#見てほしい部分だけにきっちりピントが合っててそれ以外はちょっとボケてるから自然とそこに目が向くはず
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投資家に蹂躙される日本
2024年7月21日 01:19
40代女性
「先生が以前書かれた『粉末ワクチン』の記事の中で、「リニューアルした商品に気を付けて」とありました。私もこれについて、思うところがあります。
https://note.com/nakamuraclinic/n/n21ec27aaf126
国産のサプリをいくつか飲んでいるのですが、最近やたらとリニューアルされていて、おかしいなと思っていました。調べてみると、ほとんどすべてのメーカーで、投資家が関連した動きがあることに気づきました。
たとえば、私、小林製薬のナットウキナーゼを飲んでいるのですが、これ、今月リニューアルされました。ほら、パッケージが変わったのは見ての通りですが、原材料を比べても何も変わってない。それで、相談窓口に電話すると、「成分に変更はありません。パッケージだけの変更です」と。なぜこんなことするのかな、妙だなと思いました。
ご存知の通り、小林製薬は紅麹問題でメディアから散々叩かれました。その理由としては、いろいろ言われていることは先生もご存知の通りです。
「本当はワクチンが原因の死亡を紅麹のせいにすることで小林製薬叩きのネタに使ったのではないか」とか「日本文化である発酵食品全般のイメージ低下を狙ったのではないか」とか「ヨウ素とか本当にコロナに効く商品開発に取り組む不都合な企業なので攻撃されたのではないか」とか「小林一族とその財団の持ち株比率が高くて外資から見てコン���ロールしにくい会社だから狙われたのではないか」とか。
どれもありそうな説ですが、私としては、最後の『外資系による攻撃説』に一番説得力を感じます。この記事を見てください。
ものすごいことがさらっと書いてあるんですが、分かりますか?
香港の投資会社(オアシス)が「株主還元の向上、非上場化、ガバナンス改善に向けたオアシスとの協力」という3つの選択肢を提示した。
どういうことかというと、「株価が低迷して困っているようだから、助けてやろう。ただし条件がある。取締役会にうちから送り込む外部役員を迎え入れろ。そして、もっと俺ら(株主)の言うことを聞け」要するに、小林一族の影響力を排除してもっと儲けたいと思っている。究極的には、小林製薬の乗っ取りを狙っているわけです。
オアシス・マネジメントという投資会社は、グローバルハゲタカファンドの代表格です。こういう外資系ファンドがその気になれば、一私企業を潰すことなんて簡単ですよ。なんといっても、アジア通貨危機のように、国家をデフォルトに追い込むことさえできる連中ですから。
自分で騒動を仕掛けておいて、評判が低下してダメージを受けたところで、「助けてあげましょう」とやる。彼らの常套手段です。
オアシスの提案に対して、小林製薬がどのような応答をしたのか。それは分かりません。突っぱねたかもしれない。あるいは、飲んだかもしれない。飲んだとして、具体的に��んな条件を飲んだのか。たとえば「このサプリの製品工程でこの��質を混入させろ」といった指示が出たとすれば、、、
私としては、まったく意味のないパッケージのみのリニューアルが不気味です。何かの合図かな、と思ってしまう。だから怖くて、買えなくて、飲めない。リニューアル前に買い溜めたストックがなくなったら、もう飲むのはやめようって思っています。
最近あった別の事例としては、こんなのがあります。
北越コーポレーションは、紙とかパルプ製品の製造販売をしている会社で、この会社に対してオアシスが社長解任を要求した。「社長のワンマン経営のせいでこの会社が本来持っている企業価値を実現できていないから」という理由だけど、実態は、単なる乗っ取り工作です。外資ファンドによる敵対的買収です。日経新聞が普通に報じてるけど、大問題ですよ。本来は。
幸いこの一件については、北越コーポのバックに大王製紙がついたことで、外資に飲み込まれずに済みました。でも、これからもこの手��攻撃は続きますよ。北越コーポだけではありません。日本の優良中小企業のすべてが彼らの攻撃対象です。
日本人社長の優良企業に対して、攻撃を仕掛け、弱体化したところで、ファンドが「助けますよ」と手を差し伸べる。「ただし条件を聞いてくださいね」と。オファーを受けると、確かに売り上げは急上昇、株価も上がる。ビルは大きくなり、資産も増える。しかしやがて、役員がすげ替えられ、最後は社長解任。乗っ取り完了。
北越コーポは、ひとまずしのいだ。でも小林製薬は、よくない方向に持っていかれた可能性がある。そこの安全性が不安だと、サプリは飲めません。
投資会社は、まず最初、国営企業を狙います。実際、国鉄もやられたし郵政もやられました。その次は、民間の大企業で、あとは中小企業。特に、独自の技術を持っている優良な個人経営者を潰します。最後は、個々の国民。「はい、せーの」の号令で、一斉に全員にワクチンを打たせて、殺すなり病気の種を仕込むなりする。まもなくみんな死ぬから、葬儀場や火葬場にしっかり投資しておく。ハゲタカファンドが日本の富を吸い上げるための構造が、すでに着々と準備されているわけです。
先生、コロナの犯人は誰だと思いますか?いったい誰が何の目的でこのコロナ騒動を起こしたのでしょう?
