#生江史伸
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kennak · 2 months ago
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超々円高で業績を伸ばした「ユニクロ」の創業者らしい考え方。歴史観も、世界観も、偏っている。 日本の江戸時代の200年間以上、推定人口3000万人~3200万人。それで日本人は滅びたのか?滅びていないだろ。それが答え。要は、その国、その社会、置かれている状況に柔軟に合わせることが出来れば滅びないが「これが正しい」的な狭い了見なら滅びる。だから、どんな時代でも民間は生き残る。そして役人は滅びる。 日本経済が低迷しているのは「ユニクロ」には悪いが、メーカーを追い出して、サービス業中心にシフトしたこと。従業員一人が生み出す付加価値額が全然違う。上場メーカーは平均1000~1200百万円。中堅メーカーでも1000万円。それに対してサービス業は400万円。だから、根本的に支払える金額が違う。そして平成の30年間、日本メーカーは「日本で稼いだおカネ」を海外に投資した。だから日本経済は成長しなかった。
“このままでは日本人は滅びる” ファーストリテイリング柳井社長が語る危機感…世界から見て“年収200万円台の国”日本はどう生き残る?(日テレNEWS NNN)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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fukagawakaidan · 3 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の���骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交��なせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれてい��いが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や��入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもた��が、 なんの前触れもなく掘���におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたと��うも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島���勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を���滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角��出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を���台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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ilotheoe · 9 months ago
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共產主義《聖經》節選
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 作者:馬伯庸
  《創世紀》1:1-24
  1:1起初革命導師們創造共產主義。
  1:2思想是空虛混沌。工廠黑暗。導師的幽靈飄蕩在歐洲上空。
  1:3導師說:要有工人,於是就有了工人。
  1:4導師看工人是好的,就把工人和工廠主分開了。
  1:5導師稱工人為無產階級,稱工廠主為資產階級。前者出勞動,後者出資本,這是頭一日。
  1:6導師說,階級之間要有剝削,將兩個階級分開。
  1:7導師就發明了剩餘價值理論,將勞動價值和投資之間用剩餘價值相隔,事就這樣成了。
  1:8導師稱工人為被剝削階級,稱工廠主為剝削階級,這是第二日。
  1:9導師說,天下的工人本是一家,是壓迫讓他們走在一起;資本家為了本階級的利益,要臭味相投。事就這樣成了。
  1:10導師稱工人的聚處為工會,稱資本家的聚處為國家機器。導師看是好的。
  1:11導師說,歷史發展要有規律,可以將人類社會分成四個階段,好定他們的性質。事就這樣成了
  1:12導師稱規則為生產關係。導師看是好的。
  1:13導師說,生產力要決定生產關係,經濟基礎要決定上層建築。
  1:14導師稱之為歷史一般規律,有反動,有進步,這是第三日。
  1:15導師說,世界上一切事物都要一直處於變化狀態,遵循著否定之否定的原則螺旋上升。事就這樣成了。
  1:16導師看是好的,就將之稱為自然辨證法。自然辯證法是人類認識自然和改造自然的一般方法的科學,這是第四日。
  1:17導師說,人類社會要分成奴隸社會、封建社會、資本主義社會和共產主義社會。
  1:18導師看共產主義社會是好的,就賜福給它,說,共產主義是人類發展的最終階段,按需分配,必然要取代資本主義。共產主義要有初級階段。導師稱初級階段為社會主義,這是第五日。
  1:19導師說,我們要照著我們的思想去指導工人,讓他們成為國家的主人翁。
  1:20導師就按照自己的思想去宣傳,又對他們說:要革命,你們失去的只是鎖鏈,得到的卻是整個世界。導師們看工人運動是好的,就賜福給工人運動,稱為共產黨。這是第六日。
  1:21導師們看一切所造的都甚好,萬事齊備,就打算在第六日歇了他們一切的工。但其中一位導師說:「我們要搞星期六義務勞動!」
  1:22於是導師又多加了一天的班,組織學習���寫思想心得。
  1:23到第七日,導師們倡導的革命已經開始,就在第七日歇了他們一切的工,各自躺進廣場中的水晶棺材裡,安息了。給工人們瞻仰。
  1:24導師們賜福給第七日,定為革命紀念日,因為在這一天導師們安息了。
  子民啊,那共產的天堂不是獨為你所造的,你所有的,要給你的鄰居,你的鄰居所有的,也要給你,這樣你們所有的就會加倍,就會有很多倍,這就是共產主義的國。
  共產的天堂,又好像一粒芥菜種,種在地裡,你們都來澆水,長起來後它比所有的的菜都大,甚至天上的飛鳥也可以宿在它的葉下。
  …………………………………………
  在江西,有一位投奔毛主席來、叫作霖彪的衛士頭領,他受那些污了眼睛的人的矇蔽,疑心毛主席不是聖父派到地上來的,毛主席就向他喝道:人啊,你在想什麼呢,你豈見不到我身上的權柄嗎,你難道不知道,葡萄籽般大小的火焰,也可以燒遍西奈的半島嗎,霖彪聽了這話,便跪下來,把毛主席尊為他的領袖。
  自列寧從雲端下來、以神杖擊殺瀘定橋頭的守軍,那事過了七日之後,紅軍到了草原上,草原上有惡鬼和大毀滅的哀聲,行走的人眾斷了糧,那之後又過了七日,天上忽然紛紛落下白饃,惟獨星期日要守聖卡爾的組織生活日,所以沒有饃饃掉下。
  在延安,有受外邦人的誘惑、不尊唯物主義的先知起來與毛主席作對,毛主席走上窯洞,下來時手上拿著兩塊石板,一塊上寫著矛盾論,一塊上寫著實踐論,毛主席說道:我與主卡爾已經訂了約。眾人知道他是為主所喜悅的,就跪下,尊他為黨主席,又稱他陜北的神聖先知。知道他要帶領民眾建立地上的天國。
  …………………………………………
  燃燒著永不停息的火焰的地獄裡有四個魔頭,頭一個叫作伯恩斯坦的,起初是葡陸士的貝林一個車伕的兒子,蒙召後侍奉在聖右父弗雷德里希的右手旁,後來他因不滿聖右父對聖列寧的喜悅,便帶了三分之一的天使反叛,被列寧使熟銅鎚一鎚擊中人中,從共產主義天堂墜下,墜落了七天七��方才墜到地面,墮落為地獄的魔王。
  第二個叫作考茨基,乃是澤克那地布剌吉的義人,蒙召後成為聖葡陸士天使軍團的首領,拿著聖父賜福的刀劍,去拿那行在地上的魔鬼,然而一日,考茨基在拿鬼時受到了伯恩施坦的引誘,便墮落了,那一刻考茨基白羊毛的頭與發變成了硫磺與鉛,清澈的雙目變成了黑色的火,他的利劍變成了佈滿鐵銹的三叉戟。
  有一位露西亞的勇士托洛茨基,想把共產光輝傳給其他的外邦人,卻不知這已背離了聖父的教導。那刻,他腳下銀子的車輪變成了長著九個腦袋的惡犬,他駕馭著惡犬衝出地獄,殺死了許多人,也有許多受矇蔽拜伏在他腳下。後來,聖約瑟夫在莫洗哥那地與托洛茨基大戰了三百回合,方用神聖的權柄把他叉回了地獄。
  最後一位原是東方三聖人之一的陳獨秀,他曾拿著沒藥和聖李大釗一起給毛主席施洗,後來陳獨秀受到胡適之和托洛茨基的誘惑,失去了往日的榮光,墮落為身上燃燒著鬼火的地獄之主,他曾與托洛茨基一道在上海作亂,被毛主席用權柄喝退後又在江津傳播壞病,結果被毛主席和聖伍豪合力打回了地獄。
  我轉過身來,要看是誰發聲與我說話。既轉過來,就看見七個金燈臺。燈臺中間,有一位好像主席,身穿中山裝,直垂到腳,胸間束著紅星。他的頭與發皆白,如白羊毛,如雪。眼目如同火焰。腳好像在爐中鍛鍊光明的銅。聲音如同眾水的聲音。他右手拿著寶書。從他口中出來一把兩刃的利劍。面貌如同烈日放光。我一看見,就仆倒在他腳前,像死了一樣。他用右手按著我說,不要懼怕。我是首先的,我是末後的,又是那存活的。我曾死過,現在又活了,直活到永永遠遠。並且拿著死亡和陰間的鑰匙。所以你要把所看見的,和現在的事,並將來必成的事,都寫出來。(《啟示錄》)
  紅軍們行到貴州赤水那地的時候,被河水阻斷,眾人都不能前行,毛主席便叫人抬約櫃出來,用約櫃分開了河水,眾人大大的驚奇,都暗暗稱毛主席是卡爾從天國派到人間的救主,後來,這樣的神蹟,毛主席又行了四次。
  片段五:(《古蘭經》版)
  伊斯共《古紅經》
  第一章開端章(英特耐爾)
  這章是井岡山的,全���共計七節。
  1.奉至仁至慈的毛之名,
  2.一切讚頌全歸毛,眾窮人世界的主,
  3.至仁至慈的主,
  4.報應日的主,
  5.我們只崇拜你,只求你襄助
  6.求你引領我們正路,
  7.你所襄助者的路,不是受譴怒者的路,也不是迷誤者的路。
  聖卡爾在遵義城外的荊棘中向毛主席顯現,並賜毛主席無產光輝杖。聖卡爾曉諭毛主席說,你吩咐紅軍去赤水前安營,我要使蔣介石的心剛硬,他必追趕你們,我便在蔣介石和他全軍身上得榮耀。
  蔣介石便預備他的車輛,帶領中央軍同去,在紅軍安營的地方追上了。
  蔣介石臨近的時候,紅軍舉目看見中央軍趕來,就甚懼怕。他們對毛主席說,難道瑞金沒有墳地,你把我們帶來死在曠野嗎?你為什麼這樣待我們,將我們從瑞金領出來呢?因為服事中央軍比死在曠野還好。
  毛主席對紅軍說,不要懼怕,看聖卡爾今天向你們所要施行的救恩。毛主席向赤水伸���,聖卡爾便用大東風,使河水一夜退去,水便分開,露出干地。紅軍下河中走干地,來回四次。蔣介石的軍兵便混亂了,車輪脫落,難以行走。
  正義之路被暴虐之惡人所包圍毛主席以慈悲和善意之名引導弱者穿過黑暗之谷的人們有福了因為他照顧同伴巡迴迷途的羔羊
  那些膽敢荼毒我同伴的人們我將懷著巨大的仇恨和無比的憤怒消滅他們當我復仇的時候他們會知道我的名字叫毛擇東
  1那時,有施洗的大釗出來,在猶太的曠野傳道,說,
  2天國近了,你們應當悔改。
  3這人就是先知列寧所說的,他說,在曠野有人聲喊著說,預備主的道,修直他的路。
  4這大釗身穿長袍馬褂,面戴眼鏡,吃的是蝗蟲野蜜。
  5那時,耶路撒冷和猶太全地,並約但河一帶地方的人,都出去到大釗那裡。
  6承認他們的罪,在黃河裡受他的洗。
  7大釗看見許多封建地主階級和資產階級,也來受洗,就對他們說,毒蛇的種類,誰指示你們逃避將來的忿怒呢?
  8你們要結出果子來,與悔改的心相稱。
  9不要自己心裡說,有亞伯拉罕為我們的祖宗。我告訴你們,神能��這些石頭中給炎黃興起子孫來。
  10現在斧子已經放在樹根上,凡不結好果子的樹,就砍下來,丟在火裡。
  11我是用水給你們施洗,叫你們悔改。但那在我以後來的,能力比我更大,我就是給他提鞋,也不配。他要用聖靈與火給你們施洗。
  12他手裡拿著簸箕,要揚凈他的場,把麥子收在倉裡,把糠用不滅的火燒盡了。
  13當下,毛主席從加利利來到約但河,見了大釗,要受他的洗。
  14大釗想要攔住他,說,我當受你的洗,你反倒上我這裡來嗎?
