#見頃が楽しみ
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数名から投稿楽しみにしているとリクエストがあったので、久しぶりに投稿。
年末年始にヨーロッパにいる友人に会うため旅行したのだが、友人と会った最初の2日間以降は一人旅。
某国の首都を訪問し観光したその夕方、某ゲイ用の出会い系アプリを開いて見ていたら、早速何人かからメッセ���ジが。その中で写真とプロフが気に入った37歳の男が一緒にキメてやろうと誘ってきたので、その夜指定の場所に行って会うことに。
ホテルからタクシーで10分くらいの指定された住所で降りて部屋の場所を尋ねると、そいつはその目の前にあるバーで待っていると。恐る恐るそのバーの入り口を入ると、その男は待っていた。慎重180cmくらいの体格のいい男前だった。既に俺の入場料も払ったからと中に案内された。入り口のエリアはゲイバーなのだが、奥はゲイ用のレンタルルームとクルージングスペースになっているらしく、バーから奥の廊下に入ると薄暗く、廊下には多くの男達がいた。普段着の奴もいれば、上半身裸とか、革のハーネスとケツ割れ姿だけの奴など、年齢も20代~60代くらいと思われる奴までいろいろ。レンタルルームへ向かう途中廊下にいる男達と目があうが、何人かは気軽に挨拶してくる。中には早速ケツを触る奴も。ドキドキしながら部屋に向かった。
レンタルルームに入ると、薄暗い部屋にダブルベッドとシャワーブースのみがあり、ベッドの上には既に他の奴とやっていたと思われるキメ道具やゴミなどがあった。すぐに服を脱ぎ、ホテルから装着して来たハーネスとケツ割れ姿に(コックリングも装着済み)なると、すぐにどれだけ入れる?と聞いてきたので、自分でやると言って、10メモくらいをもらって新しい注射器にセット。それぞれベッドの上で入れ終わるや否や、カーッと体が熱くなり、すぐにエロモードに。ベロチューでスタートしたが、すぐにその男がチンコをしゃぶってと言って俺の口にチンコを押し込んできたが、いきなりのデカマラにむせながらもむさぼり付くように竿から金玉までしゃぶりまくった。そのまま69になりお互いのチンコをしゃぶっていたら、俺のケツの穴にその男の長い舌が入ってきて、そのまましばらくケツをなめられる状況に。俺はタチの頃からケツを舐められるのは好きだったので、そいつの長い温かい舌がケツの穴の中を舐め回る度にガマン汁垂らしまくって唸ってた。「綺麗なケツだ」と言われ、四つん這いで散々ケツと玉と竿を舐められた後は、そのままギンギンになった彼のデカマラが押し込まれた。突然デカいのが入ってきたので痛みで30秒くらい抜かずにストップしてもらったあとは、しばらくずっと掘られっぱなし。デカいのをピストン運動する度うめき声が抑えられず、おそらく廊下まで響いていたと思う。俺のチンコからはガマン汁はダダ漏れで、このままじゃ掘られ��終わっちゃうよって思ったら、いきなり強く腰をビクンビクンと突き上げ種漬けされた。量が多いのか、ケツの奥に温かさと満腸感でイッたことがすぐ分かった。その男は既に俺が数人目みたいだったので、疲れたのでしばらく休憩すると。あなたはクルージングエリアに行って遊んできたらいいよって言われたので、まだ掘ってないし全然やり足りない俺はムラムラ全開のまま初めてのヨーロッパでのクルージングゾーンに。部屋から出てロッカーに荷物を預け、ワクワクしながら廊下の奥へ。そのフロアには多くのビデオルームが廊下の両サイドにあり奥に深く回廊の様になっていた。その男達が沢山いる通路をハーネス、ケツ割れ、ブーツ姿で歩くというのはさすがの俺も初めてで恥ずかしさと緊張感があったが、すれ違う男達に"Wow!", "Nice!"などと言われ、すぐに何人かに誘われた。とりあえずそのまま一つのビデオルームに入ると、部屋の上の方のテレビでゲイビデオが20チャンネルくらい選べるしくみで、両側の部屋との間にでかいGlory Holeが空いていた。あちこちでビデオの声とは別にしゃぶっている音や、ケツを掘っている音などが聞こえ、キメているのにさらにアガりまくり。椅子に座るといきなり両側からデカいチンコがヌッと出てきた。なんでこの国の男はみんなチンコがデカいんだよって驚きながらも、早速片側のデカマラにしゃぶりつく。口いっぱいの太さの皮付きのデカマラのエロさに俺のチンコはビンビンダラダラ。夢中でしゃぶっていたら、隣の穴から腕が出てきて俺のケツをひっぱられ、そのままケツを突き出したら穴からけつの穴をペロペロと舐め始めた。あまりの気持ちよさとエロさにうめき声を出しながらデマからを必死でしゃぶった。隣のデカマラもしゃぶりたかったので、向きを変えて何度か交代でデカマラをしゃぶりながらケツを舐められていたが、突然固い太いチンコが俺のケツに入ってきた。あまりの変態なシチュエーションに興奮してうめき声を漏らしたが、その後は3度ほど交代で反対側の男にケツを掘られ、最初の男がうめき声とともに俺のケツに中出しをしたかと思ったら、しゃぶっていたデカマラがビクンとしたと同時に俺の口の中に大量のザーメンが噴射された。それぞれの男は”Thank you"と言って部屋を出て行ったが、同時にケツと口の中がザーメンでいっぱいになった俺は変態度が半端ないレベルだったのでそのままザーメンを飲み込み、ケツの穴にぶち込まれた二人目のザーメンもそのままキープしてビデオルームを出た。ますます変態度が上がり、ムラムラ最高潮の俺はそのまま廊下を一歩きしていたら、地下に続く階段が。ワクワクしながら階段を降りると、さらに広いクルージングゾーンが。大きなスクリーンでゲイビデオ放映している広間の左右に伸びる廊下は迷路のよう��ダークゾーンで、鉄格子と鎖などがぶら下がっているハードな��リア、ケツ掘りブランコルームやX字の形に4つの革ベルトが付いたSM?プレイルーム、ケツ掘りベンチや叉を開く医療用のベッドのようなベンチなど、いろいろなエリアが。既にやりまくっている奴らもいてあちこちで声が響いている。多くのムラムラした男達が獲物を探して歩き回っているが、俺の格好がハレンチだったのか、アジア人が珍しかったのか、暗い廊下では男達に声をかけまくられた。その、地下のクルージングエリアでのエロ体験についてはまた次回書きます(長文でちょっと疲れた)。自分がこんなにも変態だったことを改めて知ることになったエロい体験談はまた次回に。
