#棚橋弘至敗北
Explore tagged Tumblr posts
Text
冷たい市街
意図的に自分を見失うため、何も考えずに神戸に行った。住む街と違う場所であれば、目的地はどこでも良かった。ただ最近読んだ本のなかに出てきたその街が、私が今までに持った印象とは真逆のかなり魅力的なものだったためそこに決めた次第だ。だが結局、旅を終えてみてもその印象が覆ることはなく、街は外来者に冷たいままだった。後で友人からの慰めとして受け取った言葉を借りれば、誠に運が悪かった、それとしか言いようがない。以下はそのネガティヴな記録である。なお、神戸が好きな人や暗い気持ちになりたくない人には読まないことをお勧めする。
電車で1時間あまりの旅。十三を経由し、昼過ぎに三宮に到着した。かつてその中にある服屋の店員になぜか試着を拒否された、個人的に嫌な思い出しかない高架下の商店街を歩き、元町方面へ。朝とは打って変わって爽やかな天気だ。こざっぱりとした表通りの先、極彩色の門を構えた南京町は観光客でごった返していた。朝から何も食べておらず腹が減っていたが、何か口に入れる前に少し散策をすることにした。
裏道で見かけた中古カメラ屋に入る。店番のおばさんが眠りこけていた。ひどく雑然とした店内。扉を閉める音に気づき、むくりと起き上がった彼女が口を開く。私は留守番なんです、何かお探しですか? ――いえ、特に。主人を呼びましょうか? ――大丈夫です。古いカメラの数々がおよそ1万円以上の値で売られている。しばらく棚を見ていると、口ひげを蓄えてでっぷりと太った店主が現れた。呼びましたので、私はここで交代...。フィルムカメラ��探していると言うと、私がそれを一台も持っていない前提で話が進み、デジタルを否定しアナログを賛美する旧弊な饒舌に予期せず30分以上も耐えることとなった。俺がイロハを教えてやると言わんばかりの口調。終わる気配がないのでほとほと参った。もう行きます、と言うか言わないかのところで次の話が始まる。店主が黙ったかと思えば、彼の目の先30cmのところでこちらに背を向けて鎮座するテレビから、吉本新喜劇の大げさなリアクションが大音量で放たれる。仕方なく質問をすると、ライカを買えと言う。ライカは私の求める写りを実現してくれないことを知っているので、興味があるふりをしてお茶を濁した。10万超えのガラクタを買うつもりはない。そうして散らかった店内の真ん中でちょこんと座る店主を見ていると、汚い部屋で原稿を前にしてカメラを睨みつける坂口安吾の写真を思い出した。やられっぱなしで悔しかったので、店内の写真を撮っていいかと聞くと、断固として拒否された。面白いのに、何もわかっていやしない。そして聞いてもいない理由をべらべらと喋り出したので、途中で出ようと思ったが、なんとか堪えて最後まで相手をした。私は良い子だ。話の通じない店主含め、店全体がアナログのジャンク品のようだった。しかし、どうして「若者は苦労してナンボ」論者は、関わりの薄い他人にさえも不要な苦労を強いることができるのだろう。何よりも貴重な若さを費やすだけ費やして結果が実る保証などはどこにもないというのに。自称苦労人の彼に至って言えば、初見の若者に対してそのように重大な責任を持つことができるというのか。確かに人は、自分の経験を以てのみ説得力を持って話すことができる。だが、売れないカメラ屋を道楽経営しているという事実が説得力とは真逆の方向に働き、「フィルムは金払って失敗して上手くなるんや、それがデジタルならタダやろ? 一枚一枚を大事にせえへんねん」という主張の内容をさらに空虚なものにしていた。デジタルの恩恵を拒絶して懐古主義に浸るのも人によってはアリだが、それを他人にまで強要すべきではない。若者は、を枕詞に据えて話し始める、ストレート・アウタ・ショーワ(昭和)の親父たちは、その話さえも若者にとっては無駄な時間であるという観念など大抵持ち合わせていないため、遭遇した時には素早く距��を取ろう。
