#渋���タトゥー
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「エイリアン:ロムルス」鑑賞後は、秋を感じる
焼き芋ドリンク
みなさん こんにちは。
近くの結婚相談所 ハッピータイム桐生相生
婚活アドバイザーの金子です。
映画史に名を残すSF・ホラーの傑作「エイリアン」シリーズの最新作
「エイリアン:ロムルス 」がついに公開となりました。
時系列的には、エイリアンの生みの親であるリドリー・スコット監督による第1作目の「エイリアン」のその後が描かれており、ジェームズ・キャメロン監督の「エイリアン2」よりも前の物語となっているようです。
「あのリプリー(シガニー・ウィーバー)を彷彿させる、今作の主人公であるレイン(ケイリー・スピーニー)によるタンクトップの衣装でのエイリアンとの戦闘シーン」「アンドロイドが登場し、しかもその血が白い」「水飲み鳥のおもちゃ」を始め、数多くのこれまでの作品へのリスペクトが感じられ、そのリスペクトは、今作でプロデューサーを務めているリドリー・スコット監督による作品「エイリアン」エイリアンの前日譚「プロメテウス」「エイリアン コヴェナント」だけでなく、他の監督によるエイリアン2~エイリアン4にまで及んでおり「エイリアン:ロムルス 」の監督であるフェデ・アルバレス監督はエイリアンシリーズをかなり研究して制作に臨んだことが伺えます。
とは言っても、過去作を見ていなくても十分に楽しめる作品で、1作目へ原点回帰している作風ですがこれまでにないオリジナルの新しいストーリーで、しかも前日譚の2作品「プロメテウス」「エイリアン コヴェナント」にもつながるようまとめてあり、更に故H・R・ギーガーが45年も前にデザインした、フェイスハガー・��ェストバスター・ゼノモーフと言ったエイリアンの形態は今でも斬新で恐怖感を煽ります。
フェデ・アルバレス監督は、これまでに伝説のホラー「死霊のはらわた」のリメイク作品や、スウェーデンの作家による小説が原作のサスペンス・アクション「ドラゴン・タトゥーの女」の続編「蜘蛛の巣を払う女」、最凶の盲目老人の家に強盗に入ってしまった若者達の恐怖を描いた作品「ドント・ブリーズ」などの作品を手掛けており、これら作品のホラー・サスペンス・アクション・パニック・サバイバルと言った要素が今作「エイリアン:ロムルス 」に絶妙なバランスで生かされており、身を乗り出して見てしまう程の素晴らしい映画体験をさせていただきました。
絶対に、大きなスクリーンでの劇場鑑賞をおすすめしたい作品です。
「エイリアン:ロムルス 」鑑賞後は
期間限定で発売中のスタバの新作「焼き芋 香ばしカラメルフラペチーノ」でクールダウン!
まだまだ残暑厳しい毎日
焼き芋味のフラペチーノは、バニラやラムの香りがアクセントとなった何となく秋の気配を感じる美味しい一杯でした。
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近くの結婚相談所
ハッピータイム群馬桐生相生
婚活アドバイザー 金子 薫
群馬県桐生市相生町5-536-1
ネ��゚チューン2-A
電 話:0277-32-5314
連絡時間:午前10時から午後9時
定休日:年中無休
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婚活 結婚相談はお近くの結婚相談所ハッピータイム (http://www.happytime-en.com/)、 群馬前橋・群馬沼田・群馬渋川・群馬高崎・群馬安中・群馬藤岡・群馬伊勢崎・群馬桐生・群馬みどり・群馬太田・群馬邑楽・群馬館林・栃木足利・栃木佐野・栃木小山・栃木栃木・栃木真岡・埼玉熊谷・埼玉深谷・埼玉本庄・埼玉行田・埼玉羽生・埼玉加須・埼玉児玉・茨城牛久・茨城下館・茨城筑西・茨城結城・茨城古河・新潟長岡・新潟小千谷・新潟見附・新潟柏崎・新潟魚沼・新潟十日町・新潟南魚沼・新潟西蒲原・神奈川川崎・山梨甲府昭和までお問い合わせ下さい。
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なんじゃこりゃの先に
はろうです。 メルボルン滞在も残り1ヶ月を切ってしまった! 最近のメルボルンは、寒いです。 朝は2℃の日もあり、起きられません。 わたしのアパートは古いので、部屋がめちゃ寒い。 (ルームメイトは布団をかぶって仕��をしている) 私も家で作業するときは、オイルヒーターを足に挟んで作業しております。 オーストラリアはあったかいというイメージがある人も多いと思いますが、 車で1、2時間走ればオーロラが見れたりするほど南極に使いので、 メルボルンの冬は普通に寒い。 曇りの日が多いので、晴れてると (外に出なくては!写真を撮らなくても良いのかい?) という悪魔のささやきに悩まされ メルボルンに居るうちにできることをやり切らなくては・・・というぼんやりとした焦りに駆られ、最近はいろんな人に会いまくったり さむーいので、カフェにこもって こっちに来て発見したこと、違いを感じたことはなんだろうと ぐるぐるとノートに書いたりしてた。 (こっちは日本語でひとりごとをつらつら書いてても誰にもバレないのがいい) ひとりでぶつぶつ書いていて、 メルボルンに来て良いなと思ったことのひとつに、 アートの敷居の低さがあるなと思った。 自分の理解のために、まじめに書いてみる。 メルボルンは芸術の街というプライドを持ってるだけあって 街をあげた大規模なアートフェスがしょっちゅう行われている。 デザインウィーク、フォトフェスティバル、アートフェスティバル、コメディフェスティバル、、、 年中何かありすぎて、うっかり見逃しそうになるぐらいの頻度で 何かのフェスをやっている。 しかもどれも入場無料のものが多く、会場のスタイルも自由。 美術館だけでなく、いつもの街中にとつぜんアートが現れまくる。 そのたび日本と違うなと実感��るのが、作品の選び方。 フェスの目玉になるような作品が わかりやすくて万人受けする物、ではなくて、 挑戦的なものや考えさせるものが多いこと。
最近のメルボルンのアートフェス、Risingで大きく展示された作品。 先住民とオーストラリアについて、自分たちの歴史への皮肉も入っている。
前にも投稿したけど、夏にあったフォトフェスティバルでも、一番目立つエリアの写真たちが誰かのプライベートフォトのような、どこか私的な感じの作品で良かった。
日本では、渋谷にナン・ゴールディンをでかでかと飾ることはできない気がする。
州立図書館で無料でやってるMelbourne OUT LOUDの写真も 生々しくて、人間くさくて、めちゃくちゃ良かった。
日本だったら、フェスの目玉になるものはおのずと 多くの人に好まれる、最大公約数的な、わかりやすくて華やかなものが多いと思う。 誰にでも愛されると限らない、挑戦的なもの、わかりづらいものをメインに持ってくるのは クレームや集客の観点でまず切り捨てられがちな気がする。 でもメルボルンのアートフェスではそれが違うことが多い。 全員が好むわかりやすいものではなく、違和感をきっかけに何かを考えさせるようなもの。 そういう作品をメインに持ってこれるということは、 受け手の感性を「信頼」してないとできないことだと思う。 カルチャーが好きなメルボルンの市民なら 変化球を投げても、向き合って楽しんでくれる、という信頼関係。 展示作品を見ながら、日本だったら、長ーい会議の末に 「この作品をメインにしましょう」という決断にはならないだろうなあ、と思わされることが多い。 もうひとつ感じるのが、客層の幅広さ。 こっちにくると、アートフェスを見に来ているお客さんは本当に老若男女さまざま。 地元のお爺さんお婆さんみたいな人も、古着来てタトゥーばきばきのおねえちゃんも、 いろんな人が自由に現代アートの展示を眺めたり、パフォーマンスを見に来たりしている。 でかいアートフェスだけでなく、小さいアートコミュニティも多いメルボルン。 最近、自治体が主催するフォトワークショップに行ってきたら 作曲家をやってる女の子から、最近写真を始めたような主婦のおばさまがたまで 定員オーバーで募集締め切りになるぐらい大盛況。 (毎週集まって小説を書くコミュニティ、写真を撮るコミュニティ、デッサンするコミュニティなど メルボルンには小さいアートコミュニティがやまほどある) 日本でアートイベントをやると、 どうしてもまだ、美大界隈のひとや、ちょっと意識高めの人たちのみが集まりがちなイメージがある。 こっちにいると、もっと気軽で開かれたものな気がする。
歴史ある教��を貸し切ってやっていた、生演奏とへんてこダンスを踊るイベント。
知らない人たちみんなであつまって、見よう見まねでへんてこダンス。 教会は老若男女で超満員だった。
