#桂正八幡神社
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katsuraginomori · 1 year ago
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桂正八幡神社の霜月祭りも無事に終了しました。
自粛時期もあり四年ぶりに地区外にも案内したところ、地区外から多くの参拝者にお参りいただきました。
たくさんの御神前等をお供えいただき、前日までの準備等や翌日の片付けなどにもお手伝いいただき、わずか五戸の氏子世帯のお手伝いに感謝いたします。
この霜月祭りは願成就の祭りとも言われ、例年正月元日に氏子世帯の無病息災を祈願して、祭当日に一年間氏子民が無事であった事に感謝し、願解きのお祭りを行います。
小さな集落ですが年一度の大行事です。
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hachikenyakaiwai · 1 year ago
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【かいわいの時】慶長十一年(1606)十二月十三日:秀頼、生国魂神社を再建(大阪市史編纂所)
家康は、豊臣家の財力を失わせるため、故太閤秀吉の菩提をとむらうためなどと称し、秀頼に対して、さかんに寺社の造営・修復を勧めた(略)当時、秀頼が造営・修復した寺社など方広寺大仏殿、誉田八幡宮、四天王寺、東寺金堂、石清水八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、中山寺、叡福寺太子堂、観心寺金堂、常光寺庫裏、宇治橋、鞍馬寺など(柏原市「玉手山物語」)。※原文ママ
石山本願寺建立の際には、この生国魂神社を隣接地に遷座して建立したとも言われるが、だとするならば石山本願寺は生国魂神社の最初の鎮座地に存在したことになる。また、近年の研究によれば石山本願寺は豊臣期の大阪城の詰之丸に存在したとの説もあるが、これがもし事実ならば、生国魂神社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。 戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失した。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社殿を造営し、天正13年(1585年)に遷座した。このときに造営された社殿は、「生国魂造」と呼ばれる、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである(いくたま夏祭りみこし会)。
(写真)『摂津名所図会 巻之三』より「生玉神社 其二」(スミソニアン蔵)。
江戸時代には、豊臣秀頼により造営された社殿が慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による兵火で焼失したが、江戸幕府により社殿は再興され、社領300石も安堵された。寛永-正保期(1624 - 1648年)の「摂津国高帳」によれば、その社領地は下難波村(現在の浪速区)にあった。また5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院は、黄金若干を当社に寄進したという。『摂津名所図会』では、当時の境内の様子や走馬神事の様子などが描かれている。幕末の『浪花百景』にも絵馬堂、弁天池が選ばれている。弘化2年(1845年)には、社殿の造替がなされた《略》1912年(明治45年)1月には「南の大火」により社殿を焼失し、1913年(大正2年)11月に再建された。しかし1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により再び焼失した。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列され、翌1949年(昭和24年)7月に本殿が再建されるも、1950年(昭和25年)9月のジェーン台風で倒壊してしまった。その後、1956年(昭和31年)4月に鉄筋コンクリート造で再建された(ウィキペディア)。
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kyoto4 · 4 years ago
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20210626  橋  (石清水八幡宮まで)
 京都もそうだが、日本はどこでも川が多い。平野というのは川の堆積によってつくられるものだから、あたりまえといえばあたりまえの話でしかないのだが、川がたくさんあるいうことは、橋もたくさんかけられているという勘定になる。  大きな橋もあれば、2,3歩あるけば渡りきってしまえるような短い橋もある。京都の有名な橋といえば、何だろう?  観光地では嵐山の渡月橋を思い出す人が多いかと思う。鴨川、五条大橋には牛若丸と弁慶のかわいらしくデフォルメされた石像があるが、元々かかっていた場所は今の松原のようである。大正2年に竣工された5連のアーチの七条大橋は、土木学会の土木遺産に選奨されていて、地元の人からけっこう大事にされている。ふるいといえば、日本初の鉄筋コンクリート橋(琵琶湖第一疏水 日ノ岡第11号橋)が山科にあって、以前、これは見に行った。  一条の戻橋は見落としてしまうくらいに短いし、ぱっとしない。白川にかかる行者橋のほうが、見ばえという点ではよいような気がする。京都ではないが、宇治橋や流れ橋なども人気があるのかもしれない。  緑や川のある風景は好ましいものである。京都は盆地なので、背景にはだいたい山が目にはいる。街中の建物の高さ制限はもっときびしくすすめるべきである。2階くらいまでで充分である。かつて上岡龍太郎が京都ホテルや京都駅高層化のときに言ってたのを思い出したが、「何階でも建てたいのならどんどん建てなさい、ただし地下に」が、秀逸である。でも、これも地下水に影響がでるので、豆腐屋や料理屋、酒蔵などはあまりおもしろくないかもしれない。
 今回は、石清水八幡宮まで行って帰ってきた。片道25キロくらいの距離である。薄曇りで、午後からは雨の天気予報だった。どこにゆくと決めて走ってたわけではなかったのだけど、淀あたりまで行ったら、この先に石清水八幡宮があるという標識があったので、向かっただけである。桂川のサイクリングロードは、うじゃうじゃ自転車が走っていた。  近くまでゆくと、表示が消えてしまい、しばらく迷ったが、土地の雰囲気にしたがってゆくと簡単に見つかった。また、神社周辺は、観光地っぽく整備されていて、土産物屋や飲食店が並んでいる。時間貸しの駐車場も多い。コロナ禍でなければ、そこそこに賑わっていたのだと想像する。京都とはまた違った感じで、観光も楽しめると思う。  いつものことだけど、神社内には入らなかったので中の写真は撮ってない。  立派なホームページあるので、知らない方はどうぞ。http://www.iwashimizu.or.jp/top.php  ケーブルカーにも乗ることができます。
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《不可录》重刻序
色欲的祸害,极其酷烈,从古至今,因此而亡国败家、丧身绝嗣的人,何可胜数!其次,因耽于色欲而摧毁刚健的身体,昏聩清明的志向,虽有顶天立地、希圣希贤的资质,却成了碌碌无为、无所建树之人,也同样不知道有多少!更何况那些违背天理、淫乱人伦,生前成为衣冠禽兽,死后堕入三途恶道的���流之徒,又怎能全都知道和看见呢!噫,色欲之害,真是残酷炽烈,令人心惊可怕之极!因此许多古圣先贤,特垂慈悯,有的告知以佛法的道理���有的规劝以世间善言,就是想使世人都能明白福善祸淫的道理;同时又用许多实例,作为验证和警戒,希望懂得自爱的人见了,能够怵目惊心,幡然醒悟,从而遏人欲于横流、复天良于将灭。从此一切大众,都能够享受富寿康宁的幸福,永离贫病夭折的祸患。这就是《不可录》所以要编辑成书的原因。
张瑞曾居士,想要把《不可录》重刻,印送广施,并请我写序阐明克制淫欲的要点。应该知道,当美色现前、淫欲之心炽盛的时侯,无论是正法的道理、世间的善言,还是令人敬畏的因果报应,都很难断其爱心。如果能于此时作“不净观”,则一腔淫心,可以当下冰消。
我老家陕西的长安城里,有许多子弟喜欢玩蟋蟀。有一家兄弟三人,都处于青少年时期。一天夜晚,月光明亮,他们在坟墓之间捉蟋蟀。忽然看见一个少妇,姿色绝伦,三人一同追赶捉拿。这时少妇突然变脸,七孔流血,舌头拖出一尺多长,兄弟三人同时被吓死。第二天,家里人找到了他们,救活了一个,才知道事情经过。被救活的那一个,大病了几个月才好。这家从此禁止子孙夜晚捉蟋蟀。这个美丽的少妇,没有变脸的时侯,三人见了,爱入骨髓,非要满足淫心不可,待到其妇变脸,都一下子被吓死,爱心立即化为乌有。然而当他们三人群起追逐时,其少妇也未必七孔无血、口中无舌。为什么她将血和舌头隐藏起来时,人们见她就生爱心,而见她流血拖舌,就生恐惧心呢?明白了这个道理,则凡见到一切天姿国色,都可以当作七孔流血、舌拖尺长的吊颈鬼来想!如果能这样,怎么还会被美色所迷惑,以致生不能享尽天年,死后又长堕恶道呢?