  15毛主席回答說,你暫且許我。因為我們理當這樣盡諸般的義。(或作禮)於是大釗許了他。
  16毛主席受了洗,隨即從水裡上來。天忽然為他開了,他就看見神的靈,彷彿鴿子降下,落在他身上。
  1當光緒帝王的時候,毛主席生在湖南地的韶山。有幾個博士從廣東地來到北京,說,
  2那生下來作大秦之王的在哪裡?我們在東方看見他的紅,特來拜他。
  3葉赫納拉的慈禧聽見了,就心裡不安。全北京地的人,也都不安。
  4他就召齊了祭司長和民間的文士,問他們說,基督當生在何處。
  5他們回答說,在湖南地的韶山。因為有先知記著說,
  6湖南地的韶山阿,你在大秦諸地中,並不是最小的。因為將來有一位君王,要從你那裡出來,牧養我中華的民。
  7當下葉赫納拉的慈禧暗暗地召了博士來,細問那紅是什麼時候出現的。
  8就差他們往韶山去,說,你們去仔細尋訪那小孩子。尋到了,就來報信,我也好去拜他。
  9他們聽見王的話,就去了。在東方所看見的那紅,忽然在他們前頭行,直行到小孩子的地方,就在上頭停住了。
  10他們看見那紅,就大大地歡喜,扭起了秧歌。
  11進了房子,看見小孩子和他母親,就俯伏拜那小孩子,揭開寶盒,拿黃金,麝香,人參為禮物獻給他。
  毛主席又對眾人說:「我是世界的紅太陽,跟從我的,就不在黑暗裡走,必要得到共產的光。」
  赫魯曉夫對他說:「你是為自己做見證,你的見證不真。」
  毛主席說:「我雖然為自己做見證,我的見證是真的。因我知道我從群眾中來,往群眾中去。你們卻是以卡爾的律法判斷人的,我卻不判斷人,就是判斷人,也以那實踐作為唯一標準,我的判斷也是真的。那卡爾在天上告訴我說:「實踐是檢驗真理的唯一標準。」
  赫魯曉夫對他說:「卡爾的律法在哪裡,你怎敢違背卡爾和列寧的律法?」
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nekotubuyaki-blog-blog · 11 months ago
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2023年に読んで「オォッ!」と思った本や作品……その1
『長靴をはいた猫』(シャルル・ペロー著/澁澤龍彦訳/河出文庫/Kindle版) 『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子著/三浦裕子訳/装画:Naffy/装幀:田中久子/中央公論新社/Kindle版) 『聊斎志異(上下巻)』(蒲松齢作/立間祥介編訳/岩波文庫) 『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著/岸本佐知子訳/装幀:吉田浩美、吉田篤弘〔クラフト・エヴィング商會〕/白水社) 『新版 小さなトロールと大きな洪水』(ヤンソン著/冨原眞弓訳/さし絵・カバー装画:ヤンソン/講談社文庫/Kindle版) 『象の旅』(ジョゼ・サラマーゴ著/木下眞穂訳/書肆侃侃房/Kindle版) 『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(ケヴィン・ウィルソン著/芹澤恵訳/イラストレーション:中島ミドリ/ブックデザイン:アルビレオ/集英社) 『透明人間』(ハーバート・ジョージ ウェルズ、著/海野十三訳/青空文庫/Kindle版) 『世界の終わりの天文台』(リリー・ブルックス=ダルトン著/佐田千織訳/創元SF文庫/Kindle版) 『去年を待ちながら 新訳版』(フィリップ・Kディック著/山形浩生訳/カバーデザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『ザップガン』(フィリップ・K・ディック著/大森望訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック著/浅倉久志訳/早川書房) 『火星のタイム・スリップ』(フィリップ・K・ディック著/小尾芙佐訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『マーダーボット・ダイアリー 上下』(マーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版) 『珈琲と煙草』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著/酒寄進一訳/東京創元社/Kindle版) 『シャーロック・ホームズ シリーズ全10巻 合本版』(コナン・ドイル著/延原謙訳解説/新潮文庫/Kindle版) 『イラハイ』(佐藤哲也著/佐藤亜紀発行/Kindle版) 『シンドローム』(佐藤哲也著/森見登美彦解説/カバー装画:西村ツチカ/カバーデザイン:祖父江慎+コズフィッシュ/キノブックス文庫) 『俺の自叙伝』(大泉黒石著/四方田犬彦解説/岩波文庫) 『ブサとジェジェ』(嶽本野ばら著/『三田文學 153 春季号 2023』掲載作品) 『珈琲挽き』(小沼丹著/清水良典解説/年譜・著書目録:中村明/講談社文芸文庫) 『不機嫌な姫とブルックナー団』(高原英理著/講談社/Kindle版) 『祝福』(高原英理著/装幀:水戸部功/帯文:渡辺祐真/河出書房新社) 『若芽』(島田清次郎著/青空文庫Kindle版) 『交尾』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『のんきな患者』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『城のある町にて』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『風立ちぬ』(堀辰雄著/青空文庫/Kindle版) 『自分の羽根』(庄野潤三著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『幾度目かの最期 久坂葉子作品集』(久坂葉子著/久坂部羊解説/年譜・著書目録:久米勲/デザイン:菊地信義/講談社文芸文庫) 『現代語訳 南総里見八犬伝 上下巻』(曲亭馬琴著/白井喬二訳/カバーデザイン:渡辺和雄/河出書房新社/Kindle版) 『キッチン』(吉本ばなな著/カバーデザイン:増子由美/幻冬舎文庫/Kindle版) 『かもめ食堂』(群ようこ著/装画:牧野伊三夫/カバーデザイン:井上庸子/幻冬舎文庫/Kindle版) 『ハピネス』(嶽本野ばら著/カバーイラスト:カスヤナガト/カバーデザイン:松田行正/小学館文庫/小学館eBooks/Kindle版) 『猫の木のある庭』(大濱普美子著/金井美恵子解説/装幀:大久保伸子/装画:武田史子/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『ハンチバック』(市川沙央著/装幀:大久保明子/装画:Title: mohohan Year: 2020 Photo: Ina Jang / Art + Commerce/文藝春秋) 『文豪たちの妙な旅』(徳田秋聲、石川啄木、林芙美子、田山花袋、室生犀星、宇野浩二、堀辰雄、中島敦、萩原朔太郎著/山前譲編/カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(welle design)/カバー装画:樋口モエ/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『作家の仕事部屋』(ジャン=ルイ・ド・ランビュール編/岩崎力訳/読書猿解説/カバーイラスト:Guillaume Reynard/カバーデザイン:細野綾子/中公文庫) 『腿太郎伝説(人呼んで��腿伝)』(深掘骨著/左右社/Kindle版) 『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫) 『思い出す事など』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『文鳥』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(川本直著/文庫版解説:若島正/ロゴ・表紙デザイン:粟津潔/本文・カバーフォーマット:佐々木暁/カバー装幀:大島依提亜/カバー装画:宇野亞喜良/帯文:魔夜峰���/河出文庫) 『駅前旅館』(井伏鱒二著/解説:池内紀/カバー装画・文字:峰岸達/新潮文庫)『硝子戸の中』(夏目漱石著/カバー:津田青楓装幀「色鳥」より/注解:紅野敏郎/解説:荒正人/新潮文庫) 『村のエトランジェ』(小沼丹著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『午後三時にビールを 酒場作品集』(萩原朔太郎、井伏鱒二、大岡昇平、森敦、太宰治、坂口安吾、山之口貘、檀一雄、久世光彦、小沼丹、内田百閒、池波正太郎、吉村昭、開高健、向田邦子、安西水丸、田中小実昌、石川桂郎、寺田博、中上健次、島田雅彦、戌井昭人、吉田健一、野坂昭如、倉橋由美子、松浦寿輝、山高登著/カバー画:山高登「ビヤホール」/カバーデザイン:高林昭太/中央公論新社編/中公文庫/Kindle版) 『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中央公論新社編/巻末付録:全集『日本の文学』資料/中公文庫) 『40歳だけど大人になりたい』(王谷晶著/デザイン:アルビレオ/平凡社/Kindle版) 『人生ミスっても自殺しないで、旅』(諸隈元著/ブックデザイン:祖父江慎+根本匠(コズフィッシュ)/晶文社) 『ロバのスーコと旅をする』(髙田晃太郎著/装幀:大倉真一郎/地図制作:小野寺美恵/河出書房新社) 『本当の翻訳の話をしよう 増補版』(村上春樹、柴田元幸著/カバー装画:横山雄(BOOTLEG)/新潮文庫) 『書籍修繕という仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(ジェヨン著/牧野美加訳/装幀:藤田知子/装画:谷山彩子/原書房)
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sskyt · 1 year ago
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『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の再検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
 「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。  そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的に超える超高級知ともなりうるものであった。  近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また、世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。  「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状」『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687#  なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
 ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
 イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比・対立を認めない。  デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。  「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。  注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであ��う」という指摘が興味深い。
 なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
 なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。  アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての考察」
 叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。  降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
 ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。  15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。中2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
 マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。  青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
 ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。  凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治(王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
 19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。  ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。  ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
 大変勉強になった。キリスト教の「聖体拝領(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよ��しくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
 きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。  フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。  フレイザーは呪術を稚拙な科学であるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学と呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。  フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。  フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵があるように思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の意味論」
 19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。  奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が登場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張する話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
 前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。  『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
 最終章でいよいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。  まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中にキリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念が「マナマン」であった、という話が面白い。  さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。  「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリネシア人と宣教師の影響を受けていた。  メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。  このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
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shirasuphoto · 2 years ago
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2022年 八景シリーズBest5
新幹線、保存車両、モノレール。様々な鉄道を八景シリーズで紹介し、今年は制作数271作品、総掲載枚数1000枚以上を突破した。
今年から「鉄道の利用風景」を中心としたテーマを設けてみた。あるときは80年代や90年代を想像するような作品にしたり、あるときは普段使いを意識した作品にしたり、毎回テーマを設けて安直にならないように心掛けた。撮影はテーマを意識した場面を考え、撮影後に作品構成を決めたらレタッチでよりイメージに近いもの実現しようと細かく調整をしてみた。
アーカイブで確認も出来るが、せっかくなのでランキング形式で5作品をピックアップ。Tumblrでは紹介できなかったちょっとした裏話も入れつつ、今年を振り返ろうかと。
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第5位 No.412 湘南八景 空中バス-湘南モノレール
(12/23投稿)
モノレールや新交通システムの登場が多かった。それぞれ「未来」を土台とし、どんな未来なのかより深掘りしたテーマを考えてみた。湘南モノレールでは「昭和の未来」がパッと浮かび上がり、それに合いそうなものを撮影した。
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例えば平成の車両だがこのボックスシートはどこか古臭さがあり、窓の映り込みを利用し自然体な乗車風景を撮影した。広告の色味が邪魔なのもそうだが、この形をよりダイレクトに伝えたいと、モノクロにトーンダウンし古いイメージが先に来るようにした。
未来をテーマにした中では好評だったようでピックアップした。
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第4位 No.272 多摩八景 ありがとう8631F
(6/16投稿)
来月引退予定の東急8500系。今年は7作品(No.144、No.272、No.286、No.318、No.353、No.361、No.410)で登場し、引退間地かの日常風景を紹介している。
「他人とは違う写真をつくりたい」。そんなことを考え始めたのが、この電車がきっかけだったとか。八景シリーズ��始まる前は、この車両をSNSやブログで掲載したりするが、たまにSNSに出す友人の1枚がうまくて、あの作風に憧れたのを思い出す。
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投稿の大半は8637Fだが、今回は8631Fの作品をチョイス。やはりスタンダードな車両を好んでいた人間としては、この編成の引退でひとつの歴史が終わったような気分である。
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第3位 No.340 湘南八景 Everyday 江ノ電
(10/2投稿)
きっかけは江ノ電の写真だった。江ノ電は作品でもたびたび登場しているが、朝の江ノ電は撮ったことがない。いつも混んでいる江ノ電が、日が出ている時間帯でも空いているのは見た���。そんな好奇心で朝6時に鎌倉からスタートしていた。
内容は生活感を重視したいため、海沿いを走る区間は外し、鎌倉の狭い住宅地 を中心に絞った。生活感の中にもちょっとした珍しさを入れたいと思い、朝の連結や夜の分割を入れた。作品ではおまけ程度の登場だが、連結と分割は一つの作品にしたいと考えNo.341を作成した。
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構成だが、当初は「朝」、「昼」、「夜」と段々と変わる構成だった。ただいつも通りで、つまらないと感じていた。変えるにしてもどう変えよう、「毎日って何?」、「生活感ってどう表現する?」ともう一度根本的なところから考えてみた。
そこでふと思った。毎日は1日だけではない、何度でも来る。当たり前だが、このことに気づかされた。構成を一度白紙にし、「朝」、「昼」、「夜」、「朝」、「昼」とコロコロ変わるようにした。一つずつ伝えるのではなく、作品全体を伝えることを意識しよう、そんなきっかけになった作品だったかと。
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第2位 No.348 武蔵四景 旧型 西武2000系
(10/10投稿)
西武といえば黄色い。その残党も主要路線では2000系を残すのみで、西武へ行く度に記録していた。 “No.348”では記録したものを寄せ集めし、作成作品数を増やそうと水増ししたような作品とか。たまにアクション数(リブログといいねを合わせた数)がちょっと伸びる程度で、11月には完全に忘れ去られるぐらいの勢いだった。
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転機は12/7のことだった。いつもはたまに来る程度だったアクティビティの通知が、急に異様な盛り上がり、しかもこのNo.348だけ。何があったと思ったら、tumblr 日本語スタッフ( @nihongo)で紹介されたようで、ちょっとしたコメントを残してくれた。それをきっかけに拡散され、しばらくはいいねの通知が続いている。
影響力のあるアカウントからの紹介、改めて凄い。おかげで他の作品にもいいねを貰えて、ささやかではあるが嬉しさを感じていた。改めてtumblr 日本語スタッフ( @nihongo)に感謝申し上げます。
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西武を象徴する西武2000系だが年々数を減らし、見かける機会が減ったようにも思える。80~90年代の映画やアニメの舞台を再現するには必要な車両だが、その舞台と共に遠ざかろうとしている。
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第1位 No.363 横浜八景 静→動-京急金沢文庫増結
(10/30投稿)
技術者達も驚愕。かつて京急に部品提供を行っていたドイツのシーメンス社の人たちが現地視察した際、そんな逸話を残した朝の金沢文庫増結。この光景を一度は見たいと、朝早くに向かった。
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なんでも5分ごと、多いときは2線同時に作業が行われる。乗客の列は作業途中の動いている電車に近づき始め、それも増結を行うたびに同じ動きをする。日本の朝ラッシュは嫌なほど知っているが、増結作業と慣れた乗車光景が平然と行われることに、日本人でも異様な光景に思えた。 写真は明暗のバランスを均等にして修正しやすいようにと考えたが、そんな暇はなかった。目まぐるしく変わる作業、瞬時にアイディアを出し、それをすぐ形にする。ファインダー越しを信じ、ひっきりなしに行われる増結作業を、無我夢中で撮影していた。
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構成は目まぐるしく行われている様子をイメージして、増結、合図を次々と変わるように盛り込んだ。もう少し様々な内容を詰めたかったが、増結シーンは8枚の制約で1つの構成に仕上げた。あまりたくさん詰め込むより、一つの作品で目まぐるしさを大切にした。
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その代わり、Instagramでは出せなかったシーンを中心に投稿してみた。それがかなり好評だったようで、投稿するたびに盛り上がりがあり、過去最高の反応もあったとか(ドア開 11/22投稿)。 tumblrでは大人しいリアクションだったものの、あの光景の凄さとInstagramの盛り上がりが印象的で、今回トップにした。
