#磐谷和泉の栄光と倦怠
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【インタビュー】フランスの国立劇場で日本語一人芝居を上演
三島景太(SPAC俳優)・平野暁人(通訳・翻訳)インタビュー 『磐谷和泉の栄光と倦怠』のリモージュ公演を終えて
聞き手・構成:片山 幹生(WLスタッフ)
〔平野暁人氏(左)、三島景太氏(右)。2017年1月21日(土)@静岡芸術劇場カフェ・シンデレラ。写真撮影:片山幹生〕
【フランスの国立劇場での単独公演への道のり】
2016年12月、フランスの中央部にある都市、リモージュの国立演劇センター(ユニオン劇場)でSPAC俳優の三島景太の一人芝居『磐谷和泉の栄光と倦怠』が上演された。異国の地の劇場に単身で乗り込み、公演を行うなんて見上げた心意気ではないか!こうした活動はがぜん応援したくなるのが人情というものだ。しかし果敢な挑戦ではあるけれども、フランスの地方都市の劇場で、無名の日本人俳優が日本語(フランス語字幕)で一人芝居を演じたところでそれがどれほどの注目を集めるだろう、とも正直思っていた。ところがこの公演が大成功を収めたのだから痛快だ。フランスを代表するメディア情報誌『テレラマ』の12/5号に劇評が掲載されたのを皮切りに、私が確認した限り、6媒体がこの公演を劇評で取り上げ、いずれも激賞していたのだ。この作品は2014年春に『ジャン×Keitaの隊長退屈男』のタイトルで、SPAC(静岡県立舞台芸術センター)が主催するふじのくに⇄せかい演劇祭で初演されたものだ。
〔リモージュ公演写真。photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
初演こそSPACの演劇祭での上演だったが、この作品はSPACの主導で制作されたわけでなく、昨年のリモージュでの公演もSPACは関わっていない。作者・演出家のジャン・ランベール=ヴィルド(リモージュ国立演劇センター芸術監督)が、静岡で目にした三島景太の劇的身体にほれ込み、彼が17歳のときに書いたフランス語の戯曲を三島が演じるために大幅に書き換えた。平野暁人はジャンに見込まれ、翻訳・通訳だけでなく、作品の制作まで全面的に引き受けることになった。この三人の情熱によってこの作品の公演は可能になったのである。2014年の静岡、16年のリモージュでの公演を終え、彼らはこの作品をさらに別の場所で上演することを計画でいる。インタビューでは公演実現までの道のりで、三島と平野がフランス人演劇人とどのような共同作業を行い、一つのチームとしてどのように信頼関係を育んできたのかを聞いた。
【01:偶然のチャンスを逃がさない】
片山:この作品は一人芝居ですが、俳優の三島景太さん、作・演出のジャン・ランベール=ヴィルドさん、そして翻訳・通訳の平野暁人さんの三人四脚で作品を作っていったのですか?
平野:三人ではなく、五人のチームで作った作品ですね。三島、ジャン、僕以外に、アシスタントのアリシア、それから音響のクリストフが、このクリエーションの核になっています。
片山:作品の初演は2014年春のふじのくに⇄せかい演劇祭ですね。それ以前にランベール=ヴィルドとSPACの間で関わりはあったのですか?
平野:ジャンがSPACで最初に上演したのは、2011年8月の『スガンさんのやぎ』という親子向けの作品でした。この作品はSPAC以外でも北九州芸術劇場と鳥取の鳥の劇場でも公演がありました。これがジャンとSPACの最初の関わりになります。
三島:ジャンがフランスで作った作品をそのまま持ってきたもので、これもイタリア人の女性俳優による一人芝居でした。
片山:ジャンが三島さんのことを知ったのはいつだったのですか?
三島:この『スガンさんのやぎ』の公演の一年前の2010年秋にジャンが静岡芸術劇場に下見に来たのです。その時に僕は今井朋彦さん演出の『わが町』に出演していました。この『わが町』のときは、今井さんの演出が好きにやらせてくれたので、それまで長年やってきたスズキ・メソッドをベースにして、人形ぶりのような動きで激しく動き回って演じてみたんです。ジャンはそのときの僕の脚の動きを見て「この役者で昔書いたあの一人芝居をリクリエーションしてみたい!」と思ったそうです。
片山:劇評でこの作品は17歳のときにジャンが書いた作品だとあったのですが、その後、十数年間、この作品が上演されることはなかったのですか?
平野:そうなんですよ。十数年上演されることがなかった作品で、ジャンの大叔父さんでかつて第一次世界大戦にも従軍したフランス兵をモデルに書かれた一人芝居だったのに、三島さんの脚の動きを見て、突然、やりたくなったっていうんです。本当にドラマチックだと思います。その後、三島さんのほうにはSPACを通じてすぐにアプローチがあったんですよね?
三島:うん、そうだった。
平野:それからわずか数ヶ月後の2011年2月に『スガンさんのやぎ』の公演の準備のためジャンが再来日しました。僕はこの作品のナレーション録音の通訳として仕事に入ることになりました。その時にジャンが僕の仕事ぶりを買ってくれて、意気投合というか、半ば口説き落とされた感じですかね。「実は今後、これこれこういう一人芝居をミシマという俳優で上演しようと思っているんだけれども、ぜひ一緒にやってくれないか?」と。その流れで急きょ三島さんにもお会いすることになりまして。
三島:2011年2月は、僕はSPACでの仕事がなくて、東京でSPACとは別の芝居の公演をやっていたんです。ジャンのこのときの日本滞在は二、三日だけだったのですが、彼が空いている日時にちょうど僕も空いていて。本当に偶然のタイミングで東京で会うことができたのです。そのときにはじめてジャンと平野くんに僕は会いました。
片山:三島さんにはSPACを通じて連絡が���ったのですか?
三島:宮城聰さんから「ジャンが三島くんの動きに興味を持ったと言っていたよ」という話は聞いていたし、SPAC文芸部の横山義志さんからは、「ジャンが昔やった作品を三島くんとやりたいと言っていたよ」と聞きました。それで僕はこれは大きなチャンスだと思って、横山さんに「俺もこの話は絶対実現させたい。ジャンとの連絡をとってくれ」と頼んでいました。
片山:でもこの時点では一人芝居だということさえ知らなかったわけですよね?
