#森本ケンタ
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『仮面ライダーBLACK SUN “THE BLACK BOOK”』発売決定
『仮面ライダーBLACK SUN』集大成とも言える大型の“漆黒の書”解禁!
2022年10月よりPrime Videoにて配信中の『仮面ライダーBLACK SUN』。 今秋で配信1周年を迎えるにあたり、本作の集大成となる大型のビジュアルブックが2023年11月8日(水)に発売決定!
未公開多数の撮り下ろしの怪人ビジュアル集をはじめ、じっくりと読み進めたい解説・考察ページやスタッフ座談会まで大ボリュームで収録。仮面ライダーBLACK SUNのネーミングにならいオールブラックに仕上げた表紙も、まさに“漆黒の書”と呼べる佇まいだ。
さながらアートブックのような見栄えと、その濃密な内容で、周年タイミングを記念する保存版として所有したくなる1冊が誕生。
撮り下ろしの怪人ビジュアル集、キャラクター解説、ストーリー解説を大掲載。また、物語&怪人の謎を考察! 白石和彌監督をはじめとする制作スタッフ4人の豪華座談会も収録している。
仮面ライダーBLACK SUN、仮面ライダーSHADOWMOONを始め、ブラックサン、シャドームーン、カマキリ怪人、ビルゲニア、三神官、アネモネ怪人、コオロギ怪人など、グラフィカルな特写を100ページ以上に渡り掲載。不気味かつ艶やかな怪人たちの饗宴を見逃すことはできない。 また、南光太郎(西島秀俊)と秋月信彦(中村倫也)の未公開特写の他、30人以上のキャラクター解説、全10話のストーリープレイバックも掲載。詳細な解説により、世界観を補完できる。 さらに、物語が残した数々の謎や、怪人の誕生から彼らが人間社会に溶け込むまでの経緯に迫る考察も掲載。読後は、再び最初から作品を観たくなることだろう。 巻末には、白石和彌氏(監督)、高橋泉氏(脚本)、白倉伸一郎氏(エグゼクティブ・プロデューサー)、古谷大輔氏(企画プロデュース)による座談会を収録。初めて明かされる制作秘話が満載! 迫力のB4変形サイズの紙面と、180度フルフラットに開くことができるコデックス装仕上げでじっくりと没入できる1冊! ※コデックス装とは、本文を糸でかがり背を糊で固めて仕上げる背表紙のない製本方法です。そのため、固めた糊が本文紙面に浸透する場合がございます。製本上の特性として、予めご了承ください。
【商品概要】 品名:仮面ライダーBLACK SUN “THE BLACK BOOK” 価格:8,800円(税込) 発売日:2023年11月8日 仕様:B4変形判(縦330mm×横250mm)/156Pオールカラー 発売元:株式会社ADKエモーションズ(株式会社ADKホールディングス グループ会社) 予約取扱い店舗等の詳細は作品公式サイトをご覧ください。 『仮面ライダーBLACK SUN』 作品概要 【ストーリー】 時は2022年。国が人間と怪人の共存を掲げてから半世紀を経た、混沌の時代。差別の撤廃を訴える若き人権活動家・和泉 葵(平澤宏々路)は一人の男と出会う。南光太郎(西島秀俊)── 彼こそは次期創世王の候補、「ブラックサン」と呼ばれる存在であった。50年の歴史に隠された創世王と怪人の真実。そして、幽閉されしもう一人の創世王候補──シャドームーン=秋月信彦(中村倫也)。 彼らの出会いと再会は、やがて大きなうねりとなって人々を飲み込んでいく。 【キャスト】 西島秀俊 中村倫也 三浦貴大 平澤宏々路 黒田大輔 芋生 悠 プリティ太田 今野浩喜 /尾美としのり ルー大柴/中村 蒼 濱田 岳 音尾琢真 吉田 羊 中村梅雀 【スタッフ】 原作:石ノ森章太郎 監督:白石和彌 脚本:高橋 泉 音楽:松隈ケンタ 美術監督:今村 力 コンセプトビジュアル:樋口真嗣 特撮監督:田口清隆 造型:藤原カクセイ キャラクターデザイン:小林大祐 制作プロダクション:角川大映スタジオ 製作:東映株式会社「仮面ライダーBLACK SUN」PROJECT 【配信期間】2022年10月28日よりPrime Videoにて全10話を世界独占配信中 【公式サイト】https://www.kamen-rider-official.com/blacksun/ 【公式Twitter】「仮面ライダーBLACK SUN」official ©︎ 石森プロ・東映 ©︎ 「仮面ライダーBLACK SUN」PROJECT
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本日12月15日21:30〜 RCCラジオ【森本ケンタのハッピータイムRADIO♪】 に出演させていただきます。 ひさびさに森本ケンタくんと我龍の絡み。是非是非たのしみにしていてください^_^ http://radio.rcc.jp 我龍新曲も公開させていただきます! #太鼓 #広島 #広島県 #ドラム #我龍 #garyu #森本ケンタ #フラメンコギター #kentagaryu #森本ケンタ我龍 #rccラジオ #rcc #中国放送 #森本ケンタのハッピータイムradio https://www.instagram.com/p/B6FiQdNJE3f/?igshid=13is3qq2cofyh
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ライブが続いてました。てつやです。
まずは、9.8@町田まほろ座。「トウキョウとフクシマ」
てつやバンドでライブでした。 ゼロゼロゼットとヤモーンズとのスリーマン。 大盛況。
お越しいただいた皆さん、ほんとうにありがとう。
一年半ぶりのバンドライブは、もうなんていうか、あー俺は根っからのバンドマンなんだな、と思いました。
最高の瞬間だった。
ゼロゼロゼットも、ヤモーンズも素晴らしいライブをしてくれて、燃えましたね。
10/14には、福島市のC-moonにて、同じメンツでバンドライブします。
「トウキョウとフクシマ」がこの日で完走になります。
ありがたいことに、この福島編に全国各地からチケットを取ってくれて、ほんとうに嬉しい。
このイベントでは、東京と福島のお互いの”想い会い”をテーマにしています。
先日の東京編では、福島のバンド、ゼロゼロゼットを迎え、ぼくは福島を想いながら歌いました。
次回の福島編では、東京を想いながら歌いたいと思います。
とはいえ、ライブはただただ来てくれた皆さんが思い思いに楽しんでもらえればうれしいです。
そして福島県外からお越しの方は、時間が許すならば、ぜひその目で福島のうつくしい景色をみて、美味しものでも食べてもらいたいな。
ぼくらは最高の音楽をお届けします!! 今のてつやバンド、手前味噌で申し訳ないが、ほんとうに雰囲気もよく、それがそのまま音楽に表れている感じがする。
メンバーひとりひとりにも感謝の気持ちでいっぱいです。
9/10@入間SOSOにて、フォークシンカーズのファミリースタジアムに呼んでいただきました。
お越しいただいた皆さん、ありがとう。
この日は、6月のワンマン以来のてつケンにて。
野球のイメージで場内アナウンスあり、表裏の先攻後攻の攻防という内容であったのに、てつケンはサッカーのユニフォームで挑みました。
ナナメの男のシャレのつもりで少し調子に乗りすぎました。
わかってくれて喜んでくれたのは、菅原くんだけでした。笑
ナナメで頑固というわたくしは、過去のイベントで変わった衣装などの注文があっても頑なに拒否してきたのだけど、なんだかこの日はがんばってみたのでした。自分も少しは柔らかくなってきたのかな。だとうれしいな。
セッションでは、EGくんからの無茶ぶりでモノマネ対決に発展し、たいそう笑いましたね。 ああいう遊び心満載の菅原くんのセンスには、いつも感心させられる。
フォークシンカーズのハーモニーも素晴らしかった。
てつケンの今後の参考になるなぁ。 いろいろと試していきたいですね。
お客さんも楽しんでもらえたようで、帰りのみんなのキラキラした笑顔が印象的でした。
またいつか、フォークシンカーズと対戦できる日を楽しみにしてます!!
9/11@福島・郡山市立白岩小学校 ラブフォーニッポンの月命日ロードにて。
キャンドルナイトで唄わせていただきました。
この日はそれぞれのワークショップも大盛況で、体育館でたくさんの方々と交流できました。
先日共演したばかりのゼロゼロゼットのエリカちゃん、いつもおなじみの谷本賢一郎さんと私でのライブでしたが、その前に中学生の鼓笛隊の演奏と、小学生の合唱がありました。
この小中学生のステージがとても感動的で、自然と涙があふれてきました。
技術どうこうではなくて、伝えたい気持ち、純粋に音楽を楽しむ姿勢に胸うたれた。
おじさんは、それをみて背筋がのびました。
福島の子供たちは、たくましく育っていますね。
まだまだ色んな問題と闘ってはいるけど、やさしく強い福島のみんな。
たくさんの勇気をもらいました。
聴いてくれた皆さん、関わってくれた皆さん、ほんとうにありがとう。
さて、今月はもうライブはないのだけど、色んな準備に追われています。
バンドライブも再開して、10月以降もすでに2本決まっているし、まだまだ増やしていこうと思います。
さらに嬉しいお知らせも来週にはできるかな。 色んなことの進行状況にもよるけど、時期がきたらお知らせします。
10月は久しぶりに大阪にも行くし、福島、宮城にも行きます。
発表が遅れてましたが、ようやく���トショウにも出演してくれる方が見つかったので、10/22にオトショウも久々にやります。
11月以降もぼちぼち決まってるものもあるので、詳細がでたら随時発表していきますね。
そろそろ次のフルアルバムのことも考えないとな。
一番いいかたちでみんなに届けられたらいいなと思ってます。
楽しみに待っててくれたら嬉しいです。
では、また。
#高橋てつや#杉浦琢雄#なかむらしょーこ#加藤ケンタ#森芳樹#ゼロゼロゼット#ヤモーンズ#lovefornippon#フォークシンカーズ#菅原龍平#EG#入間SOSO#町田まほろ座#福島#郡山#月命日#谷本賢一郎
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RDR2:76:次第に(メインからの)逃げ道がなくなってゆく
メインシナリオ……放置していったい何ヶ月たつのだろうか……。 それでもやっぱりまだふらふらとサブクエやったり馬育てつつ放浪したりの日々。
道端で見かけた鞍つきのテネシー。いったいなんでこんなところに……。主は……。連れて行って売ることで、新しい主に巡りあわせるということもできるけれど、馬屋がいっぱいだと、いちいち乗ったり下りたりが面倒でねぇ。馬商のところはちと遠いし。 仕方ない、自分でどこか人里に行くんだぞ(´・ω・`)
という通常運転中、ブッチャーズクリークにイベントが発生してることに気付きました。 そういや以前に怪我してる人連れて行ったけど、あれからスタートするシリーズものだったのか。 なんかよー分かりませんけど、悪霊だとかなんだとか……とにかくなにかに襲われているようです。 なんじゃらほいと首を突っ込んでみれば、……野犬?? アーサーの見たところ、野犬でなければ病犬、狂犬の群れっぽいですな。 イマドキだとどう言われるのか分かりませんけど、この時代、狂犬はあっさり撃ち殺すでしょうなぁ。それが慈悲だとかなんだとかじゃなく。人間だっていつなにがあって死ぬかも分からない、病気や事故にしたって今よりも危険な時代。そんな人間に、過度の動物愛護なんて余裕はありゃしなかったでしょう。ペットや家畜なら、愛情注いだろうけどさ。
うむ、どうやら少し離れたところで襲われてる村人がいるらしい。まあ犬くらいならね。今更さくさくと。 そしてすべて片付けて戻ってみると、
なんだか集まってきてる人たち。
そしてそこに現れた男。
インディアンのシャ��マンっぽい……少なくとも白人の顔じゃないんだけど、なんか変な人来た(´・ω・`) 呪いのせいだ、と言いはりますな。アーサーさんは「ただの狂犬だ」と。 ただの狂犬にしたって、あんなにまとまって現れるのは異様な気がしますが……。 迷信深い村人たちが信じるのは、胡散臭いシャーマンのほう。 森に呪いのチャームがあるとやらで、それを壊しに行くことになりました。 で、森に向かって4つくらい壊したところで、突然、名誉値を理由に続行不可能に。確かにちょっと前に、拉致られて連れ去られそうなご婦人助けた後、ついうっかり荷台にあった見知らぬ人の懐探って名誉値ちょっと落ちたけど……なんで突然(´・ω・`) それとも、夜が明けたから?? よく分かりませんが、だったらいいやーと、出現していたハミッシュのほうへ行くことにしました。 ハミーシュ!! 狩りに行くって言ってただろー!!(´ω`*)
