#淡路花さじき
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今目の前の暗闇に光が射すかも
過半数獲得に30年後の呪文は唱えない?
見苦しくなく、聞こえよい
魔法使い認定...
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淡路梅薫堂江井工場
兵庫県淡路市江井2738-2
http://www.awaji-baikundo.com/koujou.htm
営業時間.9:00〜12:00.13:00〜16:00.
定休日.年末年始、祝祭日、盆、日曜日、第二・第四土曜日。
淡路梅薫堂公式
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【2024淡路島旅行 part3】 昨日の夜、ディナータイムに、ちゅもんくん (@annsupa_33)が登場!! 偶然、同じホテルに同じ日付(私たちの二日目) に宿泊されていたとのことで、続々パピヨンを見て、 しかも、知っているコ達、地元のコ達がわらわらとなれば、 それは声かけるよねー😆
朝、一緒に撮影してもらった後、それぞれの本日のお出かけ場所へ。 私たち、淡路島三日目(最終日)のお出かけは、 おっ玉葱で撮影、お土産タイムの後、干潮に合わせて 大鳴門遊歩道・渦の道へいきました。
はじめてみる渦潮は本当にすごかったです。 そして、その《う��しお》という言葉をきいて、 ナショナルの二層式洗濯機が思い浮かんだ貴方、 昭和人決定です!(笑)。
光景をたっぷり堪能した後は、お昼ご飯は かわらやさんで焼き肉〜。 いい匂いはするけど、玉葱サラダは食べられないから遠くにやられ、 ワンコたちにとっては地獄だっただろうけど、パパママたち はみんな大満足でした。
そして、いよいよ旅のラストは、ちゅもんくんに 教えていただいた「AWAJI」オブジェに行き旅を 締めくくることができました。
モカマロンちゃん@mokhamarron ひなれんちゃん@hina_ryumama レオくん@000_pumam しずくちゃん@kumiko.814mh) ゆんちゃん(@marie3po) ちゅもんくん(@annsupa_33)
楽しい旅をプロデュース、ご一緒していただき 本当にありがとうございました。 帰ってきたばっかりだけど、また行きたい淡路島。 どうぞ、再びご一緒していただける日をモアルア ともども夢見ています😆😆🐶🐶💕💕
#パピヨン#papillon#パピヨン大好き#パピヨングッズ#淡路島#明石海峡公園#ミエレザガーデン#あわじ花さじき#カリコリゾート#クラフトサーカス#���せのパンケーキ#おっ玉葱#渦の道#かわらや#AWAJIオブジェ#ヴィラオルテージャ
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1輪のひまわり
2023.7.26
家に帰って来たら次男が熱を出して苦しそうにしています。今日は登校日だったんですが、登校できずじまい。本人は楽しみにしてたんですけどね。
熱でかなりしんどいらしく、焼き魚のニオイで吐き気がして2階の子供部屋に行きたいと言っているんですけど一人で行くのは怖いらしい。
私に一緒に来てほしいって言うんですけど、私も晩ご飯が食べたいしテレビも見たい。
ご飯を食べてたら次男が本当にしんどそうだったので、一緒に子供部屋に上がって来ました。
今はスヤスヤと眠っていますが、目が覚めたとき���誰かが居ないと文句を言いますし、ちょっと心配だったりもするので何もできないでいます。
子供は熱を出しやすいですからね。これもまた致し方なしですよね。
写真はあわじ花さじきで撮ったクレメオだかクレオメだかの中に咲くひまわり。
太陽を背にしていい感じだったので、レンズを変えるため外したレンズを次男に預けたら、レンズを落として転がっていきました。
思わず悲鳴を漏らしてしまった。
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まず僕のケースは痴漢の冤罪誤認 電車痴漢や当日現行犯とかではなく、僕の生活域で起きた路上痴漢が対象で、たしか実際に事件が起きてから僕が逮捕されるまで半年?ぐらい経過していたと思う 朝方いきなり家に警察がきて、逮捕状がでているからと連れて行かれる、パソコンとかスマホを全部押収される そこから取り調べには48時間っていう時間制限があって、この間はずっと警察署で身柄を拘束されるの 一通り取り調べを受けたら送致っていうのがあって検察に連れて行かれたはず、でここから勾留決まるまで24時間だから この時点でほぼ3日間ずーっと監禁されるわけ でもって検察が、こいつやっぱ間違いなく怪���いから勾留して取り調べ続行決定ねってなると本格的に勾留開始 多分このタイミングかその前の段階かなあ?色々指紋取ったり全裸でボディチェックなんかをされる この辺は罪が確定しているとかそういうのに関係なく逮捕されて勾留されるって時点でやられるぞ んで勾留期限って基本10日間、延長最大で20日間なんだけど 冤罪とか誤認逮捕の場合は当たり前だけれども証拠がまずでてこない(例えば日本で痴漢の場合DNA検査が超絶精度が高いらしくて、やっていたらほぼDNA検査で確定するらしい※とあとで調べた)ので意地でも最大延長で自白を取ろうとしてくる 20日の期間で、3日に1度ぐらいは1時間2時間の取り調べがあってその度に手錠で繋がれて移動、警察と検察でそれぞれ別々に取り調べがあるけど回数は圧倒的に警察取り調べが多め たぶん検察は管轄の関係で超絶忙しいから基本は指示された所管の警察が主体でやるんだと思うね 勾留中ってのはかなりしんどくて、基本的に檻の中でただいるだけの状態 外から差し入れとかがない場合は貸与されるボロボロの本を読んだり腕立てしたり檻の中歩いたりするだけ、しゃべるのは厳禁だから声の出し方を忘れる 風呂はたしか5日に1度、体中が痒くてたまらなくなるし、ギトギトのボロボロ 取り調べはそうね、基本的に警察取り調べの場合だと自分の言ったこと行ったことはほぼほぼ全部否定の言葉を浴びせかけられるって感じ 逆に検察の取り調べはめちゃ淡々としていて事実に基づいて検察はこっちが言ったことをただメモしたり質問を返してきたりするだけ 周��に対しても結構ひどくて、当時事情聴取を受けた弊社の社長や取締役は「絶対こいつです、俺の警察人生かけてます、100%有罪にします」とまで言われて「俺たちですらお前と警察のどっちを信じるか揺らいだ」と酒の席で話してくれた これで面会で周囲から説得されて自白ってパターンもあるみたい こういう取調室以外での盤外戦術も使うんで、よほど周囲からの信頼が厚かったり自分自身を強く持てる人でないと実際にはやっていなくても苦しくて自白してしまうのはしょうがない部分もあるのかもね と、当時の弁護士からも話を受けながら思った 正直周りから信じてもらえないつらさは相当だろうと思う これらを20日間耐えきった場合に限り、不起訴で留置から解放されるっていう感じ 勾留中の保証は当然ないし、押収された品も全部自分で持って帰らなきゃいけない 出るその時まで警察からは「俺はお前が犯人だって諦めてねえからな、将来どんだけ時間掛けても絶対ぶち込むから覚悟しとけ」とも言われる これが誤認逮捕、冤罪逮捕された人間の現実 こういうリスクは、ただ日常生活を営んでいるだけで起こりうる 正直ほぼ運なので諦めて欲しい
Xユーザーのはいど_鈴木智洋@紫陽花さん
