Tumgik
#糾紛
antsloveyun · 7 months
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yuling-maggie · 2 years
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博客來打掃阿姨的勞資糾紛遭遇,是否也曾聽聞相關親友有類似的經歷?似乎有則報導提到,因為阿姨目不識丁所以才會簽署所謂的一年一聘的承攬合約,只是阿姨的孩子也從不曾疑惑合約的合理性?
白紙黑字的內容,是否有利於提告?我倒是覺得因為網友的撻伐才有博客來此刻的道歉、賠償相關政策。
前段時間,我也歷經一場勞資糾紛,自己並非不識字也沒有簽署所謂的白紙黑字,只能說當雇主決心要非法、欺凌勞工,一開始就會準備周全,尤其本身就是以玩弄法律漏洞維生且引以自豪的人。
【全文閱讀】https://blog.udn.com/yuling.maggie/177885524
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dropoutsurf · 8 months
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翌週、私はマネージャとWebカメラ越しに1時間の面接を行いました。 彼らのビジネスは、私のソフトウェアスキルについて知ることでした。 次のような質問を受けました。 ・今までのキャリアで最も誇りに思った瞬間は何ですか? ・今までに行った技術的決断の中で最も悪かったものは何ですか? ・敵対者とどのように立ち回りますか ・トップダウンの意思決定にどう立ち向かいますか ・紛糾した議論をどう収めますか そしてこれらの質問について、私が実際に考えたり問題に対処していたと証明できるように、幾つかの状況を例示するように求めてきました。
アルゴリズムのせいで面接に落ちた
面接,面接官,質問,採用基準,ヒアリング,インタビュー,
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私はもうすぐ30になりますが、正直なところ技術的な好みやコードの書き方についての無意味な議論を続けるエネルギーを失ってしまいました。 個人的な意見は持っていますし、どうしてそう考えているかを主張することは今でもできますが、でも話が個人的嗜好の押し付けになってくると、諦めて人の好きにさせるだけです。
私にとって、最高のJSフレームワークは何か、最高の状態管理ライブラリは何か、reduceを使うべきかmap+filterを使うべきか、Jestでitを使うべきかtestを使うべきか、などといった話題はもはやどうでもいいです。
私が気にするのは、問題解決に最適なソリューション、適切なネーミング、テスト、可能なかぎりシンプルな解決策、製品出荷、そして今月の給与額です。
かつては何が一番良いか、何が最もよくないか、など終わりのないバトルに明け暮れていました。 今でもそういった話に参加することはありますが、話が進まなくなったらただただ同意して先に進むようにしています。
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kennak · 6 months
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原子力発電に舵を切った中国で大量の太陽光パネルが不良在庫化しており、売却先に日本がロックオンされている。新築の家の屋根にパネルを設置せよ とかメガソーラーを…とか言い出す政治家には要注意。
【速報】奈良県・新年度予算案が委員会で否決 審議は10時間以上 五條市「メガソーラー」計画をめぐり紛糾  (ABCニュース)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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ari0921 · 7 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)3月4日(月曜日)
  通巻第8160号  <前日発行>
<速報>
 ナワルヌイが去って、次の「ロシア民主主義」のイコンは?
  「反プーチン」の女流作家、風刺画家、海外に逃げたジャーナリスト等はいま?
*************************
 反プーチンのイコンだったナワリヌイが突然死。毒殺説がいわれたが、ウクライナの情報機関が血栓と確認した。
 ナワルヌイは極右民族主義活動で知られ、プーチン批判と言っても、ほかの民主主義的な反プーチンとは一線を画していた。
葬儀は3月2日、モスクワで行われ雪道をいとわず数千の人の行列ができた。墓は花束で埋まった。筆者は李克強が急逝した折、安徽省の生家跡に数万人の弔問客が訪れ、花束で埋め尽くした場面と二重写しになった。
後者は中国民衆の習近平独裁への当てつけ、しずかなる抗議行動だった。
 2月27日、モスクワの裁判所は「ウクライナ侵攻に反対した」として、ノーベル平和賞の人権団体「メモリアル」幹部、オレク・オルロフに禁錮2年6月を言い渡した。
 オルロフは22年11月、フランスメディアへの寄稿文が「ロシア軍の信用を失墜させた」として、罪に問われ、23年に罰金を言い渡された。オルロフは「共産主義を脱したはずのロシアが全体主義に逆戻りし、今やファシスト化している」とプーチン政権を鋭く糾弾した。 
 ▼有名女流作家に「外国エージェント」のレッテル
 2024年3月1日、ロシア当局は「ウクライナ戦争に反対し、LGBTQプロパガンダを推進した疑い」で、女流作家のリュドミラ・ウリツカヤを「外国工作員」と認定した。
 ウリツカヤ女史は現在、海外に移動したとされ、ノーベル文学賞候補作家とも評価されているが、ソ連時代からクレムリンに抗議し、プーチン大統領を激しく批判してきた。
リュドミラ・ウリツカヤの作品は日本でも『女が嘘をつくとき』など11冊が翻訳されていてファンが多い。バシコルトスタン共和国生まれで、児童文学でロシアブッカー賞を受賞した。写真を見ると明らかにロシア人ではなくバシコール人、あるいはタタール人かも。
ロシア法務省は、ウリツカヤ女史が「ウクライナでの特別軍事作戦に反対」したことを外国のエージェントと認定し、著名作家のボリス・アクーニンを含む「WANTTED」のリストに加えた。
ボリス・アクーニンはロシアを代表する推理小説家だが、グルジア人だ。
2014年にロシアを出国し現在、ロンドンに暮らしているとみられる。日本留学組で、本名のチハルチシヴィリの名前で翻訳した日本文学には三島由紀夫『金閣寺』や多和田葉子の小説がある。勿論、日本語に堪能。
ロシアは「外国工作員」という用語を反逆者や国家の敵とみなす人々に適用し、ラベルを貼られたすべての人物の出版物に「警告マーク」を義務付けている。アクーニンの作品はロシアの書店から撤収された。
