#福井の神社のある風景
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yamada50 · 2 years ago
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福山市駅家町に鎮座する服部八幡神社です 初代の備後守護の頼朝の重臣土肥実平と梶原景時によって鶴岡八幡宮より勧請し創建しました 鶴岡八幡宮は元々河内源氏二代目源頼義が石清水八幡もしくは壷井八幡より勧請し創建しましたが時代はくだって源頼朝が鶴岡若宮として鎌倉幕府の中心としましたが社殿を焼失して改めて岩清水八幡宮より勧請し現在の鶴岡八幡宮です その造営に多大に寄与したのが頼朝の重臣土肥実平で備後守護になったことで源氏の武運にあやかり全国に八幡神が勧請されて行きましたがその先駆けになった神社の一社です 神前読経する特殊神事「風祈祷」で知られているそうです 境内は中心に八幡宮本殿と両脇に艮神社、稲荷社を摂している配置になっています #服部八幡神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 服部八幡神社(はっとりはちまんじんじゃ) 鎮座地:広島県福山市駅家町服部永谷94 主祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#神社フォトコンわたしと神社#神社とわたしの思い出#神社建築#神社仏閣#パワースポット#広島県#福山市 (Ekiyacho Oazahatsutorinagatani, Fukuyama-shi) https://www.instagram.com/p/CmosSZ3v4g3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kyotomoyou · 1 year ago
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【福井県】平泉白山神社①
①だけど前の続き
苔とか御手洗池とか
御手洗池は鳥居があって
それが入るように撮るのが定番ですが、
単に知らずに(気づかずに)逆から撮ってしまいました
(2021/05/13撮影)
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kennak · 1 year ago
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 服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳)  今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克��だ。(独占インタビュー前後編の前編です)  ◇  ◇  ◇  ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。  なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に  ──被害にあったのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。  諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」  ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。  それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。  今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」  ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。  ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。  ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。  それでヒーボーが私の部屋に泊まることになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。  パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。  そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いものが入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉からは「汚らわしい」と言われ…  ──母親には話さなかった?  「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって汚いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。  姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱりいけないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。  ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け入れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。  アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・��レエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告��� 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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manganjiiji · 11 months ago
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よゆうよけいよわい
何もしない日々が続いている。何もしないではなくて、眠っている。眠って体を回復させようとしているのだと思う。昨日も今日も、朝から夜まで寝ていた。今日は午前中風呂に入って頭も体も洗った。ジムの予定を入れていたが、この疲れ具合では行けないなと判断しキャンセル。応募した契約社員の書店求人からは連絡がない。ぐーすか。夜はまたロッテリアをウーバーイーツした。2日連続。コンビニまで歩いていくことさえできない。ただの疲労だが2日間も動けなくなるなんてまったく面白くない。明日は病院2件。脳神経外科とカウンセリングを梯子。藤井風の新曲が出ているのでは、ということにしゃぶしゃぶ屋でかかっていた有線で気づき、iTunesに「花」を入れる。歌で思い出したが、あんスタのマヨイさんの曲で「要らないなら捨てればいい、必要なら得るしかないさ」みたいな歌詞があり、これは聞くたびにその通りだな、と思い感動してしまう。オタクにはイメソンという文化があるのだが、私は歌詞(言語)がなんらかのキャラクターやカップリングのイメージに繋がることはない。音楽、つまり音の総体と時間の推移から得られるひとかたまり(メロディやフレーズと言いたいのだが、それよりももっと音全体、全て)で言語の意味を排したものしか、イメソンとして捉えられない。言語はわたしが考えるので、誰かの言語をもう一度自分の物語には使えない。ということで、歌の歌詞はキャラクターやカップリングに当てることなく、純粋に自分の人生に照射させる。さまざまな歌にいままで自分の生きるこの瞬間を応援されてきた。この瞬間もだし、未来もそうかも。まあ、未来を思うこの瞬間の自分ということだけど。そういう時の歌詞は結構シンプルなものが多い。だから結局はこれも、言語というより音楽自体に励まされているのだろうと思う。なにか歌詞ばかり重視される「イメソン文化」みたいなものが、私と音楽との相対の姿勢とそもそも馴染まないなあとよく思っている。ミュージカル刀剣乱舞のadditional timesみたいなタイトルの曲にも昔一時期すごく励まされた。今聴き返してみた、今でも好きだ、かなり…。死ぬほどうつで毎日どうすればいいかわからなくて無職で一人暮らしをしていて、という時期にこの歌を聴きながらとにかく歩いていた。あの頃どうやって生きていたのか、全く思い出せない。今立ち上がれば未来は逃げない。今立ち上がれば心は負けない、まだ全てが終わったわけじゃない。BL編集部に正社員で採用されたものの、やばい会社すぎて1週間で辞めた。働く気力も引っ越す気力もなく、そのまま会社の近くのアパートで貯金を使って生きていた。もう何歳の時の事だったのかもよくわからない。その時も結局実家に帰り、数年の療養ののち、やっと地元でアルバイトできるようになってから、最終的にまた上京した。記憶力が悪いというか、そもそも記憶する能力がやる気を全然出さないため、過去はいつも私と切り離されている。断片的には思い出せるが、自分の記憶というよりは、その時代の私という人間(他人)に付随した映像や声という感じだ。毎日すごい勢いで自分という人間が変わっていくので、1週間もすると、もう別人になってしまう。でも私の周りの人々は私を継時的に外側から見ているからか、私にも一貫性(というか、私の人格がもつ特徴)というものがあると思えるらしい。私も私の性質を一応わかっているつもりだが、おそらく他人の方がよくわかっていると思う。私は私の体が見えなくてついつい意識だけの存在と思いがちになるので、その意識が「これだけ変わってしまったんだから、もう別人だ」とよくジャッジする。しかし実際には私は私の体というものを通してしか他人に認識されない。その体は特に変化せず存在しているので、私の中身が物凄い速さで流転していることは私にしか分からない。私にしか感じられない。私は十分に日毎に違う人間になっているような気がするのだが、他人からはそれは見えないので、人間としてひとつながりに見える。私にはそうは見えない。不思議な段差だ。
大学の編入学の試験が終わり、面接でのアドバイス通り、福祉社会学のある国公立大学に行き、4年間勉強しようと思う。そうするとまだまだ貯金が必要なので、一旦また数年働く必要性がある。そういう結論が出てまあまあ楽な気持ちになった。友人のジェルネイル検定のハンドモデルに関しても(恙無くはなかったが)終わり、やっと動くのをやめていい、となったのが昨日で、一日休みにしておいたのだが、今日になっても全然回復しなかった。自炊できるほどの気力が戻るまでにあと何日かかるだろうか。たくさんの夢を見て、絶対に父母や兄が出てきて、寝ているだけでも精神的にかなり疲れる。「お雑煮」という話題があるが、つまり実家や生まれた場所ではどんな味でどんな具のお雑煮だったのか地域差があっておもしろい、という話題で、その際に母が正月に作ってくれるすまし汁から湯気が上がっている食卓の光景や、それに餅をいくつ入れるとか話してもちを焼いたりしている父や兄や母の朝のことを思い出すだけで、ああ、これは人に話せる範囲の家族の話だけれども、とても人に話す気にはなれない��ということを思い、どっと疲れる。食卓というのはおおよそ全ての事件が起こった場所で、そこは最悪だったが、たしかに幸せを感じたこともあった。さまざまな光景が何重にも被さって映される、そして幸福の象徴としての正月元旦の朝。家族のことはもうできるだけ思い出したくない。幸せもたくさんあって、というより幸せばかりの記憶が残っている。私の心が潰れたことに関しては、もはや私の中にしか残っていないし、どんどん忘れていく。私が生物としてどんどん弱っていき薬なしで生きられなくなったことは、私しかその理由を知らない。それで全く問題ない。復讐心というものも、もうすっかり消えた。どうでもよくなった。そんなことよりこれからの自分の人生をどうするかということに比重がかかっており、良い事だと思う。時間が何もかもを解決する。とくに私は記憶力が弱いため、悪いことも良いことも、どんどん忘れてしまう。だから常に新しい「いいこと」を求めて動き回っている。自分には感知できないところだが、過去の「悪いこと」を早く帳消しにしたいがために、必死なのだろうなと思う。自分が未来に対してあまりに楽天的だなと思う時もあるが、基本的には楽天的な人間ではないと思う。でも楽天的な人間だと喧伝して回っているうちに、たぶんそうなれるので、楽天的と言うことにしている。とくに社交的な性格とは真反対だった人間だが、最近では社交的で人見知りしないことが事実と思われるような時もあるので、言い聞かせたり他人にそのように自己紹介することは自分を変える上でだいぶ有効である。被り続けたペルソナは自分の顔になる。このことは身をもって事実だと感じているが、やはりペルソナの下の部分も消えるわけではないので、そのことに自覚的であるほうが、難を切り抜けやすいと思う。
2023.12.4
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1tokukai · 2 years ago
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一徳会+犀の角『犬神家の一族』
2022年12月3日(土)、4日(日)
犀の角
原作:横溝正史 脚色・演出:石井幸一 出演:丹野晶子、鈴木正孝、櫻内華恵、戸崎真、中村岳史、月影瞳(特別出演) 舞台監督:村上梓 照明デザイン:染谷和彦 照明操作:伊藤茶色 音響操作:永峯克将 アンダー:爲近敦夫 フィジカルアドバイザー:伊藤全記 宣伝美術:小松順子 制作:唐川恵美子 プロデューサー:荒井洋文 主催:一般社団法人シアター&アーツ上田 企画:合同会社犀の角 協力:(株)KADOKAWA
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妄想の諏訪、信州の正史
「信州財界の巨頭、犬神財閥の創始者、日本の生糸王といわれる犬神左兵衛が信州那須湖畔にある本宅で永眠した……」という書き出しから『犬神家の一族』という小説は始まります。なお、ここに書かれている「那須」というのは「諏訪」がモデルになっています。 1934年7月から39年12月までの5年半ほどの間、横溝正史は結核の療養のため長野県上諏訪に住んでいました。そして諏訪の滞在中に『鬼火』という短編小説を、戦後になってから『犬神家の 一族』を書き上げました。
「私たちは自分の幸福のために戦わねばなりません。たとえ人様から非道の誹りを受けましょうとも」
自分や自分の愛する人の幸福を願わない者はいないように思います。しかし自分が幸せになることが他者を不幸にすることだったとしたら……それでも自分は自分の幸福を求めることができるだろうか……『犬神家の一族』という物語にはそういう人間がずっと悩み続けている諸問題と、その回答を誤った人々が描かれています。
閑話休題、横溝正史が20世紀初頭の諏訪に幻視した風景……そこに住む犬神家の人々の言葉、彼らの身の上に起こったこと……皆さんにはそれらのことを”かの有名な探偵”になった気持ちでご覧いただけたら幸いです。
本日はご来場ありがとうございました。
〜当日パンフレット掲載文章より〜
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつて��なにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破���捜竹除完降超責並療��右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅��尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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hegotthesun · 27 days ago
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『NUMBER GIRL特集《OMOIDE IN MY HEAD》』
「──売れる売れない二の次で、恰好のよろしい歌ば作り、聴いてもらえりゃ万々歳。そんなあっしは傾奇者、人呼んで"NUMBER GIRL"と発しやす」
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■NUMBER GIRL - OMOIDE IN MY HEAD|YouTube 「──福岡市博多区から参りました"ナンバーガール"です」
NUMBER GIRL(通称:ナンバガ)は1995年に福岡で結成された最初期の日本オルタナティヴ・ロックバンド(下北系バンド)の代名詞。
昨今の邦ロックでは常套手段となった、歪《ひず》みを控えたセッティングでテンションコードを掻き鳴らす鋭角なギターの演奏スタイルはナンバガ登場以降に普及しましたが、元々はドラマーの鰰澤亜人(イナザワ・アヒト)氏の「スタジオ練習の時と同じようにライブでも歪ませずに演奏したらどうだろう」という提案が発端になったのだとか。
鰰澤亜人氏の演奏するハイハットの定位が通常とは左右反対の「左」というイレギュラーから始まります。さらにオーケストラやバンド曲のMIXは高音域を左に置くので、「右側にバッキングギター」「左側にリードギター」になるのが定石ですが、ナンバガはギターボーカル向井秀徳氏のバッキングギターが「左」、リードギター田渕ひさ子氏の演奏が「右」と、通常とは左右反対に定位が置かれます。
