#明光義塾
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【WORK】
個別指導塾「明光義塾」2022卓上カレンダー 12月イラストレーション 和気藹々にコミュニケーションを通わせる生徒さんと講師さん。 明光義塾のブランドカラーをポイントに、温もりある色彩で表現いたしました。 CL:明光ネットワークジャパン 制作:東京アドデザイナース イラストレーション:希美
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Persona 3 Club Book teacher's pages scan and transcription.
月光館学園の先生
Teacher in Gekkoukan educational institution
高等部2年生の授業を受け持つ先生たちは、生徒のほとんどが勝手知ったる内部進学生だからか、かなり趣味に走った奔放な授業で有名。個性と独立心を獲得した、港区に誇れる立派な月高生の育成に勤しんでいる。
鳥海先生 Toriumi かに座/AB型 2-F担任、現代文担当、生徒会顧問
2年F組の担任で、現代文の担当。非常にさばけた性格で、真面目に話を聞かない生徒に謝罪を要求したり、サボりの生徒の席を勝手に再分配するなど、裏表のない性格そのままの授業をやっている。はっきりとした目鼻立ちと茶色がかった髪のため、実家のある島根ではお人形さんのようだと近所のオバちゃんたちに評判で、小中高の子供時代もそこそこモテ期をすごしていた。当時から文学少女だったために大学は国文科に進み、「日本文学に精通した可憐な新入生降臨!」くらいのウワサは辞さないとさえ期待していたが、いざ上京してみると、 自分の程度が世間でいかに平凡かに気付かされ、以降はこれといった華やかな出来事にめぐり合うことのないまま、29歳の現在に至る。
趣味で同人作家としての活動も行なっているが、これといった手応えはない。職場である月光館学園でも浮いた話に恵まれず、日本語の在りかたという点で話が合わないため、古文の江古田先生とは犬猿の仲だったり、倫理担当の叶先生からは女��して負け犬確定の扱いを受けるなど、くさくさした日常を送っている。
心は可憐な
三十路前
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあ
知的な顔とやる気のない中身とに非常にギャップがある29歳独身。世間一般の女性の例にもれずケーキ好き��生徒に要求している。
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあいだに垣根を感じさせない。
鳥海先生のボヤキ
• じゃあ今日は明治の文学ね。教科書の12ページ。···あ、先生、この作家あんまり好きじゃないな。やめ ましょう。(4月21日・授業)
• イジメに関する小論を読んで、感想ってやつね。こんなのサービス問題じやないの。なーんか書きゃ点あげたわよー。“この学校におけるイジメを告発” とかねー?···って、ウソよお。イジメ、無いわよねえ。無い無い。面倒。(5月25日・授業)
• アイギス・・・さん?珍しいお名前ね、生まれは外国なのかしら。他に特記事項は···ん?···人 型···戦術兵器?···なんかの間違いね、この書類。見たもの、聞いたもの全てが、正しいなんて思っちゃ駄目よね。 (9月2日・ホームルーム)
• 世の中は椅子取りゲームなの。みんなも気をつけてね。(11月9日・ホームルーム)
• みんなー、修学旅行はどうだった〜?先生、寺なんか興味ないから参ったわ。火曜からは体験学習ね。面倒な社会科見学だと思えばいいわよ。社会に出るって大変なの。これをキッカケに皆にも分かってもらえそうで嬉しいわー。その間、先生遊べるしね。(11月21日・授業)
確かに、この社会に希望なんて、そうそう転がってないよね。逆に、そこらに転がってるもんで満足すんな!甘えんじゃねーよ!···って、思ったワケよー。···先生、いま良いこと言ったから、期 末にこのまま出すよ?(1月 28日・授業)
江戸川先生 養護教諭 総合学習担当
見るからに健康、清潔とは縁のない養護教諭。カリキュラムが自由なのをいいことに、趣味に走った授業を行なっている。
怪奇!
保健室に巣食う悪魔
無精ひげとよれよれの白衣、脂に汚れた黒ブチ眼鏡、およそ健康的とは言い難い頬と土色をした顔色で、「優しい保健の先生」のイメージとは似ても似つかないうさんくさい風貌の保健室の主。月高赴任前のことを知る人間はおらず、名前すら本名ではないとさえ言われている。元気なときに訪れても追い返されるだけだが、体調が悪いときに保健室の戸を叩くと、先生自ら調合した極めて怪しいクスリを盛られる。運よく効けば���合がよくなることもあるが、当然トドメの一撃になることもなきにしもあらず。
養護教諭として生徒の手当てや保健業務を受け持つほか、「個々の知識を結び付け、総合的にはたらかせる」 総合学習の授業を受け持っている。しかしその実態は、「魔術を利用した人間心理治癒」と称し、前代未聞の魔術理論を紐解く、生粋のオカルトマニア。オタク特有の傾向である、自分の得意分野に関して話が長い特徴がある。夏休みの補習では、ここぞとばかりにさらにディープな講義を展開し、計5日間の日程のうち丸2日を魔術講義に付き合わされることになる。
体調の悪い生徒をじつに嬉しそうに迎える彼。保健室での行ないが本当に手当てなのかも怪しい。
江戸川先生のオカルト講座
• 保健室に何か用かね、ヒヒヒ。でも困るなぁ⋯これから秘密のサ⋯おっと。⋯講習会なんですよ。⋯なんだ、おまえ全くの健康体じゃん。私の目はごまかせませんでございますよ。サボリはお断り。ハイ、出て行った、出て行った。(保健室・体調普通以上)
• ···おやまぁ一、傷かウイルスか呪いか恋か。ずいぶんと調子悪そうですねえ。これは···出番ですね、イヒヒヒヒヒヒヒヒ。さて、取り出しましたるこの秘薬··· ニガヨモギにドクニンジン、ヒヨスにナツメにエトセトラ、エトセトラ··· オロしてコネてウサギの手。白山の杜氏もビックリの大吟醸。たちどころにアナ夕の病気を治してみせますよ。さあ、飲みなさい···飲むんだ!(保健室・体調疲労以下)
• まあ魔術と聞いて、何でもできるようになるイメージを持ってるヤツもいるでしょう。誰かにイタズラしてやろうとか、苦しめてやろうとか··· そんなロクでもないことを真っ先に思いつく人間に魔術の習得はできません。これは、洋の東西を問わずに共通することですね。邪な者は、無力であるか、途中で破滅するか。そのどちらかになるのです。(5月28日・授業)
江古田先生 2-E担任古文担当
今年50歳を迎えたの古文の先生で、風花の在籍する2年E組の担任。古きよき日本を愛する感覚は、現代の若年層とかけ離れているため、教師たちの間でも煙たがられている。「エアコンは体に毒」のスローガンの下、冷房や暖房をしょっちゅう止めてしまうので、「エコだ」と揶揄されている。面白いを「ホワイトテイル」、白ける話を「ホワイト キック」と一生懸命使っているが、90年代に若者文化として知識を仕入れてから時間が止まっているらしく、なんだか哀れ。
江古田先生のエコ文化論
• えー···明日からは修学旅行だなぁ。京都、我が心の故郷だ。他の先生はあろうことか海外を推すからなぁ···毎年反対するのが大変なんだぞ、んん?(11月16日・授業)
●当時の発音には “F” が入るんだぞ。“ひさかたの光のどけき春の日に” は··· “ふいさかたの、ふいかりのどけき···” う〜ん、美しいですねぇ··· (11月16日・授業)
小野先生 歷史担当
熱狂的な戦国マニアの先生であだ名は小野ムネ。政宗がらみにヤマをはればテストで高得点が狙えるが、受験を考えると参考書や塾に頼らざるを得ないため、3年生からは「歴史のハズレのほうの先生」と思われている。金色の細い三日月の前立てが印象的な愛用の兜は言うまでもなく政宗公の戦装束。オーダーして作らせた一品物で、新入生はその格好で行なわれる授業に驚愕するが、ひと月もすると立派になじんで気にも留めなくなり、そうなって初めて月高生としての肝が据わる。42歳。
僕は政宗公に会いに行く!
• えーと今日は貝塚の話か。うーん、貝塚なんて、ただの貝だよね。もういいかなこれは。先生、早く戦国とかに行きたいね。ワクワクしたいね。(4月30日・授業)
• じゃ、今日は政宗公だね!もう先生ワクワクして全然寝てないんだ!じゃ、政宗公の生い立ちから丁寧に紐解いていくからね!時は1567年、米沢城··· (10月1日・授業)
• うっ···ううっ···こうして、9月24日、西南戦争は幕を閉じたのであった··· まつ···ぐすっ まさ、まさに··· 武士の、武士の時代の終わりであったぁ···!!···ここから現代までは飛ばして、また戦国やろうね···ああ、政宗公··· (1月15日・授業)
宮原先生 数学担当
三角定規を片手に数字のかわいらしさを語る数学の先生。ふさふさアフロでおねえ言葉という風采は、変り種の多い月高高等部の教師たちの中でも異彩を放っている。数字や数式への思い入れはかなりのものだが、「解法」を愛するけれど「解答」には興味がないため、最後の繰り上がり計算をいつも忘れてしまうという、「使えない」 先生ナンバーワン。
数字LOVEの心
• ···で、ここが繰り上がるので···答えはX=1ですね。···��、違う?あ、ここが11だから··· すいませんね、X=2か。え、まだ違う??··各自、計算してくださいね。そういうわけで、すごいでしょ。数学って面白いよね。こんなに難しい問題も、解いてみるとX=1··· あれ、2だっけ?まあそんな感じで、簡単になっちゃうでしょ。ブラボーでしょ。(4月27日・授業)
この8、なんかすごく可愛いでしょ。9なんか尻尾がぷりぷりだし。マニアックだけど、2!!2もいいよね〜、ほんと、イイ!数字って可愛いよね。もうたまんない!(9月28日・授業)
竹ノ塚先生 物理担当
長身で渋めの男前、スーツは華美ではないが上質で、どことなくセンスを感じさせる45歳。見た目はいたってまともだが、せっかちで授業の進度が異常に早く、実験は結果のみの紹介、問題の解法を教えないままテストになだれ込むなどのせいで一部の生徒から不満が上がっている。板書の文字は大きく見やすいが汚く、折ったチョークの数は校内一。
かっこいい言葉集
• 言ってみれば、夏休みはもう··· 摩擦係数ゼロの坂道の上ってとこか。おっ、先生、今カッコよかったな。黒板に書こうか?(9月1日・授業)
• まずは基本中の基本、重力な。重くて大きなものが、小さいものを吸い寄せる。これが重力。女子高生に、中年男性が吸い寄せられる··· これも重力··· ···て、何を言わすんだ!(12月9日・授業)
叶先生 倫理担当
おもに3年生の倫理の授業を担当する先生。とくに男子生徒に人気が高く、「エミリ先生」と慕われている。授業熱心で進学指導に力を入れているのが評価されている一方で、若い男の子を手の平で転がして楽しむという、教師としてちょっと問題アリな性格。教師にしておくのは惜しい抜群のスタイルと評価が高いが、胸は詰め物とのウワサ。一部上場企業のサラリーマンと婚約中。
禁断の恋のゆくえ
自分にほれ込んでいる友近を、勉強を見るためと称して自宅に招いている叶先生。絶対に秘密のハズがどこからかバレて、九州の学校に転任することになって しまう。
大西先生 科学担当
細面ですらりとした、32歳の先生。婚約者と別れた過去があり、当分恋はいいと思ってるうちに、本格的にどうでもよくなり現在に至る。メガネを取ると美人なのだが、武器を隠し持っている感覚がいいという理由で、人前では外さないようにしているらしい。東洋医学批判者で、江戸川先生と新しい薬の開発を競っている最中。
やっぱり化学反応��好き
• 昨日ね、テレビ見てたらダイエット特集やってたんだ。“水を飲むほど痩せる!” とか言ってね··· んなワケないじゃない!浸透圧��かオール無視でしょ?なのに、だまされるのが多いんだから··· (5月6日・授業)
• 来週の火曜から試験かー。実験バリバリやりたいんだけどね。薬品を混ぜ合わせる瞬間って、最高に興奮するよね。(10月7日・授業)
寺内先生 英語担当
学生時代、留学先のインドで知り合ったイギリス人宣教師と、帰国後に感動的な再会を果たし、結婚に至る。そのシーンを「クリスマスの思い出」として毎年生徒に披露、英訳させる先生。会話中にかなりの頻度で英単語が混ざるが、本人曰く「関西なまり」みたいなもの。黄色いスーツにカチューシャという、どことなく海の向こうのセンスが香る28歳。
グレートイングリッシュスタディ
• はい、ここではAさんが死にそうなんですね。で、Bさんが言う “ステイ ウィズ ミー!” “しっかりして!” と叫ぶから、このあとAさんの魂が戻ってくるワケですね。これ、テストに出しますからね。面倒なんでこのまま出しますからね。と、もうすぐチャイムですね。それまで私のインド留学話でもしましょうか。(5月15日・授業)
今日はクリスマスの思い出をスピーチします。聞きながらイングリッシュに直してください。“もみの木の下で出会った私達は燃えるような恋に落ちたのです···” “イルミネーションはお互いの顔をビュー ティフルに照らし···” (12月24日・授業)
校長先生 校長
長年の政治的活動と少なくない資金とで、ついに私立高校の校長職を射止めた人。教師としての才覚には残念ながら恵まれているとは言い難く、部下である先生たちだけでなく、生徒からもデキない男と見抜かれている。美鶴の高校生離れした生徒会長就任演説に対抗意識を燃やし、つぎの週の集会でありがたいお言葉を用意するが、順平に同情される始末。
沽券に関わる大演説
えー、諸君らに今日は特別に、大切な話をしようと思います。あー、世間では、不可解な事件や、理不尽な事件が多いようですが··· うー、この学園の生徒である諸君らには、関係ないことだろうと思います。えー、しかし高校生という若い時期には、様々な悩み��あるでしょう··· まー、だからといって、あまり、思い悩むことはないのです。えー、“過ぎたるは及ばざるが如し” という言葉を、紹介します。あー、これの意味はといいますと··· (4月27日・朝礼)
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我が国の未来を見通す(76)
『強靭な国家』を造る(13)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その3)
宗像久男(元陸将)
───────────────────
□はじめに
ロシアが7月17日、「穀物合意」から離脱しま
した。「穀物合意」とは、ウクライナ産穀物を黒海
経由で輸出するため、ロシアが民間船の「安全航行
を保証する」というもので、昨年7月に成立し、1
20日間ごとに延長される仕組みになっていました。
一時的とは言え、離脱することによって、ロシアは
「安全運航を保証しない」ことを宣言したことにな
ります。さっそく、国会海域のウクライナの船舶を
「軍需物資の輸送船と見なす」として攻撃態勢を取
り始めました。
ウクライナの穀物は、アフリカ、アジア、欧州、中
東など40カ国以上に輸出されているようで、これ
がストップした場合、再び世界の食料価格が高騰す
ることが懸念されています。実際に、21日、小麦
相場が8%急騰したこともニュースになっています。
このタイミングでの離脱は、先般のNATO首脳会
議に対する報復処置の意味があるのでしょうが、こ
の処置によって、アフリカなど途上国のロシア離反
が進むという“副作用”があることも間違いなく、