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2025-01-10
【 親父世代のチンポ 】
チンポのサイズに、世代とか関係ないかも知れませんが、俺の親父(70)のチンポは子供の頃からずっと見てきたけど、今見てもデカいなと思いますね。
俺の(約16)と比べると、20近くはあるかな。
太さもあるんで、ガチガチに勃起すると握った時の質感が凄い。
兜合わせしたら、親父のチンポに俺のチンポ隠れるw
「兜合わせ」って、男同士でしかできないチンポ遊びのひとつやと思う。
「兜合わせ」て、四十八手のひとつのような名前があるってことは、男同士のホモ的タブーな行為のようで、そんなタブー視よりも、快楽の追求に目を向ける者同士なら、ノンケ同士でもやってたのかも。
て、そう言えば俺の親父と、幼馴染のおっちゃんは学生時代にやったことあるって、おっちゃんが教えてくれたな。
兜合わをしようとしたわけじゃなくて、チンポのデカさ比べした時に2本合わせて握るから、2本ズリやってまうのは自然な流れか。
勃起した生チンポを2本重ねるだけで、すでにアレなわけだし(笑)
話が逸れましたが、
親父もデカいけど、親父の幼馴染のおっちゃんも、鹿児島のおっちゃんも、親父世代はデカい気がする。
平常時から、ずっしりした重量感、使い込まれた赤黒く助平遍歴を沈着させたぷっくりとした亀頭。
そんな親父達のチンポ見てて思うのが、チンポにも成長期ってあるんかな?
体が成長期に入る頃に、第二次性徴期に入り子供から大人へと変化してくから、チンポにもそのタイミングてあるやろなぁ。
そのタイミングで、チンポの増大、長径、亀頭増大、とかに効果ありそうなセンズリのやり方があるなら気持ち良くチンポを育てられるんやから知りたかった(笑)
親父達は、センズリに罪悪感なく自然な気持ちいい行為としてやってたとしたらチンポ成長期と重なってデカくなったんやろなぁ。
だからかも知れんけど、遺伝すれば俺も放っといても親父みたいにデカくなると思ってたけど、親父ほどにはなら���かったな。
親父からセンズリ教育は受けてたのにな。
それと、もうひとつ思ったのが「パンツ」の違い。
親父達がセンズリやりまくってた時代は、下着は流石に褌ではなかったと思うけど、綿のペラペラのトランクス、ガラパンてやつやったんかな?あれだと、締付けもないしパンツの中でチンポも金玉もブラブラやから、発育にいいんかも。
今の下着はいろいろあるし、成長期のチンポには不向きなパンツもあるんかな。
今回も、抜きどころなしでスイマセン😅
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🐈🍅🎨人生の最高の時期は子供時代、無邪気さ、遊ぶことと楽しむことだけを考えることができる🐈🍅🎨子供の頃はみんな幸せそうに見える🌈☁️🏠家族はいつもパーティーに集まり、🍓🍮子供たちが遊んでいる間会話をし、これまで以上に人生を楽しんでいます。🍓🍮時間が経つにつれて、人は成長し、すべてを懐かしむので、子供たちはそれを最大限に活用します。🎒🎀🌈テレビを見たり、絵を描いたり、遊んだり、好きなことをして一日中過ごしたのが懐かしいです 笑🎨🧃๋࣭子供に戻りたいです、ハハハ🥞🎀🌈
#🎀。゚・。゚ᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ。゚・。゚🎀#⊹ ⋆꒰ఎ ♡ ໒꒱ ⋆゚⊹#☘️🎀· ˚ 。🌈・ 。゚⭐️かわいい世界🌈・ 。゚⭐️ · ˚ 。🎀☘️#˚˖𓍢ִ໋🍮✧˚.🎀༘⋆「 ✦ 𝖕𝖗𝖎𝖓𝖈𝖊𝖘𝖘𝖆𝖓𝖙𝖎𝖘𝖔𝖈𝖎𝖆𝖑 ✦ 」୧ ‧₊˚ 🍓 ⋅ ☆#可憐#可愛い#かわいい#幼児期#ノスタルジー#懐古#jojifuku#kidcore#子どものころの思い出#aesthetic#weebcore#webcore#otakucore#kawaii#animecore#neetcore#2000s core#00s#2000s#kawaiicore#my gifs#old web#childhood#gif
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北大路魯山人
457 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2025/03/03(月) 23:06:32.52 ID:lk0kWMZt 北大路魯山人の生い立ちが不幸すぎてワロタ ・実父は生まれる前に自殺 ・実母は他人の農家に生後3か月の魯山人を預けて失踪 ・農家では放置され、1週間後に警察が連れて帰る ・連れて帰った警察官の養子になるが、2か月後に養父失踪 ・同じ頃に養母が病気で死ぬ ・この2人の養子だった夫婦(義理の兄と姉)が面倒を見ることになる ・義理の兄が気が狂って死ぬ ・義理の姉と実家に戻るが、そこの母親から虐待される ・近所の人が見かねて別の家に養子を世話する
これがすべて5歳になる前 ���味と道楽に生きたみたいな人だから金持ちの息子かと思ってた よく生きてたな
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撮影後記です。三月は朝陽に輝く只見川第二橋梁です。
日の出の斜光を撮り捉えるのが好きです。 広大な蒲原平野に住んでいるといろいろな題材に事欠かないのですが、山間でその光を捕まえることはなかなか難しいですね。 山深い只見線においても、魅力的な焼け色が谷底の鉄路を照らすロケーションや季節はとても限られています。
その中でわたしがお気に入りなのは、春や夏の終わり頃に第二橋梁で見る事ができるこの朝の光景です。 鉄路が渡る只見川が東側に長く伸びている場所であるため、低い日差しが鉄橋を照らしてくれます。 ここでさらに川霧が出てくれた時は特に幻想的です。行くたびに違った光景と出会えるので飽きる事がなく、今後も通いたい題材です。
今年は大雪でこの区間はいまだに不通状態ですが、ようやく春の足音も聞こえてきたようです。自分にとって只見線の春は桜よりも先にこの光景から始まるので今から楽しみです。
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さてさて先ほど載せ忘れた三枚を載せつつ撮影会は終盤へ。
腹ごなしもかねて二月堂へと歩を進めます。