前述の」ウリツカヤの小説は17ヶ国で翻訳され、とくに『ダニエル・スタイン』はカトリックの司祭になったポーランド系ユダヤ人の実話に基づいた物語。プーチン大統領がウクライナでの軍事作戦を命じると、彼女は「無意味な」紛争はロシアにとって「壊滅的」なものになるだろう」と予測し、ドイツへ出国した。
 ▼風刺漫画家も排除へ
同日の3月1日、ドキュメンタリー映画監督のユーリ・ドゥッドや政治学者のエカテリーナ・シュルマンらクレムリン批判者を「外国工作員」と認定した。
 ロシア法務省は風刺画家セルゲイ・エルキンら9人を加えた。
エルキンはプーチン風刺で有名な漫画家だが、便座をタイタニックに見立て、その甲板で両手を広げたデカプリオの格好をしたプーチンをからかう構図は大ヒットとなった。 
エルキンが筆名でないとすれば、人名からの類推でアルメニア人かもしれない。
ジャーナリストのローマン・ドブロホトフ(ウェッブサイト『インサイダー』創設者)は嘗てのマレーシア航空撃墜事件や初回のナワルヌイ毒殺未遂事件などを暴いてきた。
カレン・シャイニャン(同性愛を公言した編集者)もリストに名を連ねている。
 (その風刺漫画は下記サイトで確認出来ます ↓)
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kintsuru · 3 months
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attorneyottomayer · 4 months
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台灣經濟四百年
一、由本書作者的已往著作書籍,可知此書的淺顯易懂、含金量的誠實、正義專業心。
@ 台灣現今專業科普著作,已經少有作者願意在書籍後列出參考書目,最可貴而難得的是列出專業關鍵字的《索引》篇章。反觀中國當今,只要是各種專業書,都會如此。
@ 當然,台灣還有出版社,願意如此的大氣和不計較成本。
正義專業心,台灣還有希望。
@《台灣經濟四百年》此書值得:必須猛讀和背誦。
二、閱讀此書 的 動機:
(一) 作者 :,台灣大學經濟學系名譽教授,曾任中央銀行理事。由於作者實際參與中央銀行的實務和政策操作,從他的書可得知我國經濟發展的最核心。
(二) 過去的知名著作 :
《經濟學原理》、《經濟學概論》、《總體經濟學》,《經濟學理論與實際》(與張清溪、許嘉棟、劉鶯釧合著)
1 這些過往的經典學術著作,當時已開創台灣高等學府具有非外語的���業基礎好書。
2 為了解經濟學概念、甚至經濟基本分析能力,值得細讀和深思
,尤其是早已普遍為各大學所用的 第四本著作。
(三) 近年的書,雖小薄,但驚愕點醒:讓不懂國家經濟的高妙深奧,卻從中知悉政府和聯合財閥企業的:當下詐民財產的騙局。《致富的特權:二十年來我們為央行政策付出的代價》,吳聰敏、陳虹宇、李怡庭、陳旭昇 合著。
二、建議先閱讀,此書的第26—28章。
可明確看穿當今,台灣產業實無法進步、高等教育真沉淪、國家無再發展的本質問題。
然後再從頭閱讀本書,可持平了解台灣產業經濟發展趨勢,而不再去做當今各黨的犬奴。
(一) 台灣經濟四百年 書籍說明
1 作者: 吳聰敏
2 出版社:春山出版
出版日期:2023/02/21
3 語言:繁體中文
定價:660元 台幣
4 規格:
平裝 / 552頁 / 15.5 x 23 x 2.76 cm
目錄 的一些章節
24. 「他們竭誠歡迎外資」
除了工資低與勞動力品質優良之外,台灣的基礎建設相對良好,勞資糾紛少,
國民政府爭取直接外人投資的態度也相當積極。
■工會 ■外國人投資條例 ■墨西哥、南韓與日本 ■「開往中國的慢船」
25. 供應鏈
國外電視機廠商來台灣設立組裝廠之後,吸引上游的映像管與零組件廠商前來設廠,
電子業供應鏈快速形成。
■電視機映像管 ■零組件 ■個人電腦產業 ■「製造零組件的能力」
26. 遠上寒山
電子業供應鏈的最上游是半導體,台灣的半導體製造業能成為全球頂尖,
要歸功於具有專業能力的企業領導人與優秀的員工。
■工業技術研究院 ■純晶圓代工 ■廠商的本質
27. 匯率操縱國
台灣央行歷來的總裁懷抱管制的思維,2000年之後,管制變本加厲,
封閉與不透明更甚於以往,台灣社會付出的代價是房價飆漲與央行盈餘繳庫超高。
■廣場飯店協議 ■緩慢升值 ■盈餘繳庫與房價飆漲 ■管制與市場機制
28. 雁行千里
台灣長期經濟成長的經驗,提供難得而明確的證據,
市場機制比起管制,更有利於經濟成長。
■從高成長到低成長 ■薪資停滯 ■薪資再成長? ■教育管制 ■歷史的教訓
參考文獻
索引
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bos-horary-chart · 5 months
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Y23-12-29 凌晨的夢靨
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當日凌晨作了個蠻激烈的夢,在此不詳述。
作了個亂七八糟的夢其實沒有什麼意義,重點實在是當天稍後樓上的鄰居因為踏樓板吵的事情下來理論。
於是卜了六爻,解析如下:
預測家宅 世爻為核心,旺相房子吉,休囚空破房子凶。 二爻為家宅,三爻房門,四爻門戶,五爻庭院,六爻屋頂。 父母爻為房子。二爻為宅,五爻為人。宜人克宅。 初爻為地板。白虎為舊宅,騰蛇為怪事。玄武主陰暗。 世爻為自己家,應爻為對門。應衝世,對門易有煞衝我。
初爻: 妻才臨應。妻財囚,月合,帝旺於月;沐浴於日。 妻財克父母,回頭合父母,妻財化父母,帝旺於父母。
二爻: 父母臨身。父母旺,帝旺於月,日生父母,沐浴於日, 初動妻財克父母,衰於初動。
四爻: 妻財臨世;妻財囚,月合,帝旺於月,沐浴於日; 初動妻財助妻財。衰於初動。
五爻: 父母旺。
六爻: 屋頂,官鬼休,死於月;日值官鬼,帝旺於日。 初動 妻財生官鬼,墓於初動。
騰蛇臨官鬼,怪異,驚恐,糾纏於屋頂。 腳踏吵聲致神經敏感。
<本卦>: 地風升
糾紛宜進不宜退,綏無大害。宜持平和態度,使爭端不再升高。 初爻變,作任何事都能順利進行。 四爻,精神上可望平穩,不可強求,維持現狀就好。
<變卦>: 地天泰
和泰之象。
<互卦>:雷澤歸妹
卦象於交接之際,陰爻皆乘陽剛之上,勢有不順。
<上四互>: 地雷復。
萬事甦伸,不久就會好轉。 糾紛需數次方可了解,應力提和解,不要無謂鬧事。
<下四互>: 澤風大過。
大坎卦,身陷洪水,身心不安受苦。 強行己意必後悔,事物不順,諸事衰退。
上卦來者逆。 下卦往者順。
陰陽互旋。
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manganjiiji · 8 months
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内省ましまし