三島:どんな作品だか全く知りませんでした(笑)。でも向こうが興味を持ってくれるのだったら、是非やりたいからと横山さんからジャンに伝えてもらったのです。それで2月に会ったときにはじめて台本を渡されました。
平野:2月に再来日したときに、ジャンはなにがなんでもこの作品を三島さんで上演するつもりで、台本の粗訳を既に用意していました。なにしろ思いついたら片っ端からどんどん進めていく人なので。三島さんを見初めた、自分はやると決めた、自分はフランスの劇場の芸術監督なので最低でもそこでの上演は可能なはずだ。できるところからとにかくやっていく。それでその粗訳のチェックをしてほしいと頼まれたのです。僕は当初、何度も断りました。人様が心血を注いで上げた仕事をパラパラと流し読みしてコメントするというのは本来、著しく敬意を欠いた、プロとしてあるまじき行為ですから。ところがジャンは先ほどもお話しした通り、一旦こうと決めたら意地でも退かない人。仕方なく僕のほうが折れ、その場で読んでみたところ、いろいろ問題があり、それを指摘しました。すると「ぜひ君が翻訳をやってくれ」と頼みこまれて。どうしてもというので、単なる翻訳のピンチヒッターとしてではなく、この先も一貫して責任ある立場でこのクリエーションに関わらせてもらえるなら、という条件を提示しました。するとジャンは僕の目の前でやおらiPhoneを取り出し、フランスへ電話をかけて制作主任(=ジャンの妻)を呼び出すと、「もしもし、我らがファミリーに新しい仲間を迎えることに決めたよ。今後、日本に関する事業展開はすべて彼とやっていくから」と。あっけにとられましたが、それ以上に感激し、高揚したのをよく覚えていま��。
【02:日仏の文化ギャップのすり合わせ作業】
片山:地方の劇場の公演であれだけ多くの劇評が出るということは、ジャンはフランスではすでに高い評価を得ている演出家なのでしょうか?
平野:ジャンは34歳くらいでカーンの公立劇場の芸術監督になっていて、これはとても若いです。しかも彼はフランスの国立高等演劇学校(コンセルヴァトワール)の出身ではないんですね。高卒でそのまま演劇の道に入ったかんじで、フランスではきわめて稀なケースといえます。僕は僕で博士課程ではアルジェリア戦争史を専攻していたまったくの門外漢なので、ジャンに「そもそも僕は演劇の研究なんかしたことない人間なんだよ、それでもいいの?」と言ったら、ジャンは「そんなの僕もしたことないさ」という返事で。ちなみにレユニオン島の出身です。生まれ育ちはレユニオンで、高校を出てから劇場などでバイトしながらお金をためて、確かパリで仲間と一緒に廃屋のようなところを借りて、自分たちで手直ししながらアンダーグラウンドで活動をはじめたと聞いた気がします。いわば雑草育ちの成り上がりですね。フランスの演劇人としては極めてユニークなキャリアの持ち主ですが、かなり早い段階でパリのシャイヨー国立劇場に招かれて作品を作っていますので、いわゆるエリートではないのだけれど、かなり若くから実績を積んできた人だといえます。
片山:翻訳にあたって、彼からリクエストはありましたか?
平野:翻訳と翻案の線引きですね。もともとはフランス軍人が主人公で第一次世界大戦の塹壕戦の話なのですが、それが日本人で第二次世界大戦になっている。骨格が大幅に変わるわけです。ジャンは、いかにも「西洋人がオリエンタリズムでやってみました」みたいにはしたくないと言っていました。かん違いしてわびさびにあこがれてとか、サムライやチャンバラとかに染まっているようには絶対したくないということで、丁寧に取材・調査していました。僕もそういう残念なフランス人には辟易していたので、ジャンの姿勢にとても好感をもちました。
片山:仏語版と日本語版の一番大きな違いは、第一次世界大戦が第二次世界大戦になったことみたいですが、他の状況設定については、あまり変更はなかったのでしょうか?
平野:あとは「神」の問題ですね。キリスト教的な発想を日本語版ではどうするのかという問題がありました。日本人兵士の話なので、キリスト教の一神教的世界観はあり得ない。ある程度は天皇であるとか、神道と仏教の混交など、日本的宗教観に寄せていかなければ説得力を持たない。この点についてはジャンと相当議論を重ねました
片山:このすり合わせで、フランス人であるジャンが持っている日本観とこちらの認識とのずれが問題になったりしませんでしたか?
平野:ジャンは勉強家で知識がありますし、他者や異文化に対する敬意もしっかり持っている人ですから、こちらが丁寧に説明すると「なるほど、それはきっとそうなんだろう」という受け取り方をしてくれました。「あなたがたはそう言うけれど、フランス人はこう思っているからこちらに合わせてほしい」というのはない人です。
片山:彼がレユニオン出身というのと、そういった相対化できる視点というのは関係あるかもしれませんね。
平野:そうですね。あの人は、いわゆる六角形のフランスについても距離のある人です。海外県、すなわち旧植民地であるレユニオンで育ったからこそ距離をとってフランスを見られる。それと同時に、レユニオン出身であるからこそ、フランスで活動するにあたっては、正統性を担保するというか、文学や哲学などのヨーロッパの教養の正統や根幹的部分は大事にしていますね。そこを押さえていないと軽んじられるというのがあるのかな。
片山:ジャンからは演出にあたってどのような要求がありましたか?
三島:最初は色んな映像を見せられました。外国の監督が撮った日本の軍人の映像とか、あとはフランスに行く前にこの作品を見ておいてくれというのがいくつかあって、それが市川崑監督の『ビルマの竪琴』と『野火』、それから小林正樹監督の『人間の条件』。
片山:演技のレファレンス資料としては、指定された映画の映像がベースだったのですね?
三島:それはもちろん、かなり参考にしました。この場面はあの映画のあの感じでという風に指示があって。「これで本当にいいのかな?」と思いながら、自分なりに考えてやったことを提示しました。お互いの誤解の中から、コミュニケーションが積み重なって、それが表現になっているように感じました。
【03:独立した個人のプロジェクトとして作品制作を始める】
片山:2010年の秋に三島さんを見て、それから2011年の2月にはもうこの作品を三島さんで再演することを決めていたんですね。でも初演は2014年春なので、それからかなり時間がたっていますね? 実際の稽古はSPACの公演が決まってからはじまったのですか?
