#溶岩ミートソースパスタ
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溶岩パスタが食べたくて熊谷まで行ってきました。いやー美味しかった。 ローストビーフカルボナーラという不思議なメニューのある店だったけど、全部美味しかった。 熊谷だけどまた行きたい。 #溶岩パスタ #溶岩ミートソースパスタ #ミートソースパスタ #ミートソーススパゲッティ #ボロネーゼ #サーモンとアボカドのタルタル #カルボナーラ #ローストビーフカルボナーラ #熊谷 #熊谷グルメ #熊谷カフェ #circolo #チルコロ #ディナー #dinner #ランチ #lunch (circolo チルコロ 熊谷店) https://www.instagram.com/p/CngnpuPSJcO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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子どもと戯れるマイケルと海に浮かぶボス2017年8月19日〜21日
8/19 chelmicoの可愛さ(音程が気持ち良い部分が1曲に10秒ほどしかなく、カラオケでキーを合わせるのを失敗した女の子のようにラップする新しい女性たち。青鞜派)に溺れ、帽子を忘れ(傘がなく雨に濡れ君に会いに行く分には格好がつくが、真夏の砂浜で帽子がないのは死にに行くようなもんだ)、電車一本見逃す。詫びを入れるために、侘び寂びを入れるために、文芸同人誌『しんきろう』和歌浦バグースのための紹介文を書く。それがこれ。 ☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎ いきなりですが、俺たち物書きがこの海でなにができるかと言うと、書いた文章を売ること、そしてこの日を書き上げること。この結果入ったお金はあなた方に還元することはできないが、写真でも映像でも音でもなく、文字として、いや、一個人の文章として残ることは、全人類文筆家化した現代で、インターネットの海でタイムカプセル化するであろうSNSという媒体で、ではなく、紙面であなた方の体験が他人の文章で残るということはサマーウォーズでは得られない。 いま、街のこどもたちは進撃の巨人の主人公の巨人化する際に腕を噛みちぎる仕草を無我夢中で真似をしてはグロテスクなものに付き合わされている母親の潜在的自傷癖を燻らせ、親子共々リストカッターとしてカニバリズムに接近した近親相姦に励む姿が見受けられるが、あの仕草は『ときめきに死す』の沢田研二に由来しており、森田芳光監督の先見性には、とりあえず驚かされるが、この海では誰も巨人になれないし、手首の傷はもう見せていくしかない。俺たちが手首を噛みちぎって大きくできるのは股間もしくは乳首だけであり、浮き具のように股間や乳首を膨らませながら、志村けんの白鳥のように、久本雅美のレリジャスハラスメントチックな舞のように、音楽に身を任せ、俺たち文筆家は踊るしかない。みなさん一緒に楽しみましょう。 ☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎ 夏の暑さにヤられたような文章シツレイ!というような感じで、これ去年みたいに紹介する時間があるかと思ったけれど、なかったので、ボスと馬鹿でかい岩の上で大はしゃぎ(後述)している間に終わったのかもしれない。笑 ここまで書いていなかったが、しんきろう御一行は和歌山の和歌浦で『しんきろう』を売りにバグースにお邪魔した。一泊二日フゥゥ!!(めちゃくちゃデカいタヌキの腹を3発殴る) 和歌山市駅で、ボス、ゴタンダ姐御、ボビー・オロロロ姐御と合流し、詫びる。姐御の命で小指を落とし、泣きながらサングラスで傷を拭う。「川を越えてラーメンを食べよう」とボスが言い、みな「ボスは川が好きだからしょうがない」と口に出して言いながら川を渡った。川を越えた先にあるのはド・チェーン店だったことに気づいた俺はなんとか先輩たちの暑さにやられ溶けたゾンビのような行進を止めてあげるべく血眼で探し、見つけたのは大八ラーメン。中へ入ると猿かおじいさんかわからないような人と、禿げた人。「ああ、しくじった」と顏で表現するも『時効警察』並みに遅かった。