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いかがでしょうか。まだまだ紹介出来ていない作品も多くあり、それを眺めるだけでも正月の暇つぶしにはなりそうかと。 来年もシリーズを継続しつつ、何か新しいことが出来たらいいですね。それではよいお年を。
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2nd-lighthouse-journal · 2 years ago
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『百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこわれわたしたちはそれを見た』
野村日魚子の第一歌集。死者の気配が色濃いけれど、最終的には生きている人が生きている人に宛てた本だと思った。
章立てや、生者の章の扉絵が��しらわれた表紙の装丁から、勝手にそうだと受け取っている。
歌の内容も、だんだん実体をともなっていくように読める。
実在の夜はたくさんの長いお話 みく、死者たちを寝かしつける役
雪が四角ではないのとおなじように死んではいないのだあなたも
「死者の章」より。
日本語に似た別の言語で書かれたんじゃないか、と思えるのがこの歌集の魅力のひとつで、死者の章は特にそれが際立っている。
何度か読み返して、言葉が違うというより、この歌集にはいまの地球とは別の世界史があるんじゃないかという印象を持った。
作者の意思のもとそうなったのではなく、ただ別の歴史が層をなしていて、途方もない長さのなかをあるひとりが歩いて、断片的な年表として書き写したような。
やっと人間にしてもらった朝見る雨をお守りと思うみたく生きなよ
「おまえすぐ死ぬって言うから」散らかった靴がいますごくとおいひかり
「生きている人間たちの章」より。
このあたりからすこしこちらの世界に近づいてくる感覚がある。定型に近い歌も多い気がする。
定型からどう外れているか、その効果はどうか、という見方もできそうだけど、それより短歌の圧縮/解凍のはたらきのことを考えた。
短歌に限らず文字数の制約がある詩系は、すべてを描写することはできない。言い切れない空白部分、文字にされていない部分に読む人が手を伸ばすことが、短歌における圧縮/解凍だと思っている。
そこにいないけれど、気配があるものを見ようとする。
それは生者が死者の存在をつかもうとするときの手つきと重なる。
ぼくはまだ死にたくはない前髪の雪をはたいてゆく青信号
( )の章より。
明るい場所で読み直して気づいた。ここだけ紙質が違う。このあと「嵐になる」の章が来て、世界史は終わる。
この歌集の次に、韓江の『すべての、白いものたちの』を読んだ。
春の録音室で、私はこの話はしなかった。その代わり、幼いころに飼っていた犬について話した。(中略)生きていたときの記憶は不思議なほどに、ない。鮮やかなのはただ、死んだ日の朝の記憶だけだ。真っ白な毛と、真っ黒な目と、まだしっとりと濡れていた鼻。あの日から私は犬を愛せない人間になった。手をさしのべて犬ののどや背中を撫でてやることができない人間になった。
「すべての、白いものたちの」
私たちは遅かれ早かれ絶対に喪失するし、ほとんどの場合そのうえで生活を続けなければいけない。
だから弔いや、宛てた言葉が、どれほどこころから死者に向けたものであっても、最後には生きている自分たちにかえってくる。生きている人たち同士のものになる。そう思う。
遠くの人に届くのが手紙 つまりこれがそうなのとてもうれしいでしょう
「嵐になる」の章より。
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋���離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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harvardwang · 2 months ago
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汪建民
H:汪建民10月7日病逝「萬般皆是命,半點不由人。」「天命難違,活在當下。」人生瀟灑走一回!20241008W2
汪建民
網路報導
男星汪建民罹患「肺腺癌4期」,今(2024年10月8日)日遭家屬證實2024年10月7日病逝,享年56歲。事實上,汪建民上月才因病危,送進ICU加護病房搶救,癌細胞擴散頸椎,電療65次,讓他崩潰求死「拜託帶走……。」
「求求老天把我帶走」
妹妹2024年10月8日中午透過其臉書證實汪建民過世:「建民哥於10/7晚間離開了我們,很謝謝最後這段時間幫忙的朋友們,包含所有細心照顧���醫療人員、社工朋友。」
汪建民(1968年1月23日—2024年10月7日)[1],臺灣男藝人。知名於演出單元劇《台灣靈異事件》。
總覽
出生資訊
1968年1月23日
台灣
逝世
2024年10月7日
臺北新光醫療財團法人新光吳火獅紀念醫院
汪建民,臺灣男藝人。知名於演出單元劇《台灣靈異事件》。 維基百科
汪建民肺腺癌逝!醫示警8症狀「常被誤認感冒」 75%發現已晚期
出生資訊: 1968 年 1 月 23 日,台灣
逝世: 2024 年 10 月 7 日,臺北新光醫療財團法人新光吳火獅紀念醫院
身高: 181 公分
代表作品: 台灣靈異事件
出道地點: 臺灣
活躍年代: 1993年-2024年
網路字典
萬般皆是命,半點不由人。
(諺語)人生的際遇皆由命運安排,絲毫不能自主。《警世通言.卷一七.鈍秀才一朝交泰》:「其年正是三十二歲,交逢好運,正應張鐵品先生推算之語。可見:萬般皆是命,半點不由人。」
維基文庫
警世通言第十七卷
维基 -> 警世通言 -> 第十七卷钝秀才一朝交泰
《第十七卷钝秀才一朝交泰》[查看正文] [修改] [查看历史]
1 
蒙正窑中怨气,买臣担上书声。文夫失意惹人轻,才入荣华称庆。红日偶然阴臀,黄河尚有澄清。浮云眼底总难凭,牢把脚跟立定。2 
这首《西江月》,大概说人穷通有时,固不可以一时之得意,而自夸其能;亦不可以…对之失意,而自坠其志。唐朝甘露年间,有个王涯丞相,官居一品,权压百僚,憧仆乾数,日食万钱,说不尽荣华富贵。其府第厨房与一僧寺相邻。每日厨房中涤锅净碗之水,倾向沟中,其水从僧寺中流出。一日寺中老僧出行,偶见沟中流水中有白物,大如雪片,小如玉屑。近前观看,乃是上白米饭,王丞相厨下锅里碗里洗刷下来的。长老合掌念声:「阿弥陀佛,罪过,罪过!」随口吟序一首:3 
春时耕种夏时耘,粒粒颗颗费力勤;4 
春丢细糠如剖玉,炊成香饭似堆银。5 
三餐饱食无馀事,一口饥时可疗贫。6 
堪叹沟中狼藉贱,可怜天下有穷人!7 
长老吟诗已罢,随唤人工道人,将笊篱笊起沟内残饭,向清水河中涤去污泥,摊于筛内,日色晒乾,用磁缸收贮,且看几时满得一缸。不够三四个月,其缸已满。两年之内,并积得六大缸有馀。8 
那王涯丞相只道千年富贵,万代奢华。谁知乐极生悲,一朝触犯了朝廷,阎门待勘,未知生死。其时宾客散尽,憧仆逃亡,仓廪尽为仇家所夺。王丞相至亲二十三口,十尽粮绝,担饥忍饿,啼哭之声,闻于邻寺。长老听得,心怀不忍。只是一墙之隔,除非穴墙可以相通。长者将缸内所积饭乾浸软,蒸而馈之。工涯丞相吃罢,甚以为美。遣婢于间老僧,他出家之人,何以有此精食?老僧道:「此非贫僧家常之饭,乃府上涤釜洗碗之馀,流出沟中,贫僧可惜有用之物,弃之无用;将清水洗尽,日色晒乾,留为荒年贫丐之食。今日谁知仍济了尊府之急。正是一饮一啄,莫非前定。」王涯丞相听罢,叹道:「我平昔吴殄天物如此,安得不败?今日之祸,必然不免。」其夜遂伏毒而死。当初富贵时节,怎知道有今日!正是:贫贱常思富贵,富贵又履危机。此乃福过灾生,自取其咎。假如今人贫贱之时,那知后日富贵?即如荣华之日,岂信后来苦楚?如今在下再说个先忧后乐的故事。列位看官们,内中倘有胯下忍辱的韩信,妻不下机的苏秦,听在下说这段评话,各人回去硬挺著头颈过日,以待时来,不要先坠了志气。有诗四句:9 
秋风衰草定逢春,尺蟀泥中也会伸。10 
画虎不成君莫笑,安排牙爪始惊人。11 
话说国朝天顺年间,福建延乎府将乐县,有个宦家,姓马,名万群,官拜吏科给事中。因论太监王振专权误国,削籍为民。夫人早丧,单生一子,名曰马任,表字德称。十二岁游产,聪明饱学。说起他聪明,就如颜子渊闻一知十。论起他饱学,就如虞世南五车腹筒。真个文章盖世,名誉过人。马给享爱惜如良金美玉,自不必言。里中那些富家儿郎,一来为他是簧门的贵公子,二来道他经解之才,早晚飞黄腾达,无不争先奉承。其中更有两个人奉承得要紧,真个是。12 
冷中送暖,闲里寻忙。出外必称弟兄,使钱那问尔我。偶话店中酒美,请饮三杯。才夸妓馆容娇,代包一月。掇臀捧屁,犹云手有馀香。随口蹋痰,惟恐人先著脚。说不尽制笑胁肩,只少个出妻献子。个叫黄胜,绰号黄病完。一个叫顾样,绰号飞天炮仗。他两个祖上也曾出仕,都是富厚之字,目不识丁,也顶个读书的虚名。把马德称做个大菩萨供养,扳他日后富贵往来。那马德称是忠厚君子,彼以礼来,此以礼在,见他殷勤,也遂与之为友。黄胜就把亲妹六樊,许与德称为婚。德称闻此女才貌双全,不胜之喜。但从小立个誓愿:13 
若要洞房花烛夜,必须金榜挂名时。14 
马给事见他立志高明,也不相强,所以年过二十,尚未完娶。15 
时值乡试之年,忽一日,黄胜、顾样邀马德称向书铺中去买书。见书铺隔壁有个算命店,牌上写道:「要知命好丑?只间张铁口!」马德称道:「此人名为『铁口』,必肯直言。」买完了书,就过间壁,与那张先生拱手道:「学生贱造,求教!」先生问了八字,将五行生克之数,五星虚实之理,推算了一回。说道:「尊官若不见怪,小子方敢直言。」马德称道:「君子问灾不问福,何须隐讳!」黄胜、顾祥两个在旁,只怕那先生不知好歹,说出话来冲撞了公子。黄胜便道:「先生仔细看看,不要轻谈!」顾祥道:「此位是本县大名士,你只看他今科发解,还是发魁?」先生道:「小子只据理直讲,不知准否?贵造『偏才归禄』,父主峥嵘,论理必生于贵宦之家。」黄顾二人扣手大笑道:「这就准了。」先生道:「五垦中『命缠奎壁』,文章冠世。」二人又大笑道:「好先生,算得准,算得准!」先生道:「只嫌二十二岁交这运不好,官煞重重,为祸不小。不但破家,亦防伤命。若过得二十一岁,后来倒有五十年朵华。只怕一丈阔的水缺,双脚跳不过去。」黄胜就骂起米道:「放屁,那有这话!」顾祥伸出拳来道:「打这厮,打歪他的铁嘴。」马德称双手拦住道:「命之理微,只说他算不准就罢了,何须计较。」黄顾二人,口中还不乾净,却得马德称抵死劝回。那先生只求无事,也不想算命钱了。正是:16 
阿谏人人喜,直言个个嫌。17 
那时连马德称也只道自家唾手功名,虽不深怪那先生,却也不信。谁知三场得意,榜上无名。自十五岁进场,到今二十一岁,三科不中。若沦年纪还不多,只为进场屡次了,反觉不利。又过一年,刚刚二十二岁。马给事一个门生,又参了王振一本。王振疑心座主指使而然,再理前仇,密唆朝中心腹,寻马万群当初做有司时罪过,坐赃万两,著本处抚按迫解。马万群本是个清官,闻知此信,一口气得病数日身死。马德称哀戚尽礼,此心无穷。却被有司逢迎上意,逼要万两赃银交纳。此时只得变卖家产,但是有税契可查者,有司迳自估价官卖。只有续置一个小小日庄,未曾起税、官府不知。马德称恃顾祥平昔至交,只说顾家产业,央他暂时承认。又有古董书籍等项,约数百金,寄与黄胜家去讫。却说有司官将马给事家房产田业尽数变卖,未足其数,兀白吹毛求疵不已。马德称扶枢在坟堂屋内暂住,忽一日,顾祥遣人来言,府上馀下田庄,官府已知,瞒不得了,马德称无可奈何,只得入官。后来闻得反是顾祥举首,一则恐后连累,二者博有司的笑脸。德称知人情好险,付之一笑。过了岁馀,马德称在黄胜家索取寄顿物件,连走数次,俱不相接,结末遣人送一封帖来。马德称拆开看时,没有书柬,只封帐目一纸。内开某月某日某事用银若乾,某该合认,某该独认。如此非一次,随将古董书籍等项估计扣除,不还一件。德称人怒,当了来人之面,将帐目扯碎,大骂一场:「这般狗邑之辈,再休相见!」从此亲事亦不题起。黄胜巴不得杜绝马家,正中其怀。正合著西汉冯公的四句,道是:18 
一贵一贱,交情乃见;19 
一死一生,乃见交情。20 
马德称在坟屋中守孝,弄得衣衫褴褛,口食不周。当初父亲存日,也曾周济过别人,今日自己遭困,却谁人周济我广守坟的老王掉掇他把坟上树木倒卖与人,德称不肯。老王指著路上几棵大柏树道:「这树不在泵旁,卖之无妨。」德称依九,讲定价钱,先倒一棵下来,中心都是虫蛀空的,不值钱了。再倒一棵,亦复如此。德称叹道:「此乃命也!」就教住手。那两棵树只当烧柴,卖不多钱,不两日用完了。身边只剩得十二岁一个家生小厮,央老工作中,也卖与人,得银五两。这小厮过门之后,夜夜小遗起来,主人不要了,退还老王处,索取原价,德称不得已,情厚减退了二两身价卖了。好奇怪!第二遍去就不小遗了。这几夜小遗,分明是打落德称这二两银子,不在话下。21 
