#福井の神社のある風景
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kennak · 2 months ago
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「何度も理不尽に集められて、おかしいなと思いました。『人が死なないとわからないのかな』と。そして、『もう死んでもいいかな』と思ったんです。こんなに辛いならもういいやって……」  福井県鯖江市の福井工業高等専門学校(福井高専)の学生だったシュウくん(仮名、20代)は、在学中に寮で上級生からいじめを受け、自殺未遂に追い込まれた。背景にあったのは、寮内の厳しすぎる上下関係だった。  シュウくんが福井高専に入学したのは、コロナ禍の2020年4月だった。半年間のオンライン学習を経て、9月からいよいよ寮に入ることに。しかし、その際に伝えられた寮生活のルールを、シュウくんは「時代にそぐわない」と感じたという。  記憶によれば、そのルールは以下の通りだ。 ・先輩には下級生から挨拶をすること ・先輩に聞こえる声で挨拶すること ・食堂及び浴室への入退室の際に挨拶をすること ・お風呂のシャワーを使うときには風呂場にいる上級生全員の許可を取ること 「寮に入る1回目のオリエンテーションの時から、含みのある言い方をされました。『ちょっと指導することがあるかもしれないですけど、それはみなさんをいい人にするためですから、気にしないでください』って。どういう意味だろうと思ってインターネットで調べると、ネット上の情報として、そうした話が出てきました」 「帰ってきたら挨拶されんってどういうことだ。お前何聞いてたんや」  実際に寮生活が始まると、シュウの不安は現実のものになった。週に1回ほどの頻度で50人ほどいた1年生全員が食堂に集められ、上級生から“指導”を受けるのだ。 「1年生の誰かがルールを守らなかったという理由で全員が集められ、バシバシ言われるんです。これは伝統的に続いていたみたいでした。ただ叱責される理由が理不尽で、『なんかおかしくないか?』『何かあったと��に自分で身を守らなきゃ』と思い、こっそり録音したんです」 シュウくんが自殺未遂をした部屋  シュウくんが録音した“指導”の様子には、挨拶や風呂のルールについて強い口調で怒鳴りつける上級生の声が残っている。 「挨拶してさ。俺、ドア出るやん。トイレから戻ってきたらまた会うやん。もう絶対挨拶せん、そいつら。1日も挨拶せん。他のやつもだ。さっきもな、帰ってきたら挨拶されんってどういうことだ。お前何聞いてたんや」 「風呂の時間や。(夜)10時に入っている奴、9時に入っている奴、いるんだわ。9時までって知らんか。おめえら、何度言ったらわかるんか。昨日は10時に入っていた奴がいたらしいわ。誰とは言わん、どうでもいい。9時までってルール決めてんのにさ、それ以降に入るってどうかしてるって。時間ぐらい守れよ」 しかしシュウくんによれば、ルールの多くは実際には存在しないものだという。 「寮生手帳に消灯時間は書かれていますが、入浴時間は書かれていません。上級生が言っているだけ。風呂のルールもそうです。入浴時間については、先輩方は勝手に9時までとか言っています。お風呂に入ってシャワーをあびるときは、上級生全員の許可を取らないといけない。しかもちゃんとやっている人も含めて全員呼ばれるんです」  驚くべきは、この指導が教師の目の前で行われていたということだ。教師はなぜ止めに入らなかったのだろうか。 「教師が気づいていないわけがないですし、上級生が指導している場面に立ち会っている教員もいました。ある教員に相談したこともありますが、『それはいじめでもなんでもありません』と言い切られてしまいました。これは先輩たちからのいじめを、先生が容認していたってことだと思います」 「人が死なないとわからないのかな」「もう死んでもいいかな」  そもそも納得できないルールであるうえに、自分は守っていても何度も集められ怒鳴られているうちに、シュウくんの内にはストレスが蓄積されていった。 「自分はちゃんとやっているのになんで呼ばれているんだろう、呼ばなきゃいいのにと思っていました。それに上級生が怒鳴っているのを教員が黙認してるのも『やばいな』と。自分がこれで精神を病んだとしてもちゃんと証明できるように、録音は続けていました。でも『人が死なないとわからないのかな』という気になって、『もう死んでもいいかな』と思うようになっていったんです。こんなに辛いならもういいやって」  入寮から2カ月も経っていない10月14日、シュウくんは自室のベッドで首にベルトを巻き、自殺を試みた。問題提起のためと考え、その模様をXで中継もしていた。そのため、中継を見ていたと思われる外部の人物から学校に通報があり、職員が駆けつけ大事にはいたらなかった。 「学校を欠席していたため、担任から電話がありました。欠席の場合は担任に連絡をしなければならないのですが、このとき、連絡しなかったのだと思います。はっきりとは覚えていませんが、その際に自殺しようとしていたと記憶しています」  自殺未遂から約1カ月後の11月30日にシュウくんは退寮して自宅から通うようになったが、シュウくんが自殺未遂の原因を話さなかったこともあり、学校はいじめに関連した問題とは扱わなかった。  しかし自殺未遂後にカウンセリングを受けたときに、シュウくんは同じく寮生活が嫌になって福井高専を辞めた学生が過去にもいたことを知った。 <学生A(※編集部注:シュウくん)は、過去にも同じような目に遭っている学生がいたのに福井高専は何も対策を講じてこなかったのだと思い、言っても無駄だという諦めの気持ちが芽生えた。また、寮生活や寮の先輩からの指導にうまく馴染めなかったのは自分が悪いからだと思うようにした。そのため、寮生会の役員から受けていた理不尽な指導がいじめに当たると考えることはできなかった。それ以降、学生Aは、教職員に対し、もっぱら勉強の悩みや家庭の経済事情について相談をするようになり、学寮内での寮生会による指導の問題点については口にしなくなった>(報告書) 「あの寮の先輩たちも社会に出てのうのうと生きているのかな」  シュウくんは2023年に4年生になり、インターシップを体験した。学校の外側の社会に触れる中で「あの寮の先輩たちも社会に出てのうのうと生きているのかな」と思うようになり、寮生会の役員たちを許せない気持ちが再燃したという。  また、プログラミングの全国コンテストに出場する中で、他校の学生にも「うちにもあったわ。寮のいじめ」などと言われ、福井高専だけの問題ではないことを知り、理不尽な“指導”のフラッシュバックが再発した。  そして2023年の10月、シュウくんはXに寮内で受けたいじめについて話す動画を投稿した。 「初めてポストしたのは10月31日でした。翌日には『うちの学校も同じだ』というようなメッセージが何百件も来ていて、やるせない気持ちになりました。後輩たちを同じ目にあわせたくない、自分と同じ思いをしてほしくないという気持ちが強くなりました」 「まだ許せないという気持ちが心の中にありました」  自分が受けたものと同じイジメに多くの人が苦しんでいることを確信したシュウくんは、より詳細に内容を記した投稿をXで公開した。すると11月2日に学校側から呼び出された。 「呼び出された時に、寮内でのいじめについての調査を学校に要望しました。学校からは『証拠があるなら出してください』とも言われました。その後15日ごろから精神的に不安定になり、死にたいと思っていました。異変を察した母親に16日に病院に連れていかれ『うつ病』と診断され、閉鎖病棟に入院することになったんです。入院した部屋には、窓と布団しかありませんでした。それでも、まだ(寮の先輩たちを)許せないという気持ちが心の中にありました」  シュウくんは入院中に、調査委員会の弁護士からヒアリングを受けた。 「入院中は2回、話をしました。スマホで録音した“指導”の音声もその時渡しました。長くても1時間くらいだったと思います。当時を思い出して話をすると正常な精神状態を保てず、何回か泣いたりしてしまいました。入院中の2回以外には、弁護士が家にきて少し話をしたこともあります」  後に設立されたいじめ対策委員会は寮の学生たちにアンケートや聞き取り調査を行い、シュウくんが訴えていた「いじめ」の多くが事実であったと認められた。認定されたのは以下のようなものだ。 「学寮には寮生手帳や規則に明記されていない理不尽な『寮の伝統』 や『暗黙のルール』があり、1年生だけがそのルールを守らないといけないこと(例)1年生が浴室のシャワーを使う場合には、その場にいる上級生全員の許可を受ける必要があること」 「ルールを守らない1年生がいると、1年生全員が寮生会役員から呼び出しを受けて連帯責任として指導されること」 「寮生会役員から指導の際に怒鳴られたり、乱暴で威圧的な口調で叱責を受けること」 「シュウくんが居室の前に揃えて置いてあったスリッパを誰かにバラバラにされてしまい、自身の言い分を聴いてもらえないまま、寮生会役員から指導を受けたこと」  福井高専の責任も認定し、「上級の寮生らによる集会時の指導に立ち会っていた教職員がいたこと、 以前から上級の寮生らが消灯時間後に見回りを行い、 違反した1年生に対して指導していたこと、また他にも浴室の使用に関する指導を続けていたこと」などを挙げて、「福井高専の危機意識は甘かったと言わざるを得ない」とした。  しかしシュウくんは「この調査結果では無視されている部分がある」という。 「訴えたことがほぼ事実認定されたのはよかったです。ただ学校は責任を認めているのですが、指導していた上級の寮生がその指導を“楽しんでいた”ことが書かれていません。教師が立ち会っていたことの重さも軽く書かれているように読めます」  報告書にはこうある。 <当該集会後、学生Aが何かの用事で食堂に戻った際、寮生会の役員たちが集まって笑いながら、『もっと怒ってやればよかったな』と会話をしているのが偶然耳に入った。そのことで寮生会の役員たちは1年生のことを思って叱責したのではなく、自分たちが楽しむために叱責していたのだと思い、強い不信感と腹立たしさを覚えた>  たしかに「上級生がいじめを楽しんでいた」という点は、シュウくんが感じたこととして書かれている。その上で、こう指摘する。 <学生Aは、寮生会の役員から怒られないようにするために常に緊張感をもって寮生活を送るようになっていた。それでも、連帯責任を理由に寮生会役員から叱責を受けることはなくならず、理不尽と思える指導やルールに従うことに次第に耐えきれなくなっていった>  結局、シュウくんは福井高専を4年で中退することになった。現在は就職して働いているが、学歴としては「中卒」の扱いになっている。 「入院したことで出席日数が足りず、中退しました。そのときも進路のサポートはありませんでした。今でも、私の4年間はなんだったんだと思うことがあります」  取材中も、過去のことを思い出して苦しい表情を何度か見せたシュウくん。報告書によると、シュウくんが入寮していた年度が最も理不尽な指導があった時期だったことがアンケートからわかっている。寮という閉鎖空間で苦しんでいる学生が減ることを望まずにはいられない。
「���ャワーを使うときは上級生全員の許可が…」福井の名門高専で起きた“壮絶イジメ”で自殺未遂に追い込まれた男性が語る、上級生への「消えない感情」 | 文春オンライン
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foucault · 4 days ago
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かつての福岡ビル・天神コア・ビブレ跡地に新たに建った ONE FUKUOKA BLDG. 略称「ワンビル」が本日全館開業とのことで、まことにおめでとうございます。
福岡市営地下鉄の天神駅で降り、天神地下街からそのまま歩いて「ワンビル」に入り、エスカレータに乗ってあがってゆくと、鹿児島睦さんが手掛けた象嵌タイル "Mi volas paroli 私は話したい" が壁面のあちこち、地下二階から地上四階まで描かれているのが目に入ります。さまざまな生きものたちのなかには、かつて福ビルにあった「NIC」に勤めていた鹿児島さんらしく、NICのシンボル「シマウマ」の姿も。「じゃあ、一階の犬のあたりにいるね」「買いもの済んだら二階のキツネのところで」などの声が交わされ、いろんな人の出会いがこの場に生まれることかと思います。