狼を狩りに行くそうですが、夜を待たないといけないということで、それまでおしゃべりでもしてようということに。自分の人生について語っちゃったり、なかなか打ち解けた感じ。
実際にはほんの数回共に行動してるだけなのですが、そこはほれ、イベントが発生していない間にも顔を見せてたとか、脳内補完で。
そして日暮れ時、大きな���が姿を見せました。これも現代の感覚だと、狩るのが勿体無いというか、そんな立派な狼ならと手を出さないでギリギリまで譲歩しそうなものですが……。
追跡。かなり賢い雌狼のようです。
追っていたつもりが、誘い込まれ。ハミーシュ!! 助けろ―――っ:((((; ๐皿๐)))):
長く生きた狼が、高い知能で群れを率いて狩りをする。よく取り上げられる題材です。 こんな立派な狼、ほんと、そのまま活かしておきたい人情だけど、この時代の人たちの感性だと、違うんだろうなぁ。
そしてハミッシュとはこれでお別れ(´・ω・`) ミッションはもう一つ続くのだけど、それをやっちゃうと、ね(´・ω・`)
さーて、次はなにすっかなぁ……。
んー、とりあえずベリーデンヌを馴らしつつ考えよう。
とかやってたら親密度4……。むぅ( ತಎತ) 純軍馬とはいえトルコマンよりビビらないかっていうとそんな感じもなく、体がデカくて重いせいか、坂道になるとすぐブルブル鳴き出す、そんな印象のデンヌ。 そうだ、次はアパルーサにしよう。ブランケットで既に親密度MAXは達成してるけどな。
というわけで探しに来たのですが……青毛ケンタだなぁ。 いないなぁ、とハノーバーあたりからどんどん西へ。
狼の毛皮積んだままだけど、まあ、狼の最良は十分以上の数卸してるしなぁ。金にも困ってないから、なくなっても惜しくないっていう気楽さ。
このへんは景色が綺麗で良い(´ω`*)
ラベンダー?畑。アパルーサを掴まえれば、帰途の馬屋でデンヌとはお別れなのでね。ゆっくりと旅を堪能します。
いた……やっといた!! 結局見つけたの、マップの西の端!! よしよし、俺がほしいのはレオパプランケットだ。
好きかどうかは別として、面白い毛色だなぁ。アーサーの立ち位置が丁度模様の変わり目なのもあって、首だけ別の馬のがついてるみたいに見えるw
無事に手に入れたのでストロベリーの馬屋に来たら、犬? しかし……いや、町から出てしまった、って、そもそもここで声をかけられたのであって……(´・ω・`) これってイベントのマークもなにも出ないのかな? それとも、変な場所で発生したせいで、一度キャンセルしたことになった? まあいいや(´・ω・`)
ホテルで一泊して、翌朝。 ついでに「カウボーイ」っぽい格好に着替えてみました。 ついったーでフォロワさんがRTしてた、『アメリカがまだ貧しかったころ』という本を買いまして。そこからの流れで、『図解フロンティア』という本も買いまして。それに書かれていた、これよりちょっと前の時代のカウボーイたちの定番の装い、というのを真似してみたくなったのです。
チェッ��柄のシャツにカウボーイハット……カウボーイハット(正式には別の名前)はないし、チェックのシャツは地味な灰色みたいなのしかない……(´・ω・`) というわけでストライプで妥協。チャップスも履いてるよ(๑•̀ㅂ•́)و✧
このへんにいるのはケンタか……。 馬の居場所はネットとかアプリの情報で見てますけど、自分で見つけたものはスクショで保管してます。できればね、自分で見つけた場所へ行って捕まえたいから。 そうこうしてるうちに、ブッチャーズクリークの続きもなんかできるようになってるっぽいし。 そんじゃあ東部へ引き返すとしようかな。で、それが終わると……犬探しみたいなこまかいサブクエはいろいろまだあるだろうけど、大きなものは一通り潰してしまったような気が。 いい加減、メインを進めてクリアせねばなるまいか……。
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森本ケンタ「trigger」 https://youtu.be/0KbwkTTHOs8
出演 : 石川瑠華 照明 : 萩原賢一郎 和装 : 田口彩華 撮影 : 西村乙羽、吉田ハレラマ
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色々は後で決まっていくはず!?です♡ ぽーっんと、日程だけ決めました! あと、バンドでにゃんと!本家マルクト主催者でもありますケンタさんが来てくれるのだー。 密を避けて森へ。 みんな空けといて〜♡ #勝手にマルクト (Parlour De Jujumo) https://www.instagram.com/p/CIX3UnCjv45/?igshid=az1b178gwin8
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かわいい笑顔に、パワフルな情熱! 金子 優さん
ダンサー(LOO+ 代表)
高速長田駅から北へ、川沿いを長田神社に向かって歩いていくと、3階建てのおしゃれなビルがあります。1階がカフェ&バー、イベントスペース、中二階がネイルサロン、2階がスタジオ、3階が事務所になっているLOO+(ループラス)代表の金子 優さんにお話を聞きました。(2020年2月29日にインタビュー)
今回はLOO+の1階で、ビールとおすすめメニューをいただきながらのインタビュー。外出先の京都から駆けつけてくれた優さんの、内からにじみ出る明るさと元気さで、パッと場が明るくなった気がしました。スタッフの皆さんも明るく楽しそうで、こちらも元気がもらえた時間になりました。
小さい頃はどんな子供でしたか。
長田うまれの長田育ちです。保育園から小中高とずっと長田区内です。正直、今が盛りだくさんですごすぎて、昔の記憶が…(笑)ずっと遊んでて、ずっと外に行ってた気がします。活発で、絵を描いたら枠から飛び出してました。一人っ子なんですが、自分を見て見て見てー!って感じの子でした。漫画やゲームも大好きで、没頭し出すと止まらなくて、どうぶつの森に登場するニワトリのキャラクター「ケンタくん」に恋心を抱いたり。少し…いやだいぶ変わってましたね(笑)
いつからダンスを始めましたか。
中学1年生の時に友達がダンスを習っていて、ハーバーランドのモザイクでイベントに出るからと誘われて観に行ったんです。その時に、さっきまで隣にいた友達がステージに上がったら別の世界に行ったみたいにすごくキラキラ輝いて見えて。私もその世界に行きたい!と思ったのがきっかけです。そのショーで踊っていたダンスがHipHopだったんですが、私もそこからずっとHipHopを踊っています。 負けず嫌いの性格上、初めてダンスを習う場所は友達と同じところではなく、別のところで始めて、一緒に踊るときには絶対うまくなってから…と思い、県立文化体育館で始めました。習い始めた瞬間から、私は将来これで生活がしたい!って直感で思ったんですが、運動神経も悪いし全然踊れなくて。おさるさんみたいなガニ股だし、自分が踊れてると思っても姿見見たら全然違って、悔しくて。学校から家に帰ってきたら、体操服に着替えて、家の前に姿見を出して、CDデッキ出して、毎日7時間くらい躍っていました。パカパカケータイで動画撮ってコマ送りで見て研究したり。ハマってたとか、楽しいとかより、悔しい方が大きくて、結構泣いてました。こんなのでダンスで生きていくって言ったら鼻で笑われるなと思ってて。 ダンスを始めるまでは友達とずっと遊んでいましたが、ダンスを始めてから時間きっちりに家に帰ってすぐ練習してました。それを、友達が見ててくれて応援してくれたりして。今のLOO+のスタッフも、中学の時に出会ったメンバーが多いです。生徒たちも働いてくれてます。
中学卒業後、どのような道を歩まれたのですか。
ダンスはずっと同じ先生がレッスンを開講しているところを大好きすぎてハシゴして習っていて、その先生のアシスタントにならせて頂いて、教えることを学ばせて頂いていました。本当にありたがたい貴重な日々でした。私のダンス人生の基盤を作ってくれました。中学を出て海外に行きたいと思っていたんですが、教えることを考えたら高校は出ておいた方がいいよと言われたので高校には行きました。家庭科があり、料理を毎週8時間習いながら作れる女子校でした。高校生の時、夏休みの1か月間、アメリカのロサンゼルスにダンス留学しました。長田神社で踊った動画が評価されてオーディションに受かって行ったのですが、英語は全然しゃべれないし、寮にいてもご飯に誘われなかったり。サトウのご飯を泣きながら食べ、絶対見返したんねんと思って頑張りました。全部、悔しいがつながってるんですよね。
卒業後、幼稚園のダンス講師の話があったんですが、自分がダンサーとして納得行くまで夢を追い続けた後に教えたいなという気持ちもあって、一度断ったのです。海外や東京で挑戦したい!ってなったときに毎週習ってくださる生徒たちに迷惑をかけたくなくて、生徒たちは出会った先生でいい意味でも悪い意味でも変わっていくと思ってるので、そこすごく重要じゃないですか!教える立場になる以上、生徒たちと真剣に向き合う責任があると思い、この判断をしました。でも、私のおばあちゃんが昔幼稚園の給食を作る仕事で働いてたこともあり、相談すると「幼稚園で働くのは、すごく良い経験になるから」と言葉を頂き、そして幼稚園の理事長が「子供たちに夢を追ってる姿を僕は見せていきたいから、あなたの夢を応援するし、あなたはそのままでいいよ!」と言われ、夢を追いながら教えることは決して悪いことではないんだ、むしろその背中を見せていくことが私にできることなんだと、背中を押されました。私にやらせてくださいと気づいたら言ってましたね。ここから講師としての人生がスタートしました。
週1日だけを教える日と決め、月4回で1ヶ月分稼いで、後は自由に動けるようにしようと、火曜だけ1日12本レッスン入れてました。そして、メディアのお仕事は東京って言うけどホンマかな?という気持ちもあり、思い立ったらすぐ確かめに行動するタイプなので、東京にシェアハウスを借りて、つながりを作るためにレッスンがない日は週に5、6日間は東京で生活してました。ダンスを教えるのは地元長田って決めていたので、週に1回、長田に帰ってきてレッスンして。20歳までに自分の車を買えるぐらいまで稼ぐ、それができんかったらあかん!と決めてがむしゃらにやってましたね。無事、スズキのエブリィを買えました。本当に涙出るほどうれしかったのを覚えています。覚悟決めてやれば出来るんだと。すごく自信にもなりました。そしてまた性格上、人と同じなのが嫌だったのでアメ車風に全カスタムして、これで全国の学校を回ってダンスワークショップをやろうとまた新たな目標を決めた途端、活動が更に加速し広がっていきました。今では高校や大学、老人ホームまでたくさんダンスの授業にいかせて頂いています。
どんな恋をしてきましたか。
初カレは小学生の時で、マフラー編んで渡したり、ハーバーランドの観覧車に行ったりダブルデートしてプリクラ撮ったりしていました。中学の時は制服デートとかもしましたよ!(笑)修学旅行では班の友達に後押ししてもらい、彼氏と先生に内緒でこっそり自由行動を楽しんだり。付き合ったら長いんですよ。高校の時にはダンスで知り合った7歳上の人と付き合ってたんですが、最初は好きな人がいてもいいからって言われて。付き合ってて好きになっていった感じでしたね。今までの彼氏は、わがままな自分を優しく受け入れてくれる方が多くて。別れてからも良い友達関係になれるので、今でもお店に来てくれたり、ここでお互いばったり鉢合わせたりもします(笑) ここのところ仕事ばっかりだったので、プライベートもしっかりせねばと思っていて…女子力磨き中です(笑)すぐ友達になっちゃったり、恋心が叶わない人にときめいたりしちゃうんです。 そろそろ人生のパートナーというものにしっかり向き合って関係を築いていきたいですね。25歳ですし。共に喜び合えて、高め合え、道を一緒に切り開いていけるパートナー。まず自分磨き頑張ります!!
