターの人経由で、僕はある男性の臨床心理士と知り合いになり、その人は大学の講師もしており、新座にある大学まで足を運び、その方と直接会って、話をした。そして、自分が現状で抱いている感情、不安感や、強迫観念などについて軽く話すと、カウンセリングをするには、「投薬」がまず必要だと言われた。そして薬をもらってからじゃないと落ち着いて話ができないと言われ、まず薬をもらってこようと、国分寺にある心療内科に行くも、「まず安全な環境を確保しなさい。そのために実家に帰りなさい。薬は出せない」と突き放すように言われ、僕は金を払わず外に出た。
吉祥寺にあるネカフェのバイト、creativeboxというGIFアニメーションを紹介する文章を執筆するインターンに応募し、面接をするも両方落ちた。やがて、豪徳寺にある編集学校イシスのインターンに応募し、面接に行くが、遅れてしまった。そして、入り口が開いていたので、僕は勝手に入ってしまうと、「社会人としての礼儀がなっていない、もう面接はできない」と言われ、僕は、ひどく落胆し、その編集学校の入り口のすぐそばにある駐車場付近の電柱に寄りかかって道路に座りながら、Eちゃんに慰めを求めて、「しんどい」などというメッセージを送るも、突き放されたような返事をされ、僕はただ暗闇の中にいた。そこでたまたま通りかかった人間が声をかけてきて、「どうしたの、そんなとこにいたら危ないよ!」と言われたので、僕は「死ぬんで。心配しないでください」というようなことをとっさに言ってしまった。内心誰かが話しかけてくれたことが嬉しかったが、その人は「ああ、そうなの」というようなことを言うと、去って行ってしまった。駐車場から出て来た車に左足の上を踏まれるも、痛みさえ覚えなかった。僕はEちゃんに謝り、通話しようと告げるも、「今はしんどいからできない」と言われ、僕は鬱屈した思いに満たされた。
やがて、警察官が来て、まさか。と思ったら、僕にいきなり寄って来て、「死にたい」という発言をしたかどうか執拗に聞かれ、「僕はそんなこと言ってないですよ」と言っても、挙動がおかしいと思われ、荷物などを調べられ、もう帰してくれそうになかったので、「死にたいと言ったことは認めるが、僕は大丈夫です」と言うと、「いや、君ねえ死にたいなんて、それは言っちゃダメだよ!」と強く言われ、パトカーで警察署に運ばれた。「死にたいと言ったのは虚言です」と警察署にて、紙に書かされ、僕は署名した。「なんでこれを嘘にしなければいけないのだろう」と思った。それと、「しんどい時、しんどいと言えないのは苦しい」と痛切に感じた。この時点で、僕は彼女に対して、本当の気持ちを言うのが怖くなり、言えなくなった。もう僕はEちゃんをも傷つけてしまった。見捨てられるのが怖かった。引受人として、電車で、豪徳寺まで両親が迎えに来てくれた。終電で国分寺の寮に向かい、両親を寮にあったゲストルームに寝かせ、3時か4時くらいに両親は寮を出て言っ��。僕は後ろめたい気持ちに満たされた。
その頃、僕は初めてODした。その頃、以前スカイプちゃんねるで知り合いになった女性(以下Rちゃん)に、「ブロン」というのを勧められ、水で64錠飲んだ。何かを踏み越えてしまった感じがして僕は怖かった。寮の部屋の机で、world’s end girlfriendの曲を聴きながら目をつぶって眠らずにいた。レスタミンでもODしてみた。あと、フリースペースにあったよくわからん薬を全部飲んだり、同部屋の人のパブロンをこっそり20錠とか勝手に飲んだりしていた。そのような状態で日々が過ぎていった。
やがてまたもう一度、Eちゃんと会う機会がやってきた。僕は新幹線で彼女の元に向かい、そして、遊んだ。そして遊び終わり、Eちゃんと離れた瞬間、僕は彼女のすべてがわからなくなった。彼女は霧の中に入って行ってしまった。何もかもがわからなくなった。一人の意識になり、いつもの自分に戻った。いつものはねつける自分に。彼女がここにいないというだけで、急に彼女は別人になっていった。Eちゃんはもう僕の日常の経過の中にはいなかった。ただ僕は、彼女のことを考えると、苦しみに陥った。変われない自分に、とにかく苛立ちを覚えた。何も変わらず、変えることができなかった。ただ、刹那的だった。僕たちは、時間と空間を共有している場所で数時間お互いの周波を合わせて続けていた。僕たちは、マスクの下をお互い見せらせなかったように、すべてを見せ合うことなどできなかった。共通の経過を形作っていた。僕たちは時を共に得ていた、だが、やがて死んだ。Eちゃんがいなくなってしまった瞬間、その周波が感じられなくなった。そして、ある変化が生じてきた。僕と別れた後、Eちゃんのお母さんが犬の散歩ついでに彼女をバス停にまで迎えにきてくれるらしかった。そのとき、僕は彼女には到達不可能だが、Eちゃんのお母さんは彼女に対して到達可能な範囲にいることを思った。それが羨ましかった。僕は一人になった。この「場所」で、Eちゃんに接近したいという表象を絶えず持ち続けたとしても、無意味ではないか、と思った。
僕は逃げる日々を送った。自分自身に幻滅し、新しい何かを絶えず求めていた。そこで僕に影響を与えたのは、Eちゃんが口に出していた「はるしにゃん」と、Rちゃんだった。はるしにゃんという人は、ドラッグというものをやっているらしかった。そこで、僕はそういう変性意識状態に身を委ね、意識を変えたいと思うようになった。RちゃんからLSDという幻覚剤を知らされ、スティーブ・ジョブズも使っていたことを知り驚いた。その流れでサイケデリックドラッグなどに興味を持った。だがほとんどのものが違法になっており、日本ではできないことを知った。市販のものでやるしかないと思った。ある日、レスタミンでODをしたら、僕はふと「死」の恐怖に苛まれ、同室の人が使用している机に置いてある時計を見ると、それが絶えずパチパチと点滅し、その背後にあった白い壁には幻覚が見えた。何もかも怖くなり、食べようと思っていた、スーパーで買ってきたお赤飯でさえ、怖くなった。やがて、日々「自分が死んだらなくなる」ことだけを考えるようになり、耐えられず、数日間実家に帰った。その頃、直感的に「自分なんてない」といった鮮明とした意識にぶつかる日々だった。
僕は大学図書館で読んでいた本(なんていう本か忘れた)に、長くつ下のピッピというものが出てきて、その著者は「世界一つよい女の子ピッピ」に影響を受けたようだったので、Eちゃんに少し勇気を持ってもらえるのではないかと思い、ピッピ三部作送ったりすることしかできなかった。
僕の部屋は乱雑を極め、同室の人からは「ストレス?」と言われる始末だった。僕はただ落ち着いて勉強したくなった。とりあえず、落ち着きたかった。
2016.06.20
僕は、「執筆 部屋」と、なんとなく、google画像検索した。整理された部屋を、羨望的なまなざしで見た。最適化された環境に惹かれた。すると同時に 「空間デザイン」を勉強したくなった。しかし、何も知らないので、果たして、お金を稼ぐことを考える上で、有用性はあるのだろうかなど考えてみた。 とりあえず、そういう事情を確かめるために、東京デザインプレックス研究所という専門学校のHPを見た。個別カウンセリングというのがあったので、即座に応募してみることにした。 父親のことが頭に浮かんだ。父は建築家である。私がもし空間デザインをやるとなったら繋がれる部分があるのではないかと思った。共同で何かが作れたりするのではないかということ。 環境造形学園…などいろいろあった。安部公房について書かれたとあるサイトを以前閲覧した時に、「空間の造形的表現が、彼の小説の方法論となった」と書かれており、空間というものが小説を思考すためのアイテムのように機能すれば喜ばしいと思った。そして、空間デザインをするなら、図面などを書かねばならない。パースやスケッチなどを。そういう描くという実践が自分の創造の幅を広げるのではないか、と漠然とながら思った。
それから、うつ伏せになり、枕を顎の下につけた状態で、ハイデガー入門を読んでいた。ハイデガー的存在論を理解したくて。それが、小説につながると思ったから。というのは、個人の承認が、ハイデガー的存在論を理解することによって初めて行われると書かれていたからだ。 まあ、存在と時間という本物に早く入らなくてはなるまい。 充実感と記号。 起きたのは、12時30分頃であった。寝ているとき、股間が硬直していた。何かやらかしたのではないかという気がする。同室の人に、醜い部分を見られたのではない か。そんな気がする。どんな夢かは覚えていないが、夢も見た気がする。東京のデザインの学校から、「今日の17時で承っております」という旨の連絡がきた。しかし、僕は「明後日にしてください」という連絡をした。私は今焦燥感にさらされていた。起きた。起きたということは何かをしなくてはならない。その何かが、 並列した複数の選択肢と、それを能率的に処理しなくてはならないという観念が、私に焦燥をもたらす。私は今から、代金を支払ってこよう。そして、買い物もしよう。何を買うんだっけ。そして、本も読まなくては。今日は大学図書館にはいかない。しかし、 借りたい本はあるなあ。というより、「借りなければならない」本が。あ、講義。今日は、総合文化オムニバスかという講義があり、もしかしたら有意義な講義かもしれないという思いが 頭をよぎった。しかし、つまらないだろう、どうせ意味ないよ。と自己弁護するように、頭の中でつぶやいた。どんな講義であるか、私は、確認もしない。 顔を洗った。共同の洗面所の床をビショビショにした。滑って転びそうになった。誰か転んだら大変だという考えが浮かびはしたが、僕は床を拭かなかった。めんどくさいから。その床を拭くという行為が、私にとって「生産的」ではないと思ったから。二義的な問題だから。私は自己中心的な人間である。今すぐ部屋に入り、「整理」と「出力」に時間をかけなければならぬ。それに他人は関係ない。 「人に迷惑をかけているか否か」は、本人が決める事柄ではない。その場に居合わせた「他者」が決めることなのである。情報・消費社会は、こうした基本的な「他者」 感覚を、なし崩し的に解体させてきた。そして「他者」をその目で見ていながら、見えていない未熟な「自己愛型」の青少年が、確実に増えてきている。と「文化変容の中の子供」という本に書いてあった。 お金。私は働いていないのだから、あまりお金は使えない。なのに、不満なのか?私は自分で家賃、定期代を支払うべきである。のに、それができていない。それは、よくないことだ。だから、よくないことをしている私は、それに見合った生活をするべきである。
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やがて、Eちゃんから別れを告げられた。僕は存在を足先から頭のてっぺんまで揺さぶられた。そして脳に絶えず浮かぶ「怒り」の心象を殺していった。憎しみと寂寥感のようなものが募る日々だった。
空間デザインのカウンセリングを終えた。一年制のクラスに入学すれば、本来なら30万円程度かかる事前授業が無料で用意されていることを伝えられ、それは7月の下旬から始まるとのことだった。僕はもう大学ではなく、専門学校に行き、就職し、デザイナーという仕事を軸にして、収入を得ながら、小説を書くのがいいのではないかと思うようになった。早く身を固めないと破滅だと思った。身を固めるとは、生活の基盤を作ること、経済的に自立することだ。2017年の4月から本格的な学習が始まり、全部で、1274400円かかるとのことだった。頭金の304400円を22日までに支払う必要があり、もちろん、そんなものは自分で調達できるわけもなく、親に相談した。「大学四年間行くよりも断然安いから」と言った。すると、「あんたねえ、大学卒業するつもりで入ったんじゃないの?そんなコロコロ変わってどうするの」みたいなことを言われて「いやいや勉強するために入ったんだから。勉強は一人でできると判断したんだよ」と言った。
一年制のクラスに入るには面接をする必要があるらしく、僕はひとまず面接に臨むことにした。
大学というのは、資源であり、資源は、���質化・有効化しなければならないものであると言われる。実質化とは、大学の勉強の目的、役割を明確にすること。そして、有効化とは、それを可能にすること。学生は、自分自身の未来を策定し、リスクを軽減することを強いられる。そして、ほとんどの学生にとって、「卒業する」ということが目的になっているのだとすれば、必要な単位を履修しなければならないから、「戦略として、彼らは単位を取るための授業をいかにスムーズかつ確実に履修していくかということを中心とした時間割作成を行おうとする(ポストモラトリアム時代の若者たち 46pの一部表現拝借)」これが、まず大学入学の際にしなければならない履修登録だ。そして、だからこそ「楽単」という言葉も生まれてくる。単位を取得しなければ卒業できない。できるだけ取りやすい単位の授業を選択しようとする人もたくさんいた。馬鹿みたい。必修の授業もある。僕は必修の授業を休んでいた時、「〇〇さん。ずっとプロゼミの無断欠席が続いていますが、どうしましたか。プロゼミは、必修科目で単位を取得しないと、卒業できません。きちんと出席してください」とメールで言われたことがある。僕は返事もしなかった。そんなものに出て、なんの意味があるのさ。
大学に入った時、僕の目的は「小説を書く」という一点だけになった。なぜなら大学を資源としてみたとき、その資源が実質化・有効化されなければならない場所は「卒業」ではなく、僕の場合「小説」でしかなかったから。そして、僕がやらなければならないこととしたのは、まず、23万冊も蔵書のある大学図書館である本を読みまくるということだった。友達をつくる?なにが友達だくそったれ。大学というものに帰属意識は全くなく、むしろ嫌悪感を抱きつつあった。その大学の内部で友達をつくるのが、ひどく滑稽に思えた。結果、大学に友達が一人もいなかった。その際、「積極性が全て」ということで、自分を正当化した。積極的に話しかけることをすれば、他校の人だって、友達になれるんだから。要するに僕がやらねばならぬこと。まずは、対外的に有利な自己を創るということ。それが自分というものの価値であった。つまり、それは「小説」。僕はそれを持っていなければならない!意識させられた。私はそれがめちゃくちゃ下手くそである。多くの人にとっては、単位を取り、卒業することが目的化しているように思えた。が、僕にとってはまず「小説を書き上げる」ということが喫緊の課題であり、その強烈な目的意識がまずあり、見識を増やすという意味において、大学に入ったのだ。講義というのはいささか冗漫すぎた。毎回90分と決まっており、その時間は拘束される。それが嫌だった。そして、僕は煩わされたくなかった。レポートや、テスト、などに。そんなものになんの意味もない!
