#暑いから飲んで歩いたらアルコール全部抜ける。
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「動物園前」
突然、誘って、みた。 昼のみいいっすね。
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ウィスキをちょびちょび飲んでいる。
酔っ払わずに腹の下の下にアルコールが落ちていく感じ。
気色が悪い。
新しいパソコンを触っていたら色々やりたくなって、もう夜中になった。
酔わないので寝れない。
寝れないのなら起きていたいと思う。
でもこのまま起きていても仕方ないんじゃないかと思った。
明日の朝の方ができることが多いはず。
このまま起きていても仕方ガがないというのは、このまま生きていても仕方がない、
というのと似てるのか同じことなんじゃないかと思った。
今日は昼間の日差しがきつい時間帯に幡ヶ谷の街を歩いた。
渋谷区やからにぎやかなイメージ、ただイメージ。
知らない街のイメージ。にぎやかと思う。渋谷区幡ヶ谷は甲州街道というでっかい道路が
通っとるけどおだかやでご老人が多い。最近、殺人事件も多いなとも思ってた。
日差しきつすぎやろ…と。
最近気づいたけど暑いというだけでテンションが下がり
思考がネガディブになる。もっとしっかりしてくれ。
歩いていたら前方に70、80代と思わしき老人のグループがいた。
一人のお婆さんが何かを拾って歩道の脇に置いた。
何かと思ったら蝉やった。もう弱ってる。もうすぐその命の時間が終わる。
「あれ、蝉の抜け殻だったの?」「いや、抜け殻じゃないよ」
道端の葉っぱについた蝉の抜け殻を見つけては本体か抜け殻か話しの中で曖昧になってた。
そんなもんよな、曖昧で分かったふりで、でも知らないし、本当のこと、正しいことばっかり言えない。
白昼夢みたいな。曖昧は心地いいけど、でも全部好きじゃないよ。
その集団を歩いて抜かしたら、一人のお婆さんが「私、蝉の抜け殻集めてるよ」と言った。
「!!!!!!!!!」
え。
振り返るなんてできない。
この無視できない会話もきっと曖昧に流されると思った。
「え、なんで集めてるの?」と他の人が聞いた。
「え、ちゃんと聞くんや」と思った。
歩いてたらその一番大事な答えが聞こえんかった。
振り返ってはならなかった。
もう少し歩いてポストに郵便物を投函。
手紙の返事がくるのが楽しみな人がいて、その人も私の送る手紙を楽しみにしてくれている。
嬉しいなと思う。
2021.8.5 1:20
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ここまでとはな・・・後編①
※caution※
・このブログは映画コナン「ゼロの執行人」をきっかけに赤安沼にハマってパスポートを取得するところから始め、シンガポールへ旅行してきた女のレポのようなブログです。
・自分の記憶が曖昧にならないうちにただ書き起こした雑な文章で読みにくさ12027310%です。
・赤安の女です。地雷の方はいますぐにページを閉じてください。
・シンガポールから帰国した直後に書いたおかしいテンションです。
・なんでおまえシンガポール行ったんだよって人はあまり参考にならない前編中編を。
シンガポール編①
ここからめっちゃ写真載せます
2018年9月21日 出発日
いよいよ出発だ〜〜〜!!!
成田空港にて。
友人Sはあむぬいを、わいはあかぬいを連れてきた(ぬいたち初対面
は〜〜〜かわいい。
今回は成田からの出発。成田空港初めてきた。
天井も高くて、羽田よりもひろ〜〜〜〜い。
まずは五右衛門でパスタを食べて腹ごしらえ。
チェックインを済ませて搭乗手続き。
スーツケースを預ける際に
「窓側のシートのリクライニングが故障しておりまして、通路側2列になってもよろしいでしょうか?」
と。一瞬だけ、エコノミーから昇格できる!?と淡い期待をしたりしたが、世の中そんなにうまくいきません。(窓側3列タイプの機体でした)
リクライニングが故障してるならしょうがないし、もし窓側に誰もいなかったらそれはそれでいいか、と了承。
出発口に向かい、出国審査を済ませてあとは飛行機に乗るだけ。
天候が生憎の雨。(ユナイテッド航空もいつか乗りたい)
14:45発の飛行機でシンガポールには21:00着予定なので約6時間のフライト。
履き替えるスリッパは絶対に持って行った方がいいと色んな人から助言をもらっていたので、機内に入ってすぐに履き替え。
スリッパ結構大事。
他にもパジャマみたいな格好の人も。
国際線では映画、ドラマ、音楽等観れるようになっててこれじゃ暇しない!楽しい!感動!
ただ、もしもJALでシンガポールに向かっていたらゼロシコを観ながら行けたのに・・・と友人Sと悔しがっていた。
シンガポール航空ではクレヨンしんちゃんでした。
ま、これが後にミラクルを起こすことになるとは・・・。
で、結局往路のシートは窓側に誰もおらず
席を拝借。一瞬だけ赤安シートにさせてもらいました。
ぬいたちメインの旅でもあったので、本当にぬいたちにも旅を楽しんでもらいたいという親心(?)
楽しみのあまり、往路の機内でめちゃくちゃテンションがやばかった。
もう満足感でいっぱいでした。
ゼロシコは配信されていなかったものの、コナンのアニメ2話��けあったのでそれを観たり。(水族館殺人事件のやつでした
離陸後、ドリンクをもらう時に咄嗟にワインをもらってしまった。
なんかもうテンション上がって体がアルコールを欲していたのでしょう。
もらったおつまみと白ワイン。
おつまみは、なんかベビースターみたいなやつとか豆とか入ってた(雑
少し塩気があって、ちょうどいいおつまみ。
白ワインも飲みやすくてスッキリ。
こちら機内食。チキンライスも選べたのですが、チキンライスはどうしても行きたい店があったので和食に。
ちなみに、米とパンとうどんの炭水化物オンパレード。
太らせにきてます。
デザートのハーゲンダッツ、絶対バニラかと思ったらストロベリーでした。
そしてなんだかんだで21時頃にはシンガポールチャンギ空港に着陸。
そして、あれですよ。
「おまえなんでこの国に来たんだ」
「サイトシーイング」
このやり取りを114514回くらい脳内でシュミレーションしたつもりだったが、それでも緊張する。
パスポートを渡して、親指の指紋を取って、まだかなあのセリフ〜〜〜
入国審査のおじさん「いいよ(多分英語で」
え!?あんなにシュミレーションしたのに!?いとも簡単に入国させていいの!?
て感じで、すぐにシンガポールにイン。
スーツケースも無事に出てきて、ホッとしつつ。
次はあれだ、シンガポールドルへの換金。
換金は絶対シンガポールに着いてからと言われていた。
10%くらい違うらしい。
英語の例文を読みながら、恐る恐る5000円分換金してもらいました。
エクスチェンジ姉さんが、シンガポールドル札を数えながら渡してくれたけど、ごめん何言ってるか全然わかりません。
シンガポールは結構な訛りがあると聞いていたので、ホーなるほど��って感じです。
そして、ホテルまで送迎してくれるプランにしたので現地の旅行会社の人を探そうと思ったら出口を出てすぐにいた。
笑顔が素敵な色黒のおじさんでした。(歩くのめっちゃ速い
で、外に出たらスゲーーー蒸し暑い。
駐車場までスーツケースを運んでくれて、なぜか我々二人しかいないのにマイクロバスでホテルへ。
ホテル向かう途中、おじさんがビューポイントだよと言ってシンガポールフライヤーが見えた時に教えてくれました。本物だ〜〜〜!
おじさん最高。
宿泊先のホテルのコンラッドに到着。
中に入ったら、これがまたいい匂い。
めっちゃクンカクンカしながらカウンターへ。
拙い英語でシンガポールフライヤーが見える部屋にしてほしいと頼んでみたが、空いてないとの返答。
あら残念。
部屋番号もゼロとイチがついてるナンバーで最高(無理矢理こじつけ
お部屋に着きました。
あれ!??!?普通に見えるよ観覧車!??!
ちょっと斜めだけど、窓側に顔を近づけると普通に見えます。
フライトの疲れが吹っ飛び、大興奮。
ミニバーにスコッチがあったので、二人でこのミニ瓶を開けて飲みました。
背景のお皿にはウェルカムフルーツ。バナナとリンゴと梨。
丁度、この時サンデーでスコッチのスマホがあれだったタイミングなので、スコッチ飲むしかなかった(わかる
この日はひとまずお風呂に入って就寝。
2018年9月22日 2日目
朝食付きにしたので、お待ちかねの朝食ビュッフェ。
控えめに言って最高でした。
友人S曰く「オレンジジュースはいるか聞かれたら絶対に飲んだ方が良い」と。
席に案内され、まず紅茶かコーヒーか聞かれ、その後オレンジジュースは?と聞かれた。
オレンジジュース、濃厚と言うよりも割とあっさりしてはいたのですが、でも甘すぎずず酸味が強いわけでもなく、全てに置いてバランスが取れてる、トップオブバランスオレンジジュース(?)って感じでした。
それと、とにかくパンが好きなのでパンを見た瞬間のテンションが最高潮。
2ヶ月程度ダイエットをしていたのでパンをしばらく食べていなかったせいもあるのかもしれないが、めちゃくちゃパンがうまい。
クロワッサンとチョコが入ったデニッシュを食べたのですが、ん〜〜〜程よい甘さとパイのサクサク感ともちもち感。
うますぎて泣きそうでした。
朝食を食べ終わった後、地下鉄に乗りチャイナタウンへ。
こちらで言うスイカとかパスモになるのかな?
ただ、厚紙みたいな生地なのにタッチして改札を抜けるタイプ。
乗り放題みたいなやつもあるみたいですが、都度払いで乗って見ることに。
3回乗るごとに何かお得になる的なシステムのよう。
日本のメトロみたいに路線は色で分けられているので、とても見やすい。
で、地下鉄のエスカレーターが驚く程高速。
日本のエスカレーターを歩くくらいの速さ。
チャイナタウンをウロウロ。
百均のような、めちゃくちゃ雑貨が安いお店がたくさん。
ドリアン屋が多くて、どこからともなくドリアン臭が。
オレンジジュース自販機。
シンガポールではポイ捨て禁止など厳しく罰せられるので、自販機とかゴミ箱とか全然見かけない。
ただ、オレンジジュースの自販機はちょいちょい見かける。
お腹いっぱいだったし、この後チキンライスを食べる予定だったので今回はお預け。
次回来たら飲んでみようと思います。
天天のチキンライスは食べた方がいいと言われていたので、チャイナタウン駅から10分程度歩く。
唯一、この店だけ確かに並んでて、食券を買ってから横にスライドして食券を渡して注文するスタイル。
朝食を張り切りすぎてしまったので、二人でSサイズのチキンライスを一つ注文。
丁度、天天の目の前にあるジュース屋さんでタピオカミルクティーを購入。
タピオカミルクティー結構でかいのに、3S$でした、やっすい。
激甘かと思いきや、ほんのりとした甘さでとても飲みやすい。
チキンライスはライスの方に味付けしてあって、上の鶏肉は蒸してあるだけで味はないので、ライスと一緒にチキンを食べる感じ。
美味しい。
横にあるバターチキンカレーみたいな色のソース、これ絶対初見でかけてはいけないやつや。
スプーンの先っちょに少しつけて舐めただけで舌がヒリヒリ。
デスソースの類なのではないだろうか。
ミルクティー一気になくなる。
シンガポールでよく見かけた鳥で、嘴が黄色で羽は黒。
鳴き声がわりかし可愛らしい。
調べたら、ムクドリの仲間で「マイナ」と呼ばれているらしい。日本名ではオオハッカ。
食べ物を狙うらしいので、カラス的なポジションのよう。
チキンライスを食べたあと、オーチャード駅へ移動。
伊勢丹や高島屋等の大商業ビルがたくさん。
高島屋に入って、日本に上陸していないコスメとかたくさんあったので色々見て周りました。
SEPHORAという海外コスメを取り扱うお店があって、そこに色々ありました。
この店舗、以前日本にも進出していたそうなのですが、現在は撤退しているそう。
Benefitというブランドの化粧下地がすんごくサラサラするタイプのやつで、手の甲につけて見たら馴染みがよかったので自分用に購入。
日本でいうマジョリカマジョルカみたいなケースとかデザインが可愛い感じ。
お値段はプチプラと呼べず、ハイブランドよりは安いがそこそこ高めでした。
そしてこの後、一旦ホテルに戻ります。
後編その②に続く(長くなってしまったので)
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わたしを忘れないで(にこまき)
三年生卒業後の捏造。大学生にこと高校生真姫。 にこが卒業して、そうして大学に進学してから、あっという間にひと月が経った。進級しただけで生活習慣などが変わったわけではない真姫に比べ、通学経路すらすっかり変化した彼女は忙しく、気づけばゴールデンウィークまで会うことがなかった。スクールアイドルを介して知り合ってから、これほど会わなかったことはない。いつもいつも一緒にいて、特にふたりは隣同士でいることが多かった。μ'sのなかでもセットのように扱われ、ふたつの年の差は卒業を控えながらもあまり強くは意識されなかった。 いざ卒業を前に、みっともなく全員で泣いたことがもう懐かしい。校内に、にこがいない。一年の教室に顔を出すこともなければ、三年のドアの前まで迎えに行くこともない。部室に行っても、にこはいない。あの、小柄でパワーの塊のような女の子はもういない。いるのは、真新しい制服に身を包んだ見慣れない少女たちだった。 真姫はこのひと月、練習の合間に音楽室に籠ることが増えた。凛や花陽はそれについて何を言うでもなく、好きなようにさせてくれている。生徒会の忙しい三年生たちも、やっぱり寂しいね、と一言いったきり、新しい空気に馴染みだしていた。真姫だけが置いていかれている。くるくると表情の変わる、うるさくて一言余計な友人のいた場所を、真姫は未だ埋められずにいる。寂しいのかと言われればそうなのだろうけれど、もっとずっと、音に乗せることしかできない空洞を感じている。言葉で表現するのが苦手だから、真姫は音楽が好きだった。毎日まいにち、明るくなれない音ばかりを紡ぎだしてはぼんやりと鍵盤を見つめた。 新しいグループのためにつくる新曲は、明るくて元気いっぱいのものにしたいから、出来る限り人のいるところで考えるようにしていた。ひとりでいてはいつまで経っても馬鹿みたいに後ろを振り返りたくなってしまう。大人っぽい絵里や希が卒業して、入ってきたのはにこみたいに元気のいい一年生たちだ。二、三年の元μ’sのメンバーだって、言って見れば子どもっぽさの残る面々だった。だから初めてのライブはとびきり元気のいいものにしたい。新しい自分たちを、出来るならばあの人たちに見て欲しい。元気にやってるわ、と心から笑ってみせたい。 窓の外は快晴だった。薄っぺらい青空を見て、もう五月だ、とそのとき不意に思った。三年生が卒業して、それでもすぐに別れるということはなくて、春休みはたくさん遊んで、歌って踊った。新学期に向けて、鈍らないようにと階段ダッシュだって欠かさなかった。本当に楽しい日々だったのだ。素直になれないけれど、一年の間でつくりあげた絆は真姫のなかで確固として愛おしいものだった。ひとりひとりがきらきらしていて、九人が集まればその輝きは眩しいほどだった。新学期が始まり二年生になった真姫は、改めて五月間近の空を見た。 そろそろ練習に向かわなければ、と椅子を引けば、傍にあったはずの気配を懐かしく思った。五月になる、ひと月が経つ。もう彼女の姿は懐かしいのだ。これを悲しみと表現していいのか、真姫にはわからなかった。こんなに感傷的で後ろ向きな自分はらしくない。今までずっとひとりでだって立ってきたのに、たったひと月で足下が崩れていきそうだ。 その日の放課後、真姫は音楽室に籠らなかったことを少しだけ後悔した。私服姿ではあったけれど、屋上によく馴染んだ姿を見つけたのだった。絵里と希、そしてにこ。もう二度とないと思っていた景色を目にしてしまい、不意打ちのような衝撃を受けた。 「あっ、真姫ちゃん! ほらほら、これ、絵里ちゃんたちの差し入れだにゃー!」 屋上への戸をくぐれば飛ぶように凛が走ってやって来て、大きめのビニール袋に詰まった飲み物や菓子を掲げて見せた。そんなに勢いよく振り回したら破れてしまう、と心配しておいて、その向こうの景色から目を逸らしたくなった。五月晴れの空の下で、新しいメンバーたちと談笑しているにこたちから目を逸らしたかった。 「ちょっともう、危ないじゃない! 配るならさっさとしなさいよね」 「真姫ちゃんそっけないにゃー。いいもん、真姫ちゃんには選ばしてあーげない!」 「勝手にすれば?」 「凛ちゃんも真姫ちゃんも、先に選んでいいってみんな言ってくれてるよ。ね、食べよう?」 「やったにゃー!」 花陽が間を取り持って、ついでにビニール袋も受け取ってくれた。ドリンクはさすがに二リットルのものを二本と紙コップだったけれど、一緒に入っていたのは二種類の菓子だった。選ぶも何も、と思ったが口には出さず、適当に白っぽい個包装の袋を手に取った。凛も嬉しそうに笑いながら同じものを選んでいた。 「ちょっとぉ、わたしの分はどこよ?」 「えー、にこちゃんも食べるのー?」 「わたしの差し入れなんだからいいでしょ」 「にこちゃんだけのじゃないもんー」 いつの間にか凛の後ろにいたにこは、まるでひと月の時間などなかったかのようにすんなりと輪に入ってきた。在学中、にこと凛はお調子者どうし波長が合うのか仲が良かった。それはひと月で消えてしまうものではない。わかっているのに、真姫はその信頼関係のようなものにすら——嫉妬した。 そうだ、寂しさと嫉妬だ。新しい場所へ行ってしまうにこへの寂しさと、そんなにこと新しく出会える人たちへの嫉妬。そして、離れてしまっても必要以上の寂しさを覚えず、変わらない関係でいられると信じている他のメンバーへの嫉妬。改めて気づかされた感情に、真姫は数回瞬きをして、それから細く息を吐いた。たったひと月なのに、とまた同じ言葉を思い出した。 菓子を配りに凛と花陽が一年生たちのほうに行ってしまうと、屋上の入り口にはにこと真姫だけが残された。そういえば久しぶりね、とあっけらかんと言われ、少なからず真姫はムッとした。人の気も知らないで、とつい言い返してしまいそうになって慌てて口を噤んだ。そんなことはバカバカしくてみっともなくて、恥ずかしいことだ。ぷいとそっぽを向いた真姫に対して、にこはほんのすこしだけ目を細めた、ように見えた。すぐに「寂しかったんならそう言いなさいよね、真姫ちゃんってば意地っ張りなんだからあ」と呆れ顔で笑われたので、気のせいだったのかも知れない。 「そんなわけないでしょ。静かで良かったわよ。にこちゃんこそ寂しくなって来たんじゃないの?」 「あいっかわらず素直じゃないわねえ!」 「どっちがよ」 ひと月ぶりに見たにここそ相変わらずの表情をしていた。小憎たらしいのに童顔のせいで愛嬌がある。本人には絶対言ってやらないけれど、臆面もなくアイドルを目指す様子を馬鹿にできないほど、かわいい顔をしている、と真姫だって思っているのだ。まじまじと見れば肩の近くで揺れるツインテールは記憶よりもやや伸びていて、その代わりのように前髪は短くなっていた。時間の経過は些細なもので、大学生になったからと劇的に変わることはない。ほっとしている自分にすこしだけ嫌悪した。 にこはじっと見つめてくる真姫に居心地が悪そうにしていたけれど、目を逸らすことはしなかった。後ろめたいことがあるとわかりやすく目を逸らすにこはその反面、人の目をしっかりと見て話をするひとだった。にこの丸くて大きい瞳はまっすぐに真姫を映している。ひと月ぶりだと意識すれば、この目と毎日向かい合っていた頃がひどく不思議なように思えた。 「いやー、でも来てくれて嬉しいよ! あっ、そうだ、新曲見ていく?!」 とんでもなく弾んだ声を聞いて、向かい合っていたふたりは反射的にそちらに目をやった。そこには絵里と希を前に、目を輝かせて笑う穂乃果の姿があった。相変わらず元気ね、と妙な空気になりかけたことを誤魔化すようににこが言った。彼女はいつもそうだった。 「いいの? 邪魔にならないかしら」 「とか言って、元々そのつもりで来たんやん?」 絵里と希も嬉しそうに笑い、それからにこに手招きをした。つい数ヶ月前までは、彼女たちもこの屋上で一緒になってダンスや歌の練習をしていたのに、これではまるで余所者だ。OGといえばかっこよくて���こえもいいけれど、ここはもう彼女たちの居場所ではないかのようなやり取りだった。 凛と花陽がいつの間にか隣にきていて、真姫ちゃん変なかお〜、と頬を突ついた。馬鹿なことしないでと凛を振り払えば、花陽が気遣わし気に微笑んだ。自分の浮かべた表情など見えないけれど、情けないものだったのはなんとなく理解できた。 穂乃果の掛け声に一年生も集まり、一通り踊ってみせることになった。現メンバーにはスクールアイドルを続けていくために必要なスキルを持った者がちゃんといて、だから三年生が抜けても困ることはなかった。まとめ役とバランサー、それからムードメーカーがいなくなっただけだ。それらはこれから自分たちが少しずつ担っていけばいい。 感傷的になっている。こんな気持ちで、今のグループのために作った曲を聞かせたくなんてなかった。はっきりと言葉にすれば未練と言い換えられるこの感情たちは、それでも普段は振り切って練習に励んでいるのだ。そういう姿を見て欲しかった。三人がいなくても、新しいメンバーで楽しくやっていると伝えたいが為の曲だったから。 だから、そんな目で見ないで欲しい。踊り終わった真姫を迎えたのは、にこのまっすぐで強い眼差しだった。絵里も希も気がついてしまったらしく、二人に背を押されたにこがしたことといえば、真姫をつれて音楽室に行くことだった。 「曲は悪くなかったわよ。明るくて初々しくて、元気いっぱいなの」 あんたたちにぴったり。そう言ってにこは屈託なく笑った。 こういうとき、にこは二年間先を生きているのだと思い知らされる。いつもはみんなにからかわれて、凛が事あるごとに口にするように、どちらかといえば年下やマスコットのような扱いをされることの多いにこだけれど、いざというときには驚くほど強い心を持ったひとだった。躊躇しがちな反対意見だってみんなのためになると思えばはっきりと告げたし、実のところ気遣い屋で面倒見がよかった。 大人になりたくてから回る真姫とは、真逆のような存在だった。近すぎて憧れにはならなかったけれど、それに限りなく似た敬意を抱いていた。褒めると調子に乗るし、真姫のプライドも相俟って、決して言わない言葉たちは多かった。 「さみしいの?」 そう小首を傾げられて咄嗟に言葉が出なかった。ピアノの前に座った真姫は、手持ち無沙汰に鍵盤に指を置いた。無意識にゆっくりとメロディを奏でると、流れ出たのは真姫がμ’sのために最初に作った曲だった。 「さみしいなら、そう言えばいいのに」 「……違うってば」 いつかのようにピアノに腕を凭れかけさせてリズムを取るにこは、溜め息を吐いた割に穏やかな笑みを浮かべていた。途端に真姫は自分が彼女の妹か何かになってしまったかのような心地を覚える。仕方ないと許容されている。我が強くて素直じゃないのはお互い様なのに、にこはそうして真姫を許容する。自分たちは年上だからとか年下だからとか、そういうものを排除してやってきたけれど、どうしたって年の差は埋まらない。一年��共に過ごした今も突きつけられる。 「さっきの曲弾いて。明るくよ?」 弾き続ける真姫の手を指先で制したにこがいつもの顔で言った。たったひと月見なかっただけで、真姫の知っているところがなくなるわけではないのだ。 それでも、制服ではない姿をこの音楽室で見るのは、言い得も知れない不安を連れてきた。 進学し、アイドルを続けようとしたのはにこだけだった。絵里も希もごく普通の、ただしほんのすこしだけ顔の知られた大学生として暮らしている。三人は三人とも別々の大学に進学したのだけれど、真姫たちが休日も返上で練習している間にも時折集まっては女子会を開いているらしかった。穂乃果や凛はその会合を仲良しだと言って羨ましがったが、穂乃果は海未とことりと、凛は花陽と同じ大学に進学するような気もするので、そっちのほうが仲が良いのではないかと思うのだった。 大学に通いながらオーディションに応募したり事務所を訪ね歩いたりするにこと違って、彼女たちにとってアイドルは見て楽しむもの、応援して楽しむものになっていた。その差に対してにこは何も言わなかったし、絵里と希もまた何も言わなかった。元々、絵里たちは学校存続のためにスクールアイドルを始め、にこはアイドルが好きでアイドルになりたくて始めたのだ。一年間、同じものを目指していた方が不思議なくらいだ。 彼女たちは幼馴染みという関係でもなかったけれど、利害の一致によって結ばれた縁は、生涯の友人としての絆に変わった。揃って卒業していったことに、真姫は未だに悔しさやもどかしさを覚えるのだった。学生生活のうちの年齢は、社会人になってからのそれよりもずっと大きな壁だ。学年ごとに区切られていて、入学と卒業があって、必ず年ごとに出会いと別れがある。 にこのデビューが決まったという一報がμ’sのLINEグループに投下されたのは、真っ盛りの夏の、そのなかでもまたさらに暑い日のことだった。さすがに長時間ダンスしていたら熱中症になってしまう、といつもよりはやめの解散が告げられていて、真姫はその知らせをひとり自室で見た。とは言え、真姫はたぶんメンバーのなかでいちばん驚きが少なかったのではないかと思う。つい先日、ふたりでお茶をしたときに内々定をもらったと知らされていたからだ。 あの五月の日以来、にこは時間をつくっては真姫に会いにきてくれるようになった。真姫も、練習のない日やスランプに陥ったとき、にこに会うために時間をつくるようになっていた。取り立てて知らせはしないものの、そのおかげで真姫は、おそらく絵里たちよりもずっと高い頻度でにこと顔を合わせているはずだった。 『たぶん、夏休み中にはデビューが決まると思うの』 あどけない童顔を喜色満面に染めて、にこは内緒ねと笑った。その表情がちょっと驚くほどかわいくて、思わず目を逸らしてしまったのを思い出した。にこはオーディションなどを受け始めた頃から、垢抜けたと言っていいほどきれいになった。スクールアイドルをしていた一年の間、マスコットだとかキャラ担当だとか言われていたけれど、ちゃんとアイドルとしてのかわいさは備えていた。そのグループのなかでのかわいさが、ひとりでもやっていける��わいさとしてさらに磨きがかけられたのだろう。 『そうは言ってもグループなんだけどね。まだにこひとりじゃ無理みたい』 結局、にこは四人グループでデビューが決まったようだった。ひとりでのデビューを目指していたにこには厳しい現実となったけれど、それでも、ごまんといるアイドル志望の女の子たちの憧れには変わりがない。LINEの新着通知はとんでもないことになっていて、きっと個人的にメールや電話もいっているのだろうなと真姫はすこし笑った。 おめでとう、にこちゃん。今度奢る。 ひっきりなしに告げられる通知を何とはなしにカウントしながら、顔文字も絵文字もないメールをつくっては消しを繰り返した。本当は今すぐに電話がしたい。でもたぶん出てくれない。今のにこがLINEに返事をするので精一杯なのはわかりきっているし、そのうえで優先されなかったら拗ねるだなんて子どもっぽいことはしたくなかった。 「おめでとう、にこちゃん」 ぽろりと口から零れたのは紛れもない本音で、どこか突き放すような声音になったのもまた本音に違いなかった。 「にこちゃんのデビューを祝してー! かんぱーい!」 穂乃果の音頭で、九つのグラスが打ち鳴らされた。全員未成年なのでグラスのなかにはジュースがなみなみと入っているだけだけれど、テンションはアルコールの入った人間のそれと言っても過言ではなかった。現に穂乃果は思い切りぶつけ過ぎてテーブルにジュースをまき散らしている。 「もう穂乃果!」 「わわわ、ごめーん! でも嬉しくって」 つい、と笑う穂乃果にそれ以上誰も諫言を投げかけることもせず、仕方ないなあとそれぞれに広げられた食べものに手をつけ始めた。各々が好きなものを持ち寄ったので、メンバーによっては明らかにパーティ向きではないものを持ってくる者もいた。かろうじて常識的な人間のほうが多いので笑い話で済むのだ。 集まってにこのデビュー祝いをしよう、と言い出したのは例に漏れず穂乃果で、会場となったのもいつものように真姫の提供する場所だった。今回は真姫の自宅で、両親が留守にしているからとリビングの大きなテーブルを使い、内輪のパーティと相成っ��のだった。持ち寄った食べものを広げ、主役を囲ってデビューに関する話を興味深げに聞いている。 にこと四人グループとして共にデビューするメンバーのひとりに、あのA-RISEのリーダーであるツバサもおり、話題はもっぱらそれについてだった。にことツバサはオーディションで出会い、面識もあったことから選考の進むなかで距離を縮めていたという。だから揃ってデビューが決まったとき、実はすこしほっとしたのだと恥ずかしげに笑った。多分に自信を持ってアイドルだけをひたすらに目指しやってきたにこでも、芸能界という世界は挑み甲斐がある反面で怖じ気づいてしまう世界でもあるのだった。 「同い年だから気兼ねも要らないし、案外とっつきやすいのよ」 すでにレッスンやレコーディングも進んでいて、顔を合わす回数もかなりにのぼるらしいが、そのなかでもふたりはかなり良好な関係を築いているようだった。他のメンバーは二人とも年下で、必然的にリーダーはキャプテンシーのあるツバサが引き受けることとなっていた。一年間活動してきたけれど、にこは年上なのに年上らしくなく、部長と持ち上げられることはあってもリーダーからはほど遠いタイプだった。ふたつ年下の真姫と一緒にいることが多くて、時折三年生らしい包容力を発揮することはあったものの、絵里や希のように常にみんなを見守る立場ではなかった。 みんなからの揶揄い混じりの質問にいちいちつっかかりながらも律儀に答えていく、そんな変わらないにこの姿を、真姫はひたすらに見つめていた。トレードマークのツインテールはそのままに、相変わらず私服はピンク色とフリルのかわいらしいものだった。変わらない、いつものにこだ。そうやって変わらないと思う気持ちに相反して、大学生になってきれいに化粧の施されている顔を見る度、距離を感じていくのだった。 「にこっちは会う度にかわいなってるよね」 アイドルってすごいなあ、とにこの取り皿に食べものを取り分けてやりながら、希がしみじみと口にした。希はにこのことをマスコットのように可愛がっていたけれど、実のところ手綱を離さないようにしていたのか、メンバーのことを手放しで褒める場面は少なかった。 「なっ、なによ突然……! それに、にこがアイドルでかわいいのなんていつものことでしょ!?」 「あははー、にこっち顔真っ赤やん?」 「照れてるにこちゃんかわいいにゃー」 「ううううるさいわねっ」 言葉の通り、突然の褒め言葉に頬といわず耳まで染めて声を荒げる姿はかわいらしいし、揶揄いがいもあるというものだろう。にこを揶揄うことにかけては希と凛の専門というのか、いい反応を返すにこを見る彼女たちは本当に生き生きしていると思う。絵里が呆れて花陽がフォローを入れ、海未は度を超さない限り傍観に徹するし、ことりは仲良しだねえと穂乃果と笑い合っている。 「〜〜っ!」 「褒められ慣れてないアイドルっておかしいわよ。練習しといたら?」 にこが自分に何を求めているのか知らない。それでもこういうとき、真姫は縋るような眼差しを感じるのだった。いつだってそれに応えて助け舟を出してやるつもりはないけれど、真姫が言葉を重ねることで落ち着けるのは事実のようだった。 一体、自分たちの関係は何なのだろう。在学中、気がつけばふたりでいたし、つっかかって喧嘩も多かったくせに、こうして困ったときに助けを求めてしまう仲でもあった。一年間を泣き笑い一緒に過ごした仲間であると同時に、他のメンバーにはない過剰な意識を持っている。おそらく、お互いに。特に最近——にこが卒業してから、更に言えばあの五月の日から、ふたりの距離はぐっと縮まった。その縮まった距離と反比例するように、純粋な友情からは逸れていっているのではないかと思えてならなかった。 頬を赤くして縋るように流し見たにこの表情に、覚えたのは優越感と奇妙なむずがゆさだった。 デビューの舞台はこぢんまりした野外ライブ���しかった。ちょうど夏休みだから、とメンバーみんなでチケットを取ることにした。本当は一年生たちも一緒に連れて行きたかったのだけれど、あんまりぞろぞろと連れ立っていても目立つので、今回は元μ’sのメンバーだけでの参戦となった。楽しみだね、と言いながらも皆緊張していたのを覚えている。スクールアイドルとしてアイドル活動をしてきた真姫たちも、今にこが立とうとしている舞台が、紛れもなく本物のアイドルの舞台であると理解していた。 スクールアイドル、という学校というブランドタグをつけられたものではない、一からの勝負のアイドル。小学生もデビューする昨今では、にこもツバサもアイドルとしてデビューするにはすこし年を取ってしまっている。それでも、ふたりは年下を引っ張りながらも芸能界で這い上がっていく覚悟を決めたのだ。 在学中から、にこのアイドルに対する意志は強かった。空まわって馬鹿をすることも多かったけれど、すべてはアイドルへの思い故のことだった。花陽もアイドルに憧れてはいるものの、おそらくにこのようにがむしゃらにデビューをもぎ取ろうとしに行くことはないだろう。厳しい世界だし、何より、人に見られ評価され続けることに耐えられる人間なんてそういない。 ——本当にちいさなステージだった。スクールアイドルとしてラブライブで踊ったときよりも観覧者はずっとずっと少ない。でも、舞台上で歌い踊るにこたちの姿はきらきらと眩かった。一生懸命で、誰よりもかわいかった。始めは気まぐれに見に来ていただけのような客たちが、MCに笑い声を上げ、聞いたばかりの曲に合いの手を入れている姿を見た。真姫は初めて、本物のアイドルの強さを知った。この日の観客たち、他のグループ目当てでやって来て偶然目にした人たちも、きっと四人の名前を覚えて帰ったに違いない。 途中で解散し、真姫はひとり帰路についた。暑いなか陽を浴びながら声を張って楽しんできたのだから、消耗が激しかった。はやく風呂に入ってすっきりしたい。 それにしても、スクールアイドルを始めるまでまったくアイドルに興味がなかった真姫にとって、今日のライブは初めての経験だった。いつも受ける側である熱気は、自分たちのようなファンから発せられるものなのだと改めて知った。口では揶揄いの言葉を吐きながらも、真姫たちにとって応援したいメンバーはやはりにこだった。あの「にっこにっこにー」はやはり健在だったから、MCの自己紹介では思わず笑ってしまった。去り際には既に覚えてくれている客もいて、一緒に声を上げていたのがとても印象的だった。 夢への第一歩だとにこは言っていたけれど、途方もなく大きな一歩だったのではないか。ライブは成功と言える出来だったし、何より、ステージに立つことのできたにこの笑顔は夢の叶った人のそれだった。デビューという夢を叶え、そしてまたそれを夢への第一歩だと言うにこの強さ。 真姫だって、スクールアイドルと学生生活をしっかり両立させて、今と未来のどちらをも掴んでいこうとがんばっているところだ。スクールアイドル、ひいては音楽に打ち込むために残された時間はあと一年半。後にも先にも、きっとこれ以上に好きなことをして過ごせる日々はもうこない。大学に通いながらデビューをもぎ取っていったにこのようなことはできない。羨ましくもあり、割り切っているが故に素直に応援したい気持ちも大きい。 じゃあ、この言い得のない気持ち悪さは何だろう。そうして考えながら帰宅し、鼻歌を歌いながらシャワーを浴びているときにはたと気がついた。 「……にこちゃんが歌ってるのはわたしの曲じゃないんだ」 にこたちのグループにはきっとそれなりの作曲者がついている。もちろん、その世界でやってきている言わばプロだから、一介の高校生である真姫の曲よりもずっと考えられた曲のはずだ。でも、それでも。真姫は、にこが歌い踊る曲が自分のものではない、という事実に打ちのめされている自分を認めた。 ライブの数日後、にこからふたりでご飯に行こうという誘いをもらった。ふたりで会うのは久しぶりかもしれない、と思って、真姫はほんの少しだけ躊躇した。嫉妬や羨望、敬愛、いくつもの感情が混ざり合って未だ整理しきれずにいる。半日を置いて返事をしたけれど、果たしてこれが正しいことだったのかもわからないままだ。 ひどい言葉をぶつけてしまったらどうしよう。真姫の言葉は、心とは裏腹に厳しくなったり意味を違えたりしてしまうことが多かった。にこもはっきりと告げるタイプなので、そのために起こした衝突は少なくない。それでも今回はまず、何よりも先におめでとうと言わなければ。真姫は結局、デビューを教えられた日に電話もメールも出来なかった。つまり、おめでとうの一言を未だ伝えられずにいたのだった。 にこが指定した日はほんの五日後、夕方からだから晩御飯を一緒にしようということだろう。あのライブが成功したことで、少なからず仕事量に影響が出ているはずだ。そうでなくても売り出しどきなので、もしかしたら貴重な休みを割いてくれるのかもしれない。 にこがデビューしたことで、距離を感じないといえば嘘になる。自分の望んだことに向かって躊躇いなく進んでいく彼女と、学生でしかない自分を比べるのは時折つらい。感情を処しきれなくて、大人になれない自分が嫌いだ。顔を見て、なんの屈託もなくおめでとうと言いたいのに、遠くに行ってしまうようで引き止めたくもなるのだった。 考えていても時間は過ぎていき、にことの約束の日はあっという間に訪れた。去年の一年間も比喩でもなくあっという間に過ぎ去ってしまったけれど、今年も、きっと来年もそうして一瞬で通り過ぎてしまうのだろう。親や教師の言う、学生生活という時間の尊さが今はまだわからないけれど、数年数十年経って思い出すのは強く瞬く輝きたちだろう。 練習のある真姫を思ってか、待ち合わせは学校の最寄り駅だった。用事があるからと言ってみんなよりすこしだけはやめに学校を後にして駅に向かうと、すでに改札口にはにこと思われる人影があった。 