LOO+オープンのきっかけは何ですか。
高校を出てから3年くらい、2か月に1回 UWAYA PARTY(ウワヤパーティー)というオールジャンルのイベントを仲間と共にやってたんです。パフォーマンスがよかったらお客様にお気持ちを入れてもらうっていう投げ銭制のイベントでした。上屋劇場のオーナーから声かけて頂き会場を無料で貸してくれて、ブッキングから全部やってました。毎回300〜400人ぐらい来場者が来てくださってました。神戸で一番有名なイベントにするって意気込んでましたね。その時に、せっかく素晴らしいアーティストの皆様がいて、そのパフォーマンスに人生が変わるくらい刺激を受けてくださるお客様がいるのにイベントが1日限りで終わってしまうのってもったいないな、学べる場所とショーの出来る場所が一緒にあったらいいなと思ったのがきっかけです。
お母さんから場所は賃貸じゃなく買った方が今後自分の財産と信用になると言われていて、3年前くらいからずっと土地探しをしていたときに、今の場所に出会いました。元は米屋の精米所だった場所で、川沿いで神社の参道になってて雰囲気がよく良い空気が流れてて、調べると賃貸物件だったので諦めてたところ不動産の方から電話がかかってきて売りになったよと。正直驚きました。直感でここだ!と言われてると感じましたね。すぐさま銀行にローンの手続きを進めたり、助成金を調べたり、資金がないだけに必死で動きました。絶対逃したくなかったので。ちょうどその時、東京で黄帝心仙人さん、鈴木おさむさん脚本の舞台出演が決まったところだったんですが、このチャンスをしっかりやりきって東京と長田の架け橋を作ると心に決めてやりきりました。約2か月、海外のダンサーも含めて5人でずっと泊まり込みで毎日稽古してました。
建物を買って1年2か月でオープンしたのですが、たくさんの仲間たちが応援に駆けつけてくれ、力を貸してくだって、ペンキなどほぼ自分たちで塗ったり、一つ一つDIYして作りました。壁一つにしてもここは誰々さんが塗ってくれたとか、こんな話しながら作ったなとか、何もない白の壁ですが、大切な思い出がたくさん詰まってます。 スタジオとイベントスペースは、こののどかな長田の町の騒音被害になる。それだけは絶対に避けたいと決めてたので、プロの防音工事の方に依頼をしたのですが高かったですね…!でもこれは町を守るために必要なので、大切な投資だと想っています。神戸市も若手女性起業家として私の企画書とスピーチを認めて頂き、工事に少しでも充てれる資金が頂けたことに感謝しています。 震災の年に生まれて本当に大変な苦労の数々をお母さんが必死になって守ってくれて乗り越え、ありがたいことにここまで生きてこれてるので、自分は長田でやるべきと直感的に感じてるんですよね。ここでやらなあかんと言われている気がしています。
LOO+をどうしていきたいですか。
イベントをもっとやりたいです。そのために、最初に1階のステージの上に置いていたカフェの机が重たくて動かしづらかったので、一度購入したものを全部買い替え��した。フェイスブックで呼びかけたところ、知り合いの熱い想いを持ってくださってる方々が応援するよ!と快く購入して頂いて、そのお陰で新しい机をほぼその購入して頂いた資金から買えて。本当にありがたいです。私は本当に周りの方々に支えて頂いて、今があります。 あと、在籍して頂いてる講師の皆様が日本、アジアチャンピオン、映画や有名アーティストのバックダンサーやPV出演の実績もありながら、人間的にもすごく魅了のある方々ばかりなのでもっともっと講師の方々の魅了を伝えていき、新しい生徒様との出会いを増やしていきたいです。ビートボックスやヨガ、さまざまな種類のダンス。オールジャンルの講師がいてくださってるので今までにないショーや作品作りもしたいなぁ。 私個人の活動は舞台の出演、CMの振付や作品作りなどやってるんですが、今は自分のこと以上に、生徒たちの成長の方が気になります。ここなら「なりたい自分になれる!」と感じてほしい。場所のこと、みんなのことを考えて、頭がぷしゅーってなります(笑)仕事につなげれる、道を見つけれるキッカケが作れるように、どうやったらみんながワクワクするかなって考えて、私もっと動かな!と思うんですが、自分以外のことをこんなにも思えるということにびっくりしています。
長田の好きなところ、嫌いなところはどこですか。
お気に入りの場所は長田神社ですね。毎日通ってましたし、長田神社で踊った映像でロサンゼルスのオーディションも受かったので、自分の人生を大きく変えてくれたきっかけの場所でもあります。 嫌いなところは、汚いところです。高速長田は駅前が汚くて、朝ゴミだらけで。いい意味じゃないたまり場になっていて、長田に初めて来られる方の一発目の印象が悪くなるのが悲しいです。実際は住みやすいし、人情味が溢れてて、怖くないのに。
長田をどんな風にしていきたいですか。
子どもたちがのびのび自分を表現できる長田にしたいです。勉強でも絵でもいいのですが、私が出来ることはダンス、そ��てエンターテイメントの可能性を広げていくことなので、そこを本気でやっていきたい。もっともっと長田で子どもたちが出演できる場所や機会を作って、子どもたちと一緒にパフォーマンスしながら成長していきたいです。そして、大人になったら長田から離れ違うところに行く選択肢だけでなく、長田に住みながらでも、パフォーマンスできて、仕事もできて、自分磨きができて、エンターテイメントと共に生活できるそんな場所になってほしい。 その1つの学ぶ場、繋がる場がここLOO+(ループラス)になったらいいなと思っています。
金子 優さんに会うためにはここへ
LOO+(ループラス) 兵庫県神戸市長田区長田町1丁目4-16
TEL:078-646-2206
https://loo-plus.com/
インタビュー会場も、LOO+1階のカフェ&バーでした!
#長田#LOO+#高速長田#長田神社#カフェ&バー#イベントスペース#ネイルサロン#スタジオ#どうぶつの森#ダンス#HipHop#ロサンゼルス#ダンサー#ダンス講師#シェアハウス#エブリィ#UWAYA PARTY#上屋劇場#黄帝心仙人#鈴木おさむ#DIY#ビートボックス#ヨガ#エンターテイメント#パフォーマンス
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すいた車両で女性に密着 容疑の男逮捕 乗務員が機転、電車のドア開けず閉じ込め 福岡(毎日新聞)
すいた車両で女性に密着 容疑の男逮捕 乗務員が機転、電車のドア開けず閉じ込め 福岡
3/31(火) 12:01配信
福岡県警本部=森園道子撮影
西鉄の車両内で密着���て座るなど女性(23)につきまとったとして、福岡県警春日署は31日、福岡市博多区の会社員、山本光治容疑者(42)を県迷惑行為防止条例違反(つきまとい行為など)容疑で逮捕した。異変に気づいた乗務員と駅員が停車駅で機転を利かせて車両のドアを開けず、容疑者を8分間車内に閉じ込めて逃がさず、逮捕につなげた。 逮捕容疑は3月16日午後11時~11時20分ごろ、福岡県久留米市の西鉄久留米駅―西鉄二日市駅間の急行車内で、すいているにもかかわらず女性の隣に座って密着。さらに二日市駅で普通列車に乗り換えた女性につきまとい、車両内でじろじろ見た後、正面から大声を浴びせたとしている。 春日署によると、普通列車の乗務員が異変に気づき、知らせを受けた運転士と駅員が停車した春日原(かすがばる)駅で全車両のドアを開けずに110番。駆けつけた警察官が山本容疑者を特定し、その後、捜査を進めて逮捕に至った。 山本容疑者は女性と面識がなく、「気になった」と容疑を認めているという。【浅野孝仁】
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最終更新:3/31(火) 12:07 毎日新聞
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source https://uyscuti.biz/2020/04/01/30265/
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nmn ちいさな本屋 かすかな光
nmn(ノマノ):野間久美子
インタビュー・文/小鳩ケンタ 写真/大岡由和
2019.12.27
本は果てしないもの、難解なもの
ーー「本」について最初に聞きたいんですけど、松岡正剛さんって知ってますよね?(松岡正剛:編集者、著述家。並はずれた読書家で知られる。)
野間:はい。
ーーどう思いますか?
野間:(笑)いきなり、、。
ーー無茶振りインタビュー始まりですよ。
野間:松岡正剛さんをはじめて知ったのは、中高一貫の学校で図書館の司書として働いていた時に、司書の先輩に教えてもらって知りました。
ーー松岡正剛さんの本を?
野間:いえ、存在自体を。その時に触れた本で、『17歳のための世界と日本の見方』というのがあって、中高生向きなのに、私には難しいところもあったんですけど、すごく面白かったんですよ。
ーー野間さんて、たまに話を聞くと「私は読書家じゃない」って言いますけど、やっぱり僕から見ると本は読んできた人に見えるんですね。まず「本」ってどういうものと思ってきましたか。
野間:本は、果てしないもの、難解なもの、そういうイメージがあって。時間をかけて作られたものであったり、ずっと残っていくもの。
ーーウェブみたいに、基本的に流されていくという前提で作られていないと。
野間:「確かに在るもの」なんだろうなと。
本と花を贈り合う日に
ーー移動式であれ何であれ、本屋をやろうと思ったきっかけは何ですか? 世当たりも得意そうじゃないのに(笑)。人と触れ合わなきゃいけないし、自分の苦手なことを含��でる予感が最初からあったはずなんですけど。
野間:ありがたいことに、そういう機会をもらった感じです。
ーー誰からもらいました?
野間:『微花』(かすか)、植物の写真絵本をつくる2人から。
ーー今回(2020年2月に行う展示)のフライヤーのデザインをしてる方ですね。
野間:はい。
ーーちなみに、nmn は創業何年?
野間:nmn(ノマノ)っていう名前をはじめて付けたのは、2017年の4月に、微花のお2人にサンジョルディの日のイベントに「本屋で出しませんか?」って声をかけてもらってから。サンジョルディの日は、本とお花を贈り合う日なので。
読書家はじまりではない
野間:2017年に、私は大学院に1年間行ってたんです。専攻は図書館情報学で。大学を卒業してすぐ大学院に行ったんですけど、1年でやめちゃって、2017年に行ったときも結局1年でやめたのですが。2度行ってやっと分かるんですけど、結局、大学の時のゼミの先生がすごく好きだったんです。すらっとしてバシッと新しい見解や指摘をくれる女性だったんですけど。その先生と出会わなかったら図書館情報学を学ぶこともなかっただろうし、のちに本の活動をしたいと思わなかったと思うんです。
ーー現在の活動と図書館情報学はかなりつながっていると。
野間:すごくそう思います。
ーー図書館情報学というのがあるんですね、学問として。ざっくり言うとどういうものなんですか?
野間:私、説明がすごい下手なんですけど(ブツブツ)図書館って館種が色々あるんですけど、それぞれ役割が違うんです。例えば学校の図書館だったら子どもの教育との関わりが重要で。読書をする場所でもあるけど、情報を提供する場所としての図書館。いちばん私が関心があったのはそこですね。
ーーふむふむ。
野間:私、大学の時にはじめて文献を検索してまとめることの魅力を感じて、もっと早くに知っていたらよかったなって思ったんです。だから、子ども達に���いろんな情報を集めて整理し、そこから考察していく魅力を伝えていけたらいいなと。��ういう図書館ができたらいいなって考えていました。
野間:読書家はじまりではないっていうのは、こういう流れがあったからです。
ーーなるほどね。読書が好きで本屋に至ったんではなくてね、社会資源の提供みたいなのに興味があったということですね。
野間:そうかなと。
ーー野間さんのやってる活動の、清潔感みたいなのを感じるのはそういうところかも知れない。
野間:で、実際現場で働くんですけど、なんか違和感がずっとあったんです。見せ方とかもそうだし。そこを変えられるほど、自分には力が無かったんですけど。
ーーそこの体力は無いよね。
野間:ねへへ(笑)。
野間:合わせて3年くらい働いたのかな、図書館では。
nmn 企画の展示をする
ーーちなみに、(2月に開催するnmn企画のグループ展の)展示名は決まりました?
野間:迷ってるんですけど、、。これで本当にいいのかなという迷いです。
ーーフライヤーのデザイナーさんには相談した?
野間:言ってない(笑)。
ーー(笑)今日、12月27日ですよ。相変わらず予定が押している安定の野間さん。
ーータイトルは?
野間:タイトル、、「point」っていうんですけど。
ーーお、意外。
野間:意外ですか? 最初にね、nmnのインスタグラムのアカウントを作った時に、紹介文みたいなのを書いたんです。その中に「点」ていうテーマがあってね。私がよくやっていることに、本の中から一文を抜き出して提示するのがあるんですけど。
ーーうん。
野間:その抜粋って、本の中の点じゃないですか。
ーーイメージ上の点ね。
野間:その点がつながっていって、その人のなかでエッセンスになるみたいな。私が本屋としてやっているのって、そういうことかなと。
野間:日常で生きてても、本だけに限らず、なにか出来事が起こることがポツポツと自分の中であって、そこで自分の考えがつながっていくみたいな。そういう意味合いの点となる場所として、nmnがあるかなあと。
ーー点となる場所ね。
野間:誰かにとっての点を作って、つながっていったらいいなと。
長野まで会いにいくということ
ーー1週間前に、展示でお茶を提供してくれる方(普遍と静謐:長野県須坂市 茶葉販売店)に会うため長野に行かれたじゃないですか。割と遠いし、時間も使うし、お金も使う。会いに行くって大変なことだと思うんです。行く作業を省いて展示をやることも出来たはずなんですけど。社会モラル的に行ったんじゃなくて、野間さんの中から自然に出てきた選択に思うんですね。
野間:そうですね。本当にそうです。
ーーその原動力になっているものは何ですか?そんなに元気じゃないはずなのに、むしろ寝込んでいるタイプなのに(笑)。
野間:それが出来る時はまだ生きてられるって思うんですけど(笑)。長野行きも微花からはじまる出会いもそうですけど、私のエネルギーになることって、すごい何かが好きやなあってまず思うんです。行かなきゃいけないと思ったんですよね。
ーー自分がそれをしてる限りは元気だという「点」と、興味があった図書館という「点」が、野間さんの中で星座のように並んでnmnを形成してるような感じですか。
野間:その点同士を結びつける活動がnmnなんです。
ーーなるほど、分かりやすい。
野間:だから本屋というのは違う気がしていて、でも別の言い方はまだ見つけられてはいない。
その3冊、野間さんっぽい
ーー本のジャンルの中で、いちばん読んでるものは何ですか?
野間:創作のものが多いと思います。
ーーへー。
野間:図書館で使われてる分類の話になっちゃうんですけど、日本十進分類法(NDC)っていうのがあるんです。書かれたものの中身で分けられている。で、9類が文学なんですね。図書館にある本は9類の割合が多いんです。世の中にある本は、創作が多いってことだと思うんです。
ーーどういう本を読んできたか、3冊くらいあげれます?