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無題
義兄の命日で、事故現場に同行させてもらった。彼女はあらかじめ1週間の休みを取って、丈母と2人で西日本を漫遊していた。坐禅体験とかしたらしい。俺は当日日帰りで、早朝の新幹線で日本列島を下って合流した。350mlの缶ビールを2つだけ空けた。やはり日帰りの岳父もそこへ合流して、4人揃って在来線に乗り換えてさらに小一時間、徐々に口数が減っていく中、緑豊かな山間にある郊外の駅に降りたった。
駅中のファミマでお供物の水や菓子や缶ビールを買い込んで、乗ってきた線路にまっすぐ沿っている坂道を上っていった。ガードレールのない歩道はひび割れて、わずかに陰になっているところに苔類がむしていた。陰湿な6月の陽射しがじりじり蒸し暑かった。あそこだよ、と彼女がいうので目を上げると、すぐ向こうが見通せる短いトンネルがあった。その手前が現場だった。片側二車線の国道で、中央分離帯の縁石にわずかな白い跡が残っている。事故の痕跡だという。
そばの街灯に岳父の設置した花立があって、そこに買ってきた供花を生けるのだが、近づいてみると、配電盤の筐体が大きくひしゃげて、黄色い規制線みたいなテープが何周も巻きつけられていた。新しい事故の跡らしかった。歩道にも削り取られたようなタイヤ痕が残っていた。単車だろうか。義両親は特段そのことには触れず、慣れた手つきで花立を洗浄し、水を入れ替え、供物を並べていく。短い���燭と線香を一本焚く。甘い匂いがする。そうしている間にも、すぐそばを猛スピードで車が駆け抜けていく。
道路はトンネル手前の緩やかなカーブを抜けたらほぼまっすぐに伸びて駅の方まで続く急な下り坂で、現場のすぐそばに傾斜8%という標識があった。あとで航空写真を見ると、トンネルの入り口手前からのっぺりした白い文字で速度落せという標示が繰り返されていた。街灯にはスリップ注意という標識があった。去年はなかったよね、と彼女が岳父にいっていた。
義兄の車は何らかのきっかけで短いトンネルの入口でバランスを崩し、最終的に数十メートル先で電柱の支線に後方から乗り上げる形で停止した。致命的だったのは、運転席に横から直撃した街灯だった。午前3時だった。街灯は捥ぎ取られていた。今あるものは事故後に新しく建て直されたもので、その費用は義両親が補償したらしい。
茫然としていると、岳父が淡々と顛末を語ってくれた。直前に義兄の追い抜いたバイクが事故を目撃して、通報してくれたのだと。
*
駅でタクシーを拾って、昼食をとるためにもう少し大きな駅まで移動した。ロータリーの横断歩道で若い男が飛び出してきて、運転手が急ブレーキ踏んで悪態をついた。岳父が、自殺行為ですね、といって笑った。土地の名物を食べた。生ビール2杯飲んだ。
*
現地で義両親とは別れた。来てくれてありがとう、と丈母がいうので、来られて良かったです、と俺は素直にいった。新横浜に帰り着いて、ビアホールで彼女と献杯して、色々話した。
あの場所に行っていつも考えるのはね、と彼女がいった。あの場所に行っていつも考えるのはね、兄が最期に見た景色はこれだったのかっていうこと。
*
今もああやって生々しい事故の跡が新しく増えていたわけで、車もビュンビュン飛ばしてた、事故現場そのものというか、標識ばかり増やして何も対策しない行政とかに対する義憤みたいなものはないの? と俺は思ったことを訊いてみた。
道路のせいとは思わない、あくまで兄がばかをやらかした、と私たちは考えている。と彼女は答えた。私たち、と彼女はいった。
*
兄の声が思い出せないのが嫌なんだよね、といって彼女は目を潤ませた。この日初めて見る彼女の涙だった。忘れていることが年々増えている。バイクの人が通報してくれたことも、岳父の話を聞くまで忘れていた、と。
*
忘れることは、悲しみやトラウマから人間が立ち直っていくために必要な機能だから、と俺はありきたりなことをいった。しかしまた、思い出すことが供養になる、ということも話した。祖父の十三回忌の時に���坊さんの説法で聞いた話だった。俺はこの考え方を信仰している。リメンバーミーみたいな話だけど。あの場に行って、俺がここにいる意味は何だろう、とずっと考えていた。丈母が立ち尽くして泣いている横顔を見て、俺にできることはマジで何にもないな、とさえ思った。この考えが既に傲慢なんだけど、けど。
*
義兄に会ったことはない。思い浮かべることしかできない。岳父と、丈母と、彼女と、そこへ俺がもう一人加わった。マイナスではないはずだと思いたい。悼む、偲ぶ、思う、祈る、なんでもいいけれど、そうする人間が一人増えた。それだけで良いことだと思いたかった。
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Awaji Hanasajiki, Awajishima, Japan, あわじ花さじき, 淡路島, 兵庫
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その女性は、母親の後を追うようにインタビュールームに入ってきた。伏し目がちで、どこか自信のなさそうな顔をしていた。 カメラを向けると、彼女はロックをかけたはずの一つ一つの記憶を呼び覚ましながら淡々と、時折涙を流しながら語り始めた。 おととし7月、三重県内に住んでいた当時高校3年生だったAさんは、同級生の男性と交際を始めた。当初は優しく、面白かった彼が豹変していったのは、交際1か月が経過した頃だった。 ■“1か月記念”のデート 公衆トイレで同意ない性行為 彼の高圧的な口調や態度が増え、彼女は次第に恐怖を覚えるようになっていったという。 しかし、その頃には彼による精神的な支配が始まり、彼女は「NO」と言えなくなっていた。そして、性の支配が始まっていった。 交際1か月後の真夏の8月。「1か月記念」と称したデート中に、自宅近くのグラウンドの公衆トイレでいきなり服を脱がされ、性的暴行を受けた。 同意のない中での突然の性行為、Aさんは3日間出血が止まらず、腹部や局部の痛みが続いたという。 しかし、そこから男子生徒の性的暴行は日増しにエスカレートしていった。 ■“教室”や同級生が集まる“実家”でも… 学校の空き教室でも性行為を強要された。 ある時は、通学路にある公園の公衆トイレでも無理やり服を脱がされた。犬の散歩をする人の視線もあったが、それ以上に怖くて抗う勇気がなくなっていた。 彼の実家でも体を強要され、しかもそこには同級生の男女も集まり、見世物にされた。正確な回数は記憶���ていないが、記憶のあるものだけで行為は4ヶ月間で20回以上に及んだ。 「別れたい」と告げると謝り、「別れるなら死ぬぞ」と逆に脅してくる。「今度こそ改心してくれるはず」と信じて交際を続けても、優しいのは最初だけで態度はすぐに元に戻った。 関係はずるずると続き、Aさんが初めて被害を母親に打ち明けたのは、木々が色づいた11月下旬だった。 ■“いじめ重大事態”として扱って欲しい 学校に働きかけたが… 母親はあまりの内容にパニックに陥ったという。しかし、そこから娘を助けたいと動き始めた。 母親は「性被害に遭う前は笑顔が絶えない、何事にも積極的だった娘は、いつしか無表情で、無気力になっていた」と振り返った。 相手は同級生で、学校内で起きていること。両親は「いじめ重大事態」として扱って欲しいと学校へ働きかけたが「生徒間のトラブルではなく、男女間のトラブル」と、学校ではなく警察が主体的に調査すべきではないかと回答してきた。 藁にも縋る思いで警察に被害を訴えても「交際していたのだから、性行為は合意していたのでは?」