今回、FACT(Fukuoka Art Culture Talk)の一員として、壁画制作の記録を一冊にまとめる機会をいただきました。ということで撮影は重松美佐さん、デザインは三迫みさこさんという、僕にとっての最強のお二人にお願いして制作いたしました。
冊子には象嵌タイルの画像だけでなく、設置計画と監理に携わったリズムデザイン・井手健一郎さんと鹿児島さんによる対談「都市の記憶を壁にかたどる」や、2019年に開催したNICに関する座談会、昨年9月のAFAF(ART FAIR ASIA FUKUOKA)における本作品に関した座談会なども収めることができ、後世に残す資料としてなかなか貴重な一冊となったのではないかと思います。制作にあたっては西日本新聞社の鳥越さん、そして西鉄の皆さんに多大なご協力をいただき、ありがたかったです(一度だけ僕のカイリューが暴れましたが……)。
この冊子、西鉄さんへの報告書として制作しているため、広く頒布されるタイプの印刷物ではないのですが、いつかどこかで広くご覧いただける機会が来ることを願っています。店には見本を置いていますので、ご興味ある方はお声かけください。
新たな街が立ち上がり、街の風景が大きく更新される現場に立ち会う機会、何よりも鹿児島さんの作品制作に関わることができる機会をいただき、とても嬉しい仕事となりました。ありがとうございます。そして「ワンビル」が街の人々に末永く愛される場になることを深く深く願っています。
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kyotomoyou · 2 years ago
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【福井県】平泉白山神社①
①だけど前の続き
苔とか御手洗池とか
御手洗池は鳥居があって
それが入るように撮るのが定番ですが、
単に知らずに(気づかずに)逆から撮ってしまいました
(2021/05/13撮影)
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manganjiiji · 1 year ago
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よゆうよけいよわい
何もしない日々が続いている。何もしないではなくて、眠っている。眠って体を回復させようとしているのだと思う。昨日も今日も、朝から夜まで寝ていた。今日は午前中風呂に入って頭も体も洗った。ジムの予定を入れていたが、この疲れ具合では行けないなと判断しキャンセル。応募した契約社員の書店求人からは連絡がない。ぐーすか。夜はまたロッテリアをウーバーイーツした。2日連続。コンビニまで歩いていくことさえできない。ただの疲労だが2日間も動けなくなるなんてまったく面白くない。明日は病院2件。脳神経外科とカウンセリングを梯子。藤井風の新曲が出ているのでは、ということにしゃぶしゃぶ屋でかかっていた有線で気づき、iTunesに「花」を入れる。歌で思い出したが、あんスタのマヨイさんの曲で「要らないなら捨てればいい、必要なら得る��かないさ」みたいな歌詞があり、これは聞くたびにその通りだな、と思い感動してしまう。オタクにはイメソンという文化があるのだが、私は歌詞(言語)がなんらかのキャラクターやカップリングのイメージに繋がることはない。音楽、つまり音の総体と時間の推移から得られるひとかたまり(メロディやフレーズと言いたいのだが、それよりももっと音全体、全て)で言語の意味を排したものしか、イメソンとして捉えられない。言語はわたしが考えるので、誰かの言語をもう一度自分の物語には使えない。ということで、歌の歌詞はキャラクターやカップリングに当てることなく、純粋に自分の人生に照射させる。さまざまな歌にいままで自分の生きるこの瞬間を応援されてきた。この瞬間もだし、未来もそうかも。まあ、未来を思うこの瞬間の自分ということだけど。そういう時の歌詞は結構シンプルなものが多い。だから結局はこれも、言語というより音楽自体に励まされているのだろうと思う。なにか歌詞ばかり重視される「イメソン文化」みたいなものが、私と音楽との相対の姿勢とそもそも馴染まないなあとよく思っている。ミュージカル刀剣乱舞のadditional timesみたいなタイトルの曲にも昔一時期すごく励まされた。今聴き返してみた、今でも好きだ、かなり…。死ぬほどうつで毎日どうすればいいかわからなくて無職で一人暮らしをしていて、という時期にこの歌を聴きながらとにかく歩いていた。あの頃どうやって生きていたのか、全く思い出せない。今立ち上がれば未来は逃げない。今立ち上がれば心は負けない、まだ全てが終わったわけじゃない。BL編集部に正社員で採用されたものの、やばい会社すぎて1週間で辞めた。働く気力も引っ越す気力もなく、そのまま会社の近くのアパートで貯金を使って生きていた。もう何歳の時の事だったのかもよくわからない。その時も結局実家に帰り、数年の療養ののち、やっと地元でアルバイトできるようになってから、最終的にまた上京した。記憶力が悪いというか、そもそも記憶する能力がやる気を全然出さないため、過去はいつも私と切り離されている。断片的には思い出せるが、自分の記憶というよりは、その時代の私という人間(他人)に付随した映像や声という感じだ。毎日すごい勢いで自分という人間が変わっていくので、1週間もすると、もう別人になってしまう。でも私の周りの人々は私を継時的に外側から見ているからか、私にも一貫性(というか、私の人格がもつ特徴)というものがあると思えるらしい。私も私の性質を一応わかっているつもりだが、おそらく他人の方がよくわかっていると思う。私は私の体が見えなくて���いつい意識だけの存在と思いがちになるので、その意識が「これだけ変わってしまったんだから、もう別人だ」とよくジャッジする。しかし実際には私は私の体というものを通してしか他人に認識されない。その体は特に変化せず存在しているので、私の中身が物凄い速さで流転していることは私にしか分からない。私にしか感じられない。私は十分に日毎に違う人間になっているような気がするのだが、他人からはそれは見えないので、人間としてひとつながりに見える。私にはそうは見えない。不思議な段差だ。
大学の編入学の試験が終わり、面接でのアドバイス通り、福祉社会学のある国公立大学に行き、4年間勉強しようと思う。そうするとまだまだ貯金が必要なので、一旦また数年働く必要性がある。そういう結論が出てまあまあ楽な気持ちになった。友人のジェルネイル検定のハンドモデルに関しても(恙無くはなかったが)終わり、やっと動くのをやめていい、となったのが昨日で、一日休みにしておいたのだが、今日になっても全然回復しなかった。自炊できるほどの気力が戻るまでにあと何日かかるだろうか。たくさんの夢を見て、絶対に父母や兄が出てきて、寝ているだけでも精神的にかなり疲れる。「お雑煮」という話題があるが、つまり実家や生まれた場所ではどんな味でどんな具のお雑煮だったのか地域差があっておもしろい、という話題で、その際に母が正月に作ってくれるすまし汁から湯気が上がっている食卓の光景や、それに餅をいくつ入れるとか話してもちを焼いたりしている父や兄や母の朝のことを思い出すだけで、ああ、これは人に話せる範囲の家族の話だけれども、とても人に話す気にはなれない、ということを思い、どっと疲れる。食卓というのはおおよそ全ての事件が起こった場所で、そこは最悪だったが、たしかに幸せを感じたこともあった。さまざまな光景が何重にも被さって映される、そして幸福の象徴としての正月元旦の朝。家族のことはもうできるだけ思い出したくない。幸せもたくさんあって、というより幸せばかりの記憶が残っている。私の心が潰れたことに関しては、もはや私の中にしか残っていないし、どんどん忘れていく。私が生物としてどんどん弱っていき薬なしで生きられなくなったことは、私しかその理由を知らない。それで全く問題ない。復讐心というものも、もうすっかり消えた。どうでもよくなった。そんなことよりこれからの自分の人生をどうするかということに比重がかかっており、良い事だと思う。時間が何もかもを解決する。とくに私は記憶力が弱いため、悪いことも良いことも、どんどん忘れてしまう。だから常に新しい「いいこと」を求めて動き回っている。自分には感知できないところだが、過去の「悪いこと」を早く帳消しにしたいがために、必死なのだろうなと思う。自分が未来に対してあまりに���天的だなと思う時もあるが、基本的には楽天的な人間ではないと思う。でも楽天的な人間だと喧伝して回っているうちに、たぶんそうなれるので、楽天的と言うことにしている。とくに社交的な性格とは真反対だった人間だが、最近では社交的で人見知りしないことが事実と思われるような時もあるので、言い聞かせたり他人にそのように自己紹介することは自分を変える上でだいぶ有効である。被り続けたペルソナは自分の顔になる。このことは身をもって事実だと感じているが、やはりペルソナの下の部分も消えるわけではないので、そのことに自覚的であるほうが、難を切り抜けやすいと思う。
2023.12.4
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注���渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2mossk · 1 month ago
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漢のひとり旅2025春②
DAY2
2日目は福井県敦賀市を散策しました。
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駅でミスドのロイヤルミルクティとパイを購入。朝食はサンダーバード車内でゆっくり食べよ~^^と思っていましたが…
サンダーバードって全席指定席なんですね。乗る前に気づいてよかった。慌ててネットから席を予約しました。女性専用車両に乗ったのですが平日にも関わらずほぼ満席でした。
本来なら50分ほどで着くはずでしたが、この日は強風のため徐行運転で、20分ほど遅れて敦賀に到着しました。人生初北陸上陸です🗾㊗️
目的地方面のバスの本数が少なかったので観光案内所で相談したところ、レンタカーを勧められたので言われるがまま従いました。
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レンタカー屋に居たフレデリック
知らない土地を運転するのに抵抗がありましたが自分が普段乗ってる車と同じ車種のものを借りられたのでなんとかなりました。
まずは常宮神社を目指して車を走らせます。
途中、通りがけにあった気比の松原に寄り道しました。
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灰色の空 雪化粧した山 荒れ狂う波…
早速イメージ通りの日本海側の景色を拝むことができ感無量でした。仕事で飽きるほど内海の景色を見ていますが地元では見られない寂しげな海です。クッソ寒い中しっかりと目に焼き付けたところで車に戻りました。
海沿いの道を進んでいくと常宮神社に着きました。 1本道なので分かりやすかったです。
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入り口から良い雰囲気
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境内の道路沿いにある休憩所?から撮影 めちゃくちゃ絵になる
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どこを切り取ってもかわいい
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左右の小さな祠に1匹ずつ小さな狛犬がいました
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しっかりとお��りをし、御朱印をいただきました。こちらの御朱印のデザインが可愛く、今回の旅の目的のひとつでした。
梅と犬のハンコどっちがいい?と聞かれたので迷わず犬と答えました。その後梅も押せるけど…どうします?と聞かれたので梅のハンコも押してもらいました。春らしくていいかんじ^^  そして字がうますぎる…!