三島:いえ、2012年の12月に、当時ジャンが芸術監督をやっていたカーンに呼ばれて、クリエーションしました。2週間で作ってしまう感じ。
平野:この時点ではSPACでは公演の話は全然出ていなくて。公演の可否については宮城さんも保留だったのですが、われわれはそういう状況のなかで実現に向けてできることを進めていきました。
三島:きっかけはSPACだったのですが、SPACとの契約ではなく、僕個人の活動としてこの作品の制作を行うというかたちで、作品を作っていったのです。平野さんもSPACとの契約ではなく、僕とジャンとの独立した仕事としてこの作品に関わることになりました。
平野:SPACの制作ではなかったので、稽古場をお借りするのもそう簡単ではなく、ジャンが当時、芸術監督をやっていたカーンの劇場が制作を丸抱えする形でのスタートでした。それでカーンにわれわれを呼んで、航空券、滞在費、ギャラもカーンの劇場が持つ。ジャンは男気のある人なので、自分��やると決めたら責任もって引き受ける、親��肌の人なんです。そこで2週間稽古を行いました。
片山:2012年の12月にカーンで2週間のクリエーションをやって、そこで試演会をやったのですか?
三島: 12月に劇場関係者の人に通し稽古は見せました。このときは美術はなしです。セリフも完全に覚えるのではなくて、台本を譜面台みたいなものに置いてそれを見ながら動くという感じでした。その一年後の2013年12月に美術も作り、字幕も出すかたちで、カーンでプレ公演を行いました。カーンの劇場からちょっと離れた場所にある稽古場のような場所です。その時点には2014年春のSPACふじのくに⇆せかい演劇祭で上演されることは決定していました。日本初演が決まっているなかでのフランス稽古というつもりで僕は行ったのですが、実際には稽古は一週間だけで、残りの一週間はほとんど色んな人に見せるプレ公演というという感じでした。
【04:ふじのくに⇄世界演劇祭での初演】
片山:ふじのくに世界演劇祭での公演はどういう風に決まったのですか?
三島:当初は春フェスでの上演ではなくて、SPAC俳優の自主企画公演、《ピアノと朗読》みたいな感じの延長線でできればいいなと僕は考えていました。そういう形でなら上演できるように思ったのです。ところがジャンが直接宮城さんに上演を売り込んだんです。ものすごく熱心に。メールはもちろん、仕事やバカンスで日本に来たとき、少しでも時間があると静岡にすっ飛んできて、「三島と創る芝居をSPACで上演させてくれ」と宮城さんに直談判したんです。しまいには「やってくれないと噛みつく」とか宮城さんに言ったそうです(笑)。宮城さんは最初はニコニコしながらいなしていたのですが、ジャンのその熱意は我々の作品の《SPACでの上演》という方向に宮城さんを動かしたのです。まさか芸術祭のプログラムとして上演されるとは僕は思っていなくて、芸術祭での上演が決まったときはものすごいプレッシャーを感じました。
片山:私が演劇祭での初演時にこの作品を見に行かなかったのはあのタイトルが実は引っかかったからなんですよ。フランス人の勘違いジャポニスムが盛り込まれた作品かなと思ってしまったのです。
平野:そうですか。あのタイトルは宮城さんの提案なのですが、我々としては演劇祭というこれ以上ない場を用意していただけた以上、あとはお任せしようと。ジャンは「宮城さんがやると言ってくれたんだから、細かいことはぜんぶ任せる」みたいな任侠の人のようなところがある人なんです。日本語のタイトルは『旗本退屈男』のもじりになっていて、実際にそれで興味を持って観に来てくださった観客の方も多かったと思います。
片山:静岡での初演の反応、感触はどうでした?
三島:正直、初日の舞台が終わるまでは、自分でもこの作品が日本人の観客にどう受け止められるか本当に不安でした。「こういうのもありだけれど……」という保留つきの反応が多いのではとか。
片山:静岡の前にやったカーンの試演会での反応はどうだったのですか?
三島:カーンでは評判がすごくよかったんです。ただ見に来ていたのはほぼ関係者だったので、一般の観客のフラットな評価というふうには受け取れませんでした。
片山:それでは日本での初演のときはかなり緊張されましたか?
三島:ものすごく緊張しましたね。終わって照明が消えたあと、ぱらぱらと拍手があるくらいかなと思っていたのですが、初日の舞台が終わってカーテンコールのときの拍手が、予想していたよりも熱狂的で、手ごたえを感じました。本番前の通し稽古を見に来てくれたSPACの人たちもいたのですが、一人芝居だったのでとりわけ感想を言うと僕が影響を受けると思って気をつかっていたみたいで。「がんばって」ぐらいで、感想については宮城さんも含め誰も一切何も言わなかったのです。
片山:平野さんも初日、当然劇場にいらしたと思うのですが、「やった!」という手ごたえはありましたか?
平野:実はあまりよく覚えてないんですよ(笑)。僕は上演中も字幕オペをやっていたんですが、これがかなり大変で。終演後はすぐにアフタートークの通訳をやらなくてはならなかったし。感慨とかお客さんの反応をうかがう余裕がなかったんですね。でも手前みそではありますが、宮城さんが翻訳をとてもほめてくださって。「これは平野君でなければできない仕事だったんでないか」と後からわざわざメールをいただきました。一方で非常に詩的なテクストだったので、耳で聞くだけでは理解しにくい箇所があるのではないかという懸念が稽古の段階から取沙汰されており、それについての具体的かつ有意義なご指摘もいただきました。
〔リモージュ公演写真。photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
【06:制作チームの信頼関係】
片山:2014年春のSPACでの公演以降は、昨年末、2016年12月のリモージュでの公演まで、この作品の公演はなかったのですね? 「いったいどうなったのだろう?」と不安になったりしませんでしたか?