「……ちょっとはマシな変装になったのね」 「来るなりそれ?!」 マスクにサングラス、スカーフを頭に巻いてはいるけれど、かつての馬鹿としか言いようのない変装に比べたらずっとマシだ。マシはマシであって、決して良いわけではない。出来ることならば知らんふりして改札口を抜けてしまいたかった。気負っていたのがバカバカしくなって、挨拶よりも前にため息が零れた。 「アイドルさまは大変ね」 「馬鹿にしてることくらいわかるわよ!」 「せめてスカーフとサングラスは外して。一緒に歩くの恥ずかしいわ」 そう言いながらスカーフに手を伸ばした。ごく自然にそれを外してしまってから、ついでとばかりに髪に触れた。さらりと髪を梳いて、その手触りに思わず微笑んだ。意識した行動ではなかったけれど、サングラスの向こうの目が見開かれたのに気づいて、一体何をしているのかと動揺した。 「あの、いまのは」 「おめでとうって言って」 「えっ?」 「まだ真姫ちゃんからのおめでとう聞いてない」 「っ、」 ほんのすこしの身長差で見下ろしたにこの顔は、こちらが恥ずかしくなるくらいに色づいていた。伸ばした手を引っ込めるタイミングを逸して、ひと気のない改札口でふたり突っ立ったまま、合わない視線を探りながら、求められた言葉を口にした。 「にこちゃん、おめでとう」 あれだけ悩んでいたのに、口から零れるのは一瞬のことだった。嫉妬も羨望もなく、ただ純粋におめでとうという感情を伝えられた。言葉を紡いだことで固まっていた身体は温度を通わせ、真姫は殊更ゆっくりと手を下ろした。すると、それと同じくらいゆっくりとした仕草でにこは顔をあげた。真夏のまとわりつくような空気が肌を舐めていく。 「……うん」 そうしてはにかんで笑うその表情は、今までに見たことのないものだった。 途端に胸がぎゅっとして、そのあまりの衝撃に思わず笑ってしまった。何これ、なんて言えるほど鈍感にはなれなかった。 寂しさも、嫉妬も、尊敬も。友情から飽和してしまった感情全部をひっくるめてしまえば、これは当然の帰結といえた。三年生が卒業して、セットとして一緒にいたにこがいなくなって、とても寂しかった。そうして離れた距離に焦って嫉妬して、素直におめでとうの一言も言えなかった。尊敬しているのに、大切に思っているのに、それ以上に『私を忘れないで』という気持ちが大きかった。 じっとりと汗をかいた手のひらを握りしめて、ついさっき触れたばかりの髪の感触を思い出していた。さらさらとして、柔らかくて、たぶんにこの甘やかな匂いがした。弟妹と暮らしているせいか、自分よりも年上なのに、彼女から漂うのはいつも甘くて優しい子どものような香りだった。隣にいることが多かったからよく覚えている。匂いだけじゃない。たった一年傍にいただけなのに、彼女のことで覚えていたいことは数えきれないほどあった。人付き合いの苦手な自覚があるから、それだけずっと掛け替えのない想いでもあった。 「ねえ」 電車に揺られながら傍らのひとに声をかけると、顔をこちらには向けずに「なによ」という応答があった。疲れているのか、すこし眠たげに瞼を伏せている。 「なんでもない」 そう言うと、にこは伏せられた瞼を持ち上げてこちらに視線をやった。それに応えることはせず、向かいの窓ガラスを見つめていた。外はまだ明るいので、ガラスには自分たちの姿は映らない。映っていたら、きっと不細工な顔をした自分がこちらを向いていたことだろう。あまり沈黙を落とすことのないふたりだったから、このときの車輪のゴトゴトという音だけ��響く空気はすこし気まずかった。にこのほうは気まずさを感じていないようで、のんびりと控えめなあくびをした。そうしてやがて、そういえば、と言葉を落とした。 「次のステージは新曲? 休み明けよね」 「結局新曲になったの。聞く?」 夏が明ければ学校でミニライブをすることになっていた。文化祭前に一度、ということだった。これはμ’sでつくっているLINEグループにも投下されている情報で、にこたちは都合がつけば見に来ると返事していた。音楽プレーヤーを取り出すと、聞く、と答えたにこにイヤホンを片方貸してやった。もう片方は自分が使い、ふたりでほんのすこしずつ肩を寄せ合って新曲を聞いた。どのくらいの音量が良いのかわからなかったから尋ねると、そのままで良いと言うように手をそっと制されて心臓が跳ねた。 四分ちょっとの曲を聞き終わると、緊張とリラックス半々ほどの気持ちだったせいで、なんだか妙に心地の良い気疲れを味わった。息を吐きながら差し出されたイヤホンを仕舞っていると、にこがそっぽを向いたままで「わたし、真姫ちゃんのつくる曲、嫌いじゃないわよ」と言った。 息が止まるかと思った。言い過ぎかもしれないけれど、実際そんな心境だった。 「……なにその言い方。素直じゃない、意地っ張り」 「そのままそっくりお返しするわよ」 「なんでよ」 「なんでも」 他愛のない言い合いの始発点に変えてしまえばなんてことはないのに、やはりどうしてもあの言葉は真姫の心のなかで強く根付いてしまった。彼女の嫌いじゃない、はつまり、好きということだ。今日会うまでに感じていた嫉妬なんか、それだけで溶けて消えていってしまうだけの強さを持った言葉。これ以上の言葉をもらったらきっと泣いてしまう。メンタルは強いほうだし、高校生になって泣いたのはμ’sに関わることくらいだから、……でも、それだからにこに関することで泣いてしまうのは仕方がないのかもしれない。真姫にとって、μ’sは特別なもので掛け替えのないものだけれど、そのなかにいてひと際強く輝いているのがにこだから。 にこは未だそっぽを向いたままだ。頬は赤く染まっていて、真姫のそれよりやや小さい子どものような手はぎゅっと握りしめられている。照れたときのにこはいつもそんな風だった。彼女がそうやって照れてくれるから、真姫だって軽口を叩いて照れた顔を隠していられるのだ。いつもそうだった。お互い意地っ張りなのに、何故か突然照れるようなことを言ってしまって恥ずかしがっていた。見ないで、と言いながら目が合うのは、つまりはそういうことだ。 電車がゆっくりと速度を下げ、向かうのは目的の駅だった。アナウンスが車内に響いて、にこはハッと顔を上げた。そうして止まった頃を見計らって立ち上がると、真姫は咄嗟に隣で揺れる手を握りしめた。にこは驚いたように真姫を見据えたが、次の瞬間には慌てて電車のドアをくぐった。白線の向こうまでそのまま歩き、人気のないホームでふたり立ち尽くした。 やがて口火を切ったのはにこだった。繋いだ手を見つめながら、ねえ、と言った。 「私がアイドルになれたのは、真姫ちゃんの曲があったからって��と、忘れないでおいて」 もちろん私がアイドルにならなくて誰がなるのって話だけど。 そして矢継ぎ早に続いた言葉はいつも通りの照れ隠しだった。泣くかもしれない、と思っていた数瞬前の自分に言ってやりたくなった。にこの言葉は真姫を笑顔にさせるのだ、と薄く涙の張った目を細めながら、言ってやりたい。 嬉しい、と伝えたいと思ったけれど、言葉は出て来なかった。その代わりに、真姫はただ手を強く握り返した。
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アルコール依存症に苦しんだ過去から復活、フランス漫画界から高い評価を受ける高浜寛。今年は、手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。自分の仕事を「過去に生きていた名もない人たちの足跡を掘り起こして、その人を生かすこと」という。天草島の緑深い山あいの家で、話を聞いた。(取材・文:長瀬千雅/撮影:宮井正樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)
異色の作家の受賞
今年4月、『ニュクスの角灯(ランタン)』(リイド社、全6巻)で、第24回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞した。年間通じて最も優れたマンガ作品に贈られる賞で、最終候補作にはベストセラー作品『鬼滅の刃』も挙がっていた。
もともと「地味な作風」(本人談)で、高い画力と物語作りのセンスから玄人筋では評価が高かったものの、一般的な知名度が高かったわけではない。選考委員の一人で仏文学者の中条省平もこの作品を、「高浜寛という作家を、知る人ぞ知る異色の存在から、もっと大きなスケールの、普遍的な物語の面白さと感動とをあたえてくれるマンガ家へと脱皮させ」たと評した(2020年5月20日付「朝日新聞」夕刊より)。
「40歳をすぎて、私も中堅の自覚ができてきました。自分のことばかりではなく、全体のことを考えていく責任が出てきていると思います。その世代なりにあげていかなければいけない成果があるとも思いますし」
たかはま・かん/熊本県天草生まれ。筑波大学芸術専門学群卒。著書に『イエローバックス』『まり子パラード』(フレデリック・ボワレとの共著)、『泡日』『凪渡り――及びその他の短篇』『トゥー・エスプレッソ』『蝶のみちゆき』『SAD GiRL』『エマは星の夢を見る』『ニュクスの角灯』『愛人 ラマン』など。ほぼ全ての作品がフランス語訳され、イタリア、スペイン、ドイツでも多くの作品が出版されている。今月28日に、『扇島歳時記』第1巻が発売される
主な舞台は、19世紀末の長崎とパリ。西南戦争で親を亡くした美世は、「私なんか」が口癖で、自分の意見を言うことに慣れていない。長崎の輸入道具屋で働き始めた美世が店主の百年(ももとし)をはじめ、まわりの大人たちの導きで、人生を切り開いていく。随所に、豊かな線で表現される当時の衣装や習俗が挿話として登場する。
しかしこれが単に美世の成長物語にとどまらないのは、百年の恋人、ジュディットの存在だ。パリの高級娼婦であるジュディットは社交界の花形だが、生活は荒れていて、アルコールに依存している。物語の終盤、美世との出会いによって、ジュディットが「光の方へ」歩き出す勇気を得るシーンが美しい。
作家性が強く、扱う題材も地味だった初期作品群と比べて、この作品は娯楽としてのマンガの楽しさにあふれている。
「エンターテインメントですよね。みんなに『少女マンガだ』って言われます。ラストのドタバタも少女マンガらしい。若い人を励ますような気持ちで描いたかな」
その気持ちの裏側には、アルコール依存に苦しんだ、若いころの経験がある。
「若いころは家族と離れて、北関東の学園都市で生活していたので、問題を相談できるような年上の女性が少なくて、健康なほうにいけなかった。幸いにしてサポートしてくれる人たちと出会うことができたし、考え方も成熟してきて、かつての自分がなぜ生きづらかったのかがいまはわかる。そうすると、同じように苦しんでる若い人たちのことが見えるようになってきて」
フランス漫画界との出会い
もともとマンガ家になろうとは思っていなかった。大学2年生のとき、飲み会でさらっと描いたマンガを面白がった友人が、あるメジャー青年誌に持ち込んだ。
「私の知らない間に見せにいく約束を取り付けてきた。面白いけど上質紙に描いてあるから、ケント紙に描き直して持ってきませんかと言ってもらって、持っていったら賞を取ったんですよね」
担当編集者がつき、デビューを目指して準備を始めるが、途中で編集長が代わり、作品が採用されなくなった。
「私は、老人を主人公にしたりして、なにげない日常のストーリーを描いていた。でも、編集部から売れるものを描いたほうがいいと言われて。売れるものってなんだって聞いたら、若者が主人公でとか、恋愛要素があったりとか、ひと夏の成長物語だったりとか。当時はそういうものにあまり興味がなかったんですよね」
「対極のところに行ってみよう」と、青年誌「ガロ」に持ち込むと一発で賞を取り、掲載が決まった。大学卒業目前の冬のことだ。
マンガアシスタントの経験はない。そのころ、フランス人マンガ家フレデリック・ボワレが「ヌーベルまんが」を提唱し、バンドデシネ(フランス語圏のコミック)とマンガの中間のような作品を発表していた。高浜は、日本に住んでいたボワレにメールを送った。
「『ヌーベルまんが』は、『日常を描く』という活動だったんですよね。SFとか、非日常的なものではなく。そのときの私はそうだそうだと思って、私もマンガ家だし、チャンスがあったら誘ってくださいって言ったんです。そうしたら、何か一緒にやりませんかという話になって」
「海外でも評価されるマンガ家」と形容されることがあるが、より正確には、日本とフランスのハイブリッド。フランス語圏ではバンドデシネ作家として受け入れられている
高浜は、ボワレとの合作『まり子パラード』を描き上げる。そして、出版社を探すためにフランスの国際的なマンガマーケットであるアングレーム国際マンガ祭に持ち込んだ。大手出版社カステルマンが興味を持ち、ボワレとの共著だけでなく、高浜自身に描くチャンスを与えてくれた。
「あとはずっとカステルマンで描いて��、気心の知れた人が別の出版社に移籍するとそっちでもまた仕事をくれるようになって。常に何か仕事をしているような感じになりました」
アルコール依存症に
若くて才能のある作家の登場にフランスのメディアも注目し、渡仏するたびにいくつもの雑誌やテレビの取材を受けた。その中には、ファッション誌の「ELLE」など、高浜自身が憧れて読んでいたような有名な雑誌もあった。
「がんばったらその先にあるような世界がいきなりやってきて、しかも思っていたのと違ったから、パニックになってしまったんですよね。長旅で疲れた頭で、同じような質問に何度も答えて。知らない人ばかりで気も使うし、通訳をはさんで何日も何日も、テレビやって雑誌やってラジオやって。そのたびにお酒を飲んでた。そうしないとこなせなくて」
日本でも、「ガロ」で描いた短編が高く評価された。「ガロ」が休刊したあとは、「マンガ・エロティクス・エフ」などのオルタナティブなマンガ雑誌で連載を持ち、締め切りに追われて徹夜が続く。
お酒を手放せなくなっていたころ、あるアート誌の取材を受けた。いつものように徹夜明けで、アルコールをキメてから出かけていった。掲載号が発売されたとき、自分の写真にショックを受けた。
「1ページまるまるの写真は、すごいむくんだ顔をしてて。適当に着ていった服の胸元がけっこう深く開いてて、こんな服着ていかなきゃよかったとか、いろいろ思ったりしましたね。別のときは、頭がハゲかけたこともあったし。20代の女性としては『これは厳しい』と思いました(笑)」
不眠にも悩まされ、睡眠導入剤を服用するようになっ��。だるくてだるくて、起き上がれない。1日に2時間ぐらい仕事ができればいいほうで、連載が続けられなくなった。
「まだ準備ができていないうちに、過大な評価をされてしまったんですね。少女時代が終わって、女性としての人生が始まったばかりのころに」
崩れていく自分を観察
お酒と薬をやめることができたのは、32〜33歳のときだ。何年も深い底をただよう間には、発作的に薬を過剰摂取して救急車で運ばれ、一命を取り留めたこともあった。いっぺんにやめられたわけではなく、当初は薬をやめてもお酒はやめられず、むしろ増えたときもあった。
「最終的にはちょっと幻覚みたいなのを見たときに、もうこれは浮上しなければまずいと思って。そこからパタッとやめて上がってきたんですけど」
自立への第一歩として、親元を離れ、熊本市内に家賃1万2000円の激安アパートを借りた。自助グループと病院に通い、うなぎ屋でアルバイトをしながら、『四谷区花園町』という作品を描き上げた。
2013年に『四谷区花園町』を刊行。翌年に『蝶のみちゆき』を描き上げ、さらに翌年、『ニュクスの角灯』の連載をスタートさせた
「(アルコール依存から回復する前とあとでは)180度変わりましたね。その前は一人では立てない状態、そのあとは一人でちゃんと立ってる状態。以前は、何かに依存しないと立てなかった」
高浜は、「お酒を飲んだ自分」を観察したことがある。
水底で暮らした長い年月を経て、断酒に成功したのが2011年ごろ。それからお酒は一滴も口にしていなかったが、2016年の熊本地震に遭い、古いアパートは全壊。翌月に住む場所は見つかったが、しばらくして半年ほどスリップ(再飲酒)した。
「どんなふうに崩れていくのかを、興味を持って観察している自分がいたんですよね。最初の1、2カ月は仕事ができていたけど、3カ月、4カ月と経つうちに、長編の構成を頭の中でキープすることが困難になってくるんです。パースがゆがんで絵もうまく描けなくなる」
『愛人 ラマン』執筆へ
スリップから抜け出したころ、大きな仕事が高浜のもとに舞い込んできた。フランスの作家マルグリット・デュラスの自伝的小説『愛人 ラマン』の漫画化だった。
旧知のフランス人のエージェントから「小説の漫画化をやってみない?」と提案された。「『愛人 ラマン』はどうかという話になったとき、私も『それしかないよね』という感じだったんですよね」
デュラスの『愛人 ラマン』が日本でベストセラーになったのは、1992年のことだ。ジェーン・マーチ、レオン・カーフェイの主演で映画化もされている。デュラスが仏領インドシナ(現在のベトナム)で過ごした少女時代を振り返る。貧困家庭の白人の少女と裕福な中国人青年との性愛は、センセーショナルだと話題を呼んだ。
デュラスは1996年に亡くなったが、フランス文学に詳しい野村昌代(アンステ���チュ・フランセ東京メディアテーク主任)によれば、「フランスでは現在も評価が高く、その恐るべき才能、作品のクオリティーの高さから、よく読まれている」という。
高浜は高校生のころ、デュラスにはまってよく読んでいた。
「(小説の)少女とあまり変わらない年齢で読んだんですね。面白かった。『自分たちのことが書かれている』と思って読んでいました。『少女が年をとるとこうなるんだ』というのを見せられたような気がして。なんとなく自分もその呪いにかかったような感じがしました」
40歳をすぎて読み返すと、違う感想を持った。
「あの少女のことを、自分よりも経験があって、大人の世界を知っていて、しらけた感じで生きてるんだと思ってたけど、ほんとうは絶望的な状況に置かれていて、そのせいであんなにはすっぱでつっぱってたんだってことが、いまわかったという感じでしたね。当時はよくわからなかった」
高浜版『愛人 ラマン』は今年1月にフランスで発売された。翌月日本語版を刊行。高浜が描く少女はやせていて目の下にクマがあり、とても美少女には見えない。映画でジェーン・マーチが演じた、未成熟な色気がただよう少女ともまた違うキャラクターだ。最初から最後まで、登場人物のほとんど誰も笑顔を見せず、うだるような暑さの中で、行き場のない思いと苛立ちが沈殿していくさまが、オールカラーの独特な色彩で表現されていく。
「つらい状況って、どうやって耐えるか、どのくらい耐えればいいのかがわからないから、怖い。人が亡くなったときは心の痛みはこれぐらい続くんだ、でも耐えていれば絶対に薄れていくんだとか、そういうことを教えてくれる人を見つけるのが難しい。昔だったら、母親がいて父親がいて、祖父母がいて、両親が機能しなくてもおじさんおばさんとか、いろんな大人が身近にいたからなんとかなったけれども、いまはそういう環境のほうが珍しくなっている」
「単純に希望を持つことって大きいですよね。で、希望を持ってる人のそばにいるっていうことも大きいかもしれない。誰か牽引力のある人がそばにいれば、その人に引っ張られてみんないいほうにいくってこともあるだろうし。でも都会ではなかなかそうなりにくい気がします」
山あいの仙人のような暮らし
昨年、仕事場を熊本市内から天草に移した。山あいの一軒家に夫と二人で住み、マンガを描く。犬2匹と猫3匹、山羊2匹を飼い、井戸の水を飲む。
「(コロナの影響は)ここにいる分にはあまり感じないですね。もともと週に1、2回、町へ買い物に出るくらいで。DVDを借りに行ったりはしますけど」
「山に住まないといけない」と思った理由をこんなふうに話す。
「このあたりは植林された山じゃなくて、原生林が残っているんです。過去に健康を害して仕事ができなくなった経験があり、それを元どおりに修復するのにとても時間がかかったので、最初から害になる要素の少ないところで暮らしたいと思いました。それに、町にいると絶対必要なわけではない、細かな予定が入りすぎてしまう。��人みたいな人は必ず山に住むでしょ?」
月の半分は、「月刊コミック乱」と「トーチweb」に連載中の新作「扇島歳時記」の執筆に集中する。主に使うのはシャープペンシル。基本的にペン入れはせず、黒鉛の芯の硬軟を自在に操って、ニュアンスに富んだ線を描く。
連載中の「扇島歳時記」の舞台は、『ニュクスの角灯』から10年ほどさかのぼった長崎。共通する人物も登場する
もともと、描きたいことはどんどん浮かぶほうだ。アルコール依存から回復してからは、生まれ故郷の天草と、自身のルーツがある長崎を、歴史をさかのぼって丹念に取材している。
「扇島歳時記」のために長崎・出島の詳細な見取り図を作成し、『ニュクスの角灯』では大浦慶という実在した女性実業家を登場させるなど、フィクションの中に綿密に取材したノンフィクションを巧みに織り交ぜる。
「最近はもう、マンガ家といっても歴史マンガ家なので。歴史マンガ家のすることは、過去に生きていた名もない人たちの足跡を掘り起こして、その人を生かすこと。歴史を調べていると、向こうから飛び込んでくるんです。人知れず亡くなった人とかが、描いてほしいとメッセージを送っているのかもしれない」
「扇島歳時記」のノートの1ページ。絵や演出のうまさに定評があるが、本人は「取材してシナリオをつくる作業が好き。絵を描くのは2番目」と言う
次回作の構想を楽しそうに話す姿を見ていると、描けない時期があったとは思えない。「描けないことは苦しかったですか」と聞くと、少し考えて、「待たせていることがしんどかったですね」と答えた。カステルマン社が「描き下ろしで」と依頼してくれた中編は、描き上げるのに5年かかった。
どの時代を描いていても、高浜の作品には「いま」がにじむ。『愛人 ラマン』で描かれた少女の絶望は「いまもあまり変わらないと思う」と言う。
「20年前よりも状況が悪くなっているかもしれません。どこか依存症みたいな子がたくさんいますよね。ツイッターを見ていると、いろんな人の不安定な情緒がぽんぽんぽんぽん目に入ってくる」
ただ、そこで感受するつらさや病みを、そのまま作品にしようとは思わない。
「そういうのを描けばいまの人たちの共感を得られるのかもしれないけれども、私はそれが必ずしも良いことだとは思わないんです。それより、過去に生きていた人たちがどういうふうに健康的な暮らしをしていたかとか、どういう考え方をしていたかとか、そういうことを描いたほうが、読んでくれた人が本当の意味で前向きになれるんじゃないかと思っています」
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納得の回答!新型コロナをきっかけに「初めて買ったもの」に思わずうなずいた
集計期間:2020年5月8日~5月10日 回答数:16822
新型コロナウイルスの流行をきっかけに、マスクや消毒液などが品薄になっています。
普段はそういったものを使わない人が、一斉に買いに走った結果といえるかもしれませんね。
今回はそんな「新型コロナをきっかけに初めて買ったもの」に関する調査を行いました。
新型コロナの流行をきっかけに、初めて買ったものはありますか?
回答者16822名のうち、新型コロナをきっかけに初めて買ったものが「ある」と答えた方は、全体の約3分の1という結果に。
ここからは、初めて買った商品の具体例をみていきましょう。
コロナをきっかけに、こんなの買ってみました
<マスク関連>
・布マスクです。今まで、使い捨ての不織布マスクしか購入してなかったのですが、高価になった上になかなか入手出来ないので。 ・洗って使えるマスクを初めて買いました。 ・マスクの紐。マスクが買えないので手作りしてるから。 ・マスクが、手に入りにくい為、取り替えシートを購入 ・100均のエアコンフィルター。手作りマスクに入れるため。 ・マスク作りの為に、ノーズフィッターと言う品物を初めて買った。 ・ハンドメイドマスク。ハンドメイドの物を今まで買ったことがなかった。近所のあちこちに売られていてつい買ってしまう。 ・マスク。生まれて数十年、外出に影響��るほどの風邪をひいた事も、花粉症にもなった事がなかったので必要なかった。コロナで初めてマスクと言う外出許可書を買わされる事になってしまった。 ・水着素材のマスク。紙のマスクはムレてあせもになるため冬以外は使えないが、通気性が良い水着素材のマスクなら大丈夫そう。 ・黒いマスクコロナ以前は黒マスクは反社な人が着けるようなイメージだったしかし使い捨てマスクの在庫が無くなり、洗えるマスクもダークグリーンとか紺とか黒などしか在庫がない状態で仕方なくダークグリーン、紺、黒を注文今では黒の方が好きになっている。 ・ハッカ油を買って、マスクを快適につけられるようにした。
↑いちばん多かった回答はマスク関連のもの。「生まれて初めてマスクを買った」という意見も多く見られました。
<消毒液関連>
・消毒アルコールがなかったので消毒用ジェルを購入 ・消毒用アルコール。今までは潔癖症の人が使うものだと思っていた ・消毒液です、除菌シートは常に持ち歩いてはいましたが消毒液は持っていなかったので初めて買いました。普段どれだけ気にかけてなかったのかをこのコロナで思いしりました。 ・アルコール消毒がないから次亜塩素酸水を初めて購入した ・日本製のアルコール消毒がないので韓国製のアルコール消毒を買った。 ・消毒の出来るアルコール度の強い酒 ・スピリタス。普段そこまで度数の強い酒は飲まないが、消毒用アルコールが作れると知ったため。
↑マスクの次に多かったのが消毒液関連の回答。次亜塩素酸水やアルコール度数の高い酒といった代替品に関する回答も目立ちました。
<その他、防菌・除菌関連>
・手袋。良く飲食店の方が使ってる、アレです。髪の毛を染めるために通販で、ついでに買いましたがわりと使える。 ・使い捨てのラテックス手袋です。今回の出来事を機に、生活環境のクリーンアップに力を入れていますが、手が荒れること荒れること!感染予防目的でなく、肌の保護の為に買いました。 ・固形石鹸を何十年ぶりくらいに買った。液体ハンドソープがまったくなくなってしまったので。 ・泡で出てくるハンドソープ。家では固形石鹸(めんどくさい時は台所用洗剤)しか使って来なかったから。 ・ウィルスシャットアウト(首から下げる除菌剤) 胡散臭いと思いつつお守りみたいな気持ちで買った ・イソジンのうがい薬。水だけでしていたが、マスクが手に入らなくなり、手作りのマスクをするようになって、用心の為、初めて購入した。 ・パルスオキシメーターを買った。昔肺炎の時に病院では使わせて貰っていたが、買うとは思わなかった。 ・ゴーグル。目からも入ると聴いたから
↑パルスオキシメーターやウイルスシャットアウトなど、今回のコロナ禍で初めて存在を知る商品も多かったのではないでしょうか。
<生活用品・雑貨>
・トイレットペーパーが品薄になった時に汲み取り式トイレ用の紙を購入。一応、水にも流せるとあったので。その後、トイレットペーパーを購入できたので今のところ出番���無く。 ・ペーパータオル。新型コロナに関係なくこれからずっと使おうと思ってる ・家族別のうがい用コップ ・お風呂で癒されるLed照明 ・アロマディフューザー以前から嗅覚がおかしいが、更におかしくなったらわかるかなと思って。 ・スマートウォッチという活動量計。体温、血圧、血中酸素濃度測定、心拍数など24時間監視できるから。変化に気づくために購入。 ・猫脱走防止網。自宅にいて暑い日も続いたから窓開ける機会増えた。危ないってこと気付いた。 ・外出ができなくなった場合と地震が連発したことを踏まえて携帯コンロ ・海外サイトでLANケーブル海外のお金が安くなったので、この機会に購入しました ・バリカンを買った。主人が難病でコロナにかかったら大変なので美容院に行けないので買いました。上手に刈れました。 ・ネイルシール。ネイルサロンが営業していないため。 ・夜の時間もゆっくりできるようになったため美容家電を買った ・自転車のタイヤ交換。買出しで出かけている時間の短縮になるかな?と思い生まれて初めてのタイヤ交換でお値段の高いタイヤにしました。
↑散髪やネイルなど、店舗が営業自粛している美容関連の商品は、コロナならではの売れ行きのようです。
<テレワーク関連>
・在宅勤務用のパソコンデスクと椅子。 ・在宅勤務開始に伴い、ミニデスクを買いました。 ・座椅子です。テレワークになったものの環境がなく・・・ ・ブルーライトカットメガネ。在宅勤務で、目が疲れるので。 ・webカメラ在宅勤務会議用 ・テレワーク用に100均でイヤホン買いました。会話聞くだけなら十分満足でした。 ・リモートワーク用にディスプレイ。仕事用にしっかりした部屋着を購入 ・オンライン飲み会をやることになってスマホを固定する台を買ったウェブカメラも気になっている
↑子供がオンライン授業になったため、PCやタブレットを買うという意見も目立ちました。
<娯楽・趣味>
・Huluに加入した ・Nintendo Switch LITE を買いました。長い休暇ができたので、子供用に。 ・あつまれどうぶつの森。一応流行っていたのですが、自宅で過ごすとなると何か娯楽が欲しかったので思いきって買いました。 ・家���でできる、カードゲームやすごろくなど。 ・家で暇なのでジャグリングボールを買いました。 ・時間つぶしの為に本屋で間違い探しの本を買った。 ・タブレット。外出も祖父母の家に行くこともできない子供達の暇つぶし(兼、その間の親の息抜きタイム確保)に購入。 ・子供のジャングルジムとブランコと滑り台が一体となってる玩具。外に自由に遊びに行かないから。 ・テントなどのアウトドア用品。学校休校や外出自粛で外出を控え、家の庭で使うため。 ・人工芝を買ってベランダでピクニックをした ・テニスも釣りも自粛しているので家にいる時間が長くなるため、一念発起して絵でも描こうとステッドラーのカラーアクェレル60色セットを買った。
↑インドア派とアウトドア派、暇つぶし方法は人それぞれ。
<飲食関連>
・チャーハンのもとや冷凍食品ピラフなど。家で毎食用意するのは大変なので、力を借りたした。 ・家族の昼食用にカップラーメンを初めて購入しました。また、初めて宅配ピザを注文しました。 ・ラーメンの5袋バックとホットケーキミックス。みんなが買い占めるということは、必需品なのかなとおもった。今まで使ったことがなかったが、新しい食卓に子どもが喜びました。 ・節約しなきゃ!と思って、前から気になっていた税込108円の○○○の「おいしいカレー」と言うレトルトカレー。正直言って、お値段以上!!!まさにおいしいカレーでした。コロナが終わっても、絶対に買う。 ・バナナ今まで苦手な食べ物だったが、栄養あるし手軽だからと買ってみたら、美味しかった。 ・コストコの冷凍エビ。普段料理しない旦那さんが海老フライを作りたいと言ったので初めて買った。 ・初めてノンアルコールビールのパックを買った。家にずっといると、ストレスからアルコールを飲む回数が増えたため、ノンアルコールビールも混ぜて飲むようになりました。 ・手づくりお菓子の素 ・お菓子を作ろうと思って、初めてゼラチンを買った ・ワッフルメーカー。ホットケーキミックスの消費に。 ・コーヒーを入れる、フレンチプレス。家に居る時間が長いので、美味しいコーヒーをあじわいたい! ・買ったというか、UberEATSを初めて利用しました ・デリバリーで釜飯、寿司を注文した。 ・フレンチレストランの宅配料理 ・居酒屋のテイクアウト ・なかなか行けないところの食べ物のお取り寄せをしました。 ・通販のお肉や魚の干物、うなぎ等々の利用をした。はじめて二台目の冷蔵庫を追加して買った! ・長期保存出来る水。パニックになって、コロナと災害対策を取り違えた感が否めない... ・焼肉食べ放題に行けなくなったのでせめて、家焼肉をしようと電気焼肉コンロを買ってしまいました。 ・今まではあまりコンビニに行かない方だったが、外出を控えるようになってから近場のコンビニに行くようになりハンバーガーやホットドッグをよく買うようになりました。
↑初めて食べたものや、初めて利用したサービスなどについての回答が多く、コロナ禍の影響をもっとも受けているのは食生活なのではと考えさせられます。
<運動関連>
・筋トレ器具 ・ヨガマット ・リングフィットアドベンチャー ・エアロバイク、運動不足防止のため ・バランスボール。子供の運動不足解消に。
↑「コロナ太り」という言葉がすでに生まれていますね。来年、五輪の開催が正式に決まったら、空前のスポーツ・ダイエットブームが来るかもしれませんね。
<その他>
・給付金申請のためのカードリーダー ・出勤日が減ることになったので、定期から回数券に変えて購入した。 ・家の補修に、使うセメント、こんなに時間があると、家を直す事しかない!
↑筆者もカードリーダーで申請しました。5分ほどで終わり、個人的にはとても便利に感じました。
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
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グループキャンプこそ準備したい!手作りドリンク&差し入れドリンク♪
グループキャンプこそ準備したい!手作りドリンク&差し入れドリンク♪
最終更新日:2019/10/21
ノウハウ
出典: wmaster890 / ゲッティイメージズ
人が多く集まる「グループキャンプ」では、華やかに飲み物にもこだわりたいところ♪そんなグループキャンプにぴったりな「作って楽しい、見た目華やか」な手作りドリンクから、差し入れに喜ばれる「もらって嬉しい!」手土産ドリンクまで、グループキャンプにおすすめのドリンクをご紹介します。
グループキャンプにおすすめの飲みものとは?!
出典:scanrail / ゲッティイメージズ
いつもスーパー、コンビニでお馴染みのドリンクではなく、せっかくのグループキャンプには「非日常」を味わいたいですよね。ちょっとした工夫や、アイテム、食材で簡単にいつもとは違ったオリジナルドリンクができちゃいます! また、手作りする余裕がない場合は、ちょっとリッチな気分になれるドリンクや、シーンにあったドリンクを差し入れてあげると、喜ばれること間違いなし!早速、おすすめドリンクをご紹介します。
みんなで作って楽しい!手作りドリンクレシピ
腹持ち抜群!子どものおやつにも喜ばれるドリンク
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大人気のタピオカドリンクは、実はどこでも簡単に作れてしまうんです。タピオカは、冷凍のものや茹でるだけのもの、そのまま使えるシロップづけなど、様々な種類が展開されています。もちもち食感��小腹を満たすタピオカドリンクを作ってあげれば、お子さんから尊敬の眼差しを一身に受けられるはず!
【おすすめ】おうちでタピオカ ブラックタピオカ
国産タピオカ使用の生タイプのブラックタピオカです。一般的に販売されている乾燥タピオカとは違い、調理時間も短めで簡単! ①タピオカを沸騰した約1Lのお湯にいれる ②すぐにヘラなどで軽くかき混ぜる ③ふたをしないで中火で20分茹でる ④蓋をして20分〜30分蒸らしたら、ザルに開けて流水にさらして出来上がり
暑い日におすすめ!常夏気分のドリンク
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夏の暑い日におすすめのドリンクは何と言っても、フロートドリンク!いつものジュースを一段階グレードアップしてくれること間違いなしです。簡単にできて、お子さんも大喜びなので、ぜひ試してみてください。 ①お好きなジュースをピックアップ ②キャンプに持ってきているロックアイスなどをいれてかき氷を作る ③グラスに①と②を入れてシャーベット状のドリンクの出来上がり
【おすすめ】ドウシシャ 大人の氷かき器 コードレス
ハンディタイプで片手でも氷を削れるため、女性や子供でも簡単!バネが、氷をしっかり抑えてくれるので力はいりません。フロートドリンクを作るのにもうってつけです。 サイズ:約99.5×12×31cm 素材・材質:ABS樹脂 電源:単三アルカリ乾電池4本使用(別売り)
ピリリと大人の味わい!こだわりのジンジャーエール
生姜のピリッとした味と香りが鼻を抜ける、爽やかなジンジャーエール。これを屋外で作って飲むことができれば、こだわりのおしゃれキャンパーです。ジンジャーエールって作れるの?とお思いかもしれませんが、自家製ジンジャーエールは簡単で、とっても美味しく作れるので、お試しあれ! ・生姜…200g ・水…200ml ・グラニュー糖 (砂糖でも可)…100g ・はちみつ…大さじ4 ・レモン汁…小さじ2 ・シナモンスティック…1本 ①.生姜を洗い、皮がついたまま生姜をスライス ②.①とグラニュー糖を鍋に入れて10分程置き、水分が出てきたら水とはちみつを加え中火にかける。沸騰したら、アクを取り除きます。アクがあまり出なくなったら火を止める ③.②にレモン汁とシナモンスティックとを入れ、再び中火にかけ10分ほど煮る。火を止め、ザルでこしながら耐熱容器に入れ、粗熱が取れたら冷蔵庫で冷やす ④.③と炭酸水を1:3の割合でグラスに入れたら完成
【おすすめ】ソーダストリーム ジェネシス v2 スターターキット
500mLペットボトル1本あたり約18円から炭酸水が作れる「ソーダストリーム」。普段の水で、わずか数秒で炭酸水ができます。様々なドリンクに応用可能なので、ジンジャーエールはもちろん、その他の炭酸にチャレンジしたい方にもおすすめです!強炭酸から、お子様にやさしい弱炭酸まで、 好みに合わせてカスタマイズ可能。
食べて美味しい、見て楽しい。健康的なドリンク!