神社でホッコリしたところで次なる目的地、立石岬灯台へ向かいます。道がよく分からなかったのでとりあえず半島の端を目指し県道を突き進みます。少し不安もありましたが見知らぬ土地で聞き慣れないラジオを聴きながらドライブするというのも悪くない体験でした。
敦賀原発を横目に進んでいくと漁港に辿り着きました。この漁港に車を止め、灯台まで歩いていくとネットに書いてあったので駐車しました。
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生粋の九州男児のぼく、クマがこんな身近な存在に感じたのは初めてでした。人気もなく少し気味が悪かった為まあ、当然灯台は断念しましたね。
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せっかくここまで来て何もせず戻るのも惜しいので漁港で海を眺めていました。海好きなので飽きずに楽しめました。(しっかりと推し活もした。)20分程眺めていたところで地元��らしき方たちが山から降りてきて、変なヤツと思われそうなので撤退しました。
その後市街地へ戻りました。周りたい候補は決めていたものの順番は決めていなかったので観光名所が集まっている敦賀港へ向かいました。
ちなみにお昼はヨーロッパ軒のソースカツ丼を食べると心に決めていたのに、なんと店休日でした。飲食店を探したもののお昼時を過ぎていたので見つけられずローソンのミニチーズコロッケとサラダチキンを食べました。
軽く食べたところで港周辺を散策していきます。
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旧敦賀港駅ランプ小屋。明治時代の建築で、むかしは活気があったようですが現在はポツンと佇んでいます。切ないけどそこがいい。
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敦賀ムゼウムにて ポーランドの民族衣装。ここではポーランド孤児やユダヤ難民を受け入れた歴史が展示されています。アニメーション映像で紹介されていたので、恥ずかしながら歴史に疎い自分でも分かりやすかったです。新めの施設なのかな?綺麗で設備が整っている印象でした。
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コンテナや船、赤レンガ倉庫を見ながらお散歩しました。全てがたまらん景色ですね。カメラのシャッターを押す手が止まらなかった。ボク港や漁村に無性に惹かれるんだけど前世漁師なのかな…とか考えてました。
ボンヤリしてたら時刻は16時を過ぎていました。レンタカーを18時に返却しないといけなかったので最後に気比神宮に寄ることにしました。
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人が写ってたので画像加工してます。
日本三大鳥居のひとつ、気比神宮の鳥居です。圧巻のデカさ!神社が17時に閉まるということで、ギリギリ参拝することができました。訪れたのが16時50分頃だったのですが、この時惜しくも御朱印やお守りの販売は終了していました。
いい時間になったのでガソリンを満タンにし、レンタカーを返却しました。レンタカー屋のおじさん、初めは寡黙そうな印象でしたが表情に出ないタイプなだけで愛嬌があって可愛かったです。ボクも普段観光客相手のお仕事をしているのですが、最近手を抜いていたのでお客さんに少しでも旅を楽しんでもらえるよう気をつけなきゃな…と猛省しました。
駅でお土産を購入し、抹茶ミルクを飲んで京都へ帰りました。敦賀、めちゃくちゃいいとこでした。また来ます。次は宿取って北陸制覇とかも…アリだ。
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かわいいフォルムとかっこいい名前のサンダーバードくん。帰りは女性専用車両ではなく一般の車両を選んだら普通に空いてました。
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夕飯は京都駅の伊勢丹で値引きされた惣菜を買って食べました。そしてせっかくなので近所の銭湯で冷え切った体を癒して1日を終えました。
最後まで贅沢な1日だった…。
③に続く
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yotchan-blog · 2 months ago
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2025/3/5 9:00:20現在のニュース
JR東が定期券の新規購入者対応で「みどりの窓口」を47駅で臨時増設 3~4月の混雑時([B!]産経新聞, 2025/3/5 8:58:20) 三重県知事の言動は「パワハラに該当しない」 外部調査委員が報告書 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/5 8:58:17) ゼレンスキー氏の「口答え」へ制裁 米のウクライナへの軍事支援停止 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/5 8:58:17) 米支援停止 三島のウクライナ出身女性批判「プーチンの言いなり」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/5 8:56:37) <センバツ甲子園>健大高崎「一致団結を」 千羽鶴をダンス部員ら贈る(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/5 8:56:37) 古民家で本をゆっくり 桐生市の「四辻の斎嘉」で触れ合う催し(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/5 8:56:37) 宇都宮市、LRTとまちの調和促進 鬼怒通り周辺を景観形成重点地区に 来月の条例改正で追加(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/5 8:56:37) 猫の保護活動や飼育問題知って 獣医師らが沼田市で講演(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/5 8:56:37) コウノトリ撮影、小山市の板垣さん最優秀賞 遊水地フォトコン(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/5 8:56:37) セブン&アイ井阪氏 コンビニ集中、道半ば カリスマの後描けず - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:54:27) トランプ氏「日本は通貨安誘導」 円急騰、一時148円台 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:54:27) 雨に唄えば 落語家 林家正蔵 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:54:27) トランプ氏のノーベル平和賞推薦「撤回検討」 ウクライナ議員明かす:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/5 8:51:26) 谷口真由美と雨宮処凛の「ロスジェネ」往復書簡。:「人類最後の一人」になっても叫び続けたいこと | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/5 8:51:23) 札幌市、無許可開発「ノースサファリ」側に補助金1962万円…「サッポロ割」に園内宿泊施設([B!]読売新聞, 2025/3/5 8:49:07) 三重県知事の言動は「パワハラに該当しない」 外部調査委員が報告書(毎日新聞, 2025/3/5 8:48:03) 中央線や青梅線の一部区間で運転見合わせ 高速の通行止めは順次解除(毎日新聞, 2025/3/5 8:48:03) 「皆さんと一緒に頑張る」 佐々木朗希投手が大船渡市にメッセージ(毎日新聞, 2025/3/5 8:48:03) 三井物産、先物取引AI 非鉄やエネ、来年にも外販 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:43:04) 欧州の極右勢力に逆風 オーストリア、自由党外し連立 高まる反トランプ・反ロシア感情 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:43:04) 「12畳 凧」歓喜の舞 取手あげて挑戦 400人参加 地元材で凧修復 地域文化を伝えたい(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/5 8:40:18) 特別仕様「パトレイバー」の そば焼酎 土浦市が「土浦小町」限定販売(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/5 8:40:18) 神奈川県西・湘南 学校給食で地産地消 地域の課題もかみしめて (東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/5 8:40:18) 高額療養費見直し 長期療養者の負担軽減へ新たな判定基準 厚労省案 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/5 8:39:47) ウクライナと米国、鉱物資源で合意か トランプ氏が演説で発表意向 米報道([B!]産経新聞, 2025/3/5 8:39:41) 震災不明者、14年目の捜索 ベテラン警官2人が若手に伝えたいこと(朝日新聞, 2025/3/5 8:39:30) 人間が作った「未知の場所」 福島第一の廃炉は宇宙の作業より難しい:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/5 8:39:30) なぜ?脱輪事故の95%は左タイヤ 交換後は「増し締め」を | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/5 8:34:38) ウクライナ、戦闘継続難しく 米、武器供与を一時停止 欧州の協力得て関係修復を探る - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:34:29) 韓国ロッテG、不採算売却で2000億円捻出 バイオ医薬品やEV電池部材、利益率高い事業に投資 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:34:29) 脱炭素の枠組み脱退、邦銀も 三井住友FGが決定 米銀に追随、野村HDも検討 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:34:29) 少子化対策の盲点〈中〉男性育休だけじゃ不十分 長時間��働が「ワンオペ」生む 女性の賃金、産後に半減 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:34:29) 産業政策の意図せざる結果(5) 民間の自主性尊重への転換 一橋大学教授 島本実 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:34:29) ドコモが「AIエージェント」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:34:29) 被選挙権年齢の引き下げ検討 自民、チームを設置 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:34:29) 公選法改正案が衆院通過 自民、SNS選挙に対策 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:34:29) 参院選目標、改選16議席 玉木代表 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/5 8:34:29) (社説)百条委報告書 斎藤氏は責任を免れぬ:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/5 8:33:43) 大船渡山林火災、焼失面積2900ヘクタールに 避難者数4030人(毎日新聞, 2025/3/5 8:32:20) NY株大幅続落、670ドル安 貿易戦争の懸念広がり、売り注文拡大(毎日新聞, 2025/3/5 8:32:20) 篠原・四国中央市長引退表明([B!]読売新聞, 2025/3/5 8:31:26)
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orhpee-annex · 4 months ago
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2024年のよかった本をふり返る
1.飯島耕一詩集(現代の詩人シリーズ)
 飯島耕一の個人的再評価。「他人の空」はもとより「ゴヤのファーストネームは」以降なんかもよかった。
2.養老孟子特別講義 手入れという思想
 著者の90年代の講演集。都市部で虫を見ると過剰に嫌な気分になるのはなぜか、という切り口で都会暮しの人間と田舎暮しの人間の(現代で言う処の)ネガティブ・ケイパビリティの差を論じている。都市的なものは管理を志向するという視点はその後の実生活の様々な場面におけるものの見方に影響を受けた。
3.方丈記(対訳古典シリーズ)
 去年末からお世話になっている旺文社文庫の古典対訳シリーズ。「ゆく河の流れは絶えずして」の冒頭から始まる文章は飢饉、水害、地震と度重なる天災や福原遷都などの失政により荒れ果てゆく都の情景、軽々と失われる人の生命を端的な和文で描写しており、今なお新鮮な威力。
4.土佐日記(対訳古典シリーズ)
 こちらも旺文社。有名な女性に扮しての土佐からの帰京への旅路を綴った文章は一見すると淡々とした紀行文だが、貫之夫婦は晩年に設けた一子をこの旅路で亡くしている。自身の子を失くした悲しみを第三者の視点から描く一方で、土佐赴任期に家族や財を増やした部下たちの京を待ちわびる活き活きとした様をも自らの哀しみに沈むことなく描写している。帰京し、荒れ果てた我が家を前に妻とのあいだで嘆きの歌を詠み合う場面はついに貫之の努めた冷静さが破れる瞬間だが、歌ではなく散文の抑制の中で表現することを選んだ晩年の貫之の心中を思い遣らな��てはいけない。
5.詩集 旅人かへらず(西脇順三郎)
 散歩的詩文の極地と言える語りの写す風景、言葉の流れ方といい素晴らしく、復刻本として気軽に手元に置けるのがありがたい。
6.萩原朔太郎(講談社文芸文庫 磯田光一)
 資料を丹念に集め、読み込んで土台から対象の姿を立ち上がらせる硬派な伝記を久方ぶりに読んだ。しかも対象はあの萩原朔太郎。彼の生きた時代と背景も含めて感受するには必読の一冊という感だが未完の遺作というのが惜しまれる。
7.重い障害を生きるということ(岩波新書)
 私の双子の妹がほぼ先天の重度障がい者なのだが、改めて歴史の中の障がい者という視点では何も知らない事に思い至って手に取った。小林堤樹先生をはじめ、障がい者という理由で名前も付けられず棄てられ、彼らの治療法も受け入れも何もかも確立されていない時代に、生命を軽視する社会と真っ向から対峙して障がい者でも生きてゆける土台を作った先人たちの凄まじい姿がここにある。彼らの挺身なくしては、私の妹も生きてゆけなかったと思う。妹は今年で35歳になる。
8.日本の家郷(福田和也)
 西洋の文学にとどまらず古事記や日本書紀をも援用して日本の文化文学を論じる目眩く知性に圧倒された。福田和也はこの本で初めて触れてまだまだ凄い人がいる、と手放しに驚いていた矢先に逝去してしまった。
9.幻談・観画談ほか(岩波文庫 幸田露伴)
 文体に惚れ込んだ。特に観画談の読後感は素晴らしいものがあった。
10.こんなとき私はどうしてきたか(中井久夫)
 本邦精神科医の第一人者、中井久夫の講演随筆だが現在進行形で続いている読書を中断せざるを得ないほどの生活の疲労困憊のただなかにあって、回復期の手引きとなる一冊だった。
番外編. 海辺のカフカ(村上春樹)
 ちょうど秋の帰省の時期に読んだ。当時はフル出社でオフィスのある中野に通っている時期だったので、主人公が中野を家出して四国の高松で過ごすという筋立てが、九州で身を休めている自分の境遇と重なって、自分はこの本を読む為に帰省したのだ、という気分で夢中で読んだ。ナカタさんとホシノさんのコンビが好き。村上春樹のキャラメイクの上手さが光る。
 おわりに
 十冊も挙がらないのではと思っていたけれども挙がったので、それなりに充実した一年だったのかもしれない。とはいえ習い性で継続してきた読書も今月に入って以来、何も読む気がしなくなり現在では中断している。そのうち恢復することを願っている。
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travelersrecord · 5 months ago
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〜 旅人の記録 〜
福井県越前町
「かれい公園」
福井県の日本海沿い、国道305号線。
通称・漁火街道を進んでいると、柔らかい夕陽に癒されて車を停めました。
かれい公園と呼ばれる休憩スポットです。
公園とは言っても小さ目の駐車場と緑地があるだけの公園ですが、福井県の国道305号線は日本海に沿って永遠と続く長旅になるので、ちょっと一息つけるこんな場所はありがたいです。
越前海岸の夕凪。
静かで落ち着く情景です。
この背景の中に歴史を感じる恵比須神社。
決して派手ではない、こんな風情がある場所って良いですよね。
〜 旅人の記録 〜
#福井県 #丹生郡 #越前町 #かれい公園 #国道305号線 #漁火街道 #越前海岸 #夕凪 #小さな公園 #静かな公園 #風情ある公園 #旅 #独り旅 #旅人の記録 #心に残る良い旅を