三島:ジャンは「いずれフランスで必ずやるから」と言っていたので、いつか上演の機会はあるだろうと思っていました。焦りは全くなかったですね。僕はこの作品は自分のライフワークとしてやることになる作品と考えています。長いスパンで上演を続けて、そのときどきの経験でゆっくり育てていく作品にしたいと思っていますので。
平野:その間にジャンはカーンの劇場からリモージュの劇場に移籍しました。われわれがなぜこんなに安心してこの作品に取り組んでいけるかと言うと、ジャンは本当に言ったことを全部やる男なんですよ。「リモージュには劇場だけでなく、俳優養成の学校がある。自分はそろそろ次代の俳優を育成することも考えていかなければならないと思っている。だから絶対リモージュに行くんだ」、と彼は前から言っていました。で、そのとおり移ったんですね。個々のプロジェクトから自分の進路まで、有言実行の人なんですよ。2014年にSPACでやって、当初はその翌年にフランスでやると言っていたんですけど、それがだめになっても、ジャンがやると言っているんだから、どうせいずれフランスでやるんだ、という気持ちでわれわれは待っていました。
片山:リモージュでの公演決定の連絡があったのはいつ頃だったのですか?
三島:2015年の秋ですね。ちょうど僕はSPACで『王国、空を飛ぶ』の稽古をやっていたときでした。『王国』のときは筋肉トレーニングをハードにやっていた時期で体がサイズアップしていたので、それを来年に向けて体を絞っていかなければならないなと思ったのを覚えています。
片山:フランスでの公演の場合、契約はどのように行ったのですか?
平野:この作品に関してはSPACを通しての契約ではなく、僕は翻訳、通訳、字幕オペのほか、契約手続きを含め、制作業務全般を行いました。スケジュール調整から航空券の購入、出演料、映像や写真の整理、稽古日を含めた日当の問い合わせなど全てです。またこの作品では、私は翻案で大きく関与したので、僕とジャンの共作になっています。権利を完全に二等分にしようとジャンの方から率先して提案してくれたのです。著作権使用料も僕はいただいています。こういう部分でジャンは本当に信頼できる人間なんですよね。ファミリーになったら駆け引きとかいっさいしない。ちょっとマフィアっぽいというか。もちろん外とはいろいろ交渉するんですよ。でも身内になったら何でもざっくばらんに言えるし、絶対に嘘はつかない。
三島:出演料、交通費、滞在費などすべてリモージュの劇場の負担でした。
片山:向こうでのクリエーション期間中はどこに滞在していたのですか?
三島:劇場から歩いて15分くらいのところにあるアパルトマンに滞在しました。
平野:公演の稽古の前にまず2週間、演劇学校での授業というのがあって。この演劇学校での授業と公演のセットで招かれたんです。前半2週間は授業、後半2週間は公演というかたちです。
片山:授業プログラムを考えて渡仏したわけですね。
三島:SPACでやっている俳優訓練法を柱にごく大ざっぱにプログラムをイメージしていました。2週間のワークショップの講師をやるのは僕にとっては初めての経験でした。現場で生徒たちの状態を見てから具体的にどうしようか決めました。
片山:最後に作品を上演したりしたのですか?
三島:俳優訓練法だけだと間が持たないかなと思って、後半の一週間は作品を作ろうかなと思って戯曲も用意していたのですが。実際には作品を作る時間はなかったです。一日6時間で2週間、月から金で10日間なのでけっこう時間があると思っていたのですが。
片山:フランスの俳優志望の生徒たちは、頭でっかちでフィジカル面で弱い人が多いと聞いたことがあるのですが、どうでしたか?
三島:いやフィジカルができていないなんてことはなかったです。リモージュの生徒たちはすごく優秀でした。ただ同じようなことを僕も聞いていたので、行く前は日本の高校演劇みたいな感じなのかなと思っていたのですが、とんでもなかったです。
平野:補足しますと、校長であるジャン自身がものすごく俳優の身体性に重きを置く人なんです。彼が三島さんにほれ込んだ最大の理由は、それこそ三島さんがフランス人俳優が持っていない身体性を持っている点で、逆に言うと三島さんがこれだけほれ込まれたのはジャンから���るとフランス人俳優の身体に不満があったからですね。そういうこともあって、彼がリモージュに移って最初に選んだ生徒たちの選考においては、身体性を重視したそうです。500人からの応募があったと聞いています。
片山:現地ではコミュニケーションのギャップみたいなことはなかったですか?
三島:ないですね。コミュニケーションに対しては皆無。最初は言っていることがうまく伝われないとかあるんではないかと思ったのですが、そんなことはまったくなくて。ちょっと説明したら本当に本質的なところにたどり着く。あ、これできるんだったら、これもやろうという感じで、どんどん進んでいきました。思っている以上に何もかもがスムーズでしたね。
平野:学校だけでなく、2012年のジャンとの付き合い以来、われわれのあいだでコミュニケーションの行き違いみたいなことはまったくなかったです。ジャンの演出の面でも、スタッフとのコミュニケーション、劇場スタッフの受け入れ態勢にも。アシスタントもいつも身を粉にして働いていつも機嫌がいいし。ジャンはそういう環境づくりに長けているんですよね。気持ちよく仕事ができない人とは仕事はしない。
〔リモージュ公演写真。photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
【07:リモージュ公演の様子】
片山:今回は公演のための稽古は現地でどれくらい行ったのですか?
三島:リモージュでの稽古期間は4日間だけでした。そのうちジャンがいたのが2日だけ(笑)。それも一日中やるわけではなくて、「疲れているだろうから2時入りでいいよ」みたいな。 稽古の初日にいきなり頭から最後までやりました。この初日稽古には演劇学校の生徒たちが見に来てくれました。
片山:日本でも相当な段階まで準備していたのですか?
三島:2014年にやったことを踏まえて、セリフだけはしゃべり込むだけしゃべり込んでいこうと思っていて、リモージュ行きの三か月前から準備していました。ノルマを決めて一日に何回、最初から最後までセリフを間違えずにしゃべるとか。本能に叩き込むという感じでなければだめだと思って。それでセリフは完璧に入れて向こうに行ったのです。しかしセリフ以外は全部忘れていました。でも音がかかった瞬間に、体の記憶というのは根深くて、その感じにすっと戻れた。
片山:リモージュ版では2014年のSPAC版からの変更点はありましたか?
三島:SPAC版では4面囲みだったのが、3面囲みになりました。これが大きい変更点ですね。日本の公演では真ん中に櫓にあって、客席が4面でした。背中まで見られていたのです。リモージュ公演では字幕をつけなくてはならないので、3面になりました。櫓は盆踊りの櫓がモデルなので、食卓テーブル二つ分くらいの広さです。
片山:日本の歌曲も作品で使ったようですが、これはジャンからそういうリクエストがあったのですか?