野間:すごい残ってる3冊は、三浦綾子の『塩狩峠』と、遠藤周作の『灯のうるむ頃』と
ーー来た、キリスト教、2回続けて。そういう清潔なオシャレ感をねえ、時々出す(笑)。
野間:わざとじゃないですよ(笑)、キリスト教の学校通っていたので、、
ーーで、あと一冊は。
野間:『ノルウェイの森』(村上春樹)
ーー面白いねえ、その3冊。野間さんっぽい!
ーーその中で、少し喋れそうなのってあります?例えば、遠藤周作。
野間:遠藤周作の本は、母親に勧められたんですよ。ほかの本は、例えば『沈黙』とか重いじゃないですか。でもその本は読みやすく身近。遠藤周作のエッセイとか軽めじゃないですか。
ーー狐狸庵先生とかね。
野間:そうそう。で、その小説は、父親と息子の話だったんですけど何故か残っている。母親に勧められたからかなあ。
ーー3冊とも、お話ですね。
野間:そうですね。10代に読んだ本なので、いちばん強く残っていますね。全部自分で買った本ではなくて、『塩狩峠』は課題図書だったし、遠藤周作も『ノルウェイの森』も家にあったんですよ。
ーー家にある本って、読みますよね。ひょっとして自分が大人になっていくのに必要な情報って家にある本から得ることが多いのかもしれない。まあ、音楽の歌詞とかはありますけど。
野間:そういえば音楽の歌詞を抜き出して、書いてましたね(笑)。
ーーなんかの文を抜き出すのが好きなんですね。
野間:教科書とかに書いてました、めちゃ恥ずかしいんですけど。
ーー��抜き出し芸」なんですね(笑)。その欲求はどこから来るんですかね。
野間:分かりません。あ、でも(と部屋の中にあった若松英輔の本をめくり出す)この本に良い説明が書いてあった。
ーー読んで。
野間:「誰かの言葉であっても書き写すことによってそれらは、自らのコトバへと変じてゆくというのである。」(引用元:若松英輔『悲しみの秘儀』ナナロク社、p.146)
ーーなるほど。そういえば、野間さんが抜き出した一文を読むと、野間さんの言葉に感じるもんね。
野間:でも、元を作った人がいるのに、とんでもないことをしてるんじゃないか?と思うこともあるんですよ。
ーー作者は不本意でしょうね(笑)。
野間:だから文を抜き出す本は、なるべく読み継がれてる本から選ぼうとは思っています。抜き出すことによって、本が違う目線で見えていったら面白いのかなと。
ーー野間さんが、その本をちゃんと触りましたっていうマーキングに見えるんですよね。そのタッチの圧が、とてもいい気がしてるんですよ。強すぎないタッチ。
ーーで、歌詞の話に戻ると、例えば誰の歌詞を抜き出しました?
野間:浜崎あゆみとか(笑)。中学生とかなので、当時のJポップですね。
ーーどういう子供でした?グレてました?
野間:グレてないですよ。
ーー今がいちばんグレている。
野間:うん(笑)。
野間:この間、展示の打ち合わせの時もですけど、大学入った時ぐらいからなのかな、自分があんなにイジられるとは思ってなかったんですよ。
ーーすごいイジられっぷりですよね今。大人になるにつれ、どんどんイジられるようになったと。
野間:10代の頃は、出来る子だと思ってました。
ーー僕もそうだもん(笑)。一応優等生でさ、進学校で来たから。
野間:(笑)
出来なくなりました
ーーお父さんを亡くしておられますよね。
野間:はい。
ーー野間さんが何歳の時ですか?
野間:私が成人式の次の日かな、亡くなったのは。
ーーそこから割と、環境も変わり?
野間:いえ、その前に環境は変わっていて、その半年前ぐらいの夏に両親は離婚しているので父とは同居していなかったんですよ。で、私は父親と全然話してなかったんです。数年間。
ーーうんうん。
野間:いずれ私が社会人とかになったら、きっちり話が出来るのかなって思ってたんですよね。父は会社を経営してたので、働くということになったら話も出来るようになるのかなって。
ーー出来なかったわけですよね。
野間:出来なくなりましたね。
ーー出来なかったっていうことに対して、今思うことはありますか?
野間:これは本屋とは関係なくなってくるんですけど、、何をやっても最終的に出来なかったっていう結末になるように、自分でしてしまうところはあるかも知れない。
ーーおお、重いこと言ってるね(笑)。
野間:(笑)
ーー精神医学的に言うと、問題を繰り返してしまう反復強迫という状態なのかな。
野間:何かで成功したということは、すごく少ないかも知れない。
ーー途中でプチっと切られることに慣れている人生に感じている。
野間:今んところ。
ーーそれをかき分けて、nmnは続いている。
野間:nmnは、仕事的なことでもないし。
ーー祝祭���すよね、自分の、生きる。
野間:なのかなあ、nmnっていうものに対しての、終わりみたいな所は見えない。
ーーほかのことはすぐ終わりを見ちゃいたくなるのにね。
野間:うん。
ーー終わりを設定してないと、落ち着かないというか。終わりが来ると、落ち着くというか。
野間:うん。
ーーさっきから、めちゃくちゃ悪口になってますね(笑)。
野間:悪口というか、、症状(笑)。
書いてる時はその言葉の中に行けるんですよ
ーー野間さんはね、ドラマの「カルテット」とかのセリフを、昔ラインで送ってくれてたじゃない。
野間:抜き出しましたね。映画を見ても抜き出しますし。
ーー抜き出し、集めたものは、コラージュみたいなものなんでしょうか。自分を生きやすくする為の、自分の周りに張る幕のコラージュみたいなものなんでしょうか。
野間:歌詞を抜き出してた頃の感覚なんですけど、書いてる時はその言葉の中に行けるんですよ。そういうことなのかな。
ーー言葉の中に行ける。そういうことでしょうね。言葉なんですね、まずは。
野間:言葉ですね。
ーー絵じゃないんだよ。
野間:あああ、そうですね。
ーー言葉の中に「行く」というのがとても大事なんだよ、きっと。
何か、どこかの引っかかりに
ーー展示についてね、予定が押しに押してますけど、野間さんは本を選んだ時点でほぼ作業の手は離れるんだね。
野間:そうかもしれない。
ーーあとは下々の者がそれをテーマにして作品を創作すると(笑)。
野間:(笑)
ーーで、最後に出てきて、「どうもありがとう! nmn、ノマノ展でした!」って終わる。
野間:そう!私何してんのかなって、ほんまに。
ーー野間さんのキャラクターだから成立するんでしょうね。助けざるを得ない。
野間:こんなことやっていいんかな、ってすごい思いました。
ーーいいんじゃないですか、みんな楽しくやってますし。
ーー野間さんが本屋を続けることは、お客さんにとってどういう意味があると思いますか?
野間:私の手で渡した本がその人の何か、どこか��引っかかりになればいいなと。本は待ってくれるものだと思うんですよ、腐らないじゃないですか。
かすかな光
ーー明日死ぬとしたら、何か本を読みますか?
野間:えー、、人に会うと思います。
ーーああ、人に会う。
野間:読むかなあ、、。会わないかなあ、、。今、明日死ぬって言われたら、人と会わないかも知れない(笑)。本読むかも知れない。
ーー何の本読むか、思い浮かびます?
野間:あ、でも何もしないかも知れない。寝とくかも。
ーーそうかなあ?!
野間:うーん。何か残すかなあ。何か残すかも知れないですね、書いて。
ーー何書くだろうかねえ。
野間:心境。
ーー愛する人に何かを伝えるため?
野間:そうかなあ、、でも誰かって特定の人に書くかは分かんないです。
ーー「私は」から始まる文ですか?
野間:かも知れない。今から言うことは重たいのかも知れないんですけど。
ーー何でもいい、来て。
野間:書こうと思った日があったんですよ、この2、3日の間に(笑)。
ーー出た(笑)。重たいね。遺書というやつですか?
野間:考えたんですよ、もしこのままいなくなったら、私が何を思っていたか誰にも分からないままいなくなってしまうと。それは、生きてきて関わってくれた人がいるのに、何か失礼なのかなって。まあ、失礼って思う時点でね、死なないですよ。
ーー紙に書こうとした内容を言ってみて。
野間:お葬式はきっと、行われますよね。誰が来るかとか、どうやってみんな知るんかなと考えた時に。
ーー嫌だよー、snsで知るのとか(笑)。
野間:最後に会いたい人は本当は最後に会いたくない人なのかなとか。だんだん分からんくなってきたんですけど。
ーー紙の上に残そうとしたものを聞いてインタビューを終わるから言ってみ、書かないから。
野間:その時の心境かな、正直な気持ち���
ーー人名が入ったら伏字でいいから言ってみな。
野間:特定の人だけに向けてじゃない気もするんですよ。
ーーいいよ、待つから。
野間:うーん、私は今まで何をしようと生きてきたんでしょうね。(長時間の沈黙)
ーー(長時間の沈黙)
ーー長時間の沈黙で記事を終わるのもいいじゃん、暗黒の穴を開けて終わる。nmnっぽい。
野間:これ、記事を親に見せられへんなっていう(笑)。遺書書くとか言っちゃって。
ーーそこは大丈夫じゃん、死のうとしたんじゃなくて、消える可能性を一度考慮したというだけだから。
野間:(笑)そうですね。
ーーだって、僕だってあるよ、そんなのは。でもね、親に見せられないインタビューこそ大事なんだよね。
ーー琴線に触れるって、人の傷に触れることだから。
ーー紙の上に残す言葉、ひとことでも言ってくれると、このインタビュー終わるんだけどな。
野間:あ、そうか。えー、そこ、正直に言うと、無かった。
ーーええ?!
野間:中身、無かった。中身は、そこの時点では浮かんでなくって、お葬式の方を考えてました。
ーー分かった(笑)。これで、インタビューを終わります。
大岡(カメラマン):あのー、野間さんのその感じすごく分かります。自分も今日そんな感じ(笑)。
野間、小鳩:(笑)
nmn website
インタビュー後記:取材を終えて思ったのは、最初に教えてくれた、「本は難解なもの、果てしないもの」というイメージは、野間さんの人生のイメージでもあるのかなということです。難解で果てしないからこそ、野間さんの点を打つ活動はnmnとしてつながれていく、その本はまだ描かれ続けていくのではないかと。
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MAGAZINE - 2018.12.13
Killerpass 2017 US TOUR日記 by kazukick
3月いっぱいでギターのkenchanが家業を継ぐ為に地元の青森に帰ることが決定した。どこかツアーに行こうよ。アジアは今後行けるかもしれないしヨーロッパって感じの音でもないしなー。
『アメリカとかどうよ?誰か一緒に行きたいよねー、、、Hi.killerpassの7インチも出ることだしハラダくんとかどうかな?』
そんなスタジオでの何気ない会話から決定した今回のツアー。ハラダくんに声を掛けたところ『行きたい!!』ということでkillerpassの3人とHi how are you?ハラダくんとのアメリカ行きが決まった。
2017年3月18日から3月26日にかけてアメリカのカリフォルニア州でトータル一週間で5つの街でライブをしてきました。このメンバーとしての国外でのライブは、THE ACT WE ACTと行った台湾へのショートツアーぶり。ツアーって感じのツアーは今回が初めて。たった一週間のツアーではあるがそこで観たり、聴いたり、触れたりしたもの、などなど、、、全てが刺激的なことばかりだったので今回ツアーレポートを書くことにしました。このツアーレポートからアメリカの土地でぼくたちが体感してきたものを少しでも感じ取ってもらえたらな。と思います。(とか書きながらも私の携帯の中のメモ帳に一年以上も眠っていましたが…滝汗)
3月18日 土曜日の朝。killerpass 3人とハラダくんの計4人でいよいよ出発。中部国際空港から3時間かけ北京へ。北京からアメリカ行きの飛行機の待ち時間があったので、北京の空港にて中華料理を食べる。あまり美味しくなかった。ハラダくんはパンダに乗って、はしゃいでいた。
北京からアメリカはロサンゼルス空港へ向かう。12時間半のロングフライト。機内食を食べ、ビールを飲み、映画を見る。そして寝る。を繰り返していたら、いつの間にかロサンゼルス空港に到着していた。しかし、まだ着いただけで安心はできない。入国審査がクリア出来なければ意味がない。
ここで入国できなければ全てが水の泡になってしまう…。
私の身近なバンドでアメリカツアーをしたバンドはいるもののここ数ヶ月の間にアメリカツアーをしたバンドがいなかったし 念には念を。ということで全員楽器は持って行かず、物販もアメリカでTシャツを作りツアー初日に現地で受け取る。SNSは一時的にログアウト。
『僕が入国できなかったらハラダくんがギター弾いてねー。ハヤシくんがダメだったらぼくがベース弾くよー。』なんて冗談を言うケンタさん。いざ、ゲートへ。
『滞在期間は?』『仕事は?』などの通り一遍な質問を他のメンバーは、されたそうだが私に関しては何も聞かれず ハンコを押されただけ。呆気なく4人とも入国審査クリア!(笑)
到着ゲートを出ると今回のぼくたちのツアードライバーをしてくれるボブが待っていてくれていた。ボブはkilikilivillaの安孫子さんが銀杏BOYZでアメリカに行った頃くらいからの付き合いらしく安孫子さんにボブを紹介してもらい今回のツアーを同行してくれることになった。しかもボブは日本語も話せるという事で英語にめっぽう弱い僕たちにとっては、本当に心強い存在。車に乗り込みエクスプローディングハーツをBGMにボブの運転でハリウッドへ向かう。道路の幅も看板の大きさも何もかもが日本とは違い、それだけでテンションが上がる僕たち。
ハリウッドに着き、まずハンバーガーを食べようというボブの提案でIN-N-OUT BUGERというハンバーガー屋へ。ここでもハラダくんは、店員さんが被っている店のロゴが入った帽子をもらい、店のロゴが入ったロンTを買い、はしゃいでいた。
すぐ近くにあるAmoeba Musicという超巨大なレコード屋に行き…散財。店の外でボブが遠くを見て指差している。よーく見るとハリウッドサインが見えていました。
Amoeba Musicに行った後は車で数十分離れたところにあるボブの家に行く。『今夜は、キラーパスがツアー最終日にライブをするVLHSというところにライブを見に行きましょう。日本のバンドも出ますよ。』とボブ。
夜になりボブの家から車で数十分の位置にあるポモナという町のVLHSというDIYライブスペースに行く。すると、見覚えのある女性がいた。
PEACH KELLI POPのALLIEさんでした。PKPが来日ツアーをした時に名古屋編をkillerpassとして企画をしたので、それぶりの再会。こういう再会って本当に嬉しい。ライブは東京のPENs+というバンドの方がソロとして出ててPENs+とsplit 7インチをリリースしているLEERという激情/ポストハードコアをミックスしたようなサウンドのバンドなどが出演してました。LEERかっこよかった。あとRafas Tacosというメキシコフードの出店がありすごく美味しかった。JOYCE MANORのメンバーがいて、興奮した。日本とアメリカは時差が17時間もある為、本当に1日が長く感じた。ボブの家に帰宅し乾杯しつつ、1日目が終了。いよいよ、明日からツアースタート!