所以如来让贪欲重的人,作“不净观”。观之久久,行者尚且能断惑证真、超凡入圣,岂止是不犯邪淫、息欲养生的利益。见了美貌的异性就产生爱心而想行欲事,不过是被外��一张光华艳丽的薄皮所迷惑罢了。如果揭去这层皮,不但皮下面的东西不堪爱恋,就是这张薄皮,也绝对没有什么值得爱恋的。再进一步解剖其躯体,则将见脓血淋漓,骨肉纵横,脏腑屎尿,狼藉遍地,臭秽腥臊,不堪见闻。这比起前面说的那个少妇,其可畏惧、可厌恶的程度,更要超过百倍千倍。纵然是倾国倾城的绝世佳人,薄皮里面的东西,又有什么不一样呢? 为何只见其外面的形象,而不去观察里面的内容,迷恋其极少部分的薄皮之美,却不去注意占大部分的秽恶腥臭呢?我希望世人能明了美貌背后的实质,知其秽多而厌离,知其美少而放弃。如此,就能一同出离欲海,共登觉悟的彼岸了。
又当欲火中烧,不能自制之时,可将女阴当作毒蛇的口,想着自己是把阳物放进毒蛇的口中呀!这样一来,则心神惊惧,毛骨悚然,无尽的热恼,当下化为清凉!这也是一种熄灭淫欲的简便方法。(编者按:女性亦可类此观想,熄灭欲火。)据印光法师原文译
世人都希望自己健康长寿、子孙兴旺、事业发达、平安吉祥,没有人愿意多病夭折、子孙断绝、家道败落、凶危多难。此乃人之常情,三尺孩童也能明白。哪怕是最愚笨的人,也绝不会喜欢灾祸而讨厌吉祥。但是贪淫好色的人,虽然也希望寿康吉祥,但所作所为却与其希望的相反,结果是不想得到的厄运频频降临,而想得到的幸福吉祥却远离而去。真是可悲!那些纵情花柳、以此为乐的人,其下场无疑很悲惨,这里暂且不谈。就是夫妇之间,若是贪恋淫欲,同样会导致体弱多病、丧身失命。也有虽不贪淫,但由于不知忌讳(种种忌讳,书中有详细说明),冒昧房事而导致死亡的。真是太令人惋惜了。因此古时贤者编了《不可录》一书,记载了淫欲之害、戒淫格言以及福善祸淫的实例,详细而有条理地分析和陈述了持戒的方法、日期以及其中的忌讳,以警世人。作者的觉世救民之心,可谓恳切周挚!现在我将《不可录》加以增补修订,并取名为《寿康宝鉴》,再为这本书募捐印刷、令其广泛流通。我这样做,缘于一件令人痛心的往事:
有一名皈依弟子罗济同,四川人,46岁,在上海从事船商生意。其人性情忠厚老实,深信佛法,与关絅之等人合办“净业社”。民国十二三年,多次想来普陀山皈依,终因事务缠身,未能成行。十四年,身患膨胀病好几个月,病势极为凶险,虽经中西医多方治疗,均无效果。八月十四日,清理医药账目时,发现金额巨大。他生气地说:“从此就是死了,也不再吃药了!”其妾便在佛前恳切许愿终生吃素念佛,以祈求丈夫痊愈。当天下午,病情竟有转机,大泻淤水,未服药就基本康复了。我于八月底来上海,住在太平寺。九月初二去净业社见关絅之,罗济同也在那里。当时他虽然还没有完全康复,但气色淳净光华,无人能比。他看见我,欢喜地说:“师父来了!那我就在上海皈依,不需要上普陀山了。”于是就在九月初八与其妾在太平寺同受了三皈五戒。随后又邀请了程雪楼、关絅之、丁桂樵、欧阳石芝、余峙莲、任心白等居士陪我吃饭。九月初十,又请我到他家去吃饭,并且说:“师父就是弟子们的父母,弟子也就是师父的儿女呀!”我说:“父母总是为儿女的病患担忧,你的病虽好,但身体尚未完全复原,应当慎重!”可惜我当时没有直接明说“慎重”是特指夫妻房事。到了月底,我参加上海功德林召开的监狱感化会,罗济同也来了。会后有十余人留下用餐时,罗济同进来与帐房先生交待几句,然后就走了。此时他的面色简直就像死人一样。我料定他是犯了房事,深悔那天只说父母总为儿女的病患担忧,未曾说明担忧的原因和道理,致使他重病复发,生命危在旦夕。当时想给他写封信,告诉他一定要严禁房事,但因琐事繁杂,没有写成。十月初六回到普陀山,立即给他寄了一封信,极力陈述其利害关系,然而已经晚了,没有几天济同就死了。他临终的时侯,关絅之邀请了一些居士来助念。济同是否能够往生西方极乐世界,不得而知,但应当不致堕入恶道。济同大病数月,由于三宝的加被,未用药而痊愈。十几天来气色光华,胜于常人。后来却由于不知谨慎保身,误犯房事而死。不但断送了自己的性命,也辜负了三宝慈悲护佑的恩德啊。
我接到罗去世的消息甚为难过,想到世上由于不知忌讳冒昧贪淫以致丧命的人不计其数。如果不将这个道理提醒世人,则大失如来慈悲救苦之道。因此就决心将《不可录》一书的内容重新增补修订,排印成书,广泛流布,希望世上所有的人,都知道忌讳不致误送性命。一位居士想将母亲的遗资一千六百元印善书奉送结缘,我让他全部用来印《寿康宝鉴》,以救护青年男女,防患于未然。如此,则以罗济同一人的死,可使现在未来一切阅读此书的人,知道有所戒慎,并由于该书的展转流通、展转劝诫,使举世之人,都能同享长寿康宁,而悲苦的鳏寡孤独将越来越少。这样,济同一人的死,使一切人都能得到健康长寿,那么其死就有功德了。仗此功德,回向往生,济同必当俯谢娑婆,高登极乐,成为阿弥陀佛的弟子,作大海众菩萨的良朋。
孟子说:“最好的养心方法莫过于少欲。少欲的人虽然也有短命的,但很少;多欲的人虽然也有长寿的,但也很少。”身体健康的时侯尚且要节制性欲,何况是大病初愈之人! 十年前,有一个富翁的儿子,留学日本学习西医,成绩名列前茅。一次坐电车,车未停稳就跳,跌断一只胳膊。因为他自己就是学医的,所以很快就治好了。凡伤筋折骨,百日之内一定不能近女色行欲事。此人骨折后不久,因母亲做寿而回国,与妻子同宿一夜,第二天就死了。这位富翁的儿子很聪明,而且自己还将要为人医病,怎么连这样的常识,居然懵懵懂懂一点都不知道呢? 只因贪图片刻的欢乐,而葬送了宝贵的生命,还有什么样的悲哀可以与之相比呢? 前年,有一个商人,正在走财运,头天生意赚了六七百元,十分得意。第二天,他从妾的住所,来到妻的住所。其妻大喜过望。当时是农历五月,天气很热,她为丈夫开电扇,备澡盆,并拿冰水冲蜂蜜给他喝。她只晓得这样���以解暑降温,但却不知道丈夫刚行房事,是不能受凉的。结果不到三个钟头,这个商人就腹痛而死。由此可见,世上由于不知忌讳、冒昧行事而致死的人,实在不晓得有几千万亿呀!!从古至今,人间福报最大的莫过于皇帝,按理说,福报大的人,寿命也应当长。但如果认真考证一下,这些帝王十有八九都不长寿,这难道不是因为欲事过多,又加上不知忌讳,而缩短了自己的寿命吗? 常见世上的大聪明人,有许多也不能长寿,难道不也是由于不知危害懵懂行事而造成的吗? 我常说,世上的人,十分当中,有四分是由于色欲而死;还有四分虽不是直接因此而死,却因贪欲损身,遇其他内外病缘间接而死;能够尽寿而终的,不过是十分之一二罢了!茫茫世界,芸芸人民,竟然十有八九是因色欲而死,怎不令人悲哀啊!这就是我流通《寿康宝鉴》的原因。
惟愿世上爱儿女的人,以及为同胞修福止患的人,都来发心印送这本《寿康宝鉴》,辗转流传,使人人都知道忌讳,不致于误送性命或变成无所作为的废人。那些放荡于花街柳巷的人,多数是由于自己缺少正确的知见,受了损友淫书的毒害,致使身陷欲海,不能自拔。如果这些人愿意认真阅读本书,就会深知其利害,清楚地了解到:邪淫的戒除与否,关乎祖宗父母的荣宠羞辱、自己身家的生死成败,关乎后世子孙的贤愚存亡。只要这些人的天良还没有完全泯灭,一定会触目惊心而痛加戒除邪淫。若能人人如此,则人们各乐夫妇之天伦,不致因贪图淫欲而损身,都能相敬如宾、白头偕老、健康长寿。另外,清心寡欲之人,常能健康生育。他们的子女必定体质强壮、心性贞良,长大后不仅没有自戕身体的过失,还能成为荣耀门庭、贡献社会的栋梁之才。这是印光永远馨香以求的。愿一切阅读《寿康宝鉴》的人,大家共表同心,随缘流布,则人民幸甚!国家幸甚! (据民国十六年季春印光法师原文译)
人的身体是源于淫欲而得,所以人的淫习偏重。于此稍不注意谨慎节制,往往导致病亡。古时的圣王,非常爱护子民,在不宜夫妇房事的日子,令人敲响木铎(大铃),行走于街巷道路,警戒世人不要误送了性命。其慈悲爱民是何等的深切! 到了后世,不但国家政府的法令不再提及,就是父母对自己的儿女,也不讲��戒淫保命的道理,致使很多青少年,因无知而断送了宝贵的生命。实在太可悲了! 印光经历世事数十年,亲身见过、听过由于淫欲而伤身丧命的事例很多,十分悲伤,因此募化善资印制《寿康宝鉴》,希望同胞大众,都能获得健康长寿。希望获得此书的人,仔细阅读并展转流通,使大家的心思和钱财不致白费。我就非常非常高兴了。(据印光法师原文译白) 摘自《寿康宝鉴》序题章题辞二
每个人都希望自己及子孙健康长寿、幸福 美满,但如果在色欲这件事情上不知忌讳、不知节制、不知谨慎,则所希望的与所得到的将适得其反。岂不可悲可痛!所以孔子说:“青少年时期,血气未定,不能犯色欲。”(少之时,血气未定,戒之在色。)孟子说:“最好的养心方法莫过于少欲。少欲的人虽然也有短命的,但很少;多欲的人虽然也有长寿的,但也很少。”(养心者,莫善于寡欲。其为人也寡欲,虽有不存焉者寡矣。其为人也多欲,虽有存焉者寡矣。)因此可以说,人的死生存亡,多半取决于淫欲心的多与寡。不慧印光虽无有救世之力,但却非常希望世人都能健康长寿,于是增订编辑并刊印流布此书,殷切期望那些自爱并爱自己子孙的人,能够将此书详细阅读,对色欲与健康和夭寿的利害关系,明若观火,并能在家里教诲子孙,在外面告诫亲友。另外,我还祈愿此书能够在世间广泛流通,使一切人都能获得长寿健康。这是我馨香而祷祝的。
摘自《寿康宝鉴》序题章题辞一
http://www.skbj.cn/category-2.html
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patioweather · 6 years ago