「警察ではなく、学校側が主体的に対応すべきではないか?」と、回答してきたという。 ■男子生徒の両親「付き合っていたのなら合意のうえでは?」 内容からすれば「不同意性交罪」にあたるが、この法律が施行されたのは去年7月。おととしのこの件は、時期的に適応外になる。また、夫婦間ではなくカップル間の行為だったため、DV防止法も適応外になるという。 男子生徒の両親にも謝罪を求めたが、「付き合っていたのなら合意のうえでは?」と取り合わなかったという。 「私たちはどこに被害を訴えればいいのですか?」親子は涙を流しながら、悔しさを滲ませた。 ■女性は一時不登校に ふとした瞬間に蘇る記憶 結局、男子生徒は一時的に自宅謹慎の処分を受けたが、それ以上の追及はなく、相手側からの謝罪もなかった。 一方で、女性は成績も悪くなり不登校になったが、卒業後は大学へ進学した。しかし、彼女の心の傷は今なお癒えない。ふとした時に、あの時の出来事が鮮明に蘇ってくるという。 性的被害を受けるまで、二人で一緒に下校したり、花火大会に出かけたりする程度の関係が一変した。交際はしていたが、性行為に同意はなかったという。 両親は「いじめ重大事態」として扱って欲しいと、学校側と協議しているが、事態は遅々として進んでいない。客観的なメンバーによる第三者委員会を設置して、公正な判断を求めているが、未だ納得のいく回答を得られていないという。 事態が進展せず、Aさんの心も回復しないまま、時間だけが経過している。 取材:CBCテレビ報道部 大石邦彦
「1か月記念」のデートで“性的暴行” 優しく面白かった同級生��豹変 女子高校生への支配は教室でも…母親は“いじめ重大事態”の調査を訴え【大石邦彦が聞く】(CBCテレビ) - Yahoo!ニュース
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先日タラウマラにふらりとやって来たヴァキューム・レコーズの福嶋嘉章、自称年商5億の男。初対面にもかかわらず聞くに耐えない過去の自慢話をヘラヘラと得意気に語り、挙句はタラウマラの商品である中古レコードを大量に棚から抜き取り、これちょっと貸してや、俺が売ったるから商談成立したら売上の2割ちょうだいや、などとぬけぬけとほざきやがったので、そこで僕ははっきりとキレた。あんたが過去に何をしたとか��は一切興味がない、僕はいまかっこいい奴しか信用��ない、ほんでいま何してんねん?と聞くと急に弱腰になって「生活保護をもらってる」と蚊の鳴くような声で呟いた。ほなええ歳こいていつまでも過去の栄光に縋ってないで現状をしっかり受け止めて、きちんと生きなはれ、と伝えると、またしても言い訳がましく自己弁護を始めた。俺は先見の明がありすぎて、90年代にすべてを手中に収めた。LEGO、コーネリアス、パラッパラッパー、ビースティ・ボーイズらとのジョイント・ベンチャーによる成功で、分刻みで銀行口座に金が増えていった。しかし金も名誉も手にした俺は何故か満たされなかった。だからいま一度、金に縛られない生き方を模索し、人生の再起を計ってるんや、近いうちに淡路で店をやろうと思ってる。にいちゃんもこんな店をやってるくらいやから、俺の気持ちがわかるやろ?金、金、言う人間嫌いやねん。そこで僕はふたたび声を荒らげた。商売してんねんから、金、金、言うに決まってるやろうが!金に興味ない奴が店なんかすんな!そもそも生活保護の身で開業資金はどないすんねん!そう問い詰めると福嶋は「親戚の姉ちゃんが金持ちで、いつでも出資してくれんねん」と悪びれた様子もなくぬかしやがったところで試合終了、ヴァキューム・レコーズの代表取締役社長はもれなく出禁となった。
(VRのセルフボースティングは以下を参照)
その後はタラウマラにはまったく寄り付かなくなったが、今度は隣の夜カフェの女性オーナーにストーカーまがいの言動を繰り返しているので油断ならない。それにしても、いつの時代もどこからともなく虫は湧く。よって虫唾が走る。
(『呪術廻戦』第213話より抜粋)
ほんまに過去とかどうでもええわ。有名人の誰々と、どうのこうのしたとかもどうでもええ。地元淡路のキツネ目のDJもようそんなん言うてたな。まったく淡路に縁も思い入れもないのに「一緒に淡路を盛り上げていきましょう」とか「なんか面白いことやりましょう」とかいうオシャレ喫茶好きポップアップ人種も等しく同じ。気色が悪いったらありゃしない。ああいう頭の中がお花畑の連中の更なるテーマパーク増設のために生活保護費や義援金を支給するなんて気が狂ってるとしか思えない。最近読んだ死ぬほど面白くない日記本の巻末にも「出版応援金の募集」なる言葉が小躍りしていた。なんとなくふわっと金を得て、ふわっとした動機でふわっと店を開業して、ふわっとしたメディアにふわっと取り上げられて、この国はもうほんまどこもかしこもふわふわですわ。先日相方のvideo loverからも「いつか私も自分でお店をやりたい」という相談も受けたことだし、これを機にタラウマラをサンプルとした具体的な自営業の実態を数字で明確にしようと思う。まずは開業資金、運転資金の前に自身の生命維持活動費を知ることが大切だ。その次に店舗営業維持費の算出である。
[生命維持活動費]内訳
①国民年金15,000円/月
②国民健康保険18,000円/月
③府民税10,000円/月
④上記の合計516,000円/年を日割りする
⑤生命維持活動費≒1,414円/日
[店舗営業維持費]内訳
①店舗家賃80,000円×12ヶ月=960,000円/年
②光熱費5,000円×12ヶ月=60,000円/年
③昼食代1,000円×365日=365,000円/年
④上記の合計1,385,000円/年を日割りする
⑤店舗営業維持費≒3,795円/日
以上の結果から一日に5,209円の売上を叩き出せれば、とりあえずは個人事業主として生きていけるということ。実際には仕入れ経費やその他諸々が多少はプラスαで必要となってくるけれど、足りない分は日雇いバイトでもなんでもすれば良いだけなので、これくらい具体的な数字が出��らやる気になるでしょう?莫大な不労所得や、親の遺産を保有する訳でもなく、或いは坂口恭平みたいに図抜けた強者、もしくは資本主義社会から逃避した自給自足セクトのようなセオリーではなく、あくまでもいまの生活から逸脱しないで開業するために必要なお金の話。こういうことをきちんと語っていかないから、この国はどんどんふわふわになっていく。最後にタラウマラの実際の売上を見てみよう。
(ヒマな日)
(忙しい日)
とまぁ、こんな具合に日々の売上に多少のムラはあるものの、月トータルで見ていくと確実にクリアできている訳で、だからタラウマラはいまも淡路の路上に存続している。
※次回の更新は10/21(土)です
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各地句会報
花鳥誌 令和6年5月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
立春を待たずに友は旅立ちし 喜代子 習はしの鰈供へる初天神 由季子 在さらば百寿の母と春を待つ 同 春遅々と言へども今日の日差しかな 都 橋桁に渦を巻きつつ雪解水 同 盆梅の一輪ごとにときめきぬ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
