#瀬笈 葉
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roomofsdc · 4 years ago
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SDC映画の部屋「最後の忠臣蔵(2010)」
本作品は角川映画が監修をし「セーラー服と機関銃」「ツィゴイネルワイゼン」などの田中陽造が脚本を書いているものの、ワーナーブラザーズが「ラスト・サムライ」に続いて日本の正統派時代劇を製作した異色作である。とはいうものの撮影は山田洋次と「学校」「たそがれ清兵衛」など数々の作品を撮っている長沼六男、主に撮影を松竹京都撮影所で行っているため、深みのある竹林、温かな日差しが入り込む障子、ぞっとするほど美しい紅葉など、いかにも松竹映画らしい時代劇でもある。
原作は池宮彰一郎、赤穂四十七士が討ち入りをした後日譚として、実はその一人である寺坂吉右衛門(佐藤浩市)が大石内蔵助(片岡仁左衛門、名演!)の命を受け、切腹せずに生き延びて、討ち入りの真実を後世に伝え継ぎさらに浪士の遺族の行く末を助けるという使命を果たすという新たな「忠臣蔵異説」となっている。しかし内蔵助の命を受けたのは吉右衛門だけではなく、彼の血盟の友であった瀬尾孫佐衛門(役所広司)も16年の長きにわたって密かな使命を果たし続けていたのだ…
元々は寺坂吉右衛門の全国行脚を中心に描いた物語なのだが、映画化にあたって田中陽造は孫佐衛門と彼とともにひっそりと暮らす可音(桜庭ななみ)という娘のエピソードを中心に構成している。武士の名誉と忠義の物語だけでなく、「曾根崎心中」(実際に当時の上方でヒットしていたらしい)の人形浄瑠璃を織り込むことで、男と女の心情、逝くものと遺されるものとの関係性、擬似的な父と娘との関係性など、時代劇の枠を越えて普遍的な文学��を与えたといったら過言だろうか。
さらに役所広司は脚本以上に孫佐衛門の人物像を掘りさげ、やややり過ぎな感じもあるが、複雑かつ率直なアンビバレンスを表現することに見事に成功している。また可音の嫁ぎ先である茶屋修一郎(山本耕史)と父親の四郎次郎(笈田よし)、可音を母親のように見守ってきた元太夫の夕霧(安田成美)など、脇役も豪華でありながら抑えた素晴らしい演技をしている。それらが役所の熱演を際立たせているのは、演出の杉田成道(「北の国から」)の狙い通りだろう。素晴らしい演技、素晴らしい演出、素晴らしいキャメラと美術、本年度は時代劇映画の豊作年でもあったが、その中でも出色の出来だと評価したい。
しかしながら、静かな展開の中で、いくつかの山場(寺坂と瀬尾の剣戟、婚礼の行列、そしてラスト)はちょっと異質なドラマティックな展開をみせる。これらこそがワーナーブラザーズの色なのかもしれない、と思ったのは、そういったシーンのいずれにおいても観客が固唾をのんだり、鼻をすすったり、息を凝らして画面に見入っていたからだ。正月三が日のファボーレ東宝、この地味な時代劇は、ほぼ満席状態。誰もが観終わって、上気した顔で「意外と良かったねえ」と言いながら外へ出て行く、この光景は「ラスト・サムライ」の後にも見た覚えがある。主君に殉じる四十七士は武士の論理、男の論理、そして「古き佳き日本人」の論理。後に残されるものたちの苦悩や葛藤をせっかく役所広司が見せてくれるのに、最後は「日本人」的倫理観を余韻に残してしまっているのが、残念といえば残念か。
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siteabouttokyo-blog · 8 years ago
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no.4 「沈黙 -サイレンス-」(2017)
 "silence"は「沈黙、無言」を意味する単語だが、「静寂」や「静けさ」とも訳される。  遠藤周作氏による歴史小説「沈黙」をマーティン・スコセッシ監督が映画化したものが「沈黙 -サイレンス-」(2017)だが、サブタイトルの「サイレンス」は主人公・ロドリゴが何度も問い続けるイエスの「沈黙」であり、日の目を隠れながらひっそりと祈るキリシタンたちの「静けさ」をも意味するのではないだろうか。