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少年少女学研文庫
あ​く​た​れ​童​子​ポ​コ 北畠八穂 著 ; 桂ゆき子 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
あ​ん​ず​ぬ​す​っ​と 花岡大学 作 ; 東光寺啓 画 ​​学​習​研​究​社 1970
か​く​ま​き​の​歌 杉みき子 著 ; 北村脩 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
こ​の​湖​に​ボ​ー​ト​禁​止 トレーズ 作 ; 田中明子 訳 ; 太田大八 画 ​​学​習​研​究​社 1969
さ​よ​な​ら​ジ​ャ​ン​グ​ル​街 タウンゼンド 作 ; 亀山竜樹 訳 ; 安井淡 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
た​る​の​中​か​ら​生​ま​れ​た​話 シュトルム 作 ; 矢川澄子 訳 ; 金子国義 画 ​​学​習​研​究​社 1969
ほ​え​ろ​サ​ウ​ン​ダ​ー アームストロング 作 ; 飯島和子 訳 ; 島崎樹夫 画 ​​学​習​研​究​社 1971
ぼ​く​の​す​て​き​な​冒​険​旅​行 フライシュマン 作 ; 久保田輝男 訳 ; 長尾みのる 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
ぼ​く​ら​の​ジ​ャ​ン​グ​ル​街 タウンゼンド 作 ; 亀山龍樹 訳 ​​学​習​研​究​社 1969
ま​ぼ​ろ​し​の​小​さ​い​犬 フィリッパ・ピアス 作 ; 猪熊葉子 訳 ; アントニイ・メイランド 画 ​​学​習​研​究​社 1970
ア​ガ​ト​ン​=​サ​ッ​ク​ス​の​大​冒​険 ニールス=オロフ・フランセン 作 ; 鈴木武樹 訳 ; 和田誠 画 ​​学​習​研​究​社 1968.12
ア​レ​ッ​サ​ン​ド​リ​ア​物​語 ハウフ 作 ; 塩谷太郎 訳 ; 岡本颯子 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
ア​ン​ネ​リ​ー​セ​は​十​三​歳 デイトレウセン 作 ; 大久保貞子 訳 ; 菅沼ひろこ 絵 ​​学​習​研​究​社 1971
カ​イ​ウ​ス​は​ば​か​だ ウィンターフェルト 作 ; 関楠生 訳 ; 片寄貢 絵 ​​学​習​研​究​社 昭和43
カ​イ​ウ​ス​は​ひ​ら​め​い​た ヘンリー・ウィンターフェルト 作 ; 関楠生 訳 ; 片寄貢 画 ​​学​習​研​究​社 1970
カ​バ​の​国​へ​の​旅 スチーブンスン 作 ; 田中明子 訳 ​​学​習​研​究​社 1971
サ​ル​ガ​バ​ル​の​象 ギヨ 作 ; 安東次男 訳 ; 司修 絵 ​​学​習​研​究​社 1969
ジ​ョ​ン​万​次​郎 童門冬二 作 ; 武部本一郎 画 ​​学​習​研​究​社 1972
ジ​ロ​ウ​・​ブ​ー​チ​ン​日​記 北畠八穂 著 ​​学​習​研​究​社 1969
セ​リ​ョ​ー​ジ​ャ​は​ひ​と​り ガイダール 作 ; 袋一平 訳 ; 小林与志 画 ​​学​習​研​究​社 1969
ト​ラ​ン​ク​か​ら​出​た​少​年 ベルチストフ 作 ; 飯田規和 訳 ; E.ミグノフ 画 ​​学​習​研​究​社 1969
パ​ー​ル​街​の​少​年​た​ち モルナール 作 ; 岩崎悦子 訳 ​​学​習​研​究​社 1969
ピ​ッ​ケ​ル​の​思​い​出 槙有恒 著 ​​学​習​研​究​社 1970
ペ​ル​ー​の​神​々​と​黄​金 バウマン 作 ; 関楠生 訳 ​​学​習​研​究​社 1970
ポ​ニ​ー​テ​ル​は​王​女​さ​ま ウィンターフェルト 作 ; 関楠生 訳 ; レギーネ・オフルス=アッカーマン 絵 ​​学​習​研​究​社 1969
マ​ナ​ナ​ン​の​か​く​れ​島 ディラン 作 ; 久保田輝男 訳 ; 武部本一郎 画 ​​学​習​研​究​社 1969
ラ​モ​ン​じ​い​さ​ん シェファー 作 ; 大塚勇三 訳 ; 辻まこと 絵 ​​学​習​研​究​社 1968
三​太​の​テ​ン​ト​旅​行 青木茂 作 ; 秋野卓美 画 ​​学​習​研​究​社 1972
三​太​の​夏​休​み 青木茂 著 ; 秋野卓美 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
三​太​の​日​記 青木茂 著 ​​学​習​研​究​社 1969
三​太​の​湖​水​キ​ャ​ン​プ 青木茂 作 ; 秋野卓美 画 ​​学​習​研​究​社 1972
三​太​物​語 青木茂 著 ; 秋野卓美 絵 ​​学​習​研​究​社 1968
二​十​四​の​瞳 壺井栄 著 ; 三芳悌吉 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
五​十​一​番​目​の​ザ​ボ​ン 与田準一著 ​​学​習​研​究​社 1971
人​形​使​い​の​ポ​ー​レ シュトルム 作 ; 望月市恵 訳 ; 倉石隆 絵 ​​学​習​研​究​社 1969
人​間​は​ど​こ​か​ら​き​た​か 北野道彦 著 ; 堀内誠一 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
化​石​原​人​の​告​白 猪野省三 著 ; 斎藤博之 絵 ​​学​習​研​究​社 1969
子​ど​も​だ​け​の​町 ウィンターフェルト 作 ; 大塚勇三 訳 ; ロバート・ケネディ 画 ​​学​習​研​究​社 1969
孤​島​の​野​犬 椋鳩十 作 ; 奈良葉二 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
宇​宙​少​年​イ​オ​ン ブロシュキェヴィチ 作 ; 吉上昭三 訳 ; クロトキェフスカ 画 ​​学​習​研​究​社 昭和46
密​林​の​使​者 ギヨ 作 ; 安東次男 訳 ; 岩淵慶造 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
小​馬​の​ビ​ッ​ク ゲイツ 作 ; 斉藤数衛 訳 ; 武部本一郎 絵 ​​学​習​研​究​社 1969
星​の​子 アッスル 作 ; 熊倉美康 訳 ; 市川禎男 画 ​​学​習​研​究​社 1970
木​場​の​夕​焼​け 萩原一学 作 ; 木村正志 画 ​​学​習​研​究​社 1973
木​場​の​少​年 萩原一学 作 ; 木村正志 画 ​​学​習​研​究​社 1972
極​楽​鳥​の​島 ベルイマン 作 ; 鈴木徹郎 訳 ; 佐藤照雄 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
死​の​艦​隊 ホルスト 作 ; 関楠生 訳 ; 松井豊 画 ​​学​習​研​究​社 1969
母​の​な​い​子​と​子​の​な​い​母​と 壺井栄著 ​​学​習​研​究​社 1969
氷​原​の​旅 瓜生卓造 作 ; 中村勝美 画 ​​学​習​研​究​社 1972
牛​使​い​の​少​年 小山勝清 著 ; 北島新平 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
玉​虫​厨​子​の​物​語 平塚武二 作 ; 朝倉摂 画 ​​学​習​研​究​社 1969
白​い​戦​線 ルブル 作 ; 武内孝夫 訳 ​​学​習​研​究​社 1969
白​ナ​イ​ル​物​語 ムアヘッド 作 ; 水口志計夫 訳 ; 高田勲 画 ​​学​習​研​究​社 1971
砂​の​妖​精 ネスビット 作 ; 岸田衿子, 前田豊司 訳 ; 村上勉 絵 ​​学​習​研​究​社 昭和43
祖​国​へ​の​マ​ズ​ル​カ​ ​:​ ​シ​ョ​パ​ン​の​生​涯 ブロシュキヴィチ 著 ; 吉上昭三 訳 ; 山野辺進 絵 ​​学​習​研​究​社 1969
空​に​浮​か​ぶ​騎​士 吉田甲子太郎 訳著 ; 清沢治 画 ​​学​習​研​究​社 1970
若​草​色​の​汽​船 石川光男 著 ; 市川禎男 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
草​と​太​陽 黒住格 著 ; 木幡朋介 絵 ​​学​習​研​究​社 1969
西​部​へ​の​す​ば​ら​し​い​旅 モロー 作 ; 久保田輝男 訳 ; 池田浩彰 画 ​​学​習​研​究​社 1973
隊​商 ハウフ 作 ; 塩谷太郎 訳 ; 岡本颯子 画 ​​学​習​研​究​社 1969
雪​山​の​果​て 瓜生卓造 作 ; 北村脩 絵 ​​学​習​研​究​社 1971
青​い​リ​ン​ゴ​の​ふ​る​さ​と 畔柳二美 著 ; 岩崎ちひろ 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
風​ぐ​る​ま 太田博也 著 ; 須田寿 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
風​の​う​た サンドバーグ 作 ; 安藤一郎 訳 ; 堀内誠一 絵 ​​学​習​研​究​社 1970
