#新日本プロレス4強終焉
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yoshimiyo3 · 6 years ago
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棚橋弘至欠場失速した棚橋弘至と内藤哲也上昇したオカダ・カズチカとSANADA
棚橋弘至欠場決定
棚橋弘至が昨年に続き、怪我で欠場となった
マジソン・スクエア・ガーデン大会でザックセイバーjrと対戦
左肘を執拗に攻められ負傷となった。
昨年は鈴木みのるの関節地獄で、膝を壊され欠場
  満身創痍の棚橋弘至
関節の名手との試合で身体を破壊されている。
ハイフライフローを封印したままの棚橋弘至は、不完全では本物に勝てないとコメント
  全試合欠場を決めた棚橋弘至はどんたくシリーズに間に合うか?
棚橋弘至の姿を見れないファンはさみしい限りである。
  また膝を負傷した天山広吉も欠場、ムーンサルトプレス��ハイフライフローなど膝に負担のかかる
選手がまた欠場となった。
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オカダ・カズチカVSロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンSANADAのIWGPヘビー級選手権決定
  ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン内藤哲也の飯伏幸太への連敗
インターコンチネンタル…
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minecism · 7 years ago
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過去記事アーカイブ「25周年記念!Theピーズのここ10年(2012年)」
この文章は5年前の2012年、当時21歳の私・峯大貴が勝手に一人でやっていた音楽誌「HITORI JAMBOREE Vol.2」で書いたピーズ25周年時の考察記事です。
「HITORI JAMBOREE Vol.2」
http://p.booklog.jp/book/53666
 まだ自分自身が書ける媒体もなかった大学3回生、ライター講座in京都に参加したかしてないかくらいの時期かと思います。
 この度2017年Theピーズ30周年ということで武道館公演が来週にせまりました。
ピーズに対して並々ならぬ思い入れがある私としましてはもうそわそわしているのですが、
そこでふと5年前に書いたこの記事の存在を思い出し、以下に転載いたします。
 この当時同じくロッキングオン・ジャパンの投稿欄に初めて記事が載り、だいぶ調子にのってます。語調からわかりますね笑
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前口上
前回から3か月ほどのご無沙汰でございます。江戸時代には天下の台所、現在は地方分権の急先鋒として天皇なき都さえ生みだしかねない街大阪の、経済を担っているベッドタウンの小さな一室から不定期でお送りしております気ままな混血音楽評論雑誌「ひとりジャンボリー」の2回目でございます。現行憲法では「都」の概念が明確に規定されていないために天皇、政治、経済など取り上げる観念によって複数都がアリナシになってしまう現状は皇室ファンの私にとっては憂うとまではいかないにしろ、ちょいと注目している訳でございます。全くの無知な私であるので動向を窺うばかりですが。一応大学では統計学を専攻しておりまして理系でございます。
関係ない話はこのくらいにしておきまして。前回のVol.1は感想も非常に多くいただきまして嬉しい限りでございます。反響・激励・要望・不満を踏まえましていくつかマイナーチェンジも致しました。その点についての言及は後口上の方に任せるといたします。
 前回からの身の回りで起こったアレコレなのですが、毎年9月に開催されるくるり主催の音楽フェスティバル京都音楽博覧会が今年から実施する、ソロステージ企画の名前が「京都音博名物ヒトリ・ジャンボリー」と発表されました。…取られた!後出しジャンケンや!このタイトル気に入ってたーのにーん。と若干凹み気味です。だけどとりあえずまだこのままで頑張っていきたいなぁと。もちろん本誌の方が「くるりのアレから取ったんですか?」と言われかねませんが、そこは面倒臭がらずに「こっちが先なんです!!!!!」とイチイチ言っていきたいと思っております。しかしやっていくに連れて居心地が悪くなったら変えようかな。『神のプロレス』の後継誌が『KAMINOGE』であるように『HITOJAN』なんてどうでしょ?