ずと楽しみにしていたイベント(す〜ぱ〜コミックシティ)に行くことができなかったが、さもありなん。という感じだった。ここのところ全然、起きて出かけたり、用意をしたり、生活をしたりすることができない。でも冬だし、仕方がないし、できないときはできないものだと思って、自堕落に暮らしている。シティには行って即帰るくらいの気持ちでいたので、まあ行かなくても、というか、私が行かないことで誰も損しないんだから全然行かなくてもよかった、と思えて、よかったな〜となった(日本語崩壊)。もし私が行かなければならない場に私が行けないとなると、落ち込みが激しいが、そうではないので、別に落ち込む必要はないか、と思えた。2ヶ月前くらいから楽しみにしていたが、疲労から立ち直れなかった。物理的に無理なことは無理。私の体には明確な限界があるのだった。
午後の、友人との映画、劇団ドラマティカの「カラ降るワンダフル!」には無事行けた。友人とも久々の再会となりとても嬉しかった。これはあんスタのキャラクター達のなかの演劇部のメンバーを中心として、キャラクターが演劇をするという舞台。カーテンコールでは、役を演じたキャラクター達が出てきて、最後のカーテンコールで、キャラクターを演じた俳優たちがやっとコメントをするというマトリョシカのような構造で、カーテンコールが面白かった。劇中ではコメディだったので恐ろしいほどの数のアドリブ(ミニコント的なもの)が成されており、そのアドリブはキャラクターがやっているていでやらなければおかしいと思うのだが、どう考えても俳優の「地」が出ていて、そこはやはり賛否両論あったらしい。私は劇団ドラマティカおよびあんスタ関係の2.5次元には全く触れたことがなかったし、最近はもう2.5にそこまでの思い入れがないので、役者たちが楽しそうだなあと思って普通に楽しめた。そして2.5でもなんでも、板の上の世界ってやはりいいなあと思った。映画館で見たので、カメラがここを見ろと映してくれ、視点で迷うことなく物語に没入できたのも楽だった。とにかく衣装とウィッグがかなりレベルが高く、金のあるコンテンツってこういうところがめちゃくちゃいいんだよな、と思った。全員顔が良かったし、ウィッグがとにかく良かった。
そんな舞台を見たあと、最近全然動けてなくてまずいという話を友人と最後にし、別れた。帰路、ドラマティカを見て元気を貰ったのもあって、これからは少し頑張れそうだと思った。もしも病気がなく、私の精神が健全で、人間としてもう少しまとも(つまり年相応)だったなら、私も36歳ならばなんらかの管理職か何かに就くか、家庭でなんらかの役割をこなすかしていたかもしれない。子供がいればそろそろ小学生だったり、そういう年齢だ。しかしそうはならなかった。そのような未来および過去は存在せず、どうすることもできない現実の現在だけがある。どうすることもできない。もしもりっぱな36歳だったら、働くことも逃げることもできず虐待の呪縛から解放されないまま苦しんでいる友人の面倒を見るというか、居候くらいさせることができたかもしれない。しかし、そうはならなかった。そもそも、私が病気になっていないのであれば、私は健全な家庭でそれなりに真面目に育ったはずで、そうなると、被虐待者の友人たちと出会わなかった可能性が高い。また、私が彼女達の状況や感情を理解できなかった可能性が高い。それを思うと、私は加害され、病気になり、36でも未だにアルバイトしかできないこの体と、実年齢マイナス10歳くらいの精神しか持ちえないこの状態で、全然良かったと思う。苦しんでいる人の痛みを理解できないままに、ただ自分の幸福だけを追う、ただの勝ち組になるよりは、私は、弱者としてでもいいから、弱者とよばれる人たちの支援のために駆けずり回る人生でよかった。うつ状態や希死念慮がどんなものか、親(養育者)に迫害されるとはどういうことか、トラウマを乗り越えるにはどのような困難があるか、そういったことを十分に想像できるこれらの経験があり、本当によかったと思う。もし恵まれた側に生まれていたら、私の頭の悪さでは、頭の悪い方向にひたすら突っ走って、いわゆる弱者を切り捨てることになんの躊躇ももたない人間になっていたと思う。こんなに(当社比)こころやさしい人間になれたのは、やはり辛酸を舐めたからだと思う。そういう意味では親に感謝したほうがいい。最悪な子育てをどうもありがとう。あなた達がクソみたいな人間だったおかげで、私は人間性を獲得しました。これは本当に、もし良い親に育てられていたら私の人間性はここまで担保されなかったと思うので、よかった。まともな親でも子供がやばい場合は多々あるし、まともじゃない親に育てられたからといって、まともな子供になれるという訳でもない。世の中にはさまざまなパターンがある。私はたまたま親にも生まれにも恵まれて、そこそこまともな思考を持つことができた。自分ではまともだと思っているけれ���(全くまともではない自覚を持っていることも含めて)、いやお前は邪悪だよ、と言われてしまったらそれはごめん、という感じだけど、私としては真剣に何が正しいのかということを常に考えているつもりです。私はずっと正しさなんてないと思っていたが、長く生きていくうちに、どうやらほんとうに「正しい」ことはあって、それを実践するのが人生のようだ、ということに気づいた。正しさとは相対的なものではなく、絶対的なものだ。これに関して、ひとつ今でも覚えている例は「産まれたばかりの赤ん坊を、窓から放り投げるのは正しいか」という問いだ。これは正しくない。これは明確に正しくない。どんな状況だったとしても正しくない。もし、この赤ん坊が育ったとしても、結局は口減らしのために殺されるとか、何か壮絶な困難が待ち受けているとしても、成長した赤ん坊が「あの時殺してくれていれば」と思うとしても、やはり、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げるのは正しくない。理由はさまざまにあるのだが(考えればわかることなので省略する)、とにかく正しくなくて、我々は、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げる人がいる社会を、どうにか生み出さないようにしないといけない。正しさがあるから社会は変わっていく、時代は進んでいく。人間が生きることは正しくて、死ぬことも正しいが、その死が正しくなければ、それは悲しい。おおむねそういう考え方で、人間は社会というものを運営している気がする。