光阴似箭,看看服满。德称贫困之极,无门可告。想起有个表叔在浙江杭州府做二府,猢州德清县知县也是父亲门生,不如去投奔他,两人之中,也有一遇。当下将几件什物家伙,托老工卖充路费。浆洗了旧衣旧裳,收拾做一个包裹,搭眠上路,直至杭州。间那表叔,刚刚十日之前,已病故了。随到德清县投那个知县时,又正遇这几日为钱粮事情,与上司争论不合,使性要回去,告病关门,无由通报。正是:22 
时来凤送除下阁,运女雷轰荐福碑!23 
德称两处投入不著,想得南京衙门做官的多有年家。又趁船到京口,欲要渡江,怎奈连口大西风,土木船���步难行。只得往句吝一路步行而入,迳往留都。区数国都那几个城门:24 
神策金川仪风门,怀远请凉到石城。25 
三山聚宝连通济,洪武朝阳走太平。26 
马德称由通济门人城,到饭店中宿了一夜。次早往部科等各衙门打听,往年多有年家为官的,如今升的升了,转的转了,死的死了,坏的坏了,一无所遇。乘兴而来,却难兴尽而返,流连光景,不觉又是半年有馀,盘缠俱已用尽。虽下学伍大夫吴门乞食,也难免吕蒙正僧院投斋。忽一日,德称投斋到大报恩寺,遇见个相识乡亲,问其乡里之享。方知本省宗师按临岁考,德称在先服满时因无礼物送与学里师长,不曾动得起复文书及游学垦子,也不想如此久客于外。如今音信不通,教官迳把他做避考申黜。千里之遥,无由辨复,真是:屋漏更遭连夜雨,船迟又遇打头风。27 
德称闻此消息,长叹数声,无面回乡,意欲觅个馆地,权且教书糊口,再作道理。谁知世人眼浅,不识高低。闻知异乡公子如此形状,必是个浪荡之徒,便有锦心绣肠,谁人信他,谁人请他?又过了几时,和尚们都怪他蒿恼。语言不逊,不可尽说。幸而天无绝人之路。有个运粮的赵指挥,要请个门馆先生同往北京,一则陪话,二则代笔。偶与承恩寺主持商议。德称闻知,想逍:「乘此机会,往北京一行,岂不两便。」遂央僧此系。那俗僧也巴不得遣那穷鬼起身,就在指挥面前称扬德称好处,且是柬情甚少。赵指挥是武官,不管三七二十一,只要省,便约德称在寺,投刺相见,择日请了下船同行。德称口如悬河,宾主颇也得合。不一日到黄河岸口,德称偶然上岸登东。忽听发一声响,犹如天崩地裂之形。慌忙起身看时,吃了一惊,原来河口决了。赵指挥所统粮船三分四散,不知去向。但见水势滔滔,一望无际。28 
德称举目无依,仰天号哭,叹道:「此乃天绝我命也,不如死休!」方欲投入河流,遇一老者相救,问其来历。德称诉罢,老者侧然怜悯,道:「看你青春美质,将来岂无发迹之期?此去短盘至北京,费用亦不多,老夫带得有三两荒银,权力程敬!」说罢,去摸袖里,却摸个空,连呼「奇怪!」仔细看时,袖底有一小孔,那者者赶早出门,不知在那里遏著剪络的剪去了。老者嗟叹道:「古人云:『得咱心肯日,是你运通时。』今日看起来,就是心肯,也有个天数。非是老夫吝惜,乃足下命运不通所致耳。欲屈足下过舍下,又恐路远不便。」乃邀德称到市心里,向一个相熟的主人家借银五钱为赠。德称深感其意,只得受了,再三称谢而别。29 
德称想这五钱银子,如何盘缠得许多路。思量一计,买下纸笔,一路卖字。德称写作俱佳,争奈时运未利,不能讨得文人墨士赏鉴,不过村坊野店胡乱买几张糊壁,此辈晓得什么好歹,那肯出钱。德称有一顿没一顿,半饥半饱,直捱到北京城里,下了饭店。间店主人借绪绅看查,有两个相厚的年伯,一个是兵部尤侍郎,一个是左卿曹光禄。当下写了名刺,先去谒曹公。曹公见其衣衫不整,心下不悦,又知是王振的仇家,不敢招架,送下小小程仪就辞了。再去见尤侍郎,那尤公也是个没意思的,自家一无所赠,写一封柬帖荐在边上陆总兵处,店主人见有这封书,料有际遇,将五两银子借为盘缠。谁知正值北虏也先为寇,大掠人畜,陆总兵失机,扭解来京间罪,连尤侍郎都罢官去了。德称在塞外耽搁了三四十月,又无所遇,依旧回到京城旅寓。30 
店主人折了五两银子,没处取讨,又欠下房钱饭钱若干,索性做个宛转,倒不好推他出门,想起一个主意来。前面衚同有个刘千户,其子八岁,要访个下路先生教书,乃荐德称。刘千户大喜,讲过束情二十两。店主人先支一季束修自己收受,准了所借之数。刘千户颇尽主道,送一套新衣服,迎接德称到彼坐馆。自此吝餐下缺,且训涌之暇,重温经史,再理文章,刚刚坐毅三个月,学生出起痘来,大医下药不效,十二朝身死。刘千户单只此子,正在哀痛,又有刻薄小人对他说道:「马德称是个降祸的大岁,耗气的鹤神,所到之处,必有灾殃。赵指挥请了他就坏了粮船,尤恃郎荐了他就坏了官职。他是个不吉利的秀才,不该与他亲近。」刘千户不想自儿死生有命,到抱怨先生带累了。31 
各处传说,从此京中起他一个异名,叫做「钝秀才」。凡钝秀才街上过去,家家闭户,处处关门。但是早行遇著钝秀才的一日没彩,做买卖的折本,寻人的不遏,告官的理输,讨债的不是厮打定是厮骂,就是小学生上学也被先生打几下手心。有此数项,把他做妖物相看。倘然狭路相逢,一个个吐口涎沫,叫句吉利方走。可怜马德称衣冠之胄,饱学之懦,今日时运不利,弄得日无饱餐,夜无安宿。同时有个浙中吴监生,性甚硬直。闻知钝秀才之名,不信有此事,特地寻他相会,延至寓所,叩其胸中所学,甚有接待之意。坐席犹未暖,忽得家书报家中老父病故,踉跄而别,转荐与同乡吕鸿肿。吕公请至寓所,待以盛撰,方才举著,忽然厨房中火起,学家惊慌逃奔。德称因腹馁经行了几步,被地方拿他做人头,解去官司,不由分说,下了监铺。幸吕鸿肿是个有天理的人,替他使钱,免其枷责。从此钝秀才其名益著,无人招接,仍复卖字为生。惯与婊家书寿轴,喜逢新岁写春联。夜间常在祖师庙、关圣庙、五显庙这几处安身。或与道人代写疏头,趁几文钱度日。32 
话分两头,却说黄病鬼黄胜,自从马德称去后,初时还伯他还乡。到宗师行黜,不见回家,又有人传信,道是随赵指挥粮船上京,破黄河水决,已召没矣。心下但然无虑,朝夕逼勒妹子六姨改聘。六嫔以死自誓,决不二夫。到天顺晚年乡试,黄胜董缘贿赂,买中了秋榜,里中奉承者填门塞户。闻知六焕年长未嫁,求亲者日不离门,六馍坚执不从,黄胜也无可奈何。到冬底,打叠行囊在北京会试。马德称见了乡试录,已知黄胜得意,必然到京,想起旧恨,羞与相见,预先出京躲避。谁知黄胜不耐功名。若是自家学问上挣来的前程,倒也理之当然,不放在心里。他原是买来的举人,小人乘君子之器,不觉手之舞之,足之蹈之。又将银五十两买了个勘合,驰驿到京,寻了个大大的下处,且不去温习经史,终日穿花街过柳巷,在院子里表子家行乐。常言道「乐极悲生」,嫖出一身了疮。科场渐近,将白金百两送大医,只求速愈。大医用轻粉劫药,数日之内,身体光鲜,草草完场而归。不够半年,疮毒大发,医治不痊,呜呼哀哉,死了。33 
既无兄弟,又无于息,族间都来抢夺家私。其妻王氏又没主张,全赖六焕一身,内支丧事,外应亲族,按谱立嗣,众心俱悦服无言。六焕自家也分得一股家私,不下数千金。想起丈夫覆舟消息,未知真假,贾了多少盘缠,各处遣人打听下落。有人自北京来,传说马德称未死,落莫在京,京中都呼为「钝秀才」。六焕是个女中大夫,甚有劈著~收拾起辎重银两,带了丫鬟僮仆,雇下船只,一往来到北京寻取丈夫。访知马德称在真定府龙兴寺大悲阁写《法华经趴乃将白金百两,新衣数套,辛笔作书,缄封停当,差老家人工安责去,迎接丈夫。吩咐道:「我如今便与马相公援例入监,请马相公到此读书应举,不可迟滞。」34 
王安到尤兴寺,见了长老,问:「福建马相公何在?」长老道:「我这里只有个『钝秀才』,并没有什么马相公。」王安道:「就是了,烦引相见。」和尚引到大悲阁下,指道:「旁边桌上写经的,不是钝秀才?」主安在家时曾见过马德称几次,今日虽然褴褛,如何不认得?一见德称便跪下磕头。马德称却在贫贱患难之中,不料有此,一时想不起来。慌忙扶住,问道:「足下何人?」王安道:「小的是将乐县黄家,奉小姐之命,特来迎接相公,小姐有书在此。」德称便问:「你小姐嫁归何宅广王安道:「小姐守志至今,誓不改适。因家相公近故,小姐亲到京中来访相公,要与相公入粟北雍,请相公早办行期。」德称方才开缄而看,原来是一首诗,诗曰:35 
何事萧郎恋远游?应知鸟帽未笼头。36 
图南自有风云便,且整双萧集凤楼。37 
德称看罢,微微而笑。工安献上衣服银两,且请起程日期。德称道:「小姐盛情,我岂不知?只是我有言在先:『若要洞府花烛夜,必须金榜挂名时。』向困贫困,学业久荒。今幸有馀资可供灯火之费,且待明年秋试得怠之后,方敢与小姐相见。」王安不敢相逼,木赐回书。德称取写经馀下的茧丝一幅,答诗四句:38 
逐逐风尘已厌游,好音刚喜见怦头。39 
妓娥夙有攀花约,莫遣莆声出凤楼。40 
德称封了诗,付与王安。王安星夜归京,回覆了六婉小姐。开诗看毕,叹惜不已。41 
其年天顺爷爷正遇「土木之变」,皇太后权请邮王摄位,改元景泰。将奸阉王振全家抄没,凡参劾王振吃亏的加官赐荫。黄小姐在寓中得了这个消息,又遣王安到尤兴寺报与马德称知道。总称此时虽然借寓僧房,图书满案,鲜衣美食,已不似在先了。和尚们晓得是马公子马相公,无不钦敬。其年正是三十二岁,交逢好运,正应张铁口先生推算之语。可见:42 
万般皆是命,半点不由人。43 
德称正在寺中温习旧业,又得了工安报信,收拾行囊,别了长老赴京,另寻一寓安歇。黄小姐拨家憧二人伏侍,一应日用供给,络绎愤送。德称草成表章,叙先臣马万群直言得祸之由,一则为父亲乞恩昭雪,一则为自己辨复前程,圣旨倒,准复马万群原官,仍加三级,马任复学复摩。所抄没田产,有司追给。德称差家懂报与小姐知道。黄小姐又差王安送银两到德称寓中,叫他度例入粟。明春就考了监元,至秋发魁。就于寓中整备喜筵,与黄小姐成亲。来春又中了第十名会魁,殿试二甲,考选庶吉士。上表给假还乡,焚黄谒墓,圣旨准了。夫妻衣锦还乡,府县官员出��迎接。往年抄没田宅,俱用官价赎还,造册交割,分毫不少。宾朋一向疏失者,此日奔走其门如市。只有顾祥一人自觉羞惭,迁往他郡去讫。时张铁口先生尚在,闻知马公子得第荣归,特来拜贺,德称厚赠之而去。后来马任直做到礼、兵、刑三部尚书,六摸小姐封一品夫人。所生二予,俱中甲科,替缨不绝。至今延平府人,说读书人不得第者,把「钝秀才」为比。后人有诗叹云:44 
十年落魄少知音,一日风云得称心。45 
秋菊春桃时各有,何须海底去捞针。
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kachoushi · 2 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和6年10月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年7月1日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
浜木綿を染めし落暉の日本海 かづを ナースとて香水ほのと香りたり 同 風に波打つまで育ちゐる青田 同 網戸越し松に鴉が羽繕ひ 清女 這ひ出でし苔を褥に夏の蝶 笑子 青梅雨の沖へ沖へと藍深む 同 産土の茅の輪くぐりに星が降り 希子 女達噂話や梅雨しとど 和子 虚子愛子柏翠句碑に大夕立 匠 蛍や自害に果てし一城主 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月4日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
夏の雲飛行機雲に結ばれて 喜代子 狭庭にも大株四葩二本咲き 由季子 天筆に今年も祈る星祭 都 パナマ帽モボモガの世に生きた親 同 青すだれ隣家の灯り遠くなり 同 単衣着て白き衿足なまめける 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
梅雨の蝶なれば鼓動のやうな翅 順子 阿羅漢に逢ふには黒き麻を選り 同 蚊遣香きれいどころを紫に 光子 剥落の喜怒哀楽の貌涼し 風頭 金ピカの阿弥陀炎暑を撥ね返す 佑天 遅れ從く行人坂の上に夏 昌文 唇うすき五百羅漢の薄衣 同
岡田順子選 特選句
茄子植うる角を曲りて羅漢寺 和子 阿羅漢の肋へ夜々の早星 光子 女人描くやうに蚊遣の煙かな 和子 朝涼に羅漢千ほど詣でけり 軽象 羅漢へは夏の讃美歌届かざる 俊樹 水鉄砲水に沈めてゆく遊び 和子 汗の我汗無き五百羅漢像 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
いそいそと出かける母の洗ひ髪 成子 原罪を忘れしごとく髪洗ふ 朝子 髪洗ひ沛然の夜を深眠り 美穂 身体の壺深くせむ泉湧く 同 蝙蝠となりイザベラの墓を守る かおり 無限とはあの夏雲のあふれやう 朝子 遠ざかる汽笛を胸に髪洗ふ かおり 待つ事に慣らされたかなソーダ水 修二 昼寝覚また見失ふ青い鳥 かおり いいかげんな返事はできぬ滝の前 睦子 地の底に坑道のあり夏薊 朝子 水海月ニュートリノとは身の不才 久美子 青く浮く水の惑星飛ぶ蛍 光子 群るること嫌ふ子の飼ふ目高かな たかし 手の中に捨つるつもりの落し文 美穂
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