私、小学生の娘がいるのですが、学校でいまだにマスク着用を求められたり体温を測られたりするので、学校に抗議の意味で電話しました。「いったい誰の指示でこういうことをしているのですか」と聞くと、もごもごと口ごもって要領を得ない答えが返ってくる。「特に誰ということはありませんが、、、」私が厳しく問い詰めると、電話口の担当者は、���かの資料を見たのか、「感染対策協会です」と急に明瞭な返答があった。それで、さっそく感染対策協会に同様の質問をしましたが、やはりよく分からない回答が返ってくるばかりでした。
コロナを仕掛けたのは誰なのか?誰も分からない。一番知りたいところが、見えない構造になっているんです。
私としては、犯人は「グローバル投資家」だと思っています。「ロスチャイルド」とか「ビル・ゲイツ」という答えではピントがボケています。結局のところ、暴力を使って人を脅したり盗んだり詐欺をしたり、というのは投資家がやっています。企業の裏、政府の裏にあるのは、すべて投資家です。彼らが私たちの税金を奪って大儲けしています。
本当のことをいうと、日本はもはや国の体をなしていない。株式会社日本なんです。株式会社であるということは、株主がいます。つまり、この国は、海外投資家のものです。日本��けれども、日本人のものではありません。
そのことを典型的に示すエピソードがあります。たとえば、日本国内でコロナワクチンについて研究することはできません。それで、日本政府はイタリアに研究依頼を出した。ネズミにルシフェラーゼで標識したコロナワクチンを注入する実験がありましたが、あの実験は日本国内で行われたのではありません。なぜなら、日本は株式会社だからです。株主の反感を買うような研究は許されないのです。
もっというと、日本人の労働の成果は日本人には還元されません。株主に還元されます。我々日本人は、海外投資家のために労働し生活しています。
メディアはこれを指摘しません。だから、この構造に誰も気付かない。
いえ、正確には、団塊ジュニア世代(1971~1974年生)、あるいは、ポスト団塊ジュニア世代(1975~1981年生)あたりまでは、かつての豊かな日本を知っています。投資家に蹂躙される前の、日本の富がきちんと日本人により享受されていたのを知っている最後の世代です。
しかしこの世代以降の日本人は、豊かな日本を知りません。日本が今後ますます貧困化していくことはほぼ確実で、かつての豊かな日本を知る人もどんどん亡くなっていきます。すると、貧乏であることが当たり前であり、海外投資家の奴隷であることを当然のように受け入れるようになります。
生まれながらの奴隷は、もはや、反抗のために立ち上がることはできません。
だから、今、声をあげるべきは、私のような団塊ジュニア、先生のようなポスト団塊ジュニアです。今、投資家によってどんどん日本が壊されている、買われていることに対して、しっかり反発しないといけません。でないと、この国は本当に終わってしまいます」
投資家に蹂躙される日本|中村 篤史/ナカムラクリニック
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ある画家の手記if.69 名廊絢人視点 告白
“覚えている人なんて殆どいないけど、すべての大人たちはその昔、みんな子供だったんだ”
うわ、マズ… なんで急に出血した? 香澄と話しててちょっと血圧上がってたのか?
「ーーー絢人くん…」 たった一筋の血の滴を見て、香澄の目が急に変わった。それまで少し消沈してぼんやり焦点をなくしてたのが、ボケたレンズのピントを直して合わせたみたいに俺の顔にしっかり視線が注がれてる。ちゃんと意思のある瞳で。 むしろ俺的にはここで急に覚醒されても困る。流しづらいじゃん… 「ごめん、汚した。テッシュ濡らしてくる。すぐに拭くからそのまま寝ててよ」 実際そうしようと思ってたし、香澄を押さえてた手を離して一度ティッシュでもタオルでも濡らしに洗面所まで行こうとする。なるべくそれ以上なにも聞けないような言い方したのに、香澄は俺と一緒にすぐに体を起こして俺の腕を掴んでとめた。 「絢人くんも怪我してた?」 「……首から上だと大袈裟に出血するだろ。ちょっと頭打って切っただけだよ」 自分の顔からなぜか笑みが消えた、その上妙に冷たい、突き放したような声が出た。殴ってきた相手への蔑視のこもった冷めた感情が自動的に出ちゃった感じだ。よくないな…。一度普段通りに笑い直して、香澄に掴まれてる手を離させようと香澄の手の上に自分の手を置く。 「とりあえず顔拭こうよ。起き上がると服に垂れるよ。それ以上服が血まみれになったら帰りの交通手段限られてきちゃうし。既にちょっと上着で隠せないレベルになってんのに。直にぃいないから送り迎えないでしょ?」 なにが起きても話題の軸を香澄からずらすつもりはない。なんのために今日図書館に来たと思ってんの。 「手当てするから見せて」 「いいって。それよりちょっと寝なよ。もう夕方だし、直にぃの面会時間終わる前にここ出たいでしょ」 「ーーー……」 「今直にぃがダメになってるんなら、香澄はなるべく万全な状態でいなきゃ。香澄が傷ついてるんなら心を治すのは難しいから先に体を治すべき。まあ、直にぃもね。…もー。直にぃも香澄も何でそう体に無頓着かな。A sound mind in a sound bodyってユウェナリスも言ってるじゃん」これ誤訳だけどなんだっていいやもう…。ため息をついて立ち上が��うとするけど、さらにぐっと強く腕を掴まれて阻止される。 「ちょ…香澄、俺の言ったこと聞いてた?」 香澄は妙に強い視線で俺の目を見返してきた。 「聞いてた。…そんなの全部絢人くんにも言えることじゃないの」 …まあ確かに理屈ではそう。でも俺が優先したい順番とは違うんだよ。 「…とにかく俺、包帯とか取ってくる、さっき買ってくれた治療道具借りるよ」 香澄が俺の腕をそのまま引いて今度は俺をベッドに寝せた。やっぱ力じゃ全然かなわない。そのまま俺を置いてさっさと立ち上がると治療道具を取りに行かれる。ええー… 香澄ってこう、もっとおどおどしててあんま自分の意思で行動とかできないタイプじゃなかったの… 風呂場に置きっぱだった治療道具をビニール袋にまとめて入れて香澄はすぐにベッドまで戻ってきた。そのまま寝てる俺の頭の髪をよけて傷口を探し当てられる。 