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見た目も綺麗で、食べても美味しいおしゃれなドリンク代表「フルーツウォーター」。水溶性のビタミンは水に溶けやすいため、水分補給と共に栄養補給にもなりますよ。お子さんの健康的なドリンクとしてもおすすめです。作り方は簡単なのも嬉しいポイントですよね。 ①お好きなフルーツを選ぶ ②フルーツをカットする ③ハチミツやミネラルウォーター(or炭酸水)などで一晩寝かせれば完成
【おすすめ】BALL メイソンジャー ドリンキングマグ
愛され続けて100年以上の米国・BALL社の「メイソンジャー ドリンキングマグ」。密閉ビンは使い勝手がよく、ガラス製だからニオイ移りもしにくいのが特徴です、煮沸消毒もできるため、衛生的な保存容器の定番。お洒落なレトロデザインも人気のポイントです。 サイズ:直径8(取っ手含まず)×高さ13cm 容量:約480ml 素材:ソーダガラス 原産国:アメリカ
もらってい嬉しい♪差し入れ・手土産ドリンク
アウトドアで飲めるスペシャリティーコーヒー♪
GROWER'S CUP フェアトレードコーヒー
世界最高級の豆だけを厳選したスペシャリティーコーヒー。フェアトレード認証や、現地ヨーロッパでオーガニック認証を受けており、どこでもお手軽に「本物」の味を堪能できる優れもの。
大地の恵みが沁み渡る!子どもから大人まで魅了するフルーツジュース
銀座ストレートジュースA
旬の時期に収穫した、美味しい果実をぎゅっと濃縮し、砂糖・香料などを一切加えない、ストレートタイプのジュースです。子どもから大人まで、フルーツの美味しさを堪能できるフルーツジュースになっています。
大人に嬉しい!キャンプのお供に欠かせないドリンク?!
今回、大人数に配ることや、キャンプとの相性を考慮して、これはぴったり!と思ったドリンクがあります。それがこちら「リポビタンアルコベール」。ウコンエキスや、乳酸菌を配合した清涼飲料水で、とにかく味も美味しいので、みんなに喜ばれるのでは?!と思い、実際に皆さんがどう思うかアンケートをしてみました!
試飲・味の感想アンケートタイム!
実際に、イベントにてアンケートを開始。ファミリーからカップル、夫婦、様々な方にお声がけして、味の感想を伺いました。全部で50名弱の方に試飲と感想を投票してもらいました!ご協力頂きありがとうございます!
アンケートはこのような結果に!!味の感想も「美味しくない」は0.5票と圧倒的な少なさで、多くの人に美味しいと感じてもらえました♪
パイナップル風味で飲みやすいため、女性にも好感触!最後に「また、飲んでみようと思う?」の回答にも多くの方が「思う!」、「キャンプの差し入れにしたい」という回答も多く見受けらました。ぜひ、グループキャンプには差し入れドリンクを試してみてください♪喜ばれること間違いなしです!
キャンプ、女子会、ホームパーティー、イベントなどでも大活躍!
リポビタンアルコベール
飲みやすいパイナップル風味の清涼飲料水。肝臓エキス、クルクミン、ウコンエキス、米由来の植物性乳酸菌を配合しています。飲み切りやすい50mlなのもポイントです!
まとめ
いかがでしたか?グループキャンプをするときに、喜ばれること間違いなし「手作りド��ンク」と「手土産ドリンク」をご紹介しました。普段と違う華やかなドリンクや、差し入れにドリンクをもらうというのはテンションが上がりますよね。また、差し入れといえば、食材やアルコールが多いため、ドリンクというのも被らなくておすすめポイントです♪
ニーノ
タウンユースでもアウトドアでも使えるハイスペックアイテム大好きなアラサー。ウエア、ファニチャーと物欲が止まらない!軽登山、アスレチック、旅行、散歩も心の栄養。
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【小説】咲かない
幼い頃から「幽霊みたい」とよく言われていた。
入退院を繰り返してばかりの俺の身体はポンコツで、顔色が悪く痩せ細っている姿は、自分でも幽霊じみていると思った。
成人するまで生きることはできないだろうと医者に言われて育った俺は、二十七歳になった今もこうして生き延びている。奇跡的になかったことになった余命宣告のことを、両親はひどく喜んでいたけれど、俺の身体は健康体と呼ぶには未だほど遠い。学校を休みがちなのは今だって相変わらずで、勉強についていけず周囲よりも一年、二年遅れることにももう慣れた。
だから余計に思うのだ。まるで亡霊みたいだ、と。
今まで、一体いくつの春を見送ってきたのだろう。肩を並べて入学したはずの同輩が俺を残して進級し、あっという間に大学を去って行ったのをただ見送ったのは、確か三年も前だ。後輩の門出だって祝福した。出て行った人間たちと同じ数だけ、新しく入ってくる人間たちも見てきた。
俺はいつまでここにいるのだろう。この場所に縛り付けられているかのように、季節が過ぎて行くのを眺めているだけ。卒業できず大学に残り続ける俺は、まるで地縛霊だ。
「卒業おめでとうございます」
俺に向けられたものではない言葉。後輩たちにそう声をかけられて、どこか照れたように笑う彼ら。彼らもまた、俺からしたら後輩に変わりない。
俺の所属するサークルでは毎年、卒業式を終えた卒業生を講堂の前で待ち構え、後輩たちが祝福する。桜並木を前に、晴れ着姿で笑い合う後輩たちを、今年も卒業しない俺は、少し離れたところから煙草片手に見つめていた。
「丸谷先輩」
人の輪の中から、頭ひとつ分背の高いやつが抜け出して、俺の方にやって来た。
がっしりとした身体は、柔道をやっている人間なんだと聞けば、なるほど無駄にでかい図体をしている訳ではないんだな、と頷けるが、それを知らなければただの独活の大木にしか思えない。短く刈り上げた髪と無骨な表情、鋭い目つき。他人を寄せ付けない雰囲気を常に纏うこの男も、今や大勢となってしまった俺の後輩のひとり。こいつも今日、大学を卒業してうちのサークルを出て行く。
「卒業おめっとさん、鷹谷」
「ありがとうございます。先輩、ここ、禁煙ですよ」
後輩――鷹谷篤は訝しげにそう言ったが、俺はそれを無視して煙を吐いた。煙草くらい吸わせてほしい。後輩の門出を祝福して、ただでさえ肩身が狭い思いをしているというのに、手持無沙汰だなんて空しいだけだ。
「来年は、俺も卒業するから」
「先輩、それ、毎年言ってますね」
鷹谷は俺の冗談ににこりとも笑わない。無粋な野郎だ、面白くない。
「まさか、俺が四年生の時に入学してきた一年生が、もう卒業していくなんてな」
「俺も、一年生の頃からお世話になってきた丸谷先輩が俺たちの卒業まで見守って下さるとは思いませんでした」
今のは嫌味か、それとも笑わせようとしているのか。背の高い後輩の表情を見上げて窺ってみたが、相変わらずの無表情で、何を考えているのかはさっぱりわからない。
「先輩の卒業式には、俺、必ず行きますから」
「そうだな、後輩には見送ってもらうもんだ」
そんな下らない話をしながら、俺は考えていた。俺はこの四年間、一体ここで何をしていたのだろう。入学してきた後輩たちがそれぞれの進路を決めて学び舎を去っていくまでの、この四年間に。
「わー」という声が聞こえたので目を向けると、人の輪の中からまたひとり、頭ひとつ分出っ張ったやつがこちらへ向かって来るところだった。
そいつも、今日卒業した俺の後輩だ。多くの女子学生が色鮮やかな袴姿の中、その女はグレーのパンツスーツを着用していた。華やかさに欠ける服装だが、その分、引き締まった腰と長い脚がよく映えている。
「丸谷先輩、いらしてたんですか」
「お前らが卒業する年だけ、式に顔出さない訳にもいかねぇだろ。魚原も、卒業おめっとさん」
「ありがとうございます」
女はきっちり四十五度の一礼をした。その姿勢の良さに、思わずこちらの背筋まで伸びそうだ。
この女は女性にしては背が高く、色気も洒落気もない容姿をしているが、決して醜い女ではない。むしろ、短い髪と精悍な顔つきには洗練された清潔感がある。
魚原美茂咲という風変わりな名前のこの女も、鷹谷同様に武道をたしなんでいる。しかも、ミモザなんて名前の割に結構な腕前だというのだから、侮れない。この二人が並んでいるのを見ていると、このサークルは武闘派だったのかと錯覚しそうになる。
うちのサークルは「文化部」だ。名前だけでは何をする団体なのか判別つかないこのサークルは、特に何をするサークルでもない。目的も活動内容も存在しない。ただ日々をだらだらと過ごす、それだけが活動だ。いや、それだけでは活動とさえ呼べない。そんな集団なのだ、俺たちは。
この二人の後輩は、そんなうちのサークルでは浮いていた。良くも悪くも、こいつらは異色だ。他のやつらと違ってだらしのないところがないし、妙に着飾ることもしない。そして二人は、毛色の違う者同士、仲がいい。
「お前らは相変わらずだな」
「そうでしょうか」
お互いに寄り添うようにぴったり並んで立っている二人を見て、俺がからかい半分にそう言うと、鷹谷は、何を言われているのかわからない、といった口調だった。
「いい加減、お前たちは付き合ったらどうなんだよ」
「うーん、でも、鷹谷はそういうのじゃないっていうか……」
「魚原は、よき友人です」
二人は表情ひとつ変えずにそう返してくる。
この二人は、一年生の頃から親しかった。交際しているのではないかという噂が、サークル仲間内で立ったこともあった。だがいくらはやし立てても肝心の二人が一向に気に留めないものだから、周りの方が先に冷めてしまったのだ。
「お前らは、春からはどうするんだ?」
「俺は故郷へ戻ります」
「私は、東京です」
「東京?」
訊き返すと魚原は頷いた。その表情は、どこか嬉しそうに見える。
「そうか……東京か。頑張れよ」
「はい、ありがとうございます」
魚原はまた、四十五度に腰を折って一礼する。
離れたところで集まっている後輩の女子たちが、ミモザせんぱーい、と魚原のことを呼んだ。彼女は、そちらに「はーい」と返事をしてから、俺の方へと向き直り、それじゃあ失礼します、と礼儀正しく頭を下げて、人の輪の方へと小走りで駆けて行く。
その後ろ姿を見送りながら、俺は鷹谷の横へ移動してそいつの脇腹をつついた。
「いいのかよ」
「何がですか」
鷹谷はぴくりとも動じない。
「魚原、東京にいっちまうんだろ」
「そうですね」
「簡単に会えなくなるんじゃねぇの」
「はい」
「……それでなんとも思わないのかよ」
「なんとも思わないこともないですが」
鷹谷はそこで、何か言おうと口を開き、だがそれから��ばらく何も言わなかった。やがて、少しばかりためらうように口にした。
「会えなくなったからといって、なんにもなくなってしまう訳では、ないですから」
「……はぁ」
「もう二度と会えなくなる訳でもありませんし」
「まぁ、そりゃそうだけど――」
「魚原にも、」
鷹谷の瞳が、俺が吐き出した煙の向こうで、貫くように俺を見ていた。
「――丸谷先輩にも」
一瞬、呆気に取られた。
俺? 俺にも?
人の輪から鷹谷を呼ぶ声が聞こえてくる。それじゃあまた、と頭を下げて、後輩は踵を返して歩いて行った。
俺はしばらくの間、そこにただ呆然と立ち尽くし、去って行く後輩の背中を見送っていた。
人が集まっている中から、ひとりの女子が飛び出すように鷹谷のところへと駆けて来る。背の高い鷹谷の顔を見上げて、何かを一生懸命に伝えようとしているようだ。その頬は緊張しているのか赤く染まり、だがどこか、嬉しくてたまらないというような表情にも見える。
そんな女子に向き合う鷹谷は、相変わらずの仏頂面であったが、ほんの少し、いつもより穏やかな表情をしているよ���にも見える。あの堅物の鷹谷にも、そんな風に接する相手がいたのか。
俺はふと我に返ってから、吸いかけの煙草を口に咥えたまま、後輩たちとは反対の方向に歩き出すことにした。
卒業式の後、卒業生たちはそれぞれが所属する学科や研究室での集まりがあるので、サークルで集まるのはこの時間が最後だ。親しい後輩の顔を見ることもできたし、祝福の言葉もかけてやった。もうこれでいいだろう。
俺の次の行き先は決まっていた。大学敷地内の隅に設置されている喫煙所だ。
入学した頃、大学内のあちこちに用意されていた灰皿は、今ではほんの数ヶ所にしか残されていない。年々、嫌煙の気が高まり撤去されていくのだ。敷地内全面禁煙となる日も近いだろう。それまで俺がこの大学に在籍しているかは、ともかくとして。
講堂から最も近いその喫煙所は、学務棟の裏手にある。喫煙所と言っても、ペンキがほとんど剥げているベンチと、強風の日には転倒する一本足の灰皿スタンドが立っているだけのスペースだ。
学生たちがよく利用する講義棟や実験棟から離れていることや、屋根がなく雨風や暑さ寒さをしのげないことから、日頃からここの喫煙所を利用している喫煙者はそういない。せいぜい、大学職員の連中くらいだ。だからここはいつでも空いている。誰もいなくて心地がいい。そういう理由で、俺はこの場所を愛用していた。
人がいないというのは好都合だ。同期が大学を卒業していった三年前から、大学にいるとどうも肩身が狭いような気がしている。一年留年したくらいどうってことないと当時は思っていたが、それも大学在籍八年目をもうすぐ迎えようとしている今では、いよいよそうも言えなくなってきた。
腰を降ろすとベンチは軋んだ音を立てた。俺はすっかり短くなっていた煙草を灰皿で揉み消し、コートのポケットから煙草の箱とライターを取り出す。煙草を一本咥え、火を点けようと軽く息を吸い込んだ時、春の陽気が鼻先をくすぐるのを感じた。菜の花のにおいがする。辺りに咲いている姿は見えないが、どこかで咲いているのだろう。今日は天気も良く、温かい気候だ。卒業式にはちょうど良い。
だがそれでも、俺が吐く息は震えていた。もう何日、熱が下がっていないのだろう。身体は重くけだるく、頭の奥がしびれるように痛む。
煙草を吸いながら煙の動線に目をやっていると、ふと、頭上の枝が気になった。
俺が座るベンチの側には、一本の桜の木が生えている。花は六分咲きというところだろうか。講堂の側の桜はほとんど満開だったような気がするが、学務棟で日射しを遮られた薄暗いこの場所では、開花が遅れているのかもしれない。根元もほとんどがアスファルトで固められており、木にとっては居心地が悪いだろう。
頭上の枝、たくさんの花や蕾をつけているその枝の中、一本だけ、一輪の花もなければ蕾さえもない枝がある。それを見上げて思う。ああ今年も、この枝だけは咲かなかった。
俺が初めてこの枝を見つけたのは、自身の入学式の時だった。花が咲いていない枝があることを「あいつ」が指摘して、俺は今と同じようにここで煙草を吸いながら空を仰いだのだ。枝は枯れているのだろうか。あれからほとんど毎年のようにここで見上げているけれど、この枝が花をつけているのを見たことは一度もない。
あいつと初めて会ったのは、この場所だった。
退屈な入学式を途中で抜け出し、ここで煙草を吸っていると、俺と同じようにやつはやって来た。やつはどこか、人間離れしている印象があった。二メートル近い長身で、手足がやたら長く、色白で細身な体格だった。飄々とした表情で現れると、そいつはさも当たり前のように俺の隣、同じベンチの上に腰を降ろして煙草を吸い始めたのだ。
「あの一本だけ、桜、咲いてないね」
お互いスーツ姿だったから、新入生なんだろうということはすぐにわかった。
「きみも新入生でしょ? いいの? 煙草なんて吸ってて」
煙を吐きながらそいつはそう言った。俺は鼻で笑った。
「俺はもう二十歳だよ。未成年のなのはお前の方だろ」
俺の声はひどくしゃがれて掠れていた。そいつは驚いたような顔をして俺を見て、それから、
「そうかぁ、年上だったかぁ」
と、どこか楽しそうに笑った。悪戯っ子のような笑顔には、つい数ヶ月前まで高校生であったその面影が見てとれる。俺が高校生だったのは、その時既に二年も前のことになっていた。
そいつは悪びれている様子もなく、煙草を吸い続けていた。そう言う俺自身、未成年の頃から喫煙の習慣があるので他人を咎める気はない。だいたい、俺が二十歳になったのだって、つい四日前のことだ。
俺もそいつも、慣れているなというのが一目でわかる煙草の吸い方をしていた。同類だということは、一瞬でわかった。
「学部は?」
そう尋ねられた。
「工学部」
「そうなんだ。俺は文理学部」
その学部は、うちの大学で入試時の偏差値が最も低い学部だった。選考時の試験内容が異なるので単純な比較はできないが、俺が在籍する学部とは十五近く偏差値が離れているとされていた。こいつはたいしたことないやつだな。そんな考えが俺の脳裏を掠める。
やつはその後、自身が所属するやたら長い学科の名を口にしたが、今ではそれがなんていう名前の学科だったのか、もう思い出せない。あれから七年が経とうとしている現在、やつが当時在籍していた学科は、他学科と統合され名称が変更されている。今はもうないのだ。ただ、その名称からだけでは一体どんな研究をする学問分野なのか、よくわからないという印象があった。
その学科の印象のように、やつには得体の知れないところがあった。掴みどころがない。ただ妙に、憎めないやつだという印象もあった。悪いやつではなさそうなのだ。
「大学の入学式って退屈だね。あれなら出なくてもよかったよ」
「全くだ」
やつの言うことに俺は同意だった。大勢の人間が一箇所に集められているというだけで、特に面白いことは何もない。おまけに襟元のネクタイが締めつけてきて窮屈で耐えられない。ああいった式典は慣れないし好きにもなれそうにない。出なくて済むのなら出ない。その考えは今だって変わらないが、当時はもう少し、世の中に対して斜に構えていたいという願望も混ざっていたような気がする。要するに俺は、若かったのだ。今から八年も前の話になる。
「どうして人間って、ああいう式典が好きなんだろう。式の中で行われていることは、ほとんど無意味なのにね」
やつは一本目の煙草を吸い終わり、二本目の煙草を取り出しながらそう言った。そのひしゃげたオレンジ色のパッケージには見覚えがあったが、自分がそいつと同じ十八歳の時に、そんな銘柄の煙草を吸っているやつは周りにはいなかった。それは年寄りが吸う煙草だと思っていた。
やつは続けて言った。
「人がたくさん集まる場所はどうも苦手だな。ここではない、と思うんだ。自分がいるべきなのはここではないんじゃないか、自分はこの人たちの一員ではないのではないか、って」
言葉と同時に吐き出されていく煙が、空中に霧散して見えなくなっていく。その過程を俺は横目で追いつつ黙っていた。何を語ってるんだ、こいつは。その時は、それくらいに思っていたかもしれない。
俺はやつの言葉には何も返さず、もう吸い終わった煙草を灰皿の中へ捨て、立ち上がった。もう一度、講堂に戻って入学式を覗いて来ようと思ったのだ。このままこの場所でこいつと時間を潰すことになるのもなんだか嫌だった。
「ねぇ、」
座ったままのやつが俺を見上げてくる。
「工学部のお兄さん、名前はなんていうの?」
そう言ったやつの、あの目が忘れられない。思わず引き込まれそうな瞳の中で、何かがきらりと光っているように見えた。それは明らかに、俺を興味の対象として捉えている目だった。
「丸谷文吾」
「丸谷さん」
「敬称はいらない」
「年上なのに?」
「同期だろ」
俺がそう言うと、そいつはにっこりと笑った。右手に持っていた煙草を左手に持ち替えて、やつは空いたその手を俺に差し出してくる。
「俺は郡田三四郎。よろしく、丸谷」
それが、最初だった。
郡田とはその後も度々、喫煙所で顔を合わせ、話をするようになった。俺のしゃがれた声は聞き取りにくかっただろうが、それでもやつは話しかけてきた。学務棟の裏にあるその喫煙所に足を運ぶ時、俺はたいていひとりで煙草を吸っていて、やつもいつもひとりでやって来た。
「丸谷は成人しているんだろう? 酒は飲むの?」
「飲めない」
「弱いんだ」
「違う。服用している薬の影響で、アルコールが摂取できないんだ」
俺がそう言うと、郡田は不思議そうな顔をした。それからほんのしばらくの間、何かを考えているようだったが、やがて煙草を口から離して煙を吐き出しながら、俺の口に同じように咥えられているそれを指差した。
「酒は駄目だけど、煙草はいいの?」
「いい訳ねぇだろ」
そう答えると、やつは目を丸くして、それから噴き出すように笑った。俺も一緒に笑った。
俺の病気について郡田に話したのは、それが最初で最後だった。やつはそれ以降の四年間、一度も俺の体調や病状について触れてきたことはない。やつは察しがよかった。俺が病気の話をしたくないことを、ちゃんと感じ取っていたのだ。
「俺の名前さ、変わってるでしょ」
やつは唐突にそう切り出した。
「郡田三四郎。三四郎、か。親が夏目漱石のファンなのか?」
「違うよ」
俺は自分のジョークに笑っていたが、その時あいつは笑わなかった。
「俺は三人兄弟の三番目で、兄貴が二人いるんだけど、本当は四番目なんだ」
「上にもうひとり、兄貴がいたってことか」
「そう。もうひとりいた。俺たちは双子だったんだ」
その双子の兄は、生まれてすぐに亡くなった。だからやつは、本来は四番目だったにも関わらず、三番目の子供として育てられた。やつの名前、「三四郎」という名は、そのことを示しているのだという。思った以上にヘビーな由来の名前だった。
「そのせいなのかな。子供の頃から、なんだか妙なんだ」
「妙って?」
「ここが――」
郡田は左手を自分の胸に当てて言った。
「――なんだか空っぽな気がするんだ。俺には何かが足りていない。決定的に何かが間違っている。そんな気がしているんだ。何をしていても、誰といても」
俺は思わず笑いそうになったが、当の本人があまりにも大真面目にそう語るものだから、なんだか悪いような気がして笑えなかった。
生まれてすぐに失った双子の片割れ。三番目の子供であり、四番目でもあることを示すその名前。
俺はその時、あいつが深刻に思い悩んでいるとは思いもしなかった。恐らくは、俺の病気の話を聞いてしまったことで、何か自分のことを打ち明けようと思ったのだろう。本当は誰にも語りたくないことを、あえて俺に話したのだ。それが公平だと、あいつは思ったに違いない。俺はやつの言葉をそんな風に解釈したし、実際、あいつはそういうやつだった。
その後は、いつも通りだった。他愛のない会話をして、煙草を吸い終わると別れた。その後もしばらく、いつもと変わらない日々を過ごした。俺にも郡田にも、特に問題はなかったような気がする。
大学生活も順調だった。新しい生活に慣れるには少し時間がかかったが、お互い毎日を楽しんでいたように思う。二人揃って一限目の講義に盛大に遅刻した日には、喫煙所でだらだら煙草を吸って講義が終わるのを待ちながら、お互いを馬鹿にし合ったものだ。
だが俺はその後、郡田が発した言葉の意味を、あいつは決定的に何かが欠落してしまっているのだということを、理解することになる。
「俺さ、自分のサークルを立ち上げようと思うんだけど」
あいつがそう言ってきたのは、大学一年の夏休みが始まる前のことだったと思う。梅雨明けしたばかりの、空気がまだ湿気を帯びて熱のこもっている頃だった。空調の効いた教室を出て、学務棟の裏へと足を運ぶとその熱気に嫌気が差した。
俺は煙草をメンソールのものに変えていた。郡田は相変わらず、オレンジ色のパッケージの古臭い煙草を吸っていた。
「サークル? なんのサークルだよ?」
喫煙サークルか? なんて冗談をその時俺は口にしたが、やつはそれにも笑わなかった。
「活動内容自体はなんでもいいんだ。なんかそれらしい名前で、ちょっとよくわかんない活動をしている感じが出れば」
「お前の学科みたいにか?」
これにはやつも少しばかり笑った。俺はいまいちやつの意図が掴み切れず、さらに尋ねた。
「そんなサークルを作ってどうするつもりだよ。やりたいこともないのに、サークルを作るのか?」
「どのサークルに入っていないような人が、ここなら入ってもいいかなって思えるような、そういうサークルがほしいんだ」
当時、俺も郡田もどこのサークルにも所属していなかった。俺の所属していた学部でサークルに所属している学生はだいたい半数くらいだったが、やつの所属していた学部ではなんのサークル活動にも所属していない学生は、恐らく少数派だったはずだ。
俺は最初からサークルなんかに所属する気はなかった。興味のあることもなかったし、一緒につるむ仲間が必要だとも思わなかった。いつ爆発するのかわからない爆弾みたいなこの身体では、何をしたところでたいして長続きしないことは嫌というほどわかっていた。郡田の方は、四月頃にいくつかのサークルに見学へ行ってみたりしていたらしいが、どこにも所属はしていなかった。気に入る集団が見つけられなかったのだろう。
郡田の言っていることは、やっぱりよくわからなかった。ただ、その表情があまりにも真剣だったので、やつが本気で言っていることだけは伝わった。
「ただの飲みサーになるんじゃねぇの」
「それでもいいよ、別に」
ずいぶん投げやりな声音だった。本当になんでもよかったのかもしれない。
「サークルを立ち上げるのに、最低五人の部員が必要なんだって。丸谷さ、名前だけでもいいから、貸してくれないかな」
俺は少しの間だけ逡巡し、煙を吐きながらその行く先を目で追っていた。頭上で枝を這わせている桜の木は、青々とした葉を茂らせていたけれど、やはりあの枝だけは今も裸のままだ。もう、とうに枯れているんだろうか。まるで冬の季節のまま、時が止まっているみたいだ。
俺はその枝を見つめながら答えた。
「いいよ」
「え、本当に?」
「名前だけじゃなく、なるべく参加するよ、そのよくわかんないサークルに」
「丸谷ぃ」
やつがいきなり抱きついてきたので、俺は思わず煙草を地面に落とした。
「何すんだ、やめろ」
「ありがとう」
「いいから、離れろ」
「丸谷は、人と群れるのが嫌いなのかと思っていたから」
そう言いながら郡田は身体を離し、落ちた煙草を拾い上げると、ごめんね、と謝った。やつは煙草を差し出してきたが、俺はいいから灰皿に捨てろ、と指で示し、次の煙草を取り出す。
「俺は人と群れるのが嫌いなんじゃない、人が嫌いなんだ」
そう言いながら火を点けていると、隣で郡田は笑っていた。冗談のつもりではなかったので、心外だった。
そうして、大学の長い夏休みが終わり、後期の講義が始まった頃に発足したのが、「文化部」というサークルだった。
郡田が集めた部員は俺を含め七人。四人は男子、三人は女子で、そのほとんどは俺と同じ一年生。部長は郡田が務めた。
予想通り、それはほとんどサークルとして機能していなかった。サークル棟の五階の最奥、北向きの部屋が俺たちの部室として宛がわれることになったが、いつそこへ足を運んでも、活動らしい活動は行われていなかった。他愛のない話を遅くまでしたり、終わりのないカードゲームに延々と興じたりしているくらいで、ただただ怠惰な時間を過ごした。
七人の部員たちは学部や学科、出身地が異なり、唯一の共通点は郡田と知り合いだという点のみだった。それでも一緒に過ごすうちに親しくなり、部室で談笑する以外にも、共に出掛けたり食事に行ったりするようになった。
部員全員が顔を合わせる機会が一番多かったのは、飲み会だろうか。部員のほとんどは未成年であったけれど、皆少しずつ酒に手を出すようになった。俺は飲酒できないので、飲み会の席では煙草をふかしてばかりで暇を持て余していることが多かった。だが、だんだんと酔っ払っていく仲間たちを見ているのは少なからず面白かった。
郡田も酒を飲んではいたけれど、その量は決して多くなかった。飲み過ぎることはあまりなく、本当に時々、足元がふらつくような時があるくらいだった。そんな日は、背後から抱きついてきた郡田をずるずると引きずるようにして家まで送らなければならず、俺は非常に厄介な目に遭わされた。やつが長い腕を俺の肩の上に這わせ、肩甲骨の上で「丸谷ぃ」とどこか甘えた声で呼ぶ時、俺はいつも、こいつが二歳年下の男なのだということを思い出した。
そうやって皆で遊ぶ時、郡田はいつも必ずその中心にいて、楽しそうに笑っていた。
郡田に何かが欠けていることに気付いたのは、その頃が最初だった。やつは同じ部に所属している三人の女子部員と順番に寝たのだ。それはサークル発足からひと月にも満たない間のことだった。
「何を考えているんだよ」
ある日、部室で顔を合わせた郡田を学務棟裏、いつもの喫煙所まで連れ出してから俺はそう言った。やつはきょとんとした顔をしていた。
「何をって、何が?」
そのすっとぼけた表情が気に食わず、俺は語調が荒くなった。
「お前が作りたくて作ったサークルだろ、文化部は。なのに、お前がそのサークルをぶち壊すようなことしてどうするんだよ」
「壊れたりしないよ」
やつは紫煙を吐きながら、飄々とした口調でそう言った。
「俺がまきちゃんやさよちゃんや真島さんとセックスしたことを言ってるんだったら、それでうちの部は壊れたりしないよ」
「なんでそう言い切れる」
郡田はちっとも悪びれていない様子で、
「だって皆、誰のことも憎んでなんかいないもの」
と言った。
そしてそれは、やつの言った通りだった。
やつが三人の女子部員に順番に手を出したことは部の全員が知っていた。女子部員たちもお互いに、だ。発足したばかりの少人数のサークルで、部長が女子部員全員と肉体関係を持ったなんて、狂っている。他人同士だった部員たちが打ち解け始め、親しくなり始めた頃だったというのに、これで部員同士の人間関係は最悪の状態になる。俺はそう思っていた。
だがそんなことがあった後も、部員たちの人間関係はいつも通りだった。何があったのか、お互い知っているはずなのに、まるで何事もなかったかのように、今までと同じように笑い合い、楽しそうに手を叩き合ってはしゃいでいた。飲み会、カラオケ、遊園地、旅行。楽しい行事はいくつでもやってきて、彼らはそれを本当に楽しそうにこなしていった。その光景は、ある種の「異常」だった。狂気に憑りつかれているようにさえ思えた。
誰も郡田のことを責めようともな��ろうともしなかった。そのことを口に出す者さえいなかった。ただいつもの日常の続きがあるだけだった。やつが冗談を言えば皆が笑い、やつが何かを提案すると皆がそれに同意して従った。
だけれど、俺は駄目だった。どうしてもそこに馴染むことができなかった。この関係を普通だとは思えなかった。俺がおかしいのか、と考える時もあった。郡田はただ女とセックスしただけだ。強姦した訳ではないし窃盗や恐喝をした訳でもない。暴行も殺人も犯していない。「ただ」短期間に不特定多数の女と関係を持ったという「だけ」だ。それだけのことじゃないか。そう思おうとした時もあった。だけれど、やはり理解できなかった。そんな話を聞いて、平然とやつらと毎日のように顔を合わせ笑い合うだけの余裕が、俺にはなかった。
喫煙所で顔を合わせた時だけは、郡田と今まで通りに他愛のない話をした。喫煙所で会う時のやつは、いつもと同じようだった。そうやって話をしている限り、俺はやつが特別女好きだとは思わなかったし、セックス狂いという訳でもなさそうに思えた。ではどうしてあんなことをしたのか。それがわからなかった。俺は何度か郡田にそれを尋ねたことがあったが、いつであってもやつはその理由を明白に語ろうとはしなかった。
俺は徐々に部の活動に顔を出さなくなっていった。飲み会は三回に一度行く程度になり、部室にも週に一度足を向けるだけになった。郡田は文化部から足が遠のいていった俺を、除け者にしようとはしなかった。部に顔を出すようにと強いることもなかった。
「来たい時に来ればいい、関わりたい時に関わればいいよ」
やつは、ただそう言った。そして実際、俺はその後そんな風に、文化部と関わっていくことになる。今思えば、郡田の俺に対する扱いは、他の部員に対してとは少し違ったものだったのかもしれない。
部内でのやつは、どこか他人に有無を言わせないところがあった。それは決して威圧的ではなかったが、相手が逆らうことをなんとなく遠慮して、結果的に言われた通り従ってしまうような、そういう雰囲気だ。そういうものが、やつには備わっていた。だが俺は、郡田に何かをするようにと言われた記憶がない。いつも自分の自由にさせてもらっていた気がする。そもそも、各個人が自由でいることは当たり前のことなのだが。
「丸谷さんは、郡田と仲いいから、特別ですよね」
なんて言葉を、部員から言われたこともあった。
俺はほとんどの部員から「さん」付けで呼ばれていた。学年が同じでも俺が年上なので、呼び捨てでは呼びにくかったのだろう。文化部の同期たちとは、その後どんなに親しくなっても敬語を使われた。俺のことを呼び捨てで呼び、敬語を全く使わないのは、同期では郡田ただひとりだけだ。だからこそ他の連中には、郡田と俺が特別に親しい関係のように見えたのだろう。実際には俺たちは、周囲が思うほど特別な関係ではなかった。
そんな俺と敬語を使わずに話をする郡田以外の唯一の部員が、真島ヨウコだった。ヨウコという名前は漢字だったが、俺は結局最後まで、難しい「ヨウ」の字を覚えられなかった。
彼女は文化部の中では唯一の三年生だった。俺に敬語を使わないで話すのは、俺より年上だからというだけの理由だ。学年では俺たち一年生の二つ上だが、年齢も俺より二歳年上だった。郡田のように現役で大学に入学してきた一年生たちからしてみれば、四歳年上ということになる。
文化部に入部するきっかけは、バイト先で郡田と知り合ったことなのだという。二人は同じ居酒屋でバイトをしていたのだ。
真島ヨウコは金色に近い茶髪を短く刈り上げた髪型をしていて、耳にはピアスがいくつもあいていた。うちの部の他に軽音サークルにも所属していて、バンドを組んでいたはずだ。一体なんの楽器を担当していたのかまでは、もう覚えていない。大学では文学部哲学科に在籍していた。
女のくせに煙草を吸うし、酒もやたらと強かった。タールが三十二ミリもある、妙なにおいがぷんぷんする不味そうな煙草を吸っていて、この女の身体にはそのにおいが染みついていた。一升瓶をひとりで空けてもけろっとした顔している澄ました女で、俺は彼女のそういうところが嫌いだった。飲み会では誰よりも酒を飲むのに、先に潰れた後輩たちの面倒をよく見ていた。
三人の女子部員の中で、最初に郡田と寝たのがこの女だった。
この女が言うには、郡田はバイト先の女もその大半は既に抱いてしまった後なのだそうだ。そしてそこでも、誰にも咎められることなく、皆が平然とした顔で日々仕事に励ん���いるという。
「皆、頭がどうかしているんじゃないですか」
俺がそう言うと、彼女は笑った。
「そうかもしれないね」
真島ヨウコとは、サークル棟の前にある喫煙所でよく出くわして、話をした。部室や飲み会で隣同士の席に座っても言葉を交わすことはほとんどなかったが、喫煙所では別だった。
俺と真島ヨウコはここでいろんな話をした。その大半はどうでもいい、他愛のない話だ。新発売のメンソールの煙草はカプセルを潰すとリンゴの味がするんだとか、バイト先の居酒屋の常連に片足のない親爺がいるんだとか、アパートの上の階の住人がベランダの鉢植えにやった水が漏ってきて面倒だとか、そんな話ばかりだった。しゃべるのはいつも真島ヨウコの方で、俺は彼女の話す内容について質問をしたり、相槌を打ったりしていることがほとんどだった。俺から何かを打ち明けるほど、この女に心を開くことができないでいたのかもしれない。
俺の方から真島ヨウコに何か口にすることがあるとすれば、それは大抵、郡田のことだった。
「……真島さんは、なんであんなことしたんですか」
「あんなことって?」
「郡田と寝たんでしょ」
「ああ、そのこと」
真島ヨウコは煙を吐きながら天を仰ぎ、それから首を傾げて言った。
「なんで、だろうねぇ……」
「理由とか、ないんですか」
「理由、ねぇ……」
うーん、とあの女は唸った。
俺も女につられて上を向く。澄んだ青空には雲ひとつない。
「郡田くんは、空っぽだよ」
「え?」
俺は思わず訊き返した。以前、同じような言葉を郡田の口から聞いたような気がしたからだ。
「郡田くんにはなんにもない。未来も、過去も、何も」
俺は郡田がかつて言った言葉をやっと思い出していた。
――なんだか空っぽな気がするんだ。俺には何かが足りていない。決定的に何かが間違っている。そんな気がしているんだ。何をしていても、誰といても……。
次の春がやって来て、七人だった文化部は三十人近くに部員が増えた。大所帯となり、部室は一気に賑やかになった。いつ足を運んでも人がわいわいと集っている部室はどこか居心地が悪く、俺は喫煙所でぼんやりと時間を潰すことが多くなった。学務棟裏の桜は、やはりあの枝にだけは花をつけなかった。
郡田は新入部員の女子たちにも手を出した。どうやったらそんなに上手く寝れるんだと思うくらいに、次々と。だいたいは酒を飲ませて酔わせて、送っていくよと言い、相手の部屋に上がり込んでコトに及んでいるらしかった。