その違いがなぜ生まれるのか、正確にはよくわからない。 でも多くの移民と共生してきた中で自然と培れた 「自分とちがうもの」や「見たことのないもの」への包容力や 様々な個性を抱える街への「誇り」みたいなものが それを可能にさせている気がする。 さらにもしかして、過去に先住民に自分たちがしてきたことへの 償い、みたいなものも混ざってるのかもしれない。 日本でメディアの仕事をしていると 「もっとわかりやすく」「それで全員にウケるのか?」 が求められることは多い。 一見勢いがあって面白そうなアイデアでも、会議の末に わかりづらすぎる、こんな誤解を生む危険がある、一般的じゃなさすぎる みたいな理由で採用されない、過程もたくさん見てきた。 だからこそ「ん?なんじゃこりゃ?」というものが でかでかと展示されてるのを見ると いったいどんな人たちがどんな会議を経て「これで行こうぜ」になったのか そのプロセスをのぞき見させてくれ、という気持ちになる。 「なんだこれは!」と思わせるのが芸術だと岡本太郎氏も言ってたそうです。 「なんだこれは」にずっと出会いたいし、 「なんだこれは!」を思い切って投げられる信頼関係がうらやましい。 そのなぞ、内側に入って解き明かしたかったなあ というのが 帰国が近づいたいま、ちょっとくやしいことです。 オーロラ見れなかったし、毎日さみいけど 残りの時間を楽しむぞ。アディオス。
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27CLUB - FIRSTMADEは滋賀県を拠点にホームページ制作やデザインを主な業務としています。
【27歳で亡くなった有名ミュージシャンたちです。】
ちなみに、アルファベットの数字って「26」までしかないのは、皆さんご存知ですか?つまり、27歳に申し合わせたように何故か?亡くなる有名ミュージシャンたちの「死」と関係しているのです。A〜Z=「26」つまり、アルファベットの「Z」が26歳にあたるのです。アルファベットが26までであって、27が存在しないのは、アルファベットが死んだから「無」すなわち「死」と等しいのです。【27=無=死】そして、昨今、「Z世代」という若者が誕生しました。これは、
何を意味しているかと申しますと、つまり、「Z世代」=「地球の年齢が26歳」という意味をあらわしています。そして、アルファベットの「Z」の次がないということは、そうです。もう、頭の良い方はお気づきかと思いますが、地球が26歳ということはアルファベットで言うところの「Z」【26歳】の状態をあらわしているのです。そして、「Z」の次のアルファベット【27番目のアルファベットが存在しないということは】が存在しないということは、かつて、有名ミュージシャンが申し合わせたように27歳で亡くなっているのと同じように、地球は27歳で亡くなるのです。つまり、今、地球が「Z」=「26歳」もうすぐ地球の寿命がおとずれるつまり、消滅するのです。それ故、今の若者、つまり「Z世代」=「地球、最期の世代」なのです。
【2023-11-27】A〜Zのタトゥー
【zshingoの日記】【気まぐれ日記】
曇り。午前七時過ぎ起床。テレビをつけ、顔を洗い歯を磨く。セカンドストリートで、500円で購入した無名のジャケットに、カッパのジャージパンツ(セカンドストリートで購入。セットアップで1000円。)に、バンズのスリッポンを履き、アパートを出る。今日は、「KーTATTOO」で、11:00に、TATTOOを入れる予約を入れている。腹に、アルファベットの「A〜Z」まで入れるのだ。文字の書体は、ギャング文字。デザインは、彫師さんに任せている。彫師さんは、以前、私の腕に「聖母マリア」を入れてくれた方だ。とても腕のいい彫師さんだ。つくづく、思うのが、「彫師」という職業は、「神」の力がやどっている。何故なら、「ミスの許されない職業」にも関わらず、いまだかつて、「タトゥーを入れて、彫師さんに失敗された」という話を聞いたことがないからだ。勿論、入れ終わったあとのデザインが、自分が想像していたものと違っていた、などはあると思うが。それは、あくまでも、タトゥーを入れる側の掘る前の想像していたイメージと、実際に墨が入ったあとの、イメージが違うだけであって、決して失敗ではないのだ。それに比べて、家電製品や、洋服を購入して、買ってすぐ、家電製品が動かなくなったり、買った洋服にシミや汚れが目立たない場所についていた、などの話しはよく耳にする。あと、食材も、腐っていた、裏返してみると傷んでいたなどの話も耳にする。タトゥーに関しては、私は、いまだかつて「彫師さんへのクレーム」という話を、一度も聞いたことがないのだ。これだけ、タトゥーが、全世界で一般化されているのだから、そんな話しの一つや二つあってもいいはずなのに。地下鉄で天神へ向かう。電車内、福��市総合図書館で借りた、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。今回で三度目の再読だ。一回目、二回目に読んだときは、何も感じなかった文章が、時が経てば不思議と胸に刺さる箇所が出てくる。これはつまり、私がそれだけ、人生経験を積み、過去の自分から成長しているという証だ。本を出版する著者が、読者に対して、切実に望んでいるのは、自分が書いた本を繰り返し読んで欲しいという願望を持っている。これは、大抵の著者が願っていることである。適当に、飛ばして、流し読みされることを嫌う。勿論、村上春樹先生も。他人が書いた本を繰り返し読むという行為は、ただ単に、他人の考え、言動を「知る」ということ以外に、他人の「人生を自分の体内に入れて生きる」という行為にもつながる。文学科の大学教授が生徒に口を揃えて言う言葉は、とにかく、自分の気に入った作家の「全集」を読めと言う。いろんな作家の書いた本をちょこちょこかいつまんで読む読書も勿論、悪くはないが、それでは、一人の作家の人生を「知る」ことはできない。一人の作家の書いた「全集」をすべて読破するという行為は、その作家の人生を知ることでもあり、それプラス、その作家の「生き方」を、「自分の人生に取り入れる」という行為でもある。そう、その作家の「血肉」を自分の体内に「吸収」する行為そのものなのだ。そう、意識しなくても、一人の作家が書いた本を突き詰めて、繰り返し読んでいけば、それを書いた作家の性格に、「知らず知らず」自然と似てくるのだ。これが、書いた作家の「血肉」を「吸収する行為」と言える。私の場合、村上春樹先生の書く、小説の主人公に、「ものの考えかた」が「似ている」と自分で思っている。勿論、特に「意識」してそうなったわけではない。読み続けていくうちに、「自然」とそうなったのだ。勿論、悪い気はしない。むしろ、嬉しい。何故なら、村上春樹先生の小説に出てくる主人公は、「何一つとして、間違ったことを言っていない」からだ。つまり、これは、何を意味しているかと言うと、村上春樹先生の書く小説の主人公は、現代の「イエス・キリスト」だからだ。つまり、私のことである。(再臨)村上春樹先生の出版された本は、すべて現代版の「聖書」なのだ。あと、元、「ブランキージェットシティ」のボーカル、「浅井健一」さんの書いた曲の歌詞も、「現代版の聖書」だ。浅井健一さんの書いた「詩」には、「ヒッピー」や、「ホームレス」や、「麻薬常用者」や「売春婦」や「動物愛護団体」や「純粋な心を持った子どもたち」などの、いわゆる、社会の底辺で生きる、アウトサイダーたちが、いろんな歌詞の中に散りばめられている。そして、よく歌詞の中に「神」が登場する。そう、私にとって、村上春樹先生の書く「小説」に出てくる「主人公」や、その他の「登場人物」や、浅井健一さんの書く「詩」の中に散りばめられている「アウトサイダーたち」は、ただ単に、「詩」や「小説」の中だけの人物ではなく、生きているのだ。話を戻すと、「全集」には、小説以外に、その作家の書いた、日記、随筆、ある日、ふとひらめいた考えが、ノートの角に走り書きされた、ちょっとした内容の文章まで記されているものもある。(ただし、昔の人が書いた「全集」に限る。)比較的最近の人が書いた「全集」であれば、ノートの角に書いたちょっとした走り書きは、うまくぼかして「雑記」の中にまとめられているのだろう。ちなみに、村上春樹先生の出版されている「雑記」というタイトルの書物も面白く読ませてもらった。イラストは、もう亡くなられたが、「安西水丸」先生と、なんとか「誠」先生だ。(たしか、「椎名誠」先生という名前のイラストレーターだったような気がするのだが)村上春樹先生は、安西水丸先生と特に、仲良くされていたのが、「村上朝日堂」や「村上朝日堂の逆襲」を読めばわかる。「zshingoの日記」に話を戻す。天神に着き、少し、腹が減ったので、マクドナルドへ向かう。名前は覚えていないが、肉肉しいマクドナルドの朝メニューを食べ、SNSを閲覧、投稿する。気づいたら、十時二十五分になっていたので、KーTATTOOへ向かう。少し、早めに着いたので、KーTATTOOの裏の駐車場のアスファルトにしゃがみこんで、SNSを閲覧、投稿する。約、十分前になったので、KーTATTOOへ入る。担当の彫師さんがデザインした用紙を見せてもらい、腹に下書きのインクを転写する。インクが乾くまで、上半身裸で待機。寒い。彫師さんのスタートしましょうの合図で、ベッドへ仰向けに寝る。いざ、タトゥーマシーンの針が皮膚に刺さった瞬間、チクチクとした痛みを感じる。最初は、右腹からスタートしたのだが、腹の中央にくるにつれて痛みの強さがましてくる。痛みのあまり、終始、しかめっ面。結局、N〜Z、13このアルファベットしか入れることができずに終わる。そう、途中で、私は、彫師さんに、あまりにも痛みが強烈なので、これ以上、入れることができません。これでやめにしてくださいとお願いしたのだ。ただし、バランスよく、ヘソの上を、アルファベットがきれいにアーチするように入れてはもらった。