平野:一緒に調べました。例えば学校の愛唱歌で誰でも知っている曲とか、少し神秘的なものとか。一緒に探してYoutubeで聞かせて��いう感じで。
片山:今回、私が確認しただけでも劇評が6本ありました。これは異例なことだと思うのです。地方の劇場での公演で6本、しかも好意的でかなり熱い内容の劇評が多かった。向こうの観客の反応も熱狂的でしたか?
平野:お客様の反応は本当によかったですね。
片山:リモージュ公演のほうがむしろ日本での初演より緊張はなかったのですか?
三島:リモージュでの公演は、日本での初日ほどセンシティブというかナイーブ、不安になることはあまりなかった。体の状態が多少万全とは言えないところがあったので、最後まで同じ状態でいけるかなというのはありましたが、これはまあ普通によくあることなので。
片山:劇場のキャパはどれくらいだったのですか?
三島:150人くらいです。
平野:舞台上舞台の特設だったので、それくらいになりました。本来の座席数は400くらいです。
片山:今回の成功のカギは? やる前から「いけるぞ」という感じはあったのですか?
三島:僕はフランスに関しては大丈夫だと思っていました。カーンでやった��きの感触からいって。
平野:カギはやはり三島さんの身体ですね。
片山:フランスの観客からすると非常に特異で印象的な身体性だったのですね?
平野:本当にそれはそうだと思います。90分という長時間、一人で舞台にたち、膨大な詩的なテクストを語る。字幕が観客にとってストレスになるかと思ったら、「いや、大丈夫。途中からそんなに読もうと思わなくなった(笑)。あの人を見ていればいいから、そんなに字幕が読めないストレスはない」といったことを言われました。書き手としては複雑かもしれないし、せっかく長台詞覚えた三島さんも気の毒だし、ついでに字幕をせっせと出している僕もちょっとだけ悲しいですけれど(笑)、それだけ三島さんの身体の存在感があったということだと思います。
三島:僕としては、ことばによって自分の身体が持っている潜在的な感覚を解放するという感じです。自分が何かをコントロールしているというよりは、言葉を発した時に体のなかに起こっていることにあらがわないでやっているだけなんです。それがいいのかもしれない。ジャンの演出自体、俳優の作為みたいなことを一切やらない。自然に出てきたもの自体をどう見せるかという感じなので。
片山:再演の予定はありますか?
平野:いろいろと話は出ていて固まりつつあるのですが、今の段階ではまだちょっと言えない状況ですね。フランスでも再演を目指していますが、まずは日本での再演を狙っています。
【プロフィール】 三島景太 1967年生。福岡県福岡市出身。水戸芸術館ACM劇場専属俳優を経て、1997年のSPAC創立時より所属。宮城聰、鈴木忠志、イ・ユンテク、竹内登志子、オマール・ポラス、原田一樹、今井朋彦、小野寺修二等、様々な演出家の作品に出演。国内外40都市以上での公演経験を誇る名優。主な主演作品『ロビンソンとク��ーソー』『ドン・ファン』『ドン・キホーテ』など。
平野暁人 東京都出身。翻訳家、通訳(フランス語、イタリア語)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手がける。戯曲翻訳としてはパスカル・ランベール『愛のおわり』、モーリス・メーテルリンク『盲点たち』他多数。訳書にカトリーヌ・オディベール『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)、クリストフ・フィアット『フクシマ・ゴジラ・ヒロシマ』(明石書店)他。演劇における日仏共同事業の仲介者として、青年団やSPACをはじめ、ジュヌビリエ国立演劇センター、リムーザン国立演劇センターなど国内外に複数の拠点を置き活動を続ける。
ジャン・ランベール=ヴィルド Jean Lambert-wild 劇作家・演出家。1972年、アフリカ・アジア・ヨーロッパの文化が混在するレユニオン島(フランス海外県、マダガスカル島の東方)生まれ。その特異な風土で培われた詩的想像力と、舞台技術に関する豊富な知識に支えられた魔術的演出術が高く評価され、2007年にノルマンディー国立演劇センター(コメディ・ド・カーン)、2015年よりリムーザン国立演劇センター(ユニオン劇場)の芸術監督、ユニオン・アカデミー、リムーザン国立演劇学校の校長。公式ウェブページ(英語):http://www.lambert-wild.com/en
【参考リンク】 ・ 『磐谷和泉の栄光と倦怠(ジャン×Keitaの隊長退屈男)』舞台映像抜粋Splendeur et lassitude du capitaine Iwatani Isumi:https://youtu.be/x4dNBJw87nQ ・ ユニオン劇場アカデミーでの三島景太ワークショップ Stage « Méthode Susuki » dirigé par Keita Mishima : http://academietheatrelimoges.fr/stage-methode-susuki/ ・ ユニオン劇場『磐谷和泉の栄光と倦怠』公演ページ:http://www.theatre-union.fr/fr/spectacle/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi
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【レポート】WL公開編集ミーティング(4月16日@池袋)
4月16日(日)、喫茶室ルノアール池袋パルコ横店・第2会議室にて公開編集ミーティングを開催しました。
通常月一度でスタッフが行っている編集ミーティングにゲストを迎えるという体裁で行い、当日はWL運営スタッフ3名を含め11名の方にお集まりいただきま���た。
WL立ち上げ時のミーティング、その一年後、昨年3月に行った公開反省会に続き、WLのあり方について意見をいただくオープンな会の開催は今回が3回目になります。2016年度の年間の活動の振り返りと収支の報告をしましたが、WLのイベントに初めてお越しの方も多く、WL立ち上げの経緯や活動履歴などお話しする時間も多くとりました。
今回の公開ミーティングには演劇制作に関わっている方の参加もあり、創客についての意見交換も行われました。観客発信を掲げるWLへの関心が伺えました。そのほか、新たな書き手の掘り起こしについてや、タンブラーサイトへのご意見、高校演劇にまつわる企画の継続への要望などが出ました。