郡田はサークル外でもどこからか新しい女を見つけてきては抱いていたようだけれど、同じ女と二回以上夜を共にしたという話は聞かなかった。大抵がその場限り、一夜限りの関係ばかりで、特定の相手を作るということもしなかった。女と二人きりどこかへ出掛けたりすることもほとんどなかった。身体の関係を持った相手から交際を迫られるということもなく、郡田から告白したという話も聞いたことがない。それがまた、なんとも不気味で、やつの新たな噂を呼ぶ原因となっていた。
唯一の例外が真島ヨウコだった。あの女だけが、郡田と二人きりで遊園地に遊びに行ったり買い物をしたり、部屋で一緒に映画を観たりしていた。あんな女のどこがいいのか、あの女も、郡田のことを「なんにもない」などと言っておきながらよく仲良くできるもんだと思いながら、俺はその話を聞いていた。
サークルの中では一時、郡田と真島ヨウコは付き合っているのではないかという噂が立ったが、俺がいつもの喫煙所で真島ヨウコにそれを尋ねた時、あの女はあっさりとそれを否定した。
「付き合ってないよ」
「あんなに一緒にいて、付き合う気もないんですか」
「郡田くんは、誰といても深い関係を築けないと思うよ」
口には出さなかったが、その時俺はこの女の言うことに同意していた。郡田は誰と寝ても深い仲にはならなかった。なろうとしていないのか、なれないのかは判断できないが、身体だけの、そして一夜だけの関係を、次々と違う相手と結んでいくやつを見ていると、そう思わざるを得なかった。
「そう言って、真島さんは仲良くしてるじゃないですか」
「ただ一緒にいるだけだよ」
「楽しそうにしてるじゃないですか」
「ただ楽しいだけ」
俺は何か言おうと口を開き、そして、結局は何も言えなかった。
郡田の人懐っこい笑顔を思い出す。
「たぶん、郡田くんは誰と一緒にいても楽しいんだと思うよ」
「でも、ずっと一緒にいるのは、真島さんだけじゃないですか」
「一緒にいてくれるのが、私だけだからだよ」
「真島さんはどうして、郡田と一緒にいるんですか」
「彼は、誰かが一緒にいてあげないと駄目になるよ」
真島ヨウコはまつげを伏せたままそう言って、煙草の煙を吐いた。
この時、この女は四年生に進級していたけれど、髪の毛を紫色に染めていて、就職活動も卒業研究もろくに手をつけていないようだった。郡田と同じ居酒屋でのアルバイトも辞めてしまっていて、講義もろくすっぽ出ていなかった。ただ時々ふらっと部室に来て後輩たちと談笑しては、そのままふらっと帰ってしまう。一体毎日どうやって生活していたのだろう。生活費をどうやって捻出していたのか、今となってはわからない。
「そう言う丸谷くんは、どうなの」
女の瞳が俺を捉えた。
「どうって、何がですか」
「人のことあれこれ訊くけど、付き合っている人、いないの?」
「いませんよ。……俺のことは関係ないだろ」
「もしかして、童貞なの?」
咄嗟に言い返そうと向き直った俺の目の前に、真島ヨウコの顔があった。その近さに思わず身体が強張る。キスでもされるのかと思ったが、真島ヨウコは何もせず、そのまま身体を引いた。そして何事もなかったかのような顔で、手に持っていた煙草を咥え、火を点ける。
「ふふっ、可愛い」
そんな風に言って唇の端だけで笑っていた。真島ヨウコは本当に、いけ好かない女だった。
そしてその年の冬、真島ヨウコは駅のホームから線路に身を投げて自殺した。よく晴れた日の、突き刺さるように空気が冷たい朝のことだった。
自殺した理由は知らない。遺書のようなものが見つかったらしいということは噂になっていたが、誰もその内容までは知らなかった。卒業研究がほとんど進んでおらず留年確定であったことや、就職先が決まっていなかったこと、バイトを辞め、親からの仕送りも絶えたことで、金に困り貯金が底を尽きていたこと。自殺の理由になり得そうな問題はいくつか思いつきはしたけれど、実際のところはわからない。あの女は確かに馬鹿そうな面をしていたけれど、そんな風に死ぬような、思い詰めた人間だとは思わなかった。
誰だってそうだろう、あの女が自殺するなんて思ってもいなかった。部員たちの動揺は大きかった。文化部では最年長者であった彼女は、後輩たちには慕われていた。
他サークルでの経験もあって、大学の合宿所の使用を予約するのも手慣れていたし、文化祭で模擬店を出店する手続きについても詳しかった。人を惹きつけて従わせる魅力を持っていたのは郡田であったが、部員たちが郡田の言う通り行動できるように陰で指示を出していたのは真島ヨウコだった。司令塔を失った文化部は、ぽっかりと穴が空いたようだった。
だがやはり、郡田だけは違った。やつだけは、真島ヨウコの死に動じた素振りを少しも見せなかった。いつもと同じ、飄々とした表情で日々を送っていた。
「知っていたのか、真島さんが自殺するって」
「知ってる訳ないよ。知ってたら、さすがに止める」
「……だよなぁ」
学務棟裏の喫煙所は、真冬だと身が縮こまるほど寒い。日が暮れてしまうと特にそれが顕著だ。奥歯ががちがちと音を立て、とても煙草を咥えてじっとしていられるような状態ではない。それでも、俺は時々ここへ来て煙草を吸っていた。そうしているとどこからか郡田もやって来て、俺たちは震えながら話をした。入学式の日にここで始めて出会って以来、それだけが、俺とやつの間にあった変わらない習慣だった。
「でも、それにしてはお前、落ち着いてるからさ」
「落ち着いてる?」
コートをどこかへ置いてきてしまった郡田は、セーター姿の背中を丸めて突っ立っていた。震える指ではなかなかライターを点火させることができず、忌々しく舌打ちをしている。
「そうかなぁ、これでも結構、びっくりしているんだけど」
「そうは見えねぇよ」
「正直、まだあんまり実感がないんだよね」
やっと火の点いた煙草を口元から離し、煙を吐き出しながらやつは言った。
「真島さんがいなくなった、その実感がね。今でも自分の部屋に帰ると、彼女が炬燵に入っていて、また勝手に俺のセーブデータを消して、ゲームを最初から遊んでるような気がするんだよね」
「あの女、そんなひどいことしてたのかよ」
「真島さんの荷物の中から、俺があげた合鍵が見つからなかったらしいんだ」
そう言った郡田の顔を、俺はまじまじと見つめてしまった。
「合鍵って……お前、そんなもの渡してたのか」
「だってあの人、週の半分くらい俺の部屋にいてゲームしてるんだもの」
それは半同棲と言うのではないか。俺はそんなことを思いながら、そうか、だから郡田は女と寝る時、自分の部屋ではなく女の部屋に上がり込むのか、などとどうでもいいことを考えていた。
「だから、まだ帰って来そうな気がするんだよ」
そう言う郡田の表情は、いつも通りであったが、目だけがひどく虚ろなことに俺は気が付いた。初めて出会った時に俺を見ていた、光が宿っているかのように見えたあの瞳と同じだとはとても思えない。
いつも通りなんかじゃない。俺はその時までわからなかった。郡田は真島ヨウコの死に動揺していないのだと思い込んでいた。そこには、喪失感だけを抱え込んだ姿があった。
――郡田くんは空っぽだよ。
あの女のどこか優しい声音が耳元で蘇る。
突然、もう駄目なのかもしれない、という考えが俺の脳裏を掠めた。もう駄目かもしれない。郡田は、もう元には戻らないかもしれない。
「俺のせいなのかな」
唐突に、郡田はそう言った。俺は思わず、「え?」と訊き返す。
やつはそれには答えず、喉をか細く鳴らして笑った。そう、笑った。この時、この男は笑っていた。くくく、と震えた笑い声を漏らす。その表情は寂しげで、今にも泣き出しそうにすら見えるのに、郡田はこの時、確かに笑ったのだった。
「帰って来てほしいよ、真島さん」
俺は何も言えずに、ただ黙って煙を吸って、そして吐き出した。
また春が来て、俺たちは三年生に進級した。
真島ヨウコがいなくなってからも、郡田の女癖の悪さは相変わらずだった。いや、むしろ悪化していたと言ってもいい。また新たに入部してきた後輩の女たちを、やつは飲み会の度に「お持ち帰り」していった。部内の女を全員抱いても、それでもやはり、やつは誰にも責められず、咎められることもなかった。ひとりぐらいは声を上げるやつがいてもおかしくないとは思うが、誰も何も言わなかった。
全員、郡田に何か弱みでも握られていて、だから誰もやつには逆らえないのではないか。そんなことを疑いたくなるほど、誰ひとりとして声を上げることを拒んでいた。そこには、ただ嵐が通り過ぎるのを、戸締りをしっかりして家の中で待っているかのような、緊張した静寂があるだけだった。
そう、郡田は嵐のようだった。自由奔放で、好き勝手で、それでいて誰にも有無を言わせない絶対的な何かが、やつには常にべったりとまとわりついていた。やつが一声かけると、文化部の連中はまるで奴隷のように従った。やつが提案した遊びにも飲み会にも、多くの部員が参加した。そこには違和感を覚えるくらい、いつでも笑顔が溢れていた。それでも時々、珍しく飲み過ぎて酔っ払ったやつは、どこか薄暗い瞳をして不気味に笑うことがあった。
だが俺は、この時期の郡田に一体何があったのか、詳しくは知らない。持病が悪化し、長期入院を余儀なくされたからだ。俺たちが三年生であったこの時期に、後輩たちが最も郡田を恐れ、その後やつを文化部の禁忌として扱うようになるきっかけである何かがあったはずだけれども、幸か不幸か、俺は大学に足を運ぶことさえできていなかった。
そうしている間に、また春が来た。俺を置いて郡田は四年生に進級し、そうして、やつは出会うこととなった。冗談が通じない無骨な男の後輩、鷹谷篤と、姿勢が正しく凛々しい女の後輩、魚原美茂咲に。
鷹谷篤は目つきの険しい堅物で、人付き合いの悪そうな態度も相まって、うちの部では少々煙たがられていた。年上の部員と暴力沙汰になりかけたこともある。けれど郡田はやつをひどく気に入って、よく飲みに連れて行って可愛がっていた。そうやって郡田が可愛がるものだから、部員たちは鷹谷のことも一目置くようになってしまった。今思えば、それくらい郡田の存在は大きかった。
魚原美茂咲は、その鷹谷と最も親しい新入部員だった。鷹谷に比べれば可愛げもあるし愛想のいい女だが、女としての性的魅力には欠けていた。郡田は魚原とだけは寝なかったので、郡田ほどの無類の女好きであっても魚原だけは食えないのか、もしくは、それだけ郡田は彼女のことを大切に思っているのではないか、という噂や憶測が部内では飛び交った。
郡田と鷹谷と魚原、この三人はよく一緒に過ごしていた。傍から見ても、仲の良い三人だった。どこを気に入ったのか、どうしてあの二人だったのか、それはわからないが、郡田はその二人をひどく好いていた。
この二人と出会ってから、郡田は少しずつ変わっていった。少なくとも、傍観していた俺にはそう見えた。相変わらずやつは新入部員の女と次々に寝たけれど、夏が過ぎて秋が来たあたりから、やつは徐々に女と寝ることをやめていった。それが一体どうしてなのか、どういった心境の変化がやつに起きたのか、俺は知らない。ただなんとなく、空っぽなはずのやつの胸の内を埋める何かを、あいつらが持っているということなんだろう、と思った。
冬が来て、年が明けた頃だっただろうか。鷹谷と魚原が一夜を共にして一線を越えたのだという話を、俺は郡田から聞いた。場所はいつもと同じ、学務棟裏の喫煙所だ。
その時に煙草を吸っていたのは、俺だけだった。郡田は大学三年生の時、俺が入院していた間に、煙草を吸うことをやめていた。それでもやつは、部室にいて部員たちと談笑している時、俺が煙草を吸いに行こうと腰を上げると、時々それについて来た。ベンチに座り腕を組んだまま、することもなく暇そうに俺と話をした。
俺はその話をする郡田の表情や声音が、穏やかなものだったことを覚えている。
「鷹谷は、魚原を大切にしてくれるよ」
やつは自らの足下を見つめながらそう言った。
「誰とでも寝る、お前とは違ってか?」
俺が茶化してそう言うと、郡田は笑った。それはどこか悲しい、自嘲的な笑みだった。やつが日頃決して、人前で見せることのない表情。その笑顔は、見ているだけの俺まで空しい気持ちにさせた。
「お前は、魚原が好きなんじゃないのか」
「好きだよ」
郡田は俺の問いに、少し遠くの景色を見ている時の瞳のままで、そう答えた。
「魚原が好きだし、鷹谷のことも好きだ」
つまり、後輩の鷹谷が魚原のことを好いているから、郡田は魚原から手を引いた、という意味なのだろうか。手を引くも何も、やつは魚原にだけは手を出してもいないのだが。俺はやつの表情を窺いながらそんなことを考えた。だが、それ以上は追及しなかった。
いつの頃からだったのか、俺はもう郡田の女癖の悪さを責めようとは思わなくなっていた。やつが何を考えてそんなに女と寝ているのか、その理由を考えることも放棄していた。考えてもどうしようもないと思うようになっていたのだ。理由を聞いたところで、理解できるとも思わなかった。
その年も俺の体調はあまり良くならず、入退院を繰り返した。卒業はおろか、進級も見送らざるを得なかった。
春が来て、郡田は飄々と大学を卒業していった。就職先は東京だと聞いた。詳しくは聞かなかった。もう今までのように簡単に会うことができないということはわかっていたし、大学という共通の場所がなくなって以降も、付き合いを続けるような関係性じゃないことは明らかだった。もう一生、あいつに会うことはないのだろう。その時俺はそう思っていたし、実際その後、一度も俺たちは会っていない。
やつが卒業した途端、文化部の空気は一変した。やつの存在は部内では禁忌とされるようになり、誰もがやつの話題を避けるようになった。男も女も、郡田との間にあったことは全てなかったことにしようとしていた。皆、まるで金縛りを解かれたように、郡田のことを嫌うようになった。否、やつを憎んでいたということを、表に出せるようになったと言うべきだろうか。
鷹谷と魚原は、それでもやつのことを嫌ってはいなかったように思う。だが、部の雰囲気が変化していくのに抗議の声を上げることはなかった。ただ静かに、周囲の変化を見守っているように見えた。
そうして、それからもう、三年が経った。今年は鷹谷も魚原も大学での四年間を終え、卒業していく。信じられるだろうか。俺はまだ、今年も咲かない桜の枝を、こ��でこうして見上げているというのに。
「桜、咲いてないね」
四本目の煙草に火を点けた時、そう声がした。
懐かしさに思わず笑みが零れそうになる。
俺は頭上の桜を見上げた姿勢のままなので、声の持ち主の姿が視界には入らない。ただ、その声は記憶の中とそいつの声とそっくり同じだった。
ベンチが軋んだ音を立て、成人男性ひとり分の重みでベンチがたわむのを尻で感じた。
「あの一本の枝だけ、やっぱり咲かないんだね」
そう聞こえて、ライターを点火した音がする。俺は変わらず、天を仰いでいる。
「きみ、卒業生じゃないの? いいの? こんなところで煙草なんか吸ってて」
「俺は今年も卒業しねぇよ」
「あ、そうなんだ。それは失礼したよ」
嗅いだことのあるにおいが漂ってきた。煙草を吸わない人間には全部同じようにヤニ臭く感じるものなのかもしれないが、俺にはちゃんとわかる。こいつは未だに、あのオレンジ色のパッケージの煙草を吸っているんだろうか。おかしいな、俺の記憶では、確か大学三年生の時、こいつは禁煙に成功していたような気がするのに。
「……今、お前のことを考えていたんだよ」
卒業してからは、一度も連絡を取らなかった。連絡するような事柄もなかったし、そもそも、一緒に大学に通っていた頃も連絡を取り合うことはほとんどなかった。俺たちは、時折ここ、学務棟裏の喫煙所で顔を合わせ、煙草を吸いながらくだらない話をする、ただそれだけの仲だった。
「お前のことを考えていたら、いろんなことを思い出したよ」
「いろんなことがあったからね」
ここに座って咲かない枝を仰いでいる間に脳裏をよぎっていったものたちは、もう思い出したくもないと思っていた記憶ばかりだった。できればもう二度と触れたくはない記憶の断片。でもそれでも、懐かしいと思ってしまう。
「丸谷は真島さんのこと、好きだったでしょ」
それは唐突な言葉だった。ひどい冗談だな、と俺は笑ったが、やつの声は笑っていなかった。
「おかげで俺は、いろんな女と寝る羽目になった」
「それは俺のせいじゃねぇ」
自分の声が思っていた以上に苛々した声音であることに気がついて、俺は一度、静かに息を吐いた。煙草の煙が目に染みる。無意識に眉間に力が入る。その後吐き出した言葉は、予想以上に掠れていた。
「どうしてお前は、最初にあの女と寝たんだ」
お前はあの時、真島ヨウコの恋人でもなんでもなかったくせに。
そう思ってすぐに思い直す。もちろん俺も、あの女の恋人でもなんでもなかった。
きっかけなんて覚えていない。いつからだったのだろう、どうしてだったのだろう、そしてどちらが先だったのだろう。ただ、先に手を出したのが俺ではなく郡田だった。それだけの話だ。郡田は真島ヨウコと寝た。そうして、その後に知ったのだ。実は俺たちは、真島ヨウコに対して似たような感情を抱いていたのだということを。
「お前は、自分が誰とでも寝る男であるように振る舞って、誤魔化そうとしたんだろ」
「そうだね」
肯定する声は、淡々としていた。
ずっと気になっていたことがあった。郡田は何人もの女を酔わせては、ベッドの中まで連れ込んでいたけれど、あの女相手にどうやったのだろうか、と。どれだけ飲んでもけろっとしていて全く酔った様子のない真島ヨウコを、酔わせることなんてほとんど不可能だ。だから俺は、飲み会で郡田が他の女を酔わせているのを見かける度に思っていた。本当は、最初に真島ヨウコと寝た時、ひどく酔っていたのは真島ヨウコではなく、郡田の方ではなかったのか、と。
たった一度犯した過ちをなかったことにするために、こいつは一体いくつの過ちを塗り重ねようとしたのだろう。それは過ちなんかじゃない。こいつは悪くないのだ。だって知らなかったのだから。俺があの女にどんな感情を抱いていたのかなんて、誰も知らなかったのだから。
だが郡田は気付いてしまった。だから、他の女とも関係を持つようになった。「自分は誰とでも寝る男だ」と自分のことを偽ったのだ。真島ヨウコがただの「最初のひとり」であるように振る舞った。そうすることが、俺にとっての償いになるとでも思っていたのだろうか。やつの真意はわからない。
最初からそうだった。胸の内が空っぽな気がするんだと打ち明けられたあの時から、こいつがさっぱりわからなかった。俺はなんにも、郡田のことをわかっていなかった。
「あの女は、お前のことを好いていたよ」
真島ヨウコの横顔を思い出しながら、俺はそう言った。
あの女のことで、思い出すのは横顔ばかりだ。その見つめる先の視界に、果たして俺は入っていたのだろうか。あの女は郡田のことばかり見つめていた。やつのことをよく心配していた。やつの隣にはいつもあの女がいて、そしてその時は、やつも穏やかそうな笑顔を浮かべていた。
郡田は誰かが側にいないと駄目になると言っておきながら、俺たちの前からあっさりといなくなりやがった、あの、気に食わない女。あの女は郡田が他の女と寝ることを、一体どう思っていたのだろう。時には嫉妬することもあったのだろうか。そのことが苦痛だったこともあるのではないだろうか。そうして、あの女は死んでいったのではないか。あの女を殺したのは、郡田なのではないか。そして郡田にそんな行動を取らせる要因となった、俺の感情が、あの女を死に追いやったのではないか。正答がわからないそんな考え事を、今まで何度してきただろう。
「魚原も、お前のことを好いていた」
俺は思い出す。卒業後、東京へ行くと言った時の魚原の表情を。東京は、郡田、お前の住んでいる街なんだろう?
こいつはどうして、魚原美茂咲に手を出さなかったのだろう。やはり遠慮していたのだろうか。鷹谷が魚原のことを好いていたから? 鷹谷が魚原と身体の関係を持ったから? だが、鷹谷と魚原は関係を持ってもその後、付き合うことはなかった。今も変わらず仲が良さそうな二人だが、二人はお互いに今でも友人関係であり続ける姿勢を貫いている。郡田がもしも本当に魚原のことを好いていたのであれば、魚原と結ばれても良かったのではないか。
俺にはわからない。やつの考えていることも、後輩二人の心境も。
「……なぁ、ひとつ訊いてもいいか」
「何かな」
黙っていた隣の声が、そう返事を��た。
その時、日陰で風通しの悪いこの場所にも、生温かい春風が吹いた。桜の枝は俺の目の前で大きく揺れる。花びらが吹雪のように俺たちの頭上に降り注ぐ。
また春が来て、桜が咲いた。今まで何度こうやって見上げてきたのだろう。手を伸ばしたところで届かないところで咲く花を、いつも見上げてばかりいるような日々だった。
それでも、あの一本の枯れ枝にだけは、一輪の花も見つけられない。あの枝は冬のままだ。春が来ていない。俺も同じだ。春が来ない。来る気配もない。ただいくつもの春が過ぎて行くのを、こうして見上げているだけだ。
さっき、鷹谷は言っていた。魚原が東京へ行ってしまっても、もう二度と会えなくなる訳じゃないから、と。そしてそれは、俺とも同じだと。でもそうだろうか。本当に、そう言えるのだろうか。
真島ヨウコとは、あっさりもう会えなくなった。俺が自分の感情を何ひとつ彼女に伝えられないまま。あんなに一緒にいた郡田だって、あの女にはもう会えないのだ。
だが会えなくなって清々した。俺はあの女のことが、本当に、大嫌いだったのだ。
「――郡田、あんたは今も、空っぽのままか?」
隣から、もう返事はなかった。
においも、煙も、重みの感触までも、全てが幻のように消えている。
今のは夢だったのだろうか。
自分の額に手のひらを当ててみる。熱が上がっているような気がした。身体の節々が痛み、悪寒がする。俺はなんだか唐突に、もう二度と郡田とは会えないような、そんな気がした。
煙草の煙を吐きながら、咳をひとつした。口の中で血の味が広がっていくのを感じながら、俺はもう二度と迎えることができないであろう、次の春をただ祈った。
了
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帰り道ふたり (淳怜 - 失踪軸パロ - 名家パロ)
視界の端にうつった姿を目で追ったが、違った。全然違った。 (ちがう……) 肌寒いのか暑いのかよく分からない気候だった。東京なら間違いなく上着を脱いでいただろうけれど、脱がなくても別に過ごせる。きっと脱いだら脱いだで少し肌寒くて、結局またカバンを置いて着直す羽目になる。分かっていたから脱がないだけで、ほんの少しの不快感はずっと続いていた。 「大丈夫ですか、日比谷さん」 こちらを振り返って、近藤くんが言う。ここ二ヶ月ですっかり見慣れた、若さばかりが目立つ顔でまばたきした。 「大丈夫ですよね」 日比谷さん大丈夫そうですもんね、と近藤くんは言って、脱いだ上着を邪魔そうに肩に引っ掛けた。袖までまくっている。 「もう戻るだけだからね」 長期出張でも最後の仕事、挨拶回りもようやく終わった。長いホテル暮らしも卒業。最初の一週間ほどは非日常感があって楽しかったけれども、すぐに飽きた。 「明日すぐ帰っちゃうんですか?」 「ああ。あっちで仕事する準備もしないとね」 「勿体無いなぁ。観光チャンスですよ。もみじだってまだ赤くなりきってないから観光客も少なめだって、小木ちゃんも言ってたし」 「少ないって言っても多いよ。小木さんって誰だっけ?」 「経理の女の子ですよ。ちょいぽちゃの」 「へえ」 「どうせ覚えてないでしょ。女泣かせ」 「はは、どうも」 軽く笑って誤魔化す。 今だって歩いていたらスーツケースをごろごろいわせながら歩く外国人とばかりすれ違う。観光地の観光なんて好き好んでするようなものじゃない。興味が無いのならなおさら。 「近藤くんは日曜に帰るんだっけ」 「いや、有給ブチ込んだんで土、日、月と観光して火曜一日寝て水曜から復帰です」 「頑張るなぁ。もうそんなことする体力がないよ」 「またまた。そんな持て余してますみたいな体して」 よく分からないおだて方をされながら、支社に戻る。 もう荷物は片付けてとっくに郵送したし、送迎会も水曜日に済んだ。最後の最後の挨拶回りがはじまる。激励、花束、一言お願いします、の嵐を笑顔で乗り切り、嵐に乗じて飛んできた連絡先つきの紙切れを左のポケットに詰め込んで、ようやく社内巡業を終える頃にはちょうど終業の十分前だった。あと十分でなんの仕事ができるわけでもなし、さっさと引き上げる。ずっと飲み会嫌いを通していたおかげでうるさい視線に晒されるだけで無事退社できた。 「はぁ、終わった。流石にちょっと疲れたな」 「日比谷さん、せっかくだから最後に飲みに行きましょうよ」 「えー……」 支社の人たちには飲み会嫌いで通したが、本社から一緒にきた近藤くんにはそうはいかない。むしろ、淳一の代わりによく酒の席をこなしてくれた。だから嫌な顔はするものの、断ることはしない。明日、朝起きて適当な新幹線で帰れればなにも問題はないのだ。 「ウィスキーのいいとこ知ってるんですよ。日比谷さん好きでしょウィスキー」 「一回もそんなこと言ってないけど」 「好きそうだもん。うィすキ~ぃが、おすきでショ、わう~」 急に歌いだした近藤くんに連れられ、ビジネス街を抜けてしばらく歩く。大通りから一本小道に入ると、別世界のように飲み屋の看板が連なっていた。赤ちょうちんと脂の香り。焼き鳥、ジンギスカン、おでん。かと思えば、看板からして小洒落たバーがぼんやりと明かりを漏らしていたりする。 「ここですよ」 建物と建物の隙間に無理やり押し込んだようなビルに、近藤くんは慣れた様子で入っていく。飲み会をこなし仕事をしながらプライベートも楽しんでいたらしい。若さだなぁ、と思う。二十四歳、何をしていただろう。まだそう遠くない過去のはずなのによく思い出せない。 男二人が乗っただけで少し気まずくなる狭さのエレベーターで四階にあがると、すぐ店の戸が待っていた。本当にバーなのか疑わしいくらい普通のビルのドアだが、Barと書かれているのだからBarなのだろう。もし㈱ナントカとか、ナントカ事務所とか書かれていたとしてもなんらおかしくない。そっちのほうがずっとしっくりくるドア。店内BGMらしきウッドベースの低い音だけが廊下に伝わってきた。 近藤くんがドアを開けて「こんちわ」と挨拶する。 「二人いいすか。ども」 中の人間と話が終わると、近藤くんが目線だけこっちに寄越して先に入っていった。入る前に財布だけ確認しておく。 薄暗い店内とオレンジ色の照明、それから、ほんの少しだけ甘い香りがした。鼻につくほどではない。部屋に染み付いたアルコールの香りかもしれない。それを消すためにつけた香りかもしれない。ドアをくぐる一瞬だけ感じたそれが、ひどく懐かしく感じた。 いらっしゃいませ、とずいぶん渋い声で出迎えられる。このいい声も商売道具の一つなのだろう。唇の端をゆるく上げるだけの笑顔も。 「お連れ様もご一緒なんですね」 「そう。アレ残ってますか。この人にも呑んでほしくて」 「ありますよ。最近だとお客様にしか紹介してないですからね、アレは」 促され、カウンターの席に座る。近藤くんはいつものお調子者じみた喋り方を少しだけ湿っぽくして、あっという間に店に馴染んだ。淳一も椅子に座って、よく磨かれたカウンターの木を撫でる。 「そうしてるだけで絵になってずるいな、日比谷さん」 「そうかな。近藤くんの方が馴染んでる感じがするけれども」 話しているうちに、チューリップグラスに注がれたウィスキーが差し出された。くるりとグラスを回して香りを吸い込むと、それだけでくらりとするほど濃い。 「山崎の、」 「二十一年ものです」 「へえ……」 舌先にほんの少し載せて、上顎と舌をすり合わせるようにして味わう。痛いほどしびれるアルコールの奥にウィスキーの旨味があった。別にウィスキーが特別好きというわけではないけれども、接待が多い分知識だけはある。二十一年ならそこそこ値も張るだろう。黙ってまたグラスに口をつけると、近藤くんがこちらを目の端で確認したのが分かった。 「あ、そうだ、マスター。俺こっちの仕事終わっちゃったんですよ。だから月曜の夜に来るのが最後です」 「それは残念ですね……。でもまぁ、東京から通ってくださるでしょう?」 「年一くらいになっちゃうよ。やだなぁ。この出張、俺最高に楽しかった。こっちに異動してきたい」 ちびりちびりとやりながら、二人の会話に耳を傾ける。半年くらいしたら話をして、本気でこっちに未練があるようなら人事に口添えしてやってもいいかもしれない、なんてことを考えた。 カウンターの天板を撫でる。よく磨かれてワックスの染み込んだ木は、さらりとしているのにどこかしっとりとした感じがして、妙に肌に馴染んだ。絶対にしないけれど、頬をつければ気持ちがよさそうだ。それを手で、撫でる。記憶にある肌の感触と似ていた。そう、温度も。本当に血が通っているのか不思議なくらい、ひやりとしていた。あの肌。 天板を思い切り殴りつける自分を想像した。きっと手が痛くなって終わりだ。カウンターは白白しくそこに存在しているだけで、傷一つつかないだろう。鬱血痕ができるのも、淳一の手だけ。薄い脇腹に青黒い痕がくっきりと浮かんで、花みたいに見えたりはしない。 「わ、やらしーんだ、日比谷さん」 撫で回しちゃって。奥さん思い出してるんですか? ひゅーひゅー、と囃し立てるように近藤くんが言った。 くるりとチューリップグラスを回す。くらりと頭の中も回る。酔い。自分が酔っていることを理解した。飲みつけない酒、しかも熟成して濃くなっているものを早くに進めすぎたのかもしれない。現に、近藤くんのグラスにはまだ四分の三ほど残っているが、自分は逆に四分の三ほど呑んでしまっている。 「……妻じゃないよ」 「わー……お。ガチのやらしいやつじゃないすか。過去形? 現在進行形?」 「過去形……現在進行形……」 一体、どっちだろう。考えてみる。思い出してみる。あの頃のことを。 日比谷怜司のことを。 淳一と同じ日比谷の名字を持つ従兄弟で、同じ年で、兄弟同然に育った。十八歳の夏に、突然失踪するまでは、ずっと一緒にいた。それ以来ずっと探している。 これは過去形なのだろうか。現在進行形なのだろうか。 ふぅ、と小さく吐き出したため息にもアルコールと熱がこもっていた。 「ね、ね、どんな人なんですか」 「悪いけど、やらしい話じゃないよ」 嘘だ。 白々しく嘘をつくのは慣れている。手のひらがはっきりと覚えている。冷えた白い肌の感触。指も覚えている。根本から先まで。熱い内壁は肌から想像できないほど柔らかく、可哀想なほど淳一を拒む。覚えている。忘れられない。何故隣にいないのか、今も理解できない。 空っぽの部屋にそれだけ残された、見覚えのあるピアスを見てから、淳一の時計は壊れはじめてしまったのかもしれない。針が前に進めなかったり、戻っていったり、もう今が本当はいつなのかちっとも分からなくなってしまっている。 裏でごそごそ���物音がして、誰かが動く気配があった。 「りょう君?」 マスターが小さく声をかける。と、バックヤードを仕切る黒い布の隙間から、『りょう君』が顔をだした。 「れ、」 いじ。 強烈に脳を揺さぶられる感���があった。『りょう君』を見た瞬間、目に飛び込んできた情報が鮮烈すぎて、記憶にある日比谷怜司と重なりすぎて、視界が白むほどだった。 呼びかけようとした名前は声になる前に途切れた。『りょう君』がはっと顔をあげてこちらを見たからだ。 目。 くちびる。 喉仏。 いや、そんなパーツの話じゃない。分からないはずがないのだ。何もかもが同じだ。『りょう君』? なんだその呼び名は。怜司だ。 なにもかもすべて日比谷怜司だ。 「……向坂さん、」 怜司が呼びかけると、マスターが動きを止めた。二人の視線が絡む。失礼、と小さく言ってマスターが奥に入っていった。 「日比谷さん? どうしたんですか?」 がた、と奥で物音がした。自分の手元からも。立ち上がっていることにやっと気付く。グラスが倒れて、細い持ち手が折れてしまっていた。 「うわ割れちゃったじゃないですか。どうすんの」 「帰るね」 「は?」 「これ使って。悪いけど店長足止めして」 財布からカードを一枚抜いて手渡す。黒いそれを見て「は!?」と近藤くんは今度こそ大声をあげた。でも帰ってこない。奥からはマスターも『りょう君』も帰ってこなかった。バックヤードはさきほどの物音を最後に静まり返っている。 足早に店を出て、階段を駆け下りる。上から「ちょっと、お客さん!」と男の大声がして踊り場に響き渡った。構わない。二段飛ばしであっという間に駆け下りる。 ビルから表通りに出ると、すぐに人ひとり分の道とも言えない隙間に入り込む。客と同じ表から入ってこなかったのだから、どこかに必ず裏口がある。おそらくゴミもためておけるような。 隙間を抜けて、少し太めの隙間にたどり着く。消防法など知りもしない場所には、まだ空のポリバケツがぽつりとあるだけだった。街灯もなく、ビル各々の裏口灯が薄暗くドア周りだけを照らしている。 (……左、右……) ドアから出て左側の道には淳一がいた。だから右しかない。しかしそんなに早く降りて来られるだろうか? 『りょう君』が怜司なら、きっと、気持ちがいくら逸っても、体が上手く動かないはずだ。だってそうした。目があったら上手く動けなくなるように、淳一がしたのだ。 てとてん。 と、アプリがメッセージを受信する音がした。 すぐそばの扉の裏からだった。 ドアノブが回る。 てとてん、てとてん。 やけに緊迫したリズムでアプリが鳴る。ドアの隙間が広くなって、聞こえる音が大きくなる。骨ばった手が、腕が、顔が現れて、俯いてスマホを眺めていた目が上を向く。 「怜司」 びくりと『りょう君』が震えて、動きを止めた。 『りょう君』は少しの間固まると、はく、と唇を開け閉めして、それからスマホをポケットに突っ込んだ。ドアを大きく開け、こちらを一瞥しながら普通に歩み去ろうとする。 「来たばっかりなのにもう帰るの? お兄さん」 わざと呼び方をぼかす。後をついていこうとすると、逆に『りょう君』は足を止めた。 「……」 振り向きもしない。目線だけこちらに投げかけてくる。子供ならそれだけで泣き出しそうな睨み方だが、心がぽっと嬉しくなった。こっちを見た。それだけで口元が緩む。 「もしかしてシフト間違えて出勤しちゃった? じゃあこの後別の店で飲もう。お金なら払うし」 「……」 「体調が悪いならタクシーで送るよ」 「……」 頑なに喋らない。『りょう君』が歩きだすと同じように歩くが、数歩いくとまた立ち止まる。分かるよ。表通りに出ようと道を曲がると細すぎて速度が出ないし、直線なら走っても勝てないと思ってるんだろ。五十メートル走の間は俺の方が早かったもんな。心の中で話しかける。でももし近藤くんが足止めしてくれているにしても、そんなに時間はない。 逃げられては困るし、でもここは早く立ち去らないと。困ったな。頭の中ばかり流暢で、現実の自分たちは見つめ合ったまま棒立ちするばかりだ。こうしていても仕方ない。 「怜司、ホテル行くよ」 「……は?」 やっと喋った。久しぶりに聞いた怜司の声は少し低くなって掠れていた。酒焼けでもしているのだろうか。店員が飲まされるような店ではないと思ったが、まぁいい、もうあの店で働くこともなくなるのだ。それに少し枯れた声も耳馴染みが良くて心地いい。 「何言って」 「このままはいさようならで済むと思ってる? まさかまだ『りょう君』で誤魔化せるつもりでいるのかな。まぁお前が『りょう君』だろうと俺は構わないよ。どちらにせよ連れて行くし」 「意味が」 「分かるでしょ。何も難しいこと言ってないから」 はい、と手を差し出すと、怜司はひくりと痙攣するように震えたあと、一瞬でこちらに背を向けた。背。走り去ろうとする体。筋肉の動き。それを見た瞬間、反射的に手を伸ばしていた。ボディバッグの紐を掴んで横に引く。怜司の細い体がぐらついて、脇腹にきれいな空間ができたので蹴った。スマホが落ちる。ぐ、という小さなうめき声を上げた怜司は壁に叩きつけられて、可愛いなと思う。わざと今蹴ったところを手で押しながら足の間に膝を入れた。 「怜司」 どこを見たらいいのか分からないのだろう、見開いたままの目はマンホールの方を見ていて、口の前にかざされた両手はいつ悲鳴が出ても自分で押さえつけられるように準備しているみたいだった。震えることも忘れるほど体が硬直している。可哀想。失踪する前の怜司はずっとこうだった。息もできない怜司。懐かしさで胸がいっぱいになる。その首元の匂いを吸い込んで肺を満たしてしまいたかった。 「……手つないで行こ。子供のころみたいに」 怜司はうなずかなかったが、拒否もしなかった。逃げられては困るので手首を掴んで夜の町を歩いた。怜司の体はときどき動かなくなって、そのたび紐を引くみたいに力いっぱい引っ張ってやらないといけなかった。
+++
頭の中に「やばい」しか浮かばない。
この十年が水の泡だ。どうして淳一がここに。どうやって逃げたらいい? そういう考えも浮かんではくるけれど、それよりも圧倒的にやはり、「やばい」。