さて、出鼻を挫かれて向かったのは「ぎょうざ大学」、その名の通り餃子の専門店だ。5人ほどの待ちができていた。行列の伸びる方向とは別の方向に誤って並んでいた男が、こっちが最後ですか? と言いながら舌打ちをして私の後ろに付いた。ここでもいきなりやられてしまい、笑うしかなかった。店員に注文を聞かれ、餃子は2人前以上が注文必須だったので2人前、飲み物は水で、と言うも返事がない。誰に対してもそのような感じだったが、忙しいようなので仕方がない。南京町の餃子は、なぜか酢醤油に甘味噌を混ぜたタレで食べる。ほどなくして提供された焼きたての餃子は、皮はパリパリ、中はジューシーでかなり美味かった。店を後にし、続けざまに台湾タンパオにて小籠包をテイクアウト。皮からアツアツのスープがほとばしり、口内を優しく暴れ回る。これは美味い。分かち合える相手がいないのが残念だ。最後に近くの精肉店で巨大な唐揚げ串を買って食べた。ジューシーで、定食一人前ほどの食べ応えがある。おかげで腹がパンパンになった。ようやく食欲が落ち着いたのでコーヒーを飲みつつ文章を書く。このあたりは観光客が多すぎて店員は皆疲弊しているようだ。金持ちが相手だとしても愛想は悪い。しかし私は何よりも、ここが関西とは思えないほど関西弁が冷たく聞こえることに驚いた。むしろ優しいのは日本人より中国系だとも思えてくる。ゆく人の会話からも物質的な内容ばかり聞こえてくる。例えばこうして喫茶店で座っている横でも、おそらくだが上司と部下が仕事の話をしていて、しきりに集金集金と繰り返している。すっきりとした街並み同様、あまりにも血が通っていない人々。彼らは容姿の美醜に拘らず着ているものは一流であり、入念に施された外見、つまりは見栄の下、三宮からこのコールド・ヴェインを通り抜け、再び神戸という街の心臓に絶え間なく注ぎ込んでいるのだ。それでは、この心臓を動かす酸素の供給源はどこにあるのか? その答えを、私は旅の終わりに知ることとなる。
歩いて異人館方面へ向かう途中、「縁結びの生田さん」こと生田神社に立ち寄った。元陣内夫妻が結婚式を挙げた場所である。朱塗りの大きな鳥居と神殿に、多数の参拝客。境内の端で史蹟「生田の森」という看板を見かけたので、裏手にある鎮守の森を覗いた。数本の神木の下を人工的に���められた遊歩道と申し訳程度の小川が這っており、辺りには石碑が散在している。ここに限らず、全国どこでも史蹟というものは似たような様相を呈している。かつてあったという事実がそこに残ってさえいれば、形はどうでもいいのである。ここは雰囲気こそ薄暗く神聖な感じで、昔は広大な広葉樹林が社を囲んでいたものと思われるが、京都下鴨の糺の森がもはや森とは呼べないほど縮小しているのと同じで、空の光があちこち透けて見える程度の木立と化している。本当の意味での自然などどこにもないこの現代、かつてあったものの威光は一体この先をどこまで照らすのか。もの寂しさだけを覚えて私はそこを去った。
山手へ向かう長い坂を登り、神戸北部の一角にある北野異人館街に到着した。ここは旧外国人居留地で、瀟洒な洋館が立ち並んでいる。その中のいくつかは一般公開されており、入館料を払えば中に入ることができる。「公開異人館」や「一般公開異人の家」などという看板が目につくが、決してタダという訳ではなく、入口では安くない入館料が請求されるため注意しなければならない。通りにある有名なスタバを含め、なんとなく全てがハリボテであるかのような印象を受けた。北野という地名については、京都の北野天満宮を勧請したことに由来するそうだ。上り坂を終えた後に現れる長い石段の先には北野天満神社があり、その境内からは神戸市内が一望できる。