  今回も前回と同じ構成をとらせていただきました。特集は「25周年記念!Theピーズのここ10年」と題しまして、デビュー25周年、活動再開10周年を迎えたTheピーズの特に02年の復活後に主軸を置き語っていきます。というのも今売りのロッキングオン・ジャパン8月号のJAPAN REVIEW欄に「Theピーズ、25周年に寄せてー自分史の中でしか語ることのできないTheピーズの物語」という私の書いた記事が掲載されております。それに便乗、否勝手に連動いたしましての企画というわけです。ジャパンの方はピーズにハマったきっかけやら、ライブレポなど熱っぽくエッセイのように語っています。なのでこちら「ひとジャン」の方ではピーズの曲についての魅力をより時系列に分析・評論という棲み分けでございます。Vol.2にして一風変わった特別編!!是非ジャパンの方も合わせて御覧になっていただくとより楽しめると思います。
そして新盤ディスクレビューはちょっと取り上げるのが遅くなってしまいましたがユメオチ「これからのこと」、旧盤ディスクレビュー「エサ箱より愛を込めて…」はガールズ・ポップ・アイコン3種盛りです。以上の3部構成でお送りいたします。 それでは参りましょう。混血音楽評論雑誌
ひとりジャンボリーです!!!
◎特集 25周年記念!Theピーズのここ10年
 前述しましたように今売りのロッキングオン・ジャパンのジャパン・レビューにもピーズ25周年に寄せた文章を2ページにわたって掲載させていただきました。本項はより冷静に深くピーズの曲、はるのソングライティングについて掘り下げていきたいと思っております。
 基本情報をざっくり記しておくとTheピーズは87年にはる(大木温之/Vo・B)、アビさん(安孫���義一/G)、マスヒロ(後藤升宏/Dr)の3人で結成。バンドブームの煽りもありつつバカロックの一翼を担い89年にはビクターよりメジャーデビュー。1stアルバムは2枚同時リリースということからもかなり期待を受けてのデビューだが、当時は双子の弟である大木知之(現トモフスキー)率いるカステラと音楽性の上でも常に比較されていた。このアルバム発売後まもなくマスヒロが脱退し、ここからドラマーは安定せずそのつどドラマーの力量に合わせた曲を作らざるをえなくなる。バンドブーム終焉後も継続してその退廃的文学的と称される歌詞や3ピースならではのストレートなロックンロール、はるの不安定でヒリヒリとする人柄などで一部から熱狂的な支持を集める。96年にはキングレコードへ移籍するがアルバム「どこへも帰らない」発表後、長年連れ添ったアビさんが脱退し、その後を追うようにしてはるは97年「リハビリ中断」を最後に活動休止宣言。飲食店のバイトなどでギリギリ生計を立てる。音楽家としてほぼ廃業状態だったが01年にベストアルバム「ブッチーメリー」をはる自身の選曲で2枚同時発売、復活の機運が高まる中02年のロック・イン・ジャパンにてはる、アビさん、そして活動休止以前もサポートしていた経験があるシンちゃん(佐藤シンイチロウ/Dr)がthe pillowsと兼任で加入し復活。今に至る…
というのがおあつらえ向きのピーズ史である。詳しい歴史についてはウィキペディア等々で見ていただきたい。ということでここからが本題。痛いほどに退廃的な歌詞、時には性をもあっけらかんと歌う。とこれらは活動休止前に最も言われていた魅力である。いや、今はこの傾向が見られなくなったという訳ではないが、今のはるでは代表曲である「日が暮れても彼女と歩いてた」や「シニタイヤツハシネ~born or die~」のような曲は作らないだろう。そこで今回は復活10年ということで活動再開後のピーズに絞って「今に至る…」の部分を詳しく総括したいと思う。
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 まず02年以降の10年を活動スタイルで大きく分類すれば復活から05年「赤羽39」までのキングレコード期。そして07年のシングル「アル中」以降現在も続く自社レーベルたまぶくロカビリー倶楽部期に分かれる。キング期では3枚アルバムを残しているが、音楽性は活動休止前のキング期をおおよそ引き継いでいる。しかし姿勢としてはこれまでの活動を思い出すアイドリング期間および、つまんなかったらまたやめればいいしのような試用期間といわんばかりにゆるく、待ち望んでいたファンを興奮させるのではなく安堵させるようなものである。03年復活第1弾となったその名も「Theピーズ」では僕たち変わってないでしょ?というようなシンプルロックンロール、ベーシストの作曲ならではのコード感に寄り添うままのメロディ、終わってる歌詞、アビさんの荒々しくも美しいトーンを響かせるギター、はるの歌うベースライン。これまでと何も変わらない部分にシンちゃんのドラムが加わり長年ピーズの弱点だったリズム面に不安はなくなった。また終わってる歌詞といえども再びバンドが出来るという嬉しさが見え隠れしてしまっている。⑤『ひとりくらい』なんて曲は前までのはるだったら「誰もいない」と歌っていたはずだ。このアルバムの最後を飾る⑫『グライダー』でピーズは10年前の過去も10年後の未来も肯定している。活動休止以前の自己を削り取る曲作りから、削り取ることもめんどくさくなったような諦めの境地に入り客観性と自己哲学の表現もおどろくほどの成長を見せている。