きつく握りしめられた手首は血が止まって痺れ始めているし、骨もみしみしと音を立てている。前を歩く淳一はとても楽しそうで、もしかして握っているのは自分の手首じゃなくて風船みたいなものなんじゃないだろうかと思うほどだった。 停止した思考の外側が拒否反応を起こしてときどき体が動かなくなる。そのたび肩から腕が抜けそうなほど強く手を引かれた。 しばらく歩いた後タクシーに連れ込まれて、たどり着いたのは普通のホテルだった。ラブホに連れ込まれるかもしれないと思っていたが、ホテルなら逃げられる確率がだいぶあがる。 いや、逃げてどうする? スマホはどこかで落としてしまった。たぶん蹴られたときだ。思い切り蹴りやがって、昼夜逆転生活と貧乏続きで弱りきった体はすでに悲鳴をあげつつある。これで十八のときみたいに手酷くやられたら、死――にはしないけど、気絶したりするかもしれない。それだけはまずい。十年以上ぶりに再開した従兄弟は、昔よりもずっと危ういところがキレてしまったように見えた。 フロントに入った淳一を、スタッフたちが出迎える。ずいぶんと親しげで誰もが淳一の顔を覚えているようだった。長い連泊でもしていたのかもしれない。 親戚と久しぶりに会った。今の部屋をチェックアウトして二人部屋を取り直すか、二人分の金額を払うから今の部屋に二人で泊まらせてくれ。 嘘のような本当のような、明らかに情報と「これからの予定」が足らない説明を淳一がぺらぺらと述べる。フロント係は、今日は満室で部屋替えは無理、本当はダメだが日比谷様なので特別に、と言って一泊だけ一人部屋を二人で使わせてくれることになった。ありがたいことで。何も喋るつもりはなかったが、フロントにいる間中、手の力がきつくなったのでおとなしく黙っていた。ここで助けてください警察を呼んでくださいと大声で叫んでいれば逃げられるかもしれないのに。 「ありがとう。ルームサービスは多めに頼んでも?」 「もちろん、お願いします」 ボーイに促され、歩きだす。最初から強く手を引かれ、少しだけつんのめった。 「あ、ごめん。痛かった?」 さらりと謝ってくる。返事も目を合わせることもしないでいると、他のスタッフがちらちらとこちらを見ていることに気づいた。注目されている。「特別な日比谷様」の連れが気になるのだろう。 俯いてエレベーターに乗り込む。最上階ではないが、それより二つ下の結構いい位置に淳一の部屋はあった。カードキーで解錠し、ドアを開けるなり中に放り込まれた。流石に床に倒れ込みはしなかったが、危うくそうなりそうな勢い。振り返って睨みつける。 「おい」 「そこのドアがシャワーだから」 淳一は今入ってきたドアに背を預けて、腕を組んでいた。 適当に置かれたビジネスバッグも、上着すら脱がずそのままで、長過ぎる足を邪魔そうに交差させて、一歩も動かずそこにいた。 「使っていいよ」 「……」 「なに? いいんだよ俺は、このまましても。全然普通に抱けるし。ただ、久しぶりだから準備したほうが怜司が楽だと思うけれど」 「……」 離された腕に血が通い始めて、そこが心臓になったみたいにばくばくと脈打ちはじめた。痺れは二の腕までのぼり、びく、とたまに筋肉が跳ねる。 「非常口は廊下の突き当り。この部屋の窓は全部はめ殺しで強化ガラスだよ。気になるなら見てくれば」 「……いらねえよ」 逃げ場はないし逃さない、と回りくどく言われ、だんだん腹がたってきた。主導権を握ったつもりでいるのがムカつく。 そっちがその気ならと、ボディバッグを外して部屋の方へ投げ捨て、靴を脱いだ。���下も。ベルトを外して、ズボンのボタン、ジッパー、そこで一旦手を止めて上着を思い切り脱ぐ。 床に叩きつけて淳一を見ると、ぽかんと口を開けてこちらを見ていた。間抜け面を見て少し気が晴れたので、風呂場のドアを開けて中にすべりこむ。普通に脱衣所があった。ユニットバスだと思っていたがあの淳一がユニットバスなわけないよなとすぐ思い至った。恥ずかしい。恥ずかしいがここまでやってしまったので、服を脱いでは外に投げた。最後に下着も外して放り出す。頭の中でだけ「ばーかばーか」と言っておいた。 「ふん」 普通のホテルの普通の風呂場だったが、さすがホテルというべきか、きちんと清掃されていて照明が明るかった。明るい。手首にはくっきりと淳一の手の跡がついていて、これじゃあ包帯でも巻いて隠さないととても出勤できそうになかった。というかこの手首ではシェイカーがきちんと振れないから仕事にならないだろう。コックをひねって水を出す。あっという間に温度があがって湯気があがりはじめる。全裸の自分と風呂場の温度差で体がぶるりと震え、なんだかまたむかっ腹がたってきた。今ここに淳一がいないからだろうけれども、素直に怒りが湧いてくる。なんだ。なんなんだ今になって。最高に腹立つ。ようやく、ようやく日比谷怜司じゃない生活が落ち着いてきたところだったのに。 めちゃくちゃ長風呂することにして、湯船に栓をした。少し熱め。自分好みの温度で湯を張る。湯を張りながらシャワーを使うことができるようで、そのまま体も頭も思う存分洗って、まぁ、その、下の? そういう部分も一応念のためにアレした。まだ手順を覚えている自分が嫌になる。何回か繰り返してよしとなったところで、腹もくくれた。湯のたまり具合を確認して風呂を出る。淳一はまだドアを背にしたまま、誰かと電話をしていた。 「うん。ありがとう。本当に助かった。今は一緒にいるよ」 裸で、一切体を拭かずに出てきた怜司を見て、淳一は少しだけ目を見開いた。声も普通だったしびくついたりもしなかったが、目だけは大いに動揺していた。よしよし。 あっうん店長さんにもよろしく、などと意味のわからないことを言いながら慌てて会話を切り上げた淳一は、電話を切るなり目を吊り上げた。お前が店長によろしく言ってどうするというのだ。 「ちょっと。なんでびしょ濡れなわけ?」 「お前も入れ、風呂」 「は?」 「早く入ってこいよ」 言い捨てて風呂場に戻る。湯船はまだ満杯ではなかったけれど、浸かると肩下くらいまでは浸かれるようになっていた。思わずほっと全身の力が抜ける。熱め。じんわりと全身に熱が入り込んでくる。 湯船なんて何年ぶりだろう。家を出てからは入ってないと思うから、とりあえず十年は絶対入っていない。 浴室のすりガラスに人影がうつった。でかい図体がぎこちなくもぞもぞしている。 「お前服着たまま風呂入るタイプだっけ?」 そんなタイプが日本人に存在するのか知らないが、声をかけると淳一は風呂の向こうで固まった。そのイレギュラーへの対応力のなさは「日比谷」としてどうなのだと思わなくもないが、どうせ外ではそつなくやるのだろう。そういうやつだ。やがてもぞもぞと服を脱ぐ気配がする。すりガラス越しの体���黒から肌色に変わっていく。なんで人間って裸だと間抜けなのだろう。湯船に浮かんでいるなんてなおさら間抜けなはずなので、今の状況でいうと相対的に怜司の方が間抜けになるわけだが。 「ねえ」 「早く」 比較的大きい声で言うと、当たり前だが風呂の中でも大きく響いた。なにか言おうとしていた淳一はまた数秒固まって、それから風呂の戸を開ける。なんでタオルで前を隠しているのか。どうして若干恥じらった顔をしているのか。バカ? 裸を恥じるより人に向かっていきなり抱かれる準備をしろと言ったり、云年ぶりに再会した従兄弟に向かって普通に抱けるけどなどとのたまう自分を恥じてほしい。 「あのさ怜司」 「その状態で会話続けるか普通?」 なってないヴィーナスの誕生のモノマネみたいなポーズをした淳一は、自分の言葉が何度も遮られたせいかさすがにむっとして、それから桶を掴んだ。ざばりとかけ湯をして、 「熱っっっっっつ!」 「大げさ」 「熱いでしょ! バカなんじゃないの?」 文句を言いながらもつま先からゆっくりと湯船に身を沈めてきた。一気にいかないから余計熱いのに。湯船から盛大に湯がこぼれ落ちていって、浴槽の縁ぎりぎりまで満杯になった。ホテルの風呂とはいえそんなにでかくない浴槽に、デカブツの男二人が入るとそりゃもう狭い。ケツとケツがくっつくくらいに。 淳一は湯の温度が堪えるのか、肩まで浸かりながらも「う~……」なんて唸っている。子供の頃と同じ顔。あぁ、変わらないな、と思ってしまった。変わらないのは困るのだ。淳一が変わらなかったから、怜司は日比谷に帰ることができなくなってしまった。 「風呂上がったら、電話貸してくれ」 「……さっきの店長?」 「涼子ちゃんに電話する。心配してるだろうから」 そう言うと、淳一は一瞬固まったあと、「あ~……」と両手で顔を覆った。どうやら一言で全て察したらしい。 「だから『りょう君』なわけ?」 「……怜司じゃない名前が必要だったからな」 涼子ちゃんには本当に世話になった。 高校二年のはじめ辺りの頃、突然涼子ちゃんが遊びにきた。あの頃は淳一から痛めつけられた傷を全部隠し通せているつもりだったが、やはり家族にはバレていたのだと思う。涼子ちゃんはなんでもない世間話をしていたかと思うと、あっという間に怜司の怪我を暴いてみせた。 「涼子ちゃん、探偵雇ってた」 涼子ちゃんというより、日比谷の差金だろうとは思う。怜司がまっすぐ家に帰っていることも、喧嘩をしていないことも、なのに怪我が増えていくことも、すべて調べがついていた。怜司の性格を知り尽くしていたから、物証でもないと説得できないと思ったのかもしれない。あるいは、母に泣かれたのかもしれない。涼子ちゃんは少し、母の……なんだろう、王子様でありたいみたいなところがあったから。 わけも分からず半裸に剥かれて、素行“良”の証拠も突きつけられて、もうどうしたらいいのか分からなかった。気がつけば全部喋っていた。 淳一に殴られていること。 淳一に蹴られていること。 淳一に犯されていること。 最後のは言う必要はなかったのかもしれない。けれども首から下についた痕の中にはそういう予感を覚えさせるものもあったから、誤魔化しきれなかったと思う。 涼子ちゃんはだんだんと表情を失っていき、そして、その日から少しずつ逃げる準備を進めてくれた。距離を置けとか、冷たくしろ、などとアドバイスをもらってそうしたが、淳一はちっとも変わらなくて、抵抗したりするとひどくなる。逃げるまでに半年かかった。その間に淳一がなんとか落ち着いてくれたら逃げずに済んだが、涼子ちゃんが下した判断は決行だった。誰に相談することもできず、そして何より、怜司が、淳一とのあれこれを両親にすら知られたくなくて、涼子ちゃんに縋って、頼んで、なんとか誰にもバレずに北への電車に乗ることができたのだった。 「……二十八のときぐらいに……」 ぽつりと、淳一が呟いた。自分の膝小僧を見つめて、ぼそぼそと続ける。 「きっとどこかで生きてるとか、諦めないで探そうとか言ってくれてた親戚が、みんな急に怜司は死んだ、探すだけ無駄だ、って言い出したんだ」 「……それは」 誰かが、真実を知ったのだ。 それも日比谷の上の方。 可能性があるのは大爺様か婆様か、あるいは大叔父か。その辺の人間でないと、そこまで全員揃えて手のひらを返しはしない。逆に言えば、上の人間が「怜司は死んだ」と言いさえすれば、日比谷怜司は死んだことになる。誰もそれを疑ったり、反論したりしない。 殴った殴られたまでを知っているのか、抱いた抱かれたまでを知っているのかはさすがに分からないけれど、誰かに知られて、誰かが知らせたのだ。 「家裁から失踪宣告を出してもらったのもその時期だった気がする」 失踪後、七年以上経ち、家族が望んだ場合、家庭裁判所が失踪宣告を出してくれる。この失踪者は一応死にました、ということにして、死後の手続きがとれるようになるのだ。家族が失踪宣告を願い出て受理され、名実ともに日比谷怜司は死んだことになった。らしい。 「失踪宣告? 聞いてない」 「そりゃ、隠されたんだろ」 つまり淳一は、まだ日比谷から“大丈夫”とみなされていないのだ。“大丈夫”なら、怜司の失踪宣告も伝えられたはず。一族の人間が一人消えることを、『これからの日比谷』に教えないはずがない。 考えてみれば涼子ちゃんが父に相談もなく怜司を失踪させるというのもおかしい。どこまで話したかはわからないが、了承は得ているはずだ。情報は共有されてこそ強くなる。 「……俺が怜司に何をしたのか、上の人間は知ってるってことか……」 「……まぁ、」 その上でおそらく、日比谷怜司は、日比谷から切られた。 日比谷淳一という立派な『これからの日比谷』の人生に汚点をつけるかもしれない存在だと思われたのだと思う。死ぬような痛めつけられ方をしたことはないが、殴る蹴るを繰り返すうちに、うっかり殺してしまうこともあるかもしれない。あるいは、怜司がうっかり死んだとき、体に暴力の跡があっては困る。涼子ちゃんが逃し屋役を買って出てくれなかったら、……どうなっていただろう。精神錯乱扱いされてどこかの施設にでも放り込まれていたかもしれない。あり得る。昔は都合の悪い人間を「狐憑き」として隔離していたというし。 淳一はすっかり頭を抱えて黙りこくっていた。一族郎党に自分のしでかしたことがバレていたなんて、しかもコトがコトだ。今頭の中では「どうしよう」が駆け巡っていることだろう。 ややあって、肌の色が首まですっかり赤くなった頃、淳一はようやく口を開いた。 「れいじ、俺と一緒に死んで……」 「俺はそういうなんの解決にもならないつまんねー映画のオチみたいなのは嫌いだ」 「だって」 「死にたくもないくせに死にたいって言うな」 「だって怜司が!」 怜司が……怜司……とぼそぼそ言いながら俯いてしまう。そろそろ自分ものぼせてきた。淳一も一旦冷まさないとまずそうだ。 「おい、上がるぞ」 「無理だ……このまま溶けて消えたい……」 「先輩として教えてやるよ。人ひとりが消えるのにはめちゃくちゃ金と人脈と時間がかかる」 しかも上手くいかなかった。 再び顔を合わせて、お互いを認識してしまった。 このあとどうなるのかを考えないといけないのだ。自分も。淳一も。
+++
『……淳ちゃん、大丈夫なの?』
電話口の心配そうな声にうんと答えながら、淳一の心配をするあたりさすが分かってるよなぁと思う。 「最初ヤバかったけど……なんとか落ち着いた」 『そう。手は出されてないのね?』 「手? あー。うん」 一応、手は出されてない。足が飛んできたけど。 バスローブをめくって確認すると、うっすらと赤青混じりの痣ができていた。靴の輪郭がよく分かる。 のぼせた淳一は裸のままベッドに転がして、冷蔵庫から出した缶ビールを両脇に挟んでおいた。ふるちんがなんとも情けなく、バスローブを布団代わりにかけてある。 『まさかそっちに出張してるなんて知らなくて。会うとは思ってなかった。油断した』 「いいよ。いつまでも涼子ちゃんにおんぶにだっこってわけにいかないし」 『ばか。甥っ子の一人や二人いつまでもおんぶでだっこできるっての』 「はは、逞し」 確認しておいたホテルの名前と部屋番号を伝える。もしこのあと淳一とこじれてなにか、死ぬようなことがあっても、涼子ちゃんならここから必ず辿ってくれるはずだ。 「一回、ちゃんと、話す……話してみる」 『なにかされそうになったら全力で金玉潰しな』 「大事な日比谷の血が終わっちゃうだろ」 『ンなもん治す治す。なんのための医者よ。それにもう産んでんだから大丈夫』 「……そっか」 気付いていはいた。左の薬指。嫁をもらったら子供を作らないわけにいかないだろうことも理解している。けれどもやっぱり、実際にいると知らされると、少しだけ体がぎくりとした。
涼子ちゃんとの電話を終え、ベッドまで戻る。淳一はまだ大の字になって転がっていた。そばに腰を下ろして、赤みの引かないデコに触る。 「水飲めるか?」 「……れいじ」 うっすらと目が開く。弱々しい声で、そう、こいつは基本的に健康なので、風邪なんか引いたりするとすぐこういう声を出すのだった。バスローブの袖を引かれる。 「帰ってきて。もうどこにも行かないで、怜司」 「……」 脇から缶ビールを一本抜いて、プルタブを起こす。ぬるい炭酸とアルコール。袖を引いてくる手に、やはり、プラチナが光っている。 今の淳一は結婚して、子供もいて、仕事も順調か知らないが靴までブランドで揃えるくらいの稼ぎがある。 片や怜司はといえば、戸籍上は死んでいて、妻子どころか恋人もいなくて、好きな仕事をしているけれども稼ぎはギリギリ。肩も腰も冷えにすらやられる歳になってきたし、だからといって独立して自分の店を持つこともできない。せめて昼の仕事に転職したいと思ったところで、やはり所得税だとか、厚生年金とか、そういうのも生きている人間としての証明がないと難しいのだ。今の怜司は、自分がすでに死んでるらしいことしか証明できない。 「不可能、だろ」 「嫌だじゃなくて?」 不可能だ。嫌だとか良いとかそれ以前の問題。 「俺は日比谷には帰れない。原因不明の失踪者で、身元不明の浮浪人だ」 「失踪宣告は確か取り消せるはずだ」 「失踪者じゃなくなったとしても日比谷に帰れるはずないだろ。最終学歴中卒のバーテンダーが日比谷から生まれるか? 生まれない。そいつはこの世に生まれなかったことになる」 「……それは、そうだけれど」 まぁ高校は通信制のところを出させてもらったし大卒も働きながら通信でとったのだが、日比谷からしたら中卒と同じだ。淳一はよほどショックなのか「中卒……怜侍が、中卒……」とぶつぶつ繰り返している。 確認しないといけないことはまだある。 「お前の『帰ってきて』、はどういう状態を指すんだ」 例えば都合のいいときに好きに殴って抱ける存在なのか。友達か。親友か? 日比谷怜司はもうこの世に存在しない。日比谷じゃなく怜司でもない『りょう君』が、どこにも行かずにそばにいたら困るのは淳一のはずだ。 「お前が求めてる“日比谷を共に歩いていく怜司”は本当に死んだんだぞ」 昔。淳一が何故自分を殴るのかたまに考えることがあって、そういうとき決まってたどりつく答えがあった。淳一は“理想の日比谷怜司”を心の中に持っていて、それとズレたことを怜司がするのが許せないのだ。だから殴る。だから犯す。怜司が“理想の怜司”ではないから。 高校のランクを下げて、誰かの理想になるよう頑張る人生からは降りたつもりだった。けれども淳一だけは執拗に、怜司を“理想の怜司”に仕立て上げようと、必死に食らいついてきた。命の危険を感じるほどに。 「分からない」 淳一はぼんやりと言った。全裸で腰にバスローブだけかけられて、脇には缶ビール。ずいぶん間抜けな絵面なのにそれでもどこか絵になるのは、本当にずるいなと思う。半分呑んだビールを黙って脇に差しこむ。 「でも、もう怜司と会えないのは嫌だ。絶対に……」 「全部言え、もう。俺にどうしてほしいのか言え。叶えないかもしれないけど」 正直怜司も、どうしたらいいのか分からない。このまま淳一と二度と会わない生活を続けるのなら、住処を変えて、職場を変えて、もう一度失踪しなければならない。淳一は追ってくる。生きていると知れた今、次はどんな噂が流れようと死体を見るまで諦めないだろう。正直そんな金はどこにもないし、協力者が涼子ちゃんだとバレた今、今度こそ一人の力で失踪しなければならなくなった。次見つかったら……どうなるか想像もできない。 できれば今自分のペースに引っ張り込めている間に穏便に収めたい。 「怜司に……どうしてほしいか……」 淳一は自分の指の隙間から照明を眺めていて、肌の色も少し薄くなってきたようだった。冷蔵庫で冷やしておいたタオルを出してきて、バスローブと共に渡す。淳一はバスローブを布団代わりにかぶって、タオルで顔を覆った。 「なんのために俺を探し回ってたんだよ」 「会うため」 「会���てどうする」 「どうするつもりもない。会いたいと思っただけだ。怜司に会えないのはおかしい」 「人のことさんざんぼこすか殴って蹴ってしておいてか」 「あれは……」 淳一は押し黙って、タオルをちょっとだけずらしてこっちを見た。けれどまたすぐタオルの下に隠れてしまう。 「あれについては何も、言え、違うな、言わない。謝ることもしないし弁解もしないしあのときの気持ちとかを説明するつもりもない」 「上等だな」 「でも」 ふー……と細く長い息を吐いてから、淳一は顔からタオルを外した。 「もう二度としない」 「……」 それが信じられるなら十年以上も逃げていないのだが、どうにも信じたい気持ちにさせる言い方だった。久しぶりに見た、馴染みの顔の効果もあるのかもしれない。 淳一は自分の脇に挟んでいたビールをとると、体を起こしてぐいと一息に飲んだ。空き缶を投げられて、受け取る。ゴミ箱へ。我ながらスムーズに意思疎通がとれすぎて怖い。 淳一は立ち上がってバスローブをきっちりと着直した。けれど、結局再びベッドに倒れ込む。ぼふ。 「あー……こんなはずじゃなかったのに」 「俺のセリフだっつの」 「怜司はどうしたかったの?」 「は?」問われている意味がよく分からなかった。どうしたかったって、会いたくなかった。二度と。だって会ったら許してしまう。今だってこんなに普通に会話してしまっているのに。まるで最後に話したときの続きだ。部屋に連れ込んで殴るとき以外は、こんな風に普通に会話していた。友達よりも付き合いが深くて、兄弟よりも少しだけ遠い二人のままだった。 会ったら……こうなることは、分かっていた。怜司だって根本のところで、淳一を拒絶なんてできない。周りの力を借りて無理矢理離れないと、あのままどうしようもなくなって二人終わっていただろう。 「このまま二度と俺と会わないで、俺の影におびえて、いない俺から隠れて、逃げて、そうやって生きていくつもりだったの」 「……それは」 ずっと日陰者で、戸籍上は死んでいるから結婚もできないし、恋愛もそれで気が引けてできなかった。戸籍のない人間なんて、いない、とは当事者として言えないし、そういう人たちのネットワークもあるけれど、マイノリティの中のマイノリティだ。死んでるはずの生きた人間はもっと少ない。 三十一歳。 感じてはいた。考えそうになることもあった。いつまでこうしているのか。涼子ちゃんから一文字もらって「涼」になってから、感じるのは人生のどん詰まりばかりだった。 今更まっとうに生きるのか? (……日比谷から逃げた俺が?) そうだ。怜司が逃げたのは、淳一からだけじゃない。日比谷からも逃げた。ついさっきまで普通に会話していた人間に突然殴られたり服を脱がされて体を触られたり、あるいは強制的に女役をやらされたりしながら、日比谷の男として生きていくことはとてもできなかった。次男のとはいえ一人息子の長男だ。怜司にも淳一にも同じだけの期待がかかった。淳一は怜司の保険だったし怜司は淳一の保険だった。二人でセッサタクマしてヒビウエヲメザスのが爺さん連中の望む自分たちの姿だ。とてもついていける思考回路じゃない。別に淳一からのあれそれがなかったとしても、そうそうに道化をやって見限ってもらうつもりでいた。生き物として家柄と相性が悪い。 「どうするつもりだったんだろうな、俺も」 「なんだ……一緒か」 怜司と一緒かぁ。 淳一は呟いて、ごろりと寝返りを打つ。 息を吸って吐くほどの間、心地いい沈黙があった。 「……大八木の爺様、覚えてる?」 「大八木……?」 「あー、奥さんが早くに亡くなって、子供いなくて」 「仙人みたいな爺さんか」 亡くなった奥さん一筋で後妻をとらなかったから、大爺様とかなりこっぴどい喧嘩をして、勘当されたと聞いている。親戚の会合にも参加を許されていなくて、一年の���とんどは引きこもっている、らしい。子供の頃に一度挨拶に行ったきりだ。 「まだ生きてたのか」 「死んだよ。で、爺様のマンションなんだけど、俺がもらった」 「は? なんで?」 「はした金にしかならないから、らしい」 確かに大八木の爺さんが持っていたのは単身向けのあまり大きいとは言えないマンションだが、近くに国立大学があったはずだ。立地がよく空きが出ないから、大儲けはできなくても働かずに生きていくくらいの金は入ってくる。 「待て。払いも引き受けたのか?」 「済ませてたよ。さすが勘当されても日比谷の人間だ。金を転がすのはうまかったみたい」 「へえ……」 大八木の爺様は、寂しいと顔に書いてあるような独居老人だった記憶がある。そうか、死んだのか。結局ずっと一人で生きて、一人で死んだ。日比谷から勘当された日比谷として。 そういう生き方も、元手さえあればできたのかもしれない。 「……管理人を探してる」 「おい」 それはなしだろ。と、言おうとしたが、思ったよりずっと真剣な目がこちらを見つめているのに気付いてしまった。 「だめ?」 「ダメだろ……普通に」 即答できた自分を褒めたい。 「なんでお前の世話で生きていかなきゃならないんだよ」 「いい案だと思ったのにな」 「全然よくない」 それじゃあまるでヒモか愛人か内縁の妻か、要するに二人目さんだ。マンションの管理人として雇われて、部屋も一部屋もらって、給料もらって、家賃は免除してもらう。二十四時間中八時間寝ても残りの時間を持て余す。いつ淳一がくるのかだけを考えて部屋で一人待つ暮らし。それが似合う人間もそれを望む人間もいるだろうけど、怜司は違う。 「じゃあどうする?」 どうするのか。どうしたいのか自分は。長らく目をそらし続けてきた意思確認が、まさか淳一から投げられるとは。 「……生き返りたい、とは、思う」 淳一から逃げたいのか、と訊かれると、難しい。殴られないなら、逃げる必要はない。殴られるなら普通にまた逃げる。いま一番強く願うのは、生きている人間として生きていたいという、なんだか当たり前すぎてぐちゃぐちゃな感情だった。死んだ人間として生きていくよりも、生きている人間として生きていく方がスッキリする。じめじめしない。何より、都合がいい。この世界は生者の街だから、生者に都合のいいようにすべてが作られている。死人のふりをして生きていくのは心臓に堪える。 「お前が俺に何もしないなら」 ぐ、と淳一の喉の奥で、音にならない音がした。喉仏が大きく動く。 「……日比谷に戻ってくる?」 「一旦。それですぐ分籍してもらう」 「分籍? なんで」 「だから日比谷にのうのうと帰るなんてできないって言ってるだろ」 分籍、勘当、なんでもいい。日比谷に縁を切ってもらうのだ。向こうも喜んでしてくれると思う。 「どっかの家に養子に入って、もっかい大学行く。で、起業」 怜司の履歴書では、どこに行っても書類審査をパスできない。面接で「十八歳から三十一歳まで失踪してたと書いてあるけど、どこへ?」「ふらふらしていました」なんてやりとりをした人間を誰が雇うだろう。怜司自身、自分を採用するような会社は疑わしいとすら思う。 「起業って何するわけ」 「……子供向けのプログラミング塾、とか……そしたらどっかの産業大とかの方がいいのか。経済学部いくつもりだったけど……それか専門学校だな。鍼灸大学いって鍼灸師になるとか」 伝統工芸系も考えたけれど、金の心配が出そうな職はだめだ。金に困ったところで、怜司には頭を下げにいく先がない。 とにかく、淳一がもう“大丈夫”なら、道は選びたい放題なのだ。多少の困難はあるだろうけれど、死んでいるよりずっといい。 淳一を見下ろす。が、淳一は目を合わせようとせず顔を少しだけずらした。 「俺は……怜司に、昔みたいにしたい」 「ハイさよーなら」 「待て! 違う! 違うから!」 「うわ」 どんな手足の長さならこの距離で捕まるんだ。しっかりと握られた手が引かれ、ベッドに倒れる。ぼふ。ベッド。久しぶりだ。ずっと布団で生活していたから。反発で体が浮く感覚に、一瞬状況を忘れてしまう。 切羽詰まったような顔をして、淳一がこちらを見下ろしていた。顔の両脇につかれた手と、照明を背負って影になった姿が、なにもかも“そういう感じ”だった。 「殴るとか蹴るとかじゃなくて、“こういう”」 頬から顎に向かって指がすべる。ためらいがちに見せておきながらも、完全に触る気の親指が、唇のすぐそばをくすぐってきた。抱くと言われたし自分も風呂でアレなどしてしまったわけだが、いざ自分の上に乗っかられるという状態になると頭の隅から「は?」が湧き出してきてあっという間に思考を埋め尽くしていく。は? まじで、は? なんなのお前? だが同時に、ここで拒否したら何がどうなるのか分からない、という不安も腹の下から湧いてくる。この角度。この大勢。覚えている。こうなったらもう、終わるまでじっと待つほかなかった。 目をつぶることを促すためにすりすりとくすぐってくる親指を、振り払ったらどうなるだろう。記憶の中の淳一なら目つきが急に変わって殴られる。顔を庇おうとするともっと酷くなる。言葉が一切なくなる。怒鳴りつけない代わりに、喉から出てくるすべてを押さえつけて出さないようにして、手と足だけでなぶられる。ようやく言葉が出はじめるのは、服を脱がされ散々体を弄り回されたあとだ。 体が、拒むことを恐れる。 こんな体にしたくせに、何を急に甘ったるくしてるんだ。“こういう”雰囲気になったことなんて、一秒だってないじゃないか。 振り払えない。でも受け入れられない。いつだって怜司にできるのは精一杯睨みつけることくらいだ。 「俺はお前に無理矢理されたことはあっても合意の上で“こういう”ことになった覚えは一度もない」 親指がぴたりと止まる。歯を食いしばっておくべきか。二つの体の隙間に明確な温度差が生まれて、心臓が馬鹿みたいにうるさい。 「それは……」 「本気ならせいぜい頑張って口説くんだな。俺にフられることも重々承知の上で……いやダメだな? お前結婚してるもんな?」 言いながら気付いた。普通に素に戻って淳一を見上げる。 本気で口説かれたところで、妻子持ちの口説き文句なんて乗ったほうが悪い。危ないところだった。応えた怜司にも慰謝料が発生するやつだ。 「バカ退け絶対にダメだ妻子持ちなんて死んでもいやだ」 「死んでもって」 なんだか本気で傷ついたような声と顔をされて、う、とこちらが詰まる。それでも意地で厚い体を押しのけた。「妻子がいるとは知りませんでした」ならギリギリセーフかもしれないが、さっき涼子ちゃんから教えてもらってしまった。弁護士だって日比谷には揃っている。だめだ。これは絶対にだめなやつだ。 バスローブをことさらきっちり巻き直して、ソファの手すりに座る。物理的な距離も確保しておきたいしいつでも逃げられるようにしておきたい。 淳一はベッドに腰掛けてすっかりしょげていた。子供の頃はむくれることの方が多いやつだったので、意気消沈、みたいな顔をされるとモヤモヤする。 「……離婚……」 「できるのか?」 「できない」 返事は早く、はっきり言い切られた。淳一の言葉ではなくて、「日比谷淳一」としての言葉だ。 「彼女は俺の妻じゃなくて日比谷の嫁だ。帝銀の頭取から預かったんだから、俺はあれを日比谷の嫁として何不自由なく死ぬまで面倒見る義務がある」 離婚は絶対にできない。絞り出すように淳一は言った。 「……まぁ、そうだわな」 ここで「離婚する」とでも言っていれば本当にどうしようもないクズだ。従兄弟を殴って犯して逃げられて、妻子を得たあと再会した従兄弟のために命二つを投げ出すようなら人間として救いがない。 「でも怜司が生きてるのに……怜司がいるのに、」 あの淳一が、悩み苦しんでいる。ぶつぶつと呟きながら、必死に考えている。自分のことなのに他人事みたいに見えた。何を必死になっているのか、頭の中で物事と物事がつながらない。 「俺がこうしてる間にどっかに消えてくれ。待って、行かないで。今考えるから。でも、ああくそ、クソ、……」 「お前、そんなに俺のこと好きだったの」 気づけばそんなことを口走っていた。えっ、と淳一が顔をあげてこっちを見て、怜司もえっと返してしまう。 「俺、怜司のこと好きだったの……?」 「いや知らねえよ」 「えっじゃあ今俺のこと好きって言った?」 「言ってねえよ脳ミソどうしちゃったの?」 さてはこいつ、眠いな。時計を確認すると日付が変わる頃だった。いつもなら客足を見て、日によっては閉店準備をはじめる頃だ。 風呂から上がったままほったらかしにしていた髪もすっかり乾いた。部屋の隅を見れば、蹴散らされた怜司の服が散らかっている。そういえば怜司は怜司で下着もはかずバスローブ一枚なのだ。人のことを、頭の中とはいえさんざん間抜け呼ばわりしたが自分も同じだ。 「とりあえず今日は帰るわ」 「は!? 何、えっ!?」 「お前いつまでこっちいるの? 帰る日に合わせて休みとるから新幹線代貸して」 下着を取りに行って履くと、ズボンにも足を通す。服も着て、バッグの中身を確認する。まぁ家に帰るくらいはできるだろう。 「いやちょっと待って何ほんとに帰ろうとしてんの」 「だって嫌だ��んお前の隣で寝るの」 「えっ………………」 「なに?」 よくわからないが固まっている。 「いや駄目だ。絶対どこにも行かせない」 復活は思ったより早かった。 すがさず距離を詰めてきた淳一が、壁に両手をついて、行く手を防がれる。ワー、壁ドンだー、などと頭の中だけで危機感のない自分が囃した。 「俺は妻と子供を幸せにできるけど、俺は怜司がいないと駄目なんだよ」 そこに怜司の幸せが考慮されていないのは淳一らしいというべきところなんだろうか。これから淳一が怜司の隣にいようとしても周りがそれを許さないし、怜司は淳一の隣に立てるように努力するつもりはない。その生き方は日比谷から逃げた段階で途切れた。誰も許さない続きしか待っていないことを、淳一��理解しているのだろうか。 「……明日ミネラルウォーター一杯千円で出してやるから、一〇〇杯飲んでけよ」 バッグから店の名刺を出して渡す。 「ついでに店長にも謝ってお連れさんにも詫びで奢れ。帰る日も確定させてこいよ」 行く手を塞ぐ淳一の、太い腕を払いのける。驚くほどあっさりと外れて、覚悟していた拳は飛んでこなかった。クソ、という小さな呟きを背に出口に向かう。そういえば宿泊料は請求されるのだっけ。いや、そのくらいは甘えても許されるだろう。 靴を履いている間も、背中を蹴られることもなかった。淳一は黙って怜司が身支度を整えるのを見ていた。 じゃあ、と手を振ってドアノブに手をかけたときだった。 「怜司。俺のこと殴って。昔の俺がしたみたいに」 静かに淳一が言った。中学生のときを思い出した。教科書に載っていた走れメロス。淳一、お前は俺のために走ってきたのか。野も山も川も越えて。十三年も。なんていうのは感傷的すぎるか。 だから顔は殴らなかった。とん、と肩を軽く叩く。 「……そんなことして何になるんだよ、バーカ」 ホテルを出ても、淳一は追ってこなかった。
+++
「サンドイッチ買って。あとビール」 「さっきからどんだけ食ってるか自分で分かってる?」 「あ、ビフカツサンドとビールください。と、これ。にゅうめんも。淳、金」 「……」 怜司が甘えてくる。ほんの小銭の話だけれど、それでも「金」と言われて嬉しいと思う日がくるとは思わなかった。 新幹線に二人並んで座って、外はバカみたいにいい天気で。怜司は受け取ったビフカツサンドにかぶりつきもしゃもしゃと口を動かしている。片手でビールを開けようとするので開けてやった。ビフカツサンドが口元に差し出される。いらない。 「向こうついたらステーキ行こ。久しぶりにあそこの肉食いたい。八階の」 「……いいけどね。全然」 「ステーキは自分で払うよ。新幹線代も返すし」 どうせならカニが食べたいなと思う。時期じゃないから難しいけれども、カニの専門店があるからそこなら食べられるだろう。カニを一生懸命剥いて食べている怜司を想像する。やっぱりカニがいい。 怜司が見つかったことを家に電話して、次の日の昼に電話がかかってきたときにはもうつつがなく全ての準備が整っていた。手続きが煩雑なものも順調に進んでいるらしい。 怜司は、日比谷から嫁に出た深水という人の養子に入ることが決まった。怜司が直筆のサインをして印鑑を押せば、『日比谷』ではなくなる。やはり怜司を日比谷のままにしておくことは難しいらしくて、父も怜司のお父さんも養子に出るのが一番だろうと結論づけたらしい。 深水怜司。もうそうなることが決まったのに、怜司が日比谷じゃなくなる実感が沸かない。それでも大八木の爺様みたいに親戚の集まりすら許されないということはなく、もう三十も過ぎた大人が深水の家で暮らすわけでもなく、あくまで戸籍上のこと、ということらしかった。普通に実家として帰る先は日比谷の家だろう。 『淳くん、もう大丈夫なの?』 電話口で久しぶりに喋った涼子ちゃんは、静かにそう言った。最近聞いた言葉だなと思って、そうだ、近藤くんにも言われたのだ。『日比谷さん、大丈夫ですか?』。近藤くんには悪いことをした。次の日にきちんと謝って、高い焼き肉でチャラにしてもらえることになったけれど、下手な噂の流され方をしたら人事に響くようなトラブルになったかもしれない。淳一が頭を下げにいったおかげで店長から出禁を食らうこともなく、これからもあのバーには通うらしい。 “大丈夫”なのか。自分でもそれは分からなくて、もしかしたらこれから、怜司のことを殴りたくなるのかもしれない。じっと怜司の顔を見る。食べ方が汚いわけではないけれどももしゃもしゃ口が動いている。可愛い。この顔を自分が殴ったことがあるなんて信じられないが、確かに殴った。 「……なに?」 こちらの視線に気付いた怜司がむすっとした顔をする。早くもビフカツサンドはどこかへ消えて、にゅうめんに手が伸びていた。 「いや、なんでもない」 “大丈夫”だよ。そう言って、箸を持つ怜司の手を上からそっと包む。すぐに振り払われて、それすらもくすぐったくて笑ってしまった。
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めそめそざんざん