炎帝や新幹線の響動もせり 時江 汗の顔拭いても直ぐに汗の顔 みす枝 蛍の夜君と辿つた田舎道 和子 網戸より青き大空真清けし 時江 雲の峰向けて大きなホームラン みす枝 羅に齢見せたり隠したり 世詩明 万緑の中に抱かる風化仏 時江 弁解はすまじと白扇閉ぢらるる 昭子 老いたれば野盗の如く西瓜喰ぶ 世詩明 魂の抜けて極楽大昼寝 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月8日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
すこやかと母の昼寝のたのもしき 和魚 入道雲更に一段気負ひ立つ 秋尚 昼寝して疲れひと��づ剥がれゆく 貴薫 妣の忌や水やうかんの三姉妹 美貴 入道雲夢語り合ふ部活の子 同 保母泣かせ昼寝の時に元気な児 エイ子 海風に昼寝誘はれ母の膝 史空 束の間の午睡ゆらゆら旅の途中 のりこ 離れ島入道雲に呑み込まれ 史空 よく冷えて角立ちてをる水羊羹 三無 入道雲掴みきつたるクレーン車 同 今少し続きに未練昼寝覚 秋尚 定期船入道雲に溶けてゆく 史空 昼寝さめ穂高の風は空の色 ます江 幼子の昼寝絵本を抱きしまま 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
断面のやうなビル窓夕焼けて 都 アイスコーヒー別れるために会ふ人の 同 火取虫灯りともせばあらあらし 和子 狛犬の口を漱ぐや男梅雨 美智子 さらばへて汗もかかずに老いてゆく 悦子 目の前の影と思へば蚊喰鳥 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
非常なる毛虫退治も日常に あけみ きようだいが内緒の話ハンモック 裕子 今日を無事に終へて夜風と衣紋竿 同 山寺や山あぢさゐの道になり 令子 蛍飛ぶ幼き頃を誘ひ出し 光子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
滴りに苔むす岩の息づかひ 多美女 凌霄花掴まり処なき揺れて 亜栄子 早苗饗やのんびり浸る露天風呂 幸風 解体の決まる旧家や釣忍 百合子 葛餅を分厚く切りて客迎へ 美枝子 葛餅のギヤマン盛の重さかな 文英 涼しげに楓日傘の年尾句碑 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月16日 萩花鳥会
七月場所若手の力士続続と 祐子 雷神へ千の手拝む千年の樹 健雄 水田に波紋広げて梅雨に入る 俊文 今咲いた深夜の電話月下美人 恒雄 仙人掌の生きぬく力強きこと ゆかり 夕立の真つ只中の下枝かな 吉之 雷鳴に負けじ響くや母の声 明子 母逝きて幾年たちぬ仙人掌花 美恵子
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令和6年7月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
無雑作に立て掛てあり古葭著 雪 青葉木菟夜は淋しと鳴くならん 同 此の􄼫に金色飼はれし師の月日 同 足羽山はみだして来る蟬時雨 かづを 万緑を鎧ふ最古の天守閣 同 風鈴や此の先老をどう生きる 真喜栄 一と日毎老鶯の声啼細る 英美子 半百生鯖より蛸の足を買ふ 賢一 草を引く予定は未定なる気まま やす香 蛍の夜君と語りし田圃径 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
加賀鳶の夕顔の種翔しけり 世詩明 朝顔の晒したてなる朝の雨 同 梅雨の灯に手相見る癖ケセラセラ 清女 牽牛花の螺旋昇るや夢連れて 千加江 朝顔や父母ゐなく実家もなく 令子 夏のシャツざぶざぶ洗ふ達者に洗ふ 同 いとさびし師の忌が一つ増えた夏 淳子 雲の峰背ナに担ぎて手を振れり 和子 朝顔の咲いて嬉しきことも無く 同 荒梅雨や工事現場にヨイトマケ 数幸 光陰を渦に背負ひし蝸牛 雪 サングラス顔を隠してゐるつもり 同 光りたき所に光りゐる蛍 同 又の世も火蛾と生まれて灯を恋ふか 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月19日 さきたま花鳥句会
山百合や日に三本の村のバス 月惑 しなやかに見沼の青田穂を孕む 八草 翡翠を待つ三脚の影伸びて 裕章 はたと止む平家の里の夜の蟬 ふゆ子 梅雨明けて肌に塗るもの一つ増え としゑ 葉は枯るも生きてゐるよとミニトマト 恵美子 けだるげな猫の往診暑気中り みのり 酔芙蓉午後の日差しに色の濃く 彩香 愛想なき冷たさが好き竹婦人 良江
………………………………………………………………
令和6年7月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
隠沼の何処に存すか牛蛙 文英 炎帝を弾きとばして母の塔 三無 雨上り烈日をあぶ蟬と吾 久子 夏の沼水切りの輪閃閃と 三無 みんみんの遠く近くに読経めく 慶月 琅玕の風をたわわにアッパッパ 幸風 隠沼を揺さぶる響き牛蛙 亜栄子 漢行く灼けし空缶蹴りとばし 三無
栗林圭魚選 特選句
ご褒美はお花畑の大饗宴 白陶 水無月の乾き切つたる空となる 秋尚 炎天の隠れやうなき径白き 同 父母と黴の匂ひや里の閨 経彦 沼いつも古色を湛へ蜻蛉生る 千種 石仏の錆びし錫杖金絲草 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
金漿つけしお羽黒とんぼ登場す 雪 蝙蝠や国府の名残り路地路地に 同 真白なる羽根たたみたる火蛾の果て 同 夕方に雲の集まる男梅雨 たけし 宮涼し巫女の舞ふ袖ふくらめり 同 柿葺閂錆し竹落葉 同 蟬時雨一山丸ごと震へをり みす枝 夫逝きし庭より聞こゆ青葉木菟 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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kennak · 2 years ago
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石破茂 下村博文 高木宏壽 山本ともひろ <衆議院> 逢沢一郎 赤澤亮正 東国幹 池田佳隆  石橋林太郎 石原宏高 石原正敬 伊東良孝 稲田朋美 井林辰憲 井原巧 大岡敏孝 尾崎正直※ 小田原潔 鬼木誠 菅家一郎 神田憲次 北村誠吾 工藤彰三 熊田裕通 國場幸之助 小寺裕雄 小林茂樹 小林鷹之 小林史明 坂井学 佐々木紀 柴山昌彦 島尻安伊子 鈴木馨祐 関芳弘 高木宏壽 高鳥修一※ 高見康裕 武田良太 武村展英 谷川とむ 田野瀬太道 田畑裕明 塚田一郎 土田慎 土井亨 中川貴元 中川郁子 中曽根康隆 ��西健治 中根一幸 中野英幸 中村裕之 中山展宏 西野太亮 萩生田光一 鳩山二郎 平井卓也 深澤陽一 古川康 細田健一 宮内秀樹 宮崎政久※ 宮澤博行 務台俊介 宗清皇一 村井英樹 盛山正仁 保岡宏武 柳本顕 山際大志郎 山田賢司 山本ともひろ 若林健太 ※「崎」は「たつさき」※「高」は「はしごだか」 逢沢一郎 上杉謙太郎 木村次郎 柴山昌彦 萩生田光一 穂坂泰 青山周平 池田佳隆 伊藤信太郎 伊東良孝 井上信治 上野賢一郎 大岡敏孝 奥野信亮 小田原潔 鬼木誠 加藤勝信 神田憲次 木村次郎 高木啓 高木宏壽 武田良太 田畑裕明 寺田稔 中川郁子 萩生田光一 平井卓也 平沢勝栄 松本洋平 岸信夫 木村次郎 熊田裕通 斎藤洋明 坂井学 高鳥修一※ 田畑裕明 田野瀬太道 中川貴元 中村裕之 深澤陽一 萩生田光一 星野剛士 若林健太 ※「高」は「はしごだか」 斎藤洋明 <参議院> 青木一彦 生稲晃子 石井浩郎 井上義行 猪口邦子 上野通子 臼井正一 江島潔  加田裕之 加藤明良 北村経夫 古賀友一郎 こやり隆史 櫻井充 佐藤啓 高橋克法 豊田俊郎 永井学 船橋利実 星北斗 舞立昇治 三宅伸吾 森屋宏 山本順三 若林洋平 渡辺猛之 赤澤亮正 甘利明 石破茂 伊東良孝 大岡敏孝 小田原潔 北村誠吾 木原稔 佐々木紀 谷川とむ 中谷真一 中山展宏 古川康 宮澤博行 務台俊介 山際大志郎 義家弘介 井上義行 猪口邦子 衛藤晟一 磯崎仁彦※ 井上義行 三宅伸吾 森まさこ ※「崎」は「たつさき」 上野通子 北村経夫 こやり隆史 船橋利実 井上義行
自民“旧統一教会と接点の国会議員は179人”うち121人氏名公表 | NHK | 旧統一教会
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iseilio-blog · 3 months ago
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眠狂四郎無賴控(三)
裸 女 變 心
柴田鍊三郎
一 、
清澈的天空,星星誕生的時刻。
夏日寧宵,地面飄浮著霧靄,開展的路面,眠狂四郎 的視野狹小。
湯島聖堂 的高塔,矗立在霧氣上面。長長的樹屏露出著蒼鬱的樹木,
是個靜寞的地點。
(307) 【学習史跡】湯島聖堂 東京都【江戸時代】 - YouTube
左側的厓下,水鳥振翅的聲音高高響著。無聲無線的寂靜。
眠狂四郎 的腳步向西爬上坡道。樹屏接連著 櫻之馬場 的坡提。
- 又跟來了。
眠狂四郎 一個人苦笑著。剛從茅町的料亭出來,從那開始就執拗的
開始跟隨。熟練的捕快懂得會保持一定距離之妙,可是這個跟蹤者
並不熟練,近得幾乎連喘息都聽得到。轉個角,距離拉遠了,慌忙的
快跑幾步。
不想去理會,也不覺得麻煩。
不過,一過了 櫻之馬場,跟蹤者忽然轉向右方有著屋敷的湯島五町
目。聽到這慌張的腳步聲,回首,也就看了一下的關心。
熊本城 櫻之馬場 城彩苑 美食街 💕 Kumamoto (youtube.com)
湯島の白梅/湯島白梅記-SaxRuby(D key) (youtube.com)
從 水戶屋敷(屋宇、yashiki) 到 水道橋,什麼事都沒有。因為是個
有著許多 旗本屋敷 的廣大區域。從巷道出現了幾個帶著頭巾的武士,
保護著華美的轎子,與自己擦身而過。忽然,覺得從轎子發出了尖銳
而異樣的聲音,轎門掉了下來。停下腳步,從 水戶屋敷  到 水道橋,
什麼事都沒有。因為是個有著許多旗本屋敷 的廣大區域。從巷道出現
了幾個帶著頭巾的武士,保護著華美的轎子,與自己擦身而過。
忽然,轎子發出尖銳而異樣的了聲音,轎門掉了下來,一個人影
滾到了路上,眠狂四郎 回了頭,一看到全身裸體的女人,蹙了眉頭。
手腳被綑綁著,好像從樹上掉下來的毛蟲,四肢收緊,一身一縮的
回轉著。
霧靄中的夜光照著白色肢體的輪廓,如同幻影一般。
武士們慌忙的將那沒穿衣服的身體塞進轎子裡面。一個人向著
眠狂四郎走了過來,
「看到了蛤,這傢伙!」
叫著。
頭巾底下的眼神有著殺氣。
眠狂四郎 默默的要走開。
「等等!」
兩個人跑了過來。
眠狂四郎 雙手交疊在衣袖裡。
「看到了不行嗎?」
「不行!」
「被人看到,不行,這是什麼話?」
「一起走」
「不」
爽脆的拒絕,武士們慌忙一齊拔刀,圍了上來。
從橋上過來的人們,手提著燈籠,燈光照著地面,兩人交互的姿勢
清楚的浮出地面。
都是那個 大名(高官)的家臣,出手準確。
- 功夫的細膩度,似乎不太吻合。
一面如此想著,眠狂四郎說道:
「有被我斬殺而不後悔的覺悟嗎?」
聲音尚未落下,背後一人斬了上來。
眠狂四郎 一下子變換了姿態,吹過鬢角的刃風,悟到夾帶著相當的
劍氣。
「想要死,這邊也就奉陪了。」
他的右手順著身體的轉變,握著奪下來的刀。
山峰之下,正面向著對手,緩緩的,円月殺法 的刃光描畫在靄明
之中。 二 、
進入竹圍的小徑,主屋出現,在夜裡也知道是一棟古屋。狂四郎讓
那女人出了轎子,幫她解開繩索。女人站了起來,背向著狂四郎,
「讓我帶路!」
狂四郎 想:這我到底是什麼角色。
光景的確奇妙。進入了屋內,一枝燭台燭光搖晃,中間是有著美麗
圖案的被窩。
女人坐在燭台旁,美麗的面容,鼻目清楚,良好的品相。尤其白皙的
皮膚,富泰的體裁,光滑而亮麗,即使 狂四郎 也不免為之目眩。
「對不起,容我問個無聊的問題。是要我怎麼樣呢?」
「你要怎麼辦都可以。」
似乎事先已經備有答案。
沉默了一下子,狂四郎 靜靜的說:
「要睡嗎?」     
女人素質的站了起來,進入了被窩。
狂四郎 從腰部取下了 無想正宗(長刀)與小刀,放在枕頭旁,吾身乘
上了白皙的肢體。
瞬間,女人的四肢打開,纏上了狂四郎的五體;腕上頸,腳對腳,如
同水蛭一般的吸了上去。
這時,忽然出現了拿著手槍的四個武士。
狂四郎 絲毫沒有顯示反擊的樣子。
然而 - 。狂四郎 挺身向前,置己身於死地。不只將 円月殺法 的
秘術,軀幹幻化成無手無眼,交纏女體的蛇 - 可怕的而悲壯的決意。
円月殺法,不只是在空間畫圓,更是心氣一體瞬間的轉化。
伊藤一刀斎 所說的:「體中之劍 - 無形的架式」,常靜子劍談 云:
「到達劍之奧義之道的三路之一 心形刀。」都說的是一心萬刀之
理。
狂四郎 捨棄 無想正宗,將自身置於絕體絕命之窮地,有著斬斷虛無
叢念,覺悟順逆的淒絕的神妙心。
狂四郎 直覺沒有錯。
紙門一打開,就看到了女子袖子間的短刀,刀尖一下子就刺了上