しかし、アルファベットの枠だけで、中は黒く塗りつぶされてはいない。痛くて、とてもじゃないが、これ以上、彫り続けることができないのだ。でも、それはそれで逆にカッコいいんじゃないかという考えも浮かんできた。(昔、東京に住んでいる時に、渋谷区道玄坂のクラブエイジアで働いていた、「マサさん」という人が、アルファベットの枠だけ腹に入れているのを見て、カッコいいなと思った記憶があったため)実際に、鏡で見てみると、カッコよく仕上がっていた。勿論、アルファベットの枠だけではあるが。痛さのあまり、彫りを途中でやめてしまった私に対して、店のオーナーさんに、「しんごちゃん、一度、彫ると決めたものを、途中で断念して辞めるのは、あまりにもカッコ悪すぎるから、せめて、残りのA〜Mまでのアルファベットは、腹じゃない別の場所に入れようよ」と持ちかけられたので、次��、A〜Mまでのアルファベットのタトゥーを背中に入れることで話がまとまる。次回の予約をしてタトゥーショップをあとにする。(明後日)ブック・オフへ行き、トミーヒルフィガーのブルーのジャケットを1200円で購入。地下鉄で帰宅。電車内、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。近所のコンビニで、タルタルフィッシュバーガー、醤油味のカップラーメン、コーラ、カルピス、ポテトチップスうすしお味を購入。アパートに帰り、シャワーを浴びて、洗濯機をまわす。テレビをつけ、コンビニで購入した晩飯を食べる。食後、ポテトチップスを食べる。一袋たいらげたら、気持ち悪くなったので、胃腸薬を飲む。普段、服薬している薬も飲む。歯を磨く。YouTubeで、数年前に読んだ山本周五郎著「季節のない街」の朗読を聴く。突然、無性に「季節のない街」を調べてみたくなったのだ。そしたら、たまたま、YouTubeで朗読している動画を発見したのだ。「季節のない街」は、短編小説で、私が、どうしても、もう一度聴きたいと思う、短編小説のタイトルが思い出せなかったので、Amazonサイトの説明書きされた、タイトルでそれっぽいタイトルのものをYouTubeで、検索してみるも、なかなか出てこない。結局、5回目ぐらいでようやく見つけることができた。「プールのある家」というタイトルの短編小説だ。話しは、路上生活者である父子二人の物語。浮浪者だが、博識な父親の話に、耳を傾ける息子。しかし、息子は、路上生活者の大半がそうなるように、死ぬ。残された父親一人の描写がしばらく続くが、途中から、犬に「転生」(てんせい)した息子が父親の前に現れ、父親のあとを、ついてまわるところで、話しは終わる。「プールのある家」視聴後、あのちゃんのラジオ番組をYouTubeで視聴。洗濯物を、洗濯機の中から取り出すのを忘れて、深夜一時四十分ぐらいに眠剤を飲み就寝。取り出すのを忘れた洗濯物は、結局、次の日の夕方気づき、再度、洗濯機をまわす。菌が繁殖しているからだ。
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2024.3.22fri_tokyo
起きて、とりあえずノイズキャンセリングのイヤホンを耳に入れることが習慣になってしまった。自分の生活は環境音とともにあったはずだけど、そういう時期なんだと思う。
キズパワーパッドを外して火傷の様子を見る。 赤くてきらきらしていて、『宝石の国』みたいだ、と思う。先日読んだ『ギャラリーフェイク』の最新刊を思い出して、サラの火傷とほぼ同じ位置だね、と自分に話しかけた。絆創膏を変えるごとに傷の写真を撮っている。痕が残ったら、この模様を生かしたタトゥーを入れてもいいかもねって、半分本気で、半分励ますようにわくわくしている。
自転車に乗って取材場所へ。
取材班でお昼を食べる。自分の雇用形態がアルバイトだと話すときの緊張感。慣れない。
月日に行くと、米山さんがいて、長崎のお菓子を置いていってくれた。そのお菓子がとても美味しくて夢中になってしまった。 その後、出勤してきた栗本さんと話す。先日、ミスドのドーナツ当てクイズがはじまったことがあった。「あの、縄みたいな形のドーナツ……」という問題に自分の持つミスドの知識をすべてを注ぎ込んでドーナツ名を言うも、栗本さんはミスドのドーナツの名前を知らないので正解がわからず、目の前にあるミスドの紙袋もなかなか開けてくれないのだった。結局、正解はフレンチクルーラーで、実物を改めて見た栗本さんは「縄っていうよりもダンプカーのタイヤですかね」と言っていた。 その点、米山さんがくれたお菓子は、まさに縄って感じだねと話した。
お店のガラスのピッチャーには、米山さんが拾った、おそらく強風で折れてしまった桜の枝が飾られていた。月日のスタッフさんたちは、時々、自然にお店に花を置いたり、クリスマスの飾りを置いたり、交換ノートをはじめたりしてくれる。交換ノートは2冊目になり、稲松さんがお店に置いたミモザはきれいにドライフラワーになったので吊るして飾った。
だんごさんと風音さんが、取材の帰り際に手を振ってくれて嬉しかった。
ミヤジさんがお店に。ミヤジさんが元気そうだと嬉しくなるなといつも思う。 お店に来てくれるひとが穏やかだと、自分も穏やかだなと思う。逆に、来るひとが穏やかでない時は、自分が穏やかでないのが伝播しているなと思うこともある。
Oさんがお店に来てくれて、自分のことを覚えていてくれて嬉しかった。変な会話をしてしまって反省。
18時ごろ、わーーん! と心細さを感じる出来事が。
お店を閉めて、Botanyでポポーのサワーを注文する。数年前に渋谷のバルで知人にポポーの美味しさを説かれてから、ずっとポポーが気になっていた。輸送が困難で、生産地に行かないと食べられない果物。甘くて、おもしろい香りがした。 帰り際に川口さんが「そういえば、こないだ話してた妹の結婚式、どうでした?」と声をかけてくれたのが嬉しかった。 こないだ、月日に来る常連のお客さん(いつも子ども用野菜ジュースを買ってくれる、自由で愛らしいおふたり)とカセットテーププレイヤーで遊んだとき、川口さんのカセットテープ(Recorded Xwnoglossy 2)が好評だったことを話そうと思ったけれど、うまく話せなさそうなのでやめておいた。
Kさんと合流。自分は一緒にいて欲しいなと思う人がいて、でも最近は上手く接することができなくなっていた。その人と一緒にいると泣き喚いてしまうことも多く、そんな自分に嫌気がさしていた。今日もわたしは泣いてしまった。家まで来てもらい、泣いている傍にいてもらう。
感情がコントロールできなくなってしまうので理由は不明確だけど、うっすらと以下のことが根底にあるんじゃないかと思っている。 ①自分はここ数年で、大切な人(H)をめちゃくちゃに傷つけていて、(武器を例えに出すのはとてもよくないことですが)その凶器が暴発して、自分にも無数の軽傷を負わせてしまった。その怪我からはいまだに膿がどろどろと溢れ、化膿し続けていて、痛みも激しい時がある。自業自得なのに、その辛さをKさんにぶつけている。 ②Kさんは静かな夜の湖みたいなひとで、それがわたしはとてもすきだ。でも、水面に石を投げても波紋がしっかりと現れず、水音も聴こえないことに、最近では恐怖を感じていた。でも、水鳥が降り立つ、風が吹きつける、雨が降る、そんな自分以外の要因によって湖が揺れているのを確認することはできた。 ③ ②は、相手の問題ではなく、自分で目をつぶって耳を閉じているから、見えないし聴こえないらしいということにも、薄々気づいていた。
ほんとうは「今は気持ちの整理がつかず、嫌な思いをさせてごめんなさい。でもあなたのことが大切なので、一緒にいてほしいです」と素直に言いたかった。家の方角まで自転車を押しながら、次の信号で言おう、次の信号で言おう、と思った。でも、口から出てきたのは相手への不満のようなものと、「自分は悪い人間だからこれ以上傷つける前に逃げてほしい」というような言葉だった。茶沢通りの木蓮を通り過ぎるたび、「木蓮がきれいですね、蕾がふわふわでだいすきなんですよね」と言いたいのに言えない。自分のなかの不動の公式として、「大切なものを守る=自分がいなくなる」というものがある。
玄関の前で正対した時、Kさんの目を覗き込む。潤っていて、静かだった。
夜は、柴沼さん、白井さんとTwitterのスペース上でやっている「朗読の練習」の第3回目があって楽しみにしていたのだけれど、参加できなさそうですとメッセージを送った。
関係性に名前なんてなくても上手くやれるよ、って言っていた一年前くらいの自分が、
結局Kさんは朝まで一緒にいてくれた。布団のなかで自分の右手をKさんの左手が掴む。ありがとう、気を遣わせてごめん、と手を外そうとすると、とても強い力で指が爪が、わたしのてのひらに食い込んだ。これは怒りなのか、悲しさなのか、どう思っているんだろうと怖い気持ちと、自分の捻くれた部分を良い方向に変えたい(一回肩を脱臼させて、また戻すくらい自分にとっては痛いことかもしれないが)という気持ちと、あたたかくて安心してしまう気持ちがぐちゃぐちゃになって、泣きながら寝た。
-プロフィール- 荒田もも 東京 書く仕事/日記屋月日のお店番 https://www.instagram.com/inoue_q/
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全日本プロレスを観てきました
デデドン!