私はそれらに用がなかったので、広場の猿回しの芸者と数名の観客を横目に足早に通り過ぎた。うろこの家裏手の細い横道から山へと入ると展望台があった。街を眺めやると、近くに聳えるひときわ高いビルが目についた。ジークレフ新神戸タワーというマンションだ。葉陰からにょきっと飛び出た大建造物という構図が面白く、数枚のモノクロ写真を撮った。道中、先日の台風の影響か崖崩れが起こっていたが、崩れた土砂の上に道が作ってあった。そのまま山道を突き進んでいると、ヨーロッパから来たと思しきカップルとすれ違った。このような観光地から外れた自然の中を歩いていると、地元の人の他になぜか欧米人と出くわすことが多い。その一方で、アジア系の旅行者を見ることは少ない。これら二者は旅に求めるものの傾向が異なるようだ。私はどこにいても緑を欲するタイプなので、山や森へと続く道を見かけるとするする入ってしまう。そのせいでフランスに行った時などは、ブーローニュの森であわや迷子になるところであったが、それもまた良い思い出だ。布引ハーブ園へと延びるロープウ��イの下を通り、北野から1.5kmほど歩いて辿り着いたのは落差43mを��る布引の滝である。この雄滝と少し下流にある雌滝を合わせて夫婦滝と称する。神瀑の名に相応しい威容で、水の流れ落ちる様子はまさに白布が垂れているかようだった。モノクロ写真を数枚撮った。良い画が撮れたと思う。カメラ屋のおっさんに見せてやりたいと思った。日が暮れかかっていたため、そこにいたのはハイカーが10〜20名ほどと少なかった。が、階段を下りてくる年配の彼らは皆酒臭く、それは山中に茶屋があるためであった。古びた茶屋を少し冷やかした後、再び滝を見上げた。滝壺はたっぷりとした水量があり、翡翠色の水が綺麗だった。傍に立っていた説明看板を見ると、観光客への配慮で、滝の水が一定になるよう上流のダムからの放流量を調節しているという。一時の来訪者としてはありがたいが、やはりここも人の手が加わった「自然」であるのかと思うとまた少し虚しくなった。
麓まで引き返してきたあたりで、ふと三宮駅からポートライナーに乗ろうと思った。それはこの旅の中で最良の選択だった。吉田篤弘が『神様がいる街』で、神戸港につくられた人工島を一周して戻ってくるこの無人運転の電車のことを、「横に回る観覧車」だと言っていたのである。私はそれがどのようなものなのか興味をそそられていた。以来、神戸に行ったら乗ってみようと思っていたのである。三宮で切符を買ってホームへ。空港行きと埠頭行きがある。電車は時間通りに客を吐き出し、かつ吸い込み、淡々と運行している。埠頭行きの一番前の席を陣取って足を投げ出すと、自分が歩き疲れていることに気づいた。車両は音もなく発車した。そうして至極のろまなジェットコースターにのったような気分で、目の前で次々に繰り広げられる光景をぼーっと眺めた。もう夜になっていた。埠頭、海、ポートターミナル、公園、団地、学校。レールの下に浮かんでは消えた。いくつかの駅を経て、電車はもと来た方向へと戻る。船舶、イケア、流通基地、駐車場、ビル。最後に、海にかかる橋から言いようもなく綺麗な市街の夜景が見えた。それは今日、唯一の感動であった。神戸よ、煌びやかな街を黙々と動かし続けているのは、これらの埠頭や空港から送り出される人や物なのではないか。街路が血液の体循環を象徴しているとすれば、きっとポートライナーが結ぶラインは肺循環であり、海��ぐるりと一周し、街と一時的な自然状態とを往還することで神戸のダイナモを支えているのだ。車両に乗り込んだ人々は、ぼんやりと景色を眺めたり、おしゃべりしたり、仕事や学校に向かったり、または家路に着いたりと、目的はバラバラであろうが、普通の夜の電車にありがちな雰囲気とは違った、何か独特な、人をわくわくさせる期待に満ちた空間が夜を滑って行くかのように思えた。