「………」 傷口を見て香澄は黙り込んで一度唇を噛んだ。あー、二発分重なってて見た目へんな感じになってんのかな。自分じゃ鏡でも見えない位置だからわかんない。 香澄は治療を着々と進めながら、寝てる俺に話しかけてきた。…来たときと違って完全に覚醒してるな…香澄にとっていいの悪いのこれ? 「誰にされたの」 「ふらついて転んで打ったの」 「絢人くんの家の人?」 無視かよ。 「…家の人ってか、…まあそう。」完全に俺に話題がうつってる…だんだん諦めが優ってきた。 「人が拳で殴ったくらいじゃこんな風にはならないよ…何されたの」 「拳ってか花瓶で頭割られただけ。拳で殴ってくる人間はまだいいよ、自分も手を痛める覚悟があってやってるから。俺はそこまであの家の中で人間じゃないからね」茶化すような乾いた笑いを浮かべて答える。どれもこれも、今更すぎて。生まれた時から俺は人間じゃないよ。せめていいとこでぬいぐるみのクマとかね。 「………。少し起きあがれる? 頭に包帯巻きたいから」 「…はーい先生。」 不本意を示すような半目の目つきをしながら起き上がる。 丁寧に頭に包帯を巻かれたあとで、香澄にぎゅっと体を抱きしめられた。外界から守るみたいに。 「……脚を焼いたのも家の人?」交差してて香澄の顔が見えない。 「まあ、そう。」 俺の返事が簡潔すぎて、次の言葉を繋ぐのに困ってる。 「…あのさ。前も言ったけど俺は別に不遇な立場とかじゃないよ。香澄が思ってるほど…」 ーーー父親殺し 「…可哀想な人間じゃない」 それを聞いて香澄はしばらく同じ体勢のまま黙ってた。 「脚もだけど、見た目だけどれも大袈裟なんだよ。香澄が今想像してそうなことより現実は優しいよ。嫌な人間もいるけど、俺はたぶん直にぃが香澄に話したことから推測できるよりずっと幸せな��れまでを送ってきた」 服の肩が濡れるような感触がした。…香澄? 「脚に火つけたり…花瓶で殴るのが、酷いことじゃないっていうの…」 「………」 「俺は絢人くんが言うほど想像力豊かじゃないよ、絢人くんの事情なんて思いやれない、だけどこうやって怪我してるのは事実でしょ、絢人くんが話したくないなら俺は聞けないよ、なんて言ったらいいかもわからない、でも絢人くんにとって大したことじゃなくても俺は嫌だ、許せない…」 「ーーー……。」
困ったな。完全に俺主体の事態になっちゃった。やけにキビキビ行動するからぼんやりから覚醒したかと思ったけど、相変わらず頭の中は混乱ぎみなのかな。 「…香澄。俺はもういいじゃん、今ちゃんと香澄に手当てしてもらったからもう平気だよ。香澄が向き合わなきゃいけない相手は俺じゃないよ。…分かるよね?」 香澄は俺のことを抱きしめてた両腕を緩めてようやく俺から体を離した。俺はそれでいいって風ににこっと笑いかけて香澄の髪の毛を梳いて撫でた。 「まだ時間なくもないけど、仮眠とる時間はなくなっちゃったかも。少し早いけど今から直にぃの病院行こうか。俺も病院の近くまでついてくよ。意識がないからこそ香澄がそばについてた方が、目を覚ます確率は高いしね」 時間的にももう、そうするつもりで言ってみた���、香澄の表情がまた曇った。 「香澄?…どうしたの」 「……今俺がそばにいたら、直人は余計に傷つくし、苦しむかも。こんな怪我までして…あわせる顔ないよ。…俺何やってんだろ…」 ーーー思わず舌打ちとかしそうになった。なんでここまで香澄が思い詰めるんだ…?直にぃはまだ生きてて香澄も生きてて、二人ともお互いを愛してて、これからなんでもできるのに、 「ーーー俺のせいで傷つけてばっかりで、そばにいたら余計に苦しめる、それでもそばにい続けて、自己満足で尽くし続けて、それでも俺を見ないからヤケになって、これまでかけてた優しい言葉を捨てて、残酷な言葉をかけた、どうせ俺が何言ってもこの人にはひとつも響かない、そう思ってたのに、あの人は俺のたった一度の言葉でその日の夜に自殺した。俺とあの人の暮らしてた部屋で首を吊って。吊り下がってる死体を発見したのも俺。嬉しかったよ、ちゃんとあの人が俺の言葉を聴いてたことがわかって。香澄の気持ちは真っ直ぐだ。俺みたいに屈折してない。いくら直にぃと傷つけ合っても、直にぃと香澄はこんな終わりには絶対にならない。…俺に分かるのは、それくらい。」 …なんだこれ。口が滑りすぎじゃない? 直にぃと香澄は俺とあの人とは違うだろ…どっこも被ってないのに 香澄は黙ってる。俺は自分の言ったことにちょっとびっくりしてて香澄の表情の確認もできない。少し間があって香澄がようやく小さな声で聞いてきた。 「それ… 理人さんのこと…?」 「そうだよ。名廊理人。俺の実の父親で、子供だった直にぃを暴行した。直にぃが抵抗できないように自分の容姿と穏やかな言動で直にぃの心を奪って操った。無自覚に。そういう人だった。…直にぃはいまだに理人さんのこと好きなんじゃないの。憎んでも恨んでもいない、優しくしてくれたいいお兄さん、そんな感じじゃない? 俺が生まれた時にはもう理人さんは心を病んでた。理人さんは俺のことをかわいいテディベアだと思いこんでた。幼い頃から毎晩俺を抱いて直にぃにしたことの詳細や雅人さんへの気持ち、自分の本心をすべて俺に語ったよ。クマのぬいぐるみだと思ってね。俺はその話を物心がつく前から繰り返し寝物語に聞かされて育った。だから誰よりあの人に詳しいよ。直にぃの身に何があったのかもね」 一気にここまで口から滑りでたところでようやくぶれてた意識が戻ってきた。急いでいつも通り笑って付け加える。 「ごめん、つまんない話しした。今のとこ忘れて」 「直人は理人さんのこと…絢人くんが今言ってたみたいに話してたよ」 だから忘れろっての。 「優しくしてくれたって…自分のことを見てなくてもよかったって。俺は理人さんが亡くなったのを自業自得だって言ったんだ。直人は利用されただけだって。絢人くんが理人さんのことずっと支えてたことも、その時聞いた」 ずっと支えてた。なんていい響き。あの暗い一室がどれだけの人間の歪みを抱えてたか、まあ今更か。ほんとに俺余計なこと喋りすぎたな。一度深いため息をついて、仕方ないからこの話題を続けて話す。 「…直にぃは俺を美化しすぎ。理人さんのこともね。犯罪者を庇う気は無いけど、直にぃは完全な代替品だったわけじゃないよ。利用されたってのともちょっと違う。理人さんは直にぃといた時期はまだ病んでなんてなかったから、直にぃを雅人さんだと思い込んだり、雅人さんのつもりで扱ったりしてたわけじゃない。俺に何度もよく言ってたしね。「直人に会いたい。」って」 そこにはもちろん「雅人によく似てた、でも直人は雅人と違って俺に笑ってくれた、俺のすることを喜んでくれた、あの子は寂しがりなんだ、今日も直人に会いに行かないと、」って正気じゃない言葉があとにズラズラ続くんだけど。