飴切りの音高らかに春を待つ 和子 風船消ゆ宝珠の上の青空へ 慶月 天を突く手が手が福豆を欲す 光子 葬頭河の婆万年を寒く座す 光子 飴切りのビートを刻み追儺の日 いづみ 虚無なるは節分の達磨の眼 緋路 老いてなほ鬼をやらふといふことを 千種 恵方向く沓の爪先光らせて 光子 とんがらし売る正面に福豆も 和子 錫杖をつき仏性は春を待つ 小鳥
岡田順子選 特選句
厄落し葬頭河婆をねんごろに はるか 柊挿す住吉屋にも勝手口 眞理子 豆を打つ墨染のぞく腕つぷし 千種 奪衣婆の春とて闇の中笑ふ 俊樹 亀鳴けば八角五重の塔軋む 俊樹 節分���赤い屋台に赤い香具師 緋路 錫の音待春の鼓膜にも 緋路 飴切りのトントコトンに地虫出づ 風頭
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ものゝふの声は怒涛に実朝忌 かおり 実朝忌由比のとどろきのみ残る 睦子 久女忌の空は火色にゆふぐれて かおり やはらかな風をスケッチ春を待つ 成子 実朝の忌あり五山の揺るぎなし 美穂 歌詠みは嘘がお上手実朝忌 たかし 死せし魚白くかたどり寒月光 かおり 実朝忌早き目覚めの谷戸十戸 久美子 寒月や薄墨となるパールピアス かおり 寒月に壁の落書のそゝり立つ 同 ふはとキスこの梅が香をわたくしす 美穂 昃れば古色をつくす蓮の骨 睦子 寒禽の過り裸婦像歪みたる かおり 人呑みし海ごつごつと寒の雨 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
両の手をあふるるあくび山笑ふ 美智子 春浅し絵馬結ふ紐のからくれなゐ 都 鰐口に心願ありて涅槃西風 宇太郎 柊挿す一人暮しに負けまじと 悦子 寒晴や日頃の憂さをみな空へ 佐代子 師の苦言心にとめて初硯 すみ子 この町を砕かんばかり月冴ゆる 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 枡形句会
春菊をどさつと鍋に入れ仕上ぐ 白陶 落ちる時知りたるやうに紅椿 三無 装ひは少し明るめ寒明ける 和代 一品は底の春菊夕餉とす 多美女 中子師の縁の作詞冬の能登 百合子
………………………………………………………………
令和5年2月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
料峭の石橋渡る音響く 三無 苔厚き老杉の根に残る雪 あき子 羽広げ鴨の背にぶく薄光り のりこ 春まだき耀へる日の風を連れ 三無 吟行や二月の空は青淡き 和魚 春めきて日向の土の柔らかく 三無 春の陽を川面に溜めてゆく流れ 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
古暦焚くパリの下町も焚く 昭子 豆撒や内なる鬼を宥めつつ みす枝 落日にして寒菊の色深し 世詩明 被災地の家もひれ伏し虎落笛 ただし 裸婦像の息づく如く雪の果 世詩明 雪吊の縄にも疲れ見えにけり 英美子 ありし日の娘を偲び雛飾る みす枝 それぞれの何か秘めたる卒業子 世詩明 今生の山河に満つる初明り 時江 九頭竜の河口に���寒残しをり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
春立つや電車もステップ踏み走る 紀子 薄氷を横目に見つつ急く朝 裕子 商店街バレンタインの日の匂ひ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 萩花鳥会
白梅と紅梅狭庭にうらうらと 祐子 熱燗で泣けたあの唄亜紀絶唱 健雄 如月の青空のこころ乗り移る 俊文 春の霜とぎ汁そつと庭に撒き ゆかり うすらひを踏むが如くの孫受験 恒雄 透きとほる窓辺の瓶や冬の朝 吉之 身に纏う衣減らざり春浅し 明子 躙り口扇子置く手に零れ梅 美恵子
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令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
越前の雪の生みたる雪女 雪 又次の嚔こらへてをりし顔 同 一としきり一羽の鴉寒復習 同 横顔の考へてゐる寒鴉 同 老いて尚たぎる血のあり恵方道 真喜栄 節分会華を添へたる芸者衆 同 白山の空より寒の明け来たり かづを 紅梅や盗まれさうな嬰児抱く みす枝 老犬の鼾すこやか春を待つ 清女 佐保姫やまづ能登の地に舞ひ来たれ 嘉和 収骨の如月の手は震へつつ 玲子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 さきたま花鳥句会
煮凝を箸で揺らしつ酒を酌む 月惑 春一番ドミノ倒しの駐輪場 八草 雪残る路肩を選りて歩く子ら 裕章 春立つや蠢く気配絵馬の文字 紀花 朽木根に残してあがる春の雪 孝江 見舞ふ友見送る窓の老の春 ふゆ子 鼓一打合図に開始鬼やらひ ふじ穂 スクワット立春の影のびちぢみ 康子 匂ひ来し空に溶けたる梅真白 彩香 生みたてと書きて商ふ寒卵 みのり 寿司桶の箍光りたる弥生かな 良江 春泥や卒寿の叔母の赤き靴 珪子
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令和5年2月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
総門を白く散らして梅の寺 斉 俯ける金縷梅の香や山門に 芙佐子 恋の猫山内忍び振り返る 斉 日溜りに小さき影なし猫の恋 白陶 腰かけて白きオブジェの暖かし 久子 鳥もまた盛んなるかな猫の恋 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
撫で牛に梅の香纏ふ天満宮 笑子〃 白梅の五感震はす香の微か 千加江 真夜の雪寝る間の怖さ知るまいの 令子 銀色の光ほころび猫柳 啓子 復興や春一丁目一番地 数幸 紅梅の謂を僧の懇ろに 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月22日 鯖��花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
一羽には一羽の矜持寒鴉 雪 憶却の先立つてゐるちやんちやんこ 同 煮凝りや良き酒飲めて子煩悩 同 来し方を語り語らず大冬木 同 此の人の思ひも寄りぬ大嚏 同 初春の遥か見据ゑ左内像 一涓 熱燗や聞きしに勝る泣き上戸 同 己がじし火と糧守りて雪に棲む 同 灯もせば懐古の御ん目古雛 同 もう少し聞きたいことも女正月 昭子 冬日向ふと一病を忘れけり 同 瀬の音にむつくりむくり蕗の薹 みす枝 夜中まで騒めき続く春一番 やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
寒紅や良きも悪しきも父に似し 雪 退屈をひつかけてゐるちやんちやんこ 同 春立つや千手千眼観世音 同 路地路地に国府の名残り春の雪 同 節分会葵の御紋許されて 同 越前の夜こそ哀し雪女 同 瓔珞に鐘の一打にある余寒 清女 能登地震声を大にし鬼は外 数幸 春塵や古刹の裏の道具小屋 泰俊 蕗の薹顔出し山を動かしぬ 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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月の美しい夜だった。霞んだ闇��月が滲んで淡い光を放っていた。街路樹のミモザの花は今が盛りだった。
修司はこれっきり二度と会えない恋人を見つめるような目で、弥生を見つめていた。