3月19日 日曜日。昼頃に起床。ボブの家の前にかなり大きいバンが停まっていた。『いよいよ今日からライブですね。このバンはToys That Killも使ってたバンなんですよ。』と言うボブにテンションの上がる日本人チーム。機材を積み込み、いざ出発!
(※Toys That KillはF.Y.P.から改名したカリフォルニア州サンペドロのpop punkバンド。1999年から現在も活動中。記憶に新しいGEZANのUS tourでも共演してたバンドですね。)
ライブまでは、まだ時間があるということでヨーク・ブールバートというところにあるドーナツ屋へ連れてってくれることに。その名も『DONUT FRIEND』
店に入ると人気店なのかわりと賑わっていた。若者に人気なドーナツ屋なんだなー。くらいにしか思ってなかったんですが、とある事に気付く…。
ドーナツの名前、全部バンド名モジってる!
私はJAVA-BREAKERとSTIFF LITTLE BUTTERFINGERSをチョイス。他にも色んなバンド名をモジったドーナツがあり面白かった。ドーナツも、もちろん美味しかったですよ。
その後は、すぐ近くの楽器屋へ。
その名も『ZEPPELIN MUSIC』
先ほどのドーナツ屋に続き、楽器屋もこんな名前かい。笑
僕たちがライブで使うギターやベースなどはボブが用意してくれていたのですがドラム関連の物は用意出来なかったとのことだったので、新古品のスネアとスティックを購入。
今夜のライブ会場であるサンディエゴのche cafeに向かう。2時間くらいかかった。
ライブ会場のche cafeに到着。che cafeは大学のキャンパス内にあるボランティアで運営されているDIYライブスペース。日本では味わうことの出来ないような雰囲気にテンションの上がる日本人チーム。近くの店で食事を済ませ、気付けば夜になっていた。ライブスタート!
今さ��気付きましたがフライヤーに日付載ってませんね。笑
1番目は、我らがハラダくん。ギターと歌だけの彼だが会場を沸かせていた。さすが!としか言いようがない。凄く良いライブをしていて見ているこっちまで気合いが入る。
2番目はPEGGY183というバンド。良い意味でヘロヘロなボーカルなインディーギターポップという感じのバンドでした。The CureのBoys Don't Cryをカバーしてたりしてて好感が持てました。
そして3番目がkillerpass。見慣れないアンプ、割れたシンバルなどいつもと違う環境に苦戦しながらもツアー初日にしては、なかなか良いライブが出来たんではないかと我ながら思いました。ハヤシックの思い付いたままのような英語をひたすら吐き出すMCには不安すら感じましたが、とにかく彼の“気合い!”は、あの場にいた人達には伝わっていた様子でしたね。笑
トリはSPIRITED AWAYというサンディエゴのバンド。女性ボーカルの4人組ハードコアバンドで会場は盛り上がっていました。
ライブが終わりライブを見に来てた人たち数人と会話を楽しむ。あと、この日じつは愛知県は豊田市から友人の山口さん(ex.VIDEO GIRL)が1人旅行のタイミングと僕たちのツアーのタイミングが良かったので、ということでライブを観に来てくれたのもすごく嬉しかった。
ツアーをしていく途中で気付く事なんですがアンプやドラムセットなどの機材は基本的には出演バンドの持ち込みなので(ツアーで行った会場は、どこもそうでした。日本のライブハウスのように機材があらかじめ用意してもらってるわけでは、ないんです。)帰る頃にはステージ上には何もありませんでした。
数時間かけボブの家に帰宅。就寝。
3月20日 月曜日。ツアーの日程の調整をしている段階でこの日はライブが出来ないかもしれない。とボブから言われていた通り、この日はオフ日でした。ロングビーチという街へ行く。天気も最高で本当に気持ちが良い。海だー!!!
killerpassの3人は、ズボンの裾を膝くらいまでまくり上げ、控えめにアメリカの海を感じていましたが、ハラダくんは、いつの間にかこんな格好になっていました。笑 最終的に私以外の日本人3人はパンツ一丁で海に入ってました。私も入っておけばよかったと今さらながら思ったり思わなかったり…。
ここでボブの友人のチェイスさんと合流。チェイスさんは僕たちがアメリカに着いた日のVLHSでRafas Tacosのスタッフをやっていた人で、来日ツアーもした事があるJOYCE MANORというバンドをやっています。来日ライブに何処にも行けなくて悔しい思いをしてた私としては、まさかこんなタイミングでJOYCE MANORのメンバーと遊べると思ってもいなかったの���嬉しかった。ビーチから歩いてすぐのとこにあるバーで乾杯。
チェイスさんとボブが好きなゲーセンがあるということで行く。日本で例えるならすごく寂れた遊園地とか温泉地とかにあるようなゲーセンというか…。新しい機種は全く入らない、ずっと古いゲーム機が置きっ放しのゲーセンってな感じで雰囲気最高だった。
メキシコ料理を食べながら乾杯。
その後は、チェイスさん家にお邪魔させてもらう。すると、チェイスさんがおもむろに何かを巻いて火をつけて吸い始めた。…独特な、においが部屋に充満する。そう。カリフォルニア州は大麻合法地域なので何も問題ないが僕たち日本人にとっては、あまり馴染みのない、におい。『吸うかい?』と聞かれたが『お酒で大丈夫だよ。』と断った。
チェイスさんの愛犬の散歩にみんなで行くことに。気付けばもう太陽が沈み夜になっていた。ロングビーチで犬の散歩をするという最高なオフ日の〆。この日もボブの家に帰り就寝。
3月21日 火曜日。本日ライブをするSan Joseという街まではボブが住んでいるロサンゼルスからは350マイルほど。(約600キロ!)日本で例えるなら、名古屋から福島県に行くような距離。ボブ1人の運転での超ロングドライブ。ボブは休憩しつつエナジードリンクを飲みまくってました…。
いくら昼間の移動とはいえ、なるべく寝ないように気を付けながら(途中で寝落ちしてしまってましたが…)車窓からの景色を楽しむ。
ライブ会場に到着。スーパーやらメキシコ料理屋やら様々な店が入っている複合施設の中にあるカフェがライブ会場のクロマティックカフェなのです。ほんとにここでライブやって大丈夫なの?と思ってしまうほどティータイムを楽しみに来ているような一般のお客さんで賑わっているカフェでした。コメダ珈琲とかスターバックスに機材持ち込んでライブするような感じですね…。
フライヤーの横に注意書きが貼られていた。笑
ライブを見に来てるお客さんと、お茶をしに来てるお客さんが混在している中、ライブスタート。
1番目がKITTY KAT FAN CLUB。ASIAN MAN RecordsのオーナーMike Park率いる女性ボーカルギターポップバンド。ツアーに行く前からじつは7インチを持っていたので今回のツアーでかなり楽しみにしていたバンドの1つでした。お洒落なカフェの生演奏BGMとしてはバッチリ!なグッドメロディな楽曲の数々で凄く良かったです。
次。2バンド目はBEST BUDS。MOM JEANSのアルバムのタイトルからバンド名を取ったかどうかは、不明。ANNABELをより男臭くした雰囲気。熱く歌い上げるエモ要素有りのメロディックパンクって感じでカッコ良かったです。メンバーもナイスガイでした。
3番目がハラダくん。観ている人達の心を完全に掴んでました。やっぱりスゴイ。カフェで聞くハラダくんの音楽も最高だった。
そしてトリはkillerpassでした。あの、お洒落なカフェには、マジで相応しくない爆音BGMになってしまったとは思いますが(笑)初日よりも凄く気持ち良いライブが出来た夜でした。『エナジーしか感じなかったぜ!』と話した人達からは口々に言われたのでアメリカの人たちに気合いが伝わったようで本当に良かった。この日のライブ映像��ハラダくんがyoutubeにアップしてくれてるので是非観てみて下さい。少しは雰囲気伝わるかと思います。
ライブ後はKITTY KAT FAN CLUBのギターのSimさんの家に泊めて頂くことに。Simさんの友だちも何人か来てライブの打ち上げのような感じ。楽しい夜だった。
3月22日 水曜日。Simさんの家から歩いて数分の位置にあるSimさん行きつけ?の店に行き朝食を食べる。
Simさんとは、一旦お別れしThe Starving Musicianという名の楽器屋へ。
入店してわずか数十分…『これにする!』とハヤシック。彼は今回のアメリカツアー中に春からの新体制のkillerpassで使うギターを買うんだ。と渡米前から意気込んでいた。
新体制になってからしばらく使ってましたが、ここ最近は違うギター使ってますね。そのうち、またこのギターも再び登場することでしょう!
Simさんの家があるサンノゼから今晩のライブ会場がわりと近いこともあり時間に余裕があるという事で『観光しましょう。』とボブ。
ライブ会場があるレッドウッドシティーを通り越して気付けばサンフランシスコにいました。GOLDEN GATE NATIONAL PARKSという公園へ到着。
THE観光地!て感じの場所でしたが天気も良く最高でした。園内を歩きまわる。
少し遠かったですがゴールデンゲートブリッジとやらが見えてました。
3人とも見事に目が開いてませんね。太陽が眩しかったんです。ハヤシックが花のようなものをくわえているのは、ナゼなんでしょうね。笑
少し移動し、Amoeba Musicサンフランシスコ店に行く。アメリカに到着した日に行ったロサンゼルス店と比べると少し小さめだった(とはいえ、かなりデカイですよ。)が、ここでも、またもや私は散財しました。
レコードディグ後は中華料理を食べる。北京の空港で食べた美味しくない中華は、いったい何だったんだろうと思ってしまうほど、美味しかったです。
本日のライブ会場に到着!レッドウッドシティーという街にあるMardi Gras Loungeというバー。
ビリヤードが出来るバーの隅っこに機材を持ち込んでライブをやるスタイル。テンションが上がる。
フライヤーには書かれてませんがハラダくんも、もちろん出てましたしDick Fightという地元のバンドも出てました。ライブは、ちょいと遅めの21時スタート。
ハラダくんは、この日のフライトで一足先に帰国することになっていたのもあり1番目に出演。
酒場の楽しく賑やかな雰囲気に合わせてプレイスタイルを変えていたのか昨日よりも少し荒い感じのハラダくん。今まで何度も彼のライブを見てきたんですが、この日のハラダくんのライブは超かっこよかった。
ライブ後は、泥酔してる?おばさんがハラダくんに駆け寄って写真を撮っていた姿が凄く微笑ましかった。
ハラダくんとの日本での再会を約束しハラダくんを見送り、引き続きライブ。
その後はTeenage Sex、Dick Fightというバンドがプレイしていた。4番目はkillerpassでした。連日のライブで勢いがかなり出てきているな。と我ながら感じるライブが出来た。トリはサクラメントという街のJesus and the Dinosaursという3人組のバンド。野生感剥き出しなドラムの叩きっぷりが最高なスペイン語ロックンロールパンクって感じでかっこよかった。
『ワタシ、ニホンゴペラペラデース!』と話しかけてきたクリスというボブの友人が来てくれていたんですが日本に住んでいたこともあるらしく、キラーパスとは別で私がドラムを叩いているSKIZOPHRENIA!のライブを岡山県は津山で見た事あると話していた。(ほんまかいな?と思い、帰国後パソコンの写真フォルダを見ていたらスキゾフレニアのメンバー宅で撮ったクリスが写っている写真が発見されました。笑)
コラプテッドのパーカー羽織りセブンティーンアゲインのシャツを着ているナイスガイでした。
21時スタートだったこともありライブ終演したのは24時をまわっていました。昨夜泊めて頂いたSimさんの家に帰る。ボブが『明日のライブ会場がギルマンに変更になるかもしれません。』という爆弾発言をし就寝。
3月23日 木曜日。朝に起床。ボブとSimさんオススメのメキシコ料理にて腹ごしらえ。美味しいし量も多いしマジで最高!