人生3回目のプロレス観戦です!過去2回はDRAGON GATE、そして今回8/27は初の全日本プロレスです。
入場の際にいただいた���リアファイルなんですが、無料でいただいていいクオリティではなくて驚きました。普通に物販で500円くらいで売っていそうなアイテムですよこれは
17時開場18時開始だったのですが、17時から30分ほどだったでしょうか、オープニングアクト・Team AEDによるショータイムがありました。プロレスを観にきてAEDの操作方法を学ぶとは思いもしなかったのですが、実際使い方を全く知らなかったので非常に有益な時間になりました。実は社内で最もAED設置個所に席が近いのがこの私ですのでね……有事の際には電極パッドを右胸と左脇腹に貼り、1秒間に2回のペース(=アンパンマンマーチのリズム)で胸骨圧迫を行い皆の命を救えるよう努めます!
ショータイム後はファンクラブ会員限定2ショット撮影会があり、ガチ勢の皆様は破顔一笑でスタッフの方に撮影してもらっていました(この日はヨシ・タツ選手でした)。昔AKBのメンバーが握手会で襲撃される事件がありましたがこちらに至っては襲い掛かろうものなら秒でこてんぱんにやり返されるため、遠巻きに見ている自分も何となく安心でした。かつて実際に女性アイドルの現場に行っていた女オタクですが、やはり相手がかよわい女の子で、かつ自分が消費者であり購入者というある意味では上の立場だからか傍目から見ても「こいつ自分の立場勘違いしとるな???」みたいなオタク(性差別をするつもりはありませんが全員男性な!)もいたので……。
で、肝心のプロレスはというと……たのC!めっちゃたのC!!(※対戦カードはこちらをご参照ください)以下、私の何の参考にもならないくそみそ記憶を元に、掻い摘んで綴っていきます。会場は動画撮影は不可ですが写真の撮影は可でしたので、スマホでパシパシ撮ったっ写真も添えます。ドラゲーもそうだったので、プロレスは今そういうレギュレーションが主流なんですかね?
第一試合
綾部蓮選手、パリコレのランウェイにいるアジア系モデルのような抜群のプロポーションに引き締まった美しい筋肉が備わり芸術作品のようでした。小仲=ペールワン選手がそんなに大柄でないこともあり対峙すると親子のよう……。小仲選手は入場曲が流れた際に数名ものすごい勢いで沸き出したので、濃いオタクがいるんだな……となりました。小柄な二人VS大柄な二人だったのですが、結果は、まぁ。井上選手も小仲選手もナイスファイトでした!
第三試合
こ、小島だ~!!!
知っている選手がいるとそれだけではちゃめちゃ楽しいですね。パンフレットを買っておらず対戦カードを知らなかったため、まさかの小島に爆上がりです!
お互いの攻撃の一つ一つの音がすごく重くて、速度×質量の大きさを感じさせます。石川修司選手、強そうにもほどがあるのでは
第五試合
沙希様おる!!えっめっちゃ綺麗細い顔小さい
DDTプロレスから参戦のチーム、Eruption。
タトゥーびっしりの坂口選手はVシネに出てきそうな渋さと凄味があったのですが、何と坂口憲二の実のお兄さんだそうで(すごい兄弟だな……)。当たり前ですが沙希様の細い肉体ではごつい大森選手に投げ技はかけられませんので、そこは協力攻撃です。勝利後の沙希様の煽り、最高でした!
第七試合
な、永田だ~!!!
(画像右から2人目)(わかりにくいにも程がある)
何と5対5の10人タッグでございます!!ハチャメチャに楽しくて、目玉10個くらい欲しくなりました。
ライジングHAYATO選手が金髪でよかったです、もし彼が黒髪だったらハートを盗まれていましたね……。そして"最高の男"こと宮原健斗選手!盛り上げは上手いし常に他の選手への熱い声援も欠かさないしで、こりゃ会場にこれだけのファンがいるわけだ、とわからせられました。掲げられた黄色いタオルの多さと言ったら!
場外乱闘だらけでめっちゃ楽しかったです。
そこで闘うんかい!!!
人生初の生ゼアッ……この時の会場の統一感すごかったです(もしかして:ゼアゼア)。
第八試合
決勝戦、小島聡選手vs本田竜輝選手でございます!!結果はというと……
こ、小島だ~!!!!!
こちらの試合では永田選手がずっとリング脇から小島選手に声援を送っていたのが激熱でして……。未だに現役でいてくれて、嬉しい限りですね。全然関係ないのですが、試合開始前のレフェリー紹介で一部ベテランレフェリー?の方にコールがあったのが楽しかったです(「カンバヤシー!!」「キョウヘーイ!!」等)。
あっという間の約3時間でした、本当に楽しかったです!!
同日の同会場別ホールでは浜崎あゆみのコンサートも開催されており、あゆがデカデカと印刷されたコンサート機材運搬���両がありこれはこれでテンション上がりました。
たまにはこういう非日常もいいですね~。いつも付き合ってくれる交際相手に感謝です。
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"吉高由里子(19歳)- タトゥーに興味津々の渋谷のギャル🐉 | 蛇にピアス | Netflix Japan" を YouTube で見る
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Changes🐉 ドラゴンを龍にカバーアップ。 Do you have any tattoos you regret? If so,check out my website.#linkinbio #tattoo #tattoos #ink #inked #japanesetattoo #ryutattoo #dragontattoo #ryu #dragon #coveruptattoo #blacktattoo #irezumi #horimono #bladeink #shibuya #刺青 #渋谷 #龍 #カバーアップ #タトゥー
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#🍌 #BANANApaint ・ #ジャック ・ 🍌食べる前に趣味のラクガキ🎨🖌 そろそろ見たい頃かな?と思いアップしました😆 ・ ・ ���つも1番下に書いてるスケジュールも、良かったらチェックして下さい🗓 ・ ・ ・ #Graffiti #落書き #ラクガキ #らくがき #banana #Banana_Paint #PaintBanana #バナナペイント #ペイントバナナ #バナナ #甘蕉 #フルーツ #fruit #tattoo #タトゥー #朝バナナ #昼バナナ #夜バナナ #毎日バナナ #banana #BANANAtattoo #バナナタトゥー #バナナアート #バナナの人 ・ ・ ・ <JACK PAINTON schedule> 9/18(19) ※🌪悪天予報で延期中 「コンテナペイント&キャンプ」プライベートイベント NNF(愛知県岡崎市) 10/18〜30 『kahogo.展 vol.4』企画展/作品展示 kahogoギャラリー(東京都練馬) 11/3〜23 『』作品展示(東京都渋谷) 11/7〜13 『』グループ展/作品展示 Gallery Conceal(東京都渋谷) 11/8〜15 『』企画展/作品展示 (東京都) 11/12 『FUN』ライブペイント THE BRIDGE YOKOHAMA(神奈川県横浜市) 12/18 ライブペイント 『』(愛知県名古屋市) 現在購入可能なアパレルやCD等デザインした物多数 ※各種ご依頼やお誘い等、お待ちしています♪ (各地に行きたいです (Japan) https://www.instagram.com/p/CjseNC3vey4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#🍌#bananapaint#ジャック#graffiti#落書き#ラクガキ#らくがき#banana#banana_paint#paintbanana#バナナペイント#ペイントバナナ#バナナ#甘蕉#フルーツ#fruit#tattoo#タトゥー#朝バナナ#昼バナナ#夜バナナ#毎日バナナ#bananatattoo#バナナタトゥー#バナナアート#バナナの人
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20220413
眠れずに、というか寝るタイミングを逃して、せめて横になろうかなあと布団にもぐってみるけどうまくいかない。文字も漫画もあたまに入ってこないのにスマホをいじってぐずぐずし、だんだん外が明るくなってきた。渋谷のスクランブル交差点のライブカメラを眺める。youtubeとかTikTokとかにあるやつ。 カメラはセンター街からハチ公口を向いていて、どうやら道の上にあるから、ビルの窓からの視界とはちょっとちがって、宙に浮いている感じ。ティンカーベルの高さだなーと思う。ピーターパンとティンカーベルがロンドンの街を……と思うとき、わたしのあたまに浮かんでいるのはピーターパンのアニメではなくてディズニーランドのピーターパンのアトラクションで、最後に乗ったのはずいぶん前なんだけど、あれの高さだなーと思う。街を見下ろす感じ。中央線で阿佐ヶ谷らへんを通るときもあれだなーと思う。そしてそれを、「ピーターパンの高さ」ではなく「ティンカーベルの高さ」だと言いたいのはなんでだろう。サイズ感?