そろそろ日も傾きかけた時間でも晩秋の奈良にはたくさんの観光客の姿が。なるべく人ごみを避けるルートを選んでいただきながら二月堂へ到着です。

まだまだ健脚のお二人は階段を上って本堂へ。夕暮れの古都を狙います。







一方ポンコツ動力のワタクシは下で待つことに。ふらふらしながら撮影を続けます。


現像の時に気づいたのですが手前に蟷螂が。

暮れなずむ頃合いです。鹿さんたちも帰路を急ぎます。


すっかり日も沈んだ浮見堂を眺めつつ楽しかった撮影会も結びとなりました。
長々とお目汚しの投稿でしたがお付き合いくださり感謝感謝でございます。
総歩数38000歩超え。時間にして約10時間以上。@brownie-picsさま、@masachiさま、長々とお付き合いくださりありがとうございました。
そしてぼかぁまだ足腰バッキバキですよ笑。
Photo Session #4
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六曜より大切にしたいものがあったから仏滅に結婚した。夫も「知らないけど、アメリカではいい日だよ」と言っている。
入籍日までは、仄かな恐怖と一緒に過ごした。今死んだらみんな悲しむよなという気持ち。職業柄もあるのだろうが、常に死がそこに見えていて、大切なものが増える度に死ねないな、死ねないなと身を固くしてしまう。誰かを悲しませないように、今日も生きることを続けている。あなたのために生きている。あなたがいつか生きる理由がわからなくなった時、わたしのために生きていて欲しい。と思っている。夫の祖母が入籍日のほんの数日前に亡くなった。わたしに報告した夫は泣くわけでもなく、ただ静かだった。理由を聞くと「94歳だよ。仕方ないよ」と話してくれた。素敵だと思った。わたしも死ぬことを許されるくらい大往生してからが良いなと思った。
結婚してからは大して変わらない毎日を過ごしながら、生活の合間で粛々と氏名変更をこなしている。夫は手続きするものがほとんどなく、呑気そうで羨ましい。戸籍謄本が出来上がらないので、金融口座の氏名変更ができないでいる。給料が入る金融口座の氏名変更ができないと職場にも書類を提出できなくて、旧姓のまま働いている。旧姓で呼ばれたり、新姓で呼ばれたり、マリッジブルーなんてものはなく、友人や職場の後輩がきゃあきゃあとわたしを新姓で呼んでいるのをどこか他人事のように聞いている。中高生の頃は、授業時間に好きな人の苗字と自分の名前をノートにこっそり繋げて書いて、うっとりとしていた。そんな気持ちこそないが、当たり前のように改姓を受け入れてしまっている自分に「へえ」と思いつつも、どこか晴れ晴れとしている。
結婚指輪も20歳くらいから決めていた彫金師の方に特別に作ってもらえることになった。とても嬉しい。育児の合間にゆっくりと制作してもらっているため、まだ手元にはない。とっておきのおまじないをかけてもらった指輪が出来上がる予定。
結婚式も妊娠についてはまだ何も考えていない。昨日、子を産んだ高校の時のクラスメイトに会った。「出産育児に対して何も後悔はないし、子は可愛いけれど産む前の生活には2度と戻れないのだなと思っている」と教えてくれた。まずは夫婦としてのふたりきりの生活を謳歌しようと思っている。日中働いて、夜はすすきのに酒を飲みにいき、たまに長く有給をとって旅行に出かけるような生活。今この文章は、ソウルへ向かう飛行機の中で書いている。夫は横で文庫本を読んでいる。旅行に行く時は必ず、旅のお供に新しい文庫本を買うような人だ。そういうところがいいなと思っている。プロポーズ前に決めた旅行が、図らずとも新婚旅行になってしまった。パスポートの名前は旧姓だし、左手薬指に指輪のない新婦と生レバーを食べたがっている呑気な新郎。
幸せって状態ではなく、感じる心だとどこかで聞いた。わたしは今、幸せなのだろう。幸せだと感じると同時に怖くもなる。夫と一緒に歳を取っていくのは楽しみであり、歳をとっていくと辛いことも多くなるのだろうと悲観してしまう。いつかどちらかが先に死んでしまうと死別が予定されている未来。夫に看取られたいと思う反面、夫を残すのは可哀想だとも思う。夫が死ぬ前にボケてしまいたい。願わくば、頑固なばあちゃんにならずに可愛くボケたい。幸せであるうちは、その幸せをいつか喪失する恐怖からは永���に逃げられないのだろう。そんな恐怖とも、横でうたた寝をし始めた夫とも、今後とも仲良くしていこうと思う。
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先週から2週間のアジア出張中。この週末はバンコク泊だったが、珍しく2日間フリーだったので、金曜日深夜にいつものサイトを物色し、ほどなく現地人在住のヨーロッパ人のdaddy二人と会うことに。
訪れた立派なアパートの最上階には、俺より10才ほど年上と思われるdaddyが住んでいて、既にそのdaddyのセフレと言う俺より少し若めのdaddyが待っていた。年上daddyはスリムなイケオジで、若めdaddyはがっしりした筋肉質で口の周りのヒゲが似合う男らしい爽やかでハンサムなイケメン。二人に会うと、笑顔で迎え入れてくれて、すぐやろうと。
ベッドルームに案内され、皆で服を脱いで用意されたハーネスやケツ割れ、コックリングを装着する際、二人の共通点に気付く。二人共、白人らしい形のいい20cm以上はあろうかと言う太い立派なデカマラと、コックリングでパンパンになったデカい金玉袋をぶら下げている!!💉は既に年上daddyが3本用意してくれてあり、それぞれで打つことに。