生きることや生まれることは無条件に正しいのか。という当然の問いが生まれる。その問いに関しては、私は正しいと思う。思わざるを得ない。今私は生きているし、生きている期間以外の記憶が無いから比較できず、判断のしようがないため、ともかく生きていることを正しいと考えることが、現時点で不可避である。産まれないことや、死ぬことは今のところ未知なので、正しいのか正しくないのかそちらはわからない。ただ、私は生きているので、私以外の誰かが産まれないことや死んでしまうことにたいして悲しさを感じる。だから、私にとっては今のところ、生きることは正しい。全ての正しさの根本は結局のところ生きることになっている、というか、生きて、悲しくない暮らしをすること、ということになっている。「生きて悲しくない暮らしをすること」だけが、今のところこの世界の人々の多数派の「幸せ」の考え方で、私も多数派に属するのでそう思う。もちろんこの多数派に属さない人もいて、とくにうつ状態というわけでもなく、死ぬほうが自分にとって自然だからという理由で自死する人もいる。そういう人にとっては、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げる行為はもしかしたら正しいかもしれない。が、やはり、死ぬことを決めるのは自分であるほうがよいのではないか、と私は思う。そうすると、正しさというのは、自分のことを自分で決められることになるのだろうか。自分が生きるか死ぬか、悲しく暮らすか、悲しくなく暮らすかは、自分で決める。決めて実行する。それが正しさなのかもしれない。正しさ。やはり相対的なものなのだろうか。でも、この時代、この場所での「正しさ」というものはかなりの精度まで絞れると思う。絞ったとしても、例外がある限り相対的ではあるが、人ひとりが生きていくための関わりの中(たとえば、私にとっては、80年間くらいの、地球上の関わり)で共有される正しさというのは、注釈付きで絶対的と言ってもいいのではないかと思われる。
まあともかく正しさがあって、あると仮定して、みんな生きているから、こんなに毎日議論は紛糾しているんだなあということが、いつだか忘れたが唐突にわかった。無抵抗の市民を空爆して殺すことは正しくない。このことを「正しい」と考える人達がいるから実際に攻撃は止まっていないわけだが、私は地球上の全員が「正しくない」と考えることを願う。そして、正しくないことをやめる権利を全員がもつことを願う。人を殺すのは基本的に正しくない。ただ、お互いが殺し合うことを合意していて、フェアな状況であれば、人を殺すのもやむなし、という事もある(戦争)。それでも正しくはないと思うが。人は、たとえ何か不快なこと、人、ものがあっても、その不快を自分の世界に容認して、共存していく力がある。殺さなくても、生きていけるならば、殺さないほうがいい。ここでもまた無根拠な、生きていることが正しいという感覚が出てくる。なぜか。人は死に対して恐怖を抱くことが多いから。死にたくない、と思うことが多いから。死にたくない、と思う相手を殺すことは、相手の意志を無視しているから。となると、死にたい、死ぬことはとくに自分にとって不利益ではないと感じている人(うつ状態や希死念慮、精神疾患によりそう思っている人を除く)を殺すのは、正しいということになる。すくなくとも、正しくないとは言えない。こうやって考えていくと、正しいこと、正しくないことの線引きが明らかになっていく。産まれたばかりの赤ん坊は、生きたいと思っているか生きたくないと思っているか、それがわからないため、窓から放り投げて殺すのは、正しくない。その赤ん坊が明確に「生きたくない。死にたい。」と考えていると分かるならば、窓から放り投げるのは正しいかもしれないが、今のところその意志を確認しようがないため、正しくないとされている。やはり、本人の「意志」が重要なのだ。人が自分の意思で何かをしたいと思った時に、基本的にはそれが成されるのが正しい。ただし、そこで他人の意志を阻害しないのが条件。なぜなら他人もまたその人の意志を達成しようとしていて、それは正しいから。ということで、意志と意志が共存できない時、コンフリクトが起こる。その時に、どちらの意志のほうが正しいのか。「生きたい」と仮に思っている赤ん坊のほうが正しいのか、何らかの理由で赤ん坊を窓から放り投げたいと思っている人の方が正しいのか、私達は考えなければならない。このとき、また繰り返しで申し訳ないが、やはり「生きること」のほうが優先される。ひとりが生きてひとりが死ぬことよりも、2人ともが生きることの方が優先される。それが基本的には正しいとされる。可能性。1人しか生きないより、2人が生きたほうが、可能性が大きくなるから。何の?繁殖の。という、結局動物としての答えも出るには出てしまうが、それでも私は「意志説」を押したい。殺したいという意志よりも、生きたいという意志のほうが尊重される。殺すことは何度もできるが、生きることは一度しかできない(と私たちは感じている)。結局、この世界では人間はこの生きている間のことしかわからないから、生きることをとりあえず正しいこととして暮らしている。産まれる前や、死後のことも含む世界では、正しさのあり方もまた違うだろう。
2024.1.28
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bluthardtgraff · 9 months
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突然「開竅」上了臺大----苦不堪言的大學記憶
蔡英文高中即將畢業時,家裏其他的孩子都已經順利考入理想的大學,而蔡英文的成績讓她沒有希望考入任何一所像樣的大學。一天蔡英文正在房間裏沮喪地思考著自己接下來的人生打算,突然父親走進來和藹地問她想不想上大學,讀法律系。不明所以的蔡英文懵懂地點了點頭,對於她來說,只要能上一所不錯的大學就是一件值得高興的事。
說巧不巧,到了高三下學期,蔡英文突然來了個神奇逆轉,一次模擬考試中實現了從全班倒數,直接飛升至第一名!這讓同學們大跌眼鏡,難以置信。平時成績很不理想的蔡英文,最後直接收到了臺大的錄取通知書,成為了法律系的一名學生,當時臺大是臺灣實力數一數二的大學,而法律系又是臺大分數非常高的一個專業。
按蔡英文在書中自述,高三下學期自己突然「開竅」了。但這些對於蔡英文來說,都是她不願意被人提及的事情,為了避免自己的總統形象受到影響,蔡英文極力粉飾自己。用她自己在和女高中生座談時說的,後來回想,在學習的過程中,前兩年老師教的東西在自我學習系統沒辦法吸收,但一旦吸引學習的興趣就不會忘掉,高三是因把學習內化成自己的一部分,因此成績不斷取得進步。最後一次模考拿了全年級第一,讓同學大跌眼鏡,一舉考上臺大。
我們所知道的政壇人物陳水扁、馬英九都畢業於臺大法律系,可想而知這個學校在島內的地位。
蔡英文歲月靜好的背後,顯然是蔡潔生在替她「負重前行」。
要知道,臺大是臺灣最好的大學,而法律系則是臺大分數要求最高的院系之一,一個高考英語只得了40分的學生,要能考進臺大法學院,算下來其他科目必須接近滿分,如果真能如此鹹魚翻身,簡直是個值得「大書特書」的教育奇跡,然而蔡英文的自傳中對此只是輕描淡寫一筆帶過,給出了一個自己高三下學期突然開竅的理由。
蔡英文小時候也並無過人之處,學習成績並不突出,而她的內向性格也使之很難成為眾人矚目的焦點。不過,令人疑惑的是,她如何做到在關鍵時刻突然「開竅」?如何一路從倒數成為模考第一?並且考上臺大法律系這種最高分才能上的專業?當然,按照蔡英文本人的辯解,那是她的思維方式和學校教育不同,需要慢慢地的適應,此話或許也有道理,但是,能夠適應單一學校教育模式的人又有多少呢?