それを覚悟した上での処置なのでしょうから、NA
TO包囲網はロシアにとって本当に“痛かった”も
のと推測できます。
それ以外の理由もあるでしょう。ロシア経済は、す
でに500日以上もの間、1日2兆円といわれる
“戦費”を捻出し続けたために、もはや崩壊寸前、
窮乏のドン底にあると想像できます。元々、ロシア
のGDPは、世界第10位の1兆6000億ドル
(約220兆円)ほどで、韓国と同程度でした。最
近は、インフレが進む一方で、毎期マイナス成長を
続け、GDPもすでに1兆3000億ドルぐらいま
で減少しているようです。
その要因は、“戦費”を消耗する一方、ウクライナ
戦争開始から続いている対ロ制裁、そしてロシアの
銀行が「国際銀行間通信協会(SWIFT)」との
接続を止められているなどの西側の処置にあること
は明白なので、これらの解消が合意再開の条件とな
ることでしょう。
しかし、西側の対ロ制裁の狙いがロシアの弱体化に
あることも明白なので、再び、ロシアが「穀物合意」
をひとつの“武器”として活用し始めたとしても、
合意再開は簡単ではないでしょう。
他人事ながら、今回の離脱についても、“不条理
な”、割の合わないことをしかけたものだと思って
しまいます。しかし、このような不条理なことを何
度も繰り返してきたのが「人類の歴史」でもあるの
です。これからも同じようなことが何度も発生する
ことでしょう。近未来もそして遠い将来も、そのよ
うな外的要因の変化を覚悟し、かつ備えながら、そ
れぞれの国家は「国力」を維持しつつ、「強靭な国
家」造りが求められていると、改めて考えさせられ
ます。
▼我が国の「国力」の低下
戦後、「国益」という言葉が使われなくなったこと
についてはすでに本メルマガで指摘しましたが、最
近、「国力という言葉も使われなくなっているので
は、とふと疑問を持ち、調べてみた所、国会の場に
おいて、「国力」という言葉自体もその概念も使わ
れなくなってきていることを指摘している論文(松
下政経塾「日本外交の要諦」小野貴樹著)を発見し
ました。
小野氏は、「国力」を「国際関係において、ある国
家が持つ様々な力の総体」と定義した場合の「外交
力」に着目して、戦後の歴代の外務大臣による国会
の「外交演説」をチェックしました。
そして、「国力」という言葉(概念)を使用したの
は、重光葵、藤山愛一郎、椎名悦三郎、愛知一揆、
福田赳夫、大平正芳、宮沢喜一、桜井義雄、安倍晋
太郎、倉成正、渡辺美智雄のわずか11人だけだっ
たと実際の演説内容の骨子を取り上げています。氏
の論文を正確に読むと、各大臣はずばり「国力」と
表現しているのではなく、経済力、技術力、人的戦
力など「国力」の“発展段階をたどりながら”演説
していたことがわかります。
論文は、「それが、(渡辺美智雄元外務大臣が登場
した)1993年以降は消えてなくなった」と指摘
しています。つまり、国外的には冷戦終焉数年後、
そして国内的には「バブル崩壊」直後ぐらいから、
国会の場では、「国力」が話題にならなくなったよ
うです。
2003年以降について、「国力」という言葉や概
念の使用の有無を調べる時間の余裕はなかったので
すが、安倍内閣時代を総評する次のような記事を発
見しました。曰く、「『国力が衰えている』という
国民にとって死活的に重要な事実そのものが適切に
報道されていない」として、「国力が衰微している
という事実が隠蔽されていることが、安倍時代が残
した“最大の負の遺産”だった」と批判しているの
です(あえて細部は省略します)。
安倍内閣は、「国力」を高めることを目的とした経
済政策「アベノミクス」を実行し、外交的にも「開
かれたインド・太平洋構想」や「日米豪印戦略対話」
などを提唱した“新たな外交”を展開しました。よ
って、何か別な“あら探し”をしたと勘繰りたくな
る記事ではありますが、次のような、最近の我が国
の「国力」低下傾向を知ると、そう言いたくなる気
持ちも理解できます。
まず、日本のGDPは長い間、第2位をキープし、
アメリカに次ぐ経済大国といわれていましたが、2
010年に中国に抜かれて第3位に転落しました。
1人当たり名目GDPも1995年の第6位を最高
に、年々順位を落とし、2022年には第30位に
ランクを落としました。さらに、1989年には第
1位だった国際競争力が現在は35位、株価に至っ
ては最近でこそようやく回復傾向にありますが、い
わゆるバブル崩壊後、「失われた30年」と揶揄さ
れるように、長い間低迷し続けていました。
最近の綜合的な「国力」のランキングをみてみまし
ょう。「USニュース&ワールド・レポート」は、
軍事力、経済力、外交力、あるいは文化的価値など
に関して1万7000人のアンケートの回答を基に
した「国力ランキング」を毎年発表しています。2
022年のランキングは、1位アメリア、2位中国、
3位ロシア、4位ドイツ、5位イギリス、6位韓国、
7位フランス、8位日本、9位アラブ首長国連邦と
10位イスラエルとなっています。
ちなみに、2021年は、1位から5位まで202
2年と同じで、日本が6位、韓国が8位でしたが、
この1年の間に韓国と順位が入れ替わりました。韓
国は、「1960年代以降、地道に成長を続け、貧
困の減少を経験し、現在は世界有数の経済大国にな
った」ことが評価され、6位に躍り出たようです。
日本は韓国に抜かれたのです。
日本経済新聞社が2021年11~12月に実施し
た世論調査においても、日本の「国力」の評価の質
問で、経済と技術が「強い」と答えた割合は3年間
でいずれも17ポイント下がったようで、新聞紙上
では「新型コロナウイルス下で景気回復やワクチン
開発の遅れが響いた」と分析されてしましたが、実
際の要因はもっと別なところにあると考える必要が
あるでしょう。
このように、ここ数十年間の我が国の「国力」が相
対的に低下傾向にあることは事実と言わざるを得ず、
政府や政治家の先生方にとっては“話題にしたくな
いテーマ”なのかも知れません。
それでも、今なお世界3位のGDPをキープし、
「超大国」として分類されていることは“奇跡”と
言って過言でないのかも知れません。ただし、問題
は、“これから将来どのように推移していくか”に
あると考えます。このままでは、様々な要因からさ
らに順位を落とし、やがて「超大国」の地位から
「大国」以下に転げ落ちることが懸念されるのです。
最近の“衰退”の要因と、国会などの場で「国力」
という言葉自体も使用されなくなったことの因果関
係は解明できないかも知れませんが、国民から負託
を受けて国家の舵取りを担うべき政治家(同様に官
僚も)の頭の中から「国力」に対する“関心”とか、
それを維持するための“責任”とか“情熱”が抜け
落ちているとすれば、由々しき事態と言わざるを得
ないと私は考えます。
何度も言いますように、我が国の未来は決してバラ
色ではなく、このままでは、内外の数々の「暗雲」
が立ちはだかることが現実になります。「いかに立
ち向かうか」は、我が国の至上命題であり、国家の
存亡がかかっていると考えます。しからば、そのた
めにどのように“荒治療”すればよいのでしょうか。
▼“我が国の未来のため”の「国力」を再定義
上記のような問題意識のもとに、 “荒治療”の具体
的な方策(要領)を得るために、「国力」を再定義
してみたいと考えます。前回紹介しましたように、
「国力」の定義は定まっておらず、いくつもありま
す。たぶん、「国力」に含むべき要素は大同小異な
のでしょうが、要素のどの部分を強調するかについ
ては、「国力」を論じる人が“自分の主張に合った
説得力”を追求しているように見えます。
浅学菲才ながら、私はここにヒントを得て、改めて
「国力」の要素を考えてみようと思います。名付け
て、“我が国の未来のため”の「国力」の再定義で
す。
最近、私の後輩にあたる元陸上自衛官で、元東部方
面総監の渡部悦和氏が『日本はすでに戦場下にある』
を上梓し、その中で「国力」について、前回紹介し
たレイ・クラインの方程式を次のように修正しまし
た。
国力=(人口+領土+経済力+軍事力+政治力+科
学技術+教育+文化)×(国家戦略目標+国家意思)
この方程式によって、渡部氏は、「国力」の要素を
人口や経済力に加え、政治力や科学技術力、そして
教育などまでを含む「ハード・パワー」に加え、戦
後、明確な「国家戦略」がなかったことや「国家意
思」を含む「ソフト・パワー」にも着目しています。
中でも、「強い経済力なくして、強い軍事力はない」
としながらも、主に国防力に特化した形で、「戦後
の日本において“軍事アレルギー”が幅を利かせた
ため、あまりにも視野の狭い考え方となった」と
「国家意思」についても批判の対象にしています。
渡部氏の修正は、我が国が未来に向かっていかに進
むべきかを分析する時のヒントは与えてくれ��すが、
前回取り上げましたような、外的・内的要因の克服
する“国家の強靭化に向けた荒治療”という観点に
立つと、ハード・ソフトともに、埋没して不明確に
なっている部分があると考えます。
よって私は、やや複雑にはなりますが、「国力を定
義づける方程式」については、我が国の“未来”に
対して、なんらかの形で“関与”する要素について
は、漏れなく方程式に当てはめ、かつそれぞれの要
素をもう1段階ブレークダウンして分析することに
しました。
まず、「国力」の再定義する方程式としては、
国力=((1)人口+(2)領土+(3)経済力+(4)食料・
天然資源+(5)軍事力+(6)政治力+(7)科学技術+
(8)教育+(9)文化)×((10)国家戦略+(11)国家意思)
です。クラインや渡部氏同様、「国力」は(1)~(9)
までの「ハード・パワー」と(10)(11)の「ソフト・
パワー」が“掛け算された総合力”と定義します。
そして、それぞれに要素を次のようにブレークダウ
ンして分析しようと考えています。
(1)「人口」については、少子化、高齢化、人的資源
などのそれぞれの視点から「国力」に及ぼす影響を
分析します。同様に、(2)「領土」については、国土
面積、地政学的位置、国土の特性など、(3)「経済力」
については、工業力、貿易、財政、通貨、国際競争
力、市場の大きななど、(4)「軍事力」については、
陸海空軍の組成、通常兵器の量・質、兵員の量・質
・練度、核戦力の有無など、(5)食料・天然資源につ
いては、食料自給率、エネルギー自給率、その他の
資源の自給率などを分析します。
さらに、(6)「政治力」については、国内政治力、外
交力など、(7)「科学技術」については、工業力と深
いかかわりがありますが、あえて区分して、基礎的
科学、技術力水準(特に、情報技術水準)、開発費、
公共投資など国家の取り組みなど、(8)「教育」につ
いては、人的資源や科学技術力とも深いかかわりが
ありますが、あえて区分して、教育の質、学歴、教
育の傾向性など、(9)「文化」については、地域(国
際社会)に影響を与える文化の種類・影響力などを
分析します。
「ハード・パワー」に分類されるこれらの要素は、
相互に関連する部分もありますが、憲法をはじめ、
法的・政策的制約などを含め、努めて個々に分析し
ます。
一方、我が国の場合、「国力」の盛衰の鍵を握って
いるのは、「ソフト・パワー」にあると考えます。
細部は後述しますが、個々の「ハード・パワー」を
活かすも殺すもこの「ソフト・パワー」次第なのだ
と思うのです。(10)「国家戦略」には、「ハード・
パワー」の要素ごとの個々の戦略と、「部分最適」
に陥らないためにそれらを束ねた「国家戦略」のよ
うなものが必要になってくるでしょう。その上、
「国家戦略」の策定を可能とする「国の形」まで含
むものと考えます。
これは実は厄介です。細部については後でたっぷり
触れることにしますが、同じような視点に立って考
えている人も(少数ですが)存在します。船橋洋一
氏は近著『国民安全保障国家論』の中で次のように
述べています。「コロナ危機やウクライナ戦争から、
『自分の国を自分で守れない国は生き残れない』
『世界は自ら助くる者を助く』ことがわかった」が、
「我が国には『国家安全保障国家』のような『国の
形』がない。そのような『国の形』をつくるのを拒
んできた『戦後の形』がある」として、「『戦後の
形』では、新しい時代の挑戦に対応できない」と結
論づけています。全く同感です。
極端な話、現憲法下の「国の形」がこのままで良い
か、あるいは見直す必要があるのかまで含むとすれ
ば、それ自体が高いハードルになることでしょう。
そして、「国の形」を変えることは、(11)の「国家
意思」が相当部分を占めることは当然です。その
「国家意思」は、大多数の「国民意志」により支配
されるでしょうから、大方の国民の“精神”まで含
むことになると考えます。
このように、「国力」を維持するための“荒治療”
の具体的な方策は、「国力」に包含されるあらゆる
要素を漏れなく洗い出し、それらの相互関係のメカ
ニズムをモ��ル化することまで求められると考えま
す。究極の焦点は、現憲法の下でそれが可能なのか
否かになることでしょうが、変化の激しい内・外情
勢の一方で、依然、強く残っている「戦後の形」か
ら想像するに、その議論に時間を費やしている暇
(いとま)がないのかも知れません。
現行の「国の形」のもとで、“不十分ながらも、で
きるものから始める”という選択肢を採用せざるを
得ないとも考えますので、そのあたりも含めて議論
することにしましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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三輪秀次の小説(二次創作)
【4】
四 七月 古寺章平
E per me nuovo Capir nol so.
(初めてのことで、僕にもよくわからないのだ)
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト『フィガロの結婚「恋とはどんなものかしら」』
スマホの音楽アプリに、有名なアリアをダウンロードするくらいには古寺の頭はおかしくなっていた。
三門市も梅雨が明ける。もう夏が始まる。中三の彼にとっては受験生の夏である。しかし、塾の夏期講習はキャンセルした。
ボーダーに入隊したのは二ヶ月前、ポジションは最初から狙撃手を選んだ。自分に合っていると思ったからだ。昔から、何事も遠くから俯瞰して眺めるくせを持っている。
近界民侵攻から三年、仮設住宅にもようやく慣れてきた。壁は薄い、部屋は狭い。寒いと暖房が、暑くなるとクーラーの効きが悪いと母親はいつもぼやいている。男子三人を抱える家庭にとって、特に夏休みは母さん発狂案件だった。長期休みが来るたびにそろそろ新しい家をという話になる。
それは、三門を離れるか残るかという話でもあった。司法書士である父ならば他の土地でも仕事はできる。それでも、故郷の街を離れるのはかなりの勇気がいるらしい。しかし、この土地に住み続けるにはある一定の覚悟が必要だった。街が近界との境目に位置しているからだ。国と三門市からは住宅斡旋の補助が出ているが、再び住居を手に入れるにはまだ覚悟が足りない。そんな人たちが仮設住宅にはたくさん住んでいる。
古寺はこの歴史のある街に愛着があったので、ボーダーに入隊することで、家族の気持ちを後押ししたい気持ちがあった。
愛着があるだけではない。古寺には三門市を離れたくない理由が他にもあった。
古寺には近くにいたい人がいるのだ。いま、離れたくない人が。この気持ちがどういうものなのか、彼は知りたい。
E per me nuovo Capir nol so.