テレビ放送が生み出した芸能界崇拝が蔓延る90年代後半から2000年代前半において後続の日本語ロックに多大なる影響を与え、ヴィジュアル至上主義を滅した傾奇者として、ロックバンドNUMBER GIRLのギターボーカル向井秀徳氏を、邦楽ロック界の大穴、或いは連穴としてここに表彰させていただきたい所存であります。
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純情な彼、彼女、恋なんて何すんの? 性的な恋心、二人組どうすんの? 狂った恋の結末は彼氏の本気の熱だった。 彼女が一番好きなのは狂った雰囲気だけだった。 ──引っ付いて、馬鍬《まぐわ》って、間違って、腹立って、傷付いた、失った、どうなった、どうなった? 恋なんて何すんの、恋なんてどうなんの、愛してるって誰に言う、愛してるって誰が言う? 『MANGA SICK』歌詞
辻斬(つじぎり)とは、武士が刀の切れ味や自分の技量を試す為や、武術練磨と称して真夜中の路上で不意に往来を通る人を斬り捨てる愚行。特に戦国時代から江戸時代前期にかけて頻発した。
1602年(慶長7年)、徳川幕府が辻斬を禁止し、罪人を厳罰に処した。近世刑法上において辻斬は「十両以上盗んだ罪」と同様に「死罪」である。石井良助『江戸の刑罰』中央公論社。
歪ませずにエッジの利いたギターリフを弾き、ここまで大迫力の演奏を構築できたのは、私の知り得る限りこの曲だけだと慮ります。
女衒(ぜげん)とは、女性を遊廓等の売春労働に斡旋することを業とした仲介業者。歴史は古く、古代からこのような職業が存在していたと考えられる。
冒頭のドラムパターンは「三三七拍子」等を彷彿とさせる日本特有のビートを用いられている。白熱するギターソロは小手先の技術云々を凌駕して日本オルタナティヴロック史に残る圧巻の名演。
題名は日本映画『TATTOO<刺青>あり〈1982年〉』からの引用だと思われます。
中々に堅気ではありませんな…。
風景を殺す──それ即ち殺風景。
己を殺し、その前科に生き延び、風景に生きる矛���を抱えることが考える葦こと人の煩悩。
"南無阿弥陀仏"(なむあみだぶつ)とは、名号の一つである「六字名号」のこと。阿弥陀仏への帰依を表明する定型句。
「南無」はナモー(namo)の音写語で「礼拝、おじぎ、あいさつ」を意味するナマス(namas)の連声による変化形。「礼拝」から転じて帰依(śaraṇagamana)を表明する意味に用いられ、「わたくしは帰依します」と解釈され、「阿弥陀」は、その二つの仏名である「アミターバ(無量の光明)」と「アミターユス(無量の寿命)」に共通するアミタ(無量)のみを音写したもの。即ち「南無阿弥陀仏」とは「私は(計り知れない光明、計り知れない寿命の)阿弥陀仏に帰依いたします」という意味となる。
■NUMBER GIRL - 真っ昼間ガール (田渕ひさ子Ver.) 楽曲『真昼間ガール』は、当時ナンバガの宣伝担当を務めた東芝EMIの加茂氏が新人発掘のためにデモテープを収集しており、それに乗じて「架空の女性ボーカルバンド」という設定のデモテープを悪戯で作り誕生した曲とのことです。
ZAZEN BOYS『安眠棒』
2002年のNUMBER GIRL解散後、再び向井秀徳氏が中心となって結成されたロックバンド"ZAZEN BOYS"の楽曲『安眠棒』は、明け方まで前日に起きていたと思しき向井秀徳氏自身が見た夢の内容を基に作った曲とのこと。
■向井秀徳のすべらない話(安眠棒とは)|YouTube
下記は向井秀徳氏の見た夢の具体的な内容であります。
◆◇◆◇◆
「世界格闘技選手権」が開催されるのに際して、向井秀徳氏の"師匠"が周囲の迷惑も顧みず、現役引退のご老体に鞭打ちながら大会に出場したい意向を述べた。
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▲師匠のイメージ図("いらすとや"様画)
「やばいですよ、師匠。これは殺されますよ?」
心配して制止しようとしても、それでも師匠の頑なな意志は変わらなかった。
そうして乗っけから怪物のようなレスラーと闘う羽目になり、泣きそうな顔になりながら師匠は一方的にズタボロにされてしまう。
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▲怪物のようなレスラーのイメージ図("いらすとや"様画)
窮地に陥った"師匠"だったが、懐から咄嗟に棒状の武具を取り出したかと思うと、その棒の両尖端から棘が飛び出して高速で回転し始め、目前の屈強なレスラーを強力な一撃により弾き飛ばして滅した。
「師匠、これは凄いですね!」  そう声を掛けると"師匠"は「これは安眠棒という相手を安らかに眠らせる強力な武器なのじゃ」と語ったという。
◆◇◆◇◆
無事に"師匠"が大会で勝ち抜いてくれて良かったという安堵感と伴に目覚めると、近隣で外壁工事によるドリルの騒音が響いており、「この騒音の影響から『俺を安眠させてくれよ』という気持ちが生じて、あんな変ちくりんな夢を見てしまったのだろうか」と結論するに至ったそうな。
椎名林檎『神様、仏様』
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第66回NHK紅白歌合戦で同郷出身の"椎名林檎"お嬢の楽曲「神様、仏様」にて、合いの手を入れる謎の刺客として向井秀徳氏が共演。
向井秀徳氏は、相も変わらず「冷凍都市での暮らし」を存続しているようであります。
向井秀徳『インスタントラーメンの作り方』
■向井秀徳 インスタントラーメンを語る
■向井秀徳 チューハイを語る
■向井秀徳 昆布を語る
志らくが語る!with 向井秀徳
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向井秀徳『ふるさと』
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じつは真面目に歌えば「のど自慢大会」に出場できそうなほど歌の巧い向井秀徳氏!
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GO MY WAY!!を殺伐にしてみた
2007年に某国産動画共有サイトに投稿された『アイマス』のナンバガ風カバー曲。
初見では本人自身の演奏と聴き間違えてしまうほどのクオリティー!
エージェント夜を往くを殺伐にしてみた
“何故、そこまでしてとかちつくさなきゃならんのか、俺にはよう分からんが、すごい、それは、素晴らしいことd、かも知れませんね。※聴いての通りナンバーガール風カバーです。 (作者:投コメ)”
* * * * * * *
『呪術廻戦主』題歌「廻廻奇譚」
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どうやら現代もナンバガ風の演奏が普及しているようです。
――完。
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oisiihito · 6 months ago
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いい加減に 東京へ出てくるとうんざりするのをやめたい 新宿や渋谷ならまだしも 上野などでうんざりしているようでは 情けがないから やめたいのだけど やっぱりどうしてもああやって人が大きな塊になるような状況をみると 誰でもいいじゃないかという気になってくるので苦手だ そこにいるのは誰でもいい かけがけのないことのないただの記号という形をとった肉の塊にしか思えない だからそのような有象無象に気を配る気にもならない 中高生のような 人を殺す目で あれくらいの時期はみんな特に意味もなくあるいは大きな意志の元で人を殺したいと思っているものでは? うつむきながら 足早に肉塊を通り過ぎるしかない フードエッセイストである平野紗季子さんの (NO)RAISIN SANDWICH が クッキー・モンスター (青色のけむくじゃら) とコラボするということで 銀座のソニーパークへ 遊びに行く 銀座はよくわからない 近いようで遠い街だと思う 京橋や日本橋なんかは完全に他人事なんだけど 銀座に関してはどうしても割り切れない部分が個人的にあったりするわけで 上野か���銀座線に乗り ライクアタイトル回収 銀座駅で降りる まずまずの人 ソニーパークは駐車場の傍らにある 以下HP引用 "銀座四丁目交差点改札より、そのまま地下コンコースを歩いてお越しください。B7とC3出口の間にある「西銀座駐車場」の入口を入ってすぐ左がSony Park Miniです" なんとも簡潔でいて分かりのいい文ではないの 無駄のないうえにそこまで事務的でもないのが良い 変な場所にある施設が 結構好きです 新橋の ニュー新橋ビル な 熱海の 第一ビル商店街 な 感じの施設 施設群? この日のために PACS の Round Corner Pocket shirts を卸した 真剣な青色で 名前の通り ザッツリテラリー ポケットがまあるくなっている 生地もスーピマコットンなので 肌触りも良い かつ光沢もあり品の良いシャツに仕上がっている かわいいねお気に入りです 大きめに着る 靴下もファミリーマートのアクアブルーだったので 話しかけられた店員さんに 「格好もクッキー・モンスターを意識されてるんですね!」 などと言われ 恥ずかしそうに頭をかきながらうんとかすんとか ヘラヘラするしかなかったよ 23にもなるのに 恥ずかしそうにヘラヘラするしかない場面がいまだにある ステッカーや缶バッジ なんとなく目当てにしていたクッキー・モンスターのTシャツはソールドだった まあそうだねと思いながら"PREMIUM COOKIE SANDWICH for COOKIE MONSTERS"を抱えて後にした この時点で汗が止まらなくて病気かと思う 汗をかきはじめると 周りの視線が過度に拡張されていく感覚になる 批評よりも批判よりの視線にさらされているような感覚 さすがに耐え難いので 鳥越の方に逃げた 昔に といっても2年前までは鳥越に居をかまえていたので 今でもマイメンな東京のスポットなのだ そんな場所は本当に貴重だ 鳥越神社という大きな公園のわきにあるアパートの一階部分には Torigoe T という小さなフランス料理のお店があったのだが それも1年前に閉店して今はアメリカ雑貨のお店になっているのを目撃した 6月は鳥越神社の例大祭があり 裸の男たちが蔵前橋通りを神輿担ぎ闊歩する 言語というよりむしろ発声に近い掛け声に混ざるぶつかり合う肌と肌の音は 何かしら象徴的に聞こえるものです 例大祭のチラシがあちこちに貼られているのに沿って鳥越の街を歩く もうこの街は 自室から���草にあるアルバイト先まで 日陰から一歩も出ることなく歩いて行けるまでに 知っている 知っているのにすでに住んでいないというのはどうして不思議だ 1時間くらい歩き続けて観念したように浅草橋から総武線で新宿まで出張る 小田急線の急行で下北沢に着く頃にはもうだいぶ風が出て涼しくなったような気がして またシャツを羽織った だいぶ変わってしまったねこの街も 高校教師 (1993) には当時の京王井の頭線沿いも出てくるのだが 1993年時点での下北沢駅周辺はとても文化的ではなかったように見える ホームも薄暗くなんとなく湿り気のあるそんなイメージだった むろんあくまでイメージ 妄想ではある産まれてないしそもそも しかしな 今やサブカルチャーにとどまらず演劇や映画のベースメントとして 機能しているので 大したもんだと思う 人間が本気になれば 何もない場所に都市を計画し造ることなんぞは きっと造作もないのだろう 東京も元々大きな湿地帯であったことを考えると 人間のその豪胆さと労力の惜しげのなさには驚かされるばかりである 茶沢通りを北沢タウンホールに抜ける路地の左手に アンダーニース という楽器屋があり ビルの3Fで品揃えもいいしなによりオーナーの人当たりの良さ! この楽器屋でその感じなのありがたい 友人にお土産として Danelectro Black Coffee を買った DODのFX25B Envelope Filter とも悩んだが ゲインがフルテンで固定というオーナーの説明にクラッときたので そっちにした 朝からまともなものを食べていないことに気づいて 渋谷駅から渋谷川に沿って並木橋の方へ降りると恵比寿の手前にフレッシュネスバーガーがあるため そこでフレッシュネスバーガーとジンジャエールを食べる ジンジャエールがとにかく濃く作られており 自家製なのもあって 飲みごたえがすごいことになってんの 正直ハンバーガーには合わせない方がいい 完全に負けているので 狭い店内の後ろの席には 学芸会終わりの親子が感想戦などをしていた ジメっている恵比寿 リキッドルームに家主がやってくるということで 友人を誘った 昨年の12月に出したアルバムのツアー 恵比寿リキッドルーム ワンマン フルセット 整理番号はなぜか800以降のカスだが 久しぶりのライブも 友人に会えるのも嬉しい チケット代の代わりに 何かモノをくださいという暴力に 友人は旅��の灰皿とぶっとい葉巻で応えた 吸わなかったら灰皿で人を殺してもいいらしい とにかく喫煙が足りないと言われた 喫煙が足りない 喫煙が足りない? アウトレイジ 最近バイトや大学の合間を縫って アルバムのレコーディングなどしているらしく 小職よりも忙しそうにしているので頭が上がらない ライブはもちろん完璧だった 正直言ってここまでのめりこめるライブも少ない 撮影が可能らしく ちらほら撮影している観客もいたが 昔気質だからだろうか どうしてもライブという場において撮影という行為がイマイチしっくりこない いまそこにある景色を損なう可能性を 考えてしまって スマホへ手が伸びなかった 撮影などしなくてもライブはサイコーであるのであれば 無理して撮影する必要はない そうだよね ウン 途中マジで酸欠になって フロアが最高潮だからね クラクラしながら ぜんまいじかけ のリフが宙に浮いて見えたりしたが 無事 終演 熱冷めないまままた歩いて渋谷駅まで戻ることになり 家主の話よりむしろバックナンバーやクリープハイプの話になりなぜ? 家主の話をしないということによってむしろ家主の存在が際立っているような 哲学や文学の文脈でよく使われる論文の手法のような雰囲気で 道玄坂のロイヤルホストに滑り込んでひといきをつく 柴田聡子の新譜は ある種 脱構築的に音楽よりも言語 あるいは歌詞や詩の動きにフォーカスしたアルバムだと論じる 前作 ぼちぼち銀河 においてもその様子はたしかにうかがえたが 今回で完全に音と歌詞 (詩) は同時に存在するように作られはじめた それぞれで見てもイマイチパッとこない 納得できない そのふたつは 同時に鳴ることで私たちの前になにかしらの意味を持って突如立ち現れることになる そこが柴田聡子の独自性ではないかという話で盛り上がって 過ぎる時間 こんな話がしたかったと思っていることに気づいたのは分かれてから銀座線で上野御徒町へ戻る最中だった 山形行きの高速バスで 友人がSound Cloudにあげていると教えてくれた レコーディング中のアルバム そのリード曲になるというデモをこっそり聴く 疲れた身体でも 十分に良いと思える曲だった コンスタントな振動に揺れ カーテンをこっそり開けて 高速道路のナトリウムランプが玉になって流れていくのを眺め 耳を澄ませて友人の曲を何度も 繰り返し聴く はじめて聴くのが夜行バスの中で良かったと思った 眼をつむるまでにそんなに時間がかかることもないだろうなと 考える間もなく 眠った 朝の4時に福島にほおりだされて 始発で郡山へ戻り 8時には職場にいるのだから 頭がおかしいとしか思えない 一緒に住んでいる人には 花屋の娘 が入ったフジファブリックのCDをお土産に買った ディスクユニオンの袋に包まれたのを 満足そうに机の上から机の上へ置き直して ニコニコしている 郡山は肌寒く しまったはずの毛布を取り出した
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heyatoengeki · 9 months ago
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部屋と演劇 対談② 宮崎玲奈×中村大地
部屋と演劇の中村、野村、福井が話したい同世代かつなんとなく距離の近そうな作り手三人にお声がけをして実現した対談企画です。当初は六人全員でワッと実施する予定でしたが、スケジュール的に無理があったため一対一に分けて実施しました。8月にSTスポットでおこなった『部屋と演劇』vol.1を見ていただき、後日オンライン上で話したものを書き起こして編集しています。今回は宮崎玲奈さんと中村が話しました。
中村 今回なんですが、『部屋と演劇』vol.1もそうですし、個人的には円盤に乗る場の活動もそうですが、ただ劇場で公演する以外のことも含め、“作品の手前”みたいなことを共有したいという欲望を持つ作り手が増えているのかなということが個人的にはあって、宮崎さんも「発酵シアター」をやられてますし、そういう話をしたいなという経緯で対談するかたちになりました。
宮崎 途中発表みたいなことでいうと、わたしはワークインプログレスという発表形態が好きじゃないなと思ってて、でも中村さんは「テーブルマナー(仮)の初稿を読む会」みたいなこともしていて、そのあたりの話ができたらいいのかなって思ってたんですけど、なんで積極的にやろうと思えてるんですか?