風​の​又​三​郎 宮沢賢治 作 ; 桂ゆき子 絵 ​​学​習​研​究​社 1969
魔​法​の​ベ​ッ​ト​南​の​島​へ メアリー・ノートン作 ; 猪熊葉子訳 ; 赤坂三好画 ​​学​習​研​究​社 1968.11
魔​法​の​ベ​ッ​ド​過​去​の​国​へ ノートン 作 ; 猪熊葉子 訳 ; 赤坂三好 絵 ​​学​習​研​究​社 1968
黒​旗​山​の​な​ぞ トリース 作 ; 田中明子 訳 ; 太田大八 画 ​​学​習​研​究​社 1971
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zo-sunz · 2 years ago
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「日本の『公』と制度としての習合宗教の関係」
 明治以前の日本の「公」は、歴代の天皇であれ徳川幕府であれ、あるいは室町幕府や鎌倉幕府であれ、その精神的支柱を制度としての習合宗教に求め、また、習合宗教の側も、「公」と一体化することを求めてきました。この観点からは、習合信仰を広めるのに大きな役割を果たした本地垂迹説は、ときの政治権力の正当化原理です。ただ、それは、国家の正当化原理として、フィクションとしてもいかにも胡散臭いものでした。
 例えば、国家守護神として朝廷を支え、軍神として武家政治を支えた八幡神は、神仏習合神の最古層に属するといわれますが、その八幡信仰の中心である石清水八幡宮の縁起には次のような話があります。八五九年に奈良ダイアンじゃの僧行教が九州大分の宇佐八幡宮に参詣し、大乗経真言を誦したところ、八幡神があらわれて都に移って、国家を守ろうとの託宣があり、そのときに阿弥陀仏が現れたというのです。これについて、白井史朗『神仏分離の動乱』(二〇〇〇四年)は、新たな都である教徒になんとか足がかりを得ようとした奈良の僧侶たちの苦肉の演出であったとして、次のように述べています。
わざわざ宇佐八幡宮まで、仏教僧侶が散籠に行くこと自体がおかしいし、神の前で、大乗経典真言を誦したというのも不可解である。その結果、三衣の中に阿弥陀仏があらわれて、王城の地の近くに行って朝廷をまもり国家安泰を祈りたい、と、神のおつげがあらわれた、というのだから、こんな無茶な話はないと言わなければならない(白井 四七頁)。
この習合宗教と日本の「公」との関係は、明治期を境にして一八〇度転回します。明治時代になって、欧米列強からの脅威に対して、日本が主権国家として独立を維持する必要に迫られたときに、根拠が曖昧で矛盾すら含んでいる習合宗教は、国家の正統化原理とし���否定されました。それに代わって、国家の��合と一体化を強力に推進するために、「純粋で矛盾のない」正統化原理が求められたのです。こうして、明治初期のいわゆる神仏分離の動乱の時期を経て、国家神道が新たな国家権力の正統化原理として立てられました。しかし、それもまたフィクションとして、しかもかなり強引に生み出されました。
 国家神道のフィクション性については、子安宣邦『国家と祭祀』(二〇〇四年)が、国家神道を象徴する、伊勢神宮の内宮参道の幽玄な自然と崇高な神宮との一体化に言及しながら、次のように述べています。
[ だがこの内宮参道の自然とは、] 神宮神域固有の、古くからの趣であるのだろうか。江戸時代の絵図で見るならば、五十鈴川にかかる宇治橋を渡って内宮正殿にいたる参道の風景は現在とまったく異なっていることを知るだろう。そこでは宇治橋を渡ってもなお民家が軒を連ね、門前町をなしているのである。万治元年(一六五八)の火災までは、「現在の神楽殿や斎館のあるあたりまで民家があり、このあたりは宇治の上館、中館、下館町とよばれていた」と西垣晴次はいっている。江戸時代、万治、天保年間に民家が撤去されたが、現在のような神域になるのは明治20年の民家の最終的撤去によってであると西垣はいう(子安 五〇頁、[ ]は引用者)。
これからもわかるように、国家神道とは、イデオロギーとしてもまた事実としても、近代日本が生み出したフィクションでした。その国家神道も第二次世界大戦における敗戦によって否定され、現在の日本国憲法では国民主権と象徴天皇制が採用されて今日に至っています。現代日本の「公」は、いかなる習合宗教とも結びつくものではないし、また、国家神道と結びつくものでもありません。それは、立憲主義と国民主権に基づく象徴天皇制という新たな基本的枠組みとして成り立っています。
「公共哲学とはなんだろう [増補版] ──民主主義と市場の新しい見方」
著者 桂木隆夫(かつやぎ たかお)
勁草(けいそう)書房 2016年12月10日発行
著者略歴 桂木隆夫
1951年東京都生まれ、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、学習院大学法学部教授(公共哲学・法哲学)。法学博士、『市場経済の哲学』(創文社、1995年)、『新版自由社会の法哲学』(弘文堂、1998年)、『自由とはなんだろう』(朝日新聞社、2002年)、『ハイエクを読む』(編著、ナカニシヤ出版、2014年)ほか。
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judachigeiju · 7 years ago
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紀伊半島原付旅行記
早めの夏休みをもらったので、原付で伊勢湾フェリーを渡り紀伊半島を一周しようと思い立った。思い立って二週間後に出発した。紀伊半島とは精神の方面である。
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七月二日:浜松から新宮へ
排気量五十CCの原付〈一つ目家鴨〉号はキックスターターを使わないとエンジンが動かなかった。一抹の不安を抱えながら、七時半、原付に跨がった。曇空の下、国道一号線を西に進み、弁天島を回って国道四十二号線、表浜街道伝いに渥美半島を西へ進んだ。
坪井杜国の故地
赤羽根港に付属する道の駅で休んだあと和地交差点から西北に進路を変えて高田交差点で左折、高田西交差点で右折し、右手にある潮音禅寺こと潮音寺を訪れた。境内には柳原白蓮歌碑と山頭火句碑があり、空米売買で尾張徳川家の領地から追放され、渥美半島へ来た坪井杜国の墓碑がある。
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杜国墓碑の前に立っていると住職から 「俳句をやっているのですか?」 と声をかけられ、その日に咲き始めたという蓮を見せてもらった。蓮の初日はあまり開かないのだという。血統書付きの大賀蓮の水鉢もあった。住職は黒目高も二千匹に繁殖させたらしい。川を渡って「杜国屋敷跡」の看板のある角を左折すると畑のなかに小さな杜国公園。〈春ながら名古屋にも似ぬ空の色/杜国〉の句碑が建っており、投句箱もあった。
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十時を回っていたので急いで西へ向かい、二十分ほどで伊良湖岬のフェリー乗り場に着いた。標識交付証明書がなくても排気量を口頭で伝えただけで発券してくれた。合わせて三千九十円で、十円だけ人の方が高い。十時五十分発、五十五分に及ぶ伊勢湾の航海。波が荒かった。伊勢湾を渡っていると雨に降られた。船内のテレビで天皇の病態が報じられ、平成が来年五月までもたないかもしれない、と思った。鳥羽に着くと雨は止んだ。
嶋田青峰の故地
フェリーを出ると正午になろうとしていた。鳥羽フェリーターミナル二階のレストランで食事をとろうとすると係員のおっちゃんから「ここのレストランはおすすめしない。近くの錦屋がいい」と勧められ、錦屋でてこね寿司と伊勢うどんを食べた。若女将の愛想が良かった。食べているうちに梅雨晴間。志摩半島を縦断し、的矢で渡鹿野島を望もうとしたら、的矢は、ホトトギス同人から除名され新興俳句弾圧事件で逮捕された俳人嶋田青峰の郷里���った。句碑〈日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ/嶋田青峰〉も、弟である嶋田的浦の句碑〈海うらら水平線は汽船を引く/嶋田的浦〉も夏草のなかにあった。杜国といい青峰といい不遇な俳人ゆかりの土地ばかり巡った一日だ。志摩半島の浦はどこも簡素で好きになった。尾鷲で小雨に遭い、虹を見た。ひたすら走り、いくつもの浦の潮が戻るのを見ながら走り、十九時に新宮駅近くへ投宿した。
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七月三日:新宮から田辺へ
目覚めるとサッカー日本代表が白耳義に惜敗していた。六時半に新宮市の「路地」を見てから霧雨の国道百六十八号を熊野本宮大社まで走った。
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山岳信仰とサッカー
観光客がほとんどいない大斎原や本殿を見た。熊野は大学一年生のとき以来だから十年以上ぶりだ。拝殿にサッカーワールドカップ関連の展示があったが、侍ブルーのユニフォームを着たスタッフが取り外していた。熊野の神に勝っ���のだから確かに白耳義は赤い悪魔だった。