4月23日の日記 昨晩は息を潜めて帰った。 兄と、兄のお嫁さんと、つい先日一歳になったばかりの姪っ子が私の隣の部屋で眠りについた。ちょうどその頃の帰宅だった。兄たちは数年ぶり、姪は初めましてで、彼らの1日だけの帰省に私はおそらく1番緊張していた。 音を立てないように湯船に浸かり、化粧を落として、綺麗に温まったところでそろそろと上がり、服を着る前にはしばらくバスマットの上にしゃがみ込んで急な立ちくらみが去るのを待った。 風呂場の窓を通って聞こえてくる。 雨がざんざん降っている。 午前中は飯能の山に登り、午後は新宿で練習に入った。 どちらの締めにもアルコールがあり、私は2日間を濃縮して過ごしたような、精神的な消費をした。 そして、坂道を歩いたり強く声を出したための肉体の疲れも混ざったせいで、しゃがみ込んで膝におでこを押し付けたまま、この永久に続いていくような疲労に達成感とさみしさが行ったり来たりしているのを感じていた。 ふいに、猫が鳴いていると思った。 喧嘩をしているのか、発情しているのかわからない声が、少し遠くの方から聞こえた。 はっと我に返っておでこに赤い跡をつけたまま服を着込み、ドライヤーに手をかけた瞬間、姪の夜泣きだと気付いた。 本当に猫みたいな泣き方なんだねえ。 と ちょっとくすくす1人で笑って髪を乾かし、3人が寝ている部屋の閉まった扉に おやすみ と口の中から出さずに声をかけて布団に潜った。 意識があちらこちら、いろんな予定や記憶や気持ちを掘り起こし、突発的に京都・大阪への夜行バスを予約した。完了の受信メールを読んでいるうちに、眠りに落ちた。 . 起きてしばらくぼんやりした。 読みかけのメールを眺めて、夢じゃなかったんだなあと思っていると、隣の部屋から低い声と高い声がどちらもくぐもって交互に聞こえてきた。 そのうち隣のドアの開く音が聞こえたと思うと、私の開け放している部屋の暖簾を避けて数年ぶりの兄の顔がひょっこり出てきた。 おはよ おはよう と短い挨拶一回ずつ交わして兄はリビングへ向かう。 隣の部屋ではまだ高い声が姪っ子をあやすように起こしていたが、私も後に続いて下の階に向かった。 兄は簡単にシャワーを浴び、朝食そっちのけで、少し遠くの駐車場に停めた車を妻子2人のために取りに行った。 父親なんだなあ としみじみ思いながら、後から起きてきた姪っ子と遊びつつご飯を食べていると、母に着信。 玄関に財布忘れたわ〜、あはは、300円しかポケット入ってなくて車出せないや と、間延びした声で言われて、呆れた顔をしている母。 自転車で届けに行って と私に指令が入る。 立ち漕ぎ全力疾走、5分ほど。 財布を渡して、 すまんね。いいええ、足りる?���ん、足りる。じゃあ、また家で。はい。 そしてすぐまた、立ち漕ぎ全力疾走6分。帰りは少し上り坂。 数年分のやりとりは、起き抜けとこの会話で事足りた。私はなぜか安心して、見送りにも身体半分乗り出して手を振ったのみで、母のように最後見えなくなるまで立ち尽くすこともなかった。 . おざなりな見送りのあと、私は私の身支度をして新宿へ向かった。 残暑の季節以来に会う人と待ち合わせ。 私が高校生くらいの頃から時々遊んでいて、妹か娘かのような可愛いがられ方をしている。 お腹空いてる?空いてないねえ、のなんでもない話をして信号待ちしていると、目の前にいた日本人ではないアジア系の外国人がA4ほどの紙を頭上に掲げ始めた。 英語や他の国の言葉で何行か書かれていたのと、私は裸眼だったので、何て書いてあるんだろうと目を細めて見ていると、その人は紙をひっくり返した。 レイシスト 帰れ 白地に大きな赤字。日本語でそれだけが書かれていた。 びっくりしていると警察車両がゆっくり道路を走り、ずらずらと警官が続いて歩き始めた。メガホンで何か言っているが聞き取れない。信号はまだ変わらない。 車道を歩く人は警官の制服から普通の服に切り替わり、日本国の旗が見えてくると急に怒声が聞こえてきた。 車道に続くデモ隊の声も、それに向かって帰れの紙を掲げる人の声も、どちらも怒っていた。 急に始まった出来事に圧倒されて立ち尽くしていると、ぐいと手を引かれて久しぶりの人の胸に背中を預ける形になった。 何事かと後ろを振り向けば、歩道いっぱいに 「帰れ」 と怒鳴っている人たちが歩いていた。 怒りあっている川に挟まれて信号を見ると、まだ変わらない。 何度か前と後ろと信号とを順番に見て、 私は泣き出してしまった。 怒ることの根元には悲しみがあると思っている(※)。 怒りは悲しみで、怒りをぶつけられた分、また悲しみになって怒って。 目の前にも、後ろにも、悲しんでいる人、人、人、そして怒鳴り声。気持ちが言葉になり、溢れて飛び交っている。 怖くてたまらなくて逃げ出したかった。 涙を悟られまいと、地下から行きましょうと手を引いて、階段を降りていると、 すごかったねえ と、間隔をあけて二度言われた。 「大丈夫?」や、「泣かないで」なんかの慰めじゃなくて、本当によかった。 「うん」と、とりあえずの返事をしても何も嘘にならない。 片岡フグリさんのライブに行く予定だったが、ショックがずるずる胸につっかえた。 とにかく今は、誰の気持ちも強く出ていないところに行きたい。 と思い、軽く腹ごしらえした後は電車に乗って公園まで行った。 シートを買って、靴を脱いでビールをあけて、時々強い風に煽られては、ばらばらと降ってくる桜の枯れた後の茎を 昨日の雨みたいだ とぼんやり眺めていた。離れたところでもざんざん降っている。 私は時折それを集めて花束みたいにして、公園なのにPC広げて仕事をしているその人の膝に並べたりもしたが、すぐに飽きて自分で払いのけた。 1秒もしないうちに強い風が吹いて、桜の茎のゲリラ豪雨が起きた。頭や肩についた茎を払うのもやめて2人でケラケラ笑った。 風は止んでまたぼんやりした。 どんどん日は傾く。右側の遠くの方には子どもが叫びながら自転車を走らせる道。続く親。 左手は植物以外何もなく、青々としている。 帰ろうか と声をかけられるまで、左右、頭上の葉、左右、5分間隔でループしていた。 途中のコンビニでカップ味噌汁を買ってその場で飲み、見送られて電車に乗る頃にはすっかり元気になったが、回復まで半日近くかかることに「あらあら、しょうがないわね」と自分であやしてみる。 めそめそはしたくないししてる場合じゃないが、自分自身で甘やかしてばかりで我慢が効かないことを今はただ受け入れるしかない。 あまりに幼い自分の頭も、いつか発達を遂げることができるのだろうか。 . ※怒ることの根元には悲しみがあると思っている (と、思って発達心理学の文献を漁ったらルイスという人が新生児の感情の発達の仕方において三ヶ月で悲しみ、六ヶ月で怒りという感情が生まれるっていう研究結果を出してました。うち、おこだよ?の状態まで意外にかかる。)
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スマホゲーム依存症の解決を目指して
2018年10月 号
2018年10月13日
台風24号が日本列島を縦断、各地に大きな被害をもたらしました。皆様のところは無事でしたでしょうか。今年は台風が多いです。ようやく秋らしくなったら、夏の暑さに逆戻りして、体調の管理が難しいです。お元気でお過ごしください。 ☆☆☆☆ 皆様は、スマホゲーム依存症という言葉を聞いたことがあるでしょうか。スマホの普及に伴い、一般家庭で高校生や中学生にまでスマホをもたせるケースが増えています。スマホには、無料でダウンロードできるゲームソフトがたくさんあります。思春期の子どもたちは、まだ自分をコントロールする力が弱いですから、あっという間にゲームの面白さに飲み込まれてしまい、何時間もゲームばかりやるようになってしまいます。これがスマホゲーム依存症です。
昼夜逆転の生活、朝起きられないから、不登校になる、受験を前に勉強できずに成績は急降下、という大きなマイナスをその子どもたちにもたらすことになります。それだけにとどまらず、ゲーム依存を何年にも渡って続けると、脳が成長途上にある子どもの脳に、前頭前野の機能低下や脳神経細胞の破壊という、深刻なダメージを与えることも分かってきました。その弊害から脱するために���どうすればよいのか、今回は私が柏市の中央公民館フェスティバルで行った講座、「親子コミュニケーション講座ースマホゲーム依存症の解決を目指してー」を紹介いたします。
第18回中央公民館フェスティバル 体験教室 2018.09.09 親子コミュニケーション講座
ースマホゲーム依存症の解決を目指してー
講師 福田隆三(放送大学心理学基礎&生命人間科学エキスパート)
Ⅰ.事例 事例1 Kさん、男性28歳、会社員、 受診理由:ガチャにお金を使いすぎている。 Kさんは、父、母、本人の3人家族。高校時代にオンラインゲームにはまり、遅刻や不登校を繰り返した。大学時代は、高校時代よりもプレー時間は短くなったものの、相変わらずオンラインゲームは続けていた。卒業後は、IT関係の企業に就職。その頃から、会社への往復と会社からの帰宅後に、スマホゲームをするようになった。 社会人になると、学生時代と違ってゲームに割ける時間が限られるため、ガチャを使うことが多くなった。「アイテムが欲しいと思うと、どうしても我慢できなくなって・・・」と課金額も増えていった。しかし、課金は自分の財布から現金で支払うものではなく、クレジットカード払いのため、多額の課金をしているという感覚が希薄です。「自分で働いてお金を稼いでいるのだから、ガチャをやって何が悪い」、「スマホゲーム以外に何の楽しみもないのだから、仕方がない」、とも思っている。自宅でのゲーム時間が長いために、会社に遅刻したり欠勤することもある。 しかし、年間の課金支払額が500万円にもなり、Kさんの年収の2倍にも増えてしまった。Kさんが支払えない分は、年金暮らしの両親が補っている。Kさんも課金を減らすように努力しているが、なかなかうまくいきません。 事例2 Sさん、女性16歳、高校生、 受診理由:スマホの使い過ぎで学校に行けない。 Sさんは、もともと活発で友人も多く、運動が得意でした。中学入学時には、スマホの購入をねだったものの、使いすぎを心配した両親は、Sさんにガラケーを買い与えて我慢させていた。 中学校では、陸上部に所属、中距離選手として優秀な成績を残したSさんは、推薦入試で自身の希望する高校に合格。このときに、祖父母からお祝いとしてスマホを買ってもらった。 以後、LINE、Twitter、動画の閲覧を通してスマホの使用時間が増えていった。高校入学後は、新しく知り合った友人にスマホゲームに誘われ、夜中までスマホを使う様になった。朝起きられない状態で、学校を休みがちになる。成績は学年で最低のレベルにまで落ちてしまった。心配した両親がスマホを取り上げようとすると、暴言を吐く、家の中の物を投げて壁に穴を空ける、などの問題行動が見られるようになった。最近、父親がスマホを取り上げようとした際に、包丁を持ち出してしまった事もあった。 Sさん自身も、自分が「依存」ではないかと感じているが、なかなかスマホの時間を減らすことができないでいる。
〇日本のネット依存が疑われる人の数 中高生 男性6.2% 女性9.8% 合計約52万人 成人 男性4.5% 女性3.6% 合計約421万人 2013年に実施された実態調査に基づく推定数。このうち、ネットゲーム依存者数がどの程度の割合を占めるかは不明。
Ⅱ.莫大な利潤を上げるゲーム企業 〇スマホゲーム市場 2011年度 480億円 2017年度 9600億円 わずか6年で20倍の急成長。 任天堂 2018.3月期 純利益1,395億円 ソニー 2018.3月期 純利益1,078億円 バンダイナムコ 2018.3月期 純利益324億円 基本的にスマホゲームは無料でプレイできるのに、ゲーム会社はなぜ巨大な利益をあげることができるのか? その答えは、フリーミアムというビジネスモデルにある。フリーミアムとは、無料のサービスや製品で顧客を獲得し、特別な機能について料金課金する仕組みのことである。 フリーミアムとは、フリー(無料)とプレミアム(割増)を結びつけた造語。ほとんどのスマホゲームがこの仕組を使っている。 クレジットカードや電子マネーでゲーム内で使用できる通貨を購入したユーザーは、後述する「ガチャ」の獲得のためにこれを用いる。これが「ガチャ」という課金機能です。 「ガチャ」とは、もともと「カプセルトイ」と呼ばれる抽選式の玩具購入方式の呼び名でした。カプセルの中にオモチャが入っていて、ガチャガチャと呼ばれる機械に硬貨を投入してレバーをガチャッと回すとカプセルトイが出てくる。この仕組をスマホゲームに導入したのが「ガチャ」です。 ユーザーは一定の額を課金すると、ガチャガチャの機械を回すように、中身がランダムに決まるアイテムを得ることができる。このアイテムにはゲームの攻略をたやすくする効果があるのですが、このときユーザーは「次は何が出るのだろう?」という高揚感を得ているのです。巧みに射幸心をあおるこの仕組は、ユーザーにギャンブルに酷似した刺激と興奮をもたらす。ガチャにはまり、経済的破綻の被害者となるのは、大学生か社会人です。中高生の場合には支払える金額に限度があるため、親のクレジットカードを勝手につかってしまう、親の財布からこっそりお金を抜いてしまうといったことが、しばしば起こります。ただ、この場合は、課金によるトラブルの多くが比較的早い段階で発覚します。ところが、収入を自分で得ている社会人の場合は、ガチャによる行き過ぎた課金が判明した時点で、その金額も費やした時間も、生活を破綻させるに十分なレベルに達していることがあるわけです。 ガチャに関しては、明らかにギャンブルと同じ刺激があります。ユーザーの多くが1日数万円程度をガチャにつぎ込んでいます。これはパチンコやパチスロに依存するギャンブル依存の人たちが費やす金額と同程度と言えます。つまり、ガチャはスマホゲームにギャンブルを掛け合わせた二重の依存を誘う仕組みです。この仕組は人間の心理的弱みにつけこんで利益を得ようとしており、”あくどい”と言わざるを得ません。
スマホゲーム依存の特徴的リスクは、本人が「やり過ぎ」を感じる入り口から、「やり過ぎを否認し始める」までの進行スピードの速さにあります。ゲームとして非常によく作られていて、はまりやすいので、本人が気づいたときは「無料の暇つぶし」から「生活の中心」の段階にまで、短期間に達してしまうのです。また、スマホゲームの中には、「一定の時間を待たなければ、無料でゲームを続けることができず、数百円のアイテムを買う(すなわち課金する)とゲームを継続できる」、といった仕組みもある。それで、「以前は課金する前のタイミングでゲームを止められたのに、今は数百円なら・・とすぐに課金して続けてしまう。このままいくと、どうなるか不安で受診した。」という患者さんもいる。 Ⅲ.スマホゲーム依存と脳への悪影響
第1図ヒトの脳の三層構造
ヒトの行動は脳の中心部にある大脳辺縁系と前頭葉の前頭前野によりコントロールされている。大脳辺縁系が欲望や快楽、不安、恐れといった感情を司り、前頭前野が社会的、理性的な判断をくだす、というメカニズムになっている。大脳辺縁系は「本能」に、前頭前野は「理性」に関与している。そして、通常は前頭前野が大脳辺縁系より優勢な状態で、脳の働きのバランスが取られている。 しかし子供の場合、発育段階にある子供の脳は、前頭前野の働き(理性)が弱く、大脳辺縁系の働き(本能)が強い傾向にある。 子どもは危険に対する注意より、好奇心が勝り、 まるで突拍子もない行動をとってしまう。 ネット依存、スマホゲーム依存が「子どもの問題」と考えられてきた背景には、子供の脳の発育の問題が大きく関係します。子どもの脳はスマホゲームの刺激を成人より強く受けやすく、スマホゲームのプレイ時間をコントロールすることが困難です。巧みに好奇心を掻き立てるスマホゲームに接したとき、成人よりもたやすく、為す術もなく、一気に依存状態になってしまうのです。 スマホゲーム依存を患ってしまった子どもは成人よりも回復しにくく、治療期間も長期化する傾向にある。また、スマホゲームに接する時期が遅ければ遅いほど依存になりにくく、仮に依存しても回復しやすい。子どもさんとスマホゲームとの関わりについては、親御さんは慎重にも慎重に考えて対処していただきたい。 Ⅳ.前頭前野の機能低下 1.大脳の画像診断技術の進歩により、医学的に「ゲーム依存が進行すると、理性の脳である前頭前野の機能が悪くなること」がわかってきました。 もともと理性の脳がうまく働いている人であっても、ゲーム依存が進行すると前頭前野の機能が落ちていき、衝動のコントロールが効きにくくなります。するとゲーム依存に拍車がかかって、悪循環に陥って行きます。 第2図は、ネットゲーム依存に関する脳画像研究データをまとめた、いわゆる「メタ解析結果」を示します。
第2図 ネットゲーム依存者の前頭前野の機能低下
2000年~2013年までの間に出版されたネットゲーム障害に関する脳画像研究の中で、著者(樋口進)の基準を満たす10本の論文の結果をまとめたものです。その結果、ネットゲーム依存者は健常者に比べて前頭前野の両側中前頭回(図の白く色付けされた箇所の円で示された部分)の機能が落ちていることが示されています。この図には示されませんが、反対側の中前頭回の機能低下も示されています。 さらにこの研究では、左帯状回、左中側頭回、紡錘状回の機能も低下していることが示されています。 前頭前野の機能が悪くなると、衝動的になり、いわゆるキレやすくなり、ますますゲームに依存するという悪循環に陥ります。この前頭前野の機能低下は、ゲーム依存のみならず、アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存等、にも共通して認められます。この所見は依存に共通した特徴であると考えられています。 2.キュー(きっかけ)に脳が過剰反応し、”やりたい”衝動が止まらない スマホゲームに興味のない人は、ゲームの画像を見せられても、前頭前野は特に反応しません。それに対し、スマホゲーム依存患者は、ゲームの画像を見ただけで、前頭前野に強い反応が起こり、「プレーしたい!」という抑えがたい欲求が生じます。 この脳の反応パターンは、アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存の研究でも確認されています。さまざまな依存の患者は、依存対象を思い起こさせる「きっかけ」を目にしたとき、ゲーム依存患者と同じように、依存に関係する脳の特定の部位が強く反応します。すると、「飲みたい!」、「使いたい!」、「遊びたい!」という衝動が生まれる。 このような状態を引き起こす「きっかけ」のことを専門的には「CUE(キュー)」、または「ゲーム刺激」と呼んでいます。依存とは主に、このキュー(きっかけ)によって引き起こされる脳の反応の結果である、と言うことができます。 Ⅴ.脳の神経細胞の破壊 ここ数年の間に(2017年)、「ネット依存者の脳の神経細胞が壊れている」とう報告がしばしばなされるようになった。脳の神経細胞の壊れる場所は一定でなく、どの部位も破壊の対象となりえます。現時点では、その原因はわかっていません。 ネット依存の期間が長ければ長いほど、破壊の程度が深刻になるという論文もあります。ネット依存から回復すれば、同じように脳の障害も回復するのか、あるいは破壊されたままなのか、についての報告はありません。 スマホゲーム依存に特化した論文はありませんが、このようなネットの過剰使用と神経細胞の障害との関係は、スマホゲームにも当てはまると推測できます。
第3図 ゲーム依存は脳を破壊する 赤丸で囲んだ部分の神経細胞が破壊され、 小さくなっている
脳の表層(外周部分)には、灰白質という領域があり、その中心部分には神経細胞があります。第3図「ゲーム依存は脳を破壊する」、の画像を見て下さい。ネット依存患者の脳は、赤丸で囲んだ箇所の神経細胞が破壊され、健常者の脳の同じ箇所と比べて小さくなっているということを示しています。グラフはネット依存の期間が長くなればなるほど、脳の損傷と萎縮が進んでいくことを示します。
Ⅵ.スマホゲーム依存症への家族の対応 1.患者本人と家族が次の観点に立って、 建設的に対話を重ねていきます。 (1)スマホゲーム依存により生じている現実的問題 (2)スマホゲームの使用時間の軽減 (3)治療の具体的提案 2.家族の心構え (1)あまり神経質にならずに患者本人を見守る。本人のスマホゲーム時間、1週間の生活パターン。 (2)簡単な日常の会話の回復。おはよう、ありがとう、いただきます、行ってきます、会話の回数を増やす方向で努力する。 (3)時・場所・場合(TPO)を考えて、患者本人と建設的対話を行う。 (4)次の3つのことを理解しておきましょう。 ・依存の克服には時間がかかること。 ・スマホゲーム依存症は再発しやすい病気であること。 ・完治が難しい病気であること。
3.実際の対応 (1)現実世界での役割の提供:家庭内で役割を果たしてくれたら、「助かったよ、やるね!、さすがだな!」など声掛けをする。 (2)医療機関、カウンセラーに相談に行った時、時間を置かずすぐ本人に伝える。「隠れて勝手なことをするな」と言うような言いがかりを避けるため。 (3)I&YOUメッセージを用いる。「私はこう思う。あなたはどう思っている?」 (4)家族全員が本人に対して同一の対応を取る。家族の統一戦線。 (5)本人との取引には慎重に対処する。 (6)本人の治療にあたっては、家族の側の心身の健康を保つこともきわめて大事です。家族の側の息抜き、気晴らしも必要。
4.応用的対応 (1)ゲームについて、本人に聞いてみる、「そのゲーム、楽しい?」、「どうしてスマホゲームを始めたの?」、「ゲーム中は何を考えているの?」 (2)ルール作りは必ず本人を交え家族全員でする。一方的にルールを押し付けない。 例;家族全員がスマホに触らない時間帯を作る。スマホ時間を家族の交流の時間に変える。 (3)第3者(医療機関、カウンセラー)の力を借りる。 (4)スマホゲームの機器、機能の知識を勉強する。 (5)本人の現実生活に関心を持つ。本人が家庭内で、会話しやすい環境を作る。 (6)本人にスマホ使用時間の記録をつけてもらう。記録をつけることで、スマホゲームのプレー時間を減らそうという動機づけとなる。 (7)スマホゲームの時間が減ったら、褒めること。「頑張っているね」、「最近、ゲーム時間が減って、いいね。」 (8)スマホの取り上げ、Wi-Fiの切断等はやらないこと。このような強硬手段は、本人を苛立たせて、家庭内暴力に発展する恐れがあるからです。暴力は絶対避けなければなりません。
第4図 簡易型脳波計
Ⅶ.ゲーム脳の恐怖 日本大学の森 昭雄教授は、簡易型脳波計(第4図)を開発し、それを用いて簡便に脳波の中のアルファ波(α波)とベータ波(β波)を精度良く測定する方法を確立しました。森教授は、大学生の協力を得て、テレビゲームの積み木合わせゲームをしているときの脳波を測定解析して、脳の前頭前野の働きの度合いを、α波とβ波の比率から、測定しました。
第1表 脳波
第1表 脳波は、4種類ある脳波の概要を示します。大脳皮質が盛んに活動しているときはβ波が出現します。α波はリラックスしているときに出現します。 第5図A~Dは学生をA:ノーマル脳人間タイプ、B:ビジュアル脳人間タイプ、C:半ゲーム脳人間タイプ、D:ゲーム脳人間タイプ、の4つに分けて、α波とβ波、β/αを時系列で示した結果です。 A:ノーマル脳人間タイプは、全然テレビゲームをしたことがない人です。図ではα波とβ波が離れていて、脳がしっかり働いている事がわかります。下図のβ/α値も3以上を保っていて、大変よい状態です。 B:ビジュアル脳人間タイプは、テ���ビゲームを殆どやったことがなく、テレビやビデオを1日1~2時間ぐらい見ている人です。普段はα波とβ波が離れていますが、テレビゲームを
始めるとβ波が下がります。 C:半ゲーム脳人間タイプは、テレビゲームを週2~3回する人です。1回につき1~3時間しています。この人はゲームをしていないときでも、α波とβ波が重なっています。β/α値はゼロになることがあり、これは良くありません。 D:ゲーム脳人間タイプは、テレビゲームを週4~6回している人です。1回につき2~7時間しています。ゲームをしていないときにも脳は働いていません。β/α値は数値が測れないほど、脳が働いていません。 このように、常に長時間テレビゲームをしている人ほど、β波のレベルが低下しており、脳が不活発の状態にあることを示しています。ゲーム脳人間タイプは、前頭前野の活動が停止状態にあると言って良いでしょう。 幼児期には、跳んだり、走ったり、ボールで遊んだりすることが、健全な脳の発達に必要です。昔から文武両道という言葉があるように、よく学び、よく運動することが、脳の発達にも身体の発達にも必要なのです。もし子どもにテレビゲームやスマホゲームをする習慣がついたら、どうなるでしょうか。子どもの前頭前野の働きは低下し、大脳辺縁系に対して抑制がかけられなくなります。そして子どもは容易にキレル人間、テレビゲームやスマホゲーム依存から抜け出すことができない人間になっていきます。子供の発育期においては、できる限りゲームから切り離した環境で育てることが親の重要な責務となります。以上
第5図 代表的4つのタイプ
参考文献
樋口 進:スマホゲーム依存症、(株)内外出版社、2018年2月
森 昭雄:ゲーム脳の恐怖、NHK出版、生活人新書、2002年7月
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慟哭は復讐の声 1.奴が帰ってきた
2017年3月に行われたサタスペのキャンペーン・青空爆発ドッグスの最終話を小説風に脚色したものです。
いつの間にか久し振りに飲もうぜなどと言い合える連中になってしまった。それに二つ返事で喜べる仲になってしまったのだ。誰がなんと言おうとも、自分たちが実のところどう思っていようとも。
「みっちゃんとリーダーはまだ来てないみたいですねえ」 ダイキリを片手に呟いたのは崔恭一だった。紫の瞳は壁に掛かっていた時計を確認したがさっき見たときと変わらず二時十七分で止まっているらしく、当てにならないと顔をしかめては酒を煽った。よく見たらガラスが割れているし中に蜘蛛の巣が入り込んでいる。 「まあリーダーが時間にルーズなのは今に始まったことじゃないですしね」 酒を勧めてくる悪い大人にNOが言える優等生DB・マヤンはカラシニコフを玩具のようにして遊んでいる。チョコレートの盛り合わせは地下の籠った熱で溶け始めているところ。室内でのマナーと言って着こんでいた帽子とコートとジャケットも脱いでいた崔も少し暑そうだ。 「一松も適当なところあるしな」 黒くないビールをぐっと傾けて一気に飲み干したのはヴィンセント・ジョーンズ。空いた腹にアルコールは良くないと頼んだつまみに手を付けないまま三杯目だった。口に白いヒゲがついたのを褐色肌の少年が揶揄い、黙って手の甲で拭う大男を横目で見ながら、自分は次にどんなものを飲もうかと崔は考える。昔から所以だの謂れだのを考えるのが好きで、特に拘ってるのがジンクスだ。ちなみにダイキリについた意味合いとは、希望らしい。 例え亜侠などと言うボンクラであったとしても酒を飲むなら日が落ちてから、全員が揃ってからと思っていたのにリーダーであるパット・ユーディーともう一人の一松三子が現れる気配が無いので痺れを切らして諸々を注文したのが三十分前になる。お決まりになってしまったこの個室はそれはもう店の奥の奥で、料理の映えなど気にもかけない白熱灯が光るばかりで外が今どんな様子なのかは把握できない。相変わらず狭い部屋はあと二人を収容出来るのかも疑わしいくらいだがパットはまだ成長しきっていない少年だし一松は枝みたいに細いから結局は大丈夫なのだろう。 「なんだっけ? パソコンのCPUのクロックアップ? あれに凝ってるって言ってたっけ。僕わかんないです」 銃を傍らに置いたマヤンがもうぬるくなってしまったオレンジジュースを少しだけ飲んだ。 「まあ……一松のほうは最近恋人も出来たしな」 「最近? もう半年も前の話ですよ。若いんだからその感覚は治しましょうよ」 「いやいや忙しかったからさ、時間が経つのが早かっただろ」 最年長に老いを指摘されてヴィンセントが焦る。言い分はまぁ、わからなくもないが。 「この半年の間になにがありましたっけ?」 因幡の白兎が頼んできた件は何ヶ月前でしたっけという少年の問いに、三人は六ヶ月を思い浮かべ始めた。ワニとサメが合体した化物を海上に浮かぶ船から相手するのはシビアなものだった、舵を取ったマヤンは免許を取れる腕前に変わり果て、依頼人のウサギに騙されたとわかるとこういうときはパイにするんだよと一松が喜々として包丁を研いでいたこととか。さるかに合戦は親の敵討ちをとカニが頼んできたが実際にはサルはむしろ良い奴で、カニ率いる詐欺師集団が豪邸を奪い取る算段だったらしい。甲羅が嘘みたいに硬くて銃弾を物ともしないので崔が無理だと泣き喚き、結局ヴィンセントが手足をもいで物理で解決させた。あと一回だけ珍しく人間がやってきて某盟約で秘密裏に開発されているウィーゼルの詳細を調べてくれとのことがあったが、実際に生み出されていたのは洗脳された殺人イタチであった。結局動物じゃねえかとパットが叫んでいたが同情禁じ得ないぇ 「どうでもいいですけど本当に動物関係多いですね、ウチは」 ようやくグラスを空にして、店員を呼ぶのに立ち上がりながら崔は呟いた。 「なんか呪いなんじゃないですか」 マヤンが言った。割と呪い染みた運命だと。錬金術師が言うと洒落にならんなとヴィンセントは追加のジョッキを頼んでいた。
それから十数分、パットと一松は未だ来て居らず、幸運にも趣味の近い者同士であったため途切れなかった会話に割り込んでマヤンの携帯が鳴った。数年前にヒットした映画の荘厳な主題歌はチープなアレンジに変えられ、すぐに通話ボタンを押される。聞こえたのは荒い息遣いで、その向こうから意味を成さない騒音が重なっていた。正確には動物の鳴き声がほとんどだった。苦しそうな呼吸が三回、それから相手は声を発する。 「すまぬ、マヤン」 この声を知っている。マヤンの脳裏にはエンペラーペンギンの顔が浮かんでいた。もう若干懐かしいくらいのあのペンギンである、一時は長電話した仲ではあるがその後についてはお互いなんの音沙汰も無く過ごしていた。 「どうしたんですか、なにがあったんですか?」 彼に何故こんなにも余裕がないのか心当たりがない。それはもう当然のように喉から出てきた。マヤンの不安を滲ませた声に崔とヴィンセントも動きを止める。 「奴が帰ってきた」 エンペラーの声に油断は許されていなかった。奴について尋ねる前に動物園の惨劇は彼を吞み込まんとしていた。多くを語れないと判断した彼が慎重に付け加える。 「私もここまでのようだ……奴らには気をつけろ」 「ど、どうしたんですか! なにがあったんですか、返事をしてください! エンペラー!」 続いて、爆発音��マヤンの耳が壊れる前に電話はぶつ切りされ、状況から取り残された故の空しい呼び掛けが残り、その余韻も��よいよ無くなると温情とばかりにラジオにノイズが走った。ブレイク三歩手前のバンドミュージックを流していた店内放送は公共の電波に切り替わり、たった今の速報を流す。 『臨時ニュースです、天王寺動物園が爆破されました。被害のほうはまだわかっておりません。近隣の住人はすぐさま避難をお願いします』 なんと他人事な声なのか。繰り返しを聞き流しながら、齢十三は呆然としたままなんとか携帯を落とさないように必死だった。 「一体なにが……」 「なにか……爆発があったとかなんとかって言ってますねぇ」 崔はいつの間にか上着を着ていた。エンペラーどうこうって、ひょっとしてあの? と腕を横に曲げて手のひらをぱたぱた動かしているが、それはペンギンのつもりなのだろうか。 「天王寺動物園は今や彼のキングダムです、そこが爆発されたということは」 言葉はどうしても続かなかった。予測出来た会話ほど無駄な時間があるだろうか。一瞬で誰もが無口になり、焦燥感が追い立てるように神経を焼く。この町で最も静かな場所に違いなかったが、やがて扉のノックが三人を、少なくともこちら側へ呼び戻した。しかしそれが安心できる切っ掛けだとは思えない。 「雲行きが怪しいですねぇ」 眉を顰める崔がちらりと長年の友人を見た。嗚呼、了解、言われなくてもとヴィンセントが扉に近寄る。何者だ、尋ねる前にガチャガチャと言った複数の銃の準備に気付いた。途端に吹き飛ばされたドアノブがマスターキーによるものだと言う認識は後で良い、それよりもまず。 「物陰に隠れろ!」 戦闘力に特化した男の剛腕が、物量が乗った木製のテーブルを倒した。入口を塞ぐように天板を向けたがしかし、食器が割れるよりも先に手榴弾が投げ込まれるのを目撃する。キン、と光が飛ぶような音が耳をつんざいた。 「ヴィンス!」 真っ先に反応出来たのはマヤンだったが余りにも唐突過ぎて体が追い付かない、足は床の凹凸に引っかかって大きくバランスを崩した。勢いのままヴィンセントを倒し、大男は幼い身を庇うために受け身を取らずに少年を抱えて壁際に転がる。後ろにいた崔は奇しくも巻き込まれ潰されたが、全員が部屋の隅でギリギリ爆風を避けたと言うことになった。 まだ晴れない土煙を薙ぐ如く重い一撃が振り下ろされたのも、ヴィンセントが咄嗟に起き上がってバットを握れたのも、片膝に体重を掛けて力任せにスイングしたのも、まるで瞬間的で、脅威は男の横に逸れてぐざんと床を抉った。ちょうど腰の抜けた崔の足元で、動きを止めてようやくごつい斧であることがわかった。ぱらぱらと破片が落ちる音。 「もう勘弁してくださいよ!」 崔が悲鳴を上げながら襲撃者を確認しようと上を向けば、開幕とでも言うように視界は良くなり、そこに蜜のような髪をふわりとなびかせた少女がいた。よくある組み合わせだと思う奴は現実を見たほうが良い、マヤンよりもずっと小さい女性が体格を遥かに凌ぐ斧を使ってこちらを真っ二つにしようとしてきたのだから。彼女は幼い顔立ちで丸く大きな目をしていたが、そこに光は見えず黒い鏡のような球に男を映すばかりだった。そしてまた同じように少女を凝視していた三人の傍へカツン、カツン、誰かがこちらへ近寄ってくる。 「モミジさんモミジさん、早まり過ぎですよ」 名前を聞いた瞬間に、全身が赤の匂いを思い出した。それが秋の葉の色なのか、血の溜まりだったか、判別を拒む程度に遠慮願いたい相手である。しかも非常に信じられないことにだが、やってきた男の声は知っているものだった。キングと呼ばれた男のものだ。 「その女はもしかして……あの……俺らが島で殺した奴か」 ヴィンセントは珍しくしかめっ面で、であるにも関わらずモミジと名称のある少女は静かにこちらを見つめるばかり。 「モミジさんは最近転生したばかりで言葉は喋れないようなんですよ、ご了承ください」 部屋に立ち込めていた砂埃はもうすっかり無くなっている。それでも聞き慣れない言葉を耳から入れた脳は困惑していた。一体何処のファンタジー時空からやってきた方々なのか、そう本気で思えたらどれだけ平静で居られたことだろう、まあ恐らく同時に死んでいるだろうけれど。 改めて確認すると、大斧を持ち必要最低限のプロテクターを身に着けた少女と、ペストマスクで顔の見えない軍服の男がいた。男のほうはやけに嵩張る外套と艶やかな素材で出来た傘を持っている。属性過多。その二人の後ろからもう一人が顔を出した。まだ増えるのかよ。 「やぁやぁやぁ! 皆さん、お久し振り……へけっ!」 うわ。 「いやー、この格好だと『へけっ』まで言わないとたぶんわかってもらえないからなー」 そう困ったように笑う白衣の青年は流石元マスコットの肩書を持っていただけあると言うか、だとしても素性を知っている分腹の立つ顔ではあるのだが、小動物的な愛らしさはあったかと思う。イメージカラーのオレンジが鮮やかだ。 「状況はわかってきたかな?」 「ジャパニーズノベルに帰れ!」 今まで黙っていただけだったマヤンが耐え切れず声を上げた。それでも歯牙にもかけないと彼らは笑っている、いや一人は無表情だしもう一人はマスクを被っているから読み取れないが。 「地獄の閻魔様に復讐がしたいと言ったら、帰してくれたんでね? このチャンスをものにしに来ただけですよ」 東洋の冥界というのは、サボタージュが問題にならないのかな。動物から人間に生まれ変わる確率と言うのはかなり低い、それを少なくとも三回通しているのだからちょっと仏様を信じられなくなる。 「今日はただ遊びに来ただけです。当初の目的は達成していますので」 そのうちまた顔を合わせることになるでしょう、キングは言った。 「今この場で即行二度と顔も見たくないんだけど」 間髪入れずにマヤンは返す。素直で良いことだ、苦い顔の少年にやはり男はさも愉快と息を漏らす。 「人の姿なら殺れるんじゃないんですか、ヴィンス。やっちゃってください!」 「そういう問題じゃないだろ」 「だってあの巨大なクマがその可愛い女の子なんでしょ? なんとかなるんじゃないんですか!」 「さっきの斧結構ギリギリだったぞ?」 「またまた御冗談を」 「恭一さん、ただの女の子が、斧を振り回したりなんか、しない」 ならば試しにと崔はヴィンセントを壁にしながらモスバーグの銃口を少女に向けた。この距離なら当たらないこともあるまい、引き金を引くまでの時間は一秒も無かったがそれを見越していたかのようにキングが前に躍り出て持っていた傘を広げた。随分広い面積のそれはどんな細工を施しているのか全ての散弾を受け止める。崔が短い悲鳴を上げたとき、ヴィンセントは飛び出した。防衛線なら破壊すべき、と、しかし傘の先端に穴が空いているのを見たとき、そして瞬時に火花が散ったとき、なんとか銃弾を受け止めたバットは手から撃ち落とされていた。 「手が早いのはそちらも一緒でしたか」 その声はもう悦を隠すのを止めたようだ。けらけらと明らかにこちらを下に見る態度にヴィンセントがいよいよ声を低く唸らせる。 「……舐められたままでいられるかよ」 「いえいえいえ? しかし、本気になって貰えるのは嬉しいですね」 「命狙われて本気にならない奴がどこにいるんだこの野郎」 「本気を出してもらわなきゃ困りますよ、こちらも狩りのつもりで来ていますので」 「獣が人の姿を持ってから調子に乗りやがって」 その言葉にふん、と鼻を鳴らしたのは公太郎だった。細めた目にわざとらしく上がった口角、彼は耳に残る声で言い放つ。 「調子に乗っているのは皆さん人間のほうじゃないか」 ぎっとヴィンセントが睨み返せばやーいやーいと手をぴろぴろさせてくるので、駄目だこれは低レベルだとマヤンがスーツの裾を引っ張って静止させた。 「あなた方の命は私たちが頂きます。それまで余生をお楽しみください」 キングの右手が高く掲げられると、小気味好く高い音が響く。空気を弾くようなその合図は、遥か彼方からなにかを呼び寄せていた。それがなにか、と言うのは唐突に地層が軋み地下に位置するこのロクでもない酒場が崩壊しそうな揺れと激しい噴射音で、ただ大きなものであることしかわからない。そんな疑問も個室の天井の一角がごりっと盛り上がり穴が空くことで解決する。ちょっと訂正しよう、ロクでもない酒場が崩壊した。 冗談かなにかのように、ペンギンを象った巨大ロボがそこにいた。そうして差し込んだ手のひらにひょいひょいと元動物たちが乗り込み、用は済んだとこちらに振り返りもせずに帰っていく。そういえばロボットと戦ったこともあったな、あれは差し詰め百万ペンギン力と言ったところだろうか、パットが喜んだらどうしよう。ぽっかり空いた大きな穴から飛び去るロボットは憎しみを差し引いても恰好良かった。超絶技巧には付き物な盛大な効果音が聞こえなくなると、今度は結構��雨の音が聞こえる。季節外れにもほどがある夕立だ。 「夢じゃないですよね……」と崔恭一。 「ほっぺでも引っ張りましょうか?」とDB・マヤン。 「死にかけたのは現実だぞ」とヴィンセント・ジョーンズ。 「とりあえずリーダーとみっちゃんにも連絡を取らないと」 「……と言うか、二人の身のほうがよっぽど危ないんじゃないですか?」 「一人だしな」 「特に一松さんが一番危ない気がするんですけど」 「……アリエルがいるだろ?」 「なにはともあれ仲間がピンチなんだから急ぎましょうよ」 「おう、そうだな」 電話番号を探しながら三人は思う。どうか、どうか無事で居てくれと。