中村 根本のモチベーションとしては、円盤に乗る場の活動報告会で書きかけの小説を発表してみたり、戯曲を書いてみたりした経験があって、小さな規模でも外に発表することで、サボらずに書くことができるっていうのが大きいかな。それを自劇団でやってみようというのが「戯曲を読む会」。でも、そこに観客がどう参加するかみたいなことは正直まだあんまり考えられてないところはある。『部屋と演劇』Vol.1もそうだったけど。
宮崎 これが誰のために行われているのか?というのが私の引っかかるポイントで、作家ないしカンパニーや作品のためでしかないのだとしたら、観客が必要なのか?それとも見てくれる友達とかを呼べばそれが叶ってしまうのか、そのあたりが気になっているところです。
中村 そこにいる観客のことについてうまく言語化はできていないんだけど……でも、演劇の上演以外のプロセスに面白いことはたくさん起きていて、そのことを上手にシェアする方法はある���じゃないかとは思っていて、シェアしたいとも思う。でもその形態としてワークインプログレスが最適解なのかは正直わからない。あるいは作品って消費者として“観る”みたいな態度をとる以外にいろんな触れ方があるんじゃないかなみたいな感覚もあるかな。それとただ戯曲を読むということはマッチしてるのかも、と。
宮崎 作る側として消費されたくないというのもありますよね。
中村 東京はやっぱり圧倒的にコンテンツの数が多いから。仙台にいたときとだいぶ感覚が違うんだよね……。でももしかしたらそれは仙台で想定していた観客の知り合い度がかなり高いということだけかもしれないけど。東京では、自分が観る側にいてもだけど、コンテンツを消費する見方をしてるなとは感じている。
宮崎 演劇の暗黙のお約束とかあるじゃないですか、映画館でもそうだけど、最低限邪魔にならない感じで見るみたいなことをどんどん共有することが難しくなってるのかなっていうことを、感じていて。その暗黙の約束を共有するにはどうすればいいんだみたいなことを、最近考えたりしてますね。
中村 難しくなってるっていうのはどういうこと?
宮崎 観劇の最中に自分が何かをすることが、劇に作用したりとか、他の観客に作用したりみたいなことが、これまでは小劇場で集まって、ギュッと作品を見るというなかで暗黙のルールになっていたけれど、そのルールみたいなものがどんどんカスタマー優先みたいになりつつあるのかなって。小劇場はそんな時代にどのくらい会社的・企業的に振る舞うべきなのかとか。でも、そもそも周縁化されたカルチャーだったはずだったな、とか。
中村 自分の現場で、そこまでカスタマー優先みたいな場面を僕は感じたことがないけど……。「お客様は神様です」的なことだよね?
宮崎 そうそう、
中村 テレビ見てるみたいな感じで、
宮崎 これくらいの金額払ってるんだしって。大きい声で怒鳴って良いのかって、
中村 客席から?
宮崎 受付のちょっとしたミスとかに大きい声で言ったり、
中村 えっ、そんなことあるの?
宮崎 わたしは結構去年色々あったから、
中村 そうなんだ、
宮崎 そういうルールをいちいち観劇のときに言うと、「してください」がいっぱい、みたいになってしまうけど、戯曲を読む会にしろなんにしろ、何かの集まりで観方をひらいていくというか。ルールがあるんだよという形で対応することはできるなと思っていて、そういう意味で作品を上演するというかたちじゃない可能性を探りたいという気持ちは結構高まっているかもしれない。
中村 あの、見れてないけど野外でやったやつもそうですか?
宮崎 あ、野外のやつは、演劇しんどすぎて結構セルフケア的にやりました。
中村 へえー。どういうあれなんですか?
宮崎 去年の11月の上演で色々ヘイト的なものが起こって、言い返したくても言い返せないみたいな、こっちは言われるだけなのかっていうもやもやがあったときに、それを発散する方法が欲しい、このままじゃなんか来年後編なんかできない!みたいになっちゃって。そのときに友達と「なんかこういうことがあってさあ」って自分自身のことをちょっと演劇にしてみようかという流れ��やりました。すごく鬱々とした話だったから、実際に野外でやって、後ろの川でサップボードしてるみたいな風景が広がっていたのが良かったかな。自分たちとお客さん以外はすごい穏やかな景色が広がってる中でやるというのが。
中村 やっぱそれには発表するっていうチャンネルが必要だったってこと?
宮崎 うん。
中村 それで言うと思い出したのは、2020年度に「再建設ツアー」やって、その後『パラダイス』やって、コロナ真っ盛りのタイミングで両方ともお客さんが来ようもないみたいな状況だったから、なんかやってる意味あんのかみたいな気持ちのなか躁状態みたいな感じで駆け抜けて、そのあとかなり落ちて。だから2021年度は全然公演やらなかった。
宮崎 え、それでも逆に休めて健康でしたか?
中村 あ、ちょうどでも乗る場がはじまって、劇団員が目的なく稽古場に集まるみたいなことが起こりだして、そこでテアトロコントに呼ばれて。お金になるわけじゃないんだけど、でも、週1,2回の稽古をやりながら、つくるってそもそも楽しかったよな、がっちり上演っていうサイズで綿密に色々たててつくるのはもちろんやりたいのはあるけれど、短いけどこれおもろいよね、みたいなことで自分たちをケアした感がすごいあった。
宮崎 それすごい大事だなと思ってて。11月にやったら絶対疲れることはわかってるから、12月のクリスマスにみんなで楽しいだけの公演しようって言ってて、ほんとうにその週1,2とかで集まって、ぱっと作る、みたいなことで。それないと結構忘れるものが多いなって思った。
中村 めっちゃそうね。
宮崎 それめっちゃhonninman救世主じゃないですか。
中村 そう、honninman、ていうかテアトロコントの小西さんが救世主かもだけど。
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『ムニのクリスマスホリデー!』(2023) 撮影:黒澤多生
宮崎 最近稽古のやり方を変えて。タスクが多すぎしんどいって感じもあって。普通の稽古ってしんどくないですか? 中村 えーとね、あんまりしんどくないかなあ。 宮崎 うおぁ。 中村 うーん、俺稽古結構好きだからなあ。昔に比べると、自分たちの理想の稽古時間とか定まってきたのもあって、苦しい時はもちろんあるけど、あまりしんどくはない。どうしんどいんですか? 宮崎 事前にその日にやると決めたシーンやタスクはその日に全部決めたいんですよね。今、シーンの一回目触るみたいな稽古段階で、稽古スケジュールを組んで、その日までに覚えて、プラン立ててきてくださいねって俳優さんとやってみるみたいな感じでやってて。でもなんだろう、稽古場に行けばすごく楽しいんだけど、宿題がすごい多いなっていうのが今、しんどいのかも。 中村 それはわかるかも。でもそれが仕事だしなみたいな……僕はいつも稽古に向けて準備していったことが、「よしやってみましょう」ってやると、全部なぎ倒されていく感じ。でも準備していった方がいいなっていう。なぎ倒されるために準備していくっていう感じはある。 宮崎 なんかもっと昔は身軽に稽古場に行けてた気がするんですよね。だんだんこうしたいああしたいが増えていくことにより、行けば楽しいが、行くまで色々考えちゃうみたいな。 中村 ほんとそれ知りたいんだよね、演出の仕事どういうのしてんのっていうか、 宮崎 え、中村さんどんな準備してるんですか? 中村 とりあえず、とにかく戯曲を読みこんでいく。『父の死と夜ノ森』のときは一回全部役者の配置を決めたりはしてた。 宮崎 やっぱ、配置は決めていきますよね。 中村 あ、でも俺はじめてやった。 宮崎 あ、そうなんだ。 中村 あんまり場面が変わることがなかったからさ、屋根裏ハイツって。最初の形だけ決まればあとはナリで動いていくというか、 宮崎 え、じゃあ読むって何? 中村 本当に単純にテキストを読んで理解する……、自分の書いた台本でも、書いてるときはわかってても、あらためて現場で俳優の声で聞くと意味が通ってなかったり、わかんないところがあったりするから、英語の構文分析みたいにここをカッコにくくって、この形容詞が名詞にかかってまして、とかを書き込んでいく。まあなんとなく、多少の動きも想像していくかもしれないけれど。 でも宮崎さんの戯曲は配置を決めてかないとどうしようもないよね、同時多発のやつとかは特に。 宮崎 最初に舞台を、縦に2本線引いて、横に2本線引いて、9個のマスをつくって、マスの中で、囲碁みたいにつくってく。だからいっぱい囲碁の紙みたいのをつくって、それを稽古場で試すってやるかな。でも同時に動くやつとかはみんなで考えることが多かった。自分のタスクだけではなくて、他の人の動きを全部把握しとかなきゃいけなかったので、みんなで一緒につくる感が結構あって。それが前は稽古場楽しいなっていうマインドを担保してたのかもって思う。今は物語のほうが強くなってて、同時多発のときとは同じつくり方にはならないから、 中村 自分が1回ゼロイチを持ち込まないと始まらないというかんじ? 宮崎 そう。ただ、わたしはプラン決めてくるんだけど、それだけだと面白くないから、今回は俳優さんにも同じタスクを頼んでいて。「全体じゃなくていいから、自分の役の整理をつけて、このシーンがこういうふうに見えると良い、このシーンはどういうシーンだ」というのを、準備してきてもらうようにしている。 中村 あ、それ良さそう。ムニって出演者多いじゃん、それも稽古が大変な要素なんじゃね?って個人的には思う。演出が準備をめちゃくちゃしないと稽古場がなりたたない規模感ってあるなって。「父の死」の7人でも思ったくらいだから、人数多いともっとなるんだろうなって。 宮崎 準備って言っても、俳優11人いたらみんな違うから、たとえばこの人は辻褄合わせるとわりとその次に行きやすい人、この人は結構喋るの好きだけど、わたしとしてはもっと立ち稽古したいな、とか。え、めっちゃパターンあるじゃん!って。 中村 そうね、俳優ごとにどう話すかは変わるよね。 宮崎 それも相まって、「え、めっちゃタスク多くない?」って。 中村 たしかに、どういう稽古場をつくるかっていうのがまず一番しんどいもんね、このメンツとどうやっていくか、それがいい感じに乗るまでが一番しんどい。ちなみに僕は、本当は稽古からの帰り道がひとりでいたい(笑) 宮崎 え、ひとりで帰らないんですか? 中村 電車の方向が結果かぶるみたいなときに、繋がなきゃいけない言葉、みたいなのが一番しんどい。みんなでいる間は大丈夫なんだけど、ひとりでいさせてくださいみたいな気持ちに。 宮崎 わたし、トイレとか行って次に乗っちゃう。 中村 ああ、もはや!そうしようかな、俺も。 宮崎 あれすごい大変すよね。 中村 あれめっちゃつらいんだよな。 宮崎 普通にもう稽古のこと話したくないし、みたいな、 中村 そうそうそう!もうこれ以上うまく言えることはないみたいな状態になって……(笑)
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青年団若手自主企画vol.81 宮﨑企画『つかの間の道』(2020) 撮影:伊藤香奈
