#旧前田侯爵家別邸
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#鎌倉文学館 #バラ園 #鎌倉文学館バラ園 #旧前田侯爵家別邸 #国登録有形文化財 #鎌倉文学館バラまつり #鎌倉 #kamakura #鎌倉さんぽ #薔薇 (鎌倉文学館) https://www.instagram.com/p/Cdc_9QQvG-r/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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\おにわさん更新情報📸/ [ 神奈川県鎌倉市 ] 鎌倉文学館庭園 Kamakura Museum of Literature's Garden, Kamakura, Kanagawa の写真・記事を更新しました。 ――湘南の海🌊の眺望も美しい #旧前田侯爵家 の別邸として建てられた鎌倉三大洋館の庭園。バラ園は鎌倉随一の #バラの名所 。 ・・・・・・・・ 現在「鎌倉文学館」として開かれているこの洋館は #加賀藩主 だった #旧前田侯爵家別邸 として昭和初期に建てられたもので、#国登録有形文化財 。 「旧華頂宮邸」などと共に #鎌倉三大洋館 🕌の一つと称されています。 昭和の終わりに鎌倉ゆかりの文学者の原稿・手紙・愛用品などの史料を収集保存、展示するための博物館としてオープン。 庭園内にあるバラ園🌹は鎌倉のバラの名所として知られ、毎年5月〜6月にかけて『バラまつり』が開催されています。 2019年はちょうど本日からバラまつり🥀がスタート!公式サイトによると現在の開花状況は4割程度とのこと。 鎌倉大仏の「高徳院」や「長谷寺」からは徒歩10分ほど。 鎌倉文学館の入場門前に #長楽寺跡 の石碑が建っていますが、鎌倉時代には北条政子が夫であった鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の菩提を弔う為に創建された「長楽寺」があった場所を明治時代に前田家が取得。 昭和の後期に前田家の17���目当主 #前田利建 氏によりこの別邸を含む一帯が鎌倉市に寄贈されたのを機に「鎌倉文学館」として開館。 相模湾も見下ろせる高台に建つ独特なデザインの本館はハーフティンバーとスパニッシュを基調とした洋風と切妻屋根などの和風が混在したもの。 鎌倉の別荘建築には古民家+洋風といった手法も見受けられるけど、この建築も建物内は和の温かみも残されています。また公式SNSのアイコンになっているステンドグラス🧫も美しかったのだけど、洋館内は撮影禁止…!撮りたかったなあ… そして本館の前には広大な庭園が広がります。日本庭園というよりは洋式庭園。 中でも正門・副門寄りにある「バラ園」は約200種ものバラが楽しめる、鎌倉のバラの名所として有名。バラの見頃となる5〜6月や秋には「バラまつり」等のイベントが行われています。 そしてバラ園もだけど洋館前の刈込みも今の時期はまたよりきれいなのだろうなあ。 入館料もさほど高くないので、文学に興味がなくて植物・庭園や建物が好きな人でも楽しめる空間。次回はまた別の季節に訪れてみよう! 〜〜〜〜〜〜〜〜 🔗おにわさん記事URL: https://oniwa.garden/kamakura-literature-museum-garden-%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%A4%A8/ ーーーーーーーー #庭園 #洋式庭園 #洋風庭園 #garden #japanesegarden #kamakuragarden #鎌倉 #鎌倉市 #kamakura #鎌倉山 #kamakurayama #神奈川 #神奈川県 #kanagawa #文学館 #museum #museumofliterature #おにわさん (鎌倉文学館) https://www.instagram.com/p/BxSLXBHAr9i/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=ml5inuvn0sxc
#旧前田侯爵家#バラの名所#加賀���主#旧前田侯爵家別邸#国登録有形文化財#鎌倉三大洋館#長楽寺跡#前田利建#庭園#洋式庭園#洋風庭園#garden#japanesegarden#kamakuragarden#鎌倉#鎌倉市#kamakura#鎌倉山#kamakurayama#神奈川#神奈川県#kanagawa#文学館#museum#museumofliterature#おにわさん