初めての気持ちで、古寺にもよくわからないのだ。
だから、彼自身にもそれが恋だとか何だとかはまだ言えない。恋とはどんなものなのだろうか。
作戦室目的で奈良坂を入れたと豪語するわりには、米屋は部屋に居つかなかった。相変わらず個人ランク戦に忙しい。
作戦室はまだ備え付けのロッカーとテーブル、オペレーター用のデスクがあるだけの部屋だ。三輪はA級の部屋よりは狭いなと感じる。
…やはり、狙撃手二人体制がいい。
奈良坂は自分のノートを見ながら、そう主張した。やりたいことがいろいろあるらしい。
三輪は奈良坂の意欲が嬉しい。一緒にあーだこーだ言っていると、大抵、米屋はもう個人ランク戦行ってきていい?と言い出す。聞いてないわけでない。理解したし了承したから、もういいだろうというサインだ。了承しなければ、要所要所で口を挟む。わかってきた三輪はあとで俺たちも行くからなと送り出す。それがここしばらくパターンとなっていた。
「で、目星はついているのか?」
「候補がいる」
優しげな風貌だが、見た目に反して俺様であるスナイパーは胸をはった。
「それなら、まかせる」
狙撃手のことは狙撃手に任せたほうがいい。それよりも、戦闘員四人体制のチームについて、考えることはたくさんあった。楽しい。楽しいだけではなく、問題もある。四人体制のチームは少ない。オペレーターに負担がかかるのだ。月見との細かい打ち合わせも必要だった。
「えー、俺はこれから辻ちゃんと戦うんだけど」
対戦ブースである。
辻新之助は二宮隊の一員である。その縁で、三輪もここ最近で知り合った人物だ。さすが二宮が選んだだけあり、かなり優秀なアタッカーである。控えめな印象を受けるが話せば明るくて人当たりもいい。コミュニケーション能力が高い人間であると思うが、何故か女性に対してはそうもいかないらしい。
「秀次と奈良坂にまかせるよ」
奈良坂の推す狙撃手に会って来るのだが、と誘ったところ、案の定、米屋は個人戦を優先したいようだ。
「秀次だって、奈良坂に任せてるんだろ」
「俺はいいよ、米屋くん行ってきなって」
遠慮する辻に申し訳ないが、三輪と奈良坂では進む話も進まない可能性がなきにしもあらずだ。奈良坂には言えないが、三輪は奈良坂が自分と同類ではないかと思っている。つまり、コミュニケーション能力が低い側だ。
辻には詫び、三人で待ち合わせをしているというロビーに向かう。
何、このキラキラ感。
顔面偏差値の高い集団に囲まれて、古寺は赤面している。彼は年頃ではあるが、容貌についてはそれほど頓着しない。ましてや、ここは実力主義のボーダーである。これは、あれだ、あれ。教室で女子が読んでる漫画。アレのキラキラ感。読んだことはないのだが。
高いのはそれだけではない。戦闘力である。古寺の家にも積まれている小学生男子のバイブル的漫画(侵攻で一度焼失したが下の弟のためにサンタが去年持ってきてくれたものだ)で登場するアイテム、スカウターで測れば戦闘力は五十三万までは行かなくとも結構な値が出るのではと思わせた。
新���王である奈良坂は言わずもがな、A級隊員だった三輪、個人ランク戦強者の米屋、この三人が隊を結成したその日にはC級隊員に激震が走った。
B級ランク戦に再び波乱の予感だ。ランク戦を見たくて、ボーダー入りしたC級隊員は意外と多い。
その三人がなぜ自分に。
「話はわかりました。でも、なんで俺なんですか?」
「奈良坂が決めたから」
「奈良坂が推すから」
アタッカー二人は、奈良坂を見る。古寺も当然向いた。
「奈良坂先輩?」
奈良坂は表情を変えずに、首を少しかしげた。
「マップ」
「え」
「…合同訓練のときにマップを読むのが俺よりうまいと思った」
狙撃手は正隊員との合同訓練で三週連続で上位十五%以内に入ることにより、B級に昇格し、正隊員となる。夏期講習をキャンセルした罪悪感を消化するため、ひたすら訓練に励んだ結果、結構な速度で古寺はB級へと進んだ。しかし、特に目立つことはなかった。いまや狙撃手は人気ポジションであって次々と話題のスナイパーが登場するし、転向してくる隊員も多い。さらに不動の上位陣は常識外れなほどに技量が高かった。
奈良坂は上位陣の中でもトップに君臨する一人である。
光栄な話だ。二つ返事でひきうけたい。
でもでもでも。
古寺は未練があるのだ。
宇佐美栞は、古寺より一つ年上の風間隊のオペレーターである。今シーズンで風間隊はA級へ駆け上がった。正確に言えば、まだ、A級への挑戦権を行使していないが、おそらく、駆け上がるであろう台風の目である。
その立役者と言われるのが、高校一年生になったばかりのオペレーターだった。宇佐美だ。風間隊のコンセプトを立案し、その戦略に沿った人間をスカウトして実現した。もちろん、隊長である風間が主体だろうが、それを差し引いてもおよそ、高校生のできることとは思えない。
しかし、古寺は宇佐美らしいと思った。彼女ならば、お手のものだろう。得意分野だ。
宇佐美とは同じ中学で生徒会に在籍していた。彼女は改革者だった。彼女の手腕により、学校があっという間に新しい姿に変わっていく様子は恐ろしいほどだった。苛烈ではない。現状を肯定しながらも、いつの間にか現状自体が変わっている。
彼女が三年生の途中で、ボーダー入隊のために辞めてしまったのは、おそらく彼女の理想の形に変革し終わったからだろう。
「章平くんとは眼鏡仲間だね」
彼女と話していると、頭の中がきれいに整理されていくようだった。頭の良い人と話すとはこういうことかと、感心したものだ。
彼女と話すのは好きだった。彼女のことを天然と揶揄するものもいたが、理路整然としているのに、型にはまらない喋り方が心地よかった。
ボーダーに入隊した彼女を追うようにボーダーに入ったのは、思い詰めてではない。あの��をまた聞きたいとなんとなく、そう、なんとなく思ったのだ。なんとなく離れがたくて。
「章平くん、ボーダーに入ったんだ」
もちろん、宇佐美は古寺を覚えていてくれた。また、声が聞けて嬉しかったけれど。
それから先の感情は古寺はまだ知らない。意図的だろうか、おそらくそうに違いない。頭の良い人だ。現状を把握するのも上手い。そして、現状を肯定しながら操るのは彼女の得意分野だ。
やんわりとそこから先にすすむことは拒否された。何か態度に出たわけでもない。言葉はない。けれども、この初めての感情がそこでストップされてしまったのだ。
もちろん、今更、風間隊に入れるわけもない。
古寺は今、ただ途方にくれている。
古寺の葛藤は表面には出なかったようだ。
「マップ?」
「マップ?」
奈良坂の意見にアタッカー二人は、意外そうな表情をしている。
「マップは月見さんが担当だろう」
「それがいけないと思う。三輪も米屋も、マップが読めていないだろう」
「読める」
「戦術の問題だ」
「わかっている」
地図の読めない男だと言われた三輪は反論する。東にも、月見にも散々叩き込まれているのだ。急に喧嘩腰で喋り始めた奈良坂と三輪を目の前にして、古寺はこの人たち、仲いいなあと思うだけだ。
「古寺がビビってんじゃん」
地図の読めない男そのニがフォローに入る。
「いえ、そんな。皆さん、仲がいいんですね」
ありがたい話というのは別として、この仲良し三人のなかに自分が入ってやっていけるのか。
「大丈夫だ。別に仲がいいわけじゃない」
古寺の不安を見透かして、奈良坂が言った。
「こいつら、相性とか気にしないらしいから」
奈良坂の顔は端整すぎて表情が読めない。
「どうする?」
終わり
五に続く
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五 七月 三輪隊
三輪隊への入隊届を出した、その足で作戦室に向かった。初めて足を踏み入れた作戦室は殺風景だった。
案内するほどもない狭い作戦室の壁際に小さな机が置いてある。
「古寺くん、受験生でしょう。ここで勉強したらと思って」
月見は古寺に遠慮するすきを与えず、テキパキと椅子に座らせた。
「広さはどうかしら?」
「ありがとうございます」
「奈良坂から聞いた。六穎館だろ」
「はい、一応」
「スゲエ」
米屋が腕を後ろにまわしたまま、大げさに感嘆の声をあげる。奈良坂が気遣わしげに見てくる。彼は中学受験組だったそうだ。
地域一番校である六穎館高等学校の今年の入学審査が今までにない激戦であるのは周知の事実だ。
今年度の受験生が小学六年生のときに近界民侵攻は起きた。このため当時、中学受験を断念した者が多く、彼らのうち、県外に出なかった者は高校からの入学を目指す。さらにボーダー提携校になったことも非常に大きい。同レベルの高校を目指していたものが、六穎館に志望校を変更する者も多い。内申点四五/四五を誇る古寺であっても、本来ならば気を抜いていいものではない。皆の心遣いが嬉しかった。
自然と笑みが浮かぶ。途方にくれた、寄る辺のなさはまだあるけれど、それはそれで悪くないと思えた。
「がんばります」
「明日はここに学校が終わったら集合、打ち合わせをしながら昼。明日は、みんな、午前で学校終わりだろ」
「そうだっけ?」
「終業式よ」
「通知表、みんな持ってこい」
「なんで」
「確認するわ、成績は任務遂行の上でも大事よ」
「誰が決めたんですか」
「城戸司令」
「ホントですか?」
「夏休みかぁ、プール行きたい。今年オープンした市営プール、超いいらしいぜ。栞が風間隊で行ったらしい」
「風間隊!? 栞って、宇佐美先輩のことですか?」
「ああ」
米屋はこの展開に相当馴れているらしく、すぐに、ニヤリと笑った。
「宇佐美栞は俺のいとこ」
「マジですか〜?」
「俺はプールは行かない」
「泳げないんだろう」
「そんなことない」
「海もよくね?」
夏が来たのだ。
次のシーズンが始まる。
終わり
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西���減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇��喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2024/11/3 20:00:07現在のニュース
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淨土大經解演義(第三集) 淨空老法師
淨土大經解演義 (第三集) 2010/4/7 香港佛陀教育協會 檔名:02-039-0003
諸位法師,諸位同學,請坐。請看《大經解》第一面倒數第二行。
我們從「而其中之《無量壽經》者,乃淨土群經之首要,淨宗大德常稱為淨土第一經者也」。這一句在前面跟諸位說過,這是老居士無盡的慈悲,真實的智慧,在一開端,這第一個小段,就把這一部稀有的經典介紹給我們。我們有幸在這一生當中能聽到、能讀到,能依教奉行,我們可以這麼說法,像彭際清所說的,這是「無量劫���希有難逢的一日」,他的原話是這麼說的,這一天太難得!說「一日」好,我們能把這一天抓緊,這一天不但是永遠脫離六道輪迴,給諸位說,永遠脫離十法界。脫離六道輪迴,脫離不了十法界,脫離十法界還相當難度;這個法門得到之後,脫離十法界了。這裡說是「淨土群經之首要」,我的看法,不僅是淨土,是一大藏經群經的首要。諸位都知道,《般若波羅蜜多心經》是般若部的首要,不長,二百六十個字。佛說《大般若經》講了二十二年,二十二年講什麼?就是《心經》,展開來就是六百卷《大般若》,歸納起來就這二百六十個字,不增不減。可是我們淨土宗也有心經,那心經是什麼?淨土五經裡面最後的,這是印光大師把它拈出來,放在淨土四經後面,就成淨土五經。這個舉止我看到了無比的驚訝,實實在在了不起,那就是《楞嚴經》裡面「大勢至菩薩念佛圓通章」。這一章經文多少?比《般若心經》還少,二百四十四個字,《般若心經》有二百六十個字,這是二百四十四個字,它是淨宗的心經。淨宗是一大藏教的首要,換句話說,「大勢至菩薩圓通章」就可以圓攝十方三世一切如來所說的一切經教、無量法門,這是真的,不是假的。「圓通章」上告訴我們,「不假方便,自得心���」,「都攝六根,淨念相繼」,就成功了,就圓滿了。這是佛法不可思議之處,我們這一生能遇到,無比的慶幸,要抓住,如果不抓住太可惜,你在六道輪迴裡哪一天才能遇到這個東西?