宮崎 今の稽古場は1回目のシーンが決まれば、2回目はそんなに大変じゃないのかなって気はしてます。 中村 最初が決まるまでは。そもそも前編とまったく同じメンツでしょ? 宮崎 そう。だからこの間面白かったのが、9月3日くらいに完本してはじめて読み合わせしたんですけど、キャラクターがもう出来てる!って思って。 中村 ああ、それ面白いね。 宮崎 だから、去年よりはもう土台がある状態でやっていく感じになってます。今回の発表スタイルの稽古はいいなと思ってる。 中村 発表スタイルって、みんなが各々自分のプランを考えて、 ドンでぶつけるってこと? 宮崎 それがいいなと思ってやり始めたんですよね。だったら同じだけ私も考えるし、俳優も考えるしで平等やなって。本の読み方は練習してるから、その読み方の上で決まったシーンを立ってやりましょうって、発表する。 中村 俳優同士は事前に相談するの?それともぶっつけ? 宮崎 あ、2人のシーンとかは事前に相談したりするけど、だいたいぶっつけ。ただ、台詞にニュアンスをいれないから、どっちかが自分の持ってきたプランを先行するみたいなことにはならなくて。役としてこう見えたらいい、ということだけクリアすればいいから、まだこの時こう動かなきゃいけないというのがあんまり入ってない感じ。 中村 確かに。それが一番良さそうね。演出家がウンウン唸ってる時間って無駄だからな…… 宮崎 でもだから、なんかむずいっすよね、質問されないはされないで大丈夫かなって思ったりもするんだけど、でも質問できたほうがいいとかそういうわけでもないから、質問なくてもその発表でうまくいってればそれでいいかな、みたいな。 中村 人によるよね、掘って整合性を取ったほうがいい人とかもいると思うけど。僕好きな話があって、瀧腰さんがはじめてでてくれた時に、稽古の中で「言ってることはよくわかりました、けど今はできません。そのうちできるようになります」って言って。それめちゃいいなって思ったの。その言い方が「がんばってできるようになります」って感じでもなくて、こっちがああ、じゃあ任せますって、言える感じで。なんかそういうのって言ってくれればすごい楽っていうか。だから俳優側が好きなこと言える状況はでかいなって思う。常連がいるとかね。でも今回はみんな持ち上がりだから余計強そうだね。 宮崎 そうすね。ゼロからじゃないのは大きいかもしれない。 中村 再演の集まり方なのに新作つくるっていうのがなかなかないよね。俳優同士も相談しやすそうだなって。再演ってすごく俳優との関係がフェアでいいなって思う。 宮崎 え、わたしは再演嫌なんですけど(笑)。 中村 あ、そうなんだ! 宮崎 今、『ことばにない』終わったら再演できない作品つくりたいと思ってるくらい。 中村 再演できないってこと��どういうこと? 宮崎 今つくりたいのが、5年くらいかけてつくるやつで、俳優もキャラクターも5歳歳をとるっていう、それで毎年公演するやつをやりたい、 中村 『6歳のボクが、大人になるまで。』的な? 宮崎 ああ、でもそんな感じかも。でも記録されないから一回しかできないっていう。 中村 それは同じ登場人物なんだ? 宮崎 お��みとかもあるんじゃないですか? 中村 この人今年いないんだみたいな、 宮崎 そうそう。 中村 『ことばにない』もそうだけど、そういう長いレンジで書きたいってなったのはなんでなんですか? 宮崎 え、でももはや90分とか無理かもしれない。逆に。 中村 えー、すごっ、 宮崎 一回全部書ききったろう、みたいな気持ちで『ことばにない』をはじめたけど、それをしたことで何を短縮したら良いのかがあんまり。もちろん8時間でも短縮してるものはあるから、そこから探ればいいんだろうけど、まだそこまで圧縮することにあんまり興味が持ててない。 中村 だって、その結果5年になるわけでしょ? 宮崎 うん。 中村 それはきっかけがあったの?それとも結果的に長くないとできないものができたって感じ? 宮崎 『ことばにない』はそんな感じ。書きながら90分ではないなこれって。で、5年に関しては、もうちょっとライフワークみたいなやつをやりたいかもって思って、別に小さい規模でもいいから5年間やるみたいな。そのクリスマスのときにやる、楽しい時にやるみたいなのがあってもいいのかもって。
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ムニ 『ことばにない』後編(2023)  撮影:黑田菜月
中村 発酵シアターは、どういう経緯で始まってるんですか? 宮崎 元々は今年「ことばにない」は後編だけ上演やるから、前編の上映会をしようってなっていて。でも前編やったあとに、ムニこれまで作品いろいろやってきたけど、「ことばにない」から知ってくれた人もいたから、他のも一緒に見れるイベントにしようっていうのが企画の最初だったかもしんないすね。 中村 そこにいろんなひとの発表が挟まるみたいになったのは、どういう感覚なんですか? 宮崎 なんだろう、でもそれも、身軽に発表できるといいよねって思って。3月に山縣太一さんのワークショップ受けた時に発表楽しい!ってなって。テクニックや形式的なことを教えてもらいつつ、それぞれ自分の発表をつくる的なことをやって。もっと発表を身軽にできる場があってもいいよなって。ちゃんと公演にすると、場所とかお金とか色々要素があるけど、もっとイベント的に発表ってやれていいんじゃないか、自分自身がそういう場を求めていたというのもあって、つくりました。 中村 発表する人は公募? 宮崎 何人かこっちから声かけた人もいるけど、基本は募集して。 中村 どうでした?それは。 宮崎 え、めっちゃ良かったっす(笑) 中村 それは、試演会的なニュアンスとはちょっと違うんだ。 宮崎 うーん、発表会。完全に完成してなくてももちろんよくて。発表ということのハードルを下げたいとはずっと思ってて、誰でも発表していいというか。でも自分が発表するってなるとちょっと違って来ると思います。中間発表といいつつ、ちゃんと発表ってことにムニのこともなってたと思うから、企画と自分のことは別に考えているかも。 中村 そこにいる観客はどう捉えるの?そのイベントを楽しみに来た人って感じ? 宮崎 色んな人が参加してたのもあって、発酵シアター期間のなかでイベントが一番人数パンパンになって。で、イベントとセットで「ことばにない」4時間みて帰るみたいなことがあって、これをセットでやるのが結構いいのかもって思った。寄席みたいな感じかもしれない。 中村 それは確かに、乗る場のNEO表現まつりもすごいそんな感じしたな。 宮崎 それに、福岡のカンパニーのマルレーベルの加茂くんが参加してくれて。今度STで公演するんだけど、その宣伝も兼ねて東京でひとりでムニの発酵シアターをつかってくれたりとか。乗る場もいいけど、参加する人が固まらないのが良かったなって。 中村 うんうん、公募することの良さが。 宮崎 そうですね。最低限選んでもいるんですけど、結構バラエティがあったのがよかった。リハーサルもやるから、「ここ、こう見えました」的な相互批評的な感じにもなって、その過程があったのも良かったなって。 中村 公募の条件はどんな感じなんですか? 宮崎 お金はムニから払えないけど、カンパを募るのはありで、場所を貸しますって感じです。それも、もしムニからお金払ってお願いするってなると、またちょっと空気が変わってきたのかもって思うかな、 中村 たしかに、今聞いたやつのほうが健全にやれる気がした。部屋と演劇でも、そもそも多少お金くらい払ったって作品つくってたよねっていうのがあんまりネガティブな意味じゃなくある。ギャラなんかなくたって楽しんでやってた部分もあるじゃないのよっていう。それから部屋と演劇がああいう形になったのは「上演」までいかないと試せないことがたくさんあるっていうのが共通の認識としてあって。一日しか稽古してないけど、発表するっていう気合が一つモチベーションになってるなと思う。
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『ムニの発酵シアター』内「発酵イベント」(2023)
中村 ちなみに、今回のイベント、観客の体験として「パッワッサッ」感はありましたか?
宮崎 あー、でもまず環境としては、あの、平台の上に座る感覚とか久々で良かった(笑)
中村 (笑)
宮崎 ああ、これ、「パッワッサッ」だわ~って。
中村 あんまり設えられてない。
宮崎 入ってるチラシもめちゃ薄くて、これくらい作る側も身軽でいいよなって思った。椅子をいっぱいならべるわけでもなく。
作品でいうと、一番作品してるって思ったのは福井さんかなあ。ただ、普段してることとも関わって来る気がするから、普段から形式がある人のほうが「パッワッサッ」しやすいのかなって気がした。
中村 福井くんは今回ある意味、すっごい準備してた気もするかも?
宮崎 えっ、じゃあ演出家の準備はパッワッサッじゃないんですね。
中村 どうだろ?どんくらい演出家の準備がパッワッサッなのかは、わからない。
宮崎 それ気になりました、俳優どれくらいパッワッサッなのか、とか。
中村 たしかに、みんなそれぞれどんくらいパッワッサッ感があったのか……
宮崎 でも“集まり”の話でいくと、わたしは集まりのなかで戯曲を読めば上演になりうる、っていう思想だから、それは結構パッワッサッ的なことなのかもしれない。
中村 え?
宮崎 なんで上演するのかがずっとわかんない、5人くらい集まって戯曲読む集まりがあればそれで上演されたことになんないのかって結構思ってて。わざわざ上演する意味ってどういうこと?って考えてる。
中村 積極的な読書会とかって、演劇の稽古にかなり近いし、観客(参加者)がある種安全にテキストとの距離を取れたりとかもするよなとは思う。まあ上演でしか得られない満足感っていうものは観る側にはあるとは思うけど、なんかいいもん見たなみたいな……でも、そうやって上演を見に来るときの「消費する」的な感覚を変えるのは上演レベルでは不可能というか、そのモチベーションを劇場に金払って見に行くという身体でそうじゃないものを強く求めるのはこちらが設えを変えないと無理だなって最近思ったな。テアトロコントで笑いに来てる人に対してその条件���変えることにはあんまり意味がないっていうか。そこを疑うなら上演じゃないアイディアを作る必要があるんだろうなって思った。ほんとに戯曲を読むだけなら、みんなで読んだりしたらいいのかもね、
宮崎 でもそれわたしなら上演ですって言っちゃいそう。これは上演ですって。10人くらいあつまって上演しましょうって。
中村 それって、参加しない枠もある?
宮崎 あ、いないで考えてました。
中村 その場合、上演とはってなりそう、
宮崎 なんか、わたし瀧腰さんとかと3年位「ゴドーを待ちながら」を野外で読み続けるっていうのやってて、それもあって読めば上演になるんじゃないかって、しかもそれが集まりのなかでなされるってことを上演の定義にしてたんですけど、
中村 でそれは、お客さんはいないんだ?
宮崎 街の人がいますよ。
中村 あ、路上パフォーマンスみたいになるってこと。
宮崎 そう、上野のパンダ橋とかでやってました。3,4時間かかるんですけど。
中村 え、ハード。動きとかなく、読むだけ?
宮崎 読むだけ、しかも誰がどの役をやるとかも決めずに読む。しかもト書きも全部読む。みたいな感じでやってました。
中村 へー、
宮崎 最後の方は写経してました。
中村 ゴドーを?
宮崎 写経も集まりの上で全員が同じ時間に共有された行為をしているので、それは上演になるのかみたいな、ことを試してた。
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部屋と演劇Vol.1 中村大地『複声にうつしてみる』リハーサル風景
中村 野村くんに聞いたんだけど、ドイツの公共劇場の稽古スケジュールって、最初に3時間やって、休憩3時間やって、後3時間やるっていうスケジュールなんだって。それ面白いなって思って。お昼休みって1時間じゃ、1時間半でもあんまり休めた気しないけど、3時間もあればもはや合間に他の打ち合わせとかいれられて。だから今度城崎でやろうと思ってる。
宮崎 え、ご飯食べて温泉入ってまでできますね。
中村 そうそうそう。もちろん東京じゃ出来ないけど、それくらい一回シャットダウン挟むのやってみよっかなって。「パッワッサッ」とは違う話だけど。 今回試しに8月に戯曲を読むだけのことを4日間やって、城崎まで、1ヶ月半くらい空くんだけどその間稽古はなくて。クリエーションの中でわざとそういう空白つくることで、さっきの「ことばにない」の前編をやって今年後編やる、みたいなときのスタートダッシュの切り方と同じような効果が生まれないかな、セルフ再演みたいなことになんないかなって思ってる。
宮崎 えじゃあ、8月やって、再演が10月があって、12月が再再演みたいな?
中村 そうそう、だから10月18日に発表があって、次12月のために集まるのが11月の半ばでって。
宮崎 逆に俳優は大変ですね。
中村 どうなんだろう、どっちが大変なんだろうね。短くワッて作れちゃうならそれはそれでいいけど。でも、今回公募で募集した時には、こんだけ時間かけてつくってみたい、っていう応募理由も結構あったな。クリエーション期間の中でいっぺん仕事に戻れたりしたほうが経済的には楽なのかなって思ったり。
宮崎 なんかでも、4ヶ月毎週発表をやり続けるとかしんどくないすか?
中村 人に見せるってことを?