昨年度の活動記録を振り返りますと、WLのコンテンツの主軸であるはずの劇評・ダンス評の書き手を充実させることは今年度も課題となります。スタッフが個別に声をかけして原稿を依頼するほか、劇評テーブル、高校演劇の東京都大会と関東大会の全作品レビューなどの企画を通し、劇評執筆者の拡大をはかりたいと思います。
好評連載企画、「劇メシ」は随時投稿募集中です。また仁科太一さんが執筆している「たいちのドイツ公立劇場探訪記」、WLスタッフの小泉が担当している「劇場の椅子」は今後も継続していきます。「田口アヤコの、託児って劇場にGO!」が諸事情があり現在連載中断していますが、意義の大きい企画だと思いますので今後も継続を検討したいと思います。
連載、企画の案も随時募集中です。またWLスタッフからも企画を提案し、その企画に参加していただける「企画スタッフ」も今後募集していきたいと考えています。
イベントは昨年度は4つで、初年度に比べるとかなり減ってしまいました。実際に顔合わせする機会を設けることはWLの活動継続の上でも重��なことだと考えていますので、今年度は劇評テーブルは年3-4回、観劇ツアーは年に2-3回実施を目標にしたいと考えています。
今後もWLは広く読者からご意見をいただきながら、運営を行っていきたいと思っています。3年目を迎えたWLに引き続きご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。
2016年度観客発信メディアWL活動記録 ー2017年4月16日(日)@池袋 WL2周年記念公開編集ミーティング資料
【劇評・ダンス評】 4月9日:こまばアゴラ観劇隊 こまばアゴラ劇場支援会員2015 演目完全制覇リレー(第13回2016年3月) 4月16日:竹重伸一 ウースター・グループ『初期シェーカー聖歌:レコード・アルバムの上演』、ジョナサン・M・ホール 川口隆夫『TOUCH OF THE OTHER―他者の手』 5月21日:オノマリコ 地域の物語ワークショップ2016『生と性をめぐるささやかな冒険』<女性編> 6月5日:こまばアゴラ観劇隊 こまばアゴラ劇場支援会員2015 演目完全制覇リレー(第14回 2015年度総括編) 6月5日:竹重伸一 ウィリアム・ケントリッジ『ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ』、宮城聰『イナバとナバホの白兎』 6月12日:廣澤梓 ウースター・グループ「初期シェーカー聖歌:レコード・アルバムの上演」 6月20日:片山幹生 ティム・ワッツ『It’s Dark Outside おうちにかえろう』 6月26日:原田広美 江口・宮アーカイヴ『プロメテの火』、NBAバレエ団『死と乙女』 7月3日:片山幹生 オン・ケンセン演出『三代目、りちゃあど』 7月10日:友田健太郎 横浜ボートシアター「恋に狂ひて」 7月17日:竹重伸一 高谷史郎(ダムタイプ)『CHROMA』 7月24日:松山響子 新国立劇場『あわれ彼女は娼婦』 8月6日:友田健太郎 シアターコクーン・オンレパートリー+キューブ 2016「8月の家族たち August: Osage County」 8月13日:廣澤梓(担当) 劇評テーブルvol.3―青年団『ニッポン・サポート・センター』 小泉うめ 片山幹生 友田健太郎 廣澤梓 箕浦光 8月22日:片山幹生 平原演劇祭2016第2部「移築民家と『アタラシイ』ゲキ13」 ─ 声はどこから聞こえてくるか・2 9月4日:ディディエ・メールズ/片山幹生(訳) SPAC『イナバとナバホの白兎』パリ公演劇評(『ラ・クロワ』紙2016/06/13) 9月11日:友田健太郎 東京学生演劇祭2016審査員報告 9月19日:鈴木みのり 青年団リンク ホエイ『麦とクシャミ』 9月25日:友田健太郎 鳥公園『↗ヤジルシ』 10月9日:原田広美 アントニオ・ガデス舞踊団・Aプロ『血の婚礼』『フラメンコ組曲』・Bプロ『カルメン』 10月16日 片山幹生 青年団国際演劇交流プロジェクト2016 『MONTAGNE/山』 10月30日:小泉うめ 泥棒対策ライト『日々ルルル』 10月30日:原田広美 カミーユ・ボワテル『ヨブの話』、ヴェルテダンス『CORRECTION』、カンパニー・アドリアンM/クレールB『HAKANAÏ』、向井山朋子『La Mode(ラ・モ-ド)』 11月13日:小泉うめ Flying Theatre 空中劇場『遥かなるブルレスケ~とんだ茶番劇~』 11月13日:友田健太郎 フクラ雀企画『祝福の果て』 11月20日:竹重伸一 KAAT神奈川芸術劇場『マハゴニー市の興亡』 11月27日:片山幹生(担当) 高校演劇東京都大会2016 全作品レビュー 12月18日:竹重伸一 Dance New Air2016 向井山朋子『La Mode』、あいちトリエンナーレ2016 イスラエル・ガルバン『SOLO』 1月8日:廣澤梓(担当) 2016年の3本(その1)(その2) 1月15日:フィリップ・デュ・ヴィニャル/片山幹生訳 磐谷和泉の栄光と倦怠(ジャン×Keitaの隊長退屈男) 1月15日:友田健太郎 キュイ『現在地』 1月15日:片山幹生(担当) 高校演劇関東大会(東京会場)全作品レビュー(その1)(その2) 1月29日:竹重伸一 フェデリコ・レオン『Las Ideas(アイディア)』、マーティン・クリード『Work No.1020(バレエ)』と[展示]ルイス・ガレー『El Lugar Imposible(不可能な場所)』、[展示]小泉明郎『CONFESSIONS』 2月5日:片山幹生 パスカル・ランベール「都市をみる/リアルを記述する」ワークショップ参加レポート 2月19日:小泉うめ 点の階『・・・』 3月5日:小泉うめ シアターコクーン・オンレパートリー2017『世界』 小泉うめ(担当):2016年04月(4.24) 小泉うめ(担当):先月の一本・来月の一本 2016年04月(4.24) 2016年05月(5.30) 2016年06月(6.26) 2016年07月(7.30) 2016年08月(8.27) 2016年09月(10.2) 2016年10月(10.30) 2016年11月(11.27) 2016年12月(12.24) 2017年01月(1.29) 2017年02月(2.26) 2017年03月(3.26)
【インタビュー】 9月4日:片山幹生 竹中香子インタビュー:フランスで俳優修業 10月9日:片山幹生 河村竜也(青年団・ホエイ)インタビュー:〜異文化間の共同制作の実際:『MONTAGNE/山』の日仏公演をめぐって〜
【書評】 4月9日 片山幹生 谷岡健彦『現代イギリス演劇断章:舞台で聞いた小粋な台詞36』東京:カモミール社、2014年