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oisiihito · 1 year ago
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いい加減に 東京へ出てくるとうんざりするのをやめたい 新宿や渋谷ならまだしも 上野などでうんざりしているようでは 情けがないから やめたいのだけど やっぱりどうしてもああやって人が大きな塊になるような状況をみると 誰でもいいじゃないかという気になってくるので苦手だ そこにいるのは誰でもいい かけがけのないことのないただの記号という形をとった肉の塊にしか思えない だからそのような有象無象に気を配る気にもならない 中高生のような 人を殺す目で あれくらいの時期はみんな特に意味もなくあるいは大きな意志の元で人を殺したいと思っているものでは? うつむきながら 足早に肉塊を通り過ぎるしかない フードエッセイストである平野紗季子さんの (NO)RAISIN SANDWICH が クッキー・モンスター (青色のけむくじゃら) とコラボするということで 銀座のソニーパークへ 遊びに行く 銀座はよくわからない 近いようで遠い街だと思う 京橋や日本橋なんかは完全に他人事なんだけど 銀座に関してはどうしても割り切れない部分が個人的にあったりするわけで 上野から銀座線に乗り ライクアタイトル回収 銀座駅で降りる まずまずの人 ソニーパークは駐車場の傍らにある 以下HP引用 "銀座四丁目交差点改札より、そのまま地下コンコースを歩いてお越しください。B7とC3出口の間にある「西銀座駐車場」の入口を入ってすぐ左がSony Park Miniです" なんとも簡潔でいて分かりのいい文ではないの 無駄のないうえにそこまで事務的でもないのが良い 変な場所にある施設が 結構好きです 新橋の ニュー新橋ビル な 熱海の 第一ビル商店街 な 感じの施設 施設群? この日のために PACS の Round Corner Pocket shirts を卸した 真剣な青色で 名前の通り ザッツリテラリー ポケットがまあるくなっている 生地もスーピマコットンなので 肌触りも良い かつ光沢もあり品の良いシャツに仕上がっている かわいいねお気に入りです 大きめに着る 靴下もファミリーマートのアクアブルーだったので 話しかけられた店員さんに 「格好もクッキー・モンスターを意識されてるんですね!」 などと言われ 恥ずかしそうに頭をかきながらうんとかすんとか ヘラヘラするしかなかったよ 23にもなるのに 恥ずかしそうにヘラヘラするしかない場面がいまだにある ステッカーや缶バッジ なんとなく目当てにしていたクッキー・モンスターのTシャツはソールドだった まあそうだねと思いながら"PREMIUM COOKIE SANDWICH for COOKIE MONSTERS"を抱えて後にした この時点で汗が止まらなくて病気かと思う 汗をかきはじめると 周りの視線が過度に拡張されていく感覚になる 批評よりも批判よりの視線にさらされているような感覚 さすがに耐え難いので 鳥越の方に逃げた 昔に といっても2年前までは鳥越に居をかまえていたので 今でもマイメンな東京のスポットなのだ そんな場所は本当に貴重だ 鳥越神社という大きな公園のわきにあるアパートの一階部分には Torigoe T という小さなフランス料理のお店があったのだが それも1年前に閉店して今はアメリカ雑貨のお店になっているのを目撃した 6月は鳥越神社の例大祭があり 裸の男たちが蔵前橋通りを神輿担ぎ闊歩する 言語というよりむしろ発声に近い掛け声に混ざるぶつかり合う肌と肌の音は 何かしら象徴的に聞こえるものです 例大祭のチラシがあちこちに貼られているのに沿って鳥越の街を歩く もうこの街は 自室から浅草にあるアルバイト先まで 日陰から一歩も出ることなく歩いて行けるまでに 知っている 知っているのにすでに住んでいないというのはどうして不思議だ 1時間くらい歩き続けて観念したように浅草橋から総武線で新宿まで出張る 小田急線の急行で下北沢に着く頃にはもうだいぶ風が出て涼しくなったような気がして またシャツを羽織った だいぶ変わってしまったねこの街も 高校教師 (1993) には当時の京王井の頭線沿いも出てくるのだが 1993年時点での下北沢駅周辺はとても文化的ではなかったように見える ホームも薄暗くなんとなく湿り気のあるそんなイメージだった むろんあくまでイメージ 妄想ではある産まれてないしそもそも しかしな 今やサブカルチャーにとどまらず演劇や映画のベースメントとして 機能しているので 大したもんだと思う 人間が本気になれば 何もない場所に都市を計画し造ることなんぞは きっと造作もないのだろう 東京も元々大きな湿地帯であったことを考えると 人間のその豪胆さと労力の惜しげのなさには驚かされるばかりである 茶沢通りを北沢タウンホールに抜ける路地の左手に アンダーニース という楽器屋があり ビルの3Fで品揃えもいいしなによりオーナーの人当たりの良さ! この楽器屋でその感じなのありがたい 友人にお土産として Danelectro Black Coffee を買った DODのFX25B Envelope Filter とも悩んだが ゲインがフルテンで固定というオーナーの説明にクラッときたので そっちにした 朝からまともなものを食べていないことに気づいて 渋谷駅から渋谷川に沿って並木橋の方へ降りると恵比寿の手前にフレッシュネスバーガーがあるため そこでフレッシュネスバーガーとジンジャエールを食べる ジンジャエールがとにかく濃く作られており 自家製なのもあって 飲みごたえがすごいことになってんの 正直ハンバーガーには合わせない方がいい 完全に負けているので 狭い店内の後ろの席には 学芸会終わりの親子が感想戦などをしていた ジメっている恵比寿 リキッドルームに家主がやってくるということで 友人を誘った 昨年の12月に出したアルバムのツアー 恵比寿リキッドルーム ワンマン フルセット 整理番号はなぜか800以降のカスだが 久しぶりのライブも 友人に会えるのも嬉しい チケット代の代わりに 何かモノをくださいという暴力に 友人は旅館の灰皿とぶっとい葉巻で応えた 吸わなかったら灰皿で人を殺してもいいらしい とにかく喫煙が足りないと言われた 喫煙が足りない 喫煙が足りない? アウトレイジ 最近バイトや大学の合間を縫って アルバムのレコーディングなどしているらしく 小職よりも忙しそうにしているので頭が上がらない ライブはもちろん完璧だった 正直言ってここまでのめりこめるライブも少ない 撮影が可能らしく ちらほら撮影している観客もいたが 昔気質だからだろうか どうしてもライブという場において撮影という行為がイマイチしっくりこない いまそこにある景色を損なう可能性を 考えてしまって スマホへ手が伸びなかった 撮影などしなくてもライブはサイコーであるのであれば 無理して撮影する必要はない そうだよね ウン 途中マジで酸欠になって フロアが最高潮だからね クラクラしながら ぜんまいじかけ のリフが宙に浮いて見えたりしたが 無事 終演 熱冷めないまままた歩いて渋谷駅まで戻ることになり 家主の話よりむしろバックナンバーやクリープハイプの話になりなぜ? 家主の話をしないということによってむしろ家主の存在が際立っているような 哲学や文学の文脈でよく使われる論文の手法のような雰囲気で 道玄坂のロイヤルホストに滑り込んでひといきをつく 柴田聡子の新譜は ある種 脱構築的に音楽よりも言語 あるいは歌詞や詩の動きにフォーカスしたアルバムだと論じる 前作 ぼちぼち銀河 においてもその様子はたしかにうかがえたが 今回で完全に音と歌詞 (詩) は同時に存在するように作られはじめた それぞれで見てもイマイチパッとこない 納得できない そのふたつは 同時に鳴ることで私たちの前になにかしらの意味を持って突如立ち現れることになる そこが柴田聡子の独自性ではないかという話で盛り上がって 過ぎる時間 こんな話がしたかったと思っていることに気づいたのは分かれて��ら銀座線で上野御徒町へ戻る最中だった 山形行きの高速バスで 友人がSound Cloudにあげていると教えてくれた レコーディング中のアルバム そのリード曲になるというデモをこっそり聴く 疲れた身体でも 十分に良いと思える曲だった コンスタントな振動に揺れ カーテンをこっそり開けて 高速道路のナトリウムランプが玉になって流れていくのを眺め 耳を澄ませて友人の曲を何度も 繰り返し聴く はじめて聴くのが夜行バスの中で良かったと思った 眼をつむるまでにそんなに時間がかかることもないだろうなと 考える間もなく 眠った 朝の4時に福島にほおりだされて 始発で郡山へ戻り 8時には職場にいるのだから 頭がおかしいとしか思えない 一緒に住んでいる人には 花屋の娘 が入ったフジファブリックのCDをお土産に買った ディスクユニオンの袋に包まれたのを 満足そうに机の上から机の上へ置き直して ニコニコしている 郡山は肌寒く しまったはずの毛布を取り出した
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kennak · 2 years ago
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 服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳)  今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の前編です)  ◇  ◇  ◇  ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。  なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に  ──被害にあったのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。  諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」  ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。  それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。  今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」  ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。  ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。  ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。  それでヒーボーが私の部屋に泊まることになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。  パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。  そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いものが入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉からは「汚らわしい」と言われ…  ──母親には話さなかった?  「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって���いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。  姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱりいけないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。  ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け入れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。  アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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heyatoengeki · 1 year ago
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部屋と演劇 対談② 宮崎玲奈×中村大地
部屋と演劇の中村、野村、福井が話したい同世代かつなんとなく距離の近そうな作り手三人にお声がけをして実現した対談企画です。当初は六人全員でワッと実施する予定でしたが、スケジュール的に無理があったため一対一に分けて実施しました。8月にSTスポットでおこなった『部屋と演劇』vol.1を見ていただき、後日オンライン上で話したものを書き起こして編集しています。今回は宮崎玲奈さんと中村が話しました。
中村 今回なんですが、『部屋と演劇』vol.1もそうですし、個人的には円盤に乗る場の活動もそうですが、ただ劇場で公演する以外のことも含め、“作品の手前”みたいなことを共有したいという欲望を持つ作り手が増えているのかなということが個人的にはあって、宮崎さんも「発酵シアター」をやられてますし、そういう話をしたいなという経緯で対談するかたちになりました。
宮崎 途中発表みたいなことでいうと、わたしはワークインプログレスという発表形態が好きじゃないなと思ってて、でも中村さんは「テーブルマナー(仮)の初稿を読む会」みたいなこともしていて、そのあたりの話ができたらいいのかなって思ってたんですけど、なんで積極的にやろうと思えてるんですか?
中村 根本のモチベーションとしては、円盤に乗る場の活動報告会で書きかけの小説を発表してみたり、戯曲を書いてみたりした経験があって、小さな規模でも外に発表することで、サボらずに書くことができるっていうのが大きいかな。それを自劇団でやってみようというのが「戯曲を読む会」。でも、そこに観客がどう参加するかみたいなことは正直まだあんまり考えられてないところはある。『部屋と演劇』Vol.1もそうだったけど。
宮崎 これが誰のために行われているのか?というのが私の引っかかるポイントで、作家ないしカンパニーや作品のためでしかないのだとしたら、観客が必要なのか?それとも見てくれる友達とかを呼べばそれが叶ってしまうのか、そのあたりが気になっているところです。
中村 そこにいる観客のことについてうまく言語化はできていないんだけど……でも、演劇の上演以外のプロセスに面白いことはたくさん起きていて、そのことを上手にシェアする方法はあるんじゃないかとは思っていて、シェアしたいとも思う。でもその形態としてワークインプログレスが最適解なのかは正直わからない。あるいは作品って消費者として“観る”みたいな態度をとる以外にいろんな触れ方があるんじゃないかなみたいな感覚もあるかな。それとただ戯曲を読むということはマッチしてるのかも、と。
宮崎 作る側として消費されたくないというのもありますよね。
中村 東京はやっぱり圧倒的にコンテンツの数が多いから。仙台にいたときとだいぶ感覚が違うんだよね……。でももしかしたらそれは仙台で想定していた観客の知り合い度がかなり高いということだけかもしれないけど。東京では、自分が観る側にいてもだけど、コンテンツを消費する見方をしてるなとは感じている。
宮崎 演劇の暗黙のお約束とかあるじゃないですか、映画館でもそうだけど、最低限邪魔にならない感じで見るみたいなことをどんどん共有することが難しくなってるのかなっていうことを、感じていて。その暗黙の約束を共有するにはどうすればいいんだみたいなことを、最近考えたりしてますね。
中村 難しくなってるっていうのはどういうこと?
宮崎 観劇の最中に自分が何かをすることが、劇に作用したりとか、他の観客に作用したりみたいなことが、これまでは小劇場で集まって、ギュッと作品を見るというなかで暗黙のルールになっていたけれど、そのルールみたいなものがどんどんカスタマー優先みたいになりつつあるのかなって。小劇場はそんな時代にどのくらい会社的・企業的に振る舞うべきなのかとか。でも、そもそも周縁化されたカルチャーだったはずだったな、とか。
中村 自分の現場で、そこまでカスタマー優先みたいな場面を僕は感じたことがないけど……。「お客様は神様です」的なことだよね?
宮崎 そうそう、
中村 テレビ見てるみたいな感じで、
宮崎 これくらいの金額払ってるんだしって。大きい声で怒鳴って良いのかって、
中村 客席から?
宮崎 受付のちょっとしたミスとかに大きい声で言ったり、
中村 えっ、そんなことあるの?
宮崎 わたしは結構去年色々あったから、
中村 そうなんだ、
宮崎 そういうルールをいちいち観劇のときに言うと、「してください」がいっぱい、みたいになってしまうけど、戯曲を読む会にしろなんにしろ、何かの集まりで観方をひらいていくというか。ルールがあるんだよという形で対応することはできるなと思っていて、そういう意味で作品を上演するというかたちじゃない可能性を探りたいという気持ちは結構高まっているかもしれない。
中村 あの、見れてないけど野外でやったやつもそうですか?
宮崎 あ、野外のやつは、演劇しんどすぎて結構セルフケア的にやりました。
中村 へえー。どういうあれなんですか?
宮崎 去年の11月の上演で色々ヘイト的なものが起こって、言い返したくても言い返せないみたいな、こっちは言われるだけなのかっていうもやもやがあったときに、それを発散する方法が欲しい、このままじゃなんか来年後編なんかできない!みたいになっちゃって。そのときに友達と「なんかこういうことがあってさあ」って自分自身のことをちょっと演劇にしてみようかという流れでやりました。すごく鬱々とした話だったから、実際に野外でやって、後ろの川でサップボードしてるみたいな風景が広がっていたのが良かったかな。自分たちとお客さん以外はすごい穏やかな景色が広がってる中でやるというのが。
中村 やっぱそれには発表するっていうチャンネルが必要だったってこと?