宮崎 そうそう、
中村 あーでも、ダラダラ4ヶ月やるわけじゃないから。1回1回区切れがあれば、そこに向かって頑張ろうみたいな。まあ、やってないからわかんない。これですごいしんどかったらどうしよう(笑)
宮崎 そのスタイルやってみたいなと思ってる、4ヶ月毎週発表、解散!みたいなの、
中村 それは一般に見せるの?
宮崎 見せる、そのシーンを。
中村 連ドラみたいなことになんのかな
宮崎 そうそう、えーでも、再演システム……。
中村 とにかく上演を細かく挟んでいく、それはでも稽古場を公開しますよりはちょっと気合を入れつつ、でもラフな設えでやれたらなって。
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屋根裏ハイツ『すみつくす』2023年 撮影:本藤太郎
宮崎 なんか『父の死と夜ノ森』でいうと、あれは死の一回性、死が生と同居しうることを前提にして書かれてると思うんだけど、それを(屋根裏では)演技もだし、舞台上にモノが存在している重さで持って繰り返すっていうのが気になってて、
中村 あれをマレビトで見た時に、あの作品だけ一回きりじゃなくていいんじゃないかなって思ったんだよね。スケッチじゃなくて、戯曲として取り扱っていいものでは?って思ったんだよな。繰り返しに耐えうるというか。
宮崎 舞台上でも死が再演できないとするなら、あれは再演できないのでは?と思ったんですよね、松田さんは死を上演の際に「軽さ」を重要にして再現可能とするんだろうけど、上演が一回しかないということが、想定外の働きをしてしまったのではないか��。
中村 うーん、でも嘘だからなあ、死んでないし、
宮崎 でも、一回しかやらないってなるとそれを一回性の死として扱えるかなって、
中村 なるほどね、
宮崎 5回この死が繰り返されるっていう意味が繰り返すならば出来てくる、
中村 それでも別に、どうなんだろう、松田さんの戯曲よく人死ぬしな……それがどういう意図をもって描かれていたかはわからないけど、僕も舞台上で死を書いたことはないけど……
宮崎 死が見えない状態で舞台上にあることって結構あると思うんですけど、舞台上で死そのものが描かれることってあんまりないかなって。
中村 そうか…?まああれはああやって軽々しく死んでいくことが結構大事なのかなって思っていたけど、その一回性を大事とは思ってなかったかも。まあ俳優が、瀧腰さんはハードっていうか、いっぱい人殺すのはハードだったと思うけど。稽古場でもそういう話はでたかもね、本当に本気で色々乗っけてやるのは食らうから、ライトにやったほうが良いみたいなことは話としてでてた。それはもちろんニヒルな意味ではなくて、そのほうが現実感もあるかなとか。
中村 結局死そのものを舞台上で起こしたいとは、自分で書く分には思わないけど、
宮崎 でも他のレベル高すぎて、わたしには一生の問いみたいな感じがあるかも。
中村 出来事として死を描けるかってこと?
宮崎 そうそう、
中村 それはどういう感じなんですか?
宮崎 再現できないものをどう舞台上で起こすかみたいなこともそうだし、死が見えないってすごく普通のことだから、死を見せない、間接的に描くってのは形式に落ち着いていると思っちゃう。わたしたちは生きてていろんな場面で死が見えることを経験してるけど、なのに舞台上では死が見えないってどういうことだろう?とか思ったり。
中村 死んでないから死が描けないんですかね、
宮崎 ファンタジーとしての死ではなくて、もうちょっと想像の余白が残された出来事としての死ってなんかあるんじゃないかなって思ってるんです、
中村 それは死の気配が横たわってるとかではなく、
宮崎 じゃなく、
中村 なんか、上演の一回性に対する感覚が僕は結構もう薄れてるのかも、
宮崎 ええ?(驚)
中村 どうせもう絶対に一回性だから、みたいな感覚。
宮崎 屋根裏の稽古は再現性高める系ですか?
中村 再現性高くないと思うけど、「ここでこうしてください」という細かい振り付けはしないというか、なんか道路があって、そこにポイントはあって、そこは通過しなきゃいけないけどその通過の仕方は問わないという風にできたらいいなとは思ってる。でもわりに細かいとは俳優から言われるかな。
宮崎 それはポイントの数が多いみたいなこと?
中村 うーん、どうなんだろう。なんかサッカーみたいな、作戦はいっぱい練るけど結果はボールの動き方でかわるよねって思ってつくってる。
宮崎 ずっとそのやり方���すか?早く言ってとか言わずに、
中村 うん、2017年くらいからかな。「とおくはちかい」から。その頃からこちらが細かく操作するよりも、俳優が自分で立ち上げる方がいい結果になることが多いなと思うようになって。てか、演出が言ってくれたことを俳優がやってくれるのって気持ち悪くないすか?
宮崎 なんかわたしそれ、やられることが嫌なんじゃなくて、待たれることが嫌なのかもしれない。振り付けでもなんでもいいんですけど、言う事を待たれるのが。言うことが百になるのが嫌というか、
中村 うん。だから、言う事を待たれる感じにしないための空気づくりを頑張るのかもしれない。そうすると、俳優が「あなた(演出)今気づいてないかもしれないけどこうしてみましたけど」みたいなことが起きやすくなるなって。
宮崎 そう、稽古場をお客様いらっしゃいみたいなかんじにしないほうがいいと思ったりもします。ファシリテーターみたいにならないっていうか。稽古場自体にはよっしゃ行こうってしないと今行けないけど、稽古場でウェルカム~みたいな感じじゃなく、気を使いすぎないでいれてれば結構うまく行きやすいのかもなって思ったりする。
中村 ウェルカムにしたほうが俳優が観客みたいに待っちゃう気がするね、なんかサービスしてくれるんですか?みたいな状態になっちゃうというか。
宮崎 そうそう。
2023年9月中旬 ZOOMにて
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プロフィール 宮崎玲奈(みやざき・れな) ムニ主宰・劇作家・演出家。1996年高知県生まれ。明治大学在学中に演劇学校無隣館に通い、2017年ムニを旗揚げ。青年団演出部に所属した。第11回せんがわ劇場演劇コンクールにて『真昼森を抜ける』で演出家賞。大学卒業制作の『須磨浦旅行譚』が令和元年度北海道戯曲賞最終候補。その他の作品に『ことばにない』など。
〈次回公演〉 ムニ『つかの間の道』『赤と黄色の夢』二本立て公演 2024年3月9日(土)-17日(日) 会場:アトリエ春風舎 作・演出:宮崎玲奈(『つかの間の道』) https://muniinum.com/2024/01/25/tukanomaakakiyume/
【演出】 那須塩原市ART369プロジェクト実行委員会 劇「わたしのまち」 2024年6月7日(金)-9日(日) 会場:那須塩原市図書館みるる ホール
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siteymnk · 10 months ago
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2023年の文化活動(一覧)
昨年もたくさん行脚しました。特筆すべきはコロナ禍からの本格的な脱却、夏休みの北海道旅行、勤続30年目のリフレッシュ休暇で西日本周遊、だろうか。行きつけの美術館は展示替えの都度、再訪するルーチンが確立。思ってたよりコンサートにもたくさん行ってた(クラシック系が多い)。地方の美術館(県立レベルの)を攻略する楽しさを知ってしまったので、今年も隙を見て行ってみたい。
星野道夫 悠久の時を旅する@東京都写真美術館
プリピクテジャパンアワード@東京都写真美術館
野口里佳 不思議な力@東京都写真美術館
パリ・オペラ座─響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台@東京都現代美術館
MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd@東京都現代美術館
DOMANI・明日展 2022-23@国立新美術館
クリストとジャンヌ?クロード 包まれた凱旋門@21_21 DESIGN SIGHT
ハンドメイドジャパンフェス冬2023@東京ビッグサイト
室内楽・シリーズNo.22 デュオの世界 <チェロとピアノのための>@東京文化会館
驚異の声、驚異の言葉─未体験の音空間へようこそ!@横浜みなとみらいホール
Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎@東京オペラシティーアートギャラリー
3331によって、アートは『    』に変化した@3331 Arts Chiyoda
恵比寿映像祭2023@東京都写真美術館へ
同潤会アパート渋谷@白根記念渋谷郷土博物館・文学館
引き寄せられた気配@トーキョーアーツアンドスペース 本郷
東京都水道歴史館
開館60周年特別展「横山大観と川端龍子」@龍子記念館
0~8848M・地上の紋――中国空撮写真展@日中友好会館美術館
毎年恒例の岡本太郎現代芸術展@岡本太郎美術館
六本木クロッシング2022展:往来オーライ!@森美術館
わたしたちは生きている!セタビの森の動物たち@世田谷美術館
それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱@世田谷美術館
平原まこと 50周年 メモリアルコンサート@東京国際フォーラムCホール
吉松隆オーケストラ傑作選 吉松隆の<英雄>@東京芸術
動物会議 緊急大集合!@ギンザ・グラフィック・ギャラリー
VOCA展2023@上野の森美術館へ
藤子不二雄のまんが道展@豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
昭和レトロ館
ヴォクスマーナ 第49回定期演奏会@豊洲シビックセンターホール
第52回邦楽演奏会@国立劇場
ダムタイプ|2022: remap@アーティゾン美術館
アートを楽しむ 見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館
画家の手紙@アーティゾン美術館
重要文化財の秘密@東京国立近代美術館
明治美術狂想曲@静嘉堂@丸の内
今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティアートギャラリー
収蔵品展076 寺田コレクションハイライト(前期)@東京オペラシティアートギャラリー
ブルターニュの光と風@SOMPO美術館
情景の地 ブルターニュ モネ、ゴーガン、黒田清輝が見た異郷@国立西洋美術館
エドワード・ゴーリーを巡る旅@松濤美術館 応挙と蘆雪@東京黎明アートルーム
「ラ・フォルジュルネ2023」 公演番号:313止まらない!若き活力の横溢と抒情 公演番号:324大作曲家に楽器の制約ナシ!SAXカルテットによる名曲の解答
島じまん2023@竹芝桟橋
デザインフェスタ vol.57@東京ビッグサイト
東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
ルーヴル美術館展@国立新美術館
清澄庭園
大阪の日本画@東京ステーションギャラリー
第63回 海王祭@東京海洋大学 越中島キャンパス
マティス展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2023
夢と自然の探求者たち―19世紀幻想版画、シュルレアリスム、現代日本の作家まで@群馬県立館林美術館
原始神母 THE DARK SIDE OF THE MOON 50th ANNIVERSARY@日比谷公園大音楽堂
本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語@東京都写真美術館
TOPコレクション セレンディピティ 日常のなかの予期せぬ素敵な発見@東京都写真美術館
田沼武能 人間讃歌@東京都写真美術館
発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間@府中市美術館
プレイプレイアート展@ワタリウム美術館
下町七夕まつり@かっぱ橋本通り
モネ・ルノワール 印象派の光@松岡美術館
フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館
川崎水族館
F.A.T.2023 Summer Concert FireBird & AzBand & TAKEBAN@月島社会教育会館ホール
山下清展 百年目の大回想@SOMPO美術館
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ@アーティゾン美術館
野又 穫 Continuum 想像の語彙@東京オペラシティー アートギャラリー
没後10年 映画監督 大島渚@国立映画アーカイブ
熊谷守一美術館
三井高利と越後屋@三井記念美術館
北海道旅行 ファーム富田 旭山動物園
恋し、こがれたインドの染織@大倉集古館
ブラチスラバ世界絵本原画展@うらわ美術館
特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン@東京国立博物館
誰かのシステムがめぐる時@TOKAS本郷
東京大学総合研究博物館
第21回東京音楽コンクール(ピアノ部門)の本選@東京文化会館
テート美術館展@国立新美術館
ガウディとサクラダファミリア展@国立近代美術館
ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
コレクション展2023-3@青森県立美術館
大巻伸嗣 地平線のゆくえ@弘前れんが倉庫美術館
弘前昇天教会
旧五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)
旧東奥義塾外人教師館
旧弘前市立図書館
山車展示館
弘前城
津軽藩ねぷた村
カトリック弘前教会
荒木珠奈 展@東京都美術館
ARTBAY TOKYO アートフェスティバル2023 CIRCULATION -ひともまちもせかいもめぐる‐@臨海副都心エリア
生誕140年 モーリス・ユトリロ展@横浜高島屋ギャラリー
全日本模型ホビーショー@東京ビッグサイト
デヴィッド・ホックニー展@東京都現代美術館
「あ、共感とかじゃなくて。」@東京都現代美術館
ステファン・サグマイスター ナウ・イズ・ベター@ギンザグラフィックギャラリー
福田美蘭 「美術ってなに?」展@名古屋美術館
生誕120年 安井仲治YASUI NAKAJI: PHOTOGRAPHS@愛知県美術館
フランク・ロイド・ライト  世界を結ぶ建築@豊田市美術館
漆の彩り・黒と金の幻想 - 高橋節郎@豊田市美術館(髙橋節郎館)
コレクション展 歿後20年 若林奮@豊田市美術館
2023年度 第2期 コレクション展@豊田市美術館
山田寅次郎展@ワタリウム美術館
Japan Mobility Show 2023@東京国際展示場
黒田記念館(特別室開室)
横尾忠則 寒山百得展@東京国立博物館
東京国立博物館の寒山拾得図
デザインフェスタ vol.58@東京ビッグサイト