◇
ベンチマークの結果はなかなかに良いものだったし、今月中はランキング十位圏内は安定だろう。別に誰かと競争したいわけでもないが、記録は残しておきたかった。楽しすぎて時が止まったかのような感覚だったのだ。無論あくまで感覚の話で現実は足早に動き続け、結局約束の時間の五分後に家を出た。遅刻は確定しているとわかっているが出来るだけ急ごうと思う。半年前から愛用しているマルチボードに乗っかって人の合間を縫いながら最高速度だ。 しかし、JAIL HOUSEまであと十数分というところで。つまりは天王寺動物園を横切ろうというところで、その公共施設から大きな爆発音が聞こえ、パットは足を止めた。今日はなにかのパーティーだっただろうか、だとしたら随分オーバーすぎる花火だけど、領地を区別するための柵の向こうに煌々と燃え上がる火の海を見てしまえばそれは厄介ごとの類であるという認識に変わる。それにあの場所にはかつて依頼で知り合ったエンペラーがいるはずだった。荷物の中からごそごそと取り出すのはペンギン帽子だ。使えるかもしれない、いや使いたいわけじゃないけど、絶対に使いたいとかじゃないけど、念のため。誰に言うでもない言い訳が心に渦巻いているとその出会いは突然に訪れた。 「パーット!」 可憐ではつらつとした透き通る声だった。それは聞いた者の脳に春を呼んで蝶が飛ぶように目の前をチカチカさせた。体温は先走りすぎて夏の暑さだったし、比喩的に空まで跳ねた心臓はびくびくと脈打っていた。そういう体の症状を無視するかのように頭の上からサアと血の気が引いているような気がしている。目の前が真っ暗になりかけた。ここで意識を失ったらどうなってしまうのだろう、考えたくない。それでもパットはぎこちなく後ろを向いた。 見た目は全然知らない女性だった。天使を思わせる純白の髪に鮮やかな青いリボンのカチューシャ。目は大きくてあくまで美しく長い睫毛を持っている、虹彩は深い緑で、白い肌に際立っている。ブラウスは透けたフリルが軽やかで上品なリボンが装飾としてついていてまるでお嬢様のようだ。全然知らなかったが、重なる部分がどうしてもあのネズミを思い出してしまう女性だった。ロマンスの神様、この人でしょうか? 「誰だお前は?!」 これでどうかまったく違う名前だったら良かったのに、彼女はにこにこしながら、えー覚えてないのー、などとからかってくる。可愛い。違う。埒が明かないと思ったのでじりじりと後退りをしたが、柔らかな指がそっと腕を這うだけで鉛を飲み込んだように足が重たくなる。逃げないで。呟いたか、そうではなかったかは定かではないがパットの体は本当に動かなくなってしまった。 「パット、どこにいくのよ?」 全然怖くないちょっと怒った声でパットに詰め寄る。甘い良い香りがした。違う、違う今本当にそういうことはいらない。 「な、何故貴様が生きている?!」 あの時確かに死ぬような目に合わせたはずだった。ていうか一回死んだよな? 赤い糸って地獄まで続くものなのか、マジか、知らなかったなぁ。今すぐ縁を切りたいと思った。そんな心情を露ほども知らずにパットに愛玩的な視線を送る乙女は、やっぱり可愛いわーなどと非常にマイペースである。そこに前ほどの策略は感じられないが、それでも怖いものは怖いのである。年下の男の子に合わせて少し屈み、どうしたのと覗き込む愛らしい顔を見て、気が付いたら周囲が思わず振り向くほどの悲鳴を上げていた。パットの叫び声はそれはもう天を穿つほどで、曇り空からは破裂したように雨が落ちてくる。思春期の仁義無き戦いだった。 思考停止は悪手だ、アドバンテージをどうにか上手く使いたい。本当は金輪際アプローチをしてこないで頂きたいが果たしてこの百戦錬磨を言いくるめられるかと言われると残念ながら自信が無い。昔から女と付き合って上手く別れられた試しが無いんだよな。嗚呼、ここにチームの皆がいてくれたら形振り構わず助けを求めているところだ、最悪こういうのが得意な恭ちゃんだけでもいいから居て欲しかった、自分が遅刻したのが悪いんだけど。仕方ないからせめて時間を稼ごう、そうせめて皆に会いに行って対処を考える時間を、そしてチームを揃える時間を。ここまで1.4秒。 「……二十四時間」 臨戦態勢と言うべき状況に女はくすくすと笑うだけだった。潰したい、こいつを潰したい。 「二十四時間、俺になにもするな。関わるな」 「本当にいけずなんだから……そういうところも好きよ」 彼女はぱちんと器用にウインクをしてから、目線を外して考え込んだ。濡れてしまった細い髪が肌に張り付いている。暗い所にいたら幽霊と勘違いしてしまいそうだった。いや、幽霊かもしれないけれど。 「まぁでも、また会うことになると思うわ」 そう告げると、彼女は後ろを向いて花びらのような手をひらりと振りながらようやく離れて行った。凍っていた体が自由になると、パットは反射とばかりにチーフスペシャルを取り出して乱射したがやはり、まるで当たることはない。やっぱり幽霊なのではないか。スカートの裾が揺れて疎らで灰色の人ごみの中に消えていく。雨は落ち続けて、落ち続けて、道はどす黒くなっていた。 少年は大きく息を吐き出したが、動悸が収まる気配は無いようだ。いっそ心臓を取り換えることが出来たら良かったのに、彼女の笑顔が刻まれた脳みそだけ切り取れれば良かったのに。呪いのような愛だ。
いつまでも濡れているわけにはいかなかったので軒下に潜り込めば、忍ばせていた携帯が鳴った。待ってた。相手を特に確認せず、パットは電話を取る。 「大変だ! 奴が! 蘇った!」 「嗚呼、そっちもか……」 疲れたような声をしていたのはヴィンセントだ。そのすぐ傍でマヤンと崔が生きてた良かったなどと喜んでいるのもわかる。死んでたほうがマシだったかもとは言い辛い。 「こっちもな、ちょっと色々変なことがあったんだよ。蘇ってきたような……人間型のペンギンに、人間型のネズミに、人間型のクマが」 「落ち着いてください、今までの仇敵が何故か知らないけど人になって戻ってきたんです」 擬人化って夢があるけど、これは悪夢です。マヤンが訴えるように言った。 「なるほど、擬人化が得意なフレンズが蘇ったと言うことだな、すごーい!」 「やばーい!」 お子様方は半ば自棄になっている、と大人二人は思う。島に行ったときからなんだか二人が狂いだしている衒いがあるが大丈夫だろうか、崔とヴィンセントは無言で相談していた。リーダーは元から狂ってた気がしないでもないが。 「ま、まさかとは思うがその敵の中にあのクソマスコットはいなかっただろうな?」 「……正直なところ、全員蘇ってても不思議じゃないんじゃないか?」 「待ってください、全てが蘇ったって言うんなら、一松さんが危ない!」 「アリエルがいるから大丈夫って言っただろ」 「お約束かと思って」 大変だったと言う割に電話の向こうは楽しそうだった。それにしても、一松がいないのか。でも問題ないだろう、アリエルがなんとかすると俺でも思う。むしろ敵と相打ちになってあわよくば死ね。たまに肉盾として蘇ってくれ。 「アリエルがボコボコにされてたら嫌でしょ? 急ぎましょうよ」 「お、おう、じゃあ車出してくれ車」 はーいと良い子の返事をしたマヤンがフェードアウトしていき、鍵ちゃんと持った? 大丈夫? と崔が再三確認していて、ヴィンセントはそれじゃあ沙京で一松を探そうと言って通話を切った。 「もう、やなんだけどあいつら相手にすんの」
◇
いつも持ってるジッポーを忘れたのだ。特別に思い入れがあるわけではないけれど、なんとなく身近にあったものだから無いと落ち着かなかった。無視も出来る軽い理由で後戻りの面倒臭い帰路を辿ったのは何故だろう、胸騒ぎがしたからだろうか、ちょっと遅れたくらいでは気に留める人はいないと思っていたのもあって、一松は自宅と言うにも憚られる居住地へ引き返していた。空は一雨来そうな面持ちで冷たい水を吐き出さんとばかりに鈍い色を広げている。ずっと外にいるわけにもいかないと空気を確かめながらふと、焦げた臭いが鼻を突いた。沙京で火を使った形跡なんて悪い予感しかしないし、余計なものは見たくないと避けて通っているにも関わらずその不穏は徐々に近づいてくるのが気に掛かる。そう、悪い予感がする、自分の身に降りかかる予感だ。 果たしてそれは的中する。狭い路地裏は炎を抱え込んでやけに明るく燃えており、一松が寝床にしていた鉄製の檻が熱の揺らめきの隙間から僅かに見えた。ぬいぐるみを詰めていたのだからさぞかし火が回ったことだろう、気まぐれに集めていたものだったけれどこうも儚い別れになるとは。頭のほんの隅っこで考えながら、炎の前に立��男とその足元に倒れ込んだ恋人のアリエルを素早く確認した。ここを離れたほんの十数分でなにが起こったのか見当も付かない。 「君は誰だ?」 ある程度の距離を詰めて、捻らずに声を掛けた。彼が振り向くとタイミング良く装置を起動したかのように突然強く雨が降り始めた。痛みにも似た寒さは周囲を凍らせて緊迫を育てる。 「お前に復讐しに来たんだ」 そう語る彼の姿は、まあ彼と言うからには性別は男で、大体同い年くらいに見える。中国系なのかもしれない辮髪と虎の刺繍の入ったスカジャンより、唯々こちらを睨みつけてひび割れたように歪む表情だけが夢に出てくるレベルで印象的だった。正直こういうのは得意じゃない。ここ最近アリエルに致命傷の与え方を教わりはしたがまだ頻発出来るほどじゃないし、そのアリエルは地に伏せている。そういえば地に伏せている、大丈夫だろうか? 「悪いけど覚えてないね、恨まれるようなことはたくさんしてきたし」 かと言ってこの手の輩を上手く切り抜けるための手札は無かった、そりゃ勘弁してほしい、家が燃えてるのを確かめてまだ一時間も経ってない。放火犯であろう男は、呆れたような表情も滲ませながら言葉を返した。 「そうだろうな、お前は極悪人だ。心当たりなんて腐るほどあるんだろう?」 小さく頷いてやれば反比例する如く溜め息を吐かれる。その息は怒りのままに震えていて、獣の唸り声のように不明瞭に呟く。なんだかおかしいなと思ったけれど、感情がそれしか感じられないのがどうにも人間味に欠けているようだ。 「俺の母親はお前との決闘で負った傷のせいで亡くなった。父親もだ、あの日お前が天王寺動物園に来なければ……!」 「嗚呼、そう言われれば見たことがある気がするけど、それだけ?」 彼の目が怨嗟で濁った。黒目がちのその瞳が人間のそれではないと言うことに気が付くと納得も出来る、何故ならば不本意にも害獣専門になりつつある亜狭チームが自分の所属する青空爆発ドッグスだからだ。それもあの夏の日を思い出す滲むような暑さと殺意を向けられれば結成当日を思い出さないのも無理な話だろう。良い日だった。だけど親が後から死んだ責任を取れと言われても困る、昨今親を殺される話も親に殺される話もよく聞く。大体私がなにをしたと言うんだ、ほとんどなにもしてない。猫に気に入られる性分と言うのも考え物のようだ。 「畜生共の恨みねぇ」 こいつはトラだと一松は理解した。 「畜生と言うのは、ちょっと違うな」 見ているこっちが引き攣りそうな顔面をしながら彼は言った。どういう意味か、尋ねようとしたところで落方に巨悪の影が見えた。激しい雨が遮るこの距離で見えるのだから大したものだ、ちょうどミナミのほうにロボットが降り立っているのがわかった。それがペンギンなどとふざけた外見でなかったらなんか面白いことが起きてるなと勘違いしそうなくらいに非日常だ。馬鹿みたいに豪勢な地響きに揺られながら、もしかしたらあそこはJAIL HOUSEかもしれないと感じた。 「そうそう天王寺動物園は爆破したよ」 「へぇ、派手なことしたね」 「俺は興味なかったけどな、あそこにはキングの敵がいるし」 ペンギンと来たから絡んでるかと思ったけど嗚呼やっぱり。あとハムスターがいるな。最悪で熊も追加だ。振り返っては改めてトンデモな事件に巻き込まれていたと眩暈がしそうだ。 「まぁ今日は挨拶だけにしておけとキングが言っているからな、この辺にしといてやろう」 「猶予が貰えるならこちらとしてはありがたいけど」 「猶予じゃない、これは狩りだ。獲物をじわじわと追い詰めて本気で怯えたところを仕留めたい」 「じゃあ今度は本気になれることを頼むよ」 「……そうだな、今度は本気にさせてやる」 彼は刺すような視線を残しながら、かつてそうだったのだろう虎の如き身のこなしで建物の高いところまでジャンプするとそのままビルの陰へ隠れていった。雨音がようやく耳に入り込む沈黙が出来て、自分がずぶ濡れなことにも気が付く。見慣れた路地裏は天上から落ちる雨で炎が消えていて黒く焦げているばかり。もう判別の出来ない綿の塊と随分壊れかけていた檻の破片がちんまりと置き去りになっていた。明らかな、二度と使えないのだという無言の訴えだ。 「アリエル」 思い出したように、というかあのトラを前にして油断できなかった分、放置してしまっていた恋人の名を呼ぶ。どうしてここにいるのかはわからないが、やはり青年の手によって致命傷を負ったのだと思う。品の良いブラウスに血の色が大きく染み込んでいる。皮膚は色を失くして氷のようだったし、体の力は全て抜けていて、か細く呻いたきり眉一つ動かさなくなって十数秒。死んでほしくないなと思った。実の所、これは彼女の気の迷いでそのうち自分に飽きて離れていくか殺されるかされてるだろうと予想していたけれど、半年の間に随分絆されていたらしい。滴る赤い髪を撫でながらゆっくり、柔らかい体を楽なようにしてやってから横に抱く。気を失ってるのだから支えてくれる手は伸びない、それでも彼女を運ばなければならなかった、なにせここに治療できる設備がない。あってもちょうど燃えて朽ちたところだ。最近の若い女の子は軽い、これくらい大した労力じゃないさ。
◇
JAIL HOUSの中はやはり騒然としていて、ただでさえ人がゴミのように集まっているのに混乱する者は混乱して、固まる者は固まっていて、とにかく脱出までに時間がかかった。地下から這いずり出ても先程までロボットが現れていた現場である、この雨でこの野次馬の多さは呆れかえるほどだ。小さな体を駆使して群衆をすり抜けシトロエンに乗り込むと、マヤンは少々オーバー気味にエンジンを吹かし周囲を散らした。見計らって、ヴィンセントと崔が後頭部座席に座る。それからは轢いても構わないようなスピードで町を駆け抜けた。 ヴィンセントは携帯を持ったまま珍しく煙草に火を付けず、というか付ける暇も無いのだろうが、リーダーと違ってまるで出る気配のない一松に対して焦っている。崔は肘を膝に乗せて前屈みになって眉を顰めているが、その内車酔いでも起こすのではないだろうか。マヤンは面倒な事故を起こさないように視界を確保しようとしているが、ワイパーで何度上下しても力強い濁流にはまるで敵いやしない。ミナミの人通りはこの時間帯にしては多いようにも思えるし、酷い雨のせいか少ないようにも思える、ただ車で出掛けようと言う人は多かったのだろうとなかなか進まない大通りに苛立ちながら、場違いなバラードが流れるカースピーカーと単調な呼び出し音だけが狭い車内に響いていた。 そんな道から横に逸れて十分、目を凝らせばようやく沙京の橋まで一直線。思い切りアクセルを踏もうとしたところで見つけたかった女性を見つけ、マヤンは驚いたように声を上げた。急なドリフトは成人男性をも揺らし、耳障りな音を立てながら通りを遮るようにシトロエンが横になる。確認するように崔も助手席にしがみ付きながら身を乗り出し、みっちゃんだ、と呟いた。 突撃せんとばかりの車の目の前に、彼女はそこに現れた。真っ赤な髪も濃い色のパーカーも濡れて色を暗くしていて、長い時間外にいたのだということがわかる。肌を伝っていく雨のせいで泣いているようにも見えたけれどこちらが想像していたよりもずっと落ち着いた顔をしていた、いや一松はこんな奴だったかもしれない。ヴィンセントが鳴らすコール音にワンテンポ遅れて標準から変えていない着信音が鬱陶しく響いていた。携帯が取れなかったのは両手が塞がっていたからだと一松の腕の中でぐったりとお姫様抱っこされている血塗れアリエルを見て思う。春の嵐は花の蕾を断つ勢いでざくざくと轟いていた。 「一松さん!」 窓を開けてマヤンが叫んだ。すぐに発進出来るように握られたハンドルに伝うのが雨なのか汗なのか、正直よくわからない不快感だった。 「どうしたんだ一体」 ちょうど沙京側に座っていたヴィンセントが車から飛び降りると、ようやく��松は視線を合わせる。ぐっしょりと水を吸った背中を押すように歩くのを促し、ドアの前まで近付いてから彼女は運転手に聞こえるようにはっきりと声を出した。 「細かい話は後にしてくれ、病院に行きたい」 ドアが開くと、大きな体を屈ませたヴィンセントは中に座っていた崔に詰めるように言ってから自分は助手席へ移動した。崔は言われた通りに端に身を寄せながら、濡れた二人分の体が座った車の中が冷えていくのを感じていた。少しの間外へ出ただけのヴィンセントの肩も雨に打たれて重たそうだ。本当に随分な雨天である。一松がそっとアリエルの体を抱き寄せたのは、寒いせいだろうか、心細いからだろうか、誰にもよくわからなかった。 「飛ばしますよ? 乃木クリニックでいいですね?」 「嗚呼、構わない」 大きい病院なら他にもいくつかあるが、自分たちのような半端物を見てくれる医者と言われれば非常に限られている、どころか一ヶ所しかなかろう。シトロエンは来た道を引き返して宣言通りの猛スピードでミナミを走り始めた。
一方でパットは、既に沙京に着いていて至る所へ奔走していた。しかし大した当てもなく人を探すというのは難しいもので、全く一松を見かけることが出来ずにいる。そもそもどこに住んでるのかも知らなかったしどこに行く人なのか���知らない。いや、前にいろんなところほっつき歩いてるとか言ってたな。なにも参考にならないじゃないか。本当に居ねぇ、何処だ何処にいるんだ。向かい来る大量の雨粒に打たれながらマルチボードを走らせていると実に偶然にも知っている気配のするシトロエンと並走し始めた。流水の隙間から見えたマヤンの金色の目が鈍い光を映したのを確認し、パットは声を張り上げる。 「一松はどこにいるか知らないかっ?!」 マヤンが一瞬呆けた顔をした。それから車の前方についているいくつかのボタンのうちの一つをぽちぽちと押すと。 「ここにいるけど」 右側の後ろ座席の窓から至って普通に一松が出てきた。 「えっ」 「もう後ろに乗ってるぜ」 「えっ?!」 ヴィンセントの対応はあくまでフランクで、逆に軽すぎてすっと力が抜けてしまって体重の掛からなくなったマルチボードが減速していった。驚いた拍子で飛び出た声がそのまま長い溜息と共に情けなく洩れていく。シトロエンは何事も無かったかのように走っていき、ついには濃い雨の壁に遮られて姿を消してしまった。どうせ定員オーバーで乗せてはもらえなかっただろうしかしこの仕打ちはなんだ。人間、努力の甲斐がどこにも求められないとなると遣る瀬無さが煮えてくるものである。パットは愚痴を零さないように努めて携帯を取り出した。運転しているのはマヤンだし行先も知っていることだろう。彼がすぐに出てくれたのは救いだった。 「どこに向かってる?」 「今は乃木クリニックに急行中です、特に指示が無ければリーダーもそちらにどうぞー?」 「あ、はーい……」 すぐに切られてしまうのは罪だろうか罰だろうか。頬を伝うのはただの雨だ、そうであってほしい、肯定してくれる人が誰もいない、辛い。必死に探したのに。辛い。濡れて肌にべったりと引っ付いた服がなお重く圧し掛かってくる。不幸に温度があったらきっとこんな感じなんだろう。あまり切らないでいた厚みのある髪が顔に張り付いてくる頃に、パットはもう一度歩き出す気になれた。マルチボードを起動させてのろのろと上に立つと、全てを振り切るかのような最高速度で指定された場所へと飛んで行った。 かくして、乃木クリニックには五分で着いた。入口にはクローズの札が下げられていて、明かりの消されている待合室は先生も看護婦もいるとは思えなかった。まぁ、亜侠が来るべきはこちらではない、そう思って裏口に回ったもののしっかりと鍵が掛かっていて入り込めそうも無い。おや、これはあれをする機会ではないか、パットはマルチボードの高度を徐々に上げていき、ついに二階の窓へ到達すると顔を交差させた腕で庇いながら「ダイナミックお邪魔します!」と叫んでガラスを打ち破った。派手な音が清潔感のある廊下を抜けていく。ここにも誰かがいる気配はないが、しかし階段の下から蛍光灯の光が漏れているのが見えた。みんなは一階にいるようだ。パットは一歩一歩に水溜まりを作りながらそちらへ向かった。
◇
乃木太郎丸と言えば年下の美形の男の子が好きと言うのが有名な話で、詰まる所ドッグスにはあまり優しくない印象があったのだが、今日に限っては顔を見るなり神妙な面持ちで小言の一つ無く中へ入れてもらえた。前に話をしたときだってここまでスムーズじゃなかったのに、とマヤンは思いながら誰よりも先にアリエルを抱えて車を降りた一松に声を掛ける。 「一松さん、なにはともあれ急いで」 「……言われなくても」 彼女の恋人は本当に助かるのか不安になるほどに動かず、怪我をしたところから血が滲んで全身を真っ赤にしていた。一松は腕が汚れていることも厭わずに先生の横を通り抜けていった。扉の横にはヴィンセントが愛用のバッドを構えながら周囲を警戒していて、あとの二人が入ってから外を睨みつつ中へ入る。それを確認してから先生も度が過ぎるほどに辺りを確認し、音がしないように扉を閉めた。 「随分物々しいですね」 「そりゃあ急患ですし?」 崔とマヤンが一言交わすと、先生は呆れたように溜め息を吐いた。顰めた眉こそいつもの面倒くさい彼だったが、視線には憐れみの情が見える。どういう意味だろうとヴィンセントは首を傾げた。 「君たちがここに来るとは……っ!」 「なんだ来ちゃいけないのか」 低く尋ねたのは一松だった。そこにあったストレッチャーの上にアリエルを乗せながら、細い目を彼に向けている。 「君たち状況を分かってないのか」 「なんか不味かったんです?」 マヤンが尋ねると、先生は黒い長方形を押し付けてアリエルを手術室へ運んで行った。それはリモコンだった、おそらくは部屋の隅に置いてあるテレビのものだ。電源の赤いボタンを押すと昔からやってるニュース番組の速報が流れていた。アナウンサーがぼそぼそとなにかを喋ってから、パッと画面によく知っている顔が映る。それは紛うこと無く自分たちだった。トランク二個分の懸賞金でキングが探しているということまで教えてくれた。 「あーそういうことか……気に入らねぇなあのペンギンは」 非常に不機嫌な声でヴィンセントが吐き出す。手術の準備をするために一旦戻ってきた先生が口を挟んだ。 「それに付け加えてあのロボットだろ? 大阪中大騒ぎさ」 「まぁ沙京からでも見えたしね」 一松はあの光景を思い出しながらテレビを眺めている。 「君たちは今世界の敵になってるんだよ」 世界の敵。細々と動物と戯れてきた自分たちが、よもやその肩書を手に入れることになるとは思いも寄らなかった。崔が眉間の皴を深くした。 「こうも大々的にやりますか。キングが懸賞金を掛けたなら厄介ごとが舞い込んでくるでしょう、さてどう動きますかね」 「……車に乗ってる奴らの顔なんてそんなに見ないだろうが、今後は気を付けて行かないとな」 マンハントとして自分たちを狙う亜侠どもが襲ってくることがあるだろう。それらを対処しながらキング率いる動物園を倒しに行かなくてはならない。身の隠れ方と、対峙するであるロボットの情報、彼ら個人の詳細も必要だろうか? マヤンは一松のほうを見た。一松もマヤンを見て、まぁ頑張るよと呟く。 「それに仲間の大事な奴も傷付けられたわけだしな」 ヴィンセントはぴったりと閉められた手術室の扉を見つめながら言った。どこからかつまみ出してきたバスタオルを頭にかぶって体を拭く一松は冷静に見えるが、心中穏やかなわけがない。押した背中が震えていたことは、触ったヴィンセントだけが知っている。ふと崔が見上げた時計が夜の九時だった。そろそろ寝ないと明日の朝がきついだろうか、窓の外はそれなりに暗く、結構な時間が経っているようだ。騒ぐわけにもいかない状況の中で彼がキョロキョロと外を観察している。 「そろそろリーダー来るんじゃないですか?」 ガシャン、と聞こえたのはそれが言い終わるか終わらないかというタイミングだった。叫びこそしなかったものの崔の肩は跳ねたし、その拍子で落としたモスバーグを即座に構えるのを見てマヤンも無言でカラシニコフを用意した。一松もそっとベレッタを取り出し、ヴィンスは迫りくる足音を仕留めようと扉の横でバッドを振り下ろさんとしている。それはぴちゃぴちゃと水滴を滴らせ、雨の匂いとともにゆっくりとこちらを探しているようだった。廊下の一つ一つの部屋を確認しているのか、開けては閉める扉の音がする。いよいよこの部屋の前、と言うところでヴィンセントがバッドを振り下ろした。 「ふぅ、えらい目にあっ」 扉を開けたパットが即座に息を呑んだのは自分に向けられる三つの銃口と硬度を感じるほどに近付けられたバッドのせいである。 「た」 「おっ……と」 危ない危ないと呟くのは、まさに致命傷を与えようとしていたヴィンセントだった。リーダー殺害未遂二度目だ。慎重にバッドを横に逸らしこっそり心臓を痛くしている。 「なんだ、リーダーじゃないか」 務めて冷静に言ったつもりだったが、ぎぎぎと緊迫したまま固く視線をこちらに向ける少年の顔は真っ青で気の毒だ。息が出来ているかも怪しい。ぼたぼたと床を濡らす雨の味はおそらくしょっぱいと思う。他の三人があれ? と銃を下ろしても、しばらくパットは動けないでいた。 「トランク二個って割高じゃねぇか?」 先生はぼそっとそんな評価を下し、清潔のための衣類に着替え終えた。やれやれと言った面持ちで体を石のようにしたパットを見つめる。崔は、いやごめんねと苦笑いをしてモスバーグをコートに隠し、一松はばつが悪そうに視線を逸らした。マヤンは言い訳も謝罪も言うタイミングを逃したような気がして、気を取り直して先生に振り向く。 「そういえば乃木センセイ、素朴な疑問があるんですけどいいですか?」 「おう、なんだ?」 褐色肌のショタが猫を被っている姿がお気に召したのか、先生は急ぐ足を止めて対応した。疑問が至ってシンプルで、巨大ペンギンロボットの被害はどの程度かと言う話だ。それは、JAIL HOUSが一軒潰れただけだと言った。続けて崔が盟約の動きはと聞いた。被害があったのがミナミであることと、狙いはあくまでも青空爆発ドッグスであるということで、今のところ動いてはいないらしい。中立地帯を上手く利用されたって感じですねぇ、マヤンが一通りを聞いてぼやく。 「しかも被害がジェイルハウス一軒ってことならこれはたぶん警告みたいなもんだろうな」 ヴィンセントがようやく煙草に火をつけ始めた。マールボロの丸味を帯びた苦い香りが彼の周りを漂う。 「復讐銘打っておきながら完全にどたま冷静じゃないですか、一番嫌なタイプだ」 マヤンが露骨に嫌な顔をしてまだ手に持っていたカラシニコフで遊び始める。そのままパットに顔を向けて、リーダーはどうする? と聞いてきた。要するに作戦会議の時間だった。まずは移動しやすいように人の目を欺く手段を見つけるべきだろうか? あるいは敵を知るべきか? 一松の壊れたアジトもどうにかしなければならないのか。当面の問題は尽きず、五人はやがて疲労によって落ちるように眠っていった。
◇
「ま、それが人間の狩りと言う奴だろう」 冷たい空気が漂うのは、ここが日の当たらない場所で、金属に囲まれているからだろうか。尤もそれを気にする者はこの場には居らず、四人の人物が離れたところから会話していた。仲間ではあるが仲は良くない距離である。一人の青年が長く垂れた髪を逆立てるように唸る。 「でも、それをやる必要があるか?」 「大切な人を奪われる辛さは君がよくわかってるんじゃないかな?」 白衣を着込んだ男が確認するように言った。ねぇ、君もそう思うだろ、と人形のような佇まいをした少女にも尋ねるが、彼女は一切の反応はしなかった。ただ、これは呑み込んでおけと言うように青年をじっと見つめる。 「お前の恨みだけを晴らすわけにもいかないんでな。それに、これからもっとたくさんを巻き込むだろう」 ペストマスクの下で男が笑う。彼らにとって青空爆発ドッグスとは念入りに殺さなければならないと同時に最初の踏み台であった。これからオオサカを地獄にするようなヴィジョンが彼らにはあるのだ、たかだか人質を躊躇っている場合じゃない。 「上手くやってくれたまえよ、どうせあいつらは行動を起こすだろう。こちらも妨害しなければな」 「……俺はあいつらだけ狙うからな」 青年は素早く身を翻すと、瞬く間に外へ消えてしまった。残った三人の内ペストマスクと白衣が嘲りながら顔を見合わせる。 「しょうがないなあいつは」 「今更人間を庇ったってしょうがないのにね。まだ動物園が恋しいのかな?」 「パパとママが死んで寂しいだけだからな。私とは違うさ」 「ひっどいこと言うね、キング」
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2017.08.22 夏を捨てる。
このブログ、超てきとーに5ヶ月くらい放置しておりましたが、ひさしぶりに更新しようかと思いまして。というのも、今夏、体調不良でまったく動けず、ただひたすらにごろごろとするばかりの怠惰な日々を送っております。関係各位には大変、ご迷惑をおかけしております。
また、病名が判然としなかったり、不定愁訴が続いたり、禁煙したせいで顔色が良くなった&太って「ぱっと見、前より健康そう」でつらさがまったく伝わらず、「ナガコ、仮病なんじゃないか」説が流布されるなど、散々な感じになってまいりましたので、ここに改めて状況をお知らせしておこうかと。
まず、私はもともと呼吸が弱くて、ストレスが溜まると過換気症候群になるんです。それなのに全然タバコやめないっていう、しょうもない生活習慣のせいで今夏大変なことになるのですが、先に説明を進めます。
昨夏は、呼吸ができなくなったり、喉の狭窄があったりで、3回倒れまして。それは過換気と熱中症のコンボ技なんですが、今年はそれが、5月早々にきた。ですが、なんだかいつもと違う気がして、主治医と相談して呼気力検査してみたら、『COPD 肺年齢95歳以上、重症(4ステージのうちの3番目)』というトンデモない数値をはたき出しまして。我が肺、ほとんど死んでおります。診断は、慢性閉塞性肺疾患、通称タバコ病ってやつです。
実際、これがつらい。呼吸が浅く、吐ききれないし、吸えない。主治医曰く、富士山頂で生活しているようなものとのこと。しかも、胸が痛い、重い、ずっと首絞められているかのごとく。喉もつかえていて、気道にタバコの煙がもくもく充満している不快感、咳。ひたすらに胸を抑えながらゼイゼイする中、さすがの私も観念し、タバコやめました。
COPDのパイセンで鼻からチューブ入れているでお馴染みな人物といえば、桂歌丸師匠ですが、彼も2回罹っているようで。
桂歌丸が入院!死よりも恐ろしい慢性閉塞性肺疾患(COPD)とは? - NAVER まとめ
まさしく、この歌丸師匠クラスの数値を若輩者のわたくしもはたき出したわけですが、主治医曰く、「年齢的にもキャリア的にも、43歳で毎日1箱タバコ吸っている人間の数値とは思い難い」とのことで、肺がん検査をしたところ、無事発見されませんでした。
しかし、タバコをやめてもまったく症状は良くならず。酷暑や湿度に乗じて、肺が潰れそうになる。血液検査、尿検査で発覚した貧血と低血糖もあいまって、めまいと立ちくらみで一歩も歩けなくなる。しかも暑いから全然やる気でない。他にも原因があるとするならば何なんだということで、今度は胃カメラ検査。食道や胃が荒れていると、胸痛がでる人がいるそうで、私もそうかもしれないと。結果、食道がんも胃がんも無事発見されず。ただし、だいぶ荒れているようで、逆流性食道炎と胃炎のコンボ診断をいただきました。そして、私の食道は「食道がんになる人の食道」だそうで、年に一度必ず胃カメラ検診しようと、主治医と約束しました。
ここで、一旦、整理します。私の体調は、西洋医学的には、慢性閉塞性肺疾患、逆流性食道炎、胃炎、貧血、低血糖、です。それぞれに投薬治療しつつ、大人しく静養するしかないとのことで様子を見ているのですが、肺のためにタバコをやめたように、食道や胃のために控えなければならないものが、当然ながらあるわけです。それは、私の愛する嗜好品である、アルコール、激辛料理、カフェインです。
神様、マジか。ニコチンもアルコールも激辛もカフェインもない人生なんて、何が面白いのか。死んだも同然ではないか。いや、これ今まで通り摂り続けてたら死ぬわけで、COPDは神様がわたくしに与えたもうたドクターストップ的健康ギフトだったのではないか。いやいや、人間なんかどうせみんな死ぬのだから、1日5箱くらいタバコ吸って、蒙古タンメン中本の北極ラーメン10倍辛を3食食って、ガンガン酒飲んでコーヒー飲んで多幸感に包まれながら死ねたら本望だ。
いやいやナガコちょっと待て。そもそもおまえの今の不調って、全部、ニコチンとアルコールと激辛とカフェインに依存しすぎる生活習慣の慣れの果であって、そのせいで苦しんでいるわけだから、とっとと改善しろや。ダイorストップ依存症! そもそも、酒の飲み過ぎで自律神経ぶっ壊れて睡眠障害になって毎晩薬飲まないと眠れない女が、御託を抜かしている場合か。偏頭痛も肩こりも耳鳴りもめまいなどの不定愁訴の原因も、生活習慣由来のただの自律神経失調症だって、おまえ自分でわかってるだろうがよ!