Prrrrr …
そこで香澄のケータイに急に着信が入った。香澄は鞄の中からいつの間にかケータイを出してベッドの上に置いてた。…病院からかかってきたときすぐ気づけるようにか。 「絢人くん、ごめん」「いいよ、早く取りなよ」 香澄は俺に謝ってから電話を取った。 「ーーー直人!」 病院からじゃなくて直にぃ本人からかよ…起きてすぐかけたな。大事をとって一日入院する気もなさそう。香澄の瞳が急に生気を帯びて、さっきまで燃え尽きた向日葵みたいになってたのが急に太陽みたいに輝き出した。 「………えっと、***駅内の…***っていう、ら、ラブホテル…。……変な目的じゃなくて!一緒にいるのは絢人くんだけだよ」 俺はハンガーにかけてたコートをさっと手にとって羽織ると、鞄を肩にかける。香澄が俺の挙動を見て、ケータイを耳に当てたまま俺の方に手を伸ばした。 「絢人くんまって!直人が…絢人くんとも話したいからここで一緒に待ってて、って言ってる…」 俺は、ベー。っていたずらっぽく舌を出してから答えた。 「俺��は直にぃとしたい話なんてないよ。じゃあ香澄、またね。直にぃが今夜もまだ入院するとか、直にぃに頼れないような状況になったらすぐ連絡して。これ以上怪我増やさせるわけにいかないから」 そのまま俺は部屋を出た。部屋代を勝手に払おうとして、今夜ここに直にぃと香澄が泊まる可能性も考慮して、清算はせずにこの時間までの分だけの料金をテーブルの上に置いていった。
だいぶ夜は冷え込むようになったな。 体も酷使しすぎたし、何より、たぶんこれから雨が降る。そしたら俺は歩けない。 タクシー使って帰ったほうがいい。それは分かってるんだけど… 変な感じ。まだ俺も冷静じゃないのかな。あんまり家に帰る気しないや。野宿なんてしたらそれこそひどく体壊すに決まってるのに。だんだん脚が動かすのも辛くなってきた、というかしっかり動かなくなってきた。雨雲近づくの早いな。 駅の近くのひらけた広場の隅に子供用の遊戯が目についた、ゾウの形してる滑り台のお腹の部分に、まん丸の穴が空いてる。子供の身長くらいの直径の。 ギリギリそこまで歩いて、穴の中に体を少し折りたたんで潜り込んで座って、ぐったり脱力した。そんな広々したスペースじゃないけど、雨避けにくらいなるだろ。 「………。」 しばらく何もせずに動きもしないでぼうっとする。本を読むには照明が暗すぎる。 自分の話なんてするもんじゃないな。必要なことだけ喋ればよかったのにその程度もできないのかよ。 まあ俺の失言なんて大した問題にはなんないだろ。あの二人なら大丈夫。 「…………Toutes les garandes personnes ont d’abord été des enfants. Mais peu d’entre elles s’en souviennent……」 ーーー“覚えている人なんて殆どいないけれど、すべての大人たちはその昔、みんな子供だったんだ”ーーー そう、数少ないかもしれない、でも直にぃはきっと、今もあの子供みたいに正直な目をしてる。子供みたいに純真な気持ちで、香澄のことを想ってる。 直にぃと香澄なら大丈夫。 たぶん俺はいつだって、本人たち二人より強く、そのことだけはずっと、確信してるよ。
張磨寿峯視点 続き
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Feb 10, 2018 Kyoto Japan by SONY a7s + MakroPlanar 2/50 ZE The Power Window Switch has broken. If this broken switch killed the fuse of upper reaches, another power window does not be moved, too. The fuse location is "R22", near the DME. But I can open & close my driver's window, so I think the fuse is alive. I will take this switch apart to pieces, and repair this. It will be not difficult, isn't it? #ごちゃごちゃと説明をつけなくても写真を見ただけでだいたいわかるように撮ったつもり #見てほしい部分だけにきっちりピントが合っててそれ以外はちょっとボケてるから自然とそこに目が向くはず === #左右のパワーウィンドウが同時に動かないならまず最初にヒューズ切れを考える #ヒューズはボンネットを開けて助手席側のストラットの付け根 #エンジンがかからなくなった時のお約束のDMEリレーは去年新品に交換したばかり #PowerWindowのヒューズはそのDMEリレーのすぐ近くのR22番 #まぁでも今回は助手席側のスイッチ単体が壊れただけなの明らかだし壊れてからも運転席側のパワーウィンドウは動いてるからヒューズじゃないよね #もしスイッチが壊れたのをきっかけにヒューズも切れたなら運転席側のパワーウィンドウも動かなくなってるはず === #ちなみに2代目930後期から3代目964と4代目993までこのスイッチは共用らしくて壊れるのはお約束らしい #ちなみにちなみに助手席側のパワーウィンドウの場合は助手席と運転席と両方にスイッチがあるんだけどどちらか片方が壊れただけでもう片方が正常でも両方とも使えなくなるらしい #近頃の壊れないのが当たり前の日本車で育った世代は1つ1つの操作が乱雑でこういうのすぐに壊しちゃうんだよねそして外国車はすぐに壊れるとか文句を言うんだよねってことらしくて簡単に壊れるのが当たり前だと思って1つ1つの操作を丁寧にやると意外と長持ちするらしいです #1993年製の24歳だから十分に長持ちしたほうだとは思うけど #んで中のツメが折れてこういう壊れ方をするのがお約束らしくてポルシェ純正品だと1つ6千円で社外品だとツメを強化した対策品というのが1つ3千円 #ところが自分でスイッチを分解して折れたツメを接着剤で固定するだけで今まで通り普通に使えるみたいでしかも私たちシロウトにも簡単にできるらしい #というわけでスイッチは取り外したから挑戦してみますわ === #それにしても軽量化のためにRS用のFRP製ドアまで採用しておきながらパワーウィンドウは付いてるしエアコンまで付いてるあたりにスピードスターの性格というか位置づけが表れてるよなぁ #パワーウィンドウはともかくオープンカーそれもたまにオープンにするタルガやカブリオレならまだしも駐車時に幌を閉めるだけのオープン専用車スピードスターにエアコンが付いてるの意味がわからん #あとドイツ語やフランス語が並んでるのを見て圧倒された直後に英語を見かけるとものすごく簡単に感じちゃう #Porsche#Porsche911#Porsche964#AirCooledPorsche#AirCooled911#AirCooledPorsche911#PowerWindow #ポルシェ#ポルシェ911#ポルシェ964#空冷ポルシェ#空冷911#空冷ポルシェ911#パワーウィンドウ #続く
#ちなみに2代目930後期から3代目964と4代目993までこのスイッチは共用らしくて壊れるのはお約束らしい#空冷ポルシェ911#見てほしい部分だけにきっちりピントが合っててそれ以外はちょっとボケてるから自然とそこに目が向くはず#aircooledporsche911#ポルシェ964#まぁでも今回は助手席側のスイッチ単体が壊れただけなの明らかだし壊れてからも運転席側のパワーウィンドウは動いてるからヒューズじゃないよね#んで中のツメが折れてこういう壊れ方をするのがお約束らしくてポルシェ純正品だと1つ6��円で社外品だとツメを強化した対策品というのが1つ3千円#powerwindow#続く#aircooledporsche#ヒューズはボンネットを開けて助手席側のストラットの付け根#近頃の壊れないのが当たり前の日本車で育った世代は1つ1つの操作が乱雑でこういうのすぐに壊しちゃうんだよねそして外国車はすぐに壊れるとか文句を言うんだよねってことらしくて#もしスイッチが壊れたのをきっかけにヒューズも切れたなら運転席側のパワーウィンドウも動かなくなってるはず#porsche911#空冷911#ちなみにちなみに助手席側のパワーウィンドウの場合は助手席と運転席と両方にスイッチがあるんだけどどちらか片方が壊れただけでもう片方が正常でも両方とも使えなくなるらしい#porsche#aircooled911#powerwindowのヒューズはそのdmeリレーのすぐ近くのr22番#1993年製の24歳だから十分に長持ちしたほうだとは思うけど#空冷ポルシェ#エンジンがかからなくなった時のお約束のdmeリレーは去年新品に交換したばかり#ごちゃごちゃと説明をつけなくても写真を見ただけでだいたいわかるように撮ったつもり#porsche964#パワーウィンドウ#ところが自分でスイッチを分解して折れたツメを接着剤で固定するだけで今まで通り普通に使えるみたいでしかも私たちシロウトにも簡単にできるらしい#というわけでスイッチは取り外したから挑戦してみますわ#ポルシェ911#左右のパワーウィンドウが同時に動かないならまず最初にヒューズ切れを考える#ポルシェ
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遠くへ行って思うこと(2016年11月)
11度目の海外旅行。よくもこんなにも飛び回らせてくれたもので恐縮するばかりですが、一応自分で稼いだお金では初の出国です。若いうちに世界を知っておくことはいいことだとか、可愛い子には旅をさせよとか言いますが、加減もあろうこと。状態として随分と旅慣れはしたものの、改めて考えてみると、どうしてこんなにも旅行しているのだろうと思います。趣味欄に旅行と書いたこともないし、だいたい観光はあまり好きではない。というか観光とはいったいどういう行為を意味するのだろう。ということで、ここに僕なりに旅を肯定したく旅論をしたため、以て今回のニューヨーク行きの記録としたく思います。
行先 そんなわけで、パリへのあこがれだとか、魅惑のハワイに誘われとか、そういう動機ではないので、たいてい行先も深い理由なく決まっていまう。安い航空券が取れたからとか、この大陸にはまだいってないとか。ニューヨークにしようといったのは僕だけれど、理由はアメリカ合衆国のメインランドには行ったことがないというのが正直なところなのかもしれない。「アメリカに行ったことある?」という問いに対して、「ハワイなら…。あ、バンクーバーならあるんですけど」「ああなるほど…」みたいなやり取りを幾度かしてきたことが、どこかプライドに傷をつけてきた部分があって、それで、せっかく行くなら東海岸にも行ったことにしたいから、ニューヨークあたりかな、くらいな付箋が付けられてく。そしていざどこか旅行へ行くという話になったときに参照するという、いわば動機の飛躍みたいなものは少なからずあると思う。それゆえに、「どうしてニューヨークにしたの?」「何しに行くの?」といったたぐいの質問は、なんて返すのが正解の回答かな、と一瞬考え込んでしまうのです。そもそも、世の中の大概の理由は理由じゃない。とはいえ一応美術系の職に就いて、ニューヨークに行くとなったならばしたいこと、見たいものはいくらでもあるわけです。ただ、たとえばMoMAに行きたいからニューヨークに行くという順序ではなかったということ。そんなことはどうでもいいのかもしれないけれど。