2016.07.15
専門学校の面接だった。
僕は小説家を目指していることを会話の流れで話した。すると、 「すごく失礼な話をすると、世の中、表現をできる職業に就いてる人はほんの一握りです。そうじゃない、なかなか表現できない人の方が多いんですね。商空間デザインっていうのは、小説家みたいに、自由じゃないです。クライアントもいるし、予算もあるし、スケジュールもあるし、安全の事も考えなくてはならないし、省エネのこと、売り上げの事、いろんなことを考えなくてはならない。つまり、自分が作りたいものを作れるわけじゃないんです。商空間だったら、ビジネスとして成功できる空間を作らなくてならない。ただ、表現する部分があるのは確かです。真ん中くらいが、デザイナーの仕事って思ってもらえば…云々」ということを話された。そして、「人って二番目にやりたい仕事が相性がいいって言いますからね。知ってます?一番目にやりたいことって言うのは、思い入れが強すぎて独りよがりになったりとか、周りが見えていなかったりとかするんですね。職業の遺伝みたいなのがあって、父親が建築系だと、そういうDNAみたいなものがあるかもしれないですね。だったら、もしかしたら空間系ってのが合ってるかもしれないですね。空間系の仕事をやりながら、四十歳くらいで小説の賞とってもいいじゃないですか?いっぱいいますよね」と言われた。僕は侮辱された気がして、思いっきり罵ってやりたくなった。頭に血が上り、やるせない思いだった。四十歳で賞を取る?それほどまでに苦痛な人生はなかった。想像するだけで、下水道の匂いを嗅いだときのように、吐き気を感じた。
「好きな空間とか何かあります?」と聞かれ、僕は沈黙し、十秒くらい間を置いてから、 「スターバックスとかですかね」と答えた。 「どこの?」 「国分寺にあるスタバです」 「どの辺が良かったんですか?」 「外の席で談笑していたりとか、いいなって思ったんですよね。あとは…」また十秒くらい間を置いてから「空間とか出てこないんですよね…、僕が好きな空間は、青があって、水槽があって、アクアリウムとかですかね」と言った。 「外出していない理由はなんですか?」 「読書などをしているんですよね」 「小説を書くために読書してるんでしょ?デザインするんだったら、行けばいいっていうレベルじゃないのよ。もっと細かく見ないと。ディティールまで。何席あって、どこに換気扇があって、どこに照明が配置されていて、とか。戻って来ても、図面も書けないですよそれじゃあ。現物を見てきたって、それではプロになれない。それじゃあ空間系、建築系の人たちに失礼ですよ。それぞれ夢を持ってみんな努力をしているから」と言われた。
後日、大学とは別の環境が気になり、中島義道さんの哲学塾に行くが、自分の顔が投げ出された空間で、僕はどうしたらいいかわからなかった。終わると、夜の笹塚の十号坂商店街をぶらついた。これから空間デザインをするのだから、自分が行ったところのない場所に積極的に赴き、建物の造りなどを見ておかなければならないと思った。カフェ、ガレット、カレー屋などの料理店などのお店を外から覗き、何かを得ようとした。絶えず「戻って来て図面も書けな��ですよ」が頭の中で反響していた。図面を書くこと…を意識していた。
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僕はこの頃から、寮から出て、実家にまた住むということを思うようになっていた。それは、いつも実存的な気分として体験された。例えば、セブンイレブンでもつ鍋を500円で買ってきて食べたとしても、それは親の金であり、経済的な負担であるため、実家に帰る必要があるという属性になっていた。とりあえずこのころの僕は全く落ち着ける場所を持っていなかった。僕はやがて、実家に帰ることを決断した。
やがて、空間デザインの授業の見積もり有効期限が来た。両親に相談し、頭金の30万円を支払ってもらった。その時、僕はもう別の学校に行くことはしない。これで絶対に最後にしますと約束をした。
2016.07.26 日記
10時30分頃起床。 朝起きて豆乳を飲んだら、腐っていてドロドロしていた。酸化していた。トイレに吐き出すと、その吐き出した肌色の液体が便器にたまっていき、異様な匂いを放った。得体の知れない不愉快さがこみ上げてきた。 身体に影響があるのでは、と思い調べてみたが、大丈夫そうだった。 本をラックの上に積む作業をする。疑念が湧いてきた。寮の方がいいのではないか。家だと余計に強迫観念みたいなものにさらされないか。 実家に帰ることにより、埋没してしまう何かがあるような気がしてい る。 ベルクソンの「記憶と生」を購入した。ミンミンゼミが鳴いている。 さあ、勉強するんだ。勉強せねばならぬことは山ほどある。 「赤と黒」を読もう。 本を読むことに集中したいんだ。これは、寮にいて、そう思ったこと だ。本なら寮にいても読める。じゃあ他に理由があるんだろう。行動を規定しているのは、ほぼ無意識であり、複合的なものだ。今はわかるわけがない。ただ、僕は活字に憧れている。 実家に帰ったら「それだけ」になる。 本を読むことの必要性を感じるけど、「それだけ」になったら?いけないんじゃないか。 僕の欠点は、「実存的な気分」によって何もかも決めてしまうということだ。分析ができない。ただ、その時の裁量で決めてしまう。それは不満から起こるのだろうと思う。 相部屋のやつがうるさい!音楽を流している。いや、いいのだ。まずは、実家に帰り、働けるようになったら、また戻ってきて働けばいいんだから。 好きなものを増やすこと。
父から「セブンイレブンに着いた」と連絡がある。「今行く!」と返事をした。 「物質と記憶」を購入した。これは僕の逃げ場所であり、居場所である。 部屋の整理をしよう。 「意識に直接与えられたものについての試論」を読んで、 なぜ、ベルクソンはこれを書いたのかと思った。それは、何もしないのが嫌だったからではないか。 ただ、それだけのことではないか、と思った。
父親と二人でセブンイレブンの前で待っている。晩飯は餃子らしい。ル・クレジオの本の二冊分の代金を支払った。父親はトマトジュース、私は野菜ジュースを飲んだ。会話はない。今「空間デザインの専門学校」について話すこともできるだろうが、なぜか、言い出さない。言いたくないのだ。空間デザインなんて、やりたいのだろうか?
大泉から、東京外環自動車道、東北自動車道、それから久喜に出た。手にはマンスフィールド短編集があった。読んではない。読むのが申し訳ない感じがしたから。「家は生活の宝箱でなければならない」というのがラジオから聞こえた。
実家に着いた時、すぐさま帰ってきてよかったと思った。これで集中できるのではないか。言語化するのが難しい。リルケは、「汝のいるところに場所が生じる」と言ったが、この空間には心地よい他者が感じられたような気がした。ラックを設置し、ゲームセンターでとったフィギュアを置いた。こう、モノを置けるというのは、実に楽しみである。その純粋な楽しみを感じれないほど、僕は窮屈していた。 その、窮屈さからは、何も生まれないということだ。 ただ、焦るばかりで、余裕がないのだ。空間において人は思考する。その空間が脅かすものであってはならない。 窮屈さを感じてしまうこと。それを感じさせないように、生活を改善すること。さっき本で読んだ。ホッブズは「学問の目的は人類の進歩と、生活の改善」だと言った。ニュアンスが全く違うけれど、とにかく生活の改善をすることは何よりも先に行われなければならぬことだ。 発動。つまり、ストレス。反応。 ストレスを感じていない人は、それを回避する術を知っているのではなく、ただ、知らないだけなのだ。どんなことにストレスを感じるかは、 育ってきた環境とかによって全く違うものになると思うんだ。ただ、そういう人間は、モノに対しても感じるモノが違うのだ。煩わしいとは思わないのだ。 僕はものをとにかく後ろに追いやり、必要なものだけを前に持ってくるという生活をしなくてはならない。見てはならないのだ。物を見るから、発動するのだ。
母親の足を揉んだ。 不安になってきた。 不安にならないための方法論を見つけるための学問。 どうやるんですか?余裕がないと学問はできない。 焦燥にかられ、朽ち果てる一人の青年を書かなければならない。 ものすごい勢いで下に落ちていく。ここで比喩。ツバメ…? ZAZEN BOYS の「六階の少女」を聴く。 焦る。死ぬる思いだ。どうかしてしまいそう。 だって、だって、誰もいないんだから。 誰もいないんだ僕には。 今、この瞬間において、誰もいない。 それが不安であり、しかしながら、それが起爆剤だ。 この思いも誰にも伝わることはないんだな、と思うと、今、この瞬間も誰にも伝わっていないと思うと、ああ、なんと、苦しいことか。 自分を打ち出さなくてはならないと思う。だからこそ、だからこそ、僕は本を読む。「それに近しい」本を。ああ、ああ、ああ。今を表現しようと思ったら、私はどうすればいいのかなあ。 ZAZEN BOYSの「すとーりーず(live) 」を聴いてもう無理だ、と思う。 ああ、ああ、噴き出る。夕食の時に飲んだ赤ワインを飲み干す。 考える。どう自分を表出していったらいいか。顔が痒い。やはり、アルコールのせいか。 もうすぐ寝ようと思うが、絶望的な気分になろうと思えば、今すぐになれるようなきがする、本当に際どいところにいるような気がする。 だって、僕はお金を稼ぐことができていないんだぜ?そう、1円もだ。 罪悪感と焦燥感についての小説。 音楽を聴いて溶かす。番線ができる。それが人々の首を絞めるところを想像する。カラオケで歌っているところを想像する。ああ、ああ、ああ、カラオケに行きたくなった。歌いたい。アニメを見て少し楽しい気分になった。楽しいこと考えようよ。今までの自分はそうではなく、ただ、暗いままに生きてきた。が、これからは頭を入れ替えて、面白くあるために、すべて。
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7月31日から空間デザインの事前授業が始まった。事前授業の内容はIllustratorやPhotoshopなどのソフトの習熟、グラフィックデザインの基礎だった。学校は渋谷の道玄坂を登っていってその途中にありわかりやすかった。だが9月20日にまた僕はこの学校を辞退することになる。この時の感情を記述することは今も困難なように思われる。決断したにもかかわらず、僕はまたやめた。本当に申し訳ないと思い、抑圧して来た。なぜやめたのか、まず僕はそのソフトの習熟が、4月から本格的に始まる授業に繋がっているように思えなかった。そのことについて相談すると、「グラフィックの重要性が理解できていないとするなら、どうして〇〇さんと同じ4月~の空間のクラスの人が他にも5名、現在グラフィックの授業を受けているのか?どうして、事前学習でグラフィックなのか、説明しますね。
・就活に必要なポートフォリオ作成のスキル向上のため ・グラフィックソフトの授業をスムーズに受けていただくため。 ・デザインの考え方を養っていただくため。 ・大人に揉まれて、社会人の仲間入りをしてもらうため。
そんな目的を持っています。〇〇さんの場合は、助走です。ポスター、広告、パッケージなどを作成するために受講をしている訳ではありません。4月~の授業をスムーズに、学習し、知識を詰めて行き、就職に向かう上で、集団の中に入り学習するという行動に慣れてもらう。そんな目的で受講してもらっています」と連絡が来た。
僕はモヤモヤした気分になったが、授業に出ることをとりあえずやっていた。だが、ある日、僕は授業の休憩の際に、突如学校を抜け出した。授業についていかれず、ソフトが展開されているパソコンのモニターの前で授業中に僕は「ペドロ・パラモ」を堂々と読んでいた。先生は僕のこの行為に気づいているだろうが、話しかけてこない。だが、先生が近くに来たら、パソコンのマウスに手をつけ、ぽちぽち作業をしているふりする。だが、こんなのは実に無駄なことだ!という思いがせり上がって来た。帰りたい。僕はもう授業についていかれないし、何より僕は読書がしたいという思いに支配されていた。
「なんのために」
僕は「気分が悪い」など一切告げず、無言で学校を出て、渋谷の薬局で、コンタックSTを買った。幻覚が見たいと思った。やがて、国分寺に着くと、水を買い、駅周辺にあるビルの入り口で誰にもバレないように錠剤を取り出して12錠飲んだ。一錠落としてしまったが、コンビニで洗って飲んだ。寮に泊まろうと思い、寮に戻ってきたら、寮生が「お、おかえり、久しぶりですね」とか言うから、笑いたくもないのに笑いながら、「ああ久しぶりですね」と言った。さらに「髪伸びましたね」とか言うから、笑いたくもないのに笑いながら、「ああ伸びました」って言った。部屋に入ったら真っ暗で、同室の人はいなかった。荷物をドサッと地面に置いた。靴下が雨の中歩いてきたので、濡れている。このまま同室の人帰ってこなければいいのだが。 すぐさま冷房をつけた。僕の使っていたベッドの横や、下にはお菓子がたくさん置いてあった。寮の入り口の玄関には冷蔵庫などが複数置いてあり、荷物がたくさんあった。全部売り払って俺の金にしたいものだ、と思った。騒がしい声がする。よくも、まあ!うるさいなあ。素面でよく声を荒げられるよなあ。あんなに。寮に戻ってきたが、やはり実家でないと今の俺には無理だなと思った。この機会が常に与えられている状況。 情報を持っている他人がすぐそばにいて、話そうと思えばいくらでも話せるが、 僕が話しやすくすることが条件だが。幻覚が来るのを待ったが、見れなかった。