永遠のローマ展@東京都美術館
上野アーティストプロジェクト2023 いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間@東京都美術館
動物園にて ―東京都コレクションを中心に@東京都美術館
第64回 日本版画会展@東京都美術館
「今こそ、ルーシー!」 ~LUCY IS HERE~@スヌーピーミュージアム
大原美術館
そして船は行く@高知県立美術館へ。
大塚国際美術館
コレクションハイライト@福岡市美術館
芥川龍之介と美の世界 二人の先達─夏目漱石、菅虎雄@久留米市美術館
遠距離現在 Universal / Remote@熊本市現代美術館
第3期コレクション展:宮崎県立美術館
MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ@東京都現代美術館
MOTコレクション歩く、赴く、移動する 1923→2020 特集展示 横尾忠則―水のように 生誕100年 サム・フランシス
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館
第4回カルチャー芸術展@国立新美術館
第12回 躍動する現代作家展@国立新美術館
21世紀アートボーダレス展(2023)@国立新美術館
JAGDA国際学生ポスターアワード2023@国立新美術館
第63回全国矯正展@東京国際フォーラム
ゴッホと静物画―伝統と革新へ@SOMPO美術館
ピカレスク・ニュー展 Vol.8@ピカレスク
モネ 連作の情景@上野の森美術館
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kachoushi · 11 months ago
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅰ
花鳥誌2024年1月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
 「恋の季題」は材料も尽きてお開きとしたが、書き物は続けてほしいとのお話だったので、『虚子百句』を私なりに読んでいくことにしたい。
 まず、本書の成り立ちや、おおよその性格を説いて、なぜこの書物を丁寧に読んでいくことにしたのか、その理由をあらあら述べておきたい。
 本書は昭和三三年、すなわち虚子の亡くなる前年の自選句集である。京都の便利堂からの依頼を受けたもので、短時日の間に選んだものであるから、本書の価値は、ある程度割り引いて考える必要はある。が、ともかくも虚子が、自分の代表作と認めた百句だったことは間違いない。
 選句の基準については、追々検討を加えていくが、まず揮毫しやすく、たびたび揮毫してきた句であったことは、序で虚子自身が明らかにしている。本書は、虚子の揮毫を写真で掲載し、五十句ずつを高濱年尾と星野立子が分担して、簡単な句の評釈をつけるという趣向のものだった。年尾の跋文によれば、虚子も事前に二人の文章を検したという。
 本書の企画を持ち込んだ便利堂は、明治二十年創業の書店兼出版社である。コロタイプ印刷機を早くに導入し、美術書の出版で信頼を得た。岡倉天心が創始し、今日でも美術史学の権威的雑誌の位置を保っている「國華」は、便利堂の図版印刷の高度な技術が遺憾なく発揮されたものである。
 四代目店主中村竹四郎は、国宝級の貴重書の複製印刷をも数々手がけ、『虚子百句』刊行の翌年には文化功労者として表彰されている。虚子の字は、それ自体が俳句文化の遺産としての価値を持つ、と認識されていたわけである。
 つまり、主役は百句のみならず、その揮毫でもあったわけで、この点には留意しなければならない。書は、運筆から句の呼吸や中心点を確認できる。同じ字であっても、楷書か行書かといった書き分けがあれば、それは句の眼目ともなる。
 一例を挙げよう。小諸市立虚子記念館に残る十二ヶ月十二句の揮毫を屏風に仕立てたものは、展示の目玉だが、「心」を詠んだ句が三句ある。
  鶯や文字も知らずに歌心 虚子
  二三子や時雨るる心親しめり 同
  我が心ある時軽し罌粟の花 同
 このうち三句目のみ「心」はきちんと楷書で書かれ、他の二句はややリラックスした崩し字となっている。三句目は愛児六を失った悲嘆の中で詠まれた句だからである。書道家に聞くと、「心」の字のバランスは、筆をとる者の「心」を反映するのだと言う。
 こうした鑑賞の醍醐味も『虚子百句』にはあることが、当然予想される。年尾の跋文によれば、この頃の虚子は眼が弱って、それが字に出てしまっている、という。確かに、青年期・壮年期のそれから比べ、運筆の力や字配りを焦点化する眼の力の衰えは隠せない。それでも、修練とは凄いもので、序文の虚子自身の言によれば、百句の大方は一、二時間で揮毫してしまったというから驚きである。字の味わいも、私の能力の範囲で解説を試みたい。
 本書の構成は、春夏秋冬・新年の部に分かれ、各部の句の配列は、成立順となっている。従って明治・大正・昭和と万遍なく句が拾われている。『百人一首』が古典和歌そのものの粋であり、歴史でもあるように、『虚子百句』も虚子の句業の入門書にして到達点でもある。これが本書を読む何よりの理由である。
 本書の装幀を担当した福田平八郎(一八九二〜一九七四)についても、簡単に触れておこう。虚子との縁は、『虚子京遊録』(昭和二三年)『喜寿艶』(昭和二五年)に続き、これが三度目である。  大分出身で、上村松園や竹内栖鳳も出た京都市立絵画専門学校を卒業。京都日本画画壇で重きをなす。トリミングやデザイン感覚に秀で、書物の装幀も得意とした。『虚子句集』の竹の絵は、自家薬籠中の画題であったと考えられる。
 本書は二〇一〇年、岩波書店から復刊された。解説は東京大学教授であった、日本近代文学専攻の野山嘉正が担当した。
 最後に一言。平成期、伝統派で、虚子句の解説つき選集といえば、稲畑汀子氏の『虚子百句』が定番だった。虚子自身の選句とは違ったところに新味を出した素晴らしい本だが、時に稲畑氏らしからぬ、非常に硬い内容と文章の評釈があるのは惜しい。この連載は、あくまで虚子の自選に立ち戻り、虚子句の成立事情と、選句の背景を平易に語ることに徹したい。ただし、この自選句集の性格上、私の虚子観・俳句観が問われることは言うまでもない。
1 美しき人や蚕飼の玉襷
 初出は明治三十四年四月三十日の新聞『日本』。季語は「蚕飼」。蚕はふつう四月に孵化して繭籠る。
 初出では「蚕」の題で内藤鳴雪・坂本四方太・河東碧梧桐・佐藤紅録らの各三句も載る、題詠句である。虚子の他二句は〈蝋燭の灯影に白き蚕かな〉〈蚕飼ふや年々ふやす桑畠〉。『新歳時記』にはこの句を採用せず、写生句らしい〈逡巡として繭ごもらざる蚕かな〉を載せたか。
 蚕は食欲旺盛だ。食べ残した桑やフンは蚕網(さんもう)を使って取り除く。蚕は眠る。睡眠と脱皮を四回ほど繰り返して成長すると、絲を吐き始める。ここで蔟(まぶし)という仕切りのある箱に移す。繭籠らせるのである。絹糸を吐き、繭を成す様は、実に神秘的だ。春の陽が漏れてくる中、吐き出されたばかりの絹糸は光そのものである。この過程に、ひと月ほどはかかる。
 蚕網をかけ、桑を与えると、蚕は網目を通り上にあがる。蚕網の下は蚕のフンと桑の食べ残しが残る。網を上げると、蚕とフン、食べ残した桑の分離ができる。蚕の成長に合わせて網目の大きなものへ変えながら使用する、といった具合である。丁寧さと経験が要求される女性の仕事である。
 養蚕は、明治期日本の主要産業だった。欧州では産地の南仏で病害が発生し、需要が高まったのである。巨利を成した者も多い。出荷は横浜が多かった。
 女性は襷掛けで、髪も縛る。明治期の浮世絵等を見ると、襷の色は赤が代表的である。かの富岡製糸工場では、技術のある女工は赤襷をして周囲から尊敬されたという。
 国を挙げての養蚕業振興を宮中���率先して奨励し、皇后美子が手ずから養蚕を行い、浮世絵などで宮中養蚕が喧伝された。皆赤襷で、髪はおすべらかし、すなわち、後ろでまとめた髪に「長かもじ」を継ぎ、水引や絵元結などを掛けて、長く垂らしたのである。
 結髪の問題にこだわったのも、襷掛けの女性は、皆髪を結ったり、挙げたりして、うなじがあらわになる点が一句の焦点だと考えるからである。つまり、「美しき人」の美しさの拠って立つところは、「襷」に暗示される、黒髪と白いうなじだったのだ。
 「玉襷」という言葉は、『万葉集』以来ある言葉で、これ自体一種の神々しさを醸し出す。『虚子百句』の評釈で、年尾が宮中養蚕を詠んだと解したのも一理ある。しかし、もっと重要なのは、「玉襷」は「うなじ」の連想から、大和の畝傍山を呼び出す決まり文句だったことの方である。謡曲の「恋重荷」に用例がある。虚子がこれを知らないはずはない。
 蚕と繭の「白」と、後れ毛を残したうなじの「白」の連想が、この女性の「美し」さを支えるものだったと考えたい。虚子は、和装の女性の髪にはかなり執心した。
 「まあ旦那でいらしつたんですか。どなたかと思ひましてね。お断り申しましたですけれど何だか気になりまして、一寸御挨拶だけに。どうも姉さん有難う。姉さん有難う」と二人に挨拶して末座に坐つたまゝ一寸こぼれた鬢を掻き上げる。
 小光は総髪の銀杏返しに結つてゐるのが仇つぽくて、薄つすらと白いものゝついてゐる額の広々としてゐるのも美しい。 (『俳諧師』)  小光のモデルは、女義太夫の竹本小土佐で、虚子は彼女の語りがかかる東京中の演芸場へ出かけ、追い回したのであった。虚子の眼裏に焼きつけられた美しさは、挙��た髪やこぼれた鬢にあった。
 谷崎潤一郎も言っている。女性美の焦点は首だと(『陰翳礼賛』)。和服で身体が露出するのは、首・手先・襟足だ。首は細く長くなければいけない。「猪首」という言葉を想起すればよい。肌は白くなければいけない。そこにうなじの後れ毛が色気を呼ぶ。
 「玉襷」はその呼び出しであり、それは説明しないことが肝要だから、「美しき」とだけ冒頭に置いて謎を掛けた。だから、『喜寿艶』でも、この句については、木で鼻をくくったような説明しかしていない。
 完全な主観句で、実際にそういう女を見たのか、絵の中の女か、記憶の中の女か、そんなことはどうでもいい。小説家志望で主観派が本質だった虚子らしい、冒頭の一句なのである。『虚子百句』は『新歳時記』のような教育的意義を取り払った、「作家」虚子の選集だった。
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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kennak · 1 year ago
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日本生命が職員の不祥事対応で大きな失態を演じている。 きっかけは2022年8月、同社の阪神支社に所属していた元営業部長(林泰之被告)が、同僚などから金銭をだまし取ったとして、逃走先である島根県松江市の警察署に出頭し自首したことだった。 林被告による犯行をまったく把握できていなかった日生は、慌てたように捜査を担当した兵庫県警に問い合わせたが、どのような供述をしているのかといった情報はほとんど得られなかったようだ。 架空契約などで1億円超を詐取 対応が後手に回る中で、被害を同社に訴えてきた契約者などとの面談を通じて、架空契約や、保険業法が禁じる契約書の代筆といった行為に、林被告が繰り返し及んでいたことが徐々に判明していった。 問題視されているのは、その後の被害者への対応だ。2015年から2021年にかけて、計21回・計1億7975万円を詐取されたと訴えている40代の男性A氏は、日本生命から「これまで一切謝罪の言葉がない」と憤りを隠さない。 しかもA氏の被害の大部分を占める架空契約については、「日本生命の代理人弁護士から業務関連性がないと判断したと、昨年末に一方的に告げられ」(A氏)、現状では被害の回復には応じられないという姿勢を示されたという。 この架空契約は、日生の福利厚生制度である「星友会」の名称を林被告が悪用して、でっち上げたものだ。捏造した募集文書(チラシ)では、「星友会短期積立てプラン」と称し、払い込んだ保険料に対する解約返戻金が2年間で1割増えるという試算表まで載せていた。 加入資格の欄には、「(日生の)役員・職員から推薦があった場合」は加入できるとあり、林被告から「私は成績優秀者なので、特別にAさんを推薦することが可能だ」などと言われたという。もちろん、その注記も林被告が勝手に作り上げたものだが、A氏は林被告の営業部長という肩書きもあって「信用してしまった」と話す。 A氏は林被告と面談するたびに、数百万円から1000万円単位の金銭を手渡し、林被告から「預かり証(借用書)」を受け取っていた。日生はそうした点などから、林被告との個人的な金銭のやり取りのように見受けられると指摘し、業務上の関連性はないとA氏に告げたとみられる。 ただ、今年10月18日に林被告が神戸地裁から懲役5年の実刑判決を受け、被害額の大半が認められたことを踏まえると、昨年末の段階で示した「弁済困難」という日生の姿勢は拙速であり、被害者側の事情を軽視した杜撰な対応だったと批判されてもやむをえまい。 顧客よりも経営陣の顔色を伺っているのか 日生は「顧客本位の業務運営」を経営の基本方針として掲げており、「あらゆる業務においてお客様のご要望に誠実・迅速にお応えし、お客様 本位で行動できるよう、本方針の浸透・定着に取組む」とホームページでうたっている。 にもかかわらず、刑法や民法などにおける義務やリスクにばかり目を向け、被害者の感情を置き去りにするかたちで、杓子定規な対応をし続けてしまったのではないか。 なぜそのようなことが起こるのか。背景には、日生の職員たちが顧客よりも、顧問弁護士や経営陣の顔色を伺いながら日々の業務に当たっているような組織風土が垣間見える。 今回の事案でA氏とやり取りしていたのは、虎門中央法律事務所の弁護士だ。同事務所は金銭詐取といった日生職員の不祥事対応を主に担っており、代表弁護士である今井和男氏は今年7月まで15年にわたって日生の社外取締役を務めていた。
不祥事で露呈した日本生命の稚拙な「顧客本位」 組織内部に透ける経営陣へのいびつな忖度 | 金融業界 | 東洋経済オンライン
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applemusicbonker · 1 year ago
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G01 『ゴジラ』(1954)
スタッフ 製作:田中友幸、監督:本多猪四郎、特殊技術:円谷英二/音楽:伊福部昭/原作:香山滋 、脚本:村田武雄、本多猪四郎
出演:宝田明、河内桃子、平田明彦/鈴木豊明、 山本廉 /村上冬樹、堺佐千夫/小川虎之助/菅井きん/橘正晃、池谷三郎/手塚勝巳、中島春雄/高堂國典/ 志村喬ほか
 第1作『ゴジラ』はモノクロ(白黒)映画。画面は暗く、ボロボロで、役者のセリフもちょっと聞き取りづらい。70年も前の映画であるから、それは仕方がない。映像の保存状態が悪いのは古い日本映画の宿命である。