Simさんとはお別れ。
Simさんの家を出発しオークランドという街に向かう途中ボブが何やら電話をしている。電話を切りボブが僕たちに言う。
『会場変更になりました!ギルマンになりました!』
『ええええええええええ!?マジで!?』
キラーパス一同、驚嘆。
当初の予定では、オークランドのVamp Vintageという古着屋さん?でライブをする予定でした。ギルマンがわりと近いという事だったのでボブには時間があれば見に行きたいので連れてって欲しいという話は、してあったのですが、まさかそんな憧れの場所でライブが出来ることになるなんて…。
オークランドに到着しボブがやっているTADAIMAというバンドのメンバーのユイさんと合流。彼女は母親が日本人で日本産まれ。幼少期以外は、ほぼアメリカで育ったそうだ。
Long Knivesというバンドをやっているコナーさんがやっているバーに行き、器の真ん中に火がついてるアルコール度数の高い酒で乾杯。
その後は巨大霊園?のような墓地 兼 景色が良い観光スポットのような所に行き芝生の上で昼寝したり、のんびりタイム。
1-2-3-4 Go! Recordsというレーベルの実店舗に行き散財。すぐ近くにはグリーンデイのビリージョーが経営しているギターショップもあったので行ったりしました。
いざ、924Gilmanへ!
到着!ハードコアパンクの聖地924Gilman���
ここはFUGAZI、operation ivy、MDC、GREENDAY、RANCID、FIFTEEN、YOUTH OF TODAY、DESCENDENTS等々の数多くのバンドがライブをしてきたという伝説の場所。ギルマンでのライブを音源化してる作品も沢山ありますね。
ファンジンとかで読んだり行ったことがある人から聞いたりしていた、メッセージの書いてある壁を見た時は本当に震えました。
ライブスタート時間が近付いてるのにステージには何1つ機材がなく、とりあえず呑気に記念撮影。笑
ボブに聞くとステージでのライブではなく今日は、いつもはライブでは使わない部屋を使ってのライブとのこと。『レアですよ!』とボブ。地元の人たちもそんな使い方する日もあるんだねー。という感じの様子でした。
ライブスタート!!
手違いでフライヤーにハラダくんの名前が書かれていましたが帰ってしまっているので7時スタートで計3組出演。
1番目がJOY CYRという女性のソロ。どうやらソロ活動がメインのようですがこの日は数曲やった後にバンドバージョンとしてもプレイしてました。
2番目がkillerpassでした。正直ライブのことは、何も覚えていませんが今まで数々のバンドがここでライブやってきたんだな。と思いながらで全力でプレイしました。
トリがSNOOZEというバンド。この日の企画は、このバンドのボーカルのSamさん。ウィーザーからの影響大ってな具合のサウンドで個人的には結構好みでした。
ライブ後は、ツアー中全くと言っても過言じゃないほど撮ってなかった集合写真。
ライブ後はボブのバンドメンバーのユイさんの家に行きアニメを見たり飼い猫と遊んだりしてから就寝。
3月24日 金曜日。
ユイさん家の飼い猫に起こされ目を覚ます。
ユイさんが住むオークランドからライブ会場があるポモナのVLHSまでは6時間ほどの距離という事もあり、午前中にはVLHSに向け出発。ユイさんとは、ここでお別れ。
道中のことは、あまり覚えてませんがツアー最終日ということもありアメリカツアーでの出来事や今までこの3人でのkillerpassとしてやってきたことなどを思いながら車窓からアメリカの風景を見ていました。
VLHSに到着!あとは、やるだけだ。
地元のバンド4バンドと僕たちの計5バンドでのライブ。killerpassは3番目に出演しました。
1.レイジズム
2.アイランドインザサン
3.自分の言葉で話したい自分言葉で伝えたい
4.Do The Best Thing
5.偽善者でかまわない
6.マイアンサー
7.リスタート
8....is over
--------
9.First Contact(ワンモア)
ワンモア含む全9曲をプレイしました。
この日のライブは過去最高のライブができたと我ながら思いましたし、ハヤシックとkenchanもそう感じてたと思います。ライブ後は色んな方が物販を買ってくれたり話しかけたりしてくれて、本当に嬉しかった。
ボブの家に帰宅し帰国する準備をしつつボブとkillerpass3人でツアー最後の乾杯をして就寝。
3月25日 土曜日。
早朝に起床。ボブの飼い猫のワイヤーとも、この日でお別れ。
ボブの運転でロサンゼルス空港に向かう。
18日から初対面の僕たちに1週間フルサポートしてくれたボブには本当に感謝しかありません。ボブ本当にありがとう!
日本かアメリカか何処かでの再会を約束し僕たちはロサンゼルス空港から飛行機に乗り込む。ツアーが終わったのと日本に帰るという安心感からか飛行機の中では爆睡。
行きと同じルートの為、ひとまず北京に到着。乗り換え時間があまりなかったので、すごく忙しなかった。予定していた中部国際空港行きの飛行機に全力疾走したりしながらギリギリで乗り込む。
中部国際空港に到着した頃には、アメリカで買った沢山のレコードを聞くことや、久しぶりの日本食は何を食べるか等の事で頭が一杯だった。
バゲージクレームにて自分の荷物が流れてくるのを待つ、killerpass一同。
同じ飛行機の乗客たちは自分の荷物を受け取り、その場を1人、また1人と去っていくのに僕たちの荷物がいつまでたっても流れて来ない。。。
そして最終的にバゲージクレームには何も荷物が流れて来なくなってしまった。
航空会社のフロントに聞きに行くと、数人分の荷物が北京で積み替え出来ていなかった。という事が判明。
ツアー中に買ったレコードやお土産などが入ったカバンは全て北京空港に取り残されており、結局 書類を書くハメに。笑
家に無事に帰宅したが何とも言えない後味の悪い感じで就寝。後日、荷物は無事に郵送してもらいました。
『あとがき』
僕たちのUSツアーレポート楽しんで頂けましたでしょうか。たった1週間の出来事で毎日が本当に刺激的で楽しくてあっという間すぎる1週間でした。アメリカの地でツアーを出来たのもkilikilivillaやボブ、そして各地で���ポートしてくれた方たちの協力なしでは実現しなかったと思います。今回途中まででは、ありましたがハラダくんと行けたというのも本当に良かったですし、そしてバンドメンバーのハヤシック、kenchanと一緒にkillerpassとして活動できたことに感謝してます。
このツアーの事を唄っているのが今回の新譜『delayed youth e.p.』に収録されている『アメリカンドリーム』という曲です。僕たちが感じたアメリカの風を少しでも感じ取ってもらえれば嬉しく思います。
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ニューヨークのホットドッグ🌭 美味かった^ ^ そして、ピザはデカかった🍕 #ホットドッグ #ピザ #garyu #我龍 #森本ケンタ #演武道 #EnbuDo #太鼓 #wadaiko #和太鼓 #drum #ドラム #bambooflute #篠笛 #saxophone #サックス #guitar #ギター #extrememartialarts #エクストリームマーシャルアーツ #広島 #東京 #大阪 #ニューヨーク #newyork #ニューヨークツアー #worldtour (New York, New York) https://www.instagram.com/p/BxyZBU1lYax/?igshid=1eiaalglkcgkq
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2017.12.24sun@入間MUSIC CAFE SO-SO
『SOSO Xmas party 2017』
出演・高橋てつやカルテット(高橋てつや(vo,g)、杉浦琢雄(pf)、加藤ケンタ(gt)、森芳樹(per))
・藤井一彦(THE GROOVERS)
お越しいただいた皆さんありがとうございました。
今年最後のライブ、2017年の最後の最後に待っていた一彦さんとのツーマン、大盛況で終えることができてほっとしています。
いやはや、今年のライブの中でも一番緊張したな笑 特にセッションが。。
今の日本のギターのロックスターといえば、僕の中では一彦さんである。
もう何度もライブも観ているし、以前オープニングアクトを務めさせていただいたこともある。
会えば「おう、てつや」と声もかけてもらえるようにはなった。 しかし、何度会っても、会うだけで緊張してしまうのは一彦さんだけかもしれない。
MCのつかみで、「どうもこんばんは、キリストです」と、一彦さんは冗談のつもりで言っていたが、僕からしてみればほんとに神のような存在である。
メロディ、歌詞、演奏、すべてにおいて 圧倒的な存在感、凄みが違う。
そんな一彦さんに自分の曲「石ころ」でギターを弾いてもらった。
リハの時点で少し震えてたし、ガチガチで自分の歌の歌詞を2番まるまるすっ飛ばしてたくおさんに「どんだけだよ!」と笑われてしまった笑
まったくもっていかに自分が未熟者か痛感した。
それでもこの日は、カルテット編成だったのでみんなが支えてくれて、本番はしっかり自分を出すことができたかなと思う。
一彦さんから初めて曲を褒めてもらえたのも天にも昇るくらい嬉しかった。
���して、「すごく上手いし、良いメンバーだね」と、むやみに人を褒めたりしないあの一彦さんに、たくおさん、ケンタくん、森くんも認めてもらえて、なんだかすごく嬉しかった。
今年の最後にとても貴重な経験をさせてもらった。
終演後も一彦さんに色んなお話を聞かせていただき、ステージに残っていた一彦さん使用機材等も勝手に盗撮できたし(おい)
決して大袈裟ではなく、この日は自分にとってひとつの大きな分岐点だったように思える。
もうどんなライブも怖くない。
ここ数年、SOSOでは大先輩方とのこうした貴重な経験を積ませてもらっていて、なかなか誰でも経験できることではないし、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
来年はまた飛躍の年になる予感がしている。
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地形・造成・ランドスケープ・住棟・間取りから読み解く設計思考
団地図解
団地にはオールラウンドな設計力が潜んでいる!
内容紹介 団地はどれも同じ…だなんて大間違い。 地形を生かしたランドスケープ、コミュニティに配慮しつつ変化に富む住棟配置、快適さを求め考案された間取りの数々。 目を凝らせば、造成から植木一本まで連続した設計思考が行き届き、長い年月をかけ育まれた豊かな住空間に気づくはず。 あなたも知らない団地の読み解き方、教えます。
[目次]
はじめに|ぼくらが団地にひかれる理由―建築・都市計画・土木・ランドスケープを横断する住空間
1章|団地フィールドワーク―現地で見つける団地の計画・設計のツボ 1.1 千里ニュータウン編 1.2 金沢シーサイドタウン編
2章|団地解剖―空間の読み解き方 2.1 地形―団地が“置かれた"場所 2.2 造成―標準・制約・束縛をいかに越えるか? 2.3 配置/ランドスケープ―中間領域の豊かさ 2.4 住棟―状況を解決する“箱" 2.5 間取り―工法からコミュニティまでを包み込む標準設計 2.6 間取り選 ・【折図】団地巻き物「団地設計思想 昭和30→43」 |column1|団地と子ども
3章|団地7選:知られざる設計思考の探求 3.1 千里青山台団地―高原のような団地を生んだ包括的な設計プロセス 3.2 千里津雲台団地―溶け出す造成と揺らめく南面平行配置が生む景観と共有スペース 3.3 千里高野台住宅―緩やかな谷に生み出された公-私の連続性 3.4 新千里東町団地(公団)―囲むこと/広げること・公団配置計画の集大成 3.5 高座台団地・高森台団地―尾根・谷が生み出す“骨太"な計画 3.6 鈴が峰第2住宅―地形から間取りまで総動員で獲得した眺望 3.7 並木1丁目・2丁目団地―平坦で自由な土地に築かれた建築家たちの団地設計思考 3.8 7団地から読み解く設計思考 ・7団地を通して眺めてみると ・団地の設計思考を読むキーワード ・団地MAP |column2|団地と少年
4章|団地への証言 4.1 INTERVIEW:中田雅資さんに訊く 土木仕事から建築設計まで。「団地係」という仕事 4.2 団地年表 |column3|団地と大人
おわりに|団地の設計思考が語りかけること 内容(「BOOK」データベースより) 団地はどれも同じ…だなんて大間違い。地形を生かしたランドスケープ、コミュニティに配慮しつつ変化に富む住棟配置、快適さを求め考案された間取りの数々。目を凝らせば、造成から植木一本まで連続した設計思考が行き届き、長い年月をかけ育まれた豊かな住空間に気づくはず。団地の読み解き方。
著者について 篠沢 健太(シノザワ ケンタ) 工学院大学建築学部まちづくり学科教授。 東京大学農学部、工学部、関西大学環境都市工学部非常勤講師。 1967年生まれ。 1995年東京大学大学院農学系研究科農業生物専攻博士課程修了。 A.U.R.建築都市研究コンサルタント非常勤研究員、大阪芸術大学芸術学部環境デザイン学科准教授を経て現職。
吉永 健一(ヨシナガ ケンイチ) 吉永建築デザインスタジオ、団地不動産代表。 1967年生まれ。 1993年東京工業大学建築学科大学院修士課程修了。 長谷川逸子・建築計画工房勤務などを経て吉永建築デザインスタジオ一級建築士事務所設立。 団地の不動産仲介や団地の魅力を伝える活動も行う。 団地専門不動産『団地不動産』、UR都市機構チャンネル『団地ぶらぶら』企画出演ほか。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 篠沢/健太 工学院大学建築学部まちづくり学科教授。東京大学農学部、工学部、関西大学環境都市工学部非常勤講師。1967年生まれ。1995年東京大学大学院農学系研究科農業生物専攻博士課程修了。A.U.R.建築都市研究コンサルタント非常勤研究員、大阪芸術大学芸術学部環境デザイン学科准教授を経て現職
吉永/健一 吉永建築デザインスタジオ、団地不動産代表。1967年生まれ。1993年東京工業大学大学院建築学専攻修士課程修了。長谷川逸子・建築計画工房勤務などを経て吉永建築デザインスタジオ一級建築士事務所設立。団地の不動産仲介や団地の魅力を伝える活動も行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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『日日是好日』 映画化決定!黒木華主演、共演に樹木希林、多部未華子!