【レポート】 4月9日 飯塚千賀美 ヲタ活★道中まず一歩:宝塚ファンぷち用語集第1回 不定期連載 4月16日 観客発信メディアWL1周年 活動報告およ��「公開反省会」(3/19)の記録 7月3日 小畑克典 小劇場演劇ファンのための夏休み英国観劇ガイド2016 7月9日 片山幹生 WL大衆演劇ツアー 一見劇団@立川けやき座 7/9(土) 10月9日 片山幹生 観劇時の託児サービスを行っている組織・団体、劇場のリスト(2016年10月暫定版)
【連載企画】 仁科太一 たいちのドイツ公立劇場探訪記 第1回(2.19)、第2回テアター・ボン編 (3.26) 小泉うめ(担当) 劇メシ 第1回 珉亭@下北沢(4.3)小泉うめ 第2回 俺流餃子楼@渋谷(シアターコクーン)(4.26)飯塚千賀美 第3回 キッチン南海@駒場東大前(こまばアゴラ劇場)(4.30)片山幹生 第4回 南インド料理 ヴェヌス @錦糸町(すみだパークスタジオ倉)(5.21)秋元隆 第5回 チョップスティックス @吉祥寺(吉祥寺シアター)(7.17)なかむらなおき 第6回 飲食笑商何屋 ねこ膳 @新宿5丁目(8.27)小泉うめ 第7回 さわやか静岡池田店@東静岡(9.4)片山幹生 第8回 菱田屋@駒場東大前(こまばアゴラ劇場)(2.5)小泉うめ 小泉うめ 劇場の椅子 第1回こまばアゴラ劇場編(4.24) 第2回本多劇場編(4.30) 第3回赤坂RED/THEATER編(5.7) 第4回駅前劇場編(5.21) 第5回OFF・OFFシアター編(5.30) 第6回三越劇場編(6.5) 第7回アトリエ春風舎編(6.12) 第8回座・高円寺1編(6.19) 第9回ザ・スズナリ編(7.3) 第10回パルコ劇場編(7.10) 第11回104 Rmond(アーモンド)編(9.11) 第12回東山マンション編(10.16) 第13回CBGKシブゲキ!!編(11.20) 第14回新橋演舞場(12.4) 第15回浅草公会堂編(12.18) 田口アヤコの、託児って劇場にGO! 11月号パイロット版(10.30)12月号(11.20)
【イベント】 7月9日 大衆演劇ツアー 一見劇団@立川けやき座 7月16日 劇評テーブルvol.3―青年団「ニッポン・サポート・センター」@早稲田大学 9月12日 河村竜也(青年団、ホエイ)公開インタビュー@アトリエ春風舎 9月22日 小泉うめ TBSラジ���「荒川強啓デイ・キャッチ!」出演
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【劇評】三島景太(SPAC)の一人芝居、フランスで大好評!
『磐谷和泉の栄光と倦怠(ジャン×Keitaの隊長退屈男)』
フィリップ・デュ・ヴィニャル/片山 幹生訳
〔photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
フランスの中央部の都市、リモージュの国立演劇センターで2016年12月8日から15日まで6公演が上演された三島景太の一人芝居『磐谷和泉の栄光と倦怠』が現地で大好評を博したようだ。この作品は2014年春に『ジャン×Keitaの隊長退屈男』のタイトルで、SPACが主催するふじのくに⇄せかい演劇祭で初演されたものだ。http://spac.or.jp/f14iwatani-izumi.html
作者はフランス人のジャン・ランベール=ヴィルドで、もともとは軍人だった彼の大叔父をモデルに作者が17歳のときに書いたフランス語の戯曲だった。それを2014年に三島景太が演じる一人芝居として大きく書き換えたのがこの作品だ。作品の翻訳は平野暁人が行った。昨年12月にリモージュで行われた公演は、フランスの代表的メディア情報誌『テレラマ』の12/5号に劇評が掲載されたのを皮切りに(日付からしておそらくゲネプロに基づく劇評だろう)、WLスタッフの片山が確認した限り、以下の6媒体に劇評が掲載された。
Emmanuelle Bouchez『Télérama』12/5(3491)号:http://www.telerama.fr/art/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi,151037.php
Muriel Mingau『Le Populaire du Centre』2016/12/12号:http://www.lepopulaire.fr/limoges/loisirs/scene-musique/2016/12/12/l-impressionnant-capitaine-izumi-joue-a-limoges_12206067.html
Léa Coff『I/O Gazette』2016/12/14号:http://www.iogazette.fr/critiques/creations/2016/de-tenue-maintien/
Cécile Strouk『Rue du Théâtre』2016/12/15号:http://www.ruedutheatre.eu/article/3501/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi/
Philippe du Vignal『Théâtre du blog』2016/12/18:http://www.ruedutheatre.eu/article/3501/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi/
Philippe Person『Froggy delight』2018/12/18:http://www.froggydelight.com/article-18344.html
フランスの地方都市の劇場での公演(それも日本人俳優による日本語公演)についてこれだけ多くの劇評が出るというのは異例の事態といっていい。しかもその劇評の内容はいずれも熱のこもった激賞だった。
今回、WLでは上記の6つの劇評のうち、『Théâtre du blog』のフィリップ・デュ・ヴィニャル氏の評の日本語訳を掲載する。『Théâtre du blog』は、フランスの演劇人、批評家、研究者20人余りを執筆陣とする質の高い劇評記事が掲載されるブログであり、演劇評論家のヴィニャル氏はこのサイトの主宰者である。日本語訳掲載にあたっては、ヴィニャル氏と連絡をとり許可を頂いた。
Je tiens à remercier Monsieur Philippe du Vignal d’avoir autorisé de traduire et publier son article sur la représentation de “Splendeur et lassitude du capitaine Iwatani Izumi”.