一直成績不理想的情況下,卻可以用一學期變得名列前茅,如果考大學可以這樣臨時抱佛腳獲得成功的話,那多少人都可以進入名校。
這種說法明顯站不住腳,臺灣很少有人會相信。
這裏穿插一則故事,或許可以從中找到些許答案。
話說民國61年(1972年),正值蔡英文在讀高一,臺北市迎來一位新市長,名叫張豐緒。張豐緒的父親張山鐘是屏東望族鄉紳,早年蔣經國在臺灣籌建青年救國團時需要資金,張山鐘向他捐了300萬,沒想到這一筆政治賭注押寶成功,這一年蔣經國升任「行政院長」,正式從蔣介石手中接班掌權,於是張山鐘的兒子張豐緒也得以升遷。
張豐緒此前只是屏東縣縣長,如今一躍成為了臺北市長,他心裏非常清楚,臺北是個龍潭虎穴,自己這個從南部鄉下上來的新市長,要���沒有自己的勢力,恐怕很難在這個山頭林立的地方站住腳跟。
於是,張豐緒上任之後的第一件事,就是籌建同鄉會,希望把全臺北有實力的屏東老鄉集結起來一起抱團,變成一個利益共同體,而這項工作,正是蔡潔生具體負責張羅。
民國62年(1973年)9月,第一屆屏東旅北同鄉會在樂馬飯店宴會廳成立,第一批成員一共四百多人,蔡英文的父親蔡潔生被推選為理事長。此後,他們以樂馬飯店為據點,每三個月固定聚會一次,每年發展新一批成員,大家在各自領域裏互通有無、相互幫扶。
第一屆旅北同鄉會裏排名第一的人物,叫做戴炎輝,他是張山鐘的女婿,張豐緒的小舅子,時任臺灣「司法院」副院長(隔年成了院長)。
而他的兒子戴東雄,正是臺大法律系教授,後來的臺大法學院院長,在戴氏父子的運籌帷幄下,蔡英文進入臺大法律系應該就是易如反掌的事情了。
在未來幾十年裏,屏東旅北同鄉會不斷發展壯大,成為了蔡潔生一生最大的政治遺產,也為蔡英文日後發展一路保駕護航。直到今天,這個跨越了藍綠黨派的地下秘密組織依舊還在運作,是臺灣政壇背後的深層政府。
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◎同鄉會花名冊
蔡英文上大學時,聽從了父親的勸導,為了保護家族企業利益而選擇了臺大法律系,一路讀到英國法學博士。
據說是出於商人的長於計畫安排的天性,蔡潔生希望家中有人去念醫學、法學、商學,結果蔡英文的姐姐違背了父命念了心理學,哥哥只好學醫,蔡英文就被安排去法律系。但蔡英文覺得自己不太會善於表達和與人交流,起初想學考古,因為「不會去和人吵架」,但在父親堅持下,蔡英文只好作罷,上了臺大法律系。畢竟他們家財產跟外部關聯太多,擁有那麼多的財富肯定少不了法律糾紛。不得不說,蔡潔生這個戰線拉得夠長。
蔡英文進入臺大法學院之後,因看不懂生硬、抽象的法律文字,學習十分顯得十分吃力,成績不理想,曾讓她感到自卑。她執政後也親口曾經承認,上大學時常常聽不懂老師在講什麼。她不喜歡死記硬背的東西,臺大法律系4年是一段讓蔡英文苦不堪言的記憶,那時她的最恨是「六法全書」,背裏面密密麻麻的法條是讓蔡英文最頭痛的事。因此,有學科不及格的情況。正如其自曝:「我又開始悲慘的人生,老師講的課,我大一到大四都聽不懂」「一度感到自卑」「大二上的《刑法總則》還被掛科」。而這無疑是因為,蔡英文根本就沒有足以考上法律系的學習成績。
她的師母更是爆料,蔡英文因為沒有好好準備論文而被老師蘇俊雄把考卷扔在臉上。
也難怪多年後,蔡英文談及母校,絲毫無感激之情,反而公開聲稱,在臺大的時光是「人生中一段最悲慘歲月……」
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keredomo · 9 months
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愚図
 日々がこういう状態に陥ってからどのくらい経ったかもうわからなくなってしまったが、自宅で仕事にかかっているとくらりと眩暈がやってきて、耐えきれずベッドに横臥すれば一時間も二時間も昏睡してしまう。業務のストレスに精神が耐えられず、どうしようもなく、逃げてしまうのだった。
 これを怠惰だと言うのが苦しい。この状態が命を守るための切実な逃げであることを否定したくない。でも、どんなに言い繕っても、どうしようもなく、私の日々はとうに怠惰の域に入っていた。誰がみてもだらけていると判断するだろう。お前の昏睡はただの怠けであると責め立てられるだろう。眠りに逃げる切実さは、私だけにしかわからないものであった。  私はこんなに出来ない人間だっただろうか。歯を食いしばってすべきことをなすのが私の生き様ではなかったか。いつからこんながんばれない人間になったのだろうか。
 苦しくて起きられないし、苦しくなると起きていられない。それでもなんとか波のはざまを見つけて、やるべきことにしがみついて業務をこなす。それでなんとか会社が求めるだけの仕事をこなせているのだから御の字なのかもしれないが、こんなのは「私」の人生ではない。「私」はこんな胡乱な人間ではないはずだった。どうして。どうしてこんなにも、抗うこともできぬままに、逃げてしまうのか。
 毎朝、常識的な目覚めるべき時間がやってきて、携帯のアラームが鳴る。けたたましく鳴る。それをキャンセルして、私は再び眠りに戻ろうとする。起きることが、生を生きることがあまりにも苦痛で、まだ悪夢にうなされるままでいるほうがましなのだ。そうして私は眠れるだけ眠る。その眠りは眠りと呼べるようなものではない。うとうとしながら仕事に絡んだ妄想に浸って、納期や進行のことが半覚醒の頭をよぎりつつ、現実的な心配事にうなされて過ごすことになる。それでも、現実よりそちらのほうがましなのだ。起き上がってそれらの紛糾に直面するよりも、自分という殻のなかでうんうん唸っているほうがよっぽどましなのだ。
 目が覚めた時、メールの通知が溜まっている。開くのが怖い。Slackの通知に自分宛に届いたものが表示されている。開くのが怖い。私的な連絡すら、既読をつけるのが怖い。どうせ、すべて私を責める連絡に違いない。開けばきっと、齟齬を責められている。無配慮を責められている。力不足を責められている。
 ひたすらに、他者が怖い。他者からの連絡が怖い。
 誰からの連絡も、ひどい緊張感とともにしか受け取れなくなっている。糾弾される覚悟なしには未読のメッセージを開けないような日々を送っている。どうせ誰も誰も、私の不足を指摘するだろう。そのような妄執に駆られて日々を過ごす。