やがて、空間デザインの学校にやめる旨を伝え、話しをつけるために、学校にまた行った。30万円を支払ったのだが、いくらか返金してくれることになり、僕は少し安心した。
そして、僕のその時の思いは、群像の新人賞に10月31日の締め切りまでに小説を書き上げて、送ることに向けられていた。僕は構成力がなく、膨大な文章を書くには書けるがそれを一つにまとめ上げるということがどうにも難しかった。結果、送ることができず、僕は自分に対して激しく失望した。それから、僕自身がまたロックされたような日々に陥っていった。
9月いっぱいで大学の前期の授業も終わるので、後期の授業料を納入しなければいけなくなった。僕は図書館という資源だけ利用することにし、ひとまず休学の申請をすることにし、75,000円を支払った。
僕はまた回帰しようとした。勉強に。読書メーターというサービスを利用している人間の凄まじい読書量に、圧倒された。もっと僕も本を読まなければならないと思うようになった。やがて、原点に帰ろうという気になり、R.D.レインに回帰し、大学の図書館に2時間かけて行き、反精神医学などについての本を借りてきて読む日々を送った。そして、「足りない」と思い、精神病理学などを体系的に勉強したいと思うようになった。
・
12月1日に、唯一興味があった「思想と表現」という主に文学者や、思想家などを紹介する講義を聞きに大学に行くと、授業の後に、とある男の学生がその教授が以前に出版した新書にサインを求めていた。だが教授が「ガタリ買いなよ。そっちにサインするから」みたいなことをその学生に言っていた。その教授が、最近ガタリの本を出していることを知り、興味が湧いた。講義にもしきりにフェリックス・ガタリという名を出していた。ガタリを最初に知ったのは、ちょうど2016年の2月頃に見た、R.D.レインのwikipediaに記載されていた、「反精神医学などの運動は、『アンチ・オイディプス』などを書いたフェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズなどにも影響を与えた」という文章からだっ���。そして、11月に読んだ「精神病理学とは何だろうか」という本で、ジャン・ウリの名前を知り、興味を持った制度論的精神療法にガタリも携わったことを知り、勉強してみたくなった。それと、ガタリというと、すぐにドゥルーズと結び付けられ、ドゥルーズの方が過剰に持ち上げられているというか、そんなような気がしたので、一層ガタリについての柔軟な入門書ということで興味が湧いた。そして、今まで聴講していた大学教授がまさかガタリのような人物についての本を出しているとは、と驚きを感じ、何かの縁を感じた。
現在、2017年の3月15日。今月いっぱいで、大学をどうするか決定しなくてはならない。多分、退学する予定でいる。どうせ、図書館しか用途はないんだから。休学費まで支払い、さらに交通費までかけ、時間も、バスや、歩きなどを含め、往復で5時間以上も必要になる。それは支障がある気がする。来年には大阪に行きたいと考えている。向こうには僕の大阪文学学校というものがあり…さらに関東の実家から距離もだいぶ離れていて、知らない世界がある気がする。また気分を入れ替えて、生活を始められるのではないか…。だが果たして僕は「学校」というものに馴染めない体質なのではないかと思えてならない。向こうでも仮に文学学校というものに、入学したはいいものの、またやめることになるのではないか。何があれば世の中うまく生きていけるだろう。しかし、まずは、これから僕は小説の執筆に本格的に着手してはいかねばならないと思う。中学時代に体験した「学校」でのことについて。まずそれを最後まで書ききり、形にし、「学校」というものに自分が抱いている感情の清算をしなければならない。破壊しなければならない。
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【blog】アドレナリンを出せと言われても
スポーツ中継を見てると、よくこんな実況に出くわす。 「ここはアドレナリン全開で頑張って欲しいところですね」 そういうのを聴くたびにアタシは「なァに言ってやんでェ」と快活な江戸弁で、あ、ウソ、ホントは「アホか、そんなん自分でコントロール出来ることやおまへんで」と関西弁で憤るわけで。ま、おまへんで式の関西弁など使ったこともないけど。 前に「最近作られた、戦時中を舞台にした映画やドラマなんかウソばっかり」みたいなことを書きました。 その時も「だからといって、それが気になってしかたがない、というようなことはない」みたいに書いたけど、もうちょっと具体的にね、書ければと思いましてね。 とは言っても、アタシは1960年代後半の生まれなので、リアルタイムで戦争を知ってるわけがない。何しろアタシが生まれて2年後に「戦争を知らない子供たち」なんて歌が作られたんだから。 それでも数多くの文献を読んだり、当時作られた映画(ドキュメンタリーを含む)を観たり、祖母から戦争体験を聞いたりした記憶と照らし合わせると、どうも、こういうことではないんじゃないの?と思ってしまうわけで。 アタシが祖母から聞いた戦争体験で一番強烈に覚えているのは「近くで空襲が始まると、みんな揃って見に行った」というんですね。 近くで空襲が始まって、逃げ惑うってのならわかる。つか近年作られた戦時中のハナシはまず間違いなくそうしてあります。 それにしても空襲ってことは当然人がいっぱい死ぬわけですよ。それを見に行くなんて、いくらなんでも悪趣味極まるんじゃないの?ま、今の人間なら普通はそう思う。 しかし祖母はその理由をこう語った。 「空襲ほど綺麗なものはなかった。その後いろんな花火大会を見に行ったけど、空襲の時の綺麗さには到底及ばない」 つまり空襲を見に行くといっても、本当に「キワ」まで行くわけではなく(さすがにそれは危険すぎる)、ある程度の距離感をもって焼かれる街と、炎で染め上げられた夜の空を見に行ってた、というわけです。 それにしても、やはり今の常識では計り知れない感覚には違いなく、いくら綺麗でも空襲を見に行ったり、後年になって花火大会と比べるというのは、なかなか理解しがたい。 ただ、ひとつだけわかるのは「たぶん空襲が迫ってる時なんて、普通の精神状態とはまったく違ったんだろうな」ってことです。 これは当時のことを書いた文献とも合致する。実際空襲だなんだとなると異様にハリキる人がいたそうで、これも今の感覚なら不謹慎と取られそうだけど、体験的にまったく理解出来ないわけじゃないんですよ。 1995年、アタシは大阪に住んでいました。 1月17日はたまたま早朝から起きていたのですが、そんな時に地震が起こった。ま、大阪といっても南部の方だから、たいして揺れたわけではない。せいぜい突っ張り棚が落ちたくらいです。 テレビをつけると神戸の方で強い揺れが観測されたという。母親は神戸に住んでいるのですぐに電話をした。 「大丈夫。テレビが動いたりはしたけど、何かが倒れたり、怪我をしたりとかはない」 そうか、良かった。母親が大丈夫なのだから神戸も別に大したことはないのだろう。 しかし、ここで野次馬根性が芽吹いた。 そうはいってもあれだけの震度を記録したんだから、神戸も多少はどうかなってんじゃないの?と。 そうなると居ても立っても居られず、クルマで神戸に向かったのです。 繰り返すようですが、母親が心配で神戸に向かったんじゃない。完全なまでの野次馬根性でしかなかった。 カーラジオは付けっ放しにしてたけど、何しろ途中まで「どうもひとり亡くなったらしい」くらいの情報しか入ってこなかった。それくらい状況の把握に時間がかかっていたのです。 しかしクルマを西に走らせると、様子がおかしいのに嫌でも気づく。そして西宮に入ったくらいから「こんなもんひとりで済んでるわけがない」という現実を見せつけられた。何しろビルが倒れて2号線を塞いでるんだから。 しからば43号線に迂回すると、今度は高速道路(阪神高速)が崩落している。 とんでもないことになった。それは本当に感じた。だからといってショックとか悲しいみたいな感情しか湧いてこなかったわけではないのです。 たぶんこういうことを書くと不謹慎と思われると思ってみんな書かないんだろうけど、正直に書きましょう。 あの日あの時、アタシはとんでもなくテンションが上がったのです。というか、こういうのをアドレナリン全開、と言うんだと思う。 アドレナリン全開の前には不謹慎も糞もない。今、この状況をどうやって乗り切るかしかないんです。 つまりスポーツ中継の実況アナや解説者が軽々しく口にする「アドレナリン全開」状態になるためには「生きるか死ぬか」レベルにまで追い込まれないと無理なんですよ。 反対にいえば、それこそ目の前に空襲が迫ってきている、みたいな状況になればアドレナリンが出ない方がおかしい。 自分ひとりだけではなく、周りの人間全員がアドレナリン出まくりの状況ともなれば、これは変なテンションになって当たり前なんです。そりゃ「おい!空襲始まったぞ!見に行こう、いやマジで綺麗だから」みたいにもなるわなぁ。 昨今の戦時中のフィクションって、登場人物が不安や恐怖に打ちひしがれているだけで、すごいテンションが低いんですよ。 でもさ、まな板の鯉状態で、アドレナリンが出ないことも、おかしなテンションにならないなんてことも、あり得ないと思う。 それは歴史的事実を知らないとか調査不足とはぜんぜん関係ない。もし自分がそんな状況に追い込まれたら、いったいどんなテンションになるんだろう、という想像力の欠如の問題なんです。 だからさ、全部が全部そうである必要はないと思うけど、ひとつくらい「よっしゃ!来た来た!空襲が来たぞぉ〜!」みたいな作品があっても良いはずなんですがねぇ。
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数年分のコピペ006
4月 3, 2016 【どうやってだよ】 ロシア「自衛隊は強い 北方4島など、1日で上陸占領してしまうだろう」
84 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/10/22(土) 18:01:17.32 ID:dysJ2r5i0 戦後、火事場泥棒に来て日本軍に非道い目に合わされたからだろうw
終戦を迎えた8月15日から三日経った8月18日の早暁午前1時頃に、 終戦による武装解除の準備を進めていた占守島の日本軍に対し、 ソ連軍が突如、猛烈な砲撃の下に奇襲上陸を開始し、攻撃を仕掛けてきたのでした。 やむなく日本軍は解除準備を始めていた武装を整え直し、自衛戦闘を行ったのです。 戦闘は激烈を極め、日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3,000名におよび、 日本軍が有利な状況で、上陸部隊を殲滅する体制でしたが、ポツダム宣言受諾後の戦いであり、 自衛を目的とした戦闘であったため、上級部隊からの命令で、8月21日に戦闘が終結した、 日本軍最後の戦です。
95 名前:名無しさん@涙目です。(山形県)[sage] 投稿日:2011/10/22(土) 18:02:52.30 ID:h54MdKeg0 ≫84 つええwww
172 名前:名無しさん@涙目です。(長屋)[] 投稿日:2011/10/22(土) 18:14:41.05 ID:Fho/6LWe0 ≫84 占守防衛戦はもっと教科書に載せたりして教えたほうがいいね とても小さな局地戦だったけどス���ーリンはあれに躓いて北海道割譲を放棄せざるを得なくなり 強いては冷戦時のウラジオ封じ込めまで続くソ連極東戦略の失敗に繋がる
556 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[] 投稿日:2011/10/22(土) 21:06:52.60 ID:9Y7e/+ba0 ≫84 ソース
573 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/10/22(土) 21:18:18.87 ID:MmE/y+QB0 ≫556 『占守島の戦い』で検索すればゾロゾロ出てくるよ
551 名前:名無しさん@涙目です。(北海道)[] 投稿日:2011/10/22(土) 21:04:17.76 ID:fbvv/CEQ0 ≫84 こんなの始めて知ったわ 学生時代に習った記憶がない
555 名前:名無しさん@涙目です。(愛知県)[] 投稿日:2011/10/22(土) 21:06:06.72 ID:IxwyozMO0 ≫84 歴史上重要過ぎる事件だなこれ 2chコピペ保存道場 - 日本軍最後の戦闘 (via toronei) (chartercourtから)