期待 日常から解放されて非日常を味わわんとするとかみなさんさも当然のことのようにおっしゃいますけど、のんびりとした日常にそんなに不満もないし、たしかに刺激は若干不足しているけれど、その反動でいざニューヨークにというのも動機としては過剰だと思う。行ったらそんなこんなで楽しいんだろうけど、旅行に対して楽しみ!という感じはどうにも乏しくなった。例によって荷造りも直前までやらなかったし、これは盛り上がったら負けというような変なプライドすら生まれている様相。どうせ大概の旅行用品はすでに持っているし、足りなければ現地で調達すればいいというそれだけの話で、乾いていそうな服を適当に詰め込んで出てきたものの、そんなだからやたらセーターを持ってきた割には下着が少ないということが起こるわけです。 学生時代はそれでも、一応図書館で地球の歩き方でも借りたりしていたものの、今回に至っては本屋で30分ばかし雑誌を立ち読みした程度。ニューヨークでは美術館めぐりをしようと、千住さんの『ニューヨーク美術案内』を古本で買ってしっかり予習していこうと意気込んだものの、プロローグだけ読んでこれは面白そうと期待感だけ高めておいて、それ以降読み進める気にならず、終わってみれば第1章のメトロポリタン美術館の先は読まずじまいで帰国の途につくこととなっています。 同行の友人が、せっかくニューヨークに行くからといろんなアクティビティーを追加してくれました。オペラ座の怪人、アイスホッケーの試合、自由の女神、等々… どれもぼく一人だったら興味を示さずに終わっていたかもしれないものながら、少しばかり��好奇心を胸に抱きつつ、高いお金を支払うのでした。
お金 やはり物価がとても高いこの町では、日本での金銭感覚でやっているとなにも食べれずなにもできない状態となってしまうので、今回は項目別に、食費は1日いくら目安といった具合に予算を設定しました。これまでの旅行では、その場その場で気分でカードを使っては、後日請求がきて青ざめるというのを何度もやらかしていて、結局なにしにいったんだろうという反動もなかなかのもの。しかしながら、ただでさえも高いものがチップ文化によってさらに高くなるので、どんどん金銭感覚を狂わせていかないとやっていけません。そして、貨幣価値を平行移動させてものを考えないようにしないといけない。ここでこれを我慢すればあれが買えるとか、さっきあれを買わなかったからここで贅沢ができるとか。パッケージ化されないぶん、いくらでも費用は節約したり膨張しうるわけですが、1対1の等価交換の図式を持ち込んでしまったならば面白くない旅になるだろうし、そいつは随分と面白くないやつ。けれどどうしてもそんな図式は我々の思考回路に埋め込まれてしまっているから、あれこれと無数の言い訳を拵えてきたわけですが、もう何も考えないというのがいちばんで、数��感覚に乏しくて良かったかもと、また言い訳をひねりだしています。
失敗 慣れない街でせわしない行程を消化していると、どうしても予定外の失敗は発生するもので、それもまた旅の醍醐味なんでしょう。何度も移動していろんなところに行って巡る旅もしてきたけれど、移動するたびにそんなリスクを取っていて疲れるばかりだから、今回は1都市滞在にしようとまずもって企図しました。そして、いちいちwifiを求めて何度もカフェに出入りするのも結局安くないことに気づいたので、1都市滞在をいいことにポケットwifiを貸借しておきました。その結果、日本にいるときとほとんど同じ感覚で経路を調べられたので、ほとんど苦労もないはずでした。加えてニューヨークの街区はまったくもって計画的に整備されていて、地下鉄もわりあい南北-東西方向に分かりやすく伸びているような、移動はしやすい都市だと思います。それでも自分が現在向いている東西南北が定まらず逆方向に歩いたこと幾許か。滞在期間と合致したこともあり地下鉄の7日間パスを買ったものの、3日目あたりで紛失し、再購入したので結局交通局には70ドルくらい落としたことになります。それでもいちいち損得勘定をし始めると都市内を繰り返し縦横無尽に移動しなければならない旅程のいちいちがストレスになってしまうので、ぽいっと買い直したのは吉でした。あとは、MoMAでウォーホルTシャツを買ったら子ども用だったとか、シャツと思って買ったものがタイツだったとか、チケットの受け取り場所がみんな適当で��々たらいまわしにされたとか、時差ボケがひどくてミュージカルは半分くらい寝てたとか、成田からの足はやっぱり事前に確保しておかないととくに得しないとか、良い思い出になりそうです。このあたりが旅の本質の一つでしょうか。
目的のアート いざここまで旅が展開してしまえば、この旅の目的は芸術鑑賞です。メトロポリタン、MoMA、グッゲンハイム、ホイットニー、そしてDia Art Foundationの美術施設。移動日を抜けば実質5日間で回るにはぎりぎりの日程。どこもまったく施設が大きくて、ものすごく多くのお客さんでにぎわっていて、名作を簡単に展示していて、この都市の底力を見せつけられました。しかしながら作品数が多すぎて、この旅程の中で見ていくには時間的にも体力的にも厳しく、狙った作品周辺以外は流し見程度でどんどん進んでいかざるを得ませんでした。けれど、思い切ってどんどんパスしていくのもひとつの能力だと思います。高校の修学旅行でルーブルへ行ったとき担任の美術教諭が、素人は全部真面目に見てしまうから必要以上に疲れてしまうというようなことを言っていた意味がいまはよくわかります。見る目を養うことと自分の趣味を知ることは、究極的には軌を一にするのかもしれないけど、とりあえずいまのぼくの守備範囲はまだまだ狭く、心大きく動かされた体験もそんなにはないので、逆に見るべき作品の目星をつけることはある程度容易でしたが、漫然と全部回っていたら苦痛でしかなかったと思います。昨春スペインで美術館巡りをしたとき、マドリードでプラドとソフィア王妃芸術センターを訪れたけれど、歴代王家のコレクション中心の前者は途中から完全に息切れして一周するので精一杯だったのにたいし、そのあといった後者では急に元気になって嬉々としてめぐったのを思い出します。日本で展覧会を見ている分には、どれもせいぜい1時間ちょっとで出てきてしまう分量になってしまっているので、嗜好の差がそれほどでないところ、自らの趣味を知る強烈な体験でした。 ハイライトは、シャガールの優しさに触れたことと、デ・マリア作品の意味、そしてモネのMoMAのモネ室あたりでしょうか。千住さんが件の本で、MoMAでピカソを見て脳のブレーカーが落ちたようなことを原体験として語っていて、そこまでといっては大げさな気もしますが、見惚れてにやついてとまららないのもなかなかないこと。小さいころ、おそらく小学生のころ、母に連れられ広島県立美術館にマルク・シャガール展を見に行ったのが、物心ついてからおそらく初めて行った美術館だったと思います。