#手延ガラス
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kaoriof · 4 months ago
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9/20
ひさしぶりに日記を毎日書こうと思って書いてみている。手の甲の血管が浮き出てきていて歳をとったことを感じた。
しばらく虹を見ていない。昔、お母さんに「さいきん虹を見ていない」と話したその日の夕方、偶然にも空に虹がかかった。バイアスでしかないけど、でもわたしはその日から世界が大好きになった。生い茂る緑、海の匂い、音、海風でほどいた髪の毛がざらつき、わたしの瞳は降り注ぐ光を受けとめて輝く。裸足になって草むらを歩くと意外と痛いのしっている?海辺に咲く紫色の花はハマゴウといって「慎ましさ」という花言葉があるらしい。そのハーブに似た爽やかな香りを乾いた風がじゅうたんみたいに辺り一面に敷いて、わたしはその上でしばらく仰向けに寝転んでいた。こういう日々が続けばいい。ずっと空を見ているとだんだん波の音が遠くなっていって、心が晴れやかに、まっさらに、洗われていくような気がした。焼けた太腿に小さい虫が止まっているのを見つけて、でも払わずにそのままにしておく。海水で濡れた純金のネックレスが冷たく光る。美しさはときに暴力性を内包しているというけれど、それは果たしてほんとうだろうか?そしたら一体やさしさってなんだろうとか考えて、結局わからなくて、そのまま目を閉じた。
この間、地元で祭りをやっていた。暮れ方の天上に鳴り響く太鼓のずっしりした低音がわたしの心臓を突き動かす、ぶわあっと鳥肌がたつ。ルフィがニカになるとき、みたいな、変な感想しかでてこないけど、ぶるぶる震えて、数百年前にこの土地に根付いていた命と生活が古い映画みたいに巻き戻されていく。
こういう人間の生き延びるための知恵とそれを豊かにするほんの少しの遊び心が好きだと思う。草花を薬や香料として使ってみたり、魚の捌き方にも美しさがあったり、ほかにも樹皮を削って煮出す染料や蔓を編んで作る工芸品、鉱石が光るアクセサリー、その土地に根付いた神話、祭りの文化、民族音楽、スポーツ、踊り、花言葉と星座。たまにパズルのピースみたいな全てがぴたりと当てはまっている感覚になるときがある。街を歩いている人々がそれぞれ違う仕事をしていて、でもそれがちょうどいいバランスなのが不思議。宇宙飛行士になる人生も、突き詰めてイルカの生態を研究する人生も、ガラス職人になる人生もあって、それのどれも選ばない人生もある。運命がちょうどいいぐあいで溶け合って交わりあって世界が狂わずに前進しているのにぼんやり感動する。
それこそ、ここ2年くらい広告会社でインターンをしているのだけど、世の中には目には入らないだけでこんなにも画期的で素晴らしいサービスが溢れているんだ、ということを日に日に実感する。そしてその作業の工程の数だけ、商品の数だけ、研究内容の数だけそこに携わりながら頑張っている人がいて、その人たちのおかげで今の生活そしてこれからの生活が守られているということを考えていると、感謝の気持ちが溢れる。わたしは生かされてる。そういうところに気付ける大人になれてよかった。
たとえば地球の地熱資源を活用した発電方法で脱炭素化をめざす会社がある一方で、光合成生物の培養プラントを利用して温室効果ガスを資源化する会社もあって。感情データの解析する会社や、藻類の研究開発を通して天然の着色成分や健康や美容の分野において貢献する会社もある。「知らない」ということはものすごく無垢で尊いことだけれど、「知識」というのは身につけるだけで世界の見え方が多層的かつ複雑なあやとりみたいに緻密で繊細で豊かなことに気付けるのでもっと尊い。顔に現れる皺の数の分だけ、わたしの感性にはだれかの未来を良くしようとする想いや頑張りが刻まれる。けして自惚れず、わたしもこれからのだれかのために頑張っていきたいと思った。
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moment-japan · 2 months ago
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国立工芸館と21世紀美術館で芸術鑑賞。
国立工芸館では「心象工芸展」というのを鑑賞しました。
国立工芸館には初めて行きましたが、21世紀美術館と違って学芸員の方が凄く人当たりがいいです。(笑)
昭和オシャレ世代憧れ、伝説の美術学校セツ・モードセミナー出身、玩具メーカーでパッケージデザイナーとして活躍していた美術家・沖潤子のむちゃくちゃ細かい刺繍、写真にはないけど金沢美大出身でパナソニックのインダストリアルデザイナーから工芸作家に異色の転身をした人間国宝・中川衛(現金沢美大教授)の加賀象嵌、漆芸の中田真裕、陶芸の松永圭太、ガラス工芸の佐々木類、金工の高橋賢悟という方々の作品が展示されていました。
21世紀美術館では「コレクション展2 都市漂流」と「もっと踊ろう!共感のエコロジー すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」というのを鑑賞。
もっと踊ろう!共感のエコロジー すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジーではアマゾンやイヌイットなどの原住民や先住民のアート作品がたくさん展示されていました。
宇治野宗輝のガラクタコレクションみたいな作品の中にフェンダーのアンプがあった。
作家チームChim↑Pomの繁華街に生息するクマネズミを彼らが虫取り網で捕獲する行為を記録した映像と付属のオブジェから成る作品「SUPER RAT」もかなりの労作だったことが伺える。(笑)
久野彩子の鍛造作品や、以前見たことのある巨大トミカパーキングのような米国人作家クリス・バーデンの作品「メトロポリス」もあって懐かしかったです。
ドイツの芸術家イザ・ゲンツケンのインスタレーションアートや、延々と続く自動ドア・アートのカールステン・ヘラー「金沢の自動ドア」が面白かった。
アルゼンチンの芸術家アドリアン・ビシャル・ロハスの巨大な恐竜のようなオブジェ作品「想像力の果て」を鑑賞していた若いカップルが隣で小声で「ゴミにしか見えない・・」と言ってたのでので笑いを堪えるのが大変でした。
環境から社会現象まであらゆる状況をシミュレートするタイムエンジンというアプリを用いて作ったバーチャル彫刻を元にして制作されたそうです。
この巨大作品は、金属・コンクリート・土・ガラス、廃車部品などが混淆するマテリアルが、マシンエンジニアリングと手作業によって有機的な生き物のように表現され、環境や混沌とした社会に問いを投げかけるなかなか哲学的な作品ですが、あのカップルの言っていることもよくわかります。(笑)
国立工芸館はそれほどでもありませんでしたが、21美は死ぬほど人がいました。
鑑賞後、美術館外ではシンセを使った今流行りの「アンビエント系ミュージック」の演奏を聞きながら、まったりする人々でいっぱいでした。
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astk-design · 9 months ago
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House in Shukugawa 夙川の家 (共同設計|arbol)
ミニマルな空間と美しい曲線が生む 優しく包容力のある住まい The minimalist space and beautiful curves create a tender and inclusive home
夙川の家は兵庫県西宮市に位置し、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿地にある。 プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対し、内部を周囲から切り離して住み手のための”独立した世界”をつくることを目指した。 ”中庭”と”大きな気積をもったドーム空間”により、閉じた箱の中でも窮屈さを感じることなく、美しい緑や光を愛でながら居心地良く過ごすことができる。包み込むような空間が家族の団欒を生み、暮らしを受け止める包容力のある住まいとなっています。
“House in Shukugawa” is located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, on a compact flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world for the client on the inside. The “courtyard” and “domed space with a large volume” allow the residents to spend a cozy time while enjoying beautiful greenery and light, without feeling cramped in a closed box. The enveloping space creates a family gathering, and the house has the tolerance to accept the people’s life.
- ⚪︎ロケーション  夙川の家は、兵庫県西宮市の豊かな自然と古くからの邸宅街が広がる夙川沿岸の閑静なエリアに位置している。この場所のように地価が比較的高いエリアでは、邸宅街と対照に土地が細分化され住宅が密集している部分も多くみられる。本邸も、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿敷地での計画だった。 ⚪︎ご要望  クライアントから伺った理想の住環境や要望は、次の5つに整理できる。
自然とのつながり(緑、光、風、四季を感じれること)
プライバシーを確保しつつhyggeを大切にできること(hygge:デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」をさす言葉)
陰翳礼讃の精神で光や陰翳を繊細に感じられること、照明計画も同様に均一な明かりではなく変化や緩急があること
全体に繋がりがあり、用途に合わせて空間ボリュームが多様に調整されていること
インテリアから建築まで飽きのこない普遍性のあるデザインであること
これらのテーマと敷地条件をもとに、建築形態を検討していった。 ⚪︎デザインコンセプト  プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対する解決策として、あえて周囲を隔絶し「中庭」と「ドーム空間」によって建物内部にクライアントのための“独立した世界”を構築する住まいを提案した。また共有していただいた好みのインテリアイメージには、ヨーロッパの空気感を感じるものが多く意匠にもそれらの要素を取り入れることにした。
 まずコンパクトな敷地の中で可能な限り大きく建物のフットプリントを設定し、周囲に対して閉じた箱型の木造2階建てとした。次に内部でも自然や四季を感じ取れるよう、安定した採光が確保しやすい北側の角に中庭を配置。その周りを囲むようにホールやダイニングスペース、キッチンなどのアクティブなスペースを設けた。寝室や浴室といった個人の休息スペースは、必要最小限の大きさにして2階に配置した。(1ルームの寝室は、可動式収納家��によって部屋割りを調整可能)  この住まいの最大の特徴はドーム型のホールであり、それは人々の暮らしを受け止める包容力のある空間となっている。適度な求心的プランが家族の団らんを生み、中庭の抜けとドームの大きなヴォイドが人が集まった際も居心地の良さを保証する。閉じた箱でありながら窮屈さを感じることなく、親密なスケールで家族や友人達と心地良く過ごすことができる。  またタイル張りの床、路地テラスのようなダイニングスペース、バルコニーのような踊り場、ドームとシンボリックなトップライトなどにより、1階は住宅でありながらセミパブリックな空気感を醸し出している。これがプライベートな空間である2階とのコントラストを生み、小さな家の中に多様さと奥行きをつくり出している。  採光については、単に明るいことだけではなく相対的に明るさを感じられることも重要である。ホールの開口部は最小限として基準となる照度を下げつつ、中庭に落ちる光が最も美しく感じられるよう明るさの序列を整理した。また壁天井全体を淡い赤褐色の漆喰仕上げとすることで、明るさを増幅させるとともに影になった部分からも暖かみを感じられるよう設計している。  空間操作としては、中庭外壁隅部のR加工、シームレスな左官仕上げとしたドーム天井、ドームと対照的に低く抑えた1階天井高などが距離感の錯覚を起こし、コンパクトな空間に視覚的な広がりをもたらしている。 ⚪︎構造計画  木造軸組構法の構造材には、強度が高いことで知られる高知県産の土佐材を使用。上部躯体には土佐杉、土台にはより強度や耐久性の高い土佐桧を用いた。工務店が高知県から直接仕入れるこだわりの材であり、安定した品質の確保とコスト削減につながっている。 ⚪︎造園計画  この住まいにおける重要な要素である中庭は、光や風を映し出す雑木による設え。苔やシダなどの下草から景石や中高木まで、複数のレイヤーを重ね、コンパクトでありながらも奥行きのある風景をつくり出している。またコンパクトな分植物と人との距離が近く、天候や四季の移ろいを生活の中で身近に感じ取ることができる。石畳となっているため、気候の良い時期は気軽に外へ出て軽食を取るなど、テラスのような使い方も可能。草木を愛でる豊かさを生活に取り入れてもらえることを目指した。  敷地のアプローチ部分には錆御影石を乱張りし、大胆にも室内の玄関土間まで引き込んで連続させている。隣地に挟まれた狭い通路であるため、訪れる人に奥への期待感を抱かせるような手の込んだ仕上げとした。また石敷きを採用��ることにより来訪者の意識が足元に向かい、ホール吹抜けの開放感を演出する一助となっている。 ⚪︎照明計画  ベース照明は、明るすぎず器具自体の存在感を極力感じさせない配置を心掛けた。特に中庭の植栽を引き立てる照明は、月明かりのように高い位置から照射することで、ガラスへの映り込みを防止しつつ、植物の自然な美しさを表現できるよう配慮している。ホールについても、空間の抽象度を損なわないために、エアコンのニッチ内にアッパーライトを仕込み、天井面に器具が露出することを避けた。  対して、人を迎え入れたり留まらせる場(玄関、ダイニング、リビング、トイレ)には、質感のある存在感をもった照明を配置し、インテリアに寄与するとともに空間のアクセントとしている。 ⚪︎室内環境  居心地のよい空間をつくるためには快適な温熱環境も不可欠である。建物全体がコンパクト且つ緩やかに繋がっているため、冬季は1階ホールとキッチンに設置した床暖房によって、効率よく建物全体を温めることができる。壁天井には全体を通して漆喰(マーブルフィール)による左官仕上げを採用し、建物自体の調湿性能を高めている。  換気設備は「第1種換気※1」を採用。温度交換効率92%の全熱交換型換気ファン(オンダレス)により、給排気の際に室内の温度と湿度を損なうことなく換気を行うことができるため、快適で冷暖房負荷の削減に繋がる。CO2濃度や湿度をセンサーにより検知し、自動で換気量を増やす仕組みも取り入れている。  また断熱材は、一般的なボードタイプよりも気密性が高く、透湿性に優れた木造用の吹き付けタイプを使用。サッシはLow-E複層ガラス+アルゴンガス充填で断熱性を高めた。 ※1「第1種換気」..給気、排気ともに機械換気装置によって行う換気方法 ⚪︎まとめ  近隣住宅が密集する環境の中で、周囲を隔てて内部空間を切り離すことで、住み手のための世界を築くことができた。仕事で毎日を忙しく過ごすクライアントだが、ここでの時間は、仕事を忘れ、好きなものに囲まれ、家族や友人たちと心から安らげる時を過ごしてほしい。心身共に癒やされるような家での日常が、日々の活力となるように。この住まいがそんな生活を支える器になることを願っている。 ⚪︎建物概要 家族構成 |夫婦 延床面積 |70.10㎡  建築面積 |42.56㎡  1階床面積|39.59㎡ 2階床面積|30.51㎡ 敷地面積 |89.35㎡ 所在地  |兵庫県西宮市 用途地域 |22条区域 構造規模 |木造2階建て 外部仕上 |外壁:小波ガルバリウ���鋼板貼り、ジョリパッド吹付 内部仕上 |床:タイル貼、複合フローリング貼            壁:マーブルフィール塗装仕上             天井:マーブルフィール塗装仕上 設計期間|2022年11月~2023年7月 工事期間|2023年8月~2024年3月 基本設計・実施設計・現場監理| arbol  堤 庸策 + アシタカ建築設計室  加藤 鷹 施工  |株式会社稔工務店 造園  |荻野景観設計株式会社 照明  |大光電機株式会社  花井 架津彦 空調  |ジェイベック株式会社  高田 英克 家具制作|ダイニングテーブル、ソファ:wood work olior.      ダイニングチェア:tenon インテリアスタイリング|raum 撮影  |下村写真事務所 下村 康典 、加藤 鷹 資金計画・土地探し・住宅ローン選び|株式会社ハウス・ブリッジ テキスト|加藤 鷹
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House in Shukugawa ⚪︎Positioning the land as the background  Located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, the surroundings along the Shukugawa River are quiet, with abundant nature and a long-established residential area. Due to the high value of land and the relatively high unit price per tsubo, there are many areas where land is densely subdivided into smaller lots.  The site was a compact, flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. These conditions were by no means good. However, the client purchased the lot because of its good surrounding environment and the fact that it was in an area that he had grown familiar with since childhood. ⚪︎Requests  The ideal living conditions and requests we recieved from the client can be organized into the following five categories.