冒頭からエンドロールに至るまで、様々な環境音が聞こえてくるのが印象的だが、それは本作のテーマとする神の存在として、キリスト教のイエス、それから森羅万象に神の存在を認める古代日本の概念を対比しているかのように思える。虫の鳴き声や葉のざわめき、雨音や波の音は終始聞こえているのにもかかわらず、それらはやたら周囲の静寂を強調する。
 ロドリゴは踏み絵を強いられるキリシタンに「踏んでいい」と、さらには拷問を受ける彼らに「棄教しろ」とさえ言った。そこには、決して棄教せず命懸けで信仰を守り通そうとする彼らと、同じく自らも棄教しないロドリゴの明確な矛盾がある。
そんな彼に対して、通辞と井上は彼が必ず「転ぶ」と予見する。残酷な仕打ちを受けるキリシタンたちを救えるのはイエスではなく、今そこに存在するロドリゴなのだ。彼さえ棄教すれば、彼らは救われる。しかし彼は、自分を処せと言うばかりで、棄教することを踏み留まる。
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 無意識に、私たちは彼が最終的には「転ぶ」だろう、そうするしかないのだと思いながら次の展開を待っている。彼は心優しく、そうして殉教するほどの強さを持たない人間だからだ。キチジローは自分を弱い人間だと認めている。彼がロドリゴの立場ならば恐らくすぐに棄教してしまうだろう。なぜなら彼は自分の家族や友人を守るために、何よりも自分が生き延びるためにそうしてきたからだ。彼は自分の信仰を、イエスを裏切り、延命をはかる。
本作は宗教や信仰を主軸としながら、あらゆる異文化、さらには思想の異なる人間同士の間に横たわる深い断絶をまざまざと見せつけてくる。同じ宗教を信仰しているはずのロドリゴとキリシタンとの間に生じる小さなズレが致命的な何かであるということを、ロドリゴの微かな表情から読み取ることができる。彼らを排除しようとする役人たちの眼差しは、彼らが互いに歩み寄らず、理解しあうこともないのだということを象徴している。
古来から日本は西洋の様々な文化を取り入れ、それを自分たちでアレンジして独自の文化にするという能力に長けていた。それは現代にも引き継がれているだろう。フェレイラ神父は言う、「この国は沼地だ」と。植えた苗がいつのまにか違う何かに変容してしまうのだ。
棄教した神父たちはいつしかイエスと同じく沈黙した。その日から生涯、本当に信仰を捨ててしまったのか、彼らの心の内は分からない。
—————————————————— ■原題・英題 Silence
■クレジット 原作:遠藤周作「沈黙」(新潮文庫刊) 監督:マーティン・スコセッシ 脚本:ジェイ・コックス  撮影:ロドリゴ・プリエト 美術:ダンテ・フェレッティ 編集:セルマ・スクーンメイカー 出演:アンドリュー・ガーフィールド リーアム・ニーソン アダム・ドライバー 窪塚洋介 浅野忠信 イッセー尾形  塚本晋也 小松菜奈 加瀬亮 笈田ヨシ  配給:KADOKAWA
■公式サイト
http://chinmoku.jp/
■作品紹介 17世紀江戸初期、激しいキリシタン弾圧の中で棄教したとされる師の真実を確かめるため、ポルトガルから日本にたどり着いた若き司祭ロドリゴ。彼の目に映ったのは想像を絶する日本だった。信仰を貫くか、棄教し信者達の命を救うか—究極の選択を迫られる。
原作と出会ってから28年。アカデミー賞受賞の巨匠マーティン・スコセッシが激動の現代に「人間にとって本当に大切なものとは何か」を描き出す壮絶なドラマ。
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blave2695 · 10 years ago
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瀬笈 葉 小噺-1-