弥生はこの世に男性は修司一人しかいないというように、修司を見つめていた。
修司の孤独を癒やせるのは、弥生しかいなかった。孤独は孤独でしか癒せない。弥生もまた、これまで孤独を抱え生きてきた。
弥生の孤独は修司の孤独を癒やしていた。結ばれるべくして結ばれたと少なくとも修司は感じていた。そして、弥生もそう感じてくれているという強い確信を持っていた。
目を閉じていても、耳が聞えなくても、本当は良かった。街の喧騒も、車のクラクションも、聞えなかった。触れ合っていられる距離にいれば。
唇と唇を重ねあった。修司の薄い唇にぴったりの、弥生のぽってりとした厚みのある唇だった。唇と唇の凸凹が、決められた鍵と鍵穴のように、快楽や歓びを引き出す、代わりのきかない唇だった。時が経つのも忘れ、永遠とも思える時間だった。
冬の匂いと春の匂いの交わった、少し冷たい風が吹いていた。
弥生のほかに何もいらないと修司は思った。男性がほしい、名誉や地位や財産すらも価値のないもののように思えた。弥生のことしか見えなかった。弥生のような女と出会えて、全てをつかさどる神様にすら嫉妬されるような気がした。そう囁くと、彼女は目を瞑って、自��唇を重ねてきた。月に照らされた頬は、病的に白く透き通り美しかった。
頭上のミモザの花は狂ったように咲き、月明かりに照らされて、きらきらと輝き落下していた。
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安倍政治は若者世代を元気づけた
櫻井よしこ
安倍晋三総理が亡くなって1年。7月8日、各地で偲ぶ会が催され、東京・元赤坂の明治記念館での「安倍晋三元総理の志を継承する集い」はネット中継された。冒頭、2014年5月30日に安倍総理がシンガポールのアジア安全保障会議で行った基調講演の一部が紹介された。第二次政権を12年12月に発足させた安倍氏は、13年12月、靖国神社に参拝し、英霊たちに感謝を捧げ、日本人皆が夢をもって暮らせる国を創りたいと、アベノミクスを始動させた。エネルギーに溢れ、溌剌とした様子で氏は語っている。
「私はこの1年と半年近く、日本経済を今一度イノベーションがさきわい、力強く成長する経済に立て直そうと粉骨砕身、努めてまいりました。アベノミクスと人はこれを呼び、経済政策として分類します。私にとってそれは、経済政策をはるかに超えたミッションです。未来を担う新しい日本人を育てる事業にほかなりません」
新しい日本人とは「昔ながらの良さを、ひとつとして失わない日本人です」と簡潔明瞭だ。
具体的には「貧困を憎み、勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は、アジアがまだ貧しさの代名詞であるかに言われていたころから、自分たちにできたことがアジアの他の国々で同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に孜々(しし)として協力を続けました」と、アジアのリーダーたる自負心を語った。中国を強く意識した言葉でもあろう。
日本は中国とは違って、国民を大事にし近隣諸国を尊重する。日本の国柄はずっと前から古代の先人達がつくりあげ、残してくれたものだ。安倍氏は言い切った。「新しい日本人は、こうした無私無欲の貢献をおのがじし、喜びとする点で、父、祖父たちとなんら変わることはないでしょう」。
首相再登板を果たした安倍氏に世界は注目し、各国指導者たちは安倍氏に幾度も拍手を送った。日本の自分たちにできたことがアジアの国々で同じようにできないはずはない。相手への信頼、相手の可能性を評価し抽き出す前向きの姿勢は、��ンドをはじめアジア諸国に大いに歓迎された。それは日本の若者世代にも向けられていた。
命日の朝日社説
にも拘わらず、このような前向きの姿勢を見ることなく、何があっても安倍氏非難しかしないような朝日新聞は命日の社説で、安倍政治は「分断に満ちた荒々しい政治」だったと貶めた。
確かに平成から令和へと、日本社会における不公平感は高まった。また、社会保障のツケは次世代任せとでもいうかのような世代間の不公平という話で終わらせるのではなく、自分のことはもっと自分でやるのがよいと、自立を促す気概が強まった。朝日はそれを「分断に満ちた荒々しい政治」と切り捨てる。だが若者が置かれていた苦況を改善し、皆が働ける社会を創ったのは安倍氏である。21年12月3日の「言論テレビ」で安倍氏は語った。
「私が政権を取った2012年(民主党政権時代)の就職内定率は68%で、就職氷河期より悪かった。安倍政権時の最終的な就職内定率は98%に上がりました。すると新卒者が増えます。新卒者の給料は低いですから、平均実質賃金は低くなります。65歳以上で300万人が働くようになりましたが、現役時代よりは給料が低い。女性も300万人、新たに仕事を始めた。高い給料の方もいらっしゃいますが、結婚、出産を経て職場復帰した当初は、給料は低かったりします。パートから始める人もいますから、それらを足し合わせて平均すれば、実質賃金は低くなる。
しかし、その後は、だんだんと実質においてもプラスになっています。大切なことは総雇用者報酬、みんなの稼ぎを足し合わせたものです。総雇用者報酬は、民主党政権時代にはマイナス2兆円、安倍政権ではプラス35兆円です」
第二次安倍政権前の3年余りの民主党政権時代は若い世代にとっては極度の就職難だった。12年の正社員の有効求人倍率は0.48倍、安倍政権発足8年目の19年には1.14倍に上がった。全都道府県で1倍を超えたのは史上初めてだった
安倍氏は経済を成長させて皆が働き自立できる社会を創ろうとした。可能性が花開き、夢が叶う。広い未来が開ける。そんな社会を若者や女性に用意した。朝日新聞は認めないが、安倍氏の政策を真っ当に評価し、希望を託した人々は数知れない。そうした人々、老若男女が、安倍家による法要が営まれた東京芝の増上寺にも、奈良市の近鉄大和西大寺駅前の献花台にも、長い列をつくり献花した。
「勝てるんですか」
明治記念館での集いではもうひとつの安倍氏の肉声が伝えられた。19年1月28日、国会での施政方針演説だ。安倍氏は平成から令和への御代替りに触れ、平成の時代に起きた阪神・淡路大震災、東日本大震災に関して、天��、皇后両陛下のお励ましが国民をどれほど慰め力づけたかを語った。その上で、明治天皇の御製を紹介した。
「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」
今を生きる日本人も同じ気持ちで共に日本の明日を切り拓こう、と呼びかけた。
ロシアのウクライナ侵略戦争は、来る中国の台湾・沖縄侵略戦争と重なって見える。それ以前から米国の力は相対的に低下し、中国の脅威が強大化していた。100年に一度の危機に直面して、安倍氏は15年、野党とメディアの凄まじい反対、非難キャンペーンの中で支持率を13ポイントも下げながら平和安全法制をまとめた。
当時、自衛隊の最高幹部達に、安倍総理が聞いた。「勝てるんですか」と。その場に激震が走ったと当時の国家安全保障局次長、内閣官房副長官補、兼原信克氏は振り返る。
自衛隊は憲法上も政治上も厳しくタガをはめられていて、「米軍が助けに来なければ必ず負けるように作られた軍隊」だから、勝てるはずがない。それでは日本国は持たず日本国民は救われない。だから安倍氏は総理退任後も、台湾有事は日本有事、日米同盟有事だと警告した。GDP比2%の防衛費、核共有論の議論の勧めなどを提案した。