看板にデカデカと「半チャーハン650円」書いてあったにも関わらず「半チャーハン今日ないよ」と言い切る猿にシャツイ(殺意)をおぼえるも、我慢し、塩バターラーメンを頼む。丼が来るまでタクシーを探していると、猿が車で駅まで送ると言ってくれ、猿もここまで優秀になったものかと感慨深く、これでラーメンがまずかったら日光へ売り飛ばしてやろうと思った矢先、丼がきた。塩ラーメンにしては珍しくこってりした色味。とんこつラーメンを頼んだボスがひとくち食べ、うまい!と言い、しょうゆラーメンを食べたボビーが、うまい!と言い、塩バターラーメンを食べた俺は笑った。味がないと笑うんだって知れてよかった。もはや何がこってりしているのかわからず、戸惑い、もうひとくち食べて笑った。不審に思ったボスはひとくち食べると「え?」と言い、笑った。味がないものを食べると人は笑う。ゴタンダ姐御も塩ラーメンを頼んで食べていたが、笑わなかった。バターの味がしたからだ。そう、バターの味はする。お湯バター。しかし、お湯バターは最悪の組み合わせであり、水バターの方がまだマシとすら思える。俺はとりあえず塩ラーメンに塩を振り食べた。そして猿を日光へ連れていき、タクシーで和歌浦へ向かった。 和歌浦に着くとボスとともに早速海に飛び込み、海に浸かった。ボスは泳いでいた。泳ぎ足りないボスと防波堤とも言える馬鹿でかい岩に降りるのが怖い高さまで登り、最悪の結果を想像しながら降りた。お湯バターが喉まで来ていたが、おのののかとの遊泳を想像し、凌ぐ。ボスはひたすら登り、まわって裏へ行き「僕は泳いで行くわ」と言って消えた。俺は���潜りと名乗りながらも泳ぐのがあまり好きではない。ボスについて行かず、来た道を戻ると、潮の流れにのって仰向きに浮かぶボスがいた。なかなかな場所に留まり浮かぶボスを見たときはさすがに「だいじょーーぶですかぁぁぁ?」と高田渡の真似で声をかけたが、ボスは遠くからでもわかるほどニヤニヤしていた。笑 その頃からずっとバグースではライヴをしており(笑)、ここにくれば何が流行っているかわかるほど、色んな人が音楽をしている。俺は砂浜でボスがくれた『創作』(作者不詳)という日記と『しんきろう』最新号を読みながら、誰が誰の日記だかわからなくなっていた。みな、日記を書き過ぎである。 『創作(1973年10月-1975年7月)』 作者不詳とあるが、栞には出版した人が色々書いている。出版した人が日記を「発���した」らしいが、あまりに作者に理解があり、あまりに肩入れしているため「おまえが書いたんじゃねえの」感が凄まじく、もし違ったとしても、もはや著者と出版人は同化しており、どうかしている。笑 この人に文学的価値を見いだすならば、もはや錆びれた日本的文学観で見た場合のみ最初の数ページ煌めくばかりで、これが本当に昭和の名も分からぬ人であることを祈るばかりである。これが誰かの創作であった時には少し辛いが、実際この本は日記なだけありスラスラ読めて面白く、笑える。まあまあ好きだが、それなら俺の日記だって出版してくれと思う。 バグースとは関係のない宿泊客の水着のお姉さんを見ながら豚バラ丼(昼飯のせいでとにかく味の濃いものを欲していた)を食べると、主催シラカワくんのバンドがはじまり、誰もかも踊り、終わった。 宿へ行き、風呂へ入るために歩いていると卓球台を見つけ、ボスとふたりで「みんなとする時のための練習」のために30分ほど汗を流した(みんなが卓球している時には卓球をしないようなふたりが)。やればやるほどふたりは上達し、互いに理解し合い、ふざけてスマッシュなんて打たないほどであった。それがふたりが共有していた価値観であって、かっこよさでもあった。ポパイ的なシティボーイとは違う、粋の話で、板前のする卓球はこんな感じかもしれない(結びはポパイ的。笑)。 去年もそうだったが、風呂に入ると、他の団体とも打ち解ける。それは人のチ☺︎子を見ると、その人のことが少しわかった気になるからで、☺︎のカッ☺︎し具合や、☺︎の☺︎び具合で、ある程度その人の美意識はわかる。 打ち上げでは、知らない人がかっこわるいことを難し��話していて、この人はダサい居酒屋に通ってこんな話ばっかりしていて、お酒を飲まないとこんなふうに話せないんだろうなあと同情した。