 To be able to feel nature (greenery, light, wind) even inside the house
 To be able to value "hygge" (Danish word meaning "comfortable space" or "enjoyable time") while ensuring privacy
 To be able to feel light and shade sensitively in the spirit of " In Praise of Shadows(Yin-Ei Raisan)" and the same goes for the lighting design
 The entire space is connected and the spatial volume is adjusted in a variety of uses
 Timeless design that can be cherished for a long time
Based on these themes and the site conditions, the architectural form was studied. ⚪︎Design concept  The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world within the house in line with the client's preferences. Many of the interior images they shared with us had a European feel, and we decided to incorporate these elements into the design.
 First, the footprint of the building was set as large as possible in relation to the site, and it was designed to be boxy and closed to the outside. To allow the interior to experience nature and the four seasons, a courtyard was placed in the north corner, where it is relatively easy to secure lighting. The hall (living and dining room), kitchen, and other active spaces are located around the courtyard. Rooms for individual rest, such as bedrooms and bathrooms, were kept to the minimum necessary size and placed on the second floor. (The storage furniture in the bedroom is movable in order to accommodate changes in usage.)  The most distinctive feature of this project is the domed hall. It is a tolerant space that accepts people's lives. The moderate centripetal plan creates family gatherings, the courtyard and the large volume of the dome guarantee a cozy feeling even when people gather. Here, one can spend comfortable, quality time with family and close friends without feeling cramped.  In addition, the tiled floor, the alley terrace-like dining space, the balcony-like stairs, and the dome and symbolic top light give the first floor a semi-public atmosphere even though it is a house. This contrasts with the private second floor, creating variety and depth within the small house.  In terms of lighting, it is important not only to be bright, but also to have a sense of relative brightness. While minimizing the openings in the hall to lower the overall illumination level, we organized the sequence of brightness so that the light falling on the courtyard would be perceived as beautiful as possible. The walls and ceiling are finished in a uniform light reddish-brown plaster, which allows the warmth of the light to be felt while amplifying  the brightness of the space.  In terms of spatial manipulation, the soft curvature of the outer courtyard wall corners, the seamless plastered dome ceiling, and the low ceiling height of the first floor in contrast to the dome create the illusion of distance and visual expansion in a compact space. ⚪︎Interior Environment  A comfortable thermal environment is also essential for creating a cozy space. As the entire building is compact and gently connected, the volume can be efficiently heated in winter by floor heating installed in the ground-floor hall and kitchen. The walls and ceilings are plastered (with a Marble Feel) throughout to enhance the building's own humidity control.  The ventilation system is "Class 1 Ventilation*1. The ventilation system uses a total heat exchange type ventilation fan (ondaless) with a temperature exchange efficiency of 92%, which allows ventilation without compromising indoor temperature and humidity during air supply and exhaust, resulting in comfort and reduced heating and cooling loads.  The insulation is of the sprayed wooden type, which is more airtight and has better moisture permeability than ordinary board-type insulation. Low-E double-glazing glass with an argon gas filling are used to enhance thermal insulation.
*1 "Type 1 Ventilation". A ventilation method in which both air supply and exhaust are done by a mechanical ventilator. ⚪︎Structural Planning  Tosa wood from Kochi Prefecture known for its high strength, were used for the structural members of the wooden frame. Tosa cedar was used for the upper frame, and Tosa cypress was used for the foundation because of its higher strength and durability. The construction company purchased these materials directly from Kochi Prefecture, ensuring stable quality and reducing costs. ⚪︎Landscaping plan  The courtyard, an important element of the house, is designed with a mix of trees that reflect the light and wind. Multiple layers, from undergrowth such as moss and ferns to landscape stones and medium height trees, create a compact yet deep landscape. The compactness of the space also means that the plants are close to people, allowing the users to feel the weather and the changing seasons in their daily lives. The cobblestone pavement enables the use of a terrace-like space, where one can casually step outside for a light meal when the weather is nice. We aimed to bring the richness of loving plants and trees into people's lives.  The approach to the site is made up of tan-brown granite, which is boldly pulled into the entrance floor of the house to create a continuous line. Since it is a narrow passageway between neighboring properties, we created an elaborate finish to give visitors a sense of anticipation of what lies ahead. The use of stone paving also directs visitors' attention to their feet, helping to create a sense of openness in the hall atrium. ⚪︎Lighting Plan  The base lighting is not too bright, and the presence of the fixtures themselves is minimized as much as possible. In particular, the lighting that enhances the plants in the courtyard illuminates from a high position, like moonlight, to prevent reflections on the glass and to express the natural beauty of the plants. In the hall, lights were installed in the air conditioner niche avoiding the exposure of fixtures on the ceiling surface, so as not to spoil the abstractness of the space.  On the other hand, at the place where people are welcomed in or stay (entrance, dining room, living room, and restroom), lighting with a textured presence is placed to contribute to the interior design and accentuate the space. ⚪︎Summary  In an environment where neighboring houses are densely packed, we were able to build a world for the residents by separating the interior spaces from their surroundings. The client spends his busy days at work, but during his time here, he wants to forget his work, surround himself with his favorite things, and spend truly restful moments with his family and friends. We hope that daily life in a house that heals both body and soul will be a source of daily vitality. We hope that this home will be a vessel to support such a lifestyle. ⚪︎Property Information Client|Couple Total floor area|70.10m2 Building area|42.56m2 1floor area|39.59m2 2floor area|30.51m2 Site area|89.35㎡ Location|Nishinomiya-shi, Hyogo, Japan Zoning|Article 22 zone Structure|Wooden 2 stories Exterior|Galvalume steel sheet, sprayed with Jolipad Interior|Floor: Tile flooring, composite flooring           Walls: Marble Feel paint finish           Ceiling: Marble Feel paint finish Design Period|November 2022 - July 2023 Construction Period|August 2023 - March 2024 Basic Design/Execution Design/Site Supervision| Yosaku Tsutsumi, arbol  + O Kato, Ashitaka Architect Atelier Construction| Minoru Construction Company Landscaping|Ogino Landscape Design Co. Lighting|Kazuhiko Hanai, Daiko Electric Co. Air Conditioning|Hidekatsu Takada, Jbeck Co. Dining table and sofa|wood work olior. Dining chairs|tenon Interior styling|raum Photography|Yasunori Shimomura, Shimomura Photo Office (partly by O Kato) Financial planning, land search, mortgage selection|House-Bridge Co. Text | O Kato
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crispy-moratta · 1 month ago
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夢 4本立て
みんなのワークスペースを模様替えし、廊下に本棚を設置してクラス風の部屋をつくった。部屋にアクセスするドアのガラスには水が流れるような設計をしたが、角材が足りなかった都合作動すると廊下の本に飛沫してしまいそうなので、こちらは追って完成させていきたい所存。朝礼で教授から模様替えの報告がされ、みんなに褒められてうれしい。遠くの島に着席する星野源くんとやまつきくんにひっそりダブルピースでリアクションする。
星野源とポイズンレナ(誰……)のダブル主演の映画のビジュアルが公開されました!(めでたいSE〜♫)となり、これは私とやまつきくんで制作したらしいが、掲示されたビジュアルを見てもこんなのいつのまに作ったのか。全く記憶になく、記憶にないのか、なにか大きな誤解が起きているのか。でもわたしと山月くんがつくったのだとしたらそれは最高だなと思い、誤解だった線であれば、事実を捻じ曲げても……?という邪な考えが頭をよぎる。
12時間以内に沢山の駅を回れたら勝ちというゲームに参加する。スタート時、謎にどの線も遅延しており参加者全員2時間半のロス。この時間を活用すべくして車移動で広島駅に向かうが、道中細い道で運転手のうっかりにより、徐行したまま緩やかにスペイン人の家の玄関へゆるやかにアタック。家の中、運転手とわたし、スペイン人家族で会議が開かれ終始スペイン人家族のペース。示談金十万円で手を打つことになる。
小池さんが小穴くんからいっぱい雑誌をもらうのだけど要らないからな、と言っていて車のダッシュボードに溜め込んだ雑誌群、北園克衛の特集ものが5冊組みで置いてあり気になったので、何冊かならもらっても良いけど、と伝えると全部渡されアララという気分に。
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kennak · 5 months ago
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ストンマラソン爆弾テロ事件(ボストンマラソン ばくだんテロじけん)は、アメリカ合衆国のマサチューセッツ州ボストンにて、第117回ボストンマラソンの競技中であった2013年4月15日14時45分頃(現地時間。日本時間16日3時45分)に発生した爆弾テロ事件である。 概要 事件現場の位置 この日、ボストンでは第117回ボストンマラソンが開催されていた。ボストンマラソンはアメリカ3大市民マラソンに数えられる大会で、国内外から多くのランナーが集まっていた。そのレース中、ゴール付近のコプリー広場(英語版)で2度爆発が発生、その際に3人が死亡、282人が負傷したと報じられている[1][4][5][6][7]。 1度目の爆発はトリニティ教会などがあるコプリー広場近くのボイルストン通り671番地の「マラソン・スポーツ」前で発生し、それから12秒後にゴールから見て2ブロック、距離にして約100m離れた地点で2度目の爆発が起きた[8][9]。この爆発で周辺の店舗の窓ガラスは粉々に吹き飛ばされ[9]、ボストン公共図書館3階の窓も破壊された。現場付近には他に2つ、ないしは3つの不発弾が発見され、ボストン市警察の爆発物処理班によって処理されたと報道されたが、後に爆弾は爆発した2つのみと判明した。 事件の発生当時、ゴール付近に設置されていた記録用の時計は「4時間9分43秒」を指しており[10][11]、これは前回大会で最も多くのランナーがゴールした時間帯であった。今回もトップランナーたちは2時間ほど前に現場を通過しており、後方にも多くのランナーが走行していた[9]。 捜査当局の発表によると、爆発物はいわゆる即席爆発装置で、圧力鍋が使用されており、殺傷能力を高めるためにボールベアリングや釘などの金属片が含まれていた[12][13]。また、このような攻撃が迫っていることを示す事前の兆候はなかったとしている。 公的機関の発表によると、4月16日現在で8歳男児・29歳女性・ボストン大学院生の中国人女性の3人が死亡し183人が負傷した[6][14]。地元紙「ボストン・グローブ」(The Boston Globe) によると、100人以上が様々な施設で治療を受けている[15]。22人はマサチューセッツ総合病院に、10人はボストン小児病院(Boston Children's Hospital)に、9人はタフツ・ニューイングランド医療センター(Tufts New England Medical Center)に、20人はブリガム及び婦人病院(Brigham and Women's Hospital)、20人はボストン医療センター(Boston Medical Center)に搬送されたという。少なくとも10人が手足の切断を余儀なくされた[15]。 アメリカ政府の対処 事件直後の現場の様子 事件の連絡を受けるオバマ大統領 事件発生後すぐにマラソンは中止され、ボストン市警察は事前に取り決められていた対処計画に基づいて残っていたランナーをボストンコモン(中心部にある大きな公園)やケンモア・スクエア(ボストン大学近くにある大通り)に避難させた[13]。ゴール近隣にあるラノックス・ホテルからも全員退避させた[13]。警察は爆発現場周辺15区画を立ち入り禁止にした。 この事態を受けて、バスや地下鉄を運営するマサチューセッツ湾交通局(MBTA)は運行の一部を停止させ[9]、マサチューセッツ州軍(Massachusetts National Guard)[13]とアメリカ海軍の部隊が、地元当局を援助するために加わり、爆発物処理班が付近の捜索を行った[15]。また、連邦航空局(FAA)は念のためボストン上空の飛行を制限し、ボストン・ローガン空港にいる飛行機には地上待機命令を発した。 事件を受けてエリック・ハンプトン・ホルダー司法長官は、事件捜査にアメリカ司法省の総力を投じるよう指示[13]。ニューヨーク市警察は対テロ部隊の車両を主要な地点に展開させ、ホテルなどの警戒態勢も引き上げた。ワシントンD.C.でも警戒態勢が引き上げられ、ホワイトハウスで部分的に避難が行われたほか[13]、シークレットサービスによってホワイトハウスに繋がるペンシルベニア通りが封鎖された。また、加害者は特定されていないものの[16]、連邦捜査局(FBI)はテロ事件として捜査を進めた。 マサチューセッツ危機管理庁(Massachusetts Emergency Management Agency)は、電話が輻輳したため、近隣の人々に電子メールを使うよう呼びかけた。なお、携帯電話の回線は込み合ったものの正常に作動していた。またアメリカ赤十字は、ランナーの情報が得られるよう援助を行ったほか、ボストン市警察は家族の安否を心配している市民のためにホットラインを設置し、情報提供を行った。このほか、Googleの安否確認サービス「グーグル・パーソン・ファインダー」が「ボストン・マラソン爆発事件」(Boston Marathon Explosions)に関する災害サービスを用いて、情報を収集した。 事件の第一報を受けたバラク・オバマ大統領はホワイトハウスで緊急記者会見を行い、「誰がこのようなことを行ったのかを究明し、責任を取らせる」と声明を発した[17]。オバマ大統領は連邦警察当局に対して「必要な支援などを行うよう」指示を発している[4]。またアメリカ合衆国下院のジョン・ベイナー議長は、連邦議会議事堂に被害者のために半旗を掲げるように指示した。 影響 同日に予定されていたNHLのボストン・ブルーインズのホームゲームが延期となり、翌日に予定されていたNBAのボストン・セルティックスのホームゲームも中止となった[18]。 