政治家として全力を尽くした安倍総理を振りかえるのに、朝日は相変わらず統一教会問題をとり上げる。9日の社説、「教団と自民党 社会の不信に向き合え」で安倍氏が「国政選挙で『教団票』を差配していたといわれる」と書いた。教団票は全国で6万~8万票、創価学会の力は600万~800万票だ。朝日が統一教会の6万~8万票を大仰に問題視するのなら、その100倍の創価学会をなぜもっと追及しないのか。
安倍氏貶めに走る余り、我を忘れる朝日の主張は的外ればかりだ。
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あわじ花さじき
2023.7.22
今日は淡路島の「あわじ花さじき」に行って来ました。
家族で行ってきたんですけど、帰りに淡路SAで早めの夕ご飯を食べることになり、私はかつ丼を選びました。
かつ丼って家族でご飯を食べに行ってもなかなか選択肢にならない���のでしょ。家族で丼物を食べに行こうってなりにくいじゃないですか。どちらかって言うとファミレスでしょ。
でも、SAって何でもありな感じじゃないですか。だから久々にかつ丼を食べたくなって注文して楽しみに待ってたんです。
で、食べてみてビックリです。トンカツの肉が薄い。トンカツの厚さに決まりはないと言っても薄い。これではスライスカツと言った方がいいと思いました。そしてお決まりの衣が厚い。
トンカツの厚さは何ミリ以上でないトンカツと呼んではいけないと誰か決めたらいいのにね。
最近はミルフィーユトンカツなるものもありますからややこしいですよね。
注文する時に肉の厚さは何ミリですか?って聞かないといけないんでしょうかね。
それはさておき、あわじ花さじきの写真です。妻と次男が写っているので探してみてください。
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2024.1.6sat_tokyo
鳥の声で目が覚めた。ちゅんちゅんちゅん。こんな朝の起き方理想的すぎないかと思うのだが、朝、雀がめっちゃ庭に来る。ちゅんちゅんちゅん。
と言っても今は10時、正月の名残ということで昨日はわざと目覚ましをかけずに寝た。わざとじゃなく1月3日は目覚ましをかけ忘れて、新年最初のイベントには遅刻した。
昨日も朝��ら稼働した担当イベントの後に23時までコワーキングのラウンジでご飯も食べずに仕事した。えらい。帰ってから夜中に能登のニュースをずっと見てしまったので眠い。昨日は好きな人たちとたくさん話したし、地味に疲れて本当に体が動かないので、2度寝する。 11時にむくっと起きる。昨日水につけておいた小豆を炊く。大きい小豆のお汁粉大好き。いつも一応ちゃんと飾るお飾りも鏡餅も、なんだか気持ちが乗らなくてできなかったので、鏡餅用に買った餅を飾らないまま焼く。切り込みも入れたのに、ちくびみたいなお餅が焼けてしまった。おもろいな〜。
来週は甲府にも行くし(楽しみにしてた天然ラジウム増富温泉・不楼閣にいく!)、夜もずっと予定があるので、今日明日はいろんな仕事を終わらせておきたいので頑張る。
15時、また動けなくなって地面に横になる。布団は危険だからだめ。こんな日は結構珍しいのだが、頭が考えることでパンクしてるのも影響してる気がする。無理すぎる。目を瞑る。考えることがたくさんある。GAZAのこと、戦争のこと、能登半島のこと、自分のこと、家族のこと、仕事のこと、近い未来のこと。
こういう時は音楽も、映画も、色々を見るのがキャパオーバーで難しくなる。なので家で作業する時はずっと無音。だけど、写真だけはみたい気がしていて、写美で始まったホンマタカシさんと、 松蔭美術館の牛腸茂雄さんや瀧口修造さんの展示は見逃さずに行きたいとぼんやり思う。
身体は地面に垂直のまま、石川県輪島市の知人である漆工の桐本滉平くんのインスタのストーリーをチェックする。今回の地震で、代々守られてきた、明治時代に工房として建てられた自宅が全壊全焼したと投稿していた。リアルな景色に目を覆いたくなるけれど、ニュースでは得られない、桐本くんのまさに今を切り取っている投稿を見ながら、今できることを考える。といっても寄付くらいしかできないのかもしれない。でも、こうやって遠くでも想うことができること、情報が共有できる時代というのは、本当に希望も多くある。 桐本くんは元旦から今もずっと、輪島の未来や、会ったことのない誰かを救うために、全力で動いていて、避難所のこと、道のこと、今この瞬間のみんなが必要な情報をSNSで発信し続けている。きっと本当に多くの人がこの投稿に助けられている。
私の1/1の16時6分は、埼玉のおばあちゃんちで10数人の親戚一同で集まっている時だった。お寿司を食べて、ビンゴ大会の手前でこの地震が起きた。まずはじめに私の携帯が聞きたくない大きな音で鳴った。その30秒後くらいにみんなの携帯が鳴って、すぐ地震が起きた。自分の携帯にはYahooの災害アプリが入っていて、画面には36秒後に地震が起きますと書いてあった。たった30秒だけれど、みんなの携帯とは30秒の差があったのだった。親の携帯にもアプリを入れなければ。そのままテレビをつけて、地震の情報を流しながらみんなで過ごした。私はXを見ながら地震や津波の情報を集めまくる。石川県には大事な友達たちもいる。途中お母さんが、血圧が高めで眩暈がすると横になりに寝室に行ったが、私は変わらず画面に張り付けになっていて、横にいたいとこの旦那のわたるくんが「ニュースも気になるけど僕は寝室の方が心配だよ」と言ってくれて、まさに…と思って、寝室に様子を見に行った。気持ちを落ち着かせながらその場にはいたけれど、帰る前に寝てた身体を起こして、お母さんから渡された”幸せが訪れますように”と書かれた封筒には3万円とビール券が入っていて、北の国からの泥だらけの1万円札くらい使えねえよ…………………………。とか考えながら、帰宅する電車の中でいろんな気持ちになり小さくバレないように泣いてしまった。
地震のSNSのこと。尊敬する、信頼する人たちからの情報はなるべく信じたい。そうなのだけど、発信をすることについて、映画監督の枝さんが信憑性の話をしていて、シェアができない、というようなことをSNSに綴っていた。良心を騙すような、いろんな詐欺も起きていて、ちゃんと調べてから行動したいと思いつつ、今は瞬発力なのではと思ったり、寒い季節がやってくるよなあと、頭がごちゃごちゃする。寄付について考え��いるとき、わざわざの平田はる香さんが「被災地に感情移入しすぎて普段の生活を失わないように。寄付はできる範囲で継続的に。1万円を一回より千円を10回百円10回でも。長期間にわたって支援しよう」と書いていて、まさにそう、1回で満足しないで、何度でも、と頷いたり。でも、自分の暮らしもちゃんとしなくちゃとか、ぐるぐるする。
ガバッと起きて、下北沢ボーナストラックに向かう。自転車で10分ちょっと。ギャラリースペースではカレンダーマーケットが開催中で、友達や自分がお誘いした出店者さんがいるので、挨拶をしに。到着してすぐにミヤジが良いカレンダーを案内してくれておもろい。ビール飲んで、ゲラゲラしながら、出店中のヤマグチナナコちゃんと、SAITOEさんに阿部龍一ブースの良さを発表して満足する。阿部の作品や思考は本当に素晴らしい。
同施設内にあるキッチンスペースでは、今日は養生家の鈴ことさなえさんと、mizudoriのまみさんが出店していて、場所を管理しているりさPが、紹介したいと言って連れて行ってくれた。以前山梨の0-siteで開催されたイベントで、ちまきとホットワインを購入したことがあって、さらに昨年末にeatrip soilで開催のイベントでも見かけて気づいてくれていたらしく、その話もしつつ嬉しい再開。美味しい白味噌の雑煮と、出汁割り、おこぼれで微発泡の日本酒、出汁もご馳走になる。残り福。身体にあったお出汁や日本酒のことをお話しして、一息つく。ほっとする。今年一緒に何かやりたいな〜とお話する。嬉しい。