朝の弱い光がビルの壁にはねて、影が水色で、もう五時。そろそろ始発が出たろうか。あちこちからはき出されてきたとおぼしきひとびとの歩みは、なんとなく夜の高揚をひきずっていて、浮つきと気怠さが肩を組んでいる。タクシーもたくさん走っている。どこも通常営業��なったんだなあと思う。 きっと酔っ払っているのだろう、足元のふらついた男の人二人組が、互いに背を叩きあい、堅く握手し、一回ハグして、名残惜しそうにもう一回握手して、地下鉄の階段前でバイバイした。車のワイパーみたいに大きく手を振った。なんだか今生の別れみたいだけど、まあ酔っ払って大袈裟になったんだろうなと想像する。わたしはそういう軽薄さを夜明けの街に求めている。のか? あるいは、今生の別れなんてそうそうあるまい、それをたまたま目撃することなんてあってたまるかというブレーキがあるのか、どっちにしても、自分はちょっと失礼な気がする。 スーツ姿の男性三人組が、横並びで横断歩道を渡っている。すごくのろのろ歩いている。うち二人はマスクをはずしていて、一人は黒いのをつけている。マスクをしていない一人はきっちりネクタイを締めている。 女性の三人組が、信号待ちをしていて、なんかちょっと体を揺らしている。一人の厚底ブーツがごとんと脱げた。あわててブーツを履こうとしたら、今度はかばんのなかみを盛大にぶちまけ、三人は慌ててそれらをかき集め、表情までは見えないけど、きっとげらげら笑っている。こういうことは、きっといつかの自分にもあった。すごく遠いむかしに。布団の中にいるととてもとても遠く感じるし、実際遠い。長い年月が流れた。 男女男でぎゅっと腕を組んだ三人組が、互いに甘えるみたいに体を擦りつけあっている。よく見ると左端の男は自分からはくっついていかなくて、三人には微妙なテンションの差があるようだ。こうしてみると三人組って多いなと思う。まあ夜じゅう遊ぶときって三人がちょうどいい気はする。 一人で歩いている人。でっかい紙袋を提げた男の人が、見事に信号を無視してすたすた歩いていき、タクシーがぐぐっとブレーキをかけた。男はぜんぜん気にしないで歩いている。タクシーは苛立っているのか、じりじり動こうとしている。コロンとした車。このごろのタクシーはこういう車種が多くて、あとプリウスもよく見かける。従来の四角いセダン型は漫画やアニメなどイラスト的な記号になっていくかも?とか思う。スケボーを手に持った男の人が頭を揺らしながら歩いていき、スーツケースをひいた女の人がそれを早足で追い抜き、ゴロゴロゴロゴロ……という音が聞こえる気がする。 ここにカメラがあるのはみんな知っているから、こちらに手を振る人もいる。たぶん若い男の子たちだ、おどけた感じで手を振り、なにやらスマホをいじっていて、たぶん自分たちが映っているのを確認している。ライブカメラのコメント欄の、「ジャンプして」とか「ピースして」とかに応えていて、今っぽいコミュニケーションだなあと思いつつ、むかし電器屋のビデオカメラに手を振って、店内のテレビ画面に映し出されるのを喜んでいた子どものころ……と重なる。ところでこうやって手を振って、ライブ映像に自分たちが映っていなかったら、ぜんぜんちがう映像が映っていたら、怖いだろうな。あるいはコメント欄の要求がどんどんエスカレートして……とか想像し、そういうの、SFっぽい? ホラーっぽい? どっちで書いたら面白いかなあと思う。どっちもか。そしてわたしはどっちもうまく書けない。何なら書けるだろう。ところでこのコメント欄、何もないときは映像とぜんぜん関係ない雑談が流れていき、なんかそういうのにすごく落ち着く。
ライブ配信をザッピングする。新宿駅の南口はかなり静か。同じ時間の違う場所、違う人。なんか占いをやっている人、なんか雑談を配信している人、まだ踊り続けているクラブのフロア、DJ。ドライブ映像。朝のリレーだ……と思う���どこかの海岸で犬を散歩している人がいて、風がごうごういっている。すごく大きな白い犬。犬は元気よく駆けていて、かと思うと急にうずくまって、飼い主の人は仕方ないなと笑ってどうやらとなりに座った。犬をなでる。たぶん砂の上。打ち上げられたわかめがたくさん絡まっている。水平線が朝日でキラキラしている。サーファーが波をかきわけていく。ふわふわした犬の毛が風になびいている。「毎日どのくらいブラッシングしますか?」とコメント欄に書き込まれ、飼い主の人は「朝と夜に一時間ずつですね」と答える。一日二時間! わたしがこうやってどこかの誰かを眺めているぼんやりした時間で、犬はきれいに整うのだ……とびっくりする。 さらにザッピング。こんどはどこかのピザ屋のバックヤードで、日本ではない。夕方っぽい。どこだろう。アカウントにはLong Islandと書いてあるけど、どこにでもある名前だ。ほうれん草のどっさりのった四角いピザが、いままさにピザ窯にさしこまれるところで、赤く日焼けした太い腕。タトゥー。わたしはこのピザを食べることはないが、このようなピザを食べる機会はきっとある。
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#dragontattoo #tattoo #タトゥー #刺青 #入れ墨 #tattooer #tattooartist #eijitattoo #エイジタトゥー #studiomuscat #inked #彫師 #shibuya #tokyo #東京タトゥー #渋谷タトゥー #tokyotattoo #shibuyatattoo #irezumi #japanesetattoo #japanesedragontattoo #ryutattoo #龍刺青 #龍タトゥー (Tokyo Japan) https://www.instagram.com/p/CqX1oUSp24l/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#dragontattoo#tattoo#タトゥー#刺青#入れ墨#tattooer#tattooartist#eijitattoo#エイジタトゥー#studiomuscat#inked#彫師#shibuya#tokyo#東京タトゥー#渋谷タトゥー#tokyotattoo#shibuyatattoo#irezumi#japanesetattoo#japanesedragontattoo#ryutattoo#龍刺青#龍タトゥー
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あおまる。さんはTwitterを使っています 「家族ってタトゥー渋かっけえ https://t.co/GWqilvsDmp」 / Twitter
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ANDY DRESS👗 #渋谷 #立川 #Andy #DRESS #ドレス #k18 #タトゥー #ミニスカ #久々 #撮影 #ピンヒール #ストライプ #アンクレット #モヒカン #アップ ヘアメ #この時元気 #大人ドレス (Tachikawa, Tokyo) https://www.instagram.com/p/ByNen6VlFrN/?igshid=1sh0owty63c8t
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蜜月
しばらく文章がうまく書けなかった。先日、BTSの新曲にまつわるnoteを書いてみたけれど、個人的にはあまりよくない出来と思っている。20分で書いてそのまま投稿してしまったから、一晩寝かせなかったからかもしれない。
とにかく文章が書けない。五月から六月にかけてたくさんの記事を書いたけれど、あのとき私は無限に文章が生み出せると思っていた。書き留めておきたいことや文章が泉のように頭から湧き出るばかりであった。まさに言葉と蜜月を過ごしていた期間だった。今はさんざんだ。何もうまく書けない。
今の私の頭はタトゥーと運動のことで頭がいっぱいだ。悪しきオリンピックの開催日に中学生の頃から念願だったタトゥーを入れる。運動はタトゥーを入れる腕をきれいに見せたくて始めたがもともと身体を動かすのが好きなので、朝晩飽きずに運動をしている。それと読書。今は本がよく読める時期のような気がしていて、暇さえあれば何かしら読んでいる。活字の蜜月なのだと思う。
思い返すと私はあらゆる物事と蜜月を過ごした。音楽、映画、アニメ、日本のアイドルグループ……
特に親しい関係を築いていたのは映画だったと思う。十六歳から二十三歳の頃だろうか。まだネットフリックスがなかったので、渋谷のツタヤまでDVDやVHSを借りに足繁く通っていた。当時ネットフリックスやアマゾンプライムがあったら、間違いなく気が狂っていただろう。週末は早稲田松竹で二本立ての映画を見、時には武蔵野館とシネマカリテ、べつの時にはイメージフォーラムとユーロスペースをはしごし、帰宅してから夜中まで渋谷のツタヤで借りた映画を見た。気に入った作品は繰り返し眺めていた。ロメール『緑の光線』のVHSはたぶん十回は見た。しかし映画との蜜月は終わった。ネットフリックスもアマゾンプライムも加入してもたいして見ていないし、月に数回程度の映画館でも昔の作品ばかり見ている。ロメール、ケリー・ライカート、キェシロフスキ、ホウ・シャオエン…… 映画との蜜月の話ならいくらでも書ける。