また、イギリスの大きなマラソン大会であるロンドンマラソンの主催者は、マラソン自体に差し迫った脅威は無いものの、この事件を受けて警備体制を見直すことを発表した[19]。 国際陸上競技連盟(IAAF)会長のラミーヌ・ディアックと、国際オリンピック委員会(IOC)会長のジャック・ロゲは、共にボストンでの事件に際し、テロがスポーツ競技会を標的にしたことを非難する声明を発表した[20]。 事件は捜査当局を過敏にさせた。ガーディアン紙によると、合衆国内の夫婦で、夫が「リュックサック」、妻が「圧力鍋」と検索したところ、自宅に警察が事情聴取にやってきた[21]。 「エシュロン」も参照 容疑者 情報収集による容疑者探し 東海岸時間4月18日17時20分(日本時間19日6時20分)に行われた記者会見で、FBIが容疑者2人の写真と監視カメラのビデオを開示した。それによれば、容疑者はそれぞれバックパックを担ぎ、脇目をふらず行進している。FBIは、判別に関連した情報を一般から募集した[22][23]。 両足を切断した被害者のジェフ・バウマン(Jeff Bauman)[24]は爆弾の一つの脇にいて、意識を取り戻した際、FBIに "bag, saw the guy, looked right at me"(カバン、男を見た、私を見た)というメモを渡した[24]。バウマンは後に容疑者の1人が爆発の2分半前にバックパックを下ろしている様子の詳細な記述を当局に提供し、判別写真の速やかな提供に貢献した[24][25][26]。当局は後に容疑者写真の公開が「間違いなく捜査のターニングポイントだ」としている[27]。 容疑者はFBIによって証拠の写真とビデオから容疑者1と容疑者2と呼ばれ (またはそれぞれ "black hat"(黒帽)と"white hat"(白帽)) — 爆破後に「正常でない反応を示した」犯人は止まって爆発の余波を見守り、逃げるような素振りはなく、落ち着いた様子で現場を歩いて去った[28]。容疑者特定の協力を要請したところ、一般から大量の写真と家庭ビデオが捜査当局に提供され、当局とオンラインソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の一般人が詳細に吟味したが、SNSでは多くのデマが広がり大手メディアにまで掲載されたほか、redditによる一般人の捜査によって、赤の他人が犯人とされる事態も起こった[29][28][30]。 容疑者の特定 一般からの情報に基づいて[31]、当局は容疑者を、2002年頃に難民としてアメリカ合衆国に移住したチェチェン共和国出身の2人兄弟と断定した[32][note 1]。 タメルラン・ツァルナエフ(Tamerlan Tsarnaev、ロシア語: Тамерлан Царнаев [ta-mer-LAN tsar-NA-yeff] 兄。1986年10月21日生まれ、事件時26歳。 技師を目指しマサチューセッツ州で評価の高い2年制のコミュニティー・カレッジで、工学専攻。 タメルランは、ボクシングでオリンピック出場を目指しており、2009年と2010年にニューイングランド・ゴールデングローブ・トーナメントに優勝、全国大会となるナショナル・ゴールデン・グローブ・トーナメントに出場を果たしていた[33]。 ジョハル・ツァルナエフ(Dzhokhar Tsarnaev、Джохар Царнаев [dzho-KHAR tsar-NA-yeff] 弟。1993年7月22日生まれ、事件時19歳 マサチューセッツ・ダートマス大学(英語版)で口腔学専攻。 捜査官は、爆弾作成をアルカイーダが、ムスリムをテロリズムに勧誘する目的で発行したとみられるオンラインマガジン『インスパイア("Inspire" )』から学んだものと確信している[34]。 警官殺害と自動車強盗 写真の公開後、容疑者はマサチューセッツ工科大学の26歳の警備警官ショーン・コリアー(Sean Collier) を複数の銃撃によって射殺したとみられる。その様子は暗殺と表現された[35][36]。コリアーは4月18日、午後10時48分マサチューセッツ工科大学キャンパスのStata Center (MITビル 32)の横に停車したパトカーに乗っていた[37][38]。コリアーは近接したボストン市内のマサチューセッツ総合病院に運ばれたが、死亡が確認された[38][39]。 容疑者はベンツSUVをケンブリッジで乗っ取り、ベンツの所有者にATMの使用を強要して$800(7万円相当)を奪った[40][41]。容疑者は荷物をベンツに移し、もう1人の容疑者がホンダ・シビックで伴走した[42]。被害者はATM引き出しの上限に達したあと、ガソリンスタンドから警察に連絡した。車に残った携帯電話によって、警察は所在地を特定した[43]。車乗っ取りの犯人は被害者に、彼らがボストン爆発とMIT警官殺害を実行したと明言している[44]。 銃撃戦により兄が死亡 4月19日午前0時過ぎ、ウォータータウンの警官がホンダのセダンと盗まれたベンツSUVに乗車している兄弟を発見し、ローレルアベニュー(Laurel Ave)で、兄弟と到着した警官のあいだで「猛烈な」銃撃戦が展開された[2][44][45]。200-300発の銃弾と少なくとも1つの爆弾、それに幾つかの"粗雑な手榴弾"が使われた[45][46]。兄のタメルランが銃弾を使い果たし、警官が兄を押し倒して逮捕するに伴い、弟のジョハルは盗まれたSUVを運転して警官に向けて突進し、そのためSUVはタメルランを轢いて、短距離ながら引きずった[47][48]。シリアル番号を消されたルガー9mmピストル1丁が現場から検収された[49]。 タメルランは警察によってBeth Israel Deaconess Medical Centerに運ばれ、同病院で死亡した。死因は、多数の銃創、自爆装置付きベストからの爆傷と思われる傷[50][51]、およびジョハルによって轢かれた際の負傷[43][45][52]だとされる。一方、ジョハルはSUVを乗り捨て、徒歩で逃走した[50][43][53]。銃撃戦の際、MBTA(マサチューセッツ湾交通局)の警察官、リチャード・H・ドナヒュー・ジュニアが重症を負った[54]。ドナヒューはMount Auburn Hospitalに運ばれ、「重体だが安定」(critical but stable condition)と診断された[55]。 逃亡した弟の捜索 FBIは、ウォータータウンでの銃撃戦の最中、両容疑者の追加写真を公開した[56]。4月19日早朝、ウォータータウンの住民たちに、リバース911通報による��内待機が呼びかけられた[57]。同朝、パトリック・マサチューセッツ州知事も、ウォータータウン及びその周辺地域(Allston-Brighton、ボストン、Belmont、ブルックライン、ケンブリッジ、ニュートン、ウォルサム[58][59])の住民たちに屋内退避を指示した[60]。 ウォータータウンの20ブロック区域に非常線が張られ、戦闘装備の警官たちが一帯を捜索する間、住民たちは自宅に待機してドアの呼び鈴などに応じたりしないよう指示された。2機のブラックホーク・ヘリコプターが上空を旋回し、装甲車に乗ったSWATチームが隊列を組んで移動し、警官らが一軒一軒を調べた[61]。現場にはFBI・国土安全保障省・マサチューセッツ州兵・ボストン市警察・ウォータータウン警察・マサチューセッツ州警察が駆けつけた。アメリカ同時多発テロ事件の発生後に組織された複数機関合同タスクフォースとしては初の大規模実地行動となった[62]。 MBTA管轄下の全ての交通機関、ボストン地域の大部分のタクシー、ボストン発およびボストン行きのアムトラックが運営を停止した[37][63]。ローガン国際空港は運営を続行した[63]。大学・学校は閉校、多くの企業・商店や施設も営業を停止した。数千人または数万人(原文: thousands[64])に及ぶ警官らがウォータータウンで各建物を回る一方で他の手がかりも追った。ケンブリッジ市のツァルナエフ宅とウォータータウンの捜索を合わせ、最低7個の即席爆発装置が押収された[65][64]。 両容疑者の父親が、ダゲスタン共和国マハチカラの自宅から息子に「あきらめろ。あきらめろ。おまえには明るい未来が待っているんだ。ロシアに帰って来なさい」と呼びかけるとともに、アメリカ合衆国に対しては「(ジョハルが)殺されたりしたら、大騒動になるでしょう」と警告した[66]。メリーランド州Montgomery Villageに住む叔父(または伯父)も、ジョハルに自首するよう、テレビを通して懇願した[67]。 ジョハル・ツァルナエフ逮捕を祝うMission Hill地域の住人たち 弟の逮捕 4月19日夜、ウォータータウンのある民家の裏庭にあったボートのタープの下に隠れていたジョハルを警官たちが取り囲んだ[68][69]。屋内退避命令が解除された直後、同宅の住人が外に出たところ[70]、裏庭のボートにかけてあったタープが緩んでいることに気付き[68]、血溜まりに横たわる体をボートの中で見つけたため、即座に警察に通報した[71]。 マサチューセッツ州警察のヘリコプターが、前方監視赤外線熱線暗視装置を使用して、ジョハルの存在と動きを確認した[2][72]。ジョハルがタープを突付くような動作を始めると、警官たちはボートに向かって大量発砲し、現場指揮官の命令によってようやく中止した[73]。逮捕後、ジョハルが一切の武器を所持していなかったこと��判明した[74]。逮捕時刻は、現地時間(アメリカ東部標準時)午後8時42分である[75][76]。 その後、Beth Israel Deaconess Medical Centerに運ばれ、頭部、首、手足に多数の銃創[77]がある重態[78]だと診断された。当初、首の傷は自殺未遂による銃創だと報道されたが、逮捕時に武器を所持していなかったことと、SWAT隊員による描写では切創らしいということから、爆発時の破片によるものである可能性がある[79]。 なお、この容疑者捜索による屋内退避は、18時間近くに及んだ[80]。 葬儀 タメルラン・ツァルナエフの遺体は、住民の反対運動などによりマサチューセッツ州内の墓地に埋葬することができなかった。イスラム教徒であり、火葬にすることもできなかったため海外への移送を行うことも難航。最終的にはバージニア州に居住する叔父が遺体を引き取ることとなり、地域からの反発を受けないよう同州内に搬送され速やかに墓地に埋葬されている[81]。 裁判 2013年7月10日にジョハルの初公判はボストンの連邦裁判所で開かれ、4件の殺人を含む30の罪状で起訴された。ジョハルは全ての罪状について無罪を主張した。2015年4月8日に連邦陪審は全罪状に有罪を認定し、同年6月25日に連邦地方裁判所は死刑判決を言い渡した。この際ジョハルは「爆弾事件は自分が兄とともに行なったものである」とはっきり述べ、「自分が人を殺し、苦しみを引き起こしたことについて申し訳無いと思っている」と、法廷内にいた事件の被害者や遺族らに直接謝罪したが、死刑判決には控訴するものと見られている[82]。 2020年7月31日に連邦高等裁判所は死刑を言い渡した一審の判断を破棄し、刑に相当するかどうかをめぐる量刑審理を地方裁判所に差し戻した。被告側は陪審による死刑の量刑判断が公正ではなかったと主張しており、高等裁判所の判決は陪審選定時の地方裁判所判事の陪審候補に対する質問が不十分で、被告は有罪だと予断を抱いていた人物が陪審に含まれる結果になったと指摘し、陪審選定手続きの不備を認定した[83]。トランプ政権側は決定を不服とし上訴した。 2021年3月22日、連邦最高裁は高裁の差し戻し審理の決定を見直し、死刑判決の適用を検討する審理を決めた[84]。 2022年3月4日、最高裁は9人の最高裁判事のうち保守派6人が賛成、3人が反対の評決で、ジョハルの死刑を破棄した高裁の判断を覆し、地裁の死刑判決を回復させる判断を示した[85]。 民族的背景 容疑者のツァルナエフ兄弟はチェチェン人の血を引くキルギス出身のアメリカ人。二人の父はチェチェン人、母はアヴァール人、祖父母は世界大戦中にチェチェンを追われ、キルギスに強制移住させられた[86][87][88]。チェチェン系であることから、イスラーム過激派の本事件への関与が一時疑われたが、FBIの捜査によればテロ組織との関連は見つからなかった[89]。因みに、弟の名前はジョハルであるが、チェチェン独立派でチェチェン・イチケリア共和国初代大統領の名前と同じであり、独立派政権時の首都グロズヌイの公式市名はジョハル(Соьлжа-ГIала/Джохар-Гӏала/Dzhokhar-Ghala)であった。 脚注 注釈 ^ チェチェン語: Царнаев Анзор-кIант ДжовхΙар および Царнаев Анзор-кIант Тамерлан. 出典 ^ a b Deborah Kotz「負傷者合計282人に上昇」『The Boston Globe』2013年4月23日。2013年4月23日閲覧。 ^ a b c Carter, Chelsea J.; Botelho, Gregory 'Greg' (2013年4月20日). 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ボストンマラソン爆弾テロ事件 - Wikipedia
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植田総裁の憂鬱:金融政策はかなりチャレンジングな局面を迎えている。本来であれば、世界の利上げの歩調に合わせて利上げしていきたいところだが、利上げをしてしまうと日本経済が崩壊してしまう。かといって、金利上昇を抑えるために日銀が国債を買入れてしまえば、通貨供給量が増加してしまい、今度は円安によるインフレが国民生活を脅かしてしまう。極度な円安も認められない。しかし、私も経済・金融のプロ。こういう時こそバランスの取れた金融政策が求められる。 そうだ、まず第1弾はさして影響のないゼロ金利解除だ。これならアナウンス効果も抜群の割に、実体経済に影響はほぼない。ゼロ金利解除という言葉自体に破壊的なパワーを感じる。円を売ってる馬鹿どももたじろぐに違いない。しかし、実態経済への影響はほぼストロングゼロだ。我ながら良いアイディアだ。 第2弾は国債購入の減額するする詐欺だ。実際に国債購入を減額してしまえば、国債の需給が崩れ、国債の値段は暴落。金利上昇が日本経済を襲いかねない。ここはできるだけ減額を引き伸ばし、減額アナウンス効果をできるだけ最大化する。そうだ、これがCAM(市場との対話)。ちなみにCAMとは俺の考えた造語。Market Communicationなんてダサい。時代はCommunication Against Marketだ。これでパウエルを超えてみせる。減額をチラつかせつつ購入を継続することで、投機的な円売り厨もいつそのトリガーが引かれるかに怯え、ポジションを持って布団に入ることができないだろう。布団の中で震えろ。実際に減額をしているわけではないので金利上昇も抑えることができる。我ながら天才的なバランスだ。 ククク、私の作戦は完璧だ。ベストとまでは言わないまでも、この状況下で金利と為替、そして経済を可能な限りコントロールできている。今年のジャクソンホールの主役はあいつではない、ワタシだ!「ボンド・マエストロ・ウエタ」という異名が轟くのも遠くない。 あとは、国債の需給のバランスに注意しながら、少しずつ購入減額していき、その効果が最大になるようにCAMをしていけば完璧にコントロールできる。ガラス細工のようなバランスだが国債の需給は完全に我が手の内にある。「Under Control」だ。 岸田「電気代・ガス代補助復活。ガソリン補助延長。低所得者に10万配ります。財源は国債発行で」        終      制作・著作      ━━━━━       ⓃⒽⓀ
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qllq · 1 year ago
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20230805
2015年はまだ10年前ではないのか。当時好きだった人と夏にデートして、二人ともお金なかったから炎天下の中延々と歩いて、疲れたら休憩して、みたいなことをしていたのを思い出した。運良くお互いが好きで、運良く付き合えた。そして、運良く好きではなくなったタイミングが同じで付き合った時の熱量と比較するとさっぱり別れた。さっぱりというのはおかしいかもしれないけれど、本当にそんな感じだった。二人でベランダからガラスのコップを落として、それが地面で粉々になるのを黙って見ていた感じ。予測できたことをそのまま実行しただけ。あの時泣いたりもしなかった。向こうだって多分同じだったと思う。2019年に電話を一度した。それなりに幸せそうだった。そのあと時々連絡もお互いしたけど、会うことはなかったしそれでよかったと思う。押し入れの奥に保管された綺麗な思い出。
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2016年の夏に二人で花火を見に行った。私は上手く花火の写真が撮れなかった。でも奇跡的に撮れたこの写真は花火が星みたいで人生の中で一番綺麗に撮れた写真だと思う。今付き合っている彼氏は人混みが大嫌いだからきっと東京のごちゃごちゃになっている有名な夏祭りに行くことはないだろう。私も4年ぶりに開催された有名な夏祭りの人混みをニュースで見て行かなくて良かったと心底思った。人生ってそんなもんなんだと思う。いつか花火を見るとしたらベランダで遠くで上がる花火を二人で眺めることはあるかもしれない。コップはもう落とさないといいな。あなたはきっと花火の色の解説を化学の話と絡めてきっとするだろう、私はなんとなくその知識はあるが詳しいことは知らないのでそうなのかと、また一つ賢くなったと、そんなことを考えながら聞くだろう。
もう私に星が降る写真は撮れない。でも別に撮れなくていい。淀川の人だらけの花火大会で綺麗な星が降っていたのは2016年の夏が最後だった。それだけの話。綺麗なガラスのコップを持ってこれる彼氏ではないが、簡単には壊れないプラスチックのコップを持っている。なんだそれ、ダサッと私は笑うだろうが、今の私はこれが一番嬉しいのだ。
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gyohkou · 1 year ago
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29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(背中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラダ、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンが��気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
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金曜日に有給を取って3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興味関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わないみたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディーナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高低差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と��んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都のバレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白���魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸元がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄いカップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷物をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分に目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
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会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんでキッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する(終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
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crydayz · 2 years ago
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230530 EXTRA
この結論にたどり着くまでに無数の強がりと皮肉と混乱を経たけれど
僕にとって命とは、好ましい他者とは
薄皮の下にあんこがつまっていて、その中心に心臓が脈を打っているおまんじゅう―
あるいはパンパンに張った水風船の外側をガラスの膜が覆っていて、中心で心臓が脈打っている壊れ物―
電子レンジに入れたら何の抵抗もせず爆発する脆弱な存在・・
そんな認識だ。形を保てている事、活動を維持できている事自体が奇跡。
特に小動物、子供、病弱な人にはそのイメージが重なる。
「生きてるね」って感じする。
「どうして、そんなに奇跡的な存在で居られる?」って思う。
尊くて護りたい、と心の底から思う。もちろん、若干の好き嫌いはあるけれど。
でも、自分以外の誰かが「護りたい」と強く願う「壊れ物」を見ると、自分もそれを応援し手助けしたいと強く感じる。
この感覚には「温(ぬく)み」が詰まっている。この感覚はヘイト感情を押し流す。戦争状態、恐慌状態では淘汰されてしまうであろう儚い命が自身の弱さを自覚する事なくふわふわと「世界を信じて」生きている��見ると尋常ではない安らぎと喜びを感じる。
弱い存在が弱いままで居られる事の平和さ。それが嬉しいんだ。
一切の皮肉抜きに、心の底からそう思う。
「どうしてそんなに嬉しい気持ちにさせる?」 と思う。
そんなものを観たら「死にたさ」が減ってしまうではないか。残酷な世界を生き抜き護りたいものを護るには人を人とも思わぬ鬼になるしかないという覚悟が揺らぐではないか。
痛みの大食いチャレンジせずとも平穏に生きていけるなら、例えそれが限られた期間であっても全力で安らぎ摂取して奔放に楽しく生きればいい、と思えてくる。
「そっとしておく」「信じて見守る」
奇跡のコンボ切れて命尽きる際には傍に寄り添い「ありがとう」と伝える。
それだけでいいじゃあないか。
子供のような、小動物のような弱さ保ったまま何十年も生きた命があるのなら、それはその存在が「めちゃくちゃ愛されていた」証拠なのだ。
どこかの誰かが必死に世界の残酷さを隠し、その存在を護っていた証拠なのだ。だから、本来残酷な世界で生き延びられない命が生き続けているのを観測する事は「愛の奇跡を目の当たりにすること」に他ならない。
もちろん当人の「運」の強さもあるけれど、運は人間関係が作り出すものだから。
彼、彼女の周りに「強くて優しい人々」がいたという証拠でもある。
だから素晴らしい。だから世界を信じられる。
自分だって、そんな優しい世界に護られて命を繋いできた一人だ。
「本当はとっくに終わっていていいはずの命」を周りと社会が支えて護ってくれているのだ。わけもわからず被害感情まみれでこの世を呪って死んでいく筈だった自分に、この解にたどり着く為の猶予を与えてくれた。
その事実にただただ感謝する。
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isheeeeee · 7 days ago
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2024年 印象に残っているものやこと
【音楽作品】
・Hammer Head Shark - 綺麗な骨
『ほんの少しのあいだまたね 君は散歩にいくといいよ』
・フィッシュマンズ
今年もたくさん助けられた。
◯まとめ
【映画】
山中瑶子 - ナミビアの砂漠
【見たライブ】
・LOSTAGE 『路傍』#1 w/GEZAN @渋谷クラブクアトロ
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バンドをやっていてよかった。
・THOM YORKE JAPAN TOUR “EVERYTHING”@東京ガーデンシアター
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音楽やめられない。
・Hammer Head Shark “SLOW SWIM”@京都nano
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バンドかっけーーー!