來。跳開兩步,狂四郎 打落了那柄懷劍。
女子哭了起來。
狂四郎 向著站在後面的老人說:
「這個女人就給我吧!」
「你會怎麼辦?」
「想辦法讓她活下去。」
老人有點遲疑的走近了女子的身邊,
「須美 . . . . . 妳就跟著 眠狂四郎 去吧。」
須美 望著含帶著微笑的 狂四郎,突然激烈的搖著頭,
「不要! 我寧可去尼姑庵」
須�� 興奮的語調如同銳利的剃刀。
不出聲的 狂四郎 凝視著 須美,出手扣住 須美 的頸子,用力的將
須美 拉入了明神神社界內,走向櫻花樹林。那裡有一間面臨著高厓
的茶屋。
星空之下,夜靄,模糊的伸展著廣闊的江戶街區。起伏的屋脊,燈影
滲著夜靄,散放著柔和寂靜的夜色。
狂四郎毫不說明,向著須美,隨著時間推移,須美的心遲緩了下來,
身體溶入了涼爽的夜色。
不知不覺的 . . . . .須美 的眼眸望向 狂四郎,當兩人四目相視,須美的
臉頰紅潤了起來。
等待著的 狂四郎,雙手伸向了 須美。
須美 閉上了眼,全身失去了力氣。
乘了上來的男體,須美 失去了四肢纏繞的勇氣。
唇附著唇的恍惚感,處女之身,絲毫無法抵抗。
柔和的肌膚,在夜色之中起了痙攣。
過了半刻 -
須美靠在狂四郎的背部,嗚咽著 . . . . . ,
眠 狂 四 郎
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nekotubuyaki-blog-blog · 2 years ago
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今週の入手本(0513-0519)
『哺乳類前史:起源と進化をめぐる語られざる物語』(エルサ・パンチローリ著/的場知之訳/装幀:國枝達也/青土社)。既に今年の一月に電子書籍版では読み終えていますが、後々、必要なところを拾い読みするときなどには紙の書籍のほうが便利なので購入しました。
『沖縄の生活史』(石原昌家、岸政彦監修/沖縄タイムス社篇/まえがき:岸政彦/あとがき:石原昌家/カバー写真:上原沙也加/100人の語り手、聞き手の皆さん/みすず書房)
『俺の自叙伝』(大泉黒石著/四方田犬彦解説/岩波文庫)
『ぼくの死体をよろしくたのむ』(川上弘美著/カバー装画:伊藤絵里子/新潮文庫/Kindle版)
『第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇』(尾崎翠作/川崎賢子解説/カバー:中野達彦/カバー図版:「琉璃玉の耳輪」手稿より/岩波文庫)。改めて購入しました。
『緋色の研究』『シャーロック・ホームズの思い出』『シャーロック・ホームズの冒険』(コナン・ドイル著/延原謙訳/カバー装幀:西浦玉美/新潮文庫)
『泣菫随筆』(薄田泣菫著/谷沢永一、山野博史編/山野博史解題装画:瀬川康男/装丁:辻村益朗/冨山房百科文庫)。
『マッカラーズ短篇集』(カーソン・マッカラーズ著/ハーン小路恭子編訳解説/西田実訳/カバーイラスト:桑原紗織/カバーデザイン:緒方修一/ちくま文庫)
『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中央公論新社編/巻末付録:全集『日本の文学』資料/中公文庫)掲載著名人:幸田文、瀬沼茂樹、森茉莉、三島由紀夫、小堀杏奴、大岡昇平、田山瑞穂、平野謙、徳田一穂、川端康成、夏目伸六、中野好夫、安倍能成、津田青楓、内田百閒、高橋義孝、谷崎松子、サイデンステッカー、里見弴、本多秋五、伊藤整、芥川比呂志、室生朝子、萩原葉子、掘多恵子、遠藤周作、野上彌生子、網野菊、湯浅芳子、津島美和子、ドナルド・キーン、稲垣達郎、小島信夫、江藤淳、山本有三、阿部知二、永井龍男、井上友一郎、田宮虎彦、河盛好蔵、小田切秀雄、立野信之、秋山駿。
『イラハイ』(佐藤哲也著/佐藤亜紀発行/Kindle版)
『アオイホノオ 28巻』(島本和彦著/ゲッサン少年サンデーコミックス/電子書籍版)
『世界の終わりの天文台』(リリー・ブルックス=ダルトン著/佐田千織訳/創元SF文庫/Kindle版)
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kennak · 4 months ago
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諸説あるようです。 江戸時代、将軍に謁見できない「御目見(おめみえ)以下」である御家人のことをからかって、 旗本の子が「以下」と言ったことに対して、御家人の子が「タコ」と言い返したことからきた、 という説などが確認できました。 1 「以下」に対して「タコ」と言い返したことからきたという説について    下記(1)の図書に詳しく書かれていました。    「タコ」と言い返した話の出典は(2)のようです。    また(4)にも類似したエピソードが載っています。  (1)『知って合点江戸ことば 文春新書』 大野敏明/著 文藝春秋 2000.12    p.32~35 似ていなくても「タコ」    「旗本の子どもたちは御家人の子どもたちをからかって「以下」という。」    「御家人の子どもたちも」(中略)「旗本の子どもを「このタコ」と言い返す」    「それが転じて、身分の上の人をあざけって「タコ」「タコ野郎」というようになり、    江戸一般の罵倒語になっていった」     続けて『半七捕物帳』の「朝顔屋敷」が紹介されていたため、(2)を確認しました。  (2)『半七捕物帳 巻の1』 岡本綺堂/著 筑摩書房 1998.06    「朝顔屋敷」p.325    「大身の子は御目見以下の「以下」をもじって「烏賊」と罵ると、    小身の方では負けずに「章魚」と云いかえす。」  (3)『武士語でござる』 八幡和郎/監修 ベストセラーズ 2008.6    p.166に(1)とほぼ同内容の記述があります。    巻末の参考文献一覧に(1)も掲載されており、(1)を参考にしたものと思われます。  (4)「故郷七十年」『柳田国男全集 第21巻』 柳田国男/著 筑摩書房 1997.11    p.217に、養家の祖母から聞いた話として、類似のエピソードが紹介されています。    「養家の祖母の話に、身分のある侍の奥方たちが、以下の細君が来たのを見て    「以下だ、以下だ」と蔑んだところ、相手は「タコとは申しません」といって    逆襲したということであった。」 2 坊主の蔑称という説について    参考図書コーナーの辞典類を確認したところ、    悪口としては、坊主の蔑称という意味が複数の辞典に載っていました。      (1)『日本国語大辞典 第8巻(せりか-ちゆうは)』     日本国語大辞典第二版編集委員会/編 小学館 2001.08    p.883 たこ 【蛸・章魚・鮹】    (剃りあげた頭が蛸のようであるところから)「坊主をさげすんでいう語」    古いものでは1776-1801年の用例が掲載されています。  (2)『江戸語大辞典』 前田勇/編 講談社 1974.11    p.598 たこ(蛸)「坊主の蔑称」  (3)『大阪ことば事典』 牧村史陽/編 講談社 1979.7    p.405 タコ(蛸) 「蛸坊主の略。坊主の卑称。」 3 その他の説について    今回の調査では、ほかに下記の(1)(2)が見つかりました。    信憑性についてはどちらもただし書きがついています。    辞典類では、2で挙げたもののほか、下記の(3)(4)などに悪口としての    意味が載っていましたが、理由については書かれていませんでした。  (1)『ことばの動物苑 日本語になった動物たち』     ことば発掘探検隊/編 実務教育出版 1997.09    p.156 タコ    「相手を蔑む言葉。タコが空腹になったときに、自分の足を食べてしまうという俗説      から(中略)あるいは単純なシカケ=漁具(蛸壷)などで捕らえられてしまうからな      のか。」     ※「ほんとうのところはよく分かっていない。」とも書かれています。  (2)『20世紀死語辞典』 20世紀死語辞典編集委員会/編 太陽出版 2000.12    p.88 タコ    「人を罵倒する時に使う。「このタコ!」。もとは「下手くそ」の意味で、ゴルフから      きた。ゴルフで1ホールで8打もする人間を「タコ」、10打も叩く人間を「イカ」と      呼ぶ。」     ※冒頭に「使用上の注意」として「主観のままに書き連ねてあります」と書かれて        います。  (3)『日本俗語大辞典』 米川明彦/編 東京堂出版 2003.11    p.339 たこ(蛸)     「嫌な男性、不細工な男性などを罵って言うことば。関西のことば。」  (4)『淡路ことば辞典 じょろりでいこか!』     岩本孝之/著 神戸新聞総合出版センター 2013.10    p.216 たこ     「足手まといになって厄介者扱いされる者。変わった奴。」 4 タコという言葉について    下記の2冊には、悪口として使われる理由は載っていませんが、    タコと言葉に関する記載がありましたので、参考としてご紹介します。  (1)『タコと日本人 獲る・食べる・祀る』 平川敬治/著 弦書房 2012.5    p.135~144「タコと言葉」     蛸足、蛸配、蛸部屋など、タコにまつわる言葉について書かれています。  (2)『タコは、なぜ元気なのか タコの生態と民俗』 奥谷喬司/編著 草思社 1994.02    p.44~46「タコを冠する ことばとことわざ」     タコ坊��、タコ入道をはじめ、     野球用語のタコ(「骨抜きにされた状態をタコにたとえたとするのが妥当であろ       う」)など、タコに関する言葉やことわざについて書かれています。    はじめに p.11    「愛嬌よりもとんまの面が強調されると、「このタコ!」と相なる。」    あとがき p.138    「タコという言葉、タコのイメージは豊かで同類のイカではこうはいかない。」    「「このタコ!」とやられはするが、何やら落ち込み方がいまひとつだ。」 5 その他の主な確認資料  (1)『罵詈雑言辞典』 奥山益朗/編 東京堂出版 1996.06    p.162 (「ずくにゅう」の項)     たこ入道 「坊主頭で太った人を嘲って言う言葉。「たこ入」とも言う。」  (2)『全国アホ・バカ分布考 新潮文庫』 松本修/著 新潮社 1996.12    p.219 「タコ(蛸)」が使われる地域として、長野・三重が掲載されています。  (3)『悪口冗談じてん』 山名正太郎/著 蒼洋社 1987.6  (4)『日本語は悪態・罵倒語が面白い 光文社知恵の森文庫』 長野伸江/著 光文社     2018.3  (5)『方言俗語語源辞典』 山中襄太/著 校倉書房 1970.4  (6)『かがやく日本語の悪態』 川崎洋/著 草思社 1997.05  (7)『悪態採録控 ちくま文庫』 川崎洋/著 筑摩書房 2012.11  (8)『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』 長野伸江/著 小学館 2005.7  (9)『蛸 ものと人間の文化史』 刀禰勇太郎/著 法政大学出版局 1994.02  (10)『タコは海のスーパーインテリジェンス DOJIN選書』 池田��/著 化学同人    2020.12  (11)『タコの知性 朝日新書』 池田譲/著 朝日新聞出版 2020.4  (12)『日本のタコ学』 奥谷喬司/編著 東海大学出版会 2013.6
悪口で「タコ」と言うのはなぜか。 | レファレンス協同データベース
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e-yota · 5 months ago
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エコテキブログ紹介記事
広重ぶるうの名場面
広重ぶるう 最終回
広重ぶるうの相関図
吉高由里子さん 篤姫 於哲
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peterchiublack · 5 months ago
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俄烏背後:美國在打一場“根”的戰爭
量子學派 2022.05.10.
量子學派 俄烏背後:美國在打一場“根”的戰爭,2022.05.10. https://i.ifeng.com/c/8FvOavG8uqn
中國內部自己學者寫的論點⋯⋯能夠承認自己弱點的還是要另眼相看啊⋯⋯不要以為人家都沒什麼可取的,至少比台灣名嘴強多了..這是一個中國人對俄烏戰爭背後的思考,值得一讀,你才能體會中美對抗為何中國那麼謹慎沈潛!