女性に多い症状「不定愁訴」っていったいどんな症状なの? - NAVER まとめ
すべてにおいて、過剰摂取。睡眠3時間前にお酒を控えるといいと言われても、できない。気絶するまで飲んでしまう。しかし、年貢の納め時がきたようで、わたくし、一念発起して、ニコチンと共に、アルコールと激辛とカフェインも、いっぺんにやめてみたんです。つらい決断ですが、もう若くない自分の体をなんとか立て直したい一心で、頑張ろうと。そして、ただ肉体がつらいだけの日々ではなく、一層深いところで脳が悶絶する、過酷な日々が始まったのです。
なんと、わたくしライターの分際ながら、文章が書けなくなってしまったのです。うまくまとまらないというレベルじゃない。一行も書けない。一言足りとも、出てこない。どういうことか。私、くわえタバコのチェーンスモークで、コーヒーがぶ飲みしながら執筆していたのですが、我が脳では、考えながら書き進める行為とニコチンやカフェインを摂取する際の脳内ホルモンがセットになってしまっていたようで、脳内ホルモンが伴わないと執筆がままならないという事態に陥ってしまったのです。
これには本当に、驚いた。いわゆる禁煙鬱や離脱症状の一種なのでしょう、が、タバコやめて文章が書けなくなるライターって、職業として終わっているだろうと、己が情けなくて情けなくて、ボロボロ泣いてしまいましたよ。こういうブログやSNSのような、おしゃべりの延長線にある文章ならいくらでも書けるのですがね、しっかりと考察し、内容を精査したうえで、読んでくださる方々に責任をもってメッセージを届ける仕事の文章に限って、書けない。今は、誰でも言葉のメッセージを発表できますが、執筆で飯を食っている者にとっては、ブログとコラムはまったく別物です。このブログは私がペラペラ独り言をしゃべっているもので、創作物としての読み物ではない。
また、なぜか、喋る仕事は、できるのです。毎週月曜日は渋谷のラジオ「道玄坂爆音部」に出演させていただき、16時すぎからはお天気予報をお届けし、その後、メインパーソナリティのカワムラユキさんと楽しくお話させております。この機会がなければ、ずっと家に引きこもっていたと思われますので、大変ありがたいですし、今、自分が唯一の張り合いを感じる場所が、このプログラムです。感謝。
しかし、家では、アルコールも一時的にやめたところ、文章だけでなく、いつも普通にできていることが、できなくなってしまった。例えば、歯磨き。毎朝のお味噌汁。本を読んでも、内容が把握できない。しょうがないからiPhoneでTwitter見たりキャンディークラッシュやったりしているうちに8時間くらい余裕で経過してしまう。眼精疲労もまた体調不良を悪化させる。
依存と離脱鬱のメカニズムにより、脳がまったく動かなくなってようやく、これまでどれだけ脳を活発にさせる嗜好品に依存してきたか、思い知らされました。おそらく、退屈だったのでしょう。刺激を過剰に摂りすぎて、脳を酷使しすぎた。よってこの度の体調不良は、神が私ではなく、私の脳に与えたもうた休息なのではないかと。
しかし、OK、わかった、改善しよう、と頭で考えても、体がついていかない。何をどうしたらいいのか、考えも行動も及ばない。日本橋ヨヲコ先生の漫画『少女ファイト』には、あらゆる依存症を抱えた女子の食事、睡眠、トレーニングを、バレー部の寮生活で徹底管理する『金糸雀高校』(通称:女子刑務所)が登場するけれど、そういう民間施設、どこかにないのか。戸塚ヨットスクールとか? 医療系の施設はあるけれど、高額なので、貧乏者が気軽に使用できる代物ではない。
さて、どうするか。動かない頭で思いついたのが、「頭を動かしたい」というしょうもない一言で。とりあえず、タバコだけはやめつづけ、コーヒーは脳がしゃっきりするので一杯だけなら飲んでよし。酒も飲んでいいけど寝る3時間前で切り上げる。激辛はちょっとした自傷活動の側面もあるから月に一度まで。すぐ「店で一番辛い35倍」とか注文するのやめる。塩分や味の濃い食べ物を控える。などなど、緩やかに、少しずつ、改善しようと。
できれば、規則正しい朝型生活を定着させたいのですが、それとこれとは別の話として、酷暑によく倒れるので、夜の方が過ごしやすいんですね。なので、秋が来るまでは、できる範囲より生活習慣を変える努力一点に集中するために、この一夏を使い捨てようと腹くくった次第です。
各位いろいろご迷惑おかけして申し訳ありません。全ては己の不徳のいたすところですので、ほんと、自己管理ができずにお恥ずかしい限りです。が、私は大変苦しい思いをしておりますが、肉体が健康に向かっていることは確かで、実際にご指摘される通り、「ぱっと見も中身も、前より、全然健康」です。これからも、自分らしい遊び心を重視した生活を営んで参りたいので、今後ともみなさまよろしくお願いします。
外でお酒を飲む機会は減っておりますが、週一くらいは楽しくみんなと飲みたいので、ぜひ、誘ってください。そして、明日からは4泊5日で沖縄旅行に行って参ります。全然働いていない分際で誠に恐縮ですが、一旦リセットするためにも、思い切って妹たちの旅行についていくことにいたしました。リフレッシュしてきます。
と、いうわけで、近況報告含めて、昨日、久しぶりに外で朝まで飲み、泥酔してなぜか電車で帰宅し、順調にiPhoneをなくすというしょうもなさに拍車がかかる展開を招いたおかげさまで、すみません、私、電話通じません。今日日iPhoneも持たずに旅にいくのは心許ないのですが、煩わしい世俗より私を切り離し、リフレッシュの精度を高めるためにわざわざ神が取り上げたもうたのだと解釈して、全力でチルって参ります。
そして、帰ってきたら、原稿を書きます。
タバコの吸いすぎで肺病んで、タバコやめて太った、ものすごい簡単な構造のナガコを今後ともよろしくお願いいたします。
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【小説】満ちない (上)
夢を見ていた。
大好きなあの人と、雪のちらつく夜の街を歩いている。
うっすらと雪が積もり始めている道を注意深く歩きながら、背の高い彼を仰ぐことは難しい。私はちらりちらりと彼を見上げるが、不思議と鼻くらいまでしか視界に収めることができない。目を合わせることなど不可能だ。あの貫くよう��真っ直ぐな瞳に見つめられるのかと思うだけで、盛大に転びそうになる。
どこかへ向かって歩きながら、彼と話をしている。けれど夢の中は不思議となんの音も聞こえない。何を話しているのかはわからないが、私の口の動きに応えるように彼の口元も小さく動き、本当にときどき、微笑む。力が抜けて気が緩んだような彼の笑みを見ていると、しゃっくりでもしたように胸の奥がぎゅっとする。
隣を歩く彼の左手が、ほんの少し手を伸ばせば届く距離にふらふらと揺れていて、私はそれに触りたいと思う。でもどうしても、触れることができない。勇気が出ないのだ。触れてしまえば、きっと彼をびっくりさせてしまうだろう、と私は考えている。驚かせてはいけない、と思っている。そんなことをしては壊れてしまう。まるで薄い氷の上を渡っているかのように、静かに、淡々とした緊張感が流れている。
不意に、道の途中で彼は立ち止まった。
私も一歩遅れて立ち止まる。前を向いたまま動かない彼の視線の先に目を向けると、道の向こうから誰かがやって来るところだった。
ああ、来てしまった。「彼女」が来てしまった。
私は反射的にそう思う。向こうからやって来る人物のシルエットは、不自然なほどにぼやけていて、誰だかわからない。男なのか女なのかも曖昧だ。なのに私は、それが一体何者なのか理解している。彼女を知っている。そして、絶望している。この後に起こることを、既に知っているからだ。
隣にいる彼はゆっくりと歩み始める。こちらへやって来る彼女に向かって、一歩一歩、足を踏み出していく。すぐ側にいる私のことなど、この一瞬で忘れてしまったとでも言うように、まるで吸い寄せられるように行ってしまう。
行かないで。
そう言いたいのに、私は言うことができず、少しずつ遠のいていくその広い背中をただ見つめている。否、夢の中では声を上げているのかもしれないが、世界からは一切の音が消え去っているのでわからない。
彼と彼女は道の真ん中で出会い、そしてどちらともなく腕を伸ばし合い、抱き締め合う。私が見ている目の前で、いつの間にか二人は裸になっていて、そうして彼の肩越しに、彼女の顔が見える。こちらを見つめている彼女は何も言わないが、意地の悪い笑みを浮かべている。彼の背中に回る彼女の白い腕。その指先が、愛おしいものに触れるように彼の背を撫でる。
やめて。
私は呆然と、その光景を見つめている。身体が少しも動かない。寒さに縛り付けられてしまったかのように、一歩も動けない。その光景から顔を背けることもできない。さっきまではあんなに胸の辺りが温かい気がしていたのに、今は頬を刺すように吹く風の冷たさが痛い。
舞う粉雪がだんだんと吹雪へと変わっていく。二人の姿が、霞んでいく。見えなくなっていく。
やめて、行かないで。
声が出ない。足が動かない。吹雪の向こう、裸の二人はそのまま向こうへと歩き出している。私が触れることさえできなかった彼の左腕に、彼女が自分の腕を絡みつけて歩いている。
白く煙る視界の中、二人の姿がどんどん遠く、小さく、霞んでいく。音が消えたはずの世界で、私の喉が高くか細く、ひゅーと鳴るのがやけにはっきりと聞こえた。
先輩、行かないで。
先輩。
やっとの思いで瞬きをひとつしたら、凍りついた睫毛の先に付いた雪が、目尻から水となって頬の上を流れ出した。
不意に、何かが頬に触れたことに身体がびくんと震え、そうして私は、夢から覚めた。
目に飛び込んでくる光が眩しい。思わず強く目をつむる。その時、またひとつ、涙が溢れ出るように零れていくのを寝起きの頭の片隅で感じた。そして、その涙の跡をなぞるように、また何かが頬に触れる。反射的に身じろぎをしてしまった。
「すみません」
そう声をかけられたのと、私がもう一度まぶたを開けたのはほぼ同時だった。目の前には、人間の顔があった。白目がちな三白眼がこちらを見ている。
「起こしてしまいましたか」
低い声。抑揚がない。少しも申し訳なく思ってなさそうな声音。眩しい光は天井の照明だとわかる。白い天井、白い壁。ここは室内。私の身体は仰向けに横たわっている。そして彼はすぐ側に座っていて、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「どうして……」
私はここにいるのだろう。
湧いた疑問は途中から声にならなかった。喉が渇いている。身体を起こそうとしたら、視界がぐらりと揺れた。頭が痛い。
「大丈夫ですか。今、水を持ってきます」
彼はそう言って立ち上がり、どこかへと向かう。私の視界から消えた。辺りを見回す。ここはどこだ。小さなテーブル、背の低い本棚、床にそのまま置かれたテレビ、コンビニの袋、破れた網戸、表紙の取れたノート、散らかっている紙はプリントだろうか、それともレジュメか。
振り返ると、台所に立つ彼の後ろ姿が見えた。ペットボトルからコップへと水が注がれている。さっき、水を持ってくると言っていた。水。水瀬。水瀬政宗。それが彼の名前。ああ、ここは水瀬の部屋だ。
自分がどこにいるのかわかったことへの安心感からだろうか、それとも、悪い夢から覚めたことへの安堵か。彼が水を持って戻って来るよりも早く、私は再び布団に倒れ込んで眠ってしまった。そうして、そんな夢を見ていたことはすっかり忘れてしまった。
私が水瀬政宗と出会ったのは、今年の夏のことだった。
大学二年生の夏休み、私の所属するサークルのコンパがあった日のことだ。
夏休みコンパと呼ばれるそのコンパには、毎年多くの部員が参加する。例年、大学の近くの飲み屋で行われるそれに向かうため、待ち合わせ場所の大学正門前に向かった時、まだ集合時間には早いというのに、そこには既に大半の部員が集まっていた。親しい顔をすぐに見つけ、雑談をしながら時間を潰していると、そのうちに、部長で三年生の岩下先輩が点呼を始めた。
最初に名前を呼ばれたのは、この春に入部したばかりの一年生たちだった。
私たちのサークルは、その名を「文化部」という。名前だけでは一体どんな活動をするのか不明瞭なこのサークルは、実際、明瞭な活動なんてひとつもしていない。
サークル棟五階の角部屋、北向きの一室が部室として宛がわれ、私たちは時間があるとそこに集い、他愛のない談笑やカードゲームに興じている。それが活動といえば活動だ。年間行事としてコンパやら合宿やらが設けられているが、それ以外にも部員同士で飲み会や旅行など、遊んでばかりいる。
どうしてこんなサークルが設立されたのか、どうして存続が認められているのか、そこが疑問ではあるけれど誰もその点には触れない。私たちはただただ、貴重な大学生活をそうやってだらだらと過ごすことで食い潰していた。
こんな非生産的なサークルだというのに、毎年二十名ほどの一年生が新入部員として入部する。春にあった新入部員歓迎コンパに続いて二度目のこのコンパには、この年のほとんどの新入部員が参加しているようだ。岩下先輩が名簿を読み上げる声を聞きながら、私はこっそりと人数を指折り数えていた。
「――水瀬、水瀬政宗くんは?」
その名前を呼んだ時、岩下先輩は名簿からふっとその目線を上げ、辺りを見回した。
「水瀬くんは、来てる?」
「来てませーん」
一年生のひとり、髪を明るい色に染めている、威勢の良さそうな男子――名前は確か、倉木だった。さっきそう呼ばれていた――が、そう答えた。
「そうなんだ。今日は来ないのかな。実は彼からだけ、出欠の連絡をもらっていなくて」
「来ないんじゃないスか。あいつ、そういうの来ないっぽい感じでしたし」
岩下先輩はちらりと倉木の顔を見て、一瞬口をつぐんだ後、「そう」とだけ言った。
「誰か、水瀬くんから連絡をもらっている人はいる?」
部長のその問いかけに、一年生たちは皆静かに首を横に振った。誰もその水瀬という部員から今日のコンパの出欠について連絡を受けていないようだった。
「っていうかさ、ミナセって誰だっけ? そんな人、一年の中にいた?」
私から比較的近いところにいる一年生の女子三人のうちのひとりが、他の二人に向けて小声でそう言っているのが聞こえてきた。
「えー、いたじゃん、すごい目つきが悪い人だよ」
「んー……新歓コンパの時、いた?」
「いたいた、ずっと壁際の席に座ってたよ。全然しゃべってなかったけど」
「あ、もしかして、あの、粗大ゴミみたいな人?」
三人のうちのひとりがそう言うと、残りの二人が小さく噴き出すように笑った。
「粗大ゴミみたいな人って、何? ちょっとさぁ、ひどくない?」
「いや、でも、そんな感じだよ、ほんとほんと」
「なにそれー、全然わかんないんですけど」
女子三人はくすくすと笑っている。
私はどこかうわの空で彼女たちが話しているのを見つめていた。すると、三人のうちのひとりがふとこちらを振り返り、たまたま彼女たちを見つめていた私と目が合ってしまった。するとたちまち、その子は頬を真っ赤にして黙り込んでしまう。彼女の異変に気付いた���の二人も、同じように私を振り返り、うつむいて黙り込んだ。どうしたのだろう。何か悪いことでも、あったのだろうか。
「ちょっと世莉、」
隣にいた夏希が私の腕を肘で突いてきた。
「なに一年生にガン飛ばしてんの。やめなよ」
「別にそういうつもりじゃ……」
私は慌てて否定したが、夏希は睨むように私の顔を見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「その気がなくても、世莉みたいな美人の先輩に見つめられたら、びびって当然だよ」
「もう、またそうやって馬鹿にして」
「僕は思ったことをただ言ってるだけ」
夏希はそう言って私から目線を逸らしてしまう。私より頭ひとつ分背の高いこの友人がそうやってそっぽを向く時、大抵、私の意見など聞き入れてはくれない。何を言っても無駄なことはわかっているので大人しくしていることにした。
三人の女の子たちもすっかり静かになってしまった。私のせいなんだろうか。だとしたら、なんだか申し訳ない。ただ、彼女たちの言う「粗大ゴミみたいな人」というのが一体どんな人なのか���気になっただけなのだけれど。
結局、岩下先輩は水瀬という一年生のことを欠席扱いということにしたようだ。点呼が再開され、二年生の名前が呼ばれていった。私は「粗大ゴミみたいな人」について考えていたせいで、自分の名前が呼ばれた時に咄嗟に返事ができなかった。夏希にやはり肘で突かれて、慌てて返事をした。
その夜のコンパは楽しかった。私は基本的に、飲み会というものが好きだ。皆でわいわいとお酒を飲んでいるうちに、酔いが回って何も考えられなくなる。何も考えなくていいというのは都合がいい。人見知りで、人と話したり関わったりすることが不得手だと感じている私にとって、アルコールはそういった問題を些細なことだと錯覚するのに便利だ。だからいつも、ついつい飲み過ぎてしまう。最近は夏希が程良いところでたしなめてくれるので、ありがたい。
ただ、この日は厄介なこともあった。それは一年生の、先程の威勢の良さそうな男子学生、倉木だった。彼は自ら私の隣の席に座ることを志願し、積極的に話しかけてきた。知り合いという訳ではない。今まで言葉を交わしたことは一度もなく、もちろん面識もほとんどないに等しい。何度か部室や部の行事で顔を合わせたことはあるのかもしれないが、そこでは挨拶をした程度の関わりしかないはずだ。
自分に興味を持たれるというのは苦手だ。倉木が軽快に飛ばしてくる、「休みの日は何をしているのか」や「今度一緒にどこかへ遊びに行かないか」という質問に、私は上手く答えることができず、しどろもどろになってしまった。途中、夏希が半ば強引に倉木と席を交換して隣に来てくれてほっとした。
それでも、私がお手洗いに席を立ち、お手洗いから廊下へ戻ると、まるで待ち伏せするようにそこに倉木がいて、「コンパなんか抜け出して、二人で飲みに行きませんか」と声をかけられて、私はほとんど半泣きになって逃げるように席へ戻った。大学入学当初から、男性からこんな風に誘われることは度々あったが、一度も上手く対処できたことがない。
その後、何もなかったような顔で自分の席へ戻って来た倉木は、一度もこちらを見ることなく、他の部員たちの輪の中で笑っていた。
コンパがお開きになった後、鞄からスマートフォンを取り出そうとした時、私は部室に忘れ物をしていることに気が付いた。
「なに、忘れ物って。何を忘れたの」
二次会には行かず、家に帰る前に大学に戻ると告げると、私を送ろうとしてくれていた夏希が、眉間に皺を寄せてそう訊いてきた。嘘をついて誤魔化してもどうせすぐにバレると思ったので、私は観念して正直に答えることにした。
「夏希のノート……」
「は?」
「だから、夏希のノートだよ」
「もしかして、今日部室で会った時に、僕が渡したやつ? 補修講義のノート?」
「そう……。部室で受け取って、その後、別れたでしょ? その時に、部室にそのまま置いてきちゃったみたい……」
「サイテー」
夏希は露骨に嫌そうな顔をして、大きな溜め息をついた。私は黙って肩をすくめる。自分でも情けないと思う。
「世莉が、僕のノートはわかりやすくて参考にしたいって言ったから貸したのに。それを忘れたの? 馬鹿なんじゃないの?」
「ごめん……」
「ひとりで部室まで戻って取ってくれば? 僕はもう帰る」
どうやら、本当に夏希を怒らせてしまったようだ。ただでさえ歩くのが早いのに、いつも以上に早足で去って行ってしまった。私はいつも夏希のことを怒らせている気がする。
とぼとぼと、大学へ向かってひとり歩いた。
昼間の熱気が夜になっても冷め切らず、地上付近をうろうろとしているような気温だった。酒に浮かされた身体には暑い。ときどき吹いてくる風は生ぬるく、首の後ろに汗で貼り付く髪が鬱陶しい。蝉の鳴き声が幾重にも重なって、渦を巻くように耳の中で響く。見上げた空には星も月も見えやしない。
ああ、どうして忘れ物なんてしてしまったんだろう、そう思いながらサークル棟の玄関をくぐり、電球が切れがちな暗い階段を五階まで上っていく。この建物にはエレベーターというものがない。入部したばかりの頃は、部室に辿り着くまでに息切れしていたものだけれど、最近になってようやく、途中で休憩を挟まなくても上り切れるようになった。
夏休みだというのに、サークル棟の中は静まり返っていた。私を迎え入れた静寂に、今が夜遅い時間なのだということを思い出す。それに加え、学生たちの多くは故郷へ帰省しているのだろう。私は今年の夏も、実家には帰らなかった。大学に進学してひとり暮らしを始めて以来、一度も故郷へ帰っていない。
部室の前まで来て、私は一瞬、足を止めた。部室の扉に嵌め込まれたヒビの入った曇りガラスからは、室内の明かりが漏れていた。中に誰かいるのだろうか。私は手首の腕時計に目線を落とす。夜は更け、もう日付も変わっている。こんな時間に人がいるなんて、珍しい。
ドアノブに手をかけ、扉を少しだけ開けた時、私は思い出す。こんな時間に、よくあの人はここにいた。ひとりで、何をするでもなく、誰かを待っている訳でもなく、来訪者を拒むでもなく、ただこの部屋にいた。
そんな彼の後ろ姿を思い出しながら扉を開けたが、そこには誰の姿もなかった。なんだ、誰かがここを後にする時、照明を消し忘れたのか。そう思いながら部室へ入り、窓辺に置いてある小さなテーブルへと近付くと、そこには私が忘れていった夏希のノートが置いてあった。良かった。やはり部室に忘れて行ったのだ。万が一ここになかったら、どうしようかと思っていた。
ノートを手に取った時だった。その声は唐突に、私の耳に届いた。
「小堺夏希さん、ですか」
声のした方を振り向くと、部屋の隅、壊れかけている古いテーブルの上に、ひとりの男子学生が腰をかけていた。散らかったテーブルの上で、まるで置物のようにひっそりと膝を抱えている。物に紛れていて、存在に気付かなかった。
見覚えのない男だった。ここ、文化部の部室にいるということは、恐らくは部員なのだろうけれど、知らない人だ。今日のコンパにももちろん来ていなかった、と思う。本当に部員なのだろうか。部員だとしたら、どうしてコンパには顔を出さないで部室にひとりでいるのだろう。
誰もいないと思っていただけに、驚いて何も言えないでいると、この男はもう一度尋ねてきた。
「小堺夏希さん、ですか」
私は息を呑み、それから、「違います」とだけ言った。ノートの表紙には夏希の名前が書いてある。この男は、恐らくそれを見たのだろう。そして私を、ノートの持ち主だと、つまり夏希だと思い込んでいる。
この人は、私のことも夏希のことも知らないのだ。知っていれば、私たちのことを間違えるはずがない。
「違うんですか」
「これは、友達のノートなんです」
「そうですか」
男の顔はどこか爬虫類に似ている。目がやや離れている点だろうか。目つきが悪い。こちらを窺うように見つめるその瞳は、上目がちなせいか、黒目よりも白目が大きいように見える。
「では、あなたは?」
男の膝を抱えている手に、何かが握られている。あれはなんだろう。瓶だ。ウィスキーの瓶。瓶の口は開いている。さっきまでそれを飲んでいたのだろうか。だが男の周囲を見てみてもコップやつまみの袋などは見当たらない。瓶から直接、口をつけて飲んでいたのだろうか。深夜に、誰もいない部室の片隅で?
「……これ、ですか? 飲みます?」
私の目線に気付いた男が、手に持っていたそれを掲げるようにしてこちらへ見せる。
「いいですよ、飲んでも。でも、気を付けて下さいね」
気を付ける? 一体何に気を付けろと言うのだろう。
そんなことを考えながら、私は夏希のノートを鞄に仕舞ってから、男の方へと歩み寄った。これでまたノートを忘れてしまったら、もうあの友人はしばらく口を利いてくれなくなるだろう。それは避けなければならない。
私は男の手から瓶を受け取り、くんくんとにおいを嗅いでから、瓶に口をつけ、その琥珀色の液体を喉に流し込んだ。
「あ、そんな勢いよく飲んだら――」
目の奥で花が咲くような強烈な熱さが、舌を焦がすように喉の奥へと通り抜けていく。ああ。なんだこれは。とんでもなく、強い酒じゃないか。こんなものを、水で割ることもつまみで誤魔化すこともしないで、ちびちびやっていたのだろうか。変な男だ。
ぐらりと地面が揺れるような気分がした。なんだろう、毒でも入っていたんだろうか。
なんだかどっと酔いが回ってきた。そういえば飲み屋を出る前、飲めもしないビールを一気飲みしたんだっけ。夏希が見ていない隙に、一年生が先輩に注がれて困っていたのを飲んであげたのだ。その分の酔いかもしれない。アルコールはいつもそうだ。気持ちが良いのはほんの短い間だけで、後からどんどん悪いものがやってくる。
気が付いた時には、床に膝を突いていた。なんだか少し横になりたい。目の前がぐるぐると回って、気分が悪い。
「あの、大丈夫ですか。酔っているんですか」
全く酔いを感じさせない声でそう言われ、手から瓶が奪われる。「大丈夫です」と答えようとして、自分の言葉が舌足らずになっていることに気付く。テーブルの上に座っていたはずの男は、いつの間にかそこから降り、床に座り込んでしまった私の目の前にしゃがんでいた。
「だいぶ酒臭いですよ。飲んで来たんですか。ああ、そうか、今日はコンパだったな」
男は私に顔を近付け、鼻をひくひくさせてからひとり言のように、「参ったな」と言った。
「酒を勧めるべきではありませんでしたね」
身体が熱くて泥のように重い。頭が痛い。何か言わなきゃと思うのに、上手い言葉が何も出て来ない。横になりたい。少し眠りたい。
溶け出すように体勢が崩れていく私を、いつの間にか目の前の男が支えてくれている。その腕に抱きつくように身体を委ねながら、もうほとんど回らなくなった頭で考える。
一体誰なんだろう、この人。
さっきまでこの部屋には、誰もいないんだと思っていた。部屋の片隅に、まるで物みたいに座っていた。まるで、この部屋に置いて行かれて、忘れ去られてしまったみたいに。
ああ。そうか。わかった。わかったぞ。
それは確信だった。思わず笑い出してしまった。そういうことだったのか、と思う。そういう意味だったのか、なるほど、確かに、彼にはそういう雰囲気がある。
「あなたが、水瀬くんなんだね」
ぽつりと私が口にした時の、彼の表情が忘れられない。
��鉄砲を食らった鳩は、きっとこんな顔をしているんじゃないだろうか。
恥ずかしいことに、私の記憶はそこで途切れている。
次に目が覚めた時、私は水瀬の部屋にいて、彼の布団に横になっていた。��ぐ目の前には、クッションを並べた上に寝転んでいる彼の背中があった。腕時計を見ると、時刻は朝の五時半だ。
痛む頭を押さえながら起き上がり、規則正しい寝息を立てている彼の寝顔を肩越しに覗き込んだら、起こすのが申し訳ないような気がした。しかし、かと言って見知らぬ男の部屋ですることもなく、私ももう少し眠ろうか、それとも今のうちに出て行った方がいいのだろうか、ということに悩んでいるうちに、彼は目を覚ました。
起き上がった水瀬は、自分と私にコップ一杯の水を用意してくれてから、簡単に事の成り行きを話した。
記憶が途切れた後、私はしばらく部室の長椅子に寝かされて休んでいた。一時間ほどして目を覚まし、家に帰ると言い出したが、とても自力で家に帰れる様子ではなく、彼は送りますと言ったが私がそれを受け入れなかったので、なら自分の部屋に来ないかと提案した。何故なら彼は、大学の裏門を出て百メートルも歩かないところにアパートを借りていたからだ。彼に半ばおぶわれるようにしてこの部屋に来て、そうして、私は敷いてもらった布団で眠った。
その後、一度途中で夢にうなされて目を覚ましたのだというが、私はすぐにまた眠ってしまい、そして、今やっと起きたということだった。
私は話を聞いているうちに、申し訳なさと恥ずかしさで死んでしまいたくなった。すみません、すみませんと謝ったが、水瀬は難しい顔をしているままだった。怒っているのだろう。当然だ。初対面で、酔い潰れられて、自分の部屋に連れて帰る羽目になるなんて、不遇以外の何物でもない。
「ひとつ言っておきますが、」
水瀬がどこか苦しげに、呻くようにそう言ったので、私はちらりと彼の顔を見上げた。何を言われるのだろう、と内心、心臓が痩せ細るような心境だった。彼は眉間に皺を寄せたまま、
「あなたには、やましいことは何もしていません」
と言った。
私はその瞬間、呆気に取られた。
「あなたを俺の部屋に連れて来たのは、あのまま部室で寝かせ続ける訳にもいかないだろうと思っただけで、その、深い意味はなく……」
何も言えずにぽかんとしている私の顔を見もしないで、彼は続けて言う。
「まぁ、そりゃ、男女ですから、こういったことはしない方が良いということはわかっていますが、でもやはり酔い潰れたあなたをあそこに放っておく訳にも……」
「あの、」
私が声をかけると、彼はやっとこちらを見た。
「なんでしょう」
「あの、私、信じますから」
「何をですか」
「あなたのこと。あなたの言葉、信じますから。だからそんなに、弁解しなくて大丈夫です。助けて下さって、ありがとうございました」
頭を下げて、もう一度顔を上げると、今度は彼がぽかんとした表情をしていた。
「…………そう、ですか」
まだどこか納得していないというような顔で、だけれども彼はそう言って、きまり悪そうに頭を掻いた。
「まだ、名乗っていませんでした。水瀬といいます」
「はい、知っています」
「そういえば、昨夜も俺の名前を呼んでいましたね。どうして、俺のことを」
「文化部の人たちが、あなたのことを話しているのを聞いたので」
「そうですか。どうせ、良い話ではないのでしょうね」
それはあまりにも自然に、平然と彼の口から発せられた言葉だった。その声音にはなんの感情も含まれていないように思えた。
「それで、あなたの名前は?」
「田代です。二年の田代世莉」
「田代さん、ですか」
彼はそう言ってから、小さく息を吐いた。
部屋のカーテンは閉められていたが、隙間から朝の光が射し込んでいた。今日も外は暑そうだなという夏の予感に気が滅入りそうになる。
「田代さんの鞄は、そこです」
彼が指差した先は、居間から台所への入り口付近だった。そこには確かに、私の鞄が置いてある。
「帰るなら、どうぞ。俺は、もう少し寝ます。寝不足なので」
水瀬はそう言いながら、再び身体を横にしようとする。こちらに向けられたその背中に、「あの、」と声をかけると、その動きは止まった。
「私も、もう少し、眠っていってもいいですか」
あまりにも図々しいお願いだった。だけれど私も眠たかったのだ。彼はしばらくそのままの姿勢で止まったまま、黙っていたが、やがて、「どうぞ」と一言だけ言って、座布団の上に転がった。
「あの、今度は水瀬くんが布団に――」
「眠るので、静かに」
そう言ってから、一分も経たないうちに、再び規則正しい寝息が聞こえ始めた。
私もさっきまでと同じように、布団に横になる。身体が疲れているのか、すぐに眠気が襲ってきた。まぶたを閉じる少し前、そういえば、彼とは初対面なのに気負わずに会話ができていたことに気が付いて、それだけが少し、不思議だった。
「馬鹿じゃないの?」
私の話を、夏希はそう言って一刀両断した。
「どうして初対面の男の部屋ですやすや眠れる訳? 危機感なさすぎでしょ」
「水瀬くんは、やましいことは何もしてないって言っていたし……」
「だから、それを鵜呑みにするのが馬鹿だ、って言ってるんだけど」
目の前の友人は苦い顔をして私のことを見ていた。その表情の原因は、飲んでいるコーヒーのせいではないだろう。
大学の学食。私と夏希は向かい合うように座り、自動販売機で買った紙コップのアイスコーヒーを飲んでいた。夏希はブラック、私はミルク入りだ。こんな不味いコーヒーを飲むくらいなら泥を舐めた方がましだ、なんてこの友人は言うけれど、泥水より不味い液体を啜りながらもここにいるのは、ここが冷房の効いた場所だからだ。
夕方の学食には私たちの他にも人の姿がちらほらあって、夏休み中の補講が終わったものの、真昼の熱気を忘れられずにいる外気温にうんざりして、皆行くあてもなくここにいる。
「それで、そのまま昼過ぎまで一緒に眠って、お詫びに昼食をご馳走して、それから別れたってこと?」
「そうだよ」
私が頷くと、夏希は深い溜め息をついた。
「……送って帰ればよかった」
「夏希は私のこと、置いて帰ったくせに」
冗談半分にそう言うと、途端に夏希は私を睨み、
「世莉が僕のノートを部室に忘れてきたりするからでしょ」
と怒った。私は笑いながらそのノートを鞄から取り出し、差し出す。
「本当に助かったよ、ありがとう。また借りてもいいかな」
「もう二度と貸さないから、不必要な期待はしないでくれる?」
ひったくるように私の手からノートを奪い、夏希はすぐに自分の鞄に仕舞い込んでしまう。不機嫌そうな表情。どうやら本当に怒っているようだ。私は小さく肩をすくめた。
「これでも、反省してる。酔っ払って、水瀬くんに迷惑かけちゃったこと」
「水瀬なんてどうでもいいんだよ」
そう言う友人の声は、明らかにいらいらしている声音だった。
「僕が怒っているのは、見知らぬ男の家にほいほいついて行く、世莉の無神経さについてだよ」
「別にほいほいついて行った訳じゃあ……」
「酔ってて記憶がないからって、許される訳じゃないからね」
「そんなこと言われても……」
「もう二度と、他の男の部屋に泊まらないで」
切って落とされたように発せられたその言葉は、私の胸に重く響いた。
夏希はどこか思い詰めたような顔をしている。その表情は、既に怒りの形相ではなくなっていた。諦めと悲しみが入り混じっているような、そんな風に見えた。私は何かを伝えなくてはと思いながら、なんて言えばいいのかわからないまま、ただ黙っていた。
「ごめん」
やがてそう口にしたのは、私ではなく夏希の方だった。その言葉を聞いて、自分はこの友人が謝罪の言葉を口にするのを待つために沈黙していたのではないか、という考えが私の脳裏をかすめた。
「世莉の彼氏でもないのに、僕がそんなことを言う権利、なかったね」
苦笑いをしながらどこか気まずそうにそう言う友人に、「ううん、そんなことない。こっちこそごめんね」と言いながら、私は卑怯な人間だ、と思った。
「でも、世莉にあんまり軽率な行動をしてほしくないっていうのは、本当」
「うん、わかった」
「何かあってからじゃ、遅いんだからね」
「うん」
夏希は心配性だな、と思ったが口には出さなかった。余計なことを言うと友人をまた怒らせてしまうような気がして、そしてそれ以上に、悲しませてしまうような気もした。
「僕は、」
夏希の細い指が、コーヒーの紙コップをテーブルの上に戻す。空になったそのコップを、軽く握り潰すようにしながら、
「世莉が傷つくの、見たくないんだよ」
と、言った。
友人の手の中でだんだんと潰れていくコップから目を逸らして、私は「わかった」と返事をする。自分の手元のコップの中には、白と茶色が混ざり合った不味い液体が、半分以上も残っていることに、飽き飽きした気持ちになりながら。
確かに、私は軽率だったのかもしれない。文化部の部員たちで誰かの部屋に集まって飲み会をして、そのまま泊まることはあっても、異性の部屋にひとりで泊まることなんて、そうそうないことだ。他の部員にこのことが知れたら、夏希が私を怒ったのと同じように、決していい顔はされないだろう。
文化部はほんの数年前まで、不特定多数の異性との性行為を目的としたサークル、いわゆる「ヤリサー」だと呼ばれていたというが、少なくとも私が入部した時には、そういった雰囲気はなくなっていた。夜になると部室をラブホテル代わりに使う部員がいたというが、今は夜間に部室で誰かと出くわすことさえ稀だ。
それでも私は、夜の部室についつい足を運んでしまう。そうすれば、会いたい人に会えるような気がするからだ。以前から、私は誰かに会いたくて、夜の部室の扉を開いてみることが多々あった。
だが、本当に私が会いたいと思う人には、部室に足を運んだところで、もう会うことはできない。あの人に最後に会ったのは、彼が大学を卒業していった日だった。あれから、まだ半年も経っていない。今でもときどき、夜に部室を覗けば彼がそこにいるんじゃないかと思ってしまう。そんな訳はないのに。
あの人に初めて会ったのも、私が部室に忘れ物をした夜のことだった。
忘れ物を取りに部室へ向かった時、部室の照明が点いていることに気が付き、扉の前で思わず足を止めた。ああ、誰かいるんだ。そう思うだけで気が重かった。大学一年生の五月。私は未だ、大学生活にも文化部での活動にも慣れることができずにいた。
文化部の���たちは明るく親切で、私に対してもよく話しかけてきてくれた。私はそれに自分なりに精いっぱい明るく礼儀正しく答えていたつもりだったけれど、正直、話しかけてもらえることに嬉しさと同じくらい申し訳なさを感じていた。私は気の利いたことや面白いことは何ひとつ言えなかったし、訊かれたことにさえ満足に答えられなかった。今は親しげにしてくれる人たちも、そのうち私に飽きて近寄ってくれなくなってしまうのではないか。そう思うことも恐ろしかった。
その夜、部室にいたのはひとりの四年生男子だった。もちろん、初めて彼と出会ったその時は、学年など知る由もなかった。だが、年上の男性であるということは一目でわかった。彼には年上の威厳たるものがあった。屈強な身体つきに、鋭い目を持つ彼は、運慶と快慶の金剛力士像を連想させた。彼は静かに読書をしていて、部室へ入って来た私の方をちらりとも見やしなかった。
私はいつの間にか忍び足になっていて、そろそろと部室の中を歩きながら、「おひとりのところすみま��ん、ちょっと忘れ物をしてしまって……」と言った。「そうか」と彼は答えた。その目線は手元の本に向けられたまま、ほとんど動かない。
「私、間抜けですよね、部室に忘れ物をするなんて……」
この時部室に忘れていったのはペンケースだった。私のペンケースは誰かが途中まで遊んだままのボードゲームが占領しているテーブルの片隅に置いてあった。ゲームの駒を落としたりずらしてしまったりしないように気を付けながら、それをそっと手に取る。
「ここ、五階じゃないですか。階段の上り下りだけでも大変なのに……」
私の話を聞いているのかいないのか、彼は返事をしなかった。ただ黙って本を読んでいる。無言でいるのも気まずいかと思って話しかけてみたが、かえって読書の邪魔だったかもしれない。自分の安易な考えを反省しつつ鞄にペンケースを仕舞い、しかし、ここまで話しかけたのにこの後無言で部室を出て行くというのも、なんだか変なのではないか、と悩み始めた時、彼は言った。
「無理に、話さなくていい」
思わずびっくりして彼を見たが、あの人は未だこちらを見ようともしていなかった。その表情からはなんの感情も読み取れなかったが、それでも、どうやら怒っているという訳ではなさそうだった。
私は急に頬が熱くなるのを感じた。そのまま無言で彼に向かって一礼をし、「お疲れ様でした」の挨拶もしないで、ほとんど走り去るように部室を後にした。もう顔から湯気が出るくらい、恥ずかしかった。
彼に見抜かれていた。無理をして話しかけようとしていることが、バレていた。そして、そんな私を彼は許してくれていた。私はそう思った。かけてくれた言葉はぶっきらぼうなものだったが、その声音は彼の見た目に似つかず穏やかで、私を安心させてくれた。それが嬉しかった。
息が上手くできなくなるまで猛烈な勢いでサークル棟の階段を駆け下り、キャンパスを全力疾走した。講義棟の近くまで走って来た時、ぜえぜえと荒い息を吐きながらついに立ち止まり、そうして私は泣いた。恥ずかしくて嬉しくて、頭の中は大混乱していた。そんな私の頭上では、大きな満月がまん丸い顔をして、街じゅうを柔らかい光で照らしていた。
それが、私があの人と初めて出会い、そうして彼に恋をした、その最初の夜だった。
<続く>
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