 私に向けられる他者からの責めは、すべて、理路整然とした責めである。何の理不尽もない理路整然とした責めで、受け入れない選択肢はない。そうすると、やはりすべて私が悪いのだった。私の無理解、私の無配慮、私の力不足が、悪い。私の行き届かなさがゆえに相手が困っている。困っているからなじる。完璧に理解できる。私は確かに正しく詰られるべき対象である。私ができないのが悪い。私が不出来なのが悪い。私の努力不足が悪い。私が徹底的になれないのが悪い。私が無能なのが悪い。私が頑張れないのが悪い。私があなたの仕事を阻害している。私があなたの成功を阻んでいる。私のような人間が、努力もできない、仕事もやりおおせられない、ぐずで、ばかで、だらしなくて、まともに責任を果たすこともできない、そんな人間があなたの仕事相手であることがそもそも間違っているのだろう。私のような無責任で怠惰で能力のない人間がおめおめと生きているせいであなたがたの行くべき道を阻んで苛んでしまう。そのことが申し訳なくて仕方ない。
 私の仕事は、生業は、いわば調整役ともいうべきものだ。すべてすべてがうまく転がるように、たくさんの小石を拾って隠す仕事。「道」にはいろんな形の小石がばら撒かれていて、それらを地道に拾う。拾い方が甘ければ罵倒される。罵倒されても、へらへら笑って、謝罪しつつ相手を持ち上げる。すみません、私の仕事が甘いせいで。ご迷惑をおかけいたしました。遅れてしまって申し訳ない限りです。
 望んでついた職業だ。楽しいとは思っている。でも、全うできていない。私は自分の人生を仕事のために捨てきれない。かといって、あなた方への責任に背いて何をしているかといえば、寝ているだけなのだ。精神の限界に眠ることで蓋をして、何もできずに過ごす日々。
 協働してよいものをこの世に生み出す、そういう立場であるはずながら、私と仕事相手はけっして対等ではない。ずっと、自分が下の立場であることに甘んじ、叱られれば叱られることを受け入れ、怒られれば怒られることを受け入れ、そこに相互的な愛など一つもない。お願いして、下僕となることを受け入れ、下僕として生きている。
 削られて削られて、もうこれ以上やりたくないと気づいたけれど、残念ながらこの仕事は専門職で、プロフェッションを築いた以上、そして私が30を越えた女で��る以上、ほかの職を望むことは難しいだろう。自分が望んで就いた職を全うしたいというプライドもある。
 そこそこ優秀な職能を持っている自負があったけれど、このたび一つのポカをして激しく責められて、自分はやはり無能なのだと思い知らされた。仕事相手からの責めはまっとうなものだったと思う。私は迂闊にもだらしないミスを犯した。責められて当然だ。
 そういえば、小さい頃によく母親に「ぐず」となじられていたな。『モスラ』という映画があって、その主題歌をもじる形で「グズラのテーマ」というのを作った母は、私がグズグズしていたらその替え歌を歌って、私に早く動けとせかしていた。
 愚図か。私にぴったりの形容だなあ。
 疲れたな。
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leomacgivena · 1 year
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100円のジュース3本買う計算を100×3なのか3×100なのかで紛糾してる義務教育で金融教育やるのか
野島高彦(化学・化学実験・化学要習・大学基礎演習)さんはTwitterを使っています
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ophelia333k · 2 years
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2023年1月29日 流れ、精神、弛緩
 Twitter、「大学院を出て博士号を取っても、生活保護だからな。恐ろしい時代になったよ。大学で非常勤講師をするよりも、コンビニやマクドナルドでバイトした方が実質的な時給は高いからな。博物館の時給が1000円くらいだが、皿洗いも同じ。専門知識なんて糞の役にも立たないよ。酷い時代だね」(2023年01月28日)というツイートを見る。一応、自分は大学院に行く可能性がある身だけど、そういうことに対してほとんど怒りとかを感じられなくて、「コンビニやマクドナルドでバイトした方が実質的な時給は高い」と言われても、まあそうですよね、という気持ちになる。昔から、マクドナルドのバイトが仕事の中で一番難しいと思っていて(一番というのは誇張にしても)、あんなマルチタスク全開で忙しい仕事、どうやったらできるんだろうって思っていた。社会的に悪い待遇を受けていても、何と言うか、最悪自殺するか、みたいなマインドで、給料を上げろ、とか、待遇をよくしろ、という姿勢が自分の内側から全く出てこない。よくないとは思うけど、どうすれば変えられるんだろう。自分の人生を引き受けている実感がない。ずっと、遠くから眺めているみたいな気分だから。最近、受験や就活は発達障害者を弾くシステムだという言説を目にすることがあって、自分がそうだから、経験上、それは完全にそうなのだけど、じゃあどうすればいいんだろう。会社、に対しても、給料がよくて待遇がよい会社に入りたい、とか、大企業に入りたいとか、そういうことをほんとうに一度も思ったことがなくて、何でもいいから生活をギリギリ維持できるだけのお金をもらいながら、はやく終わりたいといつも思っている。でも、そんな自分だけど、一度、真夏に、派遣で国道沿いの、近くには一軒のドラッグストアしかない終わっている(もちろんほんとうはそこで人が暮らしていて終わっていないのだけど)輸送拠点みたいなところの日雇いバイトをしたとき、ドラッグストアの洗剤とか重たいものをひたすらベルトコンベアに載せ続けるのだけど、完全に肉体労働だから疲れるというのはまずあるし、真夏だから暑いけど半屋外だからエアコンもなくとにかく暑いし、隣では何らかの知的障害がありそうなおじさんが、別の上司のおじさんに怒鳴られているし、そのとき、ここで働いている人たちは、死ぬまでここでずっと怒鳴られながら、重たい箱をただベルトコンベアに詰め続けながら、そうして肉体を滅ぼしながら、死ぬまでここで暮らすんだ、と思って、少し、ちゃんとした企業とかで働かないといけないんだ、みたいな気持ちが湧いた。