「人間はどんな日だって楽しむことができる。そして人間は、そのことに気付く絶好のチャンスの連続の中で生きている。」 …━…━…━…━…━… 2002年の発行以来、多くの読者の心を掴み続ける人気エッセイ『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(森下典子著・新潮文庫刊)が、大森立嗣監督により『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)として映画化されることが決定した。 主演は大森立嗣監督作品に初の参加となる黒木華。『小さいおうち』(2014)で第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞、『小さいおうち』、『母と暮せば』(2015)で二年連続の日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞、『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016)以来の単独主演となる。 そして心躍る、名実共に日本最高峰の女優3人の初共演がここに実現する。 …━…━…━…━…━… 就職の話がチラホラ出始める頃の大学生、典子(黒木華)は、母親から「あんた、お茶、習ったら」と突然すすめられる。「え?なんで?」と意味がわからず困惑する典子。嫌々ながらも、従姉の美智子(多部未華子)から「ねぇ典ちゃん、一緒にやろうよ」と一押しされ、二人は共に、自宅近くにある茶道教室の先生を訪ねる。その先生は巷で「タダモノじゃない」と噂の、武田のおばさん(樹木希林)だった・・・。 就職につまずき、失恋や大切な人の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに「お茶」があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。季節を五感で味わう歓び。そして「いま、生きている!」その実感に迫る、感動のドラマがここに誕生する。 原作『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』は著者・森下典子が街の茶道教室に通い続けた約25年に渡る日々を綴ったエッセイ。 文庫本の解説で、人間国宝の柳家小三治氏が「感動の読了だった。この感動を誰かに伝えたい。いても立ってもいられなくなった」との思いから近くの書店に飛んで行き、[茶道・華道コーナー]で見つけた平積みの本書を「ここにあるべき本じゃないんだよこの本は。(~中略~)いや、ここにも一冊ぐらい置いてもいいけど、とに角ここじゃないんだよ。」と綴るように、茶道の素晴らしさを描くことは当然ながら、多くの読者にとってかけがえのない、人生のバイブルとなっている。 監督・脚本は大森立嗣。『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(2010)で日本映画監督協会新人賞、『ぼっちゃん』(2013)で日本映画プロフェッショナル大賞作品賞、『さよなら渓谷』(2013)で第35回モスクワ映画祭審査員特別賞を受賞。『まほろ駅前多田便利軒』(2011)、『まほろ駅前狂騒曲』(2014)、『セトウツミ』(2016)、『光』(2017)と、様々なアプローチで人間の感情を映し出そうとする監督���大森立嗣が新たに挑む、登場人物の大半が女性の映画となる。 原作の森下典子は「週刊朝日」で連載されていた人気コラム「デキコトロジー」の取材記者として活躍、その体験をまとめた『典奴どすえ』(角川文庫刊)が賀来千香子主演で「典奴どすえ!」(1987)としてドラマ化もされた人気エッセイスト。 自身の前世を追った『前世への冒険 ― ルネサンスの天才彫刻家を追って』(光文社・知恵の森文庫刊)は杏主演で「フィレンツェ・ラビリンス―15世紀の私を探して」(2011)としてドラマ化。『日日是好日』が初めての映画化であり、本作では著者自ら撮影スタッフの一員として、茶道関連のアドバイザーを担当する。 映画『日日是好日』は2017年11月にクランクイン/2018年、全国ロードショー! …━…━…━…━…━… [黒木華(典子役)コメント] ずっとご一緒したいと思っていた大森監督の作品に、出演出来ることを幸せに思います。 樹木さんも多部さんも共演させて頂くのは初めてですが、お二人の出演されている作品を拝見していて、いつも素敵な表現をされているな、と思っていたので、そんなお二人と作品を創れる事をとても光栄に思います。 茶道は全く経験がなく、今回は勉強することが大変多いので不安もあるのですが、典子と同じように学び、成長していきたいです。 …━…━…━…━…━… 【作品情報】 『日日是好日』 ■監督・脚本:大森立嗣 ■原作:森下典子著『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(新潮文庫刊) ■製作:「日日是好日」製作委員会製作 ■配給:東京テアトル/ヨアケ ■主演:黒木華 ■共演:樹木希林 多部未華子 2018年全国ロードショー 情報提供:東京テアトル
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アルコ&ピース DCガレージ「LIFE~人生の話」ボツその1
平子さま 酒井さま DCガレージ、いつも楽しく聞かせて頂いております。 在住:東京都 ラジオネーム:凸森(でこもり) LIFE ~人生の話~ 本文: 言葉はいつも、遅れてやってくる。 他人から褒められた時、 「は?舐めんな殺すぞ!」 授業中に暴れた時に先生に怒られた時、 「ウッセー!ズラ!殺すぞ!」 おかんがうまいチャーハン作ってくれた時、 「まっじー!いっつもウンコみてーなメシ作りやがって!殺すぞ!」 おかんが俺の部屋をエロ本を含めて綺麗に整頓してくれた時、 「てめー俺の部屋勝手に入ったろ!?殺すぞ!」 いつも10年くらい遅れてやってくる、 「ありがとう」の言葉。 後悔している。 後悔ばかりを抱えて生きている。 「あっちー、なんかケンタのレッドホットチキンくいてぇーなぁー」 そう言って、おかんが買ってきてくれた昼下がりのレッドホットチキン。 レッドホットチキンにしゃぶりつく、ひと夏の俺。 その日の夜の盆踊り、 昼に食べたレッドホットチキンが俺の肛門にて大フィーバー。 トイレへと駆け込む俺。 しかし、手前で、 トイレの行列を目にした時の絶望感が、 漏れの肛門を限りなく弛緩させる。 膝から崩れ落ち、漏れ脱糞。 虚ろな目で見上げた夜空には、綺麗な打ち上げ花火が煌(きら)めいていた。 言葉はいつも、遅れてやってくる。 脱糞の前では、言葉は常に無力だ。 (完) 読まれたら初採用。 宜しくお願い致します! 凸森
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■「総選挙」の雑感
▼第9回AKB総選挙が終わった。今回の選挙は、大げさかもしれないがAKBファン「部外者」の自分でも「アイドル史のターニングポイント」になると思っていた。が、、まさか「無観客開票」というとんでもない事態になるとは思ってもみなかった、、
▼しかも「結婚発表」まで出るとは、、、、、
▼う~ん、よくも悪くも「ツボは外さない」ドラマチックなグループだな、、と感心してしまった(難儀なことになった人も多いだろうから感心してよいのか分からないけども)。
▼「ターニングポイントになる」と書いたのは、こう思っているからだ。
▼日本のアイドルの歴史は1971年から始まったことになっているが、その原点にはアメリカ占領下の沖縄という「日本の彼方」からやってきたアイドル・南沙織と、「隣のマリちゃん」こと天地真理が同居してい��(南、天地、小柳ルミ子で「新三人娘」と呼ばれていた)。
▼ここからも示唆されるようにアイドル史は「彼方にある偶像」をファンたちが「我が隣」にまでググっと引き寄せる続ける歴史だったといえる。
▼なお「ファンが偶像を我が手に引き寄せる」という時、「引き寄せ方」には2方向あった。A「運営の仕事を自分たちの手に引き寄せる」という方向。B「アイドルを距離的に自分たちの近くに引き寄せる」という方向。
▼Aについて言えば、1972年に始まった「スター誕生」で、普通の女の子がアイドルとしてプロデュースされていくまでの過程をテレビで観ることにより、「運営のやり方」を覚えたファンたちは、その後、カセットテープの普及などもあり、自分で曲を組み合わせてベストアルバム風にすることを覚えていった。「俺たちの編集の方が運営より冴えてるぜ」といわんばかりに。
▼また、1979年のキャンディーズの引退の際には、彼女たちのファンコミュニティである「全キャン連」が、それまでピンクレディーに阻まれヒットチャートで一度も1位になれたかった状況を覆すべく、皆で結集し、葉書投票に重きを置くTBS「ザ・ベストテン」に大量の葉書を送付。見事キャンディーズを1位にし有終の美を飾らせた。つまりは運営の宣伝作業を「お前らより俺たちの方がやれるんだぜ」とばかりにファンたちが我が手に引き寄せた。
▼さらに、1980年代に入ると「ビックリハウス」などのミニコミブームを背景に、「よい子の歌謡曲」といった「アイドル批評」のミニコミが作られるようになる。そして「俺らの方が運営よりアイドルのことわかってるぜ」と、制作側のプロデュース作業を脳内で我が手に引き寄せるファンたちが増えだした…
▼またBについて言えば、1980年代の初等よりアイドルのコンサートに、そろいのハッピで出向いて、ありったけの声援を送る共に、不届きなファンには「はがし」を行うなど、警備員的な役目も買って出る「親衛隊」が発足されはじめる。
▼彼らはアイドル事務所に交渉し、警備活動を公認してもらうとともに、場合によってはアイドルを間近から見るチャンスを得ることができた。つまりは距離的にもググッと近づいた。
▼また、素人にも関わらずプロ仕様の本格的なカメラを持ってアイドルの現れるイベントなどに乗り込む「カメラ小僧」が出現し始めたのも、1980年代の初頭から中ごろにかけてのことだった。当時「投稿写真」などの「写真掲載雑誌」も人気となった。望遠レンズ越しにドアップでとらえたアイドルの姿はテレビやグラビアで観るよりもはるかに近かった(その後、アイドルの通学姿を盗撮する者や、自宅を特定するオタクも出現しはじめる。。困ったことだ。)
▼すると、こうした動きに「運営側」や「アイドル自身」も引き寄せられていく。83年の「オールナイトフジ」における「オールナイターズ」を皮切りに、「おニャン子クラブ」など、素人に近い、というか素人そのもののアイドルたちが登場する。自分たちのクラスにいてもおかしくないような女の子がアイドルとなるわけだから、ファンにとっては心理的な距離がかなり近くなった。
▼また、アイドル自身も「運営が売り出しがちなザ・アイドル」的なアイドル像から距離をとり始めるようになる。要は、1985年、小泉今日子の「なんてったってアイドル」的なことだが、「フリフリの服を着て、ブリッコしてるのはあえてやってるんですよ」と歌うことで「本当の自分は違う」アピールをするようになる。当時の時点で、バラエティ番組などでは「アイドルなんだから好きな食べ物はイチゴとか言わないとだめでしょ」的なトークがなされていたそうだ。
▼なお、これが進化?すると1989年、森高千里「ストレス」のように「アイドルすることはストレスなんだ」とまで歌われるようになっていく…
▼また、汚れない��らアイドルだったのが、汚れバラエティもやる「バラドル」も登場。「ノットアイドル=アイドル」のような状態に。アイドルが「偶像度100」で、アイドルでない自分たちが「偶像度ゼロ」だとすると、偶像を自分達の隣に引き寄せる運動は、偶像度を下げていく運動となる。その意味で言えばバラドルは偶像度ゼロ。
▼その結果、「偶像度ゼロならアイドルなんていらないじゃん」と思う人が増え、1990年代以降、表面上は「アイドルらしいアイドルの冬の時代」となっていく…
▼だが、アイドルは全滅したわけではない。1980年代後半に家庭用ビデオデッキの普及率が50%を超えると、ファンたちはアイドルの出演映像を録画しまくり、自分たちの手元に置くようになる。ビデオは、お気に入りシーンだけつないだり、スロー、ストップなどができるため「自分だけのアイドル映像集」が作れる。これにより「像」ではあるがファンの手元にアイドルはググっと引き寄せられていく(Bの話)。
▼また、「自分の好きな像(イメージ)」を所有できること、スロー、ストップなどにより「自分の好きなパーツの像」を所有できることで、ファンのフェチ化が進んでいく(こうしたことの悪い帰結として1989年の「M君事件」があった…)。