・Wilco JAPAN TOUR 2024 @六本木EXシアター
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自分の中の『音がいい』 『楽器が上手い』 『優しい』 『激しい』『おもしろい』『美しい』『あたたかい』の定義が少し更新された。
【記事】
・https://suumo.jp/town/entry/kichijoji-mutasatoko/
高校生までは中野、大学生以降はずっと吉祥寺、住んでいたのは阿佐ヶ谷、三鷹、武蔵境、西荻窪、と、ずっと同じような場所で生活している。職場も吉祥寺。大学時代のバイト先で社員になり、転職も一度もしていない。そんなふうに居心地の良い1つの場所でずっと生きてきている自分が嫌いだった。このままでいいのだろうか、でも好きなんだよなあ、でもなあ、と自問自答を繰り返しながら、謎の罪悪感や焦燥感をずっと抱えていた。そんな自分を肯定してくれた文章。ずっと同じ場所にいることでしか得られない感動や体験がある。悔いはないと言い切ることができれば、それでいい。そうなりたい。
・https://note.com/berabounisuko/n/n16b92bd92486
・https://guitarmagazine.jp/gear/2023-0929-nagoshi-yukio-pedalboard/
・https://crossbridgeguitar.com/jisakuguitaramp-shinos/
・https://www.switch-pub.co.jp/interview-tanikawa-shuntaro-night/
【ご飯】
・下北沢 せい家 ねぎラーメン(細麺・濃いめかため)
初めてせい家下北沢店に行ったのは大学生の時だった。何かの用事で下北沢に行った時に、後輩が『あそこは普通のせい家とは違う』としきりに主張していたのを思い出して、半信半疑で足を運んでみた。チェーン店なんだからどこの店舗も一緒でしょ、とたかを括っていたけど、確かに何か違っていた。あきらかに他の店舗とは違う、こだわりのようなものを感じるラーメンだった。そのことから、自分が直接経験していないことを自分が知っている知識だけで決めつけることはしないと決めた。今でもその感覚は忘れないように努めている。そんな大切なことを学んだ店だった。何より美味しかった。一番お世話になったせい家の店舗が何年か前に閉店してしまって、それ以降なんとなく下北沢店がある、ということが自分にとっては安心材料だった。閉店すると聞いてすぐにお店に行った。お会計の時に店主らしき人に、感謝を伝えた。ありがとうございました。
・西荻窪 八龍 麻婆丼
いつもお世話になっていたけれど、今年は特にお世話になった。やめられないとまらない。
・大阪 KASUYA 法善寺店 紅生姜天うどん
・浅草 デンキヤホール オムマキ
・西荻窪 ぷあん カオマンガイ
・銀座 あづま オムライス
・名古屋 かかし(喫茶店)
・西荻窪 しゅうまいルンバ 中華そば定食
自分の中でベスト中華そばの永福町大勝軒と並ぶ優しさ、懐かしさ、おいしさだった。
【生活】
・職場の閉店
・引越し
・吉祥寺の本屋『百年』で一万円分の好きな本をもらったこと
【機材】
・スタジオにあったFender 59 Bassman
たまに一音鳴らすだけで身体の中がブワッと燃え上がる感覚がする楽器や機材がある。これはまさにそれだった。こういう出会いがあるから音楽も楽器もやめられない。
・ぶっつけ本番で初めて使ったRed Pandaのtensor
感覚とリンクする機材だなと思った。尊敬するギタリストが5台くらい持ってるのも頷ける。
【映像】
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【場所】
・狭山湖
・善福寺公園
・下北商店街振興組合 みんなの休憩スペース
・京都 源氏の湯 休憩スペース
【日常に潜む】
・花屋で見たイベリスとスイートアリッサム
・銀座エルメスの少女が描かれた青いガラス
【人】
・谷川俊太郎さん
小学生の頃、谷川さんが学校に来て講演会をしてくれたことがあった。その前からなんとなく谷川さんの作品が好きだった。特に『これはのみのぴこ』という詩の絵本を好んでいた。「これはのみのぴこ」という言葉で始まり、ページが進むごとに言葉が増えていき、文章が長くなっていく形式の詩に、その内容に沿った絵が描いてある本だった。これを早口で音読するのが好きで、ほとんど丸暗記していたと思う。講演会の時、谷川さんがちょうどこの本を紹介していた。『誰か読める人はいますか?』と谷川さんがみんなに言った。その頃自分は引っ込み思案で、人前で何かを話したり自分の意見を主張することがすごく苦手だった。手を上げるのも躊躇ったけど、ただ知っているか聞かれているだけだしな、と思って手を上げてみた。そしたらそれが谷川さんの目に留まった。『じゃあそこの君、前に来て』と言われ、谷川さんの隣に立ってマイクを持った。スクリーンに写し出される見慣れた本を2人で見ながら詩を交互に読んだ。とても緊張したけど、なんだか身体も気持ちも高揚したのを覚えている。谷川さんは終始小学生の自分を、1人の人間として大人と変わらないような接し方をしてくれた。そういう接し方を見知らぬ大人からされるのは初めてだった。子供ながらに嬉しく、そしてその姿勢がとてもかっこいいと思った。それ以降、母が何かと谷川俊太郎さんの作品を買ってくれるようになった。その影響で今でも古本屋さんで谷川俊太郎さんの作品を見かけるとつい手に取ってしまう。何度も引っ越しをしたけれど、本棚には常に見えるところに著作が置いてあって、もはやお守りに近い存在だった。
前に付き合っていた彼女と2人で本屋に行った時、谷川俊太郎さんの詩を彼女が手に取って読んでいた。気になったので次に見せてもらった。パラパラとページをめくっていると、『ひとり』という詩に目が留まった。その詩を何度か読んで棚に戻した。彼女はその様子を見た後、少し不機嫌になった。理由が分からなかった。聞いても教えてくれなかった。でもすぐ元気になっていたので、あまり気にしなかった。その数週間後、別れることになった。その時彼女は「あの日本屋で私は『ふたり』という詩を読んでいたけど、あなたは『ひとり』を読んでいたよね」と言った。
・加藤小夏さん
こんなに好きになったモデルや俳優は久々かもしれない。
この人のおかげで一年乗り切れたと言いきれる。
・ギター持ってたら高架下で話しかけてきた人
職場の先輩にガットギターをもらった。ケースが無かったのではだかで持って深夜の中央線の高架下を歩いていたら、知らない女性に声をかけられた。聞けば、音楽が好きで、ギターを持っているのが見えて気になって声をかけたらしい。よかったら一曲弾いて欲しいと言われたので、その場で弾ける曲を爪弾いたりしていたら、いつのまにか相手の人生相談が始まっていた。ちょっとおもしろくなってノリノリで相談に乗っていたら、話が思ったより深くなり抽象的な領域に足を突っ込み始めた。最終的に、「まあ大抵のことはなんとかなりますよ」と半ば本気で言ったら、「恋愛もですか?」と聞かれた。それに対して「他人がかかわることだけは、なんとかならないです。特に恋愛は。」と即答してしまった。そのことに自分で驚いた。高架下は薄明るくて、空気は澄んでいて、なんだか幻想的だった。
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yotchan-blog · 19 days ago
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2024/12/19 21:00:21現在のニュース
石破首相とトランプ氏の会談、早期調整のきっかけは安倍昭恵さん(毎日新聞, 2024/12/19 20:53:22) 「この世界、一途では…」年収の壁引き上げ幅 強気の与党、思惑は?(毎日新聞, 2024/12/19 20:53:22) 特殊捜査係20人が窓ガラス割り突入、容疑者確保 中学生2人殺傷 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/12/19 20:39:34) 急転直下の逮捕、決め手は防犯カメラ「リレー捜査」 中学生2人殺傷(毎日新聞, 2024/12/19 20:38:45) 容疑者宅 窓と勝手口から突入した捜査員 北九州死傷事件(朝日新聞, 2024/12/19 20:37:49) ファイナルから日本直行「正解だった」 りくりゅう、5年ぶり全日本(朝日新聞, 2024/12/19 20:37:49) 京都仏教会、北陸新幹線延伸計画は「千年の愚行」 府知事に再考要望(朝日新聞, 2024/12/19 20:37:49) 排気ガスでぜんそく発症…「死ぬほどつらい」日常 医療費助成制度を求める患者が審問で語った苦しみと不安(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/12/19 20:37:40) ミャンマー出稼ぎ労働者、「帰省先」はタイ 徴兵警戒 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/19 20:36:33) 首里城地下の旧日本軍司令部壕 2026年度から順次公開へ 沖縄(毎日新聞, 2024/12/19 20:31:23) 初代門司港駅遺構の解体工事 イコモスが中止求める声明(毎日新聞, 2024/12/19 20:31:23) 「マルトモ杯タイゾー毎日テニスオープン」開幕 松山で初開催(毎日新聞, 2024/12/19 20:31:23) 千葉・柏の夫婦死亡 事情知る?70代男性を公務執行妨害容疑で逮捕(毎日新聞, 2024/12/19 20:31:23) 国民民主より低コスト? 維新と与党接近に野党ピリピリ 自民の思惑(毎日新聞, 2024/12/19 20:31:23)
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moko1590m · 28 days ago
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若さへの執着は富裕層の宿命? 長寿テクノロジーに巨額投資するビリオネアたち 2024.12.10 08:00 author Lucas Ropek - Gizmodo US[原文]( そうこ ) 世界中の超がつくお金持ちは、さまざまな事業や研究に投資しています。その中でもとくに投資が急成長しているある分野、わかりますか? それは長寿。若返りや老化予防も含めた長寿です。 ニューヨークポスト紙は長寿テクノロジーについて、Phil Cleary氏(低コストでの水の供給を目指すSmartWater Groupの創業者)にインタビュー。Cleary氏は、長寿技術の開発に恐怖を感じると語っています。いわく、技術の進化スピードを考えると、延命薬がそれを購入できる一部の人に提供されるのも時間の問題であり、それが怖いのだと。彼のいう一部の人とは、長寿の技術にあやかれる莫大な富を持つ人たち。 Cleary氏は、テック業界のビリオネアたちによる若さ追求は、地球と多くの人々にとっては大きな人的犠牲を払う行為であると厳しく指摘しています。 特権層のみの長寿 「18歳の誕生日まで無事に子どもたちが生きられることのほうが、当然人類にとっては重要なこと。すでに世界を知り、子どもをもち、自分のやりたいことがわかった一部の特権階級の人々の延命よりも、ずっと大切です」と語るCleary氏。 これぞ、歩くためのガジェット。ワーキングシューズ愛を語ります これぞ、歩くためのガジェット。ワーキングシューズ愛を語ります Sponsored by アシックス株式会社 Cleary氏は、超富裕層は延命に投資してないで、人類にとってもっと有意義な社会問題に投資してほしいと言っているわけです。 巨額投資するビリオネア 若さ追求で最も有名と言っても過言ではないのが、 IT起業家のブライアン・ジョンソン氏。 Advertisement 現在47歳の彼のアンチエイジングへの投資額は年間200万ドルと言われています。老化防止のため、家のガラスはUVカットで日を避けヴァンパイアのようだと自虐することも。 Blueprintという長寿のサプリも開発、販売。顔にハリとボリュームを出すため、ドナー提供された脂肪を顔に注入、アレルギー反応でパンッパンに腫れてしまった姿も若返りのプロセスとしてXで公開しています。お金もガッツも若返りへの思いも誰よりも強いビリオネアです。 家中のリモコンを集約したらスマートホームへの道筋が見えてきた 家中のリモコンを集約したらスマートホームへの道筋が見えてきた Sponsored by ティーピーリンクジャパン株式会社 ジョンソン氏ほどのガッツはなくとも、多くのテック系トップが長寿に投資しています。 ChatGPTを有するOpenAIのサム・アルトマンCEOは、寿命10年延長をゴールに掲げるスタートアップRetro Biosciencesに1億8000万ドル投資。Amazonのジェフ・ベゾス氏は、老化を遅らせ逆転させるというバイオテクノロジー企業Altos Labsに30億ドル投資。PayPal共同創業者のピーター・ティール氏の目標は120歳まで生きることで、「2030年までに90歳を新50歳へ!」というミッションを掲げるNPO団体Methuselah Foundationに寄付しています。 もし、ビリオネアが投資��る長寿、若返りテクノロジーが成功しても、きっと手が届くのは一部の富裕層だけのもの。若さと命をお金で買う時代���やってくるのでしょうか。 Advertisement RANKING Daily Weekly Monthly Amazon 1 iPhone SE4、iPhone 16級高画質カメラとの噂で、歴史に残る「名SE」な予感 2024.12.10 20:30 29,759 2 もう傷つきたくないの。防御力に全振りしたGoogle Pixelスマホケース 2024.12.10 19:00 40,038 3 iPhone 17のディスプレイは、近年最大のアップデートになるかも 2024.12.10 07:00 20,152 4 この黄色い粉、地球温暖化を救う救世主になるかも 2024.12.09 20:00 26,368 5 PlayS
若さへの執着は富裕層の宿命? 長寿テクノロジーに巨額投資するビリオネアたち | ギズモード・ジャパン
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shindo-hanamure · 1 month ago