そうしないと、肉体が壊れていくと。もちろん実際のところどうなのかは知らないし、すべては自分の偏見で、バイアスで、思い込みで、そういうところでも何かしらの確かな幸せがあって満足に暮らしているのかもしれないけど、そう思わせるだけの何かがあった。プロレタリア文学の代表作のひとつである葉山嘉樹の『淫売婦』には、タイトル通りの「淫売婦」が出てくるのだけど、娼婦とかではなくて「淫売婦」であることには理由があって、その女性は病気があって身体を売っているものの、いわゆる高級娼婦とかではないし、通常の娼婦ですらなく、「それは死体だった」と描かれるような、「嘔吐したらしい汚物が、黒い血痕と共にグチャグチャに散らばっていた」と描かれるような、文字通りの淫売婦。病のために動くことすらままならない、ほとんど死にかけた淫売婦。主人公は「それ」を、「その瞳は私を見ているようだった。が、それは多分何物をも見ていなかっただろう。勿論、彼女は、私が、彼女の全裸の前に突っ立っていることも知らなかったらしい」と描写する。でも、重要なのはまなざされること。「彼女は瞬(またたき)をした。彼女は見ていたのだ」。「私」が、そんな彼女を見世物にしている男たちを糾弾すると、「皆が病気なんだ。俺達あみんな働きすぎたんだ。俺達あ食うために働いたんだが、その働きは大急ぎで自分の命をすり減らしちゃったんだ」と言う。あれ、どうして葉山嘉樹の『淫売婦』の話をしていたのだろう、あ、そう、その日雇いのバイトをしていたとき、その種の絶望を感じたということ。もちろん、そこまで酷くないとか、自分の場合は単なる日雇いとか、諸々の相違があるけれど、人生と労働について考えたときそのような暗い気持ちになる。それとも、本来、もっと労働は明るくて楽しいものなのかな。あるいは、労働の本質は本来的に暗く苦しいものなのかな。たぶん、後者だと思う。そういえば、昔、葉ね文庫行った時に、自分の詠んだ短歌(もう今は短歌なんて詠まなくなってしまったけれど)を褒めてくれた中年くらいの、短歌と俳句をやっているらしいおじさんに仕事のことを聞いたら、「数十年間、ずっと毎朝、会社に行くの嫌すぎる、と思いながら出勤しているよ」と言っていて、よかったことを思い出した。美しいと思った。そこには欺瞞がなかった。数十年も会社に行っていたら、普通、「働くことにもいい面はある」みたいにして正当化してしまいそうなところを、ちゃんと毎朝、通勤するのが嫌すぎると思いながら数十年間通勤して、いまでもそうやって働いていること。美しいし、賞賛されるべきだと思った。  目を開けたら、利用できるインターネット接続がありません、と表示されて、安心する。全学連が街頭宣伝を叫ぶ声が浸透してくるマツモトキヨシでブロンを買ったら、「濫用の恐れがある薬物について」みたいな文字が書かれた大きめのシート見たいなのを出されて、いくつかの質問をされて、適当に「はい」と答えていた(ところで、ゲームで会話を飛ばすためにボタンを連打したら大切なものを見逃してしまうからやめようね、人生)。幻覚剤をやっているときには目をつむると虹色の光が見えるからうれしい。ずっと川で鳥を眺めていた、鳥と目を合わせていた。街で規則的に道を歩いている人たちの動きがロボットみたいに見えた。自分はその規則的な動きから脱して、一人だけ、自分だけが完全に規則性を脱した存在としてそこにいるのだと思った。光があふれてくる、かすかに、川がただ流れている。虹色の一番奥の方まで行きたいと思うけど、奥にはいけなくて、そっと水を飲んだ。そう、ほんとうは、ただ冷たい水を、やわらかい、あまりにもやわらかくて透き通った雪解け水を、紛れもないただの水を飲んでいるだけで、それが抗うつ剤に、発達障害の薬に、幻覚剤に、テトラヒドロカンナビノールになればいい。それが人類の夢。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて 1』をブックオフで買って、適当にページを開いたら、「ベッドで寝ていても、眠りが浅くなり、精神が完全に弛緩すると、それだけで精神は寝入った場所の地図を手放してしまう。すると夜のただなかに目覚めたとき、自分がどこにいるかわからないので、最初の一瞬、私には自分がだれなのかさえわからない」と書かれていて、抱きしめたくなった(誰を? もちろんマルセル・プルーストを。プルーストの魂を)。あの状態がずっと続けばいい。目が覚めた直後の一瞬の、すべてが空白で、自分がだれなのかさえわからないあの一瞬が、ずっと続けばいい。続けばいい、窓の方から差し込んだ光が誰かの定規とかで反射して、教室の黒板の上の方に光の標ができる。ずっとそれを眺めていた時間とか、何も進んでいない自分をどこかへと運び続ける電車の揺れとか、そういう風に、続けばいい。  
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ashitakalove · 1 year
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風間公親–教場0
講述的是風間作為教官在警察學校赴任之前,作為刑事指導官負責新人刑事教育的時代。那裡被稱為風間道場,和風間突然組成搭檔的年輕刑警,一起來到殺人事件的現場,在企圖完全犯罪的犯人和挑戰性的嫌疑犯面前,被考驗案件搜查的基本能力。
被冠上刑事失格烙印的刑警們學習風間流的案件調查,感受到了自己的無力感。風間的雙眼比任何人都更快地看透了真相,強制後輩刑警「自己思考」的催促,引導事件解决的同時,後輩有的秘密和糾紛,有時也用冷靜透徹的觀察眼看穿。首深入風間公親這個角色本身的“教場”系列的原點,也可以說是故事的開始。
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收視雖然不夠亮眼~但,喜歡這個風格! 但,如果有如SP那種緊張、懸疑感的話,會更喜歡!