宮崎 うん。
中村 それで言うと思い出したのは、2020年度に「再建設ツアー」やって、その後『パラダイス』やって、コロナ真っ盛りのタイミングで両方ともお客さんが来ようもないみたいな状況だったから、なんかやってる意味あんのかみたいな気持ちのなか躁状態みたいな感じで駆け抜けて、そのあとかなり落ちて。だから2021年度は全然公演やらなかった。
宮崎 え、それでも逆に休めて健康でしたか?
中村 あ、ちょうどでも乗る場がはじまって、劇団員が目的なく稽古場に集まるみたいなことが起こりだして、そこでテアトロコントに呼ばれて。お金になるわけじゃないんだけど、でも、週1,2回の稽古をやりながら、つくるってそもそも楽しかったよな、がっちり上演っていうサイズで綿密に色々たててつくるのはもちろんやりたいのはあるけれど、短いけどこれおもろいよね、みたいなことで自分たちをケアした感がすごいあった。
宮崎 それすごい大事だなと思ってて。11月にやったら絶対疲れることはわかってるから、12月のクリスマスにみんなで楽しいだけの公演しようって言ってて、ほんとうにその週1,2とかで集まって、ぱっと作る、みたいなことで。それないと結構忘れるものが多いなって思った。
中村 めっちゃそうね。
宮崎 それめっちゃhonninman救世主じゃないですか。
中村 そう、honninman、ていうかテアトロコントの小西さんが救世主かもだけど。
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『ムニのクリスマスホリデー!』(2023) 撮影:黒澤多生
宮崎 最近稽古のやり方を変えて。タスクが多すぎしんどいって感じもあって。普通の稽古ってしんどくないですか? 中村 えーとね、あんまりしんどくないかなあ。 宮崎 うおぁ。 中村 うーん、俺稽古結構好きだからなあ。昔に比べると、自分たちの理想の稽古時間とか定まってきたのもあって、苦しい時はもちろんあるけど、あまりしんどくはない。どうしんどいんですか? 宮崎 事前にその日にやると決めたシーンやタスクはその日に全部決めたいんですよね。今、シーンの一回目触るみたいな稽古段階で、稽古スケジュールを組んで、その日までに覚えて、プラン立ててきてくださいねって俳優さんとやってみるみたいな感じでやってて。でもなんだろう、稽古場に行けばすごく楽しいんだけど、宿題がすごい多いなっていうのが今、しんどいのかも。 中村 それはわかるかも。でもそれが仕事だしなみたいな……僕はいつも稽古に向けて準備していったことが、「よしやってみましょう」ってやると、全部なぎ倒されていく感じ。でも準備していった方がいいなっていう。なぎ倒されるために準備していくっていう感じはある。 宮崎 なんかもっと昔は身軽に稽古場に行けてた気がするんですよね。だんだんこうしたいああしたいが増えていくことにより、行けば楽しいが、行くまで色々考えちゃうみたいな。 中村 ほんとそれ知りたいんだよね、演出の仕事どういうのしてんのっていうか、 宮崎 え、中村さんどんな準備してるんですか? 中村 とりあえず、とにかく戯曲を読みこんでいく。『父の死と夜ノ森』のときは一回全部役者の配置を決めたりはしてた。 宮崎 やっぱ、配置は決めていきますよね。 中村 あ、でも俺はじめてやった。 宮崎 あ、そうなんだ。 中村 あんまり場面が変わることがなかったからさ、屋根裏ハイツって。最初の形だけ決まればあとはナリで動いていくというか、 宮崎 え、じゃあ読むって何? 中村 本当に単純にテキストを読んで理解する……、自分の書いた台本でも、書いてるときはわかってても、あらためて現場で俳優の声で聞くと意味が通ってなかったり、わかんないところがあったりするから、英語の構文分析みたいにここをカッコにくくって、この形容詞が名詞にかかってまして、とかを書き込んでいく。まあなんとなく、多少の動きも想像していくかもしれないけれど。 でも宮崎さんの戯曲は配置を決めてかないとどうしようもないよね、同時多発のやつとかは特に。 宮崎 最初に舞台を、縦に2本線引いて、横に2本線引いて、9個のマスをつくって、マスの中で、囲碁みたいにつくってく。だからいっぱい囲碁の紙みたいのをつくって、それを稽古場で試すってやるかな。でも同時に動くやつとかはみんなで考えることが多かった。自分のタスクだけではなくて、他の人の動きを全部把握しとかなきゃいけなかったので、みんなで一緒につくる感が結構あって。それが前は稽古場楽しいなっていうマインドを担保してたのかもって思う。今は物語のほうが強くなってて、同時多発のときとは同じつくり方にはならないから、 中村 自分が1回ゼロイチを持ち込まないと始まらないというかんじ? 宮崎 そう。ただ、わたしはプラン決めてくるんだけど、それだけだと面白くないから、今回は俳優さんにも同じタスクを頼んでいて。「全体じゃなくていいから、自分の役の整理をつけて、このシーンがこういうふうに見えると良い、このシーンはどういうシーンだ」というのを、準備してきてもらうようにしている。 中村 あ、それ良さそう。ムニって出演者多いじゃん、それも稽古が大変な要素なんじゃね?って個人的には思う。演出が準備をめちゃくちゃしないと稽古場がなりたたない規模感ってあるなって。「父の死」の7人でも思ったくらいだから、人数多いともっとなるんだろうなって。 宮崎 準備って言っても、俳優11人いたらみんな違うから、たとえばこの人は辻褄合わせるとわりとその次に行きやすい人、この人は結構喋るの好きだけど、わたしとしてはもっと立ち稽古したいな、とか。え、めっちゃパターンあるじゃん!って。 中村 そうね、俳優ごとにどう話すかは変わるよね。 宮崎 それも相まって、「え、めっちゃタスク多くない?」って。 中村 たしかに、どういう稽古場をつくるかっていうのがまず一番しんどいもんね、このメンツとどうやっていくか、それがいい感じに乗るまでが一番しんどい。ちなみに僕は、本当は稽古からの帰り道がひとりでいたい(笑) 宮崎 え、ひとりで帰らないんですか? 中村 電車の方向が結果かぶるみたいなときに、繋がなきゃいけない言葉、みたいなのが一番しんどい。みんなでいる間は大丈夫なんだけど、ひとりでいさせてくださいみたいな気持ちに。 宮崎 わたし、トイレとか行って次に乗っちゃう。 中村 ああ、もはや!そうしようかな、俺も。 宮崎 あれすごい大変すよね。 中村 あれめっちゃつらいんだよな。 宮崎 普通にもう稽古のこと話したくないし、みたいな、 中村 そうそうそう!もうこれ以上うまく言えることはないみたいな状態になって……(笑)
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青年団若手自主企画vol.81 宮﨑企画『つかの間の道』(2020) 撮影:伊藤香奈
宮崎 今の稽古場は1回目のシーンが決まれば、2回目はそんなに大変じゃないのかなって気はしてます。 中村 最初が決まるまでは。そもそも前編とまったく同じメンツでしょ? 宮崎 そう。だからこの間面白かったのが、9月3日くらいに完本してはじめて読み合わせしたんですけど、キャラクターがもう出来てる!って思って。 中村 ああ、それ面白いね。 宮崎 だから、去年よりはもう土台がある状態でやっていく感じになってます。今回の発表スタイルの稽古はいいなと思ってる。 中村 発表スタイルって、みんなが各々自分のプランを考えて、 ドンでぶつけるってこと? 宮崎 それがいいなと思ってやり始めたんですよね。だったら同じだけ私も考えるし、俳優も考えるしで平等やなって。本の読み方は練習してるから、その読み方の上で決まったシーンを立ってやりましょうって、発表する。 中村 俳優同士は事前に相談するの?それともぶっつけ? 宮崎 あ、2人のシーンとかは事前に相談したりするけど、だいたいぶっつけ。ただ、台詞にニュアンスをいれないから、どっちかが自分の持ってきたプランを先行するみたいなことにはならなくて。役としてこう見えたらいい、ということだけクリアすればいいから、まだこの時こう動かなきゃいけないというのがあんまり入ってない感じ。 中村 確かに。それが一番良さそうね。演出家がウンウン唸ってる時間って無駄だからな…… 宮崎 でもだから、なんかむずいっすよね、質問されないはされないで大丈夫かなって思ったりもするんだけど、でも質問できたほうがいいとかそういうわけでもないから、質問なくてもその発表でうまくいってればそれでいいかな、みたいな。 中村 人によるよね、掘って整合性を取ったほうがいい人とかもいると思うけど。僕好きな話があって、瀧腰さんがはじめてでてくれた時に、稽古の中で「言ってることはよくわかりました、けど今はできません。そのうちできるようになります」って言って。それめちゃいいなって思ったの。その言い方が「がんばってできるようになります」って感じでもなくて、こっちがああ、じゃあ任せますって、言える感じで。なんかそういうのって言ってくれればすごい楽っていうか。だから俳優側が好きなこと言える状況はでかいなって思う。常連がいるとかね。でも今回はみんな持ち上がりだから余計強そうだね。 宮崎 そうすね。ゼロからじゃないのは大きいかもしれない。 中村 再演の集まり方なのに新作つくるっていうのがなかなかないよね。俳優同士も相談しやすそうだなって。再演ってすごく俳優との関係がフェアでいいなって思う。 宮崎 え、わたしは再演嫌なんですけど(笑)。 中村 あ、そうなんだ! 宮崎 今、『ことばにない』終わったら再演できない作品つくりたいと思ってるくらい。 中村 再演できないってことはどういうこと? 宮崎 今つくりたいのが、5年くらいかけてつくるやつで、俳優もキャラクターも5歳歳をとるっていう、それで毎年公演するやつをやりたい、 中村 『6歳のボクが、大人になるまで。』的な? 宮崎 ああ、でもそんな感じかも。でも記録されないから一回しかできないっていう。 中村 それは同じ登場人物なんだ? 宮崎 お休みとかもあるんじゃないですか? 中村 この人今年いないんだみたいな、 宮崎 そうそう。 中村 『ことばにない』もそうだけど、そういう長いレンジで書きたいってなったのはなんでなんですか? 宮崎 え、でももはや90分とか無理かもしれない。逆に。 中村 えー、すごっ、 宮崎 一回全部書ききったろう、みたいな気持ちで『ことばにない』をはじめたけど、それをしたことで何を短縮したら良いのかがあんまり。もちろん8時間でも短縮してるものはあるから、そこから探ればいいんだろうけど、まだそこまで圧縮することにあんまり興味が持ててない。 中村 だって、その結果5年になるわけでしょ? 宮崎 うん。 中村 それはきっかけがあったの?それとも結果的に長くないとできないものができたって感じ? 宮崎 『ことばにない』はそんな感じ。書きながら90分ではないなこれって。で、5年に関しては、もうちょっとライフワークみたいなやつをやりたいかもって思って、別に小さい規模でもいいから5年間やるみたいな。そのクリスマスのときにやる、楽しい時にやるみたいなのがあってもいいのかもって。
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ムニ 『ことばにない』後編(2023)  撮影:黑田菜月
中村 発酵シアターは、どういう経緯で始まってるんですか? 宮崎 元々は今年「ことばにない」は後編だけ上演やるから、前編の上映会をしようってなっていて。でも前編やったあとに、ムニこれまで作品いろいろやってきたけど、「ことばにない」から知ってくれた人もいたから、他のも一緒に見れるイベントにしようっていうのが企画の最初だったかもしんないすね。 中村 そこにいろんなひとの発表が挟まるみたいになったのは、どういう感覚なんですか? 宮崎 なんだろう、でもそれも、身軽に発表できるといいよねって思って。3月に山縣太一さんのワークショップ受けた時に発表楽しい!ってなって。テクニックや形式的なことを教えてもらいつつ、それぞれ自分の発表をつくる的なことをやって。もっと発表を身軽にできる場があってもいいよなって。ちゃんと公演にすると、場所とかお金とか色々要素があるけど、もっとイベント的に発表ってやれていいんじゃないか、自分自身がそういう場を求めていたというのもあって、つくりました。 中村 発表する人は公募? 宮崎 何人かこっちから声かけた人もいるけど、基本は募集して。 中村 どうでした?それは。 宮崎 え、めっちゃ良かったっす(笑) 中村 それは、試演会的なニュアンスとはちょっと違うんだ。 宮崎 うーん、発表会。完全に完成してなくてももちろんよくて。発表ということのハードルを下げたいとはずっと思ってて、誰でも発表していいというか。でも自分が発表するってなるとちょっと違って来ると思います。中間発表といいつつ、ちゃんと発表ってことにムニのこともなってたと思うから、企画と自分のことは別に考えているかも。 中村 そこにいる観客はどう捉えるの?そのイベントを楽しみに来た人って感じ? 宮崎 色んな人が参加してたのもあって、発酵シアター期間のなかでイベントが一番人数パンパンになって。で、イベントとセットで「ことばにない」4時間みて帰るみたいなことがあって、これをセットでやるのが結構いいのかもって思った。寄席みたいな感じかもしれない。 中村 それは確かに、乗る場のNEO表現まつりもすごいそんな感じしたな。 宮崎 それに、福岡のカンパニーのマルレーベルの加茂くんが参加してくれて。今度STで公演するんだけど、その宣伝も兼ねて東京でひとりでムニの発酵シアターをつかってくれたりとか。乗る場もいいけど、参加する人が固まらないのが良かったなって。 中村 うんうん、公募することの良さが。 宮崎 そうですね。最低限選んでもいるんですけど、結構バラエティがあったのがよかった。リハーサルもやるから、「ここ、こう見えました」的な相互批評的な感じにもなって、その過程があったのも良かったなって。 中村 公募の条件はどんな感じなんですか? 宮崎 お金はムニから払えないけど、カンパを募るのはありで、場所を貸しますって感じです。それも、もしムニからお金払ってお願いするってなると、またちょっと空気が変わってきたのかもって思うかな、 中村 たしかに、今聞いたやつのほうが健全にやれる気がした。部屋と演劇でも、そもそも多少お金くらい払ったって作品つくってたよねっていうのがあんまりネガティブな意味じゃなくある。��ャラなんかなくたって楽しんでやってた部分もあるじゃないのよっていう。それから部屋と演劇がああいう形になったのは「上演」までいかないと試せないことがたくさんあるっていうのが共通の認識としてあって。一日しか稽古してないけど、発表するっていう気合が一つモチベーションになってるなと思う。
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『ムニの発酵シアター』内「発酵イベント」(2023)
中村 ちなみに、今回のイベント、観客の体験として「パッワッサッ」感はありましたか?