4月 3, 2016 もし、あなたに自分の目的達成のためにどうしても味方にしたい人物がいるとしよう。しかし、その人がどうしても折り合いのつかない人物だったら、どうすべきか? 究極の手段だが、その相手に「その人から受けている嫌な行為への対処方法」について相談するのが効果的だ。つまり相手がやっている行為を、ほかの人がやっている嫌がらせだとして、相手にその嫌がらせへの対処方法を聞きに行くのだ。 これはかなりの高等戦術である。自分をいやらしく無視したり、無理難題を押し付けたり、仲間外れにしたりする人がいたら、そのアホに「私を無視したり、仲間外れにしたり、無理難題を押し付ける人がいるんです」と相談に行ってみるといい。 これはかなり効く。ドキッとしながらあなたの相談に親身になって答えようとして、その後も、あなたに出した答えの期待に添うように、行動を修正してくれる可能性が高い。あくまで、「これお前のことだよ」と暗にほのめかすことなく、真摯に思いつめた感じで相談に行くのがいい。陰湿なアホでも、さすがに「それは俺のことか!?」と思うに違いない。 実はこれは私が自分の体験から学んだ話で、このアドバイスをくれたのは某大物政治家だ。この実例の詳細はあまりリアルに描けないが、前記の戦略は当時の私の置かれた状況で役立った。こちらの戦略がばれないように気をつけたが、そもそもこういうことをしないといけないくらい切羽つまっていたということだ。 苦手な相手の嫌な行為をやめさせて味方にしたいが、通常の方法では切り抜けられないようなとき、この方法はおすすめだ。ポイントは、険悪になりそうなときほど何らかの形でコミュニケーションを取るべきだということ。 最悪なのは、苦手意識を持つあまりに、必要なときにもかかわらず、一切コミュニケーションを取ろうとしないことだ。 どうしても苦手な人への正しい接触法|頭にきてもアホとは戦うな!|田村耕太郎|cakes(ケイクス) (via tsuda)(zattaworldから)
4月 3, 2016 嫌いな相手は、嫌いでいいのです。ただ、自分が嫌いという信号を相手に送っているわけですから、相手のほうもあなたに好意を抱くことはないということを、もっと本気で自覚しましょう。 『「しつこい怒り」が消えてなくなる本』 (via mmgen)(yokokickから)
4月 3, 2016 妻とケンカした際に、「なんで、あなたは家事を手伝ってくれないの?」と「原因」を問われても、夫には責められた思いしか残らないものです。 それならば、「家庭と仕事の両立でつらいの。あなたと楽しく結婚生活をするために、家事をもう少し手伝ってほしいの」と「2人の理想の結婚生活」を語りながら「家事を手伝ってほしい」と言われたほうが、納得感があるはずです。 怒るときは、「原因」よりも「目標」や「理想」を大切にしてください。 そして、「過去」よりも「未来」について語ることも重要です。 怒りに負ける人、怒りを生かす人 (via drhaniwa)(buttersand02から)
4月 2, 2016 受験生へ 大学のオープンキャンパスなんてどうでもいいんです,重要なのは平日の講義をやってる時間に来ることです.大学の本質が見えますよ.そしてメインは昼休みの食堂でごはんを食べることです.生徒の質と民度が分かります.そしてバスに乗って帰りましょう.大学生の公共乗物マナーが見れます. Twitter / wheat_tan (via himmelkei)(uvarovite-greenから)
3月 31, 2016 文化人類学者ジョージ・マードックの調査によると、世界中の849の民族社会のうち、一夫一妻制が16%、一夫多妻制が83%、多夫一妻制が0.5% はてなブックマーク - 知識人ぶりながら一夫多妻制を語ってる奴らがキモい (via igi)(ishizueから)
3月 31, 2016 命ってのは、金で買うものだぞ かつて岩手県沢内村が年間乳児死亡0人を叩き出した時の原動力は、大病院が有る盛岡までの道路を除雪するブルドーザーだぞ ほっておいたら死ぬ命を助けるのは、文明だぞ 安定した電力や機械が命を助けるンだぞ 日高見製作所 番頭(佐貫昇助)さんはTwitterを使っています (via shingi)2015-06-22(via mmtki)(chiesha-nekoから)
3月 27, 2016 人から謗られたり、あられもないことを言われると、憤るのが人情であるが、たとえ怒っても、その心のどこか奥に、「イヤこういうことも、実は自分を反省し、錬磨する契機になる。そこで自分という人聞ができてゆくのだ。結構、ありがたいことだ」と思うことです。(安岡正篤)
3月 27, 2016 移民によって成長してきたシンガポールが、その政策を転換し始めたきっかけは、2011年の総選挙だった。 与党・人民行動党(PAP)が史上最低の得票率に甘んじ、現職の閣僚が落選したうえ、さらに集団選挙区で史上初めて野党に敗北するという、“屈辱的な歴史的後退”を強いられたことが背景にある。 シンガポール国民が野党に支持を打ち出した最大の理由は、政府が進める「外国人移民政策」への反発と不満からだった。2006年から2011年の間、シンガポール人の増加率が約5%だった一方、外国人は63%まで急増し、2013年には外国人の割合が約43%までに膨れ上がった。 この外国人の大幅増加と並行して、住宅や物価の急騰、さらには子供の教育機会の不公平性から、「外国人に職と所得、教育の機会が奪われている」といった長年の鬱憤と不満が与党への批判票に結びついたというわけだ。 実際、シンガポールのタクシーに乗るたびに、「こんな国があるか。国の統計は怪しい。実際は、外国人と自国民の数は今では同じ。不法滞在者を含めればいやそれ以上だ。MRT(地下鉄)に乗ると、中国人はあふれているし、バングラデシュに、フィリピン人。白人も我が物顔で、わけの分からない言葉が飛び交っている」と年々、ドライバーの怒りは瞬間湯沸かし器を“沸騰”させているかのように上昇中だ。 国民の怒りが爆発するなか、シンガポール政府は移民受け入れ規模縮小という移民政策の見直しを強いられた。 2013年1月発表の人口白書で総人口の伸び率が縮小傾向のなか、「2030年までの人口想定値を690万人、外国人割合を45%に拡大見込み」とし物議を醸したが、同年2月の予算演説では一転して、2018年までの見通しとして、外国人労働者の急増抑制政策を発表したうえ、外国人雇用税の一層の引き上げと外国人雇用上限率の引き下げも追加抑制策として発表。 さらに、各種ビザなど在留資格の認可、発給条件の引き上げも実施し、新規国籍取得や永住権の認定件数は減少。 永住権の場合、2008年には新規永住権取得が約8万件だったのが、半分以下の3万件までに激減し、新規国籍取得も減少傾向にあり、2015年10月に発表された(同年6月現在)総人口数554万人のうち、シンガポール人が338万人、外国人が216万人で外国人が占める割合は約39%にまで減少している。 ―――― 「少子高齢化国家が外国人の移住を否定すれば、経済だけでなく、国家そのものが衰退する」(建国の父、リー・クアンユー元首相)と説き、法人税を大幅に下げ、グローバル企業を誘致し、優秀な外国人を高給で登用する一方、低賃金で建設現場労働者や外国人メイドを厳格な管理のもと多く受け入れ、飛躍的な経済成長を続けてきたシンガポール。 しかし、経済成長を成し遂げても、資産や所得の格差を示す指標のジニ係数で、「0.44(2014年)」(OECD調べ)と日本の「0.32」より高く、先進国の中でも突出して貧富の格差が大きく拡大している。 そうしたなか、当然、シンガポールの国民の不満は単純労働者に対してだけでなく、永住権を保有する高度技能者にも向けられている。彼らによって、大学入学や大企業への就職機会が阻害され、彼らへの政府優遇策を不公平と感じ、さらには彼らが永住権を保持しながら、兵役を回避するため国籍取得を拒んでいることへ怒りを爆発させているのだ。 しかし、シンガポール政府が移民政策修正の舵を切り始めた本当の理由は、恩恵を受けるはずの国民全体の所得や生活水準が良くならなければ、外国人一辺倒の移民政策の批判の矛先が、政府に向けられるという危機感だけではない。 出生率が日本より低く人口減少傾向にある自国民に反して、フィリピン、インドネシアなど多産の外国人と結婚し産まれた“新シンガポール人”の増加で、シンガポール人としてのアイデンティが消滅するとともに、中華系を中心とする純血シンガポール人による国家が、滅びるという恐怖心に苛まれているからである。 移民の子供急増でアイデンティティ崩壊の危機に 実際、今のシンガポール人の結婚率の30%以上が国際結婚で「国家の安定発展には自国民同士の結婚を促す必要がある」(政府関係者)と警戒している。 【国際】シンガポール、原動力だった移民を排斥へ 外国人割合が43%に達しアイデンティティ崩壊 [無断転載禁止]c2ch.net (via sqiz)(horatio7から)
3月 27, 2016 WarThunderのGaijinが旭日旗にいちゃもん付けられた時の対応は、逆にデカい旭日旗を貼り付けるという豪胆なものだったが、規制派は完全に沈黙した。この対応で完全に正しいという事をクリエイターもファンも、しっかりと心に刻んでおくこと、基本は「うるせえ数を二倍にすんぞ」でいい 砂鉄さんはTwitterを使っています (via windsock)
3月 27, 2016 男性は予見に対する素の回答をする生き物なので、「やってくれる?」だと、「やる気はあるか否か」という質問なので、その気はあると答えるだろうけど、それが今実行して欲しいのかは設問に無い与件となります。 なので、棚を指差して、「あれとってー!今使うの」って言えば万事オッケーっす。 monoqlo’s clip: (via wasabiz)
3月 27, 2016 ・プロになりたかったら応用技は後回しに(1にも2にも基本が大事)・人の上に立ったら知識の理論武装をし、相手にグウの音も言わせない知的腕力を使いなさい・失敗を恐れて慎重になる、その気おくれがチャンスを逃す原因・利益を出す発想がすっぽりと抜けている人が以外に多い・お金に執着しなさい・何が何でも一番を目指す、これこそラクして生きる最大の鉄則・部下を叱ったら必ずその倍ほめる・アマチュアは問題を複雑にし、プロは問題をシンプルにする・個人プレーを磨いて初めてチームプレーができる・歯車になるな、モーターになれ 2000社の赤字会社を黒字にした社長のノートのまとめ(5) | ブクペ (via mcsgsym)(diving-penguinから)
3月 29, 2016 この分厚い記事の中であっさり記述されている、中間宿主が当時知られていなかった新種の貝(後にミヤイリガイと命名)が同定された経緯、世界中の研究者が巻き貝の螺旋の数を記録していたからなんですよね。「何の役に立つか」など考えずに、ただ研究者の好奇心ドライブで螺旋の数を記録していたおかげで、毎年一万人規模の死者を出していた奇病の撲滅に成功した。「その研究は何の役に立つのか」の視点は大切だけど、それだけで研究を潰せば、救えた人が救えなくなる。 「あぜをコンクリートで固めるのは自然破壊ではないか?」→「日本住血吸虫症 地方病でググれ」→ウィキペディアの記事が感動的だった - Togetterまとめ (via netinago99)(yellowblogから)
3月 29, 2016 人生を本当にエンジョイしたいなら、誰かとの比較ではなく、自分自身が感じる満足や喜びやときめきに基準を置くことが必要です。人を押しのけるような積極性ではなく、人も自分もともに生かすことを前提とした積極性を持ちましょう。本当に心身が「快」な状態は、そこにこそ生まれます。 マーフィー 成功者のルール 完全版 / 佐藤富雄 (via ebook-q)(maxwel12から)
3月 29, 2016 Webサービスを退会するときは、退会ボタンを押す前に住所欄を「100-0001 東京都千代田区千代田1-1-1 エンペラーパレス103号室」などで上書きしておくと、情報漏洩時のダメージを最小限に抑えることができる 大事なことなので二回言いました (via gkojax)(元記事: darylfranz (maxwel12から))
3月 30, 2016 上から目線でモノを言ったり、自分の考えを押し付けたりするのではなく、ラミレスは必ず相手の立場と対等になってフラットに接する。これはラミレスが尊敬する人物として名前を挙げている「若松勉」と「原辰徳」の2人の監督の“いい面”を自分なりにアレンジした指導スタイルだ。長野と坂本が当時、このラミレス式指導法に「“やらされている感”がまったくないから非常に分かりやすいし、参考になります」と口をそろえていたことを昨日のことのように思い出す。 赤坂8丁目発 スポーツ246:「日本人より日本人らしい」DeNAラミレス新監督の“人間力” (シ
3月 30, 2016 もう卒業文集に載せる作文とか「キミがこれを読んでいるということは、ボクが何かをやらかしたという事だろう…」でいいんじゃないかな Twitter / okaz6809 (via katoyuu)(t2voicecoachから)
3月 26, 2016 さよならって言葉が、「左様ならば 仕方ない」っていう言葉から来ていると聞いた時の滾りっぷりが凄まじくて。さよならってつまり別れを惜しむ別れの言葉なんですよねこれ。できることならいつか会いたいと願っている、未練の混じった別れの言葉。たまらない。Twitter / xkanicoco (via fffff9)
3月 26, 2016 お前ら知ってる???