我們再往下看,「至於《佛說大乘無量壽莊嚴清淨平等覺經》者,乃先師夏蓮居老居士,會集《無量壽經》漢、魏、吳、唐、宋五種原譯,廣擷精要,圓攝眾妙,匯成今經,現推為《無量壽經》之善本者也。」這樁事情不容易。黃念祖老居士的老師就是夏蓮居,他生長在佛法家庭,他的舅舅是梅光羲居士。在那個時代,佛門裡有句話說「南梅北夏」,這是在家學佛的,南方第一個人梅光羲,北方第一個人夏蓮居,南梅北夏,這兩位大德。他們兩個是多少年的同事,同參道友,關係非常密切。黃念祖這個外甥就送到夏老那邊去,跟夏老學佛,跟了二十多年,是夏老的傳人,傳法的弟子,我們佛門說法子。這部經就是夏蓮居老居士會集的,依據現在《大藏經》裡收藏著五種原譯本,漢、魏、吳、唐、宋。這是朝代,這個魏就是三國時代的曹魏,吳也是三國,這是三國時代的,魏、吳都是三國時代的,唐、宋,一共是五種譯本,這個��譯後面會說到。五種原本,在現在印刷術發達,不難找到。不要說是古時候,我學佛那個時代,六十年前,六十年前印刷還是用鉛字排版,算是很進步了,比不上現在的照相,這太方便了,在那個時候書籍也相當不容易找到,這五種本子很難找到。最常見的就是吳譯的,康僧鎧,《無量壽經》只有這一種本子在外面流通可以看得到,其他的四種本子都很少流通。我們很難看到五種原譯本,除非到《大藏經》裡面去找,沒有單行本流通。根據古大德他們告訴我們,這五種經本裡面出入很大,有些這個經上說到,那一種譯本上沒有。所以古大德根據這個事實真相判斷,應當是世尊當年在世的時候,《無量壽經》是多次宣講,才會有這種情形。如果是一次宣講,翻譯的人再多,總是大同小異,不會有很大出入。這個推斷非常合乎邏輯,我們認為是正確的。多次宣講,那就是顯示出這個法門的重要。真的,特別是末法時期,一切眾生在一生當中能得度,可以說就是這個法門。我們可以說從黃念祖以後,黃老是念佛往生的,他在病重的時候托朋友告訴我,他每天念佛十四萬聲,念佛走的;他是密宗的金剛上師,他沒有修密法,他念佛走的。夏蓮居老居士也是顯密圓融,最後往生也是念佛走的。這都是做給我們看的。
後面這兩句八個字,簡單介紹這個會集本的優點。「廣擷精要」,五種原譯本裡面的精華,最重要的開示,全都在這個會集本裡頭。所以我們可以說,這個會集本是五種原譯本的集大成,夏老為我們做這個工作。「圓攝眾妙」,圓是圓滿,五種原譯本裡面最精妙的理、事,都會在這部經裡頭。「現推為《無量壽經》之善本者也」,誰推的?夏蓮居老居士很謙虛,當然自己不好意思說。確確實實比過去三種會譯本好,這三種會譯本都有瑕疵,這個地方挑不出毛病,這個難得。第一個推崇的,是慧明老法師,夏蓮居的皈依師,這是出家人,也是通宗通教、顯密圓融的一位老法師;居士裡面第一個推崇的,梅光羲梅大士。這個本子傳到台灣,也是一個老居士從山東到台灣帶來這個本子,這個本子前面有一篇很長的序文,諸位都看到,現在印的本子都附在後面。我們李老師一看,這是他老師寫的,他老師介紹的,無比的歡喜。那時候李老師才六十多歲,大概六十五歲左右的樣子,看到這個本子,在台中就講了一遍。這本子剛剛會集出來,才流通出來,印的數量不多,大概只印了三千本,分量不多。看到之後,當然沒有人給它做註解,以後只聽說慈舟法師,是個學律宗的長老,這都是民國初年的佛門的大德,在山東用這個本子講過一次,還做過科判。這份科判,黃老居士用影印本送了一本給我,我根據他這個科判再做一個很詳細的科判,我有個科會。這是受到這麼多人推崇。李老師講這部經,自己用眉註,他的東西我能看得懂,他把段落勾出來,每個段落的大意,那就是科題,都標示出來。所以我最早在美國講這部經,是依李老師的眉註。好像講過二遍或三遍,然後才遇到黃念祖老居士,他把他這個註解送給我。送給我,前面跟諸位報告過,是油印的本子,紙張印刷,裡面的字都模模糊糊的,那樣的一個本子。那個時候黃老回到北京,我就托人向他老人家請教,這個本子有沒有版權,如果有版權,我們得尊重他,要是沒有版權,我就準備在台灣把它印成書正式流通。他回覆我,沒有版權,還要我給它寫一篇序文,要我給它題字。所以我們第一次在台灣印了一萬冊,這個本子在海外就流通了。
「淨宗學會」是夏老提出來的。佛法要在現代這個社會弘揚,必須要正名,所謂名不正則言不順。過去,在古時候,佛家道場都叫寺院庵堂,用這個名稱,現在人看到這個名字就認為它是宗教,它是迷信。所以夏老提出正名,名不正則言不順,很有道理,我聽了之後歡喜,非常贊成。他說我們大眾在一起修行的道場,應該稱「學會」,淨土宗,「淨宗學會」,華嚴宗稱「華嚴學會」,「天台學會」,用學會。教學的機構用「學院」,這個好!人家一看這是個教育機構,不至於跟迷信去掛鉤,這個提議非常好。可是提出來之後,在國內從來沒有設立過,沒有正式成立過,所以念公就囑咐我,在海外成立,你在各地方講經弘法,希望各地都能夠成立淨宗學會這個部門。第一個淨宗學會是在溫哥華成立的,「加拿大淨宗學會」,現在還有;第二個學會是「美國淨宗學會」,在加州聖荷西桑尼維爾成立的,現在還在,楊一華居士主持。以後我在美國跟加拿大總共成立三十多個會,可能現在還有存在的,也有的就沒有了,應該現在美加十幾個會我想是有的。成立最多的是馬來西亞,馬來西亞國家不大,現在恐怕有一百多個淨宗學會,將近有兩百個,這是最多的。其他到歐洲,歐洲我曉得有些主要的國家幾乎都有,像英國、法國、德國、西班牙都有。在澳洲,澳洲好像有十幾個。淨宗學會它的性質,實際上跟從前蓮社沒有兩樣,只是招牌換個名字。這個學會沒有組織,沒有統轄,所以他們的人事、經濟、行政完全獨立。凡是淨宗學會,我們都是同道、同門的友誼,是友誼的關係,大型的活動,邀請的時候我們都會支持,互相支持、互助合作。不像一般的教會,它有總會、分會,我們沒有,我們沒有哪個會是總會,哪個會是分會,沒有,每個會都是一樣大,各個都第一,沒有第二。世尊當年在世,四十九年教學,釋迦牟尼佛沒有搞組織,甚至於就是一個學校,他們也沒有分班級。這種精神好,這真正叫清淨平等覺,我們應該把它永遠保持下來發揚光大,與性德完全相應。這是附帶說這些老人對我們後世的垂愛,教導我們在這個時代應該怎麼做法。
印光大師講得更好,印祖說,在末法時期,也正指我們現在這個時代,道場不要太大,同學不要太多,他給我們講,同學最好不要超過二十人。真的,在我們現前這個社會好,開銷小,二、三個有力量的護法就能夠照顧到。修行人首先的條件是身安則道隆,你要身心安穩,那麼你一切都要簡化,要簡單,不求人、不怕苦,這是佛教給我們兩個條件。釋迦牟尼佛臨走的時候告訴往後的弟子,第一個要持戒,以戒為師,第二個以苦為師;你不能吃苦、不能持戒,你什麼都得不到,那是假的不是真的。這兩句話的開示比什麼都重要,我們有沒有做到?為什麼從前人能做到,清末民初的人都能做到,現在人為什麼不能做到?我對這個問題想了很久。我走過很多地方,見過很多我們佛門的佛友,在家,十善業做不到,出家,沙彌律儀做不到,我們感到很遺憾。我們追問,為什麼?追到最後把根源找到了,教育。
清末民初那個時候,就是民國二十年以前,傳統文化雖然衰了,講的人少了,還是有人講,還是有人在做,還有根!也就是說,家教還沒有完全斷絕,中國的家教是私塾的教育。我們家鄉是個古文化的發祥地,中國的桐城派就在我們家鄉這個地區,明清兩代出了很多人才。農村裡面,村莊裡頭小孩都念書,幾乎沒有不念書的小孩,學校在祠堂裡面。他有這個底子,所以他從小學到規矩,讀了些古書,有根,有儒的根,有道的根,道就是《太上感應篇》。道家最普遍的道場就是城隍廟,城隍廟是道教的道場,這裡面最重要的教育就是十王殿,十殿閻王,教什麼?教因果。農村裡面的婦女,一年到城隍廟燒香總得有個四、五次。我小時候跟著我母親,那時候很小,五、六歲,上城隍廟燒香,父母就機會教育,告訴我們起心動念、言行舉止都不能夠犯罪。犯罪,你看那個刑罰,刀山、油鼎;妄語,拔舌。這個印象很深,你一生都不會忘記。長大了,起心動念會想到城隍廟,你有的事情不敢做。中國古人所謂「少成若天性,習慣成自然」,從小養成這種教育,產生很大的效��,遇到事情,你想想這個事情該不該做,後頭還有什麼樣的因果,就害怕了。所以學佛,三皈、五戒、十善很容易接受,很容易做到!現在為什麼這麼難?就是傳統基礎的教育、扎根的教育丟掉了。這是我們跟日本人八年抗戰抗掉的,我覺得這是無比的損失。到以後我們漸漸接觸到佛法,就又回到傳統文化裡面來,儒釋道三家關係非常密切,永遠沒有辦法分開的。接觸到之後明白了,真好!在全世界找不到。你學了之後,你才真正愛護這個國家,真正愛這個民族,全世界再找不到。
外國人比我們好的地方,孫中山先生講得很清楚,他說只有科學技術、機器,他們發明一些機器比我們強,除這兩樣之外,哪一樣都趕不上我們中國。我們聽到這些話完全肯定,一絲毫懷疑都沒有。所以這麼多年來,我們走了許多國家,跟這些外國人交往,知己知彼,他的優點我們曉得,他的缺點我們也曉得;我們中國人的缺點他知道,優點他不知道。除了少數研究中國文化的、研究中國歷史的,他們懂得,他懂得,沒有不佩服,這是人性,他佩服。像湯恩比這一類的學者,明明白白的就能說得出來,「解決二十一世紀社會問題,只有孔孟學說跟大乘佛法」,英國人講的。真的,一點都不假。我參加十幾次聯合國主導的和平會議,現在國際社會麻煩大了,幾乎到不可收拾的地步,這怎麼辦?所以我在劍橋講演的時候,我就問同學們,這是你們英國人說的,儒家的東西、大乘佛法真能解決問題嗎?同學們對著我笑,沒有一個說話的。我又問,難道湯恩比博士說錯了嗎?也沒有人說話。最後我說我的看法,我說湯恩比的話沒說錯,大概是我們把它解讀錯了。為什麼?我講話對象都是漢學系的學生,都是研究中國傳統文化的,研究得很認真,我們不能不佩服。很多學生《論語》能夠背,我《論語》還背不出來,還不如他。他們拿著儒家經典寫博士論文,拿著佛經寫博士論文,其中有一個告訴我,他寫博士論文用《無量壽經》。我說《無量壽經》有九個版本,你用哪個版本?他用夏蓮居的會集本,跟我們學的是一個本子。我說我們今天提到孔孟,你馬上會想到四書五經、十三經,你想到那些;講到大乘佛學,一定想到《華嚴》、《法華》、《般若》這些大乘經典,這都是你們很熟悉的,能解決現在社會問題嗎?沒人敢講話。我就告訴他,這是個誤會。
提到中國傳統文化,你們都想到代表性的典籍,這是沒錯,四書五經、十三經是儒家代表,《華嚴》、《法華》、般若、法相,這是大乘佛法的代表,沒錯。但是這是花果,多美,多好看,花果從哪裡來的?樹枝條上長的。樹枝條從哪來的?枝條它有根本,根本是什麼?佛法的根本是十善業道。《十善業道經》不長,佛在經上講得很清楚,「十善業道」好比是大地,樹木花卉都是從地上生的,這才把根找到;佛用這個做比喻,人天法、聲聞菩提、緣覺菩提,乃至無上菩提,都從這個大地生的,根找到了。孔孟的根是什麼?孔孟的根就是《弟子規》。道的根就是《太上感應篇》。這三樣東西沒有人想到。這個東西能生四書五經、十三經,能生一切大乘法,它從這裡生的,你把這個東西找到,從這裡學起,下功夫,這就行了,真有救。救今天的社會,這三個根就管用。
今天,我們想到災難很多,佛在經論裡教給我們,如果這個地方有一個道場,真的道場,不是假的,真道場是什麼?叫「六和敬」。你看我們在受持三皈的時候,「皈依僧,眾中尊」,要去念這個誓詞,這句話什麼意思?僧是僧團,是個團體。什麼樣的團體叫僧團?僧團不一定是出家人,這一點大家學佛一定要搞清楚。四個人以上在一起生活,都修六和敬,就叫僧團,它叫「和合眾」。眾是四個人以上,我們中國三個人稱眾,佛法裡四個人,四個人叫一眾。這四個人,如果你是家庭,你家庭有四個人,家庭裡面修六和敬,你這個家庭就是僧團。這個僧團產生什麼效果?十方諸佛護念,一切龍天善神擁護。有這個團體在,這個地方沒有災難,這是真的,不是假的。所以僧,不是指出家人,諸位要知道,出家在家都一樣,四個同修在一起修行。什麼叫六和敬?我們這外面也掛著的,十樓掛著,你們進去就看到,「見和同解,戒和同修,身和同住,口和無諍,意和同悅,利和同均」,這六條。這六條要怎麼樣才具體落實?給諸位說,落實三個根就落實了。如果我們這個小團體裡,《弟子規》落實了,《感應篇》落實了,十善業落實了,這就是和合僧團。這個小團體,人數是四個人以上,多是沒有數量限制的,在這一個道場修行,這個道場就是十方諸佛護念,一切龍天善神保佑。這樣的道場有沒有?我學佛五十九年了,沒看見一個。不但沒看見,聽也沒聽說過,我只聽說過兩個出家人住在一起天天都吵架,悲哀!現在災難這麼多,出現一個這樣的僧團,香港有這麼一個僧團出現,香港這個地區災難就沒有了。你們肯不肯發心?我們來提議,真正發心的來報名、來簽字。先要好好想一想,得真幹,不真幹,別開玩笑,開玩笑罪過很重。我們不能要求別人,從自己做起,從本身做起,從我們這個小道場做起。對別人的道場尊重,決定不批評,���定不干涉,決定不說別人是非,一切從自己做起,從我們小道場做起。看看我們小道場人有沒有簽名的?有沒有發心真幹的?災難這麼多,怎麼樣救香港地區?香港沒有災難,我就相信中國沿海就沒有災難,向外面,從日本、韓國到台灣、菲律賓,下面到越南,這個地區都不會有災難,你說這個功德多大。全在自己肯不肯發心,肯不肯真幹!夏蓮居老居士一生,常常講這兩個字,「真幹」。
真正把三個根落實了,我們皈依《無量壽經》,皈是回頭,依是依靠,依靠《無量壽經》上講的道理,依照《無量壽經》講的方法認真修行,沒有一個不生淨土,生淨土就是一生成佛;換句話說,你這一生就成佛,你功德就圓滿了。可是你要記住,真正想圓滿,那三個根很重要。三個根好像沒有,聽說也往生了,有人告訴我。有沒有這個情形?有。但是他那三個根不明顯,有沒有?他肯定有,他要沒有他怎麼能往生,哪有這個道理?說一個老太婆念佛往生了,一生也沒有學過佛,也沒有學過道,也沒有學過儒,她什麼都不懂。你拿《弟子規》這個標準去看看她,她有犯哪一條?你認真一檢查,她哪一條都沒犯,她沒學過。十善業沒學過,這人真的是個善人,她具足了。你細心去觀察才能發現,那往生的人,念佛往生的人,不管他有學沒有學、認識字不認識字,他都是很有德行的人,都真正是個善人,他才能往生。心行不善,心機很多,這種人很難往生。為什麼?你不能到極樂世界諸上善人俱會那個地方你還動心機,那怎麼可以?你的起心動念佛菩薩知道,諸上善人各個都知道。真的嗎?真的,《還源觀》上就是這樣告訴我們,一切眾生,心裡才動一個念頭,這個念頭就周遍法界。它的速度太快,它稱性的,這我們自己不知道。無論什麼念頭,只要念頭一起,三種周遍。第一個是這個信息周遍法界,第二個出生無盡,第三個含容空有,一念之間就三種周遍。周遍的範圍你無法想像,我們中國人有兩句話形容得非常好,「其大無外,其小無內」。這兩句話很多人聽得耳熟,也都能講,實際上它的意義很難說得清楚。其大無外,沒邊際,其小無內難懂,《華嚴經》上講得好,怎麼叫無內?一粒微塵,裡頭有世界,什麼樣的世界?跟外面世界一樣大。微塵裡面有世界,世界並沒有縮小,微塵沒有放大,一樣的,沒有大小!微塵裡面那個世界裡還有微塵,那個微塵裡頭還有世界,重重無盡,叫其小無內。你去追,找得到底嗎?找不到。不思議的境界!佛不打妄語,為什麼?你見性你就見到,你就明白了;你沒有見性,你怎麼想也想不出來。不是思惟能夠達到的,所以叫不可思議,不能夠思,不能去想它,你也沒有辦法去議論它,稱性的。哪一樣東西不稱性?樣樣都稱性,只是我們迷而不覺。
這裡講的善本,善本的標準,就是這個本子沒有錯字。書上最怕的是錯字,這個本子裡頭沒有錯字,那就是善本。義理沒有欠缺,體系完整的,方法精細,依照這個理論、方法修行,你能得真實利益。真實利益裡頭最重要的,你了解了宇宙人生的真相,你放下妄想分別執著,你就契入境界,這叫究竟了義。契入境界就是我們一般人講的證果,成佛了,就是這個意思。
我們再往下面看,「《無量壽經》乃淨宗之總綱。」綱是綱領,總綱領,所以它稱為淨宗第一經。淨宗的經不多,所有的宗派,只有淨土宗的經典最少,它只有三��經、一部論,這是早年的。三部經,第一個是《無量壽經》,第二個是《觀無量壽佛經》,叫《十六觀經》,第三個是《阿彌陀經》,分量都很少;一論是天親菩薩的《往生論》,三經一論。那個一論,是天親菩薩修淨土,往生極樂世界的心得報告,提供給我們做參考的。現在呢?現在是五經一論,五經從哪來的?三經是佛說的,五經是咸豐年間,清朝,咸豐的妃子慈禧太后大家都知道,講咸豐知道的人不多,講慈禧太后很多人都知道,慈禧太后的丈夫。咸豐年間有個居士魏默深,後頭都有介紹,魏默深。這個老居士也很了不起,他把《華嚴經》最後的一卷,不是一品,最後一卷,普賢菩薩十大願王導歸極樂,就這一卷,《華嚴經》最後這一卷,是一品裡頭的一章,他把這個抽出來附在淨土三經後面,成為淨土四經。所以,諸位要是在以後看到佛門裡淨土四經,你就曉得那是魏默深加了一個。加得好!為什麼加得好?在《無量壽經》上,特別是夏老的會集本,我們看到第二品「德遵普賢第二」,那就是那一章。確實,《華嚴》最後是歸淨土、歸《無量壽》,所以他那一篇附出來附得太好了。這是淨土四經。