とにかく私と言葉の蜜月も終わってしまったらしい。私は文章を通じて自分の思考を捉えることができる。思考を捉えることで自分自身の輪郭にもふれることができる。そう思っていたのに、突然エラーを起こしてしまったみたいな気分だ。できることならこのブログも頻繁に更新したいと思っている。でもまだ難しいかもしれない。ただ今日なんとなくテキストエディタを開いて、だらだらとここまで書けたのはいいことだ。リハビリは大事だから。
雷が鳴っている。家で聞く雷はノイズミュージックみたいでかっこいいと思う。窓を打ちつける雨音も落ち着く。晴れや曇りの日はうれしいけれど、静かすぎてそわそわする。
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27クラブ - Wikipedia
【27歳で亡くなった有名ミュージシャンたちです。】
ちなみに、アルファベットの数字って「26」までしかないのは、皆さんご存知ですか?つまり、27歳に申し合わせたように何故か?亡くなる有名ミュージシャンたちの「死」と関係しているのです。A〜Z=「26」つまり、アルファベットの「Z」が26歳にあたるのです。アルファベットが26までであって、27が存在しないのは、アルファベットが死んだから「無」すなわち「死」と等しいのです。【27=無=死】そして、昨今、「Z世代」という若者が誕生しました。これは、
何を意味しているかと申しますと、つまり、「Z世代」=「地球の年齢が26歳」という意味をあらわしています。そして、アルファベットの「Z」の次がないということは、そうです。もう、頭の良い方はお気づきかと思いますが、地球が26歳ということはアルファベットで言うところの「Z」【26歳】の状態をあらわしているのです。そして、「Z」の次のアルファベット【27番目のアルファベットが存在しないということは】が存在しないということは、かつて、有名ミュージシャンが申し合わせたように27歳で亡くなっているのと同じように、地球は27歳で亡くなるのです。つまり、今、地球が「Z」=「26歳」もうすぐ地球の寿命がおとずれるつまり、消滅するのです。それ故、今の若者、つまり「Z世代」=「地球、最期の世代」なのです。
【2023-11-27】 A〜Zのタトゥー
【zshingoの日記】 【気まぐれ日記】
曇り。午前七時過ぎ起床。テレビをつけ、顔を洗い歯を磨く。セカンドストリートで、500円で購入した無名のジャケットに、カッパのジャージパンツ(セカンドストリートで購入。セットアップで1000円。)に、バンズのスリッポンを履き、アパートを出る。今日は、「KーTATTOO」で、11:00に、TATTOOを入れる予約を入れている。腹に、アルファベットの「A〜Z」まで入れるのだ。文字の書体は、ギャング文字。デザインは、彫師さんに任せている。彫師さんは、以前、私の腕に「聖母マリア」を入れてくれた方だ。とても腕のいい彫師さんだ。つくづく、思うのが、「彫師」という職業は、「神」の力がやどっている。何故なら、「ミスの許されない職業」にも関わらず、いまだかつて、「タトゥーを入れて、彫師さんに失敗された」という話を聞いたことがないからだ。勿論、入れ終わったあとのデザインが、自分が想像していたものと違っていた、などはあると思うが。それは、あくまでも、タトゥーを入れる側の掘る前の想像していたイメージと、実際に墨が入ったあとの、イメージが違うだけであって、決して失敗ではないのだ。それに比べて、家電製品や、洋服を購入して、買ってすぐ、家電製品が動かなくなったり、買った洋服にシミや汚れが目立たない場所についていた、などの話しはよく耳にする。あと、食材も、腐っていた、裏返してみると傷んでいたなどの話も耳にする。タトゥーに関しては、私は、いまだかつて「彫師さんへのクレーム」という話を、一度も聞いたことがないのだ。これだけ、タトゥーが、全世界で一般化されているのだから、そんな話しの一つや二つあってもいいはずなのに。地下鉄で天神へ向かう。電車内、福岡市総合図書館で借りた、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。今回で三度目の再読だ。一回目、二回目に読んだときは、何も感じなかった文章が、時が経てば不思議と胸に刺さる箇所が出てくる。これはつまり、私がそれだけ、人生経験を積み、過去の自分から成長しているという証だ。本を出版する著者が、読者に対して、切実に望んでいるのは、自分が書いた本を繰り返し読んで欲しいという願望を持っている。これは、大抵の著者が願っていることである。適当に、飛ばして、流し読みされることを嫌う。勿論、村上春樹先生も。他人が書いた本を繰り返し読むという行為は、ただ単に、他人の考え、言動を「知る」ということ以外に、他人の「人生を自分の体内に入れて生きる」という行為にもつながる。文学科の大学教授が生徒に口を揃えて言う言葉は、とにかく、自分の気に入った作家の「全集」を読めと言う。いろんな作家の書いた本をちょこちょこかいつまんで読む読書も勿論、悪くはないが、それでは、一人の作家の人生を「知る」ことはできない。一人の作家の書いた「全集」をすべて読破するという行為は、その作家の人生を知ることでもあり、それプラス、その作家の「生き方」を、「自分の人生に取り入れる」という行為でもある。そう、その作家の「血肉」を自分の体内に「吸収」する行為そのものなのだ。そう、意識しなくても、一人の作家が書いた本を突き詰めて、繰り返し読んでいけば、それを書いた作家の性格に、「知らず知らず」自然と似てくるのだ。これが、書いた作家の「��肉」を「吸収する行為」と言える。私の場合、村上春樹先生の書く、小説の主人公に、「ものの考えかた」が「似ている」と自分で思っている。勿論、特に「意識」してそうなったわけではない。読み続けていくうちに、「自然」とそうなったのだ。勿論、悪い気はしない。むしろ、嬉しい。何故なら、村上春樹先生の小説に出てくる主人公は、「何一つとして、間違ったことを言っていない」からだ。つまり、これは、何を意味しているかと言うと、村上春樹先生の書く小説の主人公は、現代の「イエス・キリスト」だからだ。つまり、私のことである。(再臨)村上春樹先生の出版された本は、すべて現代版の「聖書」なのだ。あと、元、「ブランキージェットシティ」のボーカル、「浅井健一」さんの書いた曲の歌詞も、「現代版の聖書」だ。浅井健一さんの書いた「詩」には、「ヒッピー」や、「ホームレス」や、「麻薬常用者」や「売春婦」や「動物愛護団体」や「純粋な心を持った子どもたち」などの、いわゆる、社会の底辺で生きる、アウトサイダーたちが、いろんな歌詞の中に散りばめられている。そして、よく歌詞の中に「神」が登場する。そう、私にとって、村上春樹先生の書く「小説」に出てくる「主人公」や、その他の「登場人物」や、浅井健一さんの書く「詩」の中に散りばめられている「アウトサイダーたち」は、ただ単に、「詩」や「小説」の中だけの人物ではなく、生きているのだ。話を戻すと、「全集」には、小説以外に、その作家の書いた、日記、随筆、ある日、ふとひらめいた考えが、ノートの角に走り書きされた、ちょっとした内容の文章まで記されているものもある。(ただし、昔の人が書いた「全集」に限る。)比較的最近の人が書いた「全集」であれば、ノートの角に書いたちょっとした走り書きは、うまくぼかして「雑記」の中にまとめられているのだろう。ちなみに、村上春樹先生の出版されている「雑記」というタイトルの書物も面白く読ませてもらった。イラストは、もう亡くなられたが、「安西水丸」先生と、なんとか「誠」先生だ。(たしか、「椎名誠」先生という名前のイラストレーターだったような気がするのだが)村上春樹先生は、安西水丸先生と特に、仲良くされていたのが、「村上朝日堂」や「村上朝日堂の逆襲」を読めばわかる。「zshingoの日記」に話を戻す。天神に着き、少し、腹が減ったので、マクドナルドへ向かう。名前は覚えていないが、肉肉しいマクドナルドの朝メニューを食べ、SNSを閲覧、投稿する。気づいたら、十時二十五分になっていたので、KーTATTOOへ向かう。少し、早めに着いたので、KーTATTOOの裏の駐車場のアスファルトにしゃがみこんで、SNSを閲覧、投稿する。約、十分前になったので、KーTATTOOへ入る。担当の彫師さんがデザインした用紙を見せてもらい、腹に下書きのインクを転写する。インクが乾くまで、上半身裸で待機。寒い。彫師さんのスタートしましょうの合図で、ベッドへ仰向けに寝る。いざ、タトゥーマシーンの針が皮膚に刺さった瞬間、チクチクとした痛みを感じる。最初は、右腹からスタートしたのだが、腹の中央にくるにつれて痛みの強さがましてくる。痛みのあまり、終始、しかめっ面。結局、N〜Z、13このアルファベットしか入れることができずに終わる。そう、途中で、私は、彫師さんに、あまりにも痛みが強烈なので、これ以上、入れることができません。