習近平が大見え切ったイギリスやアメリカでの大量の旅客機購入契約が ただの1件も履行されてない現実wwwwwwwwww 中国企業、スコットランドのインフラ建設受注 1.6兆円投じ高速鉄道など整備 : 大艦巨砲主義! (via 774rider)
3月 24, 2016 1中 アヘンを密輸して捨てられ���からアヘン戦争 2左 海賊行為を認めておいて黒髭を処刑 3遊 アイルランドの飢饉を無視して飢餓輸出 4一 原住民に天然痘付き毛布を渡す 5三 捕虜を大砲に積めて砲撃 6指 チェコとポーランドを見殺し 7右 カナダの原住民が学校へ行き行方不明、1990年代までで5万人 8二 勝利が決まった段階でドレスデンを報復爆撃、炭そ菌を撒こうとした 9捕 世界各地を少数民族に統治させ憎しみを増やした 投 アボリジニをハンティング&世界中で色々な動物を絶滅させた 監督 三枚舌外交で中東を未だに戦争の地域にする ヘッドコーチ ダイヤモンドと金を奪うためボーア戦争 打撃コーチ スエズ運河建設を邪魔しておいて出来たら乗っ取り ピッチングコーチ WW1の賠償金でドイツのWW2の理由を作る 守備・走塁コーチ インド独立させないために宗教対立煽りと塩の生産禁止
控え 奴隷貿易と奴隷船が嵐にあった時に奴隷を見殺し 息子が生まれないからクズ女として離婚するため国教のカトリックを破棄 インドでカースト制度を厳格して復活 水夫を補充するため港の住民を拉致し海賊を捕まえ水夫に逃げられないように水泳を教えない 略奪品を展示するために大英博物館建設しそこに黒髭の海賊行為許可書を展示 百年戦争 VIPPERな俺 : イギリスの良心的な行為で打線くんだ (via darylfranz)(darylfranzから)
3月 24, 2016 なんどでも言ってやる!80年代に絶好調だった日本を研究したアメリカが日本の強さの秘密と睨んだのが、一生食えるなら出世しないでいいやという欲のない連中が企業で何年も利益の出にくい基礎研究やっていた事だと。 Twitter / Q47SM9 (via katoyuu)(tanekichiから)
3月 25, 2016 24日付の国際紙、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンは、オーストラリアのラッド首相が、調査捕鯨をやめなければ日本を国際司法裁判所に提訴すると発言したことを、反捕鯨諸国の偽善性を指摘しながら異例の厳しさで非難したフィリップ・バウリング氏のコラムを掲載した。 氏は、道徳的優位性をにじませたラッド発言の調子が、アジアの近隣諸国に今もくすぶる西欧植民地主義への嫌悪を呼び覚まし、日本よりも豪州のイメージを傷つけるだろうと分析。 豪州の反捕鯨運動を、科学的ではなく感情的な「十字軍」だとし、「日本の捕鯨船を悩ましている豪州、ニュージーランド人活動家らに与えられた英雄的地位にも、それがみられる」との表現でシー・シェパードの活動も切って捨てた。 その上で、ノルウェーが国際捕鯨委員会(IWC)の規制を拒否、アイスランドがいったんは脱退し、カナダは脱退後、復帰していないのに対し、日本は少なくともIWCに属していると日本にも理解を示し、ラッド発言は捕鯨諸国にIWCに協力する気をなくさせるものだとやり込めた。 さらに、「鯨に銛(もり)を打ち込むことは、牛や羊の肉を常食としている者の間にさえ感情をかき立てるのかもしれないが、豪州は、作物や牧草を守るため年間300万頭余の野生のカンガルーを撃っているときに、苦情を言える立場にはほとんどない」と、反捕鯨国の偽善性にまで踏み込んだ。 西洋人が東洋での犬肉消費にゾッとするのは感情からで理性ゆえではなく、鯨肉を、一部欧州国の食卓に乗る馬肉と違う扱いにする道理はないとも断じた。 そして、「豪州が選別的感情の問題をアジアの主要同盟国との外交対立にまでしたのは愚劣以外の何物でもない」と結んでいる。 「カンガルー300万頭撃ち殺す豪州に反捕鯨の資格あるか」 国際紙がコラムを掲載 (1/2ページ) - MSN産経ニュース (via petapeta) (via gkojay) (via shinjihi) (via nobw2001)
3月 25, 2016 国会で共産党の議員が公安調査庁の監視をやめろと文句をつけていたことがありました。
政府側の答弁は 暴力革命などの方針を辞めるとはっきり宣言してもらえたら監視やりませんよ。 という答弁をしたところ共産党の議員は次の話題へ行ってしまいました。
共産党は今でも暴力革命路線を否定していません。 かつてテロのやり方の指南書を作ってばら撒いたのも共産党でしたし、 凄惨きわまる山岳ベースで知られる連合赤軍は赤軍派と共産党神奈川県委員会が合流したものです。
・暴力革命路線をいまだに持ち続けているのに「平和を守れ」、「命を守れ」と政府批判。
・政権を取ったら皇室廃止を目標にしていて皇室に対して決して頭を垂れず、皇室そのものを認めない姿勢を堅持し、 憲法の1~8条を無視しつづけているにもかかわらず「憲法を守れ」と政府批判
・政権を取ったら共産党独裁政治へ移行すると掲げているのに「民主主義を守れ」と政府批判
・・・特亜は自分たちがやっている悪事を相手がやっている悪事だと宣伝する。 特亜のための活動家集団共産党は徹底してますね。
手足を針金で縛ってひたすら暴行を加えていたら死んでしまったので床下に埋めた。 こんなリンチ殺人をやっていた一人が党のトップとして長く君臨していたくらいですからね。 平然と言動と行動が矛盾しつづけていられるのはある意味当然かもしれません。 謎はだいたい解けた : パチンコ屋の倒産を応援するブログ (via windsock)(amenokgから)
3月 23, 2016 私が見た従軍慰安婦の正体-小野田寛郎 (1)
首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、 多くの方々が論じているところだ。
南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、 未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。
戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、 私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。
外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、 兵士による強姦と略奪・放火である。
そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。 大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。 当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。
野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は 常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。
それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。
淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、 他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、 公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。
あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。 では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場に あったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。 「『従軍慰安婦』なるものは存在せず」私が見た従軍慰安婦の正体 …元陸軍少尉 小野田寬郞氏|保守速報 (via ishizue)
3月 23, 2016 俺がマネジメントした経験だと伸びる人ってのは褒めても褒めなくても怒っても怒らなくても何しても伸びる。 なので、俺が部下やバイトを怒らずに褒めてたのは、職場の雰囲気を悪くしたくないのと自分の機嫌を悪くしたくないから。 たかぴっぴ on Twitter (via igi)
3月 23, 2016 彼らは「普通の若者」ではないし、完全に自発的にやっている訳でもない(共産党系の団体がバックにいる)訳で、そういった背景をきちんと伝える事なしに彼らを取り上げているメディアは、事実を伝えるべきジャーナリズムとして問題だと思いますね。 佐々木さんはTwitterを使っています (via windsock)
3月 23, 2016 カナダは意図的に原住民粛清してるわけだが そんなこと今ごろ分かったのか ちなみに日本人は原住民と同じ顔してるから カナダに行くと危険 とくに原住民虐殺が行われているアルバータ州には 近寄らないほうがいい というかカナダそのものに行かないほうがいい 666 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 21:57:00.67 ID:9hAdI34w0 >>655 カナダ人がアルバータ州の白人がやってると言ってた 原住民虐殺を現在進行形でやってることは白人はみんな知ってるよ それで世界一住みやすい国とか宣伝するからたちが悪い 677 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:00:01.33 ID:PDl7tzer0 >>666 カナダ人は自分の居住地区だけがカナダだとおもってるから 多数派は自分の街=カナダ最高!となるんだよな 実際には都市にも田舎にもそこかしこに巨大な闇が広がっているよ。。。 713 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:09:56.11 ID:9hAdI34w0 ちょっと前に日本人女医 カナダで死んだけど おれはあのとき原住民と間違われて虐殺されたと思ったよ カナダ原住民って日本人と見分けつかない 717 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:10:57.30 ID:EpzaLyjC0 白人幻想ってほんとアホらしいよな 要するに宣伝が上手いだけの詐欺師だよ白人は カナダマンセー北欧マンセーほんと妄想がたくましいわ左翼は
11月 8, 2015 ■殺菌乳酸菌の改善メカニズム これまでに殺菌乳酸菌を用いた研究では、腸内細菌叢の改善、便通改善などの整腸作用、生体防御、免疫賦活、アレルギー抑制、美肌作用など、あらゆる機能性が確認されている。殺菌した乳酸菌(死菌)の改善メカニズムについて、腸内細菌叢研究の権威でバイオジェニックスを提唱した光岡知足氏は、「腸管を入った乳酸菌は、小腸のパイエル板を通過して、体内に引き込まれます。マクロファージによる貪食が起こり、IL-12やインターフェロン-αなどのサイトカインを分泌し、この物質を出すことによって免疫担当細胞に向けて、異物が入ってきたという信号を発します。それが制がん作用や感染防御作用につながる」という。つまり、マクロファージが外から入ってきた菌を食べることによって免疫のスイッチが入り、こうした作用によって乳酸菌が体の健康に役立っていると考えられている。同氏は続けて、「生きた乳酸菌を生きたまま腸に入れても、増殖することはありません。生きて腸に届く乳酸菌を飲んでも腸内を死んだ状態で通過するだけですから生きている必要がないともいえます。乳酸菌の整腸効果というのは、菌の生死に関係なく菌体が免疫機能を活性化させた結果起こるもので、むしろ菌数を多く摂取することが重要」としている。
■殺菌乳酸菌のメリットは菌数の多さと扱いやすさ 殺菌乳酸菌はその名の通り、乳酸菌を加熱殺菌処理して加工したもの。殺菌処理をすることで、菌の品質が一定になり安定した原料として扱えるほか、製造面でもコンタミのリスクは生菌に比べ圧倒的に低いというメリットがある。そのため、パンやお菓子、麺類などをはじめ、あらゆる一般食品への応用が可能で、商品バリエーションが豊富に展開できる良さがある。何より、殺菌乳酸菌の一番の強みとなるが、グラム中の乳酸菌数が圧倒的に多いこと。生菌では、平均して1 mg中に10億個の乳酸菌が存在するが、殺菌乳酸菌(死菌)では、1 mg中に500億個の乳酸菌が存在する。先に触れたメチニコフのヨーグルトの長寿説では、ブルガリア地方やコーカサス地方などの健康長寿の村では、1 日あたり500mL~1000mLのヨーグルトを毎日摂取していたといい、乳酸菌の菌数に換算すると約1 兆個を毎日摂取している計算となる。現代においてヨーグルトを1,000ml摂取することは簡単ではないが、殺菌乳酸菌では、0.2gの摂取で1 兆個の乳酸菌の摂取が可能となる。現在、殺菌乳酸菌を配合したサプリメントや一般食品の製品が増加しているのは、こうした菌数を多く摂取できる優位性が評価されているためだ。 http://www.this.ne.jp/news/detail.php?nid=475 【殺菌乳酸菌(死菌)】じわじわ需要高まる 乳酸菌市場のトレンドになるか (via bgnori)(morisovaから)
3月 20, 2016 人間は、自分と異なる優秀さを持った人間を過小評価し、自分と同じ優秀さを持った人間を過大評価する という傾向がある。 実際には若い世代ほど優秀だが劣化してると言う人がいる3つの理由 - @fromdusktildawnの雑記帳 (via mayumiura) (tumbl-kumakoから)
3月 20, 2016 何年か仕事をしてきてある程度まかされるようになると 過信が出てくる 中途半端なプライドも出てくる 自分の決めたことを否定されると納得いかなくなる これはかなり危険ですね。
何を生むかというと 報告を怠る ネゴを怠る 自分の判断(中途半端な経験に基づく)で動く 自分の責任の取れる範疇を越えて判断を下してしまう
問題の重大性がわからず問題が発覚するのが遅れる そして大問題に発展する
自分にも言い聞かせて気をつけなければ 仕事ができるようになってきた時の落とし穴|げーむぷらんなーのあれこれ (via petapeta)(tumbl-kumakoから)
3月 20, 2016 日本語のノルマは、直接にはロシア語に由来する語です。露語(キリル文字)で表記するなら Норма 。 英語では、ノルマに当たる意味合いを quota と表現します。 We cleared this month’s quota. 今月のノルマを達成した 日本語における「ノルマ」の語は、終戦直後に起きたシベリア抑留を通じて日本に伝わったとされています。ロシア語の元の意味も「(強制的に)課せられた労働の基準量」といったものです。 【通じない英語】 ノルマ (norma)は英語ネイティブが使わない語 | オンライン英会話コラム (via raitu) ノルマは強制。(via bluesjazz69)(bluesjazz69から)