オリジナル記事url:http://theatredublog.unblog.fr/2016/12/18/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi/
劇評『磐谷和泉の栄光と倦怠(ジャン×Keitaの隊長退屈男)』@théâtre du blog
2016年12月18日 フィリップ・デュ・ヴィニャル Philippe du Vignal 作・演出:ジャン・ランベール=ヴィルド 翻訳:平野暁人 日本語上演、フランス語字幕
〔photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
ちょうど三年前に通し稽古を見たことがあったこのスペクタクルにこのようなかたちで再会できたのは大きな喜びだった。当時ジャン・ランベール=ヴィルドは、カーン・コメディ劇場の芸術総監督で、この作品は日本で上演されることになっていた。
木製の舞台の広さは2平方メートルほどで、その上には紙提灯の装飾がいくつかぶら下がっている。舞台から伸びる柱には金属性の灰色の拡声器が固定されていた。舞台美術はそれだけである。カンでの通し稽古のときと同じように、舞台の三方を観客が取り囲む。そこに三島景太が一人で現れる。カーキ色の軍服を着た年齢不詳、国籍不詳の人物で、空威張りのほら吹き隊長の気がある。
隊長は身につけていたサーベルを外すと、ある種の儀式を行うためであるかのように静かに座る。この日本人俳優の声と身体の使い方は、フランスでは滅多に見られないものだ。とりわけ負荷が高く、始終集中することが必要となるこの種の独白劇ではとりわけそうである。厳密に制御された視線と動作にすっかり魅了され、観客は字幕を読むことをほとんど忘れてしまう。
〔photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
三年前もそうだったが、ランベール=ヴィルドは、もともとはフランス人の隊長だったこの人物に男性性と女性性を同時に付与するというアイディアを持っていた。彼は次のように語っている。「この隊長は粗暴な兵士ではなく、自分を見失い、狂気に陥った耽美主義者なんだ。彼はその人間的なありようゆえに、不快な人物であると同時にどうしようもなく魅力的な人物でもある。(…)戦争の狂人であることは確かだが、それ以上に自分を見失った男なんだ。彼は自尊心に満ちた調子で絶叫して命令を下す。『下士官たち、直立不動の姿勢を取れ! 我々は這ってこの穴から抜け出るようなことはあってはならな。我々は逆境のなかで身��を丸めるような獣ではないのだから。身体というものはな、曲がってはならんのだ。(…)全員身体を洗い、完璧な身なりをするんだ。死ななければならないときには、清潔でなくてはならない。泥にまみれた身体では、名誉や栄光の前に身をさらすことはできないぞ!』」
爆発音と銃声の中、軍歌やオペラの歌曲の短い断片の数々、そしてエディット・ピアフの《水に流して(私は何も後悔しない)》が聞こえる。ピアフのシャンソンは、日本語の歌詞の響きと古い拡声器ごしの不明瞭な音がもたらす隔たりによって、さらに力強く響いていた。音響のクリストフ・ファリオンのアイディアはまったく脱帽ものだ。ト書きのナレーションが舞台の外から流れ、そのト書きは何とも耐えがたい美しさを持つ五つの単語によるフレーズで終わる。「きちんとした身なりを保て De la tenu, du maintien !」。このフレーズは何度も繰り返された。そのあいだ、もう何ヶ月も前から、兵士たちは虫にたかられ、血にまみれ、泥のなかで震えている。
〔photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
その後、磐谷和泉隊長は瀕死の状態に陥り、そして死んでしまう。隊長は次のように語る。「裸の男の死体だって? なんてみっともないんだ。俺を助けてくれ。裸のままじゃだめだ。毛布を、身体を包む毛布をお願いだ」これが戦争に対する呪詛の言葉となった。その後、隊長はそのみすぼらしく滑稽なカーキ色の制服ではなく、白いブリーフだけのみっともない姿で現れるが、その時の隊長はもはや自分自身の影でしかない。彼は一人だ。まったく孤立した状態で、独房あるいは病室のようなその小さい空間に閉じ込められた隊長は、彼に残された場違いな尊厳にしがみつき、「俺をそっとしておいてくれ」と繰り返す。それは私的な悪魔払いの呪文のように響くのだが、何の効用も持たないことを彼は知っている。
ランベール=ヴィルドは、演出家として厳格な要求を俳優に対して行った。一時間ちょっとの上演時間のなかで、彼は磐谷和泉に将校として命令を下すときの勇気と快感を表現させた。その後、磐谷隊長は同じ状態をほぼ完全な抑鬱状態のなかで、精神と肉体が極度に疲労し、自信喪失した状況のなかで再現しなくてはならない。この哀れな下士官は、もはや自分の運命をコントロールできないことに気づいてしまっている。
スペクタクルの強度はさらに増していた。3年前に通し稽古を見たときと同じように、すぐ目の前にいる俳優の表情と声に、私たちは魅了された。字幕はかなりすぐれたものだ。しかし俳優の表情と声がすでに全てを語っているのだ。表現の一貫性の素晴らしさ、そして説得力のある驚異の名人芸によって、17歳のときに作者が書き、それ以後、何度も修正した戯曲に生命が与えられた。こんなスペクタクルに出会うことができたリモージュの観客は本当に幸運だ。
〔photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
パリのテアトル・ド・ラ・ヴィルの芸術監督のエマヌエル・ドランシー=モタにこのスペクタクルをぜひ推薦したいものだ。来シーズン、この素晴らしい作品を招���しない手はないんじゃないか? 君が管理しているアベス劇場でこのシンプルにして感動的な作品を上演してみてはどうだい? この一人芝居は百人ほどの観客を収容できるあの劇場にはちょうどいい。アカデミックでお上品なミカエル・バリシニコフ出演、ロバート・ウィルソン演出の『ある男への手紙』なんかでうんざりさせられるのはもう勘弁して欲しい。この作品を上演したほうがパリの観客にとってはよっぽど有益なんだから。
【上演データ】
公演urlアドレス: SPLENDEUR ET LASSITUDE DU CAPITAINE IWATANI IZUMI http://www.lambert-wild.com/fr/spectacle/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi
公演日:2016年12月8日〜12月15日(6公演) 劇場:ユニオン劇場(リモージュ国立演劇センター) 日本語上演、フランス語字幕
作・演出:ジャン・ランベール=ヴィルド
翻訳:平野暁人
出演:三島景太
照明:ルノー・ラジエ
技術監督:クレール・スガン
音響:クリストフ・ファリオン
美術:ジャン・ランベール=ヴィルド
衣装:アニック・セレ・アミラ
写真:トリスタン・ジャン=ヴァレス
制作:リムーザン国立演劇センター:ユニオン劇場
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