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 四 教師から、どんなことでもする女性へ  私は徐々に教師から、避難生活に全力をそそぐ母親にかわりました。私の日々は朝にパンを準備し、水を用意し、料理のために火をおこし、皿を洗い、洗濯をし、空爆や悲惨なニュースを聞くたびこどもたちの恐怖をやわらげることでいっぱいでした。その間ずっと、じぶんの街が破壊されたというニュースを追いかけていましたが、家族についてのあたらしい情報は入ってきませんでした。避難した隣人の家のテレビ画面で、ガザ全体が燃えている光景を見ながら、こどもたちが眠るための空想の物語を話しました。  冬がくると、厳しい状況は、さらに悪化しました。冷たい水で洗濯をはじめ、手がひび割れました。シャワーを浴びるために、火でお湯を沸かしました。ちかくで爆撃があり、粉々に砕けて窓ガラスのない部屋に住んでいました。冬の夜は、冷たい床に敷いたマットレスの上で眠り、恐怖の中で、すこしでも暖かさと安心感がえられるようにと、こどもたちを抱きしめていました。テントや間にあわせの避難所にいるのではない幸運に感謝しました。  さらに事態を複雑にしたのは、感染症が蔓延しはじめたこと、私も医師や看護師になり、感染しないように、診療所を避けなければならなかったことです。虐殺が長引くにつれて、私はじぶんのこどもや他の避難民のこどもたちに、学校で学べなかったことを教えるという本来の職業にもどることにしました。   五 私に残されたもの  ガザが歴史的建造物を失うと、多くの他の女性たちと同様に、自己という意識を失いました。耐えてきた恐怖が、身体、健康、精神の健全さに、目に見える形で影響をおよぼしました。妹が亡くなった夜、私の黒い髪は、ほぼ一夜にして白髪になり、徐々に抜けはじめました。北部に住む友人たちは、水不足とシラミ対策の、最後の手段として、長い髪を切らねばなりませんでした。     栄養失調と過酷な生活に疲れ果て、避難先のひび割れた鏡で、自分を見る時間はほとんどありませんでした。もう自分の服とは思えない服を着て、慣れない生活を送っていました。自分をケアする贅沢をする時間は、ありませんでした。背中の痛み、生理不順、絶え間ない不眠症、家族と私の死という、あらゆる可能性への恐怖について、言葉で説明するつもりはありません。泣くのは夕方まで待ち、悲しみに暮れるのは自分だけだと思っていたら、近くの避難所からくぐもったすすり泣きが聴こえてきました。私は考えました。一人の妹の殉教にたいする悲しみは、家族全員の死とくらべてどうなのだろう。愛するひとの殉教が、確実な状態で失うほうが辛いでしょうか、それとも、愛するひとが、跡形もなく消えてしまうという不確実性に耐えることのほうが、辛いのでしょうか。  朝、私は涙を拭い、生き残るための厳しい現実にもどりました。  六 小さな地獄  何ヶ月もが経過し、ラファへの侵攻がはじまりました。その瞬間まで、私は占領軍が定義した三角形、つまりテント――刑務所、墓の外――でなんとか生きてきました。  けれど、もう、そこから逃れることはできなくなりました。  私たちはテントを購入することを余儀なくされました。それは無料のはずでしたが、結局七〇〇ドル相当を支払ってしまいました。広告はノルウェー製のテントだと主張していましたが、設営してみると、ノルウェー政府はドイツの援助に頼ってテントを調達していたことがわかりました。それから、テントの上にぶら下がっているドイツ国旗は、私が火を灯したり、苛立ちで叫んだり、生活がますます困難になっていくたび、私たちを嘲笑っているかのようでした。  夏の間、テントは小さな地獄で、日中の暑さは堪えがたいものでした。私たちは塩水しかつかえなくなり、そのせいで、すべてが台無しになりました。入浴や洗濯で、剥がれた体の皮膚、塩まみれになった食器や衣服。すべてが塩辛く、きれいな衣服さえ、すり切れたように見えました。   ガスが不足していたため、料理やお湯を沸かすために、火をおこなくてはなりませんでした。夏の午後に海辺で火おしをしたことがあるひとなら、困難な仕事だとわかるでしょう。しかし私たちは、食事のために毎日それをしました。毎日、熱で指が焼け、燃える木の匂いでむせ、煙で目が潤みました。食器は黒いほこりで被われ、あつかいも掃除もたいへんでした。食べものに砂がふきこむのがあたりまえになって、私たちは、毎日の抑圧を飲みこむように、砂を噛んで、飲みこみました。  夜になると、テントは凍えるような地獄になり、こどもたちは、病気になるような冷たい風にさらされ、朝になると太陽が照りつけて、汗びっしょりになりました。    それから……? 毎日が、昨日や明日のようにくりかえされる。つぎはなんだろう? 仮想的な交渉のニュースや、遠い夢の話を聞き、それを完全に信じることも、完全に否定することもない。私にとって、夜寝るまえのハエとの停戦より大切な停戦はなく、朝は新鮮な水をタンクに調達することより大切な取引はありません。  ランプのうす暗いひかりの下で、眠っているこどもたちの顔を見つめ、なぜ、世界はいぜんとして、大量虐殺を終わらせるのをためらっているのか、疑問に思う。ガザのこどもたちの手足や、生きた肉体が引き裂かれるのを目撃したあとで。世界はこの子たちに、なにを求めるのだろう。病になったこどもが、病院に置き���りにされ、飢えと恐怖で死んでゆくのを見たあと。未熟児が、まるでもっとも屈強なものたちであるかのように包囲されるのを見たあと。胎児が容赦なく、母親の子宮のなかでころされたあと。世界は、こどもたちに何を求めるのだろう。    七 つぎは……  一瞬、テントの生活に負けそうになりました。ある日、野菜を買いに市場に行くと、その光景に圧倒されました。すさまじい人混みで、まわりのすベてが陰鬱な、灰いろに感じられました。そのとき、ひとりの女性をみつけたのです。私とおなじように、顔に日焼けした女性で、彼女もテントに避難しているとわかりました。彼女は、ジャスミンの苗を、愛するこどものように抱きかかえ、テントに持ち帰って、入り口に植えました。  希望が私の心を満たし、孤独をおしかえし、突然、私は、テントの厳しさに立ちむかう決心をしました。    毎朝、ハエがいても、清潔で新鮮なパンをこねはじめました。服を洗って太陽の下に干し、清潔さを誇りにしました。心のなかに苦しみを抱えたままでも、愛情をこめて、食事をつくりました。こどもに基本的な生活の技術を教え、すべての質問に答えました。世界中のすべての女性とおなじように、薪でインスタントコーヒーを淹れて、テントの前の海辺で飲みました。もう、気にしませんでした。私は知っています、いつか、いつの日か、このすべてが過ぎ去ると。  ガザは残る。私たちは残る。そして私は残る。
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cellophanemaryjane · 2 months ago
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プリーズ・キル・ミー 2
第2部 Lipstick Killers:
この本にはグルーピーの女の子への言及が多く見られます。ウォーホルのファクトリーにたむろする風変わりで美しい人々、60年代には人はそういった人々を見るためにそこへ出かける、と言われ始めますが、グルーピーの女の子たちがいっそう70年代の音楽シーンを華やかにしたことが伺えます。
あまり私には理解できない感覚なのですが、セレブリティやクリエイター本人ではなくファンの中で知られているポジションというのになりたがる人が今でもよくいますが、この心理というものはなんなんだろうと思います。ファンの中で一目置かれる存在���なりたいとか、〇〇と言えばこの人、〇〇(何かのネタ)の人になりたい、という人がsnsの中ではとても目立ちます。グルーピーの女の子たちもリストを作って〇〇とやりたい、次は××それからまた別の△△、という欲求を率直に語っていますが、正直言って生産的ではないなぁと思います。
この章でペニー・アーケイドといういかにもグルーピーネームといった感じの名を持つ女性は「あの時代には不細工は罪だった」と発言しておりちょっとびっくりしますが、そういう風潮は最近ますますエスカレートしているような気がします。
不細工は罪、というのは女性だけではなく男性にも向けられています。この本で最も多くのページを割いている、それだけいろいろな記憶とエピソードを持っているということになるのですが、そういう人物はダニー・フィールズとリー・ブラック・チルダースの2人です。彼らはレコード会社の社員やマネージャー、仕掛け人といった立場でいろいろなバンドと苦楽を共にした人たちです。これにテリー・オーク、ロニー・カトロン、マルコム・マクラーレンなども加わりますが特にダニー、リー、テリーと、アーティストですが彼らと連んでいたダンカン・ハンナの4人はかわいい男の子についていつも目を光らせています。見た目がいいということがまず最初の才能であるといった感じで、仕掛け人タイプの人はこういうミーハーな目線を持っていないと人々の熱狂するものを見つけられないんだなぁと思いました。私はまかりまちがっても仕掛け人側にはなれないタイプだとつくづく思いました。しかしダニー、リー、そして特にテリーの3人は性欲強すぎ。
ここでパティ・スミスが登場します。パティは「イーディ」ではロマンチックないちファンといった感じですが、この本ではもう成り上がり根性と自己プロデュース能力のかたまりという感じで、すごい嫌いなタイプでした。
ニュージャージーで工場勤めをしながらランボー読んじゃうアタシエピソードに始まり、ロバート・メイプルソープと2人でいけてるカフェやバーの前に居座って仲間入りしようとし、ドラグ・クイーンの芝居にいっちょかみし、ポエトリー・リーディングでは演出のうまさで場を支配し、といった感じ。人たらしで男好きであざとくてミーハーで気取っていて、話し方がいちいち芝居掛かっている。こういう人私嫌いだわー。女性が男性に対して媚びたり男性がそれを間に受けたりするのはある程度しょうがありませんが、パティは好きになった男性に対しては尽くしますが、利用価値のない人、特に多くの女性に対してあざとく取り入ったかと思うと昔の知り合いでも相手が有名人でなければ冷たくなり、自分が成り代わりたいと思う相手に対しては失礼なことをさらっと言ってすっとぼけたり、ヌードになることを唆したり、最高に嫌な女です。自分の利益にならない人間とは付き合わないような奴。そしてパティは私そんなつもりないのに、というような感じがまた嫌です。長年パティのグループで演奏していてパティ崇拝みたいなレニー・ケイという人もなんか合わせて嫌い。しょせんパティのような人と長年組んでいられる程度の人間性だろうし。こういう、嫌いって思うとこっちが悪者になるタイプいるよね。
知っている人は知っているというレベルの有名人ですが、ジャッキー・カーティスというドラグ・クイーンがいます。彼女はルー・リードの「Walk On The Wild Side」にも名前が出てくる人物ですが、第一印象でパティが気に食わない、人を利用してのし上がっていく女だと言っているのでそういう人もたくさんいるはずです。
しかしいわゆるフェミニストの人たちってパティのことどう思ってるんだろう。私はパティやその他意識高い系の、なんでも持ってるくせに文句ばかり言う(主に白人の)女性が作るような映画や小説などのあざといものが本当に本当に年々嫌いになっていってるのですが、世の中はどんどんあざといものに飛びつく人が増えていて、これは絶対にsnsのせいだと思うのですが、さらに「あざといから嫌い」から「一周回ってあざといのもあり」みたいなことまで言い出す人が増えて、何周したってくだらねぇもんはくだらねぇよと思うのですが世の中ままならないものです。そういう女性作家やパティのような、アウトローのようでいて実は優等生的な女性という存在を見るにつけ、森茉莉が書いた忘れられない一言「女というものは駄目だと思わないわけにいかない」を呟きたくなります。
パティが詩人として名を馳せたときに陰ながら手を貸した(のに著作の謝辞に名前を載せてもらえなかった、こういうところがパティまじ無理)ジェラード・マランガはウォーホルのアシスタント���してファクトリーマニアにはお馴染みの人なのですが、初めて「イーディ」を読んだ15か16の時からずっと、あまり印象の変わらない人物です。もちろん彼だってあの中でやっていけたというだけでひとクセあるタイプだろうとは思うのですが(ウォーホルの贋作売って捕まったり)、彼は辛抱強くオールマイティで、ファクトリーの活動とは別にマイペースに詩を書き続けていてのんびりとした感じに見えます。それについて私はたまに思うのですが、生まれつき見た目のいい人の中には鷹揚な性格の人がいることがあります。私はジェラードもそういうタイプに見えます。見た目のいいことを意識していないというか、それは当たり前なので特別なことだと思ってないという感じの人。私は見た目がいいかどうかはともかく、こういう卑屈さを感じない人が好きです。
もちろんナルシストもいっぱいいます。上に書いたダンカン・ハンナやこの本にも登場するジム・キャロル、テレヴィジョンのリチャード・ロイドは自分の見た目の良さを意識していて利用し、自惚れが滲み出ている感じ。自分の顔が大好きなタイプとひとくちに言ってもいろいろあって、ダンカンは鏡を延々と見てそうな感じ。なんかこうカフェで誰かと話してて、その人越しにガラスに自分の顔が写ってるのに気がついたらずっとそっちに気を取られてそうな感じ。ダンカン・ハンナはこの本でもちょいちょいかわいい僕、かわいかった僕アピールをしていてはしゃぐなよオッサンと思ってしまいます。昔のエピソードを話す時にいちいち自分の着ていた服についても一言添えているのがまたゾッとします。ルー・リードとトム・ヴァーレインに突っ掛かられたエピソードを突然からまれたかわいそうなボクチンという感じで話していますが、2人から罵られたセリフに自分の見た目のことを全然さりげなくなく混ぜ込んでいて、おまえ大概だなと思わないわけにはいきません。こうやって巧妙(ではないけど)に自分を上げながらしゃべれる人ってマジでどういう脳みそしてるんだろう。ルーとトムに「こいつムカつく」と思われてもしょうがない気色悪さです。
リチャード・ロイドは鏡を見るより、自分を見てうっとりしている相手の顔を見て己の美貌を再確認しているような感じ。あ〜僕見られてる、こいつ僕とやりたいと思ってる〜みたいな。
ジム・キャロルはなにしろ若い頃をディカプリオが演じたし曲も好きだから多少は認めます。あと「僕かっこよかったからね〜ハハハ。」みたいなストレートさがあるのも幾分ましです。ところでジム・キャロルの著書「マンハッタン少年日記」というヤンチャにヤンチャを重ねて繊細さで味付けしたみたいな本の中で唐突に、アメリカが日本に原爆を落としたことを恥じている、みたいな文が出てくるのですが、ここをもっと話題にしてもいいのではないかと私は思います。たとえキューバ危機を極度に恐れていたナイーヴな少年の感傷的な日記であったとしても。ここもジム・キャロルを嫌いとは思わない理由のひとつです。
でも男のナルシストはみんなタチ悪い。おじさんになってもまだカワイイつもりでいる人ってほんとに気持ち悪い。昔ごく内輪でかわいこぶっている男性に対して「かわいないわ系」という言葉を使っていました。語源はナインティナインがまだ若くてアイドル的な人気があった頃に、矢部がポーズを決めた岡村に対して「かわいないわ」とツッコんだことなのですが、リチャード・ロイドは発言もぼんやりしててまさに「かわいないわ」という感じでした。見た目がかわいくて頭の弱い男性というのは正直言ってかなり無理です。ロイドは薬物やアルコール中毒の治療でいろいろあったので気の毒でもあるのですが、やっぱり平気で体を売ったりもしてたし自業自得な部分もあるしちょっと意思が弱いというかなんというか。でもまだ生きてるみたいなのでまぁがんばってください。
ところで「アンディ・ウォーホルを撃った女」ではジェラード・マランガの役をドノヴァンの息子がやっているのですが、ドノヴァンの息子は完全に勘違いイケメンという感じでジェラード本人よりムカつく顔してました。またドノヴァンの息子が何人いるのかは知りませんが、ほんの一瞬モンキーズのマイク・ネスミスの息子とバンドを結成する予定であるというニュースを聞いたことがあったのですが、この組み合わせから臭ってくるしょうもなさといったらどうでしょう。ドノヴァンの息子とマイクの息子がやるバンド。これほどまでになんの可能性も感じさせない言葉はあるでしょうか。
そして時々ドノヴァンの息子をとんねるずっぽく言うと「ドノむすこ」になるのではないかと考えることがあります。(そんなことばかり考えている)
その後、アンダーグラウンド演劇のイギリス公演に行ったリー・チルダース達は初めて現地でデヴィッド・ボウイを見ます。のちにボウイの事務所を手伝うことになりますが最初の感想はみな大したことないというもので、さらにアングラ演劇の手法(派手な衣装や演出)をボウイが真似して取り入れたと言われています。私はデヴィッド・ボウイも好きではないのですが、やっぱり理由は声です。声が良くないし曲もつまらない。見た目もどこがいいのかさっぱりわかりません。あのリーゼントで歯を見せて笑う感じとかすごい無理。この本でボウイは当時の取り巻きを自分と同じ「人参頭」にさせていたことや、それをやりたくないと思っている人がいることがチラッと出てきますが、この自分自身と恋に落ちてるみたいなキャラ作りとか、アンジーと自由恋愛とか、なんかやることなすこといわゆる「変人に憧れる凡人」って感じがします。ナゲッツ2にデイヴィー・ジョーンズ時代の曲が入っていますが、マジで後のボウイであるという以外なんの価値もないクソみたいな曲です。ていうか20秒ぐらいしか聞いたことない。私は好きじゃない曲はどんどん飛ばすので、なんの自慢にもなりませんが20年以上持ってるCDでも最後まで聞いたことがない曲がいっぱいあります。こういうことを言うとうるせぇオールドロックファンは「ん〜でもねこれはこれで味があるんだけどね〜」とかほんとは大して思ってもないくせにしょうもない逆張り精神で言いやがるのですが、こっちは駄作の良かった探ししてるほど暇じゃねぇんだよ。(私は東京生まれなので「じゃねぇよ」とか普通に使ってしまうのですが、錦鯉の隆さんやぼる塾のあんりのような東京のツッコミを怖いと感じる人がいるということを最近知りました。でもこれはいわゆる関東弁なのです。口が悪いとか言われる筋合いないのです)