海で仕入れた清新な大気とともに貿易センター駅で降り、三宮駅まで歩いて戻る時にこの仕組みが分かって納得した次第だ。あまりに疲れていたのでそれ以降は何も考えられなくなり、駅前でうどんを啜って帰った。京都に着いた時、友人から連絡があり、元田中の中華料理屋「上海バンド」で落ち合った。そういえば、海から見えた神戸市街も、以前にネットで見た上海外灘(バンド)の夜景に似ていたな、などとぼんやり思いながら麻婆白子やら羊のクミン炒めやらをつつくうち、ついつい飲み過ぎ、結果として予想とは違った方向で自分を見失う夜となった。
1 note
·
View note
Text
――……6.14後楽園でのコメントから4日後の6.18静岡では、鈴木選手はリング上で棚橋弘至選手に「オマエ、これで終わりでいいのか? 俺はIWGP(世界ヘビー級王座を狙いに)行くぞ」とアピールされたそうですね。 鈴木 ああ、言った言った。単純にアイツを見ててイラついたから。勝手に窓際族みたいな顔して、覇気のない試合してたから「なんだ、コイツ?」って。でも、よかったじゃん、新日本所属で。チャンスが回ってきたじゃねえか。 ――7.25東京ドームで飯伏幸太選手の代わりに鷹木信悟選手のIWGP世界ヘビーのベルトに急遽挑戦し、敗北を喫するも激闘を展開。直後の8.14ロサンゼルスでアーチャー選手を下してIWGP USヘビー級王者となりました。 鈴木 フン。それも、俺には関係ねーけどな。
0 notes
Text
棚橋弘至復帰戦はジェイ・ホワイトに黒星
棚橋弘至復マジソン・スクエア・ガーデン以来の復帰は苦い黒星
怪我で休場していた棚橋弘至が令和初試合を行った
復帰戦となる相手はジェイ・ホワイト
マジソン・スクエア・ガーデンでザックセイバーjrから破壊された左ひじを狙われるのは
ジェイ・ホワイトのレスリングスタイルから言えば当然と言う事になる。
ジェイ・ホワイトは棚橋弘至の痛めていた左肘を容赦なく責め立てる
棚橋弘至もスリングブレードで反撃
画像出典元 NJPW
だるま式ジャーマン
ドラゴンスクリュー
ドラゴン・スープレックス
そして封印していたハイ・フライフローを繰り出そうとする棚橋弘至に外道が邪魔をする
外道がリングイン。メリケンサックで襲いかかるも、かわした棚橋は張り手一閃。 ここでレフェリーが外道に気を取られているスキに、ジェイは棚橋に急所攻撃。そこからブレードランナーを狙うが、切り抜けた棚橋は掟破りの急所攻撃。そして横…
View On WordPress
0 notes
Text
ジェイ・ホワイトはなぜ強い?ケニー・オメガも棚橋弘至もオカダ・カズチカも凌駕したプロレススタイルとは?
ジェイ・ホワイトIWGPヘビー級王者に君臨
彗星のごとくIWGPヘビー級王座を奪ったジェイ・ホワイト
ジェイ・ホワイトの強さはいったいどこにあるのか?
劇的な変化を見せたジェイ・ホワイトだがジェ��・ホワイトに言わせれば必然であり
当たり前と言う
ジェイ:確かにファンの間では、俺が突然、不自然な変化をしたように見えているんだろうね。プロレスに限らず、ファンって自分たちが予期していなかった出来事に対して、とかくネガティブに捉えるものだから。
新日本プロレスに入団ヤングライオンとして戦ってきたジェイ・ホワイト
ヤングライオン時代のジェイ・ホワイト画像
ヤングライオンとして日本人新人と同じ生活を送るジェイ・ホワイト
海外遠征から帰国当時棚橋弘至が保持するインターコンチネンタルのベルトに挑戦
したが敗北まだ時期尚早かとファンも流した。
2018年にはWGPヘビー級王座になる前のケニー・オメガ…
View On WordPress