五經是印光大師,這是近代的,印光大師去我們不遠,他民國二十多年才往生的,抗戰期間往生的。他老人家把《楞嚴經》裡「二十五圓通章」的「大勢至菩薩圓通章」這一小段的經文,把它放在淨土四經後面,變成淨土五經。這個做法不可思議!淨土還需不需要其他經典?不需要,到這就圓滿了。為什麼?那二百四十四個字,我跟諸位說那是淨土宗的心經,是一大藏教的心經。也就是善導大師他老人家常常講的,「諸佛所以興出世,唯說彌陀本願海」。印光大師這個做法,讓我們對善導大師說的這句話完全明白了。一切諸佛應化在十法界,在一切諸佛剎土的十法界普度眾生,第一個方法是什麼?就是持名念佛求生淨土,三根普被,利鈍全收,這是了不起的法門!極簡單、容易、穩當,什麼人都能修,各個都能成就,善導大師講這個法門「萬修萬人去」,一個都不漏。
為什麼修淨土的人這麼多,往生的人那麼少?跟善導大師的話有沒有矛盾?給諸位說,沒有。那是什麼原因?你不是如理如法的修行,過在你,不在法門,不在經典;你要是如理如法的修,真的萬修萬人去,一個不漏。《彌陀經》上講得很清楚,「不可以少善根福德因緣,得生彼國」,善根是什麼?福德是什麼?因緣是什麼?因緣我們今天具足了,得人身是因緣,遇佛法是因緣,遇大乘是因緣,遇《華嚴》、遇淨土這是了不起的因緣,緣具足。問題在哪裡?善根、福德。善根是什麼?信解。你是不是真信?你對這裡頭還有沒有問題?如果還有懷疑,你的善根有問題。你對淨宗的道理明不明瞭?沒有透徹明瞭,明瞭是幫助你信。你所以有懷疑,你了解得不夠透徹,真搞清楚、搞明白了,不懷疑了,那你信解有了,信解是善根。福德是什麼?真幹!真幹的人有福德。你不是真幹,你對這個世間還放不下、還有留戀,那就完了,你就很難成就。所以,經沒有毛病,理論、方法都沒有毛病,毛病出在自己煩惱習氣,這個東西要放下,你就決定在這一生取得淨土。
下面,念老引用彭紹升,就是彭際清,「我國清代彭紹升居士讚曰,《無量壽經》者,如來稱性之圓教,眾生本具之化儀」。這幾句話非常重要。《無量壽經》,「如來」是十方明心見性的人,諸佛如來,稱性之談,字字句句都是從自性流露出來的,字字句句都是圓滿的,稱它作圓教。一切諸佛如來的自性,跟一切眾生的自性,是一個性,不是兩個性。所以佛在大乘教裡面講到自性,常常用海做比喻,性海。我們每一個不同的眾生,就像海裡面起的一個水泡一樣,水泡從哪裡起的?從海起的。水泡跟水泡,如果水泡沒有破裂,好像互相對立的,這是一個,那是一個;水泡破了之後,全是大海。聰明的人不必等它破,全是海水,每個水泡都是海水,海水就是自性。所以,經教裡佛常說,「十方三世佛,共同一法身」,一個心,一個智慧,「力無畏亦然」,沒有一樣不相同,為什麼?你離不開自性。這句話說的,把諸法實相一語道破,我們跟一切眾生什麼關係?一體,一個自性,你說這關係多親密。為什麼有這麼多差別?迷悟不同。悟了知道我們是一體,比一家人還親,一體;迷了的時候才分自分他,才有分別、才有執著,才造業,才找了一些冤枉的果報。在六道輪迴是冤枉,夢中境界,它不是真的;真正參透了,那個夢也沒有離開自性。所以十法界依正莊嚴都不離自性,都是自性現的。
所以他說,「眾生本具之化儀」,儀就是今天講的方式、形式。我們今天教導學生,用什麼樣的形式,現在我們曉得,對小孩、幼童,我們辦幼稚園、辦幼兒園、辦小學,隨著他的年齡,再辦中學、辦大學,這就好像是方式,這叫化儀。除化儀之外,有「化法」,法是教學的方法。眾生根性不一樣,對不同的根性用什麼方法來教他,所以佛家講化儀、化法。釋迦牟尼佛四十九年教這些學生,在化儀方面,他首先,開悟之後,他講阿含十二年,阿含就像佛教的小學。講什麼東西?講人天法,講你怎麼樣做人,也就是我們今天講的,講倫理、講道德、講因果,《阿含經》裡面這些教學的東西很多,在這個裡頭。到大乘的時候,逐漸跟你討論宇宙人生,我們今天講的哲學、科學,都講到究竟圓滿。宇宙從哪裡來的?萬法從哪裡來的?我從哪裡來的?真講清楚、講明白了,實在不容易!到今天,這個世界上多少科學家、哲學家、宗教家都在研究這個問題,都沒有找到答案,都還是有些問題存在,唯獨大乘佛法裡頭講清楚、講明白了,沒有疑惑。
所以我當年學哲學,方先生把佛經哲學講給我聽,他告訴我,這是他的看法,他說「釋迦牟尼佛是世界上最偉大的哲學家,佛經是全世界哲學的最高峰」,這是他的原話,他這麼給我講的,「學佛是人生最高的享受」,他把我引進佛門。還特別告訴我,這句話很重要,要不然我會迷惑,我會有懷疑,我要看看那些學佛人怎麼學的,是不是真像方先生所說的?所以方先生這句話重要,他說「佛經哲學在經典��不在寺廟」,這句話非常重要。為什麼不在寺廟?寺廟的人不學了。從前寺廟,古大德那真的是了不起,為什麼?他真學。現在呢?現在寺廟出家人不學了,搞宗教。出家幹什麼?出家去跟鬼神打交道,搞超度、佛事、法會,搞這個。這個事情是不是要搞的?要。應該怎麼搞?到鬼道裡去搞,在人道裡是教人。鬼道裡有沒有?有,佛菩薩在鬼道。你看地藏王菩薩,「地獄不空,誓不成佛」;你看放焰口,焰口對面的焦面大士那是誰?觀世音菩薩,在鬼道裡面現鬼身度鬼道。應以什麼身得度就現什麼身,他現身在人間那就是教人的,怎麼能用人身去教鬼,哪有這種道理?用鬼身也不能教人。
所以,佛菩薩的應化不可思議,應以什麼身得度就現什麼身,應該教他什麼東西就教他什麼東西。這個應該不是自己決定,是他的感,佛的應,自自然然感應道交。就跟日本江本博士做水實驗一樣,我們用善心去感,你看回應是最美的結晶;我們用惡念去感,它回應的就是很難看的圖案給你。諸佛菩薩對一切眾生也是如此,眾生起什麼念頭就感得他什麼感應。諸佛菩薩應化在世間,他絕對沒有什麼想法、念法,他要有想法、念法他是凡夫,凡夫才有想法、才有念法,法身菩薩、見性的人決定沒有,為什麼?見性,頭一個條件就要把起心動念斷掉。不起心不動念,他還有什麼想法、還有什麼看法?沒有了,那叫清淨平等覺。所以眾生是有心去感,佛無心來應,叫稱性,自性它自然會有應的。所以,化儀、化法這個意思我們要懂。一般講,我們在學習當中也常說,化惡為善,這是我們現在幫助別人,頭一步教他、幫助他改過。這個化是變化氣質,是教學裡面從果上講的,教學終極的目標是讓他變化氣質。具體來說,把惡的念頭、惡的言行變化成善念、善行,這我們教學成功了,這是第一步。更進一步的是化迷為悟,這才真正是佛法;化惡為善這是世間法,化迷為悟才能出世間,你真正覺悟。最後化凡成聖,一步一步的向上去提升。
黃老居士這份資料可以說很用心,非常豐富,他盡心盡力去蒐集。下面引用日本道隱法師,讚歎《無量壽經》為「如來興世之正說」,興是興起,跟善導大師的話意思是相同的。善導大師是說「如來所以興出世」,就是這個興,興起,出現在世間,「唯說彌陀本願海」,阿彌陀佛四十八願普度眾生。這個道隱,我沒有查資料他是什麼時候的人。因為日本淨土宗是從善導大師那裡傳過去的,唐朝時候,日本許多的高僧在中國留學,那個時候善導大師在世。所以善導大師在日本很出名,在中國不出名,在日本很出名,日本有很多寺廟叫「善導寺」,你看到善導寺,那就是淨土宗的。台北還有一個善導寺,是日本統治時代建立的,這是淨土宗道場。所以,這句話也許是學善導大師的。他說「如來興世之正說」,換句話說,佛說其他一切經,四十九年一切經都是旁邊說的,這才是正宗,《無量壽經》是正宗,其他都是來幫助《無量壽經》的,就是這個意思,這才是正說。所以隋唐大德,確確實實,我們在梅光羲大士的序文裡看到,都認為,就是連《法華》、《華嚴》都是引導我們歸向淨土。你看《華嚴經》善財童子五十三參,普賢菩薩十大願王導歸極樂。所以魏默深把《華嚴經》最後一卷附在三經之後,稱為淨土四經,有道理,沒有話說,這個舉動我們雙手贊成,《華嚴》歸《無量壽》。《法華經》上龍女八歲成佛,也是聽文殊菩薩講經她聽懂了,她也是求生淨土。這是千經萬論,印光大師講,處處指歸。所以它是正說,這個說的確實是有根據的。
「奇特最勝之妙典」,奇特,最勝是無比的殊勝,不是一切經能夠相提並論的,包括《華嚴》、《法華》,雖然都是大乘,都是一乘經,哪有這個法門這麼殊勝?「一乘究竟之極說」,這就說出它奇特在哪裡,它最勝在哪裡,它真的是一乘教,一乘教是一生成佛,講到究竟圓滿。「速疾」是快速。一般法門,宗派法門,修學都要很長的時間,唯獨這個法門不需要很長時間。其他法門裡面講修行要無量劫,才能把煩惱習氣淘汰盡,見思煩惱、塵沙煩惱、無明煩惱。你煩惱不盡,你怎麼能還源?妄盡才還源。《華嚴經》上講的是妄想、分別、執著,用這個名詞,妄想就是無明煩惱,分別就是塵沙煩惱,執著就是見思煩惱,這些名詞在佛學大辭典都可以能查得到。淘汰盡了,見思煩惱斷盡了,就證阿羅漢,超越六道。六道之外就是四聖法界,六道是個界限,���道裡面叫內凡,這凡夫,六道以內的凡夫;四聖法界叫外凡,六道以外,他還是凡夫,他不是聖人。凡聖差別在哪裡?一個是用真心,你就是聖人,用妄心是凡夫,妄心是用阿賴耶識。要曉得,四聖法界裡面,阿羅漢、辟支佛、菩薩,還有佛,上面還有佛,全用阿賴耶,所以他叫外凡,六道以外的凡夫。但是人家雖然用妄心,這個妄心用得很正,很像真心。為什麼用得很正、很像真心?都是學佛,把佛經上所講的理論融歸自己的心裡面,阿賴耶裡頭,變成阿賴耶的種子;行為的時候,這些戒條一條一條都做得清清楚楚的,他都做得很好,非常像佛。所以四聖法界叫「相似即」,很像,做得很像,不是真的。為什麼不是真的?沒轉識成智,他沒轉得過來。這就是《般若經》上給你講的「法尚應捨,何況非法」,你把經教裡講的都做到,做得那麼好,你還是凡夫,你可以出離六道,出不了十法界;要想出十法界,要把這些東西都放下。法尚應捨,何況非法,佛法也捨掉,出十法界,這個要知道。
所以,你看這個經多了不起,這個經修行的方法,頭一個,它這經題上,前半段是果報,後半段是修因。前半段是「大乘」,大乘是什麼?大乘是智慧,自性本具的般若智慧,「無量壽」是德,「莊嚴」是相。《華嚴經》上講,「一切眾生皆有如來智慧德相」,智慧就是大乘,德無量壽,相莊嚴。這是果上,一切眾生皆有。我們怎樣把它再找回來?「清淨平等覺」,那是修德。我們修行修什麼?清淨心,清淨心是從戒律裡成就的,平等心是從禪定上成就的,覺是從菩提上成就的,覺是大徹大悟,明心見性。所以,修「清淨平等覺」,證「大乘無量壽莊嚴」,就在經題上。
所以中國、外國這些祖師大德所說的話沒錯,講得真好,「一乘究竟之極說,速疾圓融之金言」。這個「金」在佛經裡用得很多,你要懂得它的意思。金是什麼意思?金不變。金屬都會氧化、都會變色,唯獨黃金不變,它的好處就在此地。所以佛法用金就是不變,金身永恆不壞,真身,取這個意思,並不是真的把它塗成金色。現在在寺院裡,佛像都把它塗成金色,表法的,他真的是那個顏色嗎?那個顏色也並不好看。要懂得它是表法的,永恆不變,這稱性。這種身有沒有?有,實報土就有,諸佛如來的實報土,西方極樂世界實報土。生到西方極樂世界,你那個身相就永遠不變。西方極樂世界不是胎生,不是從小孩慢慢長大,不是的,他是化生,到那個地方蓮花化生。化的身像什麼樣子?跟阿彌陀佛樣子差不多,那個地方是平等法。我們現在畫西方極樂世界,阿彌陀佛畫得特別大,菩薩畫小一點,往生的又小一點,這個都不如法,一樣大,哪有這麼大大小小的!有大大小小的就不平等,一樣大。永恆不變,他是化生。所以這些,你經教讀多了慢慢就明白,就知道這裡面真正的含義。
為什麼他不會變化?因為他沒有念頭,道理在此地。你懂得這個道理,你相信。變化從哪裡來的?變化是唯識所變,唯心所現。實報莊嚴土只有唯心所現,沒有唯識所變,他已經轉識為智,所以他就不變。你沒有念頭,不會起心動念,起心動念就會變,不起心不動念,他怎麼變?不會變了,永恆不變。西方極樂世界花草樹木,花永遠不會凋謝,永遠不會變質,道理在此地。那個地方的居民還不是境隨心轉嗎?那個地方的居民,一個個都是明心見性,所謂明心見性,就是妄想斷了,妄想就是起心動念,各個人都是不起心、不動念;起心動念尚且沒有,哪來的分別執著?是這麼個道理。我們明白了,你就承認了,這事情是真的,這不是假的。
我們想在這個世界不變行不行?行,你不起心不動念就行,就是那個境界。做不到,因為念頭太微細了。你看佛問彌勒菩薩,釋迦牟尼佛問彌勒,還不是講給我們聽的!我們凡夫一個念頭起來,就是心有所念,我們一個念頭起來,這一個念頭裡頭多少細念組成這一個念頭?佛問的是幾念幾相幾識?彌勒菩薩回答的是一彈指,我們講一念,一彈指,我們彈得快,我彈大概是四次,一秒鐘,如果很快彈應該可以彈到五次,一秒鐘能彈到五次。他說一彈指有三十二億百千念,百千是單位,一百個千是十萬,三十二億乘十萬,三百二十兆。你看,一彈指裡頭三百二十兆,我們一秒鐘彈四次,就一千二百八十兆,如果彈五次,一千六百兆。這個念頭太微細了,我們怎麼能覺察?彌勒菩薩說「念念成形」,形就是物質,就是阿賴耶的境界相,「形皆有識」,就是阿賴耶的轉相。
這個地方諸位一定要曉得,自性裡頭什麼都有,什麼都不缺,它能現,能生能現,念頭能變,就是識能變;沒有識,那就是能現,能生能現。極樂世界是能生能現,它沒有變,那邊的人完全用的是真心,沒有妄心,都是轉識成智的,所以他們那個世界永恆不變。無量的智慧、無量的神通、無量的德能,都是自性本具的,不是學來的,這是我們的老家。這是不是到了究竟?沒有,真正還源是常寂光土,常寂光土裡頭物質現象、精神現象都沒有,那才叫回歸自性。怎樣才回歸自性?因為實報土雖然妄想斷了,妄想習氣沒斷,因為有妄想習氣,所以才有實報莊嚴土;妄想習氣也斷了,都沒有了,實報土也沒有了。所以,「凡所有相,皆是虛妄」,連實報莊嚴土也不例外;佛經上沒有說實報莊嚴土是例外,沒有這個話說,實報土也不是真的境界。真的境界是常寂光,就是惠能大師講的那五句話,那五句話講的是常寂光。末後一句「能生萬法」,萬法從常寂光,常寂光是能生能現。「凡所有相」,就是從實報土到方便土、同居土統統都是的,四聖法界是方便土,六道輪迴是同居土,沒有一樣是真實的。要曉得,我們虛空也是假的,不是真的,時間、空間都是假的,在常寂光裡頭沒有時間、沒有空間;沒有時間就沒有先後,沒有空間就沒有距離,那才叫真的回歸自性。
所以,跟一切眾生感應道交,給諸位說,無處不現身,無時不現身。現身的長短是眾生的業感,眾生感還在,這個相就在,眾生感沒有了,相就沒有。我們這個身,我們是業報身,也有時間性的,有時間長短,業報!佛菩薩不是業報,佛菩薩是應化,應眾生之感而現的身相。不僅是現人的身相,他能現樹木花草的現相,他能現山河大地的現相,他什麼現相都能現。所以我們看禪宗裡面一些故事、公案,有些參禪的人,看到樹木花草開悟的,看到雨打芭蕉豁然開悟的。那是什麼?那就是我們今天講佛在加持。在那一剎那當中,那是佛,他有感,佛應現的,讓他在這個境界裡豁然開悟。沒有一樁事情不是佛力加持,佛力加持就是自性的作用,是自性的起用。我們明白這個道理,一點都不懷疑。所以對佛,雖然佛現佛身來加持,我們也不會生歡喜心,也不會激動,一激動就錯了。為什麼?阿彌陀佛是你自性彌陀,你自性變現的,不是外頭的。極樂世界是唯心淨土,哪裡是外頭?全是性德,自性流露。你懂得這個道理,永遠是心平氣和,永遠是如如不動。能大師說得很好,「何期自性,本無動搖」,你永遠保持清淨平等覺,不要讓你的心在境界裡起一點波浪,這就對了。
「十方稱讚之誠言」,這個話好懂,真誠的話,決定沒有妄語。「眾生本具之化儀,一乘之了義,萬善之總門」,這前面都說過,「淨土群經百數十部之綱要,一大藏教之指歸也」,他這裡也說到一大藏教,確實是這樣的。「如上諸賢所以盛讚此經者」,古來的這些大德讚歎這部經,「蓋以本經持名念佛法門」,這底下幾句重要,「圓滿」,太難得了!哪個法門能講到究竟圓滿?圓滿是什麼?一絲毫欠缺都沒有,這個法門是圓滿的。《華嚴》是圓滿的,《法華》是圓滿的,但是太長了,不像這個經,這個經分量這麼少,跟《華嚴》一樣的圓滿,跟《法華》一樣圓滿,這就難得。「直捷」,直截了當。「方便」,一切法門裡最方便的法門,法門都叫方便,它���方便當中的方便。「究竟」,就是方便幫助你成佛是究竟,幫助你成菩薩,不錯了,不究竟,幫助你成阿羅漢,那更不究竟。所以今天我們教你、幫助你轉惡為善,你變成個好人,不究竟。要成佛才究竟,不成佛不究竟,幫助你證等覺菩薩,像觀世音一樣還不究竟,你沒成佛。這個法門是幫助我們究竟成佛的。「一超直入,最極圓頓」,極圓極頓的,頓是頓超。
它用什麼方法?「彌陀一乘願海,六字洪名之究竟果覺,作我眾生之因心」,這說出來了。他這「一超直入、最極圓頓」講的是什麼?就是「南無阿彌陀佛」六個字。這麼簡單,這麼容易,產生這樣大的效果,誰相信?所以叫難信之法。佛在經上講,「唯佛與佛方能究竟」,等覺菩薩對這個法門猶如隔羅觀月。這是用比喻話,像我們看月亮,中秋月亮,隔個羅,羅是很細的紗,綾羅綢緞那個羅,隔著羅看月亮,還隔一層,等覺菩薩對這個法門像隔羅看月;佛就沒有這個羅紗,他還隔著一層羅紗。太深了,道理太深,可是事情太簡單,就這六個字就成功了。真行嗎?真行。今天向小莉居士在此地,你看黃忠昌居士,他去做實驗,這六個字行不行,試試看,聽說古人念佛三年就能往生,他做試驗。他才三十幾歲,很年輕的一個人,在深圳閉關,向小莉居士護持他,兩年十個月,他就預知時至走了。真的,不是假的,這個法門這麼容易!