二人のイケメンのデカマラdaddyと、着替えたエロい姿と、どれだけ入っているか分からない💉を目の前に俺の胸は高鳴り、既にフル勃起のチンコからは我慢汁垂れまくり。
3人で同時に打ち終わるや否や、俺は咳き込み、いつもと違う鼓動の高鳴りにハアハアいいながらベッドに倒れこんだ。初めて咳き込みを経験し、これまでにないほどハイになっているのが分かるが体がすぐに動かないのは初めての経験。二人も打ち終え同じく一気にハイになったかと思うと、いきなり若めdaddyは仰向けになっている俺の勃起したチンコをケツ割れから引っ張り出してしゃぶりまくり。年上daddyは俺にエロいベロチューをしたかと思うと、俺の顔を抑えてガマン汁が垂れている勃起したデカマラを俺の口に突っ込んで来た。のぶといデカマラにむせながらも、よだれ垂らしてしゃぶりまくった。続いて若めdaddyが俺のケツの穴を舐め、年上daddyは俺の顔にまたがってデカいマラと金玉とエロいケツの穴を押し付けながら俺のチンコをしゃぶるというこの上ない至福の展開に。
気付くと若めdaddyは俺の上に乗ってビンビンになったデカマラを揺らしながら俺のチンコを筋肉質ながっしりしたケツに突っ込んで腰を振っている。男らしいイケメンdaddyが高揚した顔で俺のチンコを自分の穴に突っ込みながら柔らかい生暖かいケツの穴を時々キュッと締めるのを繰り返す度に俺は感じまくり我慢汁放出しまくってた。
あまりの気持ち良さにもうろうとしていると、次は年上daddyが代わって騎乗位になった。使い込まれたケツの穴はローション付けずにチンコを飲み込み、グチュグチュといやらしい音を立てて、俺の興奮は収まらず腰を何度も突き上げてやった。その間は若めdaddyのデカマラときれいなケツの穴は俺の顔の上に押し付けられていたことは言う間でもない(幸)
それから正常位に体制を変え年上daddyの足を抑えてベロチューしながら掘っていると、若めdaddyが後ろにまわり、掘っている俺のケツの穴を舐め始めた。あまりの気持ち良さにしばらくその姿勢で掘っていたが、突然柔らかい舌から熱い固いデカマラがぐいっと俺のケツの穴に押し込まれ、思わ���悶絶。
これぞ究極の3some、念願のイケメン野郎の真ん中に入ってサカリ合いが実現し、エロさと嬉しさで頭の中が真っ白になって腰振っていたら、我慢出来ずに年上daddyのケツの穴に発射。年上daddyは嬉しさのあまり俺に激しくベロチュー。
すると若めdaddyもいきなりピストンが早くなり、Fuck!の声と同時に俺のケツの中にデカマラをギュッと奥まで突っ込みピクピクと脈打たせながら大量のザーメンを放出。俺達3人はチンコをケツに突っ込んだままのサンドイッチ体制でしばらく抱き合って放心状態。
そこから動いたのは年上daddy。俺のザーメンが入った自分のケツの穴を俺と俺に重なっている若めdaddyに見えるように四つんばいになり、ケツの穴を緩めてザーメンを流れ出して見せた。むちゃくちゃハイになってた俺達はケツの穴と流れ落ちるザーメンに食いつき、ザーキス。次に年上daddyは俺の腰をぐいっと引き上げケツの穴を両手で拡張。すると俺のケツの穴から若めdaddyの大量のザーメンが流れ出るのを二人が競うようにむさぼっていた。3人はお互いのチンコとケツの穴を舐めまくりザーメンをきれいに舐め取りしばらく3人でザーキスしながら抱き合った。
ここまでの話は💉を打ってからたったの2時間弱。あまりの興奮に3人共一気にハイになって無我夢中だった。
一旦3人でシャワーを浴びて休憩した後は、イケメンyoung daddyの甘えた声での度重なる追加要請により、翌日のお昼頃までいろいろな変態プレイを4回戦最高に楽しみまくった。
今度は仕事じゃなく休み取って来ると約束。今年の夏休みの予定は決まり!昨日終わったばかりなのにもう待ち切れない。
#daddy
#キメセク
#3some
#ザーキス
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Nozawa, Setagaya, Tokyo / Jul. 2022
2月も下旬にさしかかり、しかしここへきて寒の戻り、毎年だけど寒さに飽きる頃でもある。継続して問題を抱えていたりもして自由に身動きが取れないのが何ともモヤモヤするのだが、それでも可能な範囲で楽しみも見つけないととは思う。何でもいいんだけどね、自分の興味の湧くモノやコトであれば何でも。
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初夏の朝、蓮散歩 to 古河公方公園
初夏の朝の楽しみ、蓮を求め古河公方公園を散策してみた。
まとわりつくような湿気を帯びた暑さにやられ、引きこもりが促進しそうな今日この頃ですが。。。曇り空の朝方なら何とかたえられるのでは、と思い、初夏の朝 蓮を楽しめるスポットとしてみつけた古河公方公園へ。
早朝、のつもりが案の定 寝坊して、ちょっと出遅れた時間帯に古河駅に降り立ちました。古河公方公園まではバスもあるのですが、時間が合わず。知らない町は歩くのが楽しいよね、ということで約20分のお散歩。


結果、汗だくになりつつも、蓮池へ。ちょうど見頃だったかな、濃緑と淡いピンクの染まった光景が目に飛び込んできました。ぷらぷら歩きながらいい感じの場面を切り取ってみる。蒸し暑い空間の中でも時より蓮の花の清涼感のある香りを感じられ、さわやかな気分に!