続けてラウンジで残って仕事をしようと思ったけど、真っ直ぐ帰宅する。帰り道、怒鳴りながら自転車を漕いでる人がいて、「こわ〜」と思いながら、私が動線を塞いだようになった瞬間に(絶対に悪くない)罵倒されてしまったが、心を無にして道を変えたら、矛先がなくなったからか、さらに大きな声で背中越しにまた罵倒された。さらに無になって大きく深呼吸して、「あの人にもあの人なりの理由があるのだ」とほんの少しだけ思考して、記憶装置から抹消した。毎日いろんな人がいろんなことを抱えて生きてる。
さっきお雑煮食べたので、夕飯は野菜だけのサラダにする。菜の花が美味しいよ〜。そのまま残った仕事をしながら、明日も担当のイベントがあるので早く寝なくちゃとお風呂に入ろうと思ったところ、建築集団 々の野崎将太さんが、インスタライブをしていたので開く。実際に野崎さんは地震が起きてすぐに被災地に向かっていて、現地で簡易トイレを作ったり、生のその日の様子をレポートしつつ、今何をするべきなのかを投稿に残していた。野崎さんとは1回しか会ったことがないけど、仲の良い友人たちが信頼している人で、場作りも含めて作る建築は本当にかっこいいなあと思う。人としても。今回はあやおさんという実際に被災をした方と話す機会を設けていて、報道やSNSで流れていることと、実際に体感したことの違いや、これから起こりえること、今実際に起きていることなどを話していた。現状、今は被災した家に侵入する盗難が多発しているらしく、家を守るために車中泊して見張っている人も多くいるという。被災地が渋滞になるから、ボランティアに来ないでくださいという投稿もよく見るけれど、実際緊急物資などは、一般の人が通れない大きな道を使っているので、現状実際には関係ないこと、スカスカの道もあること、言ってるようにすごく渋滞している道もあること、だけどそれは明日にはわからないこと、被災地には本当に若者���いないことなどを丁寧に話してくれた。これから雪深くなり、外に出れていた人が避難所の中だけで過ごすようになることでのストレスのことなど、本当に今起きていることを話してくれていた。
あと、桐本くんが、地震直後、楽天モバイルだけが使えたことや楽天のキャリアが一番先に避難所に到着して救われたことを書いていて、忘れないようにしようとか。災害メモ作らなきゃとか。色々また巡ってしまい整理する。野崎さんは、阪神淡路大震災の時の経験が、今回の行動にもつながっているというようなことを話していた。身近な友達のアグネスも阪神淡路を経験していて、出かけるときはコンセントを全て抜くと話していた。私は3.11の時も京都に住んでいたので、大きな地震は経験したことがない。
お風呂に入った後に、GAZAのことを発信してくれている波田野州平くんのストーリーもチェックする。自分じゃ拾えない情報を集めてくれて、ずっと発信してくれている。戦争も本当にやだよ。自分にできることも考えるけど、もうちょっと勉強をすることもしなくては。自分は無知すぎる。 (そういえば1/13-19まで下高井戸シネマで2019年作の「ガザ 素顔の日常」という映画が上映される!見なければ)
お正月に起きたいろんなこと、秋から続く悲しい出来事、全部ぜんぶ終わりますように。願うし、動きたいし、できること考えたい。でも、まずは自分が悲しくなって倒れないように、心のケアもしつつ。メディアからも距離をとることをちゃんとして、一人で考えないで、隣の誰かと話すこと。会話して安心すること、みんなが考えてることを知ること。何もできなくてもちゃんと想ってるだけでもいいと思う。あとテンション上がりすぎないように、ちょっと落ち着くこと。余裕が無くならないように、自分のことも考えること。深刻になりすぎないように日常を過ごすこと。この日記も、そういう安心の場になるといいなといつも思う。日常をみんなに綴ってもらえるというかけがえのないこと、を、続けたいです。
元旦から文章にしたくて、自分の番じゃないけど日記を書いてしまいました。こんなことを考えながら、1m以上ある立派な泥ごぼうを夜中に炊き、ホクホクのごぼうができたよ。うまいです。幸せ。明日は楽しみにしてる新年会もあるのです。みんなに会えるの嬉しい。おやすみなさい。
-プロフィール- 鷹取愛 東京 山ト波
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2023年日本陸水学会若手の会を開催しました
2023年10月13日に、日本陸水学会大分大会の自由��会にて若手の会を開催しました。今年度は4年ぶりの対面開催となり、コロナ禍で交流が制限されていた若手の皆様に気軽な交流の場を提供できればと集会を企画しました。
当日は27名と例年以上に多くの方が発表をしてくださり、生物や化学分野にわたる複合分野の陸水学らしく、対象・フィールド・アプローチのいずれも多様な演題が集まりました。心より御礼申し上げます。
当日は聴講参加の方も多くいらしてくださり、30名を超える方にご参加をいただきました。
今回はありがたいことに大変多くの方にご参加いただいたため、自由集会中に議論の時間を十分に設けることができませんでしたが、ほとんどの方が懇親会にもご参加下さり、対面開催を存分に活かした交流をすることができました。
ご参加いただいた皆様のご協力なしには、このような活発な交流を実現することはできませんでした。改めて心より御礼申し上げます。お忙しい中、本当にありがとうございました。
オンライン開催にはオンライン開催の良さがあると思いつつ、やはり対面での交流は楽しいと強く実感した回となりました。
次回の熊本大会でもお会いできますと幸いです。
また、E会では企画運営に携わってくださる方を募集しています。ご興味のある方はぜひお知らせください。
____________________
2023年 日本陸水学会若手の会 実施概要
日時:2023年10月13日 16:00 ~ 18:00
会場:ホルトホール大分
参加者所属:東北大学、横浜国立大学、富山県立大学、Kyung Hee University、奈良女子大学、滋賀県立大学、海洋研究開発機構、東京大学、神戸大学、兵庫県立大学・姫路科学館、信州大学 ほか(敬称略)
プログラム:
16:00 ~ 16:02 鈴木 碩通(東北大) 趣旨説明・案内
16:03 ~ 16:06 鈴木 碩通(東北大) 水中のハイエナ? 行動実験で分かったケンミジンコ類の新たな餌利用様式
16:07 ~ 16:10 伊藤 青葉(東北大) 環境DNAを用いた魚類分布推定法の開発
16:11 ~ 16:14 笠原 剛樹(東北大) 植物プランクトン群集を対象とした動的結合ネットワークのアグリゲーション
16:15 ~ 16:18 中西 博亮(横浜国大) 色づいた雪に棲む特殊な微生物たち
16:19 ~ 16:22 仲才 香鈴(横浜国大) ダム湖におけるコットンストリップを用いた有機物分解能の測定
16:23 ~ 16:26 Duangmany Phongsa(横浜国大) The Role of Fungi on Decomposition of Large Algae
16:27 ~ 16:30 高階 眞丈(横浜国大) 青森県八甲田山における彩雪現象:緑雪や赤雪の色の違いは何の違い?