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八時半に給油してから山を下り、新宮市街まで戻ってから那智の滝を見た。数年ぶりに絵馬を書いたり護摩木を焚いたりした。熊野本宮よりも那智の滝を神体とする信仰の方が私にはわかりやすい。
鯨焼肉はレバーの味
十一時には那智を離れ、正午に太地町へ着いた。くじら博物館は千五百円を惜しんで入らなかったけれど鯨恵比須の鯨骨鳥居と燈明崎の山見を見て、道の駅たいじで鯨焼肉定食を食べた。血臭いのでやはり鯨肉は揚げた方がいい。
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尻ではなく太腿で乗る
国道四十二号線をひたすら西へ。里野で水泳パン���に着替えたがちょうど日が陰って寒くなり、海水浴はあきらめた。見老津のあたりで和歌山県警の軽パトカーに跡をつけられたので、先に行かせたら、また後ろに回られてスピーカーで停められた。職務質問だ。「浜松市」ナンバーを見なれないから停めたとのこと。浜松から原付で来たと説明すると「どうしてそんな気になったんですか」と訊かれた。「お尻が痛くならないんですか」とも訊かれたので「尻ではなく太腿で乗ると痛くならない」と答えた。ズボンの下は水泳パンツなので、ズボンの中まで調べられたら即逮捕だっただろう。別れ際に夜間に掛けられる光る反射タスキをもらった。それから道の駅ごとに休み、田辺を目指した。
交番へ出頭
十六時過ぎに道の駅椿はなの湯で休んだ。ベンチに座ってのんびりしていると別のベンチに座っていた老爺が「そろそろ行くか」と独り言を言い、軽トラックでどこかへ行った。老爺のベンチが日陰だったので日射を避けるべく私はその日陰のベンチに移動した。するとベンチの上に財布が落ちていた。あの老爺の財布だと思い、私は戻ってくるまで待つことにした。でも戻ってこなかった。道の駅は定休日で閉まっていた。仕方なく私はその財布を持って近くの椿駐在所まで行った。しかし駐在さんはおらず、備え付けの電話を架けると婦警が富田駐在所まで来ていただけるかと言った。住宅街のなかにある富田駐在所へ出頭し拾得物物件預り書一枚で解放された。一日に二回も警察沙汰だ。交番を出て国道四十二号線に出た途端に雨が降り出した。晴れ間をぬって沿岸を北へ進み田辺駅近くの美吉屋旅館へ投宿した。自動扉が開くと禿親父がソファに寝そべって歌謡ショーを観ていた。客かと思ったけれど主人で間違えなかった。夜風が吹いただけで骨組が唸る旅館の「菊」の部屋に泊まった。若旦那から純喫茶桂のご主人が亡くなって看板を下ろしたと聞いた。灯りが点いているのはどきどき奥さんがいるからだとのこと。
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七月四日:田辺から大和高田へ
北上するには二通りあった。海岸沿いに国道四十二号線を進む海ルートと高野山を経る山ルートだ。高野山は魅力だが山ルートにはガソリンスタンド問題があった。ただでさえ燃費が四十キロ前半まで落ちているのにガソリンスタンドが少ない山中を百数十キロ走るのはガス���リスクが高い、それに近畿地方の天気予報は全域で雨なのであえて天候の見えにくい山間部を通ることもなく海ルートに決めた。
台風七号ブラピルーン
フロントに鍵を置いて五時半過ぎに出発した。みなべ町の岩代で、四つのH音のやるせなさが素晴らしい〈家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛/有間皇子〉が詠まれたという磐代の結松と畑のなかの寺脇にある歌碑を観た。八時くらいまで台風七号はおとなしかったがトンネルを出て由良町になってから本気を出し、激しく雨が降り出した。それでも走り続けたのでジーパンはもちろん下着までぐっしょり濡れた。なぜ走っていたのかと言うと大阪は午後から曇るという予報に賭けたからだ。和歌山市まで強く雨が降っていた。大阪府に入ると小雨になり時々晴れ間も見えた。雨雲レーダーを見ると高野山はもっと強く降っていたので山ルートにしなくて本当に良かった。岸和田城の横を通り和泉市で冷えた体の血流を回復させてから東へ折れ、富田林から河南、水越トンネルをくぐって大和の葛城に出た。山はやはり雨が降っていた。
葛城一言主神社では二人の男性が階段下の祓戸神社へ参拝してから昇段し、一言主神社の拝殿へ参拝していた。一言さんは地元の信仰を集めているらしい。それと拝殿に参拝する事前準備として拝む祓戸神社というシステムは熊野本宮にもあった。祓戸神社の祭神はいずれも瀬織津姫、近畿地方の格式ある神社の様式だろうか。大和高田のネットカフェで刃牙を読んだあと大和高田駅近くの福の屋旅館の「菊」に泊まった。また菊だ。女将一家の生活スペースと部屋が廊下一つを隔てて隣りあっているので、おばあちゃん家に泊まった感があった。女将は、橿原神宮の神武天皇が奈良県を大災害から守っていると言った。そういう信仰は美しい。
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七月五日:大和高田から浜松へ
近鉄大和高田駅のミニストップで食事をとった。ちょうど通学時間帯で女子中生・女子高生が目に入る。それは揚羽よりも速いという女子高生に会いに吉野へ行くからだろう。
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三重県南部は雨時々曇りという予報を見て急ぎ八時半には宿を出た。女将から缶珈琲をもらった。桜井を経て九時半過ぎに宇陀の阿騎野へ。吉野とは飛鳥の平地から見上げるような山地のことだった。東の野にけぶりの立つ見える阿騎野は菟田吾城という古代城郭があったらしい。鎌を持った小母さんから「この地は薬草で有名」「元伊勢」と聞いた。
人間のクズが国栖に
吉野川まで南下して国栖の里を眺め十一時前には国栖奏伝習所の横を通り浄見原神社を訪れ記名した。「鯨は人間のクズだ。ちなみにクズは国栖、先住民族の名だ」と言われてからずっと気になっていた土地「国栖」に立てた。
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県道十六号で国道百六十六号線に戻り、鷲家八幡神社の桂信子句碑・前登志夫歌碑・宝蔵寺の能村登四郎句碑を見て、高見山を仰いだ。そういえば吉野で女子校生は見なかった。汗に冷えた体で高見山トンネルをくぐった。それから虹の泉のほかは伊勢までひたすらに走った。
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近畿地方はあちこちで豪雨らしいが、幸運にも私は雨を数粒受けただけで水泳パンツを履いた意味がなかった。猿田彦神社を参拝し十六時前には鳥羽のフェリー乗り場に着いた。十六時半発のフェリーには間に合ったがガソリンが空になりそうだった。あこや真珠と中国産の淡水真珠の違いを聞いた。
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雨の帰浜
フェリーは伊勢湾に出ると波に揺れた。恋路ヶ浜を見下ろしてから国道二百五十九号線を通って豊橋市を目指した。国道二十三号線からは私が「ほぼ原付専用道路」と呼んでいるバイパス横の側道を通り湖西市へ。昼夜食堂港屋本店で浅蜊汁と鯵の開きを食べた。食堂を出ると雨が降り始めた。弁天島を経て国道一号線で帰宅した。四日間の走行距離は九百三十五キロメートルだった。あとヘルメットのシールドが割れていた。
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carguytimes · 6 years ago
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道の駅うらほろから徒歩約3分の浦幌神社は通称「おっぱい神社」。ご利益いっぱいの理由は?(北海道)【車中泊女子の全国縦断記】