例によって装備は標準ズーム + 100mmマクロで挑みましたが。。。もうちょっと長い玉もあれば違った側面をおさめることもできたなぁ、とちょっと後悔(望遠ズームは重たいのでお家でお留守番させていた 泣)。
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栗浜陽三 (文・写真) 『九十九里浜』 より 雑誌MLMW (ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事
栗浜陽三 九十九里浜(写真)

栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
九十九里浜・しなやかな風景 写真と文 栗浜陽三
九十九里浜が、何県にあるかを知らない人でも、その名の持つ雰囲気に、何か特別のイ メージをお持ちであろうと思う。太平洋に面した、その茫漠たる長い長い浜の風物は、浜というものが持つ様々の要素を凝縮させて、 我々の期待感や夢を満たしてくれるかのように思える。しかし残念ながら今では九十九里浜の魅力の殆どは、過去のものとなってしま った。一体、十数年前の、あの素朴で夢のよ うに美しかった九十九里浜は何処に行ってしまったのか。この僅か数年の間に、都会人の荒々しい神経で浜は汚され、美しい砂の起伏は姿を消し、近代化の手は浜に沿って長々とハイウエイを引いてしまった。九十九里浜にとって、全く無意味としか思えないこのハイウエイプランを耳にした時、私は自分の心の中の大切な部分を引きさかれる思いがしたが、土地の政治家というある人は、それは芸術的
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)

栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
しなやかな風景●九十九里浜
・・・は黒ダンの前袋の両脇から黒々と毛をかき出して男らしさを競ったといい、亦、漁から浜に帰って来る舟は、長い竿を舟の両側につき出して、その先に黒褌を結びつけ、尾長鶏の尾羽根のように海風になびかせてもどって来たと話してくれた。
私がせめて十数年早く九十九里を訪れていたら、目にしたであろうこれは誠に九十九里の匂いのする昔語りであった。 それでも私は消えてゆく残り火の色を見る ように、時折浜で数少ない漁師の浜仕事や、 女達のフラミンゴの踊るような鮮やかな作業っぷりを見る事が出来た。
度び重なる私の九十九里訪問につれて、私の仕事友達や学生達が浜を訪ねるようになり、若々しい彼等の裸身が浜をにぎわすようになった。彼等はアっと いう間に海風にやけ、町中まで褌姿でのし歩き地引網を楽しみ、九十九里独特の丸板の波乗りをし、別人のように生き返った。
私は丸裸で浜仕事をする漁師をたびたび目にしたが、 この風俗は戦後アメリカ人の手前禁じられてしまったその名残りであった。中年の漁師が性器の先をワラシベや布切れで結んで褌の代用としている様も、決して雑でも奇異なものでもなく、浜の風物の中ではごくノーマルに感じられた。これは海水に濡れたままの褌の不衛生さを彼等がきらったからだという。
浜の女達はよく働いた。小柄でたくましいマイヨールの彫刻のような彼女達は、舟を浜に 引き上げる時には男以上の働きを見せた。母 親の仕事を見ている少女の背中の、赤ン坊の顔には、一刷毛はいたようにウッスラと砂が乗っていた。
十年以上訪ね続けている私の目には、浜の舟の数が年々少くなって行くのがよく解った。最初一、二年の間、浜にそびえていた何艘かのK家の船もいつしか姿を消した。民��が急激に増え、そしてドカンと音のするようにハイウエイが浜に沿って走り、浜と村を引きさいたのである。庭から海に裸で飛び出してゆけた私達もトンネルをぬけて海に出る為に廻り道をしなくてはならなくなった。浜は見る見る中にゴミが打ち上げられ、マイカーが波打ぎわを走りぬけ、ビーチパラソルが立ち、その下で一日中マージャンをするという馬鹿げた男達が東京からやって来た。日本人は本当のゼイタクの楽しさや味わい方を知らないし、知ろうともしない。なぜ九十九里に都会生活をそのままズルズルと引きづって来る必要があるのだろうか。彼等は潮騒をきく代りに、浜でトランジスタラジオをきこうとする訳なのである。民宿になった素朴な土地の家で、海の香りを味い、あるがままの九十九里の生活に思いきり身をまかしてこそ、本当のゼイタクの楽しさではないだろうか。ハイウエイは私如き人間の知らない理由で必要なのかも知れないが、その代り、日本一のあの美しい浜の風景は二度ともどってこないのである。
K家にはその頃四年程続けて、ある外国の大使館の青い目の客が来るようになった。映画スターのような見事な美女達であった。私の友人の若者達とこの美女達は、伸々打ちとけ合う機会がなかったのだが、ある日、彼女達がK家の前庭の椅子に腰をおろして読書を楽しんでいる最中に、この若者達が海からもどってきたのである。彼等はオイルで鋼のように輝く背中をみせてタオルやマットを干し始めた。その姿を一人のブロンド娘がしみじ ・・・
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
以上の写真と文は雑誌MLMW(ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事『九十九里浜』より
これらの文章を読むと、栗浜は性的にも、性的な物を離れても伝統を残したままの海やそこに暮らす漁師を愛していたことが判る様だ。また、他の記事を読むと祭りについても性的にも、性的な物を離れても愛していたことが判ると思うよ。
栗浜のオリジナルは持ってないからウェブから集めた画像だけど、九十九里浜は良い画像がなかったんだ
一応拡大して補正はしておいたけど画質はちょっと残念だね
世間一般では本名の藤井千秋でイラストレーターとして有名な人なんだよ~
藤井千秋は画像検索したらいっぱい出てくるよ
2つの名前の作風の違いに驚くよー!
#栗浜陽三#九十九里浜#ムルム#六尺褌#ふんどし#褌#藤井千秋#kurihama youzou#youzou kurihama#fujii tiaki#loincloth#japanese national costume#japanese underwear#common japanese daily underwear#japanese formal wear#MLMW
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を���威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。��の戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。��国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内���部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。