▼そしてこのことが、堀江しのぶがあたりから始まった「巨乳アイドル」など「グラドル」の隆盛をもたらしていく。その後、アイドル冬の時代には、イエローキャブ勢などの「グラドル」たちが活躍するとともに、パーツではないが「女性の中の一時期(特に幼い一時期)」である「美少女」像の所有も望まれ「国民的美少女コンテスト(より開始)」や「ゴクミ」「3М(宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさ)」「チャイドル(前田亜季)」などが人気となる。
▼ちなみにこの「パーツへのフェチ化」が、「声フェチ」としての声優アイドルブームにもつながって言っているように思う。
▼その一方で、1990年代前半から中盤にかけ、バンドブームの終焉と交代するように「ライブアイドル」のシーンが都市部中心ではあるが盛り上がり始める。
▼ski(制服向上員会、SKEにあらず!)、TPD、南青山少女歌劇団など…
▼狭いライブハウスに、アイドルが現れるため距離はかなり近くなった(B)。加えて、ファンの中には、距離が近いのをいいことに、アイドル自身や運営側に「こうした方がライブ盛り上がるよ」など直接意見を出す人も。するとそれが取り入れられることもあった(A)。だが、ファンの間では、「それはファンとアイドルの一線を超える外道な行為だ」と言われ、以後、この時期のライブアイドルのファン(「現場派」の原型)は「外道」と呼ばれることとなる…
▼そして、1995年から放送された「ASAYAN」では小室哲哉や、つんく♂らがアイドルをプロデュースするように。鈴木亜美やモー娘゜などが登場するが、ここで盛り上がったのは「CDが〇枚売れないと解散!」や「鈴木亜美VSモー娘゜オリコン順位対決」など。ファンたちはアイドルの行方を自分たちで左右するべく、CDを買いまくる。「運営の仕事を引き寄せた」とはズレるかもしれないが、自分たちの購買行動が直接アイドルの命運と直結する事態を生み出した。
▼加えて「ASAYAN」関連では、2000年代前半のモー娘゜のライブあたりから「ヲタ芸」が1つのジャンルを作り出していく。これにより「アイドルのパフォーマンス」+「ファンのヲタ芸」で1つのライブが完成することになり、その意味で、ファンたちは「ライブ演出」という運営+アイドルの仕事の一部を我が手に引き寄せることになる(A)
▼そして、2005年にはAKBが登場。「会いに行けるアイドル」を掲げ、毎日劇場公演を行うことで、ファンたちは距離的にグッと間近でアイドルが日常的に観られるように。加えて、「握手会」では見るだけでなく、トークをしたり、手までも握れるようになった(B)
▼この成功が、一時は沈滞していた「ライブアイドル」の盛り上がりを生み出すこととなっていく。以後、「現場系」のアイドルが爆発的に増えて行く。
▼また、この頃になるとブログブームなどもあり、多くの人が簡単にネットで意見を言えるようになった。それにより、AKBサイドはアイドルのキャラを確立させないまま劇場やテレビ番組などに放り込んでも、ファンの側が勝手にいじってキャラをつけてくれるようになった。これは半ば、アイドルのプロデュース作業の丸投げだが、逆にいえば、ファンたちは運営の作業を我が手に引き寄せることができた(A)。
▼そして2009年からは、総選挙が開始される。「俺が選抜メンバーを選ぶとファンから”秋元分かってない!”と言われることが多かったので、もうファンに選抜メンバーを選んでもらおうと思った」が誕生のきっかけだったようだ。
▼つまりは、総選挙は、ネットでのキャラ付け+握手会での応援などによって成長したアイドルたちの中から、ファンが「この並びならAKBはさらに成長するだろう」と思えるメンバーの組み合わせを選ぶ行為。運営のプロデュース作業の中でもかなり大事な部分をファンたちの手に引き寄せる行為であった。
▼こうしてAKBの登場とともに、ファンはアイドルとの距離をギリギリまで我が手に引き寄せるとともに(Bの極限)、アイドルの育成から、メンバー編成まで、運営の仕事をほぼほぼを我が手に引き寄せることができるようになった(Aの極限)。
▼1971年から始まった「ファンが偶像を我が手に引き寄せる」プロジェクトは、このようにして極限まで達成されることとなった。
▼だが、昨年ごろからこの状況に少しずつ変化がみられるように。たとえばライブアイドルのライブに足しげく通う「現場派」界隈からは、「2016年でピークが過ぎた」という声がしばしば聞かれるようになってきた。
http://realsound.jp/2017/02/post-11392.html など
▼たしかに、ご当地アイドル、魔法使いアイドル、釣りアイドル、病んドル…かなりいろんなアイドルが出ては消え、出ては消えしてきた。また「ハプニング」のパターンも出そろってきたのではないか。その状況は、さながら歌舞伎ロックスからスイマーズまでいろんなバンドが出まくった末、進化が頭打ちになった「バンドブーム末期」と似てきている。…Bの極限の終焉? (注1)
▼一方、「Aの極限形態」を作り出してきたAKBも全盛期の力がなくなってきた。特に「俺が選抜メンバーを選ぶとファンからは”秋元分かってない!”と言われることが多かったので、もうファンに選抜メンバーを選んでもらおうと思った」として始まった総選挙だが、ここ何年かは、「同じようなメンツばっかり選ばれてないか?」と思えるような結果が続くようになった。
▼もちろん、ファンからすれば「よくみてよ、全然違うよ」と言うだろうが、自分のような「ライトなファン」からみると「いつもさっしーとまゆゆばっかりじゃないか!?」という印象。
▼これで「やっぱ秋元が選ぶのとは違うね!」という結果になっているのだろうか?と、ここ数年思ってきた。
▼そんな中、今回の選挙前に「願いごとの持ち腐れ」がリリースされた。
youtube
▼MVでは、今年廃校になる小学校を舞台に、そこを訪れたAKBの面々が、親や教師たちが見守る中、校舎を旅立って行く生徒達のために歌を捧げていた
▼「自分のために魔法を使おうと思っても、叶えたい夢がありすぎて1つに絞れない。だからもう自分のために魔法を使うのはやめよう。魔法は、苦しんだり、不安になっていたりする他人のために使おう…」そんな内容の歌だ。
▼とはいえ希望を歌っているはずなのだが、どうにもメロディが物悲しい。
▼だから、どうしても廃校と今のAKBを重ね合わせてみてしまう。そして「自分を輝かせるための魔法はいらない」に「総選挙はいらない」を読み込んでしまう。ファンの書き込みをみていたら「あれをやれ、これをやれ…」で収集がつかない。全部聞いてたら、キャラが定まらない=願い事が定まらない。だから、どう動いていいか分からない。で、そのまま選挙になって自分の思ってた結果にならなくて…と袋小路に入り込んでいく。AKBの勢いも落ちていく。だから「総選挙が夢をかなえる制度として機能していない」…(注2)
▼だとしたら「他人のために魔法を使う」とは何だろうか?この廃校=AKBで育ってきたメンバーがNGTやSTUなど新グループを育てることに希望を見出そうということだろうか?
▼そんなことを思っていたら、それに呼応するかのように、メンバーたちが続々と「選挙不参加」を表明し始めていった…。やはり俺だけでなくメンバーたちもそう思ってるんじゃないか?もちろん、メンバーが「願いごとの持ち腐れ」を作詞したわけではない。けれども、秋元先生は曲を作る前にメンバーを見に行ってそこから得たインスピレーションで曲を作るという。だとしたら、メンバーのたたずまいに、その無意識が現れ出ていたのかもしれない。
▼Aの極限の終焉…?先に「アイドル史のターニングポイント」と書いたのは、以上のような理解をしていたからだ。
▼そして、今回の総選挙をTVで観る。素直な感想としていえば「今年はファンたちも結構攻めてきたな」とは思った。おぎゆかちゃんを5位にしたり、惣田 紗莉渚を8位にしたり…「ちゃんと努力してる人をみてるんだなあ、ファンの人たちは。偉いなあ。」と率直に思った。
▼しかし、引いてみた時に、この選抜の並びで本当にAKBが勢いを増すことができるのか?あんまり知らない人が見た時に「おおっ!」となるパフォーマンスができるのか?とは、やっぱり思ってしまう(もちろん楽曲の力も大きいのでメンバー選びだけでは限界があるのはわかるけど)。
▼「また上の方同じだな」っていうのがあったから。それに、「努力メン」を入れるのもいいが、観た時の見栄えとか、パフォーマンス的に誰がうまいのか?なども考えた方がよいのではないか。
▼小栗有以ちゃんが「2万年に1度のなんとか」なのなら、思い切って選抜に入れたらいいんじゃないのか?今のAKBのイチオシの武器なんでしょうに?
▼別にファンが悪いということではないのだろう。むしろ、ちゃんと見て、自分が推したいと思った人を全力で推してるんだとは思う。しかし、全体も見た方がいいんじゃないのか?多少、自分の好みにハマってなくても、「全体としてみたら、このコをこの辺に置いた方がいいな」とか考えた方がいいんじゃないか?自分の推しのため「以外」にも魔法を使った方が、AKBの世界に平和は訪れるんじゃないのか?
▼ネットもあるんだし、そういう建設的な議論をした上で、ある程度見取り図をシェアしてから投票した方がよいんではないか?(俺が目につくだけかもしれないが「悲報系」の書き込みが多い気がするなあ)
▼…と、以上が「部外者」の無責任な雑感でした。
▼ともあれ。その一方で、「ファンが偶像を我が手に引き寄せる」というアイドルの歴史が終焉を迎えたのだとしたら、「その後」はどうなっていくのだろうか?
▼大きくは2つあるだろう。1つは、➀「アイドルを再び運営の手に取り戻す」の方向。もう1つは②「アイドルをアイドルの手に取り戻す(アイドルがアイドルを運営する)」の方向。もちろん「完全に運営だけが仕切る」とか「完全にアイドルだけが仕切る」ということではない。「その割合が高い」の意味だと思ってほしい。
▼①に関して言えば、総選挙をやらないなど、AKBよりもファンとの接点を減らし、「ファンの意見をより聞かない」ことで成功している乃木坂、欅坂などのラインがある(欅ちゃんはこれに「1ひねり」入っているが、そのことは別の機会に書く)。ただ、この方向がいいことなのかどうかは、ちょっと分からないところもある(今回の総選挙における運営のポンコツぶりみてもわかると思うが…)。
また、音楽的個性の強いプロデューサーが楽曲や世界観の全面的コントロールを行う「楽曲派」(サクライケンタの「ブクガ」、照井順政の「sora tob sakana」など)、渡辺淳一郎&松隈ケンタの「BiSH」などWACK系も➀のラインだろう。
▼②に関しては、濱野智史率いるPIPが、その計画を先駆的に立ち上げていたがとん挫。その後は、きたりえ、ゆきりんが後輩を育てる「NGT」、さっしーが後輩を育てる「SUT」や「=LOVE」などが登場。また、元アイドル社長がオーディションしてアイドルグループを作るなどの展開もいくつか見え始めている。だが、未だ、どこも成功していない(今回の選挙でNGTが成功に一歩近づいたかも)。成功すればアイドル史に新たな時代がやってくると思う。
(注1)「モノからコトへ」、「視聴から体験へ」などがもっともらしく言われるが「在宅派」の自分としては話半分として聞いている。「現場には複製音源を聴いているだけでは味わえない1回性があるのが魅力」というが、「そんなに何回も何回もおもろいハプニングばっかりあるかいな!」と思う自分にとっては、いくら「1回性」といったって限度があるんじゃないかと思う。それに「1回性」ならCDやYOUTUBEのMVだって、聴き手の「その時の気分」で聴こえ方、見え方が違う。欅ちゃんファンなので、毎日MVを観てるがまるで飽きない!「二人セゾン」も「不協和音」も「エキセントリック」も何千回だって聴ける。アクセスするたびに、観え方、聴こえ方が違う。おそらく、作り手も無意識にそのことに気づいて「何千回でも聴けるスルメ曲」に作っているのだと思う。なもんで今後はマーケティングの世界でも単純な「モノからコトへ」理論が疑われることになるだろう、と思っている。
(注2)「クラスで3番目にカワイイくらいの“普通の子”が、公平な競争を促すアーキテクチャの力によって潜在能力を引き出され“人気アイドル”となっていく」というのが総選挙のコンセプトだったのだろうが、その「挫折」は、単にアイドル界の話にとど���らない寓意を持つと思う。「人間の能力を引き出すITサービスを市場に続々投入していけば、社会は風通しがよくなり、さらに成長していく…」というストーリーにも今後、疑問符がつくようになるのではないか?
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