図録がほしいと言って、家に帰ってもしばらくシャガールを見ては、この絵のタイトルはなんでしょうと両親に問題を出し続けて飽きさせていたことを思いだしました。帰国後その図録を眺めてみたら、やっぱりちょっとどきどきします。その次に母といった美術展がモネ展で、その図録も先日実家から直島に引き上げてきましたが、モネとシャガールにいまこうして魅せられているのは、まさに三つ子の魂百までを地でいくものだと我ながら驚いています。もう1冊一緒においてあったエルミタージュ展の図録はあまり眺めた記憶がないものの、これからの人生でなにかしら顕れてくるのか、楽しみでもあります。 デ・マリア作品は、ニューヨーク郊外のDia:Beaconと、SOHOのThe Earth RoomとBroken Kilometerの3作品をめぐることができました。寡作の作家で、かつ作品の体験にこだわる人なので二次情報に乏しく、直島の2作品から彼の思うところの広がりを探るにも正直なところ限界があって、長い時間作品の中で過ごすことで、また時間季節による変化に触れることで、ふとはっとその奥深いところにあるものが侵入してくるような瞬間があるものの、一方でいまいちどこかもう一歩届かないような感覚を持ったまま紹介したりもしていた作家でした。知識として聞いていた話と、それを上回るような、思わず声にならない嘆息が漏れるものがニューヨークでの体験にはありました。一歩彼の世界に近づいた気分です。しかしながら、Dia:Beaconでの彼の展示がポストカードの写真の図とは異なっていて、よく観察すると床の木目とも少しずれて配置してあったのはなんだったのだろう。 そしてモネ。3枚続きと2枚続きの大装飾画2枚が向き合って展示されて、その合間に長椅子が配置されていたけれど、あまりに広大な美術館の中では休憩スポットともなりかけていて、落ち着いて見れる場所でもないのはもはや仕方ないのかもしれない。数日前のことでありながら記憶をあまりたどれないので、その程度の印象だったのかもしれない。 専門的な美術教育を受けたわけではないし、たまに気が向けば特別展に行く程度はしていたものの、足しげく美術館に通い始めたのはここ1年半くらいもので、少しずつ楽しめるようになっていく過程も面白いものです。以前どこかで見たあの作家の作品がある、なるほどちょっと雰囲気が違うなどという具合に、複数の機会でもってその作品に触れることで深みが見えてくる体験が何度かありましたが、今回もそんな体験となりました。デ・マリア然り、ベネッセハウスミュージアムで見た作家の作品の多くとニューヨークの美術館でも対面することになり、その意味でも直島がいかに特別か、逆に思い知らされることにもなりました。
お土産 美術館に行けば充実したミュージアムショップがあり、お土産選びに精が出ます。ところが、僕の趣味がずれているのかなんなのか、購買意欲をそそられるものは限定的で、なおかつ気にいった作品のものに限ってポストカードがない。職場用にポストカードを買いこんでやろうとたくら���でいたところ、ちょっと狙いが外れました。ちょうどグッゲンハイムでやっていたClaudia Angelmaierの展示で、ゲルハルト・リヒターの『ベティ』のポストカードを彼の娘ベティ原寸大に拡大して展示することで、ポストカードと複製することの意味、そしてそれを思い出にしたり誰かと共有する手段とすることを問い直そうとした作品が出ていて、良い企画だったと我ながらにんまりしたものです。 観光地に行って、お土産屋に行って、あてはないけど誰かにあげるかもといろいろと買い込むわりにはお土産を何度も余らせてきたので、今回のお土産プランとしては、もう自分使い用にはほとんど買わないことにして、菓子箱を空港で買えばいいやということにしていました。これが結構大きな節約策にきっとなってくれているはずなのですが、大きな誤算が、空港でお土産になりそうなものをほとんど売っていなかったこと。これは帰国後も延長戦となりそうです。酒買って帰るから飲み会しようね企画どうしよう。 ニューヨーカーに大人気!的な店を事前にチェックしてちゃんとお土産をそろえていた同行の連れの戦略は正解だったようです。ただ、大人気!ってなんなんだろうという疑問はどうしても湧いてきます。人気のお好み焼き屋と地元の人が行くところは違うような。というか、この国ではおみやげ文化自体が乏しそう。
写真 フィルムからデジタルになり、スマホで簡単にパシャパシャ写真も動画もとれる時代。みんなどこへ行ってもカシャカシャやっています。直島の美術施設の基本的考え方として、写真に残るようなのでない体験をしてほしいというものがありますが、それでもあちらこちからかカシャッという音が響いてきます。あまりにインスタントになった写真文化には辟易させられているところで、今回の旅行では個人的に、できるだけ写真はとらないことに決めました。結果は、計10枚。内訳は、アメリカ自然史博物館の稲作関連の展示のされかたが興味深かったので6枚、お使いを頼まれていたカメラフィルムの写メ、友人がおもしろいTシャツを買っていた図、Dia:Beaconはキャパシティ1200人ですというサイン、そしてビルとビルの合間から昇る朝日の図。思い出語りは、Googleで画像検索すれば済む話。そもそもそんなに旅行の思い出話をすることもいままでなかったっけ。たいていはまったく関係のない場面で、そういえばむかし行ったどこそこでこんなのがあって、いまこれを見てそれを思い出したわ、みたいなことになるもので、それでいいのです。旅行の思い出をアルバムにして共有するのでなしに、こうやって長文にしたためて残そうとしたのも、SNSに何を乗っけるかという発想から行動が統御されていくことにせめてもの抵抗を試みようとしている意図もあります。結局は人と違ったSNSの使い方をしようとしているだけで内実にどこまで新規性があるかは謎ですが。