国道38号線沿い、十勝郡浦幌町にある道の駅【うらほろ】から南へ徒歩約3分、【浦幌神社】が鎮座しています。 明治29年(1896)、伊勢神宮より天照皇大神宮の神璽を受けて坂東農場(現浦幌町総合スポーツセンター付近)に祠を建立、天照皇大神を奉祀したのが浦幌神社のはじまりです。一昨年(2016)に御創祀百二十周年を迎え、参道・駐車場が整備されています。 御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と八幡大神(やはたのおおかみ)。八幡大神は勝負の守護神であり、努力が充分に発揮されるよう、合格祈願に訪れる方も多いです。 浦幌神社は通称「おっぱい神社」として知られています。その理由が、こちらの【乳神神社】。御祭神は乳授姫大神(ちちさずけひめのおおかみ)といい、子宝・安産・縁結び・病気平癒(婦人病)の守護神として信仰を集めています。 乳神様は、大正の中ごろ浦幌町瀬多来地区の森にあった乳房のような2つのコブを持つナラの老木を御神木としてお祀りしたのがはじまりです。 昭和57年(1982)に浦幌町厚内箱石の沢で発見された乳石(自然石/硬質砂岩)も安置されており、触れると御神徳が授かるといわれています。 ご神木の、夫婦桂。縁結び・恋結び・夫婦円満の象徴で、五色の祈願短冊に願い事を書いて祈願します。 平成27年より設けられた、バイク交通安全祈願の名刺奉納所。鐡馬御守(バイクのお守)もありました。黒を基調とした、シンプルでいて格好いいデザインですよ。北海道を旅するバイカーの間で、密かな人気スポットとなっています。 伏見稲荷神社は、大正10年(1921)、京都の伏見稲荷神社より分霊を賜り建立されました。名刺の奉納所があり、商売繁昌・仕事成功・立身出世を祈願する経営者や営業マンが多く参拝されるそうです。 実は筆者も昨年の今ごろに参拝し、仕事運が上がるよう名刺を奉納しました。何を隠そう、それが『クリッカー』です。その後から掲載量が増え、個人的にはご利益があったと感謝し、この度「お礼参り」した次第です。 8月25日・26日は夏季神輿渡御祭(みこし祭)、9月20〜21日は秋季例大祭が執り行われますので、参拝されてみてください。 【道の駅うらほろ】 住所:北海道十勝郡浦幌町字北町16 電話:015-576-5678 駐車:普通車 74台/大型 5台/身障者 2台 物産館、レストラン併設。フリーWi-Fi完備。 隣接の【うらほろ森林公園】では、オートキャンプ���バンガロー、パークゴルフ、フィールドアスレチックなどが楽しめます。 ご当地グルメとしては『スパカツ』が有名ではありますが、筆者がおススメするのはこちらの『北海ラーメン』です。エビ・カニ・ホタテなど海鮮たっぷりで、旨味が凝縮された塩ベースのスープも好みでした。 日帰り入浴には、道の駅から徒歩5分くらいで【公衆浴場 健康湯】があります。営業時間は14〜22時(受付は21時30分まで)。月・木曜定休日(7月・8月は月曜日も営業/1月1日〜1月3日はお休み)です。健康湯は沸かし湯ですので、温泉をご希望の方はちょっと遠いですが【うらほろ留真温泉】をどうぞ。道の駅から約18kmです。 浦幌町内には【浦幌町立博物館(浦幌町教育文化センターらぽろ21)】(10〜17時/月曜日休館)もあり、郷土の歴史や産業などが分かりやすく展示されています。 また、キャンプや車内泊旅の観光客向けに、【コインランドリータマちゃん】(6〜22時/年中無休)のアナウンスも積極的に行われているのが嬉しいですね。スーパーフクハラも近くにあるので、お洗濯中にお買い物も済ませられます。長期旅行の中継地点に、立ち寄られてみてはいかがでしょうか。 (松本しう周己) あわせて読みたい * 知床・羅臼のカフェギャラリーNo borders Café(北海道)【車中泊女子の全国縦断記】 * 重大事故につながる逆走は「発見」しても「やってしまって」も安全を確保してから110番!【NEXCO中日本に聞きました】 * 300台常時展示!日産のDNAが詰まった「日産ヘリテージコレクション」とは? * 洞窟と同じく避暑にもなる坑道見学・鯛生金山(大分)【車中泊女子の全国縦断記】 * BMWの「BMWコネクテッド・ドライブ」がリニューアル。新機能追加とスマホ向けアプリをリリース http://dlvr.it/Qfq9TN
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michinaka3-blog · 8 years ago
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第24回日本陶芸展 入賞者決まる  第24回日本陶芸展(毎日新聞社主催、文化庁後援、TOTO特別協賛)の入賞作品が決まりました。グランプリの大賞・桂宮賜杯には招待作家、井上雅之さん(59)=茨城県石岡市=の「NT―171」が選ばれました。招待・推薦作家によるグランプリ受賞は、第11回展(1991年)での故・三代目徳田八十吉さん(人間国宝)以来となります。4月~9月、入賞・入選作品、招待作家の作品を全国4会場で巡回展示します。 ■入賞者(敬称略) 大賞・桂宮賜杯 「NT―171」(招待)井上雅之(59)=茨城県石岡市 準大賞・日本陶芸展賞 「彩釉器(さいゆうき)」(第1部)田島正仁(68)=石川県小松市 優秀作品賞・文部科学大臣賞 「青白磁面取鉢(せいはくじめんとりばち)『稜(りょう)』」(第1部)鬼丸尚幸(39)=福岡県東峰村 優秀作品賞・毎日新聞社賞 「自遊(じゆうな箱(はこ)」(第2部)由良利枝子(66)=茨城県つくば市 優秀作品賞・毎日新聞社賞 「白磁口紅組鉢(はくじくちべにくみばち)」(第3部)阿部眞士(57)=北九州市八幡東区 特別賞・茨城県陶芸美術館賞 「実(み)」(第1部)高橋奈己(43)=東京都練馬区 特別賞・TOTO賞 「飴釉土鍋(あめゆうどなべ)」(第3部)島根大(41)=島根県出雲市 大賞・桂宮賜杯 「NT―171」 準大賞・日本陶芸展賞 「彩釉器」 優秀作品賞・文部科学大臣賞 「青白磁面取鉢『稜』」 優秀作品賞・毎日新聞社賞 「自遊な箱」 優秀作品賞・毎日新聞社賞 「白磁口組紅鉢」 特別賞・茨城県陶芸美術館賞 「実」 特別賞・TOTO賞 「飴釉土鍋」 ■入選者(敬称略) 第1部=応募264点、入賞・入選70点 <賞候補> 市岡泰(宮城)寺本守(茨城)津金日人夢(熊本) <入選> 橋本昌彦(宮城)松村仁団望(栃木)根本峻吾、牧野修一、羽石修二、飯沼耕市、松井康陽、福野道隆、大野佳典(茨城)宮地陶博(埼玉)宮島正志、保屋野武、保立剛、氏家龍次、信耕正明、星野友幸(東京)羽鳥惠子、佐藤典克、深谷泰(神奈川)牧フキ子、高橋朋子、鈴木圭太、浜渡富雄、美崎光邦(千葉)室伏英治(静岡)伊藤栄傑(新潟)久野笑加、梅本孝征、矢作薫(愛知)田中孝、林恭助(岐阜)多田幸史、南絢子(石川)加藤清和(京都)中原幸治、北野勝彦、古谷徹(大阪)豊住和廣、糸井康博、山中辰次、樋口邦春(奈良)清水一二(兵庫)藤田哲英、中江美智男(岡山)今田拓志(広島)田原崇雄、上田敦之、岡田泰、岡田裕、大和祐二、渋谷英一(山口)山本佳靖、坂本章(鳥取)藤澤徳雄、黌農美重子、村尾一哉、伊藤信夫(香川)中矢匡威、亀田緑光、竹西予州(愛媛)井上菊(福岡)浦郷壮、小川洋一、井上康徳(佐賀) 第2部=応募142点、入賞・入選38点 <賞候補> 伊藤みちよ(千葉)水上幸仁(山梨)森山寛二郎(福岡)神田和弘(鹿児島) <入選> 深田健介、増原嘉央理(北海道)近藤賢、市川陶之臣(福島)谷口勇三(栃木)佐藤雅之(茨城)森田高正(埼玉)田原形子、中田ナオト、栗原裕子(東京)松澤恵美子、佐藤典克(神奈川)水谷俊雄(千葉)唐木田伊三男、西澤伊智朗(長野)山口美智江(愛知)青木宏(福井)小谷太���、竹村嘉造、谷村さくら(滋賀)南森千雅、菊見吟子、昼馬和代(大阪)慶野ことり、鍛治ゆう子、市野勝磯(兵庫)西村芳弘(広島)中尾厚子(島根)松谷文生(愛媛)井上康(福岡)嶋田敏生、中村慎(佐賀)神田樹里(鹿児島) 第3部=応募102点、入賞・入選27点 <賞候補> 織田達也(香川)圓田拓男(佐賀) <入選> 齋藤厚子(秋田)佐藤大寿(福島)荻原毅久(栃木)小林哲生(茨城)本山良方、比佐友子(埼玉)岩瀬健一、繁原紀美子(東京)瀬川賀寿子、佐藤典克(神奈川)七尾佳洋、河井一喜(滋賀)土井雅文(奈良)坂本章(鳥取)石飛勲、深津典子、中鉢耕助、井上一、河村徹(島根)吉良博(高知)六平(佐賀)林清治(熊本)松形恭知(宮崎) ■招待作家(50音順、敬称略) 井上雅之、今泉今右衛門(十四代)、隠崎隆一、加藤委、川崎毅、小池頌子、柴田雅章、杉浦康益、高垣篤、武腰潤、福島善三、福間琇士、前田昭博、前田正博、三原研 ■巡回展・ギャラリートークの日程 入賞・入選作品、招待作家の作品計150点を巡回展示します。各会場では識者によるギャラリートークも行います。会場と日程は以下の通りです。 <巡回展> ●東京展 大丸東京店(東京都千代田区丸の内 4月6~11日) ●大阪展 大丸心斎橋店(大阪市中央区心斎橋筋 4月19~23日) ●茨城展 茨城県陶芸美術館(笠間市笠間、JR笠間・友部駅 6月17~9月3日) ●西日本総合展示場(北九州市小倉北区浅野、JR小倉駅 9月14~18日) <ギャラリートーク> ●東京展 4月6日(木)午後2時~ 林屋晴三=日本陶磁協会副理事長 4月8日(土)午後2時~ 竹内順一=東京藝術大学名誉教授 4月9日(日)午後2時~ 外舘和子=工芸評論家・多摩美術大学兼任講師 4月10日(月)午後2時~ 金子賢治=茨城県陶芸美術館館長 ●大阪展 4月19日(水)午後2時~ 出川哲朗=大阪市立東洋陶磁美術館長 ●九州展 9月16日(土)時間未定 石崎泰之=山口県立萩美術館・浦上記念館学芸専門監学芸課長 ※事情により中止・変更になる場合があります。ご了承ください。 文化 スポーツ 教育 顕彰 日本陶芸展 第24回日本陶芸展応募要項 日本陶芸展規約 運営委員と審査委員 これまでの入賞者 ホーム このページのトップへ サイトマップ お問い合わせ
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kusanotakashi · 8 years ago
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北九州出身てどげな人がおるか? まとめてみた
君も彼らを超えてみるか? その可能は大だ なして?て 北九州んもんやろうがね!