学生時代から音楽の人がする打ち上げがとにかく苦手な俺は早く映画が観たくて仕方がなく、ボスに声をかけマイケルジャクソンの総指揮・監督作『ムーンウォーカー』を観る。 『ムーンウォーカー』 出てくる大人は悪役かダンサーで、味方は子どもだけ。後のネヴァーランドを暗示させる。ピンチになると「マイケぇぇぇぇぇる」と叫んでくれる子どもたちと、見かけただけで「マイコォォォォオォォォォ」と叫ぶファナティックな大人たちと、どっちがいいかっていえば、ペドフィリアでなくとも前者である。ちなみに俺はといえば屈折したエフェボフィリアで、つうかエフェボフィリアなんて思春期に屈折した人しかならないんだけれど、実は☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎、☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎で☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎して☺︎☺︎☺︎☺︎したことがあって、それはつまり☺︎☺︎☺︎だから☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎が☺︎☺︎☺︎で、それがもう☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎。あっはっは(全部冗談なんで気にしないでください)。パープルレインを見て嫉妬で猛り狂ったマイケルが撮ったら、狂気を宿した子ども向け映画になってしまったという、なんとも言えないヤバすぎる映画でして、子ども向けというよりも、好きな人に向けて作った映画でしょうねえ、マイケルが子どもに向けて撮ってますもんねえ。だってマイケルがああなったりこうなったりつって何もネタバレはしませんよ。ただボスとボビーと死ぬほど笑いました(敬語でゴリラと喋る)。映画を見終えると、女性が現れ「地震…」と言って、消えたので、急いでボスがシラカワくんを呼びにいき、その間ボビーは女性に事情を聞き、俺は地震について考えていた。 8/20 朝、マイケルの『ムーンウォーカー』に出てきた大量のタランチュラが、夢に現れ、うなされる。宿を出てタクシーに乗り和歌山市駅へ。コンビニで好物の雪印のコーヒー牛乳を買う。ボスと昨日のマイケルの映画について談笑しながら(ふたりはマイケルをとっても好きになっていた!笑)電車に揺られていると、腹痛が襲う。実は俺は本当におなかが弱く、☺︎ヶ月に☺︎☺︎は☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎。だから油断ならない。新今宮で降りるはずが天下茶屋で降り、ボスと☺︎☺︎の音で別れる。なんとか腹痛も収まり、それでも腹を押さえながら帰路につき、ミートソースパスタ(お湯バターのせいで味の濃い麺類が食べたくなっていた。昨夜の打ち上げでもインスタントのカモ蕎麦を食べたほど)をかきこみ、梅田へ。タワレコでものんくるのインストアライヴがあるからで、着いたらおっさんがたくさんいてゲンナリしながら開演を待った。綺麗なお姉さんがびっく��するくらい適当な司会をし、ものんくるが登場。盤での豪華な演奏陣が嘘みたいな地味な編成で期待したほど良くはなかったし、インディーズバンドがよくやる売れるための煽りでめちゃくちゃ萎える(成孔センセーあれやめさせた方がいいですよ)。ただ、ヨシダサラさんの歌声には本当に感動したっぴ。本当にすごいゅっ。帰って10時間寝る。 8/21 iPhoneで日記を書いたため、とても疲れた。chelmicoのMVで癒され「ああ、可愛いなあ。このまま永遠に動画が続けばいいのに。もうすぐ終わる。ああ、残念。もう一回見よう」と思い時間を確認するとまだ半分もいっておらず(半笑)、しまいには途中で飽きて消した。癒されるだけじゃだめなんだ。 そういえば『しんきろう』今号に素潜り旬は、LGBTQ文学と言いますか、ゲイ小説といいますか、そういった趣の詩小説『右手に雨が降る』を書いておりますので、機会があれば読んでみてください。興味がある方にはお渡ししますよ。500円です。
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