初めてボウイに会ったニューヨークの人々は、奥さんのアンジーの方が魅力的な人だったと話しています。確かにこの本でもアンジーの証言は面白い。あとこの辺りからよく出てくるようになるジェイン・カウンティも面白くて、なんというかスジが通っていて好きです。ジェインは全体的に、人からどう思われても関係ない、あたしがこうしたいの、こう思ったんだからこうなの、という感じが伝わってきて好き。自分とバンドのメンバーを「美女たち」と呼んでいるのもかわいい。多分ジェインは人としては付き合いづらそうなのですが、見てる分にはきれい事を言う人よりよっぽど好きです。
私はここを読んで、ふとテレビでやっていたミック・ロンソンのドキュメンタリー映画のことを思い出しました。出演者のところにルー・リードと書いてあったので見てみたら、実につまらない映画だった。まずミック・ロンソンが映画の主人公にするにはキャラが薄すぎる。彼がボウイのバンドをやめた経緯なども、なにか音楽的な苦悩とか方向性の違いとかそういうものではなくてギャラの配分て。おまけにルーの場面はこの映画のために撮ったものではなく、テレビ番組かなんかのを持ってきただけで内容も薄い。(どっかで見たことあるやつだった)そんなすべてが薄味の映画の中で印象が深かったのは、アンジーが出てくる場面でした。ばっちりドレスアップして、きれいな部屋ではきはきとしゃべるアンジーは生命力にあふれていて、どんよりした照明の自宅のリビングかなんかで普段着で出てくる他の人たちとは明らかにちがっていました。
私はデヴィッド・ボウイが音楽としてシンプルに好きではないし見た目も苦手と思っているのですが、私より年上の��る種の人たちは彼を神格化しがちです。とくに女性は、というか洋楽好きおばさんはこの世のものとは思えない美しい人、容姿も魂も美しい人で、奥さんのイマンとも美しいカップルで、アンジーはもう別れたんだからすっこんでろ。非の打ちどころのない完璧なアーティストで彼より偉大な人物はいない。彼はお星様になったの。と発言して憚りません。そういう風に言われれば言われるほどますます嫌いになります。
その後ボウイは演劇だけではなく、イギー・ポップのスタイルも取り入れようとして連み始めます。ここでもうひとつ思い出すのは、ずいぶん前にCSで見た80年ぐらいのテレビ番組です。ソファーが並べてあるようなトーク番組で、イギーとボウイの2人がゲストでした。いつものように(?)騒いだりはしゃいだりするイギーとそれを笑顔で見守るボウイという場面。この時のボウイの表情がなんというか絵に描いたような後方彼女面みたいな、ニヤニヤした嫌な顔だったのです。これを見ておばさんたちはボウイが困ってる〜かわいい〜という気持ちになるのでしょうか。おばさんおばさんって年齢だけで言ったら私もそうなのですが、言わせてもらえば私はメンタリティはこういうおばさんとはちがうから。ボウイを絶賛するおばさん臭いメンタリティを持つ人たちには女だろうと男だろうと実年齢��いくつであろうと共通の好みのようなものがあって、たいてい24年組の少女漫画を崇拝しNHKが好き、歴史が好き、華美な物が好き、ルイ16世は頑張っていた、よしながふみの作品をこれはBLじゃないと言い張る、などの特徴がありますが、私はどれもこれも辟易しています。しかしネットやある程度の趣味のジャンルにはこういうタイプの人間が多すぎて非常に疲れます。
ずっとボウイに対して持っていたけどあまり共感してもらえなかった意見を書いて、同意がもらえるとは思いませんが書き残すことができたのでいっこだけ、いい思い出も書きます。The Whoがやっと2008年に単独で来日した時、横浜アリーナでは開演前に最近の?よくわかんない曲がかかっていたのですが、武道館では始まるまで割と60年代のロックがかかっていたのです。古い建物には60年代の曲が合うな〜と思ったり、ジミヘンがかかったら隣の席のいかにもオールドロックファンおじさんという感じの人が急に下向いたまま体を振ったりし始めてキモかったけど、ライヴへの期待が高まる中ボウイの「jean genie」がかかると、そろそろ始めろよ〜という雰囲気になり誰かが手拍子を始め、それがどんどん広がっていきかけたのですがその後曲が終わったらまたスーンとなってしまいました。でも一瞬なんかよかった。The Whoともあろうバンドがあの曲の手拍子に合わせて出てくるなんてことはありえないのですが。
ところでルー・リードとボウイとイギーではイギーがまだ生きてるんだから人間の体って不思議だな〜と思います。
と、私にとってはあまり愉快ではないエピソードが続く中、ニューヨークドールズが登場してみるみる人気者になっていく様子はエキサイティングです。7分とか12分とかの曲が増え、ロックがエスタブリッシュメントになってしまった中で登場する3分間のロックンロールの完全復活。だけど彼らはあっというまに崩れてしまいます。申し訳ないけどデヴィッド・ヨハンセンて「ぶちゃむくれ」って言葉そのものだと思いました。嫌いな顔ではないけど。全体的に、ドールズのメンバーは一瞬で落ちぶれたくせにその後のパンクムーヴメントに登場する後輩たちに対してエラそうだし曲もそれほどピンと来ませんでした。ただ当時、ドールズがいかに人々を惹きつけ楽しませたのかという話は面白かったです。あとマネージャーをしていたマルコム・マクラーレンもこの本では噂に聞いていたほどのクソ野郎ではないと思いました。かわいこぶってるとも受け取れますが、すっとぼけることが身に染み付いて取れなくなってしまったイギリス人という感じだし、特に女性やドラッグに対してやたらと「ウブだった」と言っているとおり苦労もさせられたようです。こういう仕掛け人みたいな人の話は面白いかピンとこないかのどっちかになりがちなのですが、マルコムの話は面白かった。
そしてグルーピーの女の子たちの中からいろいろなキャラクターが登場します。でもインタビューに答えているのは、あの荒んだ生活から立ち直れた人たちだけなんだと思うとちょっと悲しい。のちに事業を起こしたような人やモデル業をしていた人ははともかく、生粋の家出少女だったセイブル・スターは15で整形したとサラリと言っていてビビってしまいます。セイブルは無邪気で人柄も悪くなさそうなんだけど、リスカしたりなんというか徹底的にどっか足りないという感じがあって、よくここまで生きてこられたなぁと思いました。(もう故人だけど)いろいろなミュージシャンを渡り歩いたセイブルはジョニー・サンダースと共依存のような関係に陥りますが別れた後はボロクソ言っていて、こういうことは長生きしたもん勝ちだと思いました。ジョニー・サンダースも薄味の伝記映画があってGYAOで見たのですがこっちもむちゃくちゃつまんなかった。
その他ストリッパーとかいかがわしいマッサージ屋に勤めてた女の子とか、まぁうんという感じ。こういうハンター気質ちょっとだけわけてほしい。そのパワーを追っかけではないことに使いたい。こういう生き方を女として私は全然ヨシとはしませんが、エルヴィス・コステロとお付き合いしたことあるベベ・ビュエルはちょっとうらやましいです。語られるエピソードもなかなか素敵です。ビュエルも若干、ロックンロールの力を信じる夢見るグルーピー✨みたいなキャラを作ってる感じはありますが。私は美しくメイクした男性よりコステロが好きなの。
(つづく)
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fantasticgoateecandy · 3 months ago
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.5)=((No.4)からの続き) H.21.7月.この頃、上階501号室(W氏宅)から階下401号室(私共B夫婦宅)への漏水が、やや下火になりつつあり、私共は「岩井昭雄管理人が水撒き人W氏に厳重注意して呉れたのだろう、その結果、やっとW氏も水撒きを自粛して呉れるようになったのだろう!」と歓喜した。然し、岩井昭雄管理人から「W氏が、最近、鞄・玄関鍵を 無くして501号室に入れなくなり、暫くは実家に泊まって居るのですよ」との話を聞いて、「何だ!そうだったのか!」とガッカリした。漏水被害を引き起こして居る張本人(W氏)が501号室に居住して居なければ、階下401号室への漏水が収まりつつあるのは当然。これは後日に同氏の妹君・S子氏の陳述書にも記載ある事実で、「H.21.7月に兄(=水撒人W氏)は鍵・通帳等を入れて毎日持ち歩いていたカバンを紛失し、自宅マンションに入れなくなり、実家に泊まるという事がありました」との記載あり、「漏水が収まりつつある」と勘違いしたのは、私共の早トチリ、飛んだヌカ喜びだった。 H.21.7.15.管理日誌より抜粋「501号のW氏 アプローチにペットボトルのカラ 多数置いて居るので理事会決定事項として伝え、直ちに片付けるよう要請 共用廊下に水を撒く 注意すると『暑いからだ』と言う 注意する」(W氏の『病的に異常な水撒き癖』は管理人のみならず、当マンション中でも有名、知らない者は殆ど居ない)
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H.21.7.16.K先生から私共に電話あり「売主S氏の親族(恐らく同氏の三女?)から『回答期限は過ぎたが、回答はもう少し待って欲しい』と要請がありました」との連絡だった。実は私共はH.21.3.2.に近鉄不動産㈱の武内聖介氏から「当マンションの401号室(S氏宅)が売りに出されましたよ」との連絡を受けたので、勿論、私共はスグにも401号室を検分(内見)したいと思って居たが、その時、『売主S氏の都合もあるので、内見は2~3日ほど待って欲しい』との連絡を武内氏から受け、結局、私共B夫婦2人、仲介人・武内聖介氏、売主S氏の計4人が401号室を内見したのは3日後のH.21.3.5.だった。つまり、S氏は、その間の(H.21.3.2.~3.5.)に(恐らくは?)自室(=401号室)が上階・水撒人W氏宅(=501室)から蒙りつつある漏水被害の痕跡を、専門業者に依頼してスッカリ除去して貰ったらしく(?)、その直後の401号室には(漏水被害などの痕跡は見当たらず)綺麗なままで、私共はマンマと騙されてしまった。そして「今回もマタゾロS氏は『回答期限を延期して呉れ!』などと言って来るとは!キットS氏は、再度、何か良からぬ事(?)を企んで居るに違いない」と胸騒ぎを覚えた。 H.21.7.18.私共は、当マンションの401号室へ急行、アルミホイルは未だ☆②の(A)(B)に詰め込まれた侭だったが、ベランダ天井からの垂直排水枝管☆②の外周、垂直壁面、枝管真下の床面、スノコ(目皿)付近には大量のヤモリ糞が塗り付けられ、バラ撒かれて居た。私の妻は殆んど半狂乱になって「キャーッ、何ッ、これッ!」と絶叫、私(夫)は「漏水ではなく『ヤモリが出た』との口実を尤もらしく見せ掛ける為に、こんなインチキ証拠を捏造したのだな。その為に予想外の時間が掛かったので『回答期限を延長して呉れ』とK先生に要請して来たのだろう」と感付いた。(写真を参照されたい)
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私共は此のヤモリ糞の塗り付け・バラ撒きについて下記のように考えた。(少し長くなるが、重要なので詳述する):
1).K先生が売主S氏宛に「通知書」を送付される以前のH.21.6.30.に私共が現場を点検した際には、こんな糞などは全くバラ撒かれて居なかった。K先生から通知書を受取ったからには「S氏も少しは反省するだろう」と私共は、つい油断して通常ならば毎週3~4回の頻度で現場点検に出掛けるが、今回はH.21.7.1.~7.17まで全く現場点検に行かなかった。然し、今回のS氏側からの「回答期限を延期して呉れ」との要請に対し、私共は(上記の如く)胸騒ぎを覚え、慌ててH.21.7.18.に現場に急行した処、現場に大量のヤモリ糞(後日、専門機関の分析結果、これ等は[ヤモリ糞]ではなく、実は[コウモリ糞]である事が判明した)がバラ撒かれた光景を見せ付けられた。だが私共は「これは(証拠隠滅に勝るとも劣らぬ)余りにも稚拙・卑劣な捏造工作だ!」と感付いた。「これほど大量のヤモリ糞(実はコウモリ糞)が現場にばら撒かれて居る現状を考慮すれば、これでは100~200匹の大量ヤモリが上階から枝管外周を伝ってゾロゾロと階下401号室(私共宅)へ這い降りて来た事になり、その際はヤモリ防止用(?)に詰め込まれた筈のアルミホイルは、当然、(A)(B)から抜け落ち、あるいは外れ落ちて、ベランダ床面に転がって居る筈だが、此のアルミホイルは依然として無傷で(A)(B)に詰め込まれて居た侭だった。これでは100~200匹の大量ヤモリは『魔法を使ってアルミホイル(A)(B)をすり抜け、枝管☆②の外周を伝ってゾロゾロと這い降りて来た』事になる。ヤモリは元来、夜行性の爬虫類で、昼間は戸袋などに隠れて居るが、その粘着力ある四肢で天井裏・垂直壁面など何処でも自由に動き回れるから、ベランダ天井と垂直排水枝管との円形(環状)隙間から「ワザワザ魔法を使ってアルミホイル(A)(B)をすり抜けながら、枝管外周をゾロゾロと這い降りて来る」筈は無い。而も現場には、これほど大量(恐らくは100~200匹)のヤモリが食い散らかしたであろう筈の食べ滓(小昆虫などの死骸)も、また寿命が尽きた筈のヤモリの死骸も1匹も残って居ない。ヤモリは、夜間、灯りに集まり来る小昆虫をエサとして食べるが、当時、401号室は無人だから(S氏は当401号室を私共B夫婦に売却して既に退去済み、一方、私共も当401号室への入居を諦めて既に退出、旧自宅へ戻って現在は訴訟中、従って当401号室は現在は全く無人の侭だから)夜間は真っ暗である。そんな無人で真っ暗な部屋へ(灯りを求めて)集まり来る小昆虫も居ない処へ、ヤモリがエサ(小昆虫)を求めて来る筈も無い。ただ糞だけがバラ撒かれて居た。一方「上階501号室(W氏宅)のベランダではヤモリの養殖・飼育など、勿論、行って居る筈など無い」。 後日(H.22.4月)、私共が当マンション全28所帯の内、(501号室と401号室を除く)26所帯に聞き取り・アンケート調査を実施した結果、「今までにヤモリが出た」などと答えた所帯は皆無だった。また今回のH.21.7.1.~7.17.までの短期間に、これほど大量のヤモリ群(100~200匹?)が当マンションに大襲来したとなれば、それこそマンション中は大パニックだろう。而も、当マンションの全28所帯の中で、ヤモリは他の部屋には全く襲来せず、選りに選って『無人・真っ暗』で、ヤモリのエサ(=灯りに群がる小昆虫)が全く居る筈の無い401号室へ(100~200匹もの)大量ヤモリ群が、集中的に上記の短期間内に大襲来する筈も無い。念の為、私共は岩井昭雄管理人に確認しても当該期間(H.21.7.1.~7.17.)内に「ヤモリ・コウモリが当マンションに大襲来した」事実は無く、また当マンション管理日誌にも同期間内に「ヤモリ・コウモリが大襲来した」との記述は一行も無い。 以上から私共は「これは明らかに誰かがコッソリと401号室に忍び込んで、恰もヤモリが上階501号室から枝管☆②の外周を這い降りて来たかの如く見せ掛ける為に、人為的に糞を枝管・壁面に塗り付け、且つ床面にバラ撒いた」と確信した。私共は「こんなに大量の糞を入手し、バラ撒くのに手間取ってしまい、それで犯人はK先生に『回答期限を延長して下さい』と要請したのだろう!」と感付いた。だが、これまた何と『ウソ八百』『アナ(矛盾)だらけ』『稚拙極まる』『卑劣な』捏造工作であろうか!