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 そこから04年「アンチグライダー」ではこのタイトルや②『ギア』の歌詞であっさり前作を象徴する楽曲『グライダー』に対するアンチを表明してしまう。しかし、これも前作の出来に対する否定ではなく「ちょっと前は浮かれちゃってかっこつけちゃいました。」というニュアンスと、人が言うことだから矛盾もつきモノであるという相変わらずの飄々としたスタンスが感じられる。
続く05年「赤羽39」収録の①「体にやさしいパンク」ではもたれたハネノリビートがはるのかき鳴らすベースを契機にピストルズばりの突っ込んだパンクに変貌する。⑫『サマー記念日』ではほのぼのと進んでいくが突如転調をしてまたしばらくすると戻ってくるピーズ流『オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ』。ポール・マッカートニーフリークのはるでないと成せないビートルズチックな曲である。歌詞においては「しんどそう」、「くたびれきった」、「グッタリしたいぜ」など中年バンドながらの身体の疲れが感じられることと、一見したところでは意味のとりにくい抽象的な言葉の羅列が並ぶ。しかしそれが気持ちのいい、いわゆる「はる節」なるものが完成されていくのもこの時期である。しかし②『ノロマが走って行く』、⑦『クリスマス』など鮮やかに心象風景が描かれているものもあり、この奇妙なバランスがこの「赤羽39」を名盤に押し上げている。
 はる、アビさんが40歳という節目を迎えた05年。ライブはこれまでと変わらぬペースで行っていたにもかかわらずリリースが途絶え、ようやく新曲として発表された07年の「アル中」からはキングレコードを離れることになる。この『アル中』だが近年のピーズでは珍しくまさしくアル中のように弾くのもだるそうなベースが体現しているようにどんよりとしており、活動再開後の歌詞にはそれほど見られなかった「フルチン」、「マスかいてろ」、「チンカス」といった初期スタイルであるドギツい性の言葉も復活している。
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 この『アル中』以降6枚のシングルを発表するが、『ゲロサーフ』、『三連休』など疲労や体調悪いことを歌ったものや『ロンパリンラビン』や『バカのしびれ』、『でいーね』など歌詞世界がニュアンスに因る傾向がより一層強まっている。それらの楽曲がまとめられたのが今回発売されたアルバム「アルキネマ」である。THE BLUE HEARTSを解散したヒロトとマーシーがハイロウズを結成し、鳴らした音が歌詞がメッセージ性を意図的に削いだものであったように、この『アルキネマ』の中にはかつてのヒリヒリするようなしんどい曲はなくなった。同時に発売された5年前の20周年ライブDVDを見てもはるは今とっても幸せそうに音を鳴らしている。
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これまでの楽曲では『実験4号』で「続くよ まだ二人いる」と歌ったが本当は続かないこともわかっていた。『君は僕を好きかい』では「君は僕をたまに見ている 君は僕を好きかい」と聞いたが本当は他のヤツのことを好きだということもわかっていた。以前の「はる節」はわずかな希望もとうに失っていることを知りながら歌っているもんだから聴く方もはる自身もしんどいに決まっている。
しかし今回「アルキネマ」に唯一の新録として収められている『幸せなボクら』で初めてはるは幸せであることを歌った。93年の代表曲『日が暮れても彼女と歩いていた』の中で「どこのだれがホントに幸せなんだろーか」と歌っていたはるがようやくピーズとして幸せであることを歌うことが出来たのである。25周年を迎えてこの期に及び動員も伸びつつあるTheピーズ。今後は7年ぶりとは言わずにもう少しアルバムのインターバルを短くしてほしいところだが。シンちゃんも本業であるthe pillowsが少しだけ休憩することが7月1日に発表され、しばらくはピーズの方に力をいれることになるだろう。まだまだ注目しなければ。
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