我們過去聽倓虛老法師給我們做的報告,我是沒有這個緣分,沒有這個福分,沒見到老法師,我到香港來,他已經往生二、三年。但是我從錄音帶上聽到的,他在佛七裡面講開示,有個同修拿來這卷錄音帶。他是北方口音,我聽得不太懂,我連續不斷聽了三十遍,大概可以聽到九成。最後我終究找到一個北方的同修,把他這個錄音帶全部寫成文字,印成小冊子。好,講得真好!你看講鍋漏匠,這都是他的同參道友,都是熟人,人家念佛,一句阿彌陀佛。鍋漏匠不認識字,沒有念過書,四十多歲才出家,什麼也不會,跟諦閑老和尚的關係是小時候的玩伴,同住在一個村莊。找到諦閑法師,他的生活實在太苦了,看到諦閑法師做了法師出了家,還很不錯,很羨慕,要跟他出家。諦閑老法師也非常慈悲,遇到小時候的玩伴,跟他說,出家要學經教,你年歲這麼大,也不認識字,經教看來學不成。當時在寺院,不學經教那就得學經懺佛事,經懺佛事這五堂功課,看他笨頭笨腦的,你也學不成功。這個意思是你怎麼能出家?可是這個朋友一定要賴住他,最後他沒有法子,他說那我有個條件,你能不能答應?他說:你說,我一切都聽你的。在這麼一個條件之下,他說好,給他剃度。剃度之後,他說你不必受戒了,受戒儀規你也不懂,你也受不了。在寧波鄉下找個破廟,沒人住的,讓他一個人住在那裡,就教他一句「南無阿彌陀佛」六個字。他說:你在這個地方,你就念這一句,念累了你就休息,休息好了接著再念,以後準有好處。
這個人他的成功的祕訣沒有別的,老實、聽話、真幹,他就成功了。三年,你看人家念佛站著往生。在鄉下,那時候交通不方便,鄉下老太婆發現了,師父站著走的,挺稀奇,從來沒有看到人死是站著死的。還有些念佛的老居士,告訴他們大家來看,看了派人到觀宗寺去報信,報諦閑老和尚。老和尚聽到這個信就趕緊去看他,一往一來三天,走路。看到這個樣子,諦閑老和尚很歡喜,讚歎,「你沒有白出家,你不錯,你這個樣子」,他讚歎說,「講經說法的大法師比不上你,叢林裡面方丈、主席也不如你,你真不錯」。一句「南無阿彌陀佛」六個字,念了三年,多殊勝!這都是眼前的事情,不遠的。我前面給大家講的,台南將軍鄉一個老太太,也是念佛三年站著走的。這種讚歎絲毫不是虛假,問題我們得真幹才行。
可是在今天這個時代你得記住,淨宗是大乘,不是小乘,大乘人要幫助一切苦難眾生,尤其在現在這個時代。你自己成就了,沒有教化眾生的緣分,可以做這種示現;如果有教化眾生的緣分,你就還得多住幾年,多住幾年不礙事,你功夫到家了,想什麼時候走就什麼時候走。所以,要想到一切諸佛如來,尤其想到阿彌陀佛,阿彌陀佛的願望是什麼?普度十法界一切苦難眾生。我們懂得阿彌陀佛的意思,我們也讓阿彌陀佛歡喜,就多帶些人去,你帶得愈多愈好,這是好事情。所以不可以當小乘自了漢,自己成就了趕快就走,那是不對的。鍋漏匠為什麼馬上就走?鍋漏匠走有他的道理,示現,他那叫作證轉。黃忠昌居士也是示現,給我們念佛人做個證明。我在香港講經,我們這裡距離很近,他天天聽我的光碟,我這個地方是勸轉,示轉、勸轉,他在那裡作證轉。證明經上講的不是假的,這事情是真的,決定在一生當中,而且短短三年當中,你就能超越六道輪迴,就能超越十法界。八萬四千法門,哪一個法門能做到?只有這個法門!我們要把這樁事情認清楚,「圓滿直捷,方便究竟」是真的,一點都不假。所以,這個法門是最簡單、最容易、最穩當、最可靠,而且又最快速。關鍵就是,你能不能把這個世間拉拉雜雜東西放下?凡是不能往生,原因就是這一樁,你還貪戀這個世間,你還想繼續搞六道輪迴,那就沒法子。阿彌陀佛不能把你拉去,你捨不得這個世間,阿彌陀佛點點頭,就走了,等下次再來。什麼時候你全放下,阿彌陀佛就來了,這是我們不可以不知道的。時間到了,我沒有看到。我們今天就學到此地,謝謝大家。
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2024年9月30日に発売予定の翻訳書
9月30日(月)には18点の翻訳書が発売予定です。
灰色のミツバチ
アンドレイ・クルコフ/著 沼野恭子/訳
左右社
あなたの権利を知って使おう
アムネスティ・インターナショナル/著 アンジェリーナ・ジョリー/著 ジェラルディーン・ヴァン=ビューレン/著 上田勢子/翻訳
子どもの未来社
楽員に弔花を
ナイオ・マーシュ/著 渕上痩平/翻訳
論創社
アイヴズを聴く
J.ピーター・バークホルダー/著 奥田恵二/訳
アルテスパブリッシング
ザッハー=マゾッホ集成Ⅰ エロス
ザッハー=マゾッホ/著 平野嘉彦/訳 中澤英雄/訳 西成彦/訳
人文書院
ザッハー=マゾッホ集成Ⅱ フォークロア
ザッハー=マゾッホ/著 中澤英雄/訳
人文書院
ザッハー=マゾッホ集成Ⅲ カルト
ザッハー=マゾッホ/著 平野嘉彦/訳
人文書院
資本主義が人類最高の発明である
ヨハン・ノルベリ/著 山形浩生/翻訳
ニューズピックス
良い政府の政治経済学
ティモシー・ベスレー/著 溝口哲郎/翻訳 下松真之/解説
慶應義塾大学出版会
声なき声で語る
ティト・ラジャルシ・ムコパディアイ/著 石田遊子/翻訳
エスコアール
グングン上達する認知症のみかた
金城紀与史/翻訳 小林俊輔/翻訳
メディカル・サイエンス・インターナショナル
あこがれの図書館
パトリシア・ポラッコ/著・イラスト 福本友美子/翻訳
さ・え・ら書房
このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年
J・D・サリンジャー/著 金原瑞人/翻訳
新潮社
灯台へ
ヴァージニア・ウルフ/著 鴻巣友季子/翻訳
新潮社
TRANSFORMED
マーティ・ケーガン/著・企画・原案 横道稔/翻訳
日本能率協会マネジメントセンター
しずかな おきゃくさま
ヌリア・フィゲラス/著 アンナ・フォン/イラスト 宇野和美/翻訳
光村教育図書
K-PUNK アシッド・コミュ���ズム――思索・未来への路線図
マーク・フィッシャー/著 セバスチャン・ブロイ/著 河南瑠莉/翻訳
Pヴァイン
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2024.09.10_Eugen Gomringer, Silenceから派生したテキスト
Eugen Gomringer, Silence.
芸術は治癒的には��らく、と、この作品について思う。「沈黙」を言葉で記述しようとするとさらに言葉を呼び、沈黙は消えてしまう。そんなところに、このコンクリート・ポエトリーの作品は、沈黙や無・無為の自足、空間の空性をいともたやすく縮約して形としている。ロベルト・ベニーニの映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の中での謎かけに、「私を見つけたとき、私はいない。私は誰?」というものがある。その答えは「沈黙」であるという。アウグスティヌスが、「時間について問われるとき、私は知らない。時間について尋ねられないとき、私は知っている」と述べたと伝えられている。時間や、流れる静寂の生命プロセスとは、言語的な、”反省的な”言語では遅れてしまう、または取り逃がす。(アンフラマンス)
では、沈黙を抱く言語、沈黙に根を張る言葉、世界をつくってゆく創造的な言葉ではどうだろうか?世界に流れる美に身を浸して、その流れが結晶したかのような沈黙と静寂を持つ言葉。―- Ontology・存在論があること。詩学・Poetics.
(個々人のOntologyの、コナトゥスのちがい → 詩学・Poetics - 技術・ミュートスのちがい、詩のトーンの違い)
「沈黙」については John Cage もこだわった。彼は、呼吸に、そのパルタージュに沈黙の意義を見出した。沈黙 - 静けき持続。「4’33’’」という禅的な、生命の流れからしてすでに音であり、響きであり、音楽であると悟ること。しかし、その沈黙の持続は手に触れると波紋を揺るがし、水面はゆれる。静かな水としての沈黙、生命の純粋持続。
意図・intention によって、形は作る端緒を得る。そのときにイメージするのは、静かな水面のこと。まず、静かな水面があり、それはまた白いページでもある。その静かな水面を、ひとつの音でデリケートに響かせる。そんな詩・建築・音楽を意志してみる。静かな美しさの持続を、詩・建築・音楽において結晶させる。
イメージやアナロジーとは、思考の向きをつくるゆえに重要である。イメージやアナロジーによって、行為や形の向きは決まる。そんなとき、「葉に露の結ぶように詩作する」というイメージとアナロジーにおいて書くことは、私にとって適切さがある。「形として小さくささやか、そして珠と美しい。」
「アナロジー」において、その作用する場所において起きていることは興味深く重要である。人の認識は、アナロジーの相互参照 - inter reference により成っている。向井周太郎の言う、” Constellation. ” そこには、「近傍・レトラクト」の主題系もつながる。「近さ - 遠さ」における、言葉の星雲、それらのアモルファスなガス体が、星の物質体となり、また、その「遠き - 近き」において星座・Constellation という「形」を生ずる。そのとき生まれた「形」には、multi - perspective, multi - dimensional な時空が縮約されている。
…
本日(2024.0910)、Instagramの新建築のアカウントで、新森雄大 + ジェームス・ジャミソン ( Niimori Jamison ) の作品を見て、昨今の気分や今の自分の置かれた群馬・渋川(旧・小野上村)での建築的状況とひびきあう思いがした。「神戸市垂水区塩屋町の斜面地に建つ、築63年の住宅兼英語塾を設計者が購入し、小さな休憩所兼多目的スペース・ギャラリーにコンバージョン」 日常の、日々の生活のなかでの無名の建築物たち、非作家性のオーディナルさを持つ普通の建物に、少しだけ手を加えて風景を異化してゆく。この事例では既存部がそのままで一階部分がソリッドでミニマルな彫刻的なスペシフィックさにより成されている。
私の興味・関心には、ミニマル・アートや即物的な造形芸術があるが、そのような Absolute な形でもって世界の形を変えてゆくのは心愉しい。「物質化した幾何学と身体の運動が響きあう形」 チリの Pezo von Ellrichshausen, そのセン。しかし彼らはややブルータル。 「純粋幾何学で感性的なものを」、そこをベースに作ってゆく。
…
ふつうに、「どデカい空間」という「だけ」でもよい。そこに良い光のトーンがあれば。アイ・ウェイウェイのアトリエの、簡素であっけらかんとした様子はすがすがしい。また、マーク・マンダース(彫刻家)の家もデカくてよい。アーティストの住まい・家に惹かれる。アンリ・マティスのアトリエでの姿を撮った写真に、その大空間を映すものがある。また、マーク・ロスコのロスコルームも。( DIC川村記念美術館、休館前に行かなくては。) → なぜか? そこには Ontology・存在論があるから。光、物質、構築・構成と美。そして、そこで家・住まいが美術作品の産出の方へ方向づけられていること。Ontology・存在論とは、たやすく詩学・Poetics と脈絡する。Poetics と存在 ―- 生成・Genesis. 人が何か形を作るときは、そのひとの存在論・Ontology的な条件が土台となる。それは言葉の体系(=概念)もそうだし、物への感受性や好みなどの身体性の問題系もそうである。
「存在の条件」は、「制作」と往還させることで、学習や訓育、創造性の系ともつながる。最終的な目標は、「善く生きること」であり、善く生きることを目指すものが「善き技術」であるとする。「善き技術」「善き生のための技術」とは、大きな広がりを持つが、私はここでそれを、詩・建築・音楽に縮約して考えていく。
・詩 → Correspondence, あわいの交感、呼吸のかさなり、相互性、呼吸の結晶
・建築→ 「詩」を基底として、詩美・静けさ、静かな形、空白、空白と恩寵、優しい光
・音楽→ 優しいトーン、ニュアンス、静けさ、空間、Atmosphere.