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例大祭21のスケブ
遅ればせながら、例大祭21ありがとうございました!お天気もとても良くて、大盛況でしたね。 今回描かせていただいたスケブのご紹介です。
・お燐 お燐といえば猫のポーズ、という感じで描いてしまいましたがあまりにも定番すぎて以前描いた絵ともし被ってしまっていたらすみません! 地霊殿が出たばかりの頃はお燐のもみあげを描かないことにこだわっていたのですが、もみあげ(横髪?)を描いた方が絵として上手くまとまることが多いので最近は描いていることが多い…… という裏話です。(もみあげを描かない方が、原作らしさは出ると思います。)
・射命丸(天狗装束) 天狗装束版の射命丸は普段の射命丸より、よりクールでしっとりした方向で描きたくなりますね。 金と黒のコントラストが楽しいです。
・豫母都日狭美 ほとんど初めて描いたので、まだこんな感じです! 日狭美は見る人によって、性格もビジュアルも見え方がかなり変わるキャラだと思いますので、是非ディテールを自分なりに突き詰めて描きたいキャラです。
・蓮子 最後に、蓮子です。特に指定はなかったのですが、なんとなく七夕坂バージョンにしてみました(襟・袖のラインと開襟くらいしか特徴がないですが……) CDジャケットでは勢いで吹き飛んでいる帽子を、手でギュッと抑えているイメージです。
お陰様で無事に新作秘封CDは入手できたのですが、ゴールデンウイークの後片付けなどがまだ残っていて聴けていません……戦利品もまだ読めておらず…… 久しぶりの秘封CD、音楽とブックレットに意識を集中させて大事に静謐に聴きます☺
そんな感じの、例大祭21のスケブでした。 売り子をしながら描いているシーンも多いので、あまり数が多くなくてすみません!
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【1話】 はじめて大麻を吸ったときのレポ 【さいばーひっぴーができるまで】
―――小学校からの幼馴染である“しのはる a.k.a. BUDDHA ON SHROOM”(以下“しのはる”)が、当時留学していたカリフォルニアから日本にいる僕に電話をかけてきては、大麻の使用の煽り・唆しをしてきていた。
彼の話を聞いているうちに、僕は大麻を吸ってみたくて仕方がなくなっていたので、大麻の使用を目的として、しのはるが住んでいるカリフォルニアの家に居候しに行くことにした。
そうして日本を離れ、しのはるの家に到着するなり、しのはるは「初めての人は吸い方が悪いのか、効いてるかわからないって人が多いから、肺に死ぬほど煙を溜め込むイメージで吸って、少し息を止めてから吐くといいよ」などと僕に忠告をすると、「景気づけにいっちゃってください」とか言いながら、早速ジョイントを渡してきた。

僕は少し不安を抱えながらも、不慣れな手つきでジョイントの先に火をつけ、忠告通りに大量の煙を肺に溜め込んでみたのだが、急に肺に苦しさを覚えたために、息を止める間もなく強烈に咳き込んでしまった。
咳き込みすぎてもはや吐きそうになりながら過呼吸的な浅い呼吸を繰り返している僕を見ながら、しのはるはニヤニヤと可笑しそうに「うわー吸ったねーこれ絶対ハイになるやつじゃん」などと言いながら、残りのジョイントをゆっくりと吸っていた。
5分ほど経ってようやく肺が楽になってきた頃、僕は座禅を組みながら、大麻の効果が効いてくるのを神妙に待っていたのだが、さらに15分ほど経過してもとくに変化がなかったので、「全然効いてる感じしないなー」などと言って残念がっていた。

しかし、気づくとなぜか上半身が右に傾いていたのだ。僕は上半身が倒れそうになったところでハッとして姿勢を直したのが、それでもまた徐々に上半身が右に傾いてしまっていた。僕のその様子を見ていたしのはるは、「時計の秒針みたい」などと何の気なく僕を茶化してきていたのだが、僕はその言葉を受けると、まるで暗示にかかってしまったように、1秒ごとに1秒分の角度で小刻みに上半身が右に傾いていってしまった。
僕は秒針になるのをやめるために立ち上がってみたのだが、今度は沼地に立っているかのように足がカーペットに沈んでいく感じがしてきた。その感覚はとても愉快で、僕は幼児のようにはしゃぎながら左右交互に足踏みをしていたのだが、次第に足踏みをするのを止められなくなってしまい、しかもその途中で、“ただのカーペットの上で成人男性が足踏みをしてはしゃいでいる”という状況の可笑しさに気づいてしまったので、止められない足踏みをしながら腹を抱えて笑っていた。
すると、壊れたおもちゃのようになってしまった僕を見ていたしのはるも、まるで伝染したかのように笑い転げ出したので、それにつられて僕もさらに笑いが止まらなくなった。何が面白くて笑っているのか、もはや途中で忘れてしまっていたのだが、なにが面白くて笑っているのか分からないのに笑っていることがもはや可笑しくて、ヒステリックに笑い狂っていた。
そうして大麻のハイの愉快さを知ると、僕は毎日のように大麻を喫煙したくなり、2週間ほど滞在していたカリフォルニアでは、ほぼ毎日大麻を喫煙する生活を送っていた。