宮崎 あー、でもまず環境としては、あの、平台の上に座る感覚とか久々で良かった(笑)
中村 (笑)
宮崎 ああ、これ、「パッワッサッ」だわ~って。
中村 あんまり設えられてない。
宮崎 入ってるチラシもめちゃ薄くて、これくらい作る側も身軽でいいよなって思った。椅子をいっぱいならべるわけでもなく。
作品でいうと、一番作品してるって思ったのは福井さんかなあ。ただ、普段してることとも関わって来る気がするから、普段から形式がある人のほうが「パッワッサッ」しやすいのかなって気がした。
中村 福井くんは今回ある意味、すっごい準備してた気もするかも?
宮崎 えっ、じゃあ演出家の準備はパッワッサッじゃないんですね。
中村 どうだろ?どんくらい演出家の準備がパッワッサッなのかは、わからない。
宮崎 それ気になりました、俳優どれくらいパッワッサッなのか、とか。
中村 たしかに、みんなそれぞれどんくらいパッワッサッ感があったのか……
宮崎 でも“集まり”の話でいくと、わたしは集まりのなかで戯曲を読めば上演になりうる、っていう思想だから、それは結構パッワッサッ的なことなのかもしれない。
中村 え?
宮崎 なんで上演するのかがずっとわかんない、5人くらい集まって戯曲読む集まりがあればそれで上演されたことになんないのかって結構思ってて。わざわざ上演する意味ってどういうこと?って考えてる。
中村 積極的な読書会とかって、演劇の稽古にかなり近いし、観客(参加者)がある種安全にテキストとの距離を取れたりとかもするよなとは思う。まあ上演でしか得られない満足感っていうものは観る側にはあるとは思うけど、なんかいいもん見たなみたいな……でも、そうやって上演を見に来るときの「消費する」的な感覚を変えるのは上演レベルでは不可能というか、そのモチベーションを劇場に金払って見に行くという身体でそうじゃないものを強く求めるのはこちらが設えを変えないと無理だなって最近思ったな。テアトロコントで笑いに来てる人に対してその条件を変えることにはあんまり意味がないっていうか。そこを疑うなら上演じゃないアイディアを作る必要があるんだろうなって思った。ほんとに戯曲を読むだけなら、みんなで読んだりしたらいいのかもね、
宮崎 でもそれわたしなら上演ですって言っちゃいそう。これは上演ですって。10人くらいあつまって上演しましょうって。
中村 それって、参加しない枠もある?
宮崎 あ、いないで考えてました。
中村 その場合、上演とはってなりそう、
宮崎 なんか、わたし瀧腰さんとかと3年位「ゴドーを待ちながら」を野外で読み続けるっていうのやってて、それもあって読めば上演になるんじゃないかって、しかもそれが集まりのなかでなされるってことを上演の定義にしてたんですけど、
中村 でそれは、お客さんはいないんだ?
宮崎 街の人がいますよ。
中村 あ、路上パフォーマンスみたいになるってこと。
宮崎 そう、上野のパンダ橋とかでやってました。3,4時間かかるんですけど。
中村 え、ハード。動きとかなく、読むだけ?
宮崎 読むだけ、しかも誰がどの役をやるとかも決めずに読む。しかもト書きも全部読む。みたいな感じでやってました。
中村 へー、
宮崎 最後の方は写経してました。
中村 ゴドーを?
宮崎 写経も集まりの上で全員が同じ時間に共有された行為をしているので、それは上演になるのかみたいな、ことを試してた。
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部屋と演劇Vol.1 中村大地『複声にうつしてみる』リハーサル風景
中村 野村くんに聞いたんだけど、ドイツの公共劇場の稽古スケジュールって、最初に3時間やって、休憩3時間やって、後3時間やるっていうスケジュールなんだって。それ面白いなって思って。お昼休みって1時間じゃ、1時間半でもあんまり休めた気しないけど、3時間もあればもはや合間に他の打ち合わせとかいれられて。だから今度城崎でやろうと思ってる。
宮崎 え、ご飯食べて温泉入ってまでできますね。
中村 そうそうそう。もちろん東京じゃ出来ないけど、それくらい一回シャットダウン挟むのやってみよっかなって。「パッワッサッ」とは違う話だけど。 今回試しに8月に戯曲を読むだけのことを4日間やって、城崎まで、1ヶ月半くらい空くんだけどその間稽古はなくて。クリエーションの中でわざとそういう空白つくることで、さっきの「ことばにない」の前編をやって今年後編やる、みたいなときのスタートダッシュの切り方と同じような効果が生まれないかな、セルフ再演みたいなことになんないかなって思ってる。
宮崎 えじゃあ、8月やって、再演が10月があって、12月が再再演みたいな?
中村 そうそう、だから10月18日に発表があって、次12月のために集まるのが11月の半ばでって。
宮崎 逆に俳優は大変ですね。
中村 どうなんだろう、どっちが大変なんだろうね。短くワッて作れちゃうならそれはそれでいいけど。でも、今回公募で募集した時には、こんだけ時間かけてつくってみたい、っていう応募理由も結構あったな。クリエーション期間の中でいっぺん仕事に戻れたりしたほうが経済的には楽なのかなって思ったり。
宮崎 なんかでも、4ヶ月毎週発表をやり続けるとかしんどくないすか?
中村 人に見せるってことを?
宮崎 そうそう、
中村 あーでも、ダラダラ4ヶ月やるわけじゃないから。1回1回区切れがあれば、そこに向かって頑張ろうみたいな。まあ、やってないからわかんない。これですごいしんどかったらどうしよう(笑)
宮崎 そのスタイルやってみたいなと思ってる、4ヶ月毎週発表、解散!みたいなの、
中村 それは一般に見せるの?
宮崎 見せる、そのシーンを。
中村 連ドラみたいなことになんのかな
宮崎 そうそう、えーでも、再演システム……。
中村 とにかく上演を細かく挟んでいく、それはでも稽古場を公開しますよりはちょっと気合を入れつつ、でもラフな設えでやれたらなって。
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屋根裏ハイツ『すみつくす』2023年 撮影:本藤太郎
宮崎 なんか『父の死と夜ノ森』でいうと、あれは死の一回性、死が生と同居しうることを前提にして書かれてると思うんだけど、それを(屋根裏では)演技もだし、舞台上にモノが存在している重さで持って繰り返すっていうのが気になってて、
中村 あれをマレビトで見た時に、あの作品だけ一回きりじゃなくていいんじゃないかなって思ったんだよね。スケッチじゃなくて、戯曲として取り扱っていいものでは?って思ったんだよな。繰り返しに耐えうるというか。
宮崎 舞台上でも死が再演できないとするなら、あれは再演できないのでは?と思ったんですよね、松田さんは死を上演の際に「軽さ」を重要にして再現可能とするんだろうけど、上演が一回しかないということが、想定外の働きをしてしまったのではないかと。
中村 うーん、でも嘘だからなあ、死んでないし、
宮崎 でも、一回しかやらないってなるとそれを一回性の死として扱えるかなって、
中村 なるほどね、
宮崎 5回この死が繰り返されるっていう意味が繰り返すならば出来てくる、
中村 それでも別に、どうなんだろう、松田さんの戯曲よく人死ぬしな……それがどういう意図をもって描かれていたかはわからないけど、僕も舞台上で死を書いたことはないけど……
宮崎 死が見えない状態で舞台上にあることって結構あると思うんですけど、舞台上で死そのものが描かれることってあんまりないかなって。
中村 そうか…?まああれはああやって軽々しく死んでいくことが結構大事なのかなって思っていたけど、その一回性を大事とは思ってなかったかも。まあ俳優が、瀧腰さんはハードっていうか、いっぱい人殺すのはハードだったと思うけど。稽古場でもそういう話はでたかもね、本当に本気で色々乗っけてやるのは食らうから、ライトにやったほうが良いみたいなことは話としてでてた。それはもちろんニヒルな意味ではなくて、そのほうが現実感もあるかなとか。
中村 結局死そのものを舞台上で起こしたいとは、自分で書く分には思わないけど、
宮崎 でも他のレベル高すぎて、わたしには一生の問いみたいな感じがあるかも。
中村 出来事として死を描けるかってこと?
宮崎 そうそう、
中村 それはどういう感じなんですか?
宮崎 再現できないものをどう舞台上で起こすかみたいなこともそうだし、死が見えないってすごく普通のことだから、死を見せない、間接的に描くってのは形式に落ち着いていると思っちゃう。わたしたちは生きてていろんな場面で死が見えることを経験してるけど、なのに舞台上では死が見えないってどういうことだろう?とか思ったり。
中村 死んでないから死が描けないんですかね、
宮崎 ファンタジーとしての死ではなくて、もうちょっと想像の余白が残された出来事としての死ってなんかあるんじゃないかなって思ってるんです、
中村 それは死の気配が横たわってるとかではなく、
宮崎 じゃなく、
中村 なんか、上演の一回性に対する感覚が僕は結構もう薄れてるのかも、
宮崎 ええ?(驚)
中村 どうせもう絶対に一回性だから、みたいな感覚。
宮崎 屋根裏の稽古は再現性高める系ですか?
中村 再現性高くないと思うけど、「ここでこうしてください」という細かい振り付けはしないというか、なんか道路があって、そこにポイントはあって、そこは通過しなきゃいけないけどその通過の仕方は問わないという風にできたらいいなとは思ってる。でもわりに細かいとは俳優から言われるかな。
宮崎 それはポイントの数が多いみたいなこと?
中村 うーん、どうなんだろう。なんかサッカーみたいな、作戦はいっぱい練るけど結果はボールの動き方でかわるよねって思ってつくってる。
宮崎 ずっとそのやり方ですか?早く言ってとか言わずに、
中村 うん、2017年くらいからかな。「とおくはちかい」から。その頃からこちらが細かく操作するよりも、俳優が自分で立ち上げる方がいい結果になることが多いなと思うようになって。てか、演出が言ってくれたことを俳優がやってくれるのって気持ち悪くないすか?