※PSO2、及び東方自然癒本編とは関係のない創作話です。また一部東方project様の作品関係の話が分からないと理解出来ない可能性があります。ご注意下さい。 気づけば、私はここに居た―――― ここがどこだかは分からない。 だけど、1つ確かなことは、 私は「役目を終えて消えた」・・・・・・はずだった。 私が植物たちから力を集め「毒」を抜き出し、綺麗な力を「私を形造っていた」植物たちに返す時が来て、私は消えた・・・・・・はずだった。 でも、今の私には手があり、足があり、身体があり。 私は、私として存在している。でも―――― 周りに生きている植物たちの声は聞こえない。 力は失われたけれど、私は私として存在している。 じゃ、今の私は一体何者なのか・・・?今この場所にいる私は、一体何なのか・・・? そもそも、ここは私の愛した幻想郷なのだろうか。 辺りを見渡せば、幻想郷では見たこともない建物であったであろう物が無惨に朽ち果て、そこを這い覆い被さり自由気ままに植物たちが生きている。 ――――これはもしかして、紅魔館の成れの果てなのだろうか。 ここはもしかして、私が見たあの未来の、壊れた幻想郷の一部なのだろうか。 見下ろせば、一面が雲の絨毯で敷き詰められていた。 それともここは天界なのだろうか。 ただ私は、初恋が実ったのかどうかも分からず、辛くて苦しくて怖い時でも、何時でも私の傍にいてくれたみんなが居ない事を理解し涙が込み上げてきた。 私はその場��うずくまり、1人寂しく、虚しく、誰にも届くはずのない嗚咽を漏らした。 「――――あら?」 突然の声に、私は反射的に振り向いた。 「ごめんなさい、驚かせちゃったかしら。」 私の目に映る女の人は、私が今まで見てきたどの人にも該当せず、また幻想郷には似つかわない服装をしていた。強いて言うなら、レミリアさんが着ている衣服に似ている感じはあった。似ているとは言っても、ただ単にそういう雰囲気なだけなのだけれど。 その人は目の前に眩い何かを出し、操作している、という表現が恐らく一番合うであろう動作をしている。 「・・・・・・っ」 手が止まったかと思えば、驚いたような表情で私を見つめてきた。一体、何なのだろうか。 「貴方、ここにダーカーが居たと思うのだけれど、1人で退けたのかしら?」 「・・・・・・?だぁ・・・かぁ・・・?」 「そうよ、それもかなりの数の反応があったはずなの。でも、今はご覧の通り。」 「だぁかぁって、なんですか?」 「・・・・・・。」 女の人は、黙り込んでしまった。なにか変な事を言ってしまったのだろうか。 「・・・・・・貴方は、何処から来たのかしら?」 「わ、私は」 恐らく役割を果たして本当に異変を解決出来た幻想郷。 「私は・・・」 私が役割から逃げて逃げて逃げ続けて、あらゆる幻想が壊され管理者からも見放されてしまった、壊れた幻想郷。 「・・・・・・。」 姿があるという事は、私は今どちらの世界に居るのだろうか。 「・・・ごめんなさい。それほど考え込んでしまう質問をしてしまったようね。」 「い、いえ、ただ」 今の私には、事の顛末は分からない。 「ただ、『私が居る』という事は、本当に幻想郷にいるのかな、って思ってしまって。」 「幻想郷・・・・・・?」 女の人は、すごく不思議そうな表情でその言葉を繰り返した。 「はい。私の大好きな居場所です。」 「それは何番艦にあるのかしら?」 「え?」 ――――この人は、何を言っているのだろう。 「私の知る中ではその、幻想郷という場所、かしら?は初めて聞くわ。」 ・・・え? 「勝手ながら、貴方の事は調べさせてもらったけど、貴方はアークスとしての登録はおろか、生態データですら存在しなかったわ。貴方、何者なの?」 ・・・この人は、何を言っているのだろう? 「・・・わ、私は・・・・・・」 意味の分からない、初めて聞く言葉ばかりで理解が出来なかった。この人は、何が言いたいのだろうか。 「ごめんなさい、少し脅迫めいてしまったかしら。」 「いえ、その・・・」 「・・・そうね、考えられる事なら、貴方は貴方の言う幻想郷から、私の居るこの世界に平行移動してきた、と考えるのが一番簡易かしら。」 頭が混乱してきた。何を言っているのか全く理解が出来なかった。 「何を言っているのか理解できない、って顔ね。まぁ、仕方がないわね。」 私は・・・・・・。 「・・・これ以上お話をしても、貴方を混乱させてしまうだけね。貴方、名前は?」 「瀬笈 葉(せおい は)です。」 「・・・よし、じゃ葉、とりあえず貴方を私の家に招待するわ。そこで落ち着いたらいろいろお話しましょう。それと私の名前は――――」 ここは幻想郷じゃない。それだけは理解が出来た。 帰りたい、幻想郷に。 会いに行きたい、初恋のもとに。 私が「在る」というのであれば、私の大好きな幻想郷に帰りたい。 皆さんが待っている・・・・・・
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