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国の文化審議会が十八日、柴山昌彦文部科学大臣に答申した登録有形文化財に、県内からは浜松市北区にある「方広寺本堂」など二十二件と、静岡市清水区の「旧岩辺家住宅主屋」など三件、熱海市の「旧井上侯爵家熱海別邸」(清光園)の計二十六件が盛り込まれた。県内の登録数は二百六十一件となる。また、熱海市のMOA美術館が所蔵する工芸品「色絵十二ケ月和歌花鳥図角皿(いろえじゅうにかげつわかかちょうずかくざら)」が重要文化財として答申された。県内の重文は百八十七件(国宝十件を含む)となる。
◆東海最大級の本堂 方広寺
登録有形文化財に登録するよう答申された本堂(左)や鐘楼(右)=浜松市北区の方広寺で
浜松市北区引佐町の方広寺境内にある本堂や半僧坊拝殿など二十二件うち、十六件は一般に公開されている。
方広寺は臨済宗十五派の一つ、方広寺派の大本山。本堂は間口約三十三メートル、奥行き約二十二メートルで、本堂としては東海地方最大級だ。障子の外側に、ぬれ縁と呼ばれる廊下が設けられている。正面は、長い柱と貫で床下を支え��懸造り風の外観が特徴という。
半僧坊拝殿は半僧坊大権現をまつる真殿の前に立つ。一八八六(明治十九)年に上棟。入り口の柱から拝殿側に架けられた梁(はり)には昇竜と降竜が彫られ、寺院というより神社の雰囲気を醸し出している。
本堂の前に建つ鐘楼は木造二階建てだ。本堂に向かって右手にある大庫裏は、正面中央に唐破風屋根の大玄関、左右に入り母屋妻面を構え独特の外観という。
宗務総長の巨島泰雄さんは「多くの人に知られ訪れてもらえれば、保存の大きな力になる」と喜んだ。
(宮沢輝明)
◆蒲原宿の風情薫る 旧岩辺家住宅
旧岩辺家住宅=静岡市清水区で
静岡市清水区蒲原新田の旧岩辺家住宅は、旧蒲原宿の街道沿いに立つ町家で、一八五八(安政五)年築の主屋、大正後期築の離れ、一九二七(昭和二)年ごろ築の土蔵がある。
岩辺家は実業家で、土佐藩出身で宮内大臣などを務めた田中光顕氏と親交があった。主屋は間口六間の木造平屋建て。離れは東京電力の前身「東京電灯」の創始者、矢嶋作郎氏が近くに建てた別荘の一部を移築した。「蒲原宿の風情を伝える貴重な町家」と評価された。
現在は個人所有だが、地元の有志がカフェやイベントを毎月開き、地域活性化に活用する。稲葉穰さん(75)は「文化的な価値が高まったこの機に、さらなる市民交流をしていきたい」と喜んだ。
熱海市の旧井上侯爵家熱海別邸は、昭和前期に湯河原温泉の一角に建てられた。寄棟造り二階建ての南東二面に開口を取るなど、開放的で落ち着いたたたずまいの建物だ。
一方、MOA美術館の「色絵十二ケ月和歌花鳥図角皿」は、尾形乾山(一六六三~一七四三年)の作。乾山は尾形光琳の弟。高さ二・二センチ、縦横一六・八センチ、絵替わり十二枚ぞろいの色絵角皿で、乾山が京都に開いた鳴滝窯で制作された。藤原定家が詠んだ十二種の和歌を裏面に書き、表面に歌にちなんだ花鳥が描かれている。
(広田和也、中谷秀樹)
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番外編〜街巡り調査〜
6/6/2022 (日)
今回は課外の活動として、街歩きの開催にむけた
調査の第1弾として「旧前田侯爵家本邸」を訪問した。
<アクセス〜外観>
本邸は、金沢(加賀)を本拠地として前田家の16代目であった 前田利為が建てた洋館である。
代々木上原駅から15分ほどかけて歩くと(駒場東大駅の方が実際は近い)住宅街に木々に囲まれた異世界のような土地が現れる。
当施設は駒場公園の中に位置しており、緑に囲まれた道を潜り抜けると、近代の洋風を彷彿とさせる屋敷が降臨する。
<洋館の中へ>
どうやら中を見学することができる様子。
とにかく部屋の数が多くてその1つ1つが豪華で眩しい。 順路がなかったら迷子になってしまいそう。
館内では、金沢に関する資料が展示されており、金沢の魅力や夜景を紹介するビデオが放映されていた。他には、金沢を彷彿とさせる要素は少ないものの、金沢(加賀)を本拠地としていた一家が明治時代にここまでの優美な建造物を建設していたという事実をこの身をもって感じることができるのは、非常に貴重な体験であった。
<和館の中へ>
本邸の各施設を紹介する動画を見ていると、どうやらこの洋風な建物とは別に 和館という施設が存在するらしい。早速訪問してみることに。
先ほどの洋館のテイストとは打って変わった 和風のお屋敷のような施設。こちらも中に入ることが可能だったのだが、 足を踏み入れてみると畳の匂いが漂う広大な居間から見渡すことが できる緑に囲まれた庭と、池の中を泳ぐ鯉が印象的だった。
<振り返り>