政治・軍事 国会議員・現職 * 高木美智代 (衆議院議員) * 野田聖子 (衆議院議員。元郵政大臣、元岐阜県議会議員) * 杉尾秀哉(参議院議員。元TBSテレビ記者) * 仁比聡平(参議院議員。弁護士) 国会議員経験者 * 自見庄三郎 (衆議院・参議院。郵政大臣、内閣府金融担当特命担当大臣を歴任。医師) * 弘友和夫(衆議院・参議院) * 末松義規 (衆議院。外務官僚出身) * 東順治 (衆議院) * 城井崇 (衆議院) * 緒方林太郎(衆議院。外務官僚出身)八幡西区出身 首長 * 舛添要一 (前東京都知事。前参議院議員。元厚生労働大臣、国際政治学者)八幡東区出身 * 麻生渡 (前福岡県知事、前全国知事会会長) * 亀井光 (元福岡県知事) 裁判官 * 高橋久子 (元内閣審議官・労働省婦人少年局長・女性初の最高裁判事) 軍人 * 杉山元 (元陸軍大臣、参謀総長) * 板倉光馬 (元海軍中佐、海上自衛隊幕僚総監部、戦記作家) * 奥保鞏 (元元帥陸軍大将伯爵) 金融 * 白川方明(元日本銀行総裁) 政治活動家 * 桜井誠(『在日特権を許さない市民の会』会長)
実業 * 大前研一 (経済評論家) * 高原正雄(いすゞ自動車理事、一般社団法人明専会会長、全日本学生フォーミュラ大会元委員長) * 福地茂雄(NHK会長、元アサヒビール相談役、会長):戸畑区 * 村井勉(元アサヒビール社長、元西日本旅客鉄道会長) * 吉田秀雄(元電通社長) * 利島康司 (北九州商工会議所会頭、元安川電機会長、社長、JR九州取締役) ☆小南孝教 (元神戸製鋼副社長、神鋼鋼線工業社長)同級生の兄 ☆大庭雅志(元東京海上日動副社長)同級生
学者 * 杉崎光世 (法学者・九州国際大学名誉教授) * 藤田哲也 (竜巻研究の第一人者) * 中島義道 (哲学者) * 高橋和夫 (国際政治学者)
医師 *福島孝徳 (脳神経外科 新門司病院) *延吉正清 (循環器科、心臓外科 小倉記念病院 )退任 *田中恩 (産婦人科 セントマザー病院) *市川光太郎 (小児科 救急科 市立八幡病院) *川原尚行 (スーダン・東日本震災支援医療 NPOロシナンテス)
文化 * 津村禮次郎(能楽師、人間国宝) * 山田稔 (小説家、フランス文学者) * 左方郁子 (小説家) * 火野葦平 (小説家) * 岩下俊作 (小説家) * 劉寒吉 (小説家) * 佐木隆三(小説家) * 末永直海 (小説家) * 鶴田知也 (小説家) * 佐伯泰英 (小説家) * 一条真也 (作家) * 伊馬春部 (作家・日本初のテレビドラマの脚本を担当した) * 加納朋子 (推理作家) * 立石泰則 (ノンフィクション作家、ジャーナリスト) * 宗左近(詩人) * 高橋睦郎 (詩人) * 平出隆 (詩人) * 笠青峰 (日本画家) * 北条司 (漫画家) * 星里もちる (漫画家) * 鈴宮和由 (漫画家) * 山口かつみ (漫画家) * ���川涼 (漫画家) * 篠塚ひろむ (漫画家) * 谷村ひとし (漫画家・パチンコ評論家) * 萩岩睦美 (漫画家) * 山口美由紀 (漫画家) * 畑中純 (漫画家) * 井上正治 (漫画家) * すえのぶけいこ (漫画家) * 中島史雄 (漫画家) * 藤原ここあ (漫画家) * 原徹 (アニメプロデューサー) * リリー・フランキー(イラストレーター) * サイトウマコト (イラストレーター) * 石橋謙一 (イラストレーター、ボックスアーティスト) * 横山宏 (イラストレーター) * 藤原新也 (写真家) * 小倉朗 (作曲家) * 和田直也 (作曲家) * 畑中良輔 (バリトン歌手、指揮者、音楽評論家) * 大野徹也 (テノール、オペラ歌手) * 川口ヱリサ (ヴァイオリニスト) * 篠崎史紀(ヴァイオリニスト) * 南紫音 (ヴァイオリニスト) * 桂英昭 (建築家) * 大竹英雄 (囲碁棋士、名誉碁聖) * 森下卓 (将棋棋士) * 中村正三郎(プログラマー、コンピュータ評論家)
芸能 俳優 * 秋本祐希(女優) * 鮎川陽子 (モデル、女優) * 天本英世 (俳優) * 板谷由夏 (女優) * 伊原剛志 (俳優) * 榎木智一 (俳優) * 草刈正雄 (俳優) * 早乙女太一 (俳優) * 鈴木浩介 (俳優) * つるの剛士 (俳優、タレント、歌手、ミュージシャン) * 富永研司 (スーツアクター、アクション俳優) * 内藤武敏 (俳優) * 中村有志 (俳優) * 野間口徹 (俳優) * 萩尾みどり (女優) * 林美穂 (女優) * 原田佳奈 (女優) * 深見亮介 (俳優) * 藤本隆宏 (俳優、元競泳オリンピック代表) * ふとがね金太 (ナレーター、俳優、ミュージシャン) * 細川俊之 (俳優) * 松尾スズキ (劇作家、映画監督、俳優) * 光石研 (俳優) * 森田順平 (俳優、声優) * 横内正 (俳優) * キタキュウマン (ご当地ヒーロー 滝夕輝) 歌手・ミュージシャン * 広石武彦 (元UP-BEATヴォーカル) * 175R (ロックバンド) * SHOGO (ショーゴ) - ヴォーカル * ISAKICK (イサキック) - ベース * KAZYA (カズヤ) - ギター * YOSHIAKI (ヨシアキ) - ドラム * 岩坂士京(シンガーソングライター) * 城戸けんじろ (元ジャパハリネット) * 梅田彩佳 (NMB48チームBII副キャプテン):2011年市長選挙イメージキャラクター * 大内義昭 (歌手、作曲家) * 葛城哲哉 (ミュージシャン) * 川崎真弘 (ミュージシャン、作曲家) * キミーブラウニー (ミュージシャン、お笑いタレント) * キハラ龍太郎 (元ブルー・トニック、ORIGINAL LOVE) * 荒神直規(Naifu、元ELF) * 香田晋 (演歌歌手) * 小久保淳平(シンガーソングライター) * シーナ(シーナ&ザ・ロケッツボーカル) * 塩ノ谷早耶香(歌手) * 清水健太郎 (元歌手、タレント) * 千里愛風(歌手) * CHAGE(シンガーソングライター、CHAGE and ASKA) * 高城亜樹 (AKB48チームB) * 冨永裕輔(シンガーソングライター) * 中尾ミエ (歌手) * NEW DOBB(ロックバンド。現在は解散) * HIDE (元crossfm DJ、現 ミーナ&ザ・グライダー)倉掛英彰(作曲家) * Dobb (元crossfm DJ)倉掛信彰 * 野中美郷(元AKB48)※出生地 * 野見山正貴 (ミュージシャン) * 葉月 (歌手、SEED) * Waka(ワカ・フルート担当) * Mariko(マリコ・チェロ担当) * 藤井一子 (元歌手) * 藤田大吾(ミュージシャン、alütoボーカル) * 藤弥美里 (歌手) * 宮本一粋 (歌手・二千花ボーカル) * 山下祐樹(ミュージシャン、ラムジボーカル) * 山本リンダ (歌手) * yu〜ki (ロックバンド、MALICE MIZERのベーシスト) * ルースターズ (ロックバンド、現在は解散) * 大江慎也 - ボーカル&ギター * 花田裕之 - ギター * 井上富雄 - ベース * 池畑潤二-ドラム 声優 * うえだゆうじ (声優) * 内海賢二 (声優) * 置鮎龍太郎 (声優) * 加藤正之 (声優) * 川原和久 (俳優、声優) * 佐藤利奈 (声優) * 中原麻衣 (声優) 映画監督 * 青山真治 (映画監督) * タナダユキ (映画監督) * 平山秀幸 (映画監督) * 吉田啓一郎 (映画監督、テレビ演出家) お笑いタレント * 秋山竜次 (ロバートメンバー、お笑いタレント) * 芋洗坂係長(小浦一優) (お笑いタレント) * 井上虫歯二本 (お笑いタレント) * 桑原和男 (喜劇俳優) * ゴン(ビックスモールンメンバー、お笑いタレント) * なかやまきんに君 (お笑いタレント) * 馬場裕之 (ロバートメンバー、お笑いタレント) * 原口あきまさ (お笑いタレント) * 山本高広 (お笑いタレント) * 渡邊孝平 (クロスバー直撃) その他 * 朝本浩文 (音楽プロデューサー、アレンジャー、DJ) * 鬼橋美智子 (ラジオパーソナリティ、タレント) * 紗綾 (入江紗綾)(グラビアアイドル) * 椎葉ユウ (タレント、ラジオパーソナリティ) * 白石さおり (タレント、ミスコン53冠女王) * 申徹也(しん てつや・ラジオパーソナリティ、タレント) * 高城樹衣 (タレント、Girl<s>ACTRY、高城亜樹(歌手・ミュージシャンの項参照)の姉) * 橘家蔵之助 (落語家・2代目) * 林家きく麿 (落語家) * 立山律子 (DJ、ローカルタレント) * F.King Toggy (DJ、パーソナリティ、ローカルタレント、ミュージシャン) * 原田大三郎 (CG作家、多摩美術大学教授) * 米岡誠一 (タレント、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン)