宮崎 なんかわたしそれ、やられることが嫌なんじゃなくて、待たれることが嫌なのかもしれない。振り付けでもなんでもいいんですけど、言う事を待たれるのが。言うことが百になるのが嫌というか、
中村 うん。だから、言う事を待たれる感じにしないための空気づくりを頑張るのかもしれない。そうすると、俳優が「あなた(演出)今気づいてないかもしれないけどこうしてみましたけど」みたいなことが起きやすくなるなって。
宮崎 そう、稽古場をお客様いらっしゃいみたいなかんじにしないほうがいいと思ったりもします。ファシリテーターみたいにならないっていうか。稽古場自体にはよっしゃ行こうってしないと今行けないけど、稽古場でウェルカム~みたいな感じじゃなく、気を使いすぎないでいれてれば結構うまく行きやすいのかもなって思ったりする。
中村 ウェルカムにしたほうが俳優が観客みたいに待っちゃう気がするね、なんかサービスしてくれるんですか?みたいな状態になっちゃうというか。
宮崎 そうそう。
2023年9月中旬 ZOOMにて
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プロフィール 宮崎玲奈(みやざき・れな) ムニ主宰・劇作家・演出家。1996年高知県生まれ。明治大学在学中に演劇学校無隣館に通い、2017年ムニを旗揚げ。青年団演出部に所属した。第11回せんがわ劇場演劇コンクールにて『真昼森を抜ける』で演出家賞。大学卒業制作の『須磨浦旅行譚』が令和元年度北海道戯曲賞最終候補。その他の作品に『ことばにない』など。
〈次回公演〉 ムニ『つかの間の道』『赤と黄色の夢』二本立て公演 2024年3月9日(土)-17日(日) 会場:アトリエ春風舎 作・演出:宮崎玲奈(『つかの間の道』) https://muniinum.com/2024/01/25/tukanomaakakiyume/
【演出】 那須塩原市ART369プロジェクト実行委員会 劇「わたしのまち」 2024年6月7日(金)-9日(日) 会場:那須塩原市図書館みるる ホール
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siteymnk · 1 year ago
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2023年の文化活動(一覧)
昨年もたくさん行脚しました。特筆すべきはコロナ禍からの本格的な脱却、夏休みの北海道旅行、勤続30年目のリフレッシュ休暇で西日本周遊、だろうか。行きつけの美術館は展示替えの都度、再訪するルーチンが確立。思ってたよりコンサートにもたくさん行ってた(クラシック系が多い)。地方の美術館(県立レベルの)を攻略する楽しさを知ってしまったので、今年も隙を見て行ってみたい。
星野道夫 悠久の時を旅する@東京都写真美術館
プリピクテジャパンアワード@東京都写真美術館
野口里佳 不思議な力@東京都写真美術館
パリ・オペラ座─響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台@東京都現代美術館
MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd@東京都現代美術館
DOMANI・明日展 2022-23@国立新美術館
クリストとジャンヌ?クロード 包まれた凱旋門@21_21 DESIGN SIGHT
ハンドメイドジャパンフェス冬2023@東京ビッグサイト
室内楽・シリーズNo.22 デュオの世界 <チェロとピアノのための>@東京文化会館
驚異の声、驚異の言葉─未体験の音空間へようこそ!@横浜みなとみらいホール
Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎@東京オペラシティーアートギャラリー
3331によって、アートは『    』に変化した@3331 Arts Chiyoda
恵比寿映像祭2023@東京都写真美術館へ
同潤会アパート渋谷@白根記念渋谷郷土博物館・文学館
引き寄せられた気配@トーキョーアーツアンドスペース 本郷
東京都水道歴史館
開館60周年特別展「横山大観と川端龍子」@龍子記念館
0~8848M・地上の紋――中国空撮写真展@日中友好会館美術館
毎年恒例の岡本太郎現代芸術展@岡本太郎美術館
六本木クロッシング2022展:往来オーライ!@森美術館
わたしたちは生きている!セタビの森の動物たち@世田谷美術館
それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱@世田谷美術館
平原まこと 50周年 メモリアルコンサート@東京国際フォーラムCホール
吉松隆オーケストラ傑作選 吉松隆の<英雄>@東京芸術
動物会議 緊急大集合!@ギンザ・グラフィック・ギャラリー
VOCA展2023@上野の森美術館へ
藤子不二雄のまんが道展@豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
昭和レトロ館
ヴォクスマーナ 第49回定期演奏会@豊洲シビックセンターホール
第52回邦楽演奏会@国立劇場
ダムタイプ|2022: remap@アーティゾン美術館
アートを楽しむ 見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館
画家の手紙@アーティゾン美術館
重要文化財の秘密@東京国立近代美術館
明治美術狂想曲@静嘉堂@丸の内
今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティアートギャラリー
収蔵品展076 寺田コレクションハイライト(前期)@東京オペラシティアートギャラリー
ブルターニュの光と風@SOMPO美術館
情景の地 ブルターニュ モネ、ゴーガン、黒田清輝が見た異郷@国立西洋美術館
エドワード・ゴーリーを巡る旅@松濤美術館 応挙と蘆雪@東京黎明アートルーム
「ラ・フォルジュルネ2023」 公演番号:313止まらない!若き活力の横溢と抒情 公演番号:324大作曲家に楽器の制約ナシ!SAXカルテットによる名曲の解答
島じまん2023@竹芝桟橋
デザインフェスタ vol.57@東京ビッグサイト
東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
ルーヴル美術館展@国立新美術館
清澄庭園
大阪の日本画@東京ステーションギャラリー
第63回 海王祭@東京海洋大学 越中島キャンパス
マティス展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2023
夢と自然の探求者たち―19世紀幻想版画、シュルレアリスム、現代日本の作家まで@群馬県立館林美術館
原始神母 THE DARK SIDE OF THE MOON 50th ANNIVERSARY@日比谷公園大音楽堂
本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語@東京都写真美術館
TOPコレクション セレンディピティ 日常のなかの予期せぬ素敵な発見@東京都写真美術館
田沼武能 人間讃歌@東京都写真美術館
発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間@府中市美術館
プレイプレイアート展@ワタリウム美術館
下町七夕まつり@かっぱ橋本通り
モネ・ルノワール 印象派の光@松岡美術館
フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館
川崎水族館
F.A.T.2023 Summer Concert FireBird & AzBand & TAKEBAN@月島社会教育会館ホール
山下清展 百年目の大回想@SOMPO美術館
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ@アーティゾン美術館
野又 穫 Continuum 想像の語彙@東京オペラシティー アートギャラリー
没後10年 映画監督 大島渚@国立映画アーカイブ
熊谷守一美術館
三井高利と越後屋@三井記念美術館
北海道旅行 ファーム富田 旭山動物園
恋し、こがれたインドの染織@大倉集古館
ブラチスラバ世界絵本原画展@うらわ美術館
特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン@東京国立博物館
誰かのシステムがめぐる時@TOKAS本郷
東京大学総合研究博物館
第21回東京音楽コンクール(ピアノ部門)の本選@東京文化会館
テート美術館展@国立新美術館
ガウディとサクラダファミリア展@国立近代美術館
ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
コレクション展2023-3@青森県立美術館
大巻伸嗣 地平線のゆくえ@弘前れんが倉庫美術館
弘前昇天教会
旧五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)
旧東奥義塾外人教師館
旧弘前市立図書館
山車展示館
弘前城
津軽藩ねぷた村
カトリック弘前教会
荒木珠奈 展@東京都美術館
ARTBAY TOKYO アートフェスティバル2023 CIRCULATION -ひともまちもせかいもめぐる‐@臨海副都心エリア
生誕140年 モーリス・ユトリロ展@横浜高島屋ギャラリー
全日本模型ホビーショー@東京ビッグサイト
デヴィッド・ホックニー展@東京都現代美術館
「あ、共感とかじゃなくて。」@東京都現代美術館
ステファン・サグマイスター ナウ・イズ・ベター@ギンザグラフィックギャラリー
福田美蘭 「美術ってなに?」展@名古屋美術館
生誕120年 安井仲治YASUI NAKAJI: PHOTOGRAPHS@愛知県美術館
フランク・ロイド・ライト  世界を結ぶ建築@豊田市美術館
漆の彩り・黒と金の幻想 - 高橋節郎@豊田市美術館(髙橋節郎館)
コレクション展 歿後20年 若林奮@豊田市美術館
2023年度 ��2期 コレクション展@豊田市美術館
山田寅次郎展@ワタリウム美術館
Japan Mobility Show 2023@東京国際展示場
黒田記念館(特別室開室)
横尾忠則 寒山百得展@東京国立博物館
東京国立博物館の寒山拾得図
デザインフェスタ vol.58@東京ビッグサイト
永遠のローマ展@東京都美術館
上野アーティストプロジェクト2023 いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間@東京都美術館
動物園にて ―東京都コレクションを中心に@東京都美術館
第64回 日本版画会展@東京都美術館
「今こそ、ルーシー!」 ~LUCY IS HERE~@スヌーピーミュージアム
大原美術館
そして船は行く@高知県立美術館へ。
大塚国際美術館
コレクションハイライト@福岡市美術館
芥川龍之介と美の世界 二人の先達─夏目漱石、菅虎雄@久留米市美術館
遠距離現在 Universal / Remote@熊本市現代美術館
第3期コレクション展:宮崎県立美術館
MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ@東京都現代美術館
MOTコレクション歩く、赴く、移動する 1923→2020 特集展示 横尾忠則―水のように 生誕100年 サム・フランシス
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館
第4回カルチャー芸術展@国立新美術館
第12回 躍動する現代作家展@国立新美術館
21世紀アートボーダレス展(2023)@国立新美術館
JAGDA国際学生ポスターアワード2023@国立新美術館
第63回全国矯正展@東京国際フォーラム
ゴッホと静物画―伝統と革新へ@SOMPO美術館
ピカレスク・ニュー展 Vol.8@ピカレスク
モネ 連作の情景@上野の森美術館
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kachoushi · 1 year ago
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅰ
花鳥誌2024年1月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
 「恋の季題」は材料も尽きてお開きとしたが、書き物は続けてほしいとのお話だったので、『虚子百句』を私なりに読んでいくことにしたい。
 まず、本書の成り立ちや、おおよその性格を説いて、なぜこの書物を丁寧に読んでいくことにしたのか、その理由をあらあら述べておきたい。
 本書は昭和三三年、すなわち虚子の亡くなる前年の自選句集である。京都の便利堂からの依頼を受けたもので、短時日の間に選んだものであるから、本書の価値は、ある程度割り引いて考える必要はある。が、ともかくも虚子が、自分の代表作と認めた百句だったことは間違いない。
 選句の基準については、追々検討を加えていくが、まず揮毫しやすく、たびたび揮毫してきた句であったことは、序で虚子自身が明らかにしている。本書は、虚子の揮毫を写真で掲載し、五十句ずつを高濱年尾と星野立子が分担して、簡単な句の評釈をつけるという趣向のものだった。年尾の跋文によれば、虚子も事前に二人の文章を検したという。
 本書の企画を持ち込んだ便利堂は、明治二十年創業の書店兼出版社である。コロタイプ印刷機を早くに導入し、美術書の出版で信頼を得た。岡倉天心が創始し、今日でも美術史学の権威的雑誌の位置を保っている「國華」は、便利堂の図版印刷の高度な技術が遺憾なく発揮されたものである。