今回の探索では、金沢イズムを感じる点は少ないように感じられ、現時点では、どのように街歩きイベントと結びつけることができるのかは定かではないものの、今週末に金沢に関連した施設への訪問を控えているため、そちらの活動も踏まえて、今回の記録を活かすことができるようになるだろう。
担当:日本男児
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井上泰至「恋の季題」連載Ⅵ
花鳥誌2021年5月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
牡 丹
コロナで何事も通例のようにはいかなくなった去年今年。新しいNHK大河ドラマ「青天を衝け!」の開始も、例年と異なり二月中旬となった。この原稿が活字になる頃は、主役の渋沢栄一も、最後の将軍となる一橋慶喜の家臣になって、パリ万博へ向かっている頃だろうか。
ドラマは、北大路欣也演じる徳川家康がオープニングのナレーターとなり、日本史における江戸時代の長さを説いて、明治維新は近代化だとよくいうがそんな単純なものじゃない、と薩長・坂本龍馬史観を暗に批判してみせ、主役の渋沢栄一は徳川慶喜の家臣だったと紹介するところから始まる。
観ながら、虚子が明治末年、三十代の終わりに慶喜にお目見えして、俳句を論じ、慶喜の句を添削した体験を描く「十五代将軍」という文章を思い出していた。お目見えのいきさつはこうである。鎌倉で大坪という人物が虚子を訪ねてきて俳句の指導を乞う。この人は旧鳥取藩の家臣の出で、持ち込んでくる句稿はしだいに分量が増え、中には旧藩主池田仲傳公爵の句もあることを知らされる。点数がよかった池田侯は、鎌倉長谷の別邸から虚子を訪ねることもあり、ついに麻布市兵衛町(現六本木一丁目、荷風偏奇館跡近く)の池田邸での晩餐に誘われ、伺候することとなった。初夏のことであったという。
侯爵邸の門内に入ると、葵紋の馬車が認められ、池田侯の実父である「十五代将軍」徳川慶喜も来ていることを知って、流石の虚子も緊張した。歴史の変転があるとはいえ、世が世なら近づくことも、ご尊顔を拝することも叶わないお方である。まして、虚子は三河以来の名門、徳川家とは親戚筋の久松松平家を主君と仰ぐ松山藩の武家出身である。鳥羽・伏見の戦いには、虚子の父も参加していたのである。
虚子はまず晩餐の前に、お歴々の前で俳話をさせられた。ついで、句を選ばされ、
鳶の輪の下の小村や五月晴 慶喜
などなかなかよかったと記している。ついで、晩餐となり、慶喜自ら虚子に酌をする光栄に浴す。虚子を松山藩の能楽の家の出と知って、慶喜は虚子に酌をしながら、宝生新(漱石の謡の師匠)の祖父の話に及び、ついに人々は謡い出し、虚子も止む無くどうにか唸ったが、緊張のあまり相当不味い出来だったという。ここではもはや俳人虚子ではなく、松山藩の小身の武士だった池内信夫、通称の「庄四郎」の小倅になってしまっている。
さて、歴代将軍の中でも英邁の誉れ高い慶喜は、七十を超えても頭脳明敏で、虚子の俳話にも的確な反応をさしはさんだ。中でも、
牡丹切つて気の衰ひし夕べかな 蕪村
の句の的確な鑑賞は、虚子に強い印象を残した。
慶喜曰く、作者は切ろう切ろうと思いながら、切りかねていたのをついに思いきって切った。結果がっかりしたような気の衰えを感じた。朝からそう思っていたのを、夕暮れになってようやく切ったというところが面白い。「よく情を尽くした面白い句ですね」との結論である。慶喜の解釈は、今日の蕪村研究に照らして見ても百点満点。「衰へる」でなく「衰ひし」と詠んで、現在からさかのぼる時間を示唆し、一呼吸置いて「夕べかな」と収めた狙いをよく理解している。チンピラだった碧梧桐が『蕪村句集講義』で、「気の衰ひし」を誇張だと批判したのと比べれば雲泥の差だ。
大輪の牡丹は、花の王と称される。いわば、「私ここにいます」と黙っていても主張できるレベルの麗人と同じなのである。麗人のいる部屋は、それだけで、明る��、かつ緊張感が生まれよう。麗人は朝から部屋に居てなかなか帰ろうとしない。さすがにいつまでも引き留めるわけにもいかず、自分からお別れを切り出したものの、麗人が去った後の部屋も自分も、すっかり気が抜け、疲れがどっと出た状態となってしまった―。
下品な解説を加えれば、こんなところだろう。慶喜は粋な人で、浅草の火消しの親分新門辰五郎の娘お芳を、子孫を増やす側室とは別に、愛人として一番可愛がった。絵心もあって、油絵も写真もやった。ゴージャスな牡丹を正面から描かず、その美へのときめきを詠むことで俳句に収めた蕪村の狙いをたちまちに了解した。野暮天の碧梧桐には悪いが、およそ相手にならない、とはこのことだろう。
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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