…
また、雑誌『住宅建築』の 鈴木恂先生 + 内木先生 ( AMS Architects )の特集号で、斜面に対して呼応する型流れ屋根の住宅について見た。鈴木恂先生のラインも、シンプリシティのラインだ。(そして、早稲田大学芸術学校のライン) 恂先生の建築物には「ジェスチュア」がある。(早稲田大学理工学部55号館 etc.) スタティックでいて、ニュアンスのあるgesture・ジェスチュア。「ジェスチュア」��は、「言語的な」動作という意味合いがつよい。つまりは、その無言なしぐさで何事かをデノート(明示・提示)している。沈黙によるデノート。これは建築「物」や、造形芸術一般にも言える。しかし、五感においてはまったく無言ではない。そこには音・雰囲気・Atmosphere もある。静寂も音感である。形の次元において沈黙しているということ。「詩(ポエマ)は世界の音楽の響く殻であり…」Octavio Paz
ここで、詩性・ポエジーについて。詩性・ポエジーとは、沈黙し流れる静寂の生命のことである。それは、人間の身体 - 世界を貫いている。古代ローマでは、音楽は天文学と近い位置にあった。そこでは、音楽は、人が奏でるものだけではなく、世界の音楽( musica mundana )についても直観し考えられていた。それは、
・世界の音楽 - 天体の音楽 (musica mundana)
・人間の音楽 (musica humana)
・器具の音楽 (musica instrumentalis)
の3区分である。( ボエティウスの音楽観 )
ここで、「人間の音楽 musica humana」とは、人間の身体の中での調和のことである。(これは古代の医術とも関連しそうだ。)これらを概括すると、世界流 - エネルギー - についての言であり、また、それは東洋医学での気功などと関連するだろう。ここで、「気功・東洋医学」のことに触れたい。西洋の物理学が「エネルギー」の概念を得たとき、その概念像は世界の実質を正確にとらえて、諸形態や諸様相間での変換の技術を得たという。しかしそれは、測定機器を用いてのことである。その「エネルギー」について身体のレベルから、「感じること」によって得た知を体系化したものが「気功・東洋医学」であった。そこでは概念像と世界の実質との符号が、身体で感じることをベースに体系化されることで生まれている。(概念像=世界モデルとは、ある種 仮設的なもので、その抽象度・具象度の度合いで適合する次元も違ってくる。世界モデルの数だけ世界はある。)
…
ここで、『気功・東洋医学的な建築』を考える。それは、物と空間の気韻生動についての問いである。気功・東洋医学では気脈の流れを扱う。それは身体と世界を「具体的に」流れている気・エネルギーの学知と実践知である。「物の構築により場所の気脈を整える」。『気功・東洋医学的な建築』を一言で言えばこれである。このことを、理論的な土台・体系をもって語る。(そのためには、自身にも気功・東洋医学への修練が必要。)
空間の雰囲気、空気感、Atmosphere, Stimmung・情緒のことを、スイスの建築家ピーター・ズントーは述べた。また、夭折の詩人・建築家の立原道造は、『方法論』にて”建築でいちばん良いものは空気”と、数名の文学者の文章から引用して述べた。詩性・Poesie とは息吹・プネウマのことでもあり、韻律化された気・エネルギーである。詩のエッセンスを建築として形にするには、肉体と息吹、物と情、物質と空間のエネルギーについて把握せねばならない。そのとき、気功・東洋医学が善きモデルとなる。たとえば、物・素材の配列によって空気・空間の質、流れが変わること。物や素材を空間に配することで方向性や求心性が生まれる。つまり、��のディメンションが変わる。
…
ここで、土井善晴について。彼の料理についての思想は、料理の技術を土台づける初めの見立てにそのポエジーがある。「一汁一菜」でよいという思想、それは方法論ともなっている。方法論は詩学・Poetics とつながる。また、詩学は存在論・Ontology ともつながる。存在論・Ontology とは、民族的、言語的、個人の身体的な条件から成る。土井善晴による最初の見立てによる料理のように、最初の見立てからは外在的体系たる技術を取り込むことで、個々人固有の「詩学」が現れてくる。その詩学は美学的なもので、それが実践に際すれば「方法論」となる。ここでの「方法論」という個々人の感受性・コナトゥスにより貫かれた技術知である実践的詩学は、個々人により異なる形を産んでゆく。この「実践的詩学」とは、作家に必須な方法論である。
私の方法論に関して述べると、それにはいくつかのレイヤーがある。まず一番大事なのが、『詩と建築』について。これは、私自身の詩作と建築設計(未然)において成されている。その際に、両者に共通するのは「トーン」である。それは、詩の作品においては優しく柔らかなトーン、建築の作品においては「澄んだ光とモノのトーン」である。そのトーンの構築(= tone composing )を基礎づけるのが、先ほど触れた気功・東洋医学的な見方なのであるが、その脈絡から少しずれて、よりニュートラルに、西洋生理学的にそのトーンの構築を扱うときに、「クオリア」(= 感覚質)という用語を用いたい。「クオリア」とは、「言葉によって捉えられない漠然とした感じ」のことである。茂木健一郎氏の本によれば、クオリアは「言葉によって捉えられないが、言葉と同じ構造を持っている」と書かれる。(ここでは、「無意識」という心理学の用語とは脈絡させない) クオリアは言葉によって離接的にポイントされる。しかし、クオリアには言葉によって指し示すことの出来ない無名性の領域が多くある。(このことは、私の方法論にとって重要な「余白」とも関連する) クオリアは、芸術作品において縮限されている。その縮限点においてノードとレイヤーが変わる。
クオリアと縮限はどう関係しているか?情報生理学を参照?
ref.) マックス・ベンゼ『情報美学』
外材物によって内在(クオリア)が訓育される。(制作の深意)
…
ここで、「模型」の概念を。
エリー・デューリングによる「模型」の定義: 知覚可能な系に縮限された諸ディメンション
ここから、「クオリア模型」について。
クオリアオブジェクト(内在)⇆ 外在するオブジェクトのクオリア
言葉と物の変換点がクオリア
(世界の情報化?)
「クオリア模型」と「世界模型」はちがう
・クオリア模型 五感・感受性と対応
・世界模型 ex.) ベルベル人の住居 世界図式、見取り図、ダイアグラム
けれど、「建築学」や「詩学」というような、建築や詩といった外在的対象における外在的な操作と攻略が、結局、王道である。「クオリア模型」と言うことで、どのように展開できるか?
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先日、「失われた30年検証研究会」という会で講演する機会があった。文字通り「失われた30年」からどう脱却するか考える研究会だ。私は、脱却のカギは、普通の国民の生活の安定や向上を経済政策の第一目標とすることにほかならないと話した。他の先進国同様、日本は国内総生産(GDP)の半分以上が消費支出(家計消費)からなる。GDPを成長させるには、普通の日本人が安心してお金を使える環境を作り出さなければならない。だが、日本ではここ30年そうした環境がどんどん失われてきた。
主要因として、日本の経済政策の第一目標が1990年代半ば頃から一般的国民の生活の安定や向上ではなくなったことが挙げられる。グローバルな投資家や企業の政治的影響力が増し、彼らの目線で経済政策が作られるようになってしまったことだ。これは、いわゆる新自由主義に基づく現行のグローバル化路線がもたらした帰結である。グローバル化、つまり国境の垣根をなるべく引き下げ、ヒト、モノ、カネ、サービスの移動が自由になり、活発化する現象が生じると、半ば必然的に、各国の政治に対するグローバルな投資家や企業の政治的影響力が強化される。彼らは、自分たちが稼ぎやすい環境を準備しなければ、資本を他所へ移動させるぞ、と各国政府に圧力をかけることができるようになるからだ。例えば、彼らは「法人税を引き下げる税制改革を実行しないと貴国にはもう投資しない」「人件費を下げられるよう非正規労働者を雇用しやすくする改革を行え。さもなければ生産拠点をこの国から移す」などと要求できるようになった。
実際、日本政府も事実上、グローバルな投資家や企業の要求を聞き入れ、彼らが稼ぎやすい環境を整備する構造改革を繰り返してきた。具体的には、法人税率の引き下げ(その補填(ほてん)としての消費税率の引き上げ)、非正規労働者を増やす規制緩和、事実上の外国人単純労働者への門戸開放、株主重視の企業統治改革の断行、電気や水道、鉄道などのインフラ事業の民営化、カジノ解禁などである。
その結果、日本の経済社会はすっかり「グローバル化」した。一例のみ挙げれば、日本の大企業(資本金10億円以上)は、構造改革が始まって間もない平成9年から平成30年に、株主への配当金を約6・2倍も増やしている。その一方、従業員給与は減少している(9年を100とすれば30年は96)。設備投資もほぼ同様に減少(やはり100から96)している。(相川清「法人企業統計調査に見る企業業績の実態とリスク」『日本経営倫理学会誌』第27号・令和2年)。日本の大企業も「グローバル標準」に染まり、株主中心主義へと変質してしまったのである。
私の研究室では令和5年12月、社会調査会社に委託し、全国300人の成人男女に経済政策のあり方について次のように尋ねた。「あなたが考える日本の望ましい経済政策の基本方針は、次の2つのうちどちらに近いですか。①日本経済をグローバル市場の中に適切に位置づけ、投資家や企業に投資先として選ばれやすい日本を実現すること、②日本国民の生活の向上と安定化を第一に考え、国内に多様な産業が栄え、さまざまな職業の選択肢が国内で得られるようにすること」。①はここ約30年間のグローバル化路線の経済政策である。②は「国民生活が第一」の路線である。結果、①を選んだ人は26・7%(80人)、②は73・3%(220人)であった。やはり大多数の人々が、グローバル化路線ではなく、普通の国民の生活の向上と安定のほうを重視していることは明らかだ。
最近、芸能界ではジャニーズ事務所や松本人志氏の案件ように、これまでマスコミを含め多くの人々があまり問題視してこなかったことが大きなスキャンダルとして扱われる事態が相次いでいる。経済でも同様のことが近いうちに生じるのではないか。つまり、普通の国民の生活の向上と安定を経済政策の第一目標としてこなかった日本のここ約30年間の政府の姿勢が大スキャンダルとして扱われる日が来るのではないか。私は、希望的観測かもしれないが、そうなる日も近いと考えている。
施光恒(せ・てるひさ) 昭和46年、福岡市生まれ、福岡県立修猷館高校、慶應義塾大法学部卒。英シェフィールド大修士課程修了。慶應義塾大大学院博士課程修了。法学博士。現在は九州大大学院比較社会文化研究院教授。専攻は政治哲学、政治理論。著書に『英語化は愚民化』(集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など。「正論」執筆メンバー。
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20240118
0118 きままなTV・メディア情報です
「TVer、再生数の3割がテレビに 12月は再生4億回に迫る」(Impress)
「『ダウンタウンDX』制作・YTV社長が松本人志に『会見して全ての見解を…』」(報知)
「YTV社長『人生で指折りの痛恨』管理職社員が番組制作費を不正請求で懲戒解雇」(ニッカン)
「『こういう事態になるとは』松本人志を性教育番組に起用したNHKの稲葉会長釈明」(産経)
「日テレ藤井貴彦アナ今春退社へ フリーに転身し『zero』担当」(ニッカン)
「NHK会長、紅白歌合戦の過去最低視聴率『生活パターンが変わって…』定例会見」(ニッカン)
「8K映像の即時伝送も 京大など、高周波を超電導体で送信」(日経)
「鳥取専務が社長昇格 初の女性・CA出身―日航JAL」(時事)
「グーグル、AI活用新機能提供へ 最新スマホ機種、囲うだけで検索」(共同)
https://www.47news.jp/10405028.html
「浜松商工会議所『DX経営塾』、クラウド活用支援で受賞」(日経)
「『文春の一人勝ちの可能性も』性加害報道の松本人志、裁判の“意外な行方”と引退の可能性」(新潮)https://www.dailyshincho.jp/article/2024/01171131/?all=1
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一昨日アップしたレストラン「小諸本陣主屋」を出た後、17〜8年ぶりくらいに小諸城址「懐古園」を歩いてみました。こちらは厳密に言うと「懐古園」の外側の大手門公園にある国の重要文化財「大手門」です。「小諸本陣主屋」からは歩いて3分程。本来はかなりの広さを持つ城址です。 さらに「大手門公園」を歩き小諸駅すぐ側の「懐古園入口地下道」でしなの鉄道の線路をくぐると・・・。
目の前にこれも国の重要文化財である「三の門」が現れます。扁額にある懐古園という文字は徳川家達の書だそうです。 小諸城の起源は木曽義仲の武将小室太郎光兼が現在の地の東側に築いた館が始まりとされています。その後戦国時代に大井氏が前身である「鍋蓋城」を築き、さらにこの地に侵攻した武田信玄が地理的な重要性に気づき山本勘助らに命じ現在の城の原型を作ったとされています。
「三の門」をくぐり入園料金所で300円(大人)を払うと左手に二の丸跡の高い石垣がそびえています。 豊臣秀吉が天下統一を果たした後には仙石秀久が小諸に封ぜられ、城の大改修と城下町の整備に取り掛かり、今の遺構の残る堅固な城としたそうです。
さらに進むと「黒門橋」が現れます。向こうの石垣の上にはこの城唯一の井戸「荒神井戸」跡があります。 その後、小諸城は徳川家光の弟の忠長の領有するところとなり、城代が置かれ、重要な領地であることから、歴代藩主には徳川譜代等が配されたそうです。
「黒門橋」を渡り左に折れ、さらに石垣を右に回り込むと目の前に「懐古神社」が現れます。ここは「本丸」跡でもあります。
神社にお参りもしました。喪中ではありますが忌中ではないので参拝は全く問題無いとのことです。
神社の右手を入っていくと「天守台」跡に行き着きます。かつてこの上に三層の天守がありました。
跡地に登り浅間山方向を望むと浅間山は残念ながら樹木とさらに雲に隠れていました。三層の天守が残っていればちゃんと望めたでしょうにね。今度は桜の時期に来てみよう!