時差ボケとアクティビティ 今回は初めてのアメリカ東海岸への旅で、そ��点油断があったかなと反省しているのが時差ボケです。これまではできるだけ日本を深夜に出るフライトを取ったり工夫をしたものですが、最近は1日ちゃんと寝ればOKレベルでそんなに時差ボケで悩んだことも少なかったので、プランの示すままに夕方発夕方着の便を取ったはいいものの、そこから晩は眠れず早朝に目が覚め、夕方に猛烈に眠くなるの繰り返しが結局ほとんど旅行の最後まで続いてしまいました。その結果、20時スタートのオペラ座の怪人は途中から完全に不機嫌な睡眠モードに入ってしまい、アイスホッケーの試合は20分ごとの15分休憩が眠すぎて途中で退散でした。またそれに拍車をかけて、夕食を食べ損ねたまま寝落ちるような日々を繰り返してしまったのも反省です。朝食で贅沢して、10時に美術館がオープンし、見ていたらお昼を大きく回ってお腹を満たし、睡魔と闘いながら午後のアクティビティをこなすリズムはよくなかった。ただし結果的には、夕食分の食費が浮いたのは大きかった。 そんなコンディションだったこともあるにせよ、その手のアクティビティにいまいち乗り切れなかったのは、自分の趣める範囲の境界線を知ることにもなりました。どうやら、エキサイトするのがあまり得意でないようです。Exciting, amazing, fabulousな文化であふれているタイムズスクエア周辺はやっぱりどうにも落ち着かない。どちらかというと、やっぱり落ち着いて何かを愛でたい。
現地人になりきる 各地でテロ事件が起こったり、海外は心配とはよく言われるし、まったく不安がないわけではないですが、しかしながら日本が安全かといえばそうも思えず、ただ神様に守られるかどうかに尽きるのだと思うわけです。それでも不必要なリスクは低減させて然るべきで、まずはむやみに目立たないのが一番かと思います。 どこへ旅行しても日本人観光客がいて、日本語が聞こえてくるとなんだか萎えてしまうのは誇り高き旅行者を気取るプライドからか、それとも日本人観光客がどこか浮ついているように見えるからか。ニューヨークでは季節柄か巡った場所の趣味のせいか、日本人を見かけることはかなり少ないものでした。それでもリバティー島行きのフェリーのなかで何組か見かけた日本人は、目に不安があふれているか、あるいはあまりに軽い視線を投げかけているか、そのどちらかに見えました。そうやって蔑んでみて、この人たちとは一緒にされたくないと心のどこかで思ったりするのも間違いなく変なプライドのせいですが、そうやって逆のアイデンティティ意識を持とうとするのは性分のようです。どこかアトラクションをめぐることよりも、街を歩いてはその国訛りの英語にすぐに同化していったり、歩き方や表情をその土地の人のするように真似してみたり、そんな都市の愉しみがいつも僕の旅の中心にある気がします。
この国の文化 しかしながら、チップ文化と何を言ってるかわからない店員のジョーク、そ��て何度も聞かれる"How are you?"には最後までどうも馴染めませんでした。貨幣経済の中心地でありながらというか、だからこそなのか、心づけなんていう不確定要素を付随させるとは。そしてお金はより循環していく。決まりきった文句を言い続ける店員もいれば、だるそうに欠伸しながらもよく分からないジョークを言ってくるお姉さんもいる。美術館スタッフの人たちも、みんな壁によっかかって退屈そうにしているように見えながら、服のせいか体格のせいか十分に威圧感があるので、作品は十分に守られている。みんな美術館慣れしていることもあるだろうけれど。べつに接客文化の比較批判としたいわけではないものの、帰国後カレーが食べたくて吉野家に入ってぼんやりしようと思ったもののそんな間もなく商品を出してくる接客態度はつねに下から下から。あまりに定型化された日本の店員さんの態度は、冷静に見るともはやコントなんじゃないかというような気がしてきました。出国前に東京駅の定食屋でおじさんが店員に暴言を吐いて出禁になる瞬間を目撃してしまったことを思い出したけれど、心づけはある種の潤滑油になっているのかもしれない。
距離を隔て、なお思うところのもの 慣れ親しんだあれこれから離れ、話す言葉も売っているものも違うところで日々を過ごしているうちには、いろんなことを感じ、また考えます。そんなことを、忘れてしまわないようにメモ帖に書きつけたり、記念のお土産品を買ったり、写真を撮ったりします。そして、こんなことがあったんだよと、お土産話を蓄えこんでいきます。そんな経験のいちいちを、どうしたいだろう。たとえばこの置物を家のどこそこに飾ろうとか、だれかに頼まれたお土産をちゃんと買ってきたよと渡すときのことを想像したり、あるいは次の旅行はどこにしよう、誰と行きたいだろうと考えてみたり。インスタントにSNSへどんどん投稿してしまうこともできるし、実際今回はポケットwifiを持っていたので4sqへはリアルタイムで投稿していたけれど、遠く離れているからこそ、そんなときにこそ思うこと、想う人がいて、それが日常の中で大切なものだったたんだと気づかせてくれる。繋がらくなったときにこそ、帰ったらまず何をしよう、だれと会おう、と考える。大抵のやることなすことは、ごく個人的なことでさえ誰かへの意識が隠れている。完全な自己完結など本当はほとんどしていないはず。日常ではあまりに取るに足らないことだと思っていたそれらが揺らいだときに、すり寄りたい縁がだれしもきっとあって、そんな気付きを与えてくれることにこそ、遠く日常を離れてみる意味があるのではないか。そんなことを考えてみました。そんな隔たりそれ自体にいろんな思いを託してみたりとか、いろいろしてみたけれど、やっぱりどこか一抹の寂しさもなお残ることに気づき始めているところです。旅をするたび、ぼくはその残滓を確かめているような気がします。
各地を訪れては、なんだこんなんでいいのか、と日々の当たり前を崩していった結果、ひねくれを極め数々の妄言を吐いては失笑を買ってきました。よく言えば視野が広く、悪く言えば遠くを見すぎてピントが合いません。いいことなのかどうか、投資に見合うことなのかどうなのかはわかりません。けれど、許される限りはそんな生き方を続けていることでしょう。
米国北東部は大寒波で、少しタイミングがずれていたら帰ってこれないところでした。日本も寒波と騒いでいますが、ニューヨーク仕様でコートを卸したのでこの程度は大丈夫。無事に仕事復帰できそうでよかったです。
畑もイノシシにやられてませんでした。再び美しい日常の再開です。
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