スポーツ * 今浪隆博 (プロ野球選手、日本ハム→ヤクルト) * 柴原洋 (元プロ野球選手、ソフトバンク) * 柴田講平 (プロ野球選手、阪神) * 中田賢一 (プロ野球選手、中日→ソフトバンク) * 日高剛 (プロ野球選手、阪神) * 山本和範 (元プロ野球選手、近鉄→南海・ダイエー→近鉄) * 小関翔太(プロ野球選手、楽天) * 松永浩美 (元プロ野球選手、阪急・オリックス→阪神→ダイエー) * 安田猛 (元プロ野球選手、ヤクルト) * 奥宮種男 (元プロ野球選手) * 楠城徹 (元プロ野球選手) * 清家政和 (元プロ野球選手) * 宅和本司 (元プロ野球選手) * 森下整鎮 (元プロ野球選手) * 外園正 (元プロ野球選手) * 森博幸 (元プロ野球選手) * ���信二 (元プロ野球選手、現広島コーチ) * 溝口大樹 (元プロ野球選手、ソフトバンク元投手) * 森山良二 (元プロ野球選手、現楽天コーチ) * 敷田直人 (プロ野球審判員) * 松永怜一 (アマチュア野球の指導者) * 本田泰人 (元サッカー選手、鹿島アントラーズ) * 本山雅志 (サッカー選手、ギラヴァンツ北九州) * 平山相太 (サッカー選手、FC東京、U-22日本代表) * 三好拓児 (元サッカー選手、FC琉球) * 池元友樹 (サッカー選手、ギラヴァンツ北九州) * 重光貴葵 (元サッカー選手、ギラヴァンツ北九州) * 山形辰徳 (サッカー選手、栃木SC) * 千疋美徳 (元サッカー選手、前ニューウェーブ北九州監督) * 柴田華絵 (女子サッカー選手、浦和レッズレディース) * 鹿毛誠一郎 (元プロバスケットボール選手) * 川面剛 (元プロバスケットボール選手) * 藤原隆充 (プロバスケットボール選手、bjリーグ・滋賀レイクスターズ所属) * 鬼塚勝也 (元プロボクサー、WBAジュニアバンタム級チャンピオン) * 白石豊土(プロボクサー) * 箕内拓郎 (ラグビー日本代表主将) * 竹下佳江 (バレーボール選手、日本代表) * 河村めぐみ (元バレーボール選手・モデル) * 江藤直美 (バレーボール選手) * 長田力(プロゴルファー・元日本プロゴルフ協会会長) * 一丸尚伍(自転車競技選手) * 吉岡稔真 (元競輪選手、競輪学校65期) * 北津留翼 (競輪選手、自転車競技選手、競輪学校90期) * 森美紀 (女子競輪選手、競輪学校102期) * 植木通彦 (元競艇選手、登録番号3285番) * 高野拳磁 (プロレスラー) * 浪口修 (プロレスラー) * 渕正信 (プロレスラー) * デビル雅美(女子プロレスラー) * 大潮憲司 (大相撲力士、元小結、元式秀親方) * 小役丸勇走 (大相撲力士、元十両) * 豊ノ花光義 (大相撲力士、元十両) * 春日洋光二 (大相撲力士、元十両) * 山岸二郎 (テニス選手) * 福井烈 (元テニス選手、JOC委員) * 君原健二(マラソン選手、メキシコオリンピック銀メダリスト) * 金哲彦 (元マラソン選手) * 岸川聖也(卓球選手、北京五輪日本代表) * 北畠紗代子(アーチェリー選手、北京五輪日本代表) * 村田愛里咲(モーグル選手、バンクーバー五輪・ソチ五輪日本代表) * 浜中俊 - 競馬騎手(日本中央競馬会所属) * 山下健夫(エベレスト登山家) * 山本浩之(車いす陸上競技) * 廣重毅 (空手家) * 内村航平 (体操選手)
マスコミ * 原田徹 (NHKアナウンサー) * 有馬幸恵 (NHK北九州放送局契約キャスター) * 池内博子 (山口放送アナウンサー) * 池尻和佳子 (RKB毎日放送アナウンサー) * 猪原智紀 (NHKアナウンサー) * 岩元良介 (NHK福岡放送局アナウンサー) * 上田早苗 (NHKアナウンサー) * 江崎裕子 (福岡放送契約アナウンサー) * 小川真人 (元テレビ埼玉、熊本県民テレビアナウンサー) * 川上一夫 (テレビドラマプロデューサー) * 坤徳ひとみ (元RSK山陽放送アナウンサー) * 佐々木正洋(テレビ朝日アナウンサー) * 佐藤征一 (元テレビ西日本アナウンサー) * 塩田真弓(テレビ東京記者、元アナウンサー) * 重松亜紀 (元NHK北九州放送局キャスター) * 武内裕之 (KBC九州朝日放送アナウンサー) * 竹林紀雄 (映像作家、テレビプロデューサー、文教大学准教授) * 田尻敏明 (フリーアナウンサー、ナレーター、ローカルタレント) * 田畑竜介 (RKB毎日放送アナウンサー) * 中野謙吾 (日本テレビアナウンサー) * 西口久美子 (NHK福岡放送局キャスター) * 野田真外 (映像演出家) * 本名正憲 (中国放送アナウンサー) * 宮本隆治 (フリーアナウンサー、元NHK) * 室田智美 (STVラジオパーソナリティ、所属は札幌テレビ放送) * 室屋典子 (TNCテレビ西日本キャスター) * 安田瑞代 (RKB毎日放送アナウンサー) * 山縣慎司 (元フジテレビプロデューサー) * 山下末則 (元日本テレビアナウンサー) * 山下奈緒美 (RKB毎日放送アナウンサー) * 山本耕一 (KBC九州朝日放送お天気キャスター、元テレビ長崎アナウンサー) * 山本剛士 (ニッポン放送アナウンサー) * 吉松孝 (元TVQ九州放送アナウンサー、現在フリー) * 吉永真樹 (熊本県民テレビアナウンサー) * 伊藤薫平 (静岡第一テレビアナウンサー、元テレビ高知アナウンサー) ゆかりのある人物 * 安川敬一郎 (政治家、実業家) 福岡市中央区出身 設立した企業 安川電機、黒崎窯業、若松築港、明治コンサルタント、九州製鋼→後の八幡製鐵所、九州鉄道、 設立した学校 明治専門学校→後の九州工業大学、明治学園小、中、高校 * 出光佐三 実業家 赤間出身 (出光興産創業者、貴族院多額納税議員) * 大迫忍 (実業家)大分出身 父の善隣を拡大、カーナビ、GPSへの道筋、北九州空港実現、スターフライヤー誘致に尽力 *森鴎外 (小説家、医師、翻訳家) 津和野出身 1899に陸軍軍医長として小倉に左遷、後の軍医トップの座を固める素地つくり * 松本清張 (小説家)広島市で生まれ幼少期を下関市で育ち11歳頃以降小倉で育つ。 * 松本零士 (漫画家)久留米市生まれ * 高倉健 (俳優) 中間出身 東筑高校卒 任侠からシリアスな演技で国民的なスター * Vanilla Mood(クラシカルバンド)※4人中2人が北九州市出身 * 永井謙佑 (サッカー選手、名古屋グランパス、広州アジア大会サッカー日本代表):広島県福山市生まれ、ブラジル在住を経て8歳から18歳まで市内在住 * 田村貴昭 (衆議院議員)大阪府生まれ、北九州市立大学卒業後北九州市議会議員を務めた。 * 末吉興一 (前北九州市長、元内閣官房参与)兵庫県生まれ、大分育ち * わたせせいぞう(漫画家)兵庫県神戸市生まれ。幼少期より高校まで北九州市で育つ * 仰木彬 (プロ野球監督 解説者)中間生まれ 東筑高 西鉄 近鉄 オリックス * 平野啓一郎 (小説家)愛知県蒲郡市生まれ。幼少期より18才まで北九州市で育つ * 村野藤吾 (建築家)佐賀県唐津市生まれ * 横内謙介(脚本家、演出家、「扉座」主宰)東京生まれ * 小林千登勢 (女優)京城生まれ、東京育ち。引揚げ地が八幡市 大庭久美子(元バスケ選手《DENSO》)折尾中学校出
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