これでやめにしてくださいとお願いしたのだ。ただし、バランスよく、ヘソの上を、アルファベットがきれいにアーチするように入れてはもらった。しかし、アルファベットの枠だけで、中は黒く塗りつぶされてはいない。痛くて、とてもじゃないが、これ以上、彫り続けることができないのだ。でも、それはそれで逆にカッコいいんじゃないかという考えも浮かんできた。(昔、東京に住んでいる時に、渋谷区道玄坂のクラブエイジアで働いていた、「マサさん」という人が、アルファベットの枠だけ腹に入れているのを見て、カッコいいなと思った記憶があったため)実際に、鏡で見てみると、カッコよく仕上がっていた。勿論、アルファベットの枠だけではあるが。痛さのあまり、彫りを途中でやめてしまった私に対して、店のオーナーさんに、「しんごちゃん、一度、彫ると決めたものを、途中で断念して辞めるのは、あまりにもカッコ悪すぎるから、せめて、残りのA〜Mまでのアルファベットは、腹じゃない別の場所に入れようよ」と持ちかけられたので、次回、A〜Mまでのアルファベットのタトゥーを背中に入れることで話がまとまる。次回の予約をしてタトゥーショップをあとにする。(明後日)ブック・オフへ行き、トミーヒルフィガーのブルーのジャケットを1200円で購入。地下鉄で帰宅。電車内、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。近所のコンビニで、タルタルフィッシュバーガー、醤油味のカップラーメン、コーラ、カルピス、ポテトチップスうすしお味を購入。アパートに帰り、シャワーを浴びて、洗濯機をまわす。テレビをつけ、コンビニで購入した晩飯を食べる。食後、ポテトチップスを食べる。一袋たいらげたら、気持ち悪くなったので、胃腸薬を飲む。普段、服薬している薬も飲む。歯を磨く。YouTubeで、数年前に読んだ山本周五郎著「季節のない街」の朗読を聴く。突然、無性に「季節のない街」を調べてみたくなったのだ。そしたら、たまたま、YouTubeで朗読している動画を発見したのだ。「季節のない街」は、短編小説で、私が、どうしても、もう一度聴きたいと思う、短編小説のタイトルが思い出せなかったので、Amazonサイトの説明書きされた、タイトルでそれっぽいタイトルのものをYouTubeで、検索してみるも、なかなか出てこない。結局、5回目ぐらいでようやく見つけることができた。「プールのある家」というタイトルの短編小説だ。話しは、路上生活者である父子二人の物語。浮浪者だが、博識な父親の話に、耳を傾ける息子。しかし、息子は、路上生活者の大半がそうなるように、死ぬ。残された父親一人の描写がしばらく続くが、途中から、犬に「転生」(てんせい)した息子が父親の前に現れ、父親のあとを、ついてまわるところで、話しは終わる。「プールのある家」視聴後、あのちゃんのラジオ番組をYouTubeで視聴。洗濯物を、洗濯機の中から取り出すのを忘れて、深夜一時四十分ぐらいに眠剤を飲み就寝。取り出すのを忘れた洗濯物は、結局、次の日の夕方気づき、再度、洗濯機をまわす。菌が繁殖しているからだ。
27クラブ ②
【27歳で亡くなった有名ミュージシャンたちです。】
ちなみに、アルファベットの数字って「26」までしかないのは、皆さんご存知ですか?つまり、27歳に申し合わせたように何故か?亡くなる有名ミュージシャンたちの「死」と関係しているのです。A〜Z=「26」つまり、アルファベットの「Z」が26歳にあたるのです。アルファベットが26までであって、27が存在しないのは、アルファベットが死んだから「無」すなわち「死」と等しいのです。【27=無=死】そして、昨今、「Z世代」という若者が誕生しました。これは、
何を意味しているかと申しますと、つまり、「Z世代」=「地球の年齢が26歳」という意味をあらわしています。そして、アルファベットの「Z」の次がないということは、そうです。もう、頭の良い方はお気づきかと思いますが、地球が26歳ということはアルファベットで言うところの「Z」【26歳】の状態をあらわしているのです。そして、「Z」の次のアルファベット【27番目のアルファベットが存在しないということは】が存在しないということは、かつて、有名ミュージシャンが申し合わせたように27歳で亡くなっているのと同じように、地球は27歳で亡くなるのです。つまり、今、地球が「Z」=「26歳」もうすぐ地球の寿命がおとずれるつまり、消滅するのです。それ故、今の若者、つまり「Z世代」=「地球、最期の世代」なのです。
【2023-11-27】 A〜Zのタトゥー
【zshingoの日記】【気まぐれ日記】
曇り。午前七時過ぎ起床。テレビをつけ、顔を洗い歯を磨く。セカンドストリートで、500円で購入した無名のジャケットに、カッパのジャージパンツ(セカンドストリートで購入。セットアップで1000円。)に、バンズのスリッポンを履き、アパートを出る。今日は、「KーTATTOO」で、11:00に、TATTOOを入れる予約を入れている。腹に、アルファベットの「A〜Z」まで入れるのだ。文字の書体は、ギャング文字。デザインは、彫師さんに任せている。彫師さんは、以前、私の腕に「聖母マリア」を入れてくれた方だ。とても腕のいい彫師さんだ。つくづく、思うのが、「彫師」という職業は、「神」の力がやどっている。何故なら、「ミスの許されない職業」にも関わらず、いまだかつて、「タトゥーを入れて、彫師さんに失敗された」という話を聞いたことがないからだ。勿論、入れ終わったあとのデザインが、自分が想像していたものと違っていた、などはあると思うが。それは、あくまでも、タトゥーを入れる側の掘る前の想像していたイメージと、実際に墨が入ったあとの、イメージが違うだけであって、決して失敗ではないのだ。それに比べて、家電製品や、洋服を購入して、買ってすぐ、家電製品が動かなくなったり、買った洋服にシミや汚れが目立たない場所についていた、などの話しはよく耳にする。あと、食材も、腐っていた、裏返してみると傷んでいたなどの話も耳にする。タトゥーに関しては、私は、いまだかつて「彫師さんへのクレーム」という話を、一度も聞いたことがないのだ。これだけ、タトゥーが、全世界で一般化されているのだから、そんな話しの一つや二つあってもいいはずなのに。地下鉄で天神へ向かう。電車内、福岡市総合図書館で借りた、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。今回で三度目の再読だ。一回目、二回目に読んだときは、何も感じなかった文章が、時が経てば不思議と胸に刺さる箇所が出てくる。これはつまり、私がそれだけ、人生経験を積み、過去の自分から成長しているという証だ。本を出版する著者が、読者に対して、切実に望んでいるのは、自分が書いた本を繰り返し読んで欲しいという願望を持っている。これは、大抵の著者が願っていることである。適当に、飛ばして、流し読みされることを嫌う。勿論、村上春樹先生も。他人が書いた本を繰り返し読むという行為は、ただ単に、他人の考え、言動を「知る」ということ以外に、他人の「人生を自分の体内に入れて生きる」という行為にもつながる。文学科の大学教授が生徒に口を揃えて言う言葉は、とにかく、自分の気に入った作家の「全集」を読めと言う。いろんな作家の書いた本をちょこちょこかいつまんで読む読書も勿論、悪くはないが、それでは、一人の作家の人生を「知る」ことはできない。一人の作家の書いた「全集」をすべて読破するという行為は、その作家の人生を知ることでもあり、それプラス、その作家の「生き方」を、「自分の人生に取り入れる」という行為でもある。そう、その作家の「血肉」を自分の体内に「吸収」する行為そのものなのだ。そう、意識しなくても、一人の作家が書いた本を突き詰めて、繰り返し読んでいけば、それを書いた作家の性格に、「知らず知らず」自然と似てくるのだ。これが、書いた作家の「血肉」を「吸収する行為」と言える。私の場合、村上春樹先生の書く、小説の主人公に、「ものの考えかた」が「似ている」と自分で思っている。勿論、特に「意識」してそうなったわけではない。読み続けていくうちに、「自然」とそうなったのだ。勿論、悪い気はしない。むしろ、嬉しい。何故なら、村上春樹先生の小説に出てくる主人公は、「何一つとして、間違ったことを言っていない」からだ。つまり、これは、何を意味しているかと言うと、村上春樹先生の書く小説の主人公は、現代の「イエス・キリスト」だからだ。つまり、私のことである。(再臨)村上春樹先生の出版された本は、すべて現代版の「聖書」なのだ。あと、元、「ブランキージェットシティ」のボーカル、「浅井健一」さんの書いた曲の歌詞も、「現代版の聖書」だ。浅井健一さんの書いた「詩」には、「ヒッピー」や、「ホームレス」や、「麻薬常用者」や「売春婦」や「動物愛護団体」や「純粋な心を持った子どもたち」などの、いわゆる、社会の底辺で生きる、アウトサイダーたちが、いろんな歌詞の中に散りばめられている。そして、よく歌詞の中に「神」が登場する。そう、私にとって、村上春樹先生の書く「小説」に出てくる「主人公」や、その他の「登場人物」や、浅井健一さんの書く「詩」の中に散りばめられている「アウトサイダーたち」は、ただ単に、「詩」や「小説」の中だけの人物ではなく、生きているのだ。