2).而もバカ丁寧な事に、糞を現場にバラ撒いて行った犯人は、糞をバラ撒く際にウッカリと自分の足跡まで現場に残して行った。因みに私共は(夫婦2人とも)室内からベランダへ出入りする際は、出入り口の2枚のガラス戸のうち、いつも左側ガラス戸を開けて出入りする癖があるが、犯人は(右側ガラス戸を開閉したと見えて)自分の足跡を右側ガラス戸の敷居の上に付け残して居り、丁度スノコ(目皿)付近の敷居上にシャガミ込んで糞をバラ撒くのに最も好都合の位置である。その際に犯人がウッカリと敷居上に自分の足跡を付け残してしまったのであろう。だが何故、犯人は斯んなマヌケな痕跡(足跡)を現場に付け残して行ったのだろうか?念の為に私(夫)は自分でワザと左側の金属製敷居を踏み付けて見たが、その場ではスグに自分の足跡が確認できず、2~3日後に再度現場点検に訪れて見ると、私(夫)の付けた足跡が敷居上に今度はクッキリと浮き出て居た。「フーン、なる程、斯ういう事か!糞をバラ撒いた犯人は此の現象を知らず、自分の足跡を現場にウッカリと付け残した事に気付かない侭で此処を退出したのだな!」と理解できた。若い頃から[理科]が苦手であった私には「何故、斯んな現象が起きるのか?」その科学的根拠・理由などは全く知らないが、恐らく金属(アルミ?)製の敷居を踏み付けた際、その「(足跡上に堆積した)埃」「静電気」「足裏の皮脂」とかが関係して居るのであろうか?つまり此の金属製敷居に付けられた足跡は、その場ではスグに確認できずとも、2~3日後に此の敷居上に新たな細かい埃が堆積しても、静電気(?)皮脂(?)の作用により①敷居を踏んでしまった為に足跡が付いた部分=『足跡部分』と、➁敷居を踏まなかったので、足跡が付かなかった部分=『足跡以外の部分』の、それぞれの部分に積もった[埃]量の違い(多い/少ない)や、新・旧の[埃]色の濃/淡差などの[足跡部分]・[足跡以外の部分]の量・色違いが顕在化・浮き出て来て、(恰も「犯人の指紋」の如く)漸く足跡を確認できるようになるのであろう?これは警察の刑事が[犯人の指紋]を採取する際に、(犯人が触れたと思われる)器物に刑事・鑑識員が刷毛で銀粉を振り掛けて指紋を採取するシーンを、私共はテレビドラマなどで観るが、今回は[銀粉]ではなく、[埃]が足跡部分に積もって、言わば[指紋]採取時の様に確認できたのであろう。当然、糞をバラ撒いた犯人は、大慌てで『糞のバラ撒き作業』をやり終える必要があり、而も人目に付かぬ『深夜』にコッソリと401号室に侵入して、薄明りの下でバラ撒き作業を行った為か、自分の足跡を現場に付け残した事に気付かぬ侭で、401号室を退出したのであろう。私共は偶々その2~3日後の明るい『白昼』に現場へ出向いて、(既に浮き出て居た)犯人の足跡(=言わば[指紋]に相当)をハッキリと確認して、これをデジカメで撮影した訳だ。私共が訴訟に踏み切るまでは、糞は勿論、足跡も全く無かったが、訴訟に踏み切った途端に、犯人は大慌てで(?)深夜に(?)侵入し(?)薄明りの中で(?)バラ撒き作業をやり終える必要があった為か?迂闊にも現場に自分の足跡(=指紋)をウッカリ・バッチリ残して行った訳だが、これまた何と『ウソ・バカ丸出し』で『マヌケ』な犯人(=売主S氏=老詐欺師)であろうか!
3).一体誰が斯んな糞をバラ撒いたのか?当マンションでは、管理人(=岩井昭雄氏および後任の佐藤秀司氏)はマンション内の住民諸氏らのカギを預かる事は一切しないから、管理人は401号室のカギを持っては居ない。当マンションと専属契約して居る警備会社ALSOUKに私共が預けて居た401号室の合鍵1本も、私共が入居を諦めたH.21.4.22.頃には、既に同社から返却して貰った。従って401号室の合鍵は、(本来ならば)私共以外に持って居る者は誰も居ない筈である。一方、「401号室に不法侵入して(?)『どうしてもヤモリ糞をバラ撒くべき緊急必要性ある人間』は(旧売主S氏以外には)誰も居ない」。そのS氏はH.21.3.30.に当マンション玄関前で私共と出会ったが、その際にS氏は「私はH.21.3.14.に新マンションへ転居してしまったが、私宛てのメールが未だに旧住所(=当マンション)へ誤配されて来て居るかも知れないので、当マンションのメールボックスを覗きに来たのだ」と話した。それで私共はS氏に「貴方は当マンションのスペアキーを持って居るのですか?」と尋ねた処、S氏は「そんなものは持って居ないよ、当マンションの他の住人が当マンションの玄関を出入りする際に、其のタイミングを見計らって私もサッと一緒に入り込むのだ」と答えて呉れた。だが、あの短気・癇癪持ちのS氏が「辛抱強く玄関脇でジッと待機して居る」筈は絶対に無い。まして今回の様に「深夜にコッソリと401号室に不法侵入してヤモリ糞(=コウモリ糞)を現場にバラ撒いて置く」為には、(当マンション内の他の住人が深夜(?)に当マンション玄関を出入りして呉れるまで、S氏は其の深夜に玄関脇でジッと待機して居なければならない!そんなバカな事などS氏が出来る筈も無かろう、どうしてもS氏自らがスペアキーを所持して居らねばならぬ。どう考えても「明らかにS氏は『ヤモリ出現の証拠捏造用』にスペアキーを(少なくとも)1本は所持して居るに違いない」と私共は確信した。更に当マンションのキーは其の理論的違い数は1000億通り、他社・他処では絶対にスペアキーの複製は出来ない。矢張りS氏は(自分が嘗て401号室に居住中に)予め美和ロック㈱に依頼してスペアキー1本を予め作って貰って自分の手元に残して置き、私共には正規のキー(全6本)だけを手渡して呉れたのであろう。 4).更に私共がヤモリ糞(実はコウモリ糞)を専門家に分析して貰う為にサンプル採取して自宅へ持ち帰った処、現場の糞の残量は少なくなったが、後日、私共が再度現場を訪れた際には、マタゾロ糞が増量・撒き足してあった。こうして複数回に亘って糞の残量が、その都度、適宜、増量・撒き足されて居た事実を私共は写真撮影した。つまり犯人は複数回に亘って、現場に出入りしてヤモリ糞を適宜、増量・撒き足し、「恰もヤモリは今もなお引き続き上階501号室から階下401号室へ☆②の枝管外周を伝って這い降りて来て、糞を排泄し続けて居る」「アルミホイルは漏水防止ではなく、ヤモリが這い降りて来るのを防ぐ為だった」との捏造理由を、一層、尤もらしく見せ掛けたいのだろう、(その為には、どうしてもスペアキーを保有して置かねばなるまい)。だが、それは逆効果だった。アルミホイルは(複数回に亘ってヤモリが枝管を這い降りて来たのならば)、当然、(A)(B)から外れ落ち、床面上に転がり落ちて居る筈であるが、此のアルミホイルは無傷の侭で、依然として(A)(B)に詰め込まれた侭であり、これでは「ヤモリは、毎回、魔法を使ってアルミホイル(A)(B)をすり抜け、枝管外周を伝ってゾロゾロと401号室へ這い降りて来て、糞を排泄し続けて居るのだ」としか説明は出来まい。而も上階501号室(W氏宅)では「ヤモリの養殖・飼育などは行って居る筈が無い」にも拘らず、犯人は斯かる杜撰な捏造工作を続行するとは!私共は全く呆れてしまった。「策士、策に溺れる」「余りにも幼稚・拙い捏造工作で、(S氏は)自ら墓穴を掘った」訳だ。
5).恐らく売主S氏は知人に「『ヤモリが出た』との証拠を捏造する為に、何かウマイ手はありませんか?」と相談したのだろう。知人は「現場にヤモリ糞でもあれば『ヤモリが出た』との証拠になるかも知れないが、今の侭ではチョッと無理だろうね…」などとは言ったものの、「まさかS氏が『本気でヤモリ糞(実はコウモリ糞)を掻き集めて来て、401号室に不法侵入し、糞を床面にバラ撒き、壁面に塗り付ける』などと言う愚挙を実際にしでかす」とは想像もしなかっただろうし、さぞ驚き且つ呆れた事だろう。而も、その捏造工作たるや、余りにもアナ(矛盾)だらけ、ウソがバレバレの稚拙・杜撰・卑劣極まる捏造工作ではあったが、然し、旧売主S氏と知人の両氏にとって、誠に幸いな事に、後日(H.22.2.10.の第4回裁判で)、K先生が『バラ撒かれたヤモリ糞』『間抜けな足跡』の複数の証拠写真類を遂に法廷に提出された際、宮本初美裁判官は、「こんなマズイ証拠捏造などは考えられない!」「現実にはあり得ない」として、最後まで握り潰してゴネ続け、S氏を庇い続けた。そんなに疑うのならば、宮本初美裁判官自身が、「ヤモリ糞がバラ撒かれて居る現場」を直接に訪れて「[ヤモリ糞]および[糞をバラ撒いた犯人]のマヌケな足跡をも確認すれば良い」ではないか?だが、それでは宮本初美裁判官自身の「余りにもガキっぽくてマヌケな意地っ張り」「ゴネッ張り」がアカラサマになってしまい、自分のエリート(=裁判官)としてのメンツは丸潰れ、此処は(誰が何と言おうとも)絶対に現場確認に赴く訳には行かない、口先だけで「斯んな事などは考えられない、現実には有り得ない!」と駄々を捏ね続けて突っ撥ねるしかあるまい。これでは全く話にならない。全くドウシヨウモナイ[問題ある]裁判官だ!これは最早とても裁判ではない。
6).私共が(上記の第4回裁判H.22.2.10.)よりも遥かに以前のH.21.7.28.に「ヤモリ糞」「犯人の足跡」の写真をK先生にお見せしたところ、K先生は噴き出して大笑いすると共に呆れてしまって「これでは『話し合い』よりもサッサと『裁判』に踏み切りましょう」と作戦変更された。そして「いつの時点で、これ等の写真を裁判で公開しましょうかねェ?暫くは其のタイミングを見ましょうよ!」と言って、暫時、これ等の写真を敢えて裁判には持ち出されなかった。その際に、私共は(堪り兼ねて)K先生に「私共がK先生を現場へ送迎致しますから、是非、現場をご覧になって下さい」とお願いし、私共のオンボロ軽自動車でK先生をヤモリ糞(実はコウモリ糞)がバラ撒かれて居る現場へ送迎した。K先生は、バラ撒かれて居るヤモリ糞(実はコウモリ糞)を見て「こんな事までするのねぇ!」と呆れ返って居られた。だが折角、私共がK先生を現場までお連れしたのだから、当然、K先生は其の現場で御自分でも写真撮影されるか、あるいはマンション管理人に会って事実確認をされる筈だ、と私共は思って居たが、そんな事は全く無かった。その後、K先生は出来るだけ辛抱を重ねた挙句、H.22.2.10.の第4回裁判で遂に「ヤモリ糞」「犯人の足跡」の写真を公開された。サスガにそれ以後は犯人が糞を増量・撒き足しに訪れた形跡が全く見られなくなってしまった。斯んなインチキ捏造証拠の写真までも裁判で公開されてしまっては「これ以上、401号室に不法侵入し続けてヤモリ糞(=実はコウモリ糞)を増量・撒き足し続けるのはヤバイ!」と感じた犯人が、即刻自粛したのであろう。然し、S氏の此の『稚拙・卑劣極まる』捏造工作を宮本初美裁判官は飽くまでも「こんな事など有り得ない、現実には考えられない」として、結局、最後まで徹底的に無視し続けた侭だった。これはS氏にとっては「真に幸運だった?」。だが、これは最早とても裁判ではない。
7).念の為に私共は当マンションの鍵メーカーである美和ロック㈱大阪支店の総務課長・岡伸行氏に幾度も面談し、「S氏から401号室のスペアキーの注文を受けた事があるか?」と尋ねた。同社では「第三者からキーに関する質問を受けた」場合は(当然の事であるが)プライバシー保護の為に「必ず当該キー所有者(=此処ではS氏)の事前了解を得てからでないと、如何なる質問にも答えない」。然し、S氏も然る者、斯かる事態をトックに予想して居たらしく、美和ロック㈱の岡課長からの問い合わせに対して、旧売主S氏は(恐らくは?)「若し、インチキ夫婦(=私共B夫婦の事?)から(スペアキーに関する)問い合わせが有った場合は、(お得意のウソ八百を並べ立てて)あんなインチキ夫婦(=私共B夫婦の事?)に対しては『スペアキーなど作った事実は無い』と返答して置け!」とでも厳重指示して置いたのであろうか?幾度、私共が岡課長に面談しても、同氏は(恐らくはS氏との約束・指示(?)通りに)「当社ではS氏から401号室のスペアキーを受注した事実はありません」と突っ撥ね続けた。それで私共は、K先生にお願いして「弁護士法第23条の2第1項に基づく照会」を掛けて貰って再度「S氏から401号室のスペアキーを受注したか?」と尋ねたが、岡課長は、今更『実はS氏からスペアキーを受注して居りましたよ』などと前言を訂正できる筈もなく、従来通りに飽く迄も「S氏から401号室のスペアキーを受注した事実はありません」と繰り返し突っ撥ね続けた。