「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ〜〜」と詠った島崎藤村(明治32年から6年間「小諸義塾」で教師をする。)の遺品や資料などを展示した「藤村記念館」も園内にあります。(2024/1/8) 小諸懐古園のURLは https://www.city.komoro.lg.jp/kaikoen/index.html
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2023年の文化活動(一覧)
昨年もたくさん行脚しました。特筆すべきはコロナ禍からの本格的な脱却、夏休みの北海道旅行、勤続30年目のリフレッシュ休暇で西日本周遊、だろうか。行きつけの美術館は展示替えの都度、再訪するルーチンが確立。思ってたよりコンサートにもたくさん行ってた(クラシック系が多い)。地方の美術館(県立レベルの)を攻略する楽しさを知ってしまったので、今年も隙を見て行ってみたい。
星野道夫 悠久の時を旅する@東京都写真美術館
プリピクテジャパンアワード@東京都写真美術館
野口里佳 不思議な力@東京都写真美術館
パリ・オペラ座─響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台@東京都現代美術館
MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd@東京都現代美術館
DOMANI・明日展 2022-23@国立新美術館
クリストとジャンヌ?クロード 包まれた凱旋門@21_21 DESIGN SIGHT
ハンドメイドジャパンフェス冬2023@東京ビッグサイト
室内楽・シリーズNo.22 デュオの世界 <チェロとピアノのための>@東京文化会館
驚異の声、驚異の言葉─未体験の音空間へようこそ!@横浜みなとみらいホール
Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎@東京オペラシティーアートギャラリー
3331によって、アートは『 』に変化した@3331 Arts Chiyoda
恵比寿映像祭2023@東京都写真美術館へ
同潤会アパート渋谷@白根記念渋谷郷土博物館・文学館
引き寄せられた気配@トーキョーアーツアンドスペース 本郷
東京都水道歴史館
開館60周年特別展「横山大観と川端龍子」@龍子記念館
0~8848M・地上の紋――中国空撮写真展@日中友好会館美術館
毎年恒例の岡本太郎現代芸術展@岡本太郎美術館
六本木クロッシング2022展:往来オーライ!@森美術館
わたしたちは生きている!セタビの森の動物たち@世田谷美術館
それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱@世田谷美術館
平原まこと 50周年 メモリアルコンサート@東京国際フォーラムCホール
吉松隆オーケストラ傑作選 吉松隆の<英雄>@東京芸術
動物会議 緊急大集合!@ギンザ・グラフィック・ギャラリー
VOCA展2023@上野の森美術館へ
藤子不二雄のまんが道展@豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
昭和レトロ館
ヴォクスマーナ 第49回定期演奏会@豊洲シビックセンターホール
第52回邦楽演奏会@国立劇場
ダムタイプ|2022: remap@アーティゾン美術館
アートを楽しむ 見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館
画家の手紙@アーティゾン美術館
重要文化財の秘密@東京国立近代美術館
明治美術狂想曲@静嘉堂@丸の内
今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティアートギャラリー
収蔵品展076 寺田コレクションハイライト(前期)@東京オペラシティアートギャラリー
ブルターニュの光と風@SOMPO美術館
情景の地 ブルターニュ モネ、ゴーガン、黒���清輝が見た異郷@国立西洋美術館
エドワード・ゴーリーを巡る旅@松濤美術館 応挙と蘆雪@東京黎明アートルーム
「ラ・フォルジュルネ2023」 公演番号:313止まらない!若き活力の横溢と抒情 公演番号:324大作曲家に楽器の制約ナシ!SAXカルテットによる名曲の解答
島じまん2023@竹芝桟橋
デザインフェスタ vol.57@東京ビッグサイト
東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
ルーヴル美術館展@国立新美術館
清澄庭園
大阪の日本画@東京ステーションギャラリー
第63回 海王祭@東京海洋大学 越中島キャンパス
マティス展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2023
夢と自然の探求者たち―19世紀幻想版画、シュルレアリスム、現代日本の作家まで@群馬県立館林美術館
原始神母 THE DARK SIDE OF THE MOON 50th ANNIVERSARY@日比谷公園大音楽堂
本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語@東京都写真美術館
TOPコレクション セレンディピティ 日常のなかの予期せぬ素敵な発見@東京都写真美術館
田沼武能 人間讃歌@東京都写真美術館
発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間@府中市美術館
プレイプレイアート展@ワタリウム美術館
下町七夕まつり@かっぱ橋本通り
モネ・ルノワール 印象派の光@松岡美術館
フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館
川崎水族館
F.A.T.2023 Summer Concert FireBird & AzBand & TAKEBAN@月島社会教育会館ホール
山下清展 百年目の大回想@SOMPO美術館
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ@アーティゾン美術館
野又 穫 Continuum 想像の語彙@東京オペラシティー アートギャラリー
没後10年 映画監督 大島渚@国立映画アーカイブ
熊谷守一美術館
三井高利と越後屋@三井記念美術館
北海道旅行 ファーム富田 旭山動物園
恋し、こがれたインドの染織@大倉集古館
ブラチスラバ世界絵本原画展@うらわ美術館
特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン@東京国立博物館
誰かのシステムがめぐる時@TOKAS本郷
東京大学総合研究博物館
第21回東京音楽コンクール(ピアノ部門)の本選@東京文化会館
テート美術館展@国立新美術館
ガウディとサクラダファミリア展@国立近代美術館
ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
コレクション展2023-3@青森県立美術館
大巻伸嗣 地平線のゆくえ@弘前れんが倉庫美術館
弘前昇天教会
旧五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)
旧東奥義塾外人教師館
旧弘前市立図書館
山車展示館
弘前城
津軽藩ねぷた村
カトリック弘前教会
荒木珠奈 展@東京都美術館
ARTBAY TOKYO アートフェスティバル2023 CIRCULATION -ひともまちもせかいもめぐる‐@臨海副都心エリア
生誕140年 モーリス・ユトリロ展@横浜高島屋ギャラリー
全日本模型ホビーショー@東京ビッグサイト
デヴィッド・ホックニー展@東京都現代美術館
「あ、共感とかじゃなくて。」@東京都現代美術館
ステファン・サグマイスター ナウ・イズ・ベター@ギンザグラフィックギャラリー
福田美蘭 「美術ってなに?」展@名古屋美術館
生誕120年 安井仲治YASUI NAKAJI: PHOTOGRAPHS@愛知県美術館
フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築@豊田市美術館
漆の彩り・黒と金の幻想 - 高橋節郎@豊田市美術館(髙橋節郎館)
コレクション展 歿後20年 若林奮@豊田市美術館
2023年度 第2期 コレクション展@豊田市美術館
山田寅次郎展@ワタリウム美術館
Japan Mobility Show 2023@東京国際展示場
黒田記念館(特別室開室)
横尾忠則 寒山百得展@東京国立博物館
東京国立博物館の寒山拾得図
デザインフェスタ vol.58@東京ビッグサイト
永遠のローマ展@東京都美術館
上野アーティストプロジェクト2023 いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間@東京都美術館
動物園にて ―東京都コレクションを中心に@東京都美術館
第64回 日本版画会展@東京都美術館
「今こそ、ルーシー!」 ~LUCY IS HERE~@スヌーピーミュージアム
大原美術館
そして船は行く@高知県立美術館へ。
大塚国際美術館
コレクションハイライト@福岡市美術館
芥川龍之介と美の世界 二人の先達─夏目漱石、菅虎雄@久留米市美術館
遠距離現在 Universal / Remote@熊本市現代美術館
第3期コレクション展:宮崎県立美術館
MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ@東京都現代美術館
MOTコレクション歩く、赴く、移動する 1923→2020 特集展示 横尾忠則―水のように 生誕100年 サム・フランシス
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館
第4回カルチャー芸術展@国立新美術館
第12回 躍動する現代作家展@国立新美術館
21世紀アートボーダレス展(2023)@国立新美術館
JAGDA国際学生ポスターアワード2023@国立新美術館
第63回全国矯正展@東京国際フォーラム
ゴッホと静物画―伝統と革新へ@SOMPO美術館
ピカレスク・ニュー展 Vol.8@ピカレスク
モネ 連作の情景@上野の森美術館
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羽毛ほど軽ければもう諦めも飛んで囁くそうはならない
洗い物、洗濯物、資源ごみ(ダンボール、ペットボトル)、ヨシ!今日は朝起きてどうにか朝食らしきものを食べ、風呂に入ることができた。現時点(23:49)での疲労・疲弊度を思うと正直まだ早かったの��はないかとも思うが、ともかく風呂に入れた。化粧して服を着て歩きロイヤルホストへ行って昼ごはんを食べ、歩き、タリーズで勉強をし、電車に乗ってユニクロに行き、ジムでのトレーニングのためのスポブラのようなものを買った。帰り際に牛乳とバナナとトマトを買い、帰宅してからなすを焼いてトマトを切って食べた。白いご飯も1合炊いて、3食分を作り、残りを食べた。食べるものに激しくお金を使った気がするが、その甲斐あってか、かなり生活とか、体を動かして取り組まねばならなかったことが進んだように思う。ダンボールの中身を適切な場所にしまうこととか。
明日はダイエットのためのパーソナルトレーニングのカウンセリングを受けに行く。とにかく人の目があれば頑張れる気がする。早速今日は野菜を焼いて食べていたし、ご飯も炊いたし、誰かに怒られるのでは?と思うと、結構できるのかもしれない。それにしても夜ずっと(いや昼からずっと)体が重くて難儀した。体力が落ちるところまで落ちているのだろう。毎日寝ていたため。
友人伝いで教えていただいた社会学の学部生用の教科書、アンソニー・ギデンズの『社会学 第五版』の初めをまず読む。目次と全体に目を通し、用語辞典、引用元、訳者略歴を見て、はしがきのあとの第1章をいよいよ読んでみたところ、驚天動地の新展開だった。なんと、私のやりたい勉強の分野のすべてが社会学で扱えることがわかったのである。そんな。まさか。そんなことって。社会学という選択肢、今までの人生に全然なかったけれど、実は私が考えていたことややりたかったことは、社会学の学問領域だったのだ。びっくりした。そんな。たまたま編入学できる学群のなかの学問で自分でもなんとか行けそうと思えるのが社会学だったから社会学に決めただけなのに、実はここが本当に私のいるべき場所だった。そんな。歴史学とかじゃないんだ…そうか、社会なんだ…そうか…。たしかに、大澤真幸も橋爪大三郎も、社会学者なんだよなとは思っていたんですよ。ジェンダーやフェミニズムが社会学ということは、家族を扱ってもいいのでは?と思っていたが、政治や歴史や経済や文化に類することも、「現状」を理解したいのであれば、市井の人々のことを知りたいのであれば、どうやら、社会学で……いいらしい!そんな……まだ出会って2日目なのに、社会学と……。私がやろうとしていたことややってきたことが、だいたいここに、このアンソニー・ギデンズが、書いているんですよ…。マジか……。とにかくすごく面白い本なのでどんどん読めちまうなと思いました。その一方で相変わらず大澤真幸の『資本主義の〈その先〉へ』は1回読んだだけではすんなりとは理解できない。というかこれは集中力の問題かもしれない。とりあえずノートを取りながら行きつ戻りつすれば理解はできる(覚えていられるかというとそうではない)。有斐閣ストゥディアの『社会学入門』があまり面白くないなと思って、というかそもそも字がでかくないか?情報量少なくない?と思って、ストゥディアの『国際政治史』と比べようと思い久しぶりに机の下の勉強用の本たちのスペースをひっくり返したら、『精読 ハンナ・アレント』が出てきて、やばい!『資本論』の理解が進むじゃん!と思ってこのテキストご機嫌でやっていたんだった!ということを思い出し、これも早く続きに手をつけなければと思った。やりたい本が多すぎて分裂したい。ちなみにストゥディアは、国際政治史のほうがかなり字が小さく行間も詰まっていた。並行して英語のリーディングも速読できるようになりたいし、単語も抜けが多い。友人(こうこさん)の誕生日祝いとして英検の1次試験突破という1月に向けても気を引き締めていきたい。
そんな感じで小説は書いていないが、朝方4時に起きた時に久しぶりにあんスタを叩いて、ダブルフェイスの最後のライブを終わらせた。まだこはゆるワンドロさんもまたやるみたいだし、本腰入れてダブルフェイスについて学び、まだこはも書いてみたいと思った。その前に燐一を書きたい。燐一はもうかなり、頭の中では文章化が終盤まで来ているので、早く打ち出さないと忘れる。萌えていた箇所を忘れて萌えなくなってしまいそうなので、本当に今まじで書くことが必要だと思う。ほんとジムとか行ってる場合か?と思うが、あと5kg痩せれば光明が見えるので、精神の健康のためにも今やるしかないと思える。アルバイトは1件落ちたが、1件また学習塾に応募している。こちらは結構受かるといいなあと思っている。今ならぎりぎり半年、3月まで居られるので。(もう4月から大学に通うために引っ越す気でいる。気が早すぎる)2ヶ月で5kg痩せる&筋力をつけることができれば、その後の4ヶ月、塾とは別に短期で働いてお金を作ろうと思っている。そんなに何もかもうまくいくかな。まあいかなくてもとくに損をするわけでもないので、そういうざっくりとした計画でいる。私はこういう人生の計画を立てる時、誰に何を言われてもたいてい変えることはないうえ、誰に何を言われても大抵達成してしまうため、大体色んな人の心配や心配や心配は杞憂に終わる。なぜかいつもそう。大学も、中学までの勉強以外一切分からないのにまぐれで受かってしまい家を出ることができたし、新卒の会社を退職する時にも、あっさり書店のフルタイムで採用された(これは条件の合致と当時の若さゆえ当然かもしれないが)。「今度こそもう駄目なのでは?」という時に限って、なぜかうまくいって「しまう」。そしてそこでの経験がその後の人生に繋がっていく。なぜかそのように、かなり細い橋を全速力で渡ってきた。今回はどうなるかはわからないが、とりあえず気合だと思う。気持ちの面では全然負ける気がしない(?)ので、とにかく気持ちを折らないで、やれることをやっていきたい。こんなところでここまで自分に檄を飛ばす必要はそんなにないのだが、なんだかテンションが上がっていると思う。
友人に共有したいことがあり、メッセージを開いたら、なんと、9月20日つまり2週間近く前に、友人からメッセージが来ていた。なぜ通知が来ていないのかまったくわからないが、とんだ不義理をしてしまった。まあでもこちらは元気ですということと、ウルフくんのグッズ情報と、レノフィの良き小説を共有することくらいしか言うことはなかったので、いいか、と思った。日によって私は元気だったり元気でなかったりするので、風呂に入って外に歩きに行った今日、つまり元気な日に返信ができてよかったと思う。
友人たちがどんどん文芸や文学に向かって突き進んでいるなあということを感じつつ、私はしばらく文芸や文学は二次創作で遊ぶ程度でいいかと考えている。べつに二次創作は遊びではないのだが、自分の小説を書くということと比べると、こちらは完全に「仕事」になるので、二次創作は相対的に遊びというか、「好きでやっていること」になる。私にとっては二次創作ではない自分の小説を書くことは、やらなくてはいけないことであり、遊びではない。ただ、楽しくないのかと言われれば楽しいことであり、やりたいときにしかやらない(やれない)ので、これは本当に自分にとって生涯の「仕事」だと思う。二次創作の小説を書くことも「仕事」の一部だが、これはあくまで非営利なので、対外的には「仕事」にはならない。ただ、遊びというよりはかなり切実な希いがそこにはある。まあ一足飛びには何もかも難しいだろうから、二次創作の延長でオリジナルのBLを書き、オリジナルBLの延長線上で、いつかなんらかの一般文芸を書けたらいいなと思う。全てはひとあしづつ。詩と短歌は、またちょっと違うところにいる。短歌は二次創作で始めたが、かなりそうではないものも書き溜めていた時期があった。詩は最初から二次創作ではなく、自分のものとして書いていた。このあたりは並行してやっていけばいいかと思う。やりたい時にやるしかない。詩人や歌人ではなく、私は小説を書く人になりたいわけなので、ノルマは小説に課したほうがいい。自分の本質が詩にあるとしても、それを表現するのは小説の上でだと思う。
明日はパーソナルトレーニングの体験コースで、明後日はワクチン接種で、その後は体調を崩す予定で、日曜には人と会う予定があり、おそらく学習塾の選考も進み、ジムも本格的に始まっていき、なんだかんだ忙しくなる気がする。そして社会学と英語の勉強をし��つ出願の準備を進める。仕事を辞めて良かったなと思った。というか、どうせ辞めたんだから、それに見合うというか、そ���以上のものを掴むことができるに決まっている。
2023.10.2
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