#石棹
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石棹茶園 甘珠玉露
1987 謝東閔副總統讚美石棹茶湯,從此「阿里山珠露」成了石棹茶葉代名詞。不僅如此,石棹更有霧、茶、雲、霞、櫻五條步道茶山美景。


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【石棹步道群||霞之道】竹崎秘境景點推薦一日遊
阿里山超美的茶園秘境之一,很多人到阿里山都直接到奮起湖或是森林遊樂區,都錯過這條超美茶園步道,走上來只要15分鐘左右,還有竹林美景,如果是黃昏還有夕陽呢! Continue reading Untitled

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【自得琴社Live】新曲《桂枝香》唯余故国晚秋Guizhixiang: Beautiful and sad tunes performed by Chinese instruments
登臨送目,正故國晚秋,天氣初肅。千里澄江似練,翠峰如簇。歸帆去棹殘陽里,背西風,酒旗斜矗。彩舟雲淡,星河鷺起,畫圖難足。
念往昔,繁華競逐,嘆門外樓頭,悲恨相續。千古憑高對此,謾嗟榮辱。六朝舊事隨流水,但寒煙衰草凝綠。至今商女,時時猶唱,後庭遺曲。
—《桂枝香·金陵懷古》宋·王安石
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
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展示販売のお知らせ


2024年10月26日(土)〜27日(日)の2日間、グランフロント大阪北館1階 ナレッジプラザにて開催される大阪国際文化芸術プロジェクト「OSAKA ART MARKET 2024」に出展します。 日々のドローイングから500枚を展示販売予定です。販売の仕方はいつも通りです。お買い求め後はその場でお持ち帰りいただけます。詳しくはお近くのスタッフさんまでお尋ねください。
谷内、初日は運動会なので会場にはおりませんが、2日目は終日ブースに居る予定です。
お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。


OSAKA ART MARKET 2024 大阪文化芸術事業実行委員会では、大阪・関西万博開催時に、国内外からの多くの来阪者に大阪の文化芸術を楽しんでいただくことを目的���して、令和5年度より地域の文化資源の魅力向上や多彩で豊かな大阪の文化芸術の魅力発信を強化する「大阪国際文化芸術プロジェクト」を実施しています。 その一環として、気軽にアートに親しみ、アートを楽しむ「OSAKA ART MARKET 2024」を開催します。大阪で活躍する現代美術のアーティストを中心に、広く世界に発信するアーティストや芸人など、多様なアーティストによる、個性豊かな作品を展示・販売いたします。ステージイベントでは、アートにまつわるトークショーや、パフォーマンスショーを開催します。芸術の秋、うめきたエリアでアートに触れて、少し特別な週末をお楽しみください。 — <出展アーティスト> ※50音順 井口舞子、石塚大介、今若理歩、岩部彰(ミサイルマン)、umano、梅原直人、HG(レイザーラモン)、Eliy、OCPOCC、大須賀基、開藤菜々子、一瀬薫樹、木村達彦/hukritt、久保沙絵子、Gullig、KAC、Saigetsu、shinji horimura、snAwk、清、たいぞう、高棹祥太、谷内一光、谷垣華、玉住聖、チョウタロウ、友寄万梨奈、トヨクラタケル、TORAJIRO、中島尚志、成瀬ノンノウ、西田彩乃、西脇麻衣子、野村愛希子、175、振本聖一、古家達成、本家雅衣、前田茉里、前野めり、町田夏生、松原秀仁、Manabu Yamaguchi、manamu、marco、森本ゆい、山田HOW、リダヲ、Rim、倫理的暴力 — <ステージイベント> ��� 10月26日(土) ■13:00~13:30 黒田征太郎ライブドローイング with shiuta 出演者:黒田征太郎、 バケツドラマーshiuta ■15:00~15:30 ARTトークショー① 出演者:くっきー! (野性爆弾)、石塚大介
10月27日(日) ■13:00~13:30 TOMOKA バトン&書道パフォーマンス 出演者:TOMOKA(竹田知華)
■14:30~15:00 ARTトークショー② 出演者:リリー(見取り図)、井口舞子、山田HOW
総合MC: 10月26日(土) 浅越ゴエ、高樹リサ 10月27日(日) 瀬戸洋祐(スマイル)、樋口みどりこ ==========
2024年10月26日(土) 、27日(日) 11:00~17:30 ※最終販売受付17:30(両日とも) グランフロント大阪北館1階 ナレッジプラザ(大阪市北区大深町3-1)
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「虚無への供物」中井英夫 0101
序章
10『凶鳥(まがとり)の黒影(かげ)』前編 01
紅司が書くという『凶鳥の黒影』について語る場面です。
その前に、紅司が変なことを呟きます。 蒼司に対して、“それじゃ約束が違う”とです。
何をどう約束していたのでしょう。 このあたりも伏線ですかね。
で、まだ一行も書いてないがトリックだけは自慢できると、話します。
赤���の丘の上の遠くに海がみえる精神病院で、 黒いひげを生やした院長が、裏庭でせっせと新種の花を栽培している。 アルトゥル・シュニッツラーの戯曲『輪舞』を真似て、4つの密室で4つの異様な殺人があると。 そこの患者ABCD、密室でまずAがBに殺される。 それからBはCにCはDにと順番に殺されて、 最後に残ったDはAが殺される前に作っておいたトリックに引っかかって死ぬ。 で、定石どおりに驚くべき真相というどんでん返しがある。
戯曲『輪舞』は知りませんでしたが、かなりの問題作ですね。 ただ、入れ替わり立ち代わりで、最後は最初の登場人物で終わるというところを真似たのでしょう。
紅司の話を聞きながら、探偵小説のマニアについて思いを馳せますが、 紅司は、マニアなんですよね。 『凶鳥の黒影』って、案外完成してて、そのシナリオに沿ってなんて、勘ぐりすぎですかね。
で、話を歌舞伎仕立てにするといいます。 歌舞伎は詳しくないんですが、
通し狂言とは、一つの芝居を、序幕から大切まで続けて上演することで、狂言という表現ですが、特に、歌舞伎のことを言うそうです。
“一番目は人形写しのでんでん物、時代風に奇怪な伝説でもあしらって”とあります。
でんでん物とは、義太夫節の太棹の三味線の音がでんでんと聞えるところからその名が起ったもので、人形浄瑠璃の戯曲を歌舞伎化した演目をさし、『国性爺合戦』が歌舞伎で上演され成功を収めてから、多くの浄瑠璃が歌舞伎化されたそうです。 そこに、時代風に奇怪な伝説をくわえるということなんでしょう。
“中幕はやたら引抜の多い早変わりの所作”
引抜とは、舞台上で、衣裳を一瞬にして変える演出の1つですね。 早変わりの所作で改めてそれを表しています。 舞台上では、観客の目先を変える演出としてつかわれますが、探偵小説としては、読者の目線を変えるとでも言うとことでしょうか?
“第三幕の密室は二番目狂言というわけで生世話(きぜわ)ね”
二番目狂言とは、歌舞伎で、1回の興行の二番目の演目のことです。 もともと、歌舞伎は一番目(時代物)・二番目(世話物)の2演目興行で、のちに間に中幕(なかまく)、最後に大切(おおぎり)が入ったそうです。
生世話(きぜわ)とは、歌舞伎の義理・人情・恋愛や種々の葛藤を主題としたもののうち、写実的傾向の著しい内容・演出によるものです。
ただ、歌舞伎と言いながら、小説の日付と現実の日付とを一致させていって、 第三の事件が起こるべき日に、実際起こった事件を新聞記事とあわせて、 しかも、密室殺人に仕立てるといいます。
で、タイトルは、 『花亦妖輪廻凶鳥(はなもえうりんねのまがとり)』 です。 難しすぎてなんのことやら。
このあたりで、紅司も話しすぎたと感じたのか、話をそらそうとします。 それを、藍ちゃんが茶化してしまいますね。 特に、紫司郎伯父さんが実際にあれだけ新種の花を育てたというところが気になりますね。 それから、亜利夫も気がついてますが、“三人兄弟”って言うフレーズも気になります。 黄司という名前もでてきました。 これ誰?
唐突に話が切り替わりますね。
12月26日(日)の夜、東京に帰ってきた久生が亜利夫の電話してきます。 びっくりするような急展開です。 本当に誰かが殺されたようです。
しかも、電話なのに久生は、ずばり紅司が殺されたのだろうと言い当てます。 さらに、二十年も前から決まっていて、犯人も判っているみたいです。
どう捉えるべきなんでしょうね。
ところで、待ち合わせの場所に渋谷の”泉”が指定されます。 ここまで、かなり忠実に書かれていますから、 渋谷の”泉”も実在の店なのかもと思いましたが、よくわかりませんでした。
ここだけ、名前を変えているのでしょうか?
まあ、 次の章で二人は会うのでしょうからからわかるかな?
つづく。
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六篇 上 その四
伏見の京橋にいる弥次郎兵衛と北八。 ここから、大阪へ向けて船に乗り込むことにした。 船旅で、心も弾む二人だ。
弥次郎兵衛は、いきなりげえげえやりだした。 「弥次さん、どうした。」 と、北八が問うと、 「どうしたもこうしもあるか。こりゃ、酒じゃねえ、小便だ。」 と、げえげえやりながら言う。 その様子に、病人の側に居た親父が、 「ははあ、これは、いかん。そそうしました。 この病人の尿瓶と取り違えました。 さあさあ、酒のはここにある。それ、とりかえてくだんせ。」 と北八に、酒入の尿瓶を差し出す。
それを受け取りながら、 「ははは、こいつ、大笑いだ。」 と、北八は、笑いだした。 「ええ、もうどうしたらよかろう。 自分の小便を飲むのならまだしも、あの病人のを飲むことになるとは。ええ、気持ち悪い。げええ。」 と弥次郎兵衛は、病人の方を見ながら言う。 北八も、病人を見て、 「ははは、あの病人の顔を見な。 顔中、膿だらけだ。あたまから首筋のあたりまで、じくじく。」 と、言うと、 「ええい、もう言うな。のどが裂けるようだ。ああ、苦しい。げええ。」 とさらに、げえげえやりだす。 「とにかく、お前は、下の世話が焼ける。 船の中では、もう禁便にするがいい。 そこで、一首うかんだ。」 と、北八が言う。
小便を 人にのませし そのむくい おのれも飲んで よい急須なり
この騒動で船中の乗り合いはおのおの起きだしてきて、大笑いとなる。 そのうち船は、枚方の近くに着いた。 ここには、商い船がいる。 それぞれの船に寄せてきて、 「飯食わんかい。酒飲まんかい。さあさあ、みな起きてくされ。 よう寝るやつらじゃな。」 と遠慮なく、わめきたてだした。 この辺りの商い船は物の言い方が無作法なのだが、それが名物となっていて有名である。
さて乗り合いの一人が、商人に問いかけた。 「こりゃ、飯を貰おう。他にも、いい酒はあるかい。」 それを聞��ていて、北八も、 「そうだな。腹が減った。ここへも、一つ飯をたのみます。」 と言うと、 「おのれも、飯を食うんか。それ食え。そっちゃの奴は、どうじゃいや ひもじそうな顔してけつかるが、金がないかい。」 と無作法に言う。 「なに、この野郎。このふざけた口の利き方をしやがる。」 弥次郎兵衛は無作法な口調で、商売することなど知らないので、むっとして言う。
乗り合いの一人が、 「この汁は味がのうて、熱くもない。さっぱりいかんわい。」 と商人に言うと、 「そんなら水だと思って、食らいおれ。」 とこれもまた、ぞんざいな口調で言う。 この乗り合いも、無作法な口調で、商売することなど知らないので、 「何ぬかすぞい。それに、この芋もごぼうも腐ってけつかる。」 「その通り。いい所はみなうちで焚いて、食うてしもうたわい。」 とますます、調子にのってくる。 「いや、この野郎は、ふといやつだ。 どうしてそないなものをぬかしようばい。」 と長崎の���が言うと、越後の者も、 「そのたこ坊主を、叩いてやってべいか。」 と息巻いている。
商人はそんな様子にも、平気な顔で、 「ちょこざいなこと言わんと、早よう金をよこせ。 これそこのおやじ。錢じゃ。錢。」 と言うと、 「この盗人商人め。さっき渡したじゃないかい。こりゃ、とっとといねやい。」 と別の乗り合いが、 「おおかた、おまえの女房は、昼は乞食でもして、運良く腐った饅頭でも貰って、それを食って泡でもふいて、転がっているだろう。」 とけんか口調で言う。 「そういう、おどれの家は、おおかた掘っ立て小屋じゃあろ。 雨がふりそうじゃ。この川の水が氾濫する前に、早ういにくされ。」 とますます、無作法である。 「いやこいつら、言わせておきゃあ、とんでもない奴らだ。横っ面はりとばすぞ。」 と弥次郎兵衛は、掴みかからんばかりである。
すると乗り合いの一人が、 「これこれ、お前さん方、腹たてさんすな。 ここの商い船は、あないにものをぞんざいにいうのが名物なんじゃから。」 と、弥次郎兵衛をなだめる。 「そうは言っても、あんまりだ。」 と弥次郎兵衛は、いらいらしている。 「わあい、あほうよあほうよ。」 と商人はここまでかと、船を離れていく。 「こりゃ、待ちやがれ。あほうた、誰のこった。」 と弥次郎兵衛は、一人りきんで思わず立ちああるひょうしに乗り合いのひざを踏んで、どっさりこける。 踏まれた、越後の者は、 「あいたたた、こりゃわしの、膝をふんだ。」 と越後の者が、体をずらそうとした拍子に隣の長崎の者の頬に手が当ってしまう。 「あいたたた。どうして、頬をなぐるらっしゃる。」 と横に居た長崎の者が言う。 「こりゃ、御めんなせえ。」 と弥次郎兵衛は、長崎の者に思わず謝るとそこに座った。
そうこうしているうちに船は枚方を過ぎたのだが、急に空が暗くなったと思うとあっという間に、篠をつく大雨となってしまった。 苫の間からも雨が漏れ出してきて、乗り合いは上を下の大騒ぎになる。 船頭もこれでは先には進めないかと、しばらく船をつないで天気を見合せけることにして、提に船をこぎよせることにした。 ここが、伏見と大阪のちょうど中間あたりで、登り船も下り船もみながたぴしと岸によりて大変な混雑である。 しばらくして小降りになってきて、雲の間から月の影が見えてきた。
弥次郎兵衛と北八もこの景色をながめていたが、 「さて、もう何時だろうな。ところで、北八よ。 又、困ったことが出来た。小便がしたくなった。」 と弥次郎兵衛は、北八の袖を引きながら言う。 北八は、弥次郎兵衛の顔をまじまじと見つめながら、 「ええ、きたねへことばかっかりいう。」 と言うと、 「どうしても、船では出来ない。 ちょうど運がいいことに、岸に止まっている。 この間にちょっくら、やってこよう。」 と弥次郎兵衛は、さも、いいことを思いついたというように、ニコニコしながら話している。 北八も、 「なるほど。周りの船でも、人が岸に上がっているようだ。」 確かに暗闇を透かしてみると辺りの船からも、人が岸に上がっている。 「早く済ましてこよう。 ちょうど、俺もお相手がしたくなった。」
北八は、 「もし船頭さん。ちょっとあがって来たいが、いいかね。」 と船頭に問うと、 「用足しになら、早ういてごんせ。 わしらが今飯食うてしもうと、すぐに船を出すさかい。」 と船頭は、夜食を食べながら言う。 弥次郎兵衛は、 「わらじはどこだ。」 と船に乗るときに脱いだわらじを探していたが、みつからない。 「まあいいや。裸足で行こう。乗るときに足をすすげばいいだろう。」 と、船を下りて、岸に上がってしまう。
「なんて、いい景色なんだ。さて、どこらでやらかそう。」 と弥次郎兵衛が、辺りをみまわすと、 「おっとそこには、水溜りがある。 もっとそっちへ。ああ、なるほどいい月だ。」 と北八らは、連れ立って小便をする。
一刻を 千金づつの 相場なら 三十石の 淀川の月
など口ずさみながら思わず勝景にみとれていたが、岸に止まっていた船が追々、漕ぎ出すようすに北八と弥次郎兵衛が乗っていた船も、そろそろ出ると見へて船頭が、もやい綱をとき棹さしのべてふたりを呼び立てる。 いろいろな船から乗り合いたちが、岸に上がっていて大変な混雑の中を、弥次郎兵衛と北八はやっとのことで、人を押し分け船に飛び乗った。 しかしこの飛び乗った船は、大阪八軒家の登り船でこの二人は、あんまり船頭がせかすので大慌てで、今まで乗ってきた伏見の船と勘違いしてしまっていた。 薄暗いのもあり二人は、間違っているとも思わないで、見たこともない連中が回りにいることにもさして気に留めずに、船がゆっくり岸を離れでしたのをみて間に合ったとほっとしていた。
周りの連中は乗船してからの話で疲れたのか、自分の寝るところを確保してしまうとさっさと、寝てしまう。 弥次郎兵衛と北八も横になろうかと、暗がりのなかでそこらじゅうを探りまわして、赤の他人の風呂敷包みを自分のものだと思い込み、引きよせてそれを枕にこれも、高いびきをかき出す���
つづく。
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