話を戻すと、「全集」には、小説以外に、その作家の書いた、日記、随筆、ある日、ふとひらめいた考えが、ノートの角に走り書きされた、ちょっとした内容の文章まで記されているものもある。(ただし、昔の人が書いた「全集」に限る。)比較的最近の人が書いた「全集」であれば、ノートの角に書いたちょっとした走り書きは、うまくぼかして「雑記」の中にまとめられているのだろう。ちなみに、村上春樹先生の出版されている「雑記」というタイトルの書物も面白く読ませてもらった。イラストは、もう亡くなられたが、「安西水丸」先生と、なんとか「誠」先生だ。(たしか、「椎名誠」先生という名前のイラストレーターだったような気がするのだが)村上春樹先生は、安西水丸先生と特に、仲良くされていたのが、「村上朝日堂」や「村上朝日堂の逆襲」を読めばわかる。「zshingoの日記」に話を戻す。天神に着き、少し、腹が減ったので、マクドナルドへ向かう。名前は覚えていないが、肉肉しいマクドナルドの朝メニューを食べ、SNSを閲覧、投稿する。気づいたら、十時二十五分になっていたので、KーTATTOOへ向かう。少し、早めに着いたので、KーTATTOOの裏の駐車場のアスファルトにしゃがみこんで、SNSを閲覧、投稿する。約、十分前になったので、KーTATTOOへ入る。担当の彫師さんがデザインした用紙を見せてもらい、腹に下書きのインクを転写する。インクが乾くまで、上半身裸で待機。寒い。彫師さんのスタートしましょうの合図で、ベッドへ仰向けに寝る。いざ、タトゥーマシーンの針が皮膚に刺さった瞬間、チクチクとした痛みを感じる。最初は、右腹からスタートしたのだが、腹の中央にくるにつれて痛みの強さがましてくる。痛みのあまり、終始、しかめっ面。結局、N〜Z、13このアルファベットしか入れることができずに終わる。そう、途中で、私は、彫師さんに、あまりにも痛みが強烈なので、これ以上、入れることができません。これでやめにしてくださいとお願いしたのだ。ただし、バランスよく、ヘソの上を、アルファベットがきれいにアーチするように入れてはもらった。しかし、アルファベットの枠だけで、中は黒く塗りつぶされてはいない。痛くて、とてもじゃないが、これ以上、彫り続けることができないのだ。でも、それはそれで逆にカッコいいんじゃないかという考えも浮かんできた。(昔、東京に住んでいる時に、渋谷区道玄坂のクラブエイジアで働いていた、「マサさん」という人が、アルファベットの枠だけ腹に入れているのを見て、カッコいいなと思った記憶があったため)実際に、鏡で見てみると、カッコよく仕上がっていた。勿論、アルファベットの枠だけではあるが。痛さのあまり、彫りを途中でやめてしまった私に対して、店のオーナーさんに、「しんごちゃん、一度、彫ると決めたものを、途中で断念して辞めるのは、あまりにもカッコ悪すぎるから、せめて、残りのA〜Mまでのアルファベットは、腹じゃない別の場所に入れようよ」と持ちかけられたので、次回、A〜Mまでのアルファベットのタトゥーを背中に入れることで話がまとまる。次回の予約をしてタトゥーショップをあとにする。(明後日)ブック・オフへ行き、トミーヒルフィガーのブルーのジャケットを1200円で購入。地下鉄で帰宅。電車内、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。近所のコンビニで、タルタルフィッシュバーガー、醤油味のカップラーメン、コーラ、カルピス、ポテトチップスうすしお味を購入。アパートに帰り、シャワーを浴びて、洗濯機をまわす。テレビをつけ、コンビニで購入した晩飯を食べる。食後、ポテトチップスを食べる。一袋たいらげたら、気持ち悪くなったので、胃腸薬を飲む。普段、服薬している薬も飲む。歯を磨く。YouTubeで、数年前に読んだ山本周五郎著「季節のない街」の朗読を聴く。突然、無性に「季節のない街」を調べてみたくなったのだ。そしたら、たまたま、YouTubeで朗読している動画を発見したのだ。「季節のない街」は、短編小説で、私が、どうしても、もう一度聴きたいと思う、短編小説のタイトルが思い出せなかったので、Amazonサイトの説明書きされた、タイトルでそれっぽいタイトルのものをYouTubeで、検索してみるも、なかなか出てこない。結局、5回目ぐらいでようやく見つけることができた。「プールのある家」というタイトルの短編小説だ。話しは、路上生活者である父子二人の物語。浮浪者だが、博識な父親の話に、耳を傾ける息子。しかし、息子は、路上生活者の大半がそうなるように、死ぬ。残された父親一人の描写がしばらく続くが、途中から、犬に「転生」(てんせい)した息子が父親の前に現れ、父親のあとを、ついてまわるところで、話しは終わる。「プールのある家」視聴後、あのちゃんのラジオ番組をYouTubeで視聴。洗濯物を、洗濯機の中から取り出すのを忘れて、深夜一時四十分ぐらいに眠剤を飲み就寝。取り出すのを忘れた洗濯物は、結局、次の日の夕方気づき、再度、洗濯機をまわす。菌が繁殖しているからだ。
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左京ワンダーコラム038
左京にまつわるエトセトラ.37 はなさかたみお
『へんじん大国』
先日、京大西部講堂で渋さ知らズを観てきたが、出ている人たちも風変わりだったが、客も奇人変人が目立ち、ライブが始まる前から既に混沌で、左京区らしいイベントだった。
今さらな話だが、左京区には奇人変人が多い。
私が大学を卒業して最初にバイトをしたのは、左京区役所だった。納税課の業務で、各世帯ごとの書類に判子を押したり、付帯する書類を糊付けするような仕事で、ほとんど主婦ばかりの職場だった。
そんな中に“?”と首を傾げたくなるようなオバハンが一人いた。何年か続けてその季節に働きに来ている人もいるのだが、そのオバハンは初心者のようで、要領も覚えも悪くミスばかりするのである。しかし、キャラの濃さと「ヨッシャ、まかしとき」というかけ声で、トラブルを起こしてもスルーできる心の強い人だった。
そんなオバハンが、ある日鼻風邪をひいたのか、朝から鼻をグズらせていたのだが、しばらくして見ると両方の鼻の穴にティッシュを詰めて作業をしていた。鼻血を出した男の子がやるようなアレである。
私を含め、その職場にいた人たちは「メンタル強いなー。やはりオバハンは違うわー」と思っていたのだが、その女性は恥じらいを微塵も感じさせずに作業をしていた。
なのに、である。
午後の、15時の休憩時に「○○さん、カーディガンの裏表を反対に着てますよ」と、職場の女性に指摘されると、顔を真っ赤にして「うわっ、ホンマやん。ウチ、もうオンナとして終わってるやん」と嘆き、周囲が唖然とするくらい「オンナとして終わってる」と何度もいい、恥じらいに耐えられないと両の手で顔を覆っていた。
「鼻に突っ込んだティッシュはいいんかい」
私たちは心の中でツッコミながら、オバハンという未解明な生物に冷ややかな視線を送っていた。
そのオバハンを元田中の辺りでよく目にする。
いつもスカーフを頬被りしていて、ねずみ色とかくすんだ緑色系のモンペのようなズボンと割烹着みたいなエプロンという姿で、ママチャリに乗って移動している。20年前からほとんど変化がない。ある意味でアンチエイジングな、年齢を超越した存在なのだが、最近は妖怪なんじゃないかと思っている。
彼女をはじめ、左京区に住んでいて、私が気になった左京区で見かけた人たちを挙げてみる。
・顔の左側のモミアゲ部分にサソリのタトゥーが入った中年の女性。まほろば付近で数回見かけた。
・帽子から履き物まで、全身黄緑色のものでコーディネートした林家ペーパーの黄緑版みたいな老夫婦。イズミヤの休憩スペースで食事をしていた。
・インディアンの羽根飾りのように、白いヘルメットにビニール袋の切れ端を付け、鳥除けみたいにCDを数枚垂らしているオッサン。だいたいサングラスをかけ、マスクもしている。グレース田中や生鮮館で目撃。
・修学院の駅で車掌さんのような行為をしている一般人。スラックスにポロシャツ的なふつうの格好で、前方後方の指さし確認をしている。
・カナート洛北地下フードコートで、一皿のカレーライスをアテに酒盛りをしている老人たち。車椅子で移動しているなど歩くことも困難そうな人もいるが、生命力は横溢している。
上記以外にも気になった人たちはいるが、とりあえずこの辺で。
左京区を歩けばポケモンGOやドラクエウォークよりもレアな何かに遭遇できるが、10月27日の糺ノ森ワンダーマーケットでも出逢える確率は高い。
出逢えたら、その人はアナタの“運命の人”なんですよ、たぶん。 ◆はなさかたみお 敷居は低いがハードルの高い店『失われた時間と百年の孤独』を経営。1977年生まれ。オススメの左京イベントは、松ヶ崎涌泉寺の日本最古の盆踊りと八瀬の奇祭 赦免地踊り。あと、岡崎の江州音頭フェスティバル。Let’s 音頭 again!
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