3月 20, 2016 自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。(岸見一郎) balance-meter: ブレイクスルーな言葉 (@breakthrough_jp) from Twitter: http://twitter.com/breakthrough_jp
3月 20, 2016 日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。 日本は、明るくなければなりません。幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人 とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。蘇ら せなくてはなりません。 日本国と日本国民の行く末に、平和と安全を。人々の暮らしに、落ち着きと希望を。そして子どもたちの未来に、夢を。 麻生内閣総理大臣演説等 (via 46187)(oomariooから)
3月 20, 2016 ちなみに、ぼくが一番かっこいいと思う死に際の言葉は、容態が急変した林家三平が、救命医に「しっかりして下さい。あなたのお名前は?」と訊かれたときの「加山雄三です」という返答。 Twitter / enbanjin (via gkojax)(元記事: deli-hell-me (dragonbossから))
3月 20, 2016 韓国で、元慰安婦の証言をもとにした映画『鬼郷』が大ヒットしていると聞いた。ネット上に、予告編のロングバージョン(6分20秒)があったので見てみたが、これはひどい。最悪だぜ。 平穏に暮らしていた少女が強制的に連行され、日本兵に殴る蹴るの暴行を受けるなど残虐極まりない。あろうことか、脱走しようとした慰安婦を地面に一列に座らせて銃殺し、死体を穴の中に入れてガソリンをかけて燃やすシーンまであった。 俺が、米国立国会図書館から取り寄せた、米軍が1944年、ビルマ(現ミャンマー)で朝鮮人慰安婦20人を尋問した報告書の「慰安婦は売春婦で雇用されていた」という記述とは、180度違っていた。 http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1458298403/ 【痛快!テキサス親父】韓国人がベトナムで行った蛮行と慰安婦映画『鬼郷』は酷似していないか?[3/18] c2ch.net (via worldwalker2)(allsundaysmoonから)
3月 20, 2016 DQN地区の中学校に通うってことは、 普通に生きてたらその後一生付き合わなくて住むような真性の屑と、三年間、猿のマウンティングごっこをしなければならないってことなんだよ。 「貧乏家庭に生まれたという罪」を償うために、三年間の刑務所に行くってことなの。 Twitter / juns76 (via itutune)(tuttunから)
3月 20, 2016 食器用の中性洗剤でスニーカーや靴を洗うと、汚れがウソみたいによく落ちる。専用洗剤買う必要ナシ。 https://www.careertrek.com/daily/urawaza-67/
3月 21, 2016 GHQの占領下にある時に米兵による日本人女性のレイプが多発して 新聞記事にもなりかけたがマッカーサーが検閲でこれを止めた。 アメリカ��印象が悪くなれば米兵に対する日本人の憎悪が増して危険だからだ。 それで日本政府が気を遣って、アメ公相手の売春宿を作った。 その時韓国は何をしたか? 「日本だけを儲けさせるな!ウリ達にも稼がせろ!」と言って韓国人売春宿も 日本国内に作らせたのだ! これが戦後の実態だ。(via shinjihi)(元記事: u1sokuhou.ldblog.jp (pine-bookから))
3月 21, 2016 日本の宗教性をもっともよく表現しているといわれる西行法師の歌、 「何ごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」 という感覚。 いきなりはじめる仏教入門 / 内田 樹 (via ebook-q)(xmorimoから)
3月 21, 2016 【山手線豆知識】内回りは女性の声、外回りは男性の声、と覚えておくと階段で無駄にダッシュしなくてもすみます。 Twitter / ナツィ マサト: 【山手線豆知識】内回りは女性の声、外回りは男性の声、 … (via gothedistance)(zephyr7501から)
3月 21, 2016 日本の和牛がピンチな理由が自由化なんて話以前に、ここ30年の間に精液がセキュリティがばがばで密輸で持ち出されまくって英豪でもガンガン現地版和牛の品種改良がすすんでるという話をTVでやっててえらいことだなあと。 Twitter / zarabu01 (via whimsy)(gutarinから)
3月 21, 2016 日本人のプレゼンが面白くない理由に気が付いたのでメモ。日本人は「こうすればいいのになんでこうしないんだ」という話から始まる。外国人は「こんなときは自分だったらこうする。すっげーハッピーだろ?」という話から始まる。日本人の否定から入るプレゼン、やめてほしい。 Twitter / ribl_ (via t n t u m b l r)(xmorimoから)
3月 21, 2016 「自衛隊運用見直しで戦争になる!けしからん!戦争の出来る国にしてはならない!」ってさ、「我々が日本を手に入れるときに、自衛隊が機能してたら戦争になってしまって困る。無防備な日本を蹂躙して戦争なく侵略したい。」っていう意味なのかなって。 Twitter / man_nona (via man-nona)(bbk0524から)
3月 21, 2016 「私はホントに怒りがおさまりません。」 そう言って彼は白い「愛車」を見せてくれた。あちらこちらに人の手が触れた痕跡が…。あらあら、よく見ると細かい「ひっかき傷」もいっぱい…。こりゃひどい。修理代も結構かかりそうだ。 「カメラですよ。TVカメラとか、スチルカメラ。」 カメラのレンズ・フードはいずれもアルミ合金で出来ているので、これが車のボディや窓ガラスに触れると確実に車の方に「傷」がつく。怒りをあらわにしている彼は、誰あろう「号泣元県議」の国選弁護人である。 「被告人は乗っていない!!…って私は叫んだんですよ。後部座席の窓も少し開けて、車内が見えるようにしたんです。」 しかし、それでも報道陣の攻勢は止まらなかった。まさに競い合って何台ものカメラが、窓ガラスと言わずボディと言わず、ガンガンとぶつけられてくる。勾引されていた被告人は、公判の途中で釈放された(勾引状の効力は24時間のため)。それが公判の終了とともに突然「勾留」された。検察官が裁判所に「職権発動」を求めたことに対し、裁判所は「渡りに船」とばかりに勾留決定を下したのであった。しかし、裁判所の外で待機していた報道陣には、まだその一報が届いていなかった。 「ひどい奴は、車の前方からボンネットに乗りかかって車内を撮影してきました。」 とにかく「画像」が欲しいというカメラマンの習性…と言ってしまえばそれまで。しかし、ここまで報道が過熱するともはや車は身動きすら取れず、言いようのない憤りと怒りがこみ上げてきたと彼は言う。 「まるで『暴徒』みたいなもんですよ。」 神戸地裁の敷地(駐車場)を出たところで一旦取り囲まれ、これを何とか振り切って裁判所南西角の信号まで進んだが、そこでまた報道陣に取り囲まれる。信号が青になり、湊川神社前交差点に向けて南下する車の後ろを何人ものカメラマンが追っかけてくる。それも大勢で「車道」を走って…と言う。彼は大きく嘆息した。 「ここは『無法地帯』か…と思いましたね。」 彼はもともと「マスコミ嫌い」で有名である。これまで神戸地裁管内で起きた「著名刑事事件」の多くを引き受けてきたが、マスコミの取材にはめったに応じない。その彼をさらにマスコミが寄ってたかって怒らせてしまった。 「修理代を請求したいですよ。」 いったい誰に対して? 彼はマスコミはみんな同罪だと言い切る。公然とカメラをぶつけてきた報道陣を「器物損壊」で告訴したい…とも。たしかに「赤信号みんなで渡れば怖くない」を地で行くような報道陣の「取材狂騒曲」は異常だ。「法治国家」である日本において、このような「蛮行」が許されて良いはずはない。 「金輪際、マスコミとは付き合いません。」 彼の怒りはおさまらない。私は「木偶(でく)の坊」のように立ちす��むばかりだ。 号泣元県議の弁護人から怒りを込めて(藤本尚道) - BLOGOS(ブロゴス) (via irregular-expression)(xmorimoから)
3月 21, 2016 英語型(SVO)の言語の人に言葉を使用せずジェスチャーのみでコミュニケーションする、という実験をすると 日本語型(SOV) の語順で説明するようになるらしいです。面白いですよね。つまり人間の自然なコミニュケーションの形は日本語型(SOV)である可能性が有るわけです。 オブジェクト指向言語が流行した必然性について考える(1) - プログラマ―ズログ (via myk0119)(diving-penguinから)
3月 21, 2016 アメリカ………ベトナム戦争でベトナムに謝罪したことは一度もない。 イギリス……香港を植民地にしていたのに謝罪したことは一度もない。 フランス……ベトナム・アルジェリアを植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。 オランダ……インドネシアを植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。 ポルトガル……マカオを何世紀にも渡り植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。 ドイツ………ナチの虐殺行為は認めたが、侵略を謝罪したことは一度もない。 ロシア………東欧諸国を戦後弾圧し続けてたが、民主化後謝罪したことは一度もない。 スペイン……フィリピンを何世紀にも渡り植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。 中国………世界各地で昔も今も侵略と虐殺を続けてるが謝罪したことは一度もない。 北朝鮮………朝鮮戦争で韓国を侵略したことを謝罪したことは一度もない。 韓国…………朝鮮戦争で北朝鮮を侵略したことを謝罪したことは一度もない。 日本…………全ての戦禍国に何度も謝罪している。ついでに賠償までしている。 韓国は外貨準備高を使い込んでいたという前科がある。闇国債の発行まで行っている。 - 株式日記と経済展望 (via eddy) (via darksidejedi) (via msnr) (via appbank) (via yaruo) (via petapeta) (via gkojax) (via quote-over1000notes-jp) (via gkojax) (via r-spike)
3月 21, 2016 国連とか国内の人権団体とかこの北朝鮮の現状に猛烈に抗議すべきだろ!! ↓ 「2016/3/17 北朝鮮の強制収容所-この世の地獄 1日の労働時間は20時間、男女の差なく、罪状により炭鉱採掘、森林伐採、 鉱山採石などの重労働を強制される。ノルマがある。1日のノルマを果たせない者はノルマを達成するまで、20時間を超えて重労働を強制される。いささかでも反抗的態度をとると、問答無用でその場で射殺される。 女性収容者は、北朝鮮秘密警察・国家安全保衛部の部員から、尋問と称する 性的暴行を受けることが多い。抵抗した女性収容者は、拷問されて殺害される。 北朝鮮秘密警察・国家安全保衛部の部員は、頻繁に強制収容所を視察に来る。 その際、いささかでも、北朝鮮秘密警察・国家安全保衛部の部員たちの怒りに触れると、死ぬまで、暴力・拷問を受ける。 強制収容所生活内部では、北朝鮮秘密警察・国家安全保衛部の部員の、 気まぐれによる公開殺人ショーも頻繁に行われている。 しかし、悲惨極まる処遇に耐えかねた収容者が自殺することは極めて稀である。 北朝鮮には、収容者の自殺を防止するための社会的なシステムがある。 すなわち、自殺者が発生した場合は、当局から「金日成・金正日・金正恩3代に対する反逆の責任を免れるため、自殺したのである」とみなされて、 遺された政治犯者の家族が逮捕されたり、公開の場に引き出されてぶっ殺されたり、暴行されたり、侮辱されることになっている。 生存期間は2ヶ月から6ヶ月と言われている。その多くは餓死と銃殺とリンチである。 http://www.mercury.sannet.ne.jp/emadukawiemogosi/000KitaConCamp.html 224:風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/03/17(木) 02:44:01.94 ID:bWdhTtWP0.net >>207 ヒエッ… 227:風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/03/17(木) 02:44:08.38 ID:gjwXYM5q0.net >>207 20時間とか過労死不可避 http://www.mercury.sannet.ne.jp/emadukawiemogosi/000KitaConCamp.html (via shinjihi)(shinjihiから)
3月 22, 2016 「愛とは、愛するものの生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない。」(エーリッヒ・フロム)
3月 22, 2016 眠気を覚ましたいときは、苦しくなるまで息をとめると眠気���さめやすい。
3月 22, 2016 こんな目にあうのは、何か、あるいは誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできない。わたしの責任だと言ったときはじめて、それを変えられる。balance-meter:
3月 22, 2016 「他者を自己のように愛することはできない。我らの為し得る最善のことは、他者に対する冷酷さを抑制することである。」(伊藤整)
3月 22, 2016 「どんなに疲れていても、不機嫌になってはいけない。自分が疲れていることと、相手とは何の関係もないことだからね」(五井昌久)balance-meter:
3月 16, 2016 rival「ライバル」はriver「川」と語源が同じです。ラテン語で「川」を意味するrivusから派生したrivalis「対岸に居住し同じ川の水を利用する人」が直接の語源。川の水の使用権をめぐって頻繁に争いが生じていたことから、「競争相手、対抗者」という意味が生まれたのです。 Twitter / @eitango_z
3月 16, 2016 10 名前:名無しさん@おーぷん 2016/03/09(水)21:27:20 ID:rny 民主党 小宮山洋子が3ヶ月日本に滞在した外国人には国民健康保険を5年間適用に 2013年2月25日 http://www.news-us.jp/article/331997798.html 民主党外国人の国保加入条件大幅緩和してたことが判明 http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/244.html 『外国人に国保バラ撒き → 赤字を日本人が負担』
12 名前:名無しさん@おーぷん 2016/03/09(水)21:32:07 ID:4hw >>10 なんだよ、この外国人優遇制度 これを問題提起してる議員居るのか?