個人喜愛:7/ 10
撰於2023.7.27
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kennak · 5 months
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福岡の地域NHK放送枠でこの大任町長が呼ばれてあれこれこの件について聞かれていたが、まったく話の通じないふてぶてしさであった。こう言っては何だが、筑豊に対するステレオタイプを地で行く御仁だな、と。
[B! マンガ] 町長が議場で市長に土下座を要求  傍聴した議員は「びっくりしました。土下座を強要する意味わからない」 ゴミ処理施設などを周知するパンフレットめぐり紛糾(RKB毎日放送) - Yahoo!ニュース
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ari0921 · 1 year
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【変見自在】一院制 
        #高山正之
 日本の憲法は出生の秘密があまりに多い。
 バイデンは「日本が核を持たないように米国があの憲法を書いた」と米国生まれを語っている。
「いやあれはGHQのアドバイスに日本人が乗っただけ。日本人が生みの親だ」とマッカーサーは回顧録に書いている。
 戦力放棄も「昭和21年1月、幣原喜重郎がGHQにきてそれを言った」「私は感動して彼の手を握って泣いた」と尤もらしく綴る。
 ただ幣原はずっと米国に媚びてきた。ワシントン条約では米国の思惑に従って日英同盟を破棄し、日本の孤立を招いた。
 ひっぱたかないと分からない支那にも米国に遠慮して軟弱外交で臨み、邦人が多数殺された。
「英語上手」が唯一の自慢で、だから英語を喋る米国人を神と敬った。
 新憲法もマッカーサーの思いを忖度して9条提案者になり切った。ここまで日本に仇なした政治家を他に知らない。
 幣原はマッカーサーの許には頻繁に通っても天皇陛下に憲法改正、戦力放棄を上奏した記録はない。
 それに改憲の手続きも法的におかしい。
「そこは問題ない」と憲法学者の長谷部恭男は言う。
「なぜなら憲法改正案が公開され、その後の総選挙で選ばれた議員が審議して制定されたから」という。改憲は民意だったと。
 しかし長谷部はその総選挙が合法かは言わない。
 GHQは従来の中選挙区制を大選挙区から小選挙区まで選挙区割りを勝手に引き直した。日本版ゲリマンダーだった。
 候補者もGHQが決めた。まず有力な政治家や有識者など人材20万人を公職追放し、候補者から外した。
 今の日本でも上から20万人を外したらガーシーだって残らない。
 GHQはその穴を例えば獄中にいた徳田球一ら共産党員らで埋めた。
 知能遅滞児の中絶、断種を主張する加藤シヅエも「進駐軍の偉い将軍がいらして」立候補した一人だ。
 彼女らGHQ推薦組はなぜかみな当選し、あの総選挙が決して公正ではなかったことを示している。
 それに今の憲法は前��の日本語も日本語じゃないし、おかしなことばかり。
 それを国会が70年前、検証も審査もしてこなかったのはもっとおかしい。
 それで遅ればせながら衆院憲法調査会が毎週開かれるようになった。
 国民感情からすれば毎日やってもおかしくないと思っていたら立憲民主党の小西洋之が「毎週はやりすぎだ、何も考えないサルと同じだ」と言った。
 際限ない猿の自慰行為を暗喩しているみたいで言葉に品がない。
 この人は東大出で憲法学者を名乗る。かつて安倍首相に「芦部信喜を知っているか」と問うた。
 芦部は宮沢俊義の一番弟子だ。師はGHQが米国製憲法を押し付ける事態に東大法学部長として何か言わねばならなかった。
 明らかに違法と言えばパージされる。で、気づいたら国民主権になっていたという八月革命説を唱え、GHQ憲法を正当化した。おかげで貴族院議員にしてもらえた。曲学阿世の人だ。
 芦部も師に倣って憲法学は須(すべから)く米国憲法にあるべしとまで言った。
 安倍晋三がそんな幇間学者を知るわけもない。小西は東大憲法学の泰斗を知らずに憲法を語っていいのかと嵩に懸った。
 しかし三権分立もなければ事後法も勝手、黒人奴隷も許してきた国の憲法がどう素晴らしいのか。傍目には東大の権威を振りかざしているとしか見えない。
 そんな空論で国会を空転させた挙句、今度は「総務省内の郵政派と自治省派の争い」(高橋洋一)から発したいい加減な公文書でまた国会審議を紛糾させた。
 ずっと小西の肩を持ってきた朝日も些(いささ)か疲れたのか。この騒ぎの中、経済同友会の樋口季一郎真紀子に「良識の府、果たせぬなら」と題して参院を廃止して一院制にという提言を載せた。
 潰せば経費削減になるし審議も捗る。これも小西議員のおかげのなるか。
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