―――しかし帰国してから2年間ほどは、大麻とは無縁の生活を送っていた。旅行に行った時などには大麻を吸いたくなることもあったが、わざわざ日本でリスクを犯してまで吸おうとは思わなかったし、当時は周囲の交友関係の中に大麻を嗜む人がいなかったのもあって、大麻のない生活に特に支障を感じていなかった。
そんな中、しのはるが日本に帰ってきた。しのはるは、「間違えてポッケにTHCグミを入れたまま飛行機に乗ってたみたいで、図らずも密輸入しちゃった」などというメッセージと共に、トリッピーなデザインをしているグミの写真を送ってきて、その数時間後には、「もう食べちゃったんだけど、日本でハイになるの色んな意味でおもしろいわ」などと羨ましくなることを言ってきた。
しのはるのせいで大麻を吸いたくてうずうずしていると、数日後にしのは���から電話がかかってきて、「あのグミはもう食べちゃったんだけど、weed調達できたから、今日一緒に吸わない?」などと誘ってくれたのだが、僕はそのありがたさはさておいて、ツテがなくても日本で大麻を入手できることと、彼がひとりでに行動に移していたことに仰天した。
当時はまだ珍しかったのだが、Twitterで「都内 大麻 手押し」などと検索をして出てきたプッシャーとDMでコンタクトを取って、新宿駅の構内で落ち合って引いてきたらしい。
僕は意図的に法の外に出る経験は実質初めてだったので、少し不安に思ってもいたのだが、再び大麻の感覚を味わえることを想うと、多少のリスクを冒してでも大麻を吸いたいと思ったし、日本で吸ったらどういう感覚や気持ちになるか興味があったので、ありがたくいただくことにした。

そうして、僕は少し緊張しながらも集合先の公園で待っていると、しのはるはニヤついた顔でやってきて、早速ポケットからパケに入った大麻を取り出しては、「こちらが乾燥大麻らしき植物片です」などと言いながら、なんの悪びれもなく大麻を僕に見せつけてきた。
日本で大麻を見ること自体もそうだが、しのはるが違法行為である“大麻所持”をしていることの非日常性というか異常性が可笑しくて、僕はなんだか精神が昂った。
それから早速、その大麻で作ったジョイントを一緒にまわしたのだが、2年ぶりということもあってか、「本当にこれは大麻なのか?」と勘繰るほどにサイケデリックなトビ方をした。
あとでその時の僕の様子をしのはるに聞いたら、ついに頭がバグってしまったんじゃないかと不安になったくらいには、様子がおかしかったらしい。
実際、せっかくだから日本ならではの食事をしようということでくら寿司に行ったのだが、なぜか店内でインド風のBGMが流れていて、僕はその要因だけでインドのくら寿司にいると思っていたし、普段は割と苦手なと���サーモンを口に入れたら、脳細胞の多くが死滅したのではないかと思うほどに、2分くらい「美味い」ということしか考えられなくなっていて、店を後にする頃には、美味すぎたことによって心身ともに疲弊しきっていた。
アメリカでハイになるのとはちがって、馴染みのある環境でハイになると、“シラフのときとハイのときとでは感覚や情報の捉え方が違う”ということがよりハッキリと分かったし、法律で禁止されている日本でハイになるというのは、背徳感がスパイスされた解放感があった。

それから、僕は大学を卒業して東映株式会社に入社し、寮生活の元に社会人として初めての労働を行っていた。ただ、ゆっくりと大麻を嗜む生活とは無縁だったために、(寮でこっそり吸っていたこともあったけど)苦しくなってしまい、あっさりと会社を辞めて、もう少しゆるい会社に転職した。
時間に余裕を持てるようになると、僕としのはるは頻繁に大麻を吸って遊ぶようになり、僕は一人でも大麻を引きに行くようになった。そうして、しのはるとプッシャーの情報を共有し合ったり、一緒に引きに行ったりする中で、僕らにはお気に入りのプッシャーができた。
そのプッシャーはLSDなるものも持っていて、LSDのことを「大麻の8倍くらい凄いヤツ」とかいうテキトーな説明をしていたのだが、僕らはそれを聞いて、俄然やってみたくなっていた。

・
つづく(この物語は雑誌「さいばーひっぴー」の「さいばーひっぴーができるまで」に載っている内容とほぼ同じものです)
・
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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Legends of the humanoids
Reptilian humanoids (5)
Wuxing – the connections between the Five Dragon Kings (Ref) and the Five Elements philosophy
To better understand the origins of the Five Dragon Kings and the ancient Chinese legend, it is worth mentioning the wuxing of natural philosophy, which states that all things are composed of five elements: fire, water, wood, metal and earth.
The underlying idea is that the five elements 'influence each other, and that through their birth and death, heaven and earth change and circulate'.
The five elements are described as followed:
Wood/Spring: a period of growth, which generates abundant vitality, movement and wind.
Fire/Summer: a period of swelling, flowering, expanding with heat.
Earth is associated with ripening of grains in the yellow fields of late summer.
Metal/Autumn: a period of harvesting, collecting and dryness.
Water/Winter: a period of retreat, stillness, contracting and coolness.
The wuxing system, in use since the Han dynasty (2nd century BCE), appears in many seemingly disparate fields of early Chinese thought, including music, feng shui, alchemy, astrology, martial arts, military strategy, I Ching divination, and traditional medicine, serving as a metaphysics based on cosmic analogy.
The wuxing originally referred to the five major planets (Jupiter, Saturn, Mercury, Mars and Venus), which were thought of as the five forces that create life on earth. Wu Xing litterally means moving star and describes the five types of Qi (all the vital substances) cycles through various stages of transformation. As yin and yang continuously adjust to one another and transform into one another in a never-ending dance of harmony, they tend to do so in a predictable pattern.
The lists of correlations for the five elements are diverse, but there are two cycles explaining the major interaction. The yin-yang interaction, which by increasing or decreasing the qualities and functions associated with a particular phase, it may either nourish a phase that is in deficiency or drain a phase that is in excess or restrain a phase that is exerting too much influence (see below):
The Creation Cycle (Yang)
Wood feeds Fire
Fire creates Earth (ash)
Earth bears Metal
Metal collects Water
Water nourishes Wood
The Destruction Cycle (Yin)
Wood parts Earth
Earth dams (or absorbs) Water
Water extinguishes Fire
Fire melts Metal
Metal chops Wood
The Huainanzi (2nd BCE) describes the five colored dragons (azure/green, red, white, black, yellow) and their associations (Chapter 4: Terrestrial Forms), as well as the placement of sacred beasts in the five directions (the Four Symbols beasts, dragon, tiger, bird, tortoise in the four cardinal directions and the yellow dragon.