22 名前:名無しさん@おーぷん 2016/03/09(水)22:08:59 ID:HMk 社会保障費が足らなくなる!ってそらそうだわな 観光客にくれてやって国費流出させてんだしな ゴタゴタシタニュース : 外国人が日本に3ヶ月超滞在すると、国民健康保険に加入でき、出産すれば「出産育児一時金」一律42万円を受給できる。荒川区では約40%の外国人が受給…民主政権負の遺産 (via anifunk)(kowalski38から)
3月 16, 2016 友人が上層部から「生産性を向上させるための案を出せ」と言われ「市況から見て、すぐに売り上げを上げることは難しいのだから、残業を厳禁としたうえで週休三日制にし、残業代が減って困る社員には副業を認めれば良い。単位時間当たりの生産性は上がる」と言ったら怒られたらしい。名案だと思うがな。 安達裕章さんはTwitterを使っています (via hutaba)(kimiyashから)
3月 16, 2016 そして、そこから浮かび上がってきたのは「他者への心遣いや同情、あるいは配慮や共感」といったメンタルな要素の重要性だった。つまり成功するグループ(チーム)では、これらの点が非常に上手くいっているというのだ。 たとえば一つのチーム内で誰か一人だけ喋りまくって、他のチームメイトがほとんど黙り込んでいるチームは失敗する。逆に(途中で遮られるかどうかは別にして)チームメイト全員がほぼ同じ時間だけ発言するチームは成功するという。 それは暗黙のルールとして、そのような決まりを押し付けるのではなく、むしろ、自然にそうなるような雰囲気が、チーム内で醸成されることが重要なのだという。 つまり「こんなことを言ったらチームメイトから馬鹿にされないだろうか」、あるいは「リーダーから叱られないだろうか」といった不安を、チームのメンバーから払拭する。心理学の専門用語では「心理的安全性(psychological safety)」と呼ばれる安らかな雰囲気をチーム内に育めるかどうかが、成功の鍵なのだという。 グーグルが突きとめた!社員の「生産性」を高める唯一の方法はこうだ プロジェクト・アリストテレスの全貌 | ITトレンド・セレクト | 現代ビジネス [講談社] (via shingoym) (softbearから)
3月 16, 2016 私は、シールズとおなじ二十代です 普通におしゃれとか遊ぶこととか大好きな社会人です。 でも、この街宣に参加したのは、今日本はなにかおかしいと思ったからです 日本は平和だから、この先もずっと平和であるために 安保法案は絶対反対だって言ってる方居らっしゃると思います。 さっきも言ったんですが、それは本当の平和ですか? 自分だけが良ければいいと思ってる平和ではないですか? 朝ごはんを食べて、仕事に行って終わったら飲み会をして帰ったら疲れて寝て 毎日が平和だ。この平和がずっと続けばいい。戦争なんか絶対反対だ。 それは私だってそうです。でも私、この日本って平和じゃないって思うんです。 たった13歳の女の子が拉致されてまだ戻ってきません。 そんな状態で、あぁ平和だよねってそれってなんか違うと思うんですよね。 東北大震災が起きた時に、「今日本って超平和だよね」って言えたんですかね。 拉致被害者が居ながら、今ってめっちゃ平和だよねって言えるんですか? 忘れかけていませんか?・・・忘れていいんですか? 私達とおなじ、日本国民ですよ。 安保法案、賛成派のスピーチが正論すぎるということで話題に。 : 気団まとめ-噫無情-|嫁・浮気・メシマズ (via ashzashwash) (kimiyashから)
3月 16, 2016 天然だから体にいいという思想は、自然は人間のためにあるという思い上がり はてなブックマーク - 【キラリ】「口に入っても大丈夫」なシャンプー…理由は「100%無添加」だから - 産経WEST (via k-ui) (vitanから)
3月 16, 2016 ◯ 犯罪について ・韓国では隠しカメラを利用した盗撮事件が激増しています。 2010年には1134件だった"判明した" 盗撮事件が2014年は6623件へと5倍近くにもなりました。ここでは敢えてリンクを貼りませんが、修学旅行生を盗撮した、目を背けたくなるようなものが出回っています。その学生の目に入らないよう祈るばかりですが、女子生徒は盗撮される可能性が非常に高いことを忘れないでください。 ・韓国は盗難が多く年間の警察出動要請(112)は2013年に1900万件を超えています。 日本の場合、2014年で約935万件。人口比でいうと日本の4.4倍も警察が出動する物騒な国なのです。修学旅行において盗難に遭うことは珍しくありません。特に夕方以降は暴力事件も頻発し、その発生は2014年、日本が2万1270人に対して韓国は36万5363人。比較になりません。尚、リンク中で2010年に事件数が5万件ほど急に減ったのは治安が良くなったのではなく統計上の問題です。 他にも、食中毒が非常に多く、また飲料水として使用される井戸水は水銀やヒ素で汚染されているケースが非常に多く、韓国国内でも問題になっています。こういった犯罪が多い国を修学旅行先にするのは非常に問題があります。尚、上記リンクは韓国の新聞記事と官公庁のサイトですから、非常に信ぴょう性の高い情報です。 韓国を修学旅行先に検討されている方へ (2016年版) : 在日朝鮮人から見た韓国の新聞 (via realedge)(inquisitive-bookから)
3月 16, 2016 機会には二種ある。求めずに訪れる機会と我々の作る機会とである。世間でふつうにいう機会は前者である。しかし真の機会は、時勢に応じ理にかなって我々の行動するときに訪れるものである。大事なときには、機会は我々が作りださなければならない(西郷隆盛
3月 16, 2016 「自分の中で『これくらいの力がついたらこれくらいの仕事をしよう』と思ってもその仕事は来ない。必ず実力よりも高めの仕事が来る。それはチャンスだから、絶対怯んじゃだめ」(タモリ)
3月 16, 2016 頭が良い人は打算的で冷たいと思ってる人が多いんだな。 私の知る世界では逆だ。 頭の良い人は優しい。 頭の悪い人はすぐ切れたり、誤解して絡んできたり、縄張り意識で敵対したり、仲良くなっても、ちょっとした事で「裏切った」とか因縁つけてくる。短絡的で妄想的で暴力的で、優しくなんかない。 Twitter / takuramix(via hutaba) 2014-03-04 (via my-precious-legacy) これなー。ヤンキー信仰ってやつだよな。(via yoosee)(amenokgから)
3月 17, 2016 オーストラリアでカンガルーが増えたので殺すとかいう記事を時折目にする 増えすぎたなら、仕方ない クジラに優しいオーストラリア様のことだから 人道的に殺すんだろうなと思ってた 実際は、ヘリから銃乱射www 数千、数万匹虐殺www 【驚愕】オーストコリアのドッグレース業界でグレーハウンドが毎年1万匹以上殺処分されていることが発覚|保守速報 (via 774rider)(toon-x-toonから)
3月 17, 2016 なんつうか、脳の性能がみんな同じだと思ってる人って多いよね。しかもだいたいが脳の性能が良い側の人。胃腸が弱い人とか肺活量が強い人がいるように、脳も臓器なんだから、個体差があるんだよ。 「私の脳はあなたと同じようなパフォーマンスが発揮できるとは限りません」 ってみんなわかって。 Twitter / pisiinu (via re-nise3kawan)(toriajiから)
3月 17, 2016 日本は経済大国で世界第3位らしい。 1位は人口3億人のアメリカ。 2位は人口13億人のチャイナ。 両方とも行ったことありますけど、 オイラは両国とも全く羨ましくない。 格差がヒドくて飯が不味くて街が汚い国。 日本は本当にステキな国です。 まだ改善��余地があるのも素晴らしい。 (via shinjihi) (newtonblueから)
3月 18, 2016 今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げてよく聴いてください。女性にとって最も大切なことは、子供を二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。 なぜなら、子供が生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか子供を産むことができません。男性には不可能なことです。 「女性が子供を2人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部に能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたらよい」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと大学で学び、医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けばよいのです。子育ては、それほど価値のあることなのです。 もし、体の具合で、子供に恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれない子供を里親になって育てることはできます。 次に男子の人も特によく聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。 人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。 子育てをしたらそれで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。 やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。以上です。 「2人出産が仕事より価値」発言全文 学校HPに一時掲載 校長「誤解招かないよう掲載」(1/2ページ) - 産経WEST (via gkojax)(flyingsonから)
3月 18, 2016 バラエティー番組やドラマの俳優が経歴詐称してても問題はないんだよ 報道・ニュース番組で解説から意見まで述べている人間が 経歴偽ってその意見を大きく見せたことはかなり大きな問題 「うそつきがベラベラしゃべる」報道番組 テレビ局ももう「だまされた!」の言い訳は通用しないだろ? 94 :名無しさん@1周年:2016/03/16(水) 11:26:44.62 ID:WlRBhuzb0 あれだけハンサムで説明が上手ければ日本の女はコロイチだろうな。 そこは認める、しかし古館の神様崇める様なあの態度wwww笑えます。 【社会】報道番組コメンテーター経歴詐称発覚 ショーン川上氏 活動自粛 番組もクビ★2 [無断転載禁止]c2ch.net (via jinx-) (zaki123から)
3月 18, 2016 父:「お前よう覚えときや。金はいくら積んでも所詮金や。金の切れ目が縁の切れ目っていうのは、金を金以上にできなかった俺みたいな成金の末路やな。本当に成功する奴はな、金を人望に変えるんや。人生で成功するためには人望や。金はいつか無くなる。でもな、人望はそう簡単にはなくならん。金を人望に変えるような金の使い方をせぇ。」 【借金2億円】人生のどん底をみた父から学んだ「人生で大事なお金のこと」 - World Journal (via skikuchi)(kazzxzから)
3月 18, 2016 事実として暴力団員の7割は朝鮮人だ http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1457941812/ 【東京】白昼の歌舞伎町で殴る蹴る 山口組系総長、金伸一容疑者ら4人を集団暴行容疑で逮捕[3/14]c2ch.net (via worldwalker2) (kimiyashから)
3月 18, 2016 私が二年間のMBA留学で学んだのは、最先端のファイナンス理論でもマーケティングメソッドでもなく、世界で活躍できる人材を育てながら、多額の外貨を稼いで世界中の頭脳を集め、街に活気をもたらし、在学生の多くをアメリカの理解者、アメリカのファンに育て上げていくという、あまりにもよくできた彼らの人材育成システムでした。 採用基準 / 伊賀 泰代 (via ebook-q)(sakuranoから)
3月 18, 2016 大切なのは、転んだとき、 一)他人のせいばかりにしない。 ニ)敗因を分析する 三)自分で起き上がる この三つの練習を積み重ねていくことだ。 『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』(via mmgen)(yuukishimazuから)
3月 18, 2016 「昔は日本もマナー悪かった」系の話と「今の老人がマナー悪い」系の話を合体させると、「マナー悪かった人間が引き続きマナー悪い」というだけの話になりそうである j.d.さんはTwitterを使っています (via rajendra)(amenokgから)
3月 18, 2016 多くの自治体では、朝鮮学校等の外国人に多額の給付金を支給しています。海外で日本人学校に通って、お金をくれる国は有りません。中韓政府も日本人学校への補助金等は出していません。北朝鮮には日本人学校すら有りません。こんな不公平な制度に我々日本人の税金を投入するべきでは有りません! Twitter / panda3091 (via y-kasa)(y-kasaから)
3月 19, 2016 社是:おもしろおかしく 人生のもっとも活動的な時期を費やす仕事に、プライドとチャレンジマインドを持ちエキサイティングに取り組むことによって、人生の満足度を高め、より人生をおもしろおかしく過ごせるHORIBAの企業文化 この社是は衝撃。 (vianakano
3月 18, 2016 「日本のチベット亡命政府の拠点にアイヌ協会が共闘を呼び掛けに行ったが拒否した。「アイヌ系の人々は今、宗教、文化、言語を否定され、住むところを奪われたりしてますか?努力すれば総理大臣にでもなれるのでは?チベットの置かれている過酷な現状と全く違う。お引き取りを」と」 アイヌ利権が全国に拡大する恐れ!まずはアイヌを知ることから!: 日本創新党 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感 (via gkojax)(gkojayから)
3月 19, 2016 現在、アイヌの文化とされているものの多くが作り物に過ぎないということは、観光に関わる利権の問題で、要は金の問題である。しかし、砂澤氏がさらに深刻だと指摘するのは、「差別」にからむ問題と、歴史の捏造である。 北海道アイヌ探訪記(10)アイヌ民族否定論 | 示現舎 (via ittm) (softbearから)
3月 19, 2016 市川市の市川市立市川小学校は市川市市川にある。ということは、市川小学校になにか郵便物を送るさいは「市川市市川二丁目市川市立市川小学校」と表記しなければいけない。 志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所の記入例がすごい - デイリーポータルZ:@nifty (via 05)
3月 19, 2016 『 区別 』 と 『 不当な差別 』 ◎差別とは単なる区別ではなく「差」を明確にした区「別」であり、評価である ◎根絶すべきは「差別」ではなく「不当な差別(不当な評価)」である ◎「不当な差別」とは、天が決めたこと(出身や人種など先天的要因に属すること)に対する人間目線の不遜な価値決定である 在日だから差別するのではありません。 反日(反日本社会的、つまり反社会的)だから嫌われるのです。 「ヘイトスピーチ」を利用して評価の表明を禁じる言論弾圧は、憲法に定められた「表現の自由」(憲法21条)に反します。 犯罪者の特定を曖昧にすることは国民の「生存権」(25条)を脅かし、「知る権利」を抑圧します。
<< もう一つ転載。 (http://taiyou.bandoutadanobu.com/?eid=1235394) >>
差別することを恐れてはいけません。 避けるべきは不当な差別です。 事実に基づく公正な差別で、良いものを選び、悪いものを遠ざけ、その押し付けに反対することは、人間社会における生存権行使の基本です。 http://2nnlove.blog114.fc2.com/blog-entry-10265.html (http://taiyou.bandoutadanobu.com/?eid=1235377) (via gasarak)(softbearから)
3月 20, 2016 街頭でビラをハイフする。配布 会議で資料をハイフする。 配付 【解説】「配布」は、不特定多数に広く配る場合、「配付」は、特定の人に個々に配る場合。 間違えやすい漢字 shinjihi 公用文はどちらも配布を使うことになっているから一筋縄ではいかない。(via yellowblog)