16:31 ~ 16:34 田中 駿(横浜国大) 湖面カメラを用いた高頻度モニタリング手法の検討〜花粉編〜
16:35 ~ 16:38 高江洌 鈴奈(横浜国大) 淡水湖の琵琶湖にいる海浜性のトビムシの起源を探る。
16:39 ~ 16:42 米山 貴将(富山県大) 餌環境によるカブトミジンコの生活史特性とろ過スクリーン面積への影響
16:43 ~ 16:46 Hye-Ji Oh(Kyung Hee Univ.) How to use zooplankton quantitative information more effectively in lentic ecosystem surveys and assessments
16:47 ~ 16:50 Yerim Choi(Kyung Hee Univ.) Ecological role of artificial water channel in fish diversity and food web structure
16:51 ~ 16:54 Dae-Hee Lee(Kyung Hee Univ.) Monitoring of isotope trophic level of redlip mullet(Planiliza haematocheilus)
16:55 ~ 16:58 Geun-Hyeok Hong(Kyung Hee Univ.) The effect of tributary species composition on mainstream fish biodiversity
16:59 ~ 17:02 原 直子(奈良女子大) ダム下流域で働く濾過食者の仕事
17:03 ~ 17:06 中村 萌(奈良女子大) 伝統的河川工法が創った一時的水域に棲んでいる底生動物
17:07 ~ 17:10 藤田 安優(奈良女子大) コサナエTrigomphus melampus種特異的プライマーの開発と生息地調査への適用
17:11 ~ 17:14 宇留賀 千佳(奈良女子大)伝統的河川工法聖牛によって生じた一時的水域に生息するプランクトン群集
17:15 ~ 17:18 Deb Soumya(滋賀県大) Algae: A form of blessings to mankind
17:19 ~ 17:22 Amare Mezgebu Alamrew(滋賀県大) Food quality of Arthrospira for Daphnia magna
17:23 ~ 17:26 ツジ ジャクソン(海洋研究開発機構) Studying Canadian lakes as a gateway to inter-disciplinary and inter-cultural science!
17:27 ~ 17:30 板倉 拓人(東京大) トビケラが纏う装飾の機能
17:31 ~ 17:34 山崎 駿(東京大) ナベブタムシの空間分布を左右する生息地の連結性
17:35 ~ 17:38 國政 祐太(神戸大) 河川横断構造物とニホンウナギ
17:39 ~ 17:42 宮下 直也(兵庫県大・姫路科学館) 播磨地域のため池における溶存二酸化炭素・溶存無機炭素観測
17:43 ~ 17:46 竹中 將起(信州大) 分子マーカーを用いた河川昆虫の研究
17:47 ~ 17:50 大川 晴菜(奈良女子大) 河床間隙水域と環境DNA
17:51 ~ 17:54 大竹 裕里恵(東北大) 画像解析による動物プランクトンの自動種判別:システム構築中に出会う多様なプランクトン
18:45 ~ 20:45 懇親会
日本陸水学会若手の会企画者
鈴木碩学 中西博亮 大竹裕里恵
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あの世あるならまだ間に合う淡路島お土産日本から世界平和へ。
緊急2024今世の幸せ司る良いことあるよう4月8日お釈迦様の誕生日お祝い必ず手にしたい甘茶のお香
厄除開運あまちゃ香(お香•お線香)
4月8日はお釈迦様の誕生日です。
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この香りは、心を清め、邪気を払い、幸運を招くと信じられています。世界平和への祈りと共に、この香りを焚くことで、心が静まり、調和と平和をもたらすことを願います。
淡路梅薫堂の甘茶香は、神仏の好物である甘茶を原料としたお香です。甘茶は、お釈迦様の誕生を祝う花祭りの際に用いられるお茶で、甘く優しい香りが特徴です。
甘茶香は、その香りによって神仏の加護を招き、願いを叶えてくれるとされています。また、厄除けや魔除けの効果があるとも考えられており、厄年の方や、災難や不運から身を守りたい方におすすめです。
淡路梅薫堂は、兵庫県淡路市に本社を置く老舗のお香メーカーです。創業は1905年で、120年以上の歴史があります。淡路梅薫堂の甘茶香は、伝統的な製法で作られており、高品質な香りが特徴です。
世界平和を祈願して、淡路梅薫堂の甘茶香を焚いてみませんか?
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淡路梅薫堂
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0799-86-0065
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- 世界平和への願いを伝えるために、世界中の人々が参加できる世界同時祈願キャンペーンを開催する。甘茶香を焚くだけでなく、様々な地域や宗教の人々が自分たちの祈りを共有し、世界平和を願うことができる。- 甘茶香を焚くという伝統的な行為を通じて、世界中の人々に平和の意味と重要性を伝える記事を執筆する。甘茶香がもたらす心の安らぎや癒しを通じて、平和を願うことの大切さを伝えることが目的。- 甘茶香を焚くだけでなく、甘茶香の素晴らしい香りを楽しむことを提案する記事を執筆する。世界平和への一歩として、自分自身の心に平和をもたらし、甘茶香の香りに癒されることで、周囲の人々にも平和を広めることができる。- 甘茶香を焚くことで天界と地上を繋ぐという信仰や伝説を調査し、記事としてまとめる。甘茶香の起源や歴史、さまざまな文化における甘茶香の役割に焦点を当て、読者に新たな視点を提供することが目的。- 甘茶香を焚くことで集中力や心の平穏を得る方法を紹介する記事を執筆する。甘茶香がもたらすリラックス効果や瞑想における利点について詳しく解説し、読者が自身の生活に取り入れることでより心地よい日常を送れるようにすることが目的。
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。 『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。 『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。 同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。 (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。 (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。 宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。 騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)���臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。 こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。 ���(10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。 私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。 (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。 (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。 武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。 「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。 (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。 こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。 世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。 (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。 (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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