#IWGPヘビー級選手権#Jay White#NWA世界ヘビー級チャンピオン#オカダ・カズチカ再起はジェイ・ホワイト撃破#ジェイ・ホワイト26歳快挙#ジェイ・ホワイトの躍進#ジェイ・ホワイトブレード・ランナー#ジェイ・ホワイト強さは#スイッチ・ブレードショック#ニック・ボック・ウインクル#ハーリー・レイス#バレットクラブ入り#ブレード・ランナー#ブレード・ランナー破壊力は#ヤングライオン時代のジェイ・ホワイト画像#リック・フレアー#レインメーカーショック#世界戦略新日本プロレスジェイ・ホワイト#内藤哲也はジェイ・ホワイとどう絡む#外道とジェイ・ホワイト#棚橋弘至敗北#AWA世界ヘビー級チャンピオン#CHAOS離脱#IWGPユナイテッド・ステーツ・ヘビー級
0 notes
Text
屈辱的敗北ジェイ・ホワイトと外道に敗れたオカダ・カズチカ
屈辱的な敗北オカダ・カズチカ
レッスルキングダム13in東京でオカダ・カズチカVSジェイ・ホワイトの試合が行われた。
海外から帰国後メインを務めていたオカダ・カズチカにとっては
ベルトもなし、タイトルマッチもなし、まさに屈辱的なレッスルキングダム13となる。
画像出典元 NJPW
CHAOSを裏切ったジェイ・ホワイトと外道を制裁すべく数多くの前哨戦を繰り広げてきたが全敗
棚橋弘至と夢の共闘をしたが勝利に結びつける事が出来ずにいた。
しかしオカダ・カズチカファンはオカダ・カズチカの強さを知っており
オカダ・カズチカがジェイ・ホワイトに負けるはずかないと信じた。
オカダ・カズチカは帰国後棚橋弘至やAJスタイルズと抗を展開
内藤哲也やケニー・オメガと激闘IWGPヘビー級ベルトを腰に巻き長期政権を築き上げた。
完全王者、絶対王者と呼ばれオカダ・カズチカに勝てるレスラーがいるのかとまで言わ…
View On WordPress
#オカダ・カズチカ#オカダ・カズチカVSジェイ・ホワイト#オカダ・カズチカ屈辱的な敗戦#オカダ・カズチカ敗北#オカダ・カズチカ王者#ジェイ・ホワイト#ジェイ・ホワイトVSオカダ・カズチカ#ジェイ・ホワイトの乱#ジェイ・ホワイトオカダ・カズチカに勝つ#ジェイ・ホワイト次なるターゲット#フィクサー外道#レッスルキングダム13オカダ・カズチカ#外道&オカダ・カズチカ#屈辱的な敗戦新日本プロレス#新日本プロレスレッスルキングダム#邪道&外道
0 notes
Text
この落とし前はどうつける?オカダ・カズチカの逆襲が始まる。
オカダ・カズチカの逆襲が始まる。
2017年6月、オカダ・カズチカがケニー・オメガに敗北
IWGPジュニアヘビー級チャンピオンのベルトを奪われた。
画像出典元 新日本プロレス
一年以上新日本プロレス最高峰のベルトIWGPヘビー級防衛に成功したオカダ・カズチカ
レッスルキングダムin東京ドームでは、2016年G1クライマックスを制覇した内藤哲也と対戦
人気絶頂の内藤哲也との頂上決戦を制した。
春の、newJapanCUPで、棚橋弘至、内藤哲也、飯伏幸太を破った、ザック・セイバーJrと
IWGPヘビー級選手権も防衛に成功。
棚橋弘至の持つIWGPヘビー級王者連続防衛記録もその記録保持者棚橋弘至と直接対決をし
連続防衛記録を更新したオカダ・カズチカ
画像出典元 新日本プロレス
もはや、オカダ・カズチカに勝てる選手は新日本プロレスにはいないとまで思わせたオカダ・カズチカであった。
View On WordPress
#4年連続レッスルキングダムメインオカダ・カズチカ#オカダ・カズチカ#オカダ・カズチカのエース#オカダ・カズチカの落とし前#オカダ・カズチカの誤算#オカダ・カズチカの逆襲#オカダ・カズチカのIWGPヘビー級王座陥落#オカダ・カズチカVS棚橋弘至#レッスルキングダムin東京ドームのメイン#外道がオカダ・カズチカを?#完全王者となったオカダ・カズチカ#棚橋弘至の器#棚橋弘至エース#逸材棚橋弘至#邪道&外道#IWGPヘビー級王座連続防衛記録
0 notes