 四代目店主中村竹四郎は、国宝級の貴重書の複製印刷をも数々手がけ、『虚子百句』刊行の翌年には文化功労者として表彰されている。虚子の字は、それ自体が俳句文化の遺産としての価値を持つ、と認識されていたわけである。
 つまり、主役は百句のみならず、その揮毫でもあったわけで、この点には留意しなければならない。書は、運筆から句の呼吸や中心点を確認できる。同じ字であっても、楷書か行書かといった書き分けがあれば、それは句の眼目ともなる。
 一例を挙げよう。小諸市立虚子記念館に残る十二ヶ月十二句の揮毫を屏風に仕立てたものは、展示の目玉だが、「心」を詠んだ句が三句ある。
  鶯や文字も知らずに歌心 虚子
  二三子や時雨るる心親しめり 同
  我が心ある時軽し罌粟の花 同
 このうち三句目のみ「心」はきちんと楷書で書かれ、他の二句はややリラックスした崩し字となっている。三句目は愛児六を失った悲嘆の中で詠まれた句だからである。書道家に聞くと、「心」の字のバランスは、筆をとる者の「心」を反映するのだと言う。
 こうした鑑賞の醍醐味も『虚子百句』にはあることが、当然予想される。年尾の跋文によれば、この頃の虚子は眼が弱って、それが字に出てしまっている、という。確かに、青年期・壮年期のそれから比べ、運筆の力や字配りを焦点化する眼の力の衰えは隠せない。それでも、修練とは凄いもので、序文の虚子自身の言によれば、百句の大方は一、二時間で揮毫してしまったというから驚きである。字の味わいも、私の能力の範囲で解説を試みたい。
 本書の構成は、春夏秋冬・新年の部に分かれ、各部の句の配列は、成立順となっている。従って明治・大正・昭和と万遍なく句が拾われている。『百人一首』が古典和歌そのものの粋であり、歴史でもあるように、『虚子百句』も虚子の句業の入門書にして到達点でもある。これが本書を読む何よりの理由である。
 本書の装幀を担当した福田平八郎(一八九二〜一九七四)についても、簡単に触れておこう。虚子との縁は、『虚子京遊録』(昭和二三年)『喜寿艶』(昭和二五年)に続き、これが三度目である。  大分出身で、上村松園や竹内栖鳳も出た京都市立絵画専門学校を卒業。京都日本画画壇で重きをなす。トリミングやデザイン感覚に秀で、書物の装幀も得意とした。『虚子句集』の竹の絵は、自家薬籠中の画題であったと考えられる。
 本書は二〇一〇年、岩波書店から復刊された。解説は東京大学教授であった、日本近代文学専攻の野山嘉正が担当した。
 最後に一言。平成期、伝統派で、虚子句の解説つき選集といえば、稲畑汀子氏の『虚子百句』が定番だった。虚子自身の選句とは違ったところに新味を出した素晴らしい本だが、時に稲畑氏らしからぬ、非常に硬い内容と文章の評釈があるのは惜しい。この連載は、あくまで虚子の自選に立ち戻り、虚子句の成立事情と、選句の背景を平易に語ることに徹したい。ただし、この自選句集の性格上、私の虚子観・俳句観が問われることは言うまでもない。
1 美しき人や蚕飼の玉襷
 初出は明治三十四年四月三十日の新聞『日本』。季語は「蚕飼」。蚕はふつう四月に孵化して繭籠る。
 初出では「蚕」の題で内藤鳴雪・坂本四方太・河東碧梧桐・佐藤紅録らの各三句も載る、題詠句である。虚子の他二句は〈蝋燭の灯影に白き蚕かな〉〈蚕飼ふや年々ふやす桑畠〉。『新歳時記』にはこの句を採用せず、写生句らしい〈逡巡として繭ごもらざる蚕かな〉を載せたか。
 蚕は食欲旺盛だ。食べ残した桑やフンは蚕網(さんもう)を使って取り除く。蚕は眠る。睡眠と脱皮を四回ほど繰り返して成長すると、絲を吐き始める。ここで蔟(まぶし)という仕切りのある箱に移す。繭籠らせるのである。絹糸を吐き、繭を成す様は、実に神秘的だ。春の陽が漏れてくる中、吐き出されたばかりの絹糸は光そのものである。この過程に、ひと月ほどはかかる。
 蚕網をかけ、桑を与えると、蚕は網目を通り上にあがる。蚕網の下は蚕のフンと桑の食べ残しが残る。網を上げると、蚕とフン、食べ残した桑の分離ができる。蚕の成長に合わせて網目の大きなものへ変えながら使用する、といった具合である。丁寧さと経験が要求される女性の仕事である。
 養蚕は、明治期日本の主要産業だった。欧州では産地の南仏で病害が発生し、需要が高まったのである。巨利を成した者も多い。出荷は横浜が多かった。
 女性は襷掛けで、髪も縛る。明治期の浮世絵等を見ると、襷の色は赤が代表的である。かの富岡製糸工場では、技術のある女工は赤襷をして周囲から尊敬されたという。
 国を挙げての養蚕業振興を宮中も率先して奨励し、皇后美子が手ずから養蚕を行い、浮世絵などで宮中養蚕が喧伝された。皆赤襷で、髪はおすべらかし、すなわち、後ろでまとめた髪に「長かもじ」を継ぎ、水引や絵元結などを掛けて、長く垂らしたのである。
 結髪の問題にこだわったのも、襷掛けの女性は、皆髪を結ったり、挙げたりして、うなじがあらわになる点が一句の焦点だと考えるからである。つまり、「美しき人」の美しさの拠って立つところは、「襷」に暗示される、黒髪と白いうなじだったのだ。
 「玉襷」という言葉は、『万葉集』以来ある言葉で、これ自体一種の神々しさを醸し出す。『虚子百句』の評釈で、年尾が宮中養蚕を詠んだと解したのも一理ある。しかし、もっと重要なのは、「玉襷」は「うなじ」の連想から、大和の畝傍山を呼び出す決まり文句だったことの方である。謡曲の「恋重荷」に用例がある。虚子がこれを知らないはずはない。
 蚕と繭の「白」と、後れ毛を残したうなじの「白」の連想が、この女性の「美し」さを支えるものだったと考えたい。虚子は、和装の女性の髪にはかなり執心した。
 「まあ旦那でいらしつたんですか。どなたかと思ひましてね。お断り申しましたですけれど何だか気になりまして、一寸御挨拶だけに。どうも姉さん有難う。姉さん有難う」と二人に挨拶して末座に坐つたまゝ一寸こぼれた鬢を掻き上げる。
 小光は総髪の銀杏返しに結つてゐるのが仇つぽくて、薄つすらと白いものゝついてゐる額の広々としてゐるのも美しい。 (『俳諧師』)  小光のモデルは、女義太夫の竹本小土佐で、虚子は彼女の語りがかかる東京中の演芸場へ出かけ、追い回したのであった。虚子の眼裏に焼きつけられた美しさは、挙げた髪やこぼれた鬢にあった。
 谷崎潤一郎も言っている。女性美の焦点は首だと(『陰翳礼賛』)。和服で身体が露出するのは、首・手先・襟足だ。首は細く長くなければいけない。「猪首」という言葉を想起すればよい。肌は白くなければいけない。そこにうなじの後れ毛が色気を呼ぶ。
 「玉襷」はその呼び出しであり、それは説明しないことが肝要だから、「美しき」とだけ冒頭に置いて謎を掛けた。だから、『喜寿艶』でも、この句については、木で鼻をくくったような説明しかしていない。
 完全な主観句で、実際にそういう女を見たのか、絵の中の女か、記憶の中の女か、そんなことはどうでもいい。小説家志望で主観派が本質だった虚子らしい、冒頭の一句なのである。『虚子百句』は『新歳時記』のような教育的意義を取り払った、「作家」虚子の選集だった。
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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yotchan-blog · 2 months ago
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2025/3/2 8:00:04現在のニュース
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applemusicbonker · 2 years ago
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G01 『ゴジラ』(1954)
スタッフ 製作:田中友幸、監督:本多猪四郎、特殊技術:円谷英二/音楽:伊福部昭/原作:香山滋 、脚本:村田武雄、本多猪四郎
出演:宝田明、河内桃子、平田明彦/鈴木豊明、 山本廉 /村上冬樹、堺佐千夫/小川虎之助/菅井きん/橘正晃、池谷三郎/手塚勝巳、中島春雄/高堂國典/ 志村喬ほか
 第1作『ゴジラ』はモノクロ(白黒)映画。画面は暗く、ボロボロで、役者のセリフもちょっと聞き取りづらい。70年も前の映画であるから、それは仕方がない。映像の保存状態が悪いのは古い日本映画の宿命である。
 逆に言えば、それだけゴジラの歴史は長い。映画の解説というよりは歴史の授業になるが、制作・公開されたのは1954年=昭和29年で、太平洋戦争に敗れ、アメリカ・イギリス・中国ら連合国に対して無条件降伏をした1945年=昭和20年から、まだ10年も経たない頃だった。同じ年に公開された日本映画の名作は『七人の侍』『二十四の瞳』など。そして『ゴジラ』……やはりゴジラは日本の歴史の一部なのかもしれない。なにせ公開の2年前、サンフランシスコ講和条約が結ばれる1952年=昭和27年まで、日本は独立国家ですらなかった。 日本はアメリカを中心とするGHQ(連合国軍総司令部)によって占領されており、 非日常の暮らしが続いていたという意味では、まだ戦争は終わっていなかったのだ。これは現代の人間が「終戦記念日は1945年8月15日」と頭ごなしに覚えてしまうと逆に見えなくなってしまう事実で、 ゴジラと戦争の記憶は現代の人間が思うよりずっと近い場所にいる。
 特撮マニアであれば当然知っていることだが、単にゴジラを単なる日本生まれの怪獣としてしか認識していない人は果たして知っているだろうか。ゴジラはアメリカによる水爆実験の放射能を浴びることによって生まれた古代の生物であり、広島・長崎に落とされた原爆の被害者と同じ、被爆者である。そして、映画公開の8ヶ月前の1954年3月に発生した「第五福竜丸事件」も無視できない。遠洋漁業に出ていた日本のマグロ漁船がアメリカの水爆実験に遭遇し、船員が被曝。平和な時代が来たはずなのにま��もや核兵器による日本人の犠牲者が出てしまい、大きな社会問題となっていた。だからゴジラが海から現われて文明を破壊しにやってくるのは自然か、あるいは神か、何者かの怒りを代弁する行為でもあり、人類が犯した罪をことさらに意識させるものであった。それならゴジラにはその元凶であるアメリカで暴れてもらうのが筋という気もするが、たまたま日本の近海を住処にしていたゴジラは大空襲の記憶もまだ生々しい東京に上陸。ようやく復興の兆しが見えてきた街はゴジラによってふたたび破壊し尽くされる。この理不尽な悲劇の連鎖もまた、戦時中の延長にあるものではないだろうか。ちなみに、映画の中に出てくる「原子マグロ」というセリフは、「第五福竜丸が戻った静岡の焼津港で水揚げされたマグロには放射能が含まれている」という風評被害が出回ったことを指している。
 また、昭和20~30年代の日本映画では、登場人物の肉親が空襲や戦闘で亡くなっていたり、かつて豊かだった一家が戦争を境に貧乏になっていたり、まだまだ日常に戦争が残っていた時代の映画には、戦争映画でなくてもそういう設定が当たり前のように出てくる。本作に登場する芹沢博士(平田昭彦)もそうした設定のもとに描かれる人物で、右目は眼帯で隠れており、それについてはほとんど説明がないのだが、これは戦争で負傷したものだと思われる。そんな社会的背景のさなかに生まれた大怪獣・ゴジラが映画のスクリーンの中でどのように暴れ、観客にどのくらい大きな衝撃を与えたのか? もしかすると、この映画を観ることで当時の日本人の気持ちを追体験できるかもしれない。
 多くの観客に共感し、楽しんでもらうために、映画はしばしば「社会を写す鏡」になる。例えば、生物が放射能を浴びて巨大化、あるいは凶暴化する…という設定は、 『原子怪獣現わる』や『放射能X』など、『ゴジラ』より少し早い時期のハリウッド産のモンスター映画ですでに見られたものだが、唯一の被爆国である日本人がこの設定で映画を作るとなると、単なるエンターテインメントを超えた説得力がおのずと含まれることになる。監督の本多猪四郎(ほんだ・いしろう)が終戦までの8年間、映画の現場を離れて従軍していたことも『ゴジラ』に託されたテーマと大きな関係があるだろう。かくして単に怪獣が街を壊すだけの娯楽映画だったはずの『ゴジラ』は、結果として「社会を写す鏡」になった。公開初日=11月3日から観客は映画館に長蛇の列を作り、その一方で新聞や雑誌といったマスコミからは『ゴジラ』は時事ネタをうまく取り入れ、ジャーナリスティックな視点を持った「反戦・反核映画」として、一定の評価もされることにもなった。
 本作の特撮場面を手がけ、のちに『ウルトラマン』などを生んだ特技監督・円谷英二(つぶらや・えいじ)のクレジットは「特殊技術」。あくまでも技術スタッフの責任者、といったところだ。それに当時は「特撮映画」という言葉はまだ生まれていない。映画の歴史の初期からいわゆる特撮を目玉にしていた作品は忍者が忍術を使うチャンバラ映画などいくつかの例があるが、『ゴジラ』以前は「トリック映画」「見世物映画」などという説明がついていた。インチキで、安上がりで軽い。そんなニュアンスが読み取れる。ところが『ゴジラ』はどうだろう? 日本人に戦争のトラウマを蘇らせることも厭わない、容赦のない破壊スペクタクル。未来に生きる我々が戦時中の空気感を知ろうと思うなら、(もちろん戦中の作品を観るに限るのだが)もしかするとこの映画を観たほうがよりとっつきやすい形でわかるような気がするのだ。当然のことながら、この戦争の影を引きずった陰鬱なムードは戦後の復興を経て、シリーズが進むごとに消えていく。その後ゴジラは2代目、3代目と続いていくので、本作のゴジラは「初代ゴジラ」とも呼ばれている。昭和29年という時代のなかで傷つき、苦しみながら産声を上げるゴジラの初姿を、しっかりと見届けてほしい。
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