3月 20, 2016 「お風呂場の電気を消して暗いままで湯船に浸かると、目への負担がない状態で身体が温まるので、すごい疲れが取れるよ」 という話を聞いて試してみたが、なにこれしゅごい……湯船の中で脱力しちゃう……目の奥のコリがほぐれてくのがわかるよぉ…… くまねこ on Twitter (via igi) (dt31から)
3月 20, 2016 ≫災害時のラップ活用方法。 1.服の上から体に巻くと保温性がとてもあがります。 2.排泄物や腐食物を包み地中に埋めるだけで衛生面が確保できます。 3.お皿の変わりになります。 4.火傷や軽い傷の治療。綺麗な水で洗いラップを巻きます。水を拭きとらずにそのまま巻きます。1日に数回行います。 5.細長く丸めると紐になります。 6.細長い木っ端を組みあわせ枠をつくり、そこにラップを巻きます。窓ガラスの代わりになります。ある程度なら風を防げます 【大震災】旭化成、「サランラップ」50万本と義援金1億円��寄付 http://ninja.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1300110131/31 (via mcafee-x6) (元記事: 46187 (zeroenから))
3月 20, 2016 ▼【話題】小学生「『九条があれば戦争起きない』は『信号があれば事故は起きない』と一緒だよね」 この小学生は偏差値28の大学生よりはかしこいな。 陳胡痒のworld view - 本日のリーベンオチ (via dontrblgme2) (zeroenから)
3月 20, 2016 <メモ>慢性ストレスで弱ってる状態というのは、脳はじんわりと緊張・興奮状態にあって休めてない。で、ちょっとだけ真面目に筋トレすると、強制的に体と脳が興奮し、終わるとガクンと副交感神経スイッチが入る。これが自律神経を整え、軽度の鬱にもかなり効くっぽい。 椎名高志@絶チル44巻発売中!!さんはTwitterを使っています (via nnzai) (cxcuo3から)
3月 20, 2016 「叩いたほうが伸びる」と思っている人は本当に多い。驚くほど多い。そして自分がそう考えていることに無自覚な人もすごく多い。このタイプは,叩いて伸びた人のことは覚えていても,叩いて駄目になった人のことはすぐ忘れる。 twitterに書いた「褒めることと叱ること」 - 諏訪耕平の研究メモ (via 13py2) (genngakkiから)
3月 20, 2016 今どき、懲戒処分者が右肩上がりの業界は弁護士業界以外にありません。 たった3万3000人の業界で日弁連は統率も取れず、弁護士は法曹倫理やコンプライアンスも守る気持ちも無い業界です。弁護士会は「仕事くれ、仕事くれ」といいますが、所属の弁護士が不法行為をしても何もしてくれません。依頼したあなたの自己責任としかいいません。運が悪かったですねでオシマイです。
京都弁護士会の元会長が元依頼人に路上で刺されてケガをしたという事件が昨年ありました。元依頼者は京都弁護士会に弁護士の怠慢な事件処理を苦情申立てしましたが京都弁護士会の市民窓口はまともに取り合ってくれませんでした。元会長を刺したあと懲戒請求という制度を初めて知ったと裁判で述べています。京都弁護士会は懲戒制度というものがあると説明もしなかったようです。裁判でも被告人の京都弁護士会元副会長の弁護士が陳述しています。 被害の救済は一切しません。被害救済は一切しませんが「仕事くれ」です。 被害者が自分の被害の救済をしたかったら自分で別の弁護士を立てて裁判をしなければなりません。 仲間を訴える弁護士はいません。 そのような業界です。 依頼者や被害者より仲間を大事にする業界です。 懲戒請求をしても審議するのは仲間の弁護士です。司法修習の同期やゴルフ仲間や貸し借りのある人や同じイデオロギーを持った仲間です。2000件の懲戒が出されても100件しか処分がないのはこういうことです。 弁護士会の綱紀委員会はあなたのため被害者のためにあるものではありません。あくまでも会費を払ってくれている弁護士のためにあるのです。 弁護士会は一般市民のためにあるものではありません。弁護士の会費で成り立っている業界団体ですから、弁護士のためにあるものです。弁護士を護るためにあるのが弁護士会でそれでも守れない弁護士のみが処分を受けるのです。 それでも懲戒請求を出しましょう! なぜなら、懲戒請求がなければ弁護士会は苦情も懲戒も出ない素晴らしい弁護士会だと宣伝をします。弁護士は反省もなければまた同じ非行を繰り返すでしょう。懲戒を出された弁護士は回答書や弁明書を出さなければなりません。これはけっこうめんどくさい事でもあります。また弁護士の能力が見れるところでもあります。レベルの低い弁明書を出せば弁護士会内部で笑いものになります。非行が事実なら弁護士に懲戒を出しましょう。 弁護士懲戒請求書・異議申立書の出し方書き方① ( 事故 ) - 弁護士自治を考える会 - Yahoo!ブログ (via darylfranz) (oharicoから)
“台湾赤十字から日本に約12億6000万円の義援金が送られたが、実際台湾赤十字に集まった義援金は約44億円以上”“Facebook上でも署名運動が始まり、2日間で既に約3万人ものネットユーザーが賛同” (出典:台湾の民衆が台湾赤十字に激怒「早く日本に義援金を送れ」、署名は2日間で3万人ロケットニュース24)
3月 13, 2016 社員がなぜ退職するのかストレートな理由を収集することは重要です。もちろんストレートな理由を収集するには一定以上の信頼関係が必要ではあるのですが、そこで得られた答えが組織のカイゼンに繋がる可能性は多いにあります。 なお、さまざまなWebサイトで退職の理由の統計などが出ていますが、アメリカ海軍に学ぶ「最強チーム」の作り方という本によれば、以下の順番だそうです。 第一の理由は「上司から大切に扱ってもらえないこと」 第二の理由は「積極的な行動を抑えこまれること」 第三の理由は「意見に耳を貸してもらえないこと」 第四の理由は「責任範囲を拡大してもらえないこと」 第五の理由は「給与」 もちろん、人にはそれぞれ違う理由があると思いますが、その理由が組織の機能不全に関わる問題なのであれば、このような形で情報を収集し続けてカイゼンすれば良いことになります。すなわち組織運営のフィードバックサイクルをまわす上での材料になるということです。 ちなみに上記の理由の上から4つ目までは、その人の上司のふるまいに関するものであることが分かります。つまり退職の分析をしてみると、特定のマネージャーの部下だけがたくさん退職しているというケースもあり得るということです。このような兆候があるのであれば、情報収集のやり方を変える必要があるかもしれません。 採用とか退職とか評価に関するよもやま話 | Ryuzee.com (via jun26) (shunya-aから)
3月 13, 2016 日本人は元々 「職人は金のことに口をださず、よい仕事ができる事を喜ぶ」 見たいなところがある。 でもこれは 「よい仕事にはしっかり報酬を払うし、職人に尊敬をささげる」 という発注側の姿勢と組なので 発注側が「仕事は職人芸を求め、報酬は値切る」でやるなら なりたたない Twitter / gdrhone (via ashitatsu) (msin76から)
3月 14, 2016 狙うのは、わりと真面目で、ちょっと結婚は意識しているけど具体的な行動を起こしていない。 もしくは、趣味に走っていたり男友達と遊ぶのが忙しい属性の人たちです。 この属性の人たちをゲットする際の障害は、 出会わない。 遭遇率が激低です。 はぐれメタルかってくらい遭遇しません。 でも、間違いなく存在しているし、男側からするとわりと回りにゴロゴロしています。 ただ、 仕事が忙しい独身は1人でご飯食べることが多いため、牛丼屋かラーメン屋に行きます。 土日も、趣味に走っているので家、もしくは趣味のゾーンにしかいません。 飲みにいっても男友達と居酒屋、焼き鳥屋、焼肉屋など、女性のいない店に行きます。 女性と生活圏が重なりません。 真面目に仕事をしてお金もあり、浮気もせず、コミュ力も低くない優良物件がこの中に眠っています。 ただ、出会わない。 アラサー婚活で結婚相手に最適なはぐれメタル男子の見つけ方。 - ばーしーお気楽ブログ (via ashitatsu) (andi-bから)
3月 14, 2016 薄毛で悩む人たちの間では半ば「伝説」にもなっている育毛食品があった。それが「きな粉」である。 〈きな粉毎日食べ始めて2週間。髪の毛に力が戻ってきた感じ。安いし、ハゲにはきな粉〉 〈シェイカーにきな粉ドバっと入れたのに黒蜜と牛乳混ぜたものを1日3回飲んでたら、抜け毛が減った〉 〈2週間無調整豆乳に入れて飲んだら、生え際が驚くべきスピードで復活した!〉 これらはインターネットに書き込まれた、経験者による喜びのコメントだ。 きな粉とは、大豆を炒って皮をむき、挽いた粉のこと。大豆サポニンや大豆ペプチド、大豆イソフラボンという成分が豊富に含まれていて、基礎代謝を高めてくれることが知られていた。その研究が進み、薄毛に効果があることもわかってきたというのだ。管理栄養士でフードコンサルタントの中川貴子氏はこう話す。 「きな粉には多くのタンパク質やビタミンやミネラルが含まれている。特に髪の生成に欠かせない亜鉛や、白髪に影響する銅の含有量が多いことが特徴です」 ヘアコンサルタントの松本英子氏がこれを援護する。 「イソフラボンは女性ホルモンに似た働きをするので、AGA(男性型脱毛症)の原因ホルモンであるDHTが減り、薄毛に効果があるのです」 【朗報】伝説の毛生え食品が話題に!牛乳に混ぜて飲むだけで生え際が復活 : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ (via 774rider)
3月 14, 2016 若宮:これはですね、やっぱりマスコミと政治家がパチンコマネ��に汚染されてるんですよ。それが一番の原因だと思いますよ。 ひろゆき:政治家って、例えば? 若宮:パチンコチェーンストア協会というのがありましてね、大手のパチンコ屋さんがほとんど加入してるんです。そのアドバイザーとして政治家が名前を連ねてるんですよ。 ひろゆき:どんな政治家ですか? 若宮::民主党がですね、37名ですね。 ひろゆき:そんないるんですか? じゃ僕読み上げますね。あれ、これ羽田孜? 元首相じゃん! 羽田孜、鹿野道彦、古賀一成? 若宮:小澤鋭仁。 ひろゆき:野田聖子とか岩屋毅。公明党の鳩山邦夫とかいるじゃないんですか。 若宮:公明党……いや、これは無所属のです。公明党は3名ですね。 ひろゆき:自民党10名。 若宮:自民党10名ですね。 ひろゆき:これネットにあるんですね。各自これ読んでくださいって。 若宮:そうです。政治家がなんでアドバイザーを引き受けるかという事なんですよ。大体パチプロじゃないんですから、アドバイスできるわけないですよ、政治家が。 ひろゆき:まあパチンコにめちゃくちゃ詳しいんだったらしてもいいと思いますけどね。野田聖子がパチンコに超詳しいとかだったら、それはそれで面白いですけど。 若宮:それで、「WiLL」っていう月刊誌ありますね。そのWiLLに3月号に寄稿したんですよ。その時に、この名簿を一緒に書いて乗せたんですけど、その時はまだ36名だったんですよ。それが先月ですから、あっという間に1人増えちゃった。 ひろゆき:増えるんだ。 若宮:これだけ騒がれて、逆に1人増えるんですよ。 ひろゆき:お金貰えるなら貰いたいっていう政治家いっぱいいますもんね。 若宮:いっぱいいますからね。 ひろゆき:海江田万里さんとか、小林興起さんとかいるじゃないですか。元首相なのにこんなにみみっちい金の取り方してるんですか? 若宮:実際ですから。 ひろゆき:世も末ですね。 若宮:おっしゃる通りですね、世も末ですよ! ひろゆき:元総理になっても、こんなせこい仕事しなきゃいけないんだ。この国夢ないわ。 若宮:おっしゃる通りです。もう世も末です。この国はですね、中枢の部分が腐ってますよ。 ひろゆき:政治家がそうやって、パチンコ業界からお金を貰ってバックアップしてるわけですね。 若宮:保通協っていうのがありましてね。パチスロ、パチンコ機能、検定をするわけですよ。 ひろゆき:パチンコ屋さんに卸しても良いかどうかの台のチェックをする協会? 財団法人保安電子通信協会ですね? 若宮:そうです。正式にはそういう名前です。そこのトップに警視庁の警視総監が天下りしてますよ。 ひろゆき:会長が元警視総監と。警察の一番偉い人が、今パチンコのチェックをする協会の会長やってらっしゃると。 若宮:ですから、この国は中枢の部分がもう腐ってきてるんです。 ひろゆき:賭博を取り締まるはずの警察の一番偉かった人が、パチンコの業界にいるって、もうどうしようもないじゃないですか。 警察・政治家もズブズブ! ひろゆきらが語る、日本からパチンコがなくならないワケ | ログミー[o_O] (via yutaka1620)
警察が正義を掲げるなら、先にパチンコの矛盾について話しして欲しい
(via yutaka1620)
(micryuから)
3月 14, 2016 外国の知り合いに「なんで日本人はTwitterで自分の顔をアイコンにしないの?」って聞かれたから「忍者の末裔だから」って答えたら「Oh!!!all right all right」って納得してくれた。 Twitter / えの: 外国の知り合いに「なんで日本人はTwitterで自分 … (via applemecanique)
shinoddddd reblogged jiri22: (via tataraseitetsu)(moja-mojaから)
3月 15, 2016 そうそう、産経新聞の古森記者が指摘しているのですが、 ここにきてNHK、朝日、読売などが一斉に「慰安婦像」という呼び方をしなくなりました。 「少女像」と言い出しています。 靖国神社爆弾テロ事件を「靖国神社爆発音事件」にすり替えた反日マスゴミは ここでもお得意の「言い換え」を使って問題をすり替えようとしているのでしょう。 Commented by ななしん at 2016-01-03 17:07 x 無知なもので、なぜ慰安婦像が少女なのか前から不思議だったんですが、ここのところいろんな保守ブログを読んでいてようやくわかりました。 実際は朝鮮戦争時の米軍向け慰安婦だった人間を、太平洋戦争時の日本軍慰安婦に偽装したため、年端もいかない少女の慰安婦だった、ということにしないと年齢が合わない、ということなんですね。 二重のウソで二重に貶められているのが本当に腹立たしい。 http://ttensan.exblog.jp/22733812/ 2016年 01月 03日
なるほど。 (via gasarak)
3月 12, 2016 仏教は、「生きること」はすなわち「苦である」という自覚から始まります。ずいぶん悲観的な宗教だと思うかもしれませんが、この場合の「苦」の原語はドゥッカーと言いまして、「満足できない」といった意味合いです。 私たちは必ず「満足できない」、つまり「思いどおりにならない」という苦悩に直面します。そこで(現実を思いどおりにコントロールすることはできないため)、「思い」のほうを調える。たとえば、「思い」を消し去ってしまえば、「苦悩」も消滅する、それが仏教の理路です。 覚悟の決め方 / 河野 太通 - 電子書籍 名言まとめ (via rokuroku)(y-kasaから)
3月 12, 2016 ちなみにメキシコはアメリカとの自由貿易協定で安い農作物が大量に流れて来ました。それで農業が半壊状態になりました。そうしたら価格を釣り上げられボッタクられました。今や麻薬グループによる殺戮戦争が日常。国家が半壊状態であります。自給できないものはボッタクられる。小学校で教えるべき常識です。 2ちゃん的韓国ニュース : 橋下氏、野田首相のTPP公約化 「素晴らしい。政策で政治家が集まるセンターピン(核)を探っているのではないか」 (via sqiz)(ougatakenjiから)
3月 12, 2016 2003年くらいまで東大キャンパスのごみ箱は「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」に分かれていたんだけど、理学部かどこかの学生から「発火点を上回れば全ての物は燃焼するんだからその分別はおかしい」とクレームがついて「燃やすゴミ」「燃やさないゴミ」に変わった。 Twitter / sollamame (via thomasneumann)(元記事: gearmann (tra249から))
3月 12, 2016 大切なのは、その選択をした後にその選択をよし。と思えるよう、その後の人生を充実させることです。 私の悩んで出した結論を私は信用できる。 おとなの小論文教室。 (via drhaniwa)(tra249から)
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