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なお此の弁護士照会に対しては「『法廷での証言』とは異なり、たとえウソ回答をしても、何ら罰せられる事は無い」由、K先生は早々と此の時点で美和ロック㈱を追及するのを断念されたが、私共はその後も執拗に幾度も岡課長に直接面談して(通算で合計5回、最終はH.22.12.27.に面談)『ヤモリ糞が大量にバラ撒かれて居る写真』『マヌケな犯人の足跡写真』『ワザワザ深夜に401号室に不法侵入して幾度も糞を増量・撒き足すなどの不正行為を行う為には、どうしてもスペアキーを予め所持して居なければ出来る筈が無い』『コウモリ糞の写真を裁判で公開した途端に、(S氏は大慌てしたらしく?)糞を増量・撒き足しに訪れた形跡が、即刻、無くなった』事実などを岡課長に長々と説明して「こんな捏造工作が出来るのは、401号室のスペアキーを保持して居るS氏しか居ない。貴社は間違いなくS氏から(401号室のスペアキーを)受注したでしょう!」と問い質した。同課長も「ヤモリ糞がバラ撒かれて居る写真」「マヌケな犯人の足跡写真」「糞が適宜に増量・撒き足された写真」「ヤモリ糞の写真を裁判で公開した途端に、犯人が糞をバラ撒きに訪れた形跡が、即刻、見られなくなってしまった」などの写真を見て、旧売主S氏と私共B夫婦の「どちらが大ウソ吐きであるか?」が、漸くハッキリと理解できたらしく(?)、サスガに驚いたようだったが...)、今更「実はS氏にスペアキーを作って上げました!」などと言える筈が無く、結局、苦し紛れに(而も薄笑いを受べながら)「たとえ此のキーの『理論違い数が1,000億通り』と言っても、当社の知らない処で、誰かが密かに裏のルート・モグリ業者にスペアキーを作らせて居るのかも知れません、私には詳しい事は分かりませんが…」と言い逃れをすると共に「当社では401号室のスペアキーをS氏から受注して居りません」と繰り返し突っ撥ねただけだった。だが自社のホームページやカタログで『理論違い数が1,000億通り』と誇らしげに公表・記載して置きながら、その一方で「当社の知らない処で、誰かが密かに裏のルート・モグリ業者に(401号室の)スペアキーを作らせて居るのかも知れません」などと言う岡課長の説明など、誰が信じられるだろうか! 第1に、当マンション28所帯の玄関キーは全て美和ロック㈱製で、同社のパンフレット・カタログによれば、これ等はPRシリンダーで、理論違い数は1000億通り、同社以外で合鍵を複製する事は、絶対に不可能である。裏ルート・モグリ業者などが、とても簡単に複製できる筈はない。念の為、私共は奈良市内の大手の鍵屋4~5社ほど訪ねたが、いずれの鍵屋も「この種のPRシリンダー錠は、美和ロック㈱でなければ、絶対に合鍵は作れない。だから合鍵を欲しければ、全て美和ロック㈱へ別注するのだ」と話して呉れた。 第2に、若しS氏が401号室のスペアキー(合鍵)を作りたければ、何もワザワザ裏ルート・モグリ業者に発注せずとも、正々堂々と美和ロック㈱に発注すれば良いではないか?敢えて割高の料金(嘗て岡課長の話によれば「詳しい事は知らないが、裏ルート・モグリ業者で作れば2倍以上の価格になるらしい」との事、どうせウソッパチだろう?)を支払ってまでモグリ業者に合鍵を作らせる必要など全く無いではないか?ましてS氏は鍵の専門家ではないから、そんな裏ルート・モグリ業者など知って居る筈は無かろう。 第3に、私共が当マンション401号室をS氏から購入した時点で、S氏は玄関鍵(全6本)を私共に全て手渡し済みであるから、S氏の手元には(本来ならば)401号室の『親キー』は最早1本も無い筈。そんな『親キー』が無い以上、モグリ業者は鍵の種類・型・番号などは全く知り得ない。それにも拘らず、こんな防犯性の高い1000億通りもヴァリエーションの有る鍵のスペアーを、(親キーも無いのに)一体どうやってモグリ業者は複製出来るのであろうか?出来る筈が無い。 第4に、S氏が美和ロック㈱にスペアキーを発注せず、そのスペアキーも所持して居ないなら、S氏以外の一体誰が、どうやって裏ルート・モグリ業者に合鍵を作らせてまで401号室に複数回侵入し、態々ヤモリ糞を『バラ撒き』あるいは『撒き足す』などの愚挙を繰り返し行う必要があるか?そうまでして、その犯人には、一体、何のメリットがあるか?何のメリットも無いではないか?そんな捏造工作をする「緊急必要性」がある人物は、S氏以外には考えられないが、そのS氏は、何故に裏ルート・モグリ業者を使う必要があるか?ある筈が無い。 上記の理由から「S氏は間違い無く401号室のスペアキーを所持して居る。岡課長の弁解は絶対にウソだ」と確信した私共は、H.22.12.27.に岡課長に(最終)面談した際、私共は「今迄の復習を兼ねて、過去の経緯・漏水被害・S氏の捏造工作等を詳しく説明し、これに対する同課長の最終回答」を聞いた。その際、私共は念の為に「私共と岡課長との全会話」を、私(夫)が胸ポケットに持って居たICレコーダーで録音した。その録音内容は全て活字に直した侭、添付DVDに収容されて居る。 8).後述の如く、ベランダにバラ撒かれた糞は「ヤモリ糞」ではなく「コウモリ糞」であった事実が、分析機関の検査で判明した。だが、売主S氏は如何に慌てたとは言え、「(ヤモリ糞でもコウモリ糞でも、何でも良いから、至急それらし��糞を入手してスグに現場にバラ撒いて置こう」などと、「斯んなオソマツな捏造工作をしでかさねばならなかった」という事は、S氏自身が「上階501号室(W氏宅)からの漏水被害に、如何に苦悩し続けて居たか?何としても其処から逃げ出したかった」と必死だった事の何よりの証拠であろう。 9).それともS氏は(自分が高齢である事を理由に)「ヤモリだと思って居たが、実はコウモリだった!きっと見間違えたのだろう」などと、例によってマタゾロ『ウソ・バカ丸出し』のセリフで言い逃れる積りだろうか?ヤモリと(外見上は全く異なる)コウモリとを見間違えるバカは居まい。ましてやコウモリは(ヤモリとは違って)羽があるから、『魔法を使って☆②のアルミホイル(A)(B)をすり抜け、枝管をゾロゾロと這い降りて来る』必要などは全く無い。何処からでも侵入は可能である。これ等は明らかに人為的にバラ撒かれたコウモリ糞であった。 10).後日(H.22.4.30.)の第2準備書面でS氏は「窓にヤモリが張り付いて居て気味が悪かったから、アルミホイルを(A)(B)に詰めたら出て来なくなるだろうと思って、そうしただけだ」などと主張を変更した。当初、S氏は「水漏れなどは全く知らなかった」→「水漏れなどは全く無かった」→「水漏れがあったのは、たった1回だけで、生活には何ら不都合は無かった」→「アルミホイルは、上階501号室からヤモリが排水枝管☆②の外周を這い降りて来るのを防ぐ為だった」「水漏れとは全く関係が無い」と供述して居た。そして今度は→「窓にヤモリが張り付いて居て気味が悪かったから、アルミホイルを詰めた」と変更した。「窓に張り付いて居るヤモリを防ぐのに、全く見当違いの場所である(A)(B)に、何故、アルミホイルを詰める必要があるのか?」「まして、当時、401号室は無人で、夜間は真っ暗、そんな部屋のガラス戸には、灯りに群がる小昆虫(=これはヤモリのエサとなる)などが来る筈も無い」「そんなエサ(小昆虫)も居ない真っ暗な処へ、エサを求めて大量のヤモリがガラス戸に張り付く筈も無い」「而も、これ等はヤモリ糞ではなくコウモリ糞だった」事も判明して居る。これだけ大量の糞を排泄したヤモリ(恐らく100~200匹)がH.21.7.1~7.17.の短期間内に窓に張り付けば「窓ガラス全体はヤモリだらけ、まして『窓に張り付いた』のは(ヤモリよりも大型の)コウモリであったなら、コウモリ大群の『キーキー』という鳴き声でマンション中はさぞ騒々しかっただろう。余りにも見え透いたS氏の二転・三転・四転・五転する大ウソの大連発に対し、私共はタダ呆れるばかり、だが当該期間内にヤモリ・コウモリが当マンションに大襲来したとの事実も無ければ、管理日誌にも斯かる記述は一行も無い。 11).これ等の事情は、「裁判でS氏を実際に出廷させて尋問し、多くの矛盾点を指摘・追及すれば、簡単に真相が明らかになる筈だ」と私共は思った。(然し、後述の如く奈良地裁の宮本初美裁判官は、相変わらず「S氏は『水漏れは僅か1回あっただけ』と言って居るのだから、原告・被告・証人らの出廷・尋問・証言する必要は無い」と突っ撥ね続け、勿論、現場確認に来る事も一切無く、最後まで本人・証人尋問は全て不許可にして、ゴネ続けた。これでは、まるで大人から「動かぬ証拠を突き付けられ、問い詰められて、返答に窮した」アホガキが、意地を張って「証拠など、そんな物は見たくなーい」「証人喚問など、要らないったら要らなーい」「現場検証などには行きたくなーい!イヤだ―!」と駄々を捏ね続けて居るアホガキその物の姿を連想させる。とても良識ある大人(=裁判官)の言動とは思えない。私共が401号室の検分(内見)するに先だって、S氏は予め漏水被害痕跡を(専門業者に依頼して)除去して置いたり(?)、今度はヤモリ糞(実はコウモリ糞)をバラ撒いてインチキ証拠を捏造したり(?)、斯んなS氏の詐欺師振りに私共は呆れてしまった。而も、宮本初美裁判官は、何故、S氏を出廷・尋問させないのか?これは最早とても裁判ではない。
以下、(No.6)へ続く
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namansharma0950 · 4 months ago
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四ホウ酸ナトリウム (Sodium Tetraborate) 価格: トレンド、市場洞察、予測
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四ホウ酸ナトリウム (Sodium Tetraborate) は、一般にホウ砂として知られ、ガラス製造、洗剤、セラミックスなど、さまざまな業界で重要な役割を果たしています。四ホウ酸ナトリウムの価格はいくつかの要因の影響を受けるため、企業や消費者は市場動向を把握しておくことが重要です。
四ホウ酸ナトリウムの価格に影響を与える主な要因の 1 つは、原材料のコストです。四ホウ酸ナトリウムの主要成分であるホウ素は、主にホウ酸塩鉱床から採掘されます。これらの鉱床の入手可能性と品質は大きく異なる可能性があり、抽出と精製のコストに影響します。ホウ素採掘が生産量の減少や運用コストの増加などの課題に直面すると、四ホウ酸ナトリウムの価格は上昇する傾向があります。
四ホウ酸ナトリウムの生産プロセスも価格に影響します。高品質のホウ砂を生産するために必要な精製および結晶化プロセスには、エネルギーを大量に消費する手順が含まれます。その結果、特に電気と燃料に関連するエネルギー価格の変動は、生産コストの変動につながる可能性があります。エネルギーコストが高い地域では、四ホウ酸ナトリウムの価格にこれらの追加費用が反映される可能性があります。
市場の需要は、四ホウ酸ナトリウムの価格を大きく左右するもう 1 つの要因です。ガラスおよびセラミック業界はホウ砂の主要消費者であり、ホウ砂をフラックスとして使用して原材料の融点を下げ、最終製品の耐久性を向上させています。建設や自動車生産によってこれらの業界の需要が増加すると、ホウ素化合物の需要が高まるため、四ホウ酸ナトリウムの価格が上昇することがよくあります。
環境規制と持続可能性への取り組みも、四ホウ酸ナトリウムの価格に影響を与えます。業界が環境への影響を減らす取り組みを進めるにつれて、ホウ酸塩を含む環境に優しい材料の需要が高まっています。この変化により、持続可能な採掘方法とクリーンな生産技術への投資が増加する可能性があり、生産コストが上昇し、結果として四ホウ酸ナトリウムの価格が上昇する可能性があります。
リアルタイムで四ホウ酸ナトリウム (Sodium Tetraborate)価格: https://www.analystjapan.com/Pricing-data/sodium-tetraborate-1201
輸送と物流は、四ホウ酸ナトリウムの価格設定の重要な要因です。バルク化学物質である四ホウ酸ナトリウムは、特に長距離輸送の場合、特別な取り扱いと輸送が必要です。燃料価格や輸送コンテナの可用性などの輸送コストの変化は、さまざまな市場でのホウ砂の最終価格に影響を与える可能性があります。さらに、遅延や不足などのサプライチェーンの混乱により、価格が変動する可能性があります。
貿易政策や為替レートなどの世界経済状況も、四ホウ酸ナトリウムの価格設定に影響を与えます。ホウ素または関連製品に対する関税や貿易制限は、輸出入のコストに影響を及ぼし、さまざまな地域で価格調整につながる可能性があります。為替レートの変動は、特に国際的なサプライヤーに依存している国では、四ホウ酸ナトリウムの輸入コストにさらに影響を与える可能性があります。
要約すると、四ホウ酸ナトリウムの価格は、原材料費、製造費、市場の需要、環境への配慮、輸送ロジスティクス、世界経済状況などの要因の複雑な相互作用によって形成されます。これらの要素を理解することは、企業と消費者の両方が市場を効果的にナビゲートし、四ホウ酸ナトリウムの調達と使用に関して情報に基づいた決定を下すために不可欠です。
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