伝説のヒューマノイドたち
ヒト型爬虫類 (5)
五方龍王(参照)と五行思想の関連性
ここで、五方龍王の起源、そして古代中国の伝説をよく理解するために、万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなる、という自然哲学の五行思想について触れておきましょう。 5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在する。
五行は次のように説明されている:
木は、春の豊かな生命力、動き、風を生み出す成長期。
火は、夏の太陽の暖かさの下で行われる成熟の過程、熱で膨張する時期。
土は、晩夏の黄色い野原での穀物の成熟に関連している。
金は、秋の収穫、収集、乾燥の時期。
水は、冬の雪に覆われた暗い大地の中に潜む新しい生命の可能性と静寂の時期。 漢の時代 (紀元前2世紀頃) から使用されてきた五行説は、音楽、風水、錬金術、占星術、武術、軍事戦略、易経、伝統医学など、中国初期の思想の一見バラバラに見える多くの分野に登場し、宇宙の類推に基づく形而上学として機能している。
五行とは文字通り「動く星」を意味し、五種類の気(生命維持に必要なすべての物質)が様々な変容の段階を経て循環することを表している。陰と陽は絶え間なく互いに調整し合い、調和の終わりのないダンスで互いに変化していくため、予測可能なパターンで変化する傾向がある。
五行の相関関係は多様だが、主要な相互作用を説明する2つのサイクルがある。陰陽の相互作用は、特定の相に関連する資質や機能を増減させることで、不足している相に栄養を与えたり、過剰な相を排出したり、影響力を及ぼしすぎている相を抑制したりする (以下参照):
相生(陽)のサイクル
木は燃えて火を生む
火が土 (灰) をつくる
土は金属を産出する
金属は表面に水を集める
水は木を育てる
相克(陰)のサイクル
木は大地を構成する
土は水を堰き止める
水は火を消す
火は金属を溶かす
金属が木を切る
『淮南子』(紀元前2世紀)には、五色の龍(紺碧・緑、赤、白、黒、黄)とその関連性 (第4章: 地の形)、五方位への聖獣の配置(四枢の四象徴獣、龍、虎、鳥、亀、黄龍)が記述されている。
#wuxing#5 dragon kings#5 elements#taoism#yin yang#humanoids#legendary creatures#hybrids#hybrid beasts#cryptids#therianthropy#legend#mythology#folklore#dragon#nature#art
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2025/02/12(火)①
再々、未だ見ぬ氷瀑へ向かう。グループ展の作品作りを終えた後でまだ頭の中は熱量を帯びており落ち着かないが、車に荷物を積み込みアクセルとブレーキを操作し北へ向かう。山々や田畑は白く染まり冬らしい景色を装っていた。途中、空腹に気付き、コンビニエンスストアでおにぎり、携行食、水を購入し店員さんにお礼を告げると、心地よい良いお礼が返ってきて小さな幸せを得た。気持ちが焦っている時にこそ、ほんの小さな修正打が心に余裕を持たせてくれるものだ。目的地の駐車場まで辿り着くと車は、ほぼ満車状態で先月の閑散とした状況が嘘のように思えた。登山靴に履き替え、軽アイゼンをリュックに入れ携行食をジップ付きの袋へ詰め、カメラのレンズ、フィルターの準備をする。…前日から準備していた、カメラバッテリーを忘れている。少し焦るが、カメラにあらかじめ入れておいたバッテリー残量の確認する。幸いな事に、50%程度は残っている。一旦、目的を滝だけを撮る事に決め、下山時にバッテリーが残っていればと考える事にする。電池がなければ、ただの箱となるところだった。今頃、自宅で置き去りにされたバッテリーたちは出番を待ち侘びている事を想像すると思わず吹き出してしまう。傾斜を登っていくと、路面が凍結しておりアイゼンを装着する。雪道をアイゼンが刺して小気味良い音を楽しむ。他の登山者たちと挨拶を交わしながら自分のペースを守って登っていく。いつもの僕ならば前後の人に迷惑をかけないようにペースを乱す傾向にあるが、背後からくる人、前方からくる人に道を譲りながら今回はカメラで撮影できない冬の景色を堪能する。岩の上に積もる雪、足元に転がる礫、雪から覗く苔、小さい子供を連れた親子の笑顔、ゆっくりペースで声を掛け合いながら歩みを進める老夫婦、バッテリーがない事で他の事に意識が向き自分の頭を満たしていく。傾斜がキツくなり、一気に汗が吹き出してくる。ここ一年、写真以外の肉体労働が多かったせいか、体重は過去一番の増量ではあるが、腕、脚の筋肉は分厚くなり、長年悩んでいた冷え性が改善され、ぎっくり腰に悩まされる事がなくなった。また寒さに強くなり寒冷地仕様の身体になりつつある。手足の指先日常がまでじんじんと血が巡っている。歩みを止めて汗をタオルで拭い、ネックウォーマーと手袋を外しペットボトルの水に口をつける。氷瀑まであと少し。
続く。
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