 逆に言えば、それだけゴジラの歴史は長い。映画の解説というよりは歴史の授業になるが、制作・公開されたのは1954年=昭和29年で、太平洋戦争に敗れ、アメリカ・イギリス・中国ら連合国に対して無条件降伏をした1945年=昭和20年から、まだ10年も経たない頃だった。同じ年に公開された日本映画の名作は『七人の侍』『二十四の瞳』など。そして『ゴジラ』……やはりゴジラは日本の歴史の一部なのかもしれない。なにせ公開の2年前、サンフランシスコ講和条約が結ばれる1952年=昭和27年まで、日本は独立国家ですらなかった。 日本はアメリカを中心とするGHQ(連合国軍総司令部)によって占領されており、 非日常の暮らしが続いていたという意味では、まだ戦争は終わっていなかったのだ。これは現代の人間が「終戦記念日は1945年8月15日」と頭ごなしに覚えてしまうと逆に見えなくなってしまう事実で、 ゴジラと戦争の記憶は現代の人間が思うよりずっと近い場所にいる。
 特撮マニアであれば当然知っていることだが、単にゴジラを単なる日本生まれの怪獣としてしか認識していない人は果たして知っているだろうか。ゴジラはアメリカによる水爆実験の放射能を浴びることによって生まれた古代の生物であり、広島・長崎に落とされた原爆の被害者と同じ、被爆者である。そして、映画公開の8ヶ月前の1954年3月に発生した「第五福竜丸事件」も無視できない。遠洋漁業に出ていた日本のマグロ漁船がアメリカの水爆実験に遭遇し、船員が被曝。平和な時代が来たはずなのにまたもや核兵器による日本人の犠牲者が出てしまい、大きな社会問題となっていた。だからゴジラが海から現われて文明を破壊しにやってくるのは自然か、あるいは神か、何者かの怒りを代弁する行為でもあり、人類が犯した罪をことさらに意識させるものであった。それならゴジラにはその元凶であるアメリカで暴れてもらうのが筋という気もするが、たまたま日本の近海を住処にしていたゴジラは大空襲の記憶もまだ生々��い東京に上陸。ようやく復興の兆しが見えてきた街はゴジラによってふたたび破壊し尽くされる。この理不尽な悲劇の連鎖もまた、戦時中の延長にあるものではないだろうか。ちなみに、映画の中に出てくる「原子マグロ」というセリフは、「第五福竜丸が戻った静岡の焼津港で水揚げされたマグロには放射能が含まれている」という風評被害が出回ったことを指している。
 また、昭和20~30年代の日本映画では、登場人物の肉親が空襲や戦闘で亡くなっていたり、かつて豊かだった一家が戦争を境に貧乏になっていたり、まだまだ日常に戦争が残っていた時代の映画には、戦争映画でなくてもそういう設定が当たり前のように出てくる。本作に登場する芹沢博士(平田昭彦)もそうした設定のもとに描かれる人物で、右目は眼帯で隠れており、それについてはほとんど説明がないのだが、これは戦争で負傷したものだと思われる。そんな社会的背景のさなかに生まれた大怪獣・ゴジラが映画のスクリーンの中でどのように暴れ、観客にどのくらい大きな衝撃を与えたのか? もしかすると、この映画を観ることで当時の日本人の気持ちを追体験できるかもしれない。
 多くの観客に共感し、楽しんでもらうために、映画はしばしば「社会を写す鏡」になる。例えば、生物が放射能を浴びて巨大化、あるいは凶暴化する…という設定は、 『原子怪獣現わる』や『放射能X』など、『ゴジラ』より少し早い時期のハリウッド産のモンスター映画ですでに見られたものだが、唯一の被爆国である日本人がこの設定で映画を作るとなると、単なるエンターテインメントを超えた説得力がおのずと含まれることになる。監督の本多猪四郎(ほん��・いしろう)が終戦までの8年間、映画の現場を離れて従軍していたことも『ゴジラ』に託されたテーマと大きな関係があるだろう。かくして単に怪獣が街を壊すだけの娯楽映画だったはずの『ゴジラ』は、結果として「社会を写す鏡」になった。公開初日=11月3日から観客は映画館に長蛇の列を作り、その一方で新聞や雑誌といったマスコミからは『ゴジラ』は時事ネタをうまく取り入れ、ジャーナリスティックな視点を持った「反戦・反核映画」として、一定の評価もされることにもなった。
 本作の特撮場面を手がけ、のちに『ウルトラマン』などを生んだ特技監督・円谷英二(つぶらや・えいじ)のクレジットは「特殊技術」。あくまでも技術スタッフの責任者、といったところだ。それに当時は「特撮映画」という言葉はまだ生まれていない。映画の歴史の初期からいわゆる特撮を目玉にしていた作品は忍者が忍術を使うチャンバラ映画などいくつかの例があるが、『ゴジラ』以前は「トリック映画」「見世物映画」などという説明がついていた。インチキで、安上がりで軽い。そんなニュアンスが読み取れる。ところが『ゴジラ』はどうだろう? 日本人に戦争のトラウマを蘇らせることも厭わない、容赦のない破壊スペクタクル。未来に生きる我々が戦時中の空気感を知ろうと思うなら、(もちろん戦中の作品を観るに限るのだが)もしかするとこの映画を観たほうがよりとっつきやすい形でわかるような気がするのだ。当然のことながら、この戦争の影を引きずった陰鬱なムードは戦後の復興を経て、シリーズが進むごとに消えていく。その後ゴジラは2代目、3代目と続いていくので、本作のゴジラは「初代ゴジラ」とも呼ばれている。昭和29年という時代のなかで傷つき、苦しみながら産声を上げるゴジラの初姿を、しっかりと見届けてほしい。
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chishiru61 · 1 year ago
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2023年上半期に見た展覧会
0103 大竹伸朗展@MOMAT 0107 パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館 0118 没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡@千葉市美術館 0121 江戸絵画の華【第一部 若冲と江戸絵画】@出光美術館 0121 特別展「毒」@国立科学博物館 0131 アンディ・ウォーホル・キョウト@京都市京セラ美術館 0131 大阪の日本画@大阪中之島美術館 0205 佐伯祐三 自画像としての風景@TSG ★0219 交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー@東京都庭園美術館 *1 0223 YUMING MUSEUM@TOKYO CITY VIEW 0226 マリー・ローランサンとモード@Bunkamuraザ・ミュージアム ☆0226 ヴォルフガング・ティルマンス「Moments of life」@エスパス ルイヴィトン東京 *2 0228 ルーヴル美術館展 愛を描く@国立新美術館 0318 鳥絶技巧 ―渡辺省亭を中心に―@加島美術 0318 DUMB TYPE 2022:remap@アーティゾン美術館 0318 アートを楽しむ−見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館 0325 生誕100年 柚木沙弥郎展@日本民藝館 0329 レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才@東京都美術館 0329 特別展「東福寺」@東京国立博物館 0329 芳幾・芳年─国芳門下の2大ライバル@三菱一号館美術館 0407 建物公開2023 邸宅の記憶@東京都庭園美術館 0409 横尾龍彦 瞑想の彼方@神奈川県立近代美術館葉山 0409 美しい本-湯川書房の書物と版画@神奈川県立近代美術館鎌倉別館 0415 本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション@練馬区立美 術館 ☆0419 クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ@MOT *3 ★0419 志賀理江子×竹内公太「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023受賞記念展」@MOT *4 0421 江口寿史イラストレーション展「東京彼女」@東京ミッドタウン日比谷 0422 今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティ アートギャラリー 0422 エドワード・ゴーリーを巡る旅@渋谷区立松濤美術館 0423 国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658~1716@根津美術館 0423 インターメディアテク開館十周年記念特別展示『極楽鳥』@インターメディアテク 0429 「重要文化財の秘密」 問題作が傑作になるまで@MoMAT 0503 生誕140年特別展 アトリエの朝倉文夫@朝倉彫塑館 0503 「買上展」藝大コレクション展2023@東京藝術大学大学美術館 0505 芸術家たちの南仏@DIC川村記念美術館 ★0506 江戸絵画お絵かき教室@府中市美術館 *5 ☆0507 マティス展@東京都美術館 *6 0527 ブルターニュの光と風@SOMPO美術館 ☆0527 憧憬の地ブルターニュ@国立西洋美術館 *7 0603 大阪の日本画@TSG *8 0618 ベルギーと日本@目黒区立美術館 *9 0623 愛のヴィクトリアン・ジュエリー@大倉集古館 ★0623 木島櫻谷―山水夢中@泉屋博古館東京 *10 ☆0623 伝説のファッション・イラストレーター 森本美由紀展@弥生美術館 ☆0624 ジョルジュ・ルオー ―かたち、色、ハーモニー―@パナソニック汐留美術館 0624 恐竜図鑑―失われた世界の想像/創造@上野の森美術館 0630 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
*1 とても内容の濃い、咀嚼しがいのある展覧会。2時間は見た。これまで断片的には知りつつ、総体としてどのように組み合わさっていたかは正しく理解していなかった、アール・デコ前後の動きの相互関係がよくわかった。ただしそれらは単純に一本の線で示されるものではなく、行きつ戻りつしながら、ジグザグと進んでいく。なるほどそれは「ポリフォニー」であり、カタログなどの「はじめ」から「おわり」に向かうメディアでは説明がし辛く、まさしく展覧会という場で見せるにふさわしいテーマ。結局本の方が、ストーリーを語りたいだけで言えば資料集めやすいじゃんね、という問題が常につきまとう中、まさしくこれは「展覧会」である意味がある展覧会。 *2 写真の見方はいまだによくわからないのだけれど、これが自分の気持ちにぴったりくるものなのはわかる *3 聞きしに勝る資本力。MOTからすれば、ほぼ貸し館的な企画である一方で、牧村虎雄や河野通勢の油絵とのコラボ���ーション展示など、学芸員の矜持を感じるスポットも。 *4 ディオールも吹っ飛ぶ内容。いきなり現れる大型映像インスタレーションから目が離せない。一見無関係に見える2者の展示に通底するテーマに触れた時、鳥肌が止まらない、です。 *5 いくらなんでも面白すぎる。今回のテーマは「お絵かき」で正直ナメてた(ナメてないけど)が、要するに作品がどのようにして描かれてるかを絵師目線で紐解いて、鑑賞者に対して絵をより開いた内容にするという、いつもの金子節。いつもそうだけど、府中の展示で学んだ内容は、後々に他の展示を見るときにジワジワ効いてくる知識なのでありがたい。そんな「お絵かき」というテーマが通底しつつ、後はいつもの「こんなおもろい絵出てきたよ」というご開帳・・この辺の、「春の江戸絵画まつり」定番の出し惜しみのなさは相変わらず凄い。もうちょっとゆっくり見せて!と言いたくなるくらい次から次へ面白い絵が襲来して、頭の中が大渋滞になる至福。あー、前期も来ればよかった。 *6 僕はマティスが好きなのでありがたく拝見したけれども、展覧会としてはややボリュームに欠けたのは正直なところ。そもそも、ポンピドゥーセンターのコレクションだけでは確かにちょっと難しいよね・・・一方で、時代順のレトロスペクティブの形でマティスを見るのは初めてで、どの時代の絵も「ああマティスだな」と思う絵なんだけれども、その前後関係を復習できたのは面白かった。あとは彫刻のセクション、あそこがもう少し、マティスの画業とどこまで結びついているのか丁寧な説明があると良かったな。「形態」っていうキーワードは何回か出ていたけれども、結局は色彩の話に隠れてそのテーマが見えづらくなっていたような気がします。 *7 さる筋によると本当に偶然テーマが被ったみたいですが、これは2本まとめて見るべき展覧会だったなと。ホワイトインターナショナル企画の方が扱っている時代と流派の幅が広くて、いくつもの絵画の流派を通して、「ブルターニュ」という題材が繰り返し変奏されていくような構成が面白かった。一方で、絵画として見ごたえのある作品が多かったのは当然西美の方だったのだけれども。。リュシアン・シモンの絵画は日本人好みな感じがした(当然僕も好き)、今後その画業に光が当たることはあるのだろうか。 *8 大阪で前期見たけれど、案外後期の方が好みかも。 *9 ベルギーに学んだ日本人画家(とその師匠)の作品や、ベルギー美術の日本における受容の様相を紹介する試み。展示の中であまり総括のようなセクションがなかったので、図録の巻頭エッセイを読んだところ、「ベルギー美術の日本における受容は散発的かつ偶然のものにすぎないが、ベルギーは小国というハンデがあるし、そもそも海外の美術の流入などはもともと偶発的なものである」的なまとめ方がされていて、なんと正直な、と。確かに、わざわざテーマ設定をしている割に、さほど大きな影響関係が見られるわけではなく、そういう意味では練馬でやってた「日本の中のマネ」にちょっと似ているなとも思いました。 *10 とても良かったです。色��使い方とか、とても好みだった。日本画で素直に「あ、いいな」と思えたのが初めてだったので、それが嬉しく、思わず画集を手に取る。木島櫻谷は図版でしか見たことがない画家だったので、やはり日本画は(もちろんなんでもそうですが)実物を見ると違うな、と思った次第。
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hi-highmt · 2 years ago
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紅葉の天城縦走路
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山サークル向けに、初めて宿泊企画を出してみました。時期的に標高の高い山は積雪の可能性もあるため、少し遠出して伊豆半島の100名山、天城縦走路と達磨山をそれぞれ日帰りでハイキングという内容です。
今回は参加者が全員健脚メンバーだったので、当初の予定を変更して天城峠バス停へと下る「上り御幸歩道」経由(天城縦走路)にルートを変更。 ロングコースで予定のバスの時間ギリギリにはなりましたが、歩けて達成感もあり大満足!
朝は伊東駅に集合し、そこからバスで天城高原ゴルフ場へ。 駐車場でトイレを済ませ、いざ天城縦走路へ!
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四辻まではあっという間。
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杉苔が綺麗です。
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この辺りは苔むす森という感じ。
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階段には紅葉がハラハラと…
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この辺りは鮮やかな紅葉の絨毯のようでした。
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景色に見惚れているうちに万二郎岳に到着!
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お次はあの奥に見える万三郎。 ここからの紅葉もまた良し!
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下に見えるゴルフ場手前の紅葉が色とりどり♬
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段々とガレ場が増えて来ました。
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シロヨメナが花盛り。今日見た花は殆どがシロヨメナ。 メンバーに名前を覚えて欲しくて途中何度かクイズを出すも、なかなか覚えてくれないのは何故?(苦笑
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木々の向こうに万三郎岳が見えて来ました!
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紅葉のグラデーション!
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万三郎岳にとうちゃこ! 百名山だけあって、山頂は賑わっていました。 我々もここでサクッとランチ。
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苔と紅葉のコントラストが美しかったので、思わず撮影。
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小岳までやって来ました。我々は八丁池を目指します。
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ブナの群生地。 この辺はブナの落ち葉が敷き詰められて、歩く度にシャクシャクと音が鳴るのが楽しかったなー♬
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紅葉も真っ赤!
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撮っても撮っても素敵な紅葉が登場します。
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この道はトンネルのようで楽しかった♬
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ようやく八丁池に着きました!ここで10分ほどの小休止。
ヘリの音が煩いな〜と思っていたのですが、この頃遭難された方いたようで…。 後で知ったんですけどね。その方は自力で無事に下山されたそうで何より! 天城山、実は遭難事故が多い山なのだそうです…。
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リフレクションも美しい…
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青空に紅葉が生えますねー
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せっかくなので、トイレ前の道から少し奥にある見晴台にも登ってみました。
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おぉ、八丁池の全貌が見える! 狭いので休憩などには向きませんが、登ってみる価値ありです。
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これから歩く縦走路でしょうか? こちらも山肌が色付いてますね。 この景色はここからでないと見えないかも。
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上り御幸歩道をグングン下って、ワサビ田まで来ました。 「天城越え」の歌詞にも出てくる山葵沢とはここのことかしら?
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ワサビ田から登り返し、かなり荒れた道を進むと旧天城トンネルへの分岐に出ました。 乗りたいバスは16:09発。微妙だ〜
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駆け足気味で、旧天城トンネルまで下ってきました。 本当はトイレにも寄りたくてこちらのコースに変更したのですが、バスに間に合うかどうかの瀬戸際だったため寄らずに先を急ぐことに。 慌てて撮ったので写真もピンボケ。
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バスの到着2分前に天城峠バス停に到着! 良かった、何とか間に合った〜
天城山、紅葉が見頃で選んで大正解でした♬ また石楠花の季節にも行ってみたい…。
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修善寺温泉入口のコンビニで買い物後、修善寺温泉街に着くと、すっかり夜。 17:30前だけど、やっぱり秋は日が短いですね。
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ここが本日のお宿、Hostel knot修善寺(ホステルノット修善寺)。 古民家をリノベーションしたそうで、キッチン、シャワールーム完備です。 1Fのリビング(板の間)では静かな飲み会も出来ました。
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お風呂は近くの民宿福井の温泉へ。 宿にもシャワーがありますが、徒歩2分の距離で300円なのでそちらを利用。
夕飯は韓国料理のオモニ食堂で焼肉を堪能し、食後はライトアップされた日枝神社にも寄ってみました。ここは子宝の神様のようです。
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竹の小径も散策してみました。
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こちらが今夜の寝床。 6人貸切のお部屋を予約したので、ドミトリー部分の手前に広めの板の間とドレッサーが付いています。
そして各個室に貴重品入れとヘアアイロン、ミラー(カーテンで隠されています)、コンセントとハンガーまでありました。 お布団はフカフカで清潔感があり、また利用したいお宿の一つとなりました。
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abeya38 · 2 years ago
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(なぜ小さな町のコーヒー屋がここまで支持されるのか?その秘密を探るから)
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けふも珈琲を淹れてゐたのだが、気になつてゐた抽出される成分とそのタイミング。具体例でいへば、前半と後半ではどのやうな違ひがあるのか。ネットで調べてゐたら、「珈琲きゃろっと」といふ北海道のお店を発見した。 きゃろっと式ドリップも試してみよう。モカポットが届いたらアメリカーノも試してみたい。 さて、こちらのお店だが「近江商人の三方良し」を体現してゐるかのやうだ。 嗜好品である珈琲の業界では生産者から消費者まで個性的な人が多いやうに感ずるのだが、嗜好や拘りを持つといふ事はある種の偏りが生じる。その上で「三方良し」を実現するといふのは困難であらうが、逆に実現してしまへばそれはより強固なものとなり得るのだらうか。 ニッチな業界といふ側面でいへば無線操縦模型、いはゆるラジコンカーの世界だと、北海道にも所縁のある福井の「レディオガガ」の高橋氏が有名であり、私が入門する際にも一から参考にさせて頂いてゐる。 また自作PCから家電、そして注文住宅まで、率直な(辛辣な?)レビュアーであり、愛すべきキャラクターであるYouTuber「吉田製作所」が興味深い。 そして個人的には珈琲の場合、岡山の「暮らしと珈琲」のぼく(脇山)氏がその立ち位置となつてゐるのだが、彼の熱意と行動力、戦略性には素晴らしいものがある。事業家としての面白さといふべきだらうか。 私見だが、「三方良し」を成立させる爲に必要な本質的な部分とは、偏りのあるなしよりも、その業界全体の「民度」に依存する。 近江商人や三方良しを基軸として記事を書くと「保守的」・・といふよりも「因習的」だと誤解されるのだが、永続的に「三方良し」を実現するとなれば「世間良し」がネックとなる。ひたすらに「伝統だ」「堅持だ」といふだけでは当人とその支持者、既得権益者だけの蜜月にしかならない。 業界の通例もそれが悪弊であれば打ち破る気概が求められる。これは珈琲きゃろっとの焙煎でいへば、職人技であつた焙煎に科学的なメスを入れた訣だが、職人やその技術を変に神聖視する人達からはかなり反感を買つたはずだ。無論、職人の研鑽を軽く見てゐる訣ではないが、「世間良し」の視点から見た場合にそれは神聖性を維持するべきか、解明するべきかの判断が求められる。 太平洋の島々に訪れた黒船(蒸気船)に対して、それを神聖視するのはその人々の勝手だし、その信仰心は尊重もする。しかし、その結末を知る立場からすれば、そのやうに信じ込んだ人達に対して私達��できる事は、科学的な視点からいくつかの事実を提示する事だけであつただらう。 客観的な視点を持つ事の重要性は、言葉でいふだけなら簡単だが、自身が当事者となるとまるで話が違ふ。 何から何まで自覚的であれ、思考停止するな、とはいはないが、せめて自分が興味を持つ分野、趣味の範囲だけでも、その発展を妨げるやうな態度はとるべきではないと思ふ。 それが自分の望むベクトルでないとしても、それを明らかにしてくれた当人に対して、精神疾患なみの幼稚なヒステリーをネット上で発信するといふのは甚だ論外だし、意見を述べるにしても、匿名のその他大勢でゐる事はやめるべきだ。 「世の中やインフルエンサーがどうであれ。自分は自分の道を征く。」といふ軸があれば、それで良いではないか。「新たな可能性を試して受け入れる」柔軟性や度量があれば、尚良いだらう。 もちろん「トラディショナルな雰囲気が好きで」とか「昔ながらの」「懐かしさが」といふ気持ちもよく分かる積りだし、それはそれで大切だ。 私がいひたいのは単に「物事への分別を持ちませんか?」といふ事だけであつて、その個々人の趣味嗜好や価値観をどうかうといふ話ではない。 その上で、それ���の事が出来ないといふ人達は、要するに真の意味で「社会不適合者」であるから、退場するなり、隔離するなりが必要だ。 やや厳しく聞こえるだらう事をいつてゐるが「匿名の無自覚な社会不適合者」を量産し続けてゐる戦後日本といふ社会は、このままでは必ず破綻する。 「破綻するならするで仕方がない」「海外に逃げれば良い」といふ意見も分からぬではないが、破綻させるにしては素晴らしい技術を持つ老舗企業が欧米気触れのコンサルの意見に従ひ、ハゲタカの餌になるといふのを喜ぶのはハゲタカの片棒を担ぐ「人でなし」だらうし、海外への移住としても、その人の祖国といふ総合的な背景がどうであるかは無視できない。裸一貫、独力でやれるといふ人はそもそもどこで何をしようと好きにすれば良いのだが、その人はどこで生まれ育ち、教育や資金はどうであつたのか。根源を忘れるべきではない。 因みに私は日本政府自体、政治家や姦吏がどうならうとも興味はない。神代の時代から私と子等へと繋がる祖先からの命脈、そしてそこに付随する環境や文化に対して感謝と報恩があるだけだ。いふなれば日本國體とでもいふものに対しての忠義であり、同じ祖先を頂くとしてもそれを破壊する方向に向かふのならば同胞といへども賊である。あくまでも仮にだが朝廷が國體破壊の方向に舵取りをすれば、保元の乱平治の乱の折と同じく国賊となり得る。 「其の分れる所は、僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなす積もり。」 どの業界でもそれぞれに抱へた全体の人数に対して「匿名の無自覚な社会不適合者」の割合が一定域(閾値)を超えれば、昨今ではとかく閾値が下がる風潮でもあり、事業者は馬鹿を相手にした事業展開をせねばならなくなり、コンテンツは無難でつまらないものになる。 この「家畜化スパイラル」とでもいふべき渦に入れば、多様性は失はれ、最終的には価格だけが価値基準の安売り競争に巻き込まれる。安売り競争の最終的な皺寄せはいつも消費者や納税者といふ一般大衆に来るといふのが、客観的、歴史的な事実である。経済といふバッファ(緩衝材)で吸収できなくなれば軍事的な問題へと発展する場合も多々ある。 「三方良し」が成立し得ない業界は衰退するが、「三方良し」を成立させる爲には業界内の社会不適合者を間引くか、分別ある多数派層を維持し続けるしかないだらう。 珈琲きゃろっとのインタビュー記事を読み、私が連想したのは狩猟社会であつた。確か書籍「スマホ脳」でも紹介されてゐた筈だが、狩猟社会はその主構成員にとつて、とても理想的な社会であつた。その理由は端的に不適合者の排除にある。現生人類は狩猟社会で圧倒的な死因第一位であつた「間引き」への警戒を遺伝的に強く持つ個体が多いといふ点は自覚せねばなるまい。 確認するが、私は狩猟社会ほどの厳しさを求めてゐないし、3名の応募枠に100名が殺到するといふ熾烈な競争率よりまだ甘い。 私の主張といふものは、かなり「ゆるふわ」であるといふ事実を心の片隅に留めて頂きたい。 己に軸を持ちたい。覚悟完了したい。 幸せになりたい。ひたすら楽して生きてゐたい。真に自由でゐたい。 そのやうにお考への諸兄姉にお勧めなのが、こちらだ。 ■ 祭祀の道 http://kokutaigoji.com/suggest.html ■ 國體護持總論 http://kokutaigoji.com/books/menu_kokutaigojisouron.html
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