引言、變異的戰爭
俄烏戰爭的第1天,可能與軍事有關。
俄烏戰爭的第10天,已經是科技的PK。
俄烏戰爭的第76天,這已經是“根”的較量。
前線的每一次爆炸,絕不僅僅與TNT當量有關,而是在科技之根、金融之根、文明之根、法律之根的全方位較量。
時代變了,不能再沉迷於冷熱兵器的“亮��”。
大國之間的博弈,軍事只是其中一個因素,更重要的是“根”力量的綜合較量。俄烏戰爭中,每一次“鳳凰幽靈”無人機的出擊,每一枚“縞瑪瑙”超音速巡航導彈的發射,後面是晶片製造、電子作業系統、電腦超算、衛星導航、雷達跟蹤、光學感應、軟體集成等多方面技術的PK。
如果不從底層邏輯來理性探討,僅僅逞口舌之快是看不到真相的。
01
看不到的“根”力量
俄烏戰爭剛一開打,有三件事值得思考:
第1件事:甲骨文Oracle用3個小時“遮罩”了俄羅斯的所有用戶,甲骨文擁有全球最大的關係型數據庫,佔據俄市場半壁江山。
第2件事:全球統一金融結算系統SWIFT系統將俄羅斯許多銀行從中移除,在金融上切斷俄羅斯對外貿易。
第3件事:SpaceX創辦人馬斯克宣稱啟動“星鏈”在烏克蘭的服務系統,烏克蘭可以通過“星鏈”衛星連接上因軍事行動而被中斷的互聯網。
這三件事有一個共同的特點,都是“根”力量展示。
資料庫是互聯網技術的“根”,SWIFT是金融系統的“根”,星鏈是通信系統的“根”。在和平發展的時代,這些根被埋藏在“全球化”表像下,被包裹在城市的繁華夜色裡。但一旦出現戰爭情況:“根”的力量展露無遺。
從俄烏之間的這場戰爭,梳理美國的八種“根”力量。看這些根,是如何影響戰爭的走向。
02
晶片製造:“技術之根”的對抗
先從根技術談起,以最熱門的晶片製造為例。沒有晶片的現代武器,基本就是一堆廢鐵。擁有高精晶片的武器,越是在戰爭中處於金字塔尖。
美國的“彈簧刀300”,電子系統集成化程度很高,使用了精密晶片和電容原件。俄羅斯的匕首高超音速導彈(Kh-47M2 Kinzhal),同樣也密佈微電子電路及超算晶片操控。如果最後失去了精尖晶片的支援,戰爭怎麼打?
誰是晶片技術之根,大多數人看到的只是幾家明星晶片企業,例如三星、台積電等。美國的晶片企業有多少?包括英特爾、高通、博通、microchip、霍尼韋爾、IM Flash、IXYS、Skyworks、TowerJazz。還有Vishay、TSI、Skorpios、X-FAB、TowerJazz、TI、Kokomo、MACOM、Elmos、Skywater、Sanken、NXP等。
就算台積電這樣TOP1的全球晶片製造龍頭,基礎材料來自於美國AMAT、LAM公司,同樣操控於美國之手。這也是中國科技企業在俄烏戰爭如此謹慎小心的原因,這是真正的現實困境,不是由鍵盤俠能夠改變的。若沒有高能晶片補給,武器不過是移動的標靶,俄羅斯晶片一旦消耗太多,沒有根的支撐,戰爭越打到後面越被動。
所以晶片技術,一定是需要努力開拓的。
03
作業系統:現代科技的軟體基石
除了硬體基石,軟體基石同樣重要。而軟體中最核心的技術,那就是作業系統。每一個硬體後面,總有軟體代碼在後面支撐。沒有優秀的軟體系統,再好的肉���也沒有靈魂。以手機作業系統為例。美國的Android與蘋果的IOS系統,構成了現代手機應用平臺的兩大基石,它連接著整個代碼和資料終端。優秀的作業系統可以讓軟體流暢的運行,流暢運行的軟體可以讓硬體多出1秒的打擊時間,這1秒的時間可能就決定某次戰術的成敗。
為什麼俄羅斯戰士的手機,在戰場上成為被對手定位的可怕機器,而烏克蘭的手機則是一個特別好用的分散式通信終端?這後面就是作業系統和各種軟體在共同作用,俄羅斯有些高級將領被清除,正是因為有AI軟體和計算終端協作完成。
作業系統的落後,軟體體系的缺乏,可謂錐心之痛。當然,俄羅斯也有自己的極光Aurora OS 移動作業系統。可誰又知道AuroraOS移動作業系統基於開源 Sailfish OS。Sailfish OS是哪裡的?它是俄羅斯此次的對手之一的芬蘭Jolla公司開發,真是悲哀且荒謬。因為這裡涉及到另一個根——開源體系。
04
開源體系:構建統一的技術價值觀
毫無疑問,美國又是“開源世界”的中心。開源軟體最重要的發起者並不是美國人,但這些組織將基金會設在美國,他們仍然將美國視為開源世界的“堡壘”。為什麼呢?
❶美國在二戰後是世界上最強大的國家,將資料放在這是相對安全的;
❷美國政府必須在法律允許的範圍內行動,不能肆無忌憚、為所欲為;
❸美國有許多強大的技術公司,這有利於開源技術的實現;
❹美國有數量龐大的優秀程式師,這些人本身就是“開源運動”的參與者;…………“開源”難以戰勝,因為“開源”是一個世界系統,大部分人都是建設者,這才是美國的強大之處。
俄羅斯有非常厲害的程式師,但沒有一次真正的“開源運動”,沒有一個強大的“開源項目”,沒有一個全球或者企業自己合作的“開源系統”。
開源體系設定了一個世界觀,全世界的技術員都來這裡創造屬於自己的世界。不僅僅是技術的力量,它還在心靈上統一了技術員的價值觀。
它像巨人播下的種子,發芽開花結果,最後長成參天大樹。嚴絲合縫,易守難攻。而這背後,又是現代文明之根的力量。
05
文明之根:現代文明積累的百年底蘊
為什麼美國的開源專案能夠一呼百應,這也不完全是技術實力。
還有很大一部分原因在於,這是近代以來國際對英文文明繼承權的認可。這是文明積累的根力量,旦夕之間難以改變。客觀回溯一下現代史上的技術之“根”,大部分都由歐美科學家接力而成,這些天才專注于科學世界,以無與倫比的智慧,將人類文明拓展到一個新高度。歐洲數代積累,才催生了牛頓、愛因斯坦這樣的巨匠。近代科學的百年沉澱,才有了黃金時代的量子力學群星。
牛頓定律、電磁力學、薛定諤方程、香農定律、馮諾依曼架構這些根中的“根”,永遠是人類文明的前進之源。技術誕生了文明,而世界性的開源社區,基本上都由英文在主導。
至少目前其它語言還做不到。這是現代文明的百年積累。其實也不僅僅只是技術文明,包括人文哲學同樣如此。康得、黑格爾、馬克思、尼采、伏爾泰、盧梭、孟德斯鳩、洛克、培根、斯賓塞、休漠等等。雖然俄羅斯也出現了一些偉大人物,但俄語在現代已經被邊緣化了。這種現代文明之根,還延伸出了以下更多的根。
06
認知之根:站在全球的道德高點
因為有了文明之根,所以就能站在道德的高點上。這與中國唐代有相似之處,四夷之內無論對錯,王師都可以問責。他什麼都是對的,你什麼都可能是錯的。在認知作戰上,俄羅斯幾乎毫無還手之力。沒有話語權,世界很難聽到俄羅斯發出的聲音。沒有強媒體,幾乎看不到俄羅斯有說得上話的公共媒體。沒有社交性,除了中文互聯網,世界性的互聯網只聽到澤連斯基的演講。
布查事件就是一個非常明顯的案例,真相尚未調查,全世界已經群情洶湧問責俄羅斯。這樣的認知作戰實在太可怕,今天美國能夠組建40國盟軍與它握有話語權息息相關。
這也是為什麼俄烏戰爭發生後,美國在2月24日宣佈切斷俄羅斯高科技產品進口,包括晶片、電腦、電信設備、加密安全設備、鐳射和感測���。2月25日,台積電馬上跟進停止供貨給俄羅斯,隨後韓國和日本也開始共同制裁。
這一點也值得我們思考,中國在國際上有發聲的管道嗎?你在國內再怎麼罵CNN和BBC,可人家在關鍵時刻就是能引領世界聲音,我們的媒體呢?不能只在國內當地頭蛇,更要建立世界性權威,這對國家才有意義。這一次印度的阿納布·戈斯瓦米,就發出了強有力的聲音。在認知層面的作戰,俄羅斯很弱。而我們也要思考,否則面臨同樣困境。
因為站在道德高點,又延伸出以下之根。
07
智慧之根:全球優秀人才收割機
文明之根,說到底是人才創造的。誰能吸引更多的人才,這樣的國家才有希望。誰的戰隊更具智慧,誰才會贏得最後勝利。最終,仍然是人才之爭。以英國的QS排名為例,美國依然穩坐榜首,排名前三的學校全都來自於美國,分別是MIT、斯坦福大學和哈佛大學。在QS今年前200的排名中,一共有46所美國大學上榜,其中5所進入前10,29所進入QS排名TOP100。
而這次俄烏戰爭中,俄羅斯3月移民超388萬人,民眾稱等局勢好轉再回!再舉一個例子,乙太坊創始人Vitalik Buterin,這位來自俄羅斯的優秀年青才俊,最終紮根於美加世界,這次就表態支持烏克蘭。
如果這樣的優秀人物都往歐美世界走,那俄羅斯未來讓人擔憂。失去了最優秀的人才,那就失去了競爭的根本。
08
法律之根:長臂管制中的程式正義
文化之根,已是過往。人才之爭,其中最重要的是讓人才擁有安全感。所以,如何保證當權者不破壞規則,便涉及到法律之根。制定嚴密的法規行為來約束當權者,才能保證自己立于文明高地。只有讓更多人相信正義,相信法律存在的力量,才能擁有說服世界的邏輯。此次俄烏戰爭中,美國想方設法地針對俄羅斯,但仍然是需要在法律允許的範圍內行動。不能肆無忌憚、為所欲為。
此次聯合國五常一票否決權被限制,美國表態支持。這一舉動美國不可能沒有在其中攪渾水,但即便如此,美國也不可能直接去廢除一票否決權,依然需要在聯合國的規則內進行。            
美國在實施國際法中經常談到“長臂管制”,是要遵循自己的法律。如果沒有了程序正義,那麼文明將面臨巨大災難。
09
經濟之根:SWIFT的金融威力
沒有經濟的支撐,別說打仗,吃飽肚子都難。先不說全球經濟的供應鏈,它的主體還是掌握在歐美世界。可以舉一個更具體的例子——SWIFT支付體系,便掌控在美國手中。
1977年SWIFT發佈,當年全世界就擁有會員國150多個,會員銀行5000多家,日處理SWIFT電訊300萬筆,高峰達330萬筆。現在日處理的金融電訊達到了三千多萬條,資金以萬億美元計算。
今天,幾乎所有金融機構都接入SWIFT平臺,SWIFT為200多個國家和地區的11000多家銀行、證券機構、企業與客戶提供交易服務。
而現在運行在SWIFT平臺上的主要貨幣是美元,美國可以通過截獲交易資金來控制SWIFT交易。所以,當俄烏戰爭爆發時,美國一聲令下,就可以將俄羅斯銀行踢出SWIFT。當美國扔下這枚金融核彈對俄羅斯進行經濟制裁時,俄羅斯儼然成為了一座金融孤島。因為支付體系被切斷,便再無法與世界進行貿易。
所以這也能夠理解,為什麼其他國家在美國指揮下紛紛對俄羅斯進行經濟制裁。幾乎所有國家的經濟命脈都掌控在美國手中,難道哪個國家願意閉關鎖國,成為金融孤島?這也是需要去思考的一大難題。
目前在SWIFT系統之中,如果想要擺脫經濟的控制,必須重構一張支付網路。
結語透過俄烏戰爭要構建自己的“根”力量
當俄烏戰爭剛剛打響時,不少人認為,俄羅斯不費吹灰之力就可以拿下烏克蘭。甚至於有人說出了1小時22分佔領基輔的“神話”。然而當戰爭長線拉長後,俄烏戰爭背後,是美國打響的一場“根”的戰爭。
技術之根、開源之根、經濟之根、法律之根、文明之根……這哪裡是軍事的對抗,最終是“根”的較量。簡單的敲擊鍵盤宣洩情緒是無能的顯示,戰爭的背後是什麼:全球任何一架第五代戰機,都有數十萬行代碼;任何一枚制導導彈,最終都由各種軟體在控制;每一枚IC晶片背後,是全球頂尖人才的智慧;……現代戰爭,最終還是要回歸到鍵盤上。當然,此鍵盤非彼鍵盤。
透過俄烏戰爭,必須時刻警惕:該如何構建屬於自己的“根”?成為更強的“根”的國度,只有一個辦法,那就是要擁有更多“根”。這決不是靠嘴炮或者軍事可以戰勝的,靠的是什麼呢?一